大阪高等裁判所 平成16年(う)969号 判決 2004年10月22日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役1年8月に処する。
原審における未決勾留日数中240日をその刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,検察官濱岡良二作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は,弁護人仲元紹作成の答弁書に各記載のとおりであるから,これらを引用する。
論旨は,原判決は,被告人による覚せい剤の自己使用を起訴した本件公訴事実に対し,被告人の尿は,被告人の承諾のない,逮捕行為に比すべき違法な任意同行を利用して採取された違法収集証拠であって,その違法の程度は重大であり,令状主義の精神を没却するものであるから,被告人の尿から覚せい剤成分が検出されたとする鑑定書(原審甲5。以下,「本件鑑定書」という。)の証拠能力は否定され,そうすると,被告人の自白を補強する証拠はないので,結局,本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるとして,被告人に無罪を言い渡したが,本件において,被告人の任意同行及び尿の採取経過に違法な点はなく,本件鑑定書には証拠能力があるのに,原判決は,被告人が警察署への同行を承諾していた事実等を誤認し,任意同行に関する警察官職務執行法2条2項等の解釈を誤り,その結果,警察官の職務執行の適法性に関する判断を誤った上,憲法33条,35条及び刑訴法1条,218条等の解釈適用を誤って本件鑑定書の証拠能力を否定し,これを事実認定の用に供しなかったという訴訟手続の法令違反を犯しており,その違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである,というのである。
第1 控訴趣意に対する判断
そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると,関係証拠によれば,被告人の任意同行及び尿の任意提出の経過については,以下のとおりの事実が認められる。すなわち,
① 平成15年2月3日(以下,日付は特に必要がない限り省略する。)夕刻,松原警察署に付近住民から,路上に前日から香川ナンバーの自動車が駐車しており,中に不審な人物がいる旨の電話通報があったため,同署の警察官らは,通報内容から盗難車両の疑いを抱き,同署地域課勤務のAら6名の警察官が単車やパトカーに分乗して現場である松原市営住宅13号棟東側路上に赴いたところ,通報どおり,香川ナンバーの普通乗用自動車1台(ニッサンマーチ。以下「本件自動車」という。)がエンジンをかけたまま駐車しており,車内に被告人が一人で寝ていたため,警察官らは,同署にそのナンバーに関して車種や盗難届出の有無等を照会した上,被告人に職務質問をすることにした。
② 午後6時48分ころ,A警察官らが本件自動車の窓をノックして被告人を起こし,「ここで何をしている。」などと質問すると,被告人は,エンジンを切って「人を待っている。」などと応答し,A警察官らが運転免許証の提示を求めると,車内を探って免許証を捜し始めた。
そのころ,警察官らは,松原警察署からの回答により本件自動車のナンバーについては盗難届出はないが,その番号は本来ニッサンブルーバードのもので,本件自動車とは車種が異なることを知ったため,被告人の同意を得て本件自動車のボンネットを開け,車台番号を調べて同署に照会したところ,その番号の車両について盗難届出があったことが判明した。
③ A警察官らは,自ら車外に出ていた被告人に対し,本件自動車についての盗難手配の事実を告げ,その入手経過を尋ねたところ,被告人は,本件自動車は,最近知り合ったばかりで,住所も氏名も分からない「キヨシ」なる者から預かったものであり,自分は,最近まで同棲していた女性とけんかして家を出ていたが,家に帰るため「キヨシ」に頼んで本件自動車で送ってもらったものの,女性が不在のため家に入れず,ここで帰りを待っていたなどと説明し,その間,本件自動車の周辺を行き来しながら,携帯電話で何者かに連絡しようとしていたが,電話がつながる様子はなかった。
警察官らが被告人に車内を検査させるよう求めると,被告人は,車内に積んであった布団や毛布をめくって積載物を一覧することは承諾したが,車内又は手中にあったかばんやバッグ類を開披することは拒否し,警察官らもこれを強制することはなかった。
④ A警察官らは被告人に対し,本件自動車の窃盗の件で事情を聴きたいので松原警察署まで同行するよう求め,そのためにパトカーに乗るよう促したが,被告人は,「警察に行ってもろくなことがない。」などと言ってこれを拒み,警察官らが約20分間その場で説得しても,これに応ぜず,「女の家に行きたい。」などと述べて,その場から立ち去る気配を示したため,警察官3名程度が被告人の前方に立ちふさがり,「行っても,いないんだから,しょうがないんじゃないか。」「盗難車についての納得いくような説明をしてほしい。」などと述べると,被告人は,不承不承その場にとどまったものの,同署への同行には同意せず,携帯電話をかけるそぶりを示すなどした後,「免許証を探す。」と言って助手席ドアの横辺りにしゃがみ込み,手にしていたバッグを開けて中を探り始めた。
⑤ その様子を見ていたA警察官は,被告人は免許証を捜す気などなく,単に捜すふりをしているに過ぎないと判断し,しゃがみ込んでいる被告人の右脇の下に背後から右腕を差し込み,ぐっと引き上げるようにして被告人を立たせ,「ここは寒いから署に行こう。」などと言って,そのままパトカーの横まで10メートルくらい被告人を連れて行き,右手で被告人の腰の辺りをつかみつつ,左手で右側後部ドアを開け,被告人に乗車するように言ったが,被告人は,「行きたくない。」などと言って拒否し,足を踏ん張ったり,パトカーの屋根や同ドアを手でつかんだりして,その場にとどまろうとした。しかし,同警察官は,更に右手で被告人の腰付近を押して同ドアの方へ押しやり,「乗りたくない。」「なんでやねん。」などと文句を言う被告人の左肩を左手で軽くたたき,被告人を促して後部座席に乗り込ませ,自ら左側後部ドアを開けて被告人の左横に座るとともに,右側後部ドアの外側に来ていたB警察官を被告人の右横に座らせ,午後7時15分ころ,パトカーを発進させ,松原警察署に向かった。
被告人は,車中でも,「こんなもんは強制じゃないのか。」「こんなことしていいのか。」などと言って騒ぎ,自分の携帯電話を使って弁護士らしい人物に電話をかけ,「無理やり松原警察に連れて行かれるとこやけど,松原警察に来てくれないか。」などと告げていたが,警察官らは,そのまま同署まで同車を走行させ,その間,別の警察官が,被告人から預かった鍵を使って本件自動車を同署まで運転して行った。
⑥ 午後7時35分ころ,被告人を乗せたパトカーが松原警察署に到着し,A警察官らは,当日の当直を担当していたC警察官及びD警察官らに被告人を引き渡した。
C警察官は,当初本件自動車について被告人を取り調べたが,これを引き継いだD警察官は,以前別の警察署に在勤当時,被告人が覚せい剤に関わっているとの情報を得ていたため,本件自動車を受け取った経緯について確認するとともに,被告人に尿を任意提出するよう促したところ,被告人は,最近は覚せい剤を使用していない旨言いながらも,「なんで小便出さなあかんねや。」「さっき小便をしたところで,今すぐは出ない。」などと言って渋るとともに,「小便出したら帰してくれまっか。」などと申し入れ,D警察官が「取引はできない。」などと答えると,「これは強制ですか,任意ですか。」と聞き,同警察官が,強制ではなく,任意の手続である旨を説明した上,「ちゃんと腹くくってしなければ。」などと説得すると,ようやく「小便出るようになったら言います。」などと述べた。
⑦ その後,C警察官やE警察官が被告人を1階の駐車場に連れて行き,本件自動車を検索させて,積載物を被告人の所有物とそれ以外の物とに分けさせたところ,被告人は,約30分かけて車内を探り,スポーツバッグ1個だけを自己所有物として取り出した。
E警察官は,午後9時前ころ,被告人に指示して3階の生活安全課室まで来させ,同室で改めて尿の提出を求めたが,被告人が「今はまだ出まへんわ。」と言ったため,尿が出るまで待つことにした。
その間に警察官らは,被告人に両腕を見せるよう求めたところ,被告人は,腕を差し出したものの,写真撮影は拒否し,警察官らも写真撮影はしなかった。また,警察官らは,被告人が所持していたスポーツバッグの中身を見せるようにも求めたが,被告人は,「関係おまへんやろ。」などと言って拒絶し,警察官らもこれを強制しなかった。
⑧ 被告人は,午後10時ころ,「出ますわ。」と言って自ら尿意を告げ,警察官らとともに便所に赴き,午後10時5分ころ,尿を排泄し,午後10時15分ころ,これを提出した。この間,被告人は,ときに興奮を見せてE警察官らになだめられたり,「まだでっか。」「出したら帰ってもええんでっか。」などと早く帰宅したいそぶりを見せたりしていたが,上記⑥のとおりD警察官に尿の提出に応じる意思を示した後には,帰宅したいとの明示の申し出はしていない。
E警察官は,尿の提出終了時点で被告人を松原警察署に同行してから約3時間が経過していたため,更に被告人を同署に留め置けば任意性に疑いを抱かれるおそれがあると判断し,被告人に帰宅してもよい旨告げると,被告人は,知人と連絡を取り,午後10時30分ころ,同署を出た。
⑨ 被告人が提出した尿を鑑定した結果,覚せい剤成分が検出されたため,警察官らは,その旨記載された本件鑑定書等を疎明資料として被告人の通常逮捕状を請求し,その発付を得たので,同年4月30日,同逮捕状により被告人を逮捕した。
上記逮捕及びこれに引き続く勾留の期間中,松原警察署のF警察官らが被告人を取り調べたところ,被告人は,覚せい剤の自己使用を認め,最終使用は,覚せい剤を加熱気化させて吸引したものである旨供述した。
なお,被告人が上記⑤の点について原審公判廷において供述するところには,相当の誇張が存する旨の原判決の判断は,関係証拠に照らし,正当として是認することができる。また,被告人は,当審公判廷においても,前記同行に際し,体を押さえられて手足を自由に動かせない状態にされ,ヘッドロックをされて動けない状態にされて,パトカーに引きずられていき,無理やり2人か3人の警察官に,パトカーに押し込められた旨供述するが,同供述は,乗車時の被告人にはヘッドロックをされたような頭髪の乱れや,激しく抵抗したような着衣の乱れはなく,顔や手などが赤く腫れているような状態もなかった旨のB警察官の当審公判供述に照らし,たやすく信用できず,他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
以上の事実に基づき,以下検討する。
1 本件自動車の駐車現場における職務質問について
前記①ないし③の事実に照らすと,本件自動車が窃盗等の被害品であって,被告人がそれに関わっている可能性が認められ,被告人に対しては警察官職務執行法2条1項所定の職務質問をすべき要件が備わっていたといえる上,その方法も,被告人に声を掛けて起こし,被告人の同意を得てボンネットを開け,車台番号を確認し,積載物を一覧するというもので,被告人が開披を拒むかばんやバッグ類については,その開披を強制しなかったのであるから,手段として相当であったといえる。
2 警察官らによる被告人の警察署への同行について
前記④及び⑤の事実に照らすと,職務質問の結果,被告人が本件自動車の窃盗等に関与している疑いは一層濃くなったものと考えられ,しかも,職務質問がなされていたのは公道上であり,冬季の夕刻でもあるから,その場で質問を継続するのは被告人にとって不利益といえるので,警察官らが被告人に警察署までの同行を求めたこと自体は,同法2条2項に照らして相当であったといえる。
しかし,被告人が同署に行くことを拒み,その場から立ち去る気配を示したところ,警察官らが前方に立ちふさがってこれを阻止し,さらに運転免許証を探すと称して被告人がその場にしゃがみ込むと,警察官が背後から脇の下に腕を入れて引き上げて立たせ,そのまま約10メートル離れたパトカーの横まで連れて行き,手で腰の辺りをつかみつつ,後部ドアを開け,被告人が「行きたくない。」とはっきり述べ,足を踏ん張ったり,同車の屋根やドアを手でつかんだりして乗せられまいとするのを,腰を押すなどして後部座席に乗り込ませ,両側に警察官1名ずつが座り,「こんなもんは強制じゃないのか。」などと文句を言って騒ぐ被告人を無視してパトカーを走行させたことは,全体として,任意同行の限度を超えた被告人の意に反する連行として違法といわざるを得ない。
3 警察署における被告人の尿の提出について
前記⑥ないし⑧の事実に照らすと,被告人は,前記違法な任意同行を受けながらも,警察署において,自ら警察官に取引を持ちかけたり,採尿が任意の手続であることを説明された上でこれに応じる旨答えたり,腕の見分には応じつつもその写真撮影は拒否したり,所持していたスポーツバッグの中身の見分はあくまで拒絶したりするなど,警察官からの個々の要求に対し,諾否の意思表示を明確にしていることが明らかであって,被告人による尿の提出も,前記のような行動の一環として,不本意ながらも,警察官の説得に応じ,自らの意思で行ったものと認めるのが相当である。
4 本件鑑定書の証拠能力について
本件任意同行は,上記のとおり,違法であるところ,被告人による尿の任意提出は,任意同行に引き続いて被告人が警察署に留め置かれる状況下でなされたものであるから,本件採尿手続も違法性を帯びるといわなければならない。
しかしながら,前記認定のとおり,本件任意同行は,警察官において当初から覚せい剤事犯の捜査を目的としたというものではないこと,被告人は,警察官に対して尿の提出に応じる意思を示した後には,帰宅したいとの明示の申し出をしておらず,警察官においても被告人に対して警察署に留まることを強要するような言動には及んでいないこと,尿の提出自体は,被告人の任意の意思に基づくものであることなどの諸点に照らすと,本件採尿手続が違法との評価を免れないとしても,その程度が重大で,令状主義の精神を没却するものとまではいえず,被告人の提出にかかる尿を鑑定した本件鑑定書を証拠として許容することが,将来における違法捜査抑制の見地から相当でないともいえない。
5 以上のとおりであるから,本件鑑定書の証拠能力を否定し,被告人の自白を補強する証拠がないとし,本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるとして,被告人に無罪を言い渡した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというべきである。論旨は理由がある。
第2 自判
よって,刑訴法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により被告事件について更に次のとおり判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は,法定の除外事由がないのに,平成15年1月24日ころから同年2月3日までの間,大阪府内又はその周辺において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン又はその塩類若干量を自己の身体に摂取し,もって覚せい剤を使用したものである。
(証拠の標目)<省略>
なお,被告人は,原審公判廷において,覚せい剤自己使用の事実及びその故意を否認する趣旨の供述をするけれども,任意性に疑いのない被告人の捜査段階における各供述調書を含む上掲各証拠を総合すれば,故意の点を含め,判示罪となるべき事実を合理的な疑いを容れる余地なく認めることができる。
(累犯前科)
被告人は,平成12年7月7日大阪地方裁判所で強制わいせつ,傷害の罪により懲役1年6月に処せられ,平成14年5月7日その刑の執行を受け終わったものであって,この事実は,検察事務官作成の前科調書(乙10)によってこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示行為は,覚せい剤取締法41条の3第1項1号,19条に該当するところ,被告人には前示の前科があるので,刑法56条1項,57条により再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役1年8月に処し,同法21条により原審における未決勾留日数中240日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人には負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は,覚せい剤の自己使用1件の事案であるが,被告人は,昭和58年3月,覚せい剤取締法違反,窃盗の罪により懲役1年4月に処せられて服役した後,5回懲役刑に処せられていずれも服役し,うち平成元年12月及び平成5年5月にはいずれも覚せい剤取締法違反の罪によりそれぞれ懲役1年4月に処せられたのに,前示累犯前科の刑の執行終了から9か月足らずで本件犯行に及んでおり,被告人の規範意識の欠如と覚せい剤に対する親和性は根深く,その刑事責任は重い。
そうすると,被告人が捜査段階においては覚せい剤自己使用の事実を認め,被告人なりに反省の態度を示していたことなど,被告人のために酌むべき事情を考慮しても,主文程度の刑はやむを得ない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・近江清勝,裁判官・渡邊壯,裁判官・西﨑健児)