大阪高等裁判所 平成15年(ネ)875号 判決 2006年9月27日
主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は,控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は,控訴人らに対し,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞並びに人民日報(中華人民共和国北京市<以下省略>)・中国青年報(同国北京市<以下省略>)・解放日報(同国上海市<以下省略>)・明報(同国香港<以下省略>)・河北日報(同国河北省石家荘市<以下省略>)・山西日報(同国山西省太原市<以下省略>)・遼寧日報(同国遼寧省瀋陽市<以下省略>)の各朝刊の全国版下段広告欄に二段抜きで,別紙(2)の「謝罪広告」記載の謝罪広告を,見出し及び被控訴人の名は4号活字をもって,その他は5号活字をもって1回掲載せよ。
(3) 被控訴人は,控訴人X1,同X2,同X3及び同X4に対し,それぞれ金2200万円及びこれに対する平成10年(1998年)9月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被控訴人は,控訴人X5,同X6,同X7,同X8,同X9,同X10,同X11,同X12,同X13,同X14,同X15及び同X16に対し,それぞれ金366万6666円及びこれに対する平成10年(1998年)9月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(5) 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
主文同旨(控訴を容れる場合には,執行開始時を判決送達後14日経過後とした上で,担保を条件とする仮執行免脱宣言を求める。)
第2 事案の概要
1 事案の要旨
控訴人X1,同X2,同X3,同X4,亡A及び亡Bの6名(現在は中華人民共和国国籍,本件当時は中華民国国籍,以下,一括して「控訴人X1ら」といい,個別には,「控訴人X1」,「亡A」,「亡B」などという。)は,被控訴人及びa工業株式会社(以下「a社」という。)により,第2次世界大戦中の昭和19年(1944年)8月頃,中国(当時は中華民国)から日本に強制連行された上,昭和20年(1945年)8月15日まで,a社のb山鉱山(ニッケル鉱産出)で強制労働に従事させられ,また,日本によるポツダム宣言受諾後も,必要な保護を受けられない状態で放置され,新たな加害行為を加えられたとして,被控訴人及びa社に対し,損害賠償(1人当たり2200万円)及び日中両国の新聞への謝罪広告の掲載を求めるとともに,a社に対し,未払賃金又は未払賃金相当額の不当利得金の支払を求める訴訟を提起した(平成10年〔1998年〕8月14日)。
被控訴人に対する損害賠償の責任原因としては,当時の中華民国民法に基づく不法行為,我国の民法(平成16年12月法律第147号[いわゆる現代語化法]による改正前のもの。以下同じ)に基づく不法行為あるいは安全配慮義務違反,国際条約又は国際慣習法の存在が主張され(ポツダム宣言受諾後の行為については,保護義務違反及び我国の民法に基づく不法行為),また,a社に対しては,我国の民法に基づく不法行為あるいは安全配慮義務違反(ポツダム宣言受諾後の行為については,保護義務違反及び我国の民法に基づく不法行為,賃金ないし不当利得請求については,事実上の労働関係の存在に基づく請求権)が主張されている。更に,両名に対する謝罪広告掲載請求については中華民国民法の規定が援用されている。
なお,亡Aは,原審における事件係属中に死亡し,その相続人である控訴人X5,同X6,同X7,同X8,同X9及び同X10が,その訴訟上の地位を承継した。
2 原判決(平成15年〔2003年〕1月15日言渡し)は,控訴人X1ら(ただし,亡Aについてはその訴訟承継人ら)の請求をいずれも棄却した。原判決のうち,被控訴人に対する請求に関する理由の要旨は,次のとおりである。
(1) 強制連行及び強制労働(以下,それぞれを「本件強制連行」「本件強制労働」といい,両者を併せて「本件強制行為」という。)について
ア 不法行為に基づく損害賠償請求
(ア) 適用法令
被控訴人は,非権力的方法によって,中国から日本に労働者を移入しようとしたものであるから,本件強制連行及び本件強制労働は,国家の権力的作用の行使としてされた行為とはいえない。したがって,本件強制行為には国際私法である法例が適用される。
そして,法例11条1項によれば,本件強制行為のうち中国国内の行為については中華民国民法が適用され(ただし,同条2項により,同時に日本民法の要件を満たすことが必要である。),日本国内の行為については日本民法が適用される。
(イ) 共同不法行為の成立
被控訴人は,a社と共同して本件強制行為を行ったもので,そのうち中国国内における行為については中華民国民法及び日本民法上の共同不法行為が,日本国内における行為については日本民法上の共同不法行為が成立する。
すなわち,被控訴人は,戦時下の労働力確保のため,中国人労働者の国内移入政策を定め,実力行使を目的とする旧日本軍の優越的実力に基づいた強制力を,法的根拠がないまま組織的に行使して,控訴人X1らを強制的に日本に連行したものであり,また,a社は,被控訴人の上記政策に従って中国人労働者を受け入れ,日本国内で強制労働させる意図で,旧日本軍が拘束した控訴人X1らの引渡しを中国国内で受けて以降,被控訴人と共同して,強制連行行為を行った。
このような中国国内における被控訴人及びa社の行為については,中華民国民法及び日本民法上の共同不法行為が成立する。
また,これに続く日本国内での強制連行行為も,日本民法上の共同不法行為に当たる。
a社は,その経営するb山のニッケル鉱山で,上記の経緯で連行した控訴人X1らを強制的に労働させたもので,この行為は,日本民法上の不法行為に当たるところ,被控訴人は,直接的には,労働の強制をしたものではないが,上記の移入政策を立案・実施して,控訴人X1らの身柄を違法に拘束し,a社とともにb山鉱山まで連行したもので,同社と共同して強制労働の不法行為を実行したものといえる。
(ウ) いわゆる国家無答責の法理の不適用と民法724条後段の規定の適用
被控訴人のした本件強制行為(不法行為)については,保護すべき権力作用とは認められないから,いわゆる国家無答責の法理は適用されない。
しかし,日本民法上の不法行為責任に関しては,法例11条3項により,民法724条後段の規定が適用されるところ,同規定は,除斥期間を定めたものである。
被控訴人の控訴人X1らに対する上記不法行為は,控訴人X1らが強制労働から解放されて中国に帰還した昭和20年(1945年)12月上旬には完全に終了したというべきであるから,上記不法行為に基づく控訴人X1らの損害賠償請求権の除斥期間(20年間)は,昭和20年(1945年)12月上旬から起算される。
除斥期間の満了時期については,最高裁第二小法廷平成10年6月12日判決・民集52巻4号1087頁の趣旨を考慮し,控訴人X1らの帰国後の事情や,被控訴人の戦後処理等の事情を勘案しても,本件訴訟の提起が遅れたことによる不利益を控訴人らに帰すことによって著しく正義・公平に反する結果となるとはいえないから,控訴人X1らの請求権は,遅くとも昭和40年(1965年)12月上旬には消滅した。
したがって,控訴人らの不法行為に基づく損害賠償請求は理由がない。
イ 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求
a社には安全配慮義務違反による債務不履行責任が認められる(ただし,同責任に基づく損害賠償請求権は,昭和20年(1945年)12月上旬から10年が経過したことにより,消滅時効が完成した。a社による上記消滅時効の援用を濫用とすべき事情も認められない。)が,被控訴人には,控訴人X1らとの間に,安全配慮義務を生じるような特別な社会的接触関係があるとは認められないから,被控訴人は,控訴人X1らに対して,安全配慮義務違反に基づく損害賠償支払義務を負うものではない。
ウ 国際法に基づく損害賠償請求
ヘーグ陸戦条約3条は,国家の個人に対する損害賠償を定めたものとはいえないし,個人に対して国家を義務者とする損害賠償請求権を付与する国際慣習法の成立を認めることもできない。
したがって,控訴人らが国際法を根拠として,被控訴人に対する損害賠償請求権を取得するとは認められない。
エ 謝罪広告請求
被控訴人に対する日本民法上の不法行為に基づく損害賠償請求権が,除斥期間の経過によって消滅した以上,謝罪広告請求権も消滅していることになるから,控訴人らの請求は認められない。
(2) ポツダム宣言受諾後の行為について
ア 控訴人X1らが遅くとも昭和20年(1945年)12月上旬に中国に到着したことにより,本件強制行為自体は完全に終了し,損害賠償責任の履行を除いて,被控訴人がa社とともに履行すべき原状回復行為は残っていないから,被控訴人に,控訴人ら主張の保護義務違反があるとは認められない。
イ また,控訴人らが新たな不法行為として主張するところは,本件強制行為に基づく損害賠償責任に関する事実の解明及び責任の履行に関する行為であるから,控訴人らには,これによる新たな損害は生じていない。
ウ したがって,被控訴人が,ポツダム宣言受諾後の行為について損害賠償責任を負うことはない。
3 本件は,以上の原判決に対する控訴事件(a社関係においても控訴があった。)である。
(1) 当審係属中に,亡Bが死亡し,その相続人である控訴人X11,同X12,同X13,同X14,同X15及び同X16が,その訴訟上の地位を承継した(以下,控訴人X1,同X2,同X3及び同X4並びに亡B及び亡Aの各訴訟承継人らを「控訴人ら」という。)。
(2) なお,平成16年(2004年)9月29日の当審第6回口頭弁論期日において,控訴人らとa社との間で訴訟上の和解が成立したため,その後の当審における審判の対象は,控訴人らの被控訴人に対する請求関係のみとなった。
第3 本件の争点(被控訴人関係)は,基本的に原審と同じであるが,整理すると,次のとおりである。
1 本件強制行為に関する被控訴人の責任
(1) 不法行為責任(損害賠償及び謝罪広告)の有無
ア 被控訴人の行為については,法例によって適用すべき準拠法を決定すべきか(本件の法律関係は,法例により律せられる私法的法律関係か,それとも,その適用のない公法的法律関係か。)。[適用法令の決定]
イ 控訴人X1らに対する被控訴人による本件強制行為の事実はあったか(請求原因)。
ウ 被控訴人の行為につき(法例11条の適用により日本法が累積適用されると解される場合を含め),いわゆる国家無答責の法理が適用されるか(抗弁)。
エ (国家無答責の法理の適用がなく,法例11条の適用により日本民法の不法行為規定が累積適用されるとした場合)民法724条後段の期間の経過により,不法行為に基づく控訴人X1らの被控訴人に対する損害賠償請求権は消滅するか(抗弁)。
オ その場合において,本件の具体的事情によって,その適用が制限されると認めるべきか(再抗弁)。
(2) 安全配慮義務違反に基づく責任(損害賠償)の有無
ア 被控訴人は,控訴人X1らに対して安全配慮義務を負っていたか(請求原因)。
イ これを肯定した場合,被控訴人に,上記義務の違反があったか(請求原因)。
(3) 国際法に基づく被控訴人の責任(損害賠償)の有無
控訴人X1らは,ヘーグ陸戦条約又は国際慣習法を根拠として,被控訴人に対する損害賠償請求権を取得するか(請求原因)。
(4) 日華平和条約により,控訴人X1らの請求権は放棄されたか(抗弁)。
2 ポツダム宣言受諾後の行為に関する被控訴人の責任の有無
控訴人X1らが,被控訴人のポツダム宣言受諾後において,被控訴人の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権を取得するか(請求原因)。
3 被控訴人の責任が認められるとして,控訴人X1らの受けた各損害額はどの程度か(請求原因)。
第4 当事者の主張
別紙(3)の「当審における当事者双方の主張」のとおり付加するほかは,原判決の別紙(5)(被控訴人に対する請求に関する部分)及び同(6)に記載のとおりである。
第5 当裁判所の判断
1 当審の判断の要約
当裁判所は,以下に説示するとおり,控訴人らの請求は,いずれも理由がなく,棄却を免れないものであるから,これと同旨の原判決の結論は相当で,本件控訴は,理由がなく,棄却すべきものと判断するが,その理由の骨子は,次のとおりである。
(1) 不法行為責任(損害賠償及び謝罪広告)の有無について
ア 本件の法律関係は,法例の適用のない公法的法律関係であって,法例により律せられるべき私法的法律関係とはいえないから,控訴人ら主張に係る被控訴人の行為については,その当時における我国の法規範が適用されるものと解される。
イ 証拠によると,控訴人ら主張に係る被控訴人及びa社による控訴人X1らに対する本件強制連行の事実,そして,その結果として,控訴人X1らがa社b山鉱山において本件強制労働に従事することを余儀なくされた事実,被控訴人が同鉱山の事業遂行につき,軍需会社法に基づく関与をした事実は認めることができる。
ウ 被控訴人の行為については,仮に,控訴人ら主張のように,法例11条の適用によって,日本法が累積適用されると解される場合を含め,いわゆる国家無答責の法理が適用されると解されるから,被控訴人は,不法行為に基づく損害賠償責任を負わない。
エ 仮に,控訴人ら主張のように,本件につき国家無答責の法理の適用がなく,法例11条の適用により日本民法の不法行為規定が累積適用されるとしても,控訴人X1らの被控訴人に対する不法行為に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段の除斥期間の経過により消滅したものであり,控訴人ら主張に係る本件の具体的事情によっても,その適用が制限されると解することはできない。
(2) 安全配慮義務違反に基づく責任(損害賠償)の有無について
被控訴人が軍需会社法に基づいて,a社b山鉱山の事業遂行につき,一定の関与をしたとしても,控訴人X1らに対して安全配慮義務を負っていたと認めることはできない。
(3) 国際法に基づく被控訴人の責任(損害賠償)の有無について
控訴人X1らは,ヘーグ陸戦条約又は国際慣習法を根拠として,被控訴人に対する損害賠償請求権を取得すると認めることはできない。
(4) ポツダム宣言受諾後の行為に関する被控訴人の責任の有無について
控訴人X1らが,被控訴人のポツダム宣言受諾後において,被控訴人の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権を取得すると認めることはできない。
2 事実関係
原判決3頁挙示の証拠等及び当審における証拠(<証拠省略>)によれば,原判決34頁2行目から35頁1行目までに記載の事実及び同36頁19行目から37頁9行目までに記載の事実のほか,次の事実を認めることができる。
(1) 当事者等
ア 控訴人X1ら
控訴人X1(1930年生)は,昭和19年(1944年)当時,現在の中華人民共和国(当時は中華民国)河南省獲嘉県張巨郷東張巨村に居住する農民であった。
控訴人X2(1923年頃生,本件強制連行当時の名は「C」)は,昭和19年(1944年)当時,同県大辛荘県后小召村に居住する農民であった。
亡B(1923年生。一審原告,当初控訴人)は,昭和19年(1944年)当時,同県亢村鎮王官営村に居住する農民であった。同人は,原判決後,当審係属中の平成16年(2004年)5月3日に死亡した。その相続人は,各控訴人である妻のX11並びに子のX12,X13,X14,X15及びX16である(当審において,法定相続分に応じて上記の各請求額の支払を求めるよう,控訴の趣旨を改めた。)。
控訴人X3(1926年生)は,昭和19年(1944年)当時,同県西張義村に居住する農民であった。
控訴人X4(1924年生,本件強制連行当時の名は「D」)は,昭和19年(1944年)当時,同県大新庄郷西劉村に居住する農民であった。
亡A(1926年生。一審当初原告)は,昭和19年(1944年)当時,同県亢村鎮王官営村に居住する農民であった。同人は,平成11年(1999年)2月16日に死亡した。控訴人(亡A訴訟承継人)X5はAの長女,同X6はAの二女,同X7はAの三女,同X8はAの長男,同X9はAの二男,同X10はAの三男である。
イ 被控訴人
被控訴人(国)は,後記のとおり,昭和17年(1942年)11月27日に,当時の東条内閣において「華人労務者内地移入に関する件」と題する閣議決定(以下「本件閣議決定」という。)をして,「華人労務者の内地移入」と称する政策(以下「本件移入政策」という。)を実施した。
ウ a社
a社は,昭和19年(1944年)当時,京都府与謝郡与謝村字滝にあるb山鉱山(以下「b山鉱山」という。)で,軍需会社法による指定を受けた軍需会社としてニッケル鉱の採掘事業をしていた。
(2) 控訴人X1らの強制連行及び強制労働の経緯とその間の生活状況
ア 強制連行の経緯
(ア) 控訴人X1
控訴人X1が14歳のとき,小屯村の保長であったおじから塹壕掘りのよい仕事があるとの情報を得て,昭和19年(1944年)8月に親戚のEと一緒に,獲嘉県の役所に申込みに赴いた。ところが,2人は,いわゆる皇協軍(黄協軍ともいう。中国人によって組織された旧日本軍の協力軍。汪兆銘が主宰する南京臨時政府傘下の正規軍であるのか,旧日本軍によって組織された民兵組織であるのか,証拠上明らかでない。)の兵士らによって拘束され,縛られた上で,県の役所の中に閉じこめられた。そして,2人は新郷市の華北労工協会に連行され,更に,済南市まで連行され,同市内の施設に閉じこめられた。同様に閉じこめられていた多くの人々が逃走しようとして殺害されたが,控訴人X1は,恐ろしくて,逃走できず,その後,他の被拘束者らとともに青島まで送られた。
(イ) 控訴人X2
控訴人X2は,昭和19年(1944年)8月頃,自由市場に買物に行ったところ,旧日本軍の兵士に捕まえられた。そしてコーツーチンという町に連行され,翌朝,歩かされて獲嘉県の県城(県庁)に到着した。更に,新郷市,済南市を経て青島まで拘束の上連行された。
(ウ) 亡B
亡Bは,当時結婚後50日ほどしか経っていなかったが,昭和19年(1944年)8月頃,生活のために県の労働者募集に応じることにして,同じ村のAと出かけたところ,皇協軍の兵士によって王朋庄に連行された。その後,亢村の役所の庭に20人ほどが押し込められ,鍵をかけられた。更に,亡Bは,皇協軍の兵士によって,有蓋貨車に乗せられて新郷市に送られ,更に,石家荘市を経て,済南市の中国人労働者専用の施設に入れられた。既に100人くらいの中国人が集められていたが,既入者から,日本に連行されて労働させられることになると教えられた。逃走する者もいたが,皇協軍の兵士に撃たれていた。そこから4人ずつ縛られて汽車に乗せられ,青島に向かったが,その際には旧日本軍の兵士が同行していた。
(エ) 控訴人X3
控訴人X3は,昭和19年(1944年)8月頃,村人から3日くらいの稼ぎ仕事があると告げられて,新郷市に赴いたところ,拘束され,縛られた。皇協軍ないし旧日本軍の兵士に監視されて石家荘市に送られ,更に済南市を経て青島に連行された。
(オ) 控訴人X4
控訴人X4は,昭和19年(1944年)9月頃,労働者の募集に応じて新郷市に出向いたところ,山東省行の貨車に乗せられた。貨車には旧日本軍の兵士が乗っていて,外に出られないように監視しており,その様子から日本へ連れて行かれるものと認識した。山東省に着くと皇協軍ないし旧日本軍の兵士に縛られて牢屋のような建物内に閉じこめられ,更に青島に連行された。
(カ) 亡A
亡Aは,昭和19年(1944年)8月頃,父が甲長をしていた関係で,県からの臨時労働者募集(内容は,県に約10日間仕事に行き,毎日連合票10枚を貰えるというもの。)に応募した。村からは,4人が一緒に行き,上記のとおり,亡Bもその1人であった。ところが,Aらは,皇協軍の兵士に銃で脅されて王朋庄へ連れて行かれ,その後亢村に連行された。その後の経緯は,亡Bと同じである。
(キ) 控訴人X1らが連行された青島では,国民党の軍服とゴム底の地下足袋の支給を受けて捕虜のような服装をさせられた。そして,控訴人X1らは,昭和19年(1944年)10月11日,青島港で日本の貨物船「梓丸」に乗せられ,日本に向かった。船内には,同様の方法で中国各地から集められた約600名の中国人が詰め込まれており,航海中,旧日本軍兵士によって監視されていた。
梓丸は,青島港出航後,済州島で1泊し,同月19日に山口県下関港に到着し,控訴人X1らは,更に列車に乗せられ,京都を経て,同月21日にb山鉱山まで連行された。国内における移送過程では,適宜警察官が監視に当たった。
イ a社は,上記の強制連行に次のとおり関与した。
(ア) a社は,後記の華北労工協会との間で,昭和19年(1944年)7月29日,同協会がa社に供出する労工(中国人労働者)使用についての契約等を交わした。
両者の合意事項の中には,次のものが含まれていた。すなわち,募集供出方法としては,同協会が華北から労工適格者を選出し,所要地点に集結させ,目的地へ転送する。a社は,労工100名につき1名の割合の現場管理人を華北に派遣し,そのうちの引率責任者が労工の引渡から現場到着まで労工を管理する。a社は,供出人員1名につき80円を募集費として同協会に納入する。引き渡す労工は,200名とし,その採用規格は,①身体強健で重筋肉労働に耐えうる者,②年齢は満16歳以上の若年者を優先的に選抜する,③思想的に不良ならざるものを選ぶ,④現地選衡にa社が立会うこととする。訓練としては,到着後1か月間を訓練期間とし,最初は激務に従事させず,生活指導・日本語指導・団体訓練・作業訓練・現場教育を行う。そのほか労働条件等も具体的に定められており,賃金額については日額5円とされていた。
(イ) a社の従業員2名は,b山鉱山で就労させる中国人労働者の引取のため,昭和19年(1944年)8月7日に中国まで出かけ,同年10月に,済南市の収容所において,華北労工協会から中国人労働者200人(控訴人X1らは,この中に含まれていた。)の引渡を受け,青島まで同道した。一行は,青島港から上記の梓丸に乗船し,下関港に到着した。そして,上記200人の中国人労働者(b山鉱山に送られた中国人は,その後に死亡した者があるため人数が減少しているが,以下「b山関係中国人」と総称する。)は,a社の従業員に引率されて,同月21日にb山鉱山に着いた。
ウ 本件強制労働及び控訴人X1らの生活状況
a社のb山関係中国人に対する処遇は,次のようであった。
(ア) 労働の開始
控訴人X1らは,b山鉱山において,a社のための労働に従事させられた。しかし,控訴人X1らは,a社と労働契約を交わしたことがなかったことはもとより,就労意思の確認を受けたこともなかった。のみならず,本件移入政策において後記のとおり労働条件等に関する具体的な定めがなされていることを説明されたこともなかったし,本件強制労働の期間中,この定めに従った取扱いを受けることもなかった。
(イ) 労働内容
控訴人X1らを含むb山関係中国人は,4小隊に分けられ,第1小隊から第3小隊までが,山腹をダイナマイトで爆破し2人1組になって鉱石をトロッコで乾燥場まで運ぶ採鉱作業及び運搬作業に,第4小隊が鉱石を乾燥させる乾燥作業に従事させられた。
作業時間は1日12時間の定めであったが,実際は,早朝の暗いうちから夜遅くなるまで,14時間以上も働かされていた。日本語でされる指示が理解できず,もたついたりすると,監督から棍棒などで殴られることもあった。
(ウ) 拘束状態
b山関係中国人用の宿舎は,作業現場から数キロ離れた場所に設置された3棟の掘建小屋があてられ,そこに全員が居住させられた。
宿舎の回りは,尖った竹と木の板で囲まれ,その上部には鉄条網が張り巡らされていた。夜間は宿舎に鍵をかけられ,監視員が置かれたので自由に行動することはできなかった。逃走した者もいたが,すぐに捕まえられ,監視員は,見せしめのために,逃走者を残りの中国人に殴らせたりもした。
(エ) 食糧事情
1日3食の支給はあったが,その内容は,大豆粕で作った饅頭1個(約100グラム)及びスープが供されるに過ぎず,質量の両面で極めて貧弱なものであり,上記の重労働による空腹を満たすには不十分なものであった。
(オ) 居住状況
上記宿舎では,上下2枚の板を通した2段ベッドの1段が各自に与えられたが,寝具の支給も十分でなかったため,特に冬期の厳しい寒気に耐えることは困難を極めた。
(カ) 衣服
上記のとおり,青島で国民党の軍服を与えられたものの,その後は,格別,着替え用の作業着や衣服の支給はされなかったため,いわゆる着の身着のままの不衛生な状態であった。
(キ) 衛生・医療環境
上記の重労働と貧弱な食事に加えて,入浴設備も殆ど利用できず,劣悪な衛生状態におかれ,体調を崩しても,医師の治療を受けることは,殆どできなかった。
結局,b山鉱山で労働を余儀なくされた中国人労働者のうち12人が死亡したが,うち1人は自殺,そのほかは病死(急性大腸炎4人,栄養失調,慢性胃腸カタル,急性肺炎,気管支肺炎,両側肺浸潤,心臓性喘息,脳挫傷各1人)であった。作業中負傷した者も,その正確な数は定かでないが,相当数存在した。
(ク) 賃金関係
控訴人X1らは,終戦以前及び終戦後において,b山鉱山における労働についてa社から賃金の支払を受けたことを裏付ける証拠は見当たらない。
(3) 終戦により控訴人X1らが中国に送還された経緯及び帰国後の状況
ア 昭和20年(1945年)8月14日,日本政府は,ポツダム宣言を受諾して,天皇による終戦の詔書を発布し,翌15日には,その旨がラジオ放送等を通じて広く伝えられた。この日から,a社は,控訴人X1らを含めたb山関係中国人に対して労働を強制することを停止した。
イ 控訴人X1らは,生存していたb山関係中国人182人とともに(合計188人),昭和20年(1945年)11月29日に長崎県の佐世保に集結させられ,同年12月1日,南風崎から米軍の上陸用舟艇(LST)に乗船し,同月上旬,中国の塘沽港に到着し,同所で解放された。控訴人X1らは,そこから,各自の住居地に自力で帰還した。
ウ 控訴人X1らが,それぞれ自宅に戻ってみると,控訴人X1の母親は精神を病み,亡Bの母は既に死亡しており,控訴人X4の母親は両目を失明していた。それだけではなく,周囲の中国人から,控訴人X1らは戦争中に敵国である日本国内にいて中国に対する侵略行為に協力した人物であると,いわれのない非難をされて精神的な苦痛を受けた。
(4) 本件移入政策を決定・実行した経緯等
ア 太平洋戦争開始後,日本国内における労働力不足は逼迫の状況を示し,特に,重筋労務部面におけるそれは,深刻化し,その対策として本件移入政策も企画実行された。その経緯を時系列風にみると次のとおりである。
(ア) 昭和13年(1938年)12月16日に,中国占領地統治の中央機関として興亜院が発足した。
(イ) 昭和14年(1939年)7月に,北海道土木建築業連合会は,厚生・内務大臣宛に,中国人労働者を中国から移入する必要性を陳情した。
(ウ) 昭和15年(1940年)3月19日に,商工省燃料局内に「華人労務者移入に関する官民合同協議会」が設置され,石炭産業における中国人労働者の移入が協議された。
(エ) 同月20日に,汪兆銘が中華民国国民政府を南京に樹立した。これに伴い,昭和13年(1938年)に成立した中華民国臨時政府(王克敏)は「華北政務委員会」に改組され,南京政府の管轄下において軍事及び経済に関する広範囲の権限を付与された。
(オ) 昭和16年(1941年)7月に,華北政務委員会に属する政府機関として,華北労工協会が北京に設立された。
同協会は,華北政務委員会の補助金及び企業の負担金によって設立されたもので,華北における労働者の募集,供給等の労務の一元的統制をし,これらに関する一切の事務を取り扱うものである。
(カ) 昭和17年(1942年)夏頃,土木工業協会は,「支那苦力」使用を外務省・厚生省等に要請した。これに基づいて,企画院は,同協会労務委員会に諮問をした。
同年10月20日に,土木工業協会は,「華北労務者の使役に関する件」と題する案を作成し,その中において「移入要領」を定めた。また,この頃,石炭統制会も,「炭坑に俘虜並びに苦力使用の件」と題する案を作成し,中国人労働者の移入の具体化を図った。
(キ) 同年11月27日に,以上の経過をふまえて本件閣議決定がされた。同決定の内容は,原判決別紙(8)のとおりである。これによって日本政府は本件移入政策を実施することになった。同日,企画院は,本件閣議決定に基づく実施要領(以下「本件実施要領」という。)を定めた。その内容は,原判決別紙(9)のとおりである。
(ク) 同年12月19日,被控訴人は,華北労働事情視察団(政府・企業合同)を中国に派遣し,中国人労働者の実態の把握・調査を行った。
(ケ) 昭和18年(1943年)3月2日,内務省警保局は「華人労務者の内地試験移入並其の取扱に関する件」と題する通牒を作成した。
(コ) 同年4月に,本件移入政策に基づき,中国人労働者の内地への試験移入が開始された(同年11月まで)。
(サ) 同年5月3日,「昭和18年度国民動員実施計画策定に関する件」が閣議決定された。
(シ) 昭和19年(1944年)2月28日,上記試験移入の実施結果を良好と判断して,「華人労務者内地移入の促進に関する件」が次官会議で決定(以下「本件次官会議決定」という。)された。その内容は,原判決別紙(10)のとおりである。これによって本格移入が実施されることになった。
(ス) 同年3月9日に,厚生省は「華人労務者内地移入手続」を作成し,具体的な実施細目を定めた。
(セ) 同年3月23日,上記本格移入の第1陣が,港運広島に到着した。
(ソ) 同年4月4日,厚生次官,内務次官が連名で「華人労務者内地移入に関する件」と題する通牒を発した。
また,これ以前に,「華人労務者内地移入に関する方針」及び「華人労務者内地移入要綱」が次官会議で決定された。
(タ) 同月6日,内務省警保局長から各庁府県に「移入華人労務者取扱要領」と題する通牒が出された。
(チ) 同年8月16日,「昭和19年度国民動員実施計画策定に関する件」及び「昭和19年度国家動員計画需要数」が閣議決定された。
同決定において,具体的人数を挙げて「移入」を「国民動員計画」中に算入し,朝鮮人労働者29万人,中国人労働者3万人を供給すると定めて,「移入」を実施した。
イ 上記の本件移入政策を総括すると,次のとおりである。
(ア) 上記のとおり,本件移入政策は,昭和18年(1943年)4月から同年11月までの試験移入を経て,昭和19年(1944年)3月から昭和20年(1945年)5月までの本格移入という2段階で実施された。試験移入は,昭和18年(1943年)4月に第1回として,華北の中国人約220人が荷役労働者として富山県伏木港に到着した。本格移入は,昭和20年(1945年)6月に四国の別子銅山に到着した華北の中国人400人が最後である。その間に,試験移入の人数は1411人,本格移入は毎月約1000人から3000人にのぼり,総数で3万7524人(総数3万8935人)である。
(イ) 本件移入政策は,当初,企業労働者としての経験及び技能を有する中国人労働者を日本国内に移入することを主眼とし,移入対象者として素質が優良な俘虜及び帰順兵を想定し,これらの者に所要の職業訓練をした上で就労させること(本件閣議決定,本件次官会議決定)を予定して立案されていた。
中国人労働者の供出方法としては,自由募集(条件を示し,希望者を募るもの)及び特別供出(現地において特殊労務に必要な訓練と経験を有する特定機関の在籍労働者の供出)のほか華北労工協会の斡旋供出が予定されていた。同協会からの供出は,行政供出(中国側行政機関[華北政務委員会]の供出命令に基づく割当てに応じ,都市郷村から供出された者の供出)及び訓練生供出(旧日本現地軍が作戦により得た俘虜,帰順兵で一般領民として釈放しても差支えないと認められた者及び中国側地方法院において微罪者として釈放した者を華北労工協会において下渡しを受け,同協会の労工訓練所において一定期間,渡日に必要な訓練を施した者の供出)の2方法があり,前者が約3分の2(2万4050人),後者が約3分の1(1万0667人)であった(総数3万4717人)。
(ウ) しかし,本件移入政策によって実際に日本に移入された中国人は,本件移入政策が予定していた経験や技能を有する労働者が極めて少なく,企業労働等の経験がない者が多かった(移入中国人労働者の大部分は華北労工協会から供出されたものであることは上記のとおりである。)。それにもかかわらず,これらの中国人は,なんらの職業訓練も実施されることがないままに,いきなり日本国内の事業所に割り当てられた(上記の訓練生供出に係る労働者も,どの程度の実質的訓練が施されたかは疑わしい。)。各事業所は,割り当てられた中国人を,さしたる技能や経験を有しない者でも担当できる単純作業で肉体的に過酷な重労働を要する部署に配置した。
そして,上記の行政供出は,外務省報告書中にも「半強制的に供出せしめたるもの」との記述があり,また,同報告書の基礎になった各国内事業所作成のいわゆる「事業場報告」書の記述中に「華労の募集(狩り集め)」といった記述が存することに照らすと,その多くは,旧日本軍ないしその影響下にあるいわゆる皇協軍の支援の下に強制的に実施されたものと推認することができ,前記認定の控訴人X1らの連行状況もこれに符合するものとみることができるから,控訴人X1らは,この行政供出の方法によって我国に移入されたものと推認できる。
(エ) 本件移入政策によって,総数3万8935人の中国人労働者が日本国内に移入され,鉱山業,土木建築業,港湾荷役業,造船業等の35企業の事業所135か所で就労し,そのうち,実に6830名が死亡した。
(オ) 終戦を境として,日本政府は,日本国内の上記中国人労働者の処遇方針を転換し,昭和20年(1945年)8月17日に,内務主管防諜委員会幹事会を開いて,中国人労働者全員を急いで帰国させることを基本方針とする「華人労務者の取り扱いに関する件」を決定し,中国人労働者は,昭和20年(1945年)10月から順次,新潟,博多,室蘭,長崎等から船で帰国させられた。
(カ) 日本政府は,本件移入政策によって中国人労働者を受け入れた企業に対し,補償をした。
a社が受けた被控訴人からの政府補償の額は,77万1000円であった。
3 本件強制行為に関する被控訴人の責任について
(1) 不法行為責任
ア 適用されるべき法令等について
(ア) 本件訴訟は,現在中華人民共和国国籍を有する控訴人らを原告とするが,国である被控訴人を被告とするものであるから,その国際裁判管轄が我国にあることは明らかである。
ところで,不法行為に関する請求の準拠法につき,法例11条1項は,不法行為によって生じる債権の成立及び効力は,その原因となる事実の発生した地の法律による旨定める。本件において,同規定が適用されるとすれば,控訴人らが被控訴人の不法行為と主張する行為のうち,当時の中華民国の領土内で行われた行為については,中華民国民法が適用されることになる。
しかしながら,法例は,私法的法律関係に適用される私法間の抵触問題を解決するための法律であって,その準拠法の決定に当たっては,国家の公益についての配慮がされているものではないから,国家の公益と密接な関係を持つ公法的法律関係については,これを適用することができないものと解すべきである。
もとより,私法的法律関係と公法的法律関係との区別は,必ずしも明確ではないところはあるが,本件訴訟において,控訴人らが,当時の中華民国内における被控訴人の不法行為として主張する行為は,旧日本軍ないしその支配下にあるいわゆる皇協軍の兵士が,戦時下における日本国内の労働力を確保するという被控訴人の国家政策を実行するに当たり,控訴人X1らをその意思に反して拘束し,違法に日本に連行したというものであり,被控訴人の公権力の行使に当たる公務員の行為(しかも,旧日本軍ないしその支配下にある皇協軍の兵士が,当時の中国大陸における日本の軍事的優越的地位を背景に行った,極めて権力的で,公法的色彩の強い行為)の違法性を問題にしているとみるべきであるから,本件訴訟が上記行為による被害者の私的権利の救済を目的としていることを考慮しても,上記行為を巡る法律関係は,国家の公益と密接な関係を持つものとして,上記の区分でみれば,公法的法律関係に属するものと評価すべきである。
したがって,控訴人らの主張する不法行為に関する法律関係については,法例11条1項所定の不法行為に該当するものということはできないものと解されるから,同条項に従ってその準拠法を定めるのは相当でなく,上記法律関係が我国の公益と密接に関係を有していることに鑑み,日本国における法規範をもって律すべきものと解すべきである。
当審としては,この点に関する原審の判断に同調することはできない。
(イ) この点につき,控訴人らは,国家の権力作用に関する不法行為であっても,社会共同生活において生じた損害の公平な分担を目的とするものであるから,法例11条が適用されるべきである,法例11条の適用を否定することは,一方当事者の抵触法的利益のみを偏重することになり,許されないなどと主張する。
しかし,公権力の行使に当たる公務員の不法行為については,本件について見たとおり,私人間の不法行為とは異なり,国家の公益について配慮される必要があり,このことは,国家賠償法が,国等の公権力の行使に当たる公務員の不法行為について,公務員による公務の遂行を萎縮させないよう,公務員への求償を制限したり(同法1条2項),外国人を被害者とする場合に相互主義(同法6条)を採るなど,公益性の見地から,民法上の不法行為とは異なる取扱いをしていることからも明らかというべきであるから,控訴人らの上記主張を採用することはできない。
(ウ) なお,仮に,控訴人らの主張するとおり,本件の該当行為につき法例11条1項が適用され,中華民国民法に従って被控訴人の責任の有無が判断されるとしても,同条2項及び3項により,日本法も累積的に適用されることになるから,不法行為責任に関する控訴人らの請求が認められるためには,日本法上も,被控訴人の責任が肯定されることが必要となる。
しかるに,日本法上は,国家無答責の法理のため,被控訴人の不法行為責任を肯定することはできず,仮にこれを肯定するとしても,同責任に基づく損害賠償請求権は,除斥期間の経過により消滅したと解すべきことは,後述のとおりであるから,不法行為責任に関する控訴人らの請求は,中華民国民法上の不法行為責任の有無について判断するまでもなく,理由がないものといわざるを得ない。
イ 強制連行・強制労働の事実
上記の認定事実及び下記の認定事実によれば,旧日本軍ないしその支配下にある皇協軍に属する兵士は,戦時下の日本国内における労働力を確保するために策定された被控訴人の中国人労働者移入政策(本件移入政策)を実行するに当たり,控訴人X1らをその意思に反して拘束し,強制的に日本まで連行したこと,そして,その結果として,控訴人X1らは,軍需会社法に基づく軍需会社に指定されたa社の経営するb山鉱山において,苛酷な強制労働に従事することを余儀なくされたこと,被控訴人は,a社との関係において,同法に基づく一定の関与をした事実を認めることができ,この認定を左右する証拠はない。
ウ 国家無答責の法理の適用の当否
(ア) 国家賠償法(昭和22年〔1947年〕10月27日施行)附則6項は,同法施行前の行為に基づく損害については,「なお,従前の例による。」と規定している。これは,国家賠償法の制定に伴う経過規定であり,同法施行前の行為に基づく損害に関する法律関係については,同法を遡及的に適用することを否定し,同法施行前の法規範をそのまま包括的に適用することを意味する。
本件強制行為は,同法施行前の行為であるから,本件強制行為に基づく損害については,この「従前の例」によることになるが,この点につき,控訴人らは,被控訴人は,民法709条又は715条に基づく不法行為責任を負う旨主張するのに対し,被控訴人は,国家賠償法施行前においては,いわゆる国家無答責の法理が確立していたため,民法の不法行為規定の適用はなく,被控訴人は不法行為責任を負わない旨主張するので,以下,検討する。
(イ) 証拠<証拠省略>によれば,次の事実が認められる。
a 旧民法の制定
旧民法の当初のボアソナード草案においては,国又は公共団体の権力作用についても一般民法を適用すべきであるとの立場から,「公私の事務所」も損害賠償責任を負う旨の規定が設けられていた(同草案393条。修正案では373条)。
これに対し,当時の法制局長官であった井上毅が,各国の学者の見解も一致しておらず,その裁判例は,特別法による明文の規定のある場合を除き,国家の賠償責任を認めていないことを指摘して,同草案に反対する意見を表明したことから,審議の結果,「公私の事務所」は「総ての委托者」と改められ,国家が賠償責任を負うことを明定した規定は削除されることになった。
法務大臣官房司法法制調査部監修に係る「民法編纂に關する諸意見並雑書」には,いかなる場合に,政府官庁が「委托者」になるか否かは,事実問題として司法官の判断に委ねる旨の記載がある。
これに対し,井上毅は,明治24年(1891年)発表の論説で,民法草案の初稿やその注釈には,公の事務所も,私の事務所と等しく賠償の責任を負うとされていたが,各国の学説は,民法起草者の説くところと大いに異なり,行政機関は,この規定のために,その運転を障碍され危険な効果を呈出するに至るであろうから,旧民法にはこの規定はない旨述べている。
なお,旧民法は,明治23年(1890年)4月21日に公布されたが,その後,いわゆる民法典論争が起こり,結局,施行されることはなかった。
b 行政裁判法の制定・施行
大日本帝国憲法(明治22年〔1889年〕2月11日公布,明治23年〔1890年〕11月29日施行,以下「明治憲法」という。)下においては,行政裁判所と司法裁判所が分離していたところ(61条),行政裁判法(明治23年〔1890年〕6月30日公布,同年10月1日施行)16条は,行政裁判所は損害要債の訴えを受理しない旨規定していた。
同法に関する当初のモッセの案では,損害要償の民事訴訟は,行政裁判所の判決により,官吏の越権や怠慢により損害を与えたことが確定した後でないと,通常裁判所において受理できないとされていたが,その後,行政裁判院は,行政官吏に対する損害要償の訴訟を受理しないと修正され,更に,枢密院議定案で,上記16条のとおり修正され,制定に至ったものである。
なお,モッセは,「国の民法上損害賠償義務に関する意見」と題する答議において,国が民事上の活動を行う場合には,国は民法に従って責任を負い,民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起できる(郵便,電信,鉄道等に関し,特別の責任規定があれば,それは民法に優先して適用される。)が,官吏が国権を執行するに際し,義務違反の処置若しくは怠慢により第三者に加えた損害に対しては,財産上の損害を負わない(刑事補償等について特別の定めがあれば別)という見解を示している。
c 裁判所構成法の制定・施行
裁判所構成法(明治23年〔1890年〕2月10日公布,同年11月1日施行)2条1項は,通常裁判所においては,民事刑事を裁判するものとする,ただし,法律をもって特別裁判所の管轄に属させたものはその限りでない旨定める。
同法の立法過程を見ると,当初の法律取調委員会案では,地方裁判所の事物管轄として,「第一審として,(イ) 金額若くは価額に拘らず政府(中央政府と其配下の官庁とを問わず)より為し又は之に対して為す総ての請求,(ロ) 金額若くは価額に拘らず官吏に対して為す総ての請求但其請求公務により起りたる時に限る,(ハ) 其他区裁判所若くは特別裁判所に専属するものを除き総ての請求」と定められていたが,井上毅が,「裁判所構成法案意見」と題する書面において,官吏に公務に対しては要償することができない,なぜなら,その公務は国権の一部であり,国権は民法上の責任がないからであるとの意見を表明して,これに反対したことを契機として,上記法案の(イ)及び(ロ)が削除されるに至った。
d 民法の制定・施行
ⅰ 民法第1ないし第3編(明治29年〔1890年〕4月27日公布,明治31年〔1898年〕7月16日施行)の編纂は,穂積陳重,富井政章及び梅謙次郎を起草委員として行われたところ,使用者責任に関する民法案723条(民法715条)が,官吏の職務上の行為についても適用されるか否かについては,明治28年(1895年)10月4日の法典調査会において,起草委員と他の委員との間で次のような審議が行われた。
穂積八束が,政府やその官吏等についても,同条の原則が当たるのかと,都筑馨六が,土地収用においては,土地収用法に規定している事柄を除くほか,過失があっても補償はしないし,町村会の違法処分に関する裁判例や取扱いを見ても,多少違法で過失があっても賠償をしないということが習慣法になっているが,本条によりその取扱いがすっかり変わってしまうのかと,各質問したのに対し,穂積陳重は,穂積八束に対しては,国の事業であっても私法的関係については,本条が適用される,政府の官吏がその職務執行について過失があったときに責任を負うか否かという条文を置くことを検討はしたが,公法にも関係するし,いかなる場合に責任を肯定するかを区分するためには細かい規定が必要になるであろうから,特別法で規定するのがよいと考えた,特別法が立法されない場合に,本条が適用あるかは,更に考慮を要する旨答弁し,都筑馨六に対しては,土地収用法の補償が,損害賠償を排斥してしまうとは考えていない,官吏職務執行の場合はこの限りにあらずということはできないと思う旨答弁した。
また,高木豊三が,本条は,官吏の職務執行について人民に損害を加えたときに,政府が賠償の責めに任ずるか否かという大問題を決めたものかどうかと質問したのに対しては,穂積陳重は,他に規定がなければ,裁判所では普通の不法行為の規定を適用するであろうと考えると答え,梅謙次郎は,この問題は法人に関する46条(民法44条)で決したことと思う,この法人の規定は,むろん国には当てはまらないが,国に関しては特別法ができるであろう,もし明文をもって定めなければ,国も法人であるから,46条が適用されるということは,無理からぬこととは思うが,いずれ特別法によって決まると信じていると回答した。
更に,高木豊三が,穂積陳重の説明では,官吏の過失行為は政府が代わって賠償するかという問題も,本条に含むかのようであるが,私はそのようには解しかねるとの意見を述べた上で,裁判官が裁判をする,警察官が人を捕まえるというような,公権の作用として公務員がした行為については,特別法で定める,民法ではこれを見ていないということの起草者の説明を願っておきたいと求めたのに対し,穂積陳重は,官吏の職務執行の場合に本条が適用されるのがよいと,我々は決めていない,特別法ができるだろうから,民法で規定するのは止めた,特別法を作らないで,本条で押し通すというだけの決心は,我々3人にはなかった,しかし,特別法がなかったならば,本条が当たるだろうという考えは,3人とも持っていると答弁し,高木豊三は,ただいまのお答えでよく分かりましたと答えた。
ⅱ なお,梅謙次郎は,明治41年(1908年)発表の論文で,国について何らの規定がないからといって,民法715条を適用することはできない,むしろ,国には不法行為の責任なしと議決せねばならないと述べている。
また,富井政章は,大正元年(1912年)の東京帝国大学における民法の講義において,民法715条は,官吏の加害行為に対する国家の責任については,適用すべきではない,民法は,この問題を行政法規に譲る考えであると思われる,特別の明文のある若干の場合を除き,一般原則としては,国家に賠償の義務なしという仕組みになっていると述べている。
ⅲ 更に,前記穂積八束は,明治30年(1897年)発表の論文で,警察及び財政の事項は,純白なる公権力の行動に属するから,民法の規定を適用する余地はない,行政の事物にどこまでも侵入しようとする民法の濫用は,戒めなければならないと述べ,民法学者の鳩山秀夫は,大正9年(1920年)発行の著書の中で,官吏が職務上した行為が,私法上の行為である場合は,民法の不法行為規定を適用すべきであるが,公法上の行為である場合は,適用すべきではないと述べている。
e 国家賠償法の制定・施行
現行憲法(昭和21年〔1946年〕11月3日公布,昭和22年〔1947年〕5月3日施行)17条の規定を受け,国家賠償法(昭和22年〔1947年〕10月27日公布,同日施行)1条1項において,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体は,これを賠償する責めに任ずることが規定されることになった。
その立法過程を見ると,奥野健一政府委員は,昭和22年(1947年)7月16日の第1回国会衆議院司法委員会において,国家賠償法1条及び2条と民法の不法行為規定とは,その理念においてどこが違うのかという質問を受け,本法は,国家公共団体の公権力行使による場合の関係で,いわゆる公行政の関係で,私法的関係ではないので,これを民法に規定するのは立場が違うため,特別法として立案した,これは公法的な関係を,民法は主として私法的な関係を規定しているというところに,差異があると答弁し,更に,公権力の行使で不法行為をしたという場合,国家公共団体は,民法でも責任を負うのではないかとの質問を受け,従来,国家公権力行使についての不法行為の場合,国家は賠償責任がないとう理論が,判例,学説で大体確立されているので,この法律によって初めて国家が賠償の義務あることを明らかにしたものと考えている,すなわち,今までの解釈から,民法の直接適用がないことになっているので,この法案によって,国家が賠償の義務あることを明らかにしたものであると答弁した。
(ウ) 上記認定の各法律の立法過程等を見ると,旧民法は,当初の草案には,国家賠償責任を認める文言を置いていたものの,法制局長官の井上毅が国家無答責の見地からこれに反対する見解を表明したことから,同文言が他の文言に改められることになり,また,行政裁判法においては,行政裁判所は損害要償の訴えを受理しないものとされ,裁判所構成法においても,国家無答責を主張する井上毅の意見表明を契機として,地方裁判所に政府に対する訴訟を提起できる旨の規定が削除されたというのであるから,これらの法律が制定された明治23年(1890年)頃には,国家の権力作用(公権力の行使)については,たとえ,それが違法なものであっても,国家に賠償責任を認めないことを前提とする法制度が構築されようとしていたとみることができる(なお,旧民法案の修正が,いかなる場合に政府官庁が「委托者」になるか否かを司法官の判断に委ねる趣旨でされたものであるとする文献があるが,この文献が,司法官の解釈として,権力作用と認められる行為についてまで国家の賠償責任を肯定する余地を是認したものと認めるに足りる証拠はないし,かえって,上記の修正が国家無答責を主張する井上毅の意見表明を契機としてされたことや,これと相前後して,国家無答責を前提とすると考えられる行政裁判法や裁判所構成法が制定されたことに照らすと,権力作用に付いてまで国家の賠償責任を認めるという解釈の余地を残したまま旧民法が制定されたとは考えられない。)。
そして,その後の民法の立法過程においては,公的作用に当たる官吏の職務執行上の行為に民法715条が適用できるか否かが問題とされ,起草委員により,これを肯定するかのような意見も表明されたものの,特別法によって解決されるべき問題であるとして,法典調査会において明確な意見の一致をみることなく,同法は制定されたが,その後,戦後の国家賠償法まで,公権力の行使に関する国家の賠償責任について一般的に定める法律は制定されることはなかったし,また,上記のような行政裁判法や裁判所構成法も見直されることがなかったものであるから,国家無答責の法理は,現行民法の制定によっても変更されることなく,その施行により,法制度として確立されるに至ったというべきである。
そして,昭和22年(1947年)に至り,漸く国家賠償法が制定されるが,その立法過程を見ると,同法は,民法とは別個の法体系である公法に属するものであり,憲法17条を受け,初めて公権力の行使につき国家の賠償義務を明定するものとして制定された経緯が明らかで,その制定までは,国家には公権力の行使についての賠償義務がないとの法規範の存在が前提とされていたとみることができる。
以上の手続法を含む各法律の立法過程に照らすと,民法の不法行為規定は,明示的には,国家の権力作用(公権力の行使)に基づく加害行為への適用を排除してはいないけれども,昭和22年(1947年)の国家賠償法の施行前においては,国家の権力作用に基づく加害行為については,たとえ,それが違法なものであっても,国家は賠償責任を負わないという,いわゆる国家無答責の法理に基づく法規範が構築・維持されていたというべきであるから,同法施行前に生じた国家の上記行為には民法の不法行為規定は適用されないものというべきである。
この点に関し,大審院の判例は,一貫して,国の公権力の行使により,私人に生じた損害については,民法の不法行為規定の適用を認めず,国は損害賠償責任を負わないと判示してきた。最高裁第三小法廷昭和25年4月11日判決・裁判集3号225頁も「公権力の行使に関しては当然には民法の適用のないことは原判決の説明するとおりであって,旧憲法下においては,一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかったのであるから,本件破壊行為について国が賠償責任を負う理由はない。」,「国家賠償法施行以前においては,一般的に国の賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常に国の賠償責任のないことを判示して来たのである。」と説示し,上記の事情を明らかにしている。
控訴人らは,上記の立法の経過の理解に関し,上記と異なる見解を主張するが,当裁判所としては同意できない。
したがって,本件においては,前記認定のとおり,強制連行・強制労働の事実が認められるところ,この事実を自然的事実としてみた場合において民法の不法行為の相当法条に該当するとみる余地があるとしても,上記の国家無答責の法理が妥当すると解される結果として,そのことにより,被控訴人が不法行為責任を負うことはないというほかはない。
(エ) 控訴人らは,更に,以上と異なる見解を主張するものであるが,次のとおりいずれも採用できない。
a 控訴人らは,国家無答責の法理は,実定法上の根拠を欠くもので,民法の不法行為規定の解釈問題に過ぎない,このことは,国家無答責に関する大審院判例に変遷があることを見ても,明らかである,したがって,現憲法下の法体系と価値観に照らし,国家無答責の法理の正当性・合理性が検討されなければならない旨主張する。
しかしながら,国家無答責の法理が,単なる民法上の解釈問題ではなく,国家賠償法施行前の我国の法制度に由来するものであることは,上記判示のとおりである。
また,大審院判例については,国・公共団体ないしはその官吏の行為のうち,私法である民法の不法行為規定を適用しうる範囲に関しては,一定の変遷を見ることができるものの,私法の領域を超える国・公共団体の権力作用と認められる行為については,上記の最高裁の判例が簡潔に説示するとおり,一貫して,民法の不法行為規定の適用を否定してきたものであるから(控訴人らの引用する徳島小学校遊動円棒事件に関する判決も,私人が占有するのと全く同様の地位において占有していることを理由に,民法717条の賠償責任を肯定したものである。),国家無答責の法理が確立していたという上記判断を左右するものとはいえない。
控訴人らの主張は,前記の「従前の例による。」との国家賠償法附則6項の規定の趣旨を否定することに帰するものというべきである。
b 控訴人らは,本件強制行為当時においても,各国の立法の趨勢が国家無答責の法理の克服に向かっていたとして,同法理には,明治憲法下における正当性・合理性もない旨主張する。
しかしながら,弁論の全趣旨によれば,米国や英国においては,1946年ないし1947年まで,国家無答責の法理が採用されていたことは明らかであって,本件強制行為当時,各国の立法の趨勢が必ずしも同法理の克服に向かっていたということはできないし,また,仮に,いくつかの国において,本件強制行為当時,国家無答責の法理を否定していたとしても,そのことから直ちに,我国において同法理を維持する正当性・合理性が失われると解することはできない。
c 控訴人らは,国家無答責の実質的理由は,国家の行政活動が障害,麻痺することを回避することにあるから,通常の国家行政行為の過程で生じる違法行為とは異質で,同法理が想定しないような残虐非道な侵害行為により,国家による権利保護や幸福増進の対象外とされる外国人に対し,甚大な被害をもたらした本件については,同法理を適用できない旨主張する。
しかしながら,国家無答責の法理は,国家賠償法施行前の我国には,国家の権力作用につき国家の責任を定める法規がなかったことに由来するものであるから,同法理の適用範囲は,当該行為が国家の権力作用に当たるか否かによって,決せられるべきであって,当該行為が,通常の国家行政行為の過程で生じたものか否か,残虐非道な行為であるか否か,被害が甚大であるか否か,更には,被害者が外国人であるか否か等によって決せられるものとは解されない。
d 控訴人らは,ILO29号条約(強制労働に関する条約)の批准,公布により,強制労働については,国家無答責の法理は排除されるに至ったと主張するが,ILO29号条約が,国家の賠償責任を定めたものとは解することはできない。
e 控訴人らは,本件強制行為は,非権力的私法的性格を有するものであるから,国家無答責の法理を適用できない旨主張する。
しかしながら,本件強制行為は,当時,中国大陸に侵出していた旧日本軍やその支配下にある皇協軍の兵士が,その軍事力を背景に,戦時下の労働力を確保するという被控訴人の国策を実行するに当たり,控訴人X1らを強制的に日本に連行し,a社における強制労働に従事することを余儀なくさせたというものであるから,その形態からみて国家の権力作用(公権力の行使)に当たるとみるほかはない。
本件強制行為の本質は,上記の点にあるにもかかわらず,控訴人らの主張は,そこに含まれる私経済的側面を殊更に強調するものに過ぎない。
エ 民法724条後段の適用
上記のとおり,控訴人らの不法行為に係る被控訴人に対する請求については,国家無答責の法理の適用があると解する以上,既に理由がないものというべきであるが,控訴人らの主張に鑑み,なお,念のため,本件において,国家無答責の法理の適用がなく,法例11条の適用により,日本民法の不法行為規定が累積適用されるとした場合において,民法724条後段の規定が適用されるかについて検討を加える。
(ア) まず,控訴人らは,法例11条3項は,その文言からみて,損害賠償その他の処分(不法行為の直接の効力である損害賠償の額及び方法)についてのみ日本法の累積適用を認めるものであって,不法行為債権の消滅時効や除斥期間の問題にまで日本法の累積適用を要求するものではないから,民法724条後段の規定は適用されない,と主張する。
しかしながら,法例11条1項ないし3項の規定を全体として理解した場合には,同条3項は,不法行為に基づく損害賠償請求について,時効や除斥期間を含む日本法において認められる請求権の効力の発生,存続及び消滅に係る全ての事由の主張を許容する趣旨と解すべきである。
その理由は,原判決24頁19行目から同25頁13行までに説示するとおりであるから,これを引用する。
控訴人らの主張は,採用することができない。
(イ) 次に,控訴人らは,同条後段所定の期間は,被控訴人の主張するような除斥期間ではなく,長期の時効期間を定めたものと解すべきであると主張する。
しかしながら,同条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は,損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な主張によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は,被害者側の認識いかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである(最高裁第一小法廷平成元年12月21日判決・民集43巻12号2209頁。後記の最高裁第二小法廷平成10年6月12日判決・民集52巻4号1087頁もこのことを前提としていることが明らかである。)。
控訴人らは,この規定を除斥期間と解すると,画一的な処理となり,具体的妥当性や公平を図ることができず,不正義や不道徳を義務者に強制する事態が生じるなど,不合理な結果が生じるなどとして,前記のとおり主張するが,上記最高裁判決の判示のとおり,時の経過のみによって法律関係を画一的に確定させることにこそ,上記規定の趣旨はあるというべきであるから,控訴人らの主張は,採用できない。
(ウ) したがって,仮に,本件強制行為に民法の不法行為規定の適用があり,控訴人X1らの被控訴人に対する損害賠償請求権が発生したと解する余地があるとしても,控訴人らの主張する不法行為は,原判決判示のとおり,控訴人X1らが中国に帰還した昭和20年(1945年)12月上旬には終了したというべきであるから,昭和20年(1945年)12月上旬から20年が経過したことにより,上記請求権は消滅したものというべきである。
オ 民法724条後段の適用制限
(ア) 控訴人らは,民法724条後段の規定の適用に当たっては,上記最高裁平成10年6月12日判決の趣旨に照らし,正義・公平の理念に照らし適用を制限すべき事情があるか否かを具体的に検討すべきであるとした上,本件における上記規定の適用を制限すべき事情として,① 被控訴人による不法行為は,甚大な被害をもたらした悪質非道なもので,「人道に対する罪」に該当するから,時間の経過によって免責される性質のものではないこと,② 平成7年(1995年)3月の銭其file_4.jpgEE外交部長発言まで,戦争被害者が提訴目的で中国から日本に渡航することは現実的に不可能であり,その他にも権利行使を事実上困難ならしめる事情があったこと,③ 被控訴人は,平成5年(1993年)5月まで,本件に関する貴重な資料である外務省報告書を隠滅・隠蔽したり,繰り返し虚偽の国会答弁をしたりして,控訴人X1らの権利行使を妨げてきたことなどを主張する。
(イ) しかしながら,上記判決は,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において上記不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6か月内に上記不法行為による損害賠償請求権を行使したなど特段の事情のあるときは,民法158条の法意に照らし,民法724条後段の効果は生じない旨判示するものであって,民法724条後段の適用を,正義・公平の理念から一般的に制限すべきことを認めたものとはいえない。
もっとも,上記判決は,その判示する場合には,民法724条後段の効果を認めると,著しく正義・公平の理念に反する結果となることを肯定し,少なくともそのような場合には,時効について同法158条の定める場合と同様,当該被害者を保護する必要があるので,その限度で同法724条後段の効果を制限することが条理にもかなうとするものであるから,上記判決の場合と比肩しうるような著しく正義・公平の理念に反する特段の事情が認められる場合には,同法724条後段の効果を制限する余地がないとはいえない。
そこで,控訴人らの主張する上記事情がその場合に当たると解する余地があるかについて検討するに,①については,民法は,行為の悪質性や被害の重大性によって,不法行為に基づく損害賠償請求権の時効期間や除斥期間を何ら区別しておらず,行為の悪質性や被害の重大性の故に民法724条後段の効果を制限できるとする法的根拠を見出すことができない。上記判決も,行為の悪質性や被害の重大性,あるいは行為の性質を,民法724条後段の効果を制限する要素として取り上げているとは解することはできない。また,第2次世界大戦後に戦争犯罪を構成するとされるようになった「人道に対する罪」に該当すれば,その行為に基づく損害賠償請求権は永遠に消滅しないと解することもできない。
次に,②については,その主張のように,控訴人X1らが,提訴目的で中国から日本に渡航することが困難であったとしても,日本の裁判所への提訴は,日本への渡航を法的要件とするものではないから,控訴人らの主張する事情は,権利行使のための事実上の障碍に過ぎないといわざるを得ないし,また,その障碍は,日中間の国際事情ないしは中国の国内事情によるもので,被控訴人の当該不法行為を原因とするものとはいえない。その他,控訴人らが,権利行使を事実上困難ならしめるとして主張する事情も,同様である。したがって,これらの事由が上記判決の場合に比肩しうるような権利行使の障碍事由に当たるとみることはできない。
③については,被控訴人が,平成5年(1993年)5月まで,本件に関する貴重な資料である外務省報告書を隠滅・隠蔽したり,繰り返し虚偽の国会答弁をしてきたこと(このことは,<証拠省略>に照らし明らかである。)は,それ自体として非難されるべきことではあるが,控訴人X1らは,自ら本件強制行為を体験しているものである以上,被控訴人の上記行為が原因でおよそ権利行使ができなかったとは認めることはできない。
そうすると,本件においては,上記判決の場合と比肩しうるような著しく正義・公平の理念に反する特段の事情が存すると認めることはできず,結局,控訴人らの主張は採用することができない。
(ウ) また,控訴人らは,本件においても刑訴法255条の法意が考慮されるべきことや,日本は強制労働を禁止するILO29号条約を批准,公布し,奴隷的拘束を禁止する国際慣習法が成立していることに照らすと,本件について民法724条後段を適用すべきではない旨主張する。
しかしながら,刑訴法255条は,刑事事件に関するものであるから,その法意を本件において考慮すべきであるということはできないし,また,ILO29号条約は,強制労働を禁止するものではあるが,強制労働に関する損害賠償請求権の存続期間について規定するものではなく、奴隷的拘束に関する損害賠償請求権の存続期間について規定した国際慣習法の成立を認めるに足りる証拠もないから,控訴人らの主張は採用することができない。
更に,控訴人らは,民法724条後段の期間は,客観的にみて権利行使が可能となった時から起算すべきである旨主張するが,この規定は,その定める期間の起算点を「不法行為の時」と明示しているばかりか,前記のとおり,その時から20年という請求権の存続期間を画一的に定めることを趣旨とするものであるから,控訴人らの主張は,採用することができない。
カ 結論
以上の次第で,被控訴人の不法行為責任は,国家無答責の法理の適用により,これを肯定するに由なく,仮に,これを肯定するとしても,同責任に基づく損害賠償請求権は,除斥期間の経過により消滅したと認めるほかないから,被控訴人の不法行為に基づく損害賠償及び謝罪広告の掲載を求める控訴人らの請求は,いずれにせよ,理由がないものというべきである。
(2) 安全配慮義務違反に基づく責任
ア 安全配慮義務違反は,本来,契約責任を構成するものであるから,これを理由とする請求の準拠法は,法例7条によって決定されるべきことになろうが,本件における安全配慮義務違反に関する控訴人らの主張は,控訴人X1らと被控訴人との間の私法上の契約関係を前提とするものではなく,その法律関係は,国家の公益と密接な関係を持つものであるから,不法行為に基づく請求の準拠法と同様,法例に従って決定するのは相当ではなく,当然に日本法が適用されるものと解される。
イ 証拠<証拠省略>によれば,前記の事実(原判決認定に係る事実)のほか次の事実が認められる。
(ア) 被控訴人は,昭和13年(1938年)5月5日,国家総動員法を施行した。
同法4条本文は,政府は,国家総動員上必要があるときは,勅令の定めるところにより,帝国臣民を徴用して総動員業務に従事させることができると定めていたところ,昭和14年(1939年)7月8日,同条に基づき,国民徴用令が定められ,以後毎年,国民労務動員計画が定められることになった。
(イ) 被控訴人は,昭和18年(1943年)12月17日,軍需会社法(同年10月31日公布)を施行し,昭和19年(1944年)1月17日,a社を同法2条に基づく軍需会社に指定した。軍需会社としては,同年4月までの間に,全国で合計570社余りが指定された。軍需会社法には,要旨次のような規定がある。
a 軍需会社法の目的
同法は,軍需物資の生産等をする事業につきその経営の本義を明らかにし,その運営を強力ならしめ,戦力の増強を図ることを目的とする(1条)。
b 軍需会社の責務
軍需会社は,戦力増強の国家要請に応え全力を発揮し責任をもって軍需事業の遂行に当たらなければならない(3条)。
c 生産責任者(4条)
軍需会社は,生産責任者を選任しなければならず(1項),これを選任しないときは,政府が選任することができる(2項)。
生産責任者は,政府に対し,軍需会社の責務遂行に関し,会社を代表してその責に任ずる(3項)。
軍需会社のする生産責任者の解任は,政府の認可なしには効力を生ぜず(5項),政府は,生産責任者を不適任と認めるときは,これを解任することができる(6項)。
d 生産担当者(5条)
生産責任者は,本店,軍需事業を営む工場もしくは事業場における業務に関し,生産担当者を任命することができる(1項)。
生産担当者は,政府に対し,生産責任者の指揮に従って担当業務を遂行する責に任ずる(2項)。
政府は,生産責任者に対し,生産担当者を置くべきこと又は解任すべきことを命ずることができる(3項)。
e 従業者
命令の定めるところにより,生産責任者,生産担当者及び軍需会社の営む軍需事業に従事する者は,国家総動員法により徴用された者とみなす(6条1項)。
軍需会社の職員その他の従業者は,その担当業務に従事するにつき,生産責任者及び生産担当者の指揮に従わなければならない(7条)。
f 政府の軍需会社に対する権限
政府は,軍需会社に対し,期限,規格,数量その他必要な事項を指定し,軍需物資の生産,加工又は修理を命じ(8条),事業の運営に関し必要な命令を発しもしくは処分をし,政府の指定した事業以外の事業を営むことを制限もしくは禁止することができ(9条),勅令の定めるところにより,軍需会社に対し,その勤労管理並びに資金調整微経理に関し,必要な命令をすることができる(10条)。
g 懲戒
生産責任者及び生産担当者が職務を怠り責任を果たさないときは,政府軍需会社審査会の議決により,解任もしくは譴責の懲戒を行うことができる(20条1,2項)。
軍需会社の職員その他の従業者が故なく生産責任者又は生産担当者の指揮に従わないときは,政府が生産責任者又は生産担当者の具状により,譴責又は訓戒の懲戒を行うことができる(21条1,2項)。
ウ いわゆる安全配慮義務とは,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負担する保護義務として,一般的に認められるべきものであり(最高裁第三小法廷昭和50年2月25日判決・民集29巻2号143頁。具体的には,例えば,一定の労務の提供を受けた者が,当該労務提供者の業務遂行のために提供する場所,施設若しくは器具等の設置管理又は当該労務の管理に当たって,当該労務提供者の生命及び健康を危険から保護するように配慮すべき義務であるとされている。),その義務違反は,不法行為責任ではなく債務不履行責任(契約責任)を構成するものである。
そして,安全配慮義務がこのような内容のものである以上,労務の提供を受けた者が当該労務提供者に対して安全配慮義務を負担するのは,当該労務提供につき必要な場所,施設,器具等を設置管理し,又は,その労務関係を支配管理することによるものというべきであるから,安全配慮義務を生じる前提となる「特別な社会的接触関係」は,当事者間に直接的な契約関係ないしこれと同視すべき法律関係が存在することが必要であり,少なくとも,労務提供のために提供する場所,施設,器具等の設置管理や,当該労務についての直接の支配管理性が存在することが必要である。
ところで,安全配慮義務の成立が認められる法律関係は一様でないから,その具体的な内容は,義務違反を主張する当事者が,当該法律関係に応じて具体的に主張すべきものであるところ,控訴人らは,被控訴人は,本件強制連行及び本件強制労働の双方の過程において,控訴人X1らに対する安全配慮義務として,a社と共同して,① 生命健康を維持するのに十分な食料を与え,② 生命健康を維持できる程度の労働条件を超える労働を課さず,③ 健康を維持し人としての尊厳を保つことができる住環境・衛生環境を整える等の義務を負担していた,仮に,被控訴人において,上記のような義務を負っていたとはいえないとしても,被控訴人は,file_5.jpga社が,控訴人X1らに対して負っている生命健康保障義務を十分に尽くしているかを不断に調査・監視し,file_6.jpga社がその義務を尽くしていない場合には,軍需会社法等に基づき必要な措置を命じる義務を負っていたという意味で安全配慮義務を負担していたと主張している。
エ そこで,上記の観点に立って,控訴人らの主張につき検討する。
(ア) まず,本件において,控訴人X1らと被控訴人とが直接の契約関係にあったものでないことは明らかである。
(イ) そこで,控訴人X1らと被控訴人とが契約関係と同視しうる関係にあったといえるかが問題になる。
契約関係は,各当事者の自由な意思表示に基づいて設定されるものであるから,契約関係ないしはこれと同視しうる関係が認められるためには,各当事者がその自由な意思に基づいて直接ないし間接の関係を設定することが必要である。しかるに,被控訴人は,前記のとおり,戦時下における労働力を確保するという自らの政策の実現のため,控訴人X1らを中国から日本に強制連行し,a社における強制労働に従事させたものであるから,控訴人X1らと被控訴人との関係は,被控訴人が,日本の国家権力を背景に,控訴人X1らの自由な意思に反して,一方的かつ強制的に設定したものといわざるを得ない。そうすると,控訴人X1らと被控訴人との関係は,本件強制連行,本件強制労働のいずれの過程においても,不法行為規範によって規律されるべき関係であるというべきであって,債務不履行責任の前提となる安全配慮義務を生じさせるような関係であるとはいえない。
(ウ) 更に,上記の労務提供のための場所等の設置管理及び当該労務についての直接の支配管理性の観点から検討しても,本件において,安全配慮義務を生じる前提となる「特別な社会的接触関係」があると認めることはできない。
a まず,強制連行及び強制労働における安全配慮義務についてであるが,前記の事実関係によると,控訴人X1らがb山鉱山に強制連行され,強制労働に従事させられたことについては,被控訴人が,そのような施策を国策として立案推進し,a社と華北労工協会との労務提供契約の締結,個々の労働者のa社への割当て,労務管理等の大綱につき,本件次官会議決定等を定めることにより,一定の関与をし,控訴人X1らに対する具体的な本件強制連行の実施に当たっても,移送の段階で旧日本軍の兵士,警察官を関与させた。
しかし,b山鉱山における本件強制労働についてみると,被控訴人は,b山鉱山を含む受入事業所での中国人労働者の一般的処遇や労働管理について大綱を定めることにより一般的に関与したものの,実際の事業所であるb山鉱山においては,逃亡防止等のために一定の指示をし,陸軍将校や憲兵を配置し,適宜,特高係警察官が見回りをし,警察官が逃亡中国人労働者の捜索に当たった程度である。そして,同事業所の施設,器具等はa社が設置,管理していたものであり,同所における労務を直接指揮監督し,衣食住の労働環境の整備,労働条件の設定を直接実施していたのは,a社の職員であることが認められるから,b山鉱山の施設,器具等の設置管理や控訴人X1らの労務に関する支配管理を直接被控訴人が行っていたとみることはできない。
これらによれば,被控訴人と控訴人X1らとの間に前記の「特別な社会的接触の関係」があったということはできないものというべきである。前記のように被控訴人が本件移入政策を国策として推進し,本件次官会議決定等を定めることにより大綱的に関与をし,控訴人X1らの本件強制連行とa社における労働の開始に関与したからといって,被控訴人に主張の安全配慮義務が生ずるということはできない。
b 次に,控訴人らは,a社が軍需会社であったことから,被控訴人の安全配慮義務が肯定されるべきであると主張する。
軍需会社法によれば,前記のとおり,政府は,軍需会社の事業運営に関し一定の関与をする権限を認められていたものである。しかし,軍需会社として指定された会社は,いずれも,当時の我国における大企業であることが推認でき,生産責任者には当該企業の代表者が,生産担当者は当該企業の事業所の長が選任される形態であって,各企業の既存の組織をそのまま維持したものであることが明らかである。そして,政府に上記の権限が与えられているとはいっても,全国で570社余りの産業分野も組織の在り方も異なる多数の会社に対して,特段の事情のない限り,個々の企業,事業所の就労場所,施設若しくは器具の設置管理や労務の指揮監督を被控訴人の官吏が掌握することができたと想定することは困難であり,もとより,そのような特段の事情を認めるに足りる証拠はない(a社についても同様である。)。
そうすると,a社が軍需会社であったからといって,そこで労働していた控訴人X1らと被控訴人との間に安全配慮義務を生じさせるに足りる特別の社会的接触の関係があったと認めることはできないものというべきである(なお,帝国臣民でない控訴人X1らが軍需会社法6条所定の「国家総動員法により徴用された者」とみなされると解することには疑問が残るし,仮に上記のようにみなされるとしても,徴用は,一方的に公法上の勤務義務を発生させるものであり,また,被控訴人が被徴用者を直接指揮命令して労務の提供を受けることを予定しているものともいえないから,このことの故に被控訴人に安全配慮義務を生じさせるものということもできない。)。
オ 以上のとおりであるから,被控訴人が控訴人X1らに対して安全配慮義務を負っていたとは認めることはできず,この義務違反があることを主張する控訴人らの請求は,理由がないものというべきである。
(3) 国際法に基づく責任
ヘーグ陸戦条約3条が,個人の国家に対する賠償請求権を規定したものとは解されないこと,個人に国家に対する賠償請求権を付与する国際慣習法の成立は認められないことは,原判決判示のとおりであるから,ヘーグ陸戦条約3条及び国際慣習法を根拠とする控訴人らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないものというべきである。
(4) 結論
以上によれば,本件強制行為に関する控訴人らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,すべて理由がない。
4 ポツダム宣言受諾後の行為に関する被控訴人の責任について
被控訴人が,昭和20年(1945年)12月に中国に帰還した控訴人X1らに対し,控訴人らの主張するような保護義務を負っていると解することはできず,また,控訴人らの主張する新たな不法行為の成立を認めることもできないことは,原判決判示のとおりであるから,ポツダム宣言受諾後の行為に関する控訴人らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないというべきである。
5 以上の次第で,控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決の結論は正当であり,本件控訴は,いずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 田中壯太 松本久 村田龍平)