大阪高等裁判所 平成15年(う)625号 判決 2003年8月21日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役4年に処する。
原審における未決勾留日数中20日をその刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人岩﨑豊慶(主任)及び同森津純共同作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 控訴趣意中,事実誤認の主張について
論旨は,被告人が原判示の交差点(以下「本件交差点」という。)に進入したのは,黄色信号のうちに同交差点を通り抜けようとしたにすぎず,意図的に赤色信号を無視する危険運転行為を行ったものでないから,被告人に対しては業務上過失致死罪が成立するにとどまり,危険運転致死罪が成立するものではないのに,原判決が被告人には赤色信号を殊更に無視した危険運転行為があったと認めて同罪の成立を肯認したのは,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である,というのである。
そこで,記録を調査して検討するに,原判決が,その挙示する証拠によって,被告人を本件危険運転致死の事実につき有罪としたのは正当であり,また,その「補足説明」の項において,所論とほぼ同旨の原審弁護人の主張に対し,被告人が本件交差点の対面信号が黄色であるのを見た地点及び被告人車の後ろを同方向に走行していた目撃者が同信号が赤色であるのを見た際に被告人車が走行していた地点に関して,被告人の3回目の実況見分における指示説明及びそれに基づく捜査段階供述(以下,これらをまとめて「被告人の第3回見分結果」というように略称する。他の関係者についても同様である。ただし,「被告人の第1回見分結果」に限り,被告人の1回目の実況見分における指示説明のみを意味する。)並びに目撃者Bの第2回見分結果及び同Aの見分結果の各信用性を肯定し,他方で,これらに反する被告人の第2回見分結果及びその原審供述の各信用性を否定するなどした上で,被告人は,対面信号の信号表示がどうであれ,そのまま本件交差点を通過しようという認識を有していたと認められるから,結局,信号の規制自体を無視し,赤色信号であるか否かについて一切意に介することなく,赤色信号の規制に違反して進行したものであり,刑法208条の2第2項後段の「赤色信号を殊更に無視し」たものといえると説示して,これを排斥するところも,おおむね相当として是認できるのであって,当審における事実取調べの結果によっても,この認定,判断は動かない。以下,所論(弁護人岩﨑豊慶作成の「弁論要旨書」及び「弁論再開請求書」と題する各書面に記載するところを含む。)にかんがみ付言する。
所論はまず,被告人立会いによる実況見分は合計3回実施されているところ,その原審供述によれば,そのうち第2回見分結果こそが記憶どおりの内容を有するものである上,内容の面でも,先行するB車を追い越そうとしてハンドルを右に切った地点は直進・左折車線と右折車線との区分線が引いてある所付近であったと述べて,客観的な目印ないし記憶の根拠を明らかにしていることに照らし,信用性が十分高いと考えられるのに対し,被告人の第3回見分結果は,具体的な記憶に基づくものではなく,警察官の誘導ないし押し付けによるものであるから,信用性がない,と主張する。確かに,対面信号の目撃状況に関する被告人の供述は,実況見分を行う度に変遷しているところ,①本件事故直後における第1回見分結果は,停止線の29.1メートル手前(衝突地点の48.0メートル手前)の地点で対面信号が赤色であるのを見たというものであったが,翌日の検察官による弁解録取の時点では,赤色信号を見たという点は既に否定されており,また,②第2回見分結果は,衝突地点の77.4メートル手前(被告人車の運転席の移動距離でいえば75.2メートル手前)の地点で,対面信号が黄色であるのを確認するとともに,B車の追越しを開始し,直進・左折車線と右折車線との区分線をまたぐようにして追い越したが,その後は対面信号の表示を確認していないとするものであり,さらに,③第3回見分結果は,第2回見分結果を更に否定して,衝突地点の278.7メートル手前の地点でB車の追越しを開始し,259.8メートル手前の地点で対面信号が黄色であるのを確認し,194.6メートル手前の地点でB車の右側に並んだ後,110.6メートル手前の地点で元の車線に戻り,軽く左右道路を確認して進行した,などとするものである。しかしながら,これらのうち,その第2回見分結果は,(ア)B車を追い越した際の状況に関し,Bの2回にわたる見分結果が,追越しをかけてきた被告人車が右横に並んだのは停止線の139.1メートル又は212.8メートル手前の地点であり,本件事故を目撃して自車を停止させた地点も停止線の29.2メートル又は25.9メートル手前の地点であったとしていることと大きく矛盾すること,(イ)目撃者が対面信号が赤色であるのを見た際に被告人車が走行していた地点に関し,Bの第1回見分結果が,B車が停止線の95.1メートル手前,被告人車が同じく48.5メートル手前の各地点にいたとしていることとは矛盾しないものの,その第2回見分結果が,それぞれの車両が停止線の161.8メートル手前及び137.5メートル手前の各地点にいたとしていることや,Aの見分結果が,A車が停止線の222.0メートル手前,B車が同じく161.6メートル手前の各地点にいたとしていることと大きく矛盾すること,更には,(ウ)第2回実況見分から第3回実況見分までの間に作成された被告人の警察官調書においては,その第2回見分結果について,「目撃者の証言と少し食い違っているようだが,正直なところはっきりと覚えていないので,後日,事故現場で詳しく申し上げる」旨が述べられているほか,そのかすかな記憶によれば,路面のしま模様の塗装が始まりかけているのを確認したのは追越しを完了した時であったとした上,日頃の運転でも,交差点手前のしま模様の部分を通行したり,右折車線を進行して交差点を直進したりするような運転をした記憶はない旨が述べられていることに照らし,その信用性に多大な疑問が残る。これに対し,被告人の第3回見分結果は,Bの第2回見分結果及びAの見分結果とほぼ合致していること,その後,黄色信号を見たことを一時否定したことを除けば,起訴に至るまでおおむね一貫して被告人により維持されていること,更には,被告人の平成14年7月31日付け検察官調書(原審証拠等関係カード番号検73)においても,指示説明の後に,被告人車と同車種の自動車の助手席に乗り,当時と同一の速度で2回走行してもらっており,指示説明のとおり間違いなく作成されている旨述べられていることに照らし,その信用性は十分高いと考えられる。したがって,この所論は採用できない。
なお,被告人の上記検察官調書(以下「検73号証」という。)に関して,所論は,同調書の作成には疑念があり,①その作成日付の当日に被告人が検察官の取調べを受けたことはない上,②その記載内容についても,末尾の約1ページ分について,被告人の同月26日付け検察官調書(同番号検72)が作成されたのと同じ日に,検察官の取調べを受けて被告人が署名指印した以外は,被告人が何ら供述したことのない事実が記載されているから,検73号証を有罪認定の用に供することは許されない,と主張し,被告人も,原審第3回公判期日において,ほぼ①に沿う供述をしていたほか,当審の第3回公判期日において,①及び②に沿う供述をするに至っている。しかしながら,①の点に関して被告人がるる述べるところは,要するに,本件公訴が提起され,裁判所で起訴状謄本の送達を受けるとともに,いわゆる勾留状差換えのための勾留質問を受けた同年8月2日には,検察官の取調べを受けていないということにとどまり,同一日付の警察官調書(同番号検69)も作成された同年7月31日における検事調べの有無については,何ら具体的な供述がなされていないこと,また,②の点についても,検73号証は,欄外にページ数が印字された5ページつづりのもので,最終ページには被告人の署名指印も存在しているところ,その体裁や内容からして,同月26日に末尾部分の署名指印だけを徴したとか,最終ページ以外の4ページ分が後に差し替えられたとかの不正行為がなされたことを疑わせるような事情は認められない上,そもそも原審では,同調書が同意書面として取り調べられていたことなどに照らし,被告人の上記一連の供述はにわかに信用することができない。したがって,この所論も採用できない。
所論はまた,Bの第2回見分結果は,単なる記憶違いでは説明できないほどに大きくその第1回見分結果と食い違っているところ,同見分結果が,記憶が最も鮮明な時期に,適条や擬律の問題を意識することなしに説明や供述がなされたもので,高い信用性を有すると考えられるのに対し,第2回見分結果は,実際に車両を走行させて見分を実施したということしか上記のような食違いを合理化できる根拠がないから,信用性がない,と主張する。しかしながら,原判決が「補足説明」の2項において説示するように,Bが利害関係のない第三者であること,第1回見分結果については,その実施直後に作成された警察官調書において,実際に自動車で走ったわけではないこともあって,その正確性に疑問があることを既に示唆していた上,第2回見分結果については,同人の自動車に乗り込んで,当時と同じ速度で納得のいくまで走行した結果である旨述べていること,また,前述したように,第2回見分結果はAの見分結果ともほぼ合致していること,更には,対面信号が赤色であるのを確認した際に被告人車が走行していた地点の特定についても,「10人いれば10人が必ず信号待ちのために停車するくらいの状況であった」と述べて,臨場感ある供述をしていること等に照らすと,Bの第2回見分結果の信用性は十分に高いと考えられる。したがって,この所論も採用できない。
所論はさらに,原判決が認定したところによれば,被告人は,6,7秒前の時点で対面信号が既に赤色を表示していたにもかかわらず,ブレーキランプを点灯させることもないまま,本件交差点に進入したことになるが,経験則上,よほど特殊な状況でない限り,このような無謀な運転をする者がいるとは考え難いところであって,合理的な理由もないのに,相矛盾する見分結果のうち最も不自然なものに信用性を認めた原判決の事実認定には大きな無理がある,と主張する。しかしながら,被告人の第3回見分結果,Bの第2回見分結果及びAの見分結果がほぼ一致して示すところは,外形的にいえば,被告人がまさに所論指摘のような無謀な運転を行ったということにほかならない上,危険運転致死傷罪の処罰規定が新設されたのも,このような無謀運転行為による致死傷に対する処罰を適切に行うためにほかならない。加えて,被告人の第3回見分結果も,B車の追越しを終えて元の車線に戻った際,軽く左右道路を見て進行したとしているのであるから,外形的な運転態様が無謀であるからという理由だけで,上記各見分結果の信用性を否定することはできない。したがって,この所論も採用できない。
なお,以上によれば,被告人の対面信号は,被告人が本件交差点に進入する6,7秒前から赤色を表示していたことになるところ,被告人は,第1回見分結果を除き,ほぼ一貫して,病気で寝ている子のことが頭をよぎり,ぼんやりとした状態で,信号があること自体頭から飛んでいたため,赤色信号には気付かなかった旨弁解している。しかしながら,原判決が「補足説明」の4項で説示するように,①本件交差点に至るまでの間,被告人は,追越しのためのはみ出し通行禁止の規制がある本件現場付近道路において,指定最高速度の時速50キロメートル又は時速60キロメートル(なお,原判決の上記4項に「法定速度又はそれを超えたスピード」とあるのは,「指定最高速度又はそれを超えたスピード」の誤記と認める。)で走行していたA車及びB車を反対車線にはみ出して次々と追い越し,その間,衝突地点の約260メートル手前で対面信号が黄色であるのを確認しながら,その後も速度を緩めることなく進行し,約110メートル手前で軽く左右道路を確認して本件交差点に進入するなど,精神ないし意識の緊張が必要とされるような運転を行ってきたものであることがうかがわれるのであって,信号表示に関してのみ意識が飛んだというのは不自然極まること,②本件道路は直線道路であり,両側には水田が続いている上,街灯も少ないため,夜間においては信号表示がかなり目立つ状況にあること,しかも,③事故直後における被告人の第1回見分結果も,赤色信号を確認したという地点を被告人自ら特定したものであったことなどに照らすと,本件では,被告人が赤色信号を認識していた可能性が相当に高いというべきであるが,仮に,被告人がるる弁解するとおり,赤色信号を認識していなかったとしても,本件交差点に至るまでの上記のような運転経過や同交差点の状況等にかんがみると,同交差点に進入するに際しての被告人の心理状態は,対面信号の表示がどうであれ,そのまま交差点を通過しようという積極的な意思であったと認めざるを得ないところであって,信号表示への意識が一時的に飛んで赤色信号を見落としたとか,信号の変わり際で,赤色信号であることについて未必的な認識しかなかったとかいった,消極的な心理状態であったと認める余地はない。そうすると,原判決が「補足説明」の5項で説示するように,被告人は,本件交差点に進入するに際して,信号の規制自体を無視し,およそ赤色信号であるか否かについては一切意に介することなく,赤色信号の規制に違反して進行したというのが真相であり,刑法208条の2第2項後段にいう「赤色信号を殊更に無視し」たものに当たるというべきである。
以上のとおりであって,結局,論旨は理由がない。
2 職権調査
量刑不当の論旨に対する判断に先立ち,職権により調査するに,原判決は,危険運転致死の事実を認定した上,その罰条として単に刑法208条の2第2項後段のみを挙示している。しかし,同条項はその刑につき「前項と同様とする」と規定するところ,同条1項前段によれば,人を負傷させた場合と死亡させた場合とではその法定刑が異なるのであるから,この点を明らかにするためには,更に上記事実がそのいずれの場合に当たるのかについても,法令の適用でこれを明示しておく必要があると考えられる。そうすると,その明示をしなかった原判決は,法令の適用を遺脱したものといわざるを得ず,しかも,その遺脱は,処罰の根拠規定の一部を挙示しなかったことに帰着し,判決に影響を及ぼすことも明らかである。したがって,原判決は,その余の論旨について判断するまでもなく,破棄を免れない。
3 破棄自判
そこで,刑訴法397条1項,380条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に判決することとする。
(罪となるべき事実)
原判決書記載の「罪となるべき事実」と同じである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
「刑法208条の2第2項後段」とあるのを「刑法208条の2第2項後段(1項前段の致死の場合)」と,「未決勾留日数の算入」とあるのを「原審における未決勾留日数の算入」とそれぞれ改めるほか,原判決書記載の「法令の適用」と同じである。
(量刑の理由)
本件は,普通乗用自動車を運転していた被告人が,夜間で交通閑散なことに気を許すとともに,帰宅を急いでいたことから,赤色信号を殊更に無視し,時速約70キロメートルの高速度で交差点内に進入したため,折から左方道路から青色信号に従って同交差点に進入してきた当時20歳の女性が運転する原動機付自転車に自車を衝突させ,その結果,同人に頭蓋底骨折,外傷性クモ膜下出血等の傷害を負わせて,1時間余り後に同人を死亡させたという危険運転致死の事案である。被告人は,本件交差点に至るまで,追越しのためのはみ出し通行禁止の規制がある道路において,指定最高速度又はこれを上回る速度で走行していた先行車2台を反対車線にはみ出しながら次々と追い越してきたばかりか,本件交差点に至るや,既にその6,7秒前から対面信号が赤色を表示していたにもかかわらず,信号による規制自体を無視し,およそ赤色信号であるか否かを意に介することなく,上記高速度のままで同交差点を通り抜けようとして本件事故を発生させたものであり,その運転行為は無謀というほかない。また,長男が自宅で熱を出していたという事情があったにせよ,気晴らしの夜間ドライブを一人で楽しんだ挙げ句,帰りを急いで上記のような無謀な運転行為に及んでいるのは,誠に身勝手といわざるを得ず,犯行の動機に酌量すべきものはない。他方,被害者は,何の落ち度もないのに,被告人の身勝手な無謀運転により,春秋に富む人生を理不尽にもわずか20歳で一瞬にして絶たれたのであって,被害者自身の無念さはもとより,その遺族の悲しみ,更には,本件事故の直前まで被害者と一緒にいたその交際相手の男性の悲しみにも察するに余りあるものがあり,同人らの処罰感情が厳しいのも当然である。これらの諸点に照らすと,被告人の刑事責任はかなり重いといわなければならない。そうすると,他方で,遺族の気持ちを和らげるまでには至らないが,本件事故現場に花や線香を供えるなどして,被告人なりに被害者の冥福を祈るとともに,反省の態度を示していること,被告人には業務上過失傷害による罰金前科1犯しかないこと,幼い子が2人いるほか,妻が今後の被告人の監督を約束していること,被告人運転の自動車には対人賠償無制限の保険が付されていることなど,被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,被告人を主文掲記の実刑に処するのはやむを得ないところである。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・白井万久,裁判官・的場純男,裁判官・畑山靖)