大阪高等裁判所 平成16年(ネ)2291号 判決 2005年4月12日
控訴人(一審原告)
X1
ほか二名
被控訴人(一審被告)
Y1
ほか一名
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人らは、各自、控訴人X1に対し、二九一万三一七四円及びうち二二三万〇九八三円に対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人らは、各自、控訴人X2に対し、二九一万三一七四円及びうち二二三万〇九八三円に対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被控訴人らは、各自、控訴人X3に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人X1及び控訴人X2と被控訴人らとの間で生じたものはこれを一〇分し、その一を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人X1及び控訴人X2の負担とし、控訴人X3と被控訴人らとの間で生じたものはこれを四分し、その一を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人X3の負担とする。
七 この判決の主文第二ないし第四項は、原判決の認容額を超えて支払を命ずる部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨等
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人らは、各自、控訴人X1に対し、二五〇二万一一五四円及びうち二四三三万八九六三円に対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人らは、各自、控訴人X2に対し、二五〇二万一一五四円及びうち二四三三万八九六三円に対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被控訴人らは、各自、控訴人X3に対し、三八五万円及びこれに対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
六 仮執行宣言
(以下、控訴人X1を「原告X1」、控訴人X2を「原告X2」、控訴人X3を「原告X3」、被控訴人Y1を「被告Y1」、被控訴人株式会社キタバ物流サービスを「被告会社」という。)
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、交通事故によって死亡したAの子ないし元妻である原告らが、事故相手方車両を運転していた被告Y1に対しては民法七〇九条に基づき、事故相手方車両の保有者であり、被告Y1の使用者である被告会社に対しては自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七一五条に基づき、原告X1及び原告X2がAから相続した損害及び原告ら固有の損害について、その賠償(被告ら各自に、原告X1及び原告X2に対する各二〇九〇万円及びうち各一九〇〇万円に対する事故発生日である平成一二年七月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、並びに原告X3に対する三八五万円及びうち三五〇万円に対する前同遅延損害金の支払)を求めた事案である。
原審は、原告らの請求を一部認容(被告ら各自に、原告X1及び原告X2に対する各一二四万〇九八三円及びうち各一一三万〇九八三円に対する前同遅延損害金の支払、並びに原告X3に対する九九万円及びうち九〇万円に対する前同遅延損害金の支払を求める限度で認容)し、その余をいずれも棄却した。
これに対し、原告らは、各敗訴部分について本件控訴を提起し、当審においてそれぞれ請求を拡張した。
二 前提となる事実(証拠等を掲記した事実以外は、当事者間に争いがない。)
(1) A(昭和○年○月○日生)は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)により、平成一二年七月二五日午前七時一八分に死亡した(Aの生年月日につき甲三、四、事故現場の特定、事故車両の進行方向につき甲九、一〇)。
ア 日時 平成一二年七月二五日午前五時一五分ころ
イ 場所 三重県亀山市太岡寺町地内自動車専用道路国道二五号
(通称名阪国道)下り車線(鈴鹿市方面から上野市方面に向けての南行車線)〇・三キロポスト付近路上
(以下「本件事故現場」という。)
ウ 事故車両<1> A運転の事業用大型貨物自動車
登録番号<省略>
(以下「A車」という。)
<2> 被告Y1運転の事業用普通貨物自動車
登録番号<省略>
(以下「Y1車」という。)
エ 態様 本件事故現場を、被告Y1が第一通行帯(以下「走行車線」ともいう。)を、Aが第二通行帯(以下「追越車線」ともいう。)を、同一方向に向けてそれぞれの車両で走行中、第二通行帯に飛び出したY1車が同通行帯を走行していたA車と衝突した(後記のとおり、本件事故の具体的態様については争いがある。)。
(2) 被告会社は、Y1車の保有者であり、被告Y1の使用者である。
被告Y1は、被告会社の運送業務に従事中、本件事故を起こした。
(3) 原告X3は、Aと昭和四七年九月二五日に婚姻の届出をし、平成五年三月二二日に、協議離婚の届出をしたAの元妻である。
原告X1及び原告X2は、いずれもAと原告X3の間の子であり、それぞれ二分の一の割合でAの権利義務を相続した。
三 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) 本件事故の具体的態様及びAと被告Y1の過失割合
【原告らの主張】
ア 本件事故時の関係車両の走行軌跡は、別紙「原告ら主張の走行軌跡」(以下「別紙走行軌跡」という。)に記載のとおりである(ただし、別紙走行軌跡に「Y1車」、「Y1」とあるのをそれぞれ「Y1車」、「Y1」と読み替える。以下、同じ。)。
イ 別紙走行軌跡によれば、本件事故の具体的態様は、次のとおりである。
本件事故直前、A運転のA車とB運転の車両(事業用大型貨物自動車。登録番号<省略>。以下「B車」という。)は、B車、A車の順で、通称名阪国道の下り車線第一通行帯(走行車線)を走行していた。同国道に国道一号線から合流してくる地点のすぐ手前付近で、Y1車が第二通行帯(追越車線)から猛スピード(Bによると時速一二〇キロメートル)で、B車とA車を一気に追い抜いた。この追い抜きの前後で、Y1車に先行する車両はなかった。その後、A車は、国道一号線からの合流車両があるためか、追越車線に車線変更し、B車と並行するように走行し出した。ところが、Y1車は、速度超過によるふらつきで左右に蛇行運転するようになった(このとき、Y1車は方向指示器を出していなかった。)。被告Y1は、ブレーキをかけることもなく、進行方向右側(追越車線側)にある中央分離帯のガードレールにY1車の右フロントを衝突させ、衝突直後にブレーキをかけた。Y1車は、衝突の反動で左に回転し始め、左回転中に進行方向左側(走行車線側)にある亀山大橋北東親柱にY1車の右後部を衝突させた。その反動で、Y1車は、走行車線をA車と並行して走行中のB車及び追越車線をY1車の後方から走行中のA車に向かって逆走し、Y1車の右側面が、ブレーキをかけてほぼ停止状態にあったA車のフロントに衝突した。その後、Y1車は、道路に対して交差する形(走行車線及び追越車線の両方をふさぐ形)で停止した。
したがって、Aとしては、Y1車との衝突を避けようがなく、本件事故についてAに過失はない。
ウ 仮に、本件事故の態様が、被告らが主張するように、被告Y1がY1車を右に急転把させ急制動をかけたため、同車が回転しながら滑走して追越車線に飛び出して同車線をふさぎ、同車線を走行していたA車と衝突したものであったとした場合、本件事故は、被告Y1が、雨天で、道路が滑りやすくなっているのに、前方車両に対する注意を欠き、車間距離を保持せず、時速九〇キロメートルを超える高速度で、前方車両に接近しすぎて、慌てて急転把し、急制動をかけたことから、Y1車がスピンし、追越車線をふさいだことによって発生したものであり、同車線をすぐ間近に走行していたAとしては、避けようがなかった。
したがって、A車の速度は、本件事故とは関係がなく、Aに過失は全く存在しない。
【被告らの主張】
ア 本件事故時の関係車両の走行軌跡は、別紙「交通事故事件現場見取図」(以下「別紙現場見取図」という。)に記載のとおりである。
(ア) <1>は、被告Y1が追越車線から走行車線への進路変更を開始した地点である。
(イ) <2>は、被告Y1が走行車線への進路変更を終了した地点、は、その時の前方車両(後部)の位置である。
(ウ) <3>は、被告Y1が前方車両に危険を感じた地点、は、その時の前方車両(後部)の位置である。
(エ) <3>は、被告Y1がブレーキをかけた地点、は、その時の前方車両(後部)の位置である。
(オ) <4>は、被告Y1が更に強くブレーキをかけた地点、
(カ) <4>は、被告Y1がハンドルを右に切った地点、
(キ) <4>は、Y1車がスリップを始めた地点、
(ク) <×>一は、Y1車とA車が衝突した地点、<5>は、その時のY1車の位置、<ア>は、その時のA車の位置である。
(ケ) <×>二は、Y1車が亀山大橋北東親柱と衝突した地点、<6>は、その時のY1車の位置である。
(コ) <7>は、Y1車が停止した地点、<イ>は、A車が停止した地点である。
イ 別紙現場見取図に記載された走行軌跡によれば、本件事故は、被告Y1が、走行車線走行中のY1車と前方車両との車間距離が縮まり過ぎたため、右に急ハンドルを切って急ブレーキをかけたため、Y1車が回転しながら滑走して追越車線に飛び出して同車線をふさぎ、同車線を後方から走行してきたA車と衝突したもの、すなわち、スピンした前車(Y1車)に後続車(A車)が追突したものである。
被告Y1には、本件事故について前方注視義務違反の過失が存在するが、前方車両との衝突を避けるためにブレーキ操作をしたのであるから、理由のない急ブレーキには当たらないこと、本件事故が追突事故と評価されるべきものであること及び本件事故当時のA車の走行速度(時速一一〇キロメートル以上)が制限速度(時速六〇キロメートル)を大幅に上回っていたことからすると、Aには、本件事故について、六〇パーセントないしそれ以上の過失が存在する。
ウ 原告らは、本件事故時の関係車両の走行軌跡は別紙走行軌跡に記載のとおりであり、Y1車が逆走したと主張する。
しかし、原告らの主張を前提にすると、Y1車は、亀山大橋北東親柱に衝突した後、それまでの進行方向(南方向)ではなく、反対方向(北方向)に走行したということになる。通常、慣性の法則によれば、Y1車は、そのまま進行方向へ走行するはずであり、何らかの物体に接触衝突したとしても、同方向への力は継続するから、接触衝突後、反対方向に進むということは、慣性の法則による力を遮るだけでなく、それ以上に反対方向に推進する力が必要になる。そうすると、Y1車が亀山大橋北東親柱に衝突した後、反対方向に進むということは、衝突後に、被告Y1が更にアクセルを踏むか又は踏み続けるという行動をとったとしか考えられないが、衝突前にブレーキを踏んでいたであろう被告Y1が、衝突後にアクセルに踏み替えることができたとは、到底考えられない。
また、原告らの主張を前提にすると、A車と逆走してきたY1車とが衝突し、Y1車は、停止しただけではなく、その反動で更に進行方向に押し出されたはずである。しかし、本件事故現場に残されたA車のスリップ痕が長いことからすると、Aは、衝突のかなり前の段階で、Y1車の異変を認識し、その時点から衝突直前までブレーキを踏み続けていたものと考えられ、衝突直前のA車の速度は、それほど出ていたとはいえない。しかも、A車と並行して走行していたB車がY1車と衝突することなく停止できていることを合わせ考慮すると、Y1車との衝突時点において、A車は既に停止に近い状態であったとしか考えられない。そうすると、A車が逆走してきたY1車を押しとどめた上で、さらに同車を何メートルも先に押し出すことができたとは考え難い。
仮に、Y1車が逆走していたとすれば、その推進力及び本件事故当時路面がぬれていた状況からすると、Y1車がA車と衝突した際、A車が支点となり、Y1車の後輪部が滑って、A車と並行して停止したというB車に触れた可能性が高いと考えられるのに、そのような事実はない。
さらに、B車は、A車と並行して走行しており、Bは、Y1車の逆走に対応して急ブレーキをかけたというのに、本件事故現場には、その痕跡は残されておらず、また、別紙現場見取図によれば、A車が進行方向左側(走行車線側、したがってB車側)にはみ出して停止したというのに、B車がA車と接触した形跡がないのは、不自然である。
したがって、Y1車が逆走したとの事実が存在したとは到底いえない。
(2) 原告らの損害
【原告らの主張】
ア Aの損害
本件事故によりAに生じた損害は、以下の各損害額を合計した七〇二七万七九二六円であるところ、原告X1及び原告X2は、これを二分の一ずつの割合で相続した。
(ア) 逸失利益 四〇二七万七九二六円
六四九万二〇〇〇円<平成一二年賃金センサス企業規模計・産業計・男性労働者学歴計五五~五九歳を基準とする基礎収入>×(一-〇・三)<生活費控除>×八・八六三二<五五歳から六七歳までの一二年間のライプニッツ係数>=四〇二七万七九二六円
(イ) 慰謝料 三〇〇〇万円
自動車運転手としての基本的注意義務を欠いた被告Y1の重大な過失により、突然に生命を絶たれたAの無念さは言語に絶する。Aは、本件事故により外傷性腹腔内出血、右大腿骨骨折の重傷を負い、運転席で挟まれて自車(A車)に閉じ込められた状態で、意識がありながら、救急隊に救出されるまで約二時間、激しい痛みにさいなまれて苦しんだ。したがって、Aの苦痛に対する慰謝料は三〇〇〇万円が相当である。
イ 原告ら固有の慰謝料
(ア) 原告X1及び原告X2 各二〇〇万円
(イ) 原告X3 二〇〇万円
ウ Aの葬儀費用 一五〇万円
原告X3は、Aの葬儀費用として一五〇万円を超える金員を負担したが、本件事故と相当因果関係のある損害として、そのうち一五〇万円を請求する。
エ 損害のてん補及び確定遅延損害金
(ア) 損害のてん補
本件事故の賠償として、平成一三年六月二一日、自賠責保険から三〇〇〇万円(原告X1及び原告X2につき各一五〇〇万円)が支払われた。
(イ) 確定遅延損害金
前記三〇〇〇万円が前記期日に支払われるまでの本件事故日(平成一二年七月二五日)からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金は、一三六万四三八三円(3000万円×0.05×332日/365日=136万4383円:原告X1及び原告X2につき各六八万二一九一円)である。
オ 弁護士費用
(ア) 原告X1及び原告X2 各二二〇万円
(イ) 原告X3 三五万円
カ 以上によれば、原告らの損害額は、次のとおりである。
(ア) 原告X1及び原告X2 各二五〇二万一一五四円
4027万7926円/2+3000万円/2+200万円-3000万円/2+68万2191円+220万円=2502万1154円
(損害金二四三三万八九六三円、確定遅延損害金六八万二一九一円)
(イ) 原告X3 三八五万円
200万円+150万円+35万円=385万円
キ 原告らは、前記損害のうち確定遅延損害金を除く部分については、本件事故日(平成一二年七月二五日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を合わせて請求する。
【被告らの主張】
ア 原告ら主張の損害は過大である。
イ 原告らは、原審において、Aは形式的には五葉運送株式会社(以下「五葉運送」という。)の従業員であったが、実質的には自主独立の経営者であって、五葉運送から商品運送の委託を受け(請負契約)、自動車保有及び運行に関する経費一切を負担し、完全歩合制とも称すべき事業形態であったと主張していた。しかし、Aの本件事故前の年間収入額については公的な証明もなく、自営業に係る経費等の詳細も不明であるから、Aの逸失利益を算定するための基礎収入額は、賃金センサスに基づき、六四九万二〇〇〇円(平成一二年企業規模計・産業計・男性労働者学歴計)とされるべきである。
また、Aは、単身者であり、一家の支柱ではなかったから、生活費控除率は五〇パーセントを下らない。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(本件事故の具体的態様及びAと被告Y1の過失割合)について
(1) 前記前提となる事実、証拠(甲九~一五、一七、五〇、五三~五六、六一、六八~七一、七四、七五、七六の二、証人B<当審>、調査嘱託の結果<亀山市消防本部長に対するもの>。ただし、書証の枝番のすべてを含む場合は、枝番の記載を省略する。また、甲一三、五〇、六八の三、甲七四及び証人Bについては、後記認定に反する部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
ア 本件事故は、平成一二年七月二五日午前五時一五分ころ発生した。
本件事故当日、B車を運転して本件事故現場の走行車線を上野市方面に向けて走行中、本件事故を目撃したBは、同日午前五時一八分、三重県警察本部交通部高速道路交通警察隊(以下、単に「交通警察隊」という。)に本件事故の発生を通報した。
亀山市消防本部は、同日午前五時二二分、本件事故発生の通知を受け、これに対応して出動した救急車及び水槽付消防ポンプ自動車が本件事故現場に到着したのは、同日午前五時三七分、救助工作車が本件事故現場に到着したのは、同日午前五時三八分である(以下、上記出動車の乗務員を一括して「消防救急隊」という。)。
Aは、同日午前六時一〇分、救急車で本件事故現場から運び出され、同日午前六時二一分に、亀山市立医療センターに搬送されたが、同日午前七時一八分、同センターで死亡した。
交通警察隊は、消防救急隊がA車に閉じ込められたAの救出作業をしている際に、本件事故現場に到着した。
交通警察隊は、同日午前六時から午前七時一五分までの間、立会人なしで本件事故現場の実況見分を行い(以下「甲九の実況見分」という。)、その後、同日午前一一時から午前一一時三五分までの間、被告Y1を立会人として本件事故現場の実況見分を行った(以下「甲一〇の実況見分」といい、甲九の実況見分と併せて「甲九、一〇の各実況見分」という。)。
別紙現場見取図は、甲九、一〇の各実況見分の結果に基づいて作成されたものである。
イ 別紙現場見取図に記載のとおり、本件事故現場は、自動車専用道路である通称名阪国道の下り車線(鈴鹿市方面から上野市方面に向けての南行車線)〇・三キロポスト付近路上であるが、同図に記載のとおり、ガードレールにより上下線が完全に分離されている片側二車線の道路であり、その幅員は、走行車線(第一通行帯)、追越車線(第二通行帯)ともに約三・六メートルである。
同所は、三重県公安委員会により、最高速度が時速六〇キロメートルに規制されていた。
路面は、アスファルト舖装され、平坦であり、本件事故当時、降雨のため湿潤していた。
A車、Y1車ともに、鈴鹿市方面から上野市方面(北から南)に向けて走行していたが、見通しは前後ともに良好であった。
ウ 本件事故当日、被告Y1は、時速約一〇〇キロメートルで追越車線を上野市方面に向けて走行し、衝突地点(衝突時のY1車の位置である別紙現場見取図<5>。以下、同じ。)の手前二九六・二メートルの地点(同図<1>)で走行車線に進路を変更し、その速度を時速約九〇キロメートルとした。ところが、被告Y1は、衝突地点(同図<5>)の手前八七・四メートルの地点(同図<3>)で、Y1車の前方一八・八メートルの所(同図)を時速約五〇キロメートルで走行中の普通乗用自動車に追突する危険を感じてブレーキを踏んだが、同車との車間距離が更に縮まったので、被告Y1は、同車との追突を避けるため、衝突地点(同図<5>)から七四・五メートル手前(同図<4>)で更にブレーキを踏み込み、同時にハンドルを右に切った。これによって、Y1車は、コントロールが利かない状態でスリップし、右に回転(スピン)し始め、中央分離帯のガードレールにぶつかりそうになりながらもこれを免れ、衝突地点(同図<5>)において、車両前方を進行方向後ろ向きやや左にした状態で、追越車線の全部及び走行車線の約半分をふさぐ形で停止しようとしたところ、追越車線を走行してきたA車の右前部がY1車の右前部と衝突した(衝突時、Y1車の回転は完全に停止していなかった。)。
上記の衝突により、Y1車は、回転しながら進行方向に押し出され、右後部が亀山大橋北東親柱(同図<×>二)に衝突し、A車との衝突地点(同図<5>)から進行方向四三・五メートルの地点(同図<7>)で、走行車線の全部及び追越車線の約半分をふさぐ形で停止した。
他方、A車は、衝突地点(衝突時のA車の位置である同図<ア>)から進行方向二二・九メートルの地点(同図<イ>)で、走行車線と追越車線のほぼ全部をふさぐ形で停止した。
エ 本件事故現場の追越車線には、ほぼ直線状の鮮明なスリップ痕三条が残されていた。これらは、いずれもA車のスリップ痕であると考えられる。別紙現場見取図に記載のとおり、その長さは、進行方向手前のものから順に一〇・八メートル、五八・八メートル、四・六メートルであり、最初のスリップ痕が現れた地点からA車とY1車の接触地点までの距離は、七〇・六メートル(八一・五-二一・七+一〇・八=七〇・六)である。
オ Y1車は、ボンネット、フロントガラス及び運転席側ステップが脱落し、運転席ドア、運転席後部右荷台側面、運転席右側サイドバンパー及び右前輪が破損する等し、ハンドル及びブレーキは、破損のため操作実験をすることができなかった。
他方、A車は、フロントガラス、運転席ドアガラス、フロントグリル、前バンパー、右前照灯及び右前部方向指示器が破損し、運転席ドア、助手席ドア、運転席側ステップ及び右前輪が曲損し、荷台前部風防が脱落する等し、ハンドル及びブレーキは、同車前部破損のため操作実験をすることができなかった。
(2) 原告らは、当審において、本件事故の具体的態様に関する主張を変更し、前記第二、三(1)【原告らの主張】ア、イのとおり主張するに至った。
そして、B作成の死亡事故目撃報告書(平成一六年八月一五日付け:甲五〇)及び「私の供述調書の訂正」と題する書面(平成一六年一〇月一〇日付け:甲七四)、原告X3及び原告X2作成の報告書(平成一六年八月付け:甲五一)及び「Bさんとの面談報告<2>」と題する書面(平成一六年八月二五日付け:甲五二)、原告X3作成の報告書(平成一六年一一月一二日付け:甲七七)並びに証人Bの証言中には、原告らの上記主張に沿う部分がある。
しかしながら、以下の理由により、上記証拠部分はいずれも採用することができない。そして、他に、原告らの上記主張事実を認めるに足りる証拠はないから、結局、原告らの上記主張は採用することができない。
ア 原告X3らの前記各報告書(甲五一、甲七七)には、平成一二年一一月二六日、交通警察隊上野分駐隊において、原告らが事情聴取を受けた際、交通警察隊のC警察官から、Y1車が反対方向に走ってきてA車に正面衝突したとの話を聞かされ、逆走する車の絵(トラックが右に一八〇度回転している絵)を描いてもらった旨、この絵が甲九の実況見分の結果に基づいて作成された実況見分調書(平成一二年八月一六日付け:以下「甲九の実況見分調書」という。)添付の現場見取図(第二図)にもある旨、さらに、平成一五年四月一二日、原告X3は、Bと初めて会い、Bから、Y1車が亀山大橋の親柱に衝突した挙句に逆走したとの話を聞いた旨の記載がある。
しかし、原告らが連名で平成一五年五月末ころ、紛争処理センターに送付した「<1>事故によって負った被害者の痛み・苦しみについて」で始まる書面(甲四七)及び原告ら作成の陳述書(平成一五年一二月五日付け:甲四八)には、いずれも逆走についての記載はない。
また、上記Bとの面談の際に作成されたBの陳述書(原審裁判所平成一六年四月二日受付:甲四九)には、本件事故直前のY1車の速度が時速一一〇キロメートルくらいであった旨及び本件事故に係る刑事事件におけるBの供述調書(司法警察員に対する平成一三年一二月二五日付け供述調書:甲一一)には色々と矛盾点があると思う旨が記載されているものの、矛盾点の具体的内容や逆走については何らの記載もない。
もっとも、甲九の実況見分調書添付の現場見取図(第二図)には、車が右に一八〇度回転している絵が手書きされた付せんが張りつけられていることが認められる(甲九、六九、弁論の全趣旨)。ところが、この絵は、Y1車が右回転したことを意味するものとも解される。そうすると、Y1車が、その右フロントがガードレールに衝突して左回転し、更に同車の右後部が亀山大橋北東親柱に衝突して逆走したとする原告らの主張とは食い違い、むしろ、Y1車が回転(スピン)したとする被告らの主張に沿うものといえる。
イ Bの前記報告書等(甲五〇、七四)には、「Bは、本件事故当日、本件事故現場で、交通警察隊に別紙走行軌跡のとおりの説明をし、平成一三年一二月二五日に、交通警察隊関分駐所で事情聴取を受けた際にも、同趣旨のことを説明したにもかかわらず、同日作成された供述調書(甲一一)には、走行軌跡が別紙現場見取図に記載のとおりであることを前提にして、本件事故の態様は、Y1車を運転していた被告Y1が慌てて右にハンドルを切り急ブレーキをかけたため、同車が回転しながら滑走して追越車線に飛び出して同車線をふさぎ、同車線を走行していたA車と衝突したものである旨が記載されていたが、担当警察官から本件事故によってAが死亡したと聞かされたことや、本件事故から約一年半が経過していることもあって、格別、異議を述べずに、上記供述調書(甲一一)に署名指印した」旨の記載部分があり、証人Bの証言中にも、同趣旨(ただし、別紙走行軌跡(7)におけるA<7>はB<7>よりも一メーターくらい先に停止し、B<7>とY1<7>との間は、六ないし一〇メーターくらい離れていた旨)の証言部分がある。
しかし、本件事故が死亡事故であることを知ったにもかかわらず、本件事故の唯一の目撃者ともいうべき立場にあるBが、自己の記憶と異なる内容の、しかも、Y1車の逆走という重大な事実に何ら触れていない上記供述調書(甲一一)に、何らの異議も述べずに署名指印したというのは、理解し難い。
ウ Bは、仕事のため一週間に二回は本件事故現場を走行しているが、同所は国道一号からの合流車があるため、追越車線を走行する車両が急ブレーキをかけることが多く、事故も多い、一年中ブレーキ痕がある場所であり、前記(1)エのスリップ痕三条は、いずれもA車のものではない旨の証言をしている(証人B)。
しかし、スリップ痕はフルブレーキを踏まないと路面に残らないのが通常であって、滅多に路面に残されるものではないと考えられるし、また、仮にBが指摘する道路事情があったとしても、本件事故現場の道路事情に通じているはずの交通警察隊が、甲九、一〇の各実況見分の際に、その点を見落としたとは考え難い。
エ Bの証言等(甲五〇、七四、証人B)によれば、Y1車の右フロントが中央分離帯のガードレールに衝突し、同車はその衝突の反動で左に回転し始めたというのである。
しかし、上記Bの証言等によっても、Y1車は、上記ガードレールと衝突するまで、左右にふらつきながらも進行方向(南方向)に移動していたということになるから、慣性の法則に従えば、Y1車は、その進行方向へ進もうとする力が作用しているため、上記ガードレールと衝突したことによって、右に回転をすることはあっても、その逆である左に回転することは考え難い。
また、Bは、本件事故直後、本件事故現場でY1車の右フロントが上記ガードレールに衝突した痕跡を確認したと証言している(証人B)が、その痕跡の存在を認めるに足りる的確な証拠はない。
オ Bの証言等(甲五〇、七四、証人B)によれば、Y1車は、亀山大橋北東親柱に衝突した後、それまでの進行方向(南方向)ではなく、反対方向(北方向)に走行(逆走)したというのである。
しかし、被告Y1の本件事故に係る刑事事件における各供述調書(甲一二~一五)や甲一〇の実況見分の結果に基づいて作成された実況見分調書(甲一〇)によれば、Y1車を運転していた被告Y1は、前記(1)ウ認定のとおり、Y1車は、右回転(スピン)により中央分離帯の方に向いた状態になったとき(位置は別紙現場見取図<5>)、同図<×>一の地点でA車(位置は同図<ア>)に衝突され、これにより進行方向(南方向)に押し出され、その後に同図<6>の地点で同車の右後部が亀山大橋北東親柱(同図<×>二)と衝突し、更にそれより南方向に進んだ同図<7>の地点で進行方向に向いた状態で停止した旨の供述、説明をしており、上記Bの証言等は、上記両衝突の前後関係及び上記親柱との衝突後のY1車の動向の点において、被告Y1の供述、説明と明らかに相反している。上記Bの証言等によっても、被告Y1車は、上記親柱と衝突するまで、回転しながら進行方向(南方向)に移動していたというのであるから、慣性の法則に従えば、Y1車はその進行方向に進もうとする力が作用しているため、Y1車の右後部が上記親柱と衝突したことによって、やや方向を変えることがあるものの、そのまま進行方向に移動するはずであり、Y1車の上記親柱との衝突前の動向状況や衝突の態様、上記親柱が道路(走行車線側のガードレール)に沿って設置されており(甲九、五三、六九)、これと衝突したY1車が反対方向に跳ね返るとは考え難いこと等に照らしてみても、Y1車の右後部が上記親柱と衝突したことが進行方向(南方向)に進もうとする力を遮って反対方向(北方向)に移動(逆走)する外力として作用したとまではいえない。
また、上記被告Y1の各供述調書のみならず、上記Bの証言等によっても、被告Y1はY1車が回転(スピン)を開始した時にブレーキを踏んでいたというのであるから、上記親柱に衝突した後に、同被告がアクセルを踏むことができるとは考えられない。したがって、Y1車がエンジンの推進力により逆走したと認めることもできない。
他方、Y1車が逆走ではなく、右回転(スピン)していたとしても、同車に向かって相当速度で走行しているBからは、Y1車がB車の方に近づいてくる(逆走してくる)ように見えたということもあり得ないとはいえない。
カ Bは、(ア)本件事故後、Y1車とA車が停止した位置は、別紙走行軌跡(7)のとおりであったが、交通警察隊が甲九の実況見分をするまでの間に、消防救急隊が、上記各車両を別紙現場見取図の位置(Y1車は同図<7>、A車は同図<イ>)に移動させた旨、(イ)本件事故の発生により、Y1車とA車が車線をふさいで交通渋滞となり、消防救急隊や交通警察隊が本件事故現場に到着するのに時間がかかったため、消防救急隊が本件事故現場に到着する前に、渋滞で停止を余儀なくされたBを含む後続車両の運転者らが、A車の運転席に閉じ込められているAを救出するために、A車のハンドルにワイヤーを掛けて人力で引っ張ったが、A車は動かず(ただし、前記「私の供述調書の訂正」と題する書面<甲七四>では動いたとしている。)、その後、交通警察隊が到着する前に、消防救急隊が、Aが閉じ込められているA車の運転席側(A車の右側面と中央分離帯との間)に、Aの救助作業に使用する機械を入れるために、消防車によって追越車線に停止しているA車を左後ろからけん引して、A車の後部を走行車線側に移動させた旨、(ウ)Y1車は、消防救急隊が交通警察隊のパトカーを通すために移動させた旨証言している(証人B)。
しかし、本件事故後、Y1車とA車が停止した位置が別紙走行軌跡(7)のとおりであるとすると、両車両(A<7>とY1<7>)の間は詰まっていたのであるから、B車とY1車(B<7>とY1<7>)との間が六ないし一〇メーターくらい離れていた(すなわち、Y1車の右前部がA車の方に、Y1車の後部が反対方向に向いて、走行車線及び追越車の二車線に交差して停止していた)としても、BらがA車のハンドルにワイヤーを掛けて同車を進行方向へ引っ張ることができたとは考え難い。むしろ、Y1車とA車との間は詰まっておらず、離れていたとみるのが相当である。
また、Bの証言等(甲五〇、七四、証人B)によれば、本件事故直前まで、B車とA車は並行して走行していたというのであるから、本件事故後、Y1車と同車に衝突したA車との間が詰まっているのに、Y1車と同車に衝突していないB車との間が六ないし一〇メートルも離れていたというのは、いかにも不自然である。むしろ、Bの前記供述調書(甲一一)に記載のとおり、追越車線を走行するY1車が、走行車線を走行中のB車を追い抜いた直後に、A車が追越車線に車線変更してB車を追い抜き、そのまま追越車線を走行している際に、本件事故が発生したものであり、B車は、A車よりも低速で、しかも後れて走行していたため、Y1車との衝突やA車との接触を免れたものとみるのが相当である。
さらに、消防救急隊の救助出動概要書には、A車の運転席ドアをスプレッダーで開放し、チルホールで中央分離帯のガードレール支柱を支持点としてキャビン・フロント部(運転席前部)を広げて、腹部を座席とハンドルに、両膝を座席とダッシュボードに挟まれていたAを車外に救出した旨の記載はあるが、消防救急隊が事故車両(A車及びY1車)を移動させた旨の記載はない(甲七六の二)。仮に、消防救急隊が事故車両を移動させるとすれば、他の車両の通行の妨げにならないようにするものと考えられるところ、別紙現場見取図の位置(Y1車は同図<7>、A車は同図<イ>)における両車両は、いずれも走行車線及び追越車線の二車線ともふさいだ状態であり、整理移動後の位置としては不自然である。しかも、Y1車については、移動の際に、A車の方(鈴鹿市方面)に向いていたのを反対方向(上野市方面)に方向転換させたことになり、不可解である。むしろ、別紙現場見取図の位置(Y1車は同図<7>、A車は同図<イ>)が本件事故直後の両車両の停止位置であったとみた方が自然である。
キ 原告X3の陳述書(平成一六年一〇月一九日付け:甲七六の一)には、大型トラック(A車)の前面部の破損は、救助工作車が大破損させたもので、衝突事故(Y1車との衝突)で生じたものではない旨の記載があり、証人Bも同趣旨の証言をしている。そして、前記のとおり、消防救急隊は、運転席に閉じ込められていたAを救助するために、A車の運転席ドアをスプレッダーで開放し、チルホールで中央分離帯のガードレール支柱を支持点としてキャビン・フロント部(運転席前部)を広げていたことが認められる。
しかし、甲九の実況見分時に撮影されたA車の写真によっても、Bが、本件事故の際、A車の運転席前部右側に衝突したとするY1車の運転席側のはしごの痕跡を確認することができるという(甲九、五三、五五、六九、七一、証人B)のであるから、上記の救助作業によって、A車に運転席ドアの開放に伴う損傷や、運転席前部の凹みが元の方へ戻されることによる損傷が新たに生じたものと考えられるが、本件事故によるA車の破損状況に大幅な変容が生じたとまではいえない。
(3) 前記(1)で認定したとおり、A車の最初のスリップ痕が現れた地点からA車とY1車の衝突地点までの距離は七〇・六メートルであり、A車はY1車との衝突後も進行方向に二二・九メートル移動していることからすると、A車は、最初にブレーキを踏んでから停止するまでに少なくとも九三・五メートルの距離を進行したことになる。そこで、摩擦係数を〇・四として、A車の初速を算定式file_5.jpg(wikt= /259XHIFERE (m) XRDにより計算すると、時速約九八キロメートルfile_6.jpg(98 /259 X93. 5X0. 4)となる。
また、交通事故工学解析書(乙一)によれば、A車及びY1車の損傷状態(救助作業に伴うA車の損傷も一応考慮に入れている。)から解析したA車の衝突時の速度は、時速九五ないし一〇六キロメートル程度であったと推定され、Bの前記供述調書(甲一一)によれば、A車は、事故地点手前で、時速約八〇キロメートルで走行車線を走っていたB車を追い抜いたというのであるから、これらによれば、本件事故当時のA車の速度も、Y1車の速度と同じく、少なくとも時速約九〇キロメートルに及ぶものであったと推認される(被告らは、A車の速度が時速一二〇キロメートルを超えるとも、時速九五ないし一〇六キロメートルとも主張しているが、同主張の速度があったとまでは直ちに認めることはできない。)。
そして、本件事故現場においては、毎時六〇キロメートルの速度規制がされており、当時道路が降雨のため湿潤していて滑りやすい状況にあったこと(前記(1)イの認定事実)、本件事故現場の走行車線をY1車と同一方向に走行していたB車は、先行するY1車の異変に気づいて、急ブレーキをかけたものの、本件事故現場にブレーキ痕を残すことなく停止し、Y1車とは衝突していないこと(甲九~一一、証人B)を勘案すると、Aの大幅な制限速度違反が本件事故の原因の一つであるといわざるを得ない。
もっとも、前記(1)で認定したとおり、被告Y1も、本件事故現場を制限速度を大幅に超過する時速約九〇キロメートルの速度で走行しており、しかも、被告Y1においては、前方を走る乗用車に注意を払わないままこれに接近し、同車の一八・八メートル後ろに来た時点で初めてブレーキを踏み、更に追突を避けようとして湿潤していた路面上で急ブレーキをかけ、右に急ハンドルを切ったため自車のコントロールを失ったというのであるから、その過失は極めて重大であり、本件事故は単なる追突事故であるとすることはできない。
以上認定の本件事故の態様に照らすと、本件事故における被告Y1とAの過失の割合は、被告Y1が六〇パーセント、Aが四〇パーセントと認めるのが相当である。
二 争点(2)(原告らの損害)について
(1) Aの逸失利益
ア Aは、昭和五七年、一般区域貨物自動車運送事業を営業の目的とする五葉運送に従業員として雇用され、大型貨物自動車の運転手として勤務していた(甲一六、一八、二〇、二一)。本件事故当時、Aは五五歳であった(前記前提となる事実(1))。
イ 原告らは、原審において、Aの本件事故前の年間収入が七六六万一五八二円ないし九一六万九九七五円であった旨主張していたが、この点に関する原告らの上記主張が採用できないことは、原審が原判決八頁二一行目から一〇頁二行目までに判示しているとおりである。
他にAの本件事故前の収入の額を認めるべき的確な証拠はないから、本件においてはAの実収入額は不明といわざるを得ない。そうすると、逸失利益の算定に当たってのAの基礎収入は、賃金センサス平成一二年企業規模計・産業計・男性労働者の、学歴計五五~五九歳の基準により、六四九万二〇〇〇円と認めるのが相当である(原告らも、当審において、これを基礎収入とする旨主張するに至った。)。
ウ 前記前提となる事実(3)及び証拠(甲三~八、四三、四四、原告X1本人、原告X2本人、原告X3本人)によれば、<1>原告らは、肩書地の原告X3の所有建物(以下「原告X3方」という。)で同居して生活していること、<2>原告X3方の建物及びその敷地は、Aと原告X3が昭和四八年九月に購入して二分の一ずつの所有権を取得したものであるが、両名が離婚した際、原告X3が財産分与によってAの持分を取得し、原告X3の単独所有となったこと、<3>原告X1(昭和○年○月○日生)は、平成一四年五月二一日に婚姻の届出をし、会社員である同原告の夫、同原告夫婦の間の長女も原告らと同居していること、<4>原告X1は、Aが原告X3と離婚した平成五年に経理コンピューター専門学校を卒業し、以後結婚するまで会社勤めをして月額一五万円から二〇万円程度の収入を得ていたこと、<5>原告X2(昭和○年○月○日生)は、Aが原告X3と離婚した当時、既に高校を卒業し会社勤めを始めており、月額一〇万円程度の収入を得ていたこと、<6>Aは、原告X1及び原告X2の親権者をいずれも原告X3と定めて離婚した後、原告X3方を出て、姫路市で生活を始めたが、原告X2は、平成七年一〇月に原告X3方に戻るまでの約二年間、Aと同居していたこと、<7>原告X3(昭和○年○月○日生)は、Aとの離婚後も、以前からしていた親元でのパート勤務を続け、月額一五万円程度の収入を得ていたこと、<8>原告らは、Aが金融上のトラブルに巻き込まれて債務を負ったため、Aと原告X3が離婚したと説明しているが、原告X1及び原告X2は、Aの相続放棄をしていないことが認められる。
上記認定事実によれば、Aが離婚後も原告らの家計をある程度援助していたことがうかがわれるものの、その援助の具体的な内容を認めるべき的確な証拠はなく、精神的にはともかく、それによって、Aが経済的に一家の支柱であったとまでは認めることができない。そうすると、Aの逸失利益の算定に当たっての生活費控除の割合は、これを五割とするのが相当である。
エ 以上によれば、Aの逸失利益は、基礎収入額を六四九万二〇〇〇円、生活費控除の割合を五割とし、五五歳の死亡時から六七歳の就業終了年限まで一二年間のライプニッツ係数(中間利息の控除割合を年五パーセントとする。)として八・八六三二を採用し、二八七六万九九四七円(649万2000円×(1-0.5)×8.8632=2876万9947円)と認めるのが相当である。
(2) Aの慰謝料
前記認定の本件事故の態様、本件事故が被告Y1の無謀運転に起因するものであること、証拠(甲一六、一七、四七、四八、五九、原告X1本人、原告X2本人、原告X3本人)及び弁論の全趣旨によって認められる、<1>Aは、本件事故により外傷性腹腔内出血、右大腿骨骨折の重傷を負い、苦しみ抜いて死亡したこと、<2>遺族の打撃が大きいこと、<3>被告らの本件事故後の態度が不誠実であること、その他本件に現れた諸般の事情を考慮すると、Aの慰謝料は二五〇〇万円と認めるのが相当である。
(3) 原告ら固有の慰謝料
ア 前記のとおり、原告X1、同X2はいずれもAの子であるところ、本件事故によって、同原告らが受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、それぞれ一五〇万円が相当であると認める。
イ 前記(2)掲記の証拠によれば、原告X3も、本件事故によって精神的な苦痛を受けたことが認められるものの、前記のとおり、同原告は平成五年三月二二日にAと離婚した元妻であるから、民法七一一条が定める固有の慰謝料請求権を有するとは認められない。
また、仮に内縁の配偶者に同条の慰謝料請求権を認める余地があるとしても、本件全証拠によっても、原告X3とAの関係が、法律上の夫婦に準ずる程度の内縁関係にあったとまでは認めるに足りない。
(4) Aの葬儀費用
証拠(甲四二の一~三二、原告X3本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告X3は、Aの葬儀費用として一五〇万円を超える費用を負担したことが認められる。同原告が請求する葬儀料一五〇万円は、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
(5) 小括
ア 以上によれば、本件事故によってAが被った損害は、逸失利益二八七六万九九四七円と慰謝料二五〇〇万円の合計五三七六万九九四七円であり原告X1及び原告X2の両名は各々その二分の一である二六八八万四九七三円(円未満切り捨て)を相続によって取得したと認められる。
イ 原告X1及び原告X2は、それぞれ一五〇万円の固有の慰謝料請求権を有するから、同原告らが有する請求権の数額(過失相殺前)は、それぞれ二八三八万四九七三円となる。
ウ 原告X3が有する請求権の数額(過失相殺前)は、前記のとおり葬儀料一五〇万円である。
エ 本件事故にはAにも四割の過失が存在すると認めるべきことは前記のとおりであるから、過失相殺後の原告らの請求権の数額は、原告X1及び原告X2がいずれも一七〇三万〇九八三円(円未満切り捨て)、原告X3が九〇万円となる。
(6) 損害のてん補及び確定遅延損害金
ア 損害のてん補
本件事故の賠償として、平成一三年六月二一日、自賠責保険から三〇〇〇万円が支払われたことが認められ(弁論の全趣旨)、原告X1及び原告X2は、これを各自が有する損害賠償請求権の一部に均等に充当したとしているから、同原告らの損害賠償請求権の残額はいずれも二〇三万〇九八三円となる。
イ 確定遅延損害金
前記三〇〇〇万円が前記期日に支払われるまでの本件事故日(平成一二年七月二五日)からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金は、一三六万四三八三円(3000万円×0.05×332日/365日=136万4383円:原告X1及び原告X2各自につき六八万二一九一円)である。
(7) 弁護士費用
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は、原告X1及び原告X2については各自二〇万円、原告X3については一〇万円であると認めるのが相当である。
三 その他、原審及び当審における当事者提出の各準備書面等に記載の主張に照らし、原審及び当審で提出、援用された全証拠を改めて精査しても、前記認定判断を覆すに足りるものはない。
四 結論
以上によれば、原告らの被告ら各自に対する請求は、原告X1及び原告X2については、それぞれ二九一万三一七四円(203万0983円+68万2191円20万円=291万3174円)及びうち二二三万〇九八三円(確定遅延損害金を除く損害額)に対する平成一二年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余はいずれも理由がなく、原告X3については一〇〇万円(90万円+10万円=100万円)及びこれに対する同日から支払済みまで同割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。
よって、これと一部結論を異にする原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 竹原俊一 長井浩一 中村心)
(別紙) 「原告ら主張の走行軌跡」
(1) B車<1>の時、A車<1>とY1車<1>
この時、B車は左車線で、A車の前にいた。右車線の後からY1車<3>が追い越していった。
file_7.jpgfi- Nunn 4 naa | nao Qi tay rm(2) B<2>の時、A車<2>とY1車<2>。B車<2>はA車<2>と並走を始めた。
『A車は国道からの合流車がいるので、右車線に入った』
『この時、Y1車<2>は方向指示器を出していない』
『Y1車は右車線から左車線に入り、Y1車<2>がふらつく。』
file_8.jpg(3) B<3>の時、A<3>とY1車<3>。B<3>とA<3>は並行して走行。
Y1車は2、3度ふらつきがあった。
file_9.jpg(4) B<4>の時のA車<4>とY1車<4>。B<4>とA<4>は並行して走行。
Y1<4>は右ガードレールに右フロントが衝突。弾みでY1車は左回転を始めた。
Y1車は衝突直後にブレーキランプが点いた。
file_10.jpgSILT AB TGA (RY)(5) B<5>の時のA車<5>とY1車<5>。B<5>とA<5>は並行して走行。
Y1車は左転回し、Y1<5>はトラック右後部を道路端の亀山大橋親柱に衝突。
file_11.jpgEARL TA HOMES COC RN TIS AREY) AR MHS TS ORR eae SSE Tam he is(6) B<6>の時のA車<6>とY1車<6> B<6>とA<6>は並行して走行。
Y1車は転回後、亀山大橋の親柱に衝突した。Y1車<5>。Y1車が逆走。
B車とA車へ向かい走行。Y1車<6>でA車<6>と衝突した。その時B車<6>
file_12.jpgak TRA x ‘event a a ae(7) B<7>の時のA車<7>とY1車<7>。B<7>、A<7>、Y1<7>で各トラック停止。
file_13.jpgSALA AAP TI 99 MEATS 1 PLLA LA say xewny: tues econ 7 sca Bee —— ea wo KL ult vi Tae —_* -—— seating 7 Pe tS MEN Rema交通事故事件現場見取図
file_14.jpgRUINY —YORLDNE7 SUPA SSSR E A Nox 200K SACI MTR NNES Cate HRLOA) FY MURO.3 OA BI a ceaouunymancneenanacy lanrnueay Yea aungeeun sauasoaay SEE awe EUEECNSED) a? ST = —