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大阪高等裁判所 平成18年(ネ)305号 判決 2007年3月30日

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人会社は,控訴人Aに対し金300万円,控訴人Bに対し金500万円,並びにこれらに対する平成16年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  控訴人らの被控訴人会社に対するその余の各請求,並びにその余の被控訴人らに対する各請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,第1,2審を通じて,控訴人らと被控訴人会社との間においては,控訴人らに生じた費用の600分の1を同被控訴人の負担とし,その余は各自の負担とし,控訴人らとその余の被控訴人らとの間においては,全部控訴人らの負担とする。

5  この判決は,主文第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

【以下,控訴人ら及び被控訴人らを,順次,「控訴人A」「控訴人B」「被控訴人会社」「被控訴人C」「被控訴人D」「被控訴人E」「被控訴人F」「被控訴人G」と略称し,被控訴人会社を除く被控訴人らを「被控訴人ら個人」という。】

第1控訴の趣旨

1  原判決をいずれも取り消す。

2  被控訴人らは,連帯して,控訴人Aに対し2億5480万円,控訴人Bに対し4億2320万円,並びにこれらに対する被控訴人Gは平成16年8月5日から,被控訴人Eは同年9月5日から,その余の被控訴人らは同年8月4日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(ただし,当審における請求拡張後のもの)。

第2事案の概要及び当事者の主張

1  事案の概要

(1)  本件は,被控訴人会社の取締役であった控訴人らが,被控訴人会社に対し,控訴人らに退職慰労金を支給しないのは,①控訴人らと被控訴人会社との支給約束に違反すること,②その不支給は権利濫用,信義則違反及び公序良俗違反に該当すること,③被控訴人会社は,被控訴人Cの控訴人らに対する不法行為又は債務不履行を理由とする機関責任(商法<平成17年7月26日法律第87号による改正前のもの。以下「旧商法」という。>261条3項,78条2項,民法44条)を負うこと,並びに被控訴人ら個人に対し,④被控訴人ら個人が被控訴人会社の株主総会に対し控訴人らに退職慰労金を支給しない旨の議案を提出したことは取締役としての善管注意義務又は忠実義務に反すること,⑤同提出が控訴人らと被控訴人ら個人との支給約束に違反すること,⑥同支給約束の存在を前提として,同提出が控訴人らの有していた条件付法律行為による利益を侵害すること,⑦被控訴人ら個人には,同支給約束に違反した共同不法行為が成立することを主張して,被控訴人らに対し,控訴人Aにおいて損害金2億4480万円,控訴人Bにおいて損害金4億0320万円,並びにこれらに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。

(2)  原審裁判所は,控訴人らの請求を全部棄却したため,これを不服とする控訴人らが控訴するとともに,当審において,退職慰労金の不支給による期待権侵害を理由として,控訴人Aにつき1000万円,控訴人Bにつき2000万円の慰謝料請求を新たに追加し,控訴の趣旨第2項のとおり請求を拡張した。

2  基礎となる事実,争点,争点に関する当事者の主張は,以下のとおり,当審における当事者双方の主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」欄第2「事案の概要等」の4,第3及び第4(原判決3頁15行目から14頁14行目まで)に記載するとおりであるから,これを引用する。

3  当審における控訴人の主張

控訴人らは,前記1(1)①ないし⑦の原審主張をそのまま維持するほか,以下のとおり主張する。

(1)  不法行為に基づく退職慰労金相当額の損害賠償請求について

ア 被控訴人ら個人の責任

(ア) 被控訴人F及び同Eの不法行為

控訴人らと被控訴人会社間には,黙示的ないし慣行的に,株主総会決議等を経て本件内規所定の退職慰労金を支給する旨の有償委任契約が成立していた。

ところが,被控訴人F及び被控訴人Eは,平成12年6月3日開催の取締役会の混乱に乗じてC派が経営を握ることになったことをきっかけとし,控訴人らに対する退職慰労金が不支給になることが事実上決定されていたにもかかわらず,少なくとも控訴人らに期待を抱かせ,これを維持させる言動に終始し,これを信じた控訴人らをして,被控訴人会社関連企業の株式を売却させるなどした上,反C派の弾圧を目的として,自己の先行行為に反して,従前の退任取締役と比較して明らかに不平等な退職慰労金不支給の本件議案を上程したため,控訴人らは,本件内規によって算定した退職慰労金を取得できず,同相当額の損害を被った。

したがって,被控訴人F及び同Eの上記行為は,悪意又は重過失に基づくものであり,民法709条ないし旧商法266条の3所定の不法行為に該当する。

(イ) その余の被控訴人ら個人の責任

控訴人らに対する退職慰労金を不支給にする旨の株主総会議案の決定は,本件株主総会の招集を決定する取締役会によってされたのであるから,被控訴人F及び同E以外の被控訴人ら個人は,旧商法266条の3第3項,同266条2項,3項,整備法78条により,被控訴人F及び被控訴人Eの損害賠償責任につき,連帯して損害賠償責任を負担する。

(ウ) 被控訴人Cの不法行為

被控訴人Cは,代表取締役としてその裁量権を逸脱し又は濫用してはならず,被控訴人会社に対する忠実義務・善管注意義務に基づき,退職慰労金の支給について,適切に処理をすべき義務があるのに,被控訴人Cと対立した控訴人ら反対派への見せしめとして,本件議案を本件株主総会に提出した上,自ら株主として,又は全体の59%を占める同被控訴人が支配するC派の株主を通じて,本件議案を可決させたものであり,かかる同被控訴人の一連の行為は,後記のとおり公序良俗に反する違法な行為であるから,控訴人らに対し,民法709条ないし旧商法266条の3所定の損害賠償責任を免れない。

イ 被控訴人会社の責任

(ア) 被控訴人Fは,当時,総務部長ないし業務本部長の役職を,同Eは,平成12年6月19日の取締役会以降,財務本部長の役職を有していたから,被控訴人会社は,民法715条所定の責任を負う。

(イ) 被控訴人Cは,上記不法行為当時,被控訴人会社の代表取締役であったから,被控訴人会社は,民法44条の機関責任を負担する。

ウ なお,被控訴人らが,控訴人らの不適切行為と主張するものは,すべて不当な言いがかりであり,何ら退職慰労金を不支給とする事由になるものではない。

(2)  公序良俗違反について

ア 本件議案を可決した本件株主総会の決議は,以下の事情に照らすと,公序良俗に反し無効である。

(ア) 目的の違法性

被控訴人C派の経営は,本社機能を徒に肥大化させ,本社経費を増大させる一方,現地の裁量を縮小して,現場一線で働くドライバーに対する待遇,処遇を悪化させることを指向するものであった。

そのため,控訴人ら改革派は,C派の経営に異議を唱え,平成12年6月3日の取締役会における被控訴人Cの解任動議を提出し,その是非を問うことになった。

しかし,被控訴人会社(C派)は,控訴人らに報復するとともに,C派に反対する者には会社への貢献があっても退職慰労金を支給しないという「嫌がらせ」や「見せしめ」等の不当な目的や,被控訴人C自身の実権を確保するための手段として,退職慰労金の不支給という行為に及んだのである。

このような不支給が認められるとすれば,取締役は,役員報酬の後払部分(退職慰労金)についてただ働きを強いられる上,取締役相互間の自由活発な議論は到底期待できず,お手盛り防止という観点から認められる株主総会の決定権が一部経営者の会社支配の道具として利用されることを認めることになる。

(イ) 不支給決定手続の悪質性

本来,退職慰労金の支給議案は,支給対象となる取締役の退任期において行われるのに,被控訴人会社は,控訴人らが退任して約2年経過後の平成14年6月になって不支給の決定をしたのであるから,退職慰労金支給手続を意図的に懈怠した。

また,被控訴人F及び被控訴人Eは,控訴人Bに対し,退職慰労金を支給する旨を約して,平成12年6月3日付け議事録に捺印させたり,退職届の提出をさせたのみならず,控訴人ら両名に対し,退職慰労金を支給するとして,控訴人らが保有する被控訴人会社関連企業の株式を売却させるなどしておきながら,これらの行為の見返りとしての退職慰労金の支給を行わなかった。

さらに,上記被控訴人らは,控訴人Bに対して,被控訴人C派との対決姿勢をみせた控訴人Aとの違いを強調して退職慰労金は必ず支払う旨を約しながら,一方で控訴人Aに対しても退職慰労金を支払うような説明をするなど,極めて都合のよい説明を行って控訴人らを騙し続けていた。

以上の不支給決定に至る手続の悪質性は甚だしい。

(ウ) 一貫性の欠如

被控訴人会社では,本件内規に基づき,退任した取締役には退職慰労金が支払われていたのに,反対勢力たる控訴人らに限って退職慰労金の支給がされていないことは明らかに一貫性を欠く。

(エ) 公平性の欠如

控訴人らは,他の取締役に比して特に被控訴人会社に対する貢献の高い取締役であったから,他の取締役に退職慰労金を支給しながら,控訴人らに支給しないことは明らかに公平性を欠く。

(オ) 正当性の欠如

控訴人らは,これまで被控訴人会社に対し多大な貢献を行ってきたのに,控訴人らに対する退職慰労金を不支給とする正当な理由は全く存在しない。

(カ) 根拠規程の欠如

本件内規には退職慰労金を一切支給しなくてよい旨の規程はなく,退職慰労金の減額も「特に重大な損害を会社に与えた」という極めて特別な場合に限られている。

イ 以上のとおり,控訴人らに対する退職慰労金を不支給とする株主総会決議は公序良俗違反によって無効となるというべきであるが,このような場合には,控訴人らの退職慰労金請求権が発生するというべきである。なぜなら,ある契約が公序良俗に違反する場合,当該契約が無効となれば,公序良俗違反は是正されるが,退職慰労金の場合には,株主総会決議が不存在になるだけであり,退職慰労金不支給状態は変わらないため,公序良俗違反状態を是正するには,退職慰労金が支給されるのと同様の効果が与えられなければならないからである。

なお,最高裁判所平成4年12月18日第二小法廷判決(民集46巻9号3006頁参照)は,取締役の報酬について,「会社と取締役間の契約の内容となり,契約当事者である会社と取締役の双方を拘束するから,その後株主総会が当該取締役の報酬につきこれを無報酬とする旨の決議をしたとしても,当該取締役は,これに同意しない限り,右報酬の請求権を失うものではない」と判示しているが,取締役の退職慰労金請求権も,これと同様,株主総会決議がされるまで一切の権利性がないのではなく,報酬の後払い的性質を有し,相当の範囲で内容が明確化された請求権としての性格を有するから,公序良俗に反するような不当な目的で,報酬の後払部分としての性格を有する退職慰労金を一方的に不支給とする結論は許されないことからも,上記のとおり解すべきである。

(3)  条件付債権に対する侵害について

退職慰労金請求権は,上記のとおり株主総会決議がされるまで一切の権利性がないのではなく,報酬の後払い的性質を有し,相当の範囲で内容が明確化された請求権としての性格を有する。したがって,退職慰労金請求権は,株主総会決議という条件が付された権利であるから,他の取締役は,当該条件が成就するまでの間,これを侵害してはならないにもかかわらず,被控訴人ら個人は,本件議案を株主総会に提出し,控訴人らの条件成就によって得る利益を積極的に侵害した。

よって,控訴人らは,被控訴人ら個人に対し,民法128条及び130条の類推適用により退職慰労金相当額の損害賠償を請求する。このように解することは,前掲最高裁判決が,株主総会によっても在任中の報酬支払を一方的に不払にすることは許されないと判示した趣旨にも合致する。

(4)  期待権の侵害に基づく慰謝料請求権(追加的請求)について

被控訴人ら個人は,控訴人らが被控訴人会社の取締役を退任した後も,一貫して控訴人らに対し,退職慰労金を支給する旨約し,又は少なくとも同人らをして退職慰労金が支給されることの期待を惹起し,維持させる言動に終始していた。したがって,控訴人らは,株主総会において速やかに退職慰労金支給議案が提出されなくとも,特段,焦燥感に駆られることなく,被控訴人らに対し,強い申し入れもせず,また,前記のとおり関係会社の株式を処分するなどして,穏便な対応をとりながら,退職慰労金が支給されることを期待し続けたが,この期待は,退任取締役に対して本件内規どおりの退職慰労金が支払われることが常態化していたから,自然かつ合理的なものであった。殊に控訴人Bにおいては,かかる期待があったからこそ,事実とは異なる平成12年6月3日付け議事録への捺印も了解したものである。

しかるに,被控訴人らは,控訴人らの上記期待を十分認識し,同期待を惹起させ,維持させることに終始しながら,2年以上も引っ張った挙げ句,控訴人らに対する説明もなく,突然,かかる先行行為に反し,本件議案を株主総会に提出・決議したものである。

このような経過に照らせば,本件内規に基づき退職慰労金が支払われるという控訴人らの期待は,法的に保護されるべきものであるところ,被控訴人らの上記行為は,控訴人らの期待権を違法に侵害し,著しい精神的苦痛を与えたというべきであるから,これを慰謝するには,少なくとも控訴人Aについては1000万円,控訴人Bについては2000万円であると認めるのが相当である。

4  当審における被控訴人らの主張

被控訴人らは,控訴人らの原審主張に対する反論を維持するほか,以下のとおり反論する。

(1)  本件議案の提出は,被控訴人らの裁量の範囲のものであり,何ら違法ではない。

本件において,被控訴人会社の取締役会で,経営判断に基づき,控訴人らに対する退職慰労金を支給すべきではなく,本件議案を株主総会に諮るべきと判断したのは,控訴人らの被控訴人会社における功績が,既に株主総会の決議を経て支給されている定例報酬を超えるものではないと判断したほか,以下のとおり,控訴人らは我欲に駆られ,あるいは怠慢により,被控訴人会社を大混乱に陥れて損害を与えたり,平成12年6月3日の取締役会における控訴人らの極めて無責任な解任動議の提出とその後の無茶苦茶な恣意的行為のためである。

(ア) まず,被控訴人会社では,平成3年に発生したW事件を受けて,被控訴人Cを中心とする新執行部が組織され,これが株主の多数の支持を得つつ,膨大な負債の処理とともに経営機構の刷新に取り組み,会社の近代化,組織的な内部統制システムの確立に努めてきた。ところが,控訴人らは,「社長は社主(H会長のこと)と会おうとしない。」「社主を蔑ろにしている。」などといった幼稚な理由を述べるのみで,Iを担ぎつつ,以前の直属の部下らを中心に多数派工作を図って被控訴人Cの解任動議を提出したのである。そして,解任動議が敗れ,逆に自らの代表権を解かれるや,社内に乗り込んで何ら権限がないにもかかわらず,従業員を前に朝礼を行おうとし,さらにはI名義で社内通達まで出すなど,会社組織を大混乱に陥れ,マスコミでも報道されるなど,対外的な信用をも毀損するものであった。

控訴人らは,首謀してこのような事態を惹起したのであるから,被控訴人らの上記経営判断は,何ら裁量権を逸脱するものではない。

なお,被控訴人らは,控訴人Aの不適切行為として,その息子のために,被控訴人会社のJ店の屋上に,事実上息子専用のバッティングマシーンを設置したこと,カナダのバンクーバーにコンドミニアムを総額1億4000万円で購入したのに,未収運賃として計上したこと等,並びに控訴人Aの不適切行為として,自身が代表取締役を務め,後に被控訴人会社に吸収合併されたKが物流倉庫及び駐車場を賃借するに当たり,地主から直接賃借する予定であったのをあえて他社から転借する形にしたことにより,会社に合計5億円もの余分な賃料を負担させたこと等を主張してきたが,それらは,本件で退職慰労金を不支給としたことの主たる理由ではなく,前記裁量的判断の正当性を補強する事情のひとつとして主張するものである。

(2)  公序良俗違反について

退職慰労金を不支給とする株主総会決議が公序良俗に反しないことを基礎づける事実は,上記(1)のとおりであって,控訴人ら主張の嫌がらせ,見せしめを目的として本件決議がされたというのは失当である。

仮に控訴人ら主張のとおり法律行為が公序良俗に反するならば,その効果は,単に民法90条により無効になるというだけであるから,控訴人らの具体的な退職慰労金請求権発生の要件事実とはなり得ない。

(3)  条件付債権に対する侵害について

在任中の職務執行の対価としての退職慰労金も旧商法269条の報酬であり,定款又は株主総会の決議があってはじめてその請求権が発生するから,控訴人ら退任取締役は,総会の決議があるまでは退職慰労金請求権を有しない。

(4)  期待権の侵害に基づく精神的損害の請求について

控訴人ら主張の期待権なるものが何を意味するのか全く理解できない。賠償を求めるのは精神的損害であるとするが,それは控訴人らの単なる思惑であるとすれば,法律上の保護に値するものではないことは主張自体から明らかである。なお,被控訴人ら個人が控訴人らに対し,退職慰労金の支給を約したこともなければ,これを期待させるような行為をしたこともないことについては,既に主張立証済みである。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所は,控訴人ら主張の支給約束違反,並びにこれに基づく不法行為ないし条件付法律行為による利益の侵害,又は公序良俗違反を理由とする退職慰労金相当額の損害賠償請求はいずれも認められないが,控訴人らの人格権的利益を侵害したことによる慰謝料請求は一部認容すべきものと判断する。

その理由は,原判決「事実及び理由」欄第5「当裁判所の判断」1及び2(原判決14頁16行目から19頁2行目まで)を引用するほか,以下に説示するとおりである。

2  当審における控訴人の主張について

(1)  不法行為に基づく,退職慰労金相当額の損害賠償請求について

控訴人らは,まず,被控訴人C,同F及び同Eが本件議案を株主総会に提出したことが不法行為に当たる旨主張するが,一般に株主総会の意思決定と,取締役個人の意思ないし取締役会の意思決定とは法律上別個のものであり,本件内規があっても,退職慰労金請求権は株主総会の決議によってはじめて発生するものであるから,上記被控訴人らが代表取締役又は取締役として本件議案を本件株主総会に提出し,その結果,本件議案が本件株主総会によって可決されて控訴人らの退職慰労金が不支給になったとしても,同被控訴人らの上記行為と,控訴人らが退職慰労金を支給されなかったこととの間には相当因果関係を認めることができないというべきである上,本件議案提出に至るまでの間に後に(4)に認定するとおりの事実が認められるとしても,同事実から直ちに,本件議案の提出自体が違法であって不法行為に当たるものということはできない。

また,原判決の基礎となる事実(2),当審提出の甲第29号証の1ないし5によると,被控訴人Cは,本件株主総会において,株主の1人として本件議案に賛成したことは認められるが,同被控訴人が議決権をどのように行使するかは,取締役の地位とは区別された株主の固有の権利であるから,株主として本件議案に賛成したことが直ちに違法であるとはいえないし,被控訴人Cがその支配する株主を通じて本件議案を可決させたことについてもこれを認めるに足りる証拠はない(なお,上記基礎となる事実のとおり,本件議案は,控訴人Aを除く出席株主全員の圧倒的多数により可決されたものであり,被控訴人Cの議決権行使の有無にかかわらず,本件議案が可決されたことも明らかであるから,議決権行使と本件議案の可決との間には,格別の事情のない限り,因果関係も認め難い。)。

したがって,上記被控訴人らについて不法行為責任が認められない以上,その余の被控訴人ら個人の不法行為責任及び被控訴人会社の不法行為責任も認めることはできず,この点に関する控訴人らの上記請求はいずれも理由がない。

(2)  公序良俗違反の主張について

控訴人らは,本件議案を可決した本件総会決議は公序良俗に反し無効であり,その場合には退職慰労金請求権が発生する旨主張するが,仮に,控訴人ら主張のとおり本件総会決議が公序良俗違反により無効になったとしても,その効果は同決議が法律上無効になるのみであるから,当然に退職慰労金請求権が発生するというものではない上,本件において,本件株主総会決議に至るまでの間に後記(4)に認定するとおりの事情が認められるとしても,同事情から直ちに,私企業である被控訴人会社において,過去功労のあった控訴人らに対し退職慰労金を支給しないこととしたことが,公序良俗違反に該当するということはできず,上記認定の事情のほかに,控訴人らが主張するような公序良俗違反を基礎づける事情を認めることもできない。

したがって,控訴人らの上記主張も採用することができない。

(3)  条件付債権に対する侵害について

控訴人らは,退職慰労金請求権は報酬の後払的性質を有し,株主総会決議という条件が付された権利ということもできるところ,被控訴人ら個人は,本件議案を本件株主総会に提出し,控訴人らの条件成就によって得る利益を積極的に侵害した旨主張する。

しかしながら,退職慰労金請求権は,取締役の報酬とは異なり,定款又は株主総会の決議によってはじめて発生するものであり,株主総会決議は,退職慰労金の効力発生要件であって,民法128条,130条に定める条件ではないから,退職慰労金請求権を条件付債権とする控訴人らの主張は,そもそもその前提を欠き,採用することができない。

ちなみに,本件内規が,株主総会の決議があった場合に適用されるべき算定基準にすぎないことは原判決の認定するとおりであり,本件内規の存在も上記の判断に何ら影響を及ぼすものではない。

この点に関し,控訴人らが援用する前記最高裁判決は,取締役の報酬に関する判例であって,本件に適切でない。

また,当審提出の甲第28号証(L大学社会科学総合学術院教授Mの意見書)も上記判断を左右しない。

(4)  控訴人ら主張の期待権の侵害に基づく精神的損害の請求(当審における追加的請求)について

ア 控訴人らは,本件内規に基づき退職慰労金が支払われるという控訴人らの期待は法的に保護されるべきであり,被控訴人らの行為によって上記期待権が侵害された旨主張するところ,同主張は,控訴人らの人格権的利益の侵害を主張する趣旨と解されるから,以下,この点につき判断する。

前記基礎となる事実,甲第1号証,第2号証の1,2,第3号証,第6ないし19号証,第23ないし26号証,当審提出の第27号証,第29号証の1ないし5,第30,第31号証,乙第1ないし7号証,当審提出の乙第8ないし10号証,第11号証の1ないし8,原審における控訴人ら,被控訴人F,同E,同Dの各本人尋問の結果によると,次の事実が認められる。

(ア) 平成12年当時,被控訴人会社内部では,代表取締役である被控訴人Cの経営方針を擁護する被控訴人ら個人と,これに反対する控訴人らの勢力が対立していた。

このような中で,株主であり,平成4年以降被控訴人会社の代表取締役副社長の地位にあった控訴人らは,平成12年6月3日開催の取締役会において,被控訴人Cの代表取締役社長の解任動議を緊急提案したが失敗に終わり,かえって控訴人らに対する各代表取締役副社長の解任動議が可決された。

そのため,控訴人らは,取締役の任期終了も差し迫り,同月19日の定時株主総会で取締役に再任されることも難しいと判断し,退職して退職慰労金の支給を受けるほかないと考えるようになった。

(イ) ところで,被控訴人会社は,本件内規(平成5年4月1日施行)に基づき,退任役員に退職慰労金を支給していたが,その支給議案は当該取締役の退任期の株主総会に提出されるのが通例であり,しかも平成12年6月当時までに退任した取締役に対する退職慰労金の支給議案が否決されたことはなかった。そこで,控訴人らは,自らも被控訴人会社に長年勤め,その発展に寄与した功労があると考えていたことから,本件内規に基づく退職慰労金の支給を受けられるものと理解していた。

他方,被控訴人ら個人のほか,被控訴人会社の取締役ら役員の間では,控訴人らが過去において被控訴人会社の発展に功労のあった役員であるとの評価はしていたものの,上記解任動議の首謀者として重大な責任があるとして,退職慰労金を支給するのは妥当ではないとの意見が多数を占めていた。

(ウ) このような経過の中で,控訴人Bは,被控訴人Eから,平成12年6月5日,前記取締役会議事録に捺印を求められたが,その際,同被控訴人から,被控訴人会社に対する貢献があるので,議事録に捺印してもらえれば退職慰労金の支給に関する手続もスムーズに行くであろうとの意見が述べられた。そこで,控訴人Bは,既に退職を覚悟していたため,退職慰労金の支給を受け易くする方がよいと判断し,上記議事録に押印した上,退職慰労金をスムーズに支払ってほしい旨述べた。

数日後,控訴人Bは,N支社の自己の後任として赴任した被控訴人Gから,解任の場合には退職慰労金が出ない可能性があるので,辞任届を提出した方がよいと勧められ,悩んだ末,被控訴人Gの起案した辞任届(甲8)に署名捺印した上,同月14日,被控訴人Fを介して被控訴人会社に差し入れ,被控訴人Cに対して,退任の挨拶まで行った。その際,被控訴人Fは,間一髪であった旨を述べ,被控訴人D及び被控訴人Gも「よかったですね。」と述べた。そして,控訴人Bは,予期していたとおり,同月19日開催の定時株主総会において取締役に再任されなかったため,任期満了により退任した。

その後,控訴人Bは,同年11月16日,福岡市に来た被控訴人F及び被控訴人Eから面会を求められ,被控訴人会社に対する同控訴人の借入残金約6200万円の返済を求められたため,退職慰労金を出してほしいと言ったところ,被控訴人Fは,「こんな問題を残しておいて,何が退職金なんですか。これでは当然,総会でも問題になりますよ。お気持ちはわかりますが,まずは,筋を通すべきでしょう。」などと諭し,控訴人Bの保有株式(被控訴人会社の関連会社の株式)を売却し,その売却代金で上記借金を返済するよう求めた。その際,控訴人Bは,退職慰労金の支給見込額を被控訴人Fに確認したところ,計算上,3億0250万円になる旨の回答を得たので,借入金の精算が終了しないと退職慰労金の支給に対する反対意見が出るものと判断し,退職慰労金の中から借金を返済したい旨を提案した。これに対し,被控訴人Fらは,退職慰労金による返済までは了解しなかった。

以上の交渉経過に従い,控訴人Bは,平成13年1月ころ,上記株式を売却して上記借入金を精算した上,保有していたO株式会社の株式1000株(約2億円相当)をP財団に寄付した。

(エ) 他方,控訴人Aは,控訴人Bと同様,前記定時株主総会で再任されず,任期満了で取締役の地位を退いたが,その後,被控訴人Fと会う都度,退職慰労金の支払を要求した。また,控訴人Aは,平成12年8月22日,被控訴人会社Q支社に赴いて,R税理士及び後任のS支社長に面会したところ,R税理士から,T株式会社(46%の株式を保有)やU株式会社等の株式を1億0400万円程度で引き取りたい旨の申し入れを受けたが,即答を避けた。

その後,同年11月20日,被控訴人会社の臨時株主総会が開催され,故V取締役に対する退職慰労金については支給決議がされたが,控訴人らについては同決議はなかった。そこで,控訴人Aは,同臨時総会の議長として議事を進行していた被控訴人Cに対し,退職慰労金を速やかに支給してほしい旨の質問をしたところ,被控訴人Cは,もう少し時間がほしい旨を回答した。

このような経過の中で,平成13年2月22日開催予定の臨時株主総会の招集通知(甲31)はもとより,同年6月18日開催予定の定時株主総会の招集通知(甲14)にも,控訴人らの退職慰労金の支給に関する記載がなかったことから,控訴人Aは,同年6月5日,京都市内で被控訴人Fと面談し,上記議案が記載されていない理由について質すとともに,自己のW事件における功績等を強調した上,支給に向けての善処を依頼したが,被控訴人Fからの明確な回答はなかった。

その後,控訴人Aは,同年7月30日にも,被控訴人Fと,名古屋市内のホテルで面談し,早急に退職慰労金を支給してほしい旨を申し入れたが,被控訴人Fは,「(控訴人Aの)長年の足跡は十分に承知している。」「Aさんがやった過去のことを並べたら,当然常識ある判断となります。」などと述べた。

そして,同年8月20日,控訴人Aは,被控訴人Fの要求で,名古屋市内のホテルで面談し,同被控訴人から前記株式の譲渡を検討してほしい旨言われた際にも,退職慰労金支給の件を要請したところ,同被控訴人は,前記株式の譲渡問題を解決しないと,環境が整わないのではないかなどと述べた。

そこで,控訴人Aは,被控訴人Fの上記発言を,上記株式を譲渡すれば退職慰労金の支給についての手続が進むという趣旨であると理解し,株式を売却する旨決意し,同年9月12日,被控訴人Fから上記株式の譲渡契約書を提示され,上記株式を譲渡した。その際,控訴人Aは,退職慰労金の支給をきちんとしてほしい旨要請したが,被控訴人Fは,これで一歩前進した旨述べたにとどまった。

(オ) しかし,被控訴人ら個人を含む取締役の間では,控訴人らの被控訴人Cに対する前記解任動議の提出を会社に対する反乱として位置づけ,退職慰労金の支給は不適切であるとの意向が多く,被控訴人の取締役会は,本件株主総会に先立って,控訴人らの退職慰労金を不支給とする旨の本件議案を株主総会に提出する旨を議決した。

本件議案の内容は,被控訴人Cに対する解任動議に対する関わりの有無等によって区分され,①平成12年6月18日に取締役を退任した控訴人らほか2名について全額不支給にすること,②平成14年6月に退任した取締役中,同動議に同調したが,その後,被控訴人Cに協力した反対派4人については,協力した2年間を金額算定の基礎とすること,③同年6月に退任した同動議に反対した3名に対しては全額支給するというものであった。

(カ) 控訴人らは,平成14年6月18日開催の本件株主総会において,控訴人らの退職慰労金の支給決議がされるものと期待した。殊に,控訴人Aは,本件株主総会の招集通知に「退職慰労金贈呈の件」と記載されていたことから,退職慰労金が支給されるものと信じ,自らも同総会に出席したが,本件株主総会では,控訴人らの期待に反し,本件議案が可決された。

その際,控訴人らに対する退職慰労金の不支給決議が,退任後2年を経過してはじめて本件議案として提示された理由,並びに控訴人らに対して退職慰労金を不支給とした理由の説明はいずれもなかった。

なお,本件内規(甲6)に基づいて,被控訴人会社及び関連会社の退職慰労金を算定した場合,控訴人Aについては2億円を,控訴人Bについては4億円を下らない。

以上のとおり認められ,上記認定を覆すに足りる証拠はない。

イ 上記認定の事実,とりわけ,①控訴人らは,被控訴人Cの代表取締役解任に失敗し,かえって自らの役職を解任されたため,本件内規に基づいて退職慰労金の支払を受けて退任することとしたこと,②控訴人Bは,退職慰労金の支給を受け易くなるものと思い,被控訴人Eの求めに応じて上記取締役会の議事録に捺印したり,被控訴人Gの助言に従って被控訴人会社宛の辞任届を提出したこと,③被控訴人会社の取締役会は,各取締役の退任期の株主総会に退職慰労金の支給に関する議案を提出するのが通例であったが,控訴人らの退任期の株主総会には,同議案を提出しなかったこと,④そこで,控訴人らは,再三,被控訴人Fらに対し,退職慰労金の支給措置を講じるよう求めたのに対し,被控訴人Fらは,控訴人Bの借入金を返済することや,控訴人らの保有する関連会社の株式を売却処分することが先決である旨説明したため,控訴人らは,それらの問題が退職慰労金を支給してもらえる前提条件であると認識したこと,⑤しかし,その後も被控訴人会社において控訴人らに対する退職慰労金の支給に関する議案を株主総会に提出しなかったため,控訴人らが,退職慰労金の支給を求めたのに対し,被控訴人Fや被控訴人Cは,控訴人らに対し退職慰労金を支給しないとの明確な回答を避けたこと,⑥ところが,被控訴人会社の取締役会は,控訴人らの退任から2年を経過した時期に至って,本件株主総会に本件議案を提出し,これが可決されたため,控訴人らに対する慰労退職金が不支給とされたことが認められ,これらの事実と,本件内規に基づく退職慰労金の従前の支給状況,並びに控訴人らの勤続年数・地位及び過去の功労を総合勘案すると,控訴人らにおいて,取締役会が本件内規に基づく退職慰労金の支給を前提とする議案を速やかに株主総会に提出し,これが可決されて退職慰労金の支給を受けられるという強い期待を抱いていたことには,まことに無理からぬところがあったというべきである。

にもかかわらず,被控訴人会社の取締役会は,被控訴人Fや被控訴人Cにおいて上記のように退職慰労金を支給しない旨の明確な回答をしないまま,時間を引き延ばした挙げ句,上記借入金の返済や株式の売却等が完了し,かつ控訴人らの退任から約2年を経過した時期に至って本件議案を本件株主総会に提出し,結局,不支給という控訴人らの期待に反する結果を惹起したものであるから,被控訴人会社の取締役会の上記措置は,控訴人らの上記期待を裏切り,その人格権的利益を侵害した違法があるといわざるをえない。

そうすると,被控訴人会社は,その機関である取締役会の措置について,民法44条により,控訴人らの上記人格権的利益を侵害した不法行為責任を免れないというべきであり,前記認定の事実関係の下において,控訴人らの精神的苦痛を慰謝するには,控訴人Aについて300万円,控訴人Bについて500万円と認めるのが相当である。

なお,控訴人らは,被控訴人ら個人が,控訴人らに対し,退職慰労金を支給する旨約し,又は退職慰労金が支給されるとの期待を惹起し,維持させる言動に終始したため,控訴人らの期待権を違法に侵害したなどとして,被控訴人ら個人の不法行為をも主張するが,被控訴人ら個人が退職慰労金の支給約束をしたと認められないことは,原判決説示のとおりであること,被控訴人ら個人の前記アに認定のとおりの言動が,個々的には不法行為を構成するほどの違法性があるものとはいえないこと,取締役会において本件議案を本件株主総会に提案する旨を決定したことにつき,被控訴人ら個人の具体的関与の態様・賛否の内容を特定するに足りる資料もないことに照らすと,控訴人らの上記人格権的利益を侵害したことについて,被控訴人ら個人の不法行為責任を認めることはできないというべきである(結局,取締役会の前記措置について,その構成員である被控訴人ら個人の代表取締役ないし取締役としての具体的な責任原因までは特定できないが,取締役会は,被控訴人ら個人を含む取締役による多数決原理に基づき,控訴人らの退職慰労金に関する本件議案の決定を含む措置を講じたというべきであるから,被控訴人会社は,その機関である取締役会の措置〔取締役の行為〕につき,不法行為責任を負うというべきである。)。

3  以上によれば,控訴人らの請求は,被控訴人会社に対し,控訴人Aが300万円,控訴人Bが500万円及びこれらに対する前記遅延損害金の支払を求める限度においてそれぞれ理由があるが,被控訴人会社に対するその余の各請求,並びに被控訴人ら個人に対する各請求はいずれも理由がない。

よって,これと結論を異にする原判決を一部変更することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大和陽一郎 裁判官 菊池徹 裁判官 市村弘)

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