大阪高等裁判所 平成15年(ネ)1329号 判決 2006年4月20日
控訴人(一審原告)
A野太郎(以下、単に「原告太郎」という。)
他1名
被控訴人・附帯控訴人(一審原告)
C川春夫(以下、単に「原告春夫」という。)
他4名
原告ら訴訟代理人弁護士
石川寛俊
同
井尻潔
同
阪口誠
同
重村達郎
同
竹岡富美男
同
武田純
同
吉村信幸
控訴人兼被控訴人兼附帯被控訴人(一審被告)
国(以下、単に「被告国」という。)
同代表者法務大臣
杉浦正健
同指定代理人
石井義規
他23名
主文
一 原告太郎及び同花子の控訴を棄却する。
二 原判決中、被告国敗訴部分を取り消す。
三 原告春夫、同夏子、同松子、同竹夫及び同梅子の被告国に対する請求をいずれも棄却する。
四 原告春夫、同夏子、同松子、同竹夫及び同梅子の附帯控訴をいずれも棄却する。
五 原告太郎及び同花子と被告国との間に生じた控訴費用は原告太郎及び同花子の負担とし、原告春夫、同夏子、同松子、同竹夫及び同梅子と被告国との間に生じた訴訟費用は、第一、二審を通じ、原告春夫、同夏子、同松子、同竹夫及び同梅子の負担とする。
事実及び理由
(以下の記述においては、原告太郎及び同花子を合わせて「原告A野ら」と、原告春夫及び同夏子を合わせて「原告C川ら」と、原告松子、同竹夫及び同梅子を合わせて「原告B山ら」とも呼称し、一審被告財団法人阪大微生物病研究会を「阪大微研」と呼称する。)
第一当事者の申立て
一 原告A野らの控訴
(1) 原判決中、原告A野らの被告国に対する請求に関する部分を取り消す。
(2) 被告国は、原告A野ら各自に対し、それぞれ五〇〇〇万円及びこれに対する平成元年一〇月二五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告国の控訴
主文二、三項同旨
三 原告C川ら及び原告B山らの附帯控訴
(1) 原判決中、原告C川ら及び原告B山らの被告国に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。
(2) 被告国は、原告C川ら各自に対し、それぞれ五〇〇万円及びこれに対する平成三年六月二五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(当審における請求の減縮)
(3) 被告国は、原告松子に対し、五〇〇万円及びこれに対する平成三年四月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(当審における請求の減縮)
(4) 被告国は、原告竹夫及び同梅子各自に対し、それぞれ二五〇万円及びこれに対する平成三年四月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(当審における請求の減縮)
第二事案の概要
一 事案の骨子及び訴訟の経過
(1) 本件は、乾燥弱毒生麻しんおたふくかぜ風しん混合ワクチン(Measles Mumps Rubellaワクチン。以下「MMRワクチン」という。)の予防接種をうけたところ、その副反応により、原告A野らの子である亡A野秋夫(以下「秋夫」という。)及び原告C川らの子である亡C川冬夫(以下「冬夫」という。)が死亡し、原告松子が重篤な後遺障害を残す被害を受けたとして、原告らが、被告国に対しては国家賠償法一条一項又は憲法二九条三項に基づき、阪大微研に対しては債務不履行責任又は不法行為責任に基づき、損害賠償あるいは損失補償及び遅延損害金の支払を請求した事案である。
原告らは、原審において、その損害及び請求額について、以下のとおり主張した。
ア 原告A野ら
秋夫に生じた次の損害合計一億〇七七二万九八七八円(原告A野らが各二分の一ずつの割合で相続)の内金として、原告A野ら各自が五〇〇〇万円ずつを請求。
(ア) 逸失利益 五一七九万〇六七八円
(イ) 入院雑費 三万一二〇〇円
(ウ) 入通院慰謝料 三〇万円
(エ) 慰謝料 四〇〇〇万円
(オ) 葬祭料 一五〇万円
(カ) 付添看護費 一〇万八〇〇〇円
(キ) 弁護士費用 一四〇〇万円
イ 原告C川ら
冬夫に生じた次の損害から、予防接種健康被害救済制度に基づき支給を受けた医療手当四八万三九五〇円、死亡一時金二〇五〇万円及び葬祭料一四万円の合計二一一二万三九五〇円を損益相殺した残額一億〇〇五一万三一一九円(原告C川らが各二分の一の割合で相続)の内金として、原告C川ら各自が五〇〇〇万円ずつを請求。
(ア) 逸失利益 五九七七万〇六六九円
(イ) 入院雑費 五三万〇四〇〇円
(ウ) 付添看護費 一八三万六〇〇〇円
(エ) 入院慰謝料 五〇〇万円
(オ) 死亡慰謝料 四〇〇〇万円
(カ) 葬祭料 一五〇万円
(キ) 弁護士費用 一三〇〇万円
ウ 原告B山ら
(原告松子分)
次の損害から一七四五万七五二七円を損益相殺した残額二億一八五一万一一一三円の内金として、一億三〇〇〇万円
(ア) 逸失利益 六七二七万四五三五円
(イ) 入院雑費 二六万九一〇〇円
(ウ) 付添看護費 九三万一五〇〇円
(エ) 介護費用 一億〇八九九万三五〇五円
(オ) 入通院慰謝料 三〇〇万円
(カ) 後遺症慰謝料 二七〇〇万円
(キ) 弁護士費用 二八五〇万円
(原告竹夫、同梅子分)
固有の慰謝料及び弁護士費用として、原告竹夫と同梅子各自が一〇〇〇万円ずつを請求。
(2) 原審は、秋夫の死亡とMMRワクチン接種との間の相当因果関係は認められないとして、原告A野らの請求をすべて棄却した一方、原告C川ら及び原告B山らの請求については、その一部(被告国及び阪大微研に対して、原告C川ら各自がそれぞれ一七二七万〇三五〇円及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を求める限度、原告松子が一億二三七八万七四四四円及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を求める限度、原告竹夫及び同梅子各自が五五〇万円及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を求める限度)を認容し、その余を棄却した。
これに対し、被告国は、被告国敗訴部分を不服として控訴を提起した。
他方、原告A野らは、原告A野らの請求を全部棄却した原判決を不服として控訴を提起し、原告C川ら及び原告B山らも、同原告らの被告国に対する請求に関する同原告ら敗訴部分を不服として、平成一五年一〇月一日、附帯控訴した。
(3) 原判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、阪大微研と原告らは、本件について、協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研は、同月二八日、原告C川ら及び原告B山らに対して原判決における同原告らの請求の認容額全額(支払日までの遅延損害金を含め、原告C川らそれぞれに対して各二七四二万二〇〇三円、原告松子に対して一億九七六〇万二〇六六円、原告竹夫及び同梅子それぞれに対して各八七七万九六五七円)を支払うとともに、原告A野らに対して見舞金二〇〇〇万円を支払い、原告A野らは阪大微研に対する控訴を取り下げた(これにより、原告A野らの阪大微研に対する請求については、原判決が確定した。)。
(4) 原告らは、当審において、その損害について、後記三(3)のとおり主張を変更し、原告C川ら及び原告B山らは、上記(3)のとおり阪大微研から支払を受けたことを踏まえて、前記のとおり請求を一部減縮した。
二 その他、事案の概要は、以下のとおり原判決を補正し、三項のとおり、当事者の当審における主張を付加するほか、原判決の事実及び理由中の「第二 事案の概要」欄一、二(原判決六頁一三行目から三五頁四行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原告らの阪大微研に対する請求のみに関する部分を除く。)。
(1) 原判決一一頁一七行目末尾の後に、行を改めて、以下のとおり付加する。
「サ 原告A野らは、秋夫のMMRワクチン接種による無菌性髄膜炎発症について、平成四年四月一三日付で、予防接種に伴う健康被害であるとの厚生大臣の認定を受け、同年七月一六日、豊中市長から、予防接種健康被害救済制度に基づく医療費及び医療手当として、平成元年一一月一四日から同年一二月八日まで、入通院について、合計一四万三八八〇円の支給を受けた(乙四二の一・二、一一〇の一・二)。
また、前記のとおり、原告A野らは、本件一審判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、阪大微研との間で協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研は、同月二八日、原告A野らに対して見舞金二〇〇〇万円を支払い、原告A野らは阪大微研に対する控訴を取り下げた(乙一〇九)。」
(2) 同一二頁二三行目末尾の後に、行を改めて、以下のとおり付加する。
「 また、前記のとおり、原告C川らは、本件一審判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、阪大微研との間で協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研は、同月二八日、原告C川らに対して原判決における同原告らの請求の認容額全額(原告C川らそれぞれに対して各二七四二万二〇〇三円)を支払った。」
(3) 同一四頁一行目の「平成五年」の後に、「五月」を付加する。
(4) 同一四頁七行目から八行目の「特別児童福祉手当一一五三万九六八〇円」を、「特別児童福祉手当一五三万九六八〇円」と改め、九行目末尾の後に、行を改めて以下のとおり付加する。
「 また、前記のとおり、原告B山らは、本件一審判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、阪大微研との間で協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研は、同月二八日、原告B山らに対して原判決における同原告らの請求の認容額全額(原告松子に対して一億九七六〇万二〇六六円、原告竹夫及び同梅子それぞれに対して各八七七万九六五七円)を支払った。」
(5) 同二三頁五行目から六行目の「発症した考えられる」を、「発症したと考えられる」と改める。
三 当事者双方の当審における主張
(1) 争点(2)(MMRワクチン接種と秋夫の症状及び死亡との間の因果関係)について
(原告A野らの補足的主張)
ア 被告国は、秋夫の死亡原因となった急性脳症は、インフルエンザウイルスによるライ症候群である旨主張するが、急性脳症の原因となるウイルスはインフルエンザウイルスに限られるわけではなく、麻しんウイルス、水痘ウイルス、ムンプスウイルス、ロタウイルス等多数のウイルス感染症によっても生じうるものである。
秋夫は、このような多数のウイルスに感染した可能性があり、無菌性髄膜炎についてはMMRワクチン由来のムンプスウイルスとの因果関係が行政上も認定されているのであって、秋夫の急性脳症がどのウイルスに起因するものかを現段階で断定することは不可能に近いというべきであり、常識的判断としては、MMRワクチン由来の麻しんウイルス、ムンプスウイルスを含む多数の感染症ウイルスが競合的に作用して生じたと認定するのが最も自然である。したがって、秋夫の死亡と本件MMRワクチン接種との間には因果関係が認められる。
イ 仮に、秋夫の直接の死因がインフルエンザウイルスによる脳症であったとしても、秋夫の臨床経過、すなわち、本件MMRワクチン接種後、麻しんウイルスによる発熱を生じ、引き続いてムンプスウイルスによる無菌性髄膜炎を発症して入院し、一旦退院した後も、すぐに発熱・嘔吐・水様性下痢を発症して治療を受けていたことや、秋夫の剖検所見(乙四八)において免疫反応を司るリンパ装置に主要な変化が見られるとされ、当審鑑定において鑑定人名倉宏が秋夫の組織標本を顕微鏡で観察した結果によっても、秋夫には、免疫機能の中枢を司る腸管免疫機構に異常が見られ、秋夫が免疫不全状態ないし免疫機能低下状態にあったことが推論できることに照らせば、MMRワクチンに含まれるウイルス感染とそれによる健康状態の悪化、免疫機能の低下が、次々と更なるウイルス感染を引き起こし、それらにより秋夫が免疫抑制ないし免疫不全状態に陥った状態の下で、これに引き続きインフルエンザウイルスないし何らかの異物が体内に侵入したことが直接のきっかけとなって急性脳症を発症し、死に至ったものと考えられるから、秋夫の死亡と本件MMRワクチン接種との間には因果関係が認められる。
(被告国の反論)
ア 原告A野らは、秋夫に生じた急性脳症は多数の感染症ウイルスが競合的に作用したものであると主張するが、原審でも主張したとおり、平成元年一一月二日以降、秋夫に生じたMMRワクチンの副反応は、同年一二月八日までに軽快治癒していたこと、同年一二月ころ、原告A野らが居住していた北摂地域では、インフルエンザが大流行していたこと、原告花子は、同月二六日、三八度の発熱をしていたこと、秋夫は、同月二七日から二八日にかけて発熱、嘔吐、軟便失禁など、麻しん、風しん、おたふく風邪の臨床症状とは異なる症状を発症していること、秋夫の気管内に挿管されていたチューブからインフルエンザA香港型ウイルス(AH3)が分離され、秋夫の右側肺葉の細気管上皮細胞にインフルエンザ抗原が認められていること、近年明らかになった小児インフルエンザ脳炎・脳症の典型的な臨床像は、秋夫の臨床症状と一致していることからすれば、秋夫の上記病状の原因はインフルエンザウイルス罹患による典型的なライ症候群(急性脳症)と認められる。
イ また、原告A野らは、秋夫の剖検所見にリンパ装置の破壊現象の記載があることや、当審における名倉鑑定人の観察結果をもって、秋夫がMMRワクチンに含まれる麻しんウイルスによる免疫機構の破壊により、秋夫が免疫抑制ないし免疫不全状態に陥っていたと推論できる旨主張する。しかしながら、インフルエンザ脳炎・脳症の症例報告によっても、リンパ系組織の変化が認められるところであるし、名倉鑑定人の観察結果によれば、むしろ秋夫の免疫系が活性化され、機能したと考えられる所見もあるうえ、名倉鑑定人は、秋夫の腸管免疫機構の異常をもたらした原因について何ら所見を示していない。さらに、そもそも、MMRワクチンに含まれる弱毒化された麻しんウイルスに免疫抑制作用は認められない。これらに照らせば、原告A野らの上記推論は相当でないことが明らかである。
ウ さらに、そもそも、原告A野らの上記補足的主張は、① 秋夫の急性脳症の発症原因がMMRワクチンに由来しないウイルスによる可能性を認めたうえ、具体的にいかなるウイルスによるものかは不明とするものであり、② 秋夫に生じた免疫抑制ないし免疫不全状態がどの程度のもので、急性脳症の原因となったウイルス感染にどのような影響を与えたかも全く明らかにしないものであって、結局、その主張自体、本件MMRワクチン接種が秋夫の脳症発症の原因となり得る可能性を指摘するにとどまり、本件MMRワクチン接種と秋夫の脳症発症との間の因果関係を肯定するに足りる高度の蓋然性は到底認められない失当なものというべきである。
(2) 争点(6)(被告国の過失)について
(原告らの補足的主張)
ア 本件訴訟の特徴
被告国は、予防接種の実施は専門的、技術的な判断を要する事項であり、予防接種政策のあり方は高度の行政裁量事項であることを強調して、本件における国の権限の行使に違法はない旨主張する。
しかしながら、本件訴訟は、薬事法上の承認を受けていない違法な製造方法によって製造された本件MMRワクチンを接種されたことによって健康被害が発生したという点に特徴があり、接種されたワクチンが一応の安全性基準を満たしていることを前提として、そのワクチン自体に不可避的に内在する副反応のリスクが現実化した場合に、禁忌者の排除が十分だったか否かが問題とされた過去の予防接種訴訟とは事案の性質を異にする。
すなわち、本件MMRワクチンは、薬事法に基づき承認を受けたのとは異なる製造方法で製造されたものであり、ウイルスの弱毒化が不十分で、もともと薬事法上接種が認められないものであったにもかかわらず、製造承認を与えた被告国(厚生大臣)自身もそのような製造方法の無断変更に気づかないまま、客観的には違法であることが明らかな接種を約四年間にわたって継続し、被接種者に健康被害が生じたのであり、本件では、そのような健康被害に関する法的責任が、製造業者である阪大微研のみにあるのか、この接種を継続した被告国にも認められるかが問題とされているのである。
そして、薬事法に基づく承認を受けていない製造方法により製造された医薬品について、いかなる者もこれを市場に供給してはならない義務を負うのは当然なのであるから、本件に関する被告国の責任を検討するにあたっては、被告国の主張するような行政上の施策一般における裁量論が問題となる余地はないというべきである。
イ ワクチン製造方法等に関する指導監督義務違反について
(ア) 本件においては、予防接種という被告国の社会防衛の観点からなされる施策における健康被害が問題となっており、原判決が指摘する、① 予防接種が一定の危険性を内包する行為でありながら、社会防衛の見地から被告国が主体となって実施するものであること、② 予防接種が体内に病原体を注入するという、国民の生命身体に直接影響を及ぼすものであること、③ 予防接種に用いるワクチンの製造について被告国はその基準に関する重大な決定権限をもつとともに、供給されるワクチンが同基準を満たすものであるか否かについて調査・監督権限を有していること、④ 他方で、予防接種を受ける国民にはワクチンに関する十分な情報や専門知識がなく、実施主体である被告国を信頼して予防接種を受けるのが実態であることなどの事情に加え、⑤ 予防接種は、それが定期接種であると任意接種であるとにかかわらず、被告国がこれを受けるように政策的に働きかけているものであり、それを接種するか否かに関する被接種者の自己決定権は大幅に制約されており、本件MMRワクチンについても、被告国は定期接種とされていた麻しんワクチンに代わってMMRワクチンを接種するよう政策的に誘導していたこと、⑥ 予防接種(特に乳幼児に対する定期接種及び本件MMRワクチン等の接種等それに準ずる接種)の実施は、実質的に被告国の独占事業とされており、そこに用いられるワクチンに関する被告国と製薬会社との関係は、他の医薬品におけるような単なる警察的規制の主体と客体との関係にはとどまらないこと、などをも併せ考えれば、被告国に、製薬会社が薬事法に基づいて承認を受けたものと異なる方法でワクチンを製造・供給することのないよう指導監督すべき条理上の義務が認められることは明らかである。
(イ) これに対し、被告国は、この指導監督義務の内容が不明確であると批判する。
しかしながら、この指導監督義務の内容は、承認を受けていない方法によりワクチンを製造、供給しないようワクチン製造業者を指導監督すべき義務であり、具体的には、一般的な行政指導権限、薬事法(平成四年法第四六号による改正前のもの。以下同じ。)に定める立入検査(六九条)、緊急命令(六九条の二)、同製造承認(一四条)及び製造承認の取消(七四条の二)等の権限、ワクチンの発注者としての契約上の地位などに基づいて、ワクチン製造業者に薬事法の製造承認制度に関する指導を継続的に行い、製造現場の立入検査や製造担当者への個別指導などにより薬事法に基づいて承認を与えた方法でワクチンが製造されていることを確認するとともに、これを遵守するよう指導するなどの方法により、これを行うべきものであって、十分明確というべきである。実際に、平成五年に被告国が行った立ち入り調査により阪大微研の本件MMRワクチンに関する製造方法の無断変更の事実が判明し、被告国は、薬事法一六条で準用される同法九条の二に基づく「医薬品の製造管理及び品質管理規則(GMP規則)」五条(① 製造管理責任者の義務として、製造工程における指示事項、注意事項その他必要な事項を記載した製造指図書を作成すること、② 製造指図書に基づき医薬品を製造すること)が遵守されていなかったことを理由として、阪大微研に対して行政処分を行っていることからしても、被告国の批判はあたらない。
(ウ) また、被告国は、医薬品の危険性について熟知している製薬会社が承認された製造方法にしたがってワクチンを製造すべきは当然であり、予防接種法において厚生大臣のワクチン製造業者に対する権限行使は予定されておらず、予防接種に関する被告国に対する国民の信頼も、使用ワクチンの適切な選定、予診方法や禁忌の適切な設定によって応えることが予定されているというべきであるし、薬事法の権限規定から、被告国のワクチン製造・供給過程に関する一般的・抽象的指導監督義務を肯定し、これを個々の国民に対する義務と解することは、薬事法の警察取締法規としての性格と齟齬する解釈であると主張する。
しかしながら、薬事法六九条は薬事監視システムを実行あらしめるための制度として被告国の立入検査等の権限を認めており、同法に基づく「医薬品の製造管理及び品質管理規則(GMP規則)」五条は、製造管理責任者に必要事項を記載した製造指図書の作成を義務づけ、これに基づいて医薬品を製造することを定めているところ、これらの規定は、被告国が立入検査や薬事監視員の派遣(薬事法七七条)等の手段により製造指図書を検査し、薬事法に基づき承認を受けた製造方法が遵守されているかを事後的にチェックすることを当然に予定しているものである。また、予防接種法は、予防接種の実施にあたり、被告国は予防接種の安全性を確保するための措置を継続的に講じなければならないことを当然の前提としているのであって、この予防接種法の趣旨に照らしても、被告国に、ワクチン製造業者が製造方法を無断で変更するようなことのないよう指導監督すべき条理上の義務があったことは明らかである。
また、被告国の主張は、被告国は予防接種の実施主体であり、接種を受ける国民に対しワクチンの安全性(品質・性状)について全面的な責任を負うべき立場にあるのに、ワクチンが被告国の実施する予防接種のために製造供給されるものであることを考慮しないものであり、実際に、原判決が指摘するように阪大微研の製造現場や本部において承認を受けた製造方法を遵守しなければならないという意識が徹底されていなかったことに照らしても、不当である。
(エ) さらに、被告国は、医薬品の危険性について熟知している製薬会社が承認された製造方法にしたがってワクチンを製造すべきは当然であることからすれば、阪大微研が製造方法を変更していたことについて予見可能性がなかったと主張するが、本件MMRワクチンの導入から一時見合わせ措置がとられるまでの一連の経過に照らせば、被告国は、本件MMRワクチンが製造承認を受けていない方法で製造されたものであることまでの予見ができなかったとしても、遅くとも平成元年九月時点までに、少なくとも本件MMRワクチンの製造方法に何らかの不備があるのではないかとの合理的な疑いが生じていたというべきであるから、被告国の主張は失当である。このことは、被告国自身が各自治体に対して副反応発症に関する報告の指示をしていることや、秋夫が本件MMRワクチンを接種した平成元年一〇月二五日までに六三の自治体がMMRワクチンの接種実施を中止するか一時見合わせており、冬夫及び原告松子が接種する前の平成三年三月末日までに累計で五〇六の自治体が実施を中止していることからも明らかである。
ウ 指導監督義務違反と患者の病変との間の因果関係について
被告国は、仮に、被告国ないし厚生大臣の条理上の指導監督義務違反の過失が認められたとしても、そこで問題とされる過失は、ワクチンの製造方法の変更に関する国の権限行使なのであるから、秋夫及び冬夫の死亡、原告松子の症状について被告国に賠償責任を肯定するためには、ワクチンの製造方法と秋夫及び冬夫の死亡、原告松子の症状との間に、個別的具体的な因果関係の存在することが認められなければならない旨主張する。
しかしながら、本件MMRワクチンの製造方法の変更がワクチンの品質の変化をもたらし、それが接種後の無菌性髄膜炎の発症頻度の違いとなって顕れたこと、すなわち、製造方法の変更が副反応の発症頻度を高めたことは、製造業者である阪大微研が認めているところである。また、そもそも、本件で被告国の過失として問題とされているのは、被告国(厚生大臣)が上記の指導監督義務を怠り、製造承認されたのと異なる方法で製造された本件MMRワクチンの予防接種実施を継続したため、秋夫、冬夫及び原告松子がこれを接種されたことであるから、秋夫、冬夫及び原告松子が本件MMRワクチンを接種したことと秋夫及び冬夫の死亡、原告松子の症状発生との間に因果関係が認められれば、被告国の過失と結果発生との間の因果関係を肯定できるというべきである。
エ 薬事法に基づく規制権限(緊急命令)不行使の違法性判断基準について
薬事法の保護法益の重大性に鑑みれば、同法に定められた規制権限(緊急命令)行使に関する被告国の裁量権には合理的な限界が画されるべきであり、権限不行使の違法性判断にあたっては、その時点における医学的薬学的知見は必須のものではないと解するべきである。
本件MMRワクチンの接種を受けた多数の乳幼児に無菌性髄膜炎をはじめとする健康被害が生じていること、平成元年九月の時点で、規制権限を持つ被告国は当該健康被害に関する具体的情報を有していたこと、被告国は、薬事法に基づき、安全性に疑いが生じた医薬品について販売を一時中止する権限が与えられていたこと、平成元年九月時点で本件MMRワクチンの販売を一時差し止めていれば、本件MMRワクチンによる秋夫、冬夫及び原告松子の健康被害の発生を防止できたことなどの事情に照らせば、被告国には、その時点でMMRワクチンの危険性に関する医学的・薬学的知見が必ずしも一致していなくても、同月時点で緊急命令を発しなかったことについて過失があるというべきである。
オ 予防接種実施主体として、本件MMRワクチン接種の一時見合わせ措置をとらなかったことの過失について
予防接種の実施が、病原体を被接種者の体内に注入するという、国民の生命身体に直接危険を及ぼす影響、一定の危険性を内包する行為である以上、その実施主体である被告国がワクチンの安全性について高度の注意義務を負うことは当然であり、その責任の有無の判断は、警察的規制のために設けられた薬事法上の規制権限不行使の違法性判断と同列に論じられるものではない。そもそも、上記アに述べた本件訴訟の特徴、すなわち、本件MMRワクチンは薬事法に基づく承認を受けた方法で製造されておらず、そのようなワクチンの接種が客観的に違法であって許されないことが明らかなことからすれば、そのようなワクチンを接種したことについて行政裁量を理由に違法性が否定されることはあり得ない。
これに対し、被告国は、阪大微研が製造方法を変更していたことについて予見可能性がなかったと主張するが、上記イ(エ)のとおり、本件MMRワクチンの導入から一時見合わせ措置がとられるまでの一連の経過に照らせば、被告国は、遅くとも平成元年九月時点までに、少なくとも本件MMRワクチンの製造方法に何らかの不備があるのではないかとの合理的な疑いが生じていたというべきであるから、予見可能性がなかったとはいえず、被告国の主張は失当である。
(被告国の補足的主張)
ア ワクチン製造方法等に関する指導監督義務について
(ア) 原判決は、被告国に対し、「予防接種を受ける個々の国民に対して、ワクチン製造業者を十分に指導監督することにより、ワクチン製造方法の無断変更がないように一般的にワクチン製造者らを監督しなければならない」という条理上の義務を認め、阪大微研が承認を受けた製造方法を遵守していなかったことについて、被告国にはこの義務違反が存在した旨判示した。
しかしながら、このような被告国の個々の国民に対する義務は薬事法からも予防接種法からも導かれるものでなく、条理という不明確な概念により実質的な根拠を示すことなく、薬事法及び予防接種法の趣旨と相反する形でワクチン製造業者に対する規制権限を導き出すものであるうえ、阪大微研の製造方法変更に関する予見可能性はなく、義務違反を論ずる前提としての事実的基礎を欠くことに照らし、不当な判断である。
(イ) すなわち、原判決の上記判断は、国賠法一条一項に該当し違法と判断される前提としての「公務員の職務上の義務」を検討することなく、具体的にどのような公務員の、どの時点における、どのような行為が国賠法上違法と評価されるのかという点について全く特定を欠いたまま、単に製造方法の無断変更という結果が発生したことのみを捉えて、「被告国」の義務違反を論じている点で不適切である。
また、そこで前提とされている「条理上の指導監督義務」の内容自体、どのような場合にどのような内容の指導監督をする義務なのかが明確でないうえ、医薬品の危険性について熟知している製薬会社が承認された製造方法にしたがってワクチンを製造すべきことは当然であり、薬事法上それに違反した場合の罰則も設けられ、違反抑止のための立法的な措置が講じられていたことに照らせば、違反行為に関する何らの端緒もないにもかかわらず、個々の国民との関係で、被告国に何らかの作為義務を課すことは、被告国の製薬会社に対する過度の介入を認める不合理なものというべきであるし、そもそも、法令の直接の根拠を欠いたまま、具体的内容の不明確な条理を根拠として、行政に何らかの規制権限を認めることは、法律による行政という観点からも妥当でない。
さらに、原判決は条理上の指導監督義務の根拠として、被告国とワクチン製造業者は「予防接種の主体とその協力者の関係」にあり、国民は実施主体である被告国を信頼して予防接種を受けること、被告国はワクチンの製造過程のすべてに基準を制定し、それを充足するワクチンが供給されることについて指導監督権限を有しているなどと判示する。しかしながら、予防接種法は薬事法上有効であると確認されたワクチンの存在を前提として、予防接種をいかにして行っていくかについて規定しているものであり、同法において厚生大臣のワクチン製造業者に対する権限行使は予定されていないのであって、被告国とワクチン製造業者は、原判決が条理上の指導監督義務の根拠としているような「予防接種の主体とその協力者の関係」にあるとはいえず、予防接種に関する被告国に対する国民の信頼も、使用ワクチンの適切な選定、予診方法や禁忌の適切な設定によって応えることが予定されているというべきである。また、薬事法に規定されている厚生大臣の規制権限は、警察的規制を行う観点から定められたものであり、同法には、厚生大臣に、そのような目的を超えて、同法に基づいて承認された製造方法を遵守させるという積極的な目的のために行使すべき権限を認めた規定はないのであって、原判決が指摘する薬事法の権限規定から、被告国のワクチン製造・供給過程に関する一般的・抽象的指導監督義務を肯定し、これを個々の国民に対する義務と解することは、薬事法の警察取締法規としての性格と齟齬する解釈というべきである。
加えて、上記のとおり、医薬品の危険性について熟知している製薬会社が承認された製造方法にしたがってワクチンを製造すべきは当然であることからすれば、ワクチン製造業者が過去にも製造方法の無断変更を頻繁に行っていたとか、一定の時期を境に有害事象の発生率が格段に上昇したなどといった特別の事情のない限り、厚生大臣には、ワクチン製造業者が承認されたものと異なる製造方法でワクチンを製造していることを推知し得ないというべきところ、本件においてそのような特別事情は存在しないから、本件において、被告国には、条理上の指導監督義務を肯定する前提となる、危険に対する予見可能性がないというべきである。
(ウ) 以上のとおり、被告国に条理上の指導監督義務を肯定した原判決の判断は不当である。
イ MMRワクチンの製造方法変更と患者の病変との間の因果関係について
仮に、被告国ないし厚生大臣に条理上の指導監督義務違反の過失が認められたとしても、そこで問題とされる過失は、ワクチンの製造方法の変更に関する国の権限行使についてであるから、秋夫及び冬夫の死亡、原告松子の症状について被告国に賠償責任を肯定するためには、ワクチンの製造方法と秋夫及び冬夫の死亡、原告松子の症状との間に、個別的具体的な因果関係の存在することが認められなければならない。
しかるに、本件においては、この点に関する、製造方法の変更がどのような病態にどのように影響したかなどの具体的な証明は全くなされていないから、条理上の指導監督義務違反の過失をもって、秋夫及び冬夫の死亡、原告松子の症状について被告国に責任を認めることはできないというべきである。
この点、原判決は、製造方法変更前と変更後において、無菌性髄膜炎の発症頻度に差があることを指摘するのみで、製造方法の変更がどのような病態にどのように影響したかといった副反応の発生機序について何も明らかにしないまま、阪大微研によるMMRワクチンの製造方法の変更と同ワクチンの被接種者らの副反応の発生との間の因果関係を肯定しているが、副反応、しかも無菌性髄膜炎の発症頻度の差のみから、直ちに個別的な因果関係が肯定できないことは当然であり、そのような判断が不当であることは明らかである。
ウ 薬事法に基づく規制権限(緊急命令)不行使の違法性判断基準について
薬事法は、不良医薬品の供給に伴う危険防止という警察取締法規としての性格を有するものであり、この目的を超えて、社会福祉の増進という積極目的のためにそこに規定されている規制権限を行使することは許されない。この薬事法の性格に加え、薬品製造業者がその取り扱う医薬品に関して多くの情報を有しているという実情に鑑みれば、医薬品の安全性確保については製造業者が一次的な責任を負うのは当然であり、薬事法上の厚生大臣の規制権限不行使の違法性の判断においてもこのことを前提として考える必要がある。また、そもそも、薬事法には、個々の国民に対する関係において、厚生大臣に何らかの積極的な行為を行うべきことを義務づけた規定は全く存在せず、薬事法上の厚生大臣の各種権限は、被告国の薬事行政上の責務を明確にすべく整備されたものにすぎないのであり、その文言からも明らかなとおり、当該規制権限を行使するか否かについては、合理的・合目的的・行政的判断権が留保されているものである。
これらを踏まえて考えれば、薬事法に基づく規制権限(緊急命令)不行使の違法性の有無の判断は、規制権限行使が問題とされている時点における医学的・薬学的知見の下において、当該医薬品がその副反応を考慮してもなお有用性を肯定しうるかどうかという観点から、権限不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くか否かという判断枠組みによってなされるべきである。
このような判断枠組みにしたがって本件MMRワクチンの製造承認から製造中止に至るまでの経緯を見れば、秋夫が本件MMRワクチンの接種を受けた平成元年一〇月二五日の時点はもとより、最も遅い冬夫が接種を受けた平成三年六月の時点においても、厚生大臣が規制権限を行使すべきであるとする医学的・薬学的知見が存在していたとはいえないから、上記厚生大臣の規制権限(緊急命令)の不行使が違法であると評価することはできない。
エ 予防接種実施主体として、本件MMRワクチン接種の一時見合わせ措置をとらなかったことの過失について
予防接種制度の目的は、各個人及び集団に対し、伝染病に対する抵抗力を付与して、その蔓延を防止しようとするものであり、このような伝染病予防及び予防接種施策を行うに際しては、疾病そのものの本質と蔓延状況、公益への影響、他の対策と比較しての予防接種の相対的意義、予防接種の安全性及び効果等、高度の専門科学的、技術的な知見・情報に基づく政策的な判断が必要とされるから、その実施方法等具体的な施策の選択については厚生大臣に広範な裁量が認められるべきである。
したがって、予防接種制度について厚生大臣がとった措置が国賠法一条一項の適用上違法と評価されるのは、個別の国民に対して負担する職務上の義務に違反して与えられた裁量の範囲を逸脱し、当該措置が著しく合理性を欠くものと評価される場合に限られるというべきである。
このような判断枠組みにしたがって本件MMRワクチンの製造承認から製造中止に至るまでの経緯を見れば、被告国(厚生大臣)は、当時の医学的・薬学的知見に基づいてMMRワクチンの有用性を認めて接種を継続したものであり、MMRワクチンによる無菌性髄膜炎等の副反応に関する情報を収集するための措置をとり、そこで得られた情報に基づく医学・薬学の専門家の意見を取り入れつつ、その時々の状況に応じた適切な措置・対応をとってきたものであって、その政策判断に裁量権の逸脱、濫用を認める余地はないというべきである。
(3) 損害額・請求額及び損害の填補について
(原告らの主張)
ア 原告A野ら
(ア) 平成元年一二月七日までの損害
秋夫は、本件MMRワクチン接種の副反応により、平成元年一一月二日ころから同ワクチンに含まれる麻しんウイルスにより高熱を出し、また、同月一四日ころから、同ワクチンに含まれるムンプスウイルスにより無菌性髄膜炎に罹患し、同月一七日から同年一二月七日まで入院した。これらの症状と本件MMRワクチン接種との因果関係は明らかであるところ、秋夫は、この入通院により、以下の損害を被った。
① 入通院慰謝料 五〇万円
② 入院雑費 二万六〇〇〇円(一三〇〇円×二〇日間)
③ 入院付添費 九万円(四五〇〇円×二〇日間)
④ 治療費 八万三〇二〇円(ただし、既払い)
小計(既払いの治療費を除き) 六一万六〇〇〇円
(イ) 死亡による損害
秋夫は、本件MMRワクチン接種による副反応により死亡し、以下の損害を被った。
① 逸失利益 五三三四万三八二八円
ただし、基礎収入を平成元年の産業計・企業規模計・男子労働者の全年齢平均給与四七九万五三〇〇円、生活費控除率を三〇%とし、ライプニッツ方式により年三%の割合により中間利息を控除して算定。
② 慰謝料 六〇〇〇万円
ただし、秋夫の慰謝料四〇〇〇万円と原告A野ら固有の慰謝料各一〇〇〇万円の合計。
③ 葬祭費 一五〇万円
④ 弁護士費用 一四〇〇万円
小計 一億二八八四万三八二八円
(ウ) 請求額
上記(ア)、(イ)の合計一億二九四五万九八二八円のうち、原告A野ら各自が五〇〇〇万円ずつを請求。
なお、本件一審判決言い渡し後に、阪大微研から受領した二〇〇〇万円は、見舞金であって損害賠償としての性質を有さないから、損益相殺の対象とならないし、仮になったとしても、原告A野らには、なお、それぞれ五〇〇〇万円以上の損害が発生している。
イ 原告C川ら
冬夫に生じた次の損害から、損益相殺として、予防接種健康被害救済制度に基づいて給付を受けた二一一二万三九五〇円、一審判決言い渡し後に原告C川らそれぞれが阪大微研から支払を受けた各一七二七万〇三五〇円及びこれに対する支払日まで年五分の割合による遅延損害金(元本及び遅延損害金の合計各二七四二万二〇〇三円)を控除した残額六〇一五万三六一〇円(原告C川らが各二分の一の割合で相続)の内金として、原告C川ら各自が五〇〇万円ずつを請求。
(ア) 逸失利益 五九三五万九七九〇円
ただし、基礎収入を平成三年の産業計・企業規模計・男子労働者の全年齢平均給与五三三万六一〇〇円、生活費控除率を三〇%とし、ライプニッツ方式により年三%の割合により中間利息を控除して算定。
(イ) 入院雑費 五三万〇四〇〇円 (一三〇〇円×四〇八日間)
(ウ) 付添看護費 一八三万六〇〇〇円(四五〇〇円×四〇八日間)
(エ) 入院慰謝料 三〇二万円
(オ) 死亡慰謝料 四五〇〇万円
(カ) 葬祭料 一五〇万円
(キ) 弁護士費用 五〇〇万円
ウ 原告B山ら
(ア) 原告松子分
原告松子に生じた次の損害から損益相殺として、予防接種健康被害救済制度に基づいて給付を受けた二四五一万三一八九円、一審判決言い渡し後に原告松子が阪大微研から支払を受けた一億二三七八万七四四四円及びこれに対する支払日まで年五分の割合による遅延損害金(元本及び遅延損害金の合計一億九七六〇万二〇六六円)を控除した残額九二二四万一七九七円の内金として、五〇〇万円を請求。
① 逸失利益 六七二七万四五三五円
ただし、基礎収入を男女の全年齢平均給与額{(四一九、六〇〇+二六六、〇〇〇)÷二×一二}、ライプニッツ方式により年三%の割合により中間利息を控除して算定。
② 入院雑費 二六万九一〇〇円(一三〇〇円×二〇七日間)
③ 付添看護費 九三万一五〇〇円(四五〇〇円×二〇七日間)
④ 介護費用 一億一三二一万九四八五円
ただし、平成三年一二月一日から控訴審の口頭弁論終結日である平成一七年一二月七日までの四七五六日について一日一万円、その後の将来の介護費用としては、年額三六五万円とし、控訴審口頭弁論終結時の一六歳から八四歳まで六八年間について、ライプニッツ方式により年三%の割合により中間利息を控除して算定。
⑤ 入通院慰謝料 三三〇万円
⑥ 後遺症慰謝料 二七〇〇万円
⑦ 弁護士費用 二八五〇万円
(イ) 原告竹夫、同梅子分
原告竹夫及び同梅子に生じた固有の慰謝料各一〇〇〇万円及び弁護士費用各一五〇万円の損害から、損益相殺として、一審判決言い渡し後に原告C川らそれぞれが阪大微研から支払を受けた各五五〇万及びこれに対する支払日まで年五分の割合による遅延損害金(元本及び遅延損害金の合計各八七七万九六五七円)を控除した残額各六〇〇万円の内金として、各自が二五〇万円ずつを請求。
(被告国の主張)
ア 原告らの損害額に関する主張は争う。
イ 損害の填補
(ア) 原告A野らについて
原告A野らは、仮に秋夫の死亡と本件MMRワクチン接種との間に因果関係が認められないとしても、本件MMRワクチン接種により、秋夫が無菌性髄膜炎を発症したことは明らかであるから、この無菌性髄膜炎発症による損害は認容されるべきである旨主張する。
しかしながら、確かに、本件MMRワクチン接種により、秋夫が無菌性髄膜炎を発症したことは当事者間に争いがないが、このことによる秋夫の損害については、前記のとおり、原告A野らは、① 秋夫のMMRワクチン接種による無菌性髄膜炎発症について、平成四年四月一三日付で、予防接種に伴う健康被害であるとの厚生大臣の認定を受け、同年七月一六日、豊中市長から、予防接種健康被害救済制度に基づく医療費及び医療手当として、平成元年一一月一四日から同年一二月八日までの入通院について、合計一四万三八八〇円の支給を受けており(乙四二の一・二、一一〇の一・二)、さらに、② 阪大微研との間で、原判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、本件について、協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研から、同月二八日、見舞金二〇〇〇万円を受領し、阪大微研に対する控訴を取り下げているのであって、既にその全額が填補されている。
したがって、原告A野らの上記主張は失当である。
(イ) 原告C川ら及び原告B山らについて
仮に、被告国に原告C川ら及び原告B山らに対する損害賠償責任が認められるとしても、前記のとおり、阪大微研と同原告らは、原判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、本件について、協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研は、同月二八日、同原告らに対して原判決における同原告らの請求の認容額全額(支払日までの遅延損害金を含め、原告C川らそれぞれに対して各二七四二万二〇〇三円、原告松子に対して一億九七六〇万二〇六六円、原告竹夫及び同梅子それぞれに対して各八七七万九六五七円)を支払っており、同原告らの損害は全額填補されているから、同原告らの請求はいずれも棄却されるべきである。
なお、同原告らは、上記のとおり、原判決の認容した同原告らの慰謝料額が低すぎるとか、逸失利益及び将来の介護費用の算定の際の中間利息の控除に関して、その利率を三%とすべきであり、冬夫の逸失利益算定における生活費控除率は三〇%とすべきであり、原告松子の介護費用は一日一万円とすべきであるなどとして、原判決の認容した損害額以上の損害が発生している旨主張するが、原判決の損害額認定判断はいずれも合理的なものであり、同原告らに原審認容額以上の損害は発生していない。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(因果関係の判断基準)について
争点(1)に関する判断は、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄一(原判決三五頁六行目から三七頁一八行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
二 争点(2)(秋夫の病変とMMRワクチン接種との因果関係)について
(1) 認定事実
秋夫の本件MMRワクチン接種までの発育状況、本件MMRワクチン接種後の経過に関する事実認定は、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄二(1)、(2)(原判決三七頁二〇行目から四〇頁二〇行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(2)ア そこで、以上の認定事実(原判決引用)を前提に、秋夫の病変とMMRワクチン接種との因果関係について検討する。
この点、原告A野らは、秋夫は、平成元年一〇月二五日、MMRワクチンを接種され、その八日後から高熱が出たり下痢が続くなど著しい副反応が生じており、MMRワクチンによる無菌性髄膜炎と診断され、同年一一月一七日に入院し、同年一二月八日に退院した後も、引き続き嘔吐したり下痢が続くなど症状は完全に回復することなく、同月二七日から高熱が出て結局急性脳症により、同月二九日死亡したものであるから、無菌性髄膜炎から引き続き脳症を引き起こし、死亡に至ったものであると主張する。
確かに、秋夫にMMRワクチン接種八日目(同年一一月二日)に生じた発熱、発疹については、その発症とワクチン接種との時間的関係及び麻しん様発疹が著明であることなどから、MMRワクチンの副反応と考えられ、無菌性髄膜炎についても、髄液中にムンプスウイルス抗体が認められることから、MMRワクチンの副反応と考えられる。
しかしながら、秋夫は、上記MMRワクチンの副反応発症後、麻しん様発疹が消退するとともに発熱等の症状も次第に軽快し、髄液中のムンプスウイルスIgM抗体価をELISA法で測定した検査の結果も、同年一一月一七日陽性、同月二〇日疑陽性、同月二四日陽性、同月三〇日陽性、同年一二月七日疑陽性(さらに、同月二八日の検査結果は初回は疑陽性であったが、二回目は陰性)となり、臨床的に無菌性髄膜炎治癒の目安(その値は一〇〇/三以下)とされる髄液細胞数も同月七日には六五/三に下がって、同月八日には退院していること(丙一の一、一二)に照らせば、同年一一月二日以降、秋夫に生じた上記MMRワクチンの副反応は、同年一二月八日までにはいずれも軽快治癒したものと認められる。また、その後の同月一〇日に生じ、乳幼児嘔吐下痢症と診断された発熱・下痢についても、その後軽快回復し、同月一八日までには治癒したものと診断されており、この診断に格別疑問を差し挟む事情は見当たらない。
これに、秋夫の症状が急激に悪化し、死亡に至った同月二七日以降の病変については、同月当時、秋夫及び原告A野らが居住していた北摂地域ではインフルエンザが大流行しており、同月二六日(接種後六二日目)に秋夫の母親である原告花子に三八度の発熱が生じていること、秋夫はこれに続いて、同月二七日から同月二八日にかけて上記発熱等の症状を発症しているところ、その内容は、発熱、嘔吐、黄色軟便など、インフルエンザの臨床症状と合致し、かつ、麻しん、風しん、おたふく風邪の臨床症状とは異なるものであったこと、秋夫の死亡後、秋夫の気管内に挿管されていたチューブからインフルエンザウイルスA香港型(AH3)が分離され、秋夫の右側肺葉の細気管上皮細胞にインフルエンザウイルス抗原が確認されていること、ライ症候群は、インフルエンザ等のウイルス感染に続発することが多いと報告されているところ、秋夫の同月二七日以降の症状は、高アンモニア血症に陥り、GOT、GPT等の肝臓酵素系の数値の上昇が見られ、高熱、嘔吐、意識障害、けいれんなどの脳症が出現するなど、インフルエンザ罹患によるライ症候群の典型的臨床像と一致すること(丙六、一二)などを併せ考慮すれば、秋夫は、同月二四日から二六日ころまでの間にインフルエンザA香港型(潜伏期は二四時間ないし七二時間)に感染し、同月二七日の夕方に発熱を主徴としてインフルエンザを発症し、同月二八日にけいれん、嘔吐、眼球上転、肝障害、高アンモニア血症といった、インフルエンザに起因する典型的なライ症候群による症状を併発し、同月二九日午前五時五七分ライ症候群により死亡したものと認められる。
イ 以上に対し、原告A野らは、原告花子は、一二月二七日、喉に少し痛みがあると訴えているが、同人は当時インフルエンザと診断されたわけではないこと、秋夫の死亡直後に大阪府立公衆衛生研究所において行われたウイルス分離検査において、インフルエンザウイルスが検出されたのは気管支ではなく、挿管チューブからであるにすぎず、元々挿管チューブ自体が空中感染等で汚染されていた可能性があること、髄液、鼻腔チューブ、血液、肺、小脳、前頭葉、脳橋のいずれについても分離結果は陰性所見を示していること(丙二の二)、血清(血液)によるウイルス抗体価の検査でも、インフルエンザA香港型の抗体価は陰性であり、蛍光抗体法によるウイルス抗原検出の結果も陰性であること(丙一の一)、挿管チューブから検出されたウイルスが気管への挿管から抜去に至るいずれの段階でチューブに付着したのかは全く不明であることなどを主張して、秋夫がインフルエンザに罹患していたことを争っている。
しかしながら、証拠(丙一二)によれば、自然環境の中で、飛沫核、飛沫体からインフルエンザウイルスは分離されず、また、器物表面からウイルスが分離される成績もないことが認められ、これによれば、挿管チューブからインフルエンザウイルスが検出された事実は、秋夫の体内にインフルエンザウイルスが存在したことを意味し、秋夫がインフルエンザに罹患していたことを強く裏付ける事実と解されること、証拠(証人山上、同下辻)によれば、体内にインフルエンザウイルスが存在していても、体内の組織からウイルスが分離できない場合があり、体内組織からのウイルス分離検査の結果が陰性であったからといって、直ちにインフルエンザウイルスの存在を否定すべきではないと解されることや、上記アに指摘した事情に照らせば、原告A野らの指摘する事情は、上記アの認定判断を左右するものではないというべきである。
ウ また、原告A野らは、インフルエンザウイルスによりライ症候群を起すことは極めて稀であり(丙一の一)、仮に、ライ症候群であったとしても、インフルエンザウイルスによるものとは考えられないと主張しているところ、国立予研の検査結果回答書(乙四八)には「分布は散在性で、組織学的には、典型的インフルエンザ肺炎の所見ではありません。」と記載されており、白木医師ら意見書(甲B一五の一)も、解剖時において肺炎の所見が見られず、中枢神経からウイルスが検出されていないことから肺炎は否定でき、また、ウイルスが脳神経に作用したことも考えられないとしている。
しかしながら、上記のとおり、ライ症候群は、インフルエンザ等のウイルス感染に続発することが多いと報告されていること、気管内に挿管されたチューブからインフルエンザウイルスが分離され、肺からもインフルエンザウイルス抗原が確認された点など、上記アに指摘した事実に照らせば、秋夫がインフルエンザウイルスに感染していたと認めるのが相当であること、インフルエンザウイルスが存在してもウイルス分離検査によって体内組織からウイルスが分離されない場合があること、証拠(丙一三)によれば、ウイルス感染による組織学的変化は機能障害に数時間から数日遅れて出現するのが通常であると認められることなどに照らせば、原告A野らの上記主張は採用できず、国立予研の検査結果回答書や白木医師ら意見書の記載も上記アの認定判断を左右するものとは認められない。
エ さらに、原告A野らは、急性脳症の原因となるウイルスはインフルエンザウイルスに限られるわけではなく、麻しんウイルス、水痘ウイルス、ムンプスウイルス、ロタウイルス等多数のウイルス感染症によっても生じうるものであるところ、秋夫は、このような多数のウイルスに感染した可能性があり、無菌性髄膜炎についてはMMRワクチン由来のムンプスウイルスとの因果関係が行政上も認定されているのであって、秋夫の急性脳症がどのウイルスに起因するものかを現段階で断定することは不可能に近いというべきであり、常識的判断としては、MMRワクチン由来の麻しんウイルス、ムンプスウイルスを含む多数の感染症ウイルスが競合的に作用して生じたと認定するのが最も自然であるから、秋夫の死亡とMMRワクチン接種との間には因果関係が認められる旨主張する。
しかしながら、上記アに認定判断したとおり、秋夫に生じたMMRワクチンの副反応は平成元年一二月八日にいずれも軽快治癒したものと認められるうえ、上記アに指摘した事情、とりわけ、秋夫の気管内に挿管されていたチューブからインフルエンザウイルスが分離され、秋夫の右側肺葉の細気管上皮細胞にインフルエンザ抗原が認められていること、インフルエンザ脳炎・脳症の典型的な臨床像は、秋夫の臨床症状と一致していることからすれば、秋夫の急性脳症はインフルエンザウイルス罹患によるライ症候群と合理的に認定できるというべきであるから、原告A野らの上記主張は採用できない。
(3)ア また、原告A野らは仮に、秋夫の直接の死因がインフルエンザウイルスによる脳症であったとしても、秋夫の臨床経過や、秋夫の剖検所見(乙四八)において、秋夫の免疫反応を司るリンパ装置に主要な変化が見られるとされ、当審における名倉鑑定人によっても、秋夫には、免疫機能の中枢を司る腸管免疫機構に異常が観察されており、秋夫が免疫不全状態ないし免疫機能低下状態にあったことが推論できることに照らせば、MMRワクチンに含まれるウイルス感染とそれによる健康状態の悪化、免疫機能の低下が、次々と更なるウイルス感染を引き起こし、それらにより秋夫が免疫抑制ないし免疫不全状態に陥った状態の下で、これに引き続きインフルエンザウイルスないし何らかの異物が体内に侵入したことが直接のきっかけとなって急性脳症を発症し、死に至ったものと考えられるから、秋夫の死亡と本件MMRワクチン接種との間には因果関係が認められる旨主張する。
しかしながら、証拠(証人山上、同下辻)によれば、MMRワクチン接種後の平成元年一一月二日以降に秋夫に生じた副反応(麻しん様症状及び無菌性髄膜炎)は、MMRワクチンによりこれらの副反応が生じた場合の通常の経過に比べて特に重篤なものであったものではないものと認められ、上記(2)アに認定判断したとおり、同年一二月八日までにはいずれも軽快治癒していたことに照らせば、秋夫が乳児嘔吐下痢症やインフルエンザウイルス感染症を発症したとしても、そのことから、ただちに、MMRワクチン接種が秋夫の健康状態を悪化させ、それらの発症に寄与したとまでは認められない。
また、MMRワクチンに含まれる麻しんウイルスが秋夫の免疫力を抑制したとの点について、原告A野らはこれに沿った証拠(甲A七三、七四、甲B一七)を提出するが、証拠(乙六六の一・二、丙一二、一四、証人森島の回答書)によれば、野生株麻しんウイルスが免疫抑制作用を持つとしても、ワクチン株についてはそのような作用がないか、あるいはあったとしても極めて軽微であるとされていることが認められ、原告A野ら提出の上記証拠は限定されたワクチン株についてのみのものであることをも併せ考えれば、MMRワクチンに含まれる麻しんウイルスが秋夫の免疫力を抑制したとまでは認められず、また、そのことが秋夫がインフルエンザウイルスに感染したことに寄与したとも認められない。
さらに、インフルエンザ脳炎・脳症の症例報告によっても、リンパ系組織の変化が認められ得るところ、秋夫の組織標本に関する当審における名倉鑑定人の観察結果によっても、秋夫の腸管免疫機構の異常が、MMRワクチンの接種を含む、インフルエンザウイルス感染に先行する他の原因によるものであるとの所見は示されておらず、むしろ、名倉鑑定人は、「観察した組織標本の固定が悪く、おそらく死後かなりの時間を経て病理解剖されたと思われ、そのために死後変化と本来の病変との判別が困難な部分がかなりあり、組織変化の観察とその診断に不確実な点が多い。」「MMRワクチンの作用と直結変化の有無については、(観察の対象となった秋夫の組織標本のように)固定された、しかも固定の非常に悪い組織標本から推定することは非常に危険と思われ、してはならない行為と思われます。」との見解を述べていることに照らすと、秋夫の剖検所見や名倉鑑定人の観察結果から、秋夫が、インフルエンザウイルスに感染した時点(その潜伏期間と発症時期から、平成元年一二月二四日から二六日ころと考えられる。)において、免疫抑制ないし免疫不全状態に陥っており、しかも、その状態が、MMRワクチン接種に起因するものであり、後のインフルエンザウイルス感染やそれによるライ症候群の発症に寄与したものと合理的に推論することは困難というべきである。
以上に検討したところによれば、原告A野らの上記主張は推測の域を出ないものというべきであり、採用できない。
イ また、原告A野らは、秋夫の脳組織中に麻しん脳炎に典型的に見られる核内封入体が存在したことからして、MMRワクチンに含まれる麻しんウイルスが直接秋夫の脳組織に感染したことにより、その後の秋夫のインフルエンザなどのウイルス感染に寄与したとも主張するところ、白木医師ら意見書(甲B一五の一・二)にはこれに沿う記載があり、原審証人林三郎もこれに沿う証言をしている。
しかし、証拠(丙一三)によれば、林らが核内封入体であるとする写真(甲B一五の二の図九三F)について、そこに示された像が明確に核内封入体であるとは認められず、証人林の証言を併せ考慮しても、秋夫の脳組織中に核内封入体が存在したとまでは認めることはできず、他に秋夫の脳組織に麻しんウイルスが作用したと認めるに足りる証拠はない。
(4) 以上に検討したところによれば、秋夫の症状が急激に悪化し、死亡に至った同月二七日以降の病変とMMRワクチン接種との間に因果関係があるとは認められない。
三 争点(3)(MMRワクチン接種と冬夫の症状及び死亡との因果関係)について
争点(3)に関する認定判断は、以下のとおり原判決を補正するほか、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄三(原判決四五頁一四行目から五二頁一六行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決四六頁四行目の「夕方から夕方から」を「夕方から」と改める。
(2) 同四九頁三行目末尾の後に、「また、被告国は、MMRワクチンの生体内でのウイルス増殖期間が七日から二一日であるとの医学的知見によれば、上記報告に示された、MMRワクチン接種後一、二日間の間に生じた有害事象は同ワクチン発症の副反応ではなく、他の原因により生じたものである可能性が高い旨主張するが、MMRワクチンにより脳神経に関わる副反応が発症する機序ないしメカニズムのすべてが解明されているわけではないことに照らせば、MMRワクチン接種後の有害事象に関する統計データを検討するに際して、ワクチン接種後ごく短期間のうちに有害事象が発生している事例を過去の知見から直ちにワクチン接種とは関係のないものとして検討対象から排除するのは適切でないというべきである。」を付加する。
(3) 同四九頁二三行目の「PCB法」を「PCR法」と改める。
(4) 同五一頁二行目から九行目を、以下のとおり改める。
「 また、② 接種後三日目(平成三年六月二七日)の髄液所見については、赤血球が多量に混入しているものの、浅野医師の鑑定書等(丙一二、一四)及び森島医師の回答書によれば、その補正は可能であり、その補正後の数値からすれば、単核球優位の著明な細胞増多が認められ、これは冬夫の病変が髄膜炎である可能性を疑わせるものであると解されるものの、補正値が概数であることから正確度も落ちるから、上記髄液結果から髄膜炎と確定することはできないとする山本医師の意見書の上記見解も併せ考えれば、この髄液検査の結果のみから冬夫の病変が単純ヘルペスウイルス等のウイルスによる髄膜炎であると確定的に診断するには疑問が残る。」
(5) 同五一頁一六行目から二三行目までを、以下のとおり改める。
「 さらに、また、MMRワクチンは、生ウイルスワクチンであり、体内でウイルスが増殖するため、短時間の内に増殖して髄膜脳炎を来すことは考えられないことや、アレルギー反応により、中枢神経にだけ強い炎症が生じ、接種部位を含む他の部位にアレルギーによる症状、所見が認められないことなどの指摘についても、そもそも、予防接種ワクチンにより脳神経に関わる副反応の発症する機序ないしメカニズムは、そのすべてが解明されているわけではないのであって、予防接種ワクチン接種により脳神経に関わる副反応が顕れる期間について、ワクチンの副反応の非定型性、被接種者の個体条件や健康状態の差異等から発症までの期間が異なりうると考えられるのであって、したがって、接種から二、三日後に脳神経に対して症状が顕れる可能性も否定できないというべきである。」
四 争点(4)(原告松子の病状とMMRワクチン接種の因果関係)について
争点(4)に関する認定判断は、以下のとおり原判決を補正するほか、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄四(原判決五二頁一七行目から六一頁一九行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決五六頁一四行目末尾の後に、「被告国は、原告松子の健康状態について、原告松子がアレルギー性喘息のために大津医院や大船渡病院に継続的に通院し、時には高熱を伴う喘鳴の症状もあり、平成四年一月二七日付『平成三年度第一回大船渡市予防接種健康被害調査委員会会議録』(甲C二)にも、同委員会の討議の中で、そのようなことが議論されていたことを指摘するところ、原告松子にそのような既往があったことは上記認定のとおりであるが、本件MMRワクチン接種前の原告松子の喘息症状に重度の痙攣及び脳浮腫を発症するような既往症はないし、上記認定のとおり、本件MMRワクチン接種(平成三年四月二四日)の二か月以上前の同年二月一五日には急性気管支炎で三九度の発熱をしているものの、同年三月一日までには軽快治癒し、同月一一日には三種混合予防接種(DPT)のⅠ期三回目の接種を受けたが発熱嘔吐の症状もなく健康状態に問題なかったことからすれば、被告国の指摘する事情は、MMRワクチン接種前の原告松子の健康状態に格別問題はなかった旨の上記認定判断を左右するものとは解されない。」を付加する。
(2) 同五七頁八行目の「発症すること例があること」を、「発症する例があること」と改める。
五 MMRワクチンに関する経緯について
争点(5)及び(6)に関する判断の前提となる、MMRワクチンの予防接種導入から接種見合わせに至る経緯に関する事実認定は、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄五(原判決六一頁二三行目から七六頁三行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
六 争点(5)(阪大微研の過失)について
争点(5)に関する認定判断は、以下のとおり原判決を補正するほか、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄六(原判決七六頁四行目から八〇頁二一行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、阪大微研に対する請求のみに関する部分を除く。)。
(1) 原判決七六頁二二行目末尾の後に、「また、秋夫についても、MMRワクチン接種八日目(同年一一月二日)以降に発症し、同年一二月八日までに軽快治癒した、発熱、発疹等の麻しん様症状、無菌性髄膜炎については、MMRワクチン接種との因果関係が認められる。」を付加する。
(2) 同七八頁二五行目の「本件の冬夫の死亡及び原告松子の病態は」を、「本件の冬夫の死亡、原告松子の病態、秋夫に生じた平成元年一二月八日までの麻しん様症状、無菌性髄膜炎の病変は」と改める。
(3) 同七九頁一五行目の「によれば、」の後に、「阪大微研は、」を付加する。
(4) 同八〇頁五行目の「いえないこと」を、「いえないし」と改める。
七 争点(6)(被告国の過失)及び争点(7)(憲法二九条三項に基づく損失補償請求及びその範囲)について
争点(6)、(7)に関する認定判断は、以下のとおり原判決を補正するほか、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄七(原判決八〇頁二二行目から九四頁二一行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決八五頁四行目の「中薬害」を「中薬審」と、一一行目の「せれた」を「された」と、それぞれ改める。
(2) 同八八頁二四行目末尾の後に、行を改めて、以下のとおり付加する。
「 なお、秋夫が本件MMRワクチンを接種した平成元年一〇月二五日までに六三の自治体がMMRワクチンの接種実施を中止するか一時見合わせており、冬夫及び原告松子が接種する前の平成三年三月末日までに累計で五〇六の自治体が実施を中止している。」
(3) 同九一頁一九行目末尾の後に、行を改めて、以下のとおり付加する。
「オ(ア) 以上に対し、原告らは、薬事法の保護法益の重大性に鑑みれば、同法に定められた規制権限(緊急命令)不行使の違法性判断にあたっては、その時点における医学的・薬学的知見は必須のものではなく、MMRワクチンの接種を受けた多数の乳幼児に無菌性髄膜炎をはじめとする健康被害が生じていること、平成元年九月の時点で、規制権限を持つ被告国は当該健康被害に関する具体的情報を有していたこと、被告国は、薬事法に基づき、安全性に疑いが生じた医薬品について販売を一時中止する権限が与えられていたこと、平成元年九月時点で本件MMRワクチンの販売を一時差し止めていれば、MMRワクチンによる秋夫、冬夫及び原告松子の健康被害の発生を防止できたことなどの事情が認められる以上、被告国には、その時点でMMRワクチンの危険性に関する医学的・薬学的知見が必ずしも一致していなくても、同月時点で緊急命令を発しなかったことについて過失があるというべきであると主張する。
しかしながら、本来、薬事法は、不良医薬品の供給に伴う危険防止という警察取締法規としての性格を有するものであり、また、薬事法上の厚生大臣の各種権限は、被告国の薬事行政上の責務を規定したもので、規制権限行使については、合理的・合目的的・行政的判断が前提とされている。このことに照らせば、薬事法に基づく規制権限(緊急命令)不行使の違法性の有無の判断にあたっては、規制権限行使が問題とされている時点における医学的・薬学的知見の下において、当該医薬品がその副反応を考慮してもなお有用性を肯定しうるかどうかという観点から、権限不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くか否かが検討されるべきであり、上記認定(原判決引用)にかかるMMRワクチンの製造承認から製造中止に至るまでの経緯を見れば、秋夫が本件MMRワクチンの接種を受けた平成元年一〇月二五日の時点はもとより、最も遅い冬夫が接種を受けた平成三年六月の時点においても、厚生大臣の規制権限不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認めるべき医学的・薬学的知見が存在していたとは認められないというべきである。
したがって、厚生大臣の規制権限(緊急命令)の不行使が国賠法上違法であると評価することはできず、原告らの上記主張は採用できない。
(イ) また、原告らは、予防接種の実施が、病原体を被接種者の体内に注入するという、国民の生命身体に直接危険を及ぼす影響、一定の危険性を内包する行為である以上、その実施主体である被告国がワクチンの安全性について高度の注意義務を負うことは当然であり、その責任の有無の判断は、警察的規制のために設けられた薬事法上の規制権限不行使の違法性判断と同列に論じられるものではなく、本件MMRワクチンが薬事法に基づく承認を受けた方法で製造されておらず、そのようなワクチンの接種が客観的に違法であって許されないことが明らかなことからすれば、そのようなワクチンを接種したことについて行政裁量を理由に違法性が否定されることはあり得ないとも主張する。
しかしながら、予防接種制度の目的は、各個人及び集団に対し、伝染病に対する抵抗力を付与して、その蔓延を防止しようとするものであり、このような伝染病予防及び予防接種施策を行うに際しては、疾病そのものの本質と蔓延状況、公益への影響、他の対策と比較しての予防接種の相対的意義、予防接種の安全性及び効果等、高度の専門科学的、技術的な知見・情報に基づく政策的な判断が必要とされるから、その実施方法等具体的な施策の選択については、厚生大臣に裁量が認められるものである。このことに照らせば、予防接種制度について厚生大臣がとった政策的判断に基づく措置に関する国賠法上の違法性判断にあたっては、当該措置がこの裁量の範囲を逸脱し、著しく合理性を欠くものであるか否かが検討されるべきである。
そして、被告国(厚生大臣)は、本件MMRワクチンが薬事法上の厳しい基準を充足して製造承認を受けた方法で製造されたものであることを前提として、一時見合わせ措置をとるか否かを検討していたものであるから、その検討の結果一時見合わせの措置をとらなかったことの違法性を検討するに際しても、この観点から検討するのが相当と解される(原告らが指摘する、本件MMRワクチンが薬事法に基づいて承認された方法によって製造されていなかったことについては、後に検討する、このことに関する被告国の監督責任の有無の判断において考慮すべき事柄であると解される。)ところ、上記認定(原判決引用)にかかるMMRワクチンの導入から一時見合わせ措置がとられるまでの経過によれば、被告国(厚生大臣)は、当時の医学的・薬学的知見に基づいてMMRワクチンの有用性を認めて接種を継続したものであり、MMRワクチンによる無菌性髄膜炎等の副反応に関する情報を収集するための措置をとり、そこで得られた情報に基づく医学・薬学の専門家の意見を取り入れつつ対応を行ってきたものであり、その政策判断が上記裁量の範囲を逸脱し、著しく合理性を欠くものとまでは認められないというべきである。
したがって、厚生大臣がMMRワクチン接種の一時見合わせ措置をとらなかったことが国賠法上違法であると評価することはできず、原告らの上記主張は採用できない。」
(4) 同九二頁二三行目から二五行目までを、以下のとおり改める。
「 したがって、被告国が実施する予防接種に使用されるワクチンの製造供給に関しては、ワクチンを製造する製薬会社と被告国との関係は、一般の医薬品の製造供給の場合のような薬事法における警察的規制の主体と客体という関係にとどまらず、いわば予防接種の主体とその協力者という関係にあるものと解される。」
(5) 同九三頁七行目から一七行目までを、以下のとおり改める。
「 このように、① 予防接種が、未知の副反応が発生する可能性を排除できないなど、一定の危険性を内包する行為でありながら、社会防衛の見地から被告国が主体となって実施するものであり、その利益は社会全体が受けるものであること、② これに、予防接種が、体内に病原体を注入するという、国民の生命身体に直接影響を及ぼすものであることも併せ考慮すれば、被告国はこれに対して相当重い義務ないし責任を負うものと解されること、③ 被告国(厚生大臣)は、予防接種法上、予防接種の実施及びそれに使用するワクチンの選定について重大な権限を有し、薬事法上、予防接種に用いるワクチンの製造について、その基準に関する重大な決定権限をもつとともに、供給されるワクチンが同基準を満たすものであるか否かについて調査・監督権限を有していること、④ 他方で、予防接種を受ける国民にはワクチンに関する十分な情報や専門知識がなく、実施主体である被告国を信頼して予防接種を受けるのが実態であること、⑤ 予防接種に使用されるワクチンの製造は予防接種の実施と密接不可分な関係にあり、予防接種を推進する場合、ワクチン製造業者は予防接種の実施主体である被告国を補助する関係にあると解されることなどを考慮すれば、被告国が実施する予防接種に使用されるワクチンの製造に関して、被告国(厚生大臣)には、ワクチン製造業者である製薬会社が、少なくとも薬事法に基づいて承認を受けた製造方法を遵守してワクチンを製造するよう監督する条理上の義務を負担し、その監督責任を負うものと解するのが相当である。そして、このことは、定期接種に限らず、被告国が定期接種とされていた麻しんワクチンに代わって接種するよう政策的に誘導していたMMRワクチンについても同様に解することができるというべきである。」
(6) 同九三頁一八行目から九四頁二一行目までを、以下のとおり改める。
「(7) これを本件についてみれば、被告国(厚生大臣)は、予防接種を受ける個々の国民に対して、一般的な行政指導や薬事法上の立入検査、製造担当者への個別指導などを行ってワクチン製造業者を十分に指導監督することにより、ワクチン製造方法の無断変更がないようにワクチン製造者らを監督しなければならない義務があると考えられる。
ところが、上記のとおり、証拠(甲A八九、証人高延)によれば、阪大微研の観音寺研究所におけるワクチン製造の直接の責任者であった高延は、当時、阪大微研の製造にかかるおたふくかぜワクチンが他社のそれと比較して抗体陽転率が低いという話があり、羊膜培養の方法で製造したワクチンが一般的に細胞培養のそれより抗体陽転率が高いとされていたことから、製造方法の変更を指示したこと、当時、高延において、その行為が薬事法に違反するものであるにもかかわらず、特段安全性の検証をすることなくそれを決定したこと、高延は、阪大微研の本部からそのような変更を示唆する意見があったかもしれないと証言していることに照らすと、少なくとも、阪大微研の本部から、特に製造方法の遵守を徹底するようには指示されていなかったと推認されることなどからすれば、少なくともワクチン製造者である阪大微研の製造現場において、承認を受けた製造方法を遵守しなければならないとの意識が徹底されていたとは到底認めがたく、また、阪大微研本部においても、必ずしもそのような意識が徹底されていなかったと認められ、そのことから、本件MMRワクチン製造時において、ワクチン製造者らの間で薬事法の規制が十分に周知徹底されていなかったと推認できる。
そうすると、被告国(厚生大臣)によるワクチン製造者である阪大微研に対する指導監督は、上記の結果からすれば不十分であったと認めざるを得ず、他に被告国(厚生大臣)がこの指導監督義務を尽くしていたと認めるに足りる証拠はないから、被告国(厚生大臣)は上記指導監督義務に違反したものと認められる。そして、製造方法の無断変更の危険性については上記のとおりであるところ、被告国も阪大微研に対して薬事法による規制をすべきであり、上記指導監督義務違反による副反応の発生による被害の結果について予見可能性があると認められるから、被告国には少なくとも過失責任が認められる。
(8)ア これに対し、被告国は、この指導監督義務は、国賠法上の違法性判断の前提となる公務員の特定を欠くうえ、その内容が不明確であるし、法令の直接の根拠を欠いたまま、具体的内容の不明確な条理を根拠として、行政に何らかの規制権限を認めることは、法律による行政という観点からも妥当でないと批判する。
しかしながら、この指導監督義務は、上記のとおり、承認を受けていない方法によりワクチンを製造、供給しないようワクチン製造業者を指導監督すべき義務であり、具体的には、厚生大臣に認められる、一般的な行政指導権限、薬事法に定める立入検査(六九条)、緊急命令(六九条の二)、同製造承認(一四条)及び製造承認の取消(七四条の二)等の権限や、ワクチンの発注者としての契約上の地位などに基づいて、ワクチン製造業者に薬事法の製造承認制度に関する指導を継続的に行い、製造現場の立入検査や製造担当者への個別指導などを行うことにより、薬事法に基づいて承認を与えた方法でワクチンが製造されていることを確認するとともに、これを遵守するよう指導するなどの方法により、これを行うべきものであって、その内容は十分明確というべきである。
イ また、被告国は、医薬品の危険性について熟知している製薬会社が承認された製造方法にしたがってワクチンを製造すべきは当然であり、予防接種法において厚生大臣のワクチン製造業者に対する権限行使は予定されておらず、予防接種に関する被告国に対する国民の信頼も、使用ワクチンの適切な選定、予診方法や禁忌の適切な設定によって応えることが予定されているというべきであるし、薬事法の権限規定から、被告国のワクチン製造・供給過程に関する一般的・抽象的指導監督義務を肯定し、これを個々の国民に対する義務と解することは、薬事法の警察取締法規としての性格と齟齬する解釈であると主張する。
しかしながら、予防接種法は、予防接種の実施にあたり、被告国が予防接種の安全性を確保するための措置を継続的に講じなければならないことを当然の前提としていると解されることからすれば、被告国(厚生大臣)に、ワクチン製造業者が製造方法を無断で変更するようなことのないよう指導監督すべき条理上の義務を肯定することは、同法の趣旨に合致するものであり、予防接種法の規定をもって、この指導監督義務を否定する根拠とするのは相当でないと解される。
また、薬事法六九条は薬事監視システムを実行あらしめるための制度として被告国の立入検査等の権限を認めており、同法に基づく「医薬品の製造管理及び品質管理規則(GMP規則)」五条は、製造管理責任者に必要事項を記載した製造指図書の作成を義務づけ、これに基づいて医薬品を製造することを定めているところ、これらの規定においては、被告国が立入検査や薬事監視員の派遣(薬事法七七条)等の手段により製造指図書を検査し、薬事法に基づき承認を受けた製造方法が遵守されているかを事後的にチェックすることが当然に予定されているものと解される。そして、一般的に警察取締目的を超えた薬事法上の規制権限の行使を認めることが、薬事法の警察取締法規としての性格に反するとしても、前記(6)、(7)に検討したとおり、予防接種が、一定の危険性を内包する行為でありながら、社会防衛の見地から被告国が主体となって実施するものであり、予防接種に使用されるワクチンの製造は予防接種の実施と密接不可分な関係にあり、被告国が予防接種を推進する場合、ワクチン製造業者は予防接種の実施主体である被告国を補助する関係にあることなどに照らせば、予防接種に使用されるワクチンの製造供給に関して、被告国(厚生大臣)に、ワクチン製造業者が薬事法にしたがってワクチンを製造供給するよう指導監督するために薬事法に定められた立入調査等の権限を行使すべき義務を肯定することは、薬事法の上記性格に反するものではないというべきである。
ウ さらに、被告国は、医薬品の危険性について熟知している製薬会社が承認された製造方法にしたがってワクチンを製造すべきは当然であることからすれば、ワクチン製造業者が過去にも製造方法の無断変更を頻繁に行っていたとか、一定の時期を境に有害事象の発生率が格段に上昇したなどといった特別の事情のない限り、厚生大臣には、ワクチン製造業者が承認されたものと異なる製造方法でワクチンを製造していることを推知し得ないというべきところ、本件においてそのような特別事情は存在しないから、本件において、被告国には、条理上の指導監督義務を肯定する前提となる予見可能性がないというべきである旨主張する。
しかしながら、上記指導監督義務は、継続的にワクチン業者が薬事法にしたがってワクチンを製造するよう監督すべき義務であり、被告国が主張するような特別の事情の存在を前提とするものではないところ、前記のとおり、MMRワクチン導入当時、阪大微研においては、その本部においても、製造現場においても、承認を受けた製造方法を遵守しなければならないとの意識が徹底されておらず、他のワクチン製造者らの間においても薬事法の規制が十分に周知徹底されていなかったと推認されるにもかかわらず、被告国(厚生大臣)は、ワクチン業者らに何らの指導監督も行っていなかったことからすれば、被告国の上記主張は採用できないというべきである。
エ また、被告国は、仮に、被告国ないし厚生大臣に条理上の指導監督義務違反の過失が認められたとしても、そこで問題とされる過失は、ワクチンの製造方法の変更に関する国の権限行使なのであるから、秋夫、冬夫、原告松子の病変について被告国に賠償責任を肯定するためには、ワクチンの製造方法と秋夫、冬夫、原告松子の病変との間に、個別的具体的な因果関係の存在することが前提となるところ、本件においては、製造方法の変更がどのような病態にどのように影響したかなどの具体的な証明は全くなされていないから、条理上の指導監督義務違反の過失をもって、被告国に責任を認めることはできないと主張する。
しかしながら、阪大微研のMMRワクチンの製造方法変更と冬夫の死亡、原告松子の病変、秋夫に生じた平成元年一二月八日までの麻しん様症状、無菌性髄膜炎の病変との間に因果関係が肯定できることは、上記二ないし四において認定判断したとおりである。被告国は、製造方法の変更がこれらの副反応の発生に影響を与えた機序についての立証がなされなければ因果関係は肯定できない旨主張するが、ワクチンに含まれるウイルスの培養方法が副反応の発症率に影響を与える機序やワクチン接種の副反応が発症する機序については未解明な部分が多いことに照らせば、原告らにそのような立証を求めるのは相当でない。また、阪大微研は薬事法に基づいて承認を受けたのとは異なる製造方法で本件MMRワクチンを製造供給したものであり、そのような本来誰にも接種することが許されないワクチンが冬夫、原告松子、秋夫に接種され、そのようなワクチンが製造供給されたことについて、被告国(厚生大臣)の過失が認められるのであるから、本件MMRワクチンの接種と冬夫の死亡、原告松子の病変、秋夫に生じた上記病変との間に因果関係が肯定される以上、被告国(厚生大臣)の過失と冬夫の死亡、原告松子の病変、秋夫に生じた上記病変との間に因果関係を肯定するのに欠けるところはないというべきである。
したがって、この点に関する被告国の主張も採用できない。
(9) 以上に検討したところによれば、被告国には、冬夫の死亡、原告松子の病態、秋夫に生じた平成元年一二月八日までの麻しん様症状、無菌性髄膜炎の病変について、過失責任が認められる。」
八 争点(8)(消滅時効)について
争点(8)に関する認定判断は、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄八(原判決九四頁二二行目から九五頁一六行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
九 損害額及び損害の填補について
(1) 原告A野ら
ア 前記二の認定、判断のとおり、秋夫は、本件MMRワクチン接種の副反応により、平成元年一一月二日ころから高熱・麻しん様発疹等の麻しん様症状を発症し、同月一四日ころから無菌性髄膜炎を発症して、同月一七日から同年一二月八日まで入院したが、これらの症状は本件MMRワクチン接種との間に因果関係が認められるところである。そして、この入通院により秋夫が被った損害については、原告A野ら主張のとおり、以下の(ア)ないし(エ)の合計六九万九〇二〇円と認められる(他方、秋夫の死亡による損害については、前記のとおり本件MMRワクチン接種との間の相当因果関係は認められない。)。
(ア) 入通院慰謝料 五〇万円
(イ) 入院雑費 二万六〇〇〇円(一三〇〇円×二〇日間)
(ウ) 入院付添費 九万円(四五〇〇円×二〇日間)
(エ) 治療費 八万三〇二〇円
イ 他方、原告A野らは、①秋夫のMMRワクチン接種による無菌性髄膜炎発症について、平成四年四月一三日付で、予防接種に伴う健康被害であるとの厚生大臣の認定を受け、同年七月一六日、豊中市長から、予防接種健康被害救済制度に基づく医療費及び医療手当として、平成元年一一月一四日から同年一二月八日までの入通院について、合計一四万三八八〇円の支給を受け(乙四二の一・二、一一〇の一・二)、さらに、②阪大微研との間で、原判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、本件について、協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研から、同月二八日、見舞金二〇〇〇万円を受領し、阪大微研に対する控訴を取り下げたことは、当事者間に争いがない。
そうすると、原告A野らの損害(上記秋夫の損害を各二分の一の割合で相続した、各三四万九五一〇円)は、これに対する平成元年一〇月二五日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金も含めて、その全額が填補されているから、原告A野らの本件請求はいずれも理由がない。
この点、原告A野らは、阪大微研から受領した二〇〇〇万円は、見舞金であって損害賠償としての性質を有さないから、損益相殺の対象とならない旨主張するが、同金員の支払は、本件訴訟が係属していることを前提として、これを解決するために上記協定書を取り交わしたうえでなされたものであり、その金額が二〇〇〇万円と高額であること、同金員支払後、本件に関する原告A野らの控訴が取り下げられていること、その支払金額が高額であるのにその趣旨が見舞金とされたのは、原判決において、原告A野らの阪大微研に対する請求が認められなかったことを考慮したものと推測されることに照らせば、その名称にかかわらず、実質は見舞金にとどまらず、損害の填補としての性質をも有するものと認められるから、上記主張は採用できない。
(2) 原告C川ら及び原告B山ら
ア 本件MMRワクチン接種により冬夫に生じた損害額、同ワクチン接種により原告B山らに生じた損害額に関する認定判断については、原判決の事実及び理由中の「第三 争点に対する判断」欄九、一〇(ただし変更判決により変更後のもの)記載のとおりであるから、これを引用する(なお、原判決九八頁二三行目の「慰謝料一四八万円」を「通院慰謝料一四八万円」と改める。)。
これに対し、原告C川らは、冬夫に生じた損害のうち、逸失利益、慰謝料等について前記のとおり認定判断すべきと主張し、原告B山らも、同原告らに生じた損害のうち、原告松子の逸失利益、介護費用、慰謝料、原告竹夫及び同梅子の慰謝料等について前記のとおり認定判断すべきと主張するが、いずれも採用できない。
イ ところで、阪大微研と原告C川ら及び原告B山らは、原判決言い渡し後の平成一五年三月二七日、本件について、協定書(乙一〇八)を取り交わし、同協定書に基づいて、阪大微研が、同月二八日、同原告らに対して原判決における同原告らの請求の認容額全額(支払日までの遅延損害金を含め、原告C川らそれぞれに対して各二七四二万二〇〇三円、原告松子に対して一億九七六〇万二〇六六円、原告竹夫及び同梅子それぞれに対して各八七七万九六五七円)を支払った事実は当事者間に争いがない。
そうすると、原告C川ら及び原告B山らの損害は、遅延損害金も含めて、その全額が填補されているから、同原告らの本件請求はいずれも理由がない。
一〇 結語
以上によれば、原告らの本件請求はいずれも理由がないから棄却されるべきである。
第四結論
よって、被告国の控訴は理由があるから、原判決中、被告国敗訴部分を取り消し、原告C川ら及び原告B山らの被告国に対する請求をいずれも棄却し、原告A野らの控訴並びに原告C川ら及び原告B山らの附帯控訴はいずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田勝年 裁判官 植屋伸一 裁判官末永雅之は転官のため署名押印できない。裁判長裁判官 横田勝年)