大阪高等裁判所 平成16年(ネ)1235号 判決 2005年8月25日
控訴人・附帯被控訴人
A野花子(以下「控訴人」という。)
訴訟代理人弁護士
渡辺和恵
同
高瀬久美子
同
段林和江
同
養父知美
被控訴人・附帯控訴人
B山松夫(以下「被控訴人」という。)
主文
一 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 前項の取消しに係る被控訴人の請求を棄却する。
三 本件附帯控訴を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人(控訴の趣旨)
主文一、二及び四項と同旨
二 被控訴人(附帯控訴の趣旨)
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 控訴人は、被控訴人に対し、六〇〇万円及びうち五四〇万円に対する平成一五年五月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。
(4) (2)につき仮執行宣言
第二事案の概要
一 本件は、大学教授の職にある被控訴人が、公刊された書籍(二冊)中には被控訴人の名誉を毀損する各記事(以下「本件各記事」という。)があり、それらは控訴人が執筆し、又は控訴人が著者に対して情報提供したことによるものであるから、控訴人による不法行為が成立すると主張して、控訴人に対し、不法行為に基づく損害賠償を請求している事件である。
原判決は、被控訴人の請求を一部認容したため、控訴人が控訴し、被控訴人が請求棄却部分の変更を求めて附帯控訴した。
二 本件の前提事実、争点及び争点に対する当事者の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」第二の一ないし三(原判決二頁四行目から一二頁六行目まで)と同一であるから、これを引用する。
三 控訴人の当審における主張
(1) 被控訴人の控訴人に対する本件の嫌がらせ等の行為は、アカデミック・ハラスメントであり、本件各記事は、アカデミック・ハラスメントについて広く社会に問題提起し、解決に向けた社会的な取組を促す目的で執筆されたものである。控訴人らの実態調査研究によれば、現在、アカデミック・ハラスメントは全国の大学において大きな問題となっており、社会的に解決されなければならない課題であることが浮き彫りになっている。それにもかかわらず、先行訴訟の各判決及び原判決が本件を単に上司と部下との確執とのみ捉え、また、原判決が控訴人の表現行為を主観的な確信にすぎないと判断したことは、アカデミック・ハラスメントに対する認識不足に由来している。控訴人は、被控訴人の控訴人に対する嫌がらせ行為をアカデミック・ハラスメントに当たると評価しており、この評価ないし意見表明は、民主主義の基礎をなす公正な論評に当たるものとして正当なものと評価されるべきである。そして、表現の自由は優越的地位を有しているにもかかわらず、原判決は、本件各記事の性質や表現の自由の優越的地位に関する認識を欠いた結果、公正な論評かどうかを判断する必要のある部分の存在は認められないとして控訴人の主張を不当に切り捨てた。とりわけ、被控訴人は、表現の自由によって批判にさらされる立場にある公務員であって、その職務行為の公正さが問われているのであるから、被控訴人の側で控訴人の「現実の悪意」(虚偽であることを知っていたか、虚偽か否かを不遜にも考慮しなかったこと)を立証しなければ、不法行為は成立しないというべきである。
(2) 控訴人は、公益目的で裁判提起の事実を広めるために、記事1の取材に応じ、また記事2を執筆したもので、名誉毀損行為には当たらない。すなわち、記事1は、ジャーナリストである宮淑子氏が、自ら、先行訴訟の意義を確信し、アカデミック・ハラスメントの問題を広く社会に問題提起し、その解決に向けた社会的な取組を促す必要性を確信し、独自の判断と責任において執筆したものであり、控訴人は情報提供をしたにすぎない。また、記事2は、控訴人が、先行訴訟の原告として実名を明らかにした上で、先行訴訟の訴えの内容を紹介し、先行訴訟の意義とともに、上記のとおりアカデミック・ハラスメントが研究機関に普遍的な問題であって、その解決に向けた社会的な取組が必要であることを訴えたものであり、「裁判闘争」の一環としての情報発信行為でもあった。先行訴訟は、控訴人が、被控訴人から教室の主任教授の地位、権力を利用したいじめや嫌がらせを受け、学内における解決を望んで救済を求めたものの、大学当局により放置されたため、やむを得ず提起したものである。また、控訴人は、研究機関における構造的な力関係に根ざす人権侵害、すなわちアカデミック・ハラスメントが研究機関に普遍的な問題であることを確信し、これについて広く社会に問題提起をし、その解決に向けた社会的な取組を促し、アカデミック・ハラスメント問題全体の解決を目指そうと、先行訴訟を提起したのであった。本件各記事は、このような意義を持つ先行訴訟を紹介し、その内容、経過を報告することを通じて、読者とともにアカデミック・ハラスメントへの取組を進めるために執筆されたものである。その結果、アカデミック・ハラスメント問題及び先行訴訟は国内外で大きく報道されて注目と関心を呼び起こし、この問題に取り組む人々のネットワークが形成され、また、先行訴訟の第一審判決、控訴審判決ともに被控訴人の嫌がらせを認定し、奈良県に対して損害賠償を命ずるという成果をもたらしたのである。原判決には、控訴人による情報発信等の行為が裁判提起にからんだ行為であって、上記のような意義と特質を有しているという点を無視した違法がある。裁判である以上、読者は、勝敗がどうなるかの関心を持って、当事者双方がそれぞれの立場で主張・立証活動をしていることを前提に本件各記事を読むから、控訴人の言い分を鵜呑みにすることはない。原判決は、前提となる事実関係が控訴人の一部勝訴に終わったという一事で控訴人による名誉毀損行為を認めているが、控訴人は、被控訴人の一連の行為が嫌がらせであり、控訴人を排除する目的があることを主張しているものであり、控訴人の主張事実を一体として捉えない原判決は極めて常識に反する。
(3) 事実の摘示による名誉毀損の不法行為については、公共の利害に関する事項にかかわり、専ら公益を図る目的に出たものである場合、摘示された事実が真実であることが証明されれば違法性がなく、真実であることの証明がなくても、行為者においてその事実が真実であると信ずるについて相当の理由があれば、故意・過失がなく、不法行為は成立しない。一方、特定の事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損については、公共の利害に関する事項にかかわり、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合、意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉毀損の不法行為としての違法性を欠き、また、前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明がないときでも、行為者において当該事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、故意又は過失が否定される。問題となっている表現が「事実」を摘示するものか、事実を前提とした「意見」を表明するものかは、「前後の文脈や、記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し」、「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張するもの」であれば、「事実を摘示するものと見るのが相当」であり、他方、そのような「証拠等による証明になじまない物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議などは、意見ないし論評の表明に属する」とするのが相当である。そして、「意見ないし論評については、その内容の正当性や合理性を特に問うことなく、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉毀損の不法行為が成立しないものとされているのは、意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものであることを考慮し、これを手厚く保障する趣旨によるものである」とされ、法的な見解の正当性それ自体は、証明の対象とはなり得ず、「法的な見解の表明は、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明の範疇に属する」のである。また、「事実」か「意見」かは、前後の文脈や記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断されるべきである。
このような見地から本件各記事をみると、控訴人が教授会の改革案に反対して基礎助手会を結成し、代表に就任したことを契機として、被控訴人が控訴人に対し、平成五年九月二二日の教室会議において地方公務員法の一部を読み上げ、「助手は教授と学長によって任命されており、その意によって辞めさせることができる」と事実に反する発言を行うなどしたこと、研究のための出張に対する妨害、研究室への不当な干渉、研究費の不当な配分、実験機器の管理・指導に対する嫌がらせ、学生実習指導への言いがかり、申請書類への押印拒否、行動監視、昇進差別、辞職・転職の強要、休暇取得の嫌がらせ、非常勤講師としての出講妨害、誹謗中傷との評価に値するような具体的な言動を行った事実は、意見ないし論評の前提となる事実であり、これらの言動が「嫌がらせ」であるとの主張は、控訴人の意見であり論評である。なぜなら、「嫌がらせ」か否かの判断は「評価」の面が強く、判断する者の主観に左右されやすいところ、「嫌がらせ」を受けたと主張する当人の「嫌がらせである」との主張は、一般の読者には、当人が当該行為を「嫌がらせと感じた」という意見・評価の表明であると受け止められるのが通常であって、こと名誉毀損との関係においては、「嫌がらせ」に当たるか否かは各々の読者の判断に委ねるのが相当と考えられ、さらに、意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものであることを考慮して、これを手厚く保障すべきだからである。なお、記事1については、ジャーナリストの著作であり、新聞社による出版物として、読者に客観的で公正なものであるとの信頼を抱かせた可能性があるが、このような読者の信頼に対する責任を問われるべきは、控訴人ではなく、著者であり出版社である。そして、これらの「嫌がらせ」がアカデミック・ハラスメントに当たるという点については、一層「思想の自由」における「論評」が期待される領域である。
上記前提事実が主要な点において真実であることは、先行訴訟の第一審判決及び控訴審判決においても認定されているとおり証明済みであり、それが「嫌がらせ」、ひいてはアカデミック・ハラスメントに当たるとの意見・論評が人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものとまではいえないから、名誉毀損の不法行為は成立しない。この点、原判決は、「嫌がらせ」であるとの控訴人の意見を事実問題であるとする前提に立ち、「嫌がらせ」であることの真実性の証明がないとして不法行為の成立を肯定しており、前提において誤りがある。特に、非常勤講師としての出講を妨害されることは、助手である控訴人にとっては、昇任のために必要な教育歴においてゼロ査定を受けることを意味するのであって、単なる嫌がらせにとどまるものではない。
(4) 仮に本件各記事が意見ないし評価の表明ではないと判断されるとしても、先行訴訟第一審判決及び同控訴審判決から明らかなとおり、本件各記事は、真実であるか、又は控訴人において真実と信ずるにつき相当の理由があったと認められるから、いずれにせよ不法行為は成立しない。
この点、原判決は、先行訴訟の判決の結果のみを根拠に名誉毀損の成否を判断しているが、本件各記事の真実性及び真実と信ずるについての相当の理由の有無について独自に事実認定をしていない上、後日出された判決が控訴人の一部勝訴判決にとどまったことのみをもって事後的に名誉毀損と評価する誤りを犯している。
(5) また、仮に先行訴訟の判決の結果を前提にするとしても、原判決は、先行訴訟第一審判決の評価を誤り、真実と信ずるについての相当の理由の有無に関する判断をも誤っている。
本件各記事は、被控訴人による①研究出張への妨害、②実験機器の管理、指導に関する嫌がらせ、③申請書類の押印拒否、④学生実習指導への言いがかり、⑤昇進差別、⑥兼業妨害、⑦他分野への応募を迫る、⑧休暇取得の嫌がらせ、⑨誹謗中傷等があったという内容のものであり、いずれも控訴人が先行訴訟で主張していたことを九項目に要約して紹介したものである。これに対し、先行訴訟第一審判決は、被控訴人の行為の重要なものについて嫌がらせであると認定しており、加えて、嫌がらせ行為と認定しなかった行為についても、違法というほどではない、直ちに嫌がらせとまではいえないといった理由で違法でないと判断したにとどまる。したがって、原判決のように先行訴訟第一審判決を前提にするとしても、真実と信ずるについての相当の理由があることは明らかである。原判決は、控訴人が被控訴人による嫌がらせ行為であると信じたことにつき、先行訴訟第一審判決の評価を誤ったために、控訴人の嫌がらせとの確信は主観的な確信にすぎないと誤った認定をしている。さらに、原判決は、本件各記事が憲法で保障される表現の自由や裁判を受ける権利にかかわり、真実と信ずるについての相当性の判断において緻密さを要求されるにもかかわらず、被控訴人から嫌がらせを受けたとの控訴人の主張を主観的な主張にすぎないと捉えて、緻密に認定することなく、かつ、被控訴人の控訴人に対する勤務状況に関する指導、研究室の管理・監督に関する指示及び他大学への応募の勧奨が正当な人事ないし施設管理上の権限行使等であったと誤って評価し、判断の根拠としているのであって、先行訴訟第一審判決の評価を誤り、相当性の判断の基礎となる事実を誤認するもので、違法である。
(6) 被控訴人は、原判決が認定した慰謝料額が過少である旨主張するが、具体的な被害を主張しておらず、出版社や取材ジャーナリストに対して訴訟提起していないことからしても、上記主張には理由がない。
(7) 被控訴人が本件訴訟を提起した目的は、懲戒処分を免れることにある。
記事1は平成一二年三月一日に、記事2は同年一〇月一五日にそれぞれ発行された出版物の記事であり、被控訴人は初版から本件各記事の存在、内容を知っていた。それにもかかわらず、被控訴人が本件訴訟を提起したのは、それから三年も経過した平成一五年二月二八日である。この間に先行訴訟は、平成一四年一〇月一〇日に被控訴人の違法行為を認定した判決が最高裁判所で確定している。被控訴人は、当事者間で裁判が係属中である場合には、その一方に対して懲戒処分を課すことが困難である点に着目し、先行訴訟で認定された違法行為について懲戒処分を受けることを免れるため、平成一三年二月には、控訴人を相手に別件訴訟(奈良地方裁判所平成一三年(ワ)第八五号)を提起し、さらに、本件各記事を知ってから三年も経過した平成一五年二月になって本件訴訟を提起したものと考えられる。
四 被控訴人の当審における主張
(1) 本件各記事は、控訴人の県立医大における処遇の改善(管理者に拘束されない執務環境の確保、昇進等)と被控訴人の同大学及び奈良県における信用の失墜を意図したものであって、公益を図る目的によるものとは認められない。原判決は、既に先行訴訟控訴審判決でその信用性が否定された控訴人の陳述書(甲二四)を基にし、客観的事実をことごとく無視して公益目的を認定したにすぎない。
(2) 先行訴訟の第一審判決も控訴審判決も、アカデミック・ハラスメントとなる要因が全く存在しないと判断しており、最高裁判所においても支持されている。それにもかかわらず、控訴人は、先行訴訟を我が国で初めての「アカハラ訴訟」と位置づけ、同訴訟をアカデミック・ハラスメントの典型に当てはめるため、被控訴人を加害者に仕立て上げ、自らをアカデミック・ハラスメントの被害者として描くことで、大学教授である被控訴人と直属の部下である控訴人との間にある構造的な力関係に基づく構造的ないじめであると喧伝した。
(3) 「事実」とは、ある特定のものについての現実の事実又は行為を叙述した表現であって、その事実又は行為の真偽を客観的に証拠により確定できる性質を有するものを指し、「論評」とは、前提となる事実に対しての人の評価をいうとされている。また、名誉毀損表現が意見表明の形でされた場合でも、表現の全体から判断すれば、事実を摘示していると考えられる場合も多いとされている。このような観点からすれば、本件各記事における表現は、そのような事実が実際に存在したか否か(その事実に基づく表現が真か偽か)で判断される事実であり、そこには証拠等による証明になじまない法的見解の表明も規範的事実も存在しない。よって、控訴人が本件各記事は意見ないし論評の表明であると主張するのは誤りである。
また、本件各記事の真実性を判断するに当たり、原判決が先行訴訟における裁判所の判断を根拠にしたことは合理的であり、本件訴訟において審理の蒸し返しをすることは不要である。
(4) 控訴人は、本件各記事の事実関係に直接関係しているのであるから、ある事実の当事者でない第三者が当該事実について真実と信じた場合に問題となる上記相当の理由の有無による基準を適用して責任を免れることは不当である。
(5) 控訴人は、表現の自由の他の人権に対する優越的地位を強調するが、名誉権と表現の自由とは、ともに憲法で保障された対等の権利であり、かつ、名誉権の行使は他人に対していかなる害悪も生み出さない受動的立場に立つ権利であるから、むしろ一層慎重な保護が必要とされる。
(6) 先行訴訟控訴審判決においては、被控訴人の唯一の違法行為として、控訴人の奈良文化女子短期大学への兼業承認申請書に対する被控訴人の押印拒否の事実が合理性を欠くと指摘されている。しかし、被控訴人は、控訴人の兼業の実態(兼業のための出張日、兼業による本務への支障の有無・程度など)を確認するため、控訴人に説明を求めたが、控訴人の説明が遅れたために被控訴人の押印も遅れたというにすぎないのであって、控訴人に対する嫌がらせに当たるものではない。
(7) 本件各記事の内容は、読者に対し、被控訴人が部下である女性助手に対して破廉恥な行為や「アカハラ」を行ったという虚偽の印象を植え付けるものであり、そのまま永久に全国に存在し続け、被控訴人が長年にわたり真摯に培ってきた研究者、大学の教育者、地域社会での学識経験者としての高潔なイメージと信用を大きく毀損したこと、このように台なしにされた被控訴人の人生・研究・教育の集大成における最も貴重な時期(教授就任の時期)が絶対に取り戻せないという実情、被控訴人に現実に生じた大学内外における研究活動等に対する支障、被控訴人の社会的地位や名誉・信用等を考えると、被控訴人が被った精神的苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。上記のような被控訴人の精神的苦痛を金銭に見積もれば、損害額が六〇〇万円を下ることはあり得ない。
原判決は、被控訴人にも、違法な嫌がらせを行ったり、控訴人に対する素直ならざる感情を抱いていたことが窺われるところ、これら被控訴人の控訴人に対する態度が本件各記事に結びついた面があるなどと判示して、被控訴人に生じた精神的苦痛に対する慰謝料は三〇万円で足りるとしているが、被控訴人の損害の深刻さを著しく過小に評価するものであり、承服できない。先行訴訟においては、第一審判決、控訴審判決のいずれにおいても、被控訴人は控訴人に対し公務員として当然に要求される各種義務の履行や手続の履践を求めたにすぎないことが認定されており、原判決の上記判示は事実誤認である。
(8) 控訴人は、被控訴人の本件訴訟提起が懲戒処分を免れる目的で行われたものであると主張するが、事実無根の言いがかりである。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(本件各記事が被控訴人の名誉を毀損するものであるかどうか)について
(1) 記事1について
記事1のうち、「B山教授が公衆衛生学教授に就任した一九九三年以来、約四年半にわたる数々のいやがらせが始まった。いやがらせの契機は、A野さんが中心になって基礎助手会を結成し、大学当局が検討していた教授会の改革案に反対を表明したことに始まっている。研究出張への妨害、実験機器の管理・指導に対するいやがらせ、申請書類への押印拒否、学生実習指導への言いがかり、昇進差別、兼業の妨害、他分野への応募を迫る、休暇の取得へのいやがらせ、誹謗中傷など、陰険極まりないものだった。」、「意見を表明する人間は目障り」との見出し、「「とにかく、自分を一人前の研究者だと主張し、研究の自由や大学の問題に口を挟んだり、意見を表明する私が目障りで、教育・研究の場から追い出したかったのでしょう」とA野さんは言う。」、「万年助手できたA野さんは、いま五十歳を迎えようとしている。「私の場合、波風をたててもたてなくても、助手のままですし、職場の花と言われる年齢はとうに過ぎて、“ドライフラワー”の年齢になっていますから、こういう年代の女性は目障りだから、追い出そうとしているんじゃないかしら」」との記載は、記事1の他の部分の記載と相まって、A野助手が中心となって基礎助手会を結成し大学当局の方針に反対を表明したことを契機に、B山教授がC川大公衆衛生学教室からA野助手を追い出すことを目的として、A野助手に対し、上記のような数々の嫌がらせを執拗に行っていることを断定的に摘示するものであり、また、「A野さんが、所属講座のB山教授と奈良県を相手どって、研究妨害、昇進差別、名誉毀損などに対する五百五十万円の損害賠償請求を起こした。」、「四年半、耐えに耐えた後で裁判を起こしたA野さんは、「裁判を起こしたために、相手はいやがらせのいくつかを止めたのですから、それだけでも心理的には楽です。(中略)」と言う。」との記載は、訴訟提起により被控訴人の嫌がらせが一部なくなったことを摘示するもので、B山教授による嫌がらせの事実の確からしさを補強するものである。
記事1においては、当事者を単に「A野さん」、「B山教授」とイニシャルをもって表示しているものの、嫌がらせがあったとされる職場が「C川大学公衆衛生学教室」であることが明記されている上、上記のイニシャルをも併せてみれば、控訴人及び被控訴人と面識を有する読者のみならず、広く大学関係者を中心とする不特定多数の読者においても、記事1の当事者が控訴人と被控訴人であることを知ることは困難ではないものと認められるから、記事1は、被控訴人に関する事実・行動を摘示したものということができる。
上記によれば、記事1は、教授である被控訴人が、自己の教室に所属する助手の控訴人に対し、控訴人が中心になって基礎助手会を結成し、大学当局の方針に反対を表明したことを契機に、目障りな控訴人を教室から追い出そうという不当な目的をもって、数々の執拗な嫌がらせ行為を行っていることを述べたものであるから、これが一般の読者の読み方からして被控訴人の社会的評価を低下させる性質の記事であることは明らかであり、被控訴人の名誉を毀損するものと認められる。
(2) 記事2について
記事2のうち、「一九九八年三月二四日、私は大阪地裁に公衆衛生学講座B山教授と奈良県を被告として、B山教授の四年半にわたる種々の嫌がらせに対する五五〇万円の損害賠償請求の訴えをおこした。こういう形で問題を公然化させる以外に解決の道はないと思い切ったからである。」、「B山教授は、当初は、「今まで通りにやって下さい」とは言っていたものの、追従せず時には批判もする私が気にくわなかったのであろう、半年後くらいから助教授・講師を味方につけて私を攻撃するようになった。」、「契機は、大学の教授会から非教授を除外するという動きに反対して、基礎助手会を結成し、私がその代表になったことである。一九九三年九月二二日、基礎助手会結成の翌々日、公衆衛生学教室の教室会議でB山教授は地方公務員法の一部を読み上げて「教務職員は教授が辞めさせることができる。助手は教授と学長によって任命されており、その意によって辞めさせることができる。講師・助教授・教授は知事が任命権者になっており、順に上に行くほど辞めさせられにくい」と事実に反することをいい、さらに「A野の使用している研究室にだれもが自由に出入りする、机や戸棚にはカギをかけないでおくように」、「A野が管理している機器は無断で誰が使ってもよい。壊れてもかまわない」などの無茶苦茶を教室員の圧倒的多数で決め、また、「行先表示板を新たに設置するから、学内であっても三〇分以上席を離れる時にはそこに行き先を明示すること」も決め実行した。これらは、おそらく、いやまちがいなく、助手会活動への恫喝、監視の意図であったろう。」、「助手会活動が休止しても、B山の私への嫌がらせはあの手この手でずっと続いた。訴状の項目を列挙してみると、研究のための出張の妨害、研究室への不当な干渉、研究費の不当配分、実験機器の管理・指導に対する嫌がらせ(中略)、非常勤講師としての出講妨害、誹謗中傷などである。」との記載は、他の部分の記載とも相まって、B山教授が自己の教室に所属する助手である著者に対し、不当な目的をもって数々の嫌がらせを執拗に行ったことを断定的に摘示するものである。
記事2においても、被控訴人は「B山教授」と表示されていて実名は明らかにされていないものの、嫌がらせがあったとされる職場が「C川大学公衆衛生学教室」であることが明記されている上、著者である控訴人の本名の経歴も明らかにされており、「B山教授」というイニシャルをも併せてみれば、控訴人及び被控訴人と面識を有する読者のみならず、広く大学関係者を中心とする不特定多数の読者においても、記事2の当事者が控訴人と被控訴人であることを知ることは困難ではないものと認められるから、記事2は、被控訴人に関する事実・行動を摘示したものということができる。
上記によれば、記事2は、教授である被控訴人が、助手である控訴人に対し、控訴人が基礎助手会を結成しその代表になったことを契機に、不当な目的をもって行動監視、誹謗中傷その他数々の嫌がらせ行為を執拗に行っていることを述べたものであるから、これが一般の読者の通常の読み方からして被控訴人の社会的評価を低下させる性質の記事であることは明らかであり、被控訴人の名誉を毀損するものと認められる。
なお、控訴人は、本件各記事が先行訴訟において嫌がらせを受けたと主張して係争中の控訴人による表現であることを理由に、控訴人の主張の当否は一般の読者が判断すべき事柄であって被控訴人に対する名誉毀損には当たらないと主張するもののようにも解されるが、既に説示したとおり、本件各記事は、先行訴訟における当事者双方の主張を並列的に紹介したり、被控訴人側の反論をも併せて掲載したりするものではなく、被控訴人による嫌がらせ行為が執拗に行われたことを断定的に摘示する内容のものであるから、一般の読者の通常の読み方からして、摘示されているような行為があったものと受け取るのが自然であると解されるのであり、訴訟において係争中であることが記事中で述べられているからといって、被控訴人の社会的評価を低下させないということはできない。
二 争点(2)(本件各記事が公共の利害に関する事実に係るものであるかどうか、及び専ら公益を図る目的に出たものであるかどうか)について
(1) 本件各記事は、C川大という公の教育機関の内部における、いずれも公務員である教授と助手との間の紛争及び同紛争をめぐる先行訴訟の提起とその経過を読者に伝える内容のものであり、公共の利害に関する事実に係るものであると認められる。
(2) 《証拠省略》によれば、記事1は、宮淑子著の「新版セクシュアル・ハラスメント」と題する書物の中の記事、記事2は、「巨大情報システムを考える会」編による「グローバル化のなかの大学」と題する書物の中で「“アカハラ”を訴える!」と題して控訴人が執筆した記事の一部であり、いずれも、アカデミック・ハラスメントと呼ばれる大学等の研究教育の場における権力関係を背景とした上司(教授・助教授等)からの嫌がらせ等を一般読者に認知させることを意図し、その一事例として、控訴人と被控訴人との紛争が取り上げられていること、控訴人は、被控訴人との紛争が自己に特殊な事例ではなく、多くの研究機関において生じている同種の問題の一つであると理解し、そのような問題意識の中で、記事1に係る情報を著者に提供し、記事2を自ら執筆したものであり、記事1に係る著者も同様の問題意識を持って同記事を執筆したものであることが認められる。これらの事実によれば、本件各記事は、公益を図る目的に出たものということができる。
三 争点(3)(本件各記事の真実性ないし真実と信ずるについての相当の理由の有無(意見ないし論評の表明にわたる部分については公正な意見・論評の範囲内であるかどうか))について
(1) 事実の摘示と意見・論評の表明について
事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される。一方、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきであり、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があれば、その故意又は過失は否定される。そして、問題とされている表現が事実を摘示するものと意見ないし論評の表明とのいずれの範疇に属するかについては、当該表現が証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的又は黙示的に主張するものと理解されるときは、当該表現は、上記特定の事項についての事実を摘示するものと解するのが相当であり、他方、上記のような証拠等による証明になじまない物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議などは、意見ないし論評の表明に属するというべきである。また、法的な見解の正当性それ自体は、証拠等による証明の対象となり得ないものであり、かつ、意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものであって、これを手厚く保障する必要があることからしても、法的な見解の表明それ自体は、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明に当たるものというべきである(以上につき、最高裁昭和四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁、最高裁昭和五八年一〇月二〇日第一小法廷判決・裁判集民事一四〇号一七七頁、最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二五二頁、最高裁平成九年九月九日第三小法廷判決・民集五一巻八号三八〇四頁、最高裁平成一六年七月一五日第一小法廷判決・民集五八巻五号一六一五頁)。
そこで、本件各記事についてみると、記事1については、控訴人が中心となって基礎助手会を結成し大学当局の方針に反対を表明したことを契機に、被控訴人がC川大公衆衛生学教室から控訴人を追い出すことを目的として、控訴人に対し、研究出張への妨害、実験機器の管理・指導に対する嫌がらせ、申請書類への押印拒否、学生実習指導への言いがかり、昇進差別、兼業の妨害、他分野への応募の強要、休暇の取得への嫌がらせ、誹謗中傷など数々の嫌がらせ行為を執拗に行っており、被控訴人のこれらの行為について、控訴人が損害賠償請求訴訟を提起したという事実を摘示した上で、被控訴人のこれら不当な動機・目的に基づく行為が控訴人に対する嫌がらせと評価すべき違法な行為であって、いわゆるアカデミック・ハラスメントに当たるという法的な見解を意見ないし論評として表明したものであり、記事2についても、控訴人が基礎助手会を結成してその代表になったことを契機として、被控訴人が控訴人に対し、不当な動機・目的をもって、研究のための出張の妨害、研究室への不当な干渉、研究費の不当配分、実験機器の管理・指導に対する嫌がらせ、非常勤講師としての出講妨害、誹謗中傷など数々の嫌がらせ行為を執拗に行っており、被控訴人のこれらの行為について、控訴人が損害賠償請求訴訟を提起したという事実を摘示した上で、被控訴人のこれら不当な目的に基づく行為が控訴人に対する嫌がらせと評価すべき違法な行為であって、いわゆるアカデミック・ハラスメントに当たるという法的な見解を意見ないし論評として表明したものであると解するのが相当である(したがって、本件各記事に見られる嫌がらせ、妨害、言いがかり、誹謗中傷等の表現は、一方では、被控訴人の主観的な動機・目的を述べたものとして事実の摘示に当たるとともに、他方では、控訴人が被控訴人の言動に対する意見・評価を述べたものとして意見・論評の表明にも当たるとみるのが相当である。)。
上記の点に関し、控訴人は、被控訴人の数々の言動が嫌がらせであるとの主張は、控訴人の意見ないし論評の表明に当たる旨主張する。この点については、たしかに、被控訴人の言動が控訴人の人格権等を侵害する違法な行為である、あるいはいわゆるアカデミック・ハラスメントに当たる旨の控訴人の主張を記載した部分は、控訴人の法的な見解を意見ないし論評として表明したものと解することができ、また、控訴人が被控訴人の上記言動を自己に対する嫌がらせに当たると評価している旨の記載部分も、被控訴人の動機ないし目的及び言動に対する控訴人の意見・論評を表明したものと解するのが相当である。これに対し、被控訴人の客観的な言動の有無・内容及び程度についてはもとより、これらの言動を行った際に被控訴人が有していた主観的な意図ないし目的(控訴人を追い出そうとする目的その他控訴人に対する嫌がらせの意図・目的があったか否かなど)については、控訴人の法的な見解あるいは意見・論評を表明したものではなく、証拠等により証明することが可能な事項というべきであるから、事実の摘示に当たると解するのが相当である。控訴人の上記主張が、被控訴人が有していた主観的な意図ないし目的がどのようなものであったかという点についても意見ないし論評の表明に当たるとの趣旨であるとすれば、その限りにおいて上記主張は採用することができない。
また、控訴人は、本件各記事が先行訴訟において嫌がらせを受けたと主張して係争中の控訴人による表現であることを理由に、嫌がらせであるとの主張は意見・評価の表明に当たるとも主張する。しかし、表現主体が訴訟において係争中の当事者であることは、その表現が事実を摘示したものではなく意見・評価を表明したものであることの根拠となるものではないし、本件各記事が、被控訴人が控訴人に対し不当な目的をもって数々の嫌がらせ行為を執拗に行ったことを断定的に摘示していることは既に説示したとおりであるから、控訴人の上記主張が、被控訴人が有していた主観的な意図ないし目的がどのようなものであったかという点についても、訴訟で係争中であることを理由に意見・評価の表明に当たるとの趣旨であるとすれば、上記主張は採用することができない。
(2) 本件各記事の真実性等について
ア 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(ア) 被控訴人は、C川大の細菌学教室の助教授であったが、同大学の公衆衛生学教室の先任教授の退官に伴う同教室の教授選考に応募し、被控訴人を含む候補者二名の中から教授選で選ばれて、平成五年四月一日、同教室の教授に就任し、同教室の助手であった控訴人の直属の上司となった。上記教授選に先立ち、控訴人は、基礎医学の教室に所属する医師資格を持たない助手、講師らの有志約二〇名とともに、自らが中心となって、教授選の公募要綱の「医師であることが望ましい」との条件が、非医師研究者の応募の機会を奪い多くの優秀な人材の登用の機会をも妨げるとして、再考と再公募を求める旨の要望書を作成して選考委員長宛に提出し、また、学長を訪れ、被控訴人が公衆衛生学教室の教授として適任でないなどの理由から、再公募を求めていた。
なお、被控訴人は、上記教授選の終了後、引継ぎのため面談した先任教授から、控訴人が被控訴人が公衆衛生学教室の教授に就任することを望んでいなかったことなどを聞かされた。
(イ) 被控訴人は、上記教室の教授に就任した後、教室員らに対し、研究概要の提出、実験室や器具等の平等・円滑な使用及び被控訴人自身の実験場所の確保等を求めたほか、講座研究費の使用、研究プロジェクトの実施、研究室や共有施設の使用、各人のスケジュールの管理等に関し自己の方針を示した。また、被控訴人は、同月八日、教室員との個別面談の一環として控訴人と面談したが、その際、控訴人は、上記教授選に当たって自らが中心となって作成し、選考委員長宛に提出した上記要望書の趣旨について説明し、かつ、被控訴人が公衆衛生学について未経験であるなどと述べた。他方において、控訴人は同教室内の第二研究室を使用することとされていたところ、同研究室には公費で購入した機器もあり、他の研究員らの使用が許されていたにもかかわらず、不在時に同研究室を施錠し、室内に家族の写真を複数飾っていた上、不在のことが多く、他の研究者らは、控訴人の承諾がないと同研究室内の機器等を使用できなかったなどのため、被控訴人ともども、控訴人に対して批判的であった。また、被控訴人は、控訴人が休暇届等正規の手続をとらずに休んだり、出張したりするほか、欠勤や所在不明のことも多いため、控訴人の勤務態度に問題があると考えるようになった。
(ウ) 平成五年九月二〇日、基礎医学系の教室の助手らによって基礎助手会が結成され、控訴人がその代表となった。
(エ) 同月二二日、教授会の報告や公衆衛生学教室における設備の管理等に関する協議のため、同教室の教室会議が開かれた。被控訴人は、同教室会議において、地方公務員法の抜粋の写しを配付した上、公務員の守秘義務、服務規律等に関する同法の条項を読み上げ、教室員ら対して公務員としての義務等を説明し、無断欠勤や兼業届に関する注意を促すとともに、教職員の任命権者にも触れ、上司の命令には忠実に従わなけばならないこと、職務命令違反は懲戒処分の対象となることなどを説明した。その際、被控訴人は、「任命者が降任・免職・休職等の処分をすることが地方公務員法で決まっている。」、「教務職員は教室の教授が任命しているので、免職できるようになっている。」、「任命者は、助手については教授で、学長からの同意(が必要)となっている。」などと発言した。さらに、被控訴人は、第二研究室並びに同室内にある機器及び原子吸光装置を控訴人以外の者も使用できるように提案し、「A野さんの部屋は、今、お使いになっておられるお部屋ですが、あれは、みなさんが、公衆衛生学の教室にあるものであって」、「だから、ここをちょっと皆さん(に)開放すると、機械が故障することをA野さんは非常に心配されておりますが、こちらの責任で直させますし、D原先生、どう思われるか、個人的にお話ししてください。」と発言し、D原が「あたかもプライベートルームみたいになっているから。」と言い、控訴人が「E田さんが、こちらに移られたからでしょ」、「だから、今まで黙って入って第一内科学教室(の人)が無茶苦茶したからです。」と、機械が故障することを理由にこれに抵抗したが、B野が「自分の家族の写真をぺたぺた貼っている。」、「黙って入っていけないのか。」、「だから、無茶苦茶になって、壊れてもいいて言うてんのやで。」と反論し、被控訴人が「黙って入るのが、自分の教室の共有、共有部門だと思うよ。」、「故障したら、教室の責任で、あなたの研究費に支障のない範囲で、ちゃんと私ら責任持って直します。」などと発言し、控訴人は、被控訴人が上記のとおり、故障したときは教室の責任で修理する旨述べたため、上記提案を承諾し、さらに、ドアを開けておくことを了承した。また、被控訴人は、「教室の名札は電話があるところへ一括して管理することが一番いいんだ」、「無断欠勤、それから無断退出になりますが、一時間以上は、必ずその名札の下に書くところを設けますから、書いていただきたい。そういったものが八時間たまりますと、有給休暇一日に相当すると、解釈されますので、その旨ご了承ください。」、「それから、下に一時間以上は、職場を離れる場合は、必ずそこに書いておくと」、「一時間以上無駄なことをしていれば有給休暇だから、引かせていただく。」と提案し、新たに教室員の所在が分かる行先表示板を設けることを決定した。
(オ) 被控訴人は、平成五年一二月二八日に控訴人の姿を見なかったことから、教務職員のロッカーに「一月四日に控訴人が休むのか。休むのであれば、無断欠勤になるが確かめてください。」などとの趣旨のメモを貼った。控訴人は、平成六年一月四日、出勤して上記メモを見つけた。また、控訴人が、行先表示板に「休み」と記載して同年八月八日に欠勤したところ、被控訴人は、同表示板の控訴人の名札の横に「無断欠勤を説明せよ」と記載した。
(カ) 被控訴人は、教授就任以来、教室員らの研究を各自の自由にしてきたが、教室員らがしている研究内容を把握する必要があると考え、平成六年三月四日の教室会議において、教室員らに対し、研究課題を説明するように求めるなどした。これを受けて、同年四月一八日の教室会議の席上、控訴人は研究課題を説明したが、その場にいた講師から控訴人の研究に問題がある旨の指摘がされて口論となり、被控訴人は、上記講師の意見に同調した。控訴人は、これ以降、自分の研究に関して被控訴人に説明することはなかった。
(キ) 控訴人が出張中であった平成六年八月三〇日ころ、蛇口部分が破損して内容液が漏出し続けたままの「一般重金属廃液入れ」とラベルされた実験廃液の容器が第三研究室内のテーブル下から発見されたため、被控訴人は、教室員らに尋ねるなどした結果、控訴人が同廃液を使用していたものと判断し、「自分で出した廃液は自分で責任をもって管理されるよう」との貼り紙を付けて控訴人の部屋の前室へ移動した。これに対し、控訴人は、上記廃液は自分のものではなく一〇年以上も前から置いてあったものである旨、不審な点があれば出張中に部屋に置いておくのでなく直接尋ねてほしい旨を記載したメモを被控訴人に渡した。
(ク) 被控訴人は、公衆衛生学を専攻する中国人留学生のため、控訴人の部屋の前室を専属スペースとすることを決め、控訴人もこれを了承していたことから、控訴人に対し平成七年六月半ばには同室の一部を明け渡すよう要請していた。ところが、約束の時期が来ても机の下やコンクリートテーブルの下には控訴人の私物が置かれたままになっていたため、被控訴人は、同月一六日、控訴人の不在時に、他の教室員らの立会の下、これらを移動させた上、期限を過ぎたので明けさせていただいた旨記載したメモを控訴人の机の上に置いた。
(ケ) 被控訴人は、平成七年一〇月に行われる予定であった平成七年度の学生実習発表会を同年九月二五日に変更したが、控訴人は、この変更の事実を把握しておらず、当日の発表会に欠席した。被控訴人は、行先表示板の控訴人の欄に「教員ならば実習発表会に参加して下さい。」との書込みをした。
また、平成九年度の学生実習発表会は同年一〇月一三日に開かれたが、控訴人は、学生による資料準備の遅れ等のため、二〇分程度遅刻した。このため、被控訴人は、控訴人に対し、「実習発表の時間内に、みだりに遅れて出勤したり自分が指導しているグループの発表に必要とする資料のコピーをするような教育公務員としてきわめて不適切な行為をしないようにすること」と記載したメモを渡した。
(コ) 被控訴人は、平成七年から平成一〇年までの間、控訴人の研究室の机の上に、他の大学の助教授等の応募書類を複数回にわたって置くなどし、その際、「エイノ殿 母校の方もあります。APPLYされては如何? 主任」、「エイノ君 よければ応ボされては如何でしょうか?」などと記載した応募を勧めるメモを添えることもあった。また、被控訴人は、医師免許を持っていない控訴人に対し、医師の資格を条件とする職務への応募を勧めたり、管理栄養士の資格を要する講師等への応募書類と「エイノ君 応ボされては如何でしょう?失礼ですが、万一資格がないようでしたら、とってでも応ボされるというのはどうでしょうか?」とのメモを置いたこともあった。
(サ) 平成七年一〇月三〇日の教室会議(控訴人は欠席)において、教室員らの要望により、控訴人が使用している第二研究室の仕切りを取り払うこと、講座研究費を出勤状況に比例して配分することなどが決められた。
被控訴人は、上記教室会議の結果を「教室会議報告事項」と題する書面にまとめ、これを同年一一月一日、控訴人の机の上に置いた。同書面には、平成八年度からは講座研究費をC川大への出勤状況に比例して個々の教官に配付することになり、欠勤した場合は、その日数に比例して公費負担による研究費の配分額が減額される旨、教室を一時間以上にわたって離れる場合には必ずどこにいるのか明記されたい旨などが記載され、さらに、要望事項として、「休暇が多くて、大学中央研究室としての機能が麻痺しています。速やかに原子吸光室の鍵を管理教室の所定の図書室の引き出しに返還して下さい。研究室の改造が比較的安価になされる最後のチャンスかもしれません。先生が退任されても研究室は残ります。第二研究室の仕切を取り払っていただくよう皆さんが望んでいます。」との旨が記載されていた。
(シ) 控訴人が平成七年一二月二七日に欠勤したところ、被控訴人は、翌二八日、「エイノ君本年(一九九六年)から休暇や出張は上司にまず伺いをたて、許可を受けるのが原則です。必ずいかなる場合もそうして下さい。」などと記載したメモを控訴人の机の上に置き、先行表示板の控訴人の欄に「休日で上司の命令etcで出勤した場合を除き、その代休は法規では認められておりませんので、一九九六年度から無断欠勤扱いとなりますので銘記しておくように!!」と記載し、平成九年一〇月二三日、控訴人が体調が悪くファックスで病欠の届けをしたところ、被控訴人の命により「病休は診断書を提出してください。」との伝達を受け、平成一〇年一月には、控訴人が入試の監督業務の代休として欠勤したところ、被控訴人は、このような場合の事務届出の方法について総務に尋ねた上で、「エイノ君時間外出勤の代休をとる権利は認めますが公務員である以上上司への許可願いが必要となるのではないでしょうか? 下記書類に代休と書きA田さん(教務職員)に提出されたし」とのメモと届出用紙を机の上に置き、そのころ、控訴人が、被控訴人の押印のない特別休暇の届出につき押印を得て再提出したところ、被控訴人は、職員服務規程の改正に関する書類(特別休暇の項にマーカーが引かれたもの)に「エイノ君、総務よりマーキングペンのところ、よく認識して従来どおり所属長の許可、承認するように徹底するようにとのことです」とのメモを付けて机の上に置いた。なお、平成五年から平成一〇年ころまでの間、被控訴人、D原助教授、B野講師から有給休暇の届出がされたことはない。
(ス) 被控訴人は、平成八年一一月及び平成九年一〇月の二度にわたり、控訴人が提出した実験用動物の購入申請書の主任欄に押印することを遅らせた。
(セ) 控訴人は、被控訴人も了承していた京都大学医学部の助手との共同研究のため、平成九年二月二五日、被控訴人に対し、同月から三月にかけて同大学へ出張したい旨要請したが、被控訴人は、「本学で出勤して仕事をして下さい」などと記載したメモを控訴人の机の上に置いて、出張を認めなかった。控訴人は、再度口頭で出張を要請したが、被控訴人はこれを承諾しなかった。また、被控訴人は、同年三月の岡山大学での研究会への出席を控訴人に命じ、控訴人はこれを承諾して二日間岡山へ出張したが、手続上の不備により控訴人に旅費は支給されなかった。さらに、同年七月九日の京都大学への出張につき、控訴人は被控訴人に事前の承諾をとろうとしたものの、被控訴人が会議等に出席していたため会えず、事後報告になったところ、控訴人は、被控訴人から指示されて年休届けを提出した。
(ソ) 被控訴人は、平成一〇年二月、控訴人から提出された奈良文化女子短期大学の兼業承認願につき、リアルスケジュールがない、本業に支障があるなどとして、押印を拒否した。そのため、控訴人は、同大学で予定されていた第一回目の講義を休講にせざるを得なかった。
被控訴人は、平成一〇年二月一七日、行先表示板の控訴人の名札の横に、「大学に出られたら札を変えるようにして下さい。公の規則は協調性をもって守るように。主任」と書いた。
(タ) 被控訴人は、控訴人には講師相応の業績がなく、教育や研究に携わる適性・資質に欠け、さらに控訴人の勤務状況が悪いとして、控訴人を学内講師に推薦しなかった。
イ 前記第二の二の前提事実及び上記ア認定の事実に基づき、被控訴人が名誉毀損に当たると主張する本件各記事の真実性について検討する。
(ア) 本件各記事の記載に沿う客観的事実があるか否かについてみると、次のとおりである。
① 本件各記事のうち、控訴人が被控訴人及び奈良県を相手に、損害賠償請求訴訟を提起した旨の記載は、前記前提事実のとおり真実と認められる。
② 記事1のうち、嫌がらせの契機が控訴人が中心になって基礎助手会を結成し、大学当局が検討していた教授会の改革案に反対を表明したことに始まるとの記載に関しては、上記ア(ア)ないし(ウ)認定のとおり、控訴人が、教授選の公募要綱の条件や被控訴人が公衆衛生学教室の教授に就任することに反対していたこと、平成五年九月二〇日に基礎助手会が結成され、控訴人がその代表となったこと、被控訴人も控訴人のこのような動きや見解を認識していたことが認められる。
③ 記事1のうち、研究出張への妨害との記載に関しては上記ア(セ)の事実が、実験機器の管理・指導に対する嫌がらせとの記載に関しては同(エ)の事実が、申請書類への押印拒否との記載に関しては同(ス)の事実が、学生実習指導への言いがかりとの記載に関しては同(ケ)の事実が、昇進差別との記載に関しては同(タ)の事実が、兼業の妨害との記載に関しては同(ソ)の事実が、他分野への応募を迫るとの記載に関しては同(コ)の事実が、休暇の取得への嫌がらせとの記載に関しては同(オ)、(シ)の事実が、それぞれ認められる。
④ 記事2のうち、教授就任の半年後くらいから助教授・講師を味方につけて私を攻撃するようになった、契機は、大学の教授会から非教授を除外するという動きに反対して、基礎助手会を結成し、私がその代表になったことであるとの記載に関しては、上記ア(ア)ないし(エ)の事実が認められる。
⑤ 記事2のうち、平成五年九月二二日の教室会議におけるやり取りの記載に関しては、上記ア(エ)の事実が認められる。
⑥ 記事2のうち、研究のための出張の妨害との記載に関しては上記ア(セ)の事実が、研究室への不当な干渉との記載に関しては同(エ)、(ク)の事実が、研究費の不当配分との記載に関しては同(サ)の事実が、実験機器の管理・指導に対する嫌がらせとの記載に関しては同(エ)の事実が、非常勤講師としての出講妨害との記載に関しては同(ソ)の事実が、それぞれ認められる。
(イ) 上記(ア)のとおりであるから、本件各記事の記載は、被控訴人が嫌がらせ、妨害、不当な干渉などの動機・目的を有していたか否かの主観的な要素の点はさておき、客観的な事実のうち重要な部分については、真実であると認めることができる。
(ウ) 次に、被控訴人が控訴人に対する嫌がらせ、妨害、不当な干渉などの動機・目的を有していたか否かについてみると、上記アで認定した被控訴人の控訴人に対する言動のうち、(エ)の公務員の守秘義務、服務規律等に関する事項、第二研究室及び同研究室内の機器の使用に関する事項等は、控訴人の上司、あるいは公衆衛生学教室の管理者として当然に行うべき管理・指導行為であるといえ、控訴人が被控訴人が同教室の教授に就任することを望んでいなかったことや基礎助手会結成のことなどを聞かされ、また、控訴人が休暇届等正規の手続をとらずに欠勤、出張したりするなど勤務態度に問題があると考えていた事情はあったにせよ、控訴人に対する嫌がらせ等の意図を有していたとまでは認め難い。特に、記事2のうち、「A野の使用している研究室にだれもが自由に出入りする、机や戸棚にはカギをかけないでおくように」、「A野が管理している機器は無断で誰が使ってもよい。壊れてもかまわない」などの記載は、事実を微妙に粉飾して表現したもので、正確とはいえない。しかしながら、上記アの(オ)、(キ)、(コ)、(シ)ないし(ソ)などの認定事実からすれば、被控訴人のこれらの言動には、地方公務員としての控訴人の上司という立場からの単純かつ形式的な職員管理の観点からばかりでなく、特に県立医大の公衆衛生学教室という研究部門特有の管理の観点から、大学教授として通常想定されるありようをいささか逸脱したものがあるといわざるを得ないのであって、被控訴人は、時の経過とともに、次第に、控訴人に対する嫌がらせ、妨害あるいは揶揄の意図を含む言動を行うようになったと認められる。
(エ) 上述したところによれば、本件各記事は、被控訴人の主観的な動機・目的の点を含めて、その重要な部分について真実であることの証明があったと認めることができる。また、仮に被控訴人の主観的な動機・目的の点において重要な部分につき真実であることの証明があったとまではいえない点があるとしても、上記ア認定の事実を全体としてみれば、記事1、2(いずれも平成一二年に発表)が被控訴人の言動に控訴人に対する嫌がらせ、妨害あるいは揶揄の意図が含まれるようになった時期以降に情報提供ないし執筆されたと考えられることを考慮すると、上記ア(エ)に関する事項を含め、控訴人は、自己が被控訴人の教授就任に反対し、基礎助手会を結成してその代表となったことを契機として、被控訴人が自己に対する嫌がらせや妨害等の行為に出たもの、すなわち、いわゆるアカデミック・ハラスメントに当たると信じて、これに対抗し、これを是正すべく、記事1、2の情報提供ないし執筆をしたということができ、控訴人がそのように信ずるにつき相当の理由があったと認めるのが相当である。
(3) 意見ないし論評の表明について
本件各記事のうち、被控訴人の行為が控訴人に対する嫌がらせと評価すべきものであり、被控訴人が控訴人を追い出そうとする目的その他の不当な目的をもって嫌がらせ行為を行ったことが控訴人に対する違法な行為であって、いわゆるアカデミック・ハラスメントに当たるとする部分は、控訴人が被控訴人の行為についての意見・評価を述べ、あるいは上記行為に対する法的な見解を表明したものであって、意見ないし論評の表明に当たることは、既に説示したとおりである。
そして、本件各記事の内容、それらが掲載された書物、本件各記事の趣旨、控訴人と被控訴人との大学における緊張・対立関係及び控訴人の意図ないし目的が上記二で認定したとおりであること、本件各記事の表現も、上記のような控訴人と被控訴人との大学における緊張・対立関係にあって通常使用される非難、批判の表現の域を出ず、特に必要以上に人身攻撃に及んだものと認められないことに照らせば、本件各記事が意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできない。
四 結論
以上によれば、本件各記事による名誉毀損行為は違法性を欠くものであり、仮にそうでないとしても、控訴人に故意又は過失はないから、控訴人は不法行為責任を負わない。
よって、原判決のうち控訴人敗訴部分(主文一項)を取り消した上、同取消しに係る被控訴人の請求を棄却し、本件附帯控訴は理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 若林諒 裁判官 石井寛明 三木昌之)