大阪高等裁判所 平成18年(ネ)1823号 判決 2007年9月27日
控訴人(1審原告)
X1(以下「控訴人X1」という。)
控訴人(1審原告)
X2(以下「控訴人X2」という。)
控訴人(1審原告)
X3(以下「控訴人X3」という。)
控訴人(1審原告)
X4(以下「控訴人X4」という。)
控訴人ら訴訟代理人弁護士
岡崎守延
同
村田浩治
同
高橋徹
同
大西克彦
被控訴人(1審被告)
学校法人Y学園
代表者理事長
A
訴訟代理人弁護士
山崎武徳
同
草尾光一
同
山本和人
同
秦周平
同
福本洋一
同
家近知直
主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴人らの当審新請求に基づき,
(1) 被控訴人は,控訴人X1に対し,1262万2981円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人は,控訴人X2に対し,1603万4189円及び内1262万2981円に対する平成16年4月1日から,内341万1208円に対する平成18年2月21日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 被控訴人は,控訴人X3に対し,1347万7839円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被控訴人は,控訴人X4に対し,1881万1173円及び内1478万9928円に対する平成16年4月1日から,内402万1245円に対する平成18年2月21日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人らのその余の当審新請求をいずれも棄却する。
4 控訴費用は,これを2分し,その1を控訴人らの,その余を被控訴人の負担とする。
5 上記2(1)ないし(4)は仮に執行することができる。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人X1に対し,3541万9258円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は,控訴人X2に対し,2465万0796円及び内2041万9258円に対する平成16年4月1日から,内423万1538円に対する平成18年2月21日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被控訴人は,控訴人X3に対し,3653万6999円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 被控訴人は,控訴人X4に対し,2832万7252円及び内2348万8509円に対する平成16年4月1日から,内483万8743円に対する平成18年2月21日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
6 訴訟費用は,1,2審とも被控訴人の負担とする。
7 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は,
ア 被控訴人が設置・運営するa高等学校附属幼稚園に勤務する控訴人らが,被控訴人に対し,被控訴人との間で平成5年7月にしたベースアップの停止と賞与の減額に係る合意(以下「本件合意」という。)に関し,主位的には,本件合意には,これによるベースアップの停止等は被控訴人の経営状態が改善するまでとする旨の条件が付されていたもので,その後,被控訴人の経営状態の改善により上記条件が成就したにもかかわらず,被控訴人はベースアップの再開等をしなかったと主張して,差額賃金請求権に基づき,予備的には,被控訴人は,控訴人ら幼稚園教諭以外の職員については,その経営改善に伴いベースアップを再開等しているにもかかわらず,控訴人ら幼稚園教諭についてのみ,これを再開等しないままでいるものであり,控訴人らを他の職員と平等に取り扱うべき雇用契約上の義務(均等待遇義務)に違反すると主張して,債務不履行による損害賠償請求権に基づき,又は,本件合意は事情変更により失効したと主張して差額賃金請求権に基づき,差額賃金又はこれと同額の損害金(遅延損害金を含む。)の支払を求め,
イ 控訴人ら中,平成16年3月31日をもって定年前に幼稚園を退職した控訴人X1及び控訴人X3が,被控訴人に対し,同控訴人らについても被控訴人における早期退職加算金制度の適用があると主張して,被控訴人における早期退職加算金の定めに基づき,退職加算金(遅延損害金を含む。)の支払を求めた事案である。
原審は,控訴人らの請求をいずれも棄却したので,控訴人らが控訴を提起した。
なお,控訴人らは,当審において,予備的に,本件合意の無効に基づく差額賃金請求及び本件合意に付随する財政状況改善の際の誠実協議義務に違反する債務不履行による損害賠償請求権に基づく相当損害金支払請求を追加し,不当労働行為意思による不法行為の主張をした。
2 本件の前提事実,争点及び当事者の主張は,当審での主張を次のとおり付加するほかは,原判決「事実及び理由」第2の2,3記載のとおりであるから,これを引用する。
(控訴人ら)
(1) 条件付き合意(争点(1))について
被控訴人の経営状態が改善すれば切り下げた労働条件を元に戻すとの条件に関する合意は書面化されてはいないが,当時,組合と被控訴人の間には,団体交渉において口頭で合意した事項について,あえて書面化をせずとも,双方がこれを遵守するという労使慣行があったものであるし,上記条件で問題となるのは,経営状態が改善したといえるかという規範的判断であり,条件成就の場合の措置(元の状態に戻すこと)も明らかであるから,その点について具体的な協議・定めを要するものではない。
(2) 事情変更の原則の適用(争点(3))について
事情変更の原則の適用要件として一般に言われていることは,第1に契約後に契約の基礎たる事情に著しい変化が生じたこと,第2にこの事情変更が契約当初予見不可能であったこと,第3に事情変更の結果,もとの契約の拘束力をそのまま承認することが信義則に反する結果となること,の3点である(新版注釈民法Ⅰ115~116頁)。
第1の要件は,合計87億円もの負債を抱えて学校法人の存在そのものが危ぶまれていた状態から,少なくとも平成8年度以降,一貫して黒字基調で推移しており,幼稚園においても平成9年度以降,収支が黒字に転じ,人件費比率及び借入金の面でも大きく改善していることによって充足される。これが,いかに「人件費の節減を含む経営の合理化及び経営努力によって達成されたもの」であろうとも「事情の著しい変化」というに充分である。
第2の要件の予見可能性は,当該契約の基礎となった事情に基づき判断されるものであるところ,本件合意の基礎となった事情は,多額の負債を抱えて学校法人の存続が危ぶまれていた状態であり,当事者双方は,この状態が当面継続するものと考え,被控訴人の経営状態が一定の段階で黒字に転じる事態を全く想定しておらず,その意味において,本件合意の成立後に被控訴人の経営が大幅に改善して黒字に転じたという事情の変更は,本件合意の予定しない事情の変更といえ,予見不可能要件を充足する。
そして,第3の要件の充足は明らかである。
(3) 本件合意の無効等について(新主張)
ア 要素の錯誤について
仮に,上記の点が条件でなかったとすれば,本件合意は(少なくとも,被控訴人の経営状態改善以降),要素の錯誤により無効である。
すなわち,本件合意は,控訴人ら一人当たり年額250万円程度もの減給を内容とするものであり,控訴人らにおいて,被控訴人の経営状態が改善しても減給措置が継続されるとの認識を有していたとすれば,かかる合意をしたはずはない。ところが,被控訴人は,前記条件の存在を認識せず,その結果これが契約内容になっていなかったとすれば,本件合意は,少なくとも被控訴人の経営状態改善以降は無効というべきである。
イ 公序良俗違反(争点(2))について
控訴人らとその他の被控訴人の教職員との間の賃金格差は,本件合意当初は格別,遅くとも平成9年度以降はこれを維持する合理的理由がなく,公序(均等待遇原則を定めた労働基準法3条ないし4条及び憲法14条違反)に反するものであって,無効(民法90条)である。
すなわち,控訴人らは,経営危機とは何の関係もない幼稚園において幼児教育の専門教員として従事してきたものであり,被控訴人の経営責任に帰すべき財政危機の結果,早期退職制度を実施しなければ,幼稚園を廃止するほかないとの被控訴人の一方的な申し出を背景にして,早期退職制度の導入に協力するか,他の教職員と一時金及び昇給において差別される扱いに同意をするかの二者択一を迫られ,他の教職員と同一の待遇を要求することを完全に拒否された状態の下で,本件合意をすることを選択せざるをえなかったものであり,幼稚園部門の維持という点のみを目的に,経営危機打開のための一時的方策として上記労働条件を受け入れたにすぎない。
ところが,被控訴人は,経営危機が打開され,他の教職員に対するベースアップの凍結を解除した平成5年以降も,控訴人らに対してのみこれを解除せず,その後さらに経営状態が好転し,幼稚園の廃園計画も放棄されてもなお,他の教職員の一時金(年間)6.22か月に対して,控訴人らの一時金(年間)2.5か月という状況を,平成3年以降15年以上にわたって継続してきたものであり,また,給与についても他の教職員が年度ごとに交渉でもって賃上げを得るたびに格差が開いていくのであって,このような賃金格差は,許容される範囲を著しく超えており公序に違反する。
(4) 再協議の合意違反について(新主張)
仮に,以上の主張が認められないとしても,控訴人らと被控訴人は,本件合意に際して,将来的に経営状態が改善した場合には,給与体系や賞与の問題を再度誠実に協議する旨合意した。
上記合意は,単に形式的に協議の機会をもてばよいというものではなく,経営状態の改善が確認された場合に,それに見合って控訴人らの賃金体系の合理的改善を検討し実施するという,実体を伴った誠意ある協議の実施を当然の内容としている。
ところが,被控訴人は,被控訴人の経営状態が顕著に改善しているのに,控訴人らとの間で,給与体系や賞与の再協議を一切行おうとしない。すなわち,被控訴人は,現在に至るまで,上記合意を一切履行しない態度を取り続けている。
この被控訴人の態度は,被控訴人の控訴人らに対する債務不履行を構成し,これによって控訴人らが被った損害は,被控訴人が誠実に賃金再協議の合意を履行した場合に控訴人らが得られるであろう利益を基準に算定されるべきものである。
(5) 早期退職加算金制度(争点(4))について
甲23の宛先には「幼稚園長」の記載が含まれており,実際にも,幼稚園の職員会議において教諭全員に同文書が配布された上,園長から早期退職希望について確認されたものである。また,上記文書には「年齢満55歳以上」と記載されているものの,現実の運用としては,a高等学校元事務職員が平成11年3月31日に満49歳で退職した際,早期退職加算金1500万円が支払われた事実があり(甲27),退職時に51歳の控訴人X1及び53歳の同X3に適用上の問題はない。
なお,仮に甲23に幼稚園教諭を対象外とする記載があったとしても,早期退職加算金の定めは就業規則の一部を構成するものであり,上記除外は,就業規則の差別適用禁止の原則(憲法14条,労基法3条)に違反し,公序良俗違反として無効(民法90条)である。
(6) 不当労働行為意思に基づく不法行為(新主張)
控訴人らは,労働組合から脱退することなく,平成5年の段階でも,他の幼稚園教諭が大量に脱退していくなかで唯一,賃金削減に応じながらも定年まで教員としての仕事を継続することを選んだ。他方,かかる控訴人らの態度は,被控訴人にとって望ましくなく,「労働組合に参加しているから」低い賃金に甘んじても問題はないと判断したものと考えられ,被控訴人の一連の行為は不当労働行為意思の下に実施されていると考えられる。
(7) 差額賃金額等について
控訴人らが以上(1)ないし(6)の場合に求め得る差額賃金額ないし損害額は,本判決別表1のとおりであるが,このうち「本来の給与」(原判決別表2の「本来の給与」)の計算方法は,次のとおりである。
すなわち,ベースアップが凍結される直前の平成3年度の給与表(<証拠省略>)に基づき,同年齢の大学卒の専任教員の年収額を1.00とした場合の幼稚園教員の年収を指数で表すと本判決別表2のとおりとなり,各年度の給与表(<証拠省略>。年度別教育職給料表(一))によって求められる「大卒教員」の年収額に上記指数を掛けることにより,幼稚園教諭が得られるべきであった各年度の年収額を求めたものが,上記別表1の各年度の「本来の給与」欄記載の金額である。
そして,同金額から実際の控訴人らの年収額(原判決別表2の「実際の給与」)を控除して,各年度の差額を求めたものである。
(被控訴人)
(1) 控訴人らの主張(1)(条件付き合意)について
控訴人らは,経営状態が改善すれば,切り下げた労働条件を元に戻すという合意が成立したと主張するが,経営状態が改善すれば,組合からの労働条件の回復に関する要求を受けて労使協議をすべきものであり,経営状態が改善すれば自動的に元に戻すというような給与改定は一般的にはあり得ない。また,控訴人ら主張のような合意が成立したのであれば,どのような条件により,いかなる状態に戻すのかについて具体的な協議がなされたり,このような重要な合意は文書化されるのが当然である。
(2) 控訴人らの主張(2)(事情変更の原則)について
本件合意は,被控訴人の経営の改善を目的として導入されたものであり,このことは控訴人ら及び組合も当然の前提として認識していた。そして,被控訴人の経営状況の改善は,その結果であって,当初の目的が達成されたということにすぎず,事情変更の原則が適用されるような予想外の事態とはいえない。
(3) 控訴人らの主張(3)(本件合意の無効等)について
ア 要素の錯誤について
本件合意に達する過程で,控訴人らは組合及びその上部団体である大阪私学教職員組合に交渉について全権委任している。そして条件についての協議は全て組合との間で行われたものである。控訴人らは錯誤の存在を主張するが,その錯誤が控訴人ら本人に存在し,代理人であった組合担当者になかったというのであれば,交渉を組合に白紙委任した以上,その錯誤を相手方である被控訴人に主張できない。そして,組合の役員にも錯誤があったとしても,それは動機にすぎず,動機の表示がなされていない。
イ 公序良俗違反について
控訴人らは,一定時期以降倍以上の格差を維持する合理性が失われているにもかかわらず,本件合意に基づく格差を維持することが均等待遇原則に違反すると主張するが,こういう事態にこそ組合が活躍すべきであって,法律が労使の自治を超えて干渉するようなことは,労基法は予定していない。
控訴人らは,平等理念を体現した公序良俗に反するとも主張するが,本件合意は上部団体も含めた労使協議の結果成立したものである。本件賃金格差も,労使自治という大原則を越えるほどの不合理なものとはいえない。
(4) 控訴人らの主張(4)(再協議の合意違反)について
争う。
(5) 控訴人らの主張(5)(早期退職加算金制度)について
被控訴人の早期退職加算金の定めは,明文で幼稚園教諭を適用対象から除外している(甲23)。
控訴人らは,甲23の宛先であるとか平成11年に満49歳の事務職員が受領した等の事実をもって,控訴人らにも適用される旨主張するが,これらの事実によって明文の定めと異なる労使慣行となった等といえない。また,控訴人らは,幼稚園教諭を適用対象から除外した上記定めが就業規則の差別的適用であるとも主張するが,労基法の平等原則は,国籍,信条,社会的身分または性別に基づく差別的取扱いを禁止しているものであり,これを超えて全ての労働者を平等に扱うことまで要求するものではない。
(6) 控訴人らの主張(6)(不法行為)について
控訴人らは,不当労働行為意思について主張するが,この点の控訴人らの主張は,本件訴訟における争点となんらの関係もない不当労働行為意思に問題をすり替えようとするにすぎない。
第3当裁判所の判断
1 争点(1),(2)について
(1) 原判決の「事実及び理由」中の「第3,1,2」に記載のとおりであるから,これを引用する。
(2) 控訴人らの当審主張(1)(条件付き合意)について
控訴人らは,当時,組合と被控訴人の間には,団体交渉において口頭で合意した事項について,あえて書面化をせずとも,双方がこれを遵守するという労使慣行があったものであるし,上記条件で問題となるのは,経営状態が改善したといえるかという規範的判断であり,条件成就の場合の措置も明らかであるから,その点について具体的な協議や定めを要さない旨主張するが,控訴人ら主張の労使慣行については,これに沿う証人Bの証言のみによってはその存在を認めるに足りないし,また,控訴人ら主張の条件についても,その性質と重要性に鑑み,その内容等を可及的に明確にするための協議や定めがなされるのが通常と考えられるから,この点に関する控訴人らの主張はいずれも採用できない。
2 事情変更の原則について
控訴人らは,被控訴人の経営状態は,少なくとも平成8年度以降,一貫して黒字基調で推移しており,幼稚園においても平成9年度以降は,収支が黒字に転じ,人件費比率及び借入金の面でも大きく改善しており,これが「事情の著しい変化」に当たることは明らかであるし,かかる事情の変更は,本件合意の予定しない事情の変更である旨主張するが,本件合意は,被控訴人の経営の改善を目的として導入されたものであり,被控訴人の経営状況の改善は,その当初の目的が達成されたということにすぎず,事情変更の原則が適用されるような予想外の事態とはいえないから,控訴人らの上記主張も採用できない。
3 本件合意の無効等(新主張)について
(1) 要素の錯誤について
控訴人らは,仮に被控訴人に条件の存在に関する認識が無く,その故に条件の存在が契約内容となっていなかったとすれば,本件合意は(少なくとも,被控訴人の経営状態の改善以降),要素の錯誤により無効であると主張するが,証人Bの証言(<証拠省略>)によっても,控訴人ら側に立って交渉を担当した組合側においても,被控訴人の経営状態が改善した場合等の本件合意の取扱いについては,その後の被控訴人との協議に委ねたものと認めざるを得ないから,錯誤があった旨の控訴人らの主張は採用できない。
(2) 公序良俗違反について
後記のとおり,本件合意には,被控訴人の経営状態が改善された場合等には,本件合意の扱いについて誠実に協議する旨の合意が付されていたものと認められる。そのことを考慮すると,仮に控訴人ら指摘のような問題があるとしても,本件合意によってもたらされたそのような問題の解決は,上記合意に基づく協議に委ねられるべきであって,そのことの故に本件合意が直ちに公序良俗違反になるものではない。この点の控訴人らの主張も採用できない。
4 再協議の合意違反(新主張)について
(1)ア 証拠(<証拠・人証省略>)及び弁論の全趣旨によれば,本件合意に至る経緯として,原判決第3の1(1)の認定事実に加えて,次の事実が認められる。
(ア) 本件幼稚園は,昭和28年に,近隣に公立幼稚園の存在しない地域の要望によって,a高校の附属幼稚園として設立され,園児数は,昭和48年ころ544名,平成17年ころ366名であった。
(イ) 平成4年12月16日の幼稚園職員会議で,被控訴人の経営再建案の一方策として,被控訴人から,幼稚園を廃園し,その敷地を売却する案が提案されたが,その理由は,幼稚園の人件費比率(人件費÷帰属収入×100)が高く,被控訴人の系列校のうち唯一の赤字経営であったことから,このままでは,銀行からの被控訴人再建のための借入れができないということにあった。
(ウ) 幼稚園の人件費比率は,職員構成の高齢化によって高くなっており(平成3年度97.74,平成4年度89.617,平成5年度95.094),そのため,毎年2~3000万円の消費支出超過となり,借入金も継続して発生していた(平成3年度2655万0630円,平成4年度1871万4350円,平成5年度1462万8070円。以上の数値は甲20の1による。)が,一般に,幼稚園は,経常費助成金が少ないことと高い保育料がとれないこと等から経営が苦しいことが常態であって,本件幼稚園が他の附属幼稚園等に比べて特に経営状態が悪いということではなかった。
(エ) 被控訴人の再建は,主として借金の借換えにより金利負担を減らすことによる被控訴人の財政状態の健全化によって進められ,被控訴人全体の問題としてみると,本件幼稚園単体の経営状況が再建問題に影響するところはさほど大きくなく,銀行等が特に幼稚園を名指しで問題にしていたわけではなかった。
(オ) 被控訴人代表者は,控訴人らとの交渉中に,佐世保の造船所が倒産しかけたときに給料を20%カットして危機を乗り越えた話等をして,「よくなっていけば元に戻していく」と協力を訴えた。
イ 上記認定の事情に引用に係る原判決の認定の経緯を合わせ考慮すれば,控訴人らと被控訴人が本件合意をするに当たっては,合わせて,被控訴人の経営状態が改善された場合は,本件合意の扱いにつき改めて双方で誠実に協議する旨の合意がなされたものと認めるのが相当である。のみならず,本件合意は,幼稚園自体の経営に対する方策というより,もっぱら被控訴人の責めに帰すべき事情によってもたらされた被控訴人全体の経営危機を脱却するための緊急避難的な方策として合意されたものと認められることに鑑みれば,被控訴人が経営状態が改善され,危機の状態を脱したときは,本件合意を見直し,解除する方向での協議がなされることが,双方の当然の前提になっていたものというべきである。
(2)ア 次に,本件合意の後に,被控訴人の経営状態が改善したかについて検討する。
前掲証拠及び後掲各証拠によれば,次の事実が認められる。
(ア) 前記のように,被控訴人の再建は,主として借金の借換えにより金利負担を減らすことによって進められ,平成6年度に入る前ころには,被控訴人代表者も,職員に対して,負債の返済の目処がたった旨を説明するようになり,同年度以降,幼稚園以外の系列校についてはベースアップを再開した。
(イ) 幼稚園においても,平成9年以降,人件費比率の低下等によって消費収支が黒字に転換し,単年度の借入金もなくなった。
(ウ) 控訴人らは,平成6年度以降,毎年,春闘の際等に,賞与とベースアップを要求してきたが,被控訴人代表者は,「もうちょっと待ってくれ」「第1案を選択した先生がいる間は待ってくれ」などと言うばかりで,上記(イ)の幼稚園の経営状態の改善後も,控訴人らの要求をまともに取り合おうとせず,本件合意の見直しをしようとしなかった。
(エ) 他方,控訴人の資産総額は,平成元年度から平成16年度の16年間で48億5100万円も増加する一方で,被控訴人の借入金合計は,53億6500万円から54億4200万円と,7700万円の増加にとどまり,その結果,総資産が総負債を大きく上回る状態なっている(<証拠省略>)上,平成12年には,b中学校(平成10年3月開校)とc小学校(平成15年4月開校)の設置に関して約30億円の借入れをなすに至っている。
イ 上記事実に引用に係る原判決の認定事実を合わせ考慮すれば,幼稚園についても,平成9年度には,本件合意の前提とされた幼稚園の人件費比率が高いことや単年度収支が赤字であったこと等の問題はいずれも解消したものというべきであるのに,被控訴人は,その後も控訴人らの要求を誠実に検討しようとはしていないばかりか,かえって,本件合意の存在を楯に控訴人らの賃金をカットした状態を継続させてきたものといわざるを得ず,したがって,被控訴人は,平成9年度以降,前記再協議の合意に基づき,誠実に協議すべき義務に違反しているものというべきである。
なお,被控訴人は,控訴人らの要求を拒絶するにつき,第1案を選択した者がいることを理由にしているが,第1案を選択した者は,それぞれの個人的事情から短期間で退職することを予定したものであること,上記誠実協議にかかる合意は,第2案の選択者のみを対象としてなされたものであることからして(証人C,控訴人X2),これをもって控訴人らを納得させておきながら,上記のように本件合意の前提とした事情の変更があった後になって,第1案を選択した者との均衡を理由として上記誠実な協議の履行をしないことは許されないものというほかない。
(3)ア そして,本来,前記のような誠実な協議義務が果たされておれば,他に特段の事情の認められない本件においては,当該誠実協議義務の履行の結果,本件合意の内容となっている給与体系の据置き(ベースアップの停止)及び賞与の減額が,見直され,解除されることとなった蓋然性が高いものといい得る。
そうすると,平成9年度以降,少なくとも,他の事務職員及び系列校教師とほぼ同様の給与体系の改定,賞与の支給がなされることになったはずであり(弁論の全趣旨によれば,本件合意までは,従来そのような取扱いがなされてきたことがうかがわれる。),これにより算定した合計額と実際の支給合計額との差額をもって,被控訴人の債務不履行との間に相当因果関係の認められる控訴人らの損害額と認めるのが相当である。
イ 平成9年度教育職給料表(一)の本俸月額の平成8年度に対するベースアップ率は,少なくとも1.01%である(<証拠省略>)から,控訴人らの本俸を同様のベースアップで算定し,平成10年度の同月額の平成9年度に対するベースアップ率は少なくとも1.01%である(<証拠省略>)から,控訴人らの本俸を同様のベースアップで算定し,以下,同様にして,控訴人らの毎年度の号俸に応じたベースアップないしダウンによる本俸額を算定すると,本判決別表3のとおりとなる。そして,調整手当につき同様の教育職の月額の変動率と同様の変動率で算定し,住宅手当を全期間を通じ月額1万4200円とすべきであり,以上によれば,基準内賃金は同表のとおりの金額となり,教育職の賞与額算定方法と同様の算定により同表のとおりの賞与額が算定される(<証拠省略>,弁論の全趣旨)。
5 早期退職加算金制度(争点(4))について
被控訴人における早期退職加算金の定めが,明文により幼稚園教諭を早期退職金加算の対象外としていることは,引用に係る原判決認定のとおりである。控訴人らは,平成9年度の定めである甲23の宛先には「幼稚園長」の記載が含まれているなどと主張するが,証人Cによれば,被控訴人における早期退職加算金の定めはその年の状況をみて1年ごとに特別措置要綱として定められるものであり,かかる定めを作成したときは全部門の長に通知するのが従来の習いであったため,甲23の宛先に「幼稚園長」の記載が含まれているにすぎず,誤解が出たことから,翌年度以降は「幼稚園長」の記載を除いたことが認められることに照らせば,控訴人ら指摘の事実があるとしても,早期退職加算金の定めが幼稚園教諭にも適用されることにはならない。
また,同定めには,対象者として「年齢満55歳以上64歳未満」と定められているから,退職時に51歳の控訴人X1及び53歳の同X3に適用がないことは明らかであり,この点は,控訴人ら指摘の甲27に係る事例の存在のみによっては左右されない。
また,控訴人らは,幼稚園教諭を適用対象から除外した点が就業規則の差別的な適用であるとも主張しているが,早期退職勧奨制度は,経営者が一定の雇用政策的配慮の下に新たに定めるものであることを考慮すると,職種,年齢等によって適用上の差異があったとしても,直ちに公序良俗違反となるものではなく,本件において,上記の点が公序良俗違反となるものと認めるに足りる証拠もない。
6 なお,控訴人らは,被控訴人の不当労働行為意思について言及しているが,本件において,被控訴人による協議義務違反等の行為が不当労働行為意思に基づくものであると認めるに足りる証拠はない。
第4結論
以上によれば,控訴人らの本件控訴は理由がないが,控訴人らの当審新請求は,本判決主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却すべきである。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 若林諒 裁判官 小野洋一 裁判官 菊地浩明)