大阪高等裁判所 平成19年(ネ)1915号 判決 2008年2月28日
控訴人
有限会社A野
同代表者取締役
B山太郎
同訴訟代理人弁護士
大野誠
被控訴人
株式会社 紀陽銀行
同代表者代表取締役
片山博臣
同訴訟代理人弁護士
月山桂
同
月山純典
同
藤井友彦
同
山本和正
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、二七七万円及びこれに対する平成一八年八月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
四 この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
主文同旨
第二事案の概要
本件は、銀行である被控訴人に普通預金口座を有していた控訴人(法人)が、同口座からの預金二七七万円の払戻は、控訴人によるものではなく、何者かがしたものであり、被控訴人には同払戻をした人物について本人確認をしなかった過失があり、同払戻の効果は発生していない等と主張して、被控訴人に対し、預金契約に基づき、同払戻に係る預金二七七万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一八年八月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
これに対し、被控訴人は、上記払戻に関し、普通預金等共通規定の条項によって被控訴人は免責される、あるいは同払戻は債権の準占有者に対する弁済として有効であるなどと主張して、控訴人の被控訴人に対する本件請求を争っている。
控訴人の請求を棄却した原判決に対し、控訴人から本件控訴があった。
一 前提事実(証拠の摘示のないのは、当事者間に争いがないか弁論の全趣旨により認める事実である。)
(1) 当事者
ア 控訴人は、不動産の売買、賃貸等を目的とする有限会社である。
イ 被控訴人は、預金又は定期積金の受入、資金の貸付又は手形の割引並びに為替取引等を目的とする株式会社(銀行)である。
(2) 口座開設
控訴人は、平成一二年一〇月三一日、被控訴人の本店営業部で、新規に控訴人名義の普通預金口座(口座番号《省略》、以下「本件口座」という。)を開設して被控訴人との間で普通預金契約(以下「本件預金契約」という。)を締結し、預金等取引を開始したが、その際、登記簿謄本を提出し、本人確認の手続を経た。
(3) 預金払戻
平成一七年四月一五日、被控訴人の大阪支店の窓口で、本件口座から二七七万円の払戻(以下、「本件払戻」という。)がなされた。
その払戻請求書の「おなまえ」欄には控訴人の名称及び控訴人代表者の氏名が記載され、「お届け印」欄に印影が押捺されており、被控訴人の職員C川花子(以下「C川」という。)は、払戻請求書に押捺された印影と本件口座開設時に提出された印鑑届に押捺された届出印鑑を照合し、同一の印鑑と認め、本件払戻の手続に応じた。
(なお、本件において、控訴人は、印影照合上の過失を主張していない。)
(4) 預金通帳の喪失手続
控訴人代表者は、平成一七年六月上旬ころ、本件口座の預金通帳(以下「本件通帳」という。)が紛失していることに気づいたとして、被控訴人に対し、その喪失手続をした。
(5) 本件に関係する規定、パンフレット
ア 普通預金等共通規定
本件預金契約については、普通預金等共通規定の適用があり、同規定の三条には、「証書、払戻請求書、諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取扱いましたうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害については当行は責任を負いません。」との条項(以下「本件免責条項」という。)が存在する。
イ パンフレット
被控訴人は、平成一五年九月一日現在ということで、口座開設や二〇〇万円を超える大口現金取引を行うとき、顧客が個人の場合、運転免許証、旅券などの本人確認書類の提示を求め(代理人による取引の場合、代理人と本人両方の本人確認書類の提示を求め)、法人の場合、登記簿謄本・抄本、印鑑登録証明書などの本人確認書類の提示のほか、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと記載した顧客用のパンフレット(以下「本件パンフレット」という。)を作成し、顧客に配布している。
二 争点
(1) 本件払戻は本件免責条項により免責されるか否か。
(2) 本件払戻は債権の準占有者に対する弁済として有効か否か。
三 争点に対する当事者の主張
(1) 本件払戻は本件免責条項により免責されるか否か。
【被控訴人の主張】
本件においては、払戻請求書に押捺された印影は、本件口座の開設時の届出印鑑の印影と同一であり、同一印鑑によるものと考えられる。
被控訴人の担当職員は、払戻請求書に押捺された印影と届出印鑑の印影を相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めたものである。
したがって、本件免責条項によって、被控訴人は本件払戻に関し責任を免れ、本件払戻の効果が発生する。
【控訴人の主張】
銀行である被控訴人が、債権の準占有者に対する弁済として免責されるためには、被控訴人に過失がないことが必要であり、本件免責条項も、債権の準占有者に対する弁済規定の要件を緩和したものではなく、被控訴人に過失がある場合は、免責されないものである。
(2) 本件払戻は債権の準占有者に対する弁済として有効か否か。
【被控訴人の主張】
ア 本件払戻の請求者は、本件通帳と届出印鑑と同一印影が押捺された払戻請求書を持参し、本件払戻の請求をしたのであるから、債権の準占有者に当たる。
イ 金融機関が預金通帳と払戻請求書の提出によって預金の払戻請求を受けた場合で当該預金口座の届出印の印影と払戻請求書に押捺された印影との照合により正当な払戻請求者であると判断して払戻をした場合には、他に正当な払戻請求でないことをうかがわせる特段の事情がない限り、金融機関は債権の準占有者に対する弁済をしたものとして免責される。
被控訴人の担当職員が、払戻請求書に押捺された印影と届出印鑑の印影を相当の注意をもって照合し、同一の印影であると判断したことに過失はなく、被控訴人は、本件払戻の請求者が権限がないことについて善意無過失であったから、本件払戻は債権の準占有者に対する弁済として有効である。
本件払戻は、平成一七年四月一五日午後二時四一分ころ、被控訴人の大阪支店に来店した者によってされたものであるが、同来店者は、三〇~四〇歳代の男性であり、背広を着用しネクタイを締めていて一見して会社員と見える身なりをしていた。また、同来店者は、同日午後二時五一分ころ、窓口で現金と本件通帳を受け取って退店するまで、同支店内で顔を伏せるあるいはマスクをするなどの不自然な行動等はしていない。したがって、本件払戻には、正当な請求ではないことをうかがわせる特段の事情はなかった。
ウ 控訴人は、本件払戻手続の際、来店者の本人確認をもするべきであった旨主張するが、いわゆる本人確認法は、盗難通帳による不正払戻の防止を目的としたものではない。近時、盗難通帳による不正払戻が多発しているからといって、それだけで払戻権限を確認しなければならないとすると、正当な権限を有する者が速やかな払戻を受けられず、急な資金需要に支障を来すなど予期し得ない不利益を受けるおそれがある。
控訴人の主張する被控訴人のニュース・リリースは、窓口に暗証番号入力装置を設置して、大口の現金支払や挙動不審な場合など一定の預金取引をする場合、通帳と払戻請求書の提出のほか、キャッシュカードの暗証番号を上記装置に入力することによる確認をするというもので、キャッシュカードを発行していない預金者については、上記システムの対象外であり、これらの預金者については、従前のとおり、挙動不審な場合などに限って権限の確認を求めている(なお、上記システムは、本件払戻の後の平成一七年四月二一日から実施されているものである。)。
また、顧客に配布した本件パンフレットは、一定の取引を行うにあたり本人確認を行う場合があること、その際には一定の書類が必要であることを周知し、本人確認をスムーズに行い、本人確認を行うにあたって顧客とのトラブルを未然に防ぐ目的で配布されたものであるから、被控訴人に何らの義務を課すものではない。したがって、本件パンフレットには、口座開設や二〇〇万円を超える大口現金取引を行うとき、法人の場合、法人の登記簿謄本・抄本等の本人確認書類のほか、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと記載しているが、来店者の本人確認をしなかったからといって、被控訴人に過失はない。
さらに、控訴人代表者の実父による平成一七年一〇月二八日の本件口座の払戻請求は、請求者であるオツヤマなる者が挙動不審であったため、被控訴人の担当職員が本人確認を求めたに過ぎないのであって、請求者に挙動不審の点がなかった本件払戻の際に本人確認を求めなかったことを過失とみることはできない。
【控訴人の主張】
ア 被控訴人は、平成一五年九月一日現在ということで、二〇〇万円を超える大口現金出金には、法人の場合、登記簿謄本・抄本、印鑑登録証明書などの本人確認書類の提示のほか、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと記載した本件パンフレットを作成配布している。
したがって、被控訴人は、本件払戻の際、来店者に運転免許証などの提示を求めるなどの本人確認の手続をとるべきであった。
イ 本件口座は、被控訴人の本店営業部(和歌山市)で開設されたものであり、被控訴人の大阪支店で開設されたものではない。そして、本件払戻は、当時、本件口座にあった預金残高二七七万三二三〇円のほぼ全額である二七七万円もの多額の金員の払戻を求めるものであり、過去、控訴人は、本件口座から平成一五年八月八日に一六万八〇〇〇円の払戻をしたことがあるのみで、本件払戻のような多額の預金の払戻をしたことはなかった。また、印鑑届のおなまえ欄の「有限会社A野取締役B山太郎」の筆跡と払戻請求書のおなまえ欄の筆跡は明らかに異なっている。
加えて、本件通帳は、被控訴人が通帳副印鑑を廃止した平成一六年二月以前に作成されたものであるところ、被控訴人は、盗難通帳の副印鑑から偽造印鑑等を作成して不正に預金の払戻をする事件が発生していることを認識していたものであり、平成一七年四月、大口の現金支払などの払戻業務に関し、窓口での暗証番号による本人確認を実施し、キャッシュカードも発行していない顧客について運転免許証などの確認書類の提示を求めることをニュース・リリースで宣伝していたから、同年四月一五日の本件払戻の当時、被控訴人としては、最も厳格に本人確認をするべきであった。
したがって、本件パンフレットの記載内容をさておいても、被控訴人は、本件払戻の際、上記の各印影を照合するだけでは足りず、① 筆跡を照合する、② 払戻の請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する、③ 預金者が法人等の団体の場合は、電話による確認をする、④ 預金者が個人の場合は、写真付き身分証明書の提示を求める、⑤ 払戻の請求者が本人か代理人かを尋ね、本人であれば、住所、生年月日、電話番号等の個人情報を尋ね、代理人であれば、上記に加え、本人との具体的な関係や身分を確認するための個人情報を尋ねるなどの方法で、払戻の請求者が正当な権限を有するかどうかを確認するべきであった。
しかしながら、被控訴人の担当職員は、本件払戻の際、払戻請求書と本件口座の各印影の照合をしただけで、来店者の本人確認等の手続をとっていない。仮に、本件払戻の際、被控訴人が来店者の本人確認の手続をとっていれば、本件出金ができなかったことは明らかである。
したがって、被控訴人が金融機関として負担すべき相当の注意義務を怠ったことは明らかであって、被控訴人には過失がある。
ウ なお、控訴人代表者は、本件払戻後の平成一七年一〇月二八日、実父に依頼して、本件払戻とほぼ同様の二八〇万円の払戻請求を依頼し、同人がその払戻の請求をしたところ、被控訴人の職員は、格別、控訴人の実父に不審な点はなかったのに、ただ高額の払戻という理由で、同人に運転免許証などの提示を求めたり、控訴人代表者に出金確認の連絡までとっているのである。この点からしても、本件払戻の際、被控訴人が来店者の本人確認手続をとらなかったことは不当であり、過失がある。
第三当裁判所の判断
一 認定事実
前記前提事実、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 控訴人は、平成一二年六月二日、設立され、資本の総額を三〇〇万円とし、不動産の売買、賃貸等を目的とする有限会社であり、滋賀県大津市に本店事務所を有している。
控訴人は、平成一二年一〇月三一日、被控訴人の本店営業部(和歌山市所在)で、新規に控訴人名義の本件口座を開設して被控訴人との間で本件預金契約を締結し、預金等取引を開始した。控訴人は、この際、被控訴人に対し、印鑑届を提出して、銀行届出印鑑を届け出るとともに、登記簿謄本を提出し、本人確認の手続を経た。なお、控訴人は、本件口座については、キャッシュカードの発行を受けていない。
控訴人は、被控訴人のほか、滋賀銀行とびわこ銀行にそれぞれ預金口座を開設していた。
(2) 控訴人に従業員はおらず、控訴人代表者のみが控訴人の仕事に従事していた。控訴人代表者は本件通帳を含む控訴人の各預金通帳を事務所の鍵付きスチールロッカーに保管し、この鍵を事務所の机に入れていたが、控訴人の銀行届出印鑑(なお、この印鑑は控訴人の登録印鑑でもあった。)については鞄に入れて持ち歩いていた。控訴人代表者は、平成一五年八月八日に本件口座から払戻を受けた後、平成一七年六月上旬ころまで、決算時期を含め、本件通帳の所在を確認していなかった。なお、これまで、控訴人の事務所は、盗難の被害にあったことはない。
(3) 控訴人は、D原松夫に対し、控訴人名義の不動産を、売却代金約九〇〇万円、毎月六万円の分割支払、完済したとき所有権移転登記手続をするとの約束で売却し、その分割金の送金を受けるため、本件口座を開設した。そして、その約束どおり、D原松夫から本件口座に定期的に六万円の入金が続けられた。他方、本件口座からの出金(払戻)については、本件払戻前には、平成一五年八月八日、被控訴人の大阪支店で、一六万八〇〇〇円がなされたにすぎない。
(4) 平成一七年四月一五日、スーツとネクタイを着用した男性(以下単に「本件来店者」ということがある。)が被控訴人の大阪支店を訪れ(同日午後二時四一分)、「おなまえ」欄に控訴人の名称と控訴人代表者の氏名を記載し、「お届け印」欄に控訴人の銀行届出印鑑を押捺した金額二七七万円の払戻請求書を窓口に提出した(同日午後二時四四分)。窓口では、被控訴人職員C川が本件来店者に応対した。C川は、同来店者から上記払戻請求書と本件通帳の提出を受け、GS端末(電子データで取り込まれた銀行届出印鑑の印影と払戻請求書の印影を重ね合わせて照合する印鑑照合機)で上記払戻請求書に押捺された控訴人の印影と控訴人の銀行届出印鑑の印影を重ね合わせて照合し、上記払戻請求書の印影は控訴人の銀行届出印鑑による印影と同一の印影であると判断した。そして、C川は、本件払戻の手続を終え(同日午後二時五〇分)、同来店者に対し、本件通帳と現金二七七万円を交付した(同日午後二時五一分)。その際、C川は、本件来店者が身だしなみが良く、落ち着いた様子であり、不自然な挙動もなかったため、同来店者に対して身分証明書の提示を求めることや、控訴人代表者の連絡先に電話連絡をすることなどはしなかった。
(5) 控訴人代表者は、平成一七年六月上旬ころ、事務所の鍵付きロッカー内を見たが、本件通帳が見当たらなかったため、本件通帳を紛失したと考え、被控訴人の本店営業部の職員に電話をした。被控訴人の職員は、控訴人代表者に対し、同日、電話で、残額はほとんどなく、被控訴人の大阪支店でほぼ全額が引き出されている旨を伝えた。
その後間もなく、控訴人代表者は、被控訴人の大阪支店を訪れ、同支店の職員から、本件払戻に係る払戻請求書を見せられたが、記載された筆跡など上記払戻請求書に見覚えはなく、同職員に対し、本件払戻について抗議した。これに対し、被控訴人の職員は、控訴人代表者に対し、上記払戻請求書と本件通帳の各印影を照合確認して本件払戻をしたものであり、被控訴人に落ち度はないと答えた。
控訴人代表者は、被控訴人の職員の説明に納得できなかったので、その日のうちに、本件の解決について控訴人訴訟代理人弁護士に相談をした。
また、控訴人代表者は、平成一七年六月上旬ころ、被控訴人に対し、本件通帳の喪失手続をし、同年一二月ころ、警察に相談に行き、本件通帳の紛失届を提出した。
(6) ところで、平成一五年一月六日、金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律(平成一四年法律第三二号。その後、「金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律」と題名が改正されている。以下「本人確認法」という。)が施行された。
被控訴人は、本人確認法の施行に際して、平成一五年九月一日現在ということで、「口座開設、有価証券の売買、保険契約の締結、貸金庫、保護預りなどの取引」あるいは「預金の入金・出金、振込等で二〇〇万円を超える大口の現金取引」のとき、顧客が個人の場合には、「運転免許証、旅券(パスポート)、住民基本台帳カード(写真付きのもの)、各種健康保険証、各種年金手帳、各種福祉手帳、外国人登録証明書、取引に利用する印鑑の印鑑登録証明書など」の提示を求め(代理人による取引の場合、代理人と本人両方の本人確認書類の提示を求め)、顧客が法人の場合、「登記簿謄本・抄本、印鑑登録証明書など」の提示を求め、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと記載した本件パンフレットを作成し、顧客に配布した。
また、被控訴人は、平成一六年二月、通帳副印鑑を廃止するなど、以前から、盗難・偽造カード対策を講じてきたところ、平成一七年三月、「偽造カード・盗難通帳対策について」というニュース・リリースを公表し、平成一七年四月、「窓口での預金払戻時における暗証番号による本人確認のお願い」というニュース・リリースを公表した。これらリリースによる措置は、盗難キャッシュカードや盗難通帳による被害防止を目的とするものであるが、そのうち、窓口での一定金額を超える預金引出について、「暗証番号入力装置」による本人確認システムなどを導入し、通帳と払戻請求書の提出のほか、キャッシュカードの暗証番号を同装置に入力して本人確認をするというものである。しかし、同システムは、キャッシュカードを発行していない顧客については適用がなく、被控訴人は、これら顧客については、「運転免許証等、本人を確認できる書類の提示を求めることがある。」と説明しているのみであって、本件払戻の当時、従前のとおり、挙動不審な場合などに限って、運転免許証の提示を求めるなどして払戻請求者の権限を確認する運用をしていた。なお、被控訴人は、上記システムを、平成一七年四月二一日から行うこととした。
(7) 他の金融機関の実情として、株式会社東京三菱銀行(現株式会社三菱東京UFJ銀行)は、平成一二年当時、既に、普通預金の一〇〇万円以上の払戻の場合、通帳と銀行印の他、来店者の免許証等の本人確認書類か本人のキャッシュカードを求める取り扱いをしている(これに対し、乙23の報告書中には、そのような取り扱いがないとの記載があるが、これは甲16、17の各報告書の記載に照らして採用できない。)。
(8) なお、全国銀行協会の調査(平成一五年一一月二七日公表)によると、盗難通帳による払戻しの件数・金額は次のとおりである。
(単位:件、百万円)
申出時期
件数
金額
12年度
一、一一八
二、一七八
13年度
七八六
一、六五八
14年度
一、二九四
四、一六五
H15年4月~6月
二四四
八〇四
H15年7月~9月
一八三
六八五
(注)顧客より盗難通帳により払い出されたとの申し出があり、実際に払い出されている件数と時期。
また、全国信用金庫協会の調査(平成一八年九月末現在)によると、盗難通帳による払戻しの件数・金額は次のとおりである。
申出時期
件数
金額
12年度
一三三
二六、四二九万円
13年度
一二七
二四、二二〇万円
14年度
一六九
三〇、四四五万円
15年度
一八一
二四、五四九万円
16年度
一三〇
一五、一五五万円
17年度
一〇二
九、五二〇万円
H18年1月~3月
二三
一、〇九三万円
H18年4月~6月
二〇
一、六七五万円
H18年7月~9月
一二
五七八万円
(注)顧客より盗難通帳により払い出されたとの申し出があり、実際に払い出されている件数と時期。
二 争点(1)(本件免責条項による免責の効果の発生)について
被控訴人は、本件預金契約には、被控訴人が、証書、払戻請求書、諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取扱ったうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害については責任を負わないとの本件免責条項の適用があるところ、被控訴人の担当職員は、払戻請求書に押捺された印影と届出印鑑の印影を相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めたものであり、実際に、払戻請求書に押捺された印影と本件口座の開設時の届出印鑑の印影とは同一印鑑によるものであるから、本件免責条項によって、被控訴人は本件払戻に関し責任を免れ、本件払戻の効果が発生する旨主張する。
しかしながら、債権の準占有者に対する規定である民法四七八条が、弁済者に対して、弁済の効力発生につき、善意、無過失を要求していることとの対比上、本件免責条項も、弁済者である被控訴人が、善意、無過失である場合にのみ適用があると考えるのが相当である。
したがって、被控訴人の担当職員が、払戻請求書に押捺された印影と届出印鑑の印影を相当の注意をもって照合し、相違ないものと認め、その判断に誤りがないから、直ちに、本件免責条項の適用があり、被控訴人は本件払戻に関し責任を免れ、本件払戻の効果が発生するとの主張は採用できない。
三 争点(2)(債権の準占有者に対する弁済の有効性)について
(1) 被控訴人の準占有者に対する本件払戻につき、善意、無過失により有効な弁済としての効力を有するか否かにつき、検討する。
(2) まず、控訴人は、被控訴人が、二〇〇万円を超える大口現金出金には、法人の場合、登記簿謄本・抄本、印鑑登録証明書などの本人確認書類の提示のほか、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと記載した本件パンフレットを作成配布しているから、本件払戻の際、被控訴人が来店者に運転免許証などの提示を求めるなどの本人確認の手続をとらなかった点につき、過失があった旨主張する。
そして、前記一の認定事実(6)のとおり、被控訴人は、平成一五年一月の本人確認法の施行に際して、同年九月一日現在ということで、「口座開設、有価証券の売買、保険契約の締結、貸金庫、保護預りなどの取引」あるいは「預金の入金・出金、振込等で二〇〇万円を超える大口の現金取引」のとき、顧客が個人の場合には、「運転免許証、旅券(パスポート)、住民基本台帳カード(写真付きのもの)、各種健康保険証、各種年金手帳、各種福祉手帳、外国人登録証明書、取引に利用する印鑑の印鑑登録証明書など」の提示を求め(代理人による取引の場合、代理人と本人両方の本人確認書類の提示を求め)、顧客が法人の場合、「登記簿謄本・抄本、印鑑登録証明書など」の提示を求め、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと記載した顧客用の本件パンフレットを作成し、顧客に配布している。
ところで、本人確認法は、金融機関等による顧客等の本人確認及び取引記録の保存に関する措置並びに預貯金通帳等を譲り受ける行為等についての罰則を定めることにより、テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約等の的確な実施、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律五四条の規定による届出等の実効性の確保及び公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律一条に規定する公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等が金融機関等を通じて行われることの防止に資する金融機関等の顧客管理体制の整備の促進並びに預金口座等の不正な利用の防止を図ることを目的とする旨規定しているところ(同法一条参照)、以上の認定や弁論の全趣旨によれば、本人確認法の目的は、金融機関の顧客管理体制の整備を促進することで、捜査機関によるテロ資金や犯罪収益等の追跡のための情報を確保し、金融機関がテロ資金供与やマネー・ローンダリング等に利用されることを防ぐことにあるのであって、通帳等顧客が本人であることを示す物の提示・送付があれば、再度の本人確認は不要である扱いとなっている。すなわち本件に即していえば、前記前提事実(2)のとおり、控訴人は、本件口座の開設の際、被控訴人に対し、登記簿謄本を提出し、本人確認の手続を経ているから、本件払戻の際の控訴人本人の確認手続は不要である扱いとなる。
ところが、本件パンフレットの記載内容は、本人だけでなく来店者の本人確認を求めているから、本人確認法の趣旨を超えて、盗難通帳による被害防止の趣旨・目的を含んでいるといわざるをえない。実際にも、盗難通帳による被害防止のためには、預金者本人の確認では不十分であり、実際に来店した者の本人確認が有効であることは明らかなことである。
そして、被控訴人は、本件パンフレットにより、二〇〇万円を超える大口現金出金等には、法人の場合、登記簿謄本・抄本、印鑑登録証明書などの本人確認書類の提示のほか、併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるなどと具体的かつ明確に記載した本件パンフレットを作成配布しているから、本人確認法の趣旨を超えて盗難通帳による被害防止の趣旨を含んでいるとの記載はないものの、特別の事情のないかぎり、本件払戻の際、被控訴人が来店者に運転免許証などの提示を求めるなどの本人確認の手続をとらなかった点につき、過失があったというべきであるし、その確認手続を不要とするような特別の事情を認めるに足りる証拠はない。したがって、被控訴人の本件払戻については、過失があるといわざるをえない。
これに対し、被控訴人は、顧客に配布した本件パンフレットは、一定の取引を行うにあたり本人確認を行う場合があること、その際には一定の書類が必要であることを周知し、本人確認をスムーズに行い、本人確認を行うにあたって顧客とのトラブルを未然に防ぐ目的で配布されたものであるから、被控訴人に何らの義務を課すものではない旨主張するが、一定の条件のもとでの来店者の本人確認を求める旨の具体的、かつ明確な記載内容からして、被控訴人の上記主張は明らかに採用できない。
また、被控訴人は、いわゆる本人確認法は、盗難通帳による不正払戻の防止を目的としたものではなく、近時、盗難通帳による不正払戻が多発しているからといって、それだけで払戻権限を確認しなければならないとすると、正当な権限を有する者が速やかな払戻を受けられず、急な資金需要に支障を来すなど予期し得ない不利益を受けるおそれがある旨主張するが、本件パンフレット上では、二〇〇万円を超える大口現金取引を行うときなどに来店者の本人確認を行うなど、その範囲を限定しているうえ、被控訴人のニュース・リリースによると、本件払戻の少し後であるが、平成一七年四月二一日から、窓口に暗証番号入力装置を設置して、大口の現金支払や挙動不審な場合など一定の預金取引をする場合、通帳と払戻請求書の提出のほか、キャッシュカードの暗証番号を上記装置に入力することによる確認をすることを実施する予定であり、本件払戻直後からは、本件パンフレットによる本人確認は、キヤッシュカードを発行していない預金者に限られることに照らすと、被控訴人の主張する不利益はさほど大きいといえないものと考えられる。
あえて付言すると、本件パンフレットは、全国地方銀行協会が作成印刷し、それに被控訴人名を入れたもののようであり、被控訴人は、本件パンフレットの記載内容を十分には検討せず、本人確認法の趣旨内容を記載したものと理解したのではないかと推測されるが、本件パンフレットは、顧客用であるためか、図の利用や文字を大小化するなどわかりやすい記載であるうえ、本人確認をさせていただくことがあるとか、本人確認書類を提示願いますとか使い分けて記載しているし、個人の場合の代理人による取引には、本人と代理人の両方の本人確認書類の提示を求め、法人の場合には、法人の必要書類と併せて来店者の本人確認書類の提示を求めるとの二箇所に同様の記載があり、本人確認法の趣旨、内容を超える内容であることは容易に理解できるというべきである。そして、被控訴人としては、顧客に本件パンフレットを配布する以上、信義則上、同パンフレットにより顧客に求める記載内容はその記載どおりに実行すべきであるというべきであるのに、被控訴人としてそのような対策をとったと認めることができず、そのため本件払戻の際の来店者についての本人確認が行われていないから、被控訴人に過失があったといわれてもやむをえないというべきである。
(3) なお、念のため、被控訴人主張のとおり、本件パンフレットによっても、被控訴人に来店者の確認をする義務まではないとの見解のもとにおいて、本件払戻につき、被控訴人に過失があるか否かについて検討する。
前記の前提事実及び認定事実によると、控訴人は、平成一二年六月二日、資本の総額三〇〇万円、不動産の売買、賃貸等を目的として設立された有限会社であり、滋賀県大津市に本店事務所を有していること、本件口座は、控訴人が営業上常時使用していた口座ではなく、控訴人の取引先から毎月一定の金員六万円の支払を受けるために、被控訴人の本店営業部(和歌山市)で開設され、払戻としては、本件払戻前には、平成一五年八月八日、被控訴人の大阪支店で、一六万八〇〇〇円の払戻があったにすぎないこと、本件払戻請求の際、本件口座の残高は二七七万三二三〇円であったが、本件払戻の請求額はそのほぼ全額の二七七万円であったことが認められる。
以上の事実からすると、本件口座が控訴人の営業に常時使用されていないため、悪用される可能性がかなりあると容易に思いつくはずであり、また、来店者が二七七万三二三〇円という高額の預金残高のほぼ全額の払戻をしようとしているのであるから、少なくとも、被控訴人の担当職員は、来店者に対して、控訴人の代表者本人か代理、代行の者であるかの確認をすべきであったというべきである。したがって、被控訴人の担当職員が、本件払戻の際、その来店者に対して本人か、代理、代行の者かの確認をして、格別、不審な態度が認められなかった場合には過失がないというべきであるが、その確認をしないで、本件払戻の手続に応じたことにつき、被控訴人は過失があるといわざるをえない。
以上の次第であり、本件パンフレットの記載内容を考慮しなくても、本件払戻につき、被控訴人には過失があるというべきである。
第四結論
以上の次第で、被控訴人の払戻は、本件免責条項に該当せず、債権の準占有者に対する有効な弁済とはいえないから、控訴人の請求は理由がある。
よって、これと異なる原判決を取り消すこととして、主文のとおり、判決する。
(裁判長裁判官 横田勝年 裁判官 東畑良雄 小林秀和)