大阪高等裁判所 平成16年(行コ)122号 判決 2006年9月28日
控訴人
X
同訴訟代理人弁護士
岩城穣
同
大橋恭子
同
中森俊久
被控訴人
大阪西労働基準監督署長Y
同指定代理人
K
(ほか10名)
主文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が控訴人に対して平成8年11月1日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
主文同旨
第2事案の概要
本件は,訴外藤原運輸株式会社(以下「訴外会社」という。)に勤務していたA(以下「被災者」という。)が勤務中に心疾患を発症(以下「本件発症」という。)して死亡(以下「本件死亡」という。)したのは業務に起因するとして,その姉である控訴人が,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとした被控訴人の処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めた事案である。
原審裁判所は,本件発症について業務起因性を認めることができず,本件処分が違法とはいえないとして,控訴人の請求を棄却した。
控訴人は原判決が不服であるとして控訴した。
争いのない事実等及び争点は,原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」中の「1 争いのない事実等」及び「2 争点」に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 争いのない事実等
(1) 被災者は,昭和○年○月○日生まれの男性であるが,昭和58年12月5日に訴外会社に雇用され,訴外会社の大阪港営業所に荷受作業員として勤務していた(<証拠略>)。
被災者の所定労働時間は午前8時から午後4時まで(休憩時間1時間)であり,実労働時間は7時間であった。
(2) 被災者は,大動脈弁閉鎖不全,僧帽弁狭窄症,不整脈(心房細動)持続等の基礎疾患(以下「本件基礎疾患」という。)を有しており,その診療経過等の概略は別紙1及び別紙2のとおりである。
被災者は,平成7年7月10日,医師B(以下「B医師」という。)の診断を受けたが,その際,収縮期血圧が142mmHg,拡張期血圧が66mmHgであった。
被災者は,同月12日に実施された健康診断では,収縮期血圧が159mmHg,身長164.3cm,体重72kgであった。BMI(肥満度,体重/身長2)は26.7で肥満1度であった。
(3) 被災者は,平成7年7月17日(以下「本件発症当日」という。),大阪市住之江区の南港に接岸していた貨物船のシリウス号(本船)へはしけから鋼材(スチールコイル)を積み込む際の玉掛け作業に従事した。
降雨のため,作業を開始したのは午前9時30分であり,午後5時から午後5時30分までの夕食休憩をとった上で,午後7時40分ころ前記作業は終了した。
その後,被災者は,シリウス号甲板上で倒れているところを乗組員に発見され,直ちに医療機関に搬送されて治療を受けたが,同日午後9時に致死性不整脈により死亡した。
なお,被災者の死体検案書の死亡原因は「慢性癒着性心膜炎」とされている。
(4) 大阪管区気象台の地上気象観測原簿によると,本件発症当日の最高気温は31.4℃,平均気温は27.2℃であった。
(5) 玉掛け作業は,本船の揚貨装置(クレーン)を使用して荷物を移動させる際に,つり具(コイルスリング)を荷物に掛ける作業とつり具を荷物から外す作業をいうが,被災者が本件発症当日にはしけ上で従事していた作業(以下「本件作業」という。)は,本船の揚貨装置のフックに引っ掛けられたつり具の一端をコイルの穴に通してフックに引っ掛ける作業であり,作業はつり具をコイルの穴に通す者とこれを反対側から受け取ってフックに掛ける者が必要であって,最低でも二人の作業員を要する共同作業である。
(6) 被災者の姉である控訴人は,被控訴人に対し,平成8年6月6日,労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが,被控訴人は,同年11月1日,両請求について,本件死亡が業務上に起因するものではないとして,不支給処分(本件処分)をし,同月5日に原告に通知した。
控訴人は,本件処分を不服として,同年12月26日,大阪労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが,平成9年10月31日,審査請求を棄却され,更に平成10年1月26日に労働保険審査会に再審査請求をしたが,平成13年6月15日に,再審査請求も棄却され,同年7月2日に裁決書が送達された。
(7) 不整脈を原因とする突然死・急性心不全等に係る労災補償上の取扱いについては,平成6年12月16日付けの脳・心臓疾患等に係る労災補償の検討プロジェクト委員会報告書において,医学専門家による専門家会議を設置して,業務を原因とする不整脈による突然死等についての認定基準の設定等について検討する必要があるとされたことから,平成7年1月に不整脈による突然死等に関する専門家会議が設置され,同会議は,平成8年1月12日付け不整脈による突然死等の取扱いに関する報告書(<証拠略>)を作成した。
旧労働省労働基準局長は,前記報告書を踏まえ,平成8年1月22日付けで,脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準(平成7年2月1日付け基発第38号)を改め,不整脈による突然死等を認定基準において取り扱う疾病として規定した(基発第30号)。
(8) 脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会は,旧労働省からの依頼により,疲労の蓄積等と脳・心臓疾患の発症との関係を中心に,業務の過重性の評価要因の具体化等について,現時点における医学的知見に基づいて検討を行い,平成13年11月16日付け脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書(<証拠略>。以下「専門検討会報告書」という。)を作成した。
厚生労働省労働基準局長は,専門検討会報告書を踏まえ,平成13年12月12日付けで,下記の脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準(基発第1063号。<証拠略>。以下「認定基準」という。)を定めた。
2 争点(略)
第3当裁判所の判断
1 被災者の業務内容
前記第2の1の争いのない事実等(原判決引用),証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によると,以下の事実が認められる。
(1) 本件作業について
ア 被災者の業務
被災者は,昭和58年12月5日に訴外会社に入社して以来,同社の大阪港営業所で,荷役作業(主に船内及び沿岸における玉掛け作業)に従事し,昭和60年11月29日には玉掛け資格を取得した。
イ 本件作業内容等
被災者が本件発症当日従事していた鋼製コイルをはしけから本船に積み込む作業は,本船の横に係留したはしけからウインチと呼ばれる揚貨装置を使用して,はしけに置かれているコイルを本船に積み込む作業であり,船内荷役作業主任者の資格を持った責任者,ウインチマン,はしけの玉掛け作業者,本船の玉掛け作業者及び本船のフォークリフトの運転手から構成されるグループを組んで,作業が行われていた。
各担当者の役割は,次のようなものであった。
(ア) 責任者は,本船の甲板上にいて,そこからはしけ内と本船内で行われている作業を見ながら,ウインチマンに合図を送る役割を担っており,ほかに作業の進行管理,荷物の保全及び安全面の管理を行う。
(イ) はしけの玉掛け作業者は,以下の手順により,ウインチのフックに掛けられているつり具の一端をコイルの中心の穴に通し,フックに掛ける作業を行う。
<1> 揚貨装置のつり具を降下させ,所定の位置で受け取る。
<2> つり具を重心の位置に注意しながらコイルに通し,上のフックに掛ける。
<3> ウインチマンが徐々にコイルをつり上げ,地切りと呼ばれる状態(コイルが地面からわずかに離れた状態)にし,その段階で,重心の位置等の安全を確認する。
<4> 安全な場所に待避し,その間にウインチマンの操作によって,コイルが本船に積み込まれる。
<5> 次につり具が来るまでの間,次に玉掛けをするコイルを探して玉掛けの準備をし,コイルの歯止めに使われている材木(マンボ,臨木)を整理する。
なお,本件発症当時,訴外会社においては,布製のつり具を使用していたが,布の中に鋼線が入っているものもあり,コイルのような重いものを扱う際には鋼線が入っているものを使用していた。
(ウ) ウインチマンは,揚貨装置の操作資格を持った者であり,責任者の合図に従って本船に備え付けられたウインチを操作して,はしけから本船にコイルを移動させる。ウインチマンの場所からは,本船やはしけの作業場所がはっきり見えないため,責任者の合図に従って操作する。
(エ) 本船の玉掛け作業者は,移動されてきたコイルに通されたつり具を外す玉外しと呼ばれる作業を行う。
以上のうち本船,はしけの玉掛け作業者については,日雇労働者も,その構成員となっていたが,特に経験も要求されておらず,当日,誰がグループに入るかも決まっていなかった。そして,このような日雇労働者とともに作業するときや,一緒に玉掛け作業を行う者が作業に不慣れなときは,被災者の負担は重くなった。
前記作業により積み込みを行う回数は1時間当たり平均して15ないし20回であり,積み込む荷物の重量は150ないし200トンであった。
なお,玉掛け作業については,玉掛け作業において死亡災害が発生していること等を理由に,本件死亡後の平成12年2月24日,旧労働省労働基準局長が玉掛け作業の安全に係るガイドラインを策定したが,そこでは,玉掛け作業については,足場が狭く不安定で,前屈などの不自然な姿勢になることが多く,積荷落下事故の犠牲になるのは主として玉掛け作業者であると指摘されている。
ウ 本件作業環境
(ア) はしけの玉掛け作業者は,はしけの中で作業を行うが,はしけの中には,日よけのためのテント等は設置されておらず,直射日光を遮るものはないため,はしけの壁で日陰になる部分などがあるにすぎない。しかも,はしけの船底は鉄製であり,その上には,荷物を保護するために木が敷かれていたものの,それでも上に熱が伝わってくる。さらに,本件発症当日のようなコイルの玉掛け作業の場合,はしけの中にはコイルが置かれており,これが日射を受けて熱を帯びる。これらのため,はしけ上の気温等は地上で観測された気温よりも高い。
(イ) はしけは海上にあり,屋根はないが,はしけの壁の高さが少なくとも2.5ないし3メートルあるため,それによって風が遮られる。また,はしけは海上にあるため,はしけ内の湿度は陸地で測定された値よりも高い。
(ウ) はしけの中には,トイレはなく,飲料を摂取するための設備もないため,はしけの作業員は,各自持参した水筒で飲料を摂取していた。飲料やトイレは,作業現場近くの寄せ場に用意されていたが,そこに行くためには,はしけから本船まで約7,8メートル,はしごで登らなければならないが,作業を途中で中断することはできないため,実際には,その利用は困難であった。
(エ) 玉掛け作業者は,丸いコイルの上で作業をしなければならない場合があり,足場が不安定で,不自然な体勢をとらざるを得ないことがあった。
エ 勤務時間について
(ア) 訴外会社の作業員の所定労働時間は午前8時から午後4時まで,休憩時間は1時間,実労働時間は7時間である。日曜日,祝日のほか訴外会社の定める日が所定休日とされていた。残業が必要な場合,当日の朝には,作業員にその旨が伝えられていた。
(イ) 被災者を含め訴外会社の大阪港営業所の作業員は,同営業所に出勤し,タイムカードに打刻した後,作業服に着替え,朝礼を経て,午前8時ころに作業現場に向かう。作業現場は,主に南港,泉北の2か所であり,おおむね午前8時30分ころから作業が開始され,作業終了後にマイクロバスに乗り,同営業所に戻ってからタイムカードに打刻しており,訴外会社は,タイムカードへの打刻をもって終業時刻とし,15分単位で切り上げて時間外労働に対する手当を支払っていた。
(2) 本件発症前の被災者の就労状況
ア 本件発症前1か月間の勤務状況等
被災者の本件発症前1か月間の勤務状況は原判決別紙5のとおりであり,また,本件発症前6か月間(平成7年2月から同年7月まで)において,時間外労働の時間数が1か月当たり30時間を超えることはなかった。
イ 本件発症前1週間(平成7年7月10日から同月16日まで)の勤務状況等
被災者は,平成7年7月10日,B医師の診察を受けたが,通常の勤務に支障があるとの診断ではなく,同月11日及び同月13日は午前中までの勤務で,同月10日,同月12日及び同月14日は午後4時の終業時刻以降も勤務したものの,その時間外労働は1日当たり30分を超えるものではなく,その合計は1時間13分にすぎなかった(このうち同月12日については,被災者は,終業時刻前に健康診断を受けていた可能性がある。)。
同月15日は,出勤日であったが,あらかじめ当日の作業が入っていないため休業となり,被災者は,同日,午前7時27分に出勤したものの,作業に従事することなく,すぐに退勤した。同月16日は休日であった。
なお,同月の本件発症当日までの大阪の気象観測の結果は,原判決別紙4のとおりである。
ウ 本件発症当日の状況
被災者は,平成7年7月17日,大阪市住之江区の南港のL7バースに停泊していた貨物船のシリウス号(本船)へ,はしけから鋼材を積み込む際,はしけ上での玉掛け作業に従事した。
本件発症当日の気象状況は,大阪管区気象台の地上気象観測原簿によると,午前6時は雨,午前9時は曇り,午後零時及び午後3時は雨,午後6時は雨となっており,当日の日照時間は5.2時間であった。
気温及び湿度については,平均気温は27.2℃,最高気温は31.4℃,最低気温は24.3℃であって平年並みであり,平均湿度は75%,午前7時以降の1時間ごとの気温及び湿度は,順に26.0℃,88%(午前7時),25.4℃,94%(午前8時),26.2℃,90%(午前9時),27.1℃,82%(午前10時),28.1℃,76%(午前11時),29.3℃,71%(午後零時),29.5℃,68%(午後1時),30.6℃,65%(午後2時),31.1℃,60%(午後3時),30.9℃,61%(午後4時),30.4℃,61%(午後5時),26.7℃,80%(午後6時),26.2℃,78%(午後7時),25.9℃,78%(午後8時)であった。
本件発症当日の平均風速は,毎秒4.6メートルであった。
被災者は,本件発症当日,午前7時26分に訴外会社の大阪港営業所に出勤し,着替えをして朝礼をした後,午前8時ころにマイクロバスで他の従業員とともに出発し,午前8時20分ころ,南港に到着した。
本件発症当日の被災者の作業グループは,責任者がC,本船の玉掛け作業者が,D,E,F及び日雇労働者(1名)の合計4名,はしけの玉掛け作業者が,被災者,G及び日雇労働者(2名)の合計4名,ウインチマンがH,本船のフォークリフトの運転手がIの合計11名であった。
しかし,降雨のため作業は行われず,午前9時30分まで待機した。その後,作業は開始され,正午から午後1時まで,午後5時から午後5時30分までの休憩をはさんで,午後7時40分ころに終了した。そして,2度の休憩時には,弁当等が支給された。
本件発症当日の作業量(積み込まれた量)は,昼間はスチールコイル及びスチールシートの合計325個(1200.557トン)であり,夜間はスチールシート77個(204.450トン)であって,その合計は,402個(1405.007トン)であった。また,他にワイヤーロッド49個(100.652トン),G・Iシート11個(20.101トン)も積み込まれた。この作業量は,通常に比べて特に多いものではなかった。
作業終了後,同僚が送迎バスに向かったが,被災者がいなかったため,その様子を確認しに行ったところ,被災者は,シリウス号の甲板上で仰向けに倒れているところを発見された。
なお,その約10分前に被災者と一緒にいた同僚は,被災者の様子に特段の異常は認めなかった。
同日午後7時53分,住之江消防署に連絡がされ,救急車が同日午後8時10分に現場へ到着したときには,既に被災者の瞳孔は散大し,呼吸・脈拍もない状態であった。
被災者は,救急車で大阪市住之江区所在の医療法人a会b脳神経外科病院に搬送され,午後8時34分に同病院に到着した。同病院において,心肺蘇生術が施行され,一時心拍が再開したが,午後9時に死亡した。
以上の事実が認められるところ,控訴人は,本件発症前の被災者の時間外労働の時間が被災者の出勤表(<証拠略>)に記載された「残1」,「残2」,「残3」の合計であるとして,前記認定と異なる主張(前記第2の2の控訴人の主張(1)ウ(イ))をしている。しかし,証拠(<証拠略>)によると,実際の時間外労働の時間数は,前記出勤表の「残1」及び「残2」に記載された合計時間数から「+」と記載された時間数を除いたものと認められるから,控訴人の上記主張は採用することができない。
2 医学的知見と被災者の病歴等について
証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によると,以下のことが認められる。
(1) 不整脈について
ア 心臓は全身に血液を送り出すポンプの役割を果たすが,このポンプが最も効率よく働くためには,洞結節において規則正しく,しかも適当な頻度で発生した刺激が刺激伝導系を介して,心房,心室に伝わることが必要であるが,不整脈とは,このような生理的に正常な心臓の調律から外れた状態をいう。
イ 不整脈には,期外収縮を含む頻脈性不整脈と房室ブロック(刺激伝導系の伝導障害のために心房興奮が心室に伝導されず,心拍数の低下を来す症候群)その他の徐脈性不整脈とがある。
前者で最も重症なものは心室細動で,放置すれば再発する危険は極めて高く,1年で25ないし35%が突然死する。後者の最も重症なものは完全房室ブロックで,意識消失発作や急死の原因となる。また,不整脈で心機能が低下し,心不全の原因となることもある。
ウ 不整脈は,症状等の程度により,おおむね次の三つに分類される。
(ア) 致死的不整脈といわれる非常に危険な不整脈とは,心停止を来す不整脈である。これには心室細動と洞停止や房室ブロックに伴う心室静止のほかに,拍動数の著しく多い心室頻拍も含まれる。
拍動数が著しく多い心室頻拍では容易にショック状態となり,心室細動や心室静止に移行することがある。持続性心室頻拍では基礎心疾患の有無により,突然死の危険は大きく異なり,基礎心疾患のない,いわゆる特発性心室頻拍患者が突然死することはまれである一方,基礎心疾患に伴う持続性心室頻拍患者の突然死の可能性は高い。
持続性心室頻拍,心室細動は心室期外収縮を引き金に発生するので,基礎心疾患に合併する心室期外収縮,非持続性心室頻拍は突然死を来すリスクを有する。
致死的不整脈発生の修飾因子として最も重要なものは,心機能の低下であり,左室駆出率30%以下の患者は年間20%が突然死する。基礎心疾患に伴う心機能低下があり,更に心室期外収縮の頻発や非持続性心室頻拍が存在すると突然死のリスクは相乗的に高くなる。
また,心室頻拍,心室細動発生の大きな修飾因子として,自律神経がある。
心筋虚血は,致死的不整脈発生の大きな修飾因子である。
(イ) <1>心臓の興奮が異常に速くなったり,異常に遅くなったりした場合,<2>異常に血圧が下がるような場合,<3>単独では症状を呈しない軽い程度の器質的な心疾患がある場合,<4>脳動脈硬化がある場合など,ある条件が加わった時に,致死的不整脈へ移行したり,狭心症や心不全症状あるいは失神などの脳虚血症状を誘発する不整脈がある。
具体的には,心室頻拍,心房頻拍,房室接合部頻拍,心房粗・細動,などや高度房室ブロック,洞不全症候群がある。
(ウ) 突然死の危険性が少ないものは,心室期外収縮,心房期外収縮及び前記以外の場合の心室頻拍,心房頻拍,房室接合部頻拍,心房粗・細動,房室ブロック,洞不全症候群である。
エ 不整脈の基礎疾患には,次の三つの場合がある。
(ア) 心臓に器質的,解剖学的異常が存在する場合
a 虚血性心疾患(冠動脈硬化症,心筋梗塞)
b 心筋疾患(心筋炎,心筋症,催不整脈性右室異形成)
c リウマチ性心臓弁膜症
d 開心手術後
e 慢性呼吸器疾患(肺性心など)
f 高血圧性心疾患
g 全身疾患(アミロイドーシス,サルコイドーシス,膠原病等)に伴う心病変
h 先天性心奇形
i 副伝導路症候群
(イ) 薬物その他の原因が存在する場合
a 血液電解質の異常(高血圧症治療中や腎臓病に伴う。)
b 代謝異常や内分泌異常(甲状腺機能異常など)
c 薬物中毒(抗不整脈薬,強心薬その他)
d 遺伝性疾患(先天性QT延長症候群など)
(ウ) 前記のような異常が認められない場合
a 特発性心室細動
b 特発性心室頻脈(心筋炎の後遺症である場合が多いともいう。)
c 運動誘発性心室頻拍
d 青壮年急死症候群(ポックリ病)と乳幼児急死症候群
(これらは,不整脈に起因するものかどうか確定されていない。)
我が国において突然発症する心停止の多くは,心室頻拍・心室細動が直接の原因であり,その基礎心疾患としては虚血性心疾患,次いで心筋症が多いと考えられる。なお,大動脈弁閉鎖不全においては突然死は少ないとされる。
また,欧米における心臓性突然死のほとんどは冠動脈疾患であるが,我が国では,特発性心室細動が多いのが特徴である。
肥満,高血圧症,高脂血症,高尿酸血症などの複数のファクターを有する例では,心臓性突然死の発症率が高い。
オ 不整脈の誘因となり得るものとしては,<1>運動,労作,精神的緊張や興奮,疲労,不眠などの交感神経の緊張が亢進した場合,<2>スポーツにおける過度の訓練や疼痛,起立性低血圧症など迷走神経の緊張が亢進した場合,<3>排尿,排便中又はその直後の自律神経が不均衡となった場合,<4>血圧が急激に上昇するなど血行動態が急激に変化した場合,<5>その他,喫煙や飲酒,コーヒーや茶の飲み過ぎ等も挙げられている。
精神的負荷は,交感神経系の強い反応を引き起こす結果,カテコラミンの分泌が増し,血圧の上昇と心拍数の増加,心筋酸素消費量の増大,冠攣縮(スパズム)などを生ぜしめ,その結果,心室頻拍,心室細動,房室ブロックなどの致死的不整脈を生じ,突然死を招くことがある。
また,ストレスによる交感神経緊張及び自律神経の調節異常は心筋の電気的不安定状態をも惹起し,自動能の亢進・低下,撃発活動及び興奮旋回等の不整脈発現の要因に促進的に作用し,危険な致死的不整脈の出現を招来する可能性がある。
さらに,これら突然死に影響を与えている心理的・社会的要因として,<1>未解決な悩みを抱え,不安,緊張,怒りや恐怖が何日も続く,<2>睡眠障害があり,生活リズムが不規則である,<3>仕事が山積みし,疲労状態にあることなどが挙げられている。
また,心停止や心室頻拍等の重症不整脈患者の不整脈出現前24時間の心理状態の調査によると,その一部においては強い精神的負荷が作用しており,かつ,その精神的負荷は1時間以内に作用したものが多く見られたとの報告もある。
その他,疫学的調査においても,このストレスにより誘発された不整脈による突然死例も存在するものとされている。
また,健康人を対象とした実験的研究においても,健康人に精神的負荷を加える場合,心筋仕事量の増加,交感神経機能の活性化及び血小板凝集の促進がもたらされ,その結果,不整脈が誘発されるとの報告もある。
なお,健康人の場合,運動負荷試験やジョギング,ランニング等の身体的負荷による不整脈の誘発はよく知られているところである。特にマラソンなどの持久運動競技における心疾患の認められない,いわゆる健康人の突然死例では,ゴール直前,直後の発生が圧倒的に多い。これらの中には,運動前に仕事,勉強などで疲労が強かったもの,睡眠不足などを訴えていたものが多かったとの報告もある。
このような激しい運動による身体的負荷には,同時に精神的負荷も加わり,その両者の合併が不整脈を出現させるものと考えられる。
このように,精神的・身体的負荷や疲労,睡眠不足などが致死的不整脈を起こさせて,突然死の原因となり得ることは十分考えられるが,その直接的な因果関係を明らかにすることは必ずしも容易ではないとされている。
なお,高温環境での業務は循環器系への負担が大きいが,脳・心臓疾患の罹患率や死亡率を高めるとの調査結果はあまり得られていない(専門検討会報告書)。
(2) 熱中症について
熱中症とは,高温高湿環境下で,体温調節や循環機能が障害を受けたり,水分塩分代謝の平衡が著しい失調を来したりして,作業遂行が困難又は不能に陥った状態を総称するものであり,症状から,熱疲労,熱けいれん,熱失神,熱射病に分類される。熱中症は,気温25℃以上で多発し,湿度の高さや輻射熱(日射量)にも影響される。
(3) 被災者の病歴,危険因子について
ア 被災者は,昭和○年○月○日生まれの男性であるが,12歳ころ,感染性疾患であるリウマチ熱に罹患した。
イ 心疾患の病歴
(ア) その後,昭和40年に就職した際の健康診断においては特段異常は認められず,20歳の時に収縮期の血圧が140mmHg程度ではあったものの,心機能には明らかな異常はなく経過していたが,30歳代後半から高血圧の状態となり,昭和59年4月16日にはc医院を受診し,血圧降下剤の投与を受けるなどの治療を平成6年1月18日まで継続して受けた。
(イ) 被災者は,平成4年12月末ころから咳が増加し,それは2週間ほどで一時的に軽快したものの,依然,咳や痰が多く,平成5年3月26日には,勤務中にマラソンの後のような著明な息切れを感じ,倦怠感が著明になったため早退し,自宅で安静にしていたが軽快せず,同日,d診療所で診察を受けた。その際,心尖部に収縮期雑音を認め,心電図検査により心房細動と左室肥大,胸部X線撮影で軽度の肺うっ血を認めたため,B医師は,リウマチ熱の既往による心膜炎,心膜炎の癒着に起因する僧帽弁狭窄症(ただし,高度のものではない。),それにより心不全と肺うっ血を来し,咳が多くなったと考え,心不全の処方を行い安静を指示するとともにe病院を紹介した。被災者は,同月29日にe病院を受診し,そのまま入院した。
e病院において,胸部X線検査等により,左室の著明な拡大,うっ血,胸水が認められ,心電図検査では,心房細動が認められた。その後,被災者は,同年4月8日に退院して,同年5月29日まで2度通院し,利尿剤を中心とした薬物療法により前記心拡大も軽減し,症状も緩和した。
(ウ) 被災者は,同年12月3日にc医院を受診したが,胸痛や胸部不快感はなかったものの,心電図検査により虚血性変化が認められたので,血管拡張剤の投与を受けた。なお,平成6年1月18日の心電図検査においても,虚血性変化が認められた。
(エ) 被災者は,同年3月10日,d診療所で診察を受けたが,その際血圧が196/74mmHgと高く,軽度の心不全傾向で,被災者も服薬を怠っていたことを認めたので,B医師はその点を注意し,同年4月8日ころから規則的に服薬をさせたところ,被災者の血圧は安定し,心不全は改善した。なお,被災者は服薬を忘れたことについて,しばしばB医師から注意を受けていた。
被災者は,本件発症の1週間前である平成7年7月10日にd診療所で診察を受けたが,血圧は142/66mmHgで,従前同様,心房細動が認められたものの,心不全の徴候はなく,B医師は,症状が安定していると診断した。
なお,平成4年から平成7年にかけての被災者の血圧及び脈拍数は,原判決別紙6記載のとおりであり,おおむね収縮期血圧は130mmHg台から180mmHg台の間で変動しており,平成7年3月27日の174mmHgをピークに減少の傾向にあった。
(オ) 被災者は,同年7月12日,健康診断を受けたところ,身長は164.3cm,体重は72.0kgであって,肥満の状態にあり,心電図所見としては心精査が必要とされた。
ウ 高尿酸血症
被災者は,昭和63年2月5日にc医院を受診した際には,高尿酸血症と診断され,その後,尿酸排泄促進剤の投与を受けた。
エ 不眠
被災者は遅くとも平成3年ころから不眠を訴え,c医院において,平成3年2月1日から平成6年1月18日まで精神安定剤であるリーゼ,メイラックス,催眠剤であるハルシオンやリスミー,ライトコール,精神薬のルジオミールの投与を受けたが改善せず,前記薬剤を増量しても変化がなかった。
被災者は,d診療所においても,初診日の翌日である平成5年3月27日以降,本件発症直前の平成7年7月10日に至るまで,精神安定剤であるセルシン,コントール,精神薬であるドグマチール,催眠剤であるサイレース,ハルシオン,トリム,チスボンを処方されており,e病院においても,平成5年5月29日には,不眠症と診断され,ハルシオンを処方された。
オ 本件死亡の日の翌日,大阪府監察医事務所の医師Nが被災者の遺体を解剖した。その結果,被災者の心臓は750g重で掌の3倍ぐらいの大きさに肥大しており,心外膜全般にかけ高度癒着状,右心室心筋内に出血巣が存在し,脂肪肝であった。同医師は,出血巣は急死に値するものではなく,直接死因は,慢性癒着性心膜炎と診断した。しかし,被災者の死亡がいわゆる突然死であることから,その死因として心室細動のような致死的な不整脈が突発したことによるとも考えられるところである。
なお,控訴人は,被災者の最大の死亡原因は,暑熱環境による熱中症にある旨主張し,O医師作成の鑑定意見書等(<証拠略>)の各記載中にはこれにそう記載があるけれども,その各記載部分は,被災者の死亡原因が熱中症であったことを裏づける解剖所見がないことにP医師(<証拠略>)及びQ医師(<証拠略>)の各意見書に照らすと,採用できない。控訴人の上記主張は採用できない。
3 被災者の従事していた業務と本件死亡との因果関係(業務起因性)の有無について
(1) 被災者は,前記のとおり,大動脈弁閉鎖不全,僧帽弁狭窄症,不整脈(心房細動)持続等の心臓疾患(本件基礎疾患)を有しているが,このように心臓疾患を有している被災者の業務起因性については,被災者の本件基礎疾患が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心臓病を発症させる寸前にまでは憎(ママ)悪していなくて,その業務の負担が相当高いとき,他に心臓病の確たる発症因子のあったことがうかがわれないときには,その業務と心臓病との間に業務起因性を認めるのが相当である(最高裁平成12年7月17日第1小法廷判決,同18年3月3日第2小法廷判決参照)。
(2) まず,本件発症当時,被災者の本件基礎疾患が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心臓病を発症させる寸前にまで憎(ママ)悪していたか否かにつき,検討する。
前記1の認定によると,被災者は,平成7年7月10日,B医師の診察を受けたが,通常の作業に支障があるとの診断結果ではなく,同月12日に実施された健康診断でも仕事に差し支えるようなことは見つからなかったこと,被災者は,同月11日及び同月13日は午前中の勤務で,同月10日,同月12日及び同月14日は午後4時の終業時刻以降も勤務したものの,その時間外労働の合計は1時間13分にすぎなかったこと,本件発症の前々日の同月15日は,出勤日で出勤したが,当日の作業がないため休業となり,作業に従事することなく退勤し,前日の同月16日は休日であったこと,本件発症当日,被災者は,通常どおりに作業をしており,その作業が終了した午後7時40分ころまで,一緒に作業していた者の誰も,被災者が異常な様子をしていたとは思っていなかったことが認められる。
上記認定によると,被災者は,本件発症の5日及び1週間前に医師の診察ないし健康診断を受け,いずれも通常の仕事に支障があるとの診断結果ではなかったから,そのころ,仕事に差し支えるような身体状況ではなかったものであるところ,本件発症前1週間の勤務状況は,その直前の2日間は休業で,2日間は午前中の勤務で,3日間は午後4時の終業時刻以降も勤務したが,その合計が1時間13分に過ぎず,それ以前の業務内容と比較して軽い仕事内容であったということができることに照らすと,本件発症当時,被災者の心臓の基礎疾患が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心臓病を発症させる寸前にまで憎(ママ)悪していたとはいえない。
(3) 被災者の本件発症当時の業務の負担が相当高かったか否かにつき,前記1の認定事実を基に検討する。
被災者が本件発症当日にはしけ上で従事していた本件作業(玉掛け作業)は,重量の重い荷物を扱うものであって,不十分な玉掛けにより荷物が落下した場合などには作業員が死傷する重大事故につながるおそれがあり,また,丸いコイルの上での作業など足場が不安定な場合もあるため,本件作業は相応の精神的緊張を伴うものであったというべきである。
また,玉掛け作業には不慣れな日雇労働者も加わることがあったため,熟練の被災者にとって,その点が負担となっていたものであり,重量物をつり上げるワイヤーを動かすため一定の力を要するものであった。
さらに,本件発症時は夏で,7月に入って最高気温はほぼ28℃を超え,同月8日以降はほぼ30℃を超えていたところ,被災者が従事していたはしけは,木の板が敷いてあったとはいえ,その船底は鉄製であり,荷物が鋼製コイルの場合には,直射日光を受けて熱を帯び,はしけ内の温度を高めていたものであり,また,はしけの約2.5ないし3メートル以上ある壁のため,風が遮られ,それにより,体感温度はより高く感じられる状態にあったというべきである。加えて,本件発症当日は,降雨があったためか,湿度が高く,本件作業が海上における作業であったことも考慮すると,はしけ内の湿度は,陸上よりもかなり高かったものと推測される。
以上の認定事実によると,被災者の本件発症当時の業務の負担は,精神的にも肉体的にも相当高かったとみることができそうであるが,ただ,上記(2)の認定のとおり,本件発症前1週間の勤務状況は,その直前の2日間は休業で,2日間は午前中の勤務で,3日間は午後4時の終業時刻以降も勤務したが,その合計が1時間13分に過ぎなかったものであり,その仕事内容は従前の業務内容と比較して軽いものであったことに照らすと被災者の本件発症当時の業務の負担が相当高かったと断定することに躊躇せざるをえない。
しかしながら,そもそも,被災者の本件発症当時の本件作業は,精神的にも肉体的にも相当の負担を伴うものであるところ,その直前の1週間の業務内容は,ほとんど残業がなく,半日勤務も2日間,通常週1日しかない休業が2日間あるなど,たまたま比較的軽い業務内容になっていたものであり,その比較的軽い業務内容等に被災者の身体が順応していたものと推測されるのであるが,被災者は,本件発症当日,2日間の休業明けの出勤であり,雨のため実際の作業の始まりが遅れたとはいえ,通常どおり出勤して通常どおりの作業をし,その後に久しぶりの残業をしたことで,前の週の業務に比較すると,相当厳しい業務となったものというべきであるから,被災者の本件発症当時の業務の負担は相当高かったとみるのが相当である。
(4) さらに,被災者の本件発症に関して,本件発症当日の業務の他に心臓病の確たる発症因子のあったことがうかがわれるか否かについてであるが,被災者に服薬の懈怠があったこと,不眠が本件発症の重要な要因になったことを認めるに足りる証拠はなく,その他,本件全証拠によっても,他に心臓病の確たる発症因子があったことをうかがわせるものはない。
(5) 以上の次第であって,本件発症当時,被災者の基礎疾患である心臓疾患は,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心臓病を発症させる寸前にまでは憎(ママ)悪していなかったもので,その業務の負担は相当高かったものであり,被災者に他に心臓病の確たる発症因子のあったことがうかがわれないから,被災者の業務と本件発症たる心臓病との間に相当因果関係があると認めることができる。
第4結論
よって,本件発症について業務起因性を認めることができ,本件処分は違法であるから,これと異なる原判決を取り消し,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田勝年 裁判官 東畑良雄 裁判官 植屋伸一)