大阪高等裁判所 平成18年(ネ)2841号 判決 2007年2月28日
控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)
甲野花子
同訴訟代理人弁護士
小沢弘子
同
斎藤浩
同
野村務
被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)
乙川桜
主文
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 本件附帯控訴を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じて,被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 申立
1 控訴の趣旨
主文1,2項同旨
2 附帯控訴の趣旨
(1) 原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 控訴人は,被控訴人に対し,130万円及びこれに対する本判決確定の日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事実関係
1 事案の概要
本件は,控訴人が,被控訴人において控訴人にメールを送信し(以下「本件メール」という。)相談したことを,当時被控訴人が事件処理の依頼をしていた別の弁護士に話したことは,控訴人がインターネット上の団体の共同主催者としてポルノグラフィ被害の情報提供を求めていた際,秘密厳守を明示していたことや控訴人が弁護士としての守秘義務に違反するものであり,これにより被控訴人が精神的苦痛を被ったとして,被控訴人が控訴人に対し,不法行為に基づく損害賠償請求をした事案である。
2 基本的事実(当事者間に争いのない事実,括弧内に記載の書証,弁論の全趣旨により認められる事実)
(1) 被控訴人は,平成元年当時被控訴人が勤務していた国立民族学博物館において受けたセクハラ問題(以下「本件セクハラ問題」という。)について,平成13年10月ころから丙山香弁護士(大阪弁護士会所属,以下「丙山弁護士」という。)に,平成14年初めからはさらに丁木葵弁護士(大阪弁護士会所属,以下「丁木弁護士」という。)に相談し,両弁護士に対し,その問題の処理を委任していた(以下両弁護士を「受任弁護士」ともいう。)。
(2) 控訴人は,静岡県弁護士会に所属し,静岡県沼津市に事務所を有する弁護士であり,インターネット上で,「ポルノ・買春問題研究会」(以下「APP研」という。)を共同主催していた。その際,控訴人の職業,経歴の紹介欄には弁護士であることが明示されていた。APP研のホームページの送信フォームには,「あなたの声を届けて下さい 被害の情報についてのメールをお寄せくださる場合は,こちらから連絡をしてよいかどうか(連絡していい場合には連絡先をお知らせください),こちらから連絡する場合に女性スタッフがいいか男性スタッフがいいかをお書きください。寄せられた情報に関しては,守秘義務を固く守ります。」と記載されていた。(甲1,乙3)
3 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 控訴人が丁木弁護士に対し,被控訴人から本件メールの送信を受けたことを話したことは違法か。
(被控訴人の主張)
ア 控訴人は弁護士であり,本件メールには,「今更,相手ののめる言い分で,相手の払える妥当な金額で和解するしかないのでしょうか。」「今,どうしたらいいのか,他にだれも引き受けてくれないような件にであったら,司法で解決するのは無理だという事でしょうか。」という記載があって,これは法律相談にあたるから,控訴人は,被控訴人から本件メールの送信を受けたことにつき,弁護士としての守秘義務を負い,これに違反して控訴人が丁木弁護士に対し,本件メールの送信を受けたことを話したことは違法である。
イ APP研のホームページの送信フォームには,寄せられた情報に関しては守秘義務を固く守りますという記載がされているのであり,控訴人は,APP研の主催者として,被控訴人から本件メールが送信されたことにつき,守秘義務を負い,これに違反して控訴人が丁木弁護士に対し,本件メールの送信を受けたことを話したことは違法である。
(控訴人の主張)
ア 控訴人は,被控訴人から何らかの依頼を受けたものではないから,本件メールについては,弁護士として職務上知り得た秘密に該当せず,被控訴人に対する関係で弁護士としての守秘義務を負うことはない。
イ APP研のホームページの送信フォームは,「あなたの声を届けて下さい」と呼びかけ,送信フォームに,「寄せられた情報に関しては,守秘義務を固く守ります。」と記載しているが,それは,ポルノグラフィ被害に関する情報についてのものであって,APP研に寄せられた情報一般についてのものではないから,本件メールについて,控訴人が守秘義務を負うことはない。
(2) 被控訴人の被った損害
(被控訴人の主張)
控訴人が守秘義務に違反して,被控訴人から本件メールの送信を受けたことを丁木弁護士に話したことにより,①被控訴人と丙山弁護士,丁木弁護士との関係が悪化し,被控訴人は両弁護士から十分な弁護活動を受けることができなくなり,②被控訴人の弁護士一般に対する不信感が生じ,③丙山弁護士,丁木弁護士に辞任されたことから,他の弁護士に依頼しようとしても,そのことが分かると,他の弁護士になかなか受任してもらうことができず,これらにより被控訴人は多大の精神的苦痛を受けた。この精神的苦痛を慰謝するに足りる金額としては,150万円が相当である。
(控訴人の主張)
争う。
第3 当裁判所の判断
1 証拠(甲1ないし5,8の1・2,13の1・2,14,乙1ないし3,6)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 被控訴人は,平成元年当時被控訴人が勤務していた国立民族学博物館において受けた本件セクハラ問題について,平成13年10月ころから丙山弁護士に,平成14年初めからはさらに丁木弁護士に相談し,両弁護士に対し,その問題の解決を委任していた。
(2) 控訴人は,弁護士であり,インターネット上で,ポルノ・買春問題の研究会としてAPP研を共同主催していた。同ホームページ上には,APP研は,女性の人権,性的自由,性的平等を擁護するフェミニズムの見地から,ポルノ・買春問題を始め,セクシュアリティをめぐるさまざまな問題を研究することを目的として,複数の研究者及び運動家によって1999年12月に結成され,APP研は,ポルノグラフィや売買春による被害をなくすために,①被害を掘り起こし,社会に訴える活動を行うとして,ポルノや売買春の被害を社会からなくすために被害の状況,実態を明らかにし,著作その他の活動を通じて広く社会に訴え,人々の意識や法を含む諸制度を変えていくこと,②被害者支援のためのネットワークづくりをめざしていくとして,カウンセラーや弁護士などと連携し,ポルノや売買春の被害者をサポートするネットワークづくりをめざしていることが記載されている。そして,共同主催者の職業・経歴の紹介欄には,控訴人が弁護士であることが記載されており,これはAPP研が信頼できる団体であることを読者らに知らしめるためと窺うことができる。ホームページの送信フォームには,ポルノグラフィ被害についての情報提供を求め,「あなたの声を届けて下さい 被害の情報についてのメールをお寄せくださる場合は,こちらから連絡をしてよいかどうか(連絡していい場合には連絡先をお知らせください),こちらから連絡する場合に女性スタッフがいいか男性スタッフがいいかをお書きください。寄せられた情報に関しては,守秘義務を固く守ります。」と記載されていた。
(3) 被控訴人は,控訴人とまったく面識がなかったが,平成14年8月ころ,APP研のホームページの送信フォームを用いて,控訴人に対し,本件メールを送信した。本件メールは,「甲野花子先生 先生が静岡でご活躍の弁護士さんであることは,書籍等でも拝見した事がありますし,WWAFのスタッフである丙山桃子さんから伺い,一度相談してみてはどうかとアドバイスを受けた事がありました。こういうホームページで相談すべき問題ではないと思いますが,もし,お時間がありましたら,一読ください。」という文章で始まり,被控訴人が受けたセクハラの内容・経過,丙山弁護士,丁木弁護士に委任して相手方と交渉した経過,被控訴人が算定した慰謝料額につき,丙山弁護士から高額に過ぎるとして呆れられ,これでは相手方と話合いができないと言われたこと,被控訴人の受けたセクハラ被害や丙山弁護士の発言に対する被控訴人の心情などが記載され,「今更,相手ののめる言い分で,相手の払える妥当な金額で和解するしかないのでしょうか。」,「今,どうしたらいいのか,他にだれも引き受けてくれないような件にであったら,司法で解決するのは無理だという事でしょうか。大変悩んでいます。今日,その丙山,丁木先生との話しあいの日です。結論は出ていません。」という記載もされていた。
(4) 控訴人は,被控訴人から控訴人に対する本件メールがあることに気づき,本件メールの内容を一読し,まず,被控訴人が実在するかどうかを,本件メールの中に名前がでてくる被控訴人の受任弁護士がたまたま性暴力被害者のために共に活動していたこともあり,以前から信頼できる弁護士であるとして知っていた丁木弁護士であることから,同弁護士に電話を架け,被控訴人から突然本件メールが送信されてきたこと,被控訴人は実在の人かと尋ねたところ,丁木弁護士から被控訴人が実在の人であること,丙山弁護士,丁木弁護士が受任していること,事件処理に当たって,被控訴人との間で温度差があることを告げられ,さらに,控訴人が被控訴人に対し,本件メールの返事を書くべきかについて迷っていると告げると,丁木弁護士から当方で解決するのでそのままにしておいて欲しいとの返事があったので,被控訴人に対し,特段の回答はしなかった。
(5) 被控訴人が集会などで本件セクハラ問題について,丙山弁護士,丁木弁護士の実名をあげて和解金額等に納得が行かないなど話したことがあった。被控訴人は,平成14年9月11日,丙山弁護士,丁木弁護士から,被控訴人が集会などで丙山弁護士,丁木弁護士の実名をあげて話しをしていることを弁護士仲間から聞いて知っているなどと言われ,被控訴人が丙山弁護士,丁木弁護士の実名をあげて,紛争処理に関する手段方法や和解金額などについて考えや意見の相違があり,受任弁護士の方針を承服しがたいなど非難することに対しては,侮辱や名誉毀損にもなりかねない行為であり,被控訴人と丙山弁護士,丁木弁護士との間の信頼関係を揺るがせるものであると叱責された。
(6) 控訴人は,同年10月ころ,被控訴人から電話を受け,被控訴人が控訴人にメールを送信したことを丁木弁護士に話したかと質問され,これに対する答えとして,丁木弁護士に電話をし,被控訴人が実在の人かを尋ねた,被控訴人から依頼を受けたわけではないので,控訴人の上記発言は守秘義務違反にならないという趣旨のことを述べた。
(7) 被控訴人は,同年12月,静岡県弁護士会沼津支部に電話をし,同支部の幹事長であった一色太郎弁護士に対し,控訴人に守秘義務違反があったことを告げた。同弁護士から控訴人に対し連絡があり,控訴人は,APP研のホームページには守秘義務があることを明記しているのであるから,これに反するのではないかと指摘されたので,同月3日,被控訴人に電話をして謝罪した。
(8) 被控訴人は,同月12日付け内容証明郵便で,控訴人に対し,被控訴人が控訴人に本件メールを送信したことを,控訴人が丁木弁護士に話したことにより,被控訴人は精神的苦痛を受けたとして,慰謝料500万円の請求をした。これに対し,控訴人は,同月27日付け内容証明郵便で,被控訴人に対して,控訴人に守秘義務違反はなく,慰謝料を支払う意思はないことを回答した。
(9) 被控訴人は,平成15年4月,静岡県弁護士会に対し,控訴人を対象弁護士として懲戒の申立てをしたが,同弁護士会綱紀委員会は,平成16年9月8日,控訴人につき懲戒委員会に事案の審査を求めないことを相当とするとの議決をし,同弁護士会は,同月24日,控訴人を懲戒しない旨の決定をした。被控訴人の異議申出に対し,日本弁護士連合会綱紀委員会第2部会は,平成17年8月31日,被控訴人の異議申出を棄却することを相当と認めるとの議決をし,日本弁護士連合会は,同年9月1日,被控訴人の異議申出を棄却する旨の決定をした。
(10) 被控訴人と丙山弁護士,丁木弁護士との委任関係は,平成15年12月,両弁護士が辞任したことにより終了した。
2 控訴人が,被控訴人から本件メールの送信を受けたことにより,被控訴人に対する関係で,本件メールの送信を受けたことを守秘すべき義務があるかということについて検討する。
(1) 上記認定の事実によると,控訴人は,インターネット上で,ポルノ・買春問題についての研究会であるAPP研を共同主催していた弁護士であるが,被控訴人は,控訴人が弁護士であることを前提として,本件メールは,ホームページで相談すべき問題ではないと思うが一読してほしいという前置きのもとに,被控訴人が受けたセクハラの内容・経過,丙山弁護士,丁木弁護士に委任して相手方と交渉した経過,被控訴人が算定した慰謝料額につき,丙山弁護士から高額に過ぎるとして呆れられ,これでは相手方と話合いができないと言われたこと,被控訴人の受けたセクハラ被害や丙山弁護士の発言に対する被控訴人の心情などが記載されているものである。そして,乙1によると,本件メールのうちで,控訴人に対する法律相談にあたる可能性のある記載としては,「今更,相手ののめる言い分で,相手の払える妥当な金額で和解するしかないのでしょうか。」,「今,どうしたらいいのか,他にだれも引き受けてくれないような件にであったら,司法で解決するのは無理だという事でしょうか。」がある程度であって,前記前置きのとおり,何らかの回答を求める法律相談というよりは,全体としては,被控訴人の受けたセクハラ問題,丙山弁護士,丁木弁護士の対応について,事実の経過と被控訴人の心情を吐露する内容のものであり,一読を求める趣旨であることが認められる。
(2)ア 弁護士法23条は,弁護士はその職務上知り得た秘密を保持する権利を有し,義務を負うと規定し,弁護士倫理20条(現行弁護士職務規程23条)にも正当な理由がないのに職務上の秘密を漏らすことを禁じる旨の規定がある。上記の規定にいう「職務上知り得た」とは,弁護士がその職務を行うについて知り得たという意味であり,弁護士が弁護士法3条の依頼者から依頼を受け,訴訟事件等その他一般的法律事務を処理する上で知り得た事項についての守秘義務が課せられ,また,将来依頼を受ける予定で知り得た事項にも及ぶが,他方,そのような弁護士としての一般的法律事務を行うものではない,例えば,弁護士会の会務を行う際に知り得た事実については弁護士としての守秘義務は及ばないと解される。
上記認定のとおり,被控訴人は,APP研の共同主催者である控訴人に対し,いきなり本件メールを送信したものであって,APP研は,ポルノ・買春問題を取り扱い,ポルノグラフィ被害の情報を得ようとしていたことは,ホームページに明示されており,APP研の活動に関係して,APP研のポルノ・買春問題の情報提供の範疇に入らない内容が記載された本件メールが突然控訴人に送られたに過ぎない。
確かに,控訴人は弁護士の資格を有するものであることを明らかにしてAPP研を共同主催するものであるが,これは,APP研の信頼を高めるためのものであって,一般的な法律事件について事務を処理しようとする意思が表示されたものであるとは認めることはできないし,控訴人にそのような意思があったことを認めることはできない。したがって,控訴人の受けた本件メールは,APP研の活動に関して一方的に送信されたものであって,控訴人が弁護士として職務を行う上で知り得た事項とはいえないものである。
そして,上記認定の事実によると,被控訴人が控訴人に一方的に送信した本件メールの内容も控訴人に対し,積極的な解決や相談を持ちかけた内容ではなく,被控訴人が本件セクハラ問題に遭遇した具体的経過,依頼した弁護士との意見の相違があり悩んでいるなどの単なる心情を吐露したものに過ぎないものであって,上記のとおり,積極的に何らかの法律上の意見や判断を求めているものではないから,これを直ちに法律相談であると認めることはできない。
イ 仮に,本件メールが被控訴人から弁護士である控訴人に対してなされた法律相談であり,弁護士が職務上知り得た事項であるとしても,以下の説示のとおり,控訴人の行為は,弁護士としての守秘義務に違反する違法な行為などということはできない。すなわち,被控訴人も全く面識のない弁護士にそのような内容の本件メールを送信すれば,弁護士である控訴人において,本件メールがいたずらではないかとの疑問を抱くのは当然であり,被控訴人が実在の人物であるか,書かれた内容が事実であるか,本件セクハラ問題の相手方の主張や証拠及び紛争処理に関する態度が不明であることに加え,控訴人の回答がいかなる使われ方をするのかなど被控訴人の意図などについて懸念を抱き,必要な範囲で裏付けの調査をする必要が生じてくることは容易に推測できる。そうすると,仮に,被控訴人においても,控訴人が本件メールが単なる心情吐露したメールではなく,控訴人が弁護士であることに着眼した法律相談であるとの認識であれば,控訴人が本件メールの内容について,被控訴人のプライバシー権などに配慮した上で,何らかの手段で裏付け調査した上で,回答することを予測し得たものと認めることができる。上記認定の事実によると,控訴人は,受任弁護士である丁木弁護士が信頼できる弁護士であると判断した上で,被控訴人の実在を確かめる趣旨で電話を架け,丁木弁護士の返事から少なくとも被控訴人の実在を確認でき,控訴人が本件メールの相談について回答する必要のないものであると判断したにすぎないのである。
したがって,本件メールが控訴人と全く面識のない被控訴人による突然の一方的なメールの送信である以上,その際,控訴人が受任弁護士に被控訴人から本件メールがあったことを告げ,被控訴人が実在の人物であるかどうかを確かめることは,正当な弁護士活動であるといえ,これに加え,尋ねた相手も弁護士であって,互いに守秘義務を負う者であって,それ以上第三者に伝播されるものではないことを考慮すると,少なくとも弁護士としての正当な行為であるといえ,控訴人に課せられた守秘義務に違反するものではない。
ウ ところで,秘密とは,世間一般に知られていない事実で,本人が特に秘匿しておきたいと考える性質を持つ事項(主観的意味の秘密)に限られず,一般人の立場から見て秘匿しておきたいと考える性質を持つ事項(客観的意味の秘密)を意味すると解される。上記認定の事実によると,本件メールには,被控訴人がセクハラ被害を受けたことや受任弁護士の対応に関する被控訴人の不満などの心情を伝えたうえ,被控訴人が不満足と考える内容の和解で解決するほかないのか,司法の場で解決することはできないのかと述べるものであって,詳細な事実関係の記載に加え,受任弁護士が取った助言等についての不満や悩みを訴えるものであって,それ自体は一応上記の秘密に該当すると認められる。
しかし,上記認定の事実によると,被控訴人は,本件メールの内容については,集会などにおいて,同様の内容を述べ,他の弁護士にも同様の内容を相談したことがあるのであるから,本件メールの内容が秘密性を有するとしても,被控訴人自ら秘匿性を開放し,明らかにしているといえ,APP研のホームページに送信フォームを用いて本件メールを控訴人に送信したことを考慮しても,被控訴人が本件メールの内容を秘匿しておきたいと考えていたとみることは困難である。
そして,本件では,被控訴人が控訴人に本件メールを送信したこと自体が秘密にあたるかということが問題となるが,被控訴人が丙山弁護士,丁木弁護士に事件処理を委任しているときに,被控訴人が受任弁護士との関係悪化を懸念することがあり得ることは当然であるとしても,他方,突然本件メールを送信された控訴人としては,少なくとも送信者が実在するのかについて確かめる必要があり,その相手方が被控訴人の受任弁護士である場合には,被控訴人から控訴人に対し,突然本件メールがあったことを伝えなければ,受任弁護士から被控訴人の実在の有無についての回答を得られないことになりかねないのであるから,その限度では,被控訴人から控訴人に本件メールがあったことを告げる行為は,上記のとおり,控訴人の正当な理由によって守秘義務を免れる行為といえ,弁護士が守秘義務に違反するとはいえないと解すべきである。
(3) 次に,控訴人が被控訴人に対して,APP研の一員として活動の一環として,守秘義務を負うか否かについて検討する。上記認定の事実によると,APP研はポルノ・買春問題について特にポルノグラフィ被害についての情報提供を募ることを明示しており,ポルノグラフィ被害者のプライバシー権に配慮して守秘義務を守ることを明示しているが,セクハラ問題などの法律相談やこれについて既に依頼した弁護士との意見の食い違いについて相談を受け付ける等の記載はなく,本件メールのような法律相談とも心情を吐露したメールとも取れるような内容についてまで,上記の守秘義務の範囲には入らないと考える余地はある。しかし,このようなAPP研が求めるポルノグラフィの被害情報を得ようとする際,APP研が求める被害情報とは若干異なるが,女性が性的被害を被ったとの被害情報について,APP研が求める情報でないとして,あえて守秘義務を負わない趣旨であると解することはできないから,本件メールのような送信者が性的被害を被ったことを内容とする情報を受けたような場合にも,送信者のプライバシー権を守るために守秘義務を負うというべきであり,共同主催者である控訴人も上記守秘義務を負い,これをみだりに第三者に漏らしたとすれば,不法行為責任を負わざるを得ない。
しかしながら,上記認定のとおり,被控訴人から控訴人に対し,突然一方的な本件メールがあった場合に,控訴人としては,本件メールに返事を出すべきか否かについて,検討するため,本件メールの中に名前がでてくる受任弁護士がかねてから信頼のできる弁護士であることから,受任弁護士に被控訴人からの本件メールがあったことを告げ,被控訴人が実在の人であるかどうかを尋ねたことは,それ自体には性的被害についてのプライバシーの権利を侵害するような秘匿すべき事項を含んでおらず,被控訴人が丙山弁護士,丁木弁護士に事件処理を委任しているときに,被控訴人が控訴人に本件メールを送信したことを知られると,その同じ内容を,丙山弁護士,丁木弁護士に内緒で他の弁護士に相談してセカンドオピニオンを求めたとして,受任弁護士との信頼関係が悪化することまでもが,上記守秘義務違反となるものではない。
(4) したがって,上記事実関係の下では,控訴人は,被控訴人から突然本件メールの送信を受けたことから,送信者である被控訴人が実在するか否かを,守秘義務を負う受任弁護士に問い合わせたに過ぎず,控訴人の上記行為は正当な理由に基づいて守秘義務を負わない事項であって,控訴人に何らかの守秘義務に違反する違法な行為があったと認めることはできない。
3 以上によれば,結局のところ,被控訴人の主張する控訴人の行為は,弁護士として職務上の知り得た秘密を違法に公にしたものでもなく,また,弁護士の職務を離れて一般的に被控訴人のプライバシーを違法に侵害したものでもないから,その余の点を判断するまでもなく,被控訴人の控訴人に対する慰謝料請求は理由がない。
よって,原判決中控訴人敗訴部分を取り消し,被控訴人の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永井ユタカ 裁判官 竹中邦夫 裁判官 矢田廣髙)