大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成18年(う)698号 判決 2008年7月23日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役12年に処する。

原審における未決勾留日数中350日をその刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人石田真人(当時主任弁護人,後に解任)及び同佐武直子連名作成の控訴趣意書並びに被告人作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり,弁護人の控訴趣意に対する答弁は,検察官磯部file_2.jpg一作成の答弁書記載のとおりである。弁護人の論旨は訴訟手続の法令違反,事実誤認及び量刑不当の主張であり,被告人の論旨は事実誤認の主張である。

第1訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は,要するに,(1)被告人は,原審公判当時,統合失調症により心神喪失状態にあり,病気のために出頭することができなかったのであるから,原審は,刑訴法314条1項,2項により公判手続を停止すべきであったし,少なくともそのような疑いがあったのであるから,同条4項により医師の意見を聴取すべきであったのに,原審はこれらの手続をとることなく,かえって被告人が不出頭の公判期日については,被告人が正当な理由なく出頭を拒否したとして刑訴法286条の2により公判手続を行ったが,このような原審の訴訟手続は刑訴法314条1項,2項,4項に違反している,(2)原審は,原審弁護人の鑑定請求を却下したが,これは刑訴法165条,刑訴規則199条に違反しているのであって,これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである,というのである。

そこで,記録を調査するなどして検討する。

まず,所論(1)について,被告人は,原審第1回,第3回,第6回,第9回,第11回,第13回から第16回までの各公判期日に出頭しておらず,原審は,第1回公判期日においては手続を進行しないまま公判期日を変更しているが,その他の被告人不出頭の公判期日においては刑訴法286条の2により公判手続を進行しているところ,上記各不出頭の公判期日に際しての被告人の拘置所職員に対する言動は,次のようなものである。すなわち,「行かない,今日は第1回だから様子を見ている」(第1回),「今日はやめておく,今日はIが来るが自分は関係ない,あんな重い雰囲気の裁判所に2時間近くもいるのはしんどい,次回はHという人が来るので行きます,次とその次は行きます,今日は僕が行かなくても裁判は進行します,弁護士には今日行かないと話してあります」(第3回),「今日は行かない,悪霊がほえるから法廷で職員に怒られる,悪霊をどうにかしてくれないと裁判には行けない」(第6回),「今日はやめておく,昨日の夜から悪霊が股間に働きかけて股間に虫ずが走る,それを鎮めるために股間を叩いていないといけないが,そうするとおかしなやっと思われるので恥ずかしい,今の裁判は私にとってはにせ裁判なので,何を言っても同じである,次は行きます」(第9回),「股間に虫ずが走る,人など刺していない,無実だからここを出る,裁判官にはここに来てもらってくれ」(第11回),「今日はだめだ,にせものの裁判には行かない」(第13回),「おれの事件ではないから出頭しない,体調が悪い」(第14回・論告期日),「悪霊が取り憑いてしんどい,横にさせてくれ,弁護人にも行かないと言っているし,行かない」(第15回・弁論期日),「判決には行けへん,弁護士にも行かないと言った,悪霊がいる,絶対行かない」(第16回・判決宣告期日)などである。

そして,被告人が出頭した公判期日におけるその供述内容についてみると,被告人は,原審第2回公判期日において,「公訴事実記載の日に金属バットを持ってD方に行ったが,サバイバルナイフは持っていっていない,DやHを刺したことはない,銃刀法違反の日時場所でサバイバルナイフを持っていた記憶はない」旨陳述し,同第12回公判期日の被告人質問においては,基本的に上記陳述に沿った供述をしたほか,「事件当時は悪霊におちょくられていると勘違いしていた,Gが犯人である,拘置所で悪魔が股間をなぶってくる,法廷に出てきたD家の人や警察官,自分の親は悪魔にコントロールされて,口々にでたらめを言っている」などと供述し,また,これまでの公判期日に出頭しなかった理由については,「なんでおれが心臓刺して首切った犯人にされなあかんねんという腹立たしさ,おれじゃないって分かってもらえない腹立たしさ,そのむかつきね,ただの裁判ごっこですよ」などと供述している。

被告人は,後述のとおり,本件犯行当時及び原審公判当時,統合失調症に罹患していたものと認められ,悪霊が股間をなぶってくるなどという被告人の特異な言動は統合失調症の影響によるものと理解される。しかし,被告人は,いずれの不出頭の公判期日においても,出頭する,あるいは出頭したい旨の意思を表したことはなく,自ら出頭を拒んだものであること,被告人は,証拠調べが終了するまでの間は,一,二回出頭すると次回は出頭しないことを繰り返し,論告,弁論,判決宣告の各公判期日には出頭していないのであって,これらからすると,被告人は,当該公判期日あるいはその後の公判期日においてどのような審理が行われるかを被告人なりに考慮してその公判期日に出頭するかどうかを決めていたことがうかがえること(この点,被告人は,当審公判において,原審の公判期日に出頭しなかったことについて,出たくないから出なかった,たまには出てやろうということである旨述べている),被告人は原審第6回,第11回,第13回ないし第16回公判期日に際して,出頭を求める拘置所職員に対して顔つきを変えたり興奮した態度を示したりしているが,その際においても,当日が公判期日であり,自らが出頭を求められていることを十分認識した上で出頭を拒んだものであることに違いはないこと,被告人は,原審公判において,検察官側証人が自己に不利益な内容の供述をしていることを理解した上で,それに対する反論を被告人なりの理由を挙げて述べていることなどに照らせば,被告人が原審公判当時,統合失調症の影響を受けていたことを考慮しても,その当時,被告人が,訴訟能力,すなわち被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当な防御をすることのできる能力を有しており,心神喪失の状態になかったことが明らかであるとともに,また,被告人が病気のため出頭できなかったものでないことも明らかであって,被告人が原審において出頭しなかった公判期日は,被告人が正当な理由がなく出頭を拒否したものということができるから,原審が刑訴法286条の2により公判手続を行ったのも適法であると認められる。

以上のとおりであるから,原審の訴訟手続が刑訴法314条1項,2項,4項に違反していないことは明らかであり,所論(1)には理由がない。

次に,所論(2)についてみると,まず,原審弁護人の鑑定請求を却下した原審の措置が刑訴法165条,刑訴規則199条に違反するという点については,その指摘する条文との関係で,原審の訴訟手続がどのような点において何故違法であるというのか,趣旨不明の主張というほかない。また,そもそも証拠調べの必要性の判断は裁判所の合理的な裁量に委ねられているところ,原審においては,捜査段階で被告人の精神鑑定を行った医師M作成の精神鑑定書(原審甲50号証)が取り調べられ,また,同人の証人尋問が行われているのであり(以下,上記鑑定書及び同人の原審公判供述を併せて「M鑑定」という),同医師の精神科医としての経歴及び実績,当該鑑定書及び上記証人尋問の内容等,さらには,被告人が精神鑑定のみならず公判手続に対しても拒否的態度をとっていたことをも考え併せると,原審において,M鑑定に加えて,更に被告人の精神鑑定を行う必要はないとして原審弁護人の鑑定請求を却下したことが,その合理的な裁量を逸脱したものであったとはいえず,そこに訴訟手続の法令違反は存しない。

訴訟手続の法令違反をいう論旨はいずれも理由がない。

第2事実誤認の主張について

1  論旨は,要するに,原判決は,被告人が原判示の各犯行の犯人であり,また,被告人にその各犯行当時完全責任能力があったと認定しているが,被告人は原判示の各犯行の犯人ではなく,また,被告人にその各犯行当時完全責任能力があったことには合理的疑いがあって,被告人は心神喪失か少なくとも心神耗弱であったのであるから,これらの点において,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というのである。

2  まず,被告人の犯人性に関する主張について検討する。

弁護人の所論は,「原判決における犯人性の点に関する事実誤認の主張を控訴趣意書に記載しようと努めたが,その点について,被告人との意思疎通及び客観的な事実の確認などをするための十分な接見交通が行えなかったので,現時点ではこの点に関する控訴趣意の内容を詳述することは差し控える」旨いうにとどまっており,このような主張は,訴訟記録及び原審で取り調べた証拠に現れた事実の援用を欠いた不適法なものといわざるを得ないから,所論は採用の限りでない。

また,被告人の所論は,「Dを刺し殺し,Hを切りつけたのは自分ではありません。Gが犯人です」というものであるが,この主張が採用できないことについては,原判決が(事実認定の補足説明)の2から4までにおいて詳細に説示しているとおりであり,被告人が原判示の各犯行の犯人であることに疑いを容れる余地はなく,所論は採用できない。

被告人の犯人性について事実誤認をいう論旨は理由がない。

3  次に,被告人の責任能力に関する主張について検討する。

(1)  まず,関係証拠により認められる被告人の病歴,犯行に至る経緯・犯行状況・犯行後の状況,被告人の幻覚妄想に関する供述内容等については,以下のとおりである。

(ア) 被告人は,京都市伏見区(以下省略)等の両親方で生育し,中学校卒業後,運送会社での荷分けや工場で酒瓶を洗う仕事等多数の職を転々とし,自衛隊に入隊したこともあったが,いずれも長続きせず,平成10年5月以降無職であった。被告人は,平成12年11月ころ,階下の住民から物音がうるさいなどと言われて同人とトラブルになり,同人方の玄関を足で蹴るなどした。被告人は,このようなトラブルをきっかけとして,自宅に引きこもり,外部の動きに敏感に反応するようになった。被告人は,平成14年夏ころから,窓から通行人めがけてエアガンの弾を発射するようになり,平成15年2月20日,精神保健指定医2名によりいずれも主たる精神障害として「統合失調症の疑い」と診察された上,a病院に措置入院させられた。被告人は,この入院の際,主治医に対し,「エアガンを撃つと人がやってくる。確信ではないため,実験して確かめる必要がある」などと述べたほか,自分が引きこもりのような状態になっていることについて,「30歳になって食わしてもらっていて,世の中でも恥ずかしい。ぬるま湯につかっているのが情けないわ。ほんまはホームレスになるくらいがええわ」「ボクもこれでええとは思えへんで。思えへんけど,自分で自分を追い詰めてんねん。今,追い詰めて崖っぷちへ立と思てんねん」などと述べた。主治医は,統合失調症との鑑別を経た上で,被告人を「特定不能の広汎性発達障害」と診断した。被告人は,同年3月20日に措置解除となっていったん退院したが,同年5月3日,自宅から近所の女性を狙ってエアガンの弾を撃ち,そのうち1発を同女の右大腿部に命中させるなどして,同月15日に逮捕された。被告人は,逮捕時,ズボンに文化包丁を差し,「何が警察や,殺すぞ」などと言って抵抗を試み,被告人方からは,「一点集中攻撃」等と書かれた同女を攻撃するためのメモが押収された。被告人は,同年6月4日から8月4日まで再度a病院に措置入院させられたが,これに先立ち,精神保健指定医の1名は,被告人を「1 主たる精神障害 反社会的行為,2 従たる精神障害 広汎性発達障害の疑い」と診断し,他の精神保健指定医は,被告人を「1 主たる精神障害 人格障害,2 従たる精神障害 「妄想」の疑い」と診断した。1回目の入院時と同じ主治医は,被告人を「広汎性発達障害」と診断した。被告人は,この入院時,主治医に対し,「また空気銃を撃った。アホたちに」「ゲームや。楽しんでるだけや」「起訴すればいいのに。中には精神病を装って罪を免れる人もいるけどあいつらが勝手に精神鑑定した」「ヤクザだったら気にくわなければ本物のピストルで撃つ。まだかわいい。ワシのやっていることは」「性格を変えるには麻薬か本人じゃないと不可能。ここに放りこんだって変わらへん。反省はせえへん。また戦場に戻るだけ。戦いがおれを待っている。かっこよく書えば」などと述べていた。

被告人は,2回目の退院後,エアガンを撃つのをやめさせようとの母親の配慮もあって,同年9月から,京都市伏見区(省略)の祖母方において母親と3人で生活するようになり,しばらくは落ち着いた様子を示していたが,平成16年3月ころから再び精神状態が悪化し,部屋のカーテンのすき間から外をのぞくようなことをするようになり,また,(被害者とは別の)近所の住民が被告人の祖母方前を通るときに「チェッ」と言ってつばをはいたりしたなどという理由で,同人の家のチャイムをならしたりするようになった。そして,被告人は,母親に対して,同年4月中ごろから,祖母方と駐車場を挟んで隣接する居宅に住むD(以下,自判部分における(量刑の理由)の前までは同人を「被害者」という)の長男が,被告人がドライブから帰ってきたら「チェッ」と言っていたなどと言い出し,同年5月になると,被害者の長男が盗聴をしている,家の中をのぞきに来ているなどと言うようになった。被告人は,同月2日には祖母方の窓ガラスに新聞紙を貼るなどし,翌3日には,業者に来てもらって家の中などが盗聴されていないかどうかを検査するなどした。被告人は,同月1日ころ,メモ紙の表面に「N・O暗視カメラDすだれからカメラ及び盗ちょうのうたがい有 家と車 業者が来る前にはずすという情報有 カギをかけ人が入ってこれないように 注意」などと,裏面に「○おれ自身は殿・おや方様(自分で魔王になってはならない) ○多数けつで決定 ○対等で良い(上下なし) ○3人の神・仏・魔王に守護 ○4人の力(霊力)固い結束 ○いざという時はすべてを動員する 最終決定」と記載するなどした(なお,「N・O」とは被告人の近所の住民を指している)。被告人は,同月12日午前8時30分ころ,無断で被害者方の2階に上がり込み,被害者から「何しに来たんや。人の家に何を上がり込んできたんや」などと叱責され,にやにやするなどして玄関から出て行ったが,すぐに被告人の母親が被害者方に来て,「すいませんでした」と言って被害者らに頭を下げた。被告人は,同日,b大学医学部附属病院精神科を受診し,担当医師は,被告人を「統合失調症の疑い」と診断した。被告人は,同月21日午後10時ころ,被害者方に赴いて金属バットでその玄関ドアを叩くなどし,またもや被害者に叱責されたが,その後通報を受けてやって来た警察官の聴取に対しては,「何もしてへん」などと述べていた。被告人は,被害者から借りていた駐車場の契約を解約されたこともあって,その後祖母方を出て両親方に戻って生活するようになったが,そのころ,友人のFとドライブをした際,被害者方に上がり込んだことが話題となり,Fから,手を出したのかと尋ねられると,「手は出していない。そういうことをしたら捕まってしまう」旨答えた。被告人は,同月27日,再度b大学医学部附属病院精神科を受診し,a病院入院時の主治医の診察を受けるよう勧められ,同月31日に母親から同医師の診察を受けるよう言われたが,それを断り,同年6月4日に同医師の診察を受ける予定となった。

被告人は,同月1日午後1時40分ころ,被害者方に赴いてその玄関ドアを叩くなどし,同日午後5時50分ころにも被害者方付近を徘徊し,通報を受けた警察官が臨場したが,そのときには被告人はいなかった。被告人が,同日午後10時過ぎころ,金属バットを振り上げて被害者方に向かって来たことから,被害者の妻が警察に通報する一方,被害者が,玄関ドアを開けて,被告人に対し,なだめるように,「なあ,お前,何でそんなことうちにしてくるんや。なんか人間違いやろう」などと言ったが,被告人は,金属バットを振り上げたまま,無表情で,「お前,Eの親父か」と言ったので,被害者が,「いやあ,違う違う。そんな人間はうちにはいいひんし,お前の思い違いや。うちにはもう無関係や。頼むからもううちとは関係ないんや」などと言うと,被告人は,金属バットを下ろし,自動車に乗って走り去った。その後しばらくしてやって来た警察官らが被害者らから事情を聴くなどしていたところ,被告人の母親が被害者方前を通りかかり,被害者らから事情を聴かされた上,被告人にそのようなことをさせないようにしてほしい旨言われたことから,被告人の母親は,被害者方前に一晩中いさせてほしい旨言ったが,被害者から,そのようなことをしなくてよいと言われて祖母方に帰った。被告人は,同月2日午前1時45分ころから上記Fとドライブをしたが,その途中,被告人は,被害者方近くにしばらく自動車を停めてたばこを吸うなどし,また,そのドライブの途中,同日午前3時ころ,祖母方に立ち寄り,母親から小銭をもらった際,「Dさんに絶対手を出したらあかんで」と言われたが,それに対しては何も言わなかった。

(イ) 被告人は,同日午前3時45分ころ,自宅付近に戻りFと別れた後,同日午前4時過ぎころ,金属バットと刃体の長さ約24.2センチメートルのサバイバルナイフを持って,被害者方に向かい,1階の被害者の二男の部屋の窓を数回軽く叩くなどした後,同日午前4時10分ころ,被害者とその妻が在室している1階寝室の無施錠のサッシ窓を開けて,淡々とした低い声で「お前が警察に言うたんか」と言いながら,同室の中に入った。被害者の妻はすぐにその場から逃げたが,被告人は,被害者の頭部を金属バットで殴り付けた後,2階に逃げ込んだ被害者を追いかけ,同所において,被害者を助けに来た被害者の二男と格闘になり,サバイバルナイフで同人の右頚部を切り付けるなどした。被害者の二男は,被害者が被告人の後頭部を金属バットで殴るなどしたすきに1階に逃げたが,被告人は,そのナイフで多数回にわたり,被害者の頭部,顔面を切り付け,その胸部等を突き刺すなどして,被害者を殺害した(以下,被害者に対する殺人,被害者の二男に対する殺人未遂及びその際の上記サバイバルナイフの不法携帯を併せて「本件殺人等」という)。その後,被害者の長男が2階に上がってきて,被告人を傘で叩くなどしたが,被告人の母親が2階に上がってきて,被告人の背中を叩くと,被告人は,はっと我に返るような表情をして,「何があったんや」あるいは「何でこんななったんや」と言った上,母親に対して,何度も「殺してくれ」と言った。その後,被告人は,母親に連れられて祖母方に戻り,母親から自首するよう言われたが,母親が電話で警察に通報している間に,刃体の長さ約15センチメートルの上記とは別のサバイバルナイフを持って祖母方から逃走し,被害者方から約1キロメートルほど離れた路上で警察官らに見つかり,「散歩ですか」と声を掛けられると,上記ナイフを腰の辺りに構えて警察官らを威嚇し,「おれは人を刺してきたんや。おれはもうどうなってもいいんや」「けん銃で撃ってくれ。殺してくれ」などと言って,上記ナイフを振り回すなどしたものの,警察官らに制圧され,同日午前4時56分,逮捕された(以下,本件殺人等と上記サバイバルナイフの不法携帯を併せて「本件犯行」あるいは単に「犯行」という)。

(ウ) 被告人は,同日午前5時24分ころ,警察官の弁解録取に対し,「今日私はバットと刃物を持ってDさんの家に行き,人を刺したことに間違いありません」と述べ,さらに,同日,警察官の取調べに対し,「今日朝早くDの家に行き,ナイフで人を刺したことについて話します。Eというしょうもない男と前から,テレパシーか,幻聴でいろんな話をしたり,トラブルを起こしていた。ついにバクハツしてあばれたろ思って,Dの家に行った。私の家に置いてあった私の金属バット1本,ナイフ1本を持って行った。車で行った。Dの家の裏から家の中に入った。部屋の中でバットを振りまわしてただひたすらあばれた。家の人がいたのでナイフで刺した。Dの家の2階にも上がってあばれたが,Eは,いなかった。2階でDのおやじを刺したら,血を出して,倒れた。家族がおった。もう一人の男もナイフで刺したら,倒れ込んでから,どっかへ行った」と述べている。被告人は,翌3日の検察官の弁解録取に対しては,「私は,Dの家にいる若い男に腹が立っていたので,探しにDの家に,裏側の窓から入り込み,その家にいたDの親父を見て,そのDの親父にも前から腹が立っていたので,爆発し,持っていた金属バットでDの親父の頭を殴りました。でも,ナイフで胸を刺したりした覚えはありません。相手と勝負してやろうと思って,自分も相手も死んでもええと思っていたので,Dの親父をボコボコにしてやろうと思って殴りました。それから,自分が探していた若い男とは別の若い男が出てきたので,その男の顔をめがけて,持っていたナイフで突きました。ナイフとバットは,自宅から持っていきました」と述べている。さらに,被告人は,同月7日,警察官の取調べに対し,「Eのことについて話します。Eは間違い,Gや。(中略)Gは,数ヶ月前知った。ガレージ借りてから。(中略)サングラスかけたりしてる。ナマイキなやつ。Gは家の中,自分は家の外,ガレージで話した。いろんなこと言ってきた。ののしり合った。やんのか,やったろか,言われた。Gは家の2階,窓から顔出した。ガレージ近いから大きい声出さない。知ってすぐ,空気銃で撃たれた。車で走る時。家の壁,撃たれた。Gと最後に会ったのは1週間前かな,ちょっと忘れた。でも,しょっちゅう話してる。Gがいつでもテレパシーで言ってくる。ののしり合う。(Gはテレパシーが出来るのか,との問いに対し)そこが,むずかしい。(自分はいつからテレパシーが出来るのか,との問いに対し)出来ない。(テレパシーでののしり合うと言ったではないか,との問いに対し)自分からは,言わない。相手が言ってくるから,答えるだけ。(最後の話はどう言って来たか,との問いに対し)やったろか,かかって来んかい。(どう答えたか,との問いに対し)じょうとうや,行ったるわい。(これはいつですか,との問いに対し)逮捕された日。(中略)Dの家に,たまに行った。いやがらせした。つばはいた。ドアを蹴った。ブロック塀も蹴った。何回したか,ちょっとわからない。何回もした。Dの家の近くでもした。同じようないやがらせした。Gが空気銃で撃ったからした。ナマイキやからした。(後略)」と述べている。

(エ) 検察官は,同月18日,被告人の精神鑑定をM医師に嘱託し,被告人は,同年7月12日,同月13日及び同年8月12日に,それぞれM医師の面接(いずれも約30分間)を受けたが,その際,被告人は,以下のような供述をしている。すなわち,「人を殺してへん。家に入っただけ。(被害者方には来いと言われたから行ったと警察では述べているが,との問いに)分からん。(被害者に怒られたことを覚えているか,との問いに)忘れた。(被害者の長男の声が聞こえたのか,との問いに)直接しゃべった。弱いくせに,強いみたいなことを言うし,二転三転する。家は近くやし,直接言い合うねん。2階の窓から顔を出す。被害者方の2階に上がって怒られたことはない。被害者を殴っていない。被害者方にバットを持っていったことはない。バットで玄関を叩いたこともない。ここ(拘置所)では被害者の長男の声は聞こえない」などと供述する一方,M医師の事実確認に否定をしたり,質問に何も答えなかったり,「黙秘,黙秘」と言ったりしている。

(オ) 被告人は,原審第2回公判期日の罪状認否において,犯行当日,被害者方に金属バットを持って行ったが,サバイバルナイフは持って行っていない,1階では被害者を殴っていない,被害者やその二男をナイフで刺していない,その後路上でサバイバルナイフを持っていた記憶はない旨の陳述をし,同第12回公判期日の被告人質問においては,起訴後,京都拘置所に移送されてからの被告人の特異な精神症状についてのやり取りが中心となったが,被告人は,「犯行当日,被害者方の家の中には入っていない。2人の若い男と出くわして,もみ合いになったので,逃げた。(犯行前に被害者方のドアを蹴ったり,つばを吐きかけたりしていたことについては)勘違いしていた。おちょくられていると思った。被害者の妻と二男におちょくられていると勘違いしていた。長男と二男を間違えていた。(どうして勘違いしたのかは)空耳である。第六天魔王とシヴァ神である。その名前がよく出てくる。悪魔がおれをおちょくった。被害者方からおちょくったようなことを言ってきたりとか,戸を蹴る音とか,自分をおちょくるような罵声が聞こえたりした。おれの勘違いだった」旨供述する一方,M医師の前記面接の際にどんな話をしたのかとの質問に対して,「精神病とか言われたら困るんで,しゃべらなかったです」と述べている。

(カ) 被告人は,平成18年2月27日に原判決の言渡しを受けたが,同年3月1日に控訴し,当審第1回公判期日において再度被告人の精神鑑定を行うことが決定された。被告人は,平成19年4月9日から同年7月9日まで,東京都多摩市所在のc病院に鑑定留置されて,P医師らによる精神科診断を受けた際,以下のような供述をしている。すなわち,「悪魔がGの兄貴に化けて,おちょくってきて,それで今回の事件になった。被害者方に侵入して,バットで被害者を半殺しにした。理由は,被害者の長男がテレパシーで一日中おちょくってくるので,それでぶち切れたからである。「おれはヤクザだ」とか,「やったるで」「金属バット持って上がってこい」などと言う。おちょくるとは,からかうとか,なめたことを言うということである。被害者方に無断で上がり込んだのは,テレパシーで,警察がお前を捕まえに来るので,かくまってやるから,上がってこいと言われたからである。その声は幻聴ではなく,はっきり聞こえる。拘置所に入ってから,一日中しゃべるので,悪魔だと気付いた。事件の際,不可思議なことが起きた。ドアの外にいったん出たら,ドアが自然に閉まってしまった。もう一度入ろうと思ってドアを蹴ったが,開かなかった。蹴ると少しだけ開いたかと思うと,いきなりバネが効いているみたいに,ボーンと戻ってくる。また,被害者の長男がバットを振ってきたので左手で受けたら,被害者の長男が後ろに吹っ飛んでしまった。さらに,顔面を3回刺したが,ほほの辺りでカチーンと弾かれて,血も出ない。この他にも,悪魔が自分に取り憑いて超常現象を起こす。事件の2か月位前から,人間が瞬間移動する。運転していると空でピカッと光ったりする。自分の目から光線が出て,夜運転していると道路を照らす。拘置所に入ってからは,悪魔に股間をなぶられるようになった。M鑑定の際には,精神病と思われるのが嫌だったので,こういう話はしなかった。(犯行の際に)「お前が警察に言うたんか」と言ったことはない。お袋が110番をしている間に祖母方を出たのは逃走するためである。母親に「何があったんや」とか「何でこんななったんや」とは言っていない。「殺してくれ」とは言った。死んで楽になりたかった。殺人が犯罪なのは分かっているし,2人以上殺すと死刑になる人もいるのも分かっている。それでも殺そうと思ったのは,一日中やかましかったから。殺せば静かになると思った。逃走したときには,逃げ通したかった。捕まって伏見警察に行ったが,弁解録取で何を聞かれたか覚えていない。弁解録取書に記載された内容を自分は言っていないと思う」などと供述している。

(キ) 被告人は,当審第3回公判期日の被告人質問において,P医師による鑑定の際とおおむね同様の供述をした上,更に以下のような供述をした。すなわち,「被害者方の2階に上がり込んだのは,被害者の長男に「かくまってやる」と言われたからである。「2階に上がってこい」と言われたので2階に上がり,「おれの姿見えるけ」「ここにおるん見えへんか」と言われたので,「どこにおるんや」と言って探していたら,被害者とその妻が出てきた。ちょっとどやされて,偉そうに言っているなと思った。その後,被害者方の玄関ドアを叩いたときには,被害者が2階から何か偉そうに言ってきたので,自分も「なんや,こら」みたいに言い返してやった。駐車場を解約されたことについては何とも思っていない。警察を呼ばれたので,何で警察が来れたのかと思ったら,被害者の長男が「謝ったら警察引いたるわ」と偉そうに言っていた。被害者に対しては,生意気な奴だなくらいのことは思っていたが,何かしてやろうという気持ちはなかった。被害者の長男に対しては,いつかやってやろう,ぼこぼこにしてやろうと思っていた。事件の数か月前,被害者の長男が1回勝負を挑んできた。金属バット持ってガレージまで来いや,やったるわって言われたので,それで行ったのだが,被害者の長男は来なかった。事件の日は,被害者の長男が何回もけんかを売ってくるので,挑発に乗った。叩きのめすためにバットを持ち,それを奪われたときには刺してやろうと思ってナイフも持って被害者方に行った。ガラスを叩き割って侵入したら,部屋の中にいた被害者と目が合い,被害者が飛びかかってきたので,被害者をバットで殴った。被害者は倒れたが,起き上がってきたのでまた叩いた。その繰り返しで,10発以下数発くらい叩いた。最終的に叩いても効かないので,逃げたら,ドアが勝手にバーンと閉まってしまった。被害者とバットの奪い合いになったところで,被害者の息子らが入ってきた。どちらかにバットを奪われ,被害者の長男にバットで殴られそうになったので腕でガードしたところ,何か知らないが被害者の長男が吹っ飛んだので,チャンスだと思い,被害者の長男の顔面を3回ナイフで刺したが,刺さらなかった。原審では,被害者方にナイフを持っていっていないとか,被害者方に入っていないなどと供述したが,それは濡れ衣を着せられていたため,言い逃れをしようと思ったからである。恨みは被害者の長男にあったが,被害者を何回も叩いたのは,飛びかかってきたのを排除するためと,被害者方の者ならだれでもよい,自分の家族をやられたらダメージを負うだろうということである。原審でうそをつき通せると思っていたわけではない。ここまで証拠があって,うそがばれないというのは不可能だが,とにかくでたらめ言って,そのうち何が何だか分からないようになるだろう,さて,だれが殺したのでしょう,となるだろうと思った。自分が殺していないのに殺したと言われたので,被害者をバットで殴ったり,被害者の長男をナイフで刺したことも言い逃れして,全部でたらめ言ってやろうと思った。しかし,懲役18年を下されて,ああだめだなと思った。人を殺してしまったら死刑になったりするかもしれないのは分かっているが,それでも被害者の長男を殺そうと思ったのは,なめられて黙っていられるか,男たるものが,おれを怒らせたら,どれだけ恐ろしいか,どういう目に遭うか,分からせてやろう,おれをなめたらこうなるぞということである」などと供述している。

(2)  被告人の本件犯行当時の精神状態については,被告人は統合失調(症)型障害であるが完全責任能力を有していたとするM鑑定と,被告人は統合失調症に罹患していて心神喪失であったとするP医師作成の精神鑑定書及び同人の当審公判供述(以下,これらを併せて「P鑑定」という)とが対立しているので,まず,被告人がどのような精神障害を有していたかについてみてみることとする。

(ア) M鑑定は,被告人を人格障害の一種である統合失調(症)型障害と診断し,統合失調症には罹患していなかったと診断したところ,原判決は,「M医師が40年以上精神科医として従事し,約100件の刑事事件における精神鑑定を行ってきたという豊富な経験を有すること,精神及び行動の国際分類(ICD-10)の基準に従って被告人の面接時の言動,一件記録によって認められる被告人の行動等を比較的詳細に検討していることなどから,M鑑定における被告人の精神状態の分析過程は,基本的に信頼に足りるものであると考えられること,法廷での被告人質問では,被告人は十分な疎通性を有しており,支離滅裂な言動は全くなかったことなどからすると,被告人の精神障害としては,統合失調症,精神発達遅滞及び広汎性発達障害は否定されると解される」と説示している。しかし,原判決は,「被告人が統合失調症の周辺領域の精神障害に罹患していることは間違いないとしても,それがM鑑定にいうところの統合失調(症)型障害であると断定することはためらわれるところである」とも説示している。さらに,原判決は,「悪霊にとりつかれた」などという原審公判での被告人の言動が,被告人の真の認識に基づくものかどうかについて,「被告人は,公判廷において,「悪魔や悪霊について述べると,自分が精神病と思われ,「悪魔に罠にはめられた」という自分の説明が事実に反することとなり,したがって,自分が本件犯行を行ったことになる。」などと供述しているが,このように,かなり論理的な思考に基づいて自己の利害を考慮した上で,これを述べる機会を選択するというのは,真に精神障害に基づいて認識したところを述べたにしては,著しく不自然であり,本件公訴提起後に初めてかかる供述をするに至った理由もまた不可解というほかない」「「悪魔に罠にはめられた」旨の上記被告人の公判供述は,真に精神障害に基づくものではなく,刑責を免れ,あるいは軽くする目的で,本件公訴提起後に殊更付け加えられた弁解である疑いが強く,かかる供述をもって,被告人が統合失調症に至らない状態にあるという評価に差異が生じることはない」と説示している。

(イ) しかし,原判決は,被告人が精神発達遅滞でも広汎性発達障害でも統合失調症でもないという点についてはM鑑定に従いながら,被告人が統合失調(症)型障害に罹患しているという点についてはM鑑定に従わず,それでいて,被告人は統合失調症の周辺領域の精神障害(それが具体的にはいかなる精神障害であるかは明らかではない)に罹患していると判断しているのであり,このような原判決の判断は,被告人の責任能力の前提となるべきいわゆる生物学的要素について,臨床精神医学の専門家たる精神科医の診断に依拠しない独自の見解を採ったものといわざるを得ないのであって,まずそのこと自体において疑問を抱かざるを得ないというべきである。

また,原判決は,被告人が「悪魔や悪霊について述べると,自分が精神病と思われ,「悪魔に罠にはめられた」という自分の説明が事実に反することとなり,したがって,自分が本件犯行を行ったことになる」などと供述しているとして,前述のように,「このように,かなり論理的な思考に基づいて自己の利害を考慮した上で,これを述べる機会を選択するというのは,真に精神障害に基づいて認識したところを述べたにしては,著しく不自然である」旨説示するが,精神障害を有する者であっても,自己の利害等を考慮して,どのような場面でどのような供述をするかを考えることができる場合もあるのであるから,原判決の上記説示には賛同することができない。

さらに,原判決は,被告人が「本件公訴提起後に初めてかかる供述をするに至った」と説示するが,被告人は,逮捕当日の取調べにおいて,「Eというしょうもない男と前から,テレパシーか,幻聴でいろんな話をしたり,トラブルを起こしていた」と述べ,また,その5日後の取調べにおいても,「Gがいつでもテレパシーで言ってくる。ののしり合う」「(最後の話はどう言って来たか,との問いに対し)やったろか,かかって来んかい。(どう答えたか,との問いに対し)じょうとうや,行ったるわい。(これはいつですか,との問いに対し)逮捕された日」などと述べて,犯行の前から,被害者の長男とテレパシーでののしり合っており,逮捕された日にも同人から「かかって来んかい」などと言われた旨を述べていたのである。そして,上記のような被告人の供述は,その核心部分において一貫性が認められる上,被告人が,犯行の約1か月余り前から,母親に対して,被害者の長男が「チェッ」と言う,盗聴する,のぞきに来るなどと言うようになった上,窓ガラスに新聞紙を貼り,業者に来てもらって家の中などが盗聴されていないかどうかを検査したり,メモ紙に「Dすだれからカメラ及び盗ちょうのうたがい有家と車業者が来る前にはずすという情報有」「3人の神・仏・魔王に守護」などと記載していたことなどによって基本的に裏付けられているというべきであるから,このような被告人の供述が詐病によるものとみることはできないというべきである。

ところで,M鑑定は,被告人を統合失調症と診断しなかったことの根拠として,①被告人には精神障害の診断ガイドラインであるICD-10の統合失調症の診断基準を満たしていないこと,②被告人がかなり長い期間治療を受けながら治療に反応していないことを挙げるのである。しかし,まず①についてみるに,M鑑定における被告人との面接は3回であり,時間は合計で約1時間半にとどまる上,被告人は,その面接においてさえ,M医師の質問に黙秘するなどして答えなかった場面が少なくなく,M医師自身が原審公判で「鑑定が行き詰まりました」と説明するような状態であり,しかも,M鑑定は,その鑑定書の記載等からみて,被告人の逮捕後の供述には重きを置いていないことがうかがわれるのであるから,M鑑定は被告人がICD-10の統合失調症の診断基準を満たしているかどうかを判断するための十分な資料を収集し得ていなかったとみざるを得ない。また,②の点についてみるに,被告人は,平成15年に2回にわたりa病院に入院したものの,入院期間は合計で約3か月にとどまる上に,その際には統合失調症の確定診断がされたわけではなく,被告人は統合失調症の治療を(ほとんど)受けていないし,退院した後にb大学医学部附属病院に通院したのもわずか2回にすぎないことからすれば,被告人に対し,統合失調症の治療反応性があったかどうかを判断するに十分な治療が行われたとはいえないというべきである。M鑑定から被告人が統合失調症に罹患していなかったと断ずるわけにはいかない。

(ウ) 他方,P鑑定は,鑑定留置中の被告人に対し1回30分から1時間30分程度の精神科診察を合計19回行い,病棟内における日常生活状況の観察,内科的診察,神経学的診察,脳波・頭部CTスキャン等の各検査や,知能検査を含む心理学的諸検査を行い,被告人の母親・二人の姉との面接を行い,一件記録を検討するなどした上,ICD-10の診断ガイドラインに準拠するなどして,被告人は,犯行時,妄想型統合失調症に罹患していたものであり,鑑定時には残遺型統合失調症の病型に進展しつつある旨診断したものであるところ,このようなP鑑定は,M鑑定の上記のような問題点を踏まえたものであり,十分な信頼性を有しているというべきである。特に,P鑑定は,M鑑定が被告人を統合失調症と診断しなかったことについて,M鑑定は,犯行前,犯行当時,犯行以後の全期間にわたる多彩な病的体験を(被告人から)開示させることに成功せず,被告人の黙秘と見紛うような態度に遭遇し,かつ,平成12年11月ないしそれ以降の経過についての精神医学的評価が不十分であることにより,得られた精神医学所見が不足したと考えられる旨指摘しているところ,この指摘は相当というべきである。

(エ) 以上からすると,被告人は本件犯行当時,統合失調症に罹患していたものと認あるのが相当であり,これを否定した原判決の判断は是認できないというべきである。

(3)  そこで,次に,被告人の本件犯行当時の責任能力についてみてみることとする。

(ア) 原判決は,本件犯行当時,被告人の是非弁別能力及び行動制御能力がその精神障害の影響を受けていたものであることは否定できないとしながらも,①被告人において人に手を出すことが悪いことであるとの認識を有していたことは明らかであること,②被告人が,被害者から駐車場を解約されたり,叱責を受けたりして,被害者方家族に深い悪意を抱き,被害者らの殺害を思い至るという動機は,精神的な未熟さを十分にうかがわせるものではあるものの,一応了解が可能であること,③被告人は,複数の凶器を準備し,被害者方の住民が寝静まるとみられる深夜に無施錠の出窓から侵入するなど,犯行の遂行を確実なものとするため,状況に応じた,合理的な判断に基づく行動をとっていること,④被告人は,原審公判における言動に照らしても,かなり筋道だった思考に基づいた供述をしており,また,本件犯行前,日常生活上も大きな支障はみられなかったこと,⑤被告人は,逮捕の際「人を刺してきた」などと発言しており,逮捕当日及び翌日の取調べや弁解録取における供述からも,被告人の犯行時の意識はほぼ清明で記憶もおおむね保持されていたと認められることなどに照らすと,被告人は,統合失調症の周辺領域の精神障害に罹患し,本件犯行当時,是非弁別能力及びそれに従って行動する能力がある程度減退していたと認められるが,それらを全く欠くような状態になかったし,著しくは減退していなかったことは明白であり,完全責任能力を有していたと認めるのが相当である旨説示している。

しかし,原判決は,被告人が統合失調症に罹患していなかったと判断し,被告人の責任能力を判断する上での前提となる被告人の精神障害について誤った理解をしているものであるから,そのこと自体において,原判決の上記の説示は是認することができないというべきである。そうすると,上記①から⑤までの指摘も,その内容自体に特段誤りがないとしても,被告人が完全責任能力を有していたと結論付ける根拠としては不十分であることが明らかである。

(イ) 他方,P鑑定は,被告人には「平成16年3月ころから妄想型統合失調症の病的体験が再燃し,同年4月中旬ころから同年5月ころにかけ被害者方がその対象となって次第に増悪し,犯行時には一過性に急性増悪していた」「本件犯行当時は,被告人に病的体験が賦活し,被害者への行動化が頻発しており,被害者の(長男の)声という幻声とそれによる作為体験を認め,それまでに蓄積された注察妄想,被害妄想もあったものであり,本件犯行は一連の病的体験,取り分け陽性症状の急性増悪による行動化と考えられる」として,「本件犯行は統合失調症の病的体験に直接支配されて引き起こされたものであり,被告人は,犯行当時,是非弁別能力及び行動制御能力をいずれも喪失していた」と結論付けている。

確かに,本件殺人等の動機について,被告人が被害者から叱責されたり,駐車場を解約されたりして,被害者ないし被害者の家族に悪意を抱いたのだとしても,そのこと故に被害者らを殺害しようと思うというのには,かなり飛躍があるし,取り分け,犯行当夜に被告人が金属バットを振り上げ被害者方に向かって来るなどした際には,被害者は,それまでとは異なり,被告人を必ずしも叱責せずに,なだめるように「何でそんなことうちにしてくるのや」などと言って,被告人を怒らせないようにしているのであるから,被告人がこの際の被害者の態度に特に腹を立てるなどしたのだとすれば,それは合理的な感情とはいいにくい。また,P鑑定がいうように,被告人の被害者方に対する一連の嫌がらせのような行動は,統合失調症による幻聴の影響によるものとみるべきものであって,特に,平成16年5月12日に被告人が被害者方の2階に上がり込んだことについては,被告人は同所に上がり込んでも特に何をすることもなく,被害者に叱責されて帰っていったのであり,被告人が供述するように,テレパシーによって被害者の長男に呼ばれたからという以外に,被告人がそのような行動に及ぶ理由は考えにくいのである。P鑑定が,本件犯行を統合失調症による一連の病的体験の行動化として位置付けているのは,納得のできるところである。

(ウ) しかし,本件犯行が統合失調症による一連の病的体験による行動化として位置付けられるとしても,そのことだけで直ちに被告人が心神喪失状態にあったとされるものではなく,その責任能力の有無・程度は,被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態,犯行の動機・態様等を総合して判定すべきであり,そのためには,統合失調症による病的体験が本件犯行とどのような関係にあったのか,すなわち病的体験が犯行の動機や態様を直接に支配するような関係にあったのか,犯行の動機や態様の双方又はいずれかに影響を及ぼす関係にあったとしてそれがどの程度かなどについても,検討をする必要があると考えられる。

(エ) そこで,まず,被告人の統合失調症の病状がどの程度のものかについてみてみることとする。P鑑定は,前記のように,多数回の精神科診察や各種の検査等を行うとともに一件記録等の資料を検討した上で,被告人を統合失調症であると診断したものであるが,このような診断は被告人が本件犯行後逮捕された時から鑑定時までのものをも含めた被告人の病状を診断基準に当てはめてなされたものであることが明らかである。しかし,前記のように,被告人の精神障害に関しては,精神保健指定医2名やb大学医学部附属病院精神科の医師が「統合失調症の疑い」との診断をしているものの,「統合失調症」と確定して診断したものではなく,しかもいずれも短時間の診察等に基づく診断であると考えられ,また,被告人が措置入院していたa病院の主治医は「広汎性発達障害」と診断し,さらには,M鑑定は「統合失調(症)型障害」であると診断しているのであって,いずれも診断の資料がP鑑定ほど十分ではなく不十分な面があったとしても,知識と経験を有する医師らがそのような診断をしていることからは,被告人の本件犯行前あるいは本件犯行時ころの精神障害が「統合失調症」であると容易に診断することができるほど,重篤ないしは明らかなものではなかったことがうかがえるというべきである。

(オ) P鑑定は,被告人が自宅の階下の住民とトラブルを起こした平成12年11月ころを統合失調症の明らかな前駆期か発症時期であるとし,平成14年夏ころに通行人めがけてエアガンの弾を発射するようになったことを被注察感あるいは被影響体験によるものとし,平成16年3月ころから,注察妄想,被害妄想と幻聴が顕在化し,行動化がみられるようになり,同年4月中旬ころからは,これらの病的体験が被害者方に向けられるようになって,犯行時にはそれが一過性に急性増悪し,本件犯行は,統合失調症の病的体験に直接支配されて引き起こされているというのである。なるほど,被告人は,P鑑定に際して,「被害者の長男がテレパシーで一日中おちょくってくるので,それでぶち切れたからである。「おれはヤクザだ」とか,「やったるで」「金属バット持って上がってこい」などと言う」「殺人が犯罪なのは分かっているし,2人以上殺すと死刑になる人もいるのも分かっている。それでも殺そうと思ったのは,一日中やかましかったから。殺せば静かになると思った」などと,幻聴や妄想に支配ないしは極めて強く影響されて本件犯行に及んだかのような供述をしている。しかし,被告人は,本件犯行の数日前にFとドライブした際,「(被害者に)手は出していない。そういうことをしたら捕まってしまう」旨述べ,本件殺人等の30分足らず前までは,そのFとドライブをし,また,本件殺人等の際に被害者方に上がり込んだときには,被害者に対し「お前が警察に言うたんか」と述べており,本件殺人等の後,母親に連れられて祖母方に戻り,母親が警察に通報している間に逮捕を免れようとして逃走し,さらに,警察官に見つかった際には,「おれは人を刺してきたんや。おれはもうどうなってもいいんや」「けん銃で撃ってくれ。殺してくれ」などと言っているのであって,このような被告人の言動は,統合失調症による病的体験が本件犯行を直接支配しあるいは本件犯行に決定的な影響を与えているかどうかなどを判断する上で検討を要する事柄であると考えられるが,P鑑定は,このような被告人の言動について十分な検討をしているようにはうかがえない。この点に関し,P鑑定は,「犯行直前の友人とのドライブ,犯行直後の警察署での留置の際には,被告人の陽性症状はむしろ改善しているように見受けられる。したがって,まさにこの犯行当日の被害者方侵入の時間帯に一過性に幻覚妄想が増悪し,行動制御が不可能になったことになる」というのであるが,犯行直前の友人とのドライブの際及び犯行直後の警察署での留置の際の被告人の陽性症状がそれほど重症でなかったのだとすれば,犯行時にもそれほど重症でなかったと考えることもできないではないと思われるにもかかわらず,何故,「この犯行当日の被害者方侵入の時間帯に一過性に幻覚妄想が増悪し,行動制御が不可能になった」のかについて,そのきっかけや機序についての説明がなされるべきであると思われるが,P鑑定は「それは分かりません。ただ,夜間にドライブに行って緊張したことが負荷になったのかなと考えました」というのであって,結局のところ,本件犯行を一連の病的体験の行動化の中に位置付けると,このような重要な犯行に及んだのは,その時間帯に一過性に幻覚妄想が増悪し,行動制御が不可能になったとみるべきである旨いうにすぎないものと理解されるのであり,本件犯行時になぜ一過性に幻覚妄想が増悪し,それが本件犯行をどのように「直接支配」して引き起こさせたといえるのかについては,十分納得できる説明がなされているとは思われない。

(カ) また,P鑑定は,幻覚妄想の内容が他人に危害を加えろなどという非常に切迫感,切実感のあるものであって,行為者がその幻覚妄想の内容のままに犯行に及んだ場合と,そうでない場合とでは,責任能力において若干差異があるし,残遺した幻覚妄想がある場合のいらいらなどの感情は本人がコントロールできるという考え方も成り立つ旨いうのであるが,被告人の幻覚妄想の内容は,被害者の長男からテレパシーでおちょくられるなどしていたというものであり,通常相手方を殺傷しようと思うような非常に切迫したものとまではいえないし,前述した「お前が警察に言うたんか」との発言等に照らすと,被告人が幻覚妄想の内容のままに本件殺人等に及んだかどうかにも疑問の余地があるというべきである。

(キ) さらに,被告人は,P鑑定の際及び当審公判の被告人質問において,被害者を殺害したのは自分ではないという点については原審公判での供述を維持しながらも,「被害者の長男が何回もけんかを売ってくるので,挑発に乗った。叩きのめすためにバットを持ち,それを奪われたときには刺してやろうと思ってナイフも持って被害者方に行った。ガラスを叩き割って侵入したら,部屋の中にいた被害者と目が合い,被害者が飛びかかってきたので,被害者をバットで殴った」「被害者の長男にバットで殴られそうになったので腕でガードしたところ,同人が吹っ飛んだので,チャンスだと思い,顔面を3回ナイフで刺したが,刺さらなかった」旨,犯行の動機や犯行の態様らしきことを述べている。また,被告人は,当審公判の被告人質問において,被害者の長男に恨みがあったのに,なぜ被害者を金属バットで何回も叩いたのかについて,「(被害者が)飛びかかってきたのを排除するためと,被害者方の者ならだれでもよい,自分の家族をやられたらダメージを負うだろうということである」旨述べ,さらに,なぜ被害者の長男を殺そうと思ったのかについては,「なめられて黙っていられるか,男たるものが,おれを怒らせたら,どれだけ恐ろしいか,どういう目に遭うか,分からせてやろう,おれをなめたらこうなるぞということである」旨,P鑑定の際には必ずしも述べてはいなかった率直な供述をしているのである。このような供述は,原審公判まではなされていなかったものであり,そのうち事実関係について述べる部分はそのままには信用できないものの,「被害者方の者ならだれでもよい,自分の家族をやられたらダメージを負うだろうということである」とか,「自分を怒らせたらどれだけ恐ろしいか,どういう目に遭うか分からせてやろうと思った」などと述べる部分は,被告人がその本心をありのまま述べたものとして,十分信用することができるというべきである。

(ク) そして,被告人の人格傾向についてみると,被告人は,平素から粗暴な行動に及ぶような人物であったとまではいえないものの,かつて4年間くらい剣道を習い,柔道や空手も少し習っていたほか,エアガンやサバイバルナイフを購入所持するなど,武道や戦闘などに独自の強い関心を有していることが認められる。平成12年11月ころの統合失調症の前駆期ないし発症時期のものと思われる階下の住民とのトラブルや,平成14年夏ころからの統合失調症による被注察感あるいは被影響体験によるものと思われるエアガン事件についても,被告人の暴力容認的な姿勢ないしは周囲との関係を戦闘的な視点からとらえようとする思考傾向が,被告人の病的体験をきっかけとして,それぞれの際の被告人の行動として発現したものとみれば,合理的に理解できるものと思われる。そして,本件殺人等についても,被告人は,被害者方への侵入自体については統合失調症による幻覚妄想に支配されて行ったものと考えられるものの,やはり被告人の暴力容認的な姿勢ないしは周囲との関係を戦闘的な視点からとらえようとする思考傾向が,「なめられて黙っていられるか,男たるものが,おれを怒らせたら,どれだけ恐ろしいか,どういう目に遭うか,分からせてやろう,おれをなめたらこうなるぞ」という感情を激発させ,それまでの被害者方に向けた行動の際に被害者方が警察を呼ぶなどしたことに対する怒りが加わり,被害者やその家族に対し,あのような残忍な攻撃を加えて殺害する等の行動として発現したものとして,合理的に理解できるものと考えられる。そうすると,本件殺人等は,統合失調症の強い影響を受けてはいるものの,被告人の本来の人格から全く乖離したものではなく,病的体験と被告人の人格とがあいまって犯されたものとみるのが相当である。

(ケ) 以上のような,被告人の責任能力にかかわる一切の事情を総合考慮すると,被告人には,その人格傾向として,暴力容認的な姿勢ないしは周囲との関係を戦闘的な視点からとらえようとする思考傾向があったが,平成16年3月ころから,統合失調症による注察妄想,被害妄想と幻聴が顕在化し,行動化がみられるようになり,同年4月中旬ころからは,これらの病的体験が被害者方に向けられるようになったため,被害者方が警察を呼ぶなどしたことに対する怒りが加わっていたところ,被告人は,本件犯行当日,被害者の長男の幻声にあって,被害者方への侵入を敢行し,その病的体験と前記のような被告人の人格傾向に被害者方に対する怒りが加わり,本件殺人等に及んだものであって,本件殺人等(原判示第1から第3までの各犯行)は,統合失調症による病的体験に犯行の動機や態様を直接に支配されるなどして犯されたものではなく,本件殺人等の当時,被告人は,是非弁別能力ないし行動制御能力を完全に失ってはおらず,心神喪失の状態にはなかったものの,本件殺人等が被告人の病的体験に強い影響を受けたことにより犯されたものであることは間違いがなく,本件殺人等の当時,被告人は,是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったものと認めるのが相当である。

(コ) もっとも,被告人は,本件殺人等の後,その場に来た母親に背中を叩かれると,はっと我に返るような表情をして,「何があったんや」あるいは「何でこんななったんや」と言った上,何度も「殺してくれ」と言い,母親に連れられて祖母方に戻ったものの,母親が警察に通報している間に逮捕を免れようとして逃走し,その際,上記とは別のサバイバルナイフを不法に携帯したものであって,このサバイバルナイフの不法携帯については,動機は十分に了解可能であるし,また,本件殺人等の後の上記のような被告人の言動や警察官に取り囲まれた際の被告人の言動に照らしても,被告人は,上記サバイバルナイフを携帯する時点で,自己が何をしたか,あるいはしているか,自分がどのような状況に置かれているかなどを正しく判断し,それに基づいて行動していたことが明らかであって,統合失調症の影響から抜け出した状態にあったものということができるから,被告人はこの犯行の際には完全責任能力を有していたものと認められる。

(サ) 以上のとおりであって,被告人は,原判示第1から第3までの各犯行当時,統合失調症のため心神耗弱の状態にあったものと認められるから,これらの事実について,原判決は事実を誤認したものであり,この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

被告人の責任能力に関して事実誤認をいう論旨は理由がある。

よって,量刑不当の論旨に対する判断を省略して,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書に従い,被告事件について更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判決の(罪となるべき事実)「第1」に「所携の金属バット(平成17年押第12号の1)」とあるのを「所携の金属バット(京都地方裁判所平成17年押第12号の1)」と訂正し,同(罪となるべき事実)の末尾に以下を付加するほかは,原判決の(罪となるべき事実)に記載のとおりである。

「なお,被告人は上記第1から第3までの各犯行当時,統合失調症により心神耗弱の状態にあったものである。」

(証拠の標目) 省略

(法令の適用)

以下のとおり訂正等するほかは,原判決の(法令の適用)に記載のとおりである。

原判決の(法令の適用)12行目に「いずれも銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条にそれぞれ該当するところ」とあるのを「いずれも行為時においては平成18年法律第41号による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条に,裁判時においては平成19年法律第120号による改正後の同法31条の18第3号,22条に,それぞれ該当するが,判示第3及び第4は犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条によりいずれも軽い行為時法の刑によることとし」と訂正し,同13行目に「判示第1及び第2の各罪についてはいずれも有期懲役刑を」とあるのを「判示第1の罪については無期懲役刑を,判示第2の罪については有期懲役刑を」と訂正し,同14行目の「それぞれ選択し,」の次に,「判示第1から第3までの各罪は心神耗弱者の行為であるから刑法39条2項,68条2号(無期懲役について),3号(有期懲役について)によりいずれも法律上の減軽をし,」を付加し,同15行目以下に「刑及び犯情の最も重い判示第1の罪の刑」とあるのを「最も重い判示第1の罪の刑」と訂正し,同19行目以下に「その刑期の範囲内で被告人を懲役18年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中350日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書により被告人に負担させないこととする。」とあるのを「その処断刑期の範囲内で被告人を懲役12年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中350日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。」と訂正する。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,以前の住居地の近隣居宅において,(1)当時54歳の男性に対し,殺意をもって,金属バットでその頭部を強打し,多数回にわたり,サバイバルナイフ(刃体の長さ約24.2センチメートル)でその頭部,顔面を切り付け,その胸部等を突き刺すなどして,同人を心臓右心室貫通刺切創により失血死させて殺害し(判示第1),(2)上記(1)の被害者の二男である当時21歳の男性に対し,殺意をもって,上記サバイバルナイフでその右頸部,左手,右前腕を切り付けるなどしたが,同人に加療約2か月間を要する頸部,右前腕切創,左手小指屈筋腱断裂の傷害を負わせたにとどまり,同人を殺害するに至らず(同第2),(3)上記(2)記載の日時場所において,上記サバイバルナイフを不法に携帯し(同第3),(4)上記各犯行の約46分後に,路上において,上記とは別のサバイバルナイフ(刃体の長さ約15センチメートル)を不法に携帯した(同第4)が,(1)ないし(3)の各犯行当時,統合失調症により心神耗弱の状態にあった,という事案である。

判示第1及び第2の各犯行は,被告人が,統合失調症の影響により幻覚妄想を抱き,人が寝静まった未明の時間帯に,他人の住居に入り込んだ上で,殺傷能力の高いサバイバルナイフ等を用いて,その家人を滅多刺しにして殺害し,あるいは殺害しようとしたものであって,犯行の態様は,平穏な社会においてあってはならない凶悪かつ残虐なものであり,犯情はいずれもまことに悪質である。判示第1の被害者は,被告人からいわれのない迷惑を被っていた中で,被告人に対してごく常識的な対応をしていたものであり,責められるべき点など全くなかったにもかかわらず,たまたま精神障害を有する被告人が近所に引っ越してきたことがきっかけとなって,理由もよく分からないまま,無惨にも殺害されるに至ったものであって,その無念さ,遺族の深い悲しみには同情して余りあるものがある。同第2の被害者も,父親を助けようとして,刃物を持った被告人に果敢に立ち向かったところ,鋭利な刃物で頸動脈に近いところを切り付けられるなどして,危うく殺害されようかという極めて危険な目に遭い,判示の重傷を負った上,腱が切れた左小指の手術を2度にわたって受け,後遺症を心配しながらの懸命のリハビリテーションを余儀なくされたのであって,その受けた肉体的・精神的苦痛には多大なものがある。また,同第3及び第4の各犯行は,いずれも刃体が長く殺傷能力の高いサバイバルナイフの携帯であるところ,同第3の犯行では前記のとおり刃物を携帯することの危険性が現実化して重大な結果が発生し,同第4の犯行でも逮捕しようとした警察官らに向かって被告人がこれを振り回すなど危険な行動に使用しているのであって,いずれも犯情は悪質である。被害者の遺族は非常に厳しい処罰感情を抱いており,後述のとおり被告人の両親から金銭を受領した後もその感情は和らいではいないが,それも当然のことというべきである。

他方,被告人は,判示第1から第3までの各犯行当時,統合失調症により,是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退した状態にあったこと,被告人が前科を有していないこと,原判決後,被告人の両親が被害者遺族に対してその代理人を通じて謝罪の手紙を渡し,450万円を支払っていることなどの事情も認められる。

そこで,以上の事情を総合考慮して,被告人を主文の刑に処することとする。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例