大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成18年(ネ)772号 判決 2006年12月14日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、6000万円及びこれに対する平成16年9月7日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

1  事案の概要

(1)  本件は、被控訴人の従業員であった控訴人が、退職と同時に被控訴人との間で執行役員就任契約を締結し、被控訴人の執行役員になったが、その後、退任したため、①平成15年1月1日施行の執行役員退職慰労金規則(内規)(乙第20号証。以下「平成15年度の退職金規則」という。なお、原判決別紙2ないし5の各「執行役員退職慰労金規則(内規)」を総称して「本件退職金規則」という。)の定める退職慰労金の支払が明示的又は黙示的に上記契約の内容になっている旨、②そうでないとしても、本件退職金規則に基づき退職慰労金を支給するという事実たる慣習が存在する旨、③被控訴人が本件退職金規則を一方的に不利益変更したことは手続的にも実体的にも許されない旨主張して、退職慰労金6000万円及びこれに対する支払催告期限の翌日である平成16年9月7日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

(2)  被控訴人は、そもそも当事者間において、執行役員に退職慰労金を支給するとの合意が成立したことはないとして、全面的に争った。

(3)  原審裁判所は、本件退職金規則の存在により、執行役員に対する退職慰労金が、いかなる場合にも退任時において当然に発生するとまではいえず、その他、同規則の計算方法による退職慰労金の支払請求権が、執行役員の具体的な権利として、就任時及び更新時を通じ、執行役員就任契約で合意されたと認めるに足りる証拠はなく、また、慣習上、執行役員の退職慰労金請求権が具体的権利になったことまでは認められないとして、その請求を全部棄却したため、これを不服とする控訴人が控訴した。

2  争いのない事実等、争点及び当事者の主張は、以下のとおり当審における控訴人の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」欄第2「事案の概要」の1及び2(原判決1頁末行から4頁8行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

3  当審における控訴人の主張

(1)  執行役員と取締役の差異について

ア そもそも執行役員とは、会社との関係で雇用契約ないし委任契約を締結することによって身分を取得する重要な使用人であり(商法260条2項3号参照)、取締役会の決議に基づいて選任され、その業務執行については、取締役の指揮命令下にあるとともに選任権者である取締役会ないし各取締役の監督を受けるものである。また、執行役員は、取締役会の構成員ではなく、会社の経営意思決定に関与する権限を全く有しておらず、また、取締役の報酬に関する規制(同法269条)の適用も受けず、株主に対して何ら経営責任を負わない。

イ 執行役員と取締役との顕著な差異を看過した原判決の誤りについて

上記のとおり、両者間には重大な法律上の相違点が存在するのに、原判決は、被控訴人における執行役員と取締役との待遇面その他の類似性を主たる根拠として、控訴人の退職慰労金請求権は取締役のそれと同様に具体的権利性がないと結論づけたが、この判断は誤りである。

(ア) 原判決に欠落している視点について

被控訴人がいかに手前勝手な制度設計を企図しても、執行役員と取締役の上記の顕著な法的性質の差異にかんがみれば、意図した制度設計に見合う法律効果が付与されないという限界点が厳然と存在するのに、原判決はこれを看過している。

(イ) 使用人と会社の権利義務関係の決定基準について

上記基準は、当該使用人の権限や義務の範囲、金銭面その他の待遇条件決定に至る手続過程、負うべき責任の範囲などの実態によって定まり、会社による制度導入の意図や目的、とりわけ使用文言や名称などは二の次であり、両者の具体的な関係(実態)を判断するための材料の1つにすぎない。

(ウ) 控訴人の職務内容(権限・義務及び責任について)

上記視点からすれば、原判決が判断すべきは、マネジメント機構改革前後における取締役及び執行役員の人数や報酬、賞与(額)などではなく、機構改革前後における執行役員及び取締役の職務内容(権限・義務及び責任の内容)であった。

① 原判決の「職務内容」に関する判示内容について

原判決は、機構改革前に取締役(業務担当取締役)が有していた経営参加権限と執行権限の2種類の権限のうち、機構改革後は執行役員が後者の執行権限のみを担当するようになった旨の被控訴人の主張を鵜呑みにした認定を行っているだけにしか思えない。

② 原判決の事実誤認について

執行役員の権限の範囲は、従前の取締役の執行権限には遠く及ばず、取締役会で決定された経営戦略・経営方針に従い、与えられた範囲内の日々の職務を、取締役の指揮監督の下に、ただただ黙々と誠実に執行することのみをその職責としていたものである。

ところが、原判決は、機構改革前後の取締役の権限の二分化という被控訴人の提示した図式に安易に寄りかかって誤った事実認定をしており、厳しく非難されなければならない。

③ 控訴人が経営意思決定の過程に参加する権限を全く有していなかったことについて

控訴人ら執行役員には、被控訴人の経営戦略、経営方針の原案を議論し決定する取締役会等への参加資格はなく、例外的に報告者あるいはオブザーバーとして参加が許されていただけであった。したがって、控訴人には、経営責任を負担する前提条件ともいうべき被控訴人の経営意思決定過程に参加する権限を与えられていなかった。

④ 執行役員に経営責任を負担させる合理的根拠がないことについて

被控訴人は、執行役員である控訴人に対し、上記②③程度の職務権限しか付与していなかった。ところが、原判決によれば、執行役員は、取締役会の決定した経営判断の誤りにつき、全面的に責任をとらされる結果になるが、そのようないわれなど全くない。なぜなら、権限のないところに責任など生じる余地はないからである。

⑤ 執行役員の使用人性(指揮命令関係ないし使用従属関係という実態が存在すること)について

控訴人は、前記のとおり、執行役員として被控訴人の重要な使用人であり、取締役会ないし取締役の監督下にあった。被控訴人は、執行役員と取締役は同等である旨主張するが、両者は使用人性によって区別されるのであり、いかに被控訴人が、取締役と執行役員とをその報酬体系を近似させるなどの安易な策により同列化させようとしても、その意図した制度設計に見合う法律効果がそのとおりには付与されないという限界点が厳然と存在する。

なお、控訴人は、執行役員の地位を従業員と同質であるとは主張しておらず、被控訴人との関係は、委任的要素と雇用的要素を併有する混合契約であると考えるものであるが、それが使用人性を有していることが明らかであるのに、取締役と同等に経営責任を負うという立論はどう考えても筋が通らない話であると主張しているのである。

原判決は、上記実態に由来する取締役と執行役員との本質的な差異を看過しているものといわざるを得ない。

⑥ 執行役員と取締役の法的身分の顕著な差異が待遇面決定に至る手続過程に及ぼす影響について

上記執行役員と取締役の法的身分の顕著な差異は、金銭面など待遇面を決定する手続過程において顕在化せざるを得ない。

取締役の場合、最終的な金銭面での待遇(報酬)の決定は株主総会の総意に委ねられているのであり(商法269条)、そもそも取締役会限りで決定し得る事項ではないのに対し、執行役員の場合には、金銭面での待遇の決定は株主総会の議決による必要はなく、執行役員就任契約の一内容として、執行役員規則(甲第1号証)及びその下位規範(乙第20号証など)により定まる。

(2)  執行役員と取締役との法的性質の差異と、退職慰労金請求権との関係について

ア 原判決の判示内容について

原判決は、執行役員規則及びその下位規範が執行役員就任契約を律する基準として作用することを一応肯認した上で、ただ退職慰労金請求権はいついかなる場合も当然に具体的権利として発生するものではないとし、その根拠として本件退職金規則と取締役のそれ(乙第18号証)との体裁上の類似性及び従業員退職慰労金規則との相違、とりわけ上記各規則の第1条にそれぞれ「支給するときは」との文言があり、これはいずれも経営責任の一端を担うものであることを前提に全く支給されないことも予定したもので、現に従業員の退職慰労金規則ではそのような文言にはなっていない点を挙げる。

しかし、原判決の上記説示は、以下に述べるとおり、極めて根拠薄弱な論理に基づくものである。

イ 原判決の重大な事実誤認及び経験則ないし採証法則違反について

(ア) 被控訴人は、上記「支給するときは」との文言を捉えて、本件退職金規則が適用される前提として、支給するか否かの被控訴人による意思決定が予定されているなどと主張する。

なるほど、取締役の場合であれば、商法269条の規制が存在するから、株主総会に退職慰労金支給の件を議題として上程するかどうか、仮に上程する場合には株主総会の決議にかける議案の内容などを取締役会で決定することが先決問題となる。しかし、執行役員には商法269条の適用はない(甲第5、第6号証)から、株主絵会決議にかけるかどうかを決するに当たり、会社としての意思決定を別途要すると理解すべき前提がない。このように、執行役員の場合には、株主総会決議の前後で支給するための手続が分断することはあり得ないから、支給の有無及び額の各決定を分ける意味はなく、実際上もこれらの判断は不可分一体としてされるはずのものであり、被控訴人において執行役員に対する退職慰労金支給に関する被控訴人の判断は、もっぱら乙第20号証などの増減額規定の適用の可否をめぐって存在するにすぎないから、支給するかどうかという問題は独立して存在し得ない。

したがって、被控訴人が、取締役のみならず、執行役員の場合であっても、被控訴人において支給するか否かを決定する手続が独立に先行するかのように主張し、その手続をもって、あたかも被控訴人に支給するか否かの裁量権があるかのように主張していること(甲第2号証や乙第18号証の適用の前提としてそのような被控訴人による決定が予定されているとの主張)は、実態にそぐわず、合理的な根拠がない。

もともと乙第12号証などの体裁が「支給するときは」とされたのは、単に取締役の規則の体裁を「参考に」いわば借用したにすぎないから、原判決が甲第2号証や乙第18号証の体裁(文言)をもって被控訴人による裁量権(具体的権利性がないこと)を導くことは、まったく合理的な根拠を欠くものであって、明らかな経験則ないし採証法違反、重大な事実誤認であるといわざるを得ない。いわんや、これらの規定の体裁(文言)をもって執行役員が経営責任を負う根拠に据えることなど、到底あり得ない立論である。

(イ) 実質的に考えても、上記論理に従うと、例えば、会社が支給決定しないといえば、執行役員としては何も文句をいえないことになりかねないのであって、執行役員が使用人性を有するとの上記実態に照らせば、そのような結論が極めて不当であることは改めていうまでもない。なお、一定の場合には支払を拒み得るというのであれば、不支給事由を明示した上で本件がその場合に該当することを示すべきであるが、原判決の論理は必ずしもそのようにはなっておらず、この点でも原判決は失当である。

(ウ) 本件退職金規則1条の「支給するときは」との文言を重視すると、2条の「支給する」との文言も重視せざるを得なくなり、したがって、執行役員が退職したときは1条により退職慰労金の支給の要否、金額の決定手続を経なければならないが、死亡で退職したときは、同第2条により確定的に支給することになる。しかし、生存退職時と死亡退職時とでそのような区別を設けることは非常識・不合理であるから、上記文言に決定的な意味を見出すことは不可能であり、被控訴人の主張は破綻している。

(エ) また、上記規則の文言の体裁から見ても、取締役退職慰労金規則(乙第18号証)1条及び2条の「株主総会の決議により」の文言を削除したものが本件退職金規則1条及び2条にそれぞれ当てられているのであって、そのことは、すなわち株主総会によって支給・不支給そのものを決定する手続を要することなく、予め定められた一定の基準値・算式により、具体的支給額がほぼ一義的に確定されることを予定していたこと、つまりは、執行役員に対する本件退職慰労金は株主総会の決議を経ることなく直ちに支給される具体的権利にほかならないというべきである。

(オ) 被控訴人は、仮に執行役員が使用人性を有し、雇用法理の適用があったとしても、そのことは退職慰労金請求権の具体的権利性とは無関係である旨主張するが、執行役員が使用人性を有し、雇用法理の適用があるとする以上、本件退職金規則に基づき算定された退職慰労金請求権に賃金後払的要素がない場合というのはおよそ想定できない。なぜなら、仮に退職慰労金不支給の場合もある代わりに賃金を高めに設定するという制度設計であれば、退職慰労金制度が恩恵的な功労報酬の性質のみを有することを明らかにするため、本件退職金規則に具体的数値・算式までは明記せず、単に抽象的基準のみを掲げ、支払時の経営水準その他の状況により弾力的な運用が可能なようにしておくはずであるが、上記のとおり具体的な数値・算式をもって支給基準を明文化し、現実にその基準どおり例外なく退職慰労金を支給してきたとの実績があることは、被控訴人主張の特殊な制度設計をそもそも企図していなかったことの証左である。

(カ) 被控訴人は、執行役員制度の導入に当たり、他社が雇用形態をとっていたのをあえて委任形態にしたものであり、退職慰労金の不支給も予定されていた(要するに退職慰労金請求権が功労報酬的性質のものであり、賃金ないし報酬の後払的性質を有することを否定している。)などと主張する。

しかし、仮にそのような特殊な制度設計を企図していたのであれば、本件退職金規則のあり方についても(恩恵的な功労報酬の性質のみを有することを明らかにするため)抽象的概括的な規定に留めておくべき必要性についても認識していたはずである。しかるに、現実には上記のとおり具体的な数値・算式をもってその支給基準を明記した体裁の本件退職金規則を制定し、その基準どおり例外なく退職慰労金を支払ってきたのであるから、これを具体的権利といわずして何というのであろうか。

(キ) さらに、被控訴人では、①退職金「制度」が厳然と存在し、②本件退職金規則には、個々の退職者についての退職慰労金額を定めるための具体的数値・算式を予め明文化した「支給基準」までもが厳然と存在し、③当該「支給基準」に基づき、被控訴人の経営悪化後も、例外なく退職執行役員に退職慰労金が支払われてきたという事情があるから、本件退職金規則を開示していなかったとしても、そのような客観的基準に基づき、退職慰労金請求権が具体的権利として発生していると認定するに際し、何ら妨げとなるものではない。

ウ 執行役員と取締役との待遇面での類似性は両者を同列に取り扱うことの合理的根拠足り得ないことについて

執行役員が従業員と比して厚遇されているとしても、権限や責任が異なる職種につき、その待遇面(特に毎月の収入)を近似させることは政策的に十分考えられる。しかし、既に述べたとおり、執行役員の職務内容は、取締役会ないし取締役の監督下に決定済みの被控訴人の経営戦略・方針ないし取締役の指揮命令に基づいて職務に邁進していた従業員時代とほとんど差のないものであり、少なくとも制度導入に当たりスムーズに執行役員へ移行してもらうため、待遇面でのインセンティブを与えようとしたというのが実情であるから、この点も何ら原判決の妥当性を支える根拠とはならない。

エ 被控訴人における執行役員の退職慰労金(制度)の実態について

(ア) 従前の支給実態について

被控訴人は、平成16年6月より前に退職した執行役員全員に対し、いわゆるリコール隠しが明るみとなって業績が悪化した後も、本件退職金規則に基づいて算出された金額を例外なく支払ってきた。

仮に、被控訴人が主張するとおり、全額不支給措置の理由が「経営陣としての責任」をとることにあったとすれば、業績悪化後に退職した執行役員の中にも、退職慰労金を大幅に減額ないし不支給になった者がいるはずであるが、そのような事例がない。このことは、会社業績と退職慰労金支払額とは連動せず、退職慰労金請求権が報酬の後払的牲格を有していることの証左である。

(イ) 控訴人が受けた説明内容について

上記支給実態の下において、控訴人は、執行役員就任契約の2回目の更新直後である平成14年6月ころ、被控訴人の当時の人事担当部門責任者であったA(以下「A」という。)から、執行役員退職時には本件退職金規則に従って計算された金額が支給されるとの断定的な説明を受けた。

したがって、控訴人が、退職時に本件退職金規則に基づき算定した退職慰労金が支給されると認識することは至極当然であり、上記支給実態及び説明時期ともあいまち、遅くとも最終更新時である平成15年6月末ころの時点においては、執行役員就任契約の一内容として、本件退職金規則に基づき算定した退職慰労金を支給する旨の合意が当事者間で成立していたことは明らかであるから、これを認めなかった原判決には重大な事実誤認がある。

(ウ) 被控訴人の退職慰労金に関する理解について

被控訴人は、後記のとおり、平成16年6月退職予定の各執行役員について、本件退職金規則で算出される金額の50%を支給する旨の社長決裁を了していたものであり、控訴人も、平成16年6月10日すぎころ、Aから退職慰労金の支給に関し、取締役については見送るが、執行役員については50%を支払う旨の社長決裁が下り、控訴人の場合には3000万円程度である旨の説明を受けた。したがって、被控訴人が退職慰労金請求権につき権利性がないと考えていたとは到底認められない。

また、被控訴人は、執行役員が取締役と異なって法的身分を異にし、その経営責任を全面的に負う根拠を欠くが故に、あえて半額支給の決定に至っているのであり、このことは、被控訴人が執行役員の退職慰労金請求権が賃金ないし報酬の後払的性質を有することを認識していたことの証である。

(エ) 本件退職金規則の変更の必要性やその文言改定の経緯等

被控訴人は、いったんは平成16年6月退職予定の控訴人ら執行役員に対し、本件退職金規則所定の計算式で算出される金額の50%を支給する旨の社長決裁を了していたのに、急転直下、わずか数日のうちに全額不支給にした。しかし、控訴人は、同月16日のフロアー発表(甲第9号証)の数日前ころ、Aから、退職慰労金に関し、本年度は取締役について見送るが、執行役員については上記のとおり支給することで社長決裁も下り、控訴人の場合には3000万円くらいである旨の説明を受けた。

このような経過の中で、被控訴人は、従前の本件退職金規則には20%の減額条項しかないことから、50%の減額条項をとりあえず挿入したところ、資金援助者の企業再生ファンド側から、執行役員の退職慰労金を半額にする程度では資金援助できない旨の横槍が入ったため、急遽全額不支給という暴挙に至ったのが実態である。その際、拙速な改定手続であったが故に、「支給しないことがある」との文言をあわてて挿入した際に「50%減額条項」を削除し忘れ、その結果、平成16年度の退職金規則が作成されるに至ったものである。すなわち、被控訴人は、本件退職金規則に具体的な規範性があり、当事者間において本件退職金規則所定の支給基準に基づき現実の支払をすることが予定されていたことを自認していたものといえる。

(オ) 役員退職慰労金制度の設計について

仮に被控訴人主張のとおり、取締役と執行役員とが法的にみて同等である、あるいは執行役員が取締役と同様に経営責任を負い、これが退職慰労金にも反映されるというのであれば、退職慰労金の支給額を算定するに当たっては、両者の就任期間を通算し、役員としての退職慰労金として支給することが制度設計上一貫するのに、被控訴人が厳格に制度上区別しており、被控訴人の主張は全く首尾一貫していない。

オ 本件退職金規則の算式に従って計算された金額を支払う旨の合意が当事者間で成立し、執行役員就任契約の内容になっていたことについて

(ア) 被控訴人は執行役員規則(甲第1号証)を概括的に定め、その詳細を下位規範に委ねている(同規則15条)が、このような場合には、同規則に従った請求権は、被控訴人側の行為を要することなく当然に具体的な権利として発生する。なお、本件退職金規則は、取締役に関する退職慰労金規則の体裁を借用したにすぎず、執行役員の慰労金請求権の具体的権利性を左右するものではない。

(イ) この点につき、被控訴人は、本件退職金規則については、執行役員を含め、対外的に開示を全く予定していないし、明示を前提にした説明や誤解を受ける可能性のある説明を一切していないから、それが執行役員就任契約の内容になることはあり得ないなどと主張し、原審証人Aも同旨の証言をしている。しかし、これが明らかな虚偽であることは、以下の事実に照らして明らかである。

① まず、控訴人は、前記のとおり、平成16年6月16日ないしその直後、Aに対し、本件退職金規則の写しの交付を求めた際、Aは、その交付に素直に応じたが、これは対外的に開示を予定していない文書を開示請求された場合に当事者がとるべき対応とは著しくかけ離れている。

② Aは、平成14年6月ころ、控訴人に対し、執行役員退職時には本件退職金規則に従い計算された金額が支給されるとの断定的な説明をしたのであるから、控訴人が、本件退職金規則の計算に従った退職慰労金が支給されると認識するのは当然であるし、上記支給実態及び本件退職金規則の写しの交付時期が平成14年7月ころであることからみて、遅くとも最終更新時である平成15年6月末ころには、本件退職金規則に従って退職慰労金を支給する旨の合意が成立していたことは明らかである。

③ 本件退職金規則のような重要文書を完全非開示にすることは、理論上も実際上も不可能であるところ、被控訴人において、第三者である株主にまで開示せざるを得ない書類を、当の権利者である執行役員に開示を全く予定していないなどと主張するのは詭弁である。

④ 控訴人は、最終の契約更新時である平成15年6月の時点で、既に29名にも上る退職者の実例があり、そのいずれもが不況下にあっても本件退職金規則の基準どおり支払われていたから、控訴人ら執行役員には「1年くらいやると1500万円くらい」の退職慰労金が支給されるということは、ほとんど周知の事柄であった。

(ウ) 以上によると、遅くとも平成15年6月以降、平成15年度の退職金規則(乙第20号証)に従って計算された金額を退職時に支払う旨の合意が当事者間において成立していたこと、つまりそれが執行役員就任契約の内容になっていたことは明らかである。

カ 執行役員が使用人の実態を有することと、制度設計の限界について

(ア) 執行役員がその実態として使用人性を有することは、被控訴人の意図した制度設計に見合う法律効果がそのとおりには付与されないという限界点の存在を意味する(雇用契約の適用ないし類推)。すなわち、被控訴人の執行役員は、会社の経営意思決定過程へ参画する権限を何ら有せず、取締役会で決定された経営戦略・経営方針に従い、与えられた範囲内の日々の職務をその指揮命令下に、誠実に執行することのみを職責にしていたという意味において、取締役とは異質の「使用人」性を有しているとの明白な実態からすれば、前記のとおり執行役員就任契約は、委任的要素と雇用的要素が併存する混合契約がその実態であることは明らかである。そして、執行役員就任契約の雇用的性質の限度において雇用契約法理の(類推)適用を当然に予定しているものと解すべきことも明らかであり、その限度において、退職慰労金請求権が具体的権利性(報酬後払的性格)を有していること、ひいては、控訴人本人の同意なく、必要性・合理性のない契約内容の不利益変更が禁止されること(不利益変更禁止の原則)もそこから当然に論理的に帰結される。したがって、被控訴人としては、平成15年度の退職金規則を平成16年度の退職金規則に改定し、執行役員の退職慰労金を不支給にするという重大な不利益変更を正当化するには、その必要性及び合理性を主張・立証すべきであるが、被控訴人はこれをしない。

よって、上記主張立証責任の構造を看過している原判決には、重大な理由不備、理由齟齬の違法がある。

(イ) なお、原判決は、執行役員に賞与が支払われた形跡がなく、被控訴人の業績悪化後、執行役員の月額報酬が減じられたことに対し、執行役員が苦情を述べなかったことを控訴人の不利益に斟酌し、これをもって執行役員退職慰労金が具体的権利性を有しないことの一つの根拠として理解しているように見受けられる。

しかし、執行役員は、1年ごとに契約を更新するものであるため、翌年以降の契約打ち切りの危険をおそれて苦情を申し立てなかったにすぎない。原判決は、執行役員の立場についての視点を欠き、明らかに経験則に反する証拠評価及び判断をしているのであって、到底是認することはできない。

キ 執行役員制度の採用と本件退職慰労金の支給との関係

被控訴人は、平成12年ころ、執行役員制度を設けたが、これに代えて、執行役制度の採用も可能であった(株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律)。また、同じく平成14年の商法改正により、業務担当取締役という制度も正式に設けられたから、同制度を採用することも可能であった。ところが、被控訴人は、平成15年1月1日以降も、従前どおり「重要な使用人」としての執行役員制度を存続させた。

そうである以上、被控訴人は、使用人にすぎない執行役員の契約内容に関し、本件のごとき重大な不利益変更をすることができない法的リスクを負担していたものといわざるを得ないから、被控訴人が退職慰労金を全額不支給とすることは到底許されない。

この点につき、被控訴人は「執行役員」なる身分を創出し、取締役の法的性質の相違に由来する諸々の便宜を確保しながら、退職慰労金については取締役との同一性を強調して退職慰労金請求権の権利性を否定するなどの恣意的な態度をとっており、このような「良いところ取り」を許すことは、執行役員の地位を著しく不安定にするものであって、信義に反し到底容認することができない。

(3)  当審提出の甲第16号証(京都大学大学院法学研究科教授B作成の意見書)を踏まえた控訴人の補充主張

ア 本件退職金規則1条が退職慰労金請求権の根拠となること

(ア) 控訴人が労基法上の労働者に該当する場合

① 本件退職金規則は就業規則であるから、その内容が合理的である限り、労働契約の内容になる。

就業規則の周知性を厳格に解することは誤りであって、仮に控訴人に不開示であったとしても、退職した執行役員の算出例を通じてその内容は多くの執行役員に周知されていたから、周知性の要件は存在するというべきである。

② 仮に、本件退職金規則が就業規則としての効力を持たないとしても、控訴人と被控訴人との間では、現に存在する諸規則に従うことについて黙示的合意があった。すなわち、被控訴人は、執行役員制度の導入に当たり、従前から存在した取締役に関する諸規程及び従業員に関する諸規程とも別異の諸規程(甲第1号証、乙第20号証等)を作成して運用し、それらに基づき、従前例外なく退職慰労金を支給してきた。このような事実からすると、執行役員就任時点で乙第19号証等が作成されていたのであれば、就任時点で、また、就任後これが作成されたのであれば、それが周知された時点もしくはその後の更新時点(どんなに遅くとも平成15年6月の最終更新時点)で、本件退職金規則は、執行役員就任契約に黙示的に取り込まれてその内容になったものである。

(イ) 控訴人が労基法上の労働者に該当しない場合

① 本件退職金規則は、就業規則に関する判例法理に準じて執行役員就任契約の内容になる。

② 仮にそのような解釈が無理な場合であっても、控訴人と被控訴人との間では、現に存在する諸規程に従うことについて黙示的な合意があったが、その具体的内容は上記(ア)②と同様である。

(ウ) 本件退職金規則1条の解釈

甲第16号証に記載のとおりであるが、要約すると、①退職慰労金の支給・不支給を決定する権限を明示しなかったという規程上の不備を控訴人の不利益に解釈するのは公平ではなく、むしろ作成者である被控訴人の不利益に解釈すべきこと、②過去例外なく当該規程に基づき退職慰労金が支給されているという実績があること、③仮に支給・不支給の決定を当該射程外において決めていたとするならば、被控訴人が平成16年度の退職金規則の8条をわざわざ新設した上、従前の増加額に関する規則から減額規則部分のみを抽出し、その中に不支給を明示する必要など全くないことなどを指摘することができるところ、被控訴人が当初取締役につき退職慰労金を零とする一方で、執行役員については、全額支給するとの態度を示していたとの客観的事実は、執行役員の退職慰労金請求権と取締役のそれとが全く性質を異にしており、前者の具体的権利性を被控訴人自身が肯認していたことを示すものである。

イ 退職慰労金の不支給・減額の可能性について

(ア) 本件退職金規則が就業規則と解される場合

乙第19、第20号証の各7条は、20%の範囲内で退職慰労金を加算・減額することができると定めているが、これらが就業規則であるとすれば、原則として20%の範囲を超えて退職慰労金を減額することは労基法上許されない。また、7条には、加算事由らしきものは明示されているが、減額事由までは明記されておらず、どのような場合に減額がなされるのかについては、退職慰労金制度の趣旨から合理的に解釈するほかない(その解釈については後記(ウ)のとおり)。

(イ) 本件退職金規則が就業規則としての効力を持たない場合

就業規則ほどの厳格な解釈は要求されないため、概念的には、7条以外に不支給・減額がなされるべき場合があり得るが、当事者意思が明確とはいえない本件では、やはり退職慰労金制度の趣旨から合理的に解釈することになる。

(ウ) 退職慰労金制度の趣旨

被控訴人が現に運用している執行役員に関する退職慰労金制度の仕組みは、基本的にこれまでに幾多の会社において採用され実施されているのと同様、在職年数に伴い金額が逓増していく仕組みがとられている。

なお、執行役員の身分を労働者と見れば、このような制度下における退職慰労金請求権は賃金の後払的性質を持つものと解され、尚更その具体的権利性は顕著となる。もちろん、退職慰労金支給の有無を退職時の会社業績にかからしめる制度設計は当然許されるが、本件において被控訴人が現に運用・実施している退職慰労金制度は上記のとおりそのような制度設計になっていないことが明らかである。

(エ) 取締役と執行役員の立場の相違が退職慰労金の給付にどのような差異をもたらすかについて

① 取締役の場合

株主から会社の経営を任されている以上、その経営判断の結果として業績悪化を招いたのであれば、過去の功労が無に帰したと判断され、在任中の会社業績について取締役は結果責任を引き受けており、また、今後の業績回復のために少しでも財政的余裕を作ることが取締役の責務であるといった考え方により、いずれにしても業績悪化に対して経営責任を負っていると解されるがゆえに不支給は正当化される。

② 一般従業員の場合

一般従業員の責務は、命じられた個々の仕事を遂行するにすぎず、経営責任を負うことはないから、業績悪化による不支給を正当化することはできない。

③ 執行役員の場合

本件退職金規則の解釈は、それが一般的な規範として作成されている以上、被控訴人の主観的意図だけではなく、制度的な合理性を加味し、その規定が客観的に持つ意味こそ解釈基準とすべきである。そのような観点からすると、取締役の退職慰労金が業績悪化の場合に不支給となる根拠が上記のとおり経営責任にあることとの対比上、執行役員が取締役と同様に経営責任を負うに相応しい状況にあったのかということが決定的に重要であるところ、控訴人ら執行役員は、取締役会からある程度包括的に業務を命じられ、一般の従業員に比して相対的に裁量の幅の大きい職務権限を付与されていた可能性はあるが、その裁量は経営全体に及ぶものではなく(執行役員規則2条、8条)、取締役会(又は代表取締役)の指示に基づいて業務を執行するにすぎず、むしろ一般従業員と同様である。この点、控訴人は、取締役会から付与された職務権限の範囲内においては自己の裁量により職務を遂行してきたともいえるが、会社全体の経営方針の決定に参加し得たわけではないから、経営責任を負わせる実質的根拠はなく、したがって、被控訴人の業績悪化の場合に、控訴人の退職慰労金が取締役の場合と同様に不支給となるとの解釈は合理性を欠くというべきである。

ウ 本件退職金規則の改正の効力について

平成16年度の退職金規則8条は退職慰労金を不支給とする場合があることを明示している。

(ア) 本件退職金規則を就業規則そのもの又はこれに準じた効力を有するものと認める場合

いわゆる就業規則の不利益変更の法理に従い、合理的な変更であれば控訴人をも拘束するが、本件退職金制度の趣旨から見て、経営判断に参加していない控訴人につき経営責任を負わせる結果となる内容の規程の改定は合理性を欠くことが明らかであるから、上記退職金規則の8条は控訴人を拘束しない。

(イ) 当事者間の黙示的合意により平成15年度の退職金規則の効力を認める場合

最後の更新時(平成15年6月)には、甲第2号証の同規則8条は新設されておらず、更新時の黙示的合意により変更の効力を認めることができない。また、新設規則が周知された時点でこれを契約に取り込むとの黙示的合意が予めされていた(白地合意)と考えられなくもないが、このような白紙委任的な合意の効力を認めるためには対象となる規則の合理性が要件とされるべきであり、とりわけ本件のように、制度的合理性を欠き、被適用者に大きな不利益を与える変更については、労働者といえる場合はもちろん、そうでない場合であっても、容易にその変更の効力を認めるべきでない。

(ウ) したがって、いずれにしても当該変更の効力は否定される。

(4)  当審における追加主張(仮定主張)

仮に百歩譲って、被控訴人の主張のとおり、本件の退職慰労金請求権が本件退職金規則の存在及び具体的運営等によっては具体的権利性を獲得しないとしても、執行役員の場合には、支給の要否及び支給額の各決定が手続上分離されることはあり得ないところ、前記のとおり、社長決裁で50%支給するとの決定が下っていたのであるから、どんなに遅くともこの段階において、控訴人の退職慰労金請求権が具体的権利性を獲得するに至ったことは明らかであって、これを事後的に控訴人の同意なく減額することは許されない。なお、当該支給決定は、Aを通じて控訴人に告知された。

(5)  結論

以上によると、退職慰労金請求権が具体的権利性を有していることは明らかであり、本件退職金規則の重大な不利益変更を肯定すべき何らの必要性・合理性も存しない以上、控訴人が被控訴人に対し、本件退職金規則に基づき、6000万円の支払を求めることができ、仮にこれが認められないとしても3000万円の限度で支払を求めることができることは明らかである。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も、控訴人の請求は理由がないと判断するものであり、その理由は、原判決「事実及び理由」欄第3「争点に対する判断」の1ないし3(原判決4頁10行目から11頁16行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する。

2  当審における控訴人の主張について

(1)  控訴人は、執行役員が被控訴人の「重要な使用人」として取締役等の指揮監督を受ける立場にすぎず、被控訴人の経営意思決定に参加する権限はないなど、取締役との間には決定的な相違点が存在し、これが控訴人の退職慰労金請求権の具体的権利性ないし減額を許さないという限界点を帰結するのに、原判決は、これを看過し、控訴人の本件退職慰労金規則に基づく、退職慰労金請求権を否定したのは誤りである旨主張する。

しかし、原判決認定のとおり、①被控訴人は、執行役員を被控訴人との委任関係にある者として位置づけた上、報酬、賞与、退職慰労金等については取締役と同様に高水準とするが、経営状況等によっては退職慰労金等を不支給ないし減額することもあり得ることを前提に制度設計を行ったこと、②本件退職金規則1条には「執行役員の職にあった者が退任し、退職慰労金を支給するときは、本規則による。」旨の記載があるところ、被控訴人は、平成16年度の退職金規則8条において、「在任中、会社業績が著しく不振の場合」退職慰労金を「支給しない」ことができる旨の確認規定を明記したこと、③本件退職金規則は、取締役の退職慰労金規則と同様、被控訴人の内規であることを前提として作成され、本件紛争が生じた際に、平成16年度の退職金規則が控訴人に示された以外に開示されたことは全くなかったことがそれぞれ認められる上、甲第12号証、乙第7号証、控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人も、マネジメント機構改革の趣旨・内容、執行役員制度の導入経過、執行役員規則の記載事項を理解した上で被控訴人を退職し、従来の取締役が担当してきた業務執行の責任を負う執行役員に就任したものであり、その際、執行役員が委任による役員として位置づけられ、退職慰労金等も取締役と同額程度であって、それが内規で決められると理解していたことが認められ、これらの事実に照らすと、本件退職金規則の定める退職慰労金の支払が明示的又は黙示的に執行役員就任契約の内容となっていて、控訴人の被控訴人に対する退職慰労金支払請求権が具体的に発生したとの控訴人の主張は認めることはできないというべきである。

このことは、仮に控訴人が控訴人主張のとおり具体的な退職慰労金請求権を有するとすれば、これらの者は執行役員に就任すると同時に、従来の取締役と同様の高額の報酬等の厚遇を維持されたまま、取締役には保証されない高額の退職慰労金までも保証されるという不合理を生じることからも首肯することができる。

(2)  控訴人は、平成15年度の退職金規則を平成16年度の退職金規則に改定したことが就業規則の不利益変更と同様の問題を生じる旨主張するが、被控訴人は、上記のとおり、執行役員には退職慰労金を当然に支給するという制度設計をしていないのであるから、控訴人主張の「不利益変更」の主張は、その前提を欠くものであって、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

(3)  控訴人は、原判決によれば、執行役員が、経営責任を負担しないのに、退職慰労金を不支給にするということは、取締役会の経営判断の誤りにつき、執行役員が全面的に責任をとらされることになるから、不合理である旨主張する。

しかし、原判決認定のとおり、平成16年6月当時、被控訴人は、ほとんど資金が枯渇したため、同月16日の取締役会において、取締役退職慰労金等はもとより、経営責任を負担しない従業員についても給与及び冬の一時金を不支給にすることが決定されたことから、このような状況を踏まえ、執行役員の退職慰労金についても、退任取締役と同様に不支給とする旨決定され、以後、従業員の給与等の減額とともに、退任した取締役及び執行役員の退職慰労金の不支給状態が続いていることが認められ、これらの事実に照らすと、上記措置は、企業存続の目的のための必要性かつ合理性がなかったとはいえないから、控訴人の上記主張は理由がない。

(4)  控訴人は、退職慰労金が賃金後払の性質を有する旨主張するが、執行役員制度及び退職慰労金に関する制度設計は、前記認定のとおりであって、当然には賃金の後払的性格を有するとは認めることができないから、上記主張はその前提を欠き、採用することができない。

なお、被控訴人は、控訴人主張のとおり執行役員制度の導入後、執行役員にも退職慰労金を支給するという運用をしてきたが、それは取締役に退職慰労金を支給してきたことに合わせて、執行役員にも支給するという運用を行ってきたものにすぎないことが認められ(乙第7号証、A証言)、同事実に照らすと、過去の執行役員が退職慰労金の支給を受けたことから直ちに、控訴人が執行役員として退職慰労金請求権を取得できるということにはならず、また、控訴人主張のような事実たる慣習が存在したということもできない。

(5)  控訴人は、Aが退職慰労金を支給する旨の断定的な説明をした旨主張するが、反対趣旨のA証言に照らし、直ちに採用することはできないのみならず、仮に、Aが控訴人主張のような説明を行ったとしても、Aには、執行役員の退職慰労金の支給決定を行う権限はなく、同人の説明から控訴人の退職慰労金請求権が発生するものとはいえず、これによって、控訴人と被控訴人間に退職慰労金を支払う合意が成立したということもできないから、この点に関する控訴人の主張も採用することができない。

(6)  さらに、控訴人は、当審における追加主張として、本件退職金規則で算定した金額の50%を控訴人ら退任執行役員に支給する旨の社長決裁が下りたので、遅くとも、その時点で、具体的な退職慰労金請求権が発生した旨主張する。

しかし、乙第7号証によれば、退職慰労金を50%支給する旨の社長決裁は一旦出たものの、その後、これが取り消されて同支給を零にするとの取締役会決議及び社長決裁がされたとの事実が認められるところ、上記50%支給する旨の社長決裁が外部に公表されたり、対象者に告知されたことを認めるに足りる証拠はないから、このような社長決裁は、正式な退職慰労金の支給決定として対外的に告知されない限り、単に被控訴人内部の意思決定にすぎないというべきであって、同決済があったことをもって退職慰労金請求権発生の根拠とすることはできないから、控訴人の上記主張も理由がない。

(7)  その余の控訴人の主張並びに当審において提出された甲第16号証も、以上(1)から(6)までの判断を左右するものではない。

3  以上によると、結局、控訴人と被控訴人間で、執行役員就任契約を締結した際に、被控訴人が控訴人に対し、当然に本件退職金規則に基づいて算定した退職慰労金を支給する旨の合意が成立したとか、その旨の事実たる慣習があったとは認められないことに帰する。

よって、控訴人の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、これを全部棄却した原判決は相当であるから、控訴人の本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大和陽一郎 裁判官 菊池徹 市村弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例