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大阪高等裁判所 平成16年(ネ)2217号 判決 2005年1月28日

京都市伏見区●●●

控訴人

●●●

同訴訟代理人弁護士

●●●

●●●

同訴訟復代理人弁護士

●●●

京都市伏見区●●●

被控訴人

●●●

同訴訟代理人弁護士

平尾嘉晃

木内哲郎

野々山宏

長野浩三

二之宮義人

川村暢生

小原健司

角田多真紀

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は,控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  被控訴人の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨

第2事案の概要

1  事案の要旨

(1)  被控訴人は,控訴人から賃借していたマンションの一室に係る賃貸借契約が終了したため,これを控訴人に明け渡し,控訴人に対し,敷金20万円の返還とこれに対する弁済期後で,本件訴状送達の日の翌日である平成15年6月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

これに対し,控訴人は,同賃貸借契約には,通常の使用方法に伴う自然の損耗を含めて,賃借人の負担で契約開始当時の原状に回復する旨の特約があるなどとして,被控訴人が賃借していたマンションの一室の原状回復費用32万6900円と水道料立替金3886円との合計33万0786円を敷金から控除すべきであること又は同額の原状回復費用請求権及び水道料立替金求償請求権を自働債権とする相殺などの抗弁を主張した。

(2)  原判決は,控訴人主張の抗弁のうち,控訴人の被控訴人に対する3886円の水道料立替金求償請求権を自働債権とする相殺の抗弁のみを認め,原状回復費用に関する控訴人主張の特約は,賃借人に自然損耗分の原状回復義務を負担させる部分が消費者契約法の適用により無効であり,被控訴人が明け渡したマンションの一室には自然損耗分を超える損耗があったと認めることはできないなどとして,その余の抗弁を排斥し,被控訴人の請求のうち,敷金20万円から水道料3886円の立替金を控除した19万6114円とこれに対する遅延損害金の請求を認容し,その余の請求を棄却する判決をした。

(3)  控訴人は,原審が認容した被控訴人の請求部分を棄却することを求めて,控訴した。

2  基礎となる事実

(1)  次の(2)のように補正するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「1 基礎となる事実」(2頁1行目から26行目まで)と同一であるから,これを引用する。

(2)  原判決2頁11行目を次のように改める。

「敷金の返還 原則として退去後45日以内に返還する。この場合,未納の家賃・共益費,遅延損害金,原状回復に要する費用,その他被控訴人が控訴人に支払うべき金額があるときは,これらを控除した残額を返還する。」

3  争点及びこれに関する当事者の主張

原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「2 争点及び争点に対する当事者の主張」(2頁27行目から9頁18行目まで)と同一であるから,これを引用する。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(本件特約の成否)について

当裁判所も,被控訴人と控訴人との間で本件特約が成立したことが認められると判断する。その理由は,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」の「1 争点(1)について」(9頁20行目から10頁11行目まで)と同じであるから,これを引用する。

2  争点(2)(本件特約の効力)について

(1)  当裁判所も,本件特約は,消費者契約法10条の適用により無効であると判断する。その理由は,以下のとおり補正し,次の(2)を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」の「2 争点(2)について」の「(1)」のうち,10頁14行目から13頁4行目までと同じであるから,これを引用する。

原判決11頁6行目の「認められ」の次に,「,被控訴人は消費者契約法2条1項の「消費者」に,控訴人は同条2項の「事業者」に該当し,したがって,被控訴人と控訴人とが締結した本件賃貸借契約(本件特約を含む。)は,同条3項の「消費者契約」に該当するから」を加える。

(2)  控訴人の控訴理由にかんがみ,以下補足する。

ア 消費者契約法の適用の有無について

(ア) 控訴人は,控訴人と被控訴人が平成13年11月10日に合意した本件賃貸借契約の更新は,従前の賃貸借契約の期間を延長しただけにすぎず,他の事項については何らの変更もないから,平成13年4月1日の施行後に締結された消費者契約にのみ適用される消費者契約法は,合意更新後の本件賃貸借契約には適用されないと主張する。

しかしながら,証拠(甲1,6)によれば,被控訴人と控訴人は,前記認定のとおり,平成13年11月10日,本件貸室の賃貸借について,期間を平成13年11月10日より平成15年11月9日までとし,家賃及び共益費は従前と同じと定め(ただし,文言上は平成13年11月分から家賃及び共益費を従前の金額と同額に改訂する旨の表現が用いられている。),その他の契約事項は原契約のとおりとすることを記載した覚書を作成し,賃貸借契約を継続することを合意したこと,上記覚書における賃貸借契約の継続の合意においては,従来の契約で被控訴人の賃貸借契約上の債務の連帯保証人となっていた●●●子は連帯保証人になっておらず,これに代わって新たに●●●郎が連帯保証人となっていることが認められる。そうすると,控訴人と被控訴人とは,覚書により,家賃及び共益費の額について従前の額と同額とする旨を合意し,連帯保証人の1名を交替させた上,上記の契約条件で新たな賃貸借契約を締結したものと解するのが相当である。上記合意の内容が,期間以外の項目について従前と変わらないことをもってしても,従前の契約の期間を単に延長したにすぎないものと認めることはできない。

(イ) また,控訴人は,敷金に関する契約は,賃貸借契約とは別個のものであり,本件特約はこの敷金契約に付随するものであるところ,被控訴人との間で,平成11年11月10日に本件賃貸借契約を締結した際に締結した敷金契約は,本件賃貸借契約が新たな契約として合意更新されたとしても,控訴人から被控訴人への敷金の返還と被控訴人から控訴人への敷金の交付がない限り,当初の敷金契約は,そのまま継続する旨の黙示の合意をしたと主張する。

しかしながら,本件特約は,被控訴人が本件貸室を明け渡すに当たり,原状回復義務の内容を定めたものであるから,敷金契約に付随するものではない。その上,控訴人が主張する敷金契約は,賃貸借契約に付随する約定であるから,賃貸借契約と独立した別個のものではない。したがって,控訴人の上記主張は,採用の限りでない。

イ 本件特約が消費者契約法10条所定の不当条項に当たるかについて

(ア) 控訴人は,本件特約は,消費者契約法10条所定の不当条項の要件に該当しないとして,① 賃借人は,賃借物の保管について善管注意義務を負っており(民法400条),この義務は自己の財産におけると同一の義務(民法659条)よりも重く,賃借物の価値を低下させないで使用収益をし,引渡しを受けたのと同じ状態で返還することが必要であり,したがって,建物賃借人が賃借した建物を通常の利用をした場合,自然損耗が生じることは明らかであるから,善管注意義務に反した保管として,原状回復義務が生じること,② ①が認められない場合,賃借人が賃貸借契約の終了により,賃借物を返還する場合の賃借人の原状回復義務の範囲について,民法は何ら規定していないというべきであるから,当事者で決めるべきものであるところ,控訴人は,本件貸室の内装を改装して,被控訴人に賃貸したことから,被控訴人が本件貸室を控訴人に返還する場合,自然損耗分の損耗についても,被控訴人に原状回復義務を定めることは,民法の条項に反するものではないこと,③ 賃貸人が原状回復費用を回収する方法として,a原状回復費用を賃料に含ませる方法,b敷金から一部を敷引きし,これを原状回復費用に充てる方法が,いずれも許されているところ,c本件特約のように,賃料に原状回復費用を含ませず,明渡し時に原状回復費用(費用額は,原判決別紙復元基準表のとおり定められている。)を徴収する方法は,aよりも賃借人の利益になるし,bとさほどかわらないから,賃借人の利益を一方的に害するとはいえないことなどを主張する。

(イ) しかしながら,賃貸借契約において,賃貸人は,賃貸物を,賃借人に使用収益させる義務を負い,その対価として,賃借人から,賃料の支払を受けるところ(民法601条),建物の賃貸借の場合,賃借人が建物を通常利用し,使用収益することによって,建物に,経年劣化を含めて,自然損耗が生じることは明らかであるから,賃貸人がこのような損耗による負担を受けることは,賃貸人が賃借人に賃貸物を使用収益させる義務に含まれると解釈される。そうとすると,賃貸人である控訴人が負担すべき本件貸室の自然損耗分の原状回復費用までも賃借人である被控訴人に負担させる本件特約は,賃貸人が負担すべき上記負担を,賃借人に負担させる点で,民法601条の規定に比して,消費者である被控訴人の義務を加重し,被控訴人に不利益なものであるということができる。

(ウ) 控訴人は,前記(ア)の①ないし③等の理由を挙げて,上記解釈に反論するので,以下検討する。

a ①について

控訴人は,賃借人の賃借物に対する保管における注意義務が善管注意義務であることから,賃借人は,自然損耗分を含めて原状回復義務を負うと主張するが,善管注意義務は,過失の有無を判断する前提としての注意義務の程度を示す概念であり,自己の財産に対すると同一の義務が保管者の具体的注意能力に応じた具体的注意義務を意味するのに対して,通常人に求められる抽象的注意義務を意味するものである。そして,自然損耗については,賃借人の保管の状態如何に関わらず発生するものであって,これについて賃借人に善管注意義務違反が生ずることはあり得ないから,自然損耗分について,善管注意義務違反に基づいて原状回復義務が生ずるものではない。したがって,被控訴人の本件貸室に対する保管における注意義務が,善管注意義務であることから,控訴人の主張するような自然損耗についてまで被控訴人に原状回復義務が生ずるものと解することは,到底できない。

b ②について

控訴人は,賃借人が賃貸借契約の終了により,賃借物を返還する場合の賃借人の原状回復義務の範囲について,民法は何ら規定しておらず,自然損耗分を含めた原状回復を定めることは民法の条項に違反するものではないと主張するが,前記(イ)において説示したとおり,民法601条の規定によれば,被控訴人のような建物の賃借人には,賃借建物の自然損耗分に対する原状回復義務はないと解されるから,本件特約が同条項に比して賃借人の義務を加重するものであることは明らかである。したがって,控訴人の上記主張は,採用することができない。

c ③について

控訴人は,本件特約は,賃料に賃貸建物の自然損耗分の原状回復費用を含ませず,賃借人がこれを明け渡す際に,上記自然損耗分の原状回復費用を,あらかじめ単価を決めて徴収する方が,賃借人に有利であり,敷引きの方法により敷金の一部をその原状回復費用に充てる方法とそれほど変わらないと主張する。

しかしながら,賃料のうち,自然損耗分の原状回復費用相当分の金額を他の部分と区別して認識することはできないから,控訴人の主張するように,賃料に自然損耗分の原状回復費用を含ませないで賃料を定めたといっても,それはあくまでも観念的なものにすぎず,一般的に控訴人主張の方法が賃借人に有利であるということはできない。また,敷引きが,自然損耗分の原状回復費用であるとは一概にいえないから,上記控訴人の主張は,採用することができない。

d 控訴人のその他の主張について

控訴人は,本件特約が,消費者契約法10条に該当しないとして,以上のほかにもその根拠を主張するが,これらの主張も,上記説示及び引用に係る原判決の説示に照らし,採用することはできない。

(エ) 以上の次第で,本件特約は,同条により,無効であるというべきである。

3  争点(3)(本件貸室の汚損状況及び原状回復費用の額)について

(1)  当裁判所も,控訴人が主張する原状回復費用は,これを認めることができないと判断する。その理由は,次の(2)を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」の「3 争点(3)について」(13頁5行目から17行目まで)と同じであるから,これを引用する。

(2)  控訴人の控訴理由にかんがみ,以下補足する。

ア 控訴人は,被控訴人が控訴人に対して請求する敷金返還請求権は,賃借人が賃借物を返還したときに,賃借人の賃料その他の債務不履行があれば,その金額を差し引いた差額だけについて賃貸人において返還義務を負うもので,差額についてしか返還義務が発生しないから,その差額がいくらであるかの立証責任は,賃借人側にあるというべきであると主張する。

しかしながら,敷金は,賃料の支払債務その他賃借人の賃貸借契約上の債務を担保するために賃借人が賃貸人に対して交付する金銭であり,賃貸人は賃借人に賃料の未払その他の債務不履行等がある場合に限って敷金の全部又は一部をその債務の弁済に充当することができるものであるから,賃借人に賃貸借契約上の債務の不履行があること及びその数額についての立証責任は,賃貸人にあるものと解すべきである。したがって,控訴人の上記主張は,採用の限りでない。

イ 控訴人は,本件貸室の自然損耗分を超える損耗部分の補修費用は,合計19万1790円であると主張し,乙第1号証(株式会社C(以下「C」という。)の担当者作成のチェック表)及び乙第6号証(Cの従業員であるY・Yの陳述書)を提出し,被控訴人も,本人尋問で,上記損耗部分について,自然損耗があったことは認めていることを指摘する。

しかしながら,乙第1号証はCの従業員Tが作成したもので,乙第6号証の作成者のY・Yが本件貸室において見聞したものではなく,●●●からの伝聞によるものであること(乙6),控訴人が管理を委託したCは,本件特約による原状回復費用には,自然損耗分も含まれるとの前提で行動しているのであるから,賃貸物件の明渡しの際,特別の事情がない限り,自然損耗分とこれを超える損耗分を区別して検査をすることは,通常しないと思料されるところ,本件全証拠によるも上記特別の事情が存在することが認められないことに照らすと,上記各書証だけで控訴人の主張事実を認めることはできないし,被控訴人本人の上記供述からこれを認めることもできない。

よって,控訴人の上記主張は,採用することができない。

4  争点(4)(被控訴人が本件貸室の原状回復費用として20万円を控訴人に支払うことを合意したか)について

当裁判所も,控訴人が主張する上記合意が成立したことは,これを認めることができないと判断する。その理由は,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」の「4 争点(4)について」(13頁18行目から27行目まで)と同じであるから,これを引用する。

5  結論

以上によれば,控訴人は,被控訴人に対し,被控訴人が預託した敷金20万円から,本件賃貸借契約における前記敷金返還の約定に従い,本件貸室の水道料3886円の立替金を控除した19万6114円及びこれ対する弁済期(被控訴人が本件貸室を明け渡した平成15年3月31日から45日を経過した日)の後で,本件訴状送達の日の翌日であることが本件記録から明らかである平成15年6月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よって,この結論と同一の原判決は相当で,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとする。

(裁判長裁判官 柳田幸三 裁判官 礒尾正 裁判官 金子修)

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