大阪高等裁判所 平成15年(ネ)2199号 判決 2004年2月12日
控訴人(被告) Y
同訴訟代理人弁護士 酒見康史
被控訴人(原告) X
同訴訟代理人弁護士 守口建治
主文
1 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
主文同旨
第2事案の概要
1 本件は、被控訴人が平成12年3月31日に株式会社a(平成13年4月1日に「株式会社a1」と商号変更した。以下「訴外会社」という。)の取締役を退任したところ、訴外会社は、被控訴人に対して、その役員の退職慰労金に関する内規に基づいて208万円の退職慰労金を支給すべきであったにもかかわらず、訴外会社の代表取締役である控訴人が、故意に又は善管注意義務に違反して、被控訴人に対する退職慰労金の支払に関する議案を株主総会に提出するための取締役会を招集せず、また、取締役会において、その議案を提案せず、その後に、訴外会社の役員の退職慰労金に関する内規を無視して、違法な内容の議案を上程し、株主総会に無効な決議をさせて、被控訴人が本来支給されるべき退職慰労金の支給を受けられないようにしたとして、被控訴人が控訴人に対して、商法266条の3に基づき、208万円の損害賠償及びこれに対する被控訴人が訴外会社を退職した日の翌日である平成13年10月21日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 原判決は、被控訴人の請求につき、111万5331円及び108万円に対する平成15年5月14日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で認容した。
これに対し、控訴人は、控訴人敗訴部分につき控訴した。
3 当事者の主張は次のとおりである。
(1) 請求原因
ア(ア) 被控訴人は、平成8年4月1日、訴外会社の取締役に就任し、平成12年3月31日、訴外会社の取締役を退任して、同年4月1日に訴外会社の執行役員となり、平成13年10月20日には、訴外会社を退職した。
(イ) 控訴人は、訴外会社の代表取締役である。
イ 訴外会社には、役員の退職慰労金に関する規定(甲5、以下「本件内規」という。)があり、被控訴人の基本報酬は月額65万円であり、取締役在任期間は4年間であったから、本件内規に従えば、取締役の退職慰労金は退職時の基本報酬月額の80パーセントに在任年数を乗じて算出されるから、被控訴人には退職慰労金として208万円が支給されるべきであった。
ウ(ア) 控訴人は、個人で、平成8年8月31日当時は訴外会社の発行済株式総数の16.86パーセントの株式を、平成15年1月1日当時は31.13パーセントの株式を保有する大株主であり、控訴人の妻、子の保有株式数を合わせると、発行済株式総数に対する割合は、平成8年8月31日当時は53.31パーセント、平成15年1月1日当時は63.34パーセントとなる。また、控訴人の一族の保有株式数の発行済株式総数に対する割合は、平成8年8月31日当時は95.95パーセント、平成15年1月1日当時は83.85パーセントとなり、訴外会社の機関における実質的な決定権限の全てが控訴人に集中している。
(イ) 訴外会社においては、これまで、他の取締役が退任した際には、本件内規に従った退職慰労金を支給していた。
(ウ) 控訴人は、遅くとも平成14年3月中ころには、被控訴人に対して、退職慰労金の支給を約した。
(エ) 被控訴人は、訴外会社に対して多大な貢献をしたものであり、また、被控訴人が競業避止義務に違反して訴外会社の営業を妨害したような事情は一切ない。したがって、被控訴人には、本件内規の適用が排除されるべき事由はなく、また、控訴人又は訴外会社に、被控訴人を害する動機又は目的が存する。
(オ) 訴外会社における株主構成、役員構成によれば、訴外会社には、取締役の報酬を株主総会の決議で定める旨の商法269条(ただし、平成14年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)を適用する前提が欠けている。
仮に、訴外会社に商法269条の適用があるとしても、訴外会社には、本件内規が存在するから、特段の事情がない限り、控訴人は、本件内規に従った退職慰労金の支給を議案として提出すべきである。
また、本件内規の適用を排除することがありうるとしても、それには、合理的理由が必要であり、また、その適用を排除することの動機及び目的に不法な点がないことが条件となる。
エ(ア) 控訴人は、何ら合理的な理由がないのに、故意に又は善管注意義務に違反して、被控訴人に対する退職慰労金の支払に関する議案を株主総会に提出するための取締役会を招集せず、また、取締役会において、上記議案を提案しなかった。
(イ) 控訴人は、その後、本件内規に違反して被控訴人の退職慰労金を100万円とする内容の議案を、訴外会社の平成15年3月27日開催の株主総会に上程し、株主総会にその旨の無効な決議をさせて、被控訴人が本来支給されるべき退職慰労金208万円の支給を受けられないようにした。
オ 被控訴人は、控訴人の違法な行為により、次の損害を被った。
(ア) 支給されるべき退職慰労金残額 108万0000円
(イ) 上記(ア)に対する支給までの遅延損害金
(ウ) 支給された退職慰労金100万円についての支給までの遅延損害金 7万8356円
(エ) 本訴の印紙額 1万6300円
(オ) 予納郵券代金 6900円
(カ) 弁護士費用相当額 37万8000円
(キ) 慰謝料 60万0000円
カ よって、被控訴人は、控訴人に対し、商法266条の3に基づき、208万円の損害賠償及びこれに対する被控訴人の退職の日の翌日である平成13年10月21日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(2) 請求原因に対する認否及び反論
ア 請求原因ア(ア)及び(イ)の事実は認める。
イ 請求原因イの事実のうち、訴外会社に本件内規が存在することは認める。
ウ 請求原因ウについて
(ア) 請求原因ウ(ア)の事実のうち、訴外会社の株式の保有状況については認め、その余は否認する。
(イ) 請求原因ウ(イ)の事実は否認する。
本件内規が作成されてから現在までに退任した取締役は、4人(被控訴人を含む。)であるが、そのうち3名(被控訴人を含む。)については、株主総会において具体的な金額及び支給方法を決議し、残る1名についても、株主総会において本件内規に基づいて退職慰労金を算出する旨を決議した。
(ウ) 請求原因ウ(ウ)の事実は否認する。
(エ) 請求原因ウ(エ)の事実は否認する。
控訴人は、平成15年2月20日開催の訴外会社の取締役会において、第54回定時株主総会における議案として、被控訴人に対する退職慰労金支払の件を追加するよう提案し、同取締役会においてその旨決議され、同年3月27日開催の上記株主総会において、被控訴人に対する退職慰労金の支払については、100万円を限度とし、具体的な金額、支払方法、支払時期については取締役会に一任する旨の決議(以下「本件支給決議」という。)がなされた。
訴外会社は、平成15年5月13日、被控訴人に対し、退職慰労金として100万円を支払った。
本件支給決議は、被控訴人の勤務中の働きぶり及び退職後の利益相反行為を勘案して決定したものである。
(オ) 請求原因ウ(オ)の主張は争う。
本件内規は、訴外会社の株主総会において、取締役会に対し退職慰労金の支給金額、支給時期、支給方法等が一任された場合に、拠るべき基準とするために、取締役会において制定されたものである。
したがって、本件内規に従って退職慰労金を支給する旨の株主総会の決議がない場合には、本件内規に基づく退職慰労金請求権は発生しないし、株主総会において個別の決議がなされた場合は、その個別の決議が優先し、これに反する限度において本件内規の適用は排除される。
エ 請求原因エについて
(ア) 請求原因エ(ア)の事実は否認する。
(イ) 請求原因エ(イ)の事実は、上記ウ(エ)の限度で認め、その余は否認する。
請求原因エ(イ)の事実の主張は本訴の審理を著しく遅延させるものであり、時機に遅れた主張であるから、却下すべきである。
オ 請求原因オの事実は否認する。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所は、被控訴人の控訴人に対する請求は理由がなく棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおりである。
(1) 請求原因ア(ア)及び(イ)の事実は、当事者間に争いがない。
(2) 請求原因イの事実のうち本件内規が存在することは、当事者間に争いがなく、また、証拠(甲5)及び弁論の全趣旨によれば、本件内規に従った被控訴人の退職慰労金の額は一応208万円であると算出される。
(3) 請求原因ウについて
ア 請求原因ウ(ア)について
(ア) 請求原因ウ(ア)の事実のうち訴外会社の株式保有状況は、当事者間に争いがない。
(イ) 証拠(甲1、4、乙1ないし4、7ないし11)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
a 訴外会社の年商は、平成12年度で52億1900万円であり、その従業員数は平成13年4月当時、130名であった。
b 訴外会社の資本金額は、平成8年8月31日当時は6232万2500円であったが、平成14年7月31日に9208万5000円に増資された。
c 控訴人以外の訴外会社の他の株主は、控訴人の妻、子、兄、従兄弟のほかは、訴外会社の役員・従業員である。また、訴外会社は、平成15年1月1日までに、従業員持株制度を導入し、同日時点で、社員持株会が訴外会社の発行済株式総数の7.22パーセントの株式を保有している。訴外会社の株式譲渡には、取締役会の承認を要するものとされている。
d 訴外会社の株主総会及び取締役会は、現在まで、現実に開催されてきた。
(ウ) (ア)及び(イ)で認定した事実によれば、控訴人が訴外会社のいわゆるオーナー経営者として、その経営権を握っていることが推認されるが、控訴人を除く訴外会社の株主全員が、株主総会における意思決定権限を控訴人に一任しているとまで認めることはできない。
イ 請求原因ウ(イ)について
請求原因ウ(イ)の事実を認めるに足りる証拠はない。
かえって、証拠(甲5、8、9、乙1、2、7ないし11)及び弁論の全趣旨によれば、本件内規が平成8年に改定されてから現在までに退任した取締役は、4人(被控訴人を含む。)であるところ、そのうち3名(被控訴人を含む。)については、株主総会において具体的な金額(ただし、被控訴人を除く2名について、退職慰労金の金額は不明である。)及び支給方法が決議され、残る1名についても株主総会において本件内規に基づいて退職慰労金を算出する旨を決議されたことが認められる。
ウ 請求原因ウ(ウ)について
(ア) 前記認定事実に加えて、証拠(甲5、6の1・2、7、15、乙1、2、5ないし7)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
a 訴外会社の取締役会は、平成4年3月22日、本件内規を定め、平成8年にこれを改定した。改定後の本件内規の第1条は、「役員の退職慰労金は、役員が退職する場合にその在任期間中の功労に報いるため、株主総会の承認を得て支給する。」と規定している。
b 本件内規によれば、退職慰労金の額は当該役員の退職時の基本報酬月額の80パーセントに在任年数を乗じた額とするものとされ、これに加えて功労等が著しい場合にはこれに加えて功労金を支給する旨の規定はあるが、退職慰労金の額を上記より減じる旨の規定は存しない。
c 被控訴人は、平成12年3月31日、訴外会社の取締役を退任して、同年4月1日に訴外会社の執行役員となり、平成13年10月20日には、訴外会社を退職した。
訴外会社のA人事部長は、被控訴人の退職後、被控訴人に対し、退職慰労金については平成14年2月まで待って欲しいと述べ、同年3月中ころには、近々退職慰労金を支給できることになったと述べた。また、その際、被控訴人の勤務中の働きぶりが問題にされたり、被控訴人が競業避止義務に違反しているとの話題が出たことはなかった。
d しかしながら、その後も訴外会社が被控訴人に対する退職慰労金を支給しようとしなかったため、被控訴人は、平成14年9月4日、被控訴人代理人を通じて、訴外会社に対し、文書で、退職慰労金208万円の支払を求めた。これに対し、訴外会社は、控訴人代理人を通じて、退職慰労金を支給する株主総会決議がなされていないことを理由に支払を拒み、支給時期等については明らかにしなかった。
そのため、被控訴人は、やむなく、同年12月25日、本訴を提起したところ、控訴人は、平成15年2月20日開催の訴外会社の取締役会において、第54回定時株主総会における議案として、被控訴人に対する退職慰労金支払の件を追加するよう提案し、同取締役会においてその旨決議され、同年3月27日開催の上記株主総会において、被控訴人に対する退職慰労金の支払については、100万円を限度とし、具体的な金額、支払方法、支払時期については取締役会に一任する旨の本件支給決議がなされた。
e 訴外会社は、平成15年5月13日、被控訴人に対して、退職慰労金として100万円を支給した。
(イ) (ア)で認定した事実によれば、訴外会社が被控訴人に対して、退職慰労金を支給する等と述べながら、本件訴訟が提起されるまで一向に退職慰労金を支給しようとしなかったことが認められる。
しかしながら、控訴人ないし訴外会社が被控訴人に対して、退職慰労金として本件内規に基づく金額を支給すると約したことを認めるに足りる証拠はない。
エ 請求原因ウ(エ)について
ウ(ア)で認定した事実によれば、被控訴人の勤務中の働きぶりに問題があったことや被控訴人が競業避止義務に違反して訴外会社の営業を妨害したとの事実は認められず、この点に関するB宣誓供述書(乙7)の記載は信用できない。
他方、控訴人又は訴外会社に、被控訴人を害する動機又は目的が存したことを認めるに足りる証拠もない。
オ 請求原因ウ(オ)について
(ア) 株式会社の取締役については、定款又は株主総会の決議によって報酬の金額が定められなければ、具体的な報酬請求権は発生せず、取締役が会社に対して報酬を請求することはできないところ、取締役の退職慰労金は、それが在職中の職務執行の対価として支給されるものである限り、商法269条が規定する報酬に含まれるのであるから、退職慰労金に関する支給規定が存する場合であっても、定款又は株主総会の決議によって退職慰労金の金額が定められない限り、取締役が会社に対して退職慰労金を請求することはできないと解される(最高裁昭和38年(オ)第120号同39年12月11日第二小法廷判決・民集18巻10号2143頁、最高裁昭和53年(オ)第1299号同56年5月11日第二小法廷判決・判例時報1009号124頁、最高裁平成11年(受)第948号同15年2月21日第二小法廷判決・金融商事判例1180号29頁)。もっとも、株主総会の決議がない場合でも、たとえば株主総会の決議に代わる全株主の同意があるなど、株主総会の決議があったと同視しうる特段の事情が認められる場合には、会社が取締役に対して、株主総会決議がないことを理由に、退職慰労金の支給を拒むことは信義則に反すると解される。
(イ) イで認定した事実、ウ(ア)aで認定した本件内規の文言に加えて、上記(ア)の説示及び商法269条が強行法規であることに鑑みれば、本件内規は、訴外会社の株主総会において、退職慰労金の支給金額、支給時期、支給方法等を取締役会又は代表取締役に一任する旨決議された場合に適用されるべきものであり、株主総会において、退職慰労金の支給金額等を具体的に決議した場合には、もはや本件内規を適用する余地はないものと解されるから、本件内規は、退職慰労金を支給する旨の株主総会決議がない場合に、本件内規に基づく退職慰労金を請求する権利を具体的に発生させる性質のものではないというべきである。
(ウ) 訴外会社の株主総会は、取締役会に対して、被控訴人に対する退職慰労金の支給金額、支給時期、支給方法等を一任する旨の決議をなしたことはなく、また、上記ウ(ア)で認定したとおり、本件訴訟提起後に、金額の上限を100万円として退職慰労金を支給する旨の本件支給決議をなしているのであるから、特段の事情が認められない限り、被控訴人が訴外会社に対して、本件内規に基づく退職慰労金を請求する権利は認められない。
そして、ウ(ア)及び(イ)で認定したとおり、控訴人又は訴外会社が被控訴人に対して、退職慰労金として本件内規に基づいた金額を支給する旨を約したことはないから、訴外会社が被控訴人に対して退職慰労金を支給する等と述べていたからといって、訴外会社が被控訴人に対して、株主総会決議がないことを理由に、本件内規に基づく退職慰労金の支給を拒むことが信義則に反するとは認められない。
他に、被控訴人に対して本件内規に従った退職慰労金を支給する旨の株主総会決議があったと同視しうる特段の事情は認められない。
(エ) したがって、被控訴人は、訴外会社に対して、本件内規に基づく退職慰労金を請求する権利を有していたとは認められず、控訴人が、訴外会社の代表取締役として、被控訴人に対して本件内規に従った退職慰労金の支払に関する議案を株主総会に提出するための取締役会を招集したり、取締役会において、上記議案を提案すべき義務を負っていたとは認められない。
(4) 以上によれば、その余の請求原因について検討するまでもなく、控訴人が、被控訴人に対して、商法266条の3に基づいて、被控訴人が本件内規に従った退職慰労金を受けられなかったことについての損害を賠償すべき責任を負っているとは認められない。
2 よって、本件控訴は理由があるので、原判決中、控訴人敗訴部分を取り消して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡部崇明 裁判官 岸本一男 阪口彰洋)