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大阪高等裁判所 平成16年(ラ)1274号 決定 2005年3月03日

抗告人 甲山X

主文

1  原審判を取り消す。

2  抗告人の氏「甲山」を「乙川」と変更することを許可する。

3  抗告費用は、抗告人の負担とする。

理由

第1事案の概要等

1  事案の概要

(1)  抗告人は、もと中国国籍の女性(当時の中国人としての姓は「丙谷」であった。)であるが、日本国籍男性と婚姻し、婚姻中に長女をもうけた後、帰化し、日本国籍を取得し、夫の戸籍に入籍した。

その後、長女の親権者を抗告人と定めて夫と協議離婚したが、その際、前夫の氏と同じ「甲山」を自己の氏と設定して新戸籍を編製した。

(2)  抗告人は、長女が高等学校に入学する機会に、「甲山」の氏を「乙川」の氏に変更することの許可を求めた。

原審は、上記申立てには、戸籍法107条1項に定める氏を変更すべき「やむを得ない事由」を認めることができないとし、これを却下する旨の原審判をした。

(3)  本件は、原審判を不服として、抗告人が後記のとおり主張して抗告した事案である。

2  抗告の趣旨及び理由

抗告人は、原審判を取り消し、本件を原審に差し戻す旨の裁判を求めた。

抗告理由の趣旨は、要するに、抗告人のような離婚した帰化日本人に対し、離婚前の氏と同じ氏を称し続けさせることは酷であり、新しい氏を称するためにされた本件氏の変更許可申立てには、戸籍法107条1項に定める「やむを得ない事由」があると解すべきである、というにあるものと解される。

第2当裁判所の判断

当裁判所は、原審判と異なり、抗告人の氏「甲山」を「乙川」に変更することを許可するのが相当であると判断する。その理由は、次のとおりである。

1  事実関係

一件記録によれば、次の事実が認められる。

(1)  抗告人は、元中国の国籍を有する者(1962年「昭和37年」○月○日生。当時の姓名は「丙谷X」である。)であるところ、昭和62年1月22日、日本国籍を有する甲山A(以下「A」という。)と婚姻届出をし、兵庫県a市所在の筆頭者Aの戸籍の身分事項欄にその旨の記載がされた。

(2)  抗告人は、平成元年○月○日、Aとの間に、長女B(以下「B」という。)をもうけ、Bは、同月17日、上記筆頭者Aの戸籍に入籍した。

(3)  抗告人は、平成4年9月8日に日本に帰化したが、帰化に当たり、筆頭者Aの上記戸籍に入籍し、甲山の氏を称することとした。

(4)  抗告人とAは、平成10年1月19日、Bの親権者を抗告人と定めて協議離婚した(この間、Aは、平成8年3月にb市に転籍している。)。

抗告人は、その際、Bが中学校を卒業するまでは「甲山」を称し、中学校卒業後に氏を変更したいと考えていたため、離婚後の氏として、Aと同じ「甲山」を称することとし、b市を本籍地とし、抗告人を筆頭者、氏を「甲山」とする新戸籍が編製され、平成10年1月26日にBが抗告人の戸籍に入籍した。

(5)  抗告人は、平成17年4月にはBが現在の中学校を卒業して高校に進学する予定であるため、平成16年9月6日、神戸家庭裁判所に対して、抗告人の氏「甲山」を「丙谷」に変更することの許可を申し立てたところ(平成16年(家)第□□□□号氏の変更許可申立事件)、同裁判所は、同月21日、同申立てを認容した(このとき、Bは、抗告人の氏を「丙谷」に変更することに同意していた。)。

ところが、その直後、Bは、抗告人の氏が「丙谷」に変更されると、Bの氏名は「丙谷B」と、いかにも中国風となってしまうため、今後日本の高校に進学し、日本の社会で生活する上で不安であると訴えるようになったため、抗告人は、その心情を思い、審判確定前の同月24日、上記申立てを取り下げた。

(6)  抗告人は、同月24日、上記申立取下げと同時に、同裁判所(原審)に対して、抗告人の氏「甲山」を「乙川」に変更することの許可を求める本件申立てをした。

その理由としては、抗告人の氏の変更については、上記のようなBの心情に配慮する必要がある、抗告人自身は、離婚した夫に対する信頼感が失われているので、甲山姓を続けて称したくない等と主張し、「乙川」は、自己のルーツに配慮した日本人としての氏として気に入っており、Bもこれに同意している、と主張している。

(7)  原審は、「甲山」は、珍奇、難読ではない、同姓同名の者がいるために社会生活が混乱している等の事情はない、抗告人と「乙川」という氏につながりはなく、使用実績もないから、戸籍法107条1項所定の「やむを得ない事由」は認められないと判断し、抗告人の申立てを却下する原審判をした。

2  以上の関係事実に基づき、抗告人の原申立ての当否について判断する。

(1)  帰化により日本国籍を取得した者は、出生によって日本民法上の氏を取得していないので、帰化したことによって新たに氏を定めなければならず、その氏は、当該人の意思に従って自由に設定することができるものと解される(昭和25年6月1日民事甲1566号民事局長回答参照)。

しかし、帰化者の配偶者が日本人である場合は、帰化前には夫婦の氏は定まっていないのであるから、夫婦の氏及び本籍を同一にする要請から、夫婦いずれの氏を称するかを協議で定め、帰化者が筆頭者になる場合は、夫婦について新たな氏に基づく新戸籍を編製し、日本人配偶者が筆頭者になる場合は、既に存在するその戸籍に入籍することとなる(上記回答、同年8月12日民事甲2099号民事局長回答参照)。

更に、上記夫婦が離婚に至った場合において、帰化者が筆頭者であった場合には、帰化者がそのまま当該氏を称することになることは当然であるが、帰化者が日本人配偶者の戸籍に入籍していた場合は、帰化者は、夫婦の氏の決定につき主導性を有しておらず、事実上、自らの氏を設定する機会が与えられていなかったことになるから、離婚の時点において改めて氏の設定の機会が与えられて新戸籍を編製することとされている(昭和23年10月16日民事甲2648号民事局長回答、昭和26年2月20日民事甲312号民事局長回答参照)。

(2)  上記の実務例に則して、抗告人の場合を検討すると、抗告人は、日本国籍を有するAと婚姻し、その後出生したBが既にAの戸籍に入籍していた状態で帰化したものであるから、帰化の時点では、事実上、自己の氏を設定する自由を有せず(夫婦の氏の決定につき主導性を有しておらず)、Aの戸籍に入籍するほかはなかったものと推認できる。

そして、その後、抗告人がAと離婚した後に編製した新戸籍において設定した氏「甲山」は、法律上は、抗告人が自由な意思に基づいて選択した氏ではあるけれど、抗告人がBの親権者となっていたことからすれば、就学年齢に達していたBに心理的混乱を起こさせないことを考慮して、当面は、いわば婚氏を続称する趣旨でやむを得ない選択をしたものと理解することができる。

そして、記録によると、抗告人は、かねてから、いずれは、自己の自由な選択による氏を称したいと希望していたものであり、その希望を実現するため、Bの高校進学の時期をよい機会として、「乙川」の氏を称すべく原申立てに及んだものである。

(3)  ところで、日本人同士の婚姻が破綻した場合に、一方配偶者(多くは妻)がその親権下にある子の氏の呼称の変更を避けるため、当面心ならずも婚氏を続称し、一定期間が経過し、子の氏の呼称の変更に支障がなくなった時点において、婚姻前の氏に復氏するのと同様の効果を目的として、氏の変更許可の申立てをすることは、しばしばみられるところであるが、このような場合には、特にそれを不相当とする事由のない限り、戸籍法107条1項に定める「やむを得ない事由」があるものとして、許可の裁判をするのが相当と考えられる。

これとの対比において、本件をみると、抗告人の原申立ては、上記の場合と類似した側面があるとみることができ、ただ、抗告人は、帰化した日本人であるから、婚姻前の氏に相当する日本人としての氏がないので、これに代わるものとして、自己の意思で選択した氏「乙川」を設定し、それへの変更許可を求めているものと理解することができる。そして、帰化した日本人には、本来自己の自由に選択した氏を設定することが許されるのが原則であることは前記のとおりであるから、以上の事実関係を総合すると、本件においては、日本人であれば婚氏続称後の復氏に当たるものとして、抗告人の希望する氏「乙川」を評価するのが相当であって、これにつき更に抗告人との繋がりや一定期間の使用実績を要求するまでの必要はないと解するのが相当というべきである。このように解しても、氏の変更制度の運用に関し、不都合な結果を生ずるとは解されない。

なお、抗告人は、原申立ての直前に、その氏を「丙谷」に変更することを許可され、審判確定前に当該申立てを取り下げたことは前記のとおりであるが、「丙谷」は、抗告人が帰化する前の中国における氏であって、日本人としての氏ではないから、その「丙谷」と本件の「乙川」とは、いわば同価値であって、その間に許可不許可の境界をもうけることは、必ずしも合理的ではない。

以上の次第で、本件においては、抗告人の氏を「乙川」に変更すべき「やむを得ない事情」があると認めるのが相当である。

3  よって、以上の見解と異なる原審判は相当ではないから、家事審判規則19条2項により、原審判を取り消し、審判に代わる裁判をする趣旨で主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 田中壯太 裁判官 橋詰均 三宅康弘)

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