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大阪高等裁判所 平成19年(ネ)2179号 判決 2008年6月26日

控訴人

東京穀物商品取引所(以下「控訴人取引所」という。)

同代表者理事長

A<他1名>

上記二名訴訟代理人弁護士

増岡由弘

青田容

被控訴人

同訴訟代理人弁護士

斎藤英樹

大槻哲也

主文

一  原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

主文同旨

第二事案の概要(略記は、原判決のそれに従う。)

一  本件は、被控訴人がアイコム株式会社(以下「アイコム」という。平成一四年一二月五日破産宣告)との商品先物取引において、平成一四年三月二八日から同年五月一三日までの間、商品先物取引(以下「本件取引」という。)を委託し、委託証拠金名目で二八〇万円を預託したが、アイコムの従業員の勧誘及び取引段階の一連の行為が商品先物取引委託契約上の注意義務に違反した結果、損害を被ったとして、アイコムとその従業員を相手方として、不法行為又は債務不履行に基づき提起した損害賠償請求訴訟に勝訴した被控訴人が、控訴人らに対し、平成一六年法律第四三号による改正前の商品取引所法(以下「法」という。)九七条の三第一項(対控訴人取引所)、九七条の一一第三項(対控訴人保護基金)に基づき、委託により生じた債権として、前記訴訟で認容された損害金(委託証拠金残金一〇三万三六〇五円、売買による損失等一七六万六三九五円、弁護士費用二八万円)のうち、控訴人らから任意に支払を受けた委託証拠金残金一〇三万三六〇五円を除いた残金二〇四万六三九五円と、不法行為に基づく慰謝料請求として五〇万円とを合計した二五四万六三九五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  訴訟の経過

(1)  原審は、委託により生じた債権には、委託と相当因果関係を有する限り、委託契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償債権を含むと判示した上で、被控訴人の慰謝料請求部分は棄却したが、その余の請求は全部認容した。そこで、控訴人らが敗訴部分を不服として控訴した。

(2)  差戻前の控訴審は、原審と同様の理由で控訴を棄却した。なお、アイコムが弁済契約を締結していた指定弁済機関である社団法人商品取引受託債務補償基金協会(以下「旧基金」という。)の業務を、控訴人保護基金が承継し、差戻前の控訴審で訴訟を承継した。そして、控訴人取引所と控訴人保護基金が敗訴判決を不服として上告受理の申立てをした。

(3)  最高裁判所は、同申立てを受理して、平成一九年七月一九日言い渡した判決において、次のとおり判示した。① 商品取引員は商品市場における取引につき、委託者から預託を受けた金銭、有価証券その他の物及び委託者の計算に属する金銭、有価証券その他の物(以下「委託者資産」という。)を委託者に引き渡すべき義務を負うものであり、委託者において、商品取引員に対し、商法等の規定により委託者資産と認められるものの引渡しを請求する債権(これに係る利息及び遅延損害金債権を含む。以下「委託者資産の引渡請求債権」という。)が、「委託により生じた債権」に該当することは、明らかというべきである。② 法九七条の三第一項、九七条の二第二項、一三六条の一五などによれば、受託業務保証金の預託が委託者資産を構成する委託本証拠金を保全する趣旨のものであることが明らかである。したがって、取引所による受託業務保証金の払渡しは、委託者資産を構成する委託本証拠金の引渡しの実質を有するものである。ゆえに、「委託により生じた債権」は、委託者資産の引渡請求債権を指すものと解するのが相当であり、会員の債務不履行又は不法行為に基づく委託者の損害賠償債権は、たとえ会員の受託業務と相当因果関係を有するものであっても、委託者資産を構成するものとはいえない。そう解さないと、その分、当該会員に対し商品市場における取引を委託した他の委託者の委託本証拠金の引渡請求債権を犠牲にすることになりかねず、委託本証拠金を保全するという受託業務保証金預託の制度の趣旨に反することになるし、法一三六条の二二(商品取引責任準備金制度)の趣旨からもそう解すべきである。③ 次に、法九七条の一一第三項は、商品取引員が受託に係る債務を弁済することができない場合の指定弁済機関による弁済について規定しているが、同項にいう「受託に係る債務」とは、法九七条の三第一項の「委託により生じた債権」を受託者である商品取引員の側から規定したものであり、両者は表裏の関係にあってその範囲を同じくするものであることが明らかである。④ ところで、委託者資産と認められるべきものである限りは、たとえ商品取引員の帳簿、書類等に記載されていないもの等であっても、委託者はその引渡しを請求する債権を有する。委託者が、本来、委託者資産の引渡請求債権として認められるべきものを、取引所及び指定弁済機関に対し、填補賠償等の損害賠償債権として申し出たとしても、実質的に委託者資産の引渡請求債権の実現を求めているものということができ、取引所及び指定弁済機関は、委託者資産の保全・回復という趣旨から、これについて払渡し又は弁済を行うべきである。⑤ アイコムに対して取得したとする損害賠償債権のうち、二八万円の弁護士費用については、委託者資産の引渡請求債権の実質を有するものではないことが明らかであり、これについての被上告人の上告人らに対する請求はいずれも理由がないというべきであるが、本件取引における一七六万六三九五円の損失額については、必ずしもその内容が明らかではなく、被上告人の被った損害の内容によっては、委託者資産の引渡請求債権の実質を有するものである可能性もある。

その上で、原判決を破棄し、第一審判決中弁護士費用を認容した部分を取り消して請求を棄却し、その余の部分である一七六万六三九五円の損失額及びこれに対する遅延損害金の請求について、委託者資産の引渡請求債権の実質を有するものであるか否か等について更に審理をさせる必要があるとして、本件を当審に差し戻した。

三  差戻し後の争点及び当事者双方の主張

(1)  したがって、差戻し後の当審における審判の対象は、一七六万六三九五円の損失額及びこれに対する遅延損害金の請求(以下「本件審判対象請求」という。)だけであり、主な争点は、本件審判対象請求が委託者資産の引渡請求債権の実質を有するものであるか否か等である。

(2)  前提事実は、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「前提事実―争いがない事実及び証拠上容易に認定できる事実」に記載のとおりであるから、これを引用する。

(3)  前記(1)の主な争点に関する当事者の主張は次のとおりである。

(被控訴人)

ア アイコムの従業員による被控訴人に対する本件取引の勧誘及び各売買には、次の瑕疵があり、本件取引は無効であってその効力が被控訴人に帰属しないので、本件審判対象請求は委託証拠金返還請求の実質、すなわち、委託者資産の引渡請求債権の実質を備えている。

(ア) 本件取引の勧誘は、アイコムの経営が悪化する中で、同社経営陣が担当者に強引な勧誘、過大な勧誘を指示し、取引を終了しようとする顧客には仕切拒否をさせて、委託証拠金返還には応じないなど、組織的に違法な勧誘が行われたケースであり、本件取引勧誘は詐欺行為そのものである(甲一六)。

また、アイコムのB、Cらが、「Xの名前で登録しました。」「既に登録してしまった。」「特別に一六〇万円にさせてもらう。」などと言って、被控訴人に本件取引委託契約を締結させ、各売買注文を取り付けた行為は、全く虚偽の説明であった。被控訴人は、既に名前が登録されており、入金を断り切れないと判断したからこそ、わざわざサラ金まで出向いてお金を用意したものである。本件取引委託契約及び本件取引契約は、契約の要素に錯誤があり無効であるし、少なくとも詐欺行為として取消しの対象となる。

(イ) アイコム担当者の被控訴人に対する本件取引の勧誘から終了までの一連の行為は、次の点で極めて違法性が高く、公序良俗に反し、信義則に違反する。① 名前を登録しており、契約締結、入金を拒絶できないと虚偽の事実を述べて勧誘した点、② 余裕資金がなく、サラ金による借入れで取引開始を勧めるなど、不適格者に対する勧誘である点、③ 投機性の説明を怠って、「一か月もあれば十分です。」「四月末には利益をつけてお返しします。」などと専ら短期間で利益が得られることを強調して勧誘している点、④ 本件取引の内容としても、わざわざ買い直しの取引を一日に三回も繰り返し、利益金の大半を証拠金に振り替えて、目一杯の建玉(満玉)を行わせている点、⑤ 相場予測が外れて、根洗損が拡大する中で、既存建玉の手仕舞いを助言せず、反対建玉の注文をさせる一部両建を多用させている点、⑥ 被控訴人が資金がないと断っているのに、不安を煽って不足証拠金を入金させている点、⑦ 被控訴人が取引をやめたい、中止したいと要請しているのに、「お金を入れずにやめることはできない。」「不足金が入らなければ、従前の取引を取り消して、更に大きな損失を請求することになる。」「そうすれば全くお金が戻ってこない。」などと虚偽の説明を行って、仕切拒否を行っている点、⑧ しかも、被控訴人の代理人が介入して、全建玉を手仕舞って取引を終了させたのに、精算すべき委託証拠金でさえ一円も返還しなかった点。このように、本件取引は、詐欺的勧誘、不適格者勧誘、断定的判断提供、投機性の説明欠如、手数料稼ぎの無意味な反復売買、両建勧誘、虚偽説明による仕切拒否、証拠金返還の拒否など、著しく不公正な方法によってなされたものであり、公序良俗や信義則に反し無効なものである。

イ 被控訴人が控訴人らに対し、委託により生じた債権として払渡し請求等した本件審判対象請求債権は、もともと被控訴人がアイコムに委託証拠金として預託した二八〇万円の一部である。本件審判対象請求は、いったん行われた本件取引について、アイコム担当者の不当勧誘を理由として、実質的に売買の効果を否定し、委託証拠金の返還請求権を実現するための法技術にほかならない。本件審判対象請求債権は、委託証拠金返還請求権が転化したもので、委託者資産の引渡請求の実質を有することは明らかである。

控訴人らは、平成一六年法律第四三号による改正後の商品取引所法(以下「現行法」という。)では、補償対象債権に、商品取引事故にかかる債権が除外されていることをもって、商品取引事故にかかる委託証拠金は受託業務保証金の払渡し対象とならないと主張するが、法の定める委託者財産保全制度と現行法下の委託者財産保全制度は全く異なっているし、本件最高裁判決の判断にも反する。なお、現行法下の業務規程四条二項は現行法三〇六条一項に違反し無効である。

ウ 法と同じく、顧客資産の分別保管、証券取引責任準備金、顧客資産、補償対象債権の規定を有する旧証券取引法下において、証券会社に社債代金を払い込んだ投資家から、証券会社の破産宣告により払込金の返還が困難になったとして、投資者保護基金に補償金支払を求めた事案において、最高裁平成一八年七月一三日判決は、補償対象債権の支払によって投資者の保護ひいては証券取引に対する信頼性の維持を図るという基金が設けられた趣旨等にかんがみると、補償対象となる証券業に係る取引には、証券会社が証券業に係る取引の実体を有しないのに、同取引のように仮装して行った取引も含まれると判示しているのであって、この理は本件事案にもそのまま当てはまる。

エ 控訴人らは、別件判決で認定されたアイコム担当者の被控訴人に対する不当勧誘の内容全般について否認するが、それは時機に後れた攻撃防御方法として許されない。

(控訴人ら)

ア 取引が公序良俗に違反して無効、あるいは信義則上取引の効果を被控訴人に帰属させるべきではないというためには、実質的には全く本人の意思に基づいて行われたものではないと見られるに等しいような特段の事情が存在しなければならないと解されるところ、本件についてそのような特段の事情が存在するとは全く考えられない。そのため、本件審判対象請求債権に見合う委託証拠金は、被控訴人がアイコムに委託して行った有効な商品先物取引において生じた取引損失の弁済に充当されてしまっており、同債権は既に委託証拠金の一部ではない。

(ア) 客観的にみても、被控訴人は取引開始当時三四歳で自動車販売会社に勤務し、自動車販売の職務に従事していた者であって、商行為、経済的行為についての常識的な判断力は十分に備えていたとみられる者であり、このような者が、自分で全く了解もしていない契約について、一方的に「既に登録してしまった」という話をされて、その意味、内容も確認せずに信じ込み、契約締結を断れないと誤解することなど、常識的にも全く考えられないことである。

(イ) 本件取引は、社会的常識も判断力も十分に有しているとみられる被控訴人が、商品先物取引の危険性を了知した上で取引を行うものであることが記載されている契約書に当たる約諾書に、自ら署名押印した上で開始した取引であり、取引内容についても、その都度アイコムから売買報告書が送付されて、被控訴人がその内容を確認しながら自己の意思に基づいてさらに資金を追加して取引を継続していったものである。これらの売買は、アイコム担当者と被控訴人の何らかの打合せの下に行われ、あるいは承諾の下に行われたものであることが推認される。本件取引のような内容の場合には、一定の過失相殺が認められることが極めて一般的な判断であり、本件においてこれを超えて取引全体の効力が失われ、損害額全額の賠償が認められるような特段の事情は客観的には存在していない。

イ 仮に、商品先物取引の効力が公序良俗違反等により無効とされて被控訴人に帰属しないことになったとしても、これによって改めて存在することになった委託証拠金(以下「商品取引事故にかかる委託証拠金」という。)の返還請求権は、受託業務保証金の払渡し及び控訴人保護基金からの弁済の対象となる委託者資産の引渡請求権には当たらない。すなわち、受託業務保証金制度及び旧基金からの弁済の制度は、商品取引員が破綻した場合に、この業者に委託して行われているすべての商品取引が商品取引事故なく正常に行われているという状態を前提として、各委託者が預託している委託証拠金、委託者の計算にかかる利益金が、当該委託者に確実に引き渡されることを保全することにより、取引所取引の委託取引に内在するリスクを排除するための制度であるから、商品取引事故にかかる委託証拠金の返還請求権は支払の原資となる資金の枠組みにも入ってこないものであり、制度として想定された支払対象債権の範囲外のものであり、受託業務保証金の払渡しの対象とはならない。

なお、現行法においては、同法に基づき制定された業務規程四条二項の定めによれば、控訴人保護基金の補償対象となる委託者資産に係る債権には、商品取引事故にかかる委託証拠金の返還請求権が含まれていないことは明らかである。現行法において、取引等の受託に関して生じた事故に係る債権が控訴人保護基金からの支払の対象から排除されているということが明文で規定されたのは、支払の対象を同じくする法改正前の旧基金からの弁済の制度においても取引等の受託に関して生じた事故に係る債権は弁済の対象から排除されていたものを、より明確に規定したものである。

ウ 旧証券取引法における投資者保護基金制度と法の下における受託業務保証金制度及び指定弁済機関からの弁済制度とは、制度の趣旨、またそこから導かれる弁済の原資となる資金の構成等においても異なるものであり、したがって、被控訴人の引用する最高裁平成一八年七月一三日判決は本件についての判断の参考となるものではない。

エ 控訴人らは、被控訴人が差戻し後の当審において主張することになった、本件取引行為が公序良俗違反、詐欺、錯誤等により効力を生じないとの法的主張との関連において、被控訴人の主張事実の評価・認識を争っているものであり、時機に後れた攻撃防御方法であるとの被控訴人の主張は失当である。

第三当裁判所の判断

一  事実経過

(1)  前提事実、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

ア アイコムは、商品先物取引の受託を業とする株式会社であるところ、その前身である山文産業が平成一二年一〇月ころから高利金融業者等からの借入れが増えて資金繰りが悪化していき、平成一三年一〇月ころ、商品取引員の許可の更新を得るためアイコム株式会社と商号変更した米津商事株式会社に吸収合併されたものの、平成一四年六月一四日に一回目の不渡りを出したが、高利金融業者等からの借入れを継続して会社の延命を図り、多額の会社資金を仮払金という名目の下に役員、従業員及び第三者に交付し流出させて放置するという杜撰な経理処理を行っていたもので、同年一一月二九日には二回目の不渡りを出して倒産し、同年一二月五日、東京地方裁判所に破産申立てを行い、同日午前一一時に破産宣告がなされた(破産管財人D弁護士)。アイコムの破産管財人が未収金請求債権、貸付金債権や仮払金返還請求権の回収を目指して元従業員らから事情を聴取したところ、多くの債権は回収が不可能又は著しく困難であることが判明したが、その理由として、委託者に対する未収金請求債権に関しては、未収金請求債権を立証するための証拠が不十分であることや、委託者のうち少なからぬ者がアイコム従業員による無断売買などの不法行為を根拠に相殺を主張し、その多くには正当性が認められるといった管財人報告がされている。

イ 被控訴人は、昭和四三年一二月二五日生まれで自動車販売会社に勤務する当時三三歳の既婚の会社員であり、先物取引はおろか株式取引の経験もなかったが、アイコム外務員のB、C、Eは、被控訴人に対し、東京コーンの先物取引を勧誘して受託し、被控訴人は、平成一四年三月二八日から同年五月一三日までの間、原判決別紙一、二記載のとおり、東京コーンの商品先物取引(本件取引)をアイコムに委託した。本件取引の差引損益は最終的に一七六万六三九五円の損失となり、また、本件取引における委託証拠金の入金状況は、原判決別紙三のとおりであり、預託額は二八〇万円であった。その取引経過の詳細は次のとおりである。

ウ(ア) 平成一四年三月二〇日ころ、被控訴人がアイコム担当者(B)から先物取引の勧誘を受け、さらに、同月二七日に勤務先に電話勧誘を受け、被控訴人が余裕資金がなかったためいったん断ったが、なおもBが「Xの名前で登録しました。」「二〇口で二〇〇万円になる。」などと虚偽の事実を申し向け、被控訴人が「金がないと言っている。何でそんなことになる。」と抗議したのに対し、他の担当者(C)が、「特別に一六〇万円にさせてもらう、四〇万円は会社に言って対処する。」「既に登録してしまったので、何とか今晩九時までに用意してほしい。」「従業員を行かせますので。」などとやや強引に勧誘した。同日、被控訴人は、担当者から商品先物取引の危険性についての一応の説明を受け、商品先物取引の危険性を了知した上で取引を行うものであることが記載されている契約書に当たる約諾書に、自ら署名押印した。

被控訴人は、同月二七、二八日に、担当者(B)に勧められるまま、サラ金のリッチ、アコム、プロミスや武富士などから借り入れた一六〇万円の証拠金を入金した。その際被控訴人は、「金利も付くので一日も早く返したい。」「ちゃんとしてほしい。」と言ったところ、担当者は「一か月もあれば十分です。」「四月末には利益を付けてお返しします。」と述べた。この二八日に、買い二〇枚の発注がなされた。なお、被控訴人の行った本件取引については、その都度アイコムから売買報告書が被控訴人に送付された。

(イ) その後、同年四月二日、担当者(E)から「上がっている。」「利益が出ています。」との連絡があり、被控訴人はその助言に従って、売りを三回と買いを三回の発注を繰り返した。

(ウ) 同年四月四日、被控訴人は担当者(E)から電話で、「とうもろこしの値段が下がって追証が発生した。」「追証を用意してほしい。」「一六〇万円を用意して、同じだけやる方が良いが、なければ八〇万円だけでも用意してほしい。」などと言われた。これに対し、被控訴人は「既に用意したお金もすべてサラ金からの借入れと言ってある。」「これ以上お金は用意できない。」と断った。それでも、担当者(E)は、「このまま何もしないと、更に損が増える。」「大変なことになる。」「何とか資金を用意してほしい。」と言ったため、被控訴人は父親から金を借り、不足分はサラ金から借り入れて、八〇万円を振り込んだ。その日、売り一〇枚が建てられた。

しかし、四月一七日にも、担当者(E)から、値下がりして追証がかかったなどと言われ、更に一四〇万円を請求されて、被控訴人は同月一九日に妻から金を借りるなどして、四〇万円をアイコムに振り込んだ。この日、売り五枚が建てられた。その後、五月二日に、買いを二回と売りを二回の発注が、五月八日に買い一回、五月九日に売り一回の発注がなされた。

(エ) それ以降も、被控訴人はたびたび担当者から不足証拠金の請求を受けたが、被控訴人は金を調達する能力がなかった。同年五月一〇日、被控訴人が担当者(E)に、「これ以上金は用意できない。」「もうやめたい。中止してほしい。」と懇願したが、担当者はあと一〇万円だけでも入れてほしいなどと言って、手仕舞いの注文を受け付けなかった。それ以降も、担当者(E)は、「金を入れなければ、やめることはできない。」「不足金が入らなければ、従前の取引を取り消して、更に大きな損失を請求することになる。」などと虚偽の事実を述べて、仕切注文を拒否したため、被控訴人は被控訴人代理人から五月一三日にアイコムあてに全建玉の決済を通知して、本件取引が終了した。

(2)  被控訴人は、控訴人らが別件判決で認定されたアイコム担当者の被控訴人に対する不当勧誘の内容全般について否認するのは、時機に後れた攻撃防御方法として許されないと主張する。

しかしながら、本件は上告審において原判決が破棄差戻しとなった事件であって、法律解釈や争点の理解が必ずしも容易ではなかったことが認められるのであるから、上告審において新たに判示された法的な判断を前提として、被控訴人において本件取引の委託が公序良俗違反、信義則違反、詐欺・錯誤により効力を生じないとの法的主張をなすこととの関連において、差戻し後の当審において、控訴人らがアイコム担当者の被控訴人に対する不当勧誘の内容全般についてこれを争うことはやむを得ないものというべきであるし、その主張を許すことによって、格段の訴訟遅延を来すものでもないのであるから、控訴人らの主張をもって時機に後れた攻撃防御方法として許されないとする被控訴人の上記主張は採用できない。

二  争点(本件審判対象請求が委託者資産の引渡請求債権の実質を有するものであるか否か等)について

(1)  前項の認定事実を前提として、争点について以下検討する。

ア 被控訴人はアイコムに対して元々二八〇万円の委託証拠金を預託し、その後被控訴人がアイコムに対し本件取引を委託して本件取引が行われた結果、被控訴人に生じた取引損失の弁済にこの委託証拠金が充当されて被控訴人主張の損害賠償請求権である本件審判対象請求債権が発生したという法律関係になるところ、委託証拠金返還請求権は委託者資産の引渡請求権の実質を有することは明らかであるが、本件上告審の判示によれば、本件審判対象請求債権は被控訴人の主張によれば損害賠償請求権であるから原則として委託者資産の引渡請求権の実質を有しないことになる。ただし、被控訴人からアイコムに対してなされた本件取引の委託の効力がないことに帰着すれば、この場合には、被控訴人に生じた取引損失の弁済にこの委託証拠金が充当されないことになり、本件審判対象請求債権は、その実質は委託証拠金返還請求権でありまさに委託者資産の引渡請求権の実質を有することとなる。

イ この点に関して、控訴人らは、受託業務保証金制度及び旧基金からの弁済の制度は、商品取引員が破綻した場合にこの業者に委託して行われているすべての商品取引が商品取引事故なく正常に行われているという状態を前提としているのであるから、仮に商品先物取引の委託の効力が公序良俗違反等により無効とされて被控訴人に帰属しないことになったとしても、これによって改めて存在することになった委託証拠金(商品取引事故にかかる委託証拠金)の返還請求権は、受託業務保証金の払渡し及び控訴人保護基金からの弁済の対象となる委託者資産の引渡請求権には当たらない、また、現行法においては、同法に基づき制定された業務規程四条二項の定めによれば、控訴人保護基金の補償対象となる委託者資産に係る債権には、商品取引事故にかかる委託証拠金の返還請求権が含まれていないことは明らかであると主張する。

しかしながら、上記制度が商品取引事故なく正常に行われているという状態を前提としているとの控訴人らの主張は、被控訴人の被った損害の内容によっては、本件審判対象請求が委託者資産の引渡請求債権の実質を有するものである可能性があるとする上告審の判断と相いれないものである上、取引の委託が詐欺取消し、錯誤無効、公序良俗又は信義則違反により無効とされる場合にも委託者を保護しないことになり、実質的にも妥当性を欠くものと考えられるし、また、現行法と対比しての主張は、現行法の規定が法の規定と異なっている以上、実益の少ない議論であるといわなければならず、控訴人らの上記主張はいずれも採用できない。

ウ また、被控訴人は、本件審判対象請求債権は、委託証拠金返還請求権が転化したもので委託者資産の引渡請求の実質を有することは明らかである、また、旧証券取引法につき判示した最高裁平成一八年七月一三日判決は、補償対象となる証券業に係る取引には証券会社が証券業に係る取引の実体を有しないのに同取引のように仮装して行った取引も含まれると判示していると主張する。

しかしながら、本件審判対象請求債権は無条件で委託者資産の引渡請求の実質を有するとする上記被控訴人の主張は、本件上告審の判断にそぐわないものであるし、制度を異にする旧証券取引法につき判示した判例が直ちに本件の解決に資するものでもないから、被控訴人の上記主張はいずれも採用できない。

(2)  そこで、被控訴人からアイコムに対してなされた本件取引の委託の効力の有無について、以下、更に検討する。

ア 本件取引の委託は詐欺取消し又は錯誤無効となるか。

被控訴人は、本件取引の勧誘は、アイコムの経営が悪化する中で、同社経営陣が担当者に強引な勧誘、過大な勧誘を指示し、取引を終了しようとする顧客には仕切拒否をさせて、委託証拠金返還には応じないなど、組織的に違法な勧誘が行われたケースであり、本件取引勧誘は詐欺行為そのものであると主張する。しかしながら、なるほど本件取引はアイコムが第一回目の不渡りを出す直前の時期であり、そのころのアイコムにおける取引の勧誘には相当の不法行為法上の問題点があったことは窺われるが、それがすべてアイコムによる組織的な詐欺行為であるとまでは断定できないし、それだけの理由で本件取引の勧誘行為が詐欺行為に該当するとはいえない。

また、被控訴人は、平成一四年三月二七日にアイコム担当者が「Xの名前で登録しました。」「既に登録してしまった。」「特別に一六〇万円にさせてもらう。」などと申し向けたのは虚偽の説明であり、詐欺取消し又は錯誤無効に該当すると主張する。しかしながら、被控訴人は本件取引の勧誘当時三三歳で自動車販売会社に勤務し、自動車販売の職務に従事していた者であって、商行為、経済的行為についての常識的な判断力は十分に備えていたとみられる者であり、このような者が、自分で全く了解していない契約について、一方的に「既に登録してしまった。」などという話をされて、その意味、内容も確認せずに信じ込み、契約締結を断れないと誤解し錯誤に陥ることによって本件取引の委託をなすに至ったとは、常識的にはにわかに考えがたいところである。なお、アイコム担当者は同年五月一〇日にも被控訴人に対して虚偽の事実を述べて仕切拒否をしているが、この時点は本件取引終了直前であって、これが仮に詐欺行為に当たるとしても、その後被控訴人は取引の発注をしていないので、もはや取り消すべき又は無効となるべき法律行為が存在しないものである。

したがって、被控訴人の詐欺取消し又は錯誤無効の主張は採用できない。

イ 本件取引の委託は公序良俗又は信義則に違反して無効となるか。

被控訴人は、本件取引の委託は、アイコム担当者による詐欺的勧誘、不適格者勧誘、断定的判断提供、投機性の説明欠如、手数料稼ぎの無意味な反復売買、両建勧誘、虚偽説明による仕切拒否、証拠金返還の拒否など、著しく不公正な方法によってなされたものであり、公序良俗や信義則に反して無効であると主張する。

なるほど、アイコム担当者による本件取引勧誘においては、アイコム担当者による詐欺的な勧誘、適格者とはいいがたい者に対する勧誘、断定的判断の提供、投機性の説明不足、手数料稼ぎと思しき無意味な反復売買、両建の勧誘、虚偽説明による仕切拒否、証拠金返還の拒否などの不適切かつ違法な勧誘行為がなされたことが認められ、それが不法行為を構成することは明らかである。しかしながら、本件取引の委託は、社会的常識も判断力も十分に有しているとみられる被控訴人が、担当者から商品先物取引の危険性についての一応の説明を受け、商品先物取引の危険性を了知した上で取引を行うものであることが記載されている契約書に当たる約諾書に、自ら署名押印した上で開始された取引であり、本件取引内容についてはその都度アイコムから売買報告書が被控訴人に送付されて、被控訴人がその内容を確認しながら自己の意思に基づいてさらに資金を追加して取引を継続して行ったということができ、これらの売買は、アイコム担当者と被控訴人の間の打合せ又は承諾の下に行われたものであることが推認されるところである。このような、本件取引が法定の公認市場での取引であり、本件取引についての最低限度の説明がなされているとみられること、必要書類の送付を受けるなどして被控訴人が自己の自由な判断ないし意思決定のもとに本件取引を行ったとみ得ること、被控訴人の判断能力の程度や取引期間が長期間にわたっていないことなどに照らすと、本件取引の委託が、公序良俗や信義則に反して無効であるとはいえないといわざるを得ず、被控訴人の上記主張は採用できない。

ウ 以上のように、本件取引の委託の効力を、詐欺取消し、錯誤無効、公序良俗又は信義則違反を理由として否定することはできないのであるから、本件審判対象請求債権は委託者資産の引渡請求権の実質を有しないものといわざるをえない。

三  結論

以上によれば、被控訴人の控訴人らに対する本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却するのが相当である。

よって、原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島田清次郎 裁判官 坂本倫城 山垣清正)

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