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大阪高等裁判所 平成18年(ネ)3265号 判決 2007年3月23日

主文

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決中,控訴人敗訴部分をいずれも取り消す。

2  上記取消に係る被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

第2被控訴人らの請求の趣旨

本判決別紙請求債権目録(原判決別紙請求債権目録と同じ)のとおり(ただし,「原告」を「被控訴人A」,「被告」を「控訴人」,「参加人」を「被控訴人」と各読み替える。以下,同様)。

第3事案の概要及び当事者の主張

1  事案の概要

本件は,被控訴人Aが,根抵当権に基づく物上代位により,当該根抵当権の目的である不動産の共有者であるB及びC(以下「Bら」という。)が控訴人に対して有する賃料債権(以下「本件賃料債権」という。)を差し押さえたことを理由として,賃借人である控訴人に対し,上記請求債権目録第1のとおり支払を求め,また,第2ないし第4事件被控訴人らが民事執行法157条1項に基づき,共同訴訟人として被控訴人Aに参加し,同請求債権目録第2ないし第4のとおり支払を求めたところ,控訴人が,抗弁として,①Bらに対して平成15年12月26日時点で有する9億8000万円の貸金債権(以下「本件貸金債権」という。)と,本件賃料債権とを,同日及び各月末日をもって対当額で相殺すること,②控訴人は,Bらが申し立てた民事再生手続で提出した再生債権届出書により,Bらとの間で,本件貸金債権と将来分の本件賃料債権とを対当額で相殺する旨の相殺予約に基づきその完結権の行使をしたこと,③再生債権届出書により,本件貸金債権と将来分の本件賃料債権とを対当額で相殺した旨を主張した事案である。

なお,D株式会社は,共同訴訟人として参加しなかったため,同条3項所定の差押債権者に該当するものである。

原審裁判所は,控訴人の上記相殺の抗弁をいずれも認めず,控訴人に対し,①被控訴人Aは1億0362万6518円,②被控訴人Eは1億2743万8331円,③被控訴人Fは5億2543万6933円とその内金について本判決別紙遅延損害金目録(原判決別紙遅延損害金目録と同じ)記載の各金員,④被控訴人Gは5億2543万6933円とその内金について上記遅延損害金目録記載の金員の各支払を命じる限度で被控訴人らの請求を認容したため(被控訴人Eは全面勝訴,その余の被控訴人らは一部勝訴),これを不服とする控訴人が本件控訴をした。

なお,請求を一部棄却された被控訴人らは不服申立をしていない。

2  前提事実及び当事者の主張は,以下のとおり当審における控訴人の主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」欄第2「事案の概要」の1ないし5(原判決2頁6行目から10頁8行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。

3  当審における控訴人の主張

(1)  原判決の問題点について

原判決は,控訴人が,Bらに対し,平成15年12月26日に行った本件相殺通知(相殺の意思表示)は,民法506条1項ただし書(現行民法の506条1項後段)により禁止される期限・条件付きの意思表示であると判断し,それ故,本件相殺通知は無効である旨説示している。

しかし,原判決には,以下のような誤りがあり,破棄されるべきである。

ア 民法506条1項ただし書の解釈・適用の誤り

原判決は,平成15年12月26日以降の賃料債務について,期限の利益の放棄をせず,その支払日である毎月末日が到来する都度,順次,その時点で相殺していくというものであるとし,本件相殺通知が期限付き意思表示に当たると解している。

しかし,原判決は,本件の受働債権が本来的に「将来の賃料債権」(相殺の意思表示時点において未発生であるが,支払日が到来すれば発生する債権)に該当することを見落としている。すなわち,相殺の意思表示に条件・期限が付けられないのであって,停止条件付き又は期限付き債権について相殺できるかという問題は別に考えなければならないのに,原判決は,停止条件付き又は期限付き債権を受働債権とする相殺にも,民法506条1項ただし書を適用する誤りを冒しており,それは条件付き又は期限付き債権について相殺できるかという問題(民法505条1項の解釈)を同法506条1項ただし書の解釈の問題と混同することにほかならない。

イ 将来の賃料債権についての解釈の誤り-期限の利益の放棄の意味

原判決は,本件相殺通知を各支払日が到来することを条件もしくは期限とする相殺の意思表示であると理解していると思われる。

しかし,期限の利益を放棄するためには,債権自体の発生が前提とされるところ,原判決は,将来の賃料債権がいつ発生するかという重要な論点についてまともに検討を加えないまま,「弁済期が到来していない債権を受働債権とする相殺については,期限の利益を放棄すれば相殺することができる。」と断定し,判断を加えている点に大きな誤りがある。

(2)  本件相殺通知の効力

ア 将来の賃料債権を受働債権とする相殺の可否

将来の賃料債権は,相殺の意思表示時点においては発生していないとしても,受働債権として相殺に供することができるが,その場合,期限未到来の貸金債権と同様に,期限の利益を放棄して,相殺に供することが必要かどうかが一応問題となる。この点につき,原判決は,本件相殺通知が「期限の利益を放棄していない」として,これを期限付き相殺の意思表示であることの根拠としている。

しかし,将来の賃料債権は,各支払日毎に発生するものの,相殺の意思表示の時点においては発生していないという特徴があるから,将来の賃料債権については,相殺の意思表示時点において,期限の利益を放棄し,相殺により債権を消滅させることはできないと考える。

そうすると,未発生の債権(将来の賃料債権)について「期限の利益の放棄」なる概念はそもそも生じ得ないから,期限の利益を放棄しなかったことは,期限付き相殺の意思表示の問題とは関連がないというべきであるし,将来の賃料債権を受働債権とする相殺の意思表示においては,実際に対当額において自働債権が消滅するのは,将来の賃料債権(受働債権)が発生したその時点であり,相殺の意思表示をした時点ではないのである。

イ 債権届出書,充当通知書等の記載について

原判決は,債権届出書に「相殺予定」の文言が記載されているほか,遅延損害金の発生を前提にした記載があることや,控訴人が,平成16年7月27日付けでBらに対して行った充当通知(以下「本件充当通知」という。丁10)中に相殺未了分として本件貸金債権の残元本7億4403万1210円の記載があることを指摘し,期限・条件付きの意思表示であると根拠づけをしている。

しかし,上記のとおり,相殺の効力として債権が消滅するためには,各支払日の到来が必要不可欠であり,そのために債権届出書の提出時点においては,未だ支払日が到来していない分について,消滅していなかったので,相殺「予定」と記載したにすぎないし,また同様に,順次,発生し,消滅した賃料債権の元本から控除した結果,本件充当通知発送時点においても残元本7億4403万1210円の記載があったにすぎない。このため,原判決が期限・条件付きの意思表示であると根拠づけた「相殺予定」の文言や債権届出書の残元本の記載は,本来ならば何ら期限・条件付きの意思表示の根拠となるものではない。

ウ 将来の賃料債権を受働債権とする相殺の意思表示の方法

本件相殺通知(乙7の1)の文言を一般人の観点から判断した場合,誰であっても,賃料が発生する限り,当該賃料と貸金とを対当額で相殺する内容であることが明らかである。ところが,原判決は,被告が行った意思表示を各支払日が到来することを条件とする相殺の意思表示であると理解し,本件相殺通知を民法506条1項ただし書が禁止する期限・条件付きの意思表示であると解釈しているが,表意者の真意を曲解して期限・条件付きの意思表示であると判断することは極めて不合理な解釈である。

なお,将来の賃料債権を受働債権とする相殺の場合に,期限の利益の放棄なる概念は生じないものであるが,仮に原判決が考えているように「期限の利益の放棄」なる概念が生じ得ても,期限の利益の放棄の文言一つを記載しないことを理由に将来の賃料債権を受働債権とする相殺を無効とすることは,意思表示の解釈として妥当ではなく,債務者が,弁済期の来ない債務について相殺の意思を表示するときは,そのときに期限の利益を放棄して清算する意思をも表示したものと解すべきである。

エ なお,本件相殺通知による相殺は,Bらによる民事再生手続開始決定後も効力を有するところ,改正前民事再生法92条2項及び旧破産法103条1項後段は,本件のように敷金とは別に債権を有する債権者が将来の賃料債権を受働債権とする場面を想定した条文である。そして,相殺の限度額は,賃借人が債務者に対して敷金返還請求権とは別の債権を有する場合に,同債権を自働債権として差し入れ敷金相当額に充つるまでであり,それ故,控訴人は,原審や民事再生手続において,敷金相当額までの相殺を主張し,それ以後については実際に賃料を支払っているのである。

したがって,将来の賃料債権3億1522万5767円分については既に相殺により消滅しており,控訴人は当該金額については支払義務を負わない。

第4当裁判所の判断

1  当裁判所も,原判決と同様,被控訴人Eの請求はすべて理由があり,その余の被控訴人らの請求も,原判決が認容した限度でいずれも理由があると判断するものである。

その理由は,以下のとおり当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほか,原判決「事実及び理由」欄第3「判断」の1ないし4(原判決10頁10行目から15頁12行目まで)に説示するとおりであるから,これを引用する。

2  当審における控訴人の主張について

(1)  原判決の問題点について

まず,控訴人は,民法506条1項ただし書の期限を付した場合に当たるとして本件相殺通知を無効とした原判決を,条件付き又は期限付き債権について相殺できるかという問題(民法505条1項の解釈)と同法506条1項ただし書の解釈の問題とを混同しているほか,将来の賃料債権についての解釈の誤りがある旨批判する。

しかし,控訴人作成の本件相殺通知(乙7の1),本件債権届出書(丁8,9)及び本件充当通知(丁10)によれば,本件相殺通知は,既に支払期が到来しているBらの控訴人に対する本件賃料債権(受働債権)と,控訴人のBらに対する本件貸金債権(自働債権)とを平成15年12月26日をもって相殺するが,同日以降に発生する本件賃料債務については,控訴人において,期限の利益を放棄せず,その支払日である毎月末日が到来する都度,順次,本件貸金債権と相殺することとし,相殺の効力の発生を,今後到来することが確実な各支払日の到来という将来の事実に係らせたものであって,これが相殺の意思表示に期限を付したものとして,民法506条1項ただし書により無効と解すべきことは,原判決の認定・説示するとおりである。

なお,本件相殺通知について,控訴人は,将来の賃料債権は期限付き債権ではないから,相殺の利益の放棄の概念はそもそも生じ得ないとし,誰であっても,賃料が発生する限り,当該賃料と貸金とを対当額で相殺する内容であることが明らかである旨主張するが,この主張を前提にすると,控訴人は,本件賃貸借契約が中途で終了するか否か,あるいは賃料額の増減があるか否かにかかわらず,本件賃貸借契約が継続して本件賃料と同額の賃料債務が発生することを条件として相殺の意思表示したものと解されるから,同主張もまた,相殺の意思表示に条件を付したものとして,前同様,民法506条1項ただし書により無効になるといわなければならない。

したがって,控訴人の上記主張も理由がない。

(2)  本件相殺通知の効力について

ア 将来の賃料債権を受働債権とする相殺について

(ア) 控訴人は,未発生の賃料債権について「期限の利益の放棄」なる概念はそもそも生じ得ないとした上,原判決が,本件相殺通知が「期限の利益を放棄していない」として,期限付き相殺の意思表示と判断したことを論難する。

しかし,賃料は目的物の使用収益の対価ではあるが,その前払も可能であることを考慮すると,目的物の使用と賃料の発生の先後関係は論理必然的なものではなく,賃借人が賃料の支払期限の利益を放棄することも可能というべきである。

ところが,控訴人は,原判決の説示するとおり,本件相殺通知により,平成15年12月26日以降の将来の賃料債務について,期限の利益を放棄することなく,その支払日である毎月末日が到来する都度,順次,その時点で相殺していくという意思を明確に表明したものであるから,本件相殺通知の当時,控訴人の自働債権(本件貸金債権)と受働債権(将来の本件賃料債権)とは相殺適状の関係になかったことが明らかである。

このことは,控訴人が,当審において,「実際に対当額において自働債権が消滅するのは,将来の賃料債権(受働債権)が発生したその時点であり,相殺の意思表示をした時点ではない」旨を明言していることからも首肯することができる。

したがって,控訴人による本件貸金債権と将来発生する本件賃料債権との相殺は無効である。

(イ) 仮に,将来発生する本件賃料債権を停止条件付き債権であると位置づけた場合において,控訴人が,本件貸金債権を自働債権とし,本件賃料債権を受働債権として相殺するためには,本件不動産の使用収益が不可能(停止条件の不成就)であっても,その不成就による利益(賃料支払債務の不発生)を放棄する旨の意思表示を行う必要があるところ,当該意思表示は,通常,相殺の意思表示中に黙示的に主張されていると解されるが,本件相殺通知及び本件債権届出書によると,控訴人は,Bらの控訴人に対する賃料債権が将来も発生することを前提として,当該賃料と本件貸金債権とを対当額で相殺する予定である旨を明記していることが認められ,同事実に照らすと,控訴人は,将来の賃料債権について,停止条件不成就の利益を放棄する意思がなかったことが明らかである。

控訴人は,当審において,本件相殺通知の文言について,「賃料が発生する限り,当該賃料と貸金とを対当額で相殺する内容である」旨自認しているが(同主張(2)ウ),これは停止条件不成就の利益を放棄していないことを前提とする主張であることが明らかである。

そうすると,本件相殺通知の当時,控訴人の自働債権(本件貸金債権)と受働債権(将来の本件賃料債権)とは,相殺適状になかったというべきであるから,その相殺は,この点からも無効というほかない。

(ウ) なお,控訴人は,前記のとおり,上記自働債権が消滅するのは,本件相殺通知の時点ではなく,将来の受働債権が発生したその時点である旨主張するが,同主張は,将来の賃料債権を受働債権とする相殺は,相殺の意思表示の時点で,相殺適状の余地がないことを自認するものである(仮に,相殺の意思表示が本件相殺通知によって包括的にされ,その相殺の効力は各月における賃料支払時に発生するとの構成をとっても同様である。)上,同主張にかかる相殺は,まさに相殺の意思表示に期限を付した場合に当たり,相殺の意思表示自体が無効と解すべきことは前記説示のとおりである。

イ 以上のとおり,本件相殺通知は,期限付き又は条件付きの意思表示として民法506条1項ただし書により無効であるばかりでなく,仮に,将来の賃料債権が期限付き債権であるというならば,期限の利益を放棄しなければ相殺適状にはならず,また,控訴人の主張するように,将来の賃料債権が条件付き債権であるというならば,条件不成就の利益を放棄しなければ,これまた相殺適状にはならないのであって,いずれの点からも,控訴人の主張は理由がないことになる。

当審提出の乙第24号証(控訴人提出のH大学法科大学院教授Iの意見書)も上記判断を左右するものではない。

なお,本件債権届出書及び本件充当通知の記載に関する控訴人の主張がいずれも採用できないことは,原判決の前記説示のとおりである。

また,控訴人は,改正前民事再生法92条2項及び旧破産法103条1項後段に基づき,将来の賃料債権のうち,敷金相当額に充つるまでの3億1522万5767円が相殺で消滅した旨の主張をするが,そもそも前提となる本件相殺通知による相殺が認められず,同相殺の効力が発生するに由ないことは既に述べたとおりであり,また,控訴人において,上記民事再生法に基づく所定の期間内に,あらためて相殺の意思表示をしたとの主張・立証もないから,この点に関する控訴人の主張も採用することができない。

3  以上によると,控訴人の相殺の抗弁をいずれも排斥した原判決は相当であって,被控訴人らに対する本件控訴は,いずれも理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大和陽一郎 裁判官 菊池徹 裁判官 市村弘)

(別紙省略)

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