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大阪高等裁判所 平成19年(ネ)3305号 判決 2008年3月28日

東京都中央区<以下省略>

控訴人

野村證券株式会社

同代表者代表執行役

同訴訟代理人弁護士

高坂敬三

同訴訟復代理人弁護士

高坂佳郁子

西本良輔

大阪市<以下省略>

被控訴人

同訴訟代理人弁護士

田端聡

主文

1  原判決主文1項を,次のとおり変更する。

(1)  控訴人は,被控訴人に対し,2440万7400円及びこれに対する平成17年10月19日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

(2)  その余の被控訴人の請求を棄却する。

2  原判決主文2項に関する本件控訴を棄却する。

3  訴訟費用は,第1,2審を通じて,全部控訴人の負担とする。

4  この判決は,第1項(1)に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の求める裁判

1  控訴人

(1)  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  被控訴人の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は,控訴人の負担とする。

第2事案の概要

本判決においては,原判決と同じ略称を用いる。

1  事案の概要

(1)  本件は,被控訴人が,証券会社である控訴人に対し100万米ドルを預託していたところ,控訴人が被控訴人に無断で私募債(本件債券)100万米ドルを買い付けたとして,控訴人に対し,以下を求めた事案である。

① 控訴人と被控訴人との間の消費寄託契約に基づき,本件債券の途中売却により返還された77万2000米ドルを差し引いた22万8000米ドル相当の預託金2600万円の返還と,これに対する平成16年1月16日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払請求。

② 本件債券の無断買付けが不法行為に該当するとして,使用者責任に基づき,本件訴訟追行に係る弁護士費用260万円及びこれに対する平成16年1月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の損害賠償請求。

(2)  原判決は,上記①については平成17年10月18日まで,上記②については平成18年7月6日までの各遅延損害金を棄却したほかは,主たる請求の全部及びその余の附帯請求をいずれも認容したため,控訴人が,請求認容部分を不服として控訴を提起した。

2  争いのない事実等と争点及びこれに関する当事者の主張は,次項に当審における当事者の主な補充主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」の1及び2に摘示されたとおりであるから,これらを引用する。

ただし,原判決3頁10・11行目の「本件フォード債を買付注文」を「本件フォード債の買付注文」と改め,同頁下から5行目の「原告宅を訪れ」の前に「『ユーロ債のご案内』と題する資料(Final,甲1)を持参して」を挿入し,同頁下から4・3行目の「その際,Bは,「ユーロ債のご案内」と題する資料等(甲1ないし3)を原告宅に持参し」を「同月18日又は19日の被控訴人宅訪問の際(いずれの日であったかは争いがある。),Bは」と改め,4頁下から9行目の「購入したいし」を「購入しないし」と改め,5頁3行目の「受取利息」を「受取利率」と改め,9頁7・8行目の「50人未満の特定の投資家に募集をして発行する債券」を「50人未満の特定の者あるいは機関投資家のみを相手方として勧誘して発行する債券」と改める。

3  当審における主な補充主張

(1)  双方の主張や供述・証言の信用性等について

ア 控訴人

本件においては,被控訴人の供述と控訴人担当者B及びCの証言とは重要な点において相反するところ,以下のとおり,被控訴人の主張には数々の矛盾や疑問点があり,被控訴人の供述は信用できない。

(ア) 証券取引における顧客との受注は全て口頭でのやりとりであって,顧客と担当者のいずれの言い分が正しいかを判定する上では顧客の投資行動を推測できる属性が重要な判断要素であるところ,被控訴人は,100万米ドルもの大金を自由に動かすことができ,専ら富裕層を顧客とするシティバンクの支店長と懇意であるなど相当な資産家であり,超低金利の日本では外貨建債券の方が有利であるという知識も有し,金利に着目して資金をシフトしようとしていた。

上記属性を有する被控訴人にとって,金利の高い本件債券は魅力であり,被控訴人がその購入に強い意欲を有していたことは明らかである。

本件債券は,証券界においては広く販売され,富裕客が主たる対象の商品であって,金利の設定方法が特異なだけで,長期保有のリスクを除けばその内容は何ら難解なものではない。

被控訴人の日本語能力についても,家庭で日常的に日本語を使用し,シティバンクや住友銀行の支店長とも親交があり,財テクの相談も行っていたことや,自ら控訴人に架電して外貨建債券の商品性の説明を求めてきたことなどを見れば,日常会話以上のコミュニケーション能力に欠けるところはないというべきである。

(イ) 証券取引は,顧客と営業マンとの一定の信頼関係の下,口頭で行われるのが一般である。本件債券の売却の際に注文書を利用したのは,既に被控訴人と紛争状態となっていたため,更なる紛争を防止するための例外的な扱いに過ぎない。また,このように口頭でやり取りされる証券取引において,事後的に顧客の意思を確認する重要なチェック機能を果たすシステムが,取引報告書や取引残高報告書である。被控訴人は,本件債券についての取引報告書を見たことがないなどと供述するが,これが被控訴人に届いていないことはあり得ないし,長年財テクを心掛けてきた被控訴人において,その中身を見ないはずがない。

(ウ) 本件フォード債がなぜ売却されたのか,いつから本件債券がBと被控訴人との間で話題に上ったのかは,本件債券の買付けに至った経緯を判断する上で極めて重要な事実である。被控訴人の主張によれば,Bが,平成15年12月17日に突然本件フォード債の売却を執拗に勧めたことになるが,営業マンであるBが,大口顧客である被控訴人の機嫌を害してまで,執拗に本件フォード債の売却を勧める理由もメリットも存在しない。本件フォード債の売却は,本件債券の購入資金の調査を契機として持ち上がったことは否定し難い事実である。また,被控訴人は,同日には本件債券は話題に上らなかったと主張するが,Bは,同日には本件債券を被控訴人に案内するための社内手続を済ませているところ,本件債券の社内の申込期限は翌18日だったのであるから,同月17日に被控訴人と話ができたにもかかわらず,Bが本件債券について話をしないはずがない。

ちなみに被控訴人は,本件訴訟に先立つ証券業協会のあっせん手続においては,本件フォード債の売却についても無断でなされたと主張していた(甲5,8)が,本件訴訟では「仕方なく売却した」と主張を変遷させており,信用に足るものではない。

被控訴人が同月29日に米ドルMMFの100万米ドルを超える部分のみを円に換えて持参するよう指示している事実は,MMFに残した100万米ドルを本件債券の購入代金100万米ドルに充てるつもりであったことを示しており,本件債券100万米ドルの約定が成立していたことは明らかである。

(エ) 本件債券の社内申込期限は平成15年12月18日であり,同月19日には最終の意思確認を行うだけであるから,同月18日の時点で購入の意思が確認できなければ,同月19日に被控訴人と面談して本件債券について説明を行うのは全く無意味なことである。同月18日にBが被控訴人と面談し,本件債券について説明を行ったことは,前後の客観的事情に照らせば明らかである。控訴人がBの証言を裏付ける業務日誌等を提出しないのは,これが無いからであって,Bの証言の信用性とは全く別次元の問題である。

(オ) 控訴人は,平成15年12月19日に関係書類を示しながら説明を行ったなどとは主張していない。また,本件債券には,1年目の利率が相当に高いという魅力があったこと,当時の米国の金利情勢からすれば早期に償還されると考えられたことなどの事情があり,被控訴人は,これらを含めた本件債券の特性を十分に理解していたからこそ,これを重視して本件債券の購入に至ったというべきであり,そのような被控訴人の行動には合理性が認められる。

(カ) 被控訴人は,平成16年1月15日には,50万ドルにするか,100万ドルにするか考えて明日連絡する,明日が入金日だからまだ何とかなるだろうなどと述べていた(乙5)のであり,この発言内容からすれば,被控訴人は,一旦Bに本件債券買付けの意向を伝えたものの,米国金利情勢の先行きに不安を感じ,「入金日の前日」だから交渉したら未だ何とか契約を取り消せるのではないか,少なくとも半額の50万米ドルにはなるのではないかと考えて来店したことを示唆しているのであって,被控訴人が本件債券を買い付けたことを認識していたことを示すものである。

(キ) 本件債券の募集名簿は,本件債券が勧誘対象者を50人未満としなければならない少人数私募債であることから,その勧誘対象者の人数を管理するために作成しているものに過ぎず,Bにノルマはなく,Bが上記名簿に被控訴人をエントリーしてしまった以上是が非でも成約させたいなどいう事情は全く存在しない。

(ク) 被控訴人の主張は,前記(ウ)のとおりあっせん手続段階から首尾一貫しないし,平成15年12月18日のやりとりに関しても,あっせん手続段階ではBの訪問を受けたことはないと主張していた(甲7)のに対し,本件訴訟ではBが訪ねてきたのにインターホン越しに断ったと主張を変遷させている。被控訴人の供述は全く信用性を欠く。

なお,被控訴人は,本件フォード債の購入時も契約書を交わしていなかったのであるから,本件債券について契約書が作成されていないから約定が成立したとは考えなかったとの被控訴人の主張は,全く論理性を欠く。また,被控訴人は,平成16年1月7日,Bから米ドルMMF100万米ドルを解約し,本件債券の買付代金に充当する手続を取った旨の電話を受けたが,仮に本件債券が発行されてから買えばよいと考えていたとすれば,その電話の時点で問い質すのが自然である。被控訴人は,Bの上記説明を十分に理解したからこそ,買付代金に充当される同月16日の前日である15日が充当を中止させられるタイムリミットであると考え,同日に来店したのである。

イ 被控訴人

無断売買事案においては,証券会社側が注文の合意の存在を立証しなければならない。大企業たる証券会社にとって,注文の合意の存在についての立証方法の取得及び保存を心掛けることは容易なことである。特に,被控訴人は,高齢で,本件フォード債以外に証券取引経験がなく,本件フォード債の購入も検討に5か月を要して期間が短いことを最たる理由に購入に至っているし,中国生まれで,内容がわかりにくいときは娘のDと中国語で会話を行い,被控訴人代理人との意思疎通も特に電話では容易でないなど,日本語能力に難がある。他方,本件債券は,周知性に欠ける新規の私募債で,1年目は高利の利息が確定しているもののその後は最悪の場合利息が0のまま9年間拘束されるおそれがあるなどの特殊な金利設定を行った仕組債である。このような本件債券を,上記属性,投資意向等を有する被控訴人に,100万米ドルもの代金で発行前に確定的に注文させるについては,慎重な意思確認が必要であり,かつ可能であった。このような本件において,控訴人が敢えて証拠の取得や保存を行っていないのなら,その不利益を甘受すべきは当然である。

また,以下のとおり,控訴人の主張やB,Cの証言は信用できない。

(ア) 控訴人は,Bが提出可能であると証言した業務帳簿(接触履歴)についても,無いものを出さないだけであると,証言と矛盾する主張を続けており,証拠が存在しないから提出できないのではなく,不利であるから存在しないと述べて提出していないことが疑われ,控訴人の主張全般やBの証言に信用性を認め得ないことは明らかである。

(イ) 本件債券は,機関投資家や,十分な投資の経験や知識を有する裕福な投資家のみを対象とすべきものであって,被控訴人には全く適していない商品である。本件債券は被控訴人にとって著しく理解困難であるとともに,仮に十分理解できていれば購入するはずがない商品であった。にもかかわらず,Bは,電話1本で被控訴人が本件債券の特性を理解して購入意欲を示し,その後も何ら不安を述べることもなく購入に至ったというのであり,かようなBの証言は到底信用できない。

(ウ) 取引報告書は,取引後に証券会社から一方的に送付されるだけの書類であって,顧客が現実に目を通したかどうかも分からないし,取引経験の乏しい者がこれを見ても,直ちには意味が分からない場合もあり得る。本件債券の取引報告書がいつ送付されたかすら判然としない。被控訴人は,あっせん手続の段階から(甲7)本件訴訟まで一貫して,平成15年12月24日にCにした質問は本件フォード債に関するものであったことを明言しており,他方Cの陳述書(乙6)には,同日「売買報告書の見方について質問があり,ご説明しました」とのみ記載があるのであり,同日に被控訴人が本件債券の取引報告書を受け取っていたことを前提としたC証言の信用性は疑わしい。

(エ) 本件フォード債の売却につき,当時足の痛みに苦しんでいた被控訴人が,Bに執拗に売却を勧められた結果,利益が出るのであれば仕方ないとの意識にさせられて勧誘に応じてしまうことは何ら不自然ではない。被控訴人が,平成15年12月29日に本件フォード債の売却代金のうち100万米ドルを超える部分のみを受け取ったのは,既に勧誘を受けていた本件債券について発行日以後に答えを出すつもりでいたし,本件債券でなくともじっくり考えた上で別の外国債券を購入することもあり得たからである。なお,被控訴人があっせん手続等で提出した書面(甲5,8)には,本件フォード債の売却について無断であったなどいう指摘は記載されていない。

(オ) 平成15年12月17日の電話でのやり取りにつき,Bが,被控訴人に本件フォード債の売却を了解させることで手一杯となり,本件債券の勧誘までできなかったことは十分あり得るし,Bが本件債券の話を少し持ち出したものの,足の痛みに苦しむ被控訴人の意識に全く残らなかったことも十分考えられる。これに対し,前記のように日本語能力に難があり取引経験に乏しい上短期間の商品を指向する被控訴人が,難解で長期保有リスクもあるなどの特性を有する本件債券を,電話だけで理解した上で不安も述べずに100万米ドルを投じて購入を了解するに至ることはあり得ない。また,Bの証言によれば,被控訴人は,本件債券購入のためにもともとは売却する意思などなかった本件フォード債を売却しながら,その直後に本件債券の購入を後回しにすると述べたかと思えば,さらにその翌日には,被控訴人の方から本件債券の話を持ち出して本件債券の購入に至ったというのであり,あまりに不自然である。

(カ) 平成15年12月18日の面談の有無につき,控訴人の社内的には同月17日に手続が済んでしまっており,同月18日に特段の申込というべき手続が行われた形跡は皆無であるから,同日に面談が行われなかったことは何ら不自然ではない。また,Bは,同日は本件フォード債の売却代金の説明のために被控訴人方を訪れたもので,その際に被控訴人の方から本件債券の話が出たと証言するが,これは同月17日時点で被控訴人を本件債券の定員49名の中にリストアップしていたが同日には本件債券の話を後回しにされてしまったといったBの証言に照らし,明らかに不自然である上,本件債券の申込期限が同月18日であるから同日に面談したとの控訴人の主張と,完全に矛盾している。

(キ) 証券取引経験の乏しい被控訴人が,債券は発売されてから買えばいいと考えることは自然であり,日本語能力に難がある高齢の被控訴人に,発行前でまだ債券が存在しないのに確定的に買うことになることを完全に認識させることは容易ではない。明確な契約書等への署名捺印など,拘束を受けることを意識しやすい書類もないし,Bからこの点についての分かりやすい説明が行われた形跡もない。

なお,被控訴人が本件債券の発行日の段階,つまりまだ本件債券について損も得も生じていない段階で,本件債券の買付けを否定し,以後も否定を続けて激しく争い続けたことは,被控訴人の主張ないし供述の信用性を強く基礎付ける事実の一つである。

(ク) 証券会社たる控訴人が,本件債券を定員の49名全員に完売したいとの要請は極めて強かったはずで,ましてBは,既に被控訴人を定員の49名にエントリーしていたのであるから,被控訴人への販売に失敗すれば販売高が1名分減少してしまうこととなり,少なくとも社内評価上の大きなマイナス材料となることは明らかであった。前記のような属性,取引意向等を有する被控訴人が,平成15年12月17日から19日のわずか3日間で慌てて本件債券の買付けを決める動機は全くなく,Bの証言する経緯で買付けに至ることは不自然であるのに対し,Bには,同月19日までに約定処理を行う強い動機があったのである。

(ケ) 被控訴人の主張はあっせん手続段階から一貫しており,他方,控訴人の主張やB・C証言には,重要な事柄であるにもかかわらず,あっせん手続段階では主張として記載されていなかったり,本件訴訟の主張や陳述書段階では記載がなかったのに証言で初めて述べられたものもあり,このような主張ないし供述,証言等の一貫性の落差を見れば,いずれが信用できるかは自ずから明らかである。

本件フォード債購入時には,被控訴人は自ら買い付ける旨を明言した上で,実際に100万米ドルを送金して,既発債である本件フォード債を直ちに取得していた。これに対し,本件債券の場合は,未発行の上に被控訴人からは買付意思を表明しておらず,代金の送金等の買付意思の発現というべき手続も行っていなかったから,常識的に見て契約書でもなければ契約が成立したとはいえず,だからこそ被控訴人は,契約書すらないことを強調し続けてきたのである。

(2)  相殺の抗弁について

ア 控訴人

(ア) 被控訴人は,本件債券の利金として,平成16年7月16日に2万8000米ドル(同月23日,被控訴人はこれに相当する305万7738円を出金した。),平成17年1月19日に2万8000米ドル2セント,同年7月19日に8130米ドル1セント,平成18年1月18日に480米ドルの合計305万7738円及び3万6610米ドル3セントを受け取った。

仮に本件債券の買付けが無断買付けであれば,その効果は被控訴人に帰属しないから,控訴人は,被控訴人に対し,不当利得に基づき,上記利金の返還請求権を有する。

(イ) 控訴人は,被控訴人に対し,平成20年2月28日の当審第2回口頭弁論期日において,上記不当利得返還請求権をもって,被控訴人の控訴人に対する本件預託金返還請求権と対当額で相殺するとの意思表示をした。

イ 被控訴人

(ア) 控訴人の主張は,訴訟上の信義に反し,後記(イ)のとおり訴訟の完結を遅延させることも明白であるから,その主張立証自体が時機に後れたものとして,却下すべきである。

(イ) 被控訴人としては,利金の相殺の主張が行われた場合には,本件債券購入代金100万米ドルが約2年間拘束されたことによる得べかりし運用益に関する主張立証(信義則違反や相殺等)を行っていたはずであり,そうなれば,審理が相当に遅延することは明白である。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,原判決と同様に,本件債券の買付けは被控訴人の意思に基づいてなされたものと認めることはできず,無断買付けとして不法行為を構成すると認められるから,控訴人は,本件預託金の返還義務及び弁護士費用相当額の損害賠償義務を負うと判断する。ただし,返還すべき預託金の額は,当審口頭弁論終結時の外国為替相場によってその換算をすべきであるから,本判決主文1項(1)の限度に止まると判断する。また,控訴人の相殺の抗弁は,時機に後れた攻撃防御方法として却下すべきであると判断する。

理由の詳細は,当事者の当審補充主張等を踏まえて,次項のとおり原判決の判断を一部変更あるいは補充しつつ原判決を補正し,かつ後記3,4項に当審補充主張に対する判断を付加するほかは,原判決「事実及び理由」中の「第3 争点に対する判断」の1ないし3に説示されたところと同じであるから,これらを引用する(ただし,請求が一部棄却された附帯請求の始期に関して被控訴人からの不服申立てはないので,この点は当審の審理の対象外であるから,これに関する部分〔原判決26頁下から10行目から27頁1行目まで〕を除く。)。

2  原判決の補正

(1)  12頁2行目の「注文書や確認書等」を「被控訴人の作成した注文書や確認書等の書類や,口頭による注文の録音等の客観的な記録,被控訴人による購入代金の送金といった」と改める。

(2)  15頁14・15行目の「売買報告書の見方についての問い合わせの電話」を「本件フォード債の売却に係る取引報告書と本件債券の購入に係る売買報告書について,外貨決済で債券の取引を行ったにもかかわらず,なぜ日本円での記載があるのか,また,売却銘柄の日本円換算額と買付銘柄の日本円換算額を差し引きすると不足金が発生するが,これは支払わないなどとする電話」と改める。

(3)  16頁1行目の「明細書」を「明細」と改め,2行目の「取引明細書」を「取引の明細」と改める。

(4)  18頁下から4・3行目の「Bがその存在を認める旨の証言をしているにもかかわらず,最後まで提出しようとはしない。」を「Bが,当時取引で接触がある客が100件は超えており,『接触履歴』という名称の業務上の記録があり,これを印刷して提出することもでき,今日の証言もそういう履歴を見てのものである旨証言している(Bの証人調書23~24頁)にもかかわらず,原審でこれを提出せず,当審での補充主張でも,存在しないから提出できないだけであると主張するだけである。」と改め,同頁末行の「12月19日」を「12月18日又は19日」と改める。

(5)  19頁下から9行目から4行目までの段落を,次のとおり改める。なお,分かりやすいように,以下に原判決の判文を段落ごと引用した上,主な補正部分をゴシック体で表記することとする。なお,原告は被控訴人,被告は控訴人とする。

『ウ Cは,平成15年12月24日に被控訴人から本件フォード債の売却に係る取引報告書と本件債券の購入に係る売買報告書の記載内容に関する質問等を受けたことを根拠に,被控訴人はその時点で,本件債券を購入した旨の取引報告書を受け取り,その内容を理解していたはずであると証言するが,その時点で被控訴人が本件債券に関する取引報告書を受け取っていたことを認めるに足りる客観的な証拠は提出されていない。本件においては,上記取引報告書や売買報告書の控えの証拠提出やその発送システムについての具体的な主張立証等もなく,被控訴人に送付された取引報告書や売買報告書の具体的内容は証拠上不明であり,これがいつ被控訴人に到達したはずであるかも証拠上不明というほかない。被控訴人は,あっせん手続段階から一貫して(甲7,被控訴人本人),同日に問い合わせた件は本件フォード債の売買報告書に関するものである旨主張・供述しており,これを不自然であるということはできない。』

(6)  19頁下から3行目の「Cは」の次に「,上記に加えて」と付加し,同行から20頁4行目までにある「取引明細書」をいずれも「取引の明細」と改め,20頁6行目の「ないからである。」に続けて「さらに,前記のとおり,被控訴人が同日に持参していた取引の明細が具体的にどのような内容・表記で,またそれがいつ被控訴人に届いたはずであるかの証拠もない。」と付加する。

(7)  21頁4行目の「にもかかわらず」を「のに対し」と改める。

(8)  同頁12行目から下から5行目までの段落を,次のとおり改める(方式は(5)と同じ。)。

『 しかしながら,本件債券は未発行の私募債であって,控訴人が主張するような日常的に反復継続される典型的な証券取引とその性質を異にするうえ,最低価格が50万米ドル以上という高額商品であり,償還期間が長いにもかかわらず,流通性が低く途中換金が困難であり,発行前であっても最終確認後は取消しができないという特色が存する本件債券につき,日常的な証券取引と同一に論ずるのは適当ではない。また,本件債券の販売当時,控訴人においては,本件債券のような商品の販売に際し,一般に顧客から注文書等の書面を徴しておらず,被控訴人から注文書を徴求しなかったことが通常の手続として不自然とはいえないとしても,特に日本語の理解能力に疑問の余地があり,また本件債券のような未発行の私募債をこれまで購入した経験のない被控訴人に対して,債券発行の1か月弱も前に確定的に買付けを決する必要があるという本件債券の買付けを勧誘するに当たっては,通常よりも慎重にその意思を確認すべきであり,書面等により意思確認を行うことも検討されてしかるべきであったということはできる。そして,前記のように控訴人には当時注文書の書式が存在した上,控訴人従業員は何度も被控訴人宅を訪問しているのであるから,書面を徴する時間的余裕も十分にあった。なお,控訴人においても,平成18年5月ころ以降は,本件債券のような商品の購入に際しては,購入者から書面を徴しているとのことである(証人C,弁論の全趣旨)。したがって,本件において,注文書等の被控訴人作成の書類がないことによる立証上の不利益は,控訴人において甘受すべきものであるといえる。』

(9)  22頁11行目の「③」の次に「しかし,同月17日には被控訴人は,本件債券に興味を示しつつも,もう少し考えさせてほしいとして本件債券の買付けには至らなかった,④」と付加し,下から10行目の文末に続けて,「なお,控訴人は,Bにノルマなどはなく,被控訴人を上記名簿にエントリーしたからといって是が非でも成約させたいという事情は全く存在しないと補充主張するが,本件債券のような少人数私募債は勧誘人数が限られているから,勧誘した顧客はできる限り全員成約させたいと考えるのは証券会社やその営業担当者として当然の行動であると考えられ,かかる控訴人の補充主張は採用できない。」を挿入し,下から4・3行目の「私募債の仕組み等」を「私募債の仕組みや買付けの期限といった購入の仕組み等」と改める。

(10)  23頁5行目から12行目までの2段落を削除し,13行目の「(6)」を「ケ」と改め,14行目から24頁末行までのア~ウ項を,それぞれ(ア)~(ウ)項とする。

(11)  24頁下から7・6行目の「電話を架けた事実を認めるに足りる証拠はないし」を「電話を架けていたとしても」と改める。

(12)  25頁1行目から11行目までの段落を,次のとおり改める(方式は(5)と同じ。)。

『コ以上によれば,被控訴人の供述等は,その大筋において信用し得るものといえ,これに反する上証言を裏付ける客観的な資料等の提出もないB及びCの証言等は,採用することができない。

(6) 以上を総合すれば,本件債券の買付けは,被控訴人の意思に基づいてなされたものとは認めることはできない。

2  争点(2)(本件預託金の返還額)について

前記争いのない事実等と前記1の説示のとおり,被控訴人は,控訴人に対し,100万米ドルを預託しており,本件債券の買付けが被控訴人の意思に基づいてなされたものと認めることができない以上,本件債券の買付け及び売却は控訴人の計算によるべきであり,その損失を被控訴人の預託金から充当することは許されない。』

(13) 25頁下から5行目から26頁1行目までの段落を,次のとおり改める(方式は(4)と同じ。)。

『 もっとも,前記争いのない事実等(5)ウのとおり,被控訴人は,控訴人から,すでに77万2000米ドルを受領しているので,被控訴人が控訴人に対し返還を請求することができる本件預託金の残額は22万8000米ドルである。被控訴人は,これを円貨で請求しているところ,外国の通貨をもって債権額が指定された金銭債権についての日本の通貨による請求について判決をするにあたっては,裁判所は,事実審の口頭弁論終結時の外国為替相場によってその換算をすべきであり,当審口頭弁論終結時である平成20年2月28日時点での為替相場(1米ドル107.05円。弁論の全趣旨)によれば,22万8000米ドルの円貨換算額は2440万7400円であると認められるから,被控訴人の本件預託金返還請求は,2440万7400円の限度で理由がある。』

3  当審補充主張ア(主張や供述・証言等の信用性)についての補足判断

(1)  控訴人は,被控訴人の属性と本件債券の特性を考慮すれば,金利の高い本件債券は被控訴人にとって魅力的な商品であって,被控訴人がその購入に強い意欲を有していたことは明らかであり,本件債券の内容は何ら難解なものではなく,被控訴人の日本語のコミュニケーション能力にも欠けるところはないのであって,被控訴人は,本件債券の特性を十分に理解していたからこそ本件債券の購入に至ったものであるなどと主張する。

しかし,被控訴人が100万米ドル以上の投資可能資産を有しており,また,控訴人と被控訴人との取引開始の契機は被控訴人から外貨建債券の問い合わせをしたことであって,被控訴人が以前から外貨預金をしていたことを考慮しても,原判決を引用して示した争いのない事実等のとおりの被控訴人の年齢(取引当時67,8歳)や,外貨建債券の取引は償還期限残が3年3か月の本件フォード債の売買が初めてで,その前にはBから案内された償還期限5年の外貨建債券の購入を償還期限が長すぎることを理由に断っていたことなどの被控訴人の属性からすると,被控訴人の投資意向として,最長10年の長期保有リスクを有する本件債券を,当然に積極的に指向するとは考えられない。

被控訴人の日本語のコミュニケーション能力についても,控訴人の主張する事情を前提としても,この点に関する被控訴人の主張する事情をも併せ考慮すれば,被控訴人が,発行前に買付けを確定させる必要があるといった本件債券の購入の仕組みや,上記長期保有リスクを含めた本件債券の特性等を,電話による口頭の,あるいは簡単な資料(甲1~3,乙1)を用いた口頭の説明のみで,十分に理解できるはずであると認めることはできない。

(2)  控訴人は,Bが大口の顧客である被控訴人に対し,平成15年12月17日に突然本件フォード債の売却を執拗に勧める理由はなく,本件債券の社内での申込期限は同月18日であったことなどから,Bが同月17日に被控訴人に対し本件債券の買付けを勧誘し,同月18日に面談の上本件債券の説明を行い,同月19日には最終の意思確認を行うのみであったことは明らかであり,同月18日に購入意思が確認できなければ,同月19日に本件債券の説明をしても無意味であるなどとして,同月17日には本件債券の話はなく,同月18日にはインターホン越しに面談を断り,同月19日に面談の上本件債券の説明を受けた旨の被控訴人の主張・供述は信用性がない旨主張する。

しかし,控訴人の主張によっても,同月17日には被控訴人からは本件フォード債の売却のみ承諾があって本件債券の買付けの承諾は得られなかったのであり,また本件フォード債の売却はBから勧めたものであるから,Bが本件債券の案内と共に本件フォード債の売却を勧めたとしても,本件債券についての話題が被控訴人の意識に残らなかったとしても不自然とはいえない。また,同月18日には通院のためBとの面談を断ったとの被控訴人の主張は,電話によるかインターホン越しかはともかく,あっせん手続段階から一貫している(この点の被控訴人の主張の変遷を指摘する控訴人の主張は採用できない。)。そして,仮にBにおいて,同月18日に被控訴人と面談できなかったものの,既に本件フォード債の売却の承諾は得ていることや,それまでの被控訴人との会話内容等から,本件債券の購入についても被控訴人の承諾は得られるであろうと考えるなどして,先行して同月18日の時点で控訴人の社内的に被控訴人を本件債券の購入予定者として確定させたとすれば,Bにおいて,ともかくも同月19日に被控訴人宅を訪問し,資料を示しつつ本件債券の説明を行うことは十分に考えられるところであって,その旨の被控訴人の供述は不自然とはいえない。

これに加えて,原判決を補正引用して説示したとおり,控訴人からBの証言や行動を裏付ける業務帳簿等の資料の提出がないことを併せ考慮すると,上記被控訴人の供述と齟齬するBの証言を採用することはできない。

なお,控訴人は,被控訴人はあっせん手続においては本件フォード債の売却も無断でなされたと述べており,明らかに主張が首尾一貫していないとして,あっせん申立書(甲5)及び証券取引等監視委員会事務局責任者宛の書簡(甲8)を指摘するが,上記あっせん申立書や書簡(甲5,8)には,本件フォード債の売却が無断でなされたとの明示の記載はない上,文章全体としてみても,その主張の力点はあくまで本件債券の無断購入であって,被控訴人の主張や供述には,その主要な点において一貫性が認められるといえる。

また,控訴人は,被控訴人が平成15年12月29日に米ドルMMFの100万米ドルを超える部分のみを円に換えて持参するよう指示している事実から,本件債券100万米ドルの約定が成立していたことは明らかである旨主張するが,被控訴人が資料(甲1)に「発行日」として記載された平成16年1月15日までに本件債券の購入の是非を決断すればよいと考えていたとすれば,それまで100万米ドルを米ドルMMFとして残しておいたとしても何ら不思議はないから,これをもって本件債券100万米ドルの約定が成立していたことを裏付けるものとは到底いえない。

(3)  控訴人は,平成16年1月15日に被控訴人が,50万ドルにするか100万ドルにするか考えて明日連絡する,明日が入金日だからまだ何とかなるだろうなどと述べたことを前提として,この発言内容からすれば,被控訴人は本件債券を買い付けたことを認識していたものの,入金日の前日だから契約を半分でも取り消せるだろうと考えて来店したものと考えられる旨主張する。

しかし,被控訴人が上記のような発言をしたとするBの証言等(乙5,証人B)は,あっせん手続段階における控訴人の答弁書(甲6)には上記発言について何ら記載がなく,また被控訴人及びDは上記のような発言をしたことを否定していること(甲7,27,28,被控訴人本人,証人D)などに照らし証拠として十分でなく,他に被控訴人の上記発言を認めるに足りる証拠はない。したがって,これを前提とした控訴人の主張も採用できない。

控訴人は,被控訴人は本件債券購入前の本件フォード債購入時にも契約書を交わしていなかったのであるから,本件債券について契約書が作成されていないから約定が成立したとは考えなかったとする被控訴人の主張は全く論理性を欠く旨主張する。しかし,本件フォード債は既発債であり,しかも被控訴人は自ら100万米ドルを送金して,本件フォード債を直ちに取得しているのに対し,本件債券は未だ発行されておらず,代金の送金等の行為も行っていなかったのであるから,被控訴人として,本件債券については契約書の作成等の明確な行為がなければ未だ購入していないと考えていたとしても,不自然とはいえない。

さらに,控訴人は,Bが被控訴人に対し,平成16年1月7日に米ドルMMF100万米ドルを解約し,本件債券の買付代金に充当する手続を取った旨の電話をした際,被控訴人がクレームを言わなかったことは不自然であるとも主張するが,被控訴人が,同月15日の発行日までに購入の是非を確定させればよいと思い込んでいたとすれば,被控訴人の日本語の理解力も併せ考慮すると,控訴人の主張するようなBの電話のみによる説明で,その内容を正確に理解できたといえるか疑問の余地があるし,かかる控訴人の主張を考慮してもなお,これまで説示した諸事情を考慮すれば,被控訴人の供述が信用性を欠くものとはいえないというべきである。

(4)  その他,原判決を補正引用してした説示に反する控訴人の当審における補充主張は,いずれも採用できない。

4  当審補充主張イ(相殺の抗弁)について

(1)  控訴人は,当審において,仮に本件債券の買付けが無断買付けであれば,被控訴人が本件債券について受領した利金合計305万7738円及び3万6610米ドル3セントは,不当利得として控訴人に返還する義務を負うから,控訴人は,被控訴人に対する上記利金の不当利得返還請求権と被控訴人の本件預託金返還請求権とを,対当額において相殺する旨主張する。

(2)  しかし,上記相殺の抗弁は,当審において一旦弁論を終結した後に再開された弁論期日において初めて提出されたものであるところ,被控訴人が本件債券の利金を受領していたことは,控訴人において訴訟に至る前から当然に把握しており(甲6),また原審の審理中にも顕れていた事実である(被控訴人本人尋問等)から,控訴人が上記抗弁をより早い時機に提出することは,十分に可能であった。したがって,同抗弁の提出が上記時機になったことについては,それが仮定的相殺の抗弁であることを考慮してもなお,控訴人の故意又は重大な過失が認められるといわざるを得ない。そして,被控訴人は,利金の不当利得返還請求に対しては,本件債券購入代金が本件債券の売却時まで拘束されていたことによる被控訴人における得べかりし運用益を前提とした反論主張立証等を行う予定である旨主張しており,上記相殺の抗弁の審理においては,その自働債権(利金の不当利得返還請求権)の存否及び額等に関連して,利金の授受の事実(これは争いがないと考えられる。)のほか,更に上記被控訴人の主張するような事情についての主張立証反論等の機会を与える必要があり,その審理にはなお時間を要することが明らかである。そうすると,上記相殺の抗弁の提出を認めることにより,本件訴訟の完結を遅延させることになると認められる。

(3)  よって,上記相殺の抗弁は,時機に後れた攻撃防御方法と認められるから,被控訴人の申立てにより,これを却下する。

5  以上によれば,被控訴人の本件預託金返還請求は,2440万7400円及びこれに対する平成17年10月19日(起算日に関する請求棄却部分について不服申立てはない。)から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金の限度で理由があり,これと異なる原判決は変更すべきである。他方,不法行為(使用者責任)に基づく本件損害賠償請求について,260万円及びこれに対する平成18年7月7日(前同)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の限度で認容した原判決は相当であるから,この点の控訴は棄却すべきである。

よって,訴訟費用につき民訴法67条2項,64条ただし書,61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小田耕治 裁判官 富川照雄 裁判官 剱持淳子)

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