大阪高等裁判所 平成15年(う)1775号 判決 2004年3月05日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人明石博隆作成名義の控訴趣意書、控訴趣意補充書及び検察官の答弁書に対する反論意見書に、これに対する答弁は、検察官伊藤敏朗作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、原判示第3の1及び2の事実のうちそれぞれの詐欺罪(以下、単に「本件」ともいう。)の成否について、(1)不法領得の意思がなく、また、(2)財産的損害がなく、それ故、財産的処分行為もなく、詐欺罪の定型性を欠いているから、詐欺罪は成立しないので、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認ないし法令適用の誤りがある、というのである。
しかしながら、原審が取り調べた証拠によれば、上記各詐欺の事実を認めた原判決の認定、判断は、正当であって、原判決が「補足説明」として説示するところも正当として是認することができる。
以下、所論に鑑み、補足して説明する。
1 不法領得の意思の有無について
所論は、毀棄・隠匿によって他人に利用されないようにするという消極的な目的の場合に例外的に不法領得の意思が認められるためには、領得対象物の財物自体の利用から利益を得ることと同視しうるだけの直接性がなければならず、原判決のいう「差し押さえることが可能な経済的利益」は郵便配達員から本件の被害品とされる支払督促正本及び仮執行宣言付支払督促正本(以下「支払督促正本等」という。)を騙し取ることによって直接的に生ずる具体性ある財産的利益ではないから、被告人らに不法領得の意思があるとはいえない、という。
しかし、不法領得の意思とは、その財物の経済的ないし本来的用法に従いこれを利用もしくは処分する意思であって、その財物を毀棄・隠匿をするかどうかと、不法領得の意思があるかどうかとは直接に論理的な関係にあるわけではない。財物を最終的に毀棄・隠匿する場合であっても、財物を騙し取ることが財物を積極的に経済的ないし本来的用法に従って利用して処分する目的に基づくものであることは十分にありうる。
本件において被告人らが不正に利用しようとした支払督促制度は、債権者が裁判所に対し支払督促の申立てをするには証拠を添付する必要がなく、債権者の主張に基き形式的審査のみで裁判所書記官により支払督促正本が作成され、郵便配達員が支払督促正本を債務者に送達した時に支払督促の効力が生じ(民訴法388条2項)、同正本の送達後一定期間内に債務者から督促異議の申立てがなければ債権者の申立てにより裁判所書記官が仮執行宣言をし、債務者の財産に対する強制執行力が付与され(民事執行法22条4号)、同正本が債務者に送達された後一定期間内に債務者からの督促異議申立てがなければ、督促異議の申立てをすることができなくなる(民訴法393条)という簡易迅速に債務名義を得るための制度である。
被告人らは、この支払督促手続を不正に利用して、債務者とされた被告人の叔父の財産を差し押さえるために、郵便配達員から支払督促正本等を債務者本人を装って騙し取って、支払督促の効力を生じさせるとともに、債務者から督促異議申立ての機会を奪いながら、仮執行宣言を付すための期間の計算を開始させ、仮執行宣言により強制執行力を得、仮執行宣言付支払督促の確定する期間の計算を開始させるなど、権利義務に関する法律文書である支払督促正本等の本来の法的、経済的効用を発現させようとしていたのであるから、被告人らが債務者本人を装って郵便配達員から支払督促正本等を騙し取ったのは、その財物の経済的ないし本来的用法に従いこれを利用もしくは処分するという積極的な利用・処分目的に基づくものといえる。
したがって、被告人らに不法領得の意思があったことを認めることができる。
所論は採用できない。
2 財産的損害、財産的処分行為、定型性の有無について
所論は、<1>本件において、関係者の誰にも財産的損害が発生しておらず、したがって、外形的には郵便配達員が財物を交付したのであるから財産的処分行為があるかのように見えるが、財産的損害を発生させるような行為でないので、財産的処分行為があるとはいえず、<2>原判決のように、被告人らが被告人の叔父の財産を差し押さえようとしていたとの背後の経済的利益目的を考慮して、将来の財産的損害までも欺罔による財産的処分行為によってそのまま直接に発生するなどと考えることは、詐欺罪における定型性をないがしろにするものである、という。
(1) 所論<1>について
本件の被害品とされる支払督促正本等は、債権者である被告人がその叔父である債務者に対して主張する権利について、裁判所書記官が作成し、債務者に送達するために郵便関係者に預けた、人の権利義務に関する重要な法律文書であるから、詐欺罪の客体たる財物に該当し、財産的価値があるということができる。したがって、被告人らに支払督促正本等を騙し取られたことにより、財物に対する占有権原に基く占有を侵害された郵便関係者に、財産的損害が発生しているといえる。
この点に関して、所論は更に、郵便配達員は、支払督促正本等を配達することによりこれに対する占有を失うために所持しており、占有を失ったことが郵便配達員に生じた財産的損害とはいえない、という。しかし、郵便配達員は、職務として正当な占有権原に基き支払督促正本等を占有しており、職務上支払督促正本等を正当な受領権者に対してでなければ交付しないのであって、郵便配達員の占有が保護に値することは明らかであるから、郵便配達員が、被告人らによって支払督促正本等の債務者本人であると騙され、その占有を失ったことによって、財産的損害が生じているといえる。この点に関する所論は採用できない。
郵便配達員が被告人らに支払督促正本等の債務者本人であると騙されて支払督促正本等を交付する行為は、上記のとおり財産的損害を発生させる行為であるから、財産的処分行為であるといえる。所論<1>は採用できない。
(2) 所論<2>について
前記のとおり、本件において、詐欺罪の要件として検討すべき財産的損害とは、被告人らが郵便配達員を騙して財産的価値のある財物である郵便物を交付させたことによる損害であって、ここでいう財産的損害とは将来のことでなく、犯行時現在の郵便物そのもののことをいっているのである。原判決は、不法領得の意思の有無を判断するに当たり、被告人らにその郵便物をその用法に従い利用もしくは処分する意思があるかを判断するために、被告人らが犯行時に企図していた、支払督促制度を不正に利用して被害者の不動産を差し押さえようという将来にわたる不正な法的、経済的計画のなかで、被告人らが支払督促正本等をどのように利用・処分する意思であったかを検討しているにすぎず、所論がいうように将来の財産的損害を詐欺罪の財産的損害といっているわけではないので、所論の批判は当たらない。
また、本件のように、郵便配達員に対し、郵便物の宛先に記載された本人のように装って、郵便物を騙し取る行為は、詐欺罪の条文の文言及び国民の健全な法感情に照らして詐欺というのにふさわしい定型的な行為類型であると考えられ、本件が詐欺罪の構成要件に該当するということは、詐欺罪の定型性をないがしろにするものではない。所論<2>は採用できない。
なお、原判示第3の1及び2の事実のうち、共犯者において、郵便送達報告書の「受領者の押印又は署名」欄にそれぞれ被害者の名前を冒書し、これを郵便配達員に提出した行為が、有印私文書偽造、同行使罪に該当するとした原判決の判断は、正当として是認することができ、原判決が「補足説明」においてこの点について説示するところも十分首肯することができる。
その他所論に即して検討しても、原判決に事実の誤認ないし法令適用の誤りは認められない。
論盲は理由がない。
よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。