大阪高等裁判所 平成16年(ラ)268号 決定 2004年5月10日
福岡市●●●
再抗告人(原審抗告人・原々審申立人・本案被告)
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上記訴訟代理人弁護士
吉原洋
京都市●●●
相手方(原審相手方・原々審相手方・本案原告)
株式会社ワールド
上記代表者代表取締役
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主文
1 原審決定及び原々審決定をいずれも取り消す。
2 本案訴訟を福岡簡易裁判所に移送する。
理由
第1再抗告に至る経緯等
一件記録によれば,次の事実が認められる。
1 相手方は,昭和53年1月31日に設立された資本金9600万円の株式会社であり,主として西日本の各所に支店を設け(商業登記がされた支店数は17),消費者向けの小口貸金業(消費者金融業)を営んでいる。相手方福岡支店(福岡市●●●)は,商業登記がされた支店のひとつである。
2 再抗告人は,平成15年7月1日,相手方福岡支店に基本契約証書(本案甲第2号証の1。以下「本件証書」という。)を差し入れ,翌7月2日,利息及び遅延損害金の割合を年29.20パーセントとする約定で,同店から20万円を借り入れ,同年8月4日及び9月1日,福岡市内に設置された相手方のATM機を利用して各6000円(合計1万2000円)を弁済したが,それ以降の弁済をしなかった。
3 本件証書は,顧客の取扱いや顧客との法律関係を統一するため,相手方がすべての顧客に差入れを求めている契約書であり,その裏面には全16か条の契約条項が細かい活字で印刷されている。その10条2項には「当事者双方は本契約による貸借に関する訴訟が京都簡易裁判所に専属的に管轄されることを合意します。」との条項の記載がある(以下,この条項に基づく管轄合意を「本件管轄合意」という。)。
4 相手方は,平成15年10月27日,再抗告人を被告とし,貸金残元本19万3977円及び平成15年9月2日以降の利息・損害金の支払を求める本案訴訟を京都簡易裁判所に提起した。
5 再抗告人は,民事訴訟法16条及び17条に基づき,本案訴訟を福岡簡易裁判所に移送するよう申し立てたが,原々審裁判所(本案の受訴裁判所)は,平成15年12月8日,その申立てを却下する旨の決定(原々審決定)をした。
6 再抗告人は,原々審決定を不服として即時抗告をしたが,原審裁判所も移送を相当とはせず,平成16年2月5日,その抗告を棄却する旨の決定をしたため,再抗告をした。
7 再抗告人は,相手方の本案請求を全面的に争っており,本案訴訟において,本件貸付けは貸金業の規制等に関する法律(以下「貸金業法」という。)13条に違反する過剰貸付けであり,再抗告人にはその全額を弁済する法的責任がないとの主張を行う予定である。
第2当裁判所の判断
1 民事訴訟法16条に基づく移送について
本件証書には再抗告人名義の署名はあるが押印がない。しかし,再抗告人はその署名の真正を争っておらず,本件証書の署名は真正なものと認められる。
署名の真正が認められる場合,本件証書は,民事訴訟法228条4項により,その記載全体が真正に成立したものと推定されるから,再抗告人と相手方とは,本件証書の契約条項10条2項により,京都簡易裁判所を貸金取引に関する訴訟の専属的管轄裁判所とする本件管轄合意をしたものといわなければならない。
なお,再抗告人は,原審提出書面において,本件証書の印刷文字が小さくて見にくいことや,相手方の担当者から管轄合意に関する説明を受けていないことを挙げ,管轄合意の存在を否定するかのごとき主張をしているが,その主張のとおりであったとしても上記法律上の推定は覆らないと解すべきであるから,その主張は,管轄合意の存在を否定する主張としては失当である。
2 民事訴訟法17条に基づく移送について
(1) 相手方のように手広く消費者金融業を営む者は,債権回収のため比較的少額の訴訟を頻繁に行う必要に迫られることが明らかである。そのため,相手方は,本社最寄りの京都簡易裁判所に訴訟を集約することにより,訴訟追行に要する時間や労力を節約しようとして,すべての顧客との間で本件管轄合意を行っているものと考えられる。
この種の管轄合意は,民法90条や消費者契約法10条によって当然に無効になるとは解されないから,有効な合意として尊重される。したがって,相手方は,債務名義を得る必要が生じた都度,京都簡易裁判所に貸金訴訟を提起することができ,顧客が相手方主張の貸金債権の存否及び金額を争わない場合には,簡易かつ迅速に債務名義を獲得することができ,遠隔地の裁判所での訴訟追行を免れ得る。
(2) しかしながら,顧客が訴訟において相手方主張の貸金債権を争う場合には利害状況が異なる。
債権に争いがある訴訟では,攻撃防御方法の提出や文書,証人・本人の取調べを行うため,当事者双方が裁判所に出頭すべきことになるのであって,顧客又はその代理人が裁判所の期日に全く出頭することなしに債権を争うことは困難である。
たとえ1,2回の期日であっても,遠隔地の裁判所に出頭することは,消費者金融業の顧客にとって非常に大きな経済的負担となることは明らかである。しかも,経済的負担を甘受して裁判所に出頭しても,当該訴訟で勝訴して得られる経済的利益は少ないから,相手方の顧客に遠隔地での応訴を強いることは,債権を争うことを事実上断念させる結果を招く蓋然性が高い。
(3) これを本件についてみると,本件貸付けが貸金業法13条に違反する貸付けであるかどうかが訴訟で争いとなった場合,貸付けの際,相手方福岡支店の担当者が,金融監督庁「金融監督等にあたっての留意事項―事務ガイドライン」(平成10年6月22日金企4号)3-2-1所定の審査をしたのかどうかを審理するため,相応の攻撃防御方法の提出と証拠調べ(少なくとも書証は必須であり,人証も十分予想される。)が必要となり,何度か裁判所の期日が行われ,再抗告人も,1,2回は裁判所の期日に出頭すべきことになる可能性が高い。
次に,本案の記録によれば,再抗告人は,相手方を含む多数の消費者金融業者に少なからぬ負債を抱えていることが認められ,京都簡易裁判所での応訴が再抗告人にとって大きな経済的負担となることは明らかである。
ところが,再抗告人が本案請求を争っても結局は19万円余りの債務を免れるという以上の経済的利益を得ることはないから,京都簡易裁判所での応訴を求めることは,再抗告人にとって非常に酷なことである。
(4) これに対し,相手方は,福岡支店を始め,本店から遠く離れた都市に支店を設けて従業員を配置するとともに,その支店付近にATM機を設置し,当該支店の近隣市町村に居住する多数の顧客を対象として,消費者金融業を営んでいることが明らかであり,遠隔地での訴訟にも耐えるだけの経済力を有するものと考えられる。
しかも,訴訟に引き続く民事執行の場面では,管轄合意は許容されていないから(民事執行法19条,民事訴訟法13条),結局,相手方は,支店の顧客から貸金を回収するため,支店所在地で民事執行手続を行うための備えをしなければならないのであって,これに,争いのある貸金債権に関する訴訟の負担が加わったとしても,それほど酷なこととはいえない。
(5) 以上にみたような再抗告人と相手方の利害の状況に照らせば,本案訴訟を京都簡易裁判所で審理することにし,本案請求を争う再抗告人に京都簡易裁判所で応訴するよう求めることは,当事者間の衡平を害することが明らかであるから,本案訴訟については,民事訴訟法17条に基づいて福岡簡易裁判所に移送する要件を具備しているものといわなければならない。
したがって,その要件を欠いているとして再抗告人の即時抗告を棄却した原審決定には,結論に影響を及ぼす法令違反(民事訴訟法330条所定の再抗告の理由)があるといわざるをえない。
3 結論
よって,原審決定を取り消した上,民事訴訟法331条によって準用される同法326条1号に基づき,原々審決定に対する即時抗告について判断することとし,原々審決定を取り消して本案訴訟を福岡簡易裁判所に移送することとし(民事訴訟法67条2項後段の規定があるため抗告審及び再抗告審の訴訟費用の負担に関する裁判をしない。),主文のとおり決定する。
平成16年5月7日
(裁判長裁判官 下方元子 裁判官 橋詰均 裁判官 三宅康弘)