大阪高等裁判所 平成15年(ネ)3348号 判決 2004年3月04日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 被控訴人は、控訴人に対し、30万円及びこれに対する平成15年4月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
(4) 仮執行宣言
2 被控訴人
主文同旨
第2 事案の概要
1 控訴に至る経緯
(1) 本件は、消費者金融業者(被控訴人)から金員を借り受けた控訴人が、被控訴人に対し、次の請求をした事案である。
<1> 被控訴人に対する返済額を利息制限法に従い引き直し計算をすると過払金が生じたと主張して、不当利得に基づく過払金の返還、及び被控訴人が悪意の受益者であるとして同返還金に対する年5分の利息金の支払
<2> 訴訟提起前に控訴人が過去の全取引履歴を開示するよう要請したのに、被控訴人がこれを開示しなかったため、控訴人の債務整理が遅延したとして、不法行為に基づく慰謝料30万円とこれに対する年5分の遅延損害金の支払
(2) 原審は、<1>の過払金と利息の支払請求は全部認容したが、<2>取引履歴の不開示等による不法行為の成立は認めず、慰謝料請求を全部棄却した。
(3) これに対し、控訴人は、<2>について、取引履歴の不開示等による不法行為の成立を主張して控訴した(なお、被控訴人は、控訴人に対し、原判決言渡後の平成15年11月13日、原判決主文第1項の不当利得金等を完済した〔当事者間に争いがない。〕。)。
2 前提事実
(1) 被控訴人は、金銭の貸付業務等を目的とする株式会社である。
(2) 控訴人は、被控訴人から、原判決別紙「利息制限法による計算書」の「年月日」欄記載の年月日に、「借入金額」欄記載の金員を借り受け、「返済金額」欄記載の金員を返済した。
(3) 被控訴人の貸付けは、利息制限法所定の利率を超過する。制限利率(年1割8分)で引き直し計算をすると過払金が発生するから、控訴人は、被控訴人に対し、不当利得に基づく返還請求権を有する(金額には争いがあった。)。
(4) 控訴人代理人は、控訴人から債務整理を依頼され、被控訴人に対し、平成14年11月1日付け通知書(甲1。同月5日到達)で代理人となる旨の通知をするとともに、過去の全取引履歴の開示を要請した。さらに、平成15年2月12日付け書面(甲2)及び同年3月13日付け取引履歴開示請求書(甲3)により全取引履歴開示を求めたが、被控訴人は、これに応じなかった。
(5) 被控訴人は、本件訴訟において、ようやく控訴人との全取引履歴の開示をした。
3 争点と当事者の主張
本件の争点は、次の2点である。
(1) 控訴人の過払金の額と被控訴人が悪意の受益者となる時期(争点(1))
ただし、争点(1)については、原審で控訴人の主張どおりの判断がなされ、これに対し被控訴人は控訴せず、前記のとおり、この部分について既に履行済みであるので、当審では、争点となっていない。
(2) 控訴人の全取引履歴開示請求に被控訴人が応じなかったことと不法行為の成否、損害額(争点(2))
争点に関する当事者の主張は、原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「3」(原判決3頁3行目から6頁9行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も、控訴人の請求は、<1>過払金の返還請求と遅延利息の支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、<2>本件では被控訴人が控訴人の全取引履歴の開示に応じなかったとしても、不法行為を構成するものではなく、慰謝料請求は理由がないから、これを棄却すべきものと判断する。その理由は、以下のとおりである。
2 争点(1)(控訴人の過払金の額と被控訴人が悪意の受益者となる時期)について
原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」の「1」(原判決6頁11行目から23行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
3 争点(2)(控訴人の全取引履歴開示請求に被控訴人が応じなかったことと不法行為の成否、損害額)について
(1) 事実関係
原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」の「2」「(1)」(原判決6頁25行目から9頁3行目まで)のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決7頁1行目の「原告は、」を「控訴人代理人は、」と改め、同頁末行の「早急に」の前に「控訴人側では」を加え、8頁1行目の「ほしいと」の次に「言って」を加える。
(2) 検討
ア(取引履歴開示義務)
(ア) 貸金業の規制等に関する法律(以下「貸金業法」という。)、その他の法令上、貸金業者の取引履歴開示義務を定めた明文規定はない。したがって、貸金業者が債務者からの取引履歴開示請求を受けた場合において、貸金業者が常にこれに応じなければならないという一般的な法的義務を認めることはできない。
控訴人の指摘する貸金業法19条(帳簿の備付け)は、「貸金業者は、内閣府令で定めるところにより、その営業所又は事務所ごとに、その業務に関する帳簿を備え、債務者ごとに貸付けの契約について契約年月日、貸付けの金額、受領金額その他内閣府令で定める事項を記載し、これを保存しなければならない。」と規定するが、同条は取引履歴の開示義務を定めたものではない。また、金融庁のガイドライン3-2-3は、「債務者、保証人その他の債務の弁済を行おうとする者から、帳簿の記載事項のうち、当該弁済に係る債務の内容について開示を求められたときに協力すること」としているが、これは、行政上の監督に関する指針と考えられるもので、法的な権利義務を定めたものとは理解できないし、その内容も、一般的な開示義務があるとしたものとは理解しがたい。
さらに、一般に、貸金業者と債務者との間には、契約関係があり、これに基づく権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行うべきものであるが、貸金業者と債務者(顧客)との間における信義誠実の原則から、当然に、取引履歴の開示義務が導かれると解することも困難である。
(イ) しかし、債務者の取引履歴開示請求の目的、必要性、合理性、態様、その際の債務者の置かれた客観的状況、これに対する貸金業者の対応等諸般の事情によっては、債務者の開示要求に対し貸金業者が取引経過に関する情報を開示しないことが、信義誠実の原則に著しく反し、社会通念上容認できないものとして、不法行為上、違法と評価される場合もあり得る。
(ウ) そこで、以下、上記の点を本件について検討する。
イ(取引履歴開示の意義)
(ア) 債務者は、取引履歴の開示を受けることにより、既に弁済した額について利息制限法所定の制限利率による引き直し計算をして、残債務があれば、その弁済等の交渉を、過払金があれば、その返還の交渉をすることができる。取引履歴が明らかにされないと、上記の引き直し計算ができず、債務が残っているか、それとも過払金があるか、その額等について確定できないことが少なくない。
(イ) そして、正確な取引履歴は、被控訴人が開示しない限り、債務者には分からないことが多い。とりわけ、本件のように取引期間が長期(約10年)に及んでいる場合はそうである。債務者は債権者から交付された契約書、領収書等を所持していないことが多いが、この点で債務者を非難することは、必ずしも相当ではない(他方、貸金業者は、取引履歴を保存している場合が多く、それを開示すること自体に著しい困難等はないと考えられる。)。
(ウ) 以上のとおり、一般的には、債務者にとって、取引履歴の開示を受ける必要性は大きいといえる。
ウ(本件について)
(ア) しかし、本件では、控訴人の借入先は、被控訴人とレイクの2社だけである。そして、控訴人側が取引履歴の開示を求めた当時、控訴人側の資料ないし記憶によれば、残債務があるというよりは、過払金があるとの見通しが強かった(弁論の全趣旨)。現に、本訴状添付の計算書(これは控訴人側の資料に基づくものである。)においても、控訴人は、既に、平成4年4月には過払金が発生しているものとして計算している。本件では、控訴人が被控訴人から残債務の支払を強く求められていたとは認められない。
この点は、レイクについても、同様である(弁論の全趣旨)。
(イ) そして、控訴人代理人は、被控訴人に対し、債務整理を受任した旨を通知し、債務整理を進めるとしているが、本件訴訟提起前に、債権者数、債務者の負債状況、債務整理の方針、進行状況、取引履歴不開示による控訴人の債務整理手続への具体的影響等の個別事情は、一切明らかにしていない。すなわち、甲1(平成14年11月1日付けの通知書)は、本件のような事項を受任した代理人が債権者あてに送付するいわば例文の通知書であり、甲2(平成15年2月12日付けの文書)も、「控訴人は債権が確定せず、不安定な立場に陥ることになるので」と、一般的な事情を述べて取引履歴の開示を求めたものであり、甲3(同年3月13日付けの開示請求書)は、単に開示を求めただけのものである。
(ウ) また、控訴人代理人は、被控訴人と、本訴提起前に過払金の返還について具体的な和解案を求めたり、和解交渉の意思を示したりしたと認めるに足りる証拠はない。かえって、前記認定のとおり、被控訴人の側では和解による解決を希望する旨を伝えたが、控訴人はこれには応じないで、専ら、被控訴人が取引履歴開示をしない態度そのものを問題視していたものである(弁論の全趣旨)。
(エ) こうした控訴人側の対応をみると、控訴人代理人は、債務残額があることを前提に、複数の債権者に平等に適正額を弁済しようとする債務整理ではなく、過払金返還請求を目的として取引履歴の開示を請求したものと考えられる。
そうすると、複数の債権者に残債務を負担し、債権者からなお追及を受ける状況において、その債務を確定した上で、債務者の資力に応じて債権者の平等を図りながら弁済をしようとする場合に比べると、取引履歴の開示を求める必要性ないし合理性が少ないことは否定できない(確かに過払金の返還要求のためであっても、取引履歴が明らかになれば、正確な金額に基づいて早期に交渉が進行し、訴訟が回避されることもあり得る。しかし、前記のように当然には開示義務があるとはいえない場合において、残債務整理と平等弁済のために取引履歴の開示が必要とされる場合とは、程度を異にするというべきである。)。
エ(まとめ)
確かに、本件においては、被控訴人は貸金業者であり、取引履歴の開示に応ずることはそれほどの困難を伴うものとは考えられず、また、開示に応ずることによってどのような弊害が生ずるのかも明らかにされてはいない。
しかしながら、けれども、そうであるからといって、これらから直ちに、控訴人の開示要求に応じないことが不法行為上の違法性を帯びるとすると、一般的な開示義務を課するのと変わらないことになるから、相当でない。
そして、一般的には、貸金業者に取引履歴の開示義務があるとはいえないことを考慮すると、上記のように、債務の確定を行い債権者への平等弁済を図るというよりは過払金の返還請求をするために、訴訟前の段階で、上記のように抽象的に債務整理の必要を挙げるのみで具体的な事情を説明しないまま、控訴人から取引履歴の開示要求があったような場合において、これに応じなかった被控訴人の行為をもって、信義則に著しく反し、社会通念上容認できないものであって、直ちに不法行為上違法と評価され損害賠償義務が発生するものと断定することは、いまだ困難というべきである。
オ(控訴人の損害について)
なお、控訴人は、被控訴人による取引履歴の不開示によって不安定な状況におかれ、精神的損害を受けたと主張するが、次項で検討するとおり、本件において、取引履歴の不開示そのものによって控訴人が著しく不安定な状況におかれ、精神的に相当の打撃を受けたことを認めるべき証拠ないし具体的な事実は乏しいというべきであるから、この点においても、控訴人の請求は認めがたい。
(3) 控訴人の主張に対する検討
ア 控訴人は、被控訴人が取引履歴を開示しなかったことにより、控訴人の債務整理は著しく遅延し、精神的に不安定な地位に置かれたなどと主張する。
イ しかし、控訴人の借入先は被控訴人及びレイクの2社のみであり、いずれも過払金があることが見込まれる状況であったことは前記認定のとおりである。いわゆる多重債務における債務総額を確定し、債権者に按分弁済するというような意味での債務整理は見込まれていなかったものと推測される。また、債権者から残債務があるとして、支払責任を追及される状況になったとも認められない。
しかも、控訴人代理人は、被控訴人が取引履歴開示をしない態度そのものを問題視し、被控訴人と、本訴提起前に過払金の返還について、和解交渉の意思を示し、具体的な和解案のやりとりをした経緯も認められない。むしろ、被控訴人の側で、和解の意向をしめしたのに対し、和解交渉に応ずる姿勢は示していない。
そうすると、本件の解決が遅れた原因が一方的に被控訴人にあるとするのも相当ではない(なお、被控訴人が遅滞なく取引履歴の開示に応じていたとしても、被控訴人が本件訴訟提起前の段階で控訴人からの過払金返還請求に応じていた可能性は低い(弁論の全趣旨)。控訴人は、いずれにせよ、過払金返還請求訴訟を提起せざるを得ず、本件訴訟提起自体が被控訴人の取引履歴不開示の遅滞による因果関係がある損害と認めることも困難である。)。
ウ 控訴人は、債務整理が遅れて不安が続いたとも主張する。
しかし、このような控訴人の精神的負担は、基本的には、消費貸借という取引行為に起因するものであるから、過払金返還請求(遅延損害金を含む。)の解決によりてん補されると考えられる。それを超えた特別の精神的損害が発生するような事情は見当たらない(本件では、控訴人は、レイクに対しても、過払金返還請求訴訟を提起している。被控訴人が取引履歴開示をしたからといって、控訴人が主張する債務整理の解決が速やかにできる見通しがあったとはいえない。)。
エ そうすると、被控訴人が取引履歴開示をしなかったことにより、控訴人が具体的に損害を被ったものと認めることもできない。控訴人の主張は、いずれにせよ採用しがたいところである。
第4 結論
以上によれば、控訴人の請求のうち、不当利得返還請求権に基づく請求については理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。
よって、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。