大阪高等裁判所 平成18年(う)1553号 判決 2007年2月14日
主文
1 原判決を破棄する。
2 被告人を懲役16年に処する。
3 原審における未決勾留日数中60日をその刑に算入する。
4 ①押収してあるシースナイフ1本(当庁平成18年押第157号の1,大阪地方裁判所平成18年押第268号の1)及び②大阪地方検察庁で保管中のチャック付ポリ袋入り覚せい剤白色結晶2袋(同庁平成18年領第1552号の1)を没収する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人木原万樹子作成の控訴趣意書記載のとおりであるが,論旨は,事実誤認及び量刑不当の主張である。
第1 事実誤認の主張について
論旨は,要するに,原判示第2の1の殺人について,被告人に殺意はなく,また,被告人には誤想過剰防衛が成立するから,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。
そこで,所論にかんがみ,記録を調査して検討する。
原判示第2の1の事実は以下のとおりである(関係者の身分関係について犯行に至る経緯中の事実を盛り込んで示す。)。
「被告人は,乙川太郎(当時46歳)が被告人の内妻である丙山春子を強姦したことを認めず,怒鳴り声をあげて全く謝罪する気もないとして激高し,とっさに乙川を殺害しようと企て,平成18年5月3日午前3時20分ころ,大阪市浪速区湊町<番地略>付近歩道上において,乙川に対し,所携のシースナイフ(刃体の長さ約11.2センチメートル)でその右胸部を1回突き刺し,よって,同日午前4時50分ころ,大阪府守口市文園町<番地略>所在の関西医科大学附属病院において,同人を出血性ショックにより死亡させて殺害した。」
まず,殺意について見ると,本件では,被告人が被害者を刺すところを目撃したと供述している者は存在せず,その際の被告人及び被害者の挙動は必ずしも明らかでないが,原判決が(争点に対する判断)の項で説示するところは相当であって,被告人に殺意があったことは明らかというべきである。若干補足すると,被告人は,犯行の数時間前に,内妻から,被告人が勾留されている間に被害者に強姦された旨聞かされて,被害者に対して激しい怒りを覚え,自ら被害者を執拗に探し出し,刃体の長さ約11.2センチメートルの本件ナイフを持参した上で,知人を介して被害者を呼び出し,事件現場で被害者と遭遇して,どなり合いをする中で犯行に及んだものであること,創傷の部位は右胸部上方という生命維持のために重要な部位であり,刺創の深さは約11センチメートルであって,刃体がほぼ完全に突き刺さるほど深いものであること,被告人は被害者を刺した後の現場でその場に居合わせた者に対して,あるいはその後出頭するまでに会った友人,電話をかけた実母や捜査関係者らに対して,原審公判で述べるような,被害者が予想外の挙動をしたため誤ってナイフが刺さってしまったなどとの弁解をしておらず,かえって自らの意思で被害者を刺して殺したことを前提にした上で,身の振り方などについて話をしていることなどの事情を総合すれば,被告人に殺意があったことが強く推定されるところ,被告人の弁解は,その内容自体あいまいで,一貫性も乏しく,上記推定を覆すに足りないことは明らかである(なお,被告人は,当審公判において更に供述を後退させているが,信用できないことは明らかである。)。
所論は,(1)被告人が殺意を有していたのだとすれば,力を込めにくい胸部上方を刺すのは不自然であるし,1回のみ刺したというのも不自然である,(2)事件当時の現場の暗さを考慮すると,被害者が被告人の持っているナイフに気付かずに被告人の方に前のめりの格好で近寄ることも十分考えられる,(3)被告人がナイフを持っていったのは,それで威嚇すれば被害者とけんかにならずに被害者にわびを入れさせることができると思ったからである,(4)原判決は,被告人が犯行後現場にいた丁木次男こと甲二郎に対して「かなり刺しましたんで,はよ救急車呼んだらな,乙川は危ないでっせ。」などと述べたと認定したが,このような事実は認められない,などと主張している。しかし,まず,被害者の胸部上方を突き刺すのは力が込めにくいというのは,それ自体根拠の乏しい主張であるし,本件の事実関係に照らせば,被告人が被害者に1回攻撃を加えたにすぎないことと,被告人が殺意を有していたことは相容れないものではないから,所論(1)は理由がない。次に,被害者の創傷の深さが前述のとおり約11センチメートルにまで及んでいることなどに照らせば,被害者が被告人の方に前のめりに近寄るなどしたことでナイフが刺さったなどとは到底考えられず,所論(2)も理由がない。また,本件の事実関係に照らせば,被告人においてナイフを示せば被害者にわびを入れさせることができると思ったなどとは考えられず,所論(3)も理由がない。さらに,被告人が犯行後丁木に述べた言葉について,丁木の供述を疑うべき事情はないが,仮にこれが同人の述べたとおりでないとしても,被告人が,逃走中,知人らに対して,被害者の挙動のせいで誤ってナイフが刺さってしまった旨の供述をしていないことに違いはないのであるから,所論(4)も理由がない(なお,秋山夏子は,原審公判において,夫である亥田三郎と共に被告人と会った際,被告人が,知らないうちにナイフが被害者の胸に刺さっていたとか,たまたま向こうが向かってきたみたいなことを話していた旨供述している。しかし,三郎は,被告人が,殺してしまった,ナイフで刺したと話していた旨供述しており,夏子が供述するような供述をしていないところ,事柄の重大性に照らして,被告人が真実そのような供述をしたのだとすれば,三郎が同趣旨の供述をしていないというのは不自然である。しかも,夏子は,三郎と一緒に被告人と会った際に被告人から上記のような話を聞いたのかどうかはよく分からないとも供述しているのであり,その供述には一貫性がなく,はなはだあいまいである。以上からすると,夏子の上記供述が被告人の弁解を裏付けているといえないことは明らかである。)。以上の他に殺意がなかったとして所論がるる主張するところについても取り上げて検討したが,いずれも理由がない。
次に,誤想過剰防衛については,被告人が急迫不正の侵害を受けたと誤信するような状況がなかったことは明らかであるから,所論は採用の限りでない(なお,所論は,被告人は,丁木を現役の極道である旨述べ,また,(被害者と丁木の乗ってきた)車の中に何人乗っているかも分からないし,車の中は真っ暗で,ワゴン車で後ろから降りてくる気配もあり,(丁木が連れてきている人間は)やくざでいえば若い衆だろうなどと思った旨述べているが,これらの供述は,被告人が,勢いよく降車してきた被害者と丁木に続いて,その他の数名が被告人に攻撃してくると誤信していたことを示しているなどと主張しているが,明らかな論理の飛躍であり,失当である。)。
事実誤認をいう論旨は理由がない。
第2 破棄自判
しかしながら,職権をもって検討すると,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり,原判決は破棄を免れない。すなわち,原判決は,(法令の適用)において,原判示第2の2の所為(本件ナイフの不法携帯)は銃砲刀剣類所持等取締法(以下「銃刀法」という。)32条4号,22条に該当する旨判示しているが,同法32条は,原審弁論終結後の平成18年8月21日を施行期日として改正されており,原判決宣告時点では,同法32条4号は準空気銃所持の禁止に係る罰則の規定となり,同条5号が改正前の同条4号と同内容である刃物の不法携帯の禁止に係る罰則となっているところ,原判決がこの改正について何ら言及していないことからすると,そこにいう「同法32条4号」は裁判時におけるもの,すなわち準空気銃所持の禁止に係る罰則を示すと見るほかないのであるから,原判決に判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがあることは明らかである。
(なお,改正前の銃刀法32条4号の改正について経過規定が置かれていないこととの関係で,原判決宣告時(当審判決宣告時についても同じ)において,原判示第2の2の事実について,上記改正前の銃刀法32条4号を適用すべきであったのか(以下,この考え方を「旧法適用説」という。),改正後の同法32条5号を適用すべきであったのか(以下,この考え方を「新法適用説」という。)について,ここで補足して説明しておく。行為時以降,裁判時までの間に罰則の改正法が施行され,それが刑の変更(刑法6条),刑の廃止(刑訴法337条2号)に該当せず,罰則の内容が変更されていない場合について,文献等では旧法適用説を採ったものとして大審院昭和9年1月31日判決刑集13巻28頁が引用されることがある。しかし,この判決は,原判決(控訴審判決)宣告時には新規定が効力を生じていなかったが,当該判決(上告審判決)宣告時には新規定が効力を生じていたことから,刑の変更に当たるかどうかを検討し,それに当たらないとして上告を棄却したものである。要するに,刑の変更には当たらないから原判決はそのまま是認できるとしたにすぎないのであり,「犯罪後法律の改正ありたるも刑に変更なきときは行為時法たる旧法を適用すべきものとす」との判決要旨が付されているからといって,これを旧法適用説を採った判例と解することはできない(かえって,傍論として説示されたものをあえて指摘するとすれば,最高裁判所昭和23年6月22日判決裁判集2号511頁は,刑の執行猶予の条件に関する刑法の規定が改正された場合において,「新旧いずれの規定を適用すべきかは刑法6条によって決まるのではなく,改正規定の立法趣旨によって判断しなければならない問題となる」とした上で,ある特定の規定について「なお従前の例による」とする経過規定があることの反面解釈によると,(そこに挙げられていない)刑法25条の改正規定は同法施行前の行為についても適用される趣旨が窺われるので,(中略)新規定によるべきである旨,上記大審院判例の判決要旨とは明らかに異なる見解を示しているのである。)。
旧法適用説は,行為時に存在しなかった罰則を適用するのは罪刑法定主義(憲法31条)や刑罰法規不遡及の原則(同39条)に照らして問題があると考えるようであるが,罰則の内容が変更されていない場合には新規定を適用しても行為者に何ら不利益は及ばないのであるから,この点は旧法適用説の論拠にはならないと解される。そもそも,改正法が施行されれば旧規定は無効になるのであるから,「なお従前の例による」「なお効力を有する」などとの経過規定がない以上,これを適用する根拠はないというべきである。新法適用説が論理的に妥当なものであることは明らかであり,このことは,旧規定を適用すべき場合の経過規定はあるのに,新規定を適用すべき場合の経過規定は見当たらないという法制執務の実情にも合致している。
以上のとおりであり,当裁判所は新法適用説を採用する。)
そこで,量刑不当の主張に対する判断を省略して,刑訴法397条1項,380条により原判決を破棄し,同法400条ただし書に従い,被告事件について更に次のとおり判決する。
原判決が認定した事実に原判示が挙示する法令を適用し(刑種の選択,併合罪の処理を含む。ただし,「判示第2の2の所為は銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条にそれぞれ該当するところ」とあるのを「判示第2の2の所為は行為時においては平成18年法律第41号による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条に,裁判時においては同改正後の同法32条5号,22条にそれぞれ該当するところ,判示第2の2の罪については経過規定が存しないので同改正後の同法32条5号,22条を適用し」と訂正する。),処断刑期の範囲内で被告人を懲役16年に処し,刑法21条を適用して原審における未決勾留日数中60日をその刑に算入し,主文第4項①記載の物件は原判示第2の1の殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから同法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収し,主文第4項②記載の物件は原判示第1の2の罪に係る覚せい剤で犯人の所有するものであるから覚せい剤取締法41条の8第1項本文によりこれらを没収し,原審における訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
当裁判所の量刑の理由は,原判決の(量刑の理由)と基本的に同様である。被告人は,原判示第1の覚せい剤自己使用,覚せい剤所持に及び,それらの罪についての公判審理中,判決前に保釈されたところ,前述したような経緯で被害者に激しい怒りを覚え,これを爆発させて原判示第2の殺人,銃刀法違反に及び,さらに,逃走中に原判示第3の覚せい剤使用に及んだものである。被害者が被告人の内妻を強姦したのかどうかは不明というほかないが,被告人が被害者に怒りを覚えた経緯自体は理解し難いことではない。しかし,そのような怒りを覚えたからといって,被害者を殺害するなどというのは無法極まりないことであり,結局のところ,犯行の動機はまことに短絡的かつ身勝手というほかない。犯行の結果はいうまでもなく極めて重大であり,遺族の処罰感情も強い。また,被告人の覚せい剤に対する親和性,依存性にも深刻なものがあるというべきである。そうすると,被告人の刑事責任は非常に重いというべきであり,被告人が,遺族に対してできる限り慰謝の措置を講じるつもりである旨述べていること,実兄が今後の監督を申し出ていること,被告人にこれまで服役前科がないことなどの事情を十分考慮しても,原判決と同様,被告人を主文のとおりの刑に処するのが相当である。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・陶山博生,裁判官・西田時弘,裁判官・丸山徹)