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大阪高等裁判所 平成19年(ネ)785号 判決 2008年3月26日

控訴人

奈良県

代表者知事

荒井正吾

訴訟代理人弁護士

米田泰邦

鵜飼万貴子

被控訴人

X1

被控訴人兼被控訴人X1法定代理人親権者父

X2

被控訴人兼被控訴人X1法定代理人親権者母

X3

上記三名訴訟代理人弁護士

坂本好男

村尾勝利

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  控訴人は、被控訴人X1に対し、四四一四万五三八六円及びこれに対する平成一六年四月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人X1のその余の請求並びに被控訴人X2及び同X3の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人と被控訴人X1との間においてはこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を同被控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人X2及び同X3との間においては、全部同被控訴人らの負担とする。

五  この判決の二項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

(1)  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  被控訴人らの請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要

以下においては被控訴人らを名のみで示すことがある。

一  前提事実

前提事実は、原判決が事実及び理由の第二の一に摘示するとおりであるから、これを引用する。要旨は次のとおりである。

被控訴人X1(平成○年○月○日生)は、控訴人が開設した奈良県立奈良病院眼科において、平成一一年五月一九日(生後約四か月)と同年八月三日(生後約七か月)の二度にわたり、外来でA(現姓A1)医師の診察を受けた。

X1は、平成一二年一〇月六日(約一歳九か月)、永田眼科を受診して両眼先天緑内障の診断を受け、その後二度にわたり手術を受けた。しかし、平成一六年四月五日(約五歳三か月)、永田眼科のB医師から、症状は固定し、今後視力回復の可能性はないと考えられるとして、両眼先天緑内障、両眼視神経萎縮、視力は両眼光覚弁との診断を受けた。

二  本件の請求

本件は、被控訴人らが、控訴人に対し、奈良県立奈良病院の担当医師が眼圧検査等の必要な検査を怠ったために先天緑内障を見落とし、X1は、これにより両眼失明の後遺障害を負ったと主張して、債務不履行又は不法行為による損害賠償を請求した事案である。

請求する損害額は、被控訴人X1は、一億六九二三万五三三七円(①逸失利益五三五二万〇二三七円、②後遺症慰謝料三〇〇〇万円、③介護費用七〇七一万五一〇〇円、④弁護士費用相当額一五〇〇万円)、その両親である被控訴人X2と同X3は、各自につき五五〇万円(①慰謝料五〇〇万円、②弁護士費用相当額五〇万円)である。

被控訴人らは、上記損害額に対する平成一一年五月一九日(初診日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払も求めた。

三  争点及び当事者の主張の骨子

争点及び原審における当事者の主張の骨子は、原判決が事実及び理由の第二の二、三に摘示するとおりであるから、これを引用する。

四  原審の判断及び本件控訴

原審は、X1につき一億三四八四万七〇七二円(①逸失利益五二二九万〇七七三円、②後遺症慰謝料二八〇〇万円、③介護費用四二五五万六二九九円、④弁護士費用相当額一二〇〇万円)、X2とX3につき各一一〇万円(①慰謝料一〇〇万円、②弁護士費用相当額一〇万円)、及びこれに対する平成一一年八月三日(再診日)からの遅延損害金の限度で被控訴人らの請求を一部認容し、その余の請求を棄却した。

そこで、控訴人がその敗訴部分を不服として本件控訴を提起した。

五  原審におけるB医師の証言及び意見

永田眼科でX1の診療に携わったB医師は、原審において、本件における県立奈良病院眼科のA1医師による診療の適否に関しても証言し、かつ、陳述書(甲A一五、乙A一〇、乙A一一の一)を提出して意見を述べた。その要旨は、次のとおりである。なお、B医師は、先天緑内障の診断と治療に関するわが国での基本文献である「乳児期先天緑内障の診断と治療」(乙B一一)の筆者であり、かつ、先天緑内障の手術治療に関しても比較的多くの症例を経験している先天緑内障の権威というべき医師である(乙B八、乙B九、乙B一〇)。

B医師の初診時、B医師は、本件患者(X1)がその時点で既に異常に進行した(症状の完成した)早発型発達緑内障(先天緑内障)であることが強い印象であった。羞明(まぶしがること)があり、角膜は実質の浮腫が強く、デスメ膜の破裂が両眼に認められ、角膜径は異常に大きく、肉眼で一見しても先天緑内障と眼科専門医なら誰でもわかる進行した状態になっていた。このような状態ならば、眼科の講義を受けた医師であれば診断に殆ど問題はない。問題は、このような進行した状況になる前に先天緑内障の早期診断をして、視力が回復可能な間に早期治療ができるかどうかという点にある。早期診断には、医学部の講義くらいの知識では絶対に不十分で、治療によって回復が可能な間に早発型発達緑内障の診断をするには、相当な経験の集積とそのような早期発見に必要な知識と日頃の心構えの教育が必須である。これには、当然、経験と修練と何よりも症例数の蓄積が必要である。しかし、原発性早発型の発達緑内障(先天緑内障)は症例の絶対数が少ないために早期診断について十分な訓練を受けること自体が極めて難しい事情がある。

先天緑内障の診断に際し、角膜浮腫がなければ眼圧測定が必要ないと考えるのは大きな誤りである。発達緑内障の羞明は、眼圧上昇のために角膜の神経が刺激されて起こる三叉神経の反射現象であるから、角膜浮腫が出ていない程度の眼圧上昇でも起こり得る。流涙、羞明、眼瞼痙攣という先天緑内障の古典的三徴候は、その原因はすべて眼圧上昇から来るもので、これがすべてが揃っていなければ診断できないというものではなく、実際に三徴候がすべて揃っている場合は殆どなく、そのうち実際に最も発現しやすいのは、流涙、羞明である。眼瞼痙攣も激しい羞明の表現型であるが、実際に臨床で見ることは少ないので次第に関心が薄くなり、古典的と言われるようになったのが現実である。赤ちゃんは、自分で何も訴えることができないから、眼圧上昇の徴候をつかまえるにはやはり流涙、羞明がきっかけとなる。したがって、少しでもきっかけがあれば、それを究明しておかないと早期診断が不可能である。

また、眼底検査で、永田眼科初診時に見られたように視神経乳頭全体が陥凹する程度の完全な視神経萎縮が完成している状態を見れば、緑内障が、たかだか数か月の眼圧上昇でこのような状態になるとは常識のある眼科医ならば誰も考えないであろう。早発型発達緑内障は、当然慢性の緑内障であるから、その症状がかなりの時間をかけて進行すると推定するのは、ごく自然な考え方である。

発達緑内障は先天素因のために房水流出路の排泄抵抗が高いことから起こるが、この異常は胎児の発生時に起こっているはずであり、決して生後何か月も経てから突然発生してくるのではない。その組織異常の程度に遺伝的素因による個人差があるので、発症時期に早い遅いの違いが出ているのである。この症例についてみると、その組織異常の程度は経験した他の症例に比べて軽いとは考えられず、そのことは、生後一年九か月で流出路手術をして眼圧を下げても回復不可能な程度まで視神経萎縮が進行してしまっていたことからも明らかである。生後二年までに手術できた早発型発達緑内障では、眼圧がこの例のように正常化したら九〇%近い症例で十分実用的な視機能を回復している。つまり、この症例は、かなり重症の早発型発達緑内障で、その房水流出障碍は出生時より連続的に存在し、房水産出の量が出生後次第に増加するにつれて眼圧が上昇してきたのである。眼圧上昇は慢性であるから、自覚症状としては角膜の神経が刺激されてまぶしくなったり、その結果涙が多くなったりという症状が少しずつ出ているのである。したがって、角膜の浮腫混濁がなければ眼圧は正常のはずであるとか、流涙がなければ緑内障ではないので眼圧測定の必要はないというのは、眼科臨床診断学の立場からは暴論である。また、房水の産生は時間によって変化するから、眼圧も時間によって変動し、角膜浮腫が現われるほどの高眼圧があっても、時間によっては角膜が透明になることもありうる。早期診断に特殊な知識と経験を必要とするのは、このような早発型発達緑内障の発症の特徴を知っている必要があるからである。

したがって、B医師は、生後一年以内の赤ちゃんは、かなり丁寧に時間をかけて症状を問診し、丁寧に診察をする。生後数か月から半年くらいの赤ちゃんは、先天涙道閉塞がかなりしばしばあるから、当然、眼脂、流涙があれば、検査をして、必要があれば涙道ブジーをして、この時、球結膜や角膜を見る。これで眼脂、流涙が止まれば、これで診療を打ち切ることもある。このような症例は多数あり、これらの症例は、前眼部の異常がなければ眼圧を測ったりはしない。

ただ、羞明の有無は必ず詳しく聞く。羞明のあることは普通あまりないから、羞明があるという訴えがあれば、それが典型的な発達緑内障のような強い羞明でなく、角膜が一見きれいでも、必ずトリクロリールで眠らせて眼圧を測る。この時眼底も見るし、隅角検査もする。これで正常であれば診療は終わるが、万一変わったことがあれば、必ず再来するように注意して帰す。これで再来することは殆どない。稀に先天涙道閉塞の患者の中に先天緑内障が出てきた経験があるから、涙道閉塞の患者は、涙が残れば必ず再来するように話す。

初診時に涙道閉塞があってそれ以外の訴えがなければ、眼圧測定は普通しないので、県立奈良病院眼科の初診時には確かに先天涙道閉塞があったのであるから、その時に発達緑内障のことを全く考えもしなかったA1医師がカルテにある以上の検査に進む必要を認めなかったのは無理もない。しかし、四か月検診でC医師から眼球白濁傾向という指摘があり、これが眼科受診の原因になっている本件の場合、もし、眼科医師が先天緑内障に関する教育を受けていれば、角膜が透明であっても、念のため眼圧測定に進むのが普通だと思う。

しかし、県立奈良病院眼科の再診時に、母親の訴えに注意深く耳を傾ければ、かなり明瞭にまぶしさを訴え、A1医師も先天緑内障のことを意識したことを明言しているから、この時は、たとえ、角膜が透明でも、角膜径が一見正常に見えても、眼圧を測定すれば、角膜浮腫を伴わない程度の、しかし、羞明を起こす程度の眼圧上昇を発見した可能性はかなり高く、また、散瞳して眼底を見れば、視神経の軽い異常が発見された可能性は十分にあったと考えられる。以上が、先天緑内障の発症を生後六か月程度と推定する理由である。勿論数か月の誤差はあるかも知れない。A1医師が、以上のような先天緑内障に関する教育を受けていたら、必ずトリクロリールを用いて眼圧測定、眼底検査、カリパーによる角膜径の精密測定をしたはずである。そのような訓練を受けていなかったら、早発型発達緑内障のことを無視しても無理もないと思う。これはひとえにこの疾患の頻度が低いためと考えざるを得ない。重要なことは、先天緑内障が極めて稀なために臨床的な症候を実際に見ていても医師の脳裏に緑内障の可能性が思い浮かばないことで、検査のきっかけをつかむことがむつかしい点に問題がある。乳児が眼科医のところに連れてこられるのは眼にどこかおかしいところがあるというすこぶる頼りない訴えで来ることが多いが、医師はあらゆる可能性を考えて診療に当たる。このとき、先天緑内障に関連のある徴候が少しでもあれば、トリクロリールで安静にして精査するのが臨床のルールである。乳児検診のとき、眼科医でない医師が眼がおかしいと指摘した以上、精査すべきで、精査して眼圧正常、角膜正常、眼底正常であることを確認して初めて異常なしと言える。B医師は、自身の数十年の診療経験でトリクロリール睡眠の事故を一例も経験していない。また、先天緑内障の症例が初めは先天涙道閉塞と診断されていることはかなりしばしば経験している。流涙と眼脂が実際はまぎらわしいためである。先天涙道閉塞は、極めて頻度の高い異常で、これに集中すると眼圧上昇の可能性が脳裏に思い浮かばないことがある。

また、県立奈良病院眼科の二回の診察で発見されなくても、連続的に悪化していった過程で一度でも受診していれば問題なく早期発見されていたはずで、もしA1医師が述べるように再診時に少しでも緑内障を念頭においたというのであれば、この時、何かあったら来るようにとの漠然たる注意ではなく、少なくとも一か月ごとの定期検診を強く勧奨すべきであったと残念でならない。

B医師が発症時期(緑内障と診断できる何らかの症状が発現した時期、例えば眼圧上昇、それに伴う羞明、流涙、角膜径拡大、視神経萎縮の所見のいずれかが発現した時期の意味である。ただし、それら個々の症状がすべて揃っている必要はない。最も根本は、眼圧上昇の証明である。)を生後半年くらい(ちなみに、後述のとおりB医師はおそらく平成一一年六月ころ発症したと診断している。)と考えた根拠は、同医師が初診時にみた視神経萎縮の程度からして生後一年よりかなり前、県立奈良病院眼科を受診した時期に、もし羞明などの早期症状が出現していたのであれば、半年前後ではなかったかと推定したもので、これはあくまでも先天緑内障の疾患の本質から考えた推測にすぎず、数か月のずれはあっても不思議ではない。病理学的には、出生時に発病しているので、この場合の発症は、専門医が詳しく検査すれば発見できる程度の症状が現われているという意味の発症である。

B医師は、X1を診察した当初からあまりにも常識はずれの遅すぎる受診に驚いたが、父親やその代理人弁護士から提訴の相談を受けた際も、極めて稀な疾患の性質上診断の過誤を責めるようなことは無理であることを説明した。教育の問題を取り上げたのもそのためで、この疾患に関しては、A1医師のような診療をされることがむしろ多く、決してA1医師を責めることができない本質的な事情があることを言いたかっただけである。

以上が、原審におけるB医師の証言及び意見の要旨である。

六  争点に関する原審判断の骨子

(1)  因果関係(先天緑内障の発症)について

X1は、県立奈良病院眼科再診時(平成一一年八月三日)において、うつ伏せ寝させることを要する程度の羞明の症状があり、その羞明は結膜炎と関連するものであったとは認め難い。羞明は先天緑内障の初発症状の一つであり、X1は平成一二年一〇月六日に先天緑内障と診断されていること、緑内障による視野異常は発症と進行が緩慢であり、原発先天緑内障は、生後一年以内に約八〇%が発症することなどからすると、再診時の羞明は、先天緑内障の初発症状であった蓋然性が高い。

先天緑内障の羞明は眼圧上昇で起き、緑内障の大きな特徴として視神経乳頭の変化が起こることに鑑みれば、再診時において、眼圧の測定、眼底検査を実施することにより、眼圧の異常ないしそれに伴う症状を発見してこれに対する治療をし、X1の視覚にかかる後遺障害の発生を避けられる高度の蓋然性があった。

したがって、A1医師がこれらの検査をしなかったことと上記後遺障害の発生との間には因果関係がある。

(2)  過失(注意義務)について

羞明は先天緑内障の初発症状の一つであること、A1医師は、X1の羞明が結膜炎と関連するものと判断したのであるが、再診時には結膜充血は初診時より改善していたのに、このときになって初めて羞明の訴えが出てきたことに照らすと、上記判断が正しかったとはいい難く、上記判断をすることが無理もなかったといえるだけの事情があったと認めるに足りる証拠もないこと、A1医師自身、先天緑内障のことは頭にあったと供述していることに照らすと、A1医師には、再診時において、先天緑内障を疑い、眼圧測定、眼底検査を実施すべき法律上の注意義務があった。

それにもかかわらず、A1医師は、これらの検査を実施しなかったのであるから、控訴人は、民法七一五条、七〇九条に基づく不法行為責任を負う。

(3)  過失相殺の可否について

控訴人は、X2とX3はX1が一歳六か月(平成一二年七月)の時点では、県立奈良病院受診時に問題のなかった視力が正常でないことに気付き、角膜浮腫・混濁を意味するひとみが白いという異常が発生してきたことをも知っていたのであるから、できるだけ早く眼科医を受診すべきであったのに平成一二年一〇月六日まで眼科医に診せることを怠った過失があると主張する。しかし、X3は、平成一一年八月三日の県立奈良病院再診時にも、同年九月一三日の奈良市保健センターにおける健康診査時にも、担当医師から眼の異常があるとは言われず、平成一二年九月一四日、奈良市保健センターにおいて、健康診査票に「眼について気になることがある。」、「ひとみが白く見えるなど」とある部分を肯定する記載をし、更に、主訴として、「少し眼が気になる、見えているが、時々、手さぐりで物を探したり、よく物に頭をぶつける」との記載をしたものの、ここでも、担当医師から眼に異常があるとは言われなかったという事情のもとでは、医学知識を持たない被控訴人らに、控訴人主張の過失があったと評価することは相当でない。

七  当審における鑑定の実施

原審では、前記のとおり先天緑内障の権威であるB医師の証人尋問は行われたものの、控訴人の鑑定申請は却下され、鑑定はされなかった。しかし、控訴人は、当審において再度鑑定申請をしたので、当裁判所は、これを採用し鑑定を実施した。

鑑定人の専門分野については、控訴人は小児眼科の専門医が望ましいとの意見を述べ、被控訴人は緑内障の専門医が望ましいとの意見を述べたが、当裁判所は、控訴人が鑑定人の候補として提示した医師の中から、小児眼科の専門医である兵庫県立こども病院眼科医長のD医師を鑑定人として選任した。

当審において鑑定を採用しD鑑定人を選任した趣旨は、前記B医師の意見にも先天緑内障に関する眼科臨床における教育の問題が指摘されていることなどから、緑内障を特に専門とする立場ではなく、小児の眼科の多様な症例を取り扱う小児眼科の臨床の場における専門医の立場から、本件における県立奈良病院眼科での診療の適否について専門的な意見を求める必要性が特に高いと認められたことによるものである。

第三当裁判所の判断

一  判断の大要

当裁判所は、被控訴人X1の県立奈良病院眼科の再診時(生後七か月)において、羞明や結膜充血の症状から先天緑内障を疑ってその鑑別診断を進めるべき診療上の注意義務があったにもかかわらず、A1医師がこれを結膜炎の症状と考えて先天緑内障を疑わず、そのため、先天緑内障の鑑別診断を進めるために最低限必要であった慎重な経過観察や定期的な再受診の指示を怠った過失があるものと認める。

しかし、被控訴人らにおいても、A1医師から再診時に一応の再受診の指導を受け、かつ、X1に一歳頃から視力障害を疑わせる行動があったのに、平成一二年一〇月六日(一歳九か月)に永田眼科を受診するまで眼科専門医の診療を受けさせなかった過失があり、この過失を被害者側の過失として考慮し二分の一の過失相殺をするのが相当であるものと判断する。

損害については、被控訴人X1には、失明したことによる後遺症の逸失利益と慰謝料並びに弁護士費用相当額の損害は認められるが、介護費用の損害は認められないものと判断する。

被控訴人X2と同X3は、X1が失明したとはいえ今後自立が期待されることから、同人への慰謝料とは別に父母に損害賠償を認めるべき子の死亡に比肩するようなまたはそれに比し著しく劣るものではない精神的苦痛を認めるのは相当でなく、固有の慰謝料請求は認められないものと判断する。

以上の判断の詳細は、以下に述べるとおりである。

二  認定事実

前記前提事実と《証拠省略》によれば、X1の症状及び診療経過に関し、以下のとおり認定判断することができる。

このほか眼の構造、眼疾患症状、先天緑内障等に関する基礎的な医学的知見は、原判決が事実及び理由の第三の一(2)に示すとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決一九頁一三行目と二一頁一三行目の「繊維」をいずれも「線維」と改める。)。

ア  県立奈良病院眼科受診前

X1は、平成○年○月○日に出生し、平成一一年二月二三日、県立奈良病院小児科において、一か月児健診を受けたが、その際の身体所見として、頭頚部に関し、眼脂は認められなかった。母子手帳の保護者の記録欄にある育児の上で心配なことなどを記載する欄には、生後三~四か月ころまでは、X1の眼の異常に関する記載はない。生後三~四か月ころのX1には、目つきや目の動きについて気になることはなく、外気浴や日光浴をしていた。

X1は、平成一一年五月一八日(満四か月一一日)、母であるX3に連れられて、C診療所で三~四か月健康診査を受けた。C医師は、診査の結果、追視に異常は認めなかったが、眼球白濁傾向を認め、X3に対し、県立奈良病院眼科で受診するよう指導するとともに、母子手帳(甲A二の一二)に「眼球白濁傾向」、「要医療 医療機関(県立医大眼科へ)」、「要観察 眼球白濁→県立眼科へ」と記載をした。

イ  県立奈良病院眼科での受診

① 平成一一年五月一九日(満四か月一二日)(初診日)

X1は、同日、父母であるX2及びX3に連れられて、県立奈良病院眼科で受診した。X3は、問診票(乙A一の七頁)に、「目やにが多い、白目のところが濁っている気がする」、「四か月検診を受けて、県立奈良病院眼科に行った方がよいと言われました」などと記載し、診察したA(現姓A1)医師に対し、眼脂が多い、四か月検診で白目が濁っていると言われたと訴え、A1医師から流涙の有無について質問されると、流涙はないと答えた。

A1医師は、視診及び細隙燈顕微鏡(スリットランプ)検査をしたところ、眼脂があり、両眼に結膜充血があった。眼脂は、眼瞼縁や角膜表面に大量に付着していた。両眼とも角膜及び前房は清明であったが、下涙点が少し閉塞気味であったため、拡張針(ブジー)を通して涙道の拡張をし、涙道洗浄をした。なお、眼圧測定、角膜径計測、眼底検査はしなかった。A1医師は、両眼結膜炎と診断し、タリビット点眼液〇・三%五ml(抗菌薬)、一日五回両眼に点眼、の処方をした。

X1は、初診時に処方された目薬を差して二、三日で眼脂は止まったが、眼が赤くなる症状は、その後もときどき出ていた。

被控訴人らは、初診時、X3が、A1医師に対し、X1が太陽の光をまぶしがる、瞳(黒目の部分)が他の子供に比べて少し大きい、黒目の部分が少し白く濁っていると感じる、という症状を訴えた旨主張し、これに沿う証拠(甲A一一、被控訴人X3、同X2)もある。しかし、A1医師が記載したカルテにもX3が記載した問診票にもその旨の記載はないこと(乙A一)、後に受診した永田眼科においても眼が他の子供に比べて少し大きいとの訴えはしていなかったこと(証人B)のほか、被控訴人ら主張のような症状の訴えはなかった旨の証人A1の供述及び同人作成の陳述書(乙A六、九、一三)並びに、被控訴人らは、訴状や証拠保全の資料として作成した陳述書(乙A五)では白目の濁りと表現していたにすぎなかったことなどに照らすと、被控訴人らの主張に沿う前記証拠を採用することはできず、他に上記被控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。

また、被控訴人らは、A1医師に対し母子手帳に貼り付けられていたC医師の診査結果の記載(甲A二の一二)を示した旨主張し、これに沿う証拠(甲A一一、被控訴人X3、同X2)もあるが、A1医師が記載したカルテにはそれに関する記載がないこと(乙A一)及び証拠(乙A六、証人A1)に照らすと、被控訴人らの主張に沿う証拠を採用することはできず、他に被控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。

② 平成一一年八月三日(満六か月二七日)(再診日)

X1は、同日、X3に連れられて、県立奈良病院眼科を受診した。X3は、A1医師に、目薬で充血はなくなった、眼脂はなくなった、流涙はない、ただ、目薬をやめて四、五日すると眼が赤くなる、外に出るとまぶしがる、と訴え、A1医師は、その旨カルテに記載した。A1医師が視診及び細隙燈顕微鏡検査をしたところ、両眼とも、結膜充血は初診時より改善していたが、治りきってはいなかった。また、角膜及び前房は、清明であった。なお、A1医師は、眼圧測定、角膜径計測及び眼底検査をしなかった(乙A一の八頁)。

A1医師は、結膜充血の原因としてうつぶせ寝をしていることを疑い、X3に確認したが、X3は、「うつぶせ寝はしていない。ただ、目を離したすきに自分でうつ伏せの状態になっていることはあるが、気が付いたらすぐに上を向かせる。」と答えた(甲A一一の七頁、乙A六の二九頁)。

A1医師は、羞明について、軽い症状であり、結膜炎と関連する病的意義の少ないものと判断した。A1医師は、結膜炎であると診断したが、X1に点眼薬の処方をしなかった。そして、調子が悪ければ再度受診するよう指導した。

X3は、なお、A1医師に対し、X1の黒目(虹彩の部分を指して言っている。)の色が違うことを訴えたが(被控訴人X3調書一一、二〇頁)、A1医師は、その点は問題としなかった。ところが、診察室を出たところで、同病院眼科の同僚医師であるE医師がX3に「お母さん。目の色が違うのは肌の色が違うのと同じで、そんなに神経質になっていたら子育てできませんよ。」と話し掛けた(甲A一六、一七の一)。

なお、被控訴人らは、X3が、X1の黒目の部分が他の子供に比べて大きく、少し濁っているように感じることを説明した旨主張し、これに沿う証拠(甲A二の一三、甲A一一、乙A五、被控訴人X3)もある。しかし、A1医師はこれを否定している(乙A六、九、証人A1)のみならず、A1医師が記載したカルテには上記認定した目の状態に関する記載はあるのに、黒目に関する記載はないこと(乙A一)、X3は、永田眼科においても眼が他の子供に比べて少し大きいとの訴えはしていなかったこと(証人B)、後記のとおり天理病院においても黒目の大きさについて訴えていなかったこと、被控訴人らは、訴状や乙A五では白目の濁りと言っていたにすぎないことなどに照らすと、被控訴人らの主張に沿う証拠を採用することはできず、その他に上記被控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。

また、被控訴人らは、外に出たときのX1のまぶしがり方が激しく、体をねじってベビーカーに顔を埋めようとする、テレビの画面を見ても、すぐまぶしそうに目を伏せる旨訴えた旨主張し、これに沿う証拠(甲A一一、被控訴人X3)もあるが、A1医師はこれを否定する(乙A九、証人A1)のみならず、後記のとおり、X3は、X1が天理病院に入院する際、県立奈良病院で受診した後にテレビ画面をまぶしがって見ないという状態であったと訴えていることに照らすと、被控訴人らの主張に沿う証拠を採用することはできず、その他に上記被控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。

ウ  県立奈良病院眼科受診後、永田眼科受診前

X1は、平成一一年九月一三日、奈良市保健センターにおいて、奈良市が実施する健康診査(七・八か月乳児相談)を受診した。X3は、その際、担当医師に、保護者の記録欄(甲A二の一三)の「ひとみが白く見えたり、黄緑色に光って見えたりすることがありますか。」の欄の「はい」にチェックをした母子手帳を示したが、特に異常は指摘されなかった。母子手帳のこの記載は、X3が感じていたX1の黒目の色の違いを記載した趣旨である(X3調書四八頁)。母子手帳の同じ欄の記載によれば、そのころ、X1は、体のそばにあるおもちゃに手を伸ばしてつかんだり、テレビやラジオの音がし始めるとすぐそちらを見ていた。

X1は、生後九~一〇か月ころ、指で、小さい物をつかみ、平成一一年九月ころには、つたい歩きをすることができるようになり、生後一一か月(平成一一年一二月)ころには歩くようになった。上記時期及び一歳のころにおける母子手帳の保護者の記録欄(甲A二の一四及び一五)には、X1の眼の異常に関する記載はない。

しかし、X1は、県立奈良病院の受診後、テレビは音はよく聞くが画面はまぶしがって見ないという状態になり、平成一二年夏頃まではよく物を見ている様子であったが、平成一二年九月頃から明らかに見えにくくなっている様子で手探りになってきた(甲Aの九の五頁)。

平成一二年九月一四日、X1は、奈良市保健センターにおいて、奈良市が実施する一歳六か月児健診を受診した。その際、X3は、発育状況に関し、健康診査票(乙A八の三頁)に、「眼について気になることがある。」、「ひとみが白くみえるなど」とある部分を肯定する記載をし、更に、主訴として、「少し眼が気になる、見えているが、時々、手さぐりで物を探したり、よく物に頭をぶつける」との記載をし、母子手帳(甲A二の一六)には、「極端にまぶしがったり、目の動きがおかしいのではないかと気になりますか。」の質問の回答の「はい」の項目に○を付けて担当医師に示した。担当医師は、心配であれば再度眼科医の診察を受けるよう勧めた(被控訴人X3調書一九頁)。

X1は、平成一二年九月二〇日ころ、X3の実家で、ボールが自分の横を転がっていっても取ることができなかったり、柱にぶつかるといった視力障害を示す行動がX3の母親に認められ、X3は、母親からX1の視力障害を指摘された(乙A五の四頁、X3調書二八、三二頁)。

X3は、平成一二年一〇月五日、なくらメガネにおいて、永田眼科のF医師への案内状の作成を受けた。同案内状には、「以前より、光とか明るい物に対して目をそらす様子があった様で、他院でも診てもらったが、別に問題なしとの結果だった様です。」との記載がある。

エ  永田眼科等における受診

① 平成一二年一〇月六日(満一歳八か月△日)―永田眼科

X1は、同日、X3に連れられて、永田眼科を受診した。X3は、F医師に、X1がまぶしがる、と訴えた。

F医師は、同日午前一一時一〇分にトリクロリール(睡眠薬)を服用させ、入眠後の午後一時四五分からX1の診察を開始した。角膜に関する所見は、角膜横径は両眼とも一四mm(子供の正常値は一〇・五~一一mm)、両眼に角膜実質混濁、すなわち、眼圧が高くなって角膜内皮が傷み、前房中の房水が角膜の中に染み込んで角膜実質へ混入し、浮腫が生じて濁っている状態があり(左眼より右眼が強い)、両眼にデスメ膜破裂、すなわち、眼圧が高くなり、柔らかい子供の眼が膨れあがって角膜径が大きくなり、それについていけないデスメ膜(弾力膜)の線維が切れて裂けて濁りを作っている状態(ハープライン又はハープ線)があり、前房が深い(通常乳幼児の前房は浅い。前房が深いのは先天緑内障の特徴の一つである。)、であった。

眼底に関する所見は、視神経乳頭陥凹比(神経線維が眼球から出ていく強膜の穴(乳頭)の大きさ(視神経の直径)と視神経にある陥凹の直径との比)は、右眼〇・九(乳頭辺縁部の消失あり)、左眼一・〇(正常値は〇・三以下)、緑内障性乳頭陥凹であった。

圧平眼圧は、右が二五mmHg、左が二八mmHg(子供の正常値は一五mmHg以下。催眠下の眼圧は覚醒時より五mmHg低い値となるため、小学生までの乳幼児では一五mmHg以上が異常である。)であった。

F医師は、同日、X1を両眼先天緑内障と診断した。

② 平成一二年一〇月一〇日(満一歳九か月△日)―永田眼科

X1は、同日、X3及びX2に連れられて、永田眼科で受診した。X3は、B医師に対し、生後四か月のときに眼脂があり、県立奈良病院で受診したが、他はどうもないと言われた、生後七か月ころに再診を受けたが、異常なしと言われた、二、三週間前から視力が悪いことを明瞭に示すようになった、と訴え、B医師はその旨カルテに記載した。X3は、県立奈良病院受診当時のX1の目の色についても説明し、B医師は、カルテに「角膜が白っぽい」と記載した。なお、X1の眼が他の子供に比べて少し大きいようである旨の訴えはなかった。

B医師は、同日、X1にトリクロリールを服用させ、入眠後に診察を開始した。視神経乳頭陥凹比は、左眼一・〇、右眼一・〇(両眼とも乳頭辺縁部は消失)、乳頭は蒼白(通常ピンク色をしている視神経は萎縮すると白くなる)だがbaseの色は良い(多少血の色が残っている)、陶器様白色はなし、左眼角膜は少し浮腫状(濁り)、デスメ膜の破裂あり、前房が深い、などの所見であった。

B医師は、永田眼科初診時の所見も併せ、眼圧が高く、角膜の浮腫があり、先天緑内障が手術により治療すべき疾患でこれをできるだけ早期に施行することが必要であることを考慮し、急いで手術をする必要があると判断した。なお、視機能については、既に視野の中心部はなく、ただ、瞳孔反応が少し残っており、右眼については周辺視野が残っているようであった。

B医師は、同日、天理病院眼科外来担当医あての、診療情報提供書を作成した。そこには、主訴又は病名として先天緑内障と記載がある他、「恐らく昨年六月ころ発症したと思われる先天緑内障です。」と記載されていた。

③ 平成一二年一〇月一〇日以降―天理病院

X1は、平成一二年一〇月一〇日、X3及びX2に連れられて、天理病院を受診した。X3は、担当医師に対し、生後しばらくして両眼に眼脂があり、県立奈良病院眼科を受診しブジーの施行を受けた、外に出るとまぶしがり、眼が少しくもっていた、平成一一年七・八月に再診し、もう少し様子を見るようにと指示された、平成一二年夏までは普通に見て、普通に動いていたが、夏過ぎてから見にくそうになり、歩けなくなった、二週間前にかぜをひいてから特に見にくそうである、平成一二年一〇月六日に永田眼科を受診し、その後、天理病院へ来た、と訴えた。

X1は、平成一二年一〇月一三日、天理病院に入院した。X3は、担当医師に対し、生後二~三か月した後両眼に眼脂があり県立奈良病院を受診しブジーの施行を受け、その後眼脂はなくなった、平成一一年七月ころからまぶしがっている様子及び眼の濁りに母親が気付き、同年八月に県立奈良病院で受診したところ、特に異常はないと言われた、その後、物を見ている様子はしっかりとあり、声をかけなくても母親や姉を見付けて歩いて来たりしていたが、テレビは音はよく聴くものの画面はまぶしがって見ないという状態であった、平成一二年夏ころまではよく物を見ている様子であったが、一か月~三週間前から明らかに見えにくくなっている様子で、手探りになってきたため、平成一二年一〇月初めに永田眼科を受診したところ、同月一〇日天理病院紹介となった、流涙は以前からない、と訴えた。

X1は、平成一二年一〇月一六日、天理病院において、B医師の執刀により、線維柱帯切開術(トラベクロトミー)の施行を受けた。線維柱帯切開術とは、前房にたまった房水が眼の外へ出ていくときに隅角を通り抜けてシュレム管に入って血管(強膜中の静脈)の中に入っていくが、シュレム管の手前(線維柱帯)に発育異常によって先天的に生じている障害(先天緑内障)を除去するため、線維柱帯を開いて、シュレム管を前房に向かって開放する手術である。X1は、平成一二年一〇月二六日、天理病院を退院した。天理病院の峠本慎医師が、同日作成したB医師あての診療情報提供書には、眼圧は、トリクロリール下で両眼とも一〇mmHg前後と手術後七日目まで安定していたと記載されている。

④ 平成一二年一〇月三一日―永田眼科

X1は、同日、永田眼科を受診した。圧平眼圧は、右眼一二mmHg、左眼一〇mmHgであった。カリパー(角膜径を測定する器具)で角膜径を測定すると、両眼とも一四mmであった。視神経乳頭陥凹比は、右眼は大きく、左眼は一・〇であった。両眼とも、乳頭の色は比較的良くなった。左眼の角膜は浮腫がなくなって透明であり、ハープ線はあるが、中央にはかかっていなかった。右眼のハープ線は中央にかかっていた。

⑤ 平成一二年一二月一日―永田眼科

X1は、同日、永田眼科を受診した。圧平眼圧は、右眼一二mmHg、左眼一六mmHgであった。B医師は、左眼の眼圧が一六mmHgで小児としてはまだ少し高かったこと、一回目の手術ではシュレム管三分の一周しか開けず、三分の二が残ったことによる抵抗が残っていること、眼圧の下がり方が中途半端で、一五mmHgないし二〇mmHgの間ぐらいの場合には視神経萎縮が治らないことから、確実な治癒を目指して、二回目の手術をすることとし、同日、天理病院眼科の峠本医師あての書面を作成した。

⑥ 平成一二年一二月一五日―天理病院

X1は、同日、天理病院において、二回目の線維柱帯切開術の施行を受けた。

⑦ 平成一三年一月五日―永田眼科

X1は、同日、永田眼科を受診した。圧平眼圧は、右眼一〇mmHg、左眼一一mmHgであった。

X1は、その後平成一三年六月一日までは、約一か月に一度の割合で、その後は約三か月に一度の割合で、経過観察のため永田眼科を受診した。治療は、点眼液を一日三回差すだけで、他にはされなかった。平成一三年一月五日以降、眼圧は正常値であった。

⑧ 平成一六年四月五日―永田眼科

X1は、同日、B医師から、「平成一二年一〇月六日当院初診時、両眼角膜径一四mm(平常一一mm)、角膜浮腫と高眼圧を認め、先天緑内障と診断、一〇月一六日、一二月一五日の二回に亘って両眼手術を行い、眼圧はその後正常値となったが、初診時より視神経乳頭は蒼白であり、その後他覚的に高度の視力障害を認めていたが、現在に至るも視力障害は改善せず、症状は固定していると考えられる。視神経は初診時より蒼白であり、視力障害は視神経萎縮によるもので、今後視力回復の可能性はないと考えられる。」として、両眼先天緑内障、両眼視神経萎縮、視力は両眼光覚弁、との診断を受けた。

三  当審における鑑定の結果

当審における鑑定人D(兵庫県立こども病院眼科医長)による鑑定の結果は、以下のとおりである。

(1)  鑑定事項一(先天緑内障の発症時期)について

① X1は、県立奈良病院眼科初診時又は再診時に先天緑内障を発症していたか。

(結論)X1(本件患者)は、県立奈良病院初診時又は再診時において、先天緑内障を発症していた可能性が高いと考えられる。

(理由)本件患者が永田眼科を初めて受診した平成一二年一〇月六日(約一歳九か月)の時点において視神経乳頭陥凹比(C/D比)右〇・九、左一・〇と視神経障害が非常に高度であった。つまり、永田眼科初診以前に高眼圧の状態が長時間持続していた可能性が高い。緑内障による視神経障害の進行は、高眼圧の程度や眼圧値の変動、視神経局所の血流循環、視神経組織の眼圧耐性などに規定されるため、C/D比により緑内障既往の期間を正確に判断することは不可能といえる。しかし、本件患者の場合、C/D比が右〇・九、左一・〇と末期的障害に達していたことから相当長期(一年以上)にわたり視神経が高眼圧に曝されていたと推定される。

本件患者は、先天緑内障の病型分類中、隅角線維柱帯のみが異常で、他に眼科的、全身的先天異常のない原発先天緑内障(早発型発達緑内障とも呼称される)と考えられる。一九九二年度に行われた本邦の先天緑内障全国調査(滝澤麻里ほか「先天緑内障全国調査結果(一九九二年度)」鑑定書添付資料一)によると原発先天緑内障の発見時期は出生後六か月以内が四四・八%、同一年以内が七二・四%である。つまり、疾患の特性としても県立奈良病院再診時(生後約七か月)までに眼圧上昇を来していた可能性は十分にある。本件患者が県立奈良病院を受診する動機の一つであり、また、再診時のカルテ問診記録にもある羞明が眼圧上昇を原因とするとの判断と合わせ、県立奈良病院初診時又は再診時に先天緑内障を発症していた可能性があると考えられる。

② 先天緑内障を発症していたと考える場合、どのような症状があったと考えられるか。

(結論)本件患者は、県立奈良病院初診時又は再診時において、羞明、流涙、結膜充血があったと考えられる。

(理由)原発先天緑内障が発見される契機には、羞明、流涙、結膜充血などの非特異的な他覚所見がある(前記全国調査結果)、緑内障における羞明、流涙は、眼圧上昇による角膜上皮浮腫に伴う眼局所の刺激が原因であり、比較的軽度の眼圧上昇でも起こり得る。一方、角膜混濁、角膜径拡大は、軽度の眼圧上昇では認めない場合があり、また、これら徴候、所見は、緑内障発症初期には一定せず、増悪及び緩解がみられる(石田恭子・山本哲也「小児の緑内障」二八四頁)。つまり、県立奈良病院初診時又は再診時において、角膜混濁、角膜径増大などの他覚所見はみられず、眼圧上昇に対してより敏感に反応し出現する羞明や結膜充血のみがあった可能性がある。

県立奈良病院初診時又は再診時にみられた眼脂、結膜充血、羞明は、結膜炎など他の眼疾患でもみられる所見であり、眼圧上昇以外に原因があった可能性は否定できない。県立奈良病院再診時からB病院初診時までの間の診療記録がないことは、角膜混濁、角膜径増大など先天緑内障の診断により有用な所見が出現した時期が不明であることを意味しており、ひいては本件患者が先天緑内障を発症した時期の同定を困難なものにしている。

(2)  鑑定事項二(県立奈良病院眼科における診療の適否)について

① 初診時又は再診時に先天緑内障の可能性を疑って眼圧測定ないし眼底検査をすべきであったか。

(結論)県立奈良病院眼科の初診時において、本件患者の眼圧測定、眼底検査をすべきであったとは考えられない。一方、再診時においては、本件患者の眼圧測定、眼底検査をすべきであったと考えられる。

(理由)県立奈良病院眼科の初診時において、本件患者の主訴は、眼脂と白目(球結膜)のにごりであった。カルテには、眼脂、結膜充血を認め、下涙点が閉塞気味であり拡張針を通したこと、また、角膜、前房は清明と記載されている。初診時において本件患者の診断名は結膜炎であるが、A1医師は鼻涙管閉塞も考慮し、涙道ブジーの処置を行ったものと考えられる。新生児及び乳児において流涙、眼脂は比較的よくみられる症状であり、その原因として先天性鼻涙管閉塞の頻度は非常に高い。先天性鼻涙管閉塞は、涙道、つまり、上・下眼瞼のそれぞれ鼻側縁にある涙点から涙嚢を経て鼻腔への開口部に至る涙の排出経路が未発達なために起こる疾患である。また、先天性鼻涙管閉塞は涙嚢炎を合併することがあり、この場合は結膜充血を来す。以上より、初診時において、A1医師が本件患者の眼脂と結膜充血から、結膜炎、先天性鼻涙管閉塞と診断したことに医学的非合理はないと考えられる。

一方、原発先天緑内障は稀な疾患であり、一九九二年度の先天緑内障全国調査における発症頻度は、一〇九、四一四人に一例であった。小児専門施設の眼科においても、他府県からの紹介患者を含めた原発先天緑内障の初診患者は年間数例である。したがって、一般病院に勤務する眼科医師が原発先天緑内障を診断する機会、診療経験は非常に少ないと考えられる。以上の状況に加え、初診時の本件患者において先天緑内障に特徴的な角膜混濁、角膜径増大を認めないか、少なくとも顕在化していなかったことから、A1医師が結膜炎、先天性鼻涙管閉塞の他に先天緑内障を本件患者の主訴の原因疾患に含め、その診断に必要な眼圧測定、眼底検査を行わなかったことは、医師として非適切な対応とまではいえないと考えられる。

次に、県立奈良病院眼科の再診時において、本件患者の主訴は、点眼薬を中止すると眼が充血することと、戸外での羞明である。カルテには問診の記録として眼脂、流涙がないことが、また、診察記録として結膜の充血が疑われること、角膜、前房は清明と記載されている。初診時に認めた眼脂は消退していたことから、結膜炎は治癒又は改善したと認識すべきであったと考えられる。さらに、再診の理由であった眼の充血が完治しないという主訴及び結膜充血の所見を重視し、結膜炎、先天性鼻涙管閉塞の他に主訴の原因となる疾患を疑い精査する必要があったと考えられる。鑑別疾患には先天緑内障が含まれ、その診断のために眼底検査、眼圧測定が行われるべきであったと考えられる。

一九九二年度の先天緑内障全国調査によると、原発先天緑内障では異常発見と診断時期との間に二~三か月のずれがある例が多い。これは先天緑内障の診断につながる何らかの眼の異常が発見されたとしても、徴候、所見が羞明、眼脂、結膜充血など先天緑内障に原因が特定されない異常であった場合、異常発見と同時に診断がなされない先天緑内障の診断の困難さを示すものである。その一方、異常発見から二~三か月後には診断が行われている事実も注目せねばならない。本件患者の県立奈良病院眼科における再診は、先天緑内障を診断する良い機会であり、眼の充血が完治しないとの主訴を軽視することなく、あらゆる原因疾患を視野にいれて検査が行われるべきであったと考えられる。

検査への協力がない乳幼児の場合、十分な眼底検査を行うためには散瞳薬を点眼する必要があり、また、眼圧測定には催眠鎮静薬を服用又は座薬として投与する必要がある。乳児は循環系が未熟なため散瞳薬の使用により一時的な心機能障害が、また、呼吸抑制がかかりやすいため催眠鎮静薬の使用により呼吸停止を来すなどの危険性がある。しかし、これら薬剤の副作用が発現する可能性は低い。鑑定人は一年間に約一〇〇名の乳幼児患者に対し、催眠鎮静薬を使用して眼圧測定を施行しているが、呼吸抑制を来す例は、数年に一名程度である。仮にA1医師が臨床経験上、乳児への散瞳薬、催眠鎮静剤の投与に伴う危険性について判断することが不可能であったとしても、総合病院である県立奈良病院においては小児科医に助言や補助、事後の処置を依頼することはできた。以上のことより、視機能に重大な障害を来す可能性がある先天緑内障の診断に際して、薬剤使用に伴う危険性の認識は、眼底検査及び眼圧測定を回避する理由にならないと考えられる。

県立奈良病院は、奈良県下最高次の病院であり、地域医療における役割として所属する医師は各自の専門分野に関わらず、すべての年齢層の患者のあらゆる疾患を想定して診療に当たる責務を有していると考えられる。

② 県立奈良病院眼科において、初診時と再診時に実際に行われた対処は不適切であったか。

(結論)県立奈良病院眼科において、初診時に行われた対処は不適切であったとは考えられない。一方、再診時に明確に経過観察が指示されなかったことは不適切な対処であったと考えられる。

(理由)県立奈良病院の初診時において、A1医師が本件患者の眼脂、結膜充血に対して結膜炎と診断し、抗菌剤の点眼(タリビット点眼液)を処方したことは不適切であったとは考えられない。ただし、治療の反応を確認する目的で経過観察を指示することが望ましかったと考えられる。

県立奈良病院の再診時において、本件患者の主訴であった羞明と結膜充血の原因が確定しないまま、次回受診の判断は家人に委ねられた。A1医師は、診断が確定していないこと、その後に他の眼所見が出現する可能性を考慮し、経過観察の必要性を家人に説明するとともに、眼の状態に変わりがない場合は一か月から二か月後に受診するよう、また、眼の状態に変化がある場合はその時点に速やかに受診するよう、明確に指示すべきであった。再診以降も経過観察することにより、本件患者の角膜混濁や角膜径の増大が発見され、永田眼科を受診する以前のより早期に先天緑内障の診断が可能であったと考えられる。

(3)  鑑定事項三(失明の結果回避の可能性)について

① 初診時又は再診時に、眼圧測定又は眼底検査を行った場合、これにより先天緑内障の診断が可能であったか。

(結論)県立奈良病院眼科において、初診時又は再診時に、眼圧測定又は眼底検査を行った場合、これにより先天緑内障の診断が可能であったと考えられる。

(理由)県立奈良病院眼科において、初診時に結膜充血を認め、カルテの問診記録から再診時に羞明及び結膜充血の遷延があったと考えられる。先天緑内障において流涙、羞明、結膜充血は、眼圧の上昇による角膜上皮浮腫に伴う眼局所の刺激が原因で起こる。A1医師は診察の結果、角膜混濁はないと判断していることから、仮に初診時又は再診時に先天緑内障の発症があったとして、眼圧の上昇は比較的軽度であった可能性がある。しかし、実際に眼圧を測定することにより羞明、結膜充血の原因として、乳児の正常眼圧である一〇mmHgより十分に高い眼圧を確認し得たと考えられる。

緑内障において、眼底検査による重要な所見は、視神経乳頭陥凹の状態である。乳幼児の正常な視神経乳頭にはほとんど陥凹がないか、非常に小さく浅い陥凹を認めるのみである。小児期の緑内障では眼圧の上昇に伴い、先ず視神経乳頭の中央部が深く陥凹を始め、次第に陥凹の範囲の拡大と深さを増して行く。乳幼児の場合、視神経乳頭部の結合組織の弾性が高いため眼圧変化に鋭敏であり、軽度の眼圧上昇でも陥凹変化がみられ、緑内障初期の診断に有用である。

② 先天緑内障の診断が可能であったとして、どのような対処をすべきであったと考えられるか。

(結論)先天緑内障の診断が可能であった場合、県立奈良病院眼科において、眼圧測定値、視神経乳頭陥凹の状態などにより、薬物治療をしながらの経過観察又は手術のいずれか必要な対処を判断すべきであった。手術が必要と判断された場合には、県立奈良病院眼科において本件患者の手術を実施するか、先天緑内障の治療経験が豊富な施設に手術と術後管理を依頼すべきであった。

(理由)眼圧値が二〇mmHg以下と比較的眼圧上昇が軽度で、かつ、視神経乳頭の陥凹変化が小さい場合には、まず薬物治療を行い、以後、眼圧値の変動及び視神経乳頭陥凹の変化に注意しながら経過観察を続ける必要がある。眼圧値が二〇mmHg以下であれば視神経障害は進行しない可能性もあり、不要な手術侵襲は避けるとともに、長期的にみて将来、必要となる手術の実施総数を抑えることが配慮されてよいと考えられる。

一方、眼圧値が二〇mmHg以下であっても視神経乳頭陥凹に拡大変化を認める場合は、視神経障害の進行を回避する目的から手術を行う必要がある。また、眼圧値が二〇mmHgを超えている場合は、視神経乳頭陥凹の変化の有無にかかわらず、視神経障害の予防又は進行防止を目的に積極的に手術による眼圧管理を計るべきであると考えられる。

③ 適切な対処がされていた場合、失明に至ることはなかったか。

(結論)適切に対処されていた場合、先天緑内障の進行は防止され、現在の視覚障害は失明にまで至ることはなかったと考えられる。

(理由)先天緑内障において、視力、視野などの視覚予後は、胎児期も含めた発症時点から治療までに進行した視神経障害の程度、手術等の治療による眼圧管理の状態、及び、七歳頃までの視覚発達期における弱視治療の成否により決まる。本件患者の場合、県立奈良病院眼科初診時又は再診時において先天緑内障を発症していた場合、その既往期間に既に視神経障害が進行していた可能性がある。しかし、当時、明らかな角膜混濁、角膜径増大などはみられなかったことから、既往期間における眼圧上昇は比較的緩徐であり視神経障害の進行は軽度に止まっていた可能性が高い。つまり、本件患者の視力障害の原因となっている視神経萎縮は、県立奈良病院眼科再診時から数箇月程度の猶予の後、永田眼科受診時(平成一二年一〇月六日)までの期間に手術等の治療、眼圧管理を受けずに高眼圧の状態で経過したことによる視神経障害が原因であると考えられる。

原発先天緑内障は、手術が成功する例が多く、八〇~九〇%が、術後良好に眼圧管理される(石田恭子・山本哲也「小児の緑内障」二八九頁)。手術によっても眼圧管理が不良な難治例が存在するが、本件患者は、永田眼科において手術反応は良好であったことから、難治例とは考えられない。また、原発先天緑内障の視力予後は良好な例が多く、光覚弁に至る重度の視覚障害例は極めて稀である(Magda Barsoum-Hosmy, MD et al : Incidence and Progno-sis of Childhood Glaucoma、鑑定書添付資料三)。したがって、本件患者が、県立奈良病院眼科初診時又は再診時以降に早期に手術を受け、手術後も適切な眼圧管理と弱視治療が行われていた場合、視覚障害は軽度に止まった可能性が高いと考えられる。

四  初診時における診療上の過失の有無について

上記認定事実及び鑑定の結果並びに前記B医師の意見を総合すれば、県立奈良病院眼科の初診時においてX1に先天緑内障を疑わせる症状があったことを裏付けるに足る証拠はないといわざるを得ない。

すなわち、先天緑内障においては、眼圧上昇による角膜上皮浮腫に伴う眼局所の刺激症状として外観上表われる初期症状である①流涙、②羞明、③眼瞼痙攣の三症状が、古典的三徴候として広く知られ、症状の進行により角膜混濁、角膜径拡大などの症状が表われる。そして、これらの症状から先天緑内障を疑い、更に進んで眼底検査をすることにより、視神経乳頭陥凹の拡大が認められ、眼圧検査により高眼圧が認められることにより、先天緑内障の確定診断が可能になると認められる。

ところで、前記認定事実に示したとおり、初診時においては、被控訴人X1に、流涙、眼瞼痙攣、角膜混濁、角膜径拡大の症状があったとは認められず、X3が羞明の症状を訴えたとも認めるに足りない。角膜混濁、流涙の症状の有無に関し判断を補足すれば、原判決が事実及び理由の第三の一(3)(ア)、(イ)に説示するとおりである。

そうであるとすれば、前記鑑定の結果のとおり、初診時において、A1医師がX1の眼脂、結膜充血に対して結膜炎と診断し、抗菌剤の点眼(タリビット点眼液)を処方したことは不適切であったとはいえないというべきであり、この点に過失は認められない。

五  再診時におりる診療上の過失の有無について

(1)  判断の要旨

前記認定事実によれば、再診時において、X3は、A1医師に対し、初診時に処方された抗菌剤の点眼によってX1の眼脂は治まったが眼が赤くなると訴え、診察の結果、結膜充血が認められたこと、更に、X3は、A1医師に対し、X1が外に出るとまぶしがると訴えて羞明の症状を訴えたことが認められる。

そして、前記のとおり、一歳未満の乳児が外に出るとまぶしがると訴えるような羞明の症状は、先天緑内障を疑うべき最も重要な初期症状(古典的三徴候)の一つである(日本眼科医会「緑内障」一一頁(甲B一)、根木昭「原発先天緑内障 診断と管理」一五四、一五五、一五七頁(乙B五。平成六年三月発行の眼科診療プラクティス「10.緑内障診療の進め方」掲載の文献であり、本件診療当時、県立奈良病院眼科における診療に際し医師が容易に参照できた基礎的文献であると認められる。)をも参照)。

更に、鑑定の結果によれば、結膜充血は、先天緑内障の症状として起こる眼圧の上昇による角膜上皮浮腫に伴う眼局所の刺激が原因で起こる症状の一つであると認められ、上記のとおり羞明の症状も訴えており、後にX1に先天緑内障による重篤な視神経障害が現実に生じた結果を踏まえれば、再診時の結膜充血の症状は、先天緑内障の症状であったと認めるのが相当である。前記の根木昭「原発先天緑内障 診断と管理」(乙B五)一五七頁の表二においても、原発先天緑内障との鑑別疾患として、「1.流涙・羞明・充血・眼瞼痙攣を示すもの 鼻涙管閉塞、異物、角膜びらん、結膜炎、虹彩炎」と記載されており、眼の充血が先天緑内障を疑うべき症状であることは当然の前提とされている(初川嘉一「小児の眼科診療の進め方」(甲B二)一一頁の主な症候の鑑別診断表においても「表A 充血」中に「5.緑内障」と記載されているのも同趣旨と解される。)。現実に平成四年度における先天緑内障の新規発見例の三八例のうち、二例は結膜充血が発見の契機となった所見となっている(滝澤麻里ほか「先天緑内障全国調査結果(一九九二年度)」鑑定書添付資料一)。ちなみに同調査結果によると、五例は羞明が発見の契機となった所見である。

そして、鑑定の結果によれば、初診時に認めた眼脂の症状が再診時にはなかったことからすれば、再診時の結膜充血、羞明の症状を二か月半も前の初診時の結膜炎によるものと考える根拠は乏しく、結膜炎は治癒又は改善したと認識することができたと認められる。

そうであるとすれば、先天緑内障が迅速な手術療法によらなければ永続的な視機能障害を残す疾患であって的確な診断が要求されること(乙B五の一五四頁冒頭の記述)をも踏まえると、そして、前記B医師の意見と鑑定の結果をも総合すると、再診時において生後七か月の乳児につき羞明の症状の訴えを受けたA1医師としては、それが先天緑内障の古典的三徴候の一つとして典型的な初発症状であることを想起し、結膜充血の症状もあることも合わせて先天緑内障を疑い、その鑑別診断を進めるべき医師としての診療上の注意義務があったと認めるのが相当である。

ところが、前記認定事実によれば、A1医師は、結膜充血の原因としてうつぶせ寝を疑って被控訴人X3に問診してその点を確認したのみで、羞明の原因について深く検討することもなく、眼底検査も眼圧測定もすることなく、「調子悪ければくること」との一般的な指示をしたのみである(逆に言えば、A1医師は、鑑別診断に必要な治療への反応等を確認し、他の原因の可能性の検索を完了することなく、安易に症状を結膜炎によるものと断定してしまったことになる。)。このような診察と指示を受ければ、患児の親は、まさか永続的な視機能障害をもたらす先天緑内障というような重篤な病気が潜んでいるとは思い至らず、その後の症状経過に関する適切な経過観察が怠られることになりかねない。A1医師は、上記の症状を確認しながら、かつ、先天緑内障のことは頭にあったと言いながら、結膜炎の充血、目の赤みがあったので結膜炎による羞明を疑って先天緑内障の可能性を疑わず(A1証人調書四五~四八頁)、上記の診察と指示を行い、先天緑内障の鑑別診断をするためには最低限必要である慎重な経過観察や定期的な再受診の指示を行わなかったものであって、少なくともこの点は、医師としての診療上の注意義務に違反した過失があったものというべきである。

この点について、被控訴人らは、過失に関する主張として、第一次的には、眼圧測定及び眼底検査をするべきであったと主張する。たしかに、先天緑内障による様々な症状が生ずる原因は眼圧の上昇にあり、かつ、それによる障害は視神経乳頭の陥凹という視神経障害に現われるものであるから、眼圧測定及び眼底検査の重要性はいうまでもなく、B医師の意見及び鑑定の結果においても、少なくとも再診時におけるその必要性が指摘されている。しかし、他方で、鑑定の結果によれば、乳児の眼圧測定又は眼底検査の際には、催眠鎮静薬や散瞳薬の投与が必要となり、頻度は低いとはいえ、これらの薬剤投与によって、呼吸抑制による呼吸停止や一時的な心機能障害のような重い副作用が生ずる危険性もある。そうすると、二か月半の間をおいた外来による二度目の診療にすぎず、羞明や結膜充血の原因がほかにも考えられなくはないことをも考慮すれば、前記のとおり慎重な経過観察と定期的な再受診の指示がなされるのであれば、必ずしもその診察の際に即座に眼圧測定や眼底検査をしなくても、直ちに医師の診療上の注意義務違反の過失とまでいうのは相当でないと考えられる(なお、当裁判所は、本件でこれらの検査を求めることにより、それが症例の個別性を超えて一般化され、その結果、医療過誤訴訟での責任を回避するために、それ自体が一定の侵襲を伴うような検査や処置が防衛的かつ画一的に行われるような事態を招来することは避けたいと考える。)。

(2)  G日本小児眼科学会初代理事長の意見書及び公立病院アンケート結果について

以上に対し、日本小児眼科学会初代理事長である小児眼科専門医Gは、当審で提出された意見書(乙B三五)において、再診時の保護者の結膜充血、羞明の訴えで、先天緑内障を疑って眼底、眼圧検査を実施していれば、あるいは一~二か月後の受診を求め、それまでにも異常があれば受診するよう指示すれば発症が防げたかのように考えることは、現実の多忙な総合病院一般眼科で角膜所見がないにもかかわらず定期的な受診を求め、先天緑内障を疑って検査をすべきであったというもので、あまりにも非現実的な判断であると述べている。

しかし、県立奈良病院は、小児科もある総合病院であり、小児眼科の専門医ではないが、当時、H眼科部長(乙A四)、E医師(甲A一七の一)、A1医師という三人の常勤眼科専門医を擁する奈良県下有数の眼科の診療機関であったのである。県立奈良病院が、奈良県においては、小児眼科においても最も高次の医療が期待される医療機関であったことは明らかである。また、たしかに、一〇万人に一人が発症するといわれるように先天緑内障の症例が極めて少ないことは、B医師も述べるように、結膜炎などの他の疾患の症例の多さと比較してその鑑別の進め方、その責任判断のあり方には留意されるべきであろう。しかし、前記のとおり、先天緑内障は、永続的な視機能障害を残し場合によっては失明にも至る重大な病気であり、眼科医にとってその鑑別は重要な診療上の課題であることは医学的な常識である。しかも、患児の母X3は、先天緑内障の古典的三徴候の一つである羞明の症状を再診時に明確に訴え、その再診の動機は、四か月検診の検診医の指示で県立病院で眼科専門医の初診を受けた上、初診時にみられた結膜炎の典型的な症状である眼脂がその後改善してもなお結膜充血が治らないということを主たる訴えとして、再度、県立病院眼科での診察を受けたものである。そして、結膜充血自体も先天緑内障につながる症状である上に、更に古典的三徴候の一つである羞明の症状も合わせて訴えたのである。乳児について、母親が二度にわたって県立病院眼科という高次の医療機関において眼科専門医の診療を受け、しかも、それが定期健診における医師の指示で初診を受けた後に再度診察を受けたものであり、その間、目の充血が治らないばかりか、羞明という、乳児にしてはそれほど多くはないが(前記B医師の意見参照)、それでいて眼科専門医であれば格別の注意を要する重大な疾患である先天緑内障の先駆症状を訴えていたのである。前記のとおり、A1医師自身、再診の際に羞明の症状の訴えを聞いて緑内障のことは頭にあったと証言(調書四五頁)しているのであり、先天緑内障の鑑別診断の重要性を眼科専門医として自覚していたことを示している。他方、A1医師は、それにもかかわらず、県立病院の眼科専門医として乳児の母から羞明の訴えを聞き取りながら、「外に出るとまぶし(以下数文字分空白)」(乙A一の八頁)などと中途半端な診療録の記載をしていることからも窺われるように、慎重に母親から症状の訴えを更に詳しく聞き取る努力をした経過はとても認められないのである。

このような事実関係を総合すれば、再診時において、県立奈良病院眼科のA1医師に対し、先天緑内障を疑ってその鑑別診断を進めるべき法的義務を課することが、総合病院の一般眼科医に対し厳しすぎる要求をしているものとまではいえず、むしろ、そのような重い期待に応えることこそが、奈良県有数の医療機関である県立奈良病院眼科に勤務する医師に課せられた法的な責務であると解するのが相当である。

なお、控訴人は、当審において、公立病院へのアンケート結果(乙B三八の一~四)を証拠として提出した。このアンケートは、当審で行われた鑑定が予想外の結果であったとして、希望があれば鑑定書を送るとまで述べて、「鑑定の問題の要点」を掲げて鑑定の見解を支持するかどうかなどを詳細に問う形式のものであり、奈良県立奈良病院院長名義で行われ、控訴人訴訟代理人弁護士を問い合わせ先として実施されたアンケートである(乙B三八の一)。このような鑑定意見に対するアンケートを訴訟の一方当事者が訴訟進行中に実施すること自体、稀な疾患である先天緑内障に関する公立病院の責任を問われた複雑困難な医事訴訟において、原審で先天緑内障の権威であるB医師が証言等により意見を述べている状況の中で、あえて控訴人の申請に基づき小児眼科の専門医を鑑定人に選任して鑑定を実施しているにもかかわらず、その結果が不満であるとして、公立病院院長の名においてその鑑定意見を訴訟進行中に広く関係者に一方的に公開し、その批判にさらし否定しようとする試みであると考えざるを得ず、訴訟当事者の行動として、はなはだ適切を欠くものといわざるを得ない。このようなことが行われると、鑑定人が一方当事者からの偏った情報の下で直接多くの医療関係者からの批判にさらされる結果となるおそれがあり、今後、専門医が鑑定人として訴訟に協力することに消極的な態度をとり、鑑定人の協力を得て充実した審理に基づいて公正な裁判を円滑に実現することを妨げるおそれがあるといわざるを得ない。

もっとも、アンケートの実施自体には、上記のとおり重大な問題があり、かつ、アンケートの前提となる情報も一方当事者から片面的に提供されたものである点でも問題があるとしても、アンケート結果をみると、たしかに本件の診療の適否につき様々な意見があることは分かる。しかし、控訴人から提供された本件の再診時の症状を前提とした場合にも、再診時に眼圧、眼底検査を行わなかったことが不適切であると回答している病院が、眼底検査をしなかったことのみを不適切であるとする病院も含め相当数存在することも明らかである(乙B三八の二のNo.1、8、10、12、14、23)。このことは、それらの回答が、他の公立病院が診療上の責任を問われていることを認識しつつ、同じ公立病院の立場で意見を述べていることを考慮すれば、割合は少ないとはいえ極めて重いものと評価しなければならない。

以上のとおりであるから、上記公立病院のアンケート結果も踏まえ、かつ、本件においては、特に、県立病院において眼科専門医を二回にわたって乳児が受診し、初診時には定期健診の医師の受診指示すらあったことなど、本件の具体的診療経過等の事情に照らせば、G医師の前記意見書は、直ちにこれを採用することができないものといわざるを得ない。

(3)  I奈良県立医科大学眼科学教授の意見書について

同様に、奈良県立医科大学眼科学教授であるI医師は、当審において提出された意見書(乙B三七)において、再診時の診察は、推察するに、乳幼児は自己の手指などで軽度の結膜炎を起こすことはよくあることなので、現時点では投薬の必要なしと判断したものと思う、このときの問診で「外に出るとまぶしがる。うつぶせ寝をしている」という所見は、この年齢児にときどき認められる所見であり、先天緑内障固有の所見ではない、「調子悪ければくること」を指示しているので眼科専門医として妥当な判断と考えられると述べている(ただし、カルテ以外にどのような情報がその判断の前提資料として提供されたのかは不明である。)。

しかし、「外に出るとまぶしがる」という羞明の症状は、日本眼科医会作成の緑内障の一般向けパンフレット(甲B一の一一頁)においてすら、「子供の緑内障」として「赤ちゃんが光を嫌い、外へ出るとまぶしがる時には、この病気の可能性があります。」と記載し、先天緑内障の典型的な症状であることを述べているのである。また、県立奈良病院眼科の医師が容易に参照できた基本的文献であると考えられる根木昭「原発先天緑内障 診断と管理」(乙B五)も「高眼圧に伴う角膜浮腫による刺激症状として流涙、羞明、眼瞼痙攣を主徴とする。」(一五四頁)、「上述三主徴の有無(中略)を聴取しながら、眼をこする、羞明などの乳児の態度などを観察する」(一五五頁)と記載し、羞明の症状の重要性を強調しているのである。

このような基礎的な医学的知見があるにもかかわらず、本件においては、前記のとおり、A1医師は、先天緑内障が頭にあったというにもかかわらず、県立病院の二度目の受診で乳児の羞明の症状を訴えている母親から、その症状の内容を慎重かつ詳細に聞き取る努力をしたとも認められないのである。このような本件の具体的事情に照らし、かつ、先天緑内障による視機能障害を防止するためには早期発見が極めて重要であるという前記の医学常識並びにB医師の意見及び鑑定の結果からすれば、眼をこするなど他の原因が結膜充血の原因として相当大きな可能性として考えられ、羞明についても他の原因を考える余地が相当程度大きくあったとしても、再診時に先天緑内障の鑑別診断を進めずにその可能性を否定してしまうことが、医師として適切な診療といい難いことは、明らかである。したがって、I教授の上記意見書も、本件におけるA1医師の診療についてそのまま当てはめることが適切とはいい難いから、採用することができない。

六  因果関係について

前記認定事実(特に永田眼科における診療経過及びB医師の診断書)及び鑑定の結果によれば、X1は、先天緑内障による両眼視神経萎縮の視神経障害により視力が光覚弁となって失明したものと認められる。

控訴人は、X1に生じた視神経の障害が、先天緑内障による眼圧上昇によって生じたものではない可能性も指摘するが、そのような可能性を具体的に裏付ける根拠はない。

そして、B証人の証言及び鑑定の結果によれば、先天緑内障においては、早期の診断により手術をすることによって眼圧の上昇を抑え、重い視力障害を生じないですむことができる相当高い可能性があることが認められる。

そして、前記認定のとおり、県立奈良病院の再診時(生後七か月)においては角膜混濁や角膜径拡大などの症状がなく、その一年一か月後の平成一二年九月頃(一歳八か月)までは、重大な視力障害が認められていないことからすれば、少なくとも再診時のX1の視神経萎縮の障害は、それほど重いものであったとは考えられないし、再診後の視神経萎縮の障害の進行の程度も緩やかなものであったと推認できる。そうであるとすれば、再診時に、県立奈良病院のA1医師が、前記認定の診療上の注意義務を怠ることなく、最低限、慎重な経過観察や定期的な再受診を指示した上で先天緑内障の鑑別診断を進めていれば、高眼圧や視神経乳頭陥凹など先天緑内障特有の症状を判別し、視神経萎縮が進行する前に手術をして眼圧を下げ、失明に至るほどの視力障害の発生を防ぐことができたと認められる。

したがって、A1医師が診療上の注意義務を怠った過失とX1が失明した結果との間には、相当因果関係があると認められる。

七  過失相殺について

上記認定判断によれば、X1は、A1医師の診療上の過失により最終的に失明したものと認められるが、他方で、A1医師は、再診時に「調子悪ければくること」との指示をして調子が悪ければ再度受診するよう指導している。

そして、前記認定のとおり、X1は、再診時においてはテレビを見ることには支障がなかったが、その後、テレビ画面もまぶしがって見ないというような強い羞明の症状が生じた事実も認められる。しかも、再診の一年一か月後の平成一二年九月一四日の一歳六か月児健診の際には、X3は、X1の眼について気になることがあり、ひとみが白く見える、見えているが時々手さぐりで物を探したり、よく物に頭をぶつける、など重い視力障害を窺わせる症状に気が付いているのに、それまでの間、県立奈良病院を再受診することもなく、他の眼科医の診察を受けることもしていない。

更に言えば、X3は、一歳六か月健診で検診担当医から、心配なら眼科医を受診するように勧められたにもかかわらず、更にその後の九月二〇日頃に実家で母親に指摘されるまで、何らの行動をとっていないし、その後も一〇月六日に永田眼科を受診するまで眼科専門医の診察を受けていない。

たしかに、再診時の県立奈良病院のA1医師が先天緑内障を疑わなかったためX3の訴えるX1の羞明、結膜充血の症状について適切な対応がされなかった面はある。しかし、そうであるとしても、再診時において調子悪ければくることと一応の経過観察と再受診の指導を受けているのであるから、上記のとおり一歳六か月児の定期健診において眼の異常を訴えるのであれば、それより前に、その異常に気が付いたらすぐに眼科専門医の診療を受けさせるべき注意義務は、被控訴人らの側にもあったというべきである。しかも、前記定期健診でX3が眼の異常を訴えていることのほかに、永田眼科の問診において医師が「生後一年で歩行しだした頃、視力障害を疑わせる行動があった」(乙A三の診療録四頁)と記録していることからすれば、本件においては、X3は、一歳頃には、X1に一歳六か月児の定期健診で相談した内容の視力障害を疑わせる行動があることに気が付いていたと認めるのが相当である。

そうであるとすれば、極めて稀な先天性疾患である先天緑内障について、必ずしも特徴的とはいえない初発症状を重視しないでこれを疑って鑑別診断を進めることを怠ったことについて、外来で診察したにとどまる医療機関の責任を追及するに当たっては、損害の公平な分担を図る観点から、他方で日々身近で子供を観察しているはずである両親の側の上記の過失を被害者側の過失として考慮して相応の過失相殺を行うのが相当であると考える。

そして、X1は、平成一二年一〇月六日に永田眼科の診察を受けたときには、先天緑内障の末期の症状であり、その後の手術の甲斐もなく失明しているが、先天緑内障による視神経萎縮の障害は緩やかに進行するものであるから(B医師の意見及び鑑定の結果)、上記のとおりX3が視力障害を疑わせる行動に気が付いた一歳頃に眼科専門医の診察を受けていれば、失明をするほどの視力障害は残らなかったと推認できる。そして、A1医師が先天緑内障を疑わなかったものの一応の再受診の指導をしていることを考え合わせると、また、乳幼児の医療は、患児自ら症状を訴えることができないため、日頃患児を身近に観察している両親と医師との共同作業となる側面が大きいことも考えると、A1医師の診療上の過失によりX1が失明したことによる損害のうち、控訴人が賠償すべき損害は、過失相殺により二分の一にとどめるのが相当である。

なお、被控訴人らは、再診時に県立奈良病院眼科のE医師から殊更にX1の症状について安心させるような言葉をX3が掛けられたことを、過失相殺をすべきでない事情として主張する。しかし、前記認定のとおり、X3は、X1の黒目(虹彩)の色が違うということを心配してA1医師に相談したところA1医師がこれを取り合わなかったため、先輩のE医師が眼の色は人によって違うから安心しなさいという意味で声をかけたにすぎない。そして、黒目の色が違うことをX3が心配していたことが、角膜混濁などの先天緑内障の症状を認めていたことを示すものとまで認めるに足る証拠はない。そうすると、E医師は、単に目の虹彩の色が人によって違うことを説明して安心させたにすぎず、そのことが、X3が一歳六か月児検診で相談したような重い視力障害を疑わせる症状に気が付きながらすぐに眼科医の診察を受けなかったことを正当化する根拠となるものではない。この点での被控訴人らの主張は採用できない。

八  損害について

(1)  損害算定の基準時と遅延損害金の起算日

被控訴人X1は、平成一一年八月三日(生後七か月)、県立奈良病院眼科再診時におけるA1医師の過失によりその後先天緑内障による視神経萎縮及び視力障害が徐々に進行し、平成一二年一〇月六日(一歳九か月)、永田眼科初診時に先天緑内障の確定診断を受け、平成一六年四月五日(五歳三か月)、失明した視力の回復の見込みがなく、症状が固定したとの診断を受けたものである。

このような乳幼児期における不作為による診療上の過失により、その後、徐々に症状が進行して実際の視力障害が生じたという本件の場合には、上記のとおり症状が固定した時点である平成一六年四月五日の時点を不法行為による障害発生の日としてとらえ、この時点で損害を算定するとともに(ちなみに、被控訴人ら主張の逸失利益や介護費用の算定基準時も五歳時であり、中間利息もこの時点までを控除している。)、同日から損害賠償義務が履行遅滞に陥るものとして遅延損害金を起算するのが相当である。

(2)  被控訴人X1の損害 八〇二九万〇七七三円

ア 逸失利益 五二二九万〇七七三円

逸失利益の認定(五歳基準時)は、原判決が事実及び理由の第三の二(1)アに示すとおりであるから、これを引用する。

イ 後遺症慰謝料 二八〇〇万円

後遺症慰謝料の認定は、原判決が事実及び理由の第三の二(1)イに示すとおりであるから、これを引用する。

ウ 介護費用 認めない。

被控訴人X1は、幼児期にして両眼失明の重篤な後遺障害を残したことは前記認定のとおりである。

しかし、重い視力障害を有する被控訴人X1にとっても、近時においては、①障害者基本法、②身体障害者福祉法、③障害者自立支援法、④障害者の雇用の促進等に関する法律、⑤高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律、⑥特別児童扶養手当、⑦障害年金、など様々な法律・制度の下に、生活環境の整備や支援制度等を通じ、今後、自立に向けた教育や行政、社会、そして家族の支援を受けていくことが期待されるのである。その意味では、いわゆる植物状態の患者とは異なり、近親者等の介護を受けなければ終生日常生活を送ることに支障が生ずるとまでは認められず、日常生活の基本的な動作自体は、自らこなしていくことができると考えられるというべきである。そうだとすれば、被控訴人X1が主張するように終生一日当たり一万円の介護費用の支出を現実に必要とするとは到底考えられない。

もちろん、両眼失明という障害を負ってこれから生活していく以上、両親や身近な者の相当の支援は必要であると考えられる。しかし、そうした支援を必要とする状態は、前記のとおりの逸失利益と慰謝料を認めることによって評価できる範囲内の問題と考えるのが相当であり、これを超える損害や支出が現実に生じ、又は将来実際に生ずる見込みがあるとは、認めるに足りない。

(3)  被控訴人X2及び同X3の損害

被控訴人X2及び同X3の両親にとって、幼い我が子が失明するというつらい精神的苦痛を被ったとは認められる。しかし、X1は、まだ年若く様々な社会的施策の支援の下で今後自立が期待されることを考えると、本件においては、あくまでX1の精神的苦痛に対する慰謝料をもって両親の苦痛も含めて評価するのが相当であり、これをもって民法七一一条が特に損害賠償について定める子の生命を侵害された場合の父母の精神的苦痛と比肩し得べき、またはそれに比し著しく劣るものではない精神的苦痛として、両親の固有の慰謝料請求の原因となるべきものとまで評価するのは相当でないと考える次第である。

(4)  過失相殺

上記(3)の被控訴人X1の損害額合計八〇二九万〇七七三円から被害者側の過失を考慮して二分の一を過失相殺すると、控訴人が賠償すべき損害額は、四〇一四万五三八六円となる(円未満切捨て)。

(5)  弁護士費用相当額

上記(4)の過失相殺後の損害額及び本件訴訟に関する一切の事情を考慮すれば、弁護士費用相当の損害は、四〇〇万円とするのが相当である。

(6)  被控訴人X1の損害合計 四四一四万五三八六円

九  結論

以上によれば、控訴人は、被控訴人X1に対し、民法七一五条一項の不法行為責任に基づき、上記損害合計四四一四万五三八六円及びこれに対する不法行為の後である損害算定の基準日(本件においては前記八(1)のとおり症状固定の日)である平成一六年四月五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。被控訴人X1の請求は、上記限度で理由があり、被控訴人X2及び同X3の請求は、いずれも理由がない。

したがって、原判決中、被控訴人X1の請求を認容した部分は、上記理由のある限度では相当であるが、これを超える部分は不当である。また、被控訴人X2及び同X3の請求を認容した部分は、いずれも不当である。

よって、本件控訴は、被控訴人X1に対する控訴は一部理由があり、被控訴人X2及び同X3に対する控訴はいずれも理由があるから、原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小田耕治 裁判官 富川照雄 小林久起)

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