大阪高等裁判所 平成19年(ラ)252号 決定 2008年3月18日
抗告人
兵庫県宝塚市長
原審申立人
X
主文
1 本件抗告を棄却する。
2 抗告費用は,抗告人の負担とする。
理由
第1事案の概要等
1 事案の概要
(1) 原審申立人は,同人の妻との間の長女として平成18年○月○日に出生した女子につき,同月×日,原審申立人の当時の居住地を管轄する戸籍事務管掌者(市長)である抗告人に対し,その名を「祷○」とする出生届(以下「本件出生届」という。)を提出したところ,抗告人は,同月×日付けの「戸籍届書の返戻について」と題する書面により,「祷」の文字(以下「本件文字」ということがある。)が子の名前として使用できないものであることを理由として,本件出生届を受理しない旨の処分(以下「本件不受理処分」という。)をした。
(2) 原審申立人は,平成18年×月×日,本件不受理処分は不当であるとして,抗告人に対し本件出生届の受理を命じることを求める原申立てをした。
(3) 原審は,平成19年2月23日,「祷」の字は,審判手続に提出された資料に照らし,社会通念上明らかに常用平易な文字と認めるのが相当であるとして,抗告人に対し,本件出生届の受理を命じる旨の原審判をした。
本件は,この原審判に対して抗告人からされた即時抗告事件である。
2 抗告の趣旨及び理由
(1) 抗告人は,原審判を取り消し,原審申立人の原申立てを却下する旨の裁判を求めた。
(2) 抗告理由は,別紙のとおりである。
第2当裁判所の判断
1 当裁判所も,原審と同じく,本件文字「祷」は,社会通念上明らかに常用平易な文字と認めるべきであるから,原申立てには理由があり,したがって,抗告人に対し,本件出生届の受理を命ずべきものと判断する。
その理由は,次のとおりである。
2 問題の所在
(1) 現行の戸籍法(昭和22年法律第224号。従前の戸籍法[大正3年法律第26号]を全面改正したもの。以下,改正後のものを単に「戸籍法」又は「法」といい,改正前のものを「旧戸籍法」という。)50条は,第1項で「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」と,第2項で「常用平易な文字の範囲は,法務省令でこれを定める。」と各定めている。
これを受けて,法務省令である戸籍法施行規則(昭和22年12月29日号外司法省令第94号。以下「規則」という。)60条(平成16年9月27日改正後のもの)では,「戸籍法第50条第2項の常用平易な文字は,次に掲げるものとする。」とした上,
「1 常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては,括弧の外のものに限る。)
2 別表第二に掲げる漢字
3 片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)」
と規定している。
(2) 本件出生届において原審申立人の長女の名に用いられた「祷」の字(本件文字)は,規則60条1号ないし3号のいずれにも含まれない。
(3) 法50条1項が上記のような定めをしているのは,従来,子の名に用いられる漢字には極めて複雑かつ難解なものが多く,そのため命名された本人や関係者に,社会生活上,多大の不便や支障を生じさせたことから,子の名に用いられるべき文字を常用平易な文字に制限し,これを簡明なものとすることを目的とするものと解される。
そして,同条2項が,法務省令で常用平易な文字の範囲を定めることとしているのは,当該文字が常用平易な文字であるか否かは,社会通念に基づいて判断されるべきものであるが,その範囲は,必ずしも一義的に明らかでなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情こよっても変わり得るものであり,専門的な観点からの検討を必要とするものである上,上記の事情の変化に適切に対応する必要があることなどから,その範囲の確定を法務省令に委ねる趣旨である。
規則60条は,この法の委任に基づき,常用平易な文字を限定列挙したものと解すべきであるが,法50条2項は,子の名には常用平易な文字を用いなければならないとの同条1項による制限の具体化を規則に委任したものであるから,規則60条が,社会通念上,常用平易であることが明らかな文字を子の名に用いることのできる文字として定めなかった場合には,法50条1項が許容していない文字使用の範囲の制限を加えたことになり,その限りにおいて,規則60条は,法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法,無効となるものと解される。そして,法50条1項は,単に,子の名に用いることのできる文字を常用平易な文字に限定する趣旨にとどまらず,常用平易な文字は子の名に用いることができる旨を定めたものというべきであるから,上記の場合には,戸籍事務管掌者は,当該文字が規則60条に定める文字以外の文字であることを理由として,当該文字を用いて子の名を記載した出生届を受理しないことは許されず,裁判所は,審判,決定手続に提出された資料,公知の事実等に照らして,以上の点について審査を遂げ,当該文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるときには,当該戸籍事務管掌者に対し,当該出生屈の受理を命ずることができるものというべきである。
以上は,最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定(民集57巻11号2562頁,以下「平成15年決定」という。)が判示するところであり,このこと自体は,平成16年9月に実施された後記の人名用漢字の拡大措置の後においても,同様に妥当するものと解すべきである。
(4) したがって,本件において,裁判所が抗告人に対して本件出生届の受理を命ずることができるか否かは,上記の説示に照らして,本件文字「祷」が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるか否かによることになる。
3 記録(公知の事実を含む。)によれば,以下の事実が認められる。
(1) 本件不受理処分に至る事実の経緯は,事案の概要欄に記載したとおりである。
(2) 旧戸籍法における子の名に用いられる文字についての取扱い
旧戸籍法においては,届出書の記載について,略字又は符号を用いてはならず,字画明瞭なることを要する旨定められていたのみであり(同法28条1項,55条),子の名に使用する文字についての法律上の制限はなかった(もっとも,子の名に用いる文字は日本文字で,また,正字でなければならず,誤字は訂正させた上で受理すべきであるといった先例による制限はあった。)。
(3) 戦後の「当用漢字表」の制定に伴う法50条の新設等
ア 従来,わが国において用いられている漢字は,その数が非常に多く,その字体及び字種(その意義については後述する。)も複雑多岐にわたるため,国民の教育上又は社会生活上の不便には多大なものがあった。そこで,戦後,これを制限し,国民の生活能率を上げ,文化水準を高めることを目的として,昭和21年11月16日,1850字を掲げる「当用漢字表」(昭和21年内閣告示第32号)が制定された。
イ 当用漢字表は,「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」とされ,固有名詞については「法規上その他に関係するところが大きいので,別に考えることとした」として,人名・地名を対象外としたため,直接には子の名に用いられる漢字の取扱いの基準となるものではなかった。
しかし,従来から子の名に用いられる漢字には極めて複雑かつ難解なものが多く,そのため,命名された本人や関係者に社会生活において多大の不便や支障を生じさせていたことから,当用漢字表を制定するに至ったという上記の国語施策は,子の名に用いる漢字の取扱いにも及ぼすことが妥当であるとされ,昭和23年1月1日に,旧法を全面改正の上施行された戸籍法においては,上記のとおり,50条1項で「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」と規定し,同条2項で,常用平易な文字の範囲の定めを命令(司法省令)に委任した。そして,これを受けて制定された規則60条(当時)により,人名に用いられるべき漢字は当用漢字に限るものとされた。
ウ 「当用漢字字体表」の告示
(ア) 昭和24年4月28日,当用漢字表の漢字について,字体の標準を示すものとして,「当用漢字字体表」(昭和24年内閣告示第1号)が告示され,438字について当用漢字表の字体と異なる字体が示された。
これを受けて,人名用漢字の字体は,当用漢字表に掲げる漢字又は当用漢字字体表に掲げる漢字のいずれの字体を用いても差し支えないものとされた(昭和24年7月6日民甲第1524号民事局長通達)。
(イ) 当用漢字表の字体の中には,「実(實)」,「栄(榮)」,「沢(澤)」のように手書きの際等に慣用されていた簡易字体を採用し,参考のための原字が括弧内に掲げられる扱いになっていたものがある。
当用漢字字体表は,漢字の読み書きを平易かつ正確にするために,異体の統合,略体の採用,点画の整理などを図るとともに,筆写の習慣,学習の難易をも考慮し,印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させることをたてまえとして,当用漢字表にいわゆる康熙字典体(詳細は後述)で選定された字についても簡易字体を示したものであり,人名用漢字としては,当用漢字表の漢字について字体の標準を示すという当用漢字字体表の制定の趣旨を取り入れ,当用漢字字体表に掲げる漢字の字体を用いても差し支えないものとされた。
もっとも,上記のように,当用漢字字体表に簡易字体が採用され,参考のための原字が括弧内に掲げられる扱いとされているものについては,使用する文字を制限するという当用漢字表制定の趣旨に鑑み,括孤内の原字は人名用漢字には含まれないものとされていた。
(ウ) ところで,字体とは個々の文字の骨組みをいうが,その字体の原点とされるのが「康熙字典体」である。
「康熙字典」は,中国清朝の康熙帝の勅命により,後漢代の「説文解字」以降の歴代の字書の集大成として編修され,1716年に完成した字書であり,所収字種(なお,字種とは,いかなる字源で造られ,いかなる音で,いかなる意味を持つのかという「字の種類」をいい,同一の字種に複数の字体が存在することもある。)は,4万7000字余りで,漢字字典に関する権威的書籍とされている。康熙字典体は,康熙字典に見出し用の親字として掲げられている字体であり(また,普遍的でない字体をこの字体に沿って訂正された字体も含めて「いわゆる康熙字典体」と呼ばれることもある。),印刷用の活字において正字の規範として用いられたため,現在,我が国において「旧字体」と呼ばれているものは,概ね,この「いわゆる康熙字典体」である。このように,(いわゆる)康熙字典体は,日本における印刷字体においても用いられてきたが,元来は,字源に忠実な字体として整えられたものである。ところが,筆写においては,運筆を簡便にし,筆写の姿を整えるためなどの筆写の習慣,あるいは簡略の字体が好まれたことから,印刷字体と筆写字体との間に違いが生じ,実際には,筆写における簡易字体が広く用いられた結果が「当用漢字表」,「当用漢字字体表」において積極的に採用され,更に,後に述べるとおり,「常用漢字表」においても同様に字体が整えられたという経緯がある。
(4) 「人名用漢字別表」及び「人名用漢字追加表」の制定
ア 上記のとおり,制定当初の規則60条は,子の名に用いることのできる漢字について,従来からの伝統や特殊な事情に配慮せず,当用漢字のみに制限していたのであるが,そのことについて国民からの大きな批判を招き,国民各層から人名用漢字の範囲の拡大が要望された。
イ 上記要望を受けて,国語審議会(文部大臣[当時,現在では文部科学大臣]の諮問機関)において人名用漢字の問題が国語政策上重要な問題として取り上げられ,同審議会内に設置された「固有名詞部会」における審議の結果,昭和26年5月14日,法務総裁及び文部大臣に対し,当用漢字の外に,従来人名に用いられることが多かった漢字など92字について人名に用いても差し支えないものとする「人名漢字に関する建議」が行われ,内閣は,同月25日,上記92字を掲げた「人名用漢字別表」(昭和26年内閣告示第1号)を定め,法務総裁は,同日付けで規則を一部改正し(同年法務省令第97号),「人名用漢字別表」に掲げる漢字を規則60条に定める文字に追加した。
ウ その後も人名用漢字の範囲拡大の要望は続き,昭和49年3月,法務大臣が民事行政審議会に対して戸籍制度に関して当面改善を要する事項について諮問したことにより,同審議会において人名用漢字の問題についても審議され,その結果,同審議会が「子の名に用いる文字について,当面は,『当用漢字表』・『人名用漢字別表』による制限方式を踏襲しながら,必要に応じその『人名用漢字別表』の漢字を追加する等の従来の措置を継続することとし,なお,国語審議会における今後の検討をまって対処するものとする」旨の答申をしたことを踏まえて,法務大臣の諮問機関として設置された「人名用漢字問題懇談会」において,法務局及び地方法務局を通じて全国の市町村の戸籍窓口に対して実施した調査結果等も踏まえながら,人名用漢字の当面の取扱いについて検討がされた。
その結果,同懇談会から,新たに28字を人名用漢字として追加するのが相当である旨の報告を受け,従来の経緯を踏まえて国語審議会から人名用漢字の追加についての了承を得た上で,昭和51年7月30日,上記28字を掲げた「人名用漢字追加表」(昭和51年内閣告示第1号)を定めると同時に,規則60条を一部改正し(同年法務省令第37号),「人名用漢字追加表」に掲げる漢字が規則60条に定める文字に追加された。
(5) 「常用漢字表」の制定とそれに伴う新たな「人名用漢字別表」の制定
ア 常用漢字表の制定
(ア) 国語審議会においては,昭和47年11月以降,文部大臣の諮問に基づき,国語施策の改善の一環として,当用漢字に含まれる漢字の字種・字体等の問題について総合的な審議を行い,昭和56年3月23日,「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として,「常用漢字表」を作成して文部大臣に答申し,内閣は,同答申に係る常用漢字表をほぼ全面的に採用し,同年10月1日,1945字を掲げる「常用漢字表」(昭和56年内閣告示第1号)を制定した。
(イ) 常用漢字表は,当用漢字表に掲げられた1850字をすべて承継した上で,新たに95字(うち,7字は人名用漢字別表に,1字は人名用漢字追加表に掲げられていたもの)を追加した。なお,字体については,「主として印刷文字の面から」検討がされ,当用漢字字体表の「印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させる」という方針を更に進める立場は採らず,基本的には当用漢字字体表に掲げられている字体を踏襲したが,新たに簡易字体を採用したものもあった。
また,同表に掲げられた漢字(常用漢字)以外の漢字(以下「表外漢字」ともいう。)の字体に関しては,同表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかについては,当面,特定の方向を示さず,各分野における慎重な検討に待つこととして,国語審議会としての判断を留保した。
イ 新たな「人名用漢字別表」の制定
(ア) 常用漢字表は,固有名詞をその対象外としており,人名用漢字の取扱いについては,従来国語審議会が関与してきたが,戸籍等の民事行政との結び付きが強い問題であることから,人名用漢字別表の処置などを含め,今後,その取扱いは,常用漢字表の趣旨を十分参考にすることを前提として,法務省に委ねることとされた。
(イ) そこで,法務省においては,昭和54年1月25日,法務大臣の諮問機関である民事行政審議会に人名用漢字の取扱いについて諮問した。
審議の結果,同審議会は,昭和56年5月14日,「① 子の名に用いる文字の取扱いは,基本的に現行の取扱い方式(制限方式)を維持すべきである。② 常用平易な漢字の範囲は,常用漢字表に掲げる漢字並びにそれ以外で現行の人名用漢字別表及び人名用漢字追加表に掲げる漢字に一定の漢字を追加すべきである。③ 字体については,原則として,一字種につき一字体とすることとし,例外として,当分の間,一定の字種につき二字体を用いることができる(許容字体)。」などとして,新たに54字を人名用漢字に追加すべきである旨の答申をし,これを受けて,法務省は,「人名用漢字別表」及び「人名用漢字追加表」に掲げられていた漢字(計120字)から,常用漢字表に採用された8字を除く112字に,上記54字を加えた合計166字を掲げる新しい「人名用漢字別表」を規則別表第二とし,同年10月1日,常用漢字表の制定と同時に規則60条を改正し(昭和56年法務省令第51号),法50条2項の常用平易な文字として,「1 常用漢字表に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては括弧の外のものに限る。) 2 別表第二[人名用漢字別表]に掲げる漢字 3 片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)」と定めた。
(ウ) なお,人名用漢字の字体については,同一の字種につき原則として一字体とする,いわゆる「一字種一字体の原則」の下,常用漢字表に掲げる漢字に関しては通用字体(括孤書きが添えられているものについては,括弧の外のもの)1945字体,人名用漢字別表に掲げる漢字に関しては,同別表の166字体の合計2111字体とされたが,従来から用いることができた字体であって,上記通用字体等と著しい差異があると整理された字体205字体(常用漢字表に関するもの195字体,人名用漢字別表に関するもの10字体)についても,当分の間用いることができるものとされ,これらが「人名用漢字許容字体表」(上記改正法務省令附則別表一,二)として整理された(同附則第2項,以下「附則別表」という。)。
すなわち,常用漢字表は,うち355字について「明治以来行われてきた活字の字体とのつながりを示すために」,著しい差異のないものを除き,いわゆる康熙字典体の活字を適宜括弧に入れて掲げているが,この括弧書きの趣旨をどの程度人名用漢字の字体の取扱いに及ぼすべきかについて考え方を明示していないところ,この括弧書きで添えられた字体を人名用漢字として使用することを認めるか否か等について民事行政審議会において審議した結果,一字種一字体とした方が社会生活上便利であり,戸籍事務の円滑適正な処理に資することにもなるが,国民の漢字使用の実情に照らすと,当分の間使用を引き続き認めるべきであるという結論となったため,上記括弧書きで添えられた355字のうち,従来用いることができた195字について,附則別表一(常用漢字表に掲げる漢字に関するもの)において示し,従来の「人名用漢字別表」及び「人名用漢字追加表」に掲げる漢字のうち,先例により一字種につき複数の字体が用いられてきたものについて,常用漢字表の通用字体に準じて25字を人名用漢字として定め,その異体字について,常用漢字表において著しい差異があるとした基準に則って整理し,著しい差異のない字等を除外した残りの10字について,附則別表二(別表第二に掲げる漢字に関するもの)において示したものである。
(6) 国民一般の要望や裁判例等を受けた人名用漢字の追加
ア 昭和56年10月の規則60条の改正後相当期間が経過するに伴い,国際化の進行等社会の諸情勢の変化,国民における漢字,あるいは子の名に対する好みの変化などから,人名用漢字の増加を求める要望が高まり,更には,制限の撤廃を求める意見もみられるようになった。
そこで,平成元年2月13日,法務大臣は,民事行政審議会に対し,規則60条の取扱い等について諮問し,その結果,平成2年1月16日,「① 子の名に用いる文字の取扱いについては,制限方式を維持する。② 子の名に用いる常用平易な漢字については,現行の規則60条2号の漢字に別表に掲げる漢字を追加するものとする。」などの答申を受け,法務省は,同年4月1日,規則別表に新たに118字を追加する改正を行った(平成2年法務省令第5号)。
このとき追加された漢字は,市区町村の戸籍事務窓口において取り扱った制限外の漢字の調査の結果(昭和50年7月及び昭和53年11月実施)から得られた字種のすべてを基礎資料とし,加えて,社会生活上多用されているとみられるJIS第1水準の漢字(その意義は後述する。)の字種にまで範囲を拡大してこれらの中から人名用漢字としてふさわしい漢字を選択することとし,同審議会の委員全員により2回にわたりアンケート調査を実施し,その結果を参考として最終的な審議を行った結果として選定されたものである。
イ その後,平成9年11月18日,那覇家庭裁判所において,人名用漢字以外の漢字である「琉」の字を用いた子の名の出生届を不受理処分としたことに対する不服申立事件について,同出生届を受理することを命じる旨の審判(家裁月報50巻3号46頁)がされたことを契機として,同年12月3日,民事行政審議会への諮問・答申等を経ることなく,規則60条の一部改正により,規則別表に「琉」の1字が追加された(平成9年法務省令第73号)。
ウ 次に,平成15年12月25日に最高裁判所によってされた前記平成15年決定(この決定は,子の名に人名用漢字以外の漢字である「曽」の字を用いた出生届の追完届の提出について,戸籍事務管掌者が不受理処分をしたことに対する不服申立事件に関するもので,前記の一般的判示の下で,規則60条は,社会通念上明らかに常用平易な文字である「曽」を人名用漢字として定めていない点につき,その限りにおいて戸籍法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法,無効であるとし,上記追完届の受理を命じた原審の判断を是認したものである。)を契機として,法務省は,平成16年2月23日,規則別表に「曽」を追加する改正を行った(平成16年法務省令第7号)。
エ 更に,人名用漢字以外の漢字を子の名に用いた出生届の不受理処分に対する不服申立事件について,横浜家庭裁判所等において,社会通念上明らかに常用平易な文字である旨の判断が示された「獅」,「駕」,「毘」及び「瀧」の各字について,法務省は,同年6月7日に「獅」の字を,同年7月12日に「駕」,「毘」及び「瀧」の各字を,それぞれ規則別表に追加する改正を行った(同年法務省令第42号,同第49号)。
(7) JIS漢字コード
ア JIS漢字コード(「情報交換用符号化漢字集合」)とは,コンピューター等による情報交換において扱われる文字の種類(文字集合)と,各文字をデータとして処理する際の符号化表現について,財団法人日本規格協会が日本工業規格(いわゆるJIS規格。日本工業標準調査会により審議・制定され,経済産業省(旧・通商産業省)により認定されている。)の一つとして規定しているものである。
イ 日本で最初に規定された公的な符号化文字集合の規格であるJIS X 0208は,俗に「JIS第1・第2水準漢字」などとも呼称されるもので,昭和53年に制定された。
(ア) その第一次規格(JIS C 6226―1978。正式名称「情報交換用漢字符号系」。「旧JIS漢字」と俗称されることもある。)は,非漢字453字,第1水準漢字2965字,第2水準漢字3384字の合計6802字の文字集合であった。
漢字が第1水準,第2水準という二つの水準に振り分けられたのは,規格制定当時,コンピューターが普及・発達しておらず,規定された漢字を全て登載することが難しかったため,より使用頻度の高い漢字を第1水準に収める形を採用したためである。
すなわち,JIS第1水準漢字は,一般国語文表記用として,合計37の漢字表に採用されている漢字(計1万2136文字)の中から,概ね,「① 37の漢字表のうち28表以上に採用されているもの(約2000字)を採用する,② 37の漢字表に含まれている漢字数について,地名・人名に関するもの(国土行政区画総覧,日本生命人名漢字表)(A群)は,その他一般に関する漢字表(B群)と大きく異なる特徴を示したことから,漢字表を上記2群に分け,それぞれの漢字を出現頻度等を基に並べ,上位728字を取り出す,③ A群及びB群に共通する字(494字),A群のみに含まれる字(234字)及びB群のみに含まれる字(234字)を採用する。」という手順で選定されたものであり,常用漢字は,全てこの中に含まれる。
また,同第2水準漢字には,地名・人名,行政情報処理及び国語専門分野といった個別分野用として,主要4漢字表(情報処理学会標準漢字コード表,行政管理庁基本漢字,国土行政区画総覧,日本生命人名漢字表)のいずれかに現れ,第1水準漢字集合に収められなかった漢字のすべてが収められた。
(イ) 昭和58年に改正された第二次規格(JIS X 0208―1983。改正当時の名称はJIS C 6226―1983だが,後にJISの情報処理部門の新設に伴い,規格番号が「JIS C 6226」から「JIS X 0208」へと変更され,以降,「JIS X 0208―改訂年度」の形式で呼ばれることになった。「新JIS漢字」と俗称されることもある。)は,「常用漢字表」及び「人名用漢字別表」に掲げられた漢字に簡易字体が含まれていることとの整合性を図ることを目的として,常用漢字・人名用漢字以外の漢字についても簡易字体に倣って字体が整理・変更され,「鯵(鰺)」,「鴬(鶯)」,「頚(頸)」,「涛(濤)」,「桧(檜)」等,22組の漢字について第1水準と第2水準との間での入替え,及び,4字の第1水準への追加に伴う第2水準への移動,並びに,本件文字を含む200字余りの字の例示字形がいわゆる康熙字典体からいわゆる略字体,俗字体といった簡易字体へと変更された。
このような非互換的な変更が行われたため,「旧JIS漢字」を採用する情報機器で作成された文書が「新JIS漢字」を採用する情報機器等で読み込むと字体が変わってしまうなどといった問題も指摘された。
(ウ) その後,平成2年の第三次規格(JIS X 0208―1990。正式名称は「情報交換用漢字符号」。「人名用漢字別表」の改正に伴い,第2水準漢字に2字を追加し,登録字数が6879字と変更。)への改正を経て,平成9年に現行の第四次規格(JIS X 0208:1997。正式名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合」)への改正がなされた。
第四次規格(非漢字524字,第1水準漢字2965字,第2水準漢字3390字の計6879字)は,第三次規格から文字の追加・削除・入替えなどの文字集合に対する変更は行われなかったが,JIS X 0208の収載字体の用例・典拠を再調査した上で,間違いの訂正や,あいまいだった字形表記の問題について,包摂基準(同一の文字と認める字形の揺れの範囲の規定)等を明確化し,第二次規格において特に甚だしい字体の変更がなされた「鴎(file_2.jpg),「侠(file_3.jpg)」,「蝉(file_4.jpg),「祷(file_5.jpg)」,「涜(file_6.jpg)」等,本件文字を含む29字について,特例として,「6・6・4 過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」(以下単に「包摂基準」という。)を設けるなどして,過去最大の改訂増補が行われた。
ウ 更に,平成12年には,JIS X 0208:1997で規定する符号化漢字集合を拡張する規格として,JIS X 0213(JIS X 0213:2000。規格名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合」)が制定された。
JIS X 0213では,現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として,一般に使われる漢字等でJIS X 0208に収録されていないものを出現範囲の広さなどを基準に選定・追加し,非漢字659字のほか,第3水準漢字として,JIS X 0208―1983で字体が大きく変更された29字及び常用漢字表において括弧に入れて掲げられた字や人名用漢字許容字体を含む1249字,第4水準漢字として2436字が追加され,合計1万1233字,第1水準から第4水準までの総漢字数は1万0040字となった。
(8) 表外漢字字体表の制定等
ア 常用漢字表制定後,ワードプロセッサやパソコン等の急速な普及により同表制定時の予想を遥かに超えて表外漢字の使用が日常化した上,昭和58年のJIS X 0208―1983への改正により,表外漢字にも常用漢字に倣った字体の変更等がなされたことにより,「祷(file_7.jpg)」,「涜(file_8.jpg)」,「鴎(file_9.jpg)」等の漢字について,括弧内の字体がワードプロセッサ等から打ち出せず,その後も基本的にその状況は変わらないといった事情が重なった結果,一般の書籍類で用いられている字体とワードプロセッサ等で用いられている字体との間に字体上の不整合が生じるようになった。
そこで,国語審議会が,常用漢字表の制定時に見送られた「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送等,一般の社会生活において表外漢字を使用する場合の字体選択のよりどころ」を示すものとして制定したのが,表外漢字字体表(平成12年12月8日国語審議会答申)である。
イ 表外漢字字体表では,常用漢字とともに使われることが比較的多いことが想定される表外漢字1022字について印刷標準字体を示し,また,そのうちの22字については簡易慣用字体を併せて示している。
この印刷標準字体とは,「明治以来,活字字体として最も普通に用いられてきた印刷文字字体であって,かつ,現在においても常用漢字の字体に準じた略字体以上に高い頻度で用いられている印刷文字字体」及び「明治以来,活字字体として,康熙字典における正字体と同程度か,それ以上に用いられてきた俗字体や略字体などで,現在も康熙字典の正字体以上に使用頻度が高いと判断される印刷文字字体」で,康熙字典に掲げる字体そのものではないが,康熙字典を典拠として作られてきた明治以来の活字字体(いわゆる康熙字典体)につながるものであるとされ,また,簡易慣用字体とは,印刷標準字体とされた少数の俗字体・略字体等を除き,現行のJIS規格や新聞など,現実の文字生活で使用されている俗字体・略字体等(主として常用漢字の字体に準じて作られた印刷文字字体)の中から,使用習慣・使用頻度等を勘案し,印刷標準字体と入れ替えて使用しても基本的には支障ないと判断できる印刷文字字体とされた。また,「しめすへん」等の3部首について,表外漢字においては「file_10.jpg」等の字体を印刷標準字体とするが,現に「file_11.jpg」等の字形を印刷文字として用いている場合にはこれを認めることとした(これを「3部首許容」という。)。
ウ 上記の経緯を更に述べると,次のとおりである。すなわち,
表外漢字字体表に掲げられた漢字は,基本的には,一般の文字生活において,常用漢字とともに使われるような比較的使用頻度の高い表外漢字を① 凸版印刷・大日本印刷・共同印刷による「漢字出現頻度数調査」(平成9年,文化庁,調査対象は書籍冊数385(辞典類16,単行本256,月刊誌85,古典類28)漢字総数は3社合計で3750万9482字),② 凸版印刷・読売新聞による「漢字出現頻度数調査(2)」(平成12年,文化庁。調査対象漢字総数は凸版印刷3330万1934字,読売新聞2531万0226字,以下「頻度数調査(2)」という。)の2回の漢字出現頻度数調査をもとにして選定され,そのほかに,表外漢字の字体問題に密接にかかわる現行JIS規格(JIS X 0208:1997)の「包摂基準」に掲げる29字及び「氏又は名の記載に用いる文字の取扱いに関する通達等の整理について」(平成2年10月20日付け民二第5200号通達。以下「5200号通達」という。)の「別表2」に掲げる140字についても対象漢字の範囲に加えられていた。
国語審議会は,上記2回の漢字出現頻度数調査から明らかになった漢字使用の実想を踏まえて,この実態を混乱させないことを最優先とし,一般の文字生活において,印刷文字として十分に定着していると判断し得る略字体等を上記の簡易慣用字体として認め,上記3部首については,現に印刷文字として簡易な字形を用いている場合にはこれを認めることとした。そして,表外漢字に常用漢字に準じた略体化を及ぼすという方針を採った場合,新たな略字体を増やすことになり,印刷文字の使用に大きな混乱を生じさせることになるとして,当用漢字字体表及び常用漢字表で略字体を採用してきた従来の漢字字体の扱いについての施策とは異なり,表外漢字の使用に際しては,印刷標準字体を優先的に用いることを原則として,必要に応じて,印刷標準字体に替えて簡易慣用字体を用いることは差し支えないとし,また,表外漢字字体表に示されていない表外漢字の字体については,常用漢字の字体に準じた略体化を及ぼすことで新たな異体字を作り出すことに対して十分慎重にすべきであるという趣旨から,基本的に印刷文字としては,従来,漢和辞典等で正字体としてきた字体によることを原則とした。
上記の簡易慣用字体の選定に当たっては,字体問題の将来的な安定という観点から特に慎重に検討が行われ,俗字体・略字体が簡易慣用字体と認定された条件は,① 上記頻度数調査(2)の凸版調査における出現順位4504位(累積出現率99.93%)までの俗字体・略字体,及び,読売調査における出現順位3015位(累積出現率99.96%)までの俗字体・路字体,② 「包摂規準」に掲げる29字及び後記5200号通達の別表2に掲げる140字の俗字体・略字体,③ 上記①及び②以外のJIS第1水準内の俗字体・略字体のいずれかに属する俗字体・略字体であり,かつ,上記頻度数調査(2)の凸版調査において,「当該俗字体・略字体の出現回数とそれに対応する康熙字典体の出現回数の合計が140回以上」及び「当該俗字体・略字体の出現回数が,それに対応する康照字典体の出現回数の15%以上」の選定基準に該当するものを検討した。
なお,出現回数についての選定基準として,まず,「合計が140回以上」とされたのは,当該俗字体・略字体とそれに対応する康熙字典体を合わせたものを一字種と仮定して,その出現回数を表外漢字字体表に掲げた漢字(字体表漢字)の検討対象範囲の目安とした上記頻度数調査(2)の凸版調査3227位の出現回数(143回)に合わせたためであり,「当該俗字体・略字体の出現回数が対応する康熙字典体の15%以上」とされたのは,当該俗字体・略字体が現在の文字生活の中で十分に定着しているかどうかを見るときの判定基準として,当該俗字体・略字体の出現回数よりも,同一字種における当該俗字体・略字体と康熙字典体との使用実態(出現回数の比率)を優先して考えていこうという方針に基づくものであった。
エ 表外漢字字体表においては,「情報機器との関係」として,「今後,情報機器の一層の普及が予想される中で,その情報機器に登載される表外漢字の字体については,表外漢字字体表の趣旨が生かされることが望ましい。このことは,国内の文字コードや国際的な文字コードの問題と直接かかわっており,将来的に文字コードの見直しがある場合,表外漢字字体表の趣旨が生かせる形での改訂が望まれる。改訂に当たっては,関係各機関の十分な連携と各方面への適切な配慮の下に検討される必要があろう。」と言及されていたところ,JIS規格を所管する経済産業省産業技術環境局標準課(当時)では平成13年度から文字コード規格の見直しに着手し,文化庁国語課及び国語審議会委員の協力の下で検討を進めていたが,平成16年2月に改正された最新のJIS X 0213(JIS X 0213:2004)は,表外漢字字体表に掲げられている漢字を中心に規格の見直しがなされ,第3水準漢字に10字が追加されたほか,168字の例示字形が概ね簡易字体からいわゆる康熙字典体に改められる形で変更され,表外漢字字体表に則した内容となった。
(9) 平成16年9月の規則改正
ア 法制審議会における審議及び答申
(ア) 審議に至る経緯
平成2年3月に118字を追加する改正が行われて以来,人名用漢字について大幅な改正はされていなかったが,以来,相当期間が経過し,その間に人名用漢字の範囲拡大についての要望が多数寄せられ,また,平成15年12月25日に最高裁判所の前記決定(平成15年決定)が出されたことなどの情勢の変化等に鑑み,平成16年2月10日,法務大臣は,法制審議会に対し,人名用漢字の範囲の見直し(拡大)について諮問を行い,同年3月から同審議会内に設置された人名用漢字部会において審議が行われた。
(イ) 審議の内容
a 戸籍法50条1項が採用している人名用漢字についての制限方式は,前記の平成2年改正の際の議論において,① 子に複雑かつ難解な名が付けられると社会生活において本人や関係者に不便や支障を生じさせることとなる,② 現行戸籍法施行から相当年数が経過し,人名用漢字の制限方式もかなり定着しており,これを覆すとかえって混乱が生じる,③ 子の利益のために,また,日常の社会生活上の支障を生じさせないために,他人に誤りなく容易に読み書きができ,広く社会に通用する名が用いられることが必要である等の理由で制限方式をとることとされたが,これを改めるほどの社会情勢の変化はない,④ 制限方式を撤廃すれば,戦後行われた日本語平易化の目標を崩すことにもなりかねない,⑤ 戸籍事務取扱い上も,制限を撤廃した場合,出生の届書に複雑かつ難解な漢字による名が記載されると,究極的には検索の容易でない康熙字典に依拠せざるを得なくなって審査が困難になる上,手書きによらなければならなくなるため,事務の能率化・機械化に支障を来し,更には誤った字を記載する危険性があって,誤字の発生原因となる,⑥ 現在,子の名に用いる文字については,字種のみならず字体も制限しているが,これを撤廃した場合,一字種に何字体もの漢字が用いられ,社会生活上も戸籍事務取扱い上も混乱を生じさせるおそれがある,⑦ 制限方式を撤廃した場合,今後戸籍事務の処理をコンピューター化するに当たっての障害となることも予想される上,現に稼働している住民基本台帳のコンピューター処理に支障を来すことにもなりかねない等の諸点が指摘されていたところ,これらの点については,現時点でも変化はないとの認識から,子の名には常用平易な文字を用いなければならないとする人名用漢字に関する制限方式(戸籍法50条1項)は維持すべきものとされた。
b 字種の選定について
(a) 検討すべき対象漢字
法50条1項の規定上「人名にふさわしい」という要件は,特段求められておらず,また,前記平成15年決定においても,「社会通念上明らかに常用平易と認められるか否か」の点に着目して判断されているとの理解の下に,国民の要望等を基に「人名にふさわしいか否か」という点に重きが置かれていたこれまでの人名用漢字追加の議論とは異なり,今回は,戸籍法の規定にできるだけ忠実に「常用平易」な漢字を選定する方向で審議をするとの基本方針で,検討すべき対象漢字の大枠として,まずは,JIS第1水準及び第2水準の漢字(全6355字)のうち,常用漢字表,人名用漢字別表及び同許容字体表に掲げる漢字を除いたもの(JIS第1水準の漢字2965字のうち770字,JIS第2水準の漢字3390字)を対象として,出版物上の出現頻度と,全国の市区町村の窓口等に寄せられた人名として具体的に使用したい旨の要望数を集計した。
検討の対象漢字を基本的にJIS第1水準及び第2水準の漢字としたのは,JIS漢字は,コンピューター等における情報交換に用いる文字の符号化を規定したもので,昭和53年の制定当時から存在する第1水準及び第2水準の漢字は,社会一般において尊重され,幅広く用いられているものであること,及び,今後も,JIS漢字は,情報通信手段において,より一層その重要性・汎用性を増すものと考えられることによるものであった。
そして,JIS第1水準及び第2水準の漢字の上記の選定方法に鑑みて,第1水準漢字については,原則として常用平易性が認められるであろうという観点から検討を行い,第2水準の漢字については,常用平易性を個別に検討し,常用平易性の認められるものについてのみ人名用漢字に追加するのが相当であるとされた。
他方,JIS第3水準及び第4水準の漢字は,大半のコンピューターに登載されているとは言い難いものであったため,原則として検討対象とされなかった。
(b) 「常用平易な」漢字の選定作業
上記の基本方針のもとにおける「常用平易」な漢字の選定に当たっては,表外漢字字体表作成に際し主として使用された前記頻度数調査(2)の結果を活用することとされた。これは,同調査のうち凸版印刷で扱った書籍を対象としたものは,同種の調査の中でも最大規模のものであったから,人名用漢字の審議においても,この調査結果を活用することが最も合理的であると判断されたためである。
そこで,現在,人名用漢字に含まれていないJIS第1水準の漢字計770字から,上記調査に現れた出版物上の出現頻度に基づき,出現順位3012位以上(調査対象書籍385誌における出現回数が200回以上)の漢字503字を選定し,それ以外のJIS第1水準の漢字及び第2水準以下の漢字については,上記出現頻度や要望の有無・程度(平成2年から平成15年1月までに全国の各市区町村窓口に届出(その後,不受理又は撤回)・相談された要望漢字について,管轄法務局を一単位とした合計法務局数)等を総合的に考慮して,① JIS第1水準の漢字のうち,出現順位3013位以下(出現回数199回以下)であっても,要望法務局数が6以上(50局の10分の1を超える要望数)の18字,② JIS第2水準の漢字のうち,出現順位3012位以上であって,要望法務局数が6以上の12字,③ JIS第2水準の漢字のうち,出現順位3013位以下から4009位(出現回数50回)以上であって,要望法務局数が8以上の17字,④ JIS第2水準の漢字のうち,出現順位4010位以下であって,要望法務局数が11以上の字のうち,出現回数が付されていなかった1字を除く8字,⑤ JIS第3水準の漢字のうち,出現順位3012位以上であり,その異体字がJIS第1水準に掲げられている20字(「file_12.jpg(祷)」のほか,「file_13.jpg(頬)」,「file_14.jpg(嚢)」,「file_15.jpg(嘘)」「file_16.jpg(呑)」,「file_17.jpg(剥)」,「file_18.jpg(掴)」,「file_19.jpg(繋)」,「file_20.jpg(填)」,「file_21.jpg(蝉)」,「file_22.jpg(莱)」,「file_23.jpg(蝋)」,「file_24.jpg(鴎)」,「file_25.jpg(倶)」,「file_26.jpg(蒋)」,「file_27.jpg(顛)」,「file_28.jpg(焔)」,「file_29.jpg(箪)」,「file_30.jpg醤)」,「file_31.jpg(繍)」。いずれも括弧内が第1水準。字種としてはいずれもJIS第1水準に掲げられているものと同視できるとされた。)の合計75字が選定された(以上合計578字となる。)。
なお,「祷」(本件文字)は,JIS第1水準,整理字体(後記5200号通達の別表2の文字),平成16年2月11日から同月末日までに全国の市区町村窓口に要望(届出[その後,不受理又は撤回]・相談)された法務局数2,要望数2,頻度数調査(2)における出現順位は,3521位(出現回数95回),表外漢字字体表に簡易慣用字体として掲げられており,異体字がJIS第1水準及び第2水準までに掲げられていないものとされている。
(c) パブリック・コメント手続の実施
以上の方針に基づいて選定された漢字合計578字について,平成16年6月11日から同年7月9日までの間,法務省のホームページ上で国民からの意見を募集した(「人名用漢字の範囲の見直し(拡大)に関する意見募集」法制審議会人名用漢字部会において取りまとめられた見直し案について,いわゆるパブリック・コメント)。
これに対して寄せられた意見数は,1308件であり,そのうち,1058件(全体の約81%)は人名用漢字の範囲の拡大に賛成であったが,729件(全体の約56%)が「人名にふさわしくない漢字は削除すべきである」との意見であった。
前記のとおり,見直し案に掲げた漢字の選定に当たっては,漢字の意味が人名にふさわしいものかどうかを考慮すべきか否かについては考慮せず,パブリック・コメント手続による国民の意見も参考にした上で改めて検討すべきであるとされていた経緯があったため,人名用漢字部会において,改めて,人名にふさわしくないとされる漢字の取扱いについて審議した結果,「人名は個人のものであると同時に社会性を有するものであるから,人名に使用することが社会通念上明らかに不適当と認められる漢字を入名用漢字とするべきではない」という方針が了承され,上記パブリック・コメントの結果も勘案しつつ再検討された結果,委員の多数が「名に用いることが社会通念上明らかに不適当である」と判断した88字が削除された。
また,寄せられた意見のうち,人名用漢字として採用すべきとの意見が27件と特に多かった「掬」については,JIS第1水準であり,前記頻度数調査(2)における出現頻度も比較的高かった(3160位)ことから,追加すべき字種に選定された。
なお,上記見直し案に掲げられていた「駕」「毘」及び「瀧」の3字については,人名用漢字部会での審議の間に,前記のとおり,家庭裁判所において「社会通念上明らかに常用平易である」旨の判断が示されたこともあり,同年7月に,本作業に先行して規則別表に追加された。
c 字体の選定について
(a) 字体の選定基準
新しく人名漢字に追加する漢字の字体については,基本的に,「表外漢字字体表」に掲げられた印刷標準字体を選定することとされた。これは,表外漢字字体表に掲げられている字体は,わが国において最大規模の調査結果を踏まえて採用された「字体のよりどころ」であり,この字体を人名用漢字の字体においても尊重することが国語政策的にも妥当であるし,十分合理性を有するとの考えによるものであった。
このような観点から,パブリック・コメント手続に掲げられた「侠」,「痩」,「芦」について,JIS第1水準の漢字であるが表外漢字字体表に掲げられておらず,第3水準漢字である異体字が同表の印刷標準字体であり出現順位も高い「侠」,また,表外漢字字体表に簡易慣用字体として掲げられているが,異体字が同表の印刷標準字体であり出現順位もより高い「痩」については,人名用漢字の字体としては,印刷標準字体である「file_32.jpg」及び「file_33.jpg」を採用すべきとされたが,「芦」については,印刷標準字体である「蘆」よりも前記頻度数調査(2)における出現頻度が高く,要望法務局数も多いこと,「蘆」より「芦」の方が明らかに字画が平易であると考えられたことなどを考慮して,簡易慣用字体の方を採用すべきであるとされた。
(b) 一字種一字体の原則との関係
一字種一字体の原則の考え方は,現在においても妥当すると考えられることから,基本的にはこれを維持することとされたが,同一の字種について二字体が「常用平易」であると判断される場合には,これを用いても社会生活上の混乱を生じさせる恐れはないであろうと考えられることから,例外的に一字種について二字体を認めることを排斥するものではないとされた。
そして,常用平易性の観点から,常用漢字の異体字である19字(榮,圓,薗,堺,駈,藁,埼,實,蹟,嶋,盃,阪,冨,峯,萬,埜,裡,凉,禮)と,今回改正前の人名用漢字である「凛,尭,晃,曽,槙,萌,遥」の異体字である7字(凛,堯,晄,曾,槇,萠,遙)に加えて,今回改正により新たに二字体を採用する漢字として,3組6字(檜と桧,棲と栖,祢と禰)が一字種について二字体を認めることが相当とされた。
(ウ) 答申
以上のような人名用漢字部会における審議を得て,平成16年9月8日,法制審議会総会において,要旨,① 子の名には常用平易な文字を用いなければならないとする人名用漢字に関する制限方式(法50条1項)は維持する,② 「常用平易」な漢字については,JIS漢字(JIS X 0213)から,基本的に頻度数調査(2)に現れた出版物上の出現頻度に基づき,要望の有無・程度なども総合的に考慮して選定し,なお,名の社会性にかんがみ,名に用いることが社会通念上明らかに不適当と認められる漢字は除外する,③ 字体の選定については,基本的に,「表外漢字字体表」に掲げられた字体を選定し,一字種一字体の原則は維持するが,例外的に一字種について二字体を認めることを排斥するものではない,④ 結論として,488字を人名用漢字に追加するのが相当である旨の意見案が報告了承され,同日,法制審議会の意見として法務大臣に答申された。
イ 規則別表の全面改正
(ア) 上記答申を受けて,法務省は,平成16年9月27日,規則を改正し(平成16年法務省令第66号),従来の規則別表及び附則別表に替え,従来の人名用漢字290字に上記488字及び許容字体205字を加えた合計983字を掲げた「漠字の表」として,これを規則60条2号にいう規則別表第二とした。
なお,この「漢字の表」は「一」と「二」に区分されている。
(イ) 漢字の表「一」においては,新たに選定された常用漢字の異体字以外の漢字475字((ウ)の後段に示した6字を含む。),「瀧」を除く従来の人名用漢字289字及び人名用漢字に関する許容字体10字の合計774字が掲げられた。一字種について二字体が採用された漢字9組18字(凜―凛,尭―堯,晃―晄,曽―曾,桧―檜,槙―槇,祢―禰,萌―萠,遥―遙。なお,棲と栖とは,表外漢字字体表において別字意識が生じていると判断されていずれも印刷標準字体として掲げられていることから,これら2字は別字種として取り扱うこととした。)及び従来の許容字体に関する10組20字(亘―亙,弥―彌,祐―file_34.jpg,琢―file_35.jpg,禄―祿,渚―file_36.jpgなど)については,連続して画数順に掲げ,「―」により相互の漢字が同一字種であることが示された(このような取扱いは,法及び規則においては,子の名に用いることのできる漢字について標準の字体を定めるものである旨の規定はなく,人名用漢字に関する許容字体は,昭和56年規則改正前において子の名に用いることができた漢字について,経過措置として,昭和56年規則改正後も「当分の間」用いることができるとして附則別表に掲げられたものに過ぎないのであって,標準の字体に対する異体字を定めたものではなく,仮に,法務省令において標準の字体を定めるとした場合には,この問題に関する所管官庁である文部科学省あるいは文化庁との権限関係が問題になると考えられたこと,また,新たに「常用平易」と判断された文字を附則に規定することは法制的にも困難であると考えられたため,今回の改正においては,標準の字体及びその異体字に関する規定であると事実上受け取られていた附則別表を廃止し,許容字体10字とともに上記9組18字についても「漢字の表」に掲げることとし,漢字の表においては「標準の字体を定めるものではない。」旨を明らかにすることとされたことによるものである。)。
(ウ) 常用漢字が「一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの」であることから,その旨を明らかにするために,漢字の表「二」においては,常用漢字の異体字209字(① 新たに選定された常用漢字の異体字(19字)のうち「表外漢字字体表」に掲げられていない13字(榮,圓,薗,駈,實,嶋,盃,冨,峯,萬,埜,凉,禮),② 既に規則別表に掲げられている1字(瀧),及び③ 常用漢字表に関する許容字体195字の合計209字)が,上記の常用漢字の異体字以外の漢字774字とは区別して掲げられた(新たに選定された常用漢字の異体字(19字)のうち,「表外漢字字体表」に掲げられている6字は,同表において,「堺(界)」,「藁(稿)」,「埼(崎)」,「蹟(跡)」,「阪(坂)」,「裡(裏)」は,括弧内の常用漢字とは別字意識が生じていると判断されて印刷標準字体として掲げられたことから,別字種として取り扱い,常用漢字の異体字以外の漢字として漢字の表「一」に掲げられている。)。
なお,漢字の表「二」においては,常用漢字とのつながりを示すため,参考までに括弧内に常用漢字が掲げられている。
(10) いわゆる5200号通達
ア 戸籍に記載されている氏又は名の漢字には多くの誤字・俗字が存在し,これらを解消するために,戸籍に記載されている文字の取扱いを示した通達が昭和25年に発出され(昭和25年12月15日法務府民事甲第3205号民事局長通達),以後も数回にわたって新たな通達が発出され,誤字・俗字の解消が図られてきたが,当初は,本人の申出を待って訂正や更正をする取扱いであったため,誤字・俗字解消の進捗状況は,はかばかしくなかった。
そこで,平成元年2月13日,法務大臣は,民事行政審議会に対して,戸籍に記載されている氏又は名の漢字(誤字・脱字)の取扱いについても諮問し,平成2年1月16日に同審議会からの答申を受け,法務省においてその具体的な取扱いが検討されるとともに,関係機関及び国語問題の専門家とも協議された上で発出されたのが,この5200号通達である(平成2年10月20日民二第5200号民事局長通達「氏又は名の記載に用いる文字の取扱いに関する通達等の整理について」)。
イ 5200号通達の主たる内容は,新戸籍編成等の場合に,従前の戸籍に誤字又は俗字で記載されている氏又は名は,同通達別表1(氏又は名の記載に用いることのできる俗字表)及び別表2(通用字体に準じて整理した字体表)に掲げられた155字を除き,本人からの申出を待たず,それに対応する正字で記載する取扱いを認めるというものであった。その後,戸籍事務を電子情報処理組織を用いて処理することができることとなったことに伴い,平成6年11月16日法務省民二第7005号民事局長通達による一部変更により,新戸籍に移記できる俗字の範囲が拡大され,更に,上記平成16年規則別表改正により追加された人名用漢字に,5200号通達別表1及び別表2に掲げられている漠字も含まれていること等に伴い,同年9月27日法務省民一第2665号民事局長通達(以下「2665号通達」という。)が発出され,5200号通達が一部改正されている。
ウ 2665号通達による改正前の5200号通達別表1に掲げられた俗字,同通達別表2に掲げられた字体は,それぞれ正字に準ずるものとして取り扱うことが認められており,「祷(file_37.jpg)」は同通達別表2に掲げられていた。同通達別表2に掲げられた140字の字体は,いずれも常用漢字表及び人名用漢字別表(当時)に掲げる字種以外の漢字で,その字体を構成部分の全てにつき通用字体(ここにいう「通用字体」とは,常用漢字表に掲げる字体又は規則別表に掲げる字体とされていた。)に準じて整理を及ぼしたものであった。これらはJIS第1水準漢字であり,使用頻度が高いものとして位置づけられているものであるから,これらの文字を誤字・俗字として取り扱うことには問題があるとして,正字に準ずる字体としてそのまま記載すべき文字とされたものであり,同表の括弧内の康熙字典体からこれに対応する括弧外の字体に更正することも,これとは逆に,通用字体に準じて整理した字体をこれに対応する康熙字典体の字体に更正することも認めることとされていた。
2665号通達による改正後の5200号通達は,同通達別表1及び別表2に替えて,新たに,改正前の同通達別表1登載文字のうち規則別表第二(漢字の表)の「一」の表に編入された1字を除く14字,別表2登載文字のうち,漢字の表「一」に編入された「讃」「曽」「祢」「桧」を除く136字に,先例により上記別表2登載文字に準ずる取扱いが認められていた2字を加えた合計152字を掲げた新たな別表が示され,移記・訂正・更正の際の正字・俗字の概念が統一・整理された。
同別表に登載されている文字は「正字等」として正字に準じて扱われることは変わりないが,戸籍に記載されている文字が正字であるときにその正字を別字体の正字に更正できる場合について,① 通用字体(ここにいう「通用字体」とは,常用漢字表に掲げる字体である。)と異なる字体によって記載されている漢字を通用字体の漢字にする場合,② 漢字の表「一」の字体と異なる字体によって記載されている漢字を漢字の表「一」の字体の漢字にする場合に限られることとなり,改正後の同通達別表に掲げられる文字が常用漢字の異体字又は漢字の表「一」に掲げる異体字である場合には,本人からの申出があれば,通用字体の文字若しくは漢字の表「一」の文字に更正することができるが,通用字体の文字若しくは漢字の表「一」の文字から別表の文字への更正はできなくなった。
この改正により,通達別表の文字である本件文字「祷」を漢字の表「一」の文字である「file_38.jpg」に更正することはできるが,「file_39.jpg」を「祷」へと更正することはできなくなった。
(11) 人名用漢字に対するJIS漢字コード表の対応状況
経済産業省は,平成16年12月21日,同年9月改正後の人名用漢字とJIS漢字コード表との対応関係を示した資料(「人名用漢字の文字符号に関する規格検討会報告」)を公表した。同資料は,人名用漢字とJIS漢字コード表との対応関係を示し,最新のJIS漢字コード表(JIS X 0213)は平成16年9月改正の人名用漢字に対応しており,これを用いれば,人名用漢字の情報交換に支障はないが,現在,最新のJIS漢字コード表を採用した情報機器は多くなく,「今回の人名用漢字の拡大は法令に基づく施策の実施であり,今後,この施策内容を正確に対応できる新規格(JIS X 0213)に基づく製品が普及していくと思われる。しかしながら,広く普及している現規格(JIS X 0208)と比較して,新規格は大幅な字体変更や文字集合の拡大があり,利用者の混乱を招く可能性が高い。」などとも述べ,人名用漢字の改正を契機に最新のJIS漢字コード表が普及することが期待されるとした上で,今後の情報機器におけるJIS漢字コードの採用の見通し及びJIS漢字コード表の利用上の注意点などを記載している。
(12) 新聞等での漢字表記
新聞等では,一般的には,常用漢字表を記事における漢字使用の基準にし,表外漢字を含む熟語については,言い換えや,「改ざん」,「漏えい」,「僧りょ」,「祈とう」等の漢字とかなの「交ぜ書き」が用いられることが一般的であったが,表外漢字字体表の答申後,表外漢字の言い換えや交ぜ書きに対する見直しの機運が高まり,平成17年3月に刊行された『記者ハンドブック 新聞用字用語集(第10版)』(共同通信社)においては,「社会の多様化が進む中で用字用語を取り巻く状況も大きく変化してい」るとして,新聞用語懇談会の決定に基づき,「危惧」(「危ぐ」),「拉致」(「ら致」)など,漢字・かな交ぜ書き語の一部をルビ付きの漢字表記に変更するなどの内容の変更があり,使用する漢字が増やされる傾向にある。また,常用漢字表で採用されている字体の簡略化を表外漢字にも及ぼした独自の字体をルビ付きで使用するなどした朝日新聞社でも,平成19年1月9日付朝刊に同月15日から約900字の表外漢字の字体を一部変更する旨の告知を,同日付朝刊で,「祷」(本件文字)や「謎」等の文字を例示しながら表外漢字の字体をいわゆる康熙字典体に改める旨の記事を掲載した。
(13) 平成16年改正後の審判例
仙台高等裁判所は,平成18年7月26日,本件と同種事案である出生届についての市町村長の処分に対する不服申立ての審判に対する即時抗告事件の決定において,常用漢字である「隆」の異字体である「隆」は,規則60条の文字に含まれず,常用平易な文字であることが明らかであるとはいえないとして,同文字を用いたことを理由に出生届を受理しなかったのは正当であると判断した(家裁月報58巻12号58頁)。
同決定で,「隆」が,常用平易な文字であることが明らかであるとはいえないとした理由の要旨は,「隆」は旧字体であるが,新字体である「隆」と比較すれば,より常用平易な文字といえるのは新字体であることは明らかである,一字種につき複数の異字体があることも漢字を複雑化させる一因となっており,一字種一字体の原則は,人名の簡易化という目的に資する,「隆」が広く社会一般に多くの場面で使用されているとはいえず(前記頻度数調査(2)の出現順位4527位),むしろ,人名以外で利用されることはほとんどない,もともと「隆」と同一文字であり,画数などの俗信的なことを措けば,音,意味,外観において変わることはなく,名の選択が妨げられているともいい難い,「隆」は「隆」に一画を加えたのみであるが,一画があるかないかを見分けさせること自体が社会生活上の不便や支障を招来する,などというものである。
(14) 文化庁国語課による世論調査の結果
文化庁国語課では,現代の社会状況の変化に伴う,日本人の国語意識の現状について平成7年から毎年世論調査を実施しているところ,平成10年度調査(平成11年1月実施)において,「異体字の併存」について,常用漢字表に入っていない漢字に,印刷文字として,例えば「file_40.jpg」と「鴎」のように異なった二つの字体が使われている場合があること(印刷文字の字体の不統一)について,どう思うかという設問について,「不統一は望ましくない」旨の回答が49.8%,「不統一でも構わない」旨の回答が39.4%であり,「異体字についての印象」として,12組の異体字(いずれも常用漢字表に入っていない漢字)について,どちらの字体を見掛けることが多いと思うかの印象を尋ねた結果,一般の人が,ふだん,いわゆる康熙字典体と略字体のどちらを多く見掛けると感じているかは,字種によって異なり,本件文字を含む「きとう」については,「祈file_41.jpg」の方を多く見かける旨の回答は40.3%,「祈祷」の方を多く見かける旨の回答は41.7%であり,両者が拮抗しているものの,やや「祈祷」の方が多いという結果であった。
また,平成16年度調査(平成17年7月実施)においては,「漢字に関する意識」について,平成14年度調査と比較すると,「ワープロなどがあっても,漢字学習はしっかりやるべき」「漢字の使い方については余り自信がない」と答えた人が増加しており,漢字学習への関心と,漢字の使い方への不安が高まっていると考えられ,また,「表記に関する意識」については,手書きの場合とパソコン・ワープロ等の場合における表記の仕方を比較して,パソコン・ワープロ等の場合は漢字表記の割合が高くなり,また,年齢別に見ると,若年層はパソコン・ワープロ等でも漢字表記する割合が低いという結果が,また,「手書きをする場合」については,はがきや手紙のあて名や本文を書く場合には報告書やレポートなどの文章を書く場合と比べて手書きする割合が高いという結果が示されている。
(15) 本件文字の字義等
「file_42.jpg(祷)」の字義は,「神に事を告げてさいわいを願い求める。いのり」,「まつる」,「すべて神に祈り求めることを『file_43.jpg』といい,『いのる』の意味に用いる。」等である。
「file_44.jpg)」(「しめす」,「しめすへん」)は,神,祭事,神がくだす禍福などに関する文字の構成要素として用いられており,「file_45.jpg」は「示」の古くからの筆写体に基づくものである。また,常用漢字中に「しめすへん」を構成要素とする字は,「礼,社,祈,祉,祝,神,祖,祥,禍,禅,福」の11字(「視」は別部首とされている。)が含まれ,それぞれの旧字体といえる「file_46.jpga a a a 2」が漢字の表「二」に掲げられ,漢字の表「一」には「祗,祢―禰,祐―file_47.jpg,禄―祿,禎―file_48.jpg,file_49.jpg」の4組8字を含む10字が掲げられている。
「壽(寿)」の字義は,「ひさしい,いのち,ことほぐ,ことぶき」等であり,常用漢字に掲げられている「寿」は「壽」の草書体によるものとされ,「壽」は漢字の表「二」に掲げられている。なお,「寿(壽)」を構成要素とする漢字は,「鋳」が常用漢字に掲げられ,その異体字である「鑄」が漢字の表「二」に掲げられ,表外漢字字体表に掲げられた「濤」(「波濤」等の用例がある。なお,異体字である「涛」は同表の簡易慣用字体とはされていないが,JIS第1水準漢字に掲げられている。)ほか,「躊」(「躊躇」等の用例がある。),「疇」(「範疇」等の用例がある。)といった字がある。
なお,同じ構成要素を有する漢字について,当用漢字ないし常用漢字には簡易字体が採用されているものであっても,表外漢字については字体に常用漢字のそれに準じた略体化を及ぼさず,いわゆる康熙字典体が正字とされているため,本件文字と構成要素を同じくする字についても,常用漢字については,しめすへんはすべて「file_50.jpg」が用いられ,「寿」,「鋳」も簡略字体が用いられているが,表外漢字である「file_51.jpg」,「濤」,「躊」,「疇」等はいわゆる康熙字典体が正字とされ,旁(つくり)の部分は「壽」が正しいことになる。
4 常用平易性についての考え方
(1) 法50条1項が,子の名前に用いることのできる文字を常用平易な文字に限定した目的は,前記の平成15年決定が説くとおり,従来,子の名に用いられる漢字には極めて複雑かつ難解なものが多く,そのため命名された本人や関係者に,社会生活上,多大な不便や支障を生じさせたことから,子の名に用いられるべき文字を常用平易な文字に制限し,これを簡明にすることにあるのであり,平成16年の規則改正も,同様の理解を前提として行われたものであることは既に認定したところである。
(2) 「常用平易」の字義自体は,文字通り平易である。しかし,「常用平易な文字」であるか否かは,平成15年決定が指摘するとおり,社会通念に基づいて判断されるべきものであるところ,その範囲は,必ずしも一義的に明らかではなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情により変わり得るものであり,専門的な見地からの検討と事情の変化に適切に対応する必要があることから,その範囲の確定を法務省令に委ねたのである。しかしながら,そのような場合であっても,規則60条の規定が法による委任の趣旨を逸脱しているか否かについて裁判所の審査が及ぶものである以上,その「社会通念に基づく常用平易性」を判断するに当たっては,前記の立法趣旨に立ち返って検討する必要があるというべきである。
すなわち,その検討に当たっては,当該文字を用いた名前が付けられることにより,社会生活において,命名された本人や関係者に不便や支障が生じるか否かの観点,より具体的には,子の名に複雑・難解な,あるいは日常目にすることが比較的稀な漢字を用いたために,本人や関係者が,当該名を記載したり,読解したりすることにおいて,あるいは,口頭で当該名を他者に説明する際,いかなる文字を用いているかを伝達することに困難を感じたり,誤解を生じたり,また,類似する文字と紛らわしく,誤記・誤読につながる等の弊害が生じる可能性ないし蓋然性がどの程度あるか,という観点が考究されるべきものと解するのが相当である。
また,規則の平成16年改正時の審議過程においても確認されているとおり,情報通信手段(近時における携帯電話の著しい普及状況は,当裁判所に顕著な事実というべきである。)やコンピューターの普及等により,多数の人が複雑多岐な交渉手段を有するようになった現代社会においては,難解な文字を用いた名は,例えば機械的,電子的な文書の処理や通信等の支障となり,公私の事務処理の能率を低下させるという弊害を生じさせるという観点も軽視することはできない。
(3) 前記の人名用漢字部会における選定過程は,社会一般において幅広く用いられているJIS規格における位置付けのほか,刊行物における出現頻度について同種の調査の中で最大規模である前記頻度数調査(2)の調査統計資料を用いて一応の基準を設け,更に,各法務局からの要望数を考慮し,また,パブリック・コメント等の手続を経て,一定の漢字を追加し,一部の漢字については,人名としての適切性の観点からの個別の議論も経た上で,最終的な選定に至ったものである。そして,このような方法は,極めて多数の漢字を,当時利用可能な資料に基づいて,包括的かつ能率的に審査する方法としては,前記立浩趣旨に照らして相応の合理性があるものと評価すべきであるから,その検討結果も尊重されるべきことは当然である。
しかしながら,他方,前記のような方法で,上記のような個々の文字の利用による具体的な弊害の有無を判断することには,その方法が主として,刊行物という印刷媒体に依拠したものであること,あるいは希望法務局数を重視したものであることから来る一定の限界があることは否定できないのであって,そうであるとすれば,その選定に係る漢字が人名用漢字として網羅的に抽出されたものであるとか,その選定に漏れた漢字について,直ちに,人名として不適切な程度に常用平易性を欠いているという積極的な専門的判断がされたと評価することは相当でないものというべきである。
(4) このようにみてくると,裁判所が一定の具体的な漢字が社会通念上常用平易であるか否かを判断する場合,前記の人名用漢字部会における選定過程の判断は尊重されるべきものではあるけれども,手続上提出された資料,公知の事実等に照らして,上記の観点から検討した場合において,当該漢字を子の名として使用したとしても,戸籍法が防止しようとする前記のような弊害が生ずることが想定されないと認められる例外的な場合には,前記の立法趣旨に照らして,当該漢字の使用を制限すべき根拠を欠くことになるから,当該漢字は,社会通念上常用平易であることが明らかな漢字と評価されるべきであり,たとえ,一定の刊行物の範囲内で当該漢字の出現数が予め設定された基準より少なく,また,法務局からの要望数等が所定の数値に達しなかったからといって,当該文字が常用平易性を欠き,人名として使用することができないものとすることは,法の趣旨に照らして,著しく合理性を欠くものというべきである。
したがって,その場合における規則60条2号は,当該文字を登載していないという限りにおいて,法50条2項の委任の趣旨を逸脱するものとして,違法,無効と評価するのが相当というべきであり,裁判所は,戸籍事務管掌者に対し,当該出生届等の受理を命じるのが相当である。
(5) 抗告人は,戸籍事務の混乱を防ぐ必要を指摘し,平成16年の規則改正により常用平易な漢字は網羅されたことを考慮すれば,個別的な審査で常用平易な文字と認めることは極力避けるべきであると主張するが,その前提には疑問があるのみならず,戸籍窓口において,前記のような選定過程を経た漢字を統一的な基準として事務処理を行う必要があるということと,漢字の表に登載されていない個々の漢字につき,上記のような観点から,裁判手続において個別的にその使用の可否を判断することとは,格別矛盾抵触するものではない。平成16年の規則改正以前においても,規則所定以外の漢字を使用した届出を受理するか否かが問題となったために戸籍事務が大きく渋滞したり,過去の審判例で,規則所定以外の文字を常用平易と判断したことによって,戸籍窓口に特に大きな混乱が生じる事態に至ったと認めるべき資料は見当たらない。
5 本件文字の常用平易性についての検討
(1) 本件文字「祷」は,前記の人名用漢字部会における選定過程においても,出現頻度及び要望法務局数がいずれも基準値を下回ったことから,選定の対象とされなかったものであって,本件文字の常用平易性ないし使用による弊害の有無等について,選定過程で個別・具体的に検討された形跡はなく,また,前記の経緯に照らすと,同部会において,本件文字が常用平易性を欠いていると個別的・積極的な判断がされたものと評価すべきものとはいえない。
(2) 次に,本件文字を子の名前として使用した場合,前記立法趣旨に照らして弊害が生じる余地があるか否かという観点から検討する。
ア まず,本件文字の構造は,画数の上でも特に複雑なものではなく,偏(へん)の構成要素である「file_52.jpg」,旁(つくり)の構成要素である「寿」のいずれもがごく一般的なものである上,同じ構成要素からなる漢字も多数あり,そのうち,常用漢字表に掲げられているものについては,本件文字と同じ簡略化された字体が採用されていることも上記したとおりである。
更に,その字義は上記のとおりであり,「祈祷(file_53.jpg)」「黙祷(file_54.jpg)」など日常的に使用されることの多い熟語の形で用いられることが多く,その際,文化庁の世論調査の結果等にみられるように,「祈祷」等と本件文字を用いて表記されていることも多い。
これらのことなどを考慮すれば,本件文字について。複雑ないし難解である,あるいは日常目にする機会に乏しく,字義等が知られていないなどの観点から弊害が生じることは,想定することが困難というべきである。
イ 次に,本件文字は,JIS第1水準の文字である。
JIS第1水準の文字は,上記の手順で,より使用頻度の高い漠字として選定採用された文字の集合であって,平成16年の規則改正の際にも,原則として常用平易性が肯定できるとの一般的認識があったものであり,また,大半のコンピューターに登載されているところから,情報通信手段において,より一層,その重要性・汎用性が増すことが期待できるものであって,社会生活を送るに当たってのコンピューター等の画面上の表記や国民の多数が所持している携帯電話等を利用したメール機能による送信等にも全く不都合はない。
戸籍事務処理の観点からみても,本件文字は,5200号通達にいう「正字等(整理字体)」にも該当し,長きにわたって使用が認められてきた字体であって,今後,子の名にこれが用いられても,審査の困難化や誤字の記載といった危険性はなく,戸籍事務のコンピューター化に支障を来すことは,およそ考えられない。
なお,本件文字は,表外漢字字体表において簡易慣用字体として掲げられているものである。この簡易慣用字体とは,現行のJIS規格や新聞など,現実の文字生活で常用漢字の字体に準じて作られた印刷文字字体の中から,その使用習慣・使用頻度等を勘案し,印刷標準字体と入れ替えて使用しても基本的には支障ないと判断された印刷文字字体であり,国語審議会におけるその選定に当たっては,字体問題の将来的な安定という観点から特に慎重に検討が行われたものであることは,既に認定したとおりである。
ウ また,子の名に用いられる漢字を,常用平易な文字に制限した前記の趣旨からみて,当該漢字による命名を受けた子ないし関係者が社会生活を営むに当たり,不便を感じる可能性の程度も,当該漢字の常用平易性を判断するに際しての要素となり得る。
人名は,比較的年少の段階から手書きで記載する機会が多いものであるから,文字の画数やその構造の明確さ,部首の汎用性等を含めた平易さが相対的に重視されて然るべきであるし,他者に対する説明伝達の容易さもその一要素としてよい。
この点から本件文字をみると,その構造が比較的単純で明確であることは前記のとおりであって,その筆記にも格別困難が伴うものでもなく,その説明及び他者による理解も極めて容易な部類に属する(しめすへんにことぶき)ことは明らかというべきである。
(3) 本件文字は,規則60条に定める「常用平易な文字」として,規則別表第2の漢字の表「一」に掲げられた「file_55.jpg」の異字体であり,その偏(へん),旁(つくり)ともに常用漢字等に倣った簡略化を施した字体である。
勿論,より簡略化された文字であっても,使用頻度が乏しいために通常目にする機会が少なく,社会通念上,常用平易とはいえないと評価すべきものもあるが,記録によれば,「file_56.jpg」(JIS第3水準,康熙字典体,印刷標準字体)が人名用漢字に選定され,「祷」(JIS第1水準,整理字体,簡易慣用字体)が選定されなかったのは,主として,刊行物等における出現頻度が,「祷」は,出現順位3521位(出現回数95回)であり,基準とされた3012位を下回ったのに対して,「file_57.jpg」は,出現順位2356位(出現回数647回)であったことによるものである。
抗告人指摘のとおり,「file_58.jpgtH」と「祷」との出現回数には,約6.8倍と大きな開きがあるが,出版物の内訳を更にみると,出現頻度の差の大部分は,古典類における頻度(「祷」は0,「file_59.jpg」は475)によるものであり,古典類を除くと約1.8倍(55.23%)の差に止まるとともに,そもそも,刊行物における出現頻度という調査手法の性質上,印刷標準字体とされている「file_60.jpg」の出現数が相対的に多くなるのは当然のことであって,手書きを含めた社会生活上の利用頻度としては,簡易慣用字体が利用される場面もより多くなるであろうことは容易に想定できるところである。
また,本件文字「祷」を,異字体「file_61.jpg」と比較した場合,その字画,複雑さ等からみて手書きを想定した相対的な平易さにおいて本件文字がまさることは明らかであって(これに対し,前記のJIS第3水準漢字が人名用漢字に選定され,第1水準の異体字が選定されなかった「file_62.jpg(頬)」,「file_63.jpg(嚢)」,「file_64.jpg(嘘)」,「file_65.jpg(呑)」等の中には,平易さにさほどの差がないものも多い。),少なくとも「file_66.jpg」の記載・読解等に不自由を感じない者が,「祷」の利用に関して不自由を感じるとは,およそ考えられない。
更に,平成10年の「国語に関する世論調査」の「どちらを多く見かけるか」との設問においては,「祷」は41.7%,「file_67.jpg」は40.3%と,認識度においては,むしろ「祷」がやや上回っており,これに加えて,今後は,OA機器の普及の影響等も含めて,JIS第1水準である「祷」の使用頻度が増していく可能性が高いと予想することには十分な合理性があることも考慮する必要がある。
(4) 更に,本件文字については,字種を同じくする「file_68.jpg」が人名用漢字とされていることから,本件文字を常用平易な文字と認めることにより,一字種二字体を認める結果となることが問題となる。
前記の人名用漢字の選考過程において,原則として,一字種につき一字体とすることとし,一定の字種につき二字体を用いることは例外的な取扱いとされたこと(一字種二字体が認められたものについては前記したとおり)は既に認定したが,本件文字に関しては,個別的検討の舞台に上程されなかったことから,これにつき一字種二字体を認めるべきか否かは,そもそも検討の対象とならなかったものである。
ところで,一字種一字体の原則が,人名用漢字の要件としての常用平易性の問題と直ちに結びつくものであるかどうかには疑問もあるが,前記の法の趣旨からみても,字義を同じくする複数の文字が使用されることは,当該文字間の識別が困難となる場合には,誤記・誤読につながるなどの弊害が生じることが予想されるから,一字種一字体の原則の下で,異字体の利用を制限する方針をとること自体は,相応の合理性を有するといえる。
しかし,本件の「祷」と「file_69.jpg」の関係では,その字画・構造等において明瞭な差異があるとみることができ,その相互間で,誤記・誤読等による弊害が生じるおそれは極めて少ないものとみることができる。このことは,例えば,前述の「隆」と,その異字体である「隆」との関係等と比較しても,明らかというべきである。
(5) 以上のような諸事情を総合考慮すると,本件文字「祷」を子の名前に使用したとしても,戸籍法50条1項が防止しようとする弊害を生じる事態を想定することは困難というほかなく,したがって,本件文字は,本件に顕れた資料等に照らし,社会通念上明らかに常用平易な文字に該当すると認めるのが相当というべきである。
6 上記のとおり,本件文字「祷」は,社会通念上明らかに常用平易な文字であると認められるところ,規則60条はこれを常用平易な文字として定めていないのであるから,同条は,その限度で戸籍法50条1項,2項の委任の趣旨に明らかに反するものとして違法となるといわざるを得ない。
そうすると,戸籍事務管掌者である抗告人は,「祷」の字が規則60条に定める文字ではないことを理由として,「祷」の字を用いて子の名を記載した本件出生届を不受理とすることはできず,その他,本件においては,命名権の濫用等本件出生届の不受理を相当とすべき事情があるとも認められないから,本件不受理処分は,違法であって,原申立ては理由があるものというべきである。
以上と異なる抗告理由は,上記説示に照らして,いずれも採用することができない。
7 以上の次第で,原申立てを理由があるものとして,抗告人に対し,本件出生届の受理を命じた原審判は正当であり,本件抗告は理由がないから,棄却することとして,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 田中壯太 裁判官 松本久 裁判官 齋木稔久)
(別紙)
抗告の理由
抗告人は,本書面において,抗告理由を明らかにする。
第1 事案の概要及び即時抗告申立ての理由の骨子
1 事案の概要
本事件の概要は,次のとおりである。
(1) 平成18年○月○日,原審申立人とその妻との間に長女が出生した。
(2) 同月14日,原審申立人は,上記長女の出生届書(以下「本件出生届書」という。)を抗告人に提出した。
(3) 抗告人(担当職員)は,本件出生届書中「子の氏名」欄の名(祷○)に使用した「祷」の文字(以下「本件文字」ということがある。)が戸籍法(以下「法」ということがある。)50条2項及び同法施行規則(以下「施行規則」という。)60条に定める文字(以下「制限文字」という。)以外の文字であったことから,同月×日,原審申立人に電話し,同文字を使用した本件出生届書は受理できない旨説明し,本件出生届書中の「祷」の文字を,これに対応する正字「file_70.jpg」へ訂正するよう求めた。
(4) しかし,原審申立人がこれに応じないため,抗告人は,同月×日付けで本件出生届書を不受理処分とし,これを原審申立人に返送し,原審申立人には同月×日に到達した。
(5) 同年×月×日,原審申立人は,神戸家庭裁判所伊丹支部に対し,上記不受理処分に対する不服申立てを行った。
(6) 神戸家庭裁判所伊丹支部は,平成19年2月23日,抗告人に本件出生届書の受理を命ずる旨の審判(原審判)をし,同月26日送達された。
2 原審判の要旨
原審判は,最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定(民集57巻11号2562ページ)を前提に,「祷」が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるか否かを検討し,①本件文字は,平成16年の施行規則改正で「漢字の表」に掲げられ子の名に用いることができる字である「file_71.jpg」の簡易字体であるところ,本件文字と同じ構成要素からなる漢字が多数あり,そのうち,常用漢字表に掲げられているものについては,偏(へん),旁(つくり)ともにいずれも本件文字と同じ簡略化された字体が採用されているから,「file_72.jpg」の偏(へん)及び旁(つくり)をともに簡略化した本件文字が平易であることは明らかであること,②本件文字は,表外漢字字体表において,簡易慣用字体として掲げられており,簡易慣用字体の選定基準等からみて一般的に「常用」されているといってよく,文化庁の世輪調査の結果や出版物等からすれば,「祈祷」,「黙祷」といった熟語が本件文字を使用して表記されていること,③本件文字がJIS第1水準漢字であり,他方,「file_73.jpg」が同第3水準漢字であることに照らし,コンピュータ等を用いて情報交換する場合や作成した文書等を印刷する場合,本件文字が「file_74.jpg」の字よりもはるかに常用されていることのほか,④人名用漢字については一字種につき二字体が認められている字種が相当あり,そのような一字種二字体が認められた字種と本件文字との間で取扱いが異にされた理由は一般国民には非常にわかりにくいものと推測されること等の理由から,本件文字を「明らかに常用平易な文字」であると認定し,施行規則60条がこれを常用平易な文字として定めていないことから,同条はその限度で法50条1項,2項の趣旨に明らかに反して違法となるとの判断を示した。
3 本件即時抗告申立ての理由の骨子
しかしながら,戸籍制度における全国統一的な事務処理の必要性,戸籍法50条の趣旨,これまでの「常用平易な文字の範囲」の改訂経緯等に照らし,制限文字以外の文字を用いた届出がされるたびに,その都度,当該文字が「常用平易な文字」かどうかの判断を戸籍事務管掌者にさせることとなるような解釈は妥当ではなく,施行規則60条により限定列挙されている「常用平易な文字」以外の漢字が「常用平易な文字」に当たる場合があるとしても,それは極めて例外的な場合に限定されるべきであり,その意味で,最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定(民集57巻11号2562ページ)がいう「当該文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるとき」の「明らかに」という要件は,何人にとっても判断に迷うことなく「常用平易な文字」に該当することが明らかなような場合に限定されるべきであるところ,本件文字は,原審判が指摘した諸事情を考慮しても,「社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるとき」に当たるとまではいえないから,原審判は,法50条1項,2項の解釈を誤った違法なものである。
第2 本件文字が「社会通念上明らかに常用平易な文字」に当たらないこと
1 戸籍事務における全国統一的な事務処理確保の重要性
戸籍制度は,国民の親族身分関係を公証するものであるから,全国統一的な事務処理の確保が特に必要であり,戸籍に関する事務は,市町村長が管掌する(法1条1項)ものの,法務大臣は,市町村長が戸籍事務を処理するに当たりよるべき基準を定めることができ(法3条1項),市役所又は町村役場の所在地を管轄する法務局又は地方法務局の長は,戸籍事務の処理に関し必要があると認めるときは,市町村長に対し,報告を求め,又は助言若しくは勧告をすることができ(法3条2項前段),戸籍事務の処理の適正を確保するため特に必要があると認めるときは,指示をすることができる(同項後段)とされている。
したがって,戸籍に関する事務の処理に当たり,管掌者である市町村長ごとに判断が区々になるような事態は避けなければならない。
2 戸籍法50条の趣旨
戸籍法は,50条1項において,「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」,同条2項において,「常用平易な文字の範囲は,法務省令でこれを定める。」とそれぞれ規定し,同条2項による委任を受けた施行規則60条は,法50条2項の常用平易な文字は,①常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては,括弧の外のものに限る。),②別表第二に掲げる漢字,③片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)とすると規定している。
「子の名の文字」に関してそのような規定を設けたのは,以下のような理由からである。
すなわち,現行戸籍法の施行前には,名に使用する文字には法律上の制限がなかったため,子の名づけに用いられた漢字の中には極めて難読難解なものが少なからずあり,そのため社会生活上において自他の被る不便不利益は測り知れないものがあった。そこで,昭和21年に漢字制限の問題が公式に取り上げられ,当用漢字表の制定(昭和21年11月16日内閣告示第32号)などがあったことから,同法はその趣旨に従って,出生届に記載されるべき子の名の文字を制限して簡明にすることを図り,法50条を設けたものである。
法50条2項は,常用平易な文字の範囲を法務省令で定める旨規定するが,これは,当該文字が常用平易であるか否かは社会通念に基づいて判断されるべきものであるが,その範囲は必ずしも一義的に明らかではなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情によっても変わり得るものであり,専門的な観点からの検討を必要とする上,上記の事情の変化に適切に対応する必要があることなどから,その範囲の確定を法務省令にゆだねたものである(上記の最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定も同旨)。
この法の委任を受けて,施行規則60条は,上記のとおり,一定の範囲に属する文字をもって常用平易な文字とする手法を採用しているが,これは,形式的審査権しか有しない戸籍官吏が,届出書に記載されている個々の文字について,それが常用平易な文字であるか否かの実質的な判断をすることが相当でないからである。仮に,届出があった都度,戸籍官吏にそのような実質的な判断を求めるとすれば,日々大量に生じてくる届出事件が渋滞し,戸籍事務の円滑な処理を阻害することになるばかりでなく,全国統一的な処理を確保することが困難となることから,かかる手法が合理的なものであることは言うまでもない。
3 「常用平易な文字の範囲」の改訂経緯
「常用平易な文字の範囲」が改訂された経緯については,原審判でも詳細に認定されているが,念のため再度簡潔に述べると,以下のとおりである。
(1) 最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定について
最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定(以下「最高裁平成15年決定」という。)は,戸籍法第50条の子の名に用いることができる文字について「社会通念上,常用平易であることが明らかな文字を子の名に用いることのできる文字として定めなかった場合には,法(引用者注:戸籍法のこと。)50条1項が許容していない文字使用の範囲の制限を加えたことになり,その限りにおいて,施行規則(引用者注:戸籍法施行規則のこと。)60条は,法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法,無効と解すべきである。」「上記の場合には,戸籍事務管掌者は,当該文字が施行規則60条に定める文字以外の文字であることを理由として当該文字を用いて子の名を記載した出生届を受理しないことは許されないというべきである。」「家庭裁判所及びその抗告裁判所は,審判,決定手続に提出された資料,公知の事実等に照らし,当該文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるときには,当該市町村長に対し,当該出生届の受理を命ずることができるというべきである。」と判示し,人名用漢字以外の漢字であっても,社会通念上明らかに常用平易な文字であれば,これを用いることを認める判断を示した。
(2) 法制審議会の諮問
昭和56年の常用漢字表の制定,施行規則60条の改正,人名用漢字別表の作成以後も,国民の要望等を受けて人名用漢字が個別的に順次追加されてきたところ,人名用漢字に対する国民の価値観の多様化,制限外の文字にかかる要望の増加,人名用漢字の拡大についての国民の関心の高まり,平成15年12月に上記最高裁決定がなされたことなどの社会情勢の変化等にかんがみ,平成16年2月10日,法務大臣から法制審議会に対して出生届に記載する子のために用いることができる常用平易な漢字の見直し(拡大)についての諮問がなされ,同年3月から同審議会人名用漢字部会(以下「人名用漢字部会」という。)において,審議が行われた。
上記人名用漢字部会においては,最高裁平成15年決定が「社会通念上明らかに常用平易と認められるか否か」という観点から判示していることを踏まえ,戸籍法の規定にできるだけ忠実に「常用平易」な漢字を選定する方向で審議することとされた。
そこでは,字種の選定に関しては,JIS漢字及び「漢字出現頻度調査(2)」(平成12年文化庁作成,<証拠略>)を基にして選定することとされたが,その理由は以下のとおりである。
ア JIS漢字について
コンピュータ等における情報交換に用いる文字の符号化を規定したものであるJIS漢字は,制定当時からあるJIS第1水準及びJIS第2水準の漢字が,社会一般において尊重され,幅広く用いられており,我が国において高度情報通信ネットワークが形成されることにかんがみると,今後,JIS漢字が情報通信手段においてより一層その重要性・汎用性を増すものと考えられるので,常用平易な文字の選定に当たっての対象漢字の大枠としてJIS漢字から選定することとされた。
次に,JIS漢字のうち,どの範囲のものが「常用平易」であるかにつき検討することとなった。JIS第1水準の漢字は,一般日本語表記用漢字として「①一般の漢字表にあるもの,②地名人名の漢字表にあるもの,③内閣告示等に根拠をもつもの(常用漢字,人名用漢字別表等),④専門家の手による若干の調整」により選定されたものである。これに対しJIS第2水準の漢字は,個別分野用漢字として「主要4漢字表(情報処理学会標準漢字コード表,行政管理庁基本漢字,日本生命人名漢字表,国土行政区画総覧)のいずれかに現れ,第1水準漢字集合に含まれなかった漢字すべて」により選定されたものである。さらにJIS第3水準及び第4水準の漢字は,平成12年の規格改正において出現範囲の広さなどを基に選定されたものではあるが,現在は,大半のコンピュータに搭載されているとはいい難いものであるため,人名用漢字部会では,原則として検討対象とはしないこととされた。
以上から,人名用漢字部会においては,JIS第1水準の漢字については原則として常用平易性が認められるであろうという観点から検討を行い,JIS第2水準の漢字については,常用平易性を個別に検討し,常用平易性が認められるものについてのみ人名用漢字に追加するのが相当であるとされ,JIS第3水準及び第4水準は原則として検討対象とはしないこととされた。
イ 「漢字出現頻度数調査(2)」について
次に,「常用平易」な漢字の具体的な選定に当たっては,人名用漢字部会において,「漢字出現頻度数調査(2)」の結果を活用することとされた。なぜなら,この調査は,当時,385の書籍に用いられた約3330万字の漢字を対象として行われ,我が国における同種の調査の中でも最大規模のものであったため,「常用平易」な漢字の選定に当たっては,当該調査の結果を活用することが最も合理的であると判断されたからである。人名用漢字部会においては,上記(1)の基準から,人名用漢字に含まれていないJIS第1水準の漢字計770字のうち,「漢字出現頻度数調査(2)」に現れた出現頻度に基づき,出現頻度3012位以上の漢字503字について「常用平易」と認めるのが相当とされ,選定されたが,この出現順位3012位というのは,調査対象書籍における出現回数が200回以上のものであり,これは平均すると過半数の書籍に出現する漢字ということができ,かつ,約3330万字の活字のうち,出現順位3012位までの漢字の出現回数の累積度数は,同調査中の99.56パーセントを占めていたものである。
以上のとおり,「常用平易」な漢字の字種については,JIS漢字を大枠として,基木的に「漢字出現頻度数調査(2)に現れた出版物上の出現頻度に基づき,要望の有無・程度なども総合的に考慮して,ひとまず,専ら当該漢字が「常用平易」と認められるか否かの観点から選定を行い,漢字の意味が人名にふさわしいものであるかどうかについては考慮しないこととされた,その後,パブリックコメント手続による国民の意見も参考とした上で,名の社会性にかんがみ,名に用いることが社会通念上明らかに不適当と認められる漢字は除外する等の基準を設け,それらの明確な基準に沿って,各界の専門家によって構成された人名用漢字部会において慎重に検討された。
そして,法制審議会からの答申を受けて,平成16年9月に,施行規則別表第二について,従来の人名用漢字290字に法制審議会答申の488字及び許容字体205字を加えた合計983字を「漢字の表」に掲げる全面的な改正がなされたものである。
この改正経緯からも明らかなとおり,この平成16年の施行規則改正は,それまでの議論や要望,平成15年12月の最高裁決定の趣旨等を踏まえ,上記のような専門的な観点からの検討を経た上で,人名用漢字に関する制限方式(法50条1項)を維持することを前提として,その内容を全面的に見直した結果行われたものである。
しかも,法制審議会人名用漢字部会においては,「常用平易と認められるか否か」に関し,JJS第1水準漢字,第2水準漢字を検討対象の漢字とし,基本的に,「漢字出現頻度数調査(2)」に現れた出版物上の出現頻度や全国の市区町村の窓口等に寄せられた人名として具体的に使用したいという要望の数を集計するなどし,さらにパブリックコメント手続の結果等も勘案しつつ,専門的な観点から検討した結果,新たな「漢字の表」(施行規則別表第二)に掲げる漢字を選定したものである。また,その検討の過程においては,一字種二字体の漢字についても十分な検討がなされ,これを認めないことを原則としつつ,同一の字種について二つの字体がいずれも「常用平易」であると判断される場合には,社会生活上の混乱を生じさせるおそれがないとして,例外的に一字種二字体の漢字が認められたものである。
このように,従前の人名漢字表の内容を全面的に見直すための専門的で詳細な検討結果を受けて,平成16年の「漢字の表」が定められたのであり,その段階では,まさに常用漢字表及び別表第二に掲載された漢字が専門家によって「常用平易な文字」とされたものであり,それ以外の漢字は常用平易な文字ではないと判断されたと考えられる。
(3) 本件文字「祷」について
原審申立人が主張している「祷」は,JIS第1水準の漢字であるが,「漢字出現頻度数調査(2)」では出現順位3521位であって,出現回数は95回であるのに対し(<証拠略>),「file_75.jpg」はJIS第3水準の漢字であるが,「漢字出現頻度数調査(2)」では出現順位2356位であって出現回数は647回であり(<証拠略>),「祷」の約7倍の出現回数になっている。人名用漢字部会で常用平易な文字の限界とされた出現順位3012位(出現回数200回)までの漢字の出現回数の累積度数が同調査の99.56パーセントを占めることからみて,「file_76.jpg」の字の利用頻度及び出現頻度が高く,「祷」の字の利用頻度及び出現頻度がいかに低いかが客観的に容易に判断できる。
さらに,人名用漢字部会では,前述のとおりパブリックコメント手続を実施しているところ,「祷」の字は,上記のとおり出現順位が3521位であり,上記選定基準を基とすれば既にその時点で人名用漢字としての基準を満たしておらず,上記の方針に基づいて選定され,パブリックコメントにかけられた漢字578字の中には当初から入っていなかった。一方,「file_77.jpg」の字は,JIS第3水準の字ではあるが,①上記選定基準から既にその時点で人名用漢字としての基準を満たしていること,②異体字である「祷」が第1水準であることを人名用漢字部会において総合的に判断した結果,パブリックコメントにかけられた漢字578字の中に入れられることとなった。さらに,当該パブリックコメント手続においては,上記578字以外の字の追加要望についての意見も提出されたことから,パブリックコメントで追加要望意見が最も多かった「掬」という字(追加要望数27)については,最終的に人名用漢字として認められることとなった。しかし,当該パブリックコメントにおいては,「祷」の字の追加要望は1件もなかった。
以上のとおり,「祷」の字は,パブリックコメントにおいても要望がなく,人名用漢字部会が示した基準に照らして常用平易であるとは到底いえないことが明らかである。
以上のとおり,本件文字はJIS第1水準漢字であり,上記施行規則改正においても当然「漢字の表」に掲げるべきか否かの検討対象漢字とされたが,そもそも,「漢字出現頻度数調査(2)」の結果,その出現頻度からして「常用平易」性が認められる基準に達しておらず,またJIS第1水準でも「常用平易」性を認める要件(追加要望法務局数が6以上あること)を満たしておらず,パブリックコメントの手続における追加要望意見もなかったため,「常用平易」性が認められず,それ以上の検討の対象とされなかったのに対し,「file_78.jpg」については,「漢字出現頻度数調査(2)」における「常用平易」性の基準を満たしていることに加え,異体字である本件文字がJIS第1水準の字であることも考慮した結果,「file_79.jpg」のみが別表第二(漢字の表)に掲載され,本件文字が人名用漢字として認められなかったのである。このことは,とりもなおさず,その時点において,本件文字の常用平易性が認められなかったことを示すものである。
なお,この平成16年の施行規則改正の前には,規則別表に対する人名漢字の追加が行われてきたが,全面的に見直しを行った同改正後においては,安易に拡大を続けるべきものと解するのは相当でなく,むしろ,そのような追加が望ましくないため,網羅的な調査検討に基づいて全面的な改正がなされた以上,現在のところ,出生の届出の際に子の名に用いることができる常用平易な字は,すべて網羅されているということになる。
4 平成16年改正以降本件までの間に本件文字の常用平易性に特段の変化があったとは考えられないこと
上記の平成16年における改正から,本件出生届書が提出されるまで,約2年間しか経過しておらず,その間に,当時よりも,常用平易性を認定するための,新たなより客観的基準が作成されたような事情もないことから,本件文字の常用平易性に特段の変化があったことを示す事情は認められない。
5 本件文字に常用平易性が認められた場合の悪影響
上記のとおり,範囲が一義的ではなく専門的な観点からの検討が必要な「常用平易性」について,平成16年段階で専門家の検討結果を踏まえて,その範囲が明示された以上,時代の推移,国民意識の変化等の事情がなければ,規則60条が尊重されるべきである。
逆にいえば,平成16年改正が行われたばかりであるにもかかわらず,安易に常用漢字表にも別表第二にもない漢字が「常用平易」と認められるような事態になれば,常用平易な漢字の範囲を画すべき常用漢字表や別表第二が有名無実になるに等しく,戸籍事務を管掌する者にとって,よりどころがなくなり,常用漢字表にも別表第二にもない漢字が子の名に使用された出生届書が提出されるたび,常用平易性の検討をしなければ受理不受理を決定することができないといった事態を招くおそれがある。
そのような事態が,全国統一的で,かつ,迅速適正な戸籍に関する事務の処理に多大な悪影響を及ぼし,全国の戸籍事務が混乱することは必至である。
6 その他原審判に対する反論
(1) 原審判は,字体の選定基準に関し,「侠」「痩」等を挙げ「祷」と人名用漢字として採用された「file_80.jpg」とが同様の条件であると推測されるなどとしているが,以下のとおり,誤りである。
すなわち,「侠」はJIS第1水準の漢字であり追加要望法務局数が6以上あったが漢字出現頻度数調査(2)において出現順位がない(<証拠略>)一方,「file_81.jpg」はJIS第3水準であるが出現順位が3145位であって(<証拠略>)表外漢字字体表の印刷標準字体である。そこで,字体選択のよりどころとされた表外漢字字体表の趣旨を尊重する(平成16年9月8日法制審議会答申(人名用漢字の範囲の見直し(拡大)は関する意見 第三の一)ということからすれば,表外漢字字体表の印刷標準字体の「file_82.jpg」を採用する方がよい,との専門的な判断があったものである。
また,「file_83.jpg」はJIS第3水準で出現順位2072位(<証拠略>),「痩」はJIS第1水準で出現順位2703位であり(<証拠略>),双方とも出現順位3012位の基準を満たしていたものである。そして,字体については,表外漢字字体表の印刷標準字体であり出現順位が上位である「file_84.jpg{a3」を採用する方がよい,との専門的な判断があったものである(人名用漢字部会第5回会議議事録(<証拠略>)参照)。
一方,「祷」は既に述べたとおり出現順位3521位であって,JIS第1水準で出現順位3013位以下でも常用平易性を認める要件(追加要望法務局数が6以上あること)を満たしていないが,その異体字である「file_85.jpg」が,出現順位2356位であり,常用平易の基準とされた出現順位3012位の基準を満たしていた。そこで,「祷」は常用平易とは認められないが,「file_86.jpg」は出現順位3012位以上であり,かつ,「file_87.jpgSe」の異体字である「祷」がJIS第1水準であることを併せ考慮して,各界の専門家で構成された人名用漢字部会において判断した結果,採用されることになったのである。
よって,「祷」は,「侠」のように追加要望法務局数が6以上あったわけでもなく,「痩」のように常用平易の基準とされた出現順位3012位以上であったわけでもなく,そもそも常用平易であるとは判断されていなかったのである。よって,「祷」と「file_88.jpg」の字体の選定については,一字種二字体の必要性が問題とはならず,当初から一字種一字体の原則にのっとって選定されたものであり,「侠」「痩」と同様に説明することはできないのである。
それにもかかわらず,原審判は,「祷」を「file_89.jpg」と同様の条件であると推測きれるなどと誤った論理を展開しているものであって,到底承服することができない。
原審判で説明されているとおり,平成16年の人名用漢字の追加については,単にJIS第1水準であるからとか,字画が平易であるからといった点のみから人名用漢字に採用されているわけではなく,最終的には,出現順位や要望法務局数や表外漢字字体表の印刷標準字体であるかどうか等について各界の専門家で構成される人名用漢字部会において総合的に判断されているのである。
(2) また,原審判は,「常用漢字表に掲げられているものについては,偏(へん),旁(つくり)ともにいずれも本件文字と同じ簡略化された字体が採用されているところ,施行規則60条に定める「常用平易な文字」として上記「漢字の表」に掲げられた「file_90.jpg」を,その偏(へん),旁(つくり)ともに常用漢字等に倣った簡易化を施した字体である本件文字が,「平易」であることは明らかであるといえる。」とする。
しかし,漢字の構成要素が簡易化されていることと,その構成要素を組み合わせた字が「平易」かどうかは別問題である。このことは,例えば,簡易な構成要素からなる「淼」や「煜」といった字が,到底平易とはいえないことからも明らかである。
なお,最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷判決は,「曽」の字が常用平易か否かを検討するに当たって,その字から生まれたものとされる平仮名「そ」や片仮名「ソ」があること(<証拠略>),その字自体を構成要素とする常用漢字が5字もあり,いずれも常用平易な文字として施行規則60条に定められていること,「曽」の字を使う氏や地名が多いこと等を挙げた原審の判断を是認したものである。
これを本件文字についてみると,「祷」の字から生まれたものとされる平仮名や片仮名は認められず(<証拠略>),「祷」の字を構成要素とする漢字も存在しない上,「曽」の字(上記最高裁判決の原審である札幌高裁平成15年6月18日決定によれば,「曽」の字を含む地名は日本全国に300以上あるとされている。)と比較すると,「祷」の字体を使用する地名は「福岡県八女市祈祷院」にわずか1か所存在するのみである(<証拠略>)。
したがって,平易常用性について最高裁が考慮したような事情は,本件文字には何ら当てはまらない。
(3) さらに,原審判は,「祷」を認める必要性について,「本件文字は,「file_91.jpg」の字に比べると,偏,旁ともに簡略化され,特に旁の部分の簡略化が甚だしいことからしても,字形や画数はかなり違い,別字に近いとも考えうる。このような観点からも,「file_92.jpg」の字を子の名に用いることができるとしてもなお,「祷」の字を子の名に用いることを認める必要はあるといえる。」などとする。
しかし,人名用漢字部会の議事録からは,「祷」と「file_93.jpg」とが別字と考えられる旨の発言は皆無であるし,字形や画数の違いの程度と,子の名に一字種二字体を認めるかどうかは,別問題であって,字数や画数が違うことから別字に近いなどと判断することは,根拠がなく漢字の成り立ちについて正しい認識かどうか疑問がある。
そもそも,「祷」の字を子の名に用いることを認める必要があるかどうかは,要するに一字種二字体を認める必要性があるかどうかという問題に帰着するところ,その前提となる常用平易性の検討において,「祷」は,前記3(3)のとおり,検討対象となる基準を満たしていなかったものである。
したがって,偏及び旁の簡略化の程度から「祷」の字を子の名に用いることを認める必要があるかのような原審判の判断は,一定の範囲の漢字に一字種二字体を認めるに際して行われた検討の経緯を無視した独断であって,到底承服できない。
(4) 原審判は,「本件文字は,表外漢字字体表において簡易慣用字体として掲げられており,簡易慣用字体の選定基準等からみて一般的に「常用」されているといってよく」「文化庁の世論調査の結果や公刊されている出版物等から,「祈祷」,「黙祷」と本件文字を用いて表記されていることも多いことも認められる。」などと述べる
しかし,本件文字が,「漢字出現頻度数調査(2)」による出現順位3012位未満の3521位であり,「常用平易」な文字と認める基準を満たしていないことについては前記3(3)のとおりであり,かつ,同調査の出現回数からすれば,「file_94.jpg」の字が「祷」よりも圧倒的(約7倍)に多く用いられている。
原審判が,「「祈祷」「黙祷」と本件文字を用いて表記されていること」につき,一体何をもって「多い」と判断しているのかは定かではないが,「祈file_95.jpg」「黙file_96.jpg」よりも多いと述べているならば,それは漢字出現頻度数調査(2)の結果に真っ向から反するものであり,他のより客観的に常用平易性が認められる具体的な根拠がない以上は,根拠のない決めつけといわざるを得ないのであって,この点からも,原審の判断を認めることはできない。
(5) 原審判は「本件文字は,5200号通達にいう「正字等」にも該当し,戸籍事務取扱い上も,長きにわたって使用が認められていた字であって,子の名に用いられても,審査の困難化や誤字の記載といった危険性はなく,戸籍事務の処理をコンピュータ化するに当たっての障害や現に稼働している住民基本台帳のコンピュータ処理に支障を来すことも考えられない。」(原審判36ページ)などと述べる。
しかし,「常用平易な文字」を使うこととされているのは,子の名に用いる字のみである(戸籍法50条,施行規則60条)。5200号通達は,婚姻,養子縁組,転籍等による新戸籍の編製,他の戸籍への入籍又は戸籍の再製により従前の戸籍に記載されている氏若しくは名を移記する場合,又は認知,後見開始等により戸籍の身分事項欄,父母欄等に新たに氏若しくは名を記載する場合において,当該氏又は名の文字が従前戸籍,現在戸籍等において俗字等又は誤字で記載されているときの取扱いを定めているものであり,同通達の別表は,既に戸籍に記載されている誤字や俗字等を訂正する場合に対応する文字として使用できるものを示しているものである。
よって,新たに出生した子の名に用いる字と,既に戸籍に記載されている文字を移記する場合に対応する字をどのようにするかについては,必ずしも同一の考え方によって定められてはいないのであって,原審判は,子の名に用いることができる字の考え方と,既に戸籍に記載されている文字の取扱いについての字の考え方を混同し,誤った認識に基づき結論を導いており,到底承服できない。
また,本件文字が子の名に用いられた場合にコンピュータ処理に支障があるかということと,常用平易な文字かどうかということは別問題である。
(6) そもそも,国語政策的な観点からは,様々な事務がコンピュータ化されている現状をそのまま追認することはできない。
すなわち,そもそもJIS漢字の整理字体については,技術的な制限のあった当時に,コンピュータ画面上で効率的に漢字を表示するために作られたで字体であり,それらが漢字施策の観点から承認されたことはない(JIS漢字が字形を規定するものでないことについては,JIS漢字自身が認めている(<証拠略>)。)。また,そのようなJIS漢字に対する問題意識から,漢字施策として正しい印刷の字体,すなわち印刷標準字体たる表外漢字字体表が定められたのである。JISの第1水準,第2水準の漢字が,広くコンピュータで用いる字体として普及しているのは事実であるが,一方で,「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活」の中では,表外漢字字体表の字体を尊重することこそが国語政策的に妥当である。
さらに,固有名詞についても,これまでの漢字施策の考え方を整理し,一字種一字体を基本とすべきことが,平成18年に開催された文化審議会の中でも要望され,確認されているところである(第14回文化審議会国語分科会漢字小委員会議事録資料2(<証拠略>,参考:同第11回議事録)。
以上の状況の中で,印刷標準字体である「file_97.jpg」の字が,既に子の名に用いることができる漢字として認められている現状にあって,あえて「祷」の字を子の名に用いることができる字として迫加し,一字種一字体の原則に反することが,国語施策上ふさわしいことであるとすることには,大いに疑問があるところである。
そして,「file_98.jpg」の字が子の名に用いることができる漢字とされ,かつ,「file_99.jpg」と「祷」の字は同一の文字である以上,「祷」の字が使用し得ないからといって,子の名の選択が妨げられているともいい難い。
なお,「漢字の表」が一字種一字体の原則の例外として掲げた異字体のうち205字については,既に昭和56年の施行規則改正に当たって当分の間出生届出の際子の名に使用が認められた字体であり,その後平成16年9月の施行規則改正までの23年間にわたって子の名に用いることができたことから,これらの文字を一字種一字体の原則の例外として存続させたことも合理性があるのであり,また,残りの32字は,汎用性,頻繁性,要望度の観点からの調査結果からみて,学識経験者,実務家等で組織する人名用漢字部会が一般性を有していると認めた文字であるから,やはり一字種一字体の原則に対する例外を認める必要性があるが,「祷」については,それらの例外的な漢字と同列に扱わなければならないような事情はない。
7 結論
以上のとおり,平成16年改正で常用平易な文字の範囲に入らなかった本件へ文字については,事情の変化等特段の事情がなければ,当時の専門家の判断を覆して明らかに常用平易性があるとは到底認めることができないところ,本件文字については,原審判において常用平易性があるとする理由として指摘されている事情は,既に平成16年当時にも存在したものであり,平成16年当時の「常用平易な文字に当たらない。」との判断を覆して「明らかに」常用平易性があると認めるに足りる事情はない。
したがって,原審判は,法50条,施行規則60条の解釈適用を誤ったものであることは明らかである。
第3 以上のとおり,施行規則60条が「祷」を常用平易な文字として列挙していないことが戸籍法50条1項及び2項の趣旨に反し違法であり,抗告人は出生届を受理せよとした原審判の判断は誤りである。
よって,抗告人は,原審判を取り消し,原審申立人の不服申立を却下することを求める。