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大阪高等裁判所 平成17年(ネ)171号 判決 2005年6月14日

控訴人 国

同代表者法務大臣 南野知惠子

同指定代理人 小川紀代子

他2名

被控訴人 Y

同訴訟代理人弁護士 野仲厚治

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

(1)  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  被控訴人の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨。

第二事案の概要

一  本件は、視覚障害を有する被控訴人が、大阪地方・家庭裁判所堺支部・堺簡易裁判所合同庁舎(以下「本件庁舎」という。)の本館北側玄関から屋外に出たところ、同所に設置された三段の階段(以下「本件階段」という。)において足を滑らせて転倒し、右橈骨頸部骨折の傷害を負ったとして(以下「本件事故」という。)、本件庁舎及び本件階段を設置管理する控訴人に対し、国家賠償法二条一項に基づき、慰謝料一五〇万円及びこれに対する本件事故の日である平成一五年四月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

控訴人は、①本件事故の発生及びその態様、②本件階段の設置管理に瑕疵があったか否か、③因果関係の有無、④損害を争った。

原審は、本件階段は、その起点及び終点に点状ブロック、及び各段先端に段鼻ないし滑り止めシートを敷設していなかったという点において、通常有すべき安全性を欠いていたものと認められ、控訴人にはその設置又は管理に瑕疵があったとした上で、本件事故と本件階段の設置管理の瑕疵との間には、因果関係が認められるとして、被控訴人が受けた傷害に対する慰謝料一五〇万円から三割を過失相殺した損害一〇五万円とこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で被控訴人の請求を認容し、その余の請求を棄却した。

そこで、控訴人が、原判決中、控訴人敗訴部分を不服として控訴を提起した。

二  争いのない事実等、争点及び争点に関する当事者の主張は、原判決「第二 事案の概要」一ないし三記載のとおりであるから、これを引用する。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、本件階段の設置又は管理には瑕疵があり、控訴人は、被控訴人に対し、国家賠償法二条一項に基づき、被控訴人が受けた傷害に対する慰謝料一五〇万円から三割を過失相殺した一〇五万円の損害賠償とこれに対する遅延損害金を支払う義務があるものと判断する。

その理由は、当審における控訴人の主張等に鑑み、後記二のとおり原判決を補正し、変更し、三のとおり本件階段の設置管理の瑕疵についての判断を補足するほかは、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」一ないし五記載のとおりであるから、これを引用する。控訴人は、当審において、原判決の認定判断を種々批判論難するが、上記のほかは、引用にかかる原判決の説示に照らして、いずれも採用できない。

二  原判決の補正、変更

(1)  原判決一一頁三行目の「意に反して」を「予期に反して」と改める。

(2)  原判決一三頁一五行目から一四頁一六行目までを次のように改める。

「オ 大阪府は、既に平成四年に、障害者、高齢者等を含め、すべての人が自らの意思で自由に移動でき、社会に参加できる福祉のまちづくりを進めることを目的として、「大阪府福祉のまちづくり条例」を定めている(平成四年一〇月二八日大阪府条例第三六号、平成五年四月一日施行。本件事故の時における最終改正平成一四年一〇月二九日大阪府条例第一〇三号、平成一五年四月一日施行)。

同条例は、不特定多数人が利用する建築物等を「都市施設」と定義し(二条一号)、都市施設を設置し、又は管理する者を「事業者」と定義した上で(二条二号)、事業者の責務(四条)を規定し、事業者は、都市施設をすべての人が安全かつ容易に利用することができるようにするとともに、府が実施する福祉のまちづくりに関する施策に協力しなければならないものとしている。

また、一〇条一項は、事業者は、都市施設を整備基準(整備基準とは、都市施設のうち不特定かつ多数の者の利用に供する部分を安全かつ容易に利用することができるものとするための構造及び設備に関する基準をいう。)に適合させるように努めなければならないと定め、一一条二項は、事業者は、都市施設を整備基準に適合させるまでの間、当該都市施設を障害者等が利用することができるように配慮しなければならないと定めている。

さらに、同条例は、国の事務の用に供する建築物その他の公共性の高い都市施設を「特定施設」と定義し(一三条)、事業者の義務として、特定施設の設置についての知事への事前協議及び届出を定めている(一四条)、同条例の施行の際に現に存する特定施設(既存施設)についても、知事の要請があったときは、整備基準に適合しているかどうかの適合状況調査をして、その結果を知事に報告しなければならず(一五条)、必要があると認めるときは、知事が、整理基準に適合していない既存施設を整備基準に適合させるための工事の計画(改善計画)の作成・届出を求め、届出に係る改善計画について指導及び助言を行い、事業者は、改善計画に係る工事の実施状況を報告しなければならず(一八条)、知事は、適合状況調査に係る既存施設に立ち入り、整備基準に適合しているどうかについて調査(立入調査)させることができ(一九条)、知事は、事業者が、適合状況調査及びその結果の報告を行わないときはこれをすべきことを、改善計画の作成及び届出をしないときはこれをすべきことを、それぞれ勧告することができる(二〇条)。特定施設が整備基準に適合することを確保するための以上のような一四条から二〇条までの設置の事前協議、既存施設の改善計画等に関する規定は、国、府、市町村等が設置し、又は管理する施設については、適用されない(二二条一項)。しかし、これは、国等の施設については、自主的に整理改善されるべきものとする趣旨であり、知事は、国等に対し、国等が設置し、又は管理する特定施設について、整備基準への適合の状況その他必要と認める事項に関する報告を求めることができる(二二条二項)。

都市施設のうち不特定かつ多数の者の利用に供する部分を安全かつ容易に利用することができるものとするための構造及び設備に関する基準である整備基準は、同条例一〇条及び「大阪府福祉のまちづくり条例施行規則」(平成五年一月二九日大阪府規則第五号、同年四月一日施行、最終改正平成一四年一一月二九日大阪府規則第一一五号、平成一五年四月一日施行)により、定められている。

建築物の階段に関する整備基準は、同条例一〇条二項一号ハで「階段は、視覚障害者等が利用することができるものとすること。」とし、具体的には、同施行規則五条、別表第一により、次のように定められている。

① 表面は、滑りにくい材料で仕上げること。

② 段鼻は、次に定める構造とすること。

イ 色調、明度、仕上げ等について、踏面及びけあげと区別することができるものとすること。

ロ 滑りにくく、かつ、つまずきにくいものとすること。

ハ 起点及び終点は、点状の突起の付いた視覚障害者誘導用ブロックを敷設すること。

上記整備基準は、平成一五年四月一日施行の改正後のものである。既存施設に係る整備基準については、当分の間、なお従前の例によることとされている(平成一四年大阪府条例第一〇三号附則二項、平成一四年大阪府規則第一一五号附則二項)。改正前の整備基準は、次のとおりである。

① 回り階段としないこと。

② 手すりを設けること。

③ 段鼻は、滑りにくいものとすること。

大阪府においては、平成五年四月、同条例について解説し、参考事例を編集した出版物である「大阪府福祉のまちづくり条例設計マニュアル」(平成一五年三月改訂三版発行。甲一五)を監修して公刊し、事業者及び府民が福祉のまちづくりについて理解を深めるように啓発に努めてきている。」

(3)  原判決一六頁一三行目の「これら公共性の高い建物に関しては」から、一五行目の「義務づけているものと解される」までを「これら公共性の高い建物に関しては、特にその整備改善を自主的に行うよう求めている」と改める。

(4)  原判決一七頁七行目の「本件階段の安全性を確保するために、法的にも要請されていた」を「本件階段の視覚障害者への安全性を確保するためにも要請されていた」と改める。

(5)  原判決二〇頁下から六、七行目の「右足を滑らせたものであり、目がくらんだものとまで認めるに足りる証拠はないうえ、」を「右足を滑らせたものである。」と改める。

(6)  原判決二二頁一二行目の「障害物があり得るから」の後に「、明るさに慣れず足下の安全を十分確認できない以上、サングラスを付けるまで足を止めるなり」を加える。

三  本件階段の設置管理の瑕疵についての判断の補足

控訴人は、法令が身体障害者等の福祉のために定める建築物の安全性の基準と国の営造物の設置又は管理の瑕疵についての判断との関係について、次のとおり主張する。

①  「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(ハートビル法)及び「大阪府福祉のまちづくり条例」(以下「本件条例」という。)は、既存建築物については、国に努力義務を課すにすぎないものである。また、本件条例に定める現行の整備基準は本件庁舎に適用されない。

そして、本件条例が努力義務を定めるにすぎないものであることは、整備基準に定める様々な措置が、未だ十分に普及しているとはいえないことを示し、さらにこれを既存建築物に直ちに普及させることには困難があるとの立法者意思を容易に推認できるから、既存建築物が同条例が定める都市施設の現行の整備基準を満たしていないとしても、このために通常有すべき安全性を欠いていると評価することはできない。

②  すなわち、ハートビル法や本件条例の趣旨は、将来に向けての福祉的措置の増進であるのに対し、「通常有すべき安全性を欠く」というのは、当該営造物の利用者等の他人に危害を及ぼす現在の危険性の問題であるから、国家賠償法上違法であるとの評価を受けるような建築物の改良措置を単なる努力義務にするなどということは、想定できない。ところが、本件条例においては、既存建築物について、整備基準にのっとった改良措置を努力義務としているのであるから、本件条例を基に国家賠償法上の違法性を基礎づけることはできないはずである。むしろ、本件条例が既存建築物については努力義務を課しているにすぎないことは、既存建築物は整備基準に定められているような福祉的設備を整備していないことが一般的であることを端的に示しており、これらの実情からすれば、整備基準に定められているような福祉的措置の「標準化及び普及の程度」が今もって低い状態にあることを推認させるものというべきである。

③  以上のとおり、本件階段が、本件条例の整備基準に適合しない部分があるとしても、これは本件条例に違反するものではないし、いわんやこのために、国家賠償法上の瑕疵であるところの通常有すべき安全性を欠いているということはできないと解すべきである。

控訴人の主張の要旨は、以上のとおりであるが、このような控訴人の主張は、採用することができない。

すなわち、本件条例に定める整備基準について、既存施設を適合させることが努力義務として規定されている趣旨は、条例にいう都市施設すべてに整備基準が適用されることに鑑み、その適用を一律のものとするのではなく、施設の実情に即した自発的な努力を促している趣旨であると解するのが相当である。条例に定める建築物の安全確保措置が努力義務であることから、当然にそれが標準化していないとか、逆に、普及の程度が低いことを示しているとはいえない。

公の営造物の設置又は管理に瑕疵があるか否か、言い換えれば、それが通常有すべき安全性を欠くか否かを判断するには、原判決の説示を引用することによって示したとおり、具体的な当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況、安全設備の標準化や普及の程度、必要性等諸般の事情を総合考慮して個別具体的に判断すべきものである。そして、その際に、行政上の努力義務とされる整備基準の内容等をも考慮に入れることは、むしろ当然のことである。

これに対し、控訴人の上記論理は、これを突き詰めれば、反対に、すべての都市施設に法的に義務づけられなければ、そのような安全確保措置は一般的に普及していないものとして、個別具体的な施設の安全性の判断の基準としても、およそ採用されないというような硬直的な判断を招きかねないものであって、採用できない。

既存建築物を障害者のための安全基準に適合させる義務そのものが努力義務にとどまるものであったとしても、国が自ら「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(ハートビル法)を定め、あるいは、大阪府が「大阪府福祉のまちづくり条例」を定め、具体的な整備基準を示し、これらの法令により、公共性の高い建築物を建築する事業者に対し、安全確保のための構造ないし設備の設置を図るための義務を定め、そして規制をしていることは、公の営造物の設置主体に対しても同様の責務を課するものというべきである。もとより、行政上の整備基準への違反が、直ちに国家賠償法二条一項の瑕疵を意味するものではないが、大阪府内にある公の営造物の設置又は管理に瑕疵があるかどうかを判断するに際し、上記の具体的な整備基準は、身体障害者への安全設備の標準化や普及及び設置の必要性などを判断する上での重要な判断基準の一つを提供するものであり、公の営造物について、もはや、単に健常者のみを対象にその安全性を考えれば足りるとはいえないものと解すべきである。

そして、上記引用の原判決が説示する本件階段の設置状況をみれば、本件階段は、階段の幅の広さに比べて、玄関扉から階段まで距離が短い上、階段数が三段と少なく、階段の最上段から階下までの段差が小さいため、視覚障害者にとって、本件階段を含めた通路等の状況が把握しにくく、手すりも遠く離れて頼ることが難しい構造、配置であるのに、平滑な石製で、転倒しやすく、転倒した場合にはけがをしやすいものであって、本件階段は、視覚障害者が転倒し、けがをする危険性の高い階段であると認められるのである。

このような本件階段の構造や場所的環境、本件庁舎の用法、利用状況等の個別具体的な事情に照らし、また、建築物の安全性の確保に関する法制の整備や社会情勢の推移等、上記引用の原判決が説示する諸般の事情を総合考慮すれば、本件階段は、その起点及び終点に点状ブロック、及び各段先端付近に段鼻ないし滑り止めのシートを敷設していなかったという点において、通常有すべき安全性を欠いていたものと認められ、控訴人には、その設置又は管理に瑕疵があったと言わざるを得ない。

なお、上記判断は、前示のとおり、法制や社会の変化、国民の意識ないし期待水準の高まりや、これに応じた身体障害者のための安全設備の整備普及の実情なども踏まえているものであるから、その判断は、本件庁舎が昭和二九年に建築され、その後、長い間特段の問題もなく利用されてきたという、歴史のみによって左右されるものではない。むしろ、本件庁舎が、国の設置する裁判所の施設であり、堺市に存在する中心的な公共施設の一つであって、そのような施設を設置する控訴人にとって、本件階段に点状ブロックや滑り止めのシートを設置することは、それほど困難なことではなく、早期に対処することも十分に可能であったと認められることなどからも、裏付けられるのである。

以上のとおりであるから、本件階段の設置又は管理に瑕疵があるとした原審の判断は、正当である。

四  結論

よって、原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小田耕治 裁判官 富川照雄 小林久起)

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