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大阪高等裁判所 平成18年(ネ)472号 判決 2007年4月26日

控訴人

A野花子(以下「控訴人花子」という。)

他2名

上記三名訴訟代理人弁護士

藤掛伸之

被控訴人

エイアイユーインシュアランスカンパニー

(エイアイユー保険会社)

日本における代表者

寺田耕治

同訴訟代理人弁護士

山崎優

三好邦幸

川下清

河村利行

加藤清和

決田篤志

伴城宏

池垣彰彦

塩田勲

今田晋一

藤本尊載

坂本勝也

梁沙織

堀江重尊

小林悠紀

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人A野花子に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する平成一六年六月三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人は、控訴人A野一郎に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成一六年六月三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

四  被控訴人は、控訴人A野二郎に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成一六年六月三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

五  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

六  この判決の二項ないし四項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一  控訴人ら

主文同旨

二  被控訴人

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二事案の概要

一  事案の概要

(1)  本件は、亡A野太郎(以下「太郎」という。)の相続人である控訴人らが、被控訴人に対し、太郎が加入していた普通傷害保険契約に基づき、死亡保険金として、法定相続分の割合により控訴人花子は二〇〇〇万円、控訴人一郎及び控訴人二郎は各一〇〇〇万円、並びに、これらに対する保険金請求後の日である平成一六年六月三日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。(以下、上記普通傷害保険契約を「本件保険契約」という。)

(2)  本件の主な争点は、太郎が入浴中に浴槽内で死亡したことが、本件保険契約に係る傷害保険普通保険約款一条①が保険金を支払う場合として規定している「被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によって」死亡したときにあたるかどうかである(以下、上記の太郎の死亡事故を「本件事故」、上記約款の定めを「本件約款」といい、上記括弧内の要件を「外来性」ともいう。)。

控訴人らは、①太郎には入浴中の意識喪失を来すような既存疾患はなく、入浴による温度変化という外来性の要因が循環動態に影響し、血管拡張に伴う血圧低下や熱中症などによる意識障害が原因となって溺死した、②熱中症にも急激性、外来性があり、熱中症だけが保険事故の対象とならないとはいえない、③高齢であっても健康状態に異常のなかった太郎の本件死亡事故は保険事故にあたるなどと主張した。

これに対し、被控訴人は、①高齢者の入浴中の溺死は、特段の外傷等がない限り、虚血性心疾患あるいは脳血管系疾患に基づくものと推測するのが法医学上の常識である、②熱中症は急激性、外来性の要件を欠き保険事故にあたらない、③入浴という日常生活で通常経験するような環境の変化による高齢者の入浴中の事故までを保険事故とすることは、傷害保険が予定するリスクからかけ離れた結果となるなどと主張した。

(3)  原審は、次のような理由などにより、太郎の死因についての外来性の要件の立証があるとはいえないと判断し、控訴人らの請求をいずれも棄却した。

ア 外来の事故とは、事故の原因が専ら被保険者の身体の外部にあることを意味すると解するのが相当であり、保険金請求者である控訴人らは、この要件を立証しなければならない。

イ 入浴中の温度変化によって意識消失が生じたとしても、溺水を吸引して呼吸困難が生じた場合には意識を取り戻し防御姿勢をとれるのが一般的であり、それでも意識消失のまま浴槽内で溺死したとすれば、意識消失を誘引する内因的な疾患が存在すると推定される。したがって、高齢者の入浴中の死亡は、外傷等の外来性の要件を充たす特段の事情が立証された場合においてはじめて保険金請求が認められる。

ウ 高齢者の入浴中の死因について、その主たる原因が熱中症であるとまでは言い難く、太郎が熱中症による意識消失が要因となって溺死したとは認められない。

エ 太郎の死体検案書に直接の死因として溺死とのみ記載されているからといって、直ちに外来性の要件を認める根拠となるものではない。また、溺死肺の所見は、意識消失が先行していることを示すが、意識消失の原因まで明確にするものでなく、外来性の要件を満たすものではない。

オ 太郎について、解剖所見上は意識を消失するような脳梗塞や心筋梗塞等の疾患が確認できなくても、虚血性心疾患や脳貧血が生じていなかったとはいえないから、外因死であると直ちにはいえない。

(4)  そこで、控訴人らは、原判決の上記判断を不服として控訴した。

二  争いのない事実等、争点及び争点に対する当事者の主張は、次項のとおり当審における当事者双方の補充主張を加えるほかは、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争いのない事実等」及び「三 争点」並びに「第三 争点に関する当事者の主張」に摘示されているとおりであるから、以下に適宜補正の上これらを引用する。

『二 争いのない事実等

(1)  当事者等

控訴人花子は太郎の配偶者であり、その余の控訴人らは、太郎の子であり、太郎の法定相続人は控訴人ら三名である。

被控訴人は、生命保険業務等を業とする株式会社である。

(2)  本件保険契約の締結

平成一四年六月一三日、太郎は被控訴人との間で以下の内容の本件保険契約を締結した。

ア 保険契約者 太郎

イ 被保険者 太郎

ウ 保険の種類 普通傷害保険

エ 死亡保険金受取人 法定相続人(二名以上ある時は法定相続分の割合による。)

オ 死亡保険金 急激かつ偶然な外来の事故により死亡した場合には死亡保険金として四〇〇〇万円を支払う。

カ 保険期間 平成一四年六月一三日午後四時から平成一五年六月一三日午後四時までの一年間

(3)  太郎の死亡

生成一五年三月二九日午後八時三〇分ころ、太郎は、神戸市須磨区《番地省略》の自宅浴室内において、入浴中に浴槽内で死亡した。

(4)  控訴人らの被控訴人に対する保険金の請求

控訴人らは、被控訴人に対し、平成一六年六月三日までに本件保険契約に基づく死亡保険金を支払うよう求めたが、被控訴人は支払を拒絶した。』

『三 争点

太郎の死亡が、本件保険契約における「急激かつ偶然な外来の事故」による死亡に該当するか否か。』

『第三 争点に関する当事者の主張

一  控訴人らの主張

(1)  太郎の死因について

太郎は、入浴中に溺死したものであり、浴槽内で溺死する場合、意識消失が先行した可能性が高いと思われるが、太郎には意識消失を来すような脳梗塞及び心筋梗塞等の既存疾患はなく、入浴による温度環境の変化が循環動態に影響を及ぼし、血管拡張に伴う血圧低下や熱中症などによる意識障害が原因となって溺死した。

(2)  温度環境変化が身体に及ぼす影響について

浴槽内での死亡は、冬期に高齢者に多く発生し、温暖な沖縄や暖房設備の発達した北海道での発生が少ないこと及び日本での発生が多く、欧米でまれであることなど種々の事実が近時明らかになり、入浴による温度環境の変化が循環器系に大きな影響を及ぼしていることが示唆されるようになった。

入浴直後の熱中症(血管収縮とそれに引き続く血管拡張に基づく低血圧と高温の湯に長時間暴露することによる高体温)によって意識障害が発生し、このことが溺死の要因となっている。

(3)  内因性の疾患との関係

解剖によって明らかに病的所見がなく、溺水所見(水性肺水腫、肺気腫、蝶形骨洞内貯留液等)が認められた場合には、入浴による温度変化という外因による溺死と考えられる。

本件においては、太郎には本件事故死につながるような既往症はなく、解剖時においても、脳底部の動脈硬化は軽度で割面に出血や脳軟化巣を認めず、したがって、意識消失を来すような脳梗塞、心筋梗塞等の既存疾患の証拠は認められない反面、著明な肺水腫と間質性肺気腫を伴った溺死肺の所見が認められる。

(4)  外来性について

本件事故当時、太郎には意識消失を招来するような疾病がなかったにもかかわらず、脱衣後、入浴することによる温度環境の変化という外来性の要因が太郎の意識消失を発生させ溺死に至らせたのであり、したがって、本件事故は急激かつ偶然な外来の事故である。このことは、死体検案書(甲三)に不慮の外因死(溺水)と記載されていることからもうかがえる。

(5)  被控訴人の主張に対する反論

ア 被控訴人は、高齢者の入浴中の溺水について、特段の外傷等がない限り、虚血性心疾患あるいは脳血管系疾患に基づくものと推測するのが法医学上の常識であると主張する。

しかし、本件事故直後に行われた死体の検案において、太郎には脳底部の動脈硬化は軽度で割面に出血や脳軟化巣を認めず、したがって、意識消失を来すような脳梗塞、心筋梗塞等の既存疾患の証拠は認められないこと、著明な肺水腫と間質性肺気腫を伴った溺死肺の解剖所見が認められること、死体検案書に不慮の外因死(溺水)と記載されていることから内因的疾患(虚血性心疾患や脳血管系疾患)に基づいて意識消失が生じたものではない。

イ 被控訴人は、従前から、保険約款上の解釈として、熱中症は、急激性、外来性の要件を欠き、保険事故には当たらないと主張する。

しかし、急激かつ外来による日射または熱射によって身体に傷害を負った場合については、保険事故に該当する旨、熱中症危険担保特約には記載されており、熱中症についても、急激性、外来性があることを前提としている。また、熱中症だけが保険事故の対象とならないということは、本件保険契約の約款やパンフレットにも書かれておらず、本件保険契約の際にも、被控訴人からそのような説明を受けたことはない。

ウ 被控訴人は、入浴という日常生活で通常経験する環境の変化による事故まで保険事故としたのでは、傷害保険の予定するリスクからかけ離れた結果となると主張する。

しかし、本件事故は、高齢であっても全く健康状態に異常のなかった太郎が、通常の入浴によって突発的に身体の異常を来して溺死するという極めて希なケースであって、これは、正に本件保険契約に関するパンフレットに記載されている「予期せぬ事故」であって、保険事故に該当するものである。

二  被控訴人の主張

(1)  太郎の死因について

ア 一般論

健常な人が入浴中に溺れることはほとんど考えられないことから、入浴中の溺死では、ほとんどのケースで意識障害、意識消失が先行している。すなわち、先行する意識障害がないとすると、顔面を水中に没したとしても、本能的な自力救命作業が発動され、窒息死という結末に到達することは考えられないからである。この意識障害、意識消失の原因としては、狭心症、心筋梗塞などの虚血性心疾患、脳出血、クモ膜下出血などの脳血管系疾患などが考えられる。

したがって、何ら外傷を伴わない入浴中の溺死は、虚血性心疾患もしくは脳血管系の疾患等、内因性の疾患に基づくものと推定される(平成八年から平成一二年までの東京都二三区内の入浴中の急死例の調査によると、内因性が八四・三%であり、外因死が一四・七%とされている。)。

ところで、外来性については、保険金請求者側(控訴人ら)に立証責任がある(最判平成一三年四月二〇日民集五五巻三号六八二頁)から、保険金請求者側(控訴人ら)において、溺死者の身体に外傷の痕跡があるなどの内因性の疾患によって死亡したものでないことをうかがわせる特段の事情を立証すべきである。

イ 本件について

本件においては、太郎には外傷はなく、その他内因性の疾患に基づくものでないことをうかがわせる特段の事情はないから、太郎は上記内因性の疾患によって死亡したものである。

(2)  内因性の疾患の存在

解剖時において、太郎には、意識消失を来すような脳梗塞、心筋梗塞等の疾患の存在を示す所見はなかったが、これらの内因性の疾患については、解剖所見上、必ずしも明らかになるとは限らないから、内因性の疾患についての明確な所見がなかったとしても、そのことをもって、その疾患の存在を否定する根拠とはならない。

(3)  結論

本件については、太郎は、内因性の疾患によって意識消失が生じ、そのことが原因となって溺死したものであるから、本件事故は、外来性の要件を充足しない。

(4)  控訴人らの主張に対する反論

ア 控訴人らは、入浴中の溺死は、外的な環境の変化に起因する熱中症に基づく外因死であると、主張するが、入浴中の意識消失の原因を一概に熱中症という外的要因に集約させることには問題がある。高齢者の入浴中の急死例のうち、原死因が溺死と診断された場合でも、解剖所見上高度の脳動脈硬化が見られることが多く、これ自体が直ちに致命的な病態とはいえないまでも、一過性脳虚血発作に代表される病的失神発作を起こしている可能性は高いと推測されるからである。

イ 入浴による温度変化、静水圧の負荷を外的な環境変化と促えることについては、入浴が日常生活上、誰もが一般に経験することであり、一般人であれば身体傷害を引き起こすようなものではなく、入浴による温度変化を外的な環境変化と促えることには無理があるし、仮にこれを外的な環境の変化と促えると、内因性の疾患であることが明確な心筋梗塞の所見がある場合でも、死亡の原因となったのは、入浴による外的な環境の変化、つまり、外因死ということになり、不合理な結論となる。

ウ 傷害保険は、いわゆる社会生活上予期しない生命、身体の傷害をリスクと促えたものであり、死という結果が発生する過程において異常性や非日常性が必要であり、日常生活で通常経験する程度の環境の変化までこれに含めると高齢者の急性死の場合には、何らかの外部的なきっかけを見つけることができるので、およそ急性死は、外因死ということになり、傷害保険が本来予測しているリスクとはかけ離れてしまうことになる。』

三  当審における当事者の補充主張

(1)  控訴人ら

ア 保険金請求者は、事故の外来性の要件の存在を立証すべきであっても、事故に内因的な原因がないことまで立証しなければならないものではない。被保険者の死亡に至る経緯、死亡状況などから、被保険者が主として外来的要因によって死亡したことを証明すれば足り、これを左右するに足る事情がなければ保険金請求は認められるべきである。

本件のような溺死の場合、直接的には身体の外にある水が気道内に入って死亡に至るのであり、意識障害で伏せった場所が浴槽内でなければ死亡しなかった場合には死因について外来的要因があることが否定できない。被控訴人側の調査によっても、太郎には本件事故による死亡につながるような既往症は認められず、本件事故直後に太郎の行政解剖を実施した兵庫県健康生活部医療課監察医長﨑靖(以下「長﨑医師」という。)の解剖所見でも、太郎には意識障害を来すような脳梗塞、心筋梗塞等の既存疾患が存在したとは認められず、溺死肺の所見のみが認められたのである。

したがって、太郎は不慮の外因死であると判断すべきである。

イ アルコールが原因の循環器性疾患であるアルコール心筋症は、拡張型心筋症の形態をとり、飲酒習慣がなくなると改善するものである。太郎にはアルコール心筋症の特徴は認められていない。

(2)  被控訴人

ア 入浴中の高齢者の急死例のうち、死亡の原因が溺死であると判断された場合でも、解剖所見上、高度の脳動脈硬化が見られることが多く、一過性脳虚血発作に代表される病的失神発作を起こしている可能性が高い。また、心筋梗塞や脳梗塞等は、発症後相当時間を経過しなければ異状所見が認められないから、解剖所見上、異状がないからといって、内因性の疾患がなかったとはいえないし、同様に、目視上異状所見がなくても、医学上、脳・心臓疾患を否定することは困難である。

イ 浴槽内の溺死の大半は脳・心臓疾患に基づくものであるから、浴槽内の溺死であることにより主として外来的要因に基づき死亡したと推定することは不合理である。仮に、保険金請求者は主として外来的な要因によって被保険者が死亡したことを証明すれば足りるとしても、浴槽内の溺死の圧倒的多数は脳・心臓疾患に基づくものであるから、これについて外因死であるという推定を働かせるには無理がある。また、そのような推定は、事実上、立証責任を転換させることになり不合理である。

ウ 入浴中の溺死は、何らかの意識障害が先行しており、その意識障害の通常の因果の流れとして溺水を吸引しているに過ぎないから、死亡の主たる原因は意識障害の原因である。意識障害の原因について外来性(転倒、熱傷など)の要件を満たさない限り、傷害保険の保険金請求は認められないと解すべきである。入浴中の温度環境の変化により、低血圧、高体温となり一過性の意識消失により溺没したとしても、日常、誰しも経験するような環境の変化は、身体の外部からの作用であるとは認められず、普通傷害保険約款にいう「外来の事故」にはあたらない。

エ 入浴中の溺死事故は年間一万件以上も発生しており、高齢者の占める割合が特に高い。もしこれが原則として外来の事故と扱われることになると、保険料の算定にも大きく影響する。現在は、傷害保険は年齢にかかわらず一定の保険料が定められているが、入浴中の溺死を保険事故とするならば、高齢者については傷害保険の引き受けができないか、あるいは保険料が著しく高く設定されることになりかねない。かかる結論は明らかに不当である。

オ アルコール依存症の患者は、心臓が萎縮して冠状動脈の蛇行が出現し、また、冠状動脈壁に生じる強度の水腫、浮腫が心筋に酸素と栄養を供給するのを阻害して心筋にダメージを与えており、アルコール性虚血性心不全を発症しやすい状態にある。太郎にはアルコール依存症の既往歴があり、その心重量は三〇八gと萎縮し冠状動脈に蛇行が認められており、まさにアルコール依存症により心筋に病理組織学的変化があったことが裏付けられている。そうすると、太郎は、心筋にこのような病理組織学的変化により心不全を発症する危険性があつたところ、入浴をきっかけとしてアルコール性虚血性心不全を発症して溺死した、すなわち、その死因は内因死であると考えるのが自然である。

第三当裁判所の判断

一  判断の大要

普通傷害保険契約の死亡保険金請求についての外来性の要件の立証責任は、保険金請求者である控訴人らにある。本件太郎の死亡は、入浴中に意識障害を起こして浴槽内で溺死するに至ったものと推認されるが、意識障害が内因的な疾患によって誘引されたものとは認められず、入浴中の温度環境の変化等に由来する熱中症ないしは起立性の脳虚血により一過的な意識障害を生じたため、たまたま入浴中の浴槽内で風呂湯を大量に気道内に吸引して溺死するに至ったものと推認される。したがって、太郎は、急激かつ偶然な外来の事故によって死亡したものと認められ、控訴人らの本件保険契約に基づく死亡保険金請求は理由がある。その理由の詳細は以下のとおりである。

二  外来性の要件の立証責任について

本件保険契約は、本件約款に従うこととされている(甲一、二)。そして、本件約款第一条①は、被保険者が急激かつ偶然な外来の事故(保険事故)によってその身体に被った傷害に対して、同約款に従い死亡保険金等の保険金を支払う旨を定めている。また、同約款第五条①は、被保険者が上記第一条の傷害を被り、その直接の結果として、事故の日からその日を含めて一八〇日以内に死亡したときに死亡保険金を支払う旨を定めている。

そして、上記の急激かつ偶然な外来の事故であること(「外来性」の要件)は、傷害保険における保険金請求権の成立要件であるから、保険金請求者がこれを主張立証すべき責任を負うと解するのが相当である。

ところで、ここにいう外来の事故とは、保険事故が発生した原因が被保険者の身体の外部にあることを意味し、保険事故の発生が被保険者の身体の内部的要因である疾病等に基づく場合は除外されると解するのが相当である。

したがって、控訴人らは、本件保険契約に基づいて太郎の死亡保険金を請求するためには、太郎の死亡の原因が疾病等の内部的な要因によらず、同人の身体の外部にあることを主張立証しなければならない。

三  太郎の死亡の原因について

前掲の争いがない事実及び《証拠省略》によると、以下のとおり認定・判断することができる。

(1)  死亡の経緯など

太郎(当時七三歳)は、平成一五年三月二九日午後八時三〇分頃、自宅浴室内において、入浴中に浴槽内で溺水を気道内に大量に吸引して溺死した。その経緯は次のとおりである。

ア 太郎は、若いころから大工として稼働してきたが、平成一三年ころ引退し、年金と家賃収入で生活してきた。事故当日の昼間、太郎は、神戸市須磨区内の友人宅に遊びに行き、午後三時三〇分ころ帰宅し、帰宅後はテレビを見るなどしていた。太郎の妻控訴人花子は、同日午後七時三〇分ころ帰宅し、夕食を用意したが、太郎は風呂に先に入るといって午後八時ころ自宅一階の風呂場に向かった。

イ 自宅の風呂は、縦一〇三cm、横六〇cm、深さ八〇cmの半埋め込み式のステンレス浴槽で、手摺りなどは特に設けられていない。太郎は普段お湯を浴槽内にほぼ満杯に張り、四一度に温度設定して入浴しており、当日も同様であった。当日、太郎は飲酒していなかった。太郎は普段は三〇分程度で上がってくるのに、遅いため、午後八時四〇分ころ、控訴人花子が風呂場に行ったところ、浴槽内で顔を湯につけて俯せに浮かんでいる太郎を発見した。

ウ 控訴人花子は、控訴人一郎と共に太郎を浴槽から引き上げ、控訴人一郎が人工呼吸と心マッサージを試みたが、大量のお湯を吸引しており、胸や腹部でチャポチャポと水の音がしていた。午後八時五三分に救急車が到着し、神戸大学病院に搬送したが、太郎は既に死亡していた。

(2)  死体検案書の記載等

太郎については、兵庫県県民生活部医療課所属の監察医長﨑靖医師(長﨑医師)により死体検案及び解剖がなされた。死体検案書の死亡日時は、平成一五年三月二九日午後八時三〇分(推定)と記載され、死亡の原因欄には(ア)直接死因として溺死、発症から死亡までは短時間と記載され、(イ)(ア)の原因欄及び(ウ)(イ)の原因欄は抹消され記載がない。解剖の主要所見として、「著明な肺水腫と間質性肺気腫を伴ったいわゆる溺死肺の所見、気道内に細小泡末を認める。」と記載され、死因の種類は外因死(4溺水)とされている(甲三)。

(3)  解剖所見

ア 肺左六八二g、右七八六g、胸膜腔貯留液左七〇ml、右六〇ml。肺は著しく膨隆し、左右肺前縁は前縦隔にて接着。著名な肺水腫を伴う。溺死肺の所見であり、気道内に細小泡末を認める。

イ 心臓は三〇八g、心筋に出血や繊維化を認めない。心内膜に瘢痕無し。心臓摘出後心膜に貯留する血液は二四〇ml。心外膜下脂肪織の発育は常。心外膜下溢血点無し。心筋の色調は常。心筋の厚さ、左心室〇・八cm、右心室〇・三cm、心室中隔〇・八cm。大動脈弁に肥厚・瘢痕を認めない。僧帽弁に肥厚・瘢痕を認めない。腔の大きさは各心室とも常。冠状動脈は蛇行を認めるが、硬化や狭窄は軽度(左前下降枝:硬化軽度、狭窄無し。左回旋枝:硬化軽度、狭窄軽度、左冠状動脈:硬化軽度、狭窄軽度)。心内膜に瘢痕無し。

ウ 脳は一三九〇g。脳底部の動脈硬化は軽度。割面に出血や明らかな軟化巣を認めない。蝶形骨洞内には淡赤褐色液〇・五ml貯留。

エ 意識消失を来すような脳梗塞、心筋梗塞等の既存疾患は認められない。高血圧性の心肥大は認めない。動脈硬化は年齢相応と考えられる。心臓摘出後心膜に貯留する血液、すなわち下大静脈切断時並びに肺動脈及び大動脈切断時に流出する血液の合計は二四〇mlで比較的少量であり、心不全の所見は無い。また、拡張性心筋症の所見もない。なお、太郎に転倒等をうかがわせる外傷はない。飲酒に由来するエタノールは不検出。

(4)  太郎の健康状態、既往症等について

太郎は、体重五〇ないし六〇kg、身長一七〇cmで、高齢ではあったが日頃から全く健康であり、高血圧、心臓病、糖尿病、高脂血症等の持病及び既往症はなかった。この点は損害保険リサーチの詳細な調査結果(乙一)によっても裏付けられており、血圧はずっと正常で、コレステロール、中性脂肪値も正常で動脈硬化は考えにくいとされている。ただ、太郎は、痛風のため左手首、左肩に痛みを訴えており、動きにくかったが、衣服着脱等の日常生活動作に支障はなかった。

太郎は、以前は長年来の大酒のみでアルコール依存症により平成一〇年一〇月から平成一一年七月まで断酒目的で入院したことがある。しかし、肝機能は断酒するだけで正常に戻っており、退院後は断酒していて、特段の治療はしていない。解剖所見でも肝臓に異常は認められておらず、アルコール性心筋症の特徴も認められていない。もとより、本件事故当日も飲酒していない。

(5)  死亡原因についての検討

ア 被控訴人は、本件事故のような外傷を伴わない入浴中の溺死は、内因性の疾患に基づくものと推定され、太郎が内因性の疾患によって死亡したのではないことをうかがわせる特段の事情はないから、太郎は内因性の原因により死亡したと推認すべきであるなどと主張している。

そして、上記主張に沿う証拠として、①入浴中の温度変化による意識消失のために溺水を気道に吸引して呼吸困難が生じても、意識を取り戻して防御姿勢を取ることができるのが一般的であるから、それにもかかわらず意識を消失したまま溺死した場合には、意識消失を誘因する内因的な疾患が存在すると推定される(乙二、六、七)、②平成五年から平成九年までの東京都監察医務院、大阪府監察医事務所及び兵庫県監察医の三機関が取り扱った浴室内の死亡事故二七三六件について、八〇%は六五歳以上の高齢者であり、その死亡原因の八三%が病気発作による死亡(内因死)であった(乙三)、③平成六年における東京都監察医務院の高齢者(六五歳以上)の入浴中の死亡原因の八六%が内因死であった(甲九の資料中の「法医学の面から」)などの文献が提出され、当審においても同様の文献(乙一一ないし一九。平成元年から平成一〇年に発表された論文又は文献である。)が提出されている。確かに、これらの統計資料によると、浴室内の死亡事故の八割以上が病気発作による病死であることが認められる。そして、さらに、平成八年から平成一二年の五年間に東京都二三区内で発生し、東京都監察医務院において検案や解剖が行われた入浴中の急死例三七六〇例をみても、三一七〇例八四・三%が内因死、残りの五五一例一四・七%が外因死であると診断されている。もっとも、このうち検案のみの場合は内因死が九一・七%、外因死が七・八%で、解剖がされた場合は、内因死は五四三例六〇・七%で、外因死は三一三例三五・〇%で、外因死のうち溺死は二六六例二九・八%であったとされている。また、個々の医師の間でも虚血性心疾患を七〇%以上の割合で採用している者がある一方、約半数を溺死と診断している者もあり、診断率には個々の監察医によって相当大きな個人差が認められる(以上、甲九添付資料三「入浴中急死例における死因決定の現状と問題点」。平成一四年発表の論文。)。そうすると、確かに、入浴中の急死例の多くが病気発作を原因とする内因性の疾患による死亡であることが明らかである。しかし、それは、高齢者においては、自覚や症状があるか否かは別として動脈硬化や高血圧症、その他の心臓疾患などの入浴中の脳血管障害や虚血性心疾患等の原因となる疾患を抱えていることが多いことの当然の結果である。生前の健康診断の結果や死後の解剖等によって、それらの原因疾患の存在が明らかでなかった者を母集団として、死亡原因を分析した統計や分類ではないのである(そのような統計はない。仮に解剖により既存の疾患が明らかでないとされた事例を母集団とすれば、内因死と判定される割合は遙かに少なくなると考えられる。前記の検案だけの事例群と解剖までされた事例群の間の数値の差にも、母集団の違いによる差異の一端がうかがわれる。)。したがって、病歴調査及び解剖などによって入浴中の意識障害等の原因となりうる種々の既存疾患の存在が明らかでないとされた事例について、上記のような一般的な統計資料上の数値を当てはめて、その死亡原因が内因的なものであるなどと推認することは論理的に明らかな誤りであるし、同様に、同事例に関して内因性の疾患によらないで死亡したものではないことをうかがわせる外傷の痕跡など特段の事情の立証がない限り外因性を認めないなどとすることも相当でない。太郎は、前記のとおり、生前の健康状態や病歴調査等からしても、解剖所見によっても、入浴中の意識障害の原因となるような既存の疾患を有していなかったと認められるのであるから、上記一般的な統計結果などとは別に、その死亡原因について更に個別的具体的な検討を要するというべきである。

イ ところで、入浴中の身体に対する影響としては、①入浴中の温熱効果により末梢血管が拡張するが、浴槽内の静水圧により静脈やリンパ管は圧迫されており血圧は保たれているものの、立ち上がると急激に静水圧が解除され、心臓への静脈環流が減少して心拍出量が減少するために失神やめまいを起こす可能性が生ずる(湯船の形状や湯量により影響も異なる。)、②温熱効果により末梢血管が拡張し、脳、心臓、消化器等の内臓等から末梢血管へと血流が再分布し、健常人であれば循環機能を亢進させ新陳代謝を高めるが、高齢者や、脳や冠動脈の硬化が進んだ者の高温浴はこれらの臓器への血流を減少させて臓器の虚血をもたらす、③湯温四二℃程度での高温入浴は、三八℃程度での入浴と比較して、血管拡張反応が長く継続するため、出浴後も血圧降下が高度で長時間持続することなどがあると指摘されている。さらに、温度環境の変化による熱中症の可能性が救急医学の関係者から提起されている。(甲九とその添付資料二「循環動態の面から」「救急医学の面から」。平成一二年発表の論文。熱中症は、暑熱環境や運動などにより、循環系や水分・塩分の代謝系に生理的な失調が生じて、熱虚脱、熱痙攣、熱疲憊が起こり、さらに、高温・高熱により体温調節機能に失調を来すと、発汗停止、高度の体温上昇、錯乱、せん妄等が現れ生命の危険を伴うことがあるなどの高温・高熱条件による急性障害を総称するもので、軽症度の症状に一過性の失神があげられる。甲九では、入浴中の熱中症について「入浴直後の血管収縮と引き続く血管拡張に基づく低血圧―比較的短時間で経過―と、高温の湯に長時間暴露することによる高体温の両者を含む」とされている。)。

本件事故当時満七三歳と高齢であった太郎は、外気温九℃余りと比較的低い状況で(乙四。ただし脱衣所の気温は不明である。)、夕食前の空腹状態で、深さ八〇cmの浴槽いっぱいに四一℃の湯をためて入浴したのである(乙一)。そして、太郎の場合、夕食前の入浴であったことから、水分補給が十分ではなかったことや、やや熱めの湯での入浴による発汗作用のために体内の水分が減少し、低血圧状態や体温の上昇を加速させたことも考えられる。そうすると、本件事故時、太郎は、脱衣時の温度低下によりいったんは血管が収縮したが、続く比較的高温の湯への入浴による血管が拡張して低血圧状態になり、これと共に高体温状態にも陥って熱中症を発症し意識障害を生じ水没したことや、浴槽から出ようとして起立した際などに、前記①のような機序から血圧が急激に低下し、一時的な脳虚血を生じ、その結果、意識障害を引き起こし浴槽に倒れ込んだ可能性などが十分考えられる。被控訴人は、そのような一時的な意識障害であれば、気道に溺水を吸引した際に本能的な自力救命作業が発動され窒息死という結末に至ることは考えられないと主張するが、客観的な裏付けがあるとはいえない。むしろ、高齢者においては、そのような場合に溺水吸引による驚愕や、反射的な運動能力や身体的防御機能の低下、さらには浴槽の構造なども関係して咄嗟に適切な防御姿勢がとれず、少なからず起こり得るものと考えられる。

ウ 長﨑医師は、自ら行った解剖の所見と監察医としての見識をもとに、太郎の死亡は、寒い時期、高齢者に多発する水事故と考える、脱衣後、入浴することによる温度環境の変化が循環動態に影響を及ぼし、血管拡張に伴う血圧低下や熱中症などによる意識障害が事故の原因となったと考える(ただし、そのことの病理学的証明は困難である。)、太郎に既往症としての脳疾患、心臓疾患は肉眼上認められない、意識消失が先行したこと、それは特定の、特に心疾患と考えるよりは、脳全体の虚血(脳貧血)あるいは熱中症などによる意識障害の可能性が高いと考えられるとして、太郎の死因を外因死と判断している(甲三ないし甲五)。そしてさらにその根拠を意見書等(甲一二、甲一三の一、甲一七)によって詳細に説明し、また、上記のような原因で一過性の意識障害を生じた場合に防御姿勢をとれるかどうかは意識障害の程度によるとして溺死に至る可能性を認めているが、それらの内容は、以上の検討に照らしても十分合理的で説得的なものと考えられる。

エ これに対し、元東京都監察医務院長上野正彦医師(以下「上野医師」という。)は、意見書(乙六、乙三一)において、入浴による温度変化等によって意識消失したとしても、この程度の意識障害は溺水を気道に吸引し強い呼吸困難を生ずれば、意識を取り戻して防御姿勢を取れるので溺れることはない、それにも拘わらず溺れたのは入浴中に内因性の発症があり、意識障害が先行したために溺水吸引の息苦しさも感知し得ず、また防御姿勢も取れないまま溺死したと考えるのが一般的である、したがって、内因性の発症が主な誘因と考えられるので、太郎の死因の種類は不慮の外因死④溺水ではなく、①病死及び自然死と判断すべきであると主張する。しかし、それらは、一般論のみを前提とする判断にすぎず、また、既述のようにその一般論自体としても、さらにそれを太郎に当てはめるについても、十分な裏付けや検討がなされているとはいえない。上野医師は、入浴中の病的発作として心筋梗塞、虚血性心不全、脳出血、クモ膜下出血、てんかん発作等をあげるが、太郎がそれらの病的発作に至る疾患や危険因子を有していたことについての吟味や解剖所見等による具体的な裏付けは全くない。ただし、上野医師は、太郎の場合にはアルコール依存症による心萎縮があることが心重量や冠状動脈の蛇行により明らかであり、心筋は栄養不足によりアルコール依存性の虚血性変化で浮腫を生じ、心筋繊維は細くなり均質化して心臓発作を生じやすくなっている、長﨑医師はこれを見逃しており、太郎は入浴中にアルコール性虚血性心不全の発作を起こし、強い意識消失を来して浴槽内に溺没したものであると主張する(乙三一)。しかし、冠状動脈の蛇行はともかく、心筋繊維の変性等は解剖所見で裏付けられているわけではなく、「アルコール性虚血性心不全」の機序も、同医師が昭和四二年の第二回日本アルコール医学会総会で講演したものであるというが、現在の医学界においてこれが一般的な知見であると認めるに足る資料はない。この点について、長﨑医師は、アルコールが原因の主な循環器性疾患は教科書(甲一八)によるとアルコール心筋症のみであり、アルコール心筋症は、拡張型心筋症の形態をとり、飲酒がなくなると多くは改善するもので、解剖結果からも太郎にはアルコール性心筋症の特徴は認められていないなどと報告しており(甲一七、一八)、説得的である。また、心不全判定の指標となる解剖時の中心静脈(右心房及び大静脈)からの血液の流出量からも、心不全の裏付けはないとしており、直接太郎の解剖にあたった監察医の所見として、十分信頼に値すると判断され、これに反する前記上野医師の意見は、採用できない。

オ 以上の検討の結果等を総合すると、太郎の死因は浴槽内での溺死であり、その原因は入浴中の意識障害にあるものと推認されるが、その意識障害が内因的な疾患によって生じたものとは認められず、入浴中の温度環境の変化により起立性の脳虚血ないし熱中症により一過性の意識障害を生じたものと推認するのが相当であり、これを覆すに足る証拠はない。ちなみに、長﨑医師は前記のように以上の判断を病理学的に証明することは困難であるとしているが、温度や圧力の変化による意識消失の有無は、器質的(病理学的)変化ではなく、機能上(生理学的)の変動であって解剖しても立証できないのであるから、その点は上記のような推認を何ら妨げるものではない。

なお、被控訴人は、内因性の疾患は、解剖所見上必ずしも明らかになるとは限らず、解剖所見上異状がないからといって内因性の疾患がなかったとはいえないと主張する。その点は確かにそのとおりではあろうが、解剖所見や病歴調査及び日頃の健康状態などから既存疾患が何らうかがわれないのに、浴槽内の溺死であること自体から内因的な疾患があるものと推認するべきものとする合理的な根拠がないことも既述のとおりである。したがって、上記被控訴人主張のような点も、前記検討のような推認を妨げるものではない(そうでなければ、外傷等の特段の事情が無い限り、内因性の疾患によらないことがおよそ立証できなくなってしまう。)。

四  事故の外来性について

(1)  事故の外来性、すなわち、保険事故である死亡の原因が疾病等の内部的な要因によらず、被保険者の身体の外部にあることの立証責任は、保険金を請求するものにあることは二で述べたとおりである。そして、三で検討した太郎の死因によれば、太郎は、入浴の際の温度環境の変化等により、一過性の意識障害を来し、適切な防御態勢を取れないまま浴槽内で大量に溺水を気道内に吸引して溺死するに至ったものと推認されるのであるから、死亡の原因は被保険者の身体の外部にあるというのが相当である。

(2)  被控訴人は、入浴による温度環境等の変化は日常誰しも経験するもので一般の健康な人に身体障害を引き起こすようなものではないから、身体の外部からの作用、外因であるとはいえないと主張する。

しかしながら、本件約款は、被保険者が「急激かつ偶然な外来の事故によって」死亡したときに本件保険契約に基づき死亡保険金を支払うと定めているのであり、本件約款上、日常誰しも経験するような温度変化等によってたまたま起こった保険事故を除外していない。たしかに、高度の脳動脈硬化や、脳梗塞、冠動脈の狭窄、狭心症、心筋梗塞等の既存疾患を有する高齢者が、入浴による温度環境等の変化を誘引として、病的な脳虚血発作や心臓発作等を生じてそのための意識消失により溺死するに至った場合などは、これを内因的な原因による病死と理解するのが相当である。しかし、既述のように、日ごろ健康であってなんら既存疾患を有しない者においても、特に高齢者にあっては、日常誰しも経験するような入浴時の温度変化等によって、たまたま熱中症や起立性の低血圧等の生理的な身体的反応により一時的に意識を消失することがあり、その場合、浴槽の形状、湯量や老化による反射的な運動能力や身体的防御機能の衰え等も関係して、適切な防御態勢をとれないまま、浴槽内で大量に溺水を吸引して溺死(窒息死)するに至ることが起こりうるのである(甲九、甲一二及び各引用文献参照)。そのような態様の事故はまさに突発的な溺死事故というべきであって、そのきっかけが入浴による日常的な温度変化等にあるとしても、これを身体の外部からの作用による事故であるというを妨げないと解すべきである。むしろこの場合には、死亡の原因は直接的には溺水の吸引という外来の要因にあり、事故全体として評価しても予期せぬ突発的な外来の事故とみるのが自然であり、また常識的でもあるといえよう。ちなみに、上記のような機序による一時的な意識障害は、外部環境によってもたらされた身体の生理的な反応ないし一過性の機能変動であって、これを被控訴人の主張する内因性を根拠づけるような病的失神発作と解するのは相当でない。

なお、上記のような態様の事故については、高齢者の老齢にともなう反射機能や身体防御能力の衰えなどの身体的な条件も溺死の結果招致に大きく関係していることが考えられるが、老化は一般的な生理現象であり疾患とはいえず、そのことの故に事故の外来性を否定すべきでないことは、いうまでもない。

したがって、被控訴人の上記主張は採用できない。

(3)  被控訴人は、入浴中の溺死事故は年間一万件以上発生し、かつ高齢者に多発しており、これを保険事故とするならば、高齢者については傷害保険の引き受けができないか、保険料が著しく高く設定されることになりかねず不当であると主張する。たしかに、従来、高齢者の入浴中の溺死事故が多発しているのに、それが普通傷害保険の保険事故として扱われる例は少なかったことがうかがわれ、保険料率算定の際にも十分考慮されていなかった可能性がある(乙八)。

しかし、それは、被控訴人も主張するように高齢者の入浴中の急死はほとんど病死であるとの旧来の「医学常識」を背景とするものであって、事故防止の観点から、近年、高齢者の入浴中の急死の実態や原因についての解明が進み、温度環境の変化による熱中症や起立性低血圧による脳虚血などの一時的な意識障害による危険が明らかにされてきた実情(甲九、甲一二及び各引用文献、甲一五の二)を反映しないものというほかはない。そして、脳・心臓疾患等の内因的要因によるのでなく、これらの原因により浴槽内で溺死した場合には、保険約款における外来性の意義を素直に解釈する限り、事故の外来性を否定することができないことは既述のとおりである。

もっとも、高齢者の入浴中の溺死についてその原因が疾患に基づく内因的なものか、外来の事故によるものかを鑑別判断することが容易でなく、判定の困難な事例が少なくないこと、また、その事故が高齢者に集中していることは被控訴人が指摘するとおりであろう。さらに、高齢者の入浴中の溺死事故をあえて普通傷害保険の保険対象としてカバーすべき社会的な需要や相当性がどの程度存在するのかについても議論の余地はあると考えられる。しかし、それらの問題は、普通傷害保険の商品設計において考慮されるべき事柄であって、約款上一定の事故を保険事故から明示的に除外するとか(いわゆるむち打ち症や腰痛で他覚的症状のないものの除外等に例がある。)、保険料の区分や特約によってリスク細分を行うことなどによって対応すべき筋合いのものであって、これを本件約款の外来性の解釈によって対応するには無理があるといわざるを得ない。そして、既述のとおり、本件約款の外来性についての通常の解釈を前提とすれば、本件証拠に基づく認定及び推認により太郎の溺死は急激かつ偶然な外来の事故と認められるのであって、被控訴人の上記指摘や主張は、この判断を左右するに足りず、採用できない。

五  結論

以上の次第で、太郎の死亡は、急激かつ偶然な外来の事故によって生じたものと認められるから、控訴人らの本件保険契約に基づく保険金の請求は理由がある。また、遅延損害金の請求原因事実に争いはない。そうすると、控訴人らの請求は全て理由があるからこれを全部認容するのが相当であり、これと異なる原判決は不当である。

よって、原判決を取り消し、控訴人らの請求を全部認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小田耕治 裁判官 富川照雄 裁判官三宅康弘は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 小田耕治)

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