大阪高等裁判所 平成16年(ネ)2418号 判決 2005年1月20日
控訴人(一審原告)
A野太郎
同訴訟代理人弁護士
種村泰一
同
田中崇公
被控訴人(一審被告)
東京海上日動火災保険株式会社(変更前の商号・東京海上火災保険株式会社)
同代表者代表取締役
石原邦夫
同訴訟代理人弁護士
太田秀哉
同
井波理朗
同
柴崎伸一郎
同
大岩和美
同
足立泰彦
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、九九八九万八九三二円及びこれに対する平成一五年一月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
主文同旨
第二事案の概要
一 本件は、税理士であり日本税理士会連合会税理士職業賠償責任保険(以下「税理士職業賠償責任保険」という。)の被保険者である控訴人が、保険者である被控訴人に対し、控訴人が農地等についての相続税の納税猶予に関する租税特別措置法(平成一二年法律第一三号による改正前のもの。以下同じ。)七〇条の六第一項の規定の適用を受けるために必要な書類の添付を失念したため、控訴人に相続税申告業務を依頼した者(いわゆる農業相続人)が相続税の納税猶予の制度の適用を受けられず相続税相当額の損害を被ったことについて、控訴人が上記損害を依頼者に賠償したとして、保険契約に基づいて、保険金九九八九万八九三二円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成一五年一月一一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
原審は、上記保険の税理士職業危険特別約款所定の免責条項に該当するとして、控訴人の請求を棄却したため、控訴人が本件控訴を提起した。
(以下、控訴人を「原告」、被控訴人を「被告」という。また、原判決と異なる部分(ただし、細かな表現についての変更を除く。)については、ゴシック体で表記する。)
二 前提となる事実
当事者間に争いがない事実並びに《証拠省略》により容易に認定することができる事実は、次のとおりである。
(1) 当事者
ア 原告は、税理士であり、兵庫県小野市内において、「A野会計事務所」の名称の税理士事務所を設けて税理士業務を行っているものである。
イ 被告は、損害保険業等を目的とする株式会社であり、税理士職業賠償責任保険の西日本幹事会社である。
(2) 税理士職業賠償責任保険
ア 同保険契約の締結
原告は、平成一四年七月一日ころ、日本税理士会連合会及び被告との間で、日本税理士会連合会を保険契約者、被告を保険者、原告を被保険者とする後記イの内容の税理士職業賠償責任保険契約を締結した(以下、この保険に係る契約を「本件保険契約」という。)
なお、原告は、それ以前も毎年、税理士職業賠償責任保険に加入していた。
イ 同保険の内容
(ア) 被告のてん補責任
被告は、被保険者である税理士が、日本国内において税理士としての業務の遂行に当たり、職業上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について、法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する。
(イ) 保険期間
平成一四年七月一日から平成一五年七月一日まで
(ウ) てん補限度額
一請求当たり一億円
(エ) 免責
本件保険契約に適用される税理士職業危険特別約款第五条二項には、「当会社は、納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合において、修正申告、更正または決定により納付すべきこととなる本税(累積増差税額を含みます。)等の本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者が被害者に対して行う支払(名目のいかんを問いません。)については、てん補しません。」という条項(以下「本件免責条項」という。)があった。
(オ) 共同保険に関する特約条項
本件保険契約は、被告が幹事会社となる大成火災海上保険株式会社を含む共同保険契約であるところ、同社は、平成一四年八月三一日、東京地方裁判所より会社更生計画の認可決定を受けた。同更生計画では、損害保険契約者保護機構の補償対象外契約については、支払保険金額に七七・〇三パーセントを乗じた金額の支払とされた。
本件保険契約は損害保険契約者保護機構の補償対象外契約であり、同社の引受割合は、〇・四四パーセントであった。
したがって、保険金額は、次のとおり九九八九万八九三二円である。
一億円-(一億円×〇・四四%×(一-七七・〇三%))=九九八九万八九三二円
(3) 保険事故
ア 原告は、故B山松夫の相続人であるB山竹夫、C川梅子及びD原春子(以下、併せて「B山ら」という。)から委任を受けて、故B山松夫の死亡(死亡日・平成一〇年一二月二九日)に係る相続税申告業務を遂行することとなった。その際、B山らが農業を営んでいた故B山松夫から農地を相続し、B山竹夫において引き続き農業を営む意思であったことから、原告は租税特別措置法七〇条の六における農地等についての相続税の納税猶予の制度(以下、単に「納税猶予制度」という。)の適用を受けることを前提として、相続税の申告書の提出期限(以下「申告期限」という。)内である平成一一年一〇月二八日、B山らの申告期限までに納付すべき税額を〇円とする相続税の申告書を作成の上、所轄の明石税務署長に提出した。
イ しかし、相続人が納税猶予制度の適用を受けるためには、相続税の申告期限内に、その適用を受けようとする旨を記載した相続税の申告書を提出するとともに、当該申告書に、被相続人及び相続人が納税猶予の適用要件に該当することを証する農業委員会の書類(「相続税の納税猶予に関する適格者証明書」以下「適格者証明書」という。)及び租税特別措置法七〇条の六第一項に規定する特例農地等の地目・免責等を記載した書類(当該特例農地等のうちに平成三年一月一日において同法七〇条の四第二項第三号イからハまでに掲げる区域内に所在する農地がある場合には、当該書類及び当該農地が納税猶予の特例適用の農地等に該当する旨を証明する市長等の書類の写し(「納税猶予の特例適用の農地等該当証明書」以下「農地等該当証明書」という。))等を添付することが必要であるところ(同法七〇条の第一二項、平成一二年政令第一四八号による改正前の同法施行令(以下同じ)四〇条の七第一項、第二項、平成一二年大蔵省令第三一号による改正前の同法施行規則(以下同じ)二三条の八第一項、第三項)、原告は、必要な書類の添付を失念し、前記相続税の申告書に適格者証明書及び農地等該当証明書を添付しなかった。
原告は、平成一二年一月一三日、明石税務署長から納税猶予制度の適用を受けるために必要な適格者証明書及び農地等該当証明書の添付がないとの指摘を受け、これらを入手した上、同年二月末ころ、明石税務署長に提出した。しかし、明石税務署長は、同年六月ころ、申告期限までに適格者証明書及び農地等該当証明書の提出がない以上、B山らについて納税猶予制度の適用は認められないとの判断をした。
そして、結果的に、B山竹夫は減額更正の上、一億三四六〇万六一〇〇円のC川梅子は修正申告の上、二九九万三六〇〇円の、D原春子は修正申告の上、二九九万三六〇〇円の相続税(合計一億四〇五九万三三〇〇円)をそれぞれ納付した。(以下、原告による上記各証明書の不提出によりB山らにおいて納税猶予制度の適用を受けられなくなったことを「本件事故」という。)。
ウ B山らは、本件事故に基づく損害賠償請求を岡田清人弁護士に依頼し、同弁護士は、平成一四年九月一八日、原告に対し、損害賠償金合計一億九四三六万五二二六円の支払を請求した。そして、交渉の結果、原告及びA野夏夫とB山らとの間において、同年一〇月二一日、原告及びA野夏夫が、B山らに対し、本件事故に係る損害賠償として合計一億〇八三四万三一〇〇円を支払い、かつ、本件相続税申告に関して原告が受領した報酬(合計一二〇万四八七五円)を返還する旨の裁判外の和解契約が成立し、原告は、B山らに対してこれを支払った。
三 争点
本件の争点は、本件免責条項が本件に適用されるか否かである。
(1) 被告の主張(抗弁)
ア 原告は、当初、納税猶予制度の適用を受けることを前提として、その旨の相続税申告書(平成一一年一〇月二八日収受印)を明石税務署長に提出したが、適格者証明書及び農地等該当証明書を申告期限内に提出しなかったため、納税猶予の適用を受けない相続税修正申告書を提出した。したがって、本件は、納付すべき税額が過少であった場合において、修正申告によって納付すべきこととなった本来納付すべき税額について、原告がB山らから損害賠償を求められた事案であり、本件免責条項が適用される事案である。
イ また、納税猶予制度では、相続税が免除されるわけではなく、一定の要件を満たし、適式の手続を履践した場合に、相続税の納税が猶予されるにすぎないのであり、いったん納税猶予制度の適用を受けた場合でも、その後に相続等により取得した特例農地等の譲渡、贈与若しくは転用(特定転用の例外がある。)をした場合等には、納税猶予が打ち切られ、相続税を一時に納付しなければならない。そうすると、本件のような場合に本件免責条項の適用を認めないと、不正を助長し、違法行為を誘発することになりかねない。
すなわち、依頼者(納税者)と税理士とが共謀して、税理士職業賠償責任保険制度を悪用し、保険金を相続税の支払に充てようと企て、あえて相続税の申告書に適格者証明書及び農地等該当証明書を添付して提出することを失念したように装い、税理士が納税者に損害賠償責任を負ったとして、納税猶予となったはずの相続税相当分の保険金を請求する場合が具体的な不正行為として想定される。このような場合、納税者としては、保険金によって相続税の支払がされることになり、他方、税理士にとっても、損害賠償責任を負担しても、それは保険金によっててん補されることから、自らは何ら経済的負担をすることはない。
そして、不正目的があったか否かは保険会社にとっては判別不可能であるから、本件のごときケースに一律に本件免責条項の適用を認めないと、保険制度を悪用することによって、このような納税申告に係る不正を助長する事態が発生すると考えられる。
ウ よって、本件免責条項は本件に適用されるべきである。
(2) 原告の反論
ア 本件事故は本件免責条項の規定の要件に該当しないこと。
本件において、B山竹夫は、納税猶予制度の適用を受ける実体的要件を備えていたところ、納税猶予制度の適用は、実体的な要件が存する場合に、その旨を申告すれば、当然に認められるのであり、ただ、実体的要件が存在することを適格者証明書及び農地等該当証明書をもって証明することが必要とされているにすぎない。したがって、その実体的要件を備えていたB山竹夫は、納税猶予制度の適用を受けて相続税の納税を猶予され、その結果、納付すべき税額は〇円とされる者であったし、C川梅子及びD原春子も租税特別措置法七〇条の六第二項の規定の適用により相続税の納付を要しないとされる者であった。また、そうであるからこそ、原告は、このような前提で相続税の申告を行ったものである。
原告は、適格者証明書及び農地等該当証明書の提出を失念したが、本来、申告すべき税金について過少申告をしたものでもないし、無申告であったというものでもない。また、そもそも、本件においては、納税申告書と共に適格者証明書及び農地等該当証明書の提出がされていれば、納付すべき税額は相続税の納税が猶予される結果〇円となるのであり、「本来納付すべき税額」を観念し得ないし、また、そうである以上、本件免責条項にいう「(本来)納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合」に該当する余地もないのである。
そうでないとしても、本件免責条項がもともと想定していたのは、税理士の過誤がなくても支払わなければならない税額が既に客観的に確定している場合であり、本件のように、税理士の過誤がなければ納税猶予制度の適用を受けて、支払わなければならない税額がいまだ確定しない場合には、「本来納付すべき税額」に当たるか疑義があるのであって、そうとすれば普通取引約款の解釈における「作成者不利の原則」を考慮し、本件事故は、「納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合」には該当しないというべきである。
イ 本件免責条項はその趣旨に照らしても本件に適用されないこと。
本件免責条項は、税理士の関与の下に、無申告、不納付、過少申告がなされた場合において、後日、更正決定や修正申告等により本来の税額を納付しなければならなくなったとしても、差額が損害として保険によっててん補されるのであれば、いわゆる「駄目もと」での故意による過少申告等の違法行為を誘発することになりかねないし、個々の過少申告等について、そのような不正な目的があるかどうかを逐一判断することは容易ではないので、これら過少申告等については、故意・過失を問わず、一律にてん補対象から除外したものである。
よって、本件免責条項の適用の有無は、いわゆる「駄目もと」による過少申告等の違法行為を誘発するおそれが生じ得るようなケースであるか否かで決すべきであるところ、本件は、B山らにおいて納税猶予制度が定める実体的な要件を備えていたにもかかわらず、原告がその過失により適格者証明書及び農地等該当証明書の提出を失念していたという事案にすぎないのであるから、脱税につながるような危険性のある過少申告や無申告が問題となるケースではない。
したがって、本件については、事後的に損害賠償請求を認めたとしても、本件免責条項が問題としている税理士の違法行為を助長するという結果を招来することにはならないのであって、本件事故を税理士職業賠償責任保険の対象としても、本件免責条項の趣旨に反しないことは明らかであり、本件免責条項は本件には適用されないというべきである。
第三当裁判所の判断
一 納税猶予制度の概要
(1) 納税猶予制度の趣旨
納税猶予制度は、昭和五〇年度の税制改正により設けられたもので、農地の価格が宅地期待益含みのものとなっていることにより、農業を営んでいた被相続人が死亡した場合に、その相続人が、農業を継続する意思を有しながら、相続税納付のため農地が細分化され、農業経営を縮小せざるを得ないという事態が生ずるに至っている実情を踏まえ、相続税のために農地が細分化されることを防止し、かつ、農地が農地法その他の法律により各種の規制を受けているという特殊性をも考慮して創設されたものである。
(2) 納税猶予制度の適用を受けるための要件
納税猶予制度については、租税特別措置法七〇条の六、同法施行令四〇条の七、同法施行規則二三条の八等がこれを規定しているところ、それらの規定によれば、納税猶予制度の適用を受けるためには、被相続人、農業相続人、対象農地(特例農地等)、担保の提供についての各実体要件を備えることが必要であることに加え、手続的要件をも具備することが必要とされており、その適用を受けようとする相続人は、相続税の期限内申告書に特定の農地等について納税猶予制度の適用を受けようとする旨を記載し、相続税の納税猶予に関する適格者証明書(適格者証明書)及び納税猶予の特例適用の農地等該当証明書(農地等該当証明書)等を添付して、申告期限内に当該申告書を提出しなければならず、これがなされなかった場合にはその適用を受けることができない(同法七〇条の六第一項、第一二項、同法施行規則二三条の八第三項)。
また、納税猶予制度の適用を受けた農業相続人が、継続して納税猶予を受けるには、納税猶予分の相続税の全部につき後記(5)の納税猶予に係る期限が確定するまでの間、相続税の申告書の提出期限の翌日から起算して毎三年を経過するごとの日までに、引き続いて納税猶予制度の適用を受けたい旨の届出書を、必要な書類を添付して、納税地の所轄税務署長に提出しなければならない(同法七〇条の六第一三項、同法施行令四〇条の七第二四項)。
(3) 納税猶予制度の適用を受ける農業相続人がある場合の納付すべき税額
同一の被相続人からの相続又は遺贈により財産の取得をした者のうち納税猶予制度の適用を受ける農業相続人がある場合における当該財産の取得により納付すべき相続税の額は、以下に掲げる者の区分に応じ、それぞれに掲げる金額となる(同法七〇条の六第二項)。
ア 納税猶予制度の適用を受ける農業相続人以外の相続人(同項一号)
当該相続又は遺贈により財産の取得をしたすべての者に係る相続税の課税価格の計算の基礎に算入すべき特例農地等の価額は、当該特例農地等につき農業投資価格を基礎として計算した価額であるものとして、算出される金額
イ 農業相続人(同項二号)
次に掲げる金額の合計額
(ア) 当該相続又は遺贈により財産の取得をしたすべての者に係る相続税法一六条に規定する相続税の総額から当該すべての者が前記アに掲げる者に該当するものとして計算した場合の当該すべての者に係る前記アに掲げる金額の合計額を控除した金額
(イ) 当該農業相続人が前記アに掲げる者に該当するものとして計算した場合の当該農業相続人に係る前記アに掲げる金額
なお、前記「農業投資価格」とは、特例農地等に該当する農地等につき、それぞれ、その所在する地域において恒久的に耕作等の用に供されるべき農地等として自由な取引が行われるものとした場合におけるその取引において通常成立すると認められる価格として当該地域の所轄国税局長が決定した価格をいう(同法七〇条の六第五項)。
(4) 猶予される相続税額
納税猶予制度によって猶予される相続税は、納税猶予制度の適用を受ける農業相続人に係る前記(3)イ(ア)に掲げる金額に相当する相続税とする(同法七〇条の六第三項)。
(5) 納税猶予の期限
ア 納税猶予制度の適用を受けた場合の納税猶予期限は、原則として当該農業相続人の死亡の日又は相続税の申告書の提出期限の翌日から二〇年を経過する日のいずれか早い日である(同法七〇条の六第一項、五項)。
イ ただし、その納税猶予期限までに、以下の事由があった場合には、それぞれに掲げる日から二か月を経過する日をもって納税猶予期限となる(同法七〇条の六第一項ただし書、第一五項)。
(ア) 当該相続又は遺贈により取得した特例農地等の譲渡、贈与若しくは転用をし、若しくは当該特例農地等につき、地上権、永小作権、使用貸借により権利若しくは賃借権の設定をし、又は当該取得に係るこれらの権利の消滅があった場合において、当該譲渡、贈与、転用若しくは設定又は消滅があった当該特例農地等に係る土地の面積が、当該農業相続人のその時の直前における当該取得をした特例農地等に係る耕作又は養畜の用に供する土地の面積の一〇〇分の二〇を超えるときには、その事実が生じた日
(イ) 当該相続又は遺贈により取得をした特例農地等に係る農業経営を廃止した場合には、その廃止の日
(ウ) 前記(2)の毎三年ごとの「引き続いて納税猶予の適用を受けたい旨の届出書」を提出しなかった場合には、その届出書の提出期限の翌日
ウ 前記イに該当する場合、当該農業相続人は、納税猶予分の相続税の額を基礎とし、当該相続税に係る相続税の申告書の提出期限の翌日から、納税猶予に係る期限までの期間の月数に応じ、年六・六パーセントの割合を乗じて計算した金額に相当する利子税を、納税猶予分の相続税の額にあわせて納付しなければならない(同法七〇条の六第二一項)。
(6) 猶予分の相続税額の免除
納税猶予制度の適用を受けている場合において、当該農業相続人が死亡した場合及び納税猶予に係る相続税の申告期限の翌日から二〇年を経過した場合等には、所定の届出書を所轄税務署長に提出することにより、猶予されていた相続税額の全部が免除される(同法七〇条の六第二〇項)。
二 争点に対する判断
(1) 本件免責条項が設けられた趣旨、目的を検討するに、本件免責条項がてん補しないことを明らかにしている「納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合において、修正申告、更正または決定により納付すべきこととなる本税(累積増差税額を含みます。)等の本来納付すべき税額」(以下、単に「本来納付すべき税額」という。とは、被保険者である税理士の過誤の有無にかかわらず、納税者が本来納付すべきことを免れないものであり、税理士の過誤と相当因果関係のある損害とはいえないから、これを保険によりてん補する必要はないということに求められる(逆に、税理士の過誤により、納税者が本来納付する必要のなかった過大な税額を納付しなければならなくなった場合は、まさに税理士職業賠償責任保険のてん補するべき損害が生じたといえる。)。
すなわち、税理士職業賠償責任保険は、賠償責任保険である以上、税理士が依頼者に対して損害賠償責任を負担したことが保険事故なのであり、税理士の過誤と相当因果関係がないために税理士が依頼者に対し損害賠償責任を負担しない損害についてまでてん補することは想定していないものである。
また、本件免責条項は、不正な過少申告等にかかわった税理士が申告に係る税額と本来納付すべき税額との差額を依頼者に賠償し、その賠償に係る損害を税理士職業賠償責任保険によりてん補されることによって生じ得る納税申告に係る不正の助長を防止することも、その趣旨、目的とするものであると解される(最高裁判所第二小法廷平成一五年七月一八日判決・民集五七巻七号八三八頁参照)。
(2) 本件において、B山らは、前記認定のとおり、申告期限内に相続税の申告書を提出しているところ、B山らが、上記申告書に適格者証明書及び農地等該当証明書等を添付した場合には、納税猶予制度の適用を受けることができた蓋然性が相当程度存在したものと認められ、前記一のとおり、納税猶予制度の適用を受けた後に当該農業相続人(B山ら)が死亡した場合及び納税猶予に係る相続税の申告期限の翌日から二〇年を経過した場合等には、所定の届出書を所轄税務署長に提出することにより、猶予されていた相続税の全部が原則として免除されるというのであるから、B山らは、その支払った相続税合計一億四〇五九万三三〇〇円について、最終的に納税を免れる余地が相当程度存在したというべきである。
そうすると、上記相続税は、被保険者である税理士(原告)の過誤の有無にかかわらず、B山らが本来納付することを免れないものであったということは到底できず、本件免責条項にいう「本来納付すべき税額」に当たらないと解される。
(3) 確かに、被告が指摘するとおり、税理士(被保険者)と農業相続人となり得る実体的要件の具備した依頼者とが通謀して、将来、依頼者(納税者)が相続等により取得した特例農地等を譲渡、贈与若しくは転用するなどの目的を秘して、税理士が納税猶予のための証明書類の添付を失念したように装い、税理士が納税を猶予されるはずであった相続税額について依頼者に対し損害賠償責任を負担したとして、上記相続税額のてん補を保険金により受けた場合、依頼者にとっては、本来納付すべき相続税分を自ら負担することなく、上記制約なしに相続した農地等を自由に譲渡したり、農地以外に転用することができることになるという事態が発生するおそれは否定できない。
しかしながら、このような不正な事態(モラル・ハザード)が発生したとしても、徴税機関からみれば、所定の相続税の納付がされている以上、特に問題とするには当たらない。言い換えれば、上記の不正な事態は、依頼者と税理士とが通謀して、故意に保険事故を発生させて保険会社から保険金を騙取し、騙取した保険金をもって納税資金に充てたという保険金詐欺の事案なのであって、徴税機関との関係における不正行為(脱税)では全くない。
してみると、前記(1)の本件免責条項の趣旨、目的からしても、上記のような不正な事態が発生するおそれがあることをもって、直ちに、本件免責条項が適用されるということはできない。
ところで、賠償責任普通保険約款は、別途、直接であると間接であるとを問わず、保険契約者、被保険者の故意によって生じる損害についてはてん補しない旨の免責規定を定めている(同約款第五条(1))。保険会社は、上記のような保険金詐欺による保険金請求に対しては、上記免責規定を適用し、その支払を拒否することで対応すべきである。もちろん、保険者にとって、保険事故の発生につき被保険者に故意があったか否かを逐一判断することは必ずしも容易ではないが、このことは、保険金詐欺の事案一般に当てはまることであり、前記認定判断を左右するに足りない。
そして、他に、本件のような事案において本件免責条項の適用を排除することにより、納税申告に係る不正を助長する事態が発生すると認めるに足りる的確な証拠はないから、この観点からしても、本件免責条項が本件に適用されるということはできないのである。
(4) そして、他に、本件免責条項が本件に適用されるというべき事情は見当たらない。
三 その他、原審及び当審における当事者提出の各準備書面記載の主張に照らし、原審及び当審で提出、援用された全証拠を改めて精査しても、当審の認定、判断を覆すほどのものはない。
四 以上によれば、原告の請求は理由があるから、これを認容すべきところ、これを棄却した原判決は失当であるから、取消しを免れない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹原俊一 裁判官 長井浩一 中村心)