大判例

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大阪高等裁判所 平成19年(ラ)486号 決定 2008年3月18日

抗告人

大阪市都島区長

原審申立人

主文

1  本件抗告を棄却する。

2  抗告費用は,抗告人の負担とする。

理由

第1事案の概要等

1  事案の概要

(1)  原審申立人は,同人と妻との間の長男として平成18年○月○日に出生した男子につき,同年×月×日,戸籍事務管掌者(大阪市都島区長)である抗告人に対し,その名を「○穹」とする出生届(以下「本件出生届」という。)を提出したところ,抗告人は,同日,「穹」の文字(以下「本件文字」ということがある。)が戸箱法第50条の子の名に用いる文字でないことを理由として,本件出生届を受理しない旨の処分(以下「本件不受理処分」という。)をした。

(2)  原審申立人は,同年×月×日,本件不受理処分は不当であるとして,抗告人に対し本件出生届の受理を命じることを求める旨の原申立てをした。

(3)  原審は,平成19年4月10日,「穹」の字は,社会通念上明らかに常用平易な文字と認めるのが相当であるとして,抗告人に対し,本件出生届の受理を命じる旨の原審判をした。

本件は,この原審判に対して抗告人からされた即時抗告事件である。

2  抗告の趣旨及び理由

(1)  抗告人は,原審判を取り消し,原審申立人の原申立てを却下するとの裁判を求めた。

(2)  抗告理由は,別紙のとおりである。

第2当裁判所の判断

1  当裁判所も,原審と同じく,本件文字「穹」は,社会通念上明らかに常用平易な文字と認めるべきであるから,原申立ては理由があり,したがって,抗告人に対し,本件出生届の受理を命ずべきものと判断する。

その理由は,次のとおりである。

2  問題の所在

(1)  現行の戸籍法(昭和22年法律第224号。従前の戸籍法〔大正3年法律第26号〕を全面改正したものであるが,以下,改正後のものを単に「戸籍法」又は「法」といい,改正前のものについては「旧戸籍法」という。)50条は,第1項で「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」と,第2項で「常用平易な文字の範囲は,法務省令でこれを定める。」と各定めている。

これを受けて,法務省令である戸籍法施行規則(昭和22年12月29日号外司法省令第94号。以下「規則」という。)60条(平成16年9月27日改正後のもの)では,「戸籍法第50条第2項の常用平易な文字は,次に掲げるものとする。」とした上,

「1 常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては,括弧の外のものに限る。)

2  別表第二に掲げる漢字

3  片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)」

と規定している。

(2) 本件出生届において,長男の名に用いられた「穹」の字は,規則60条1号ないし3号のいずれにも含まれない。

(3) 法50条1項が上記のような定めをしているのは,従来,子の名に用いられる漢字には極めて複雑かつ難解なものが多く,そのため命名された本人や関係者に,社会生活上,多大の不便や支障を生じさせたことから,子の名に用いられるべき文字を常用平易な文字に制限し,これを簡明なものとすることを目的とするものと解される。

そして,同条2項が,法務省令で常用平易な文字の範囲を定めることとしているのは,当該文字が常用平易な文字であるか否かは,社会通念に基づいて判断されるべきものであるが,その範囲は,必ずしも一義的に明らかでなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情によっても変わり得るものであり,専門的な観点からの検討を必要とするものである上,上記の事情の変化に適切に対応する必要があることなどから,その範囲の確定を法務省令に委ねる趣旨である。

規則60条は,この法の委任に基づき,常用平易な文字を限定列挙したものと解すべきであるが,法50条2項は,子の名には常用平易な文字を用いなければならないとの同条1項による制限の具体化を規則に委任したものであるから,規則60条が,社会通念上,常用平易であることが明らかな文字を子の名に用いることのできる文字として定めなかった場合には,法50条1項が許容していない文字使用の範囲の制限を加えたことになり,その限りにおいて,規則60条は,法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法,無効となるものと解される。そして,法50条1項は,単に,子の名に用いることのできる文字を常用平易な文字に限定する趣旨にとどまらず,常用平易な文字は子の名に用いることができる旨を定めたものというべきであるから,上記の場合には,戸籍事務管掌者は,当該文字が規則60条に定める文字以外の文字であることを理由として,当該文字を用いて子の名を記載した出生届を受理しないことは許されず,裁判所は,審判,決定手続に提出された資料,公知の事実等に照らして,以上の点について審査を遂げ,当該文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるときには,当該戸籍事務管掌者に対し,当該出生届の受理を命ずることができるものというべきである。

以上は,最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定(民集57巻11号2562頁,以下「平成15年決定」という。)が判示するところであり,このこと自体は,平成16年9月に実施された後記の人名用漢字の拡大措置の後においても,同様に妥当するものと解すべきである。

(4) したがって,本件において,裁判所が子に対して本件出生届の受理を命ずることができるか否かは,上記の説示に照らして,本件文字「穹」が,社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるか否かに拠ることになる。

3  記録(公知の事実を含む。)によれば,以下の事実が認められる。

(1)  本件不受理処分に至る事実の経緯は,事案の概要欄に記載したとおりである。

(2)  旧戸籍法における子の名に用いられる文字についての取扱い

旧戸籍法においては,届出書の記載について,略字又は符号を用いてはならず,字画明瞭なることを要すると定められていたのみであり(同法28条1項,55条),子の名に使用する文字についての法律上の制限はなかった。

(3)  戦後の「当用漢字表」の制定に伴う法50条の新設

ア 従来,わが国において用いられる漢字は,その数が甚だ多く,その字体及び字種も複雑多岐にわたるため,国民の教育上又は社会生活上の不便には多大なものがあった。そこで,戦後,これを制限し,国民の生活能率を上げ,文化水準を高めることを目的として,昭和21年11月16日,1850字を掲げる「当用漢字表」(昭和21年内閣告示第32号)が制定された。

イ 当用漠字表は,「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」とされ,固有名詞については「法規上その他に関係するところが大きいので,別に考えることとした」として人名・地名を対象外としたため,直接には子の名に用いられる漢字の取扱いの基準となるものではなかった。

しかし,従来から子の名に用いられる漢字には極めて複雑かつ難解なものが多く,そのため,命名された本人や関係者に社会生活において多大の不便や支障を生じさせていたことから,当用漢字表を制定するに至ったという上記の国語施策は,子の名に用いる漢字の取扱いにも及ぼすことが妥当であるとされ,昭和23年1月1日に,旧法を全面改正の上施行された戸籍法においては,上記のとおり,50条1項で「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」と規定し,同条2項で常用平易な文字の範囲の定めを命令(司法省令)に委任した。そして,これを受けて制定された規則60条(当時)において,人名に用いられるべき漢字は当用漢字に限るものとされた。

(4)  「人名用漢字別表」及び「人名用漢字追加表」の制定

ア 上記のとおり,制定当初の規則60条は,子の名に用いることのできる漢字について,従来からの伝統や特殊な事情に配慮せず,当用漢字のみに制限していたのであるが,そのことについて国民からの大きな批判を招き,国民各層から人名用漢字の範囲の拡大が要望された。

イ 上記要望を受けて,国語審議会(文部大臣[当時,現在では文部科学大臣]の諮問機関)において人名用漢字の問題が国語政策上重要な問題として取り上げられ,同審議会内に設置された「固有名詞部会」における審議の結果,昭和26年5月14日,法務総裁及び文部大臣に対し,当用漢字の外に,従来人名に用いられることが多かった漢字など92字について人名に用いても差し支えないものとする「人名漢字に関する建議」が行われ,内閣は,同月25日,上記92字を掲げた「人名用漢字別表」(昭和26年内閣告示第1号)を定め,法務総裁は,同日付けで規則を一部改正し(同年法務省令第97号),「人名用漢字別表」に掲げる漢字を規則60条に定める文字に追加した。

ウ その後も人名用漢字の範囲拡大の要望は続き,昭和49年3月,法務大臣が民事行政審議会に対して戸籍制度に関して当面改善を要する事項について諮問したことにより,同審議会において人名用漢字の問題についても審議され,その結果,同審議会が「子の名に用いる文字について,当面は,『当用漢字表』・『人名用漢字別表』による制限方式を踏襲しながら,必要に応じその『人名用漢字別表」の漢字を追加する等の従来の措置を継続することとし,なお,国語審議会における今後の検討をまって対処するものとする」旨の答申をしたことを踏まえて,法務大臣の諮問機関として設置された「人名用漢字問題懇談会」において,法務局及び地方法務局を通じて全国の市町村の戸籍窓口に対して実施した調査結果等も踏まえながら,人名用漢字の当面の取扱いについて検討がされた。

その結果,同懇談会から,新たに28字を人名用漢字として追加するのが相当である旨の報告を受け,従来の経緯を踏まえて国語審議会から人名用漢字の追加についての了承を得た上で,昭和51年7月30日,上記28字を掲げた「人名用漢字追加表」(昭和51年内閣告示第1号)を定めると同時に,規則60条を一部改正し(同年法務省令第37号),「人名用漢字追加表」に掲げる漢字が規則60条に定める文字に追加された。

(5)  常用漢字表の制定とそれに伴う新たな「人名用漢字別表」の制定

ア 常用漢字表の制定

(ア) 国語審議会においては,昭和47年1月以降,文部大臣の諮問に基づき,国語施策の改善の一貫として,当用漢字に含まれる漢字の字種・字体等の問題について総合的な審議を行い,昭和56年3月23日,「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など一般の社会生活で用いる場合の漢字使用の目安」として「常用漢字表」を作成して文部大臣に答申し,内閣は,同答申に係る常用漢字表をほぼ全面的に採用し,同年10月1日,1954字を掲げる「常用漢字表」(昭和56年内閣告示第1号)を制定した。

(イ) 常用漢字表は,当用漢字表に掲げられた1850字をすべて承継した上で,新たに95字(うち,7字は人名用漢字別表に,1字は人名用漢字追加表に掲げられていたもの)を追加した。

イ 新たな「人名用漢字別表」の制定

(ア) 常用漢字表は,固有名詞をその対象外としており,人名用漢字の取扱いについては,従来国語審議会が関与してきたが,戸籍等の民事行政との結び付きが強い問題であることから,人名用漢字別表の処置などを含め,今後,その取扱いは,常用漢字表の趣旨を十分参考にすることを前提として,法務省に委ねることとされた。

(イ) そこで,法務省においては,昭和54年1月25日,法務大臣の諮問機関である民事行政審議会に人名用漢字の取扱いについて諮問した。

審議の結果,同審議会は,昭和56年5月14日,「① 子の名に用いる文字の取扱いは,基本的に現行の取扱い方式(制限方式)を維持すべきである。② 常用平易な漢字の範囲は,常用漢字表に掲げる漢字並びにそれ以外で現行の人名用漢字別表及び人名用漢字追加表に掲げる漢字に一定の漢字を追加すべきである。③ 字体については,原則として,一字種につき一字体とすることとし,例外として,当分の間,一定の字種につき二字体を用いることができる(許容字体)。」などとして,新たに54字を人名用漢字に追加すべきである旨の答申をし,これを受けて,法務省は,「人名用漢字別表」及び「人名用漢字追加表」に掲げられていた漢字(計120字)から,常用漢字表に採用された8宇を除く112字に,上記54字を加えた合計166字を掲げる新しい「人名用漢字別表」を規則別表第二とし,同年10月1日,常用漢字表の制定と同時に規則60条を改正し(昭和56年法務省令第51号),法50条2項の常用平易な文字として,「1 常用漢字表に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては括弧の外のものに限る。) 2 別表第二[人名用漢字別表]に掲げる漢字 3 片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)」と定めた。

(6)  国民一般の要望や裁判例等を受けた人名用漢字の追加

ア 昭和56年10月の規則60条の改正後相当期間が経過するに伴い,国際化の進行等社会の諸情勢の変化,国民における漢字,あるいは子の名に対する好みの変化などから,人名用漢字の増加を求める要望が高まり,更には,制限の撤廃を求める意見もみられるようになった。

そこで,平成元年2月13日,法務大臣は,民事行政審議会に対し,規則60条の取扱い等について諮問し,その結果,平成2年1月16日,「① 子の名に用いる文字の取扱いについては,制限方式を維持する。② 子の名に用いる常用平易な漢字については,現行の規則60条2号の漢字に別表に掲げる漢字を追加するものとする。」などの答申を受け,法務省は,同年4月1日,規則別表に新たに118字を追加する改正を行った(平成2年法務省令第5号)。

このとき追加された漢字は,市区町村の戸籍事務窓口において取り扱った制限外の漢字の調査の結果(昭和50年7月及び昭和53年11月実施)から得られた字種のすべてを基礎資料とし,加えて,社会生活上多用されているとみられるJIS第1水準の漢字(その意義は後述する。)の字種にまで範囲を拡大してこれらの中から人名用漢字としてふさわしい漢字を選択することとし,同審議会の委員全員により2回にわたりアンケート調査を実施し,その結果を参考として最終的な審議を行った結果として選定されたものである。

イ その後,平成9年11月18日,那覇家庭裁判所において,人名用漢字以外の漢字である「琉」の字を用いた子の名の出生届を不受理処分としたことに対する不服申立事件について,同出生届を受理することを命じる旨の審判(家裁月報50巻3号46頁)がされたことを契機として,同年12月3日,民事行政審議会への諮問・答申等を経ることなく,規則60条の一部改正により,規則別表に「琉」の1字が追加された(平成9年法務省令第73号)。

ウ 次に,平成15年12月25日に最高裁判所によってされた前記平成15年決定(この決定は,子の名に人名用漢字以外の漢字である「曽」の字を用いた出生届の追完届の提出について,戸籍事務管掌者が不受理処分をしたことに対する不服申立事件に関するもので,前記の一般的判示の下で,規則60条は,社会通念上明らかに常用平易な文字である「曽」を人名用漢字として定めていない点につき,その限りにおいて戸籍法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法,無効であるとし,上記追完届の受理を命じた原審の判断を是認したものである。)を契機として,法務省は,平成16年2月23日,規則別表に「曽」を追加する改正を行った(平成16年法務省令第7号)。

エ 更に,人名用漢字以外の漢字を子の名に用いた出生届の不受理処分に対する不服申立事件について,横浜家庭裁判所等において,社会通念上明らかに常用平易な文字である旨の判断が示された「獅」,「駕」,「毘」及び「瀧」の各字について,法務省は,同年6月7日に「獅」の字を,同年7月12日に「駕」,「毘」及び「瀧」の各字を,それぞれ規則別表に迫加する改正を行った(同年法務省令第42号,同第49号)。

(7)  JIS漢字コード

ア JIS漢字コード(「情報交換用符号化漢字集合」)とは,コンピューター等による情報交換において扱われる文字の種類(文字集合)と,各文字をデータとして処理する際の符号化表現について,財団法人日本規格協会が日本工業規格(いわゆるJIS規格。日本工業標準調査会により審議・制定され,経済産業省(旧・通商産業省)により認定されている。)の一つとして規定しているものである。

イ 日本で最初に規定された公的な符号化文字集合の規格であるJIS X 0208は,俗に「JIS第1・第2水準漢字」などとも呼称されるもので,昭和53年に制定された。

(ア) その第一次規格(JIS C 6226―1978。正式名称「情報交換用漢字符号系」。「旧JIS漢字」と俗称されることもある。)は,非漢字453字,第1水準漢字2965字,第2水準漢字3384字の合計6802字の文字集合であった。

漢字が第1水準,第2水準という二つの水準に振り分けられたのは,規格制定当時,コンピューターが普及・発達しておらず,規定された漢字を全て登載することが難しかったため,より使用頻度の高い漢字を第1水準に収める形を採用したためである。

すなわち,JIS第1水準漢字は,一般国語文表記用として,合計37の漢字表に採用されている漢字(計1万2136文字)の中から。概ね,「① 37の漢字表のうち28表以上に採用されているもの(約2000字)を採用する,② 37の漢字表に含まれている漢字数について,地名・人名に関するもの(国土行政区画総覧,日本生命人名漢字表)(A群)は,その他一般に関する漢字表(B群)と大きく異なる特徴を示したことから,漢字表を上記2群に分け,それぞれの漢字を出現頻度等を基に並べ,上位728字を取り出す,③ A群及びB群に共通する字(494字),A群のみに含まれる字(234字)及びB群のみに含まれる字(234字)を採用する。」という手順で選定されたものであり,常用漢字は全てこの中に含まれる。

また,同第2水準漢字には,地名・人名,行政情報処理及び国語専門分野といった個別分野用として,主要4漢字表(情報処理学会標準漢字コード表,行政管理庁基本漢字,国土行政区画総覧,日本生命人名漢字表)のいずれかに現れ,第1水準漢字集合に収められなかった漢字のすべてが収められた。

(イ) その後,昭和58年の第二次規格(JIS X 0208―1983。改正当時の名称はJIS C 6226―1983だが,後にJISの情報処理部門の新設に伴い,規格番号が「JIS C 6226」から「JIS X 0208」へと変更され,以降,「JIS X 0208―改訂年度」の形式で呼ばれることになった。「新JIS漢字」と俗称されることもある。),平成2年の第三次規格(JIS X 0208―1990。正式名称は「情報交換用漢字符号」。「人名用漢字別表」の改正に伴い,第2水準漢字に2字を追加し,登録字数が6879字と変更。)への改正を経て,平成9年に現行の第四次規格(JIS X 0208:1997。正式名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合」。非漢字524字,第1水準漢字2965字,第2水準漢字3390字の計6879字)への改正がされた。

ウ 更に,平成12年には,JIS X 0208:1997で規定する符号化漢字集合を拡張する規格として,JIS X 0213(JIS X 0213:2000。規格名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合」)が制定された。

JIS X 0213では,現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として,一般に使われる漢字等でJIS X 0208に収録されていないものを出現範囲の広さなどを基準に選定・追加し,非漢字659字のほか,第3水準漢字として,JIS X 0208―1983で字体が大きく変更された29字及び常用漢字表において括弧に入れて掲げられた字や人名用漢字許容字体を含む1249字,第4水準漢字として2436字が追加され,合計1万1233字,第1水準から第4水準までの総漢字数は1万0040字となった。

(8)  平成16年9月の規則改正

ア 法制審議会における審議及び答申

(ア) 審議に至る経緯

平成2年3月に118字を追加する改正が行われて以来,人名用漢字について大幅な改正はされていなかったが,以来,相当期間が経過し,その間に人名用漢字の範囲拡大についての要望が多数寄せられ,また,平成15年12月25日に最高裁判所の前記決定(平成15年決定)が出されたことなどの情勢の変化等に鑑み,平成16年2月10日,法務大臣は,法制審議会に対し,人名用漢字の範囲の見直し(拡大)について諮問を行い,同年3月から同審議会内に設置された人名用漢字部会において審議が行われた。

(イ) 審議の内容

a 戸籍法50条1項が採用している人名用漢字についての制限方式は,前記の平成2年改正の際の議論において,① 子に複雑かつ難解な名が付けられると社会生活において本人や関係者に不便や支障を生じさせることとなる,② 現行戸籍法施行から相当年数が経過し,人名用漢字の制限方式もかなり定着しており,これを覆すとかえって混乱が生じる,③ 子の利益のために,また,日常の社会生活上の支障を生じさせないために,他人に誤りなく容易に読み書きができ,広く社会に通用する名が用いられることが必要である等の理由で制限方式をとることとされたが,これを改めるほどの社会情勢の変化はない,④ 制限方式を撤廃すれば,戦後行われた日本語平易化の目標を崩すことにもなりかねない,⑤ 戸籍事務取扱い上も,制限を撤廃した場合,出生の届書に複雑かつ難解な漢字による名が記載されると,究極的には検索の容易でない康熙字典に依拠せざるを得なくなって審査が困難になる上,手書きによらなければならなくなるため,事務の能率化・機械化に支障を来し,更には誤った字を記載する危険性があって,誤字の発生原因となる,⑥ 現在,子の名に用いる文字については,字種のみならず字体も制限しているが,これを撤廃した場合,一字種に何字体もの漢字が用いられ,社会生活上も戸籍事務取扱い上も混乱を生じさせるおそれがある,⑦ 制限方式を撤廃した場合,今後戸籍事務の処理をコンピューター化するに当たっての障害となることも予想される上,現に稼働している住民基本台帳のコンピューター処理に支障を来すことにもなりかねない等の諸点が指摘されていたところ,これらの点については,現時点でも変化はないとの認識から,子の名には常用平易な文字を用いなければならないとする人名用漢字に関する制限方式(戸籍法50条1項)は維持すべきものとされた。

b 字種の選定について

(a) 検討すべき対象漢字

法50条1項の規定上「人名にふさわしい」という要件は,特段求められておらず,また,前記平成15年決定においても,「社会通念上明らかに常用平易と認められるか否か」の点に着目して判断されているとの理解の下に,国民の要望等を基に「人名にふさわしいか否か」という点に重きが置かれていたこれまでの人名用漢字追加の議論とは異なり,今回は,戸籍法の規定にできるだけ忠実に「常用平易」な漢字を選定する方向で審議をするとの基本方針で,検討すべき対象漢字の大枠として,まずは,JIS第1冰準及び第2水準の漢字(全6355字)のうち,常用漢字表,人名用漢字別表及び同許容字体表に掲げる漢字を除いたもの(JIS第1水準の漢字2965字のうち770字,JIS第2水準の漢字3390字)を対象として,出版物上の出現頻度と,全国の市区町村の窓口等に寄せられた人名として具体的に使用したい旨の要望数を集計した。

検討の対象漢字を基本的にJIS第1水準及び第2水準の漢字としたのは,JIS漢字は,コンピューター等における情報交換に用いる文字の符号化を規定したもので,昭和53年の制定当時から存在する第1水準及び第2水準の漢字は,社会一般において尊重され,幅広く用いられているものであること,及び,今後も,JIS漢字は,情報通信手段において,より一層その重要性・汎用性を増すものと考えられることによるものであった。

そして,JIS第1水準及び第2水準の漢字の上記の選定方法に鑑みて,第1水準漢字については,原則として常用平易性が認められるであろうという観点から検討を行い,第2水準の漢字については,常用平易性を個別に検討し,常用平易性の認められるものについてのみ人名用漢字に追加するのが相当であるとされた。

他方,JIS第3水準及び第4水準の漢字は,大半のコンピューターに登載されているとは言い難いものであったため,原則として検討対象とされなかった。

(b) 「常用平易な」漢字の選定作業

上記の基本方針のもとにおける「常用平易」な漢字の選定に当たっては,凸版印刷・読売新聞による「漢字出規頻度数調査(2)」(平成12年,文化庁。調査対象漢字総数は,凸版印刷3330万1934字,読売新聞2531万0226字。以下「頻度数調査(2)」という。)の結果を活用することとされた。これは,同調査のうち凸版印刷で扱った書籍を対象としたものは,同種の調査の中でも最大規模のものであったから,人名用漢字の審議においても,この調査結果を活用することが最も合理的であると判断されたためである。

そこで,現在,人名用漢字に含まれていないJIS第1水準の漢字計770字から,上記調査に現れた出版物上の出現頻度に基づき,出現順位3012位以上(調査対象書籍385誌における出現回数が200回以上)の漢字503字を選定し,それ以外のJIS第1水準の漢字及び第2水準以下の漢字については,上記出現頻度や要望の有無・程度(平成2年から平成15年1月までに全国の各市区町村窓口に届出(その後,不受理又は撤回)・相談された要望漢字について,管轄法務局を一単位とした合計法務局数)等を総合的に考慮して,① JIS第1水準の漢字のうち,出現順位3013位以下(出現回数199回以下)であっても,要望法務局数が6以上(50局の10分の1を超える要望数)の18字(桔,雫,漣,浬,埜,檎,椛,珊,豹,禾,湘,桧,侠,哩,祢,孜,樟,娃),② JIS第2水準の漢字のうち,出現順位3012位以上であって,要望法務局数が6以上の12字(煌,絆,遙,橙,萬,曖,刹,檜,已,凉,蕾,徠),③ JIS第2水準の漢字のうち,出現順位3013位以下から4009位(出現回数50回)以上であって,要望法務局数が8以上の17字(苺,凛,琥,珀,萠,稟,凰,禮,櫂,實,麒,釉,榮,槇,珈,堯,圓),④ JIS第2水準の漢字のうち,出現順位4010位以下であって,要望法務局数が11以上の字のうち,出現回数が付されていなかった1字を除く8字(惺,昊,逞,梛,羚,晄,驍,俐),⑤ JIS第3水準の漢字のうち,出現順位3012位以上であり,その異体字がJIS第1水準に掲げられている20字の合計75字が選定された(以上合計578字となる。)。

なお,「穹」(本件文字)は,JIS第2水準,要望法務局数3,頻度数調査(2)における出現順位は4191位(出現回数38回)とされている。

(c) パブリック・コメント手続の実施

以上の方針に基づいて選定された漢字合計578字について,平成16年6月11日から同年7月9日までの間,法務省のホームページ上で国民からの意見を募集した(「人名用漢字の範囲の見直し(拡大)に関する意見募集」法制審議会人名用漢字部会において取りまとめられた見直し案について,いわゆるパブリック・コメント)。

これに対して寄せられた意見数は,1308件であり,そのうち,1058件(全体の約81%)は人名用漢字の範囲の拡大に賛成であったが,729件(全体の約56%)が「人名にふさわしくない漢字は削除すべきである」との意見であった。

前記のとおり,見直し案に掲げた漢字の選定に当たっては,漢字の意味が人名にふさわしいものかどうかを考慮すべきか否かについては考慮せず,パブリック・コメント手続による国民の意見も参考にした上で改めて検討すべきであるとされていた経緯があったため,人名用漢字部会において,改めて人名にふさわしくないとされる漢字の取扱いについて審議した結果,「人名は個人のものであると同時に社会性を有するものであるから,人名に使用することが社会通念上明らかに不適当と認められる漢字を人名用漢字とするべきではない」という方針が了承され,上記パブリック・コメントの結果も勘案しつつ再検討された結果,委員の多数が「名に用いることが社会通念上明らかに不適当である」と判断した88字が削除された。

また,寄せられた意見のうち,人名用漢字として採用すべきとの意見が27件と特に多かった「掬」については,JIS第1水準であり,前記頻度数調査(2)における出現頻度も比較的高かった(3160位)ことから,追加すべき字種に選定された。

なお,上記見直し案に掲げられていた「駕」「毘」及び「瀧」の3字については,人名用漢字部会での審議の間に,前記のとおり,家庭裁判所において「社会通念上明らかに常用平易である」旨の判断が示されたこともあり,同年7月に,本作業に先行して規則別表に追加された。

(ウ) 答申

以上のような人名用漢字部会における審議を得て,平成16年9月8日,法制審議会総会において,要旨,① 子の名には常用平易な文字を用いなければならないとする人名用漢字に関する制限方式(法50条1項)は維持する,② 「常用平易」な漢字については,JlS漢字(JlS X 0213)から,基本的に頻度数調査(2)に現れた出版物上の出現頻度に基づき,要望の有無・程度なども総合的に考慮して選定し,なお,名の社会性にかんがみ,名に用いることが社会通念上明らかに不適当と認められる漢字は除外する,③ 字体の選定については,基本的に,「表外漢字字体表」に掲げられた字体を選定し,一字種一字体の原則は維持するが,例外的に一字種について二字体を認めることを排斥するものではない,④ 結論として,488字を人名用漢字に追加するのが相当である旨の意見案が報告了承され,同日,法制審議会の意見として法務大臣に答申された。

イ 規則別表の全面改正

上記答申を受けて,法務省は,平成16年9月27日,規則を改正し(平成16年法務省令第66号),従来の規則別表及び附則別表に替え,従来の人名用漢字290字に上記488字及び許容字体205字を加えた合計983字を掲げた「漢字の表」として,これを規則60条2号にいう規則別表第二とした。

なお,この「漢字の表」は「一」(新たに選定された常用漢字の異体字以外の漢字475字,「瀧」を除く従来の人名用漢字289字及び人名用漢字に関する許容字体10字の合計774字)と「二」(常用漢字の異体字209字)に区分されている。

(9)  戸籍統一文字

平成6年法律第67号による戸籍法の改正により,戸籍事務を電子情報処理組識によって取り扱うことができるようになったところ,JIS第1水準及び第2水準に規定されている約6400文字以外の漢字について,届出等の情報をオンラインにより市区町村間で送受信等する場合のいわゆる文字化け現象を防止するため,戸籍に使用することができる文字のすべてをコンピューター画面に表示し,かつ,オンライン通信において正しく送受信できる仕組みを整備したものが,戸籍統一文字である。漢字に関しては,約5万字の正字のほか,俗字等も含めて合計約5万6000字が登録されており,本件文字も登録されている(284550)。

(10)  本件文字の字義等

「穹」の字義は,「そら(大地を覆う大空)」,「中央が高く周辺が垂れ下がっている形」,「大きい」,「高い」,「深い」等である。

「file_2.jpg」は「穴」(あな)が冠になったときの形(あなかんむり)であり,常用漢字中に「あなかんむり」を構成要素とする字は,「究」,「空」,「突」,「窃」,「窓」,「窮」,「窒」,「窯」の8字が含まれ,漢字の表「一」には「穿」,「窄」「窟」,「窪」が掲げられている。

「弓」は,ゆみの意味であり,偏(へん)ないし音符,意符として用いられることも多く,これを構成部分とする字として,常用漢字には,「引」,「弦」,「弧」,「弱」,「強」,「張」,「弾」,「湾」などがあり,また,漢字の表「一」には,「弘」,「弛」,「弥」,「彌」が掲げられている。

4  常用平易性についての考え方

(1)  法50条1項が,子の名前に用いることのできる文字を常用平易な文字に限定した目的は,前記の平成15年決定が説くとおり,従来,子の名に用いられる漢字には極めて複雑かつ難解なものが多く,そのため命名された本人や関係者に,社会生活上,多大な不便や支障を生じさせたことから,子の名に用いられるべき文字を常用平易な文字に制限し,これを簡明にすることにあるのであり,平成16年の規則改正も,同様の理解を前提として行われたものであることは既に認定したところである。

(2)  「常用平易」の字義自体は,文字通り平易である。しかし,「常用平易な文字」であるか否かは,平成15年決定が指摘するとおり,社会通念に基づいて判断されるべきものであるところ,その範囲は,必ずしも一義的に明らかではなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情により変わり得るものであり,専門的な見地からの検討と事情の変化に適切に対応する必要があることから,その範囲の確定を法務省令に委ねたのである。しかしながら,そのような場合であっても,規則60条の規定が法による委任の趣旨を逸脱しているか否かについて裁判所の審査が及ぶものである以上,その「社会通念に基づく常用平易性」を判断するに当たっては,前記の立法趣旨に立ち返って検討する必要があるというべきである。

すなわち,その検討に当たっては,当該文字を用いた名前が付けられることにより,社会生活において,命名された本人や関係者に不便や支障が生じるか否かの観点,より具体的には,子の名に複雑・難解な,あるいは日常目にすることが比較的稀な漢字を用いたために,本人や関係者が,当該名を記載したり,読解したりすることにおいて,あるいは,口頭で当該名を他者に説明する際,いかなる文字を用いているかを伝達することに困難を感じたり,誤解を生じたり,また,類似する文字と紛らわしく,誤記・誤読につながる等の弊害が生じる可能性ないし蓋然性がどの程度あるか,という観点が考究されるべきものと解するのが相当である。

また,規則の平成16年改正時の審議過程においても確認されているとおり,情報通信手段(近時における携帯電話の著しい普及状況は,当裁判所に顕著な事実というべきである。)やコンピューターの普及等により,多数の人が複雑多岐な交渉手段を有するようになった現代社会においては,難解な文字を用いた名は,例えば機械的,電子的な文書の処理や通信等の支障となり,公私の事務処理の能率を低下させるという弊害を生じさせるという観点も軽視することはできない。

(3)  前記の人名用漢字部会における選定過程は,社会一般において幅広く用いられているJIS規格における位置付けのほか,刊行物における出現頻度について同種の調査の中で最大規模である前記頻度数調査(2)の調査統計資料を用いて一応の基準を設け,更に,各法務局からの要望数を考慮し,また,パブリック・コメント等の手続を経て,一定の漢字を追加し,一部の漢字については,人名としての適切性の観点からの個別の議論も経た上で,最終的な選定に至ったものである。そして,このような方法は,極めて多数の漢字を,当時利用可能な資料に基づいて,包括的かつ能率的に審査する方法としては,前記立法趣旨に照らして相応の合理性があるものと評価すべきであるから,その検討結果も尊重されるべきことは当然である。

しかしながら,他方,前記のような方法で,上記のような個々の文字の利用による具体的な弊害の有無を判断することには,その方法が主として,刊行物という印刷媒体に依拠したものであること,あるいは希望法務局数を重視したものであることから来る一定の限界があることは否定できないのであって,そうであるとすれば,その選定に係る漢字が人名用漢字として網羅的に抽出されたものであるとか,その選定に漏れた漢字について,直ちに,人名として不適切な程度に常用平易性を欠いているという積極的な専門的判断がされたと評価することは相当でないものというべきである。

(4)  このようにみてくると,裁判所が一定の具体的な漢字が社会通念上常用平易であるか否かを判断する場合,前記の人名用漢字部会における選定過程の判断は尊重されるべきものではあるけれども,手続上提出された資料,公知の事実等に照らして,上記の観点から検討した場合において,当核漢字を子の名として使用したとしても,戸籍法が防止しようとする前記のような弊害が生ずることが想定されないと認められる例外的な場合には,前記の立法趣旨に照らして,当該漢字の使用を制限すべき根拠を欠くことになるから,当該漢字は,社会通念上常用平易であることが明らかな漢字と評価されるべきであり,たとえ,一定の刊行物の範囲内で当該漢字の出現数が予め設定された基準より少なく,また,法務局からの要望数等が所定の数値に達しなかったからといって,当該文字が常用平易性を欠き,人名として使用することができないものとすることは,法の趣旨に照らして,著しく合理性を欠くものというべきである。

したがって,その場合における規則60条2号は,当該文字を登載していないという限りにおいて,法50条2項の委任の趣旨を逸脱するものとして,違法,無効と評価するのが相当というべきであり,裁判所は,戸籍事務管掌者に対し,当該出生届等の受理を命じるのが相当である。

(5)  抗告人は,戸籍事務の混乱を防ぐ必要を指摘し,平成16年の規則改正により常用平易な漢字は網羅されたことを考慮すれば,個別的な審査で常用平易な文字と認めることは極力避けるべきであると主張するが,その前提には疑問があるのみならず,戸籍窓口において,前記のような選定過程を経た漢字を統一的な基準として事務処理を行う必要があるということと,漢字の表に登載されていない個々の漢字につき,上記のような観点から,裁判手続において個別的にその使用の可否を判断することとは,格別矛盾抵触するものではない。平成16年の規則改正以前においても,規則所定以外の漢字を使用した届出を受理するか否かが問題となったために戸籍事務が大きく渋滞したり,過去の審判例で,規則所定以外の文字を常用平易と判断したことによって,戸籍窓口に特に大きな混乱が生じる事態に至ったと認めるべき資料は見当たらない。

5  本件文字の常用平易性についての検討

(1)  本件文字「穹」は,前記の人名用漢字部会における選定過程においても,出現頻度及び要望法務局数がいずれも基準値を下回ったことから,選定の対象とされなかったものであって,本件文字の常用平易性ないし使用による弊害の有無等について,選定過程で個別・具体的に検討された形跡はなく,また,前記の経緯に照らすと,同部会において,本件文字が常用平易性を欠いていると個別的・積極的な判断がされたものと評価すべきものとはいえない。

(2)  次に,本件文字を子の名前として使用した場合,前記立法趣旨に照らして弊害が生じる余地があるか否かという観点から検討する。

ア まず,本件文字の構造は,総画数も8画と少なく,その構成要素も「穴」(あな・あなかんむり)に「弓」(ゆみ)と,いずれも単純かつ一般的なもので,同じ構成要素からなる漢字も少なくない。

更に,その字義は上記のとおりであり,「蒼穹」,「天穹」など,比較的使用されることの多い熟語(絵画,彫刻等の芸術作品の表題や文学作品等にしばしば見受けられる。)の形で用いられることも多い。

これらのことなどを考慮すれば,本件文字について,複雑ないし難解である,あるいは日常目にする機会に乏しく,字義等が知られていないなどの観点から弊害が生じることは,想定することが困難というべきである。

イ 次に,本件文字は,JIS第2水準の文字である。

平成16年の規則改正の際にも,JIS第1水準及び第2水準の文字は,社会一般において尊重され,幅広く用いられているものであることとの一般的認識があったものであり,また,大半のコンピューターに登載されているところから,情報通信手段において,より一層,その重要性・汎用性が増すことが期待できるものであって,社会生活を送るに当たってのコンピューター等の画面上の表記や国民の多数が所持している携帯電話等を利用したメール機能による送信等にも全く不都合はない。

戸籍事務処理の観点からみても,本件文字は,戸籍統一文字にも登録されているから,今後,子の名にこれが用いられても,審査の困難化や誤字の記載といった危険性はなく,戸籍事務のコンピューター化に支障を来すことは,およそ考えられない。

ウ また,子の名に用いられる漢字を,常用平易な文字に制限した前記の趣旨からみて,当該漢字による命名を受けた子ないし関係者が社会生活を営むに当たり,不便を感じる可能性の程度も,当該漢字の常用平易性を判断するに際しての要素となり得る。

人名は,比較的年少の段階から手書きで記載する機会が多いものであるから,文字の画数やその構造の明確さ,部首の汎用性等を含めた平易さが相対的に重視されて然るべきであるし,他者に対する脱明伝達の容易さもその一要素としてよい。

この点から本件文字をみると,その構造が単純で明確であることは前記のとおりであって,その筆記にも格別困難が伴うものでもなく,その説明及び他者による理解も極めて容易な部類に属する(あなかんむりにゆみ)ことは明らかというべきである。

(3)  以上のような諸事情を総合考慮すると,本件文字「穹」を子の名前に使用したとしても,戸籍法50条1項が防止しようとする弊害を生じる事態を想定することは困灘というほかなく,したがって,本件文字は,本件に顕れた資料等に照らし,社会通念上明らかに常用平易な文字に該当すると認めるのが相当というべきである。

6  上記のとおり,本件文字「穹」は,社会通念上明らかに常用平易な文字であると認められるところ,規則60条はこれを常用平易な文字として定めていないのであるから,同条は,その限度で戸籍法50条1項,2項の委任の趣旨に明らかに反するものとして違法となるといわざるを得ない。

そうすると,戸籍事務管掌者である抗告人は,「穹」の字が規則60条に定める文字ではないことを理由として,「穹」の字を用いて子の名を記載した本件出生届を不受理とすることはできず,その他,本件においては,命名権の濫用等本件出生届の不受理を相当とすべき事情があるとも認められないから,本件不受理処分は,違法であって,原申立ては理由があるものというべきである。

以上と異なる抗告理由は,上記説示に照らして,いずれも採用することができない。

7  以上の次第で,原申立てを理由があるものとして,抗告人に対し,本件出生届の受理を命じた原審判は正当であり,本件抗告は理由がないから,棄却することとして,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 田中壯太 裁判官 松本久 裁判官 久保井恵子)

(別紙)

抗告の理由

抗告人は,本書面において,抗告理由を明らかにする。

1 事案の概要及び即時抗告申立ての理由の骨子

(1) 事案の概要

本事案の概要は,次のとおりである。

ア 平成18年○月○日,原審申立人とその妻との間に長男が出生した。

イ 同年×月×日,原審申立人は,上記長男の出生届書(以下「本件出生届書」という。)を抗告人に提出した。

抗告人(担当職員)は,本件出生届書中「子の氏名」欄の名「○穹」に使用した「穹」の文字(以下「本件文字」ということがある。)が戸籍法(以下「法」ということがある。)50条2項及び同法施行規則(以下「施行規則」という。)60条に定める文字(以下「制限文字」という。)以外の文字であったことから,その場で,同文字を使用した本件出生届書は受理できない旨説明し,本件文字とは別の漢字にするよう求めたが,原審申立人がこれに応じないため,抗告人は,同日付けで本件出生届書を不受理処分(以下「本件不受理処分」という。)とし,これを返却した。

ウ 同月×日,原審申立人は,本件不受理処分について,不受理証明書の交付を求めたため,抗告人は,同日付け不受理証明書を発行したが,その際,出生届書を提出しないことによる不利益を避けるために名未定のままで出生届書を提出できる旨を相手方に説明した。

そうしたところ,同月×日,原審申立人は,本件出生届書のうち,「子の氏名」欄の名の「○穹」及び(よみかた)欄の「○○」を抹消し,そこに「命名前」と書き加え,「その他」欄に「子の名「名未定」」等と記載したものを抗告人に提出したため,抗告人はこれを受理した(<証拠略>)。

エ 同年×月×日,原審申立人は,大阪家庭裁判所に対し,本件不受理処分に対する不服申立てを行った。

オ 大阪家庭裁判所は,平成19年4月10日,抗告人に本件出生届書の受理を命ずる旨の審判(原審判)をし,同月12日,同審判が送達された。

(2) 原審判の要旨

原審判は,最高裁判所平成15年12月25日第三小法廷決定(民集57巻11号2562ページ。以下「最高裁平成15年決定」という。)を前提に,「穹」が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるか否かを検討し,①「穹」という字の画数が8画と比較的少ないこと,②字自体も,平成16年法務省令第66号によって改正された施行規則別表第二(以下「別表第二」という。)に列挙されている他の文字と比較して平易であること,③「穹」は戸籍統一文字に登録されており,このことは本件文字が戸籍に記載可能なことを前提としており,戸籍の他に住民票等の公的な書類の作成にも不都合はないといえること,④「穹」の意味が,「きまわる。大きい。高い。深い。そら」などであって,人名に使用することが朋らかに不適当と認められる漢字には当たらないことを理由に,「穹」の字が社会通念上明らかに常用平易な文字であると認定し,施行規則60条がこれを常用平易な文字として定めていないことから,同条はその限度で法50条1項,2項の趣旨に明らかに反して違法となるとの判断を示した。

(3) 本件即時抗告申立ての理由の骨子

しかしながら,戸籍制度における全国統一的な事務処理の必要性,戸籍法50条の趣旨,これまでの「常用平易な文字の範囲」の改訂経緯等に照らせば,制限文字以外の文字を用いた届出がされるたびに,その都度,当該文字が「常用平易な文字」かどうかの判断を戸籍事務管掌者にさせることとなるような解釈は妥当ではなく,施行規則60条により限定列挙されている「常用平易な文字」以外の漢字が「常用平易な文字」に当たる場合があるとしても,それは極めて例外的な場合に限定されるべきである。その意味で,最高裁平成15年決定がいう「当該文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるとき」の「明らかに」という要件は,何人にとっても判断に迷うことなく「常用平易な文字」に該当することが明らかなような場合に限定されるべきであるところ,本件文字は,原審判が指摘した諸事情を考慮しても,「社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるとき」に当たるとまではいえないから,原審判は,法50条1項,2項の解釈を誤った違法なものである。

2 戸籍事務における全国統一的な事務処理確保の重要性

戸籍制度は,国民の親族身分関係を公証するものであるから,全国統一的な事務処理の確保が特に必要であり,戸籍に関する事務は,市町村長が管掌する(法1条1項)ものの,法務大臣は,市町村長が戸籍事務を処理するに当たりよるべき基準を定めることができ(法3条1項),市役所又は町村役場の所在地を管轄する法務局又は地方法務局の長は,戸籍事務の処理に関し必要があると認めるときは,市町村長に対し,報告を求め,又は助言若しくは勧告をすることができ(法3条2項前段),戸籍事務の処理の適正を確保するため特に必要があると認めるときは,指示をすることができる(同項後段)とされている。

したがって,戸籍に関する事務の処理に当たり,管掌者である市町村長ごとに判断が区々になるような事態は避けなければならない。

3 戸籍法50条の趣旨及び最高裁平成15年決定の内容

(1) 戸籍法50条の規定

戸籍法は,50条1項において,「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」,同条2項において,「常用平易な文字の範囲は,法務省令でこれを定める。」とそれぞれ規定し,同条2項による委任を受けた施行規則60条は,法50条2項の常用平易な文字は,①常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては,括弧の外のものに限る。),②別表第二に掲げる漢字,③片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)とすると規定している。

(2) 戸籍法50条の趣旨

現行戸籍法の施行前には,名に使用する文字には法律上の制限がなかったため,子の名づけに用いられた漢字の中には極めて難読難解なものが少なからずあり,そのため社会生活上において自他の被る不便不利益は測り知れないものがあった。そこで,昭和21年に漢字制限の問題が公式に取り上げられ,当用漢字表の制定(昭和21年11月16日内閣告示第32号)などがあったことから,同法はその趣旨に従って,出生届に記載されるべき子の名の文字を制限して簡明にすることを図り,法50条を設けたものである(<証拠略>)。

戸籍法50条2項は,常用平易な文字の範囲を法務省令で定める旨規定するが,これは,当該文字が常用平易であるか否かは社会通念に基づいて判断されるべきものであるが,その範囲は必ずしも一義的に明らかではなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情によっても変わり得るものであり,専門的な観点からの検討を必要とする上,上記の事情の変化に適切に対応する必要があることなどから,その範囲の確定を法務省令にゆだねたものである(最高裁平成15年決定も同旨)。

この法の委任を受けて,施行規則60条は,上記(1)のとおり,一定の範囲に属する文字をもって常用平易な文字とする手法を採用しているが,これは,形式的審査権しか有しない戸籍官吏が,届出書に記載されている個々の文字について,それが常用平易な文字であるか否かの実質的な判断をすることが相当でないからである。仮に,届出があった都度,戸籍官吏にそのような実質的な判断を求めるとすれば,日々大量に生じてくる届出事件が渋滞し,戸籍事務の円滑な処理を阻害することになるばかりでなく,全国統一的な処理を確保することが困難となることから,かかる手法が合理的なものであることは言うまでもない。

(3) 最高載平成15年決定について

最高裁平成15年決定は,戸籍法第50条の子の名に用いることができる文字について「社会通念上,常用平易であることが明らかな文字を子の名に用いることのできる文字として定めなかった場合には,法(引用者注:戸籍法のこと。)50条1項が許容していない文字使用の範囲の制限を加えたことになり,その限りにおいて,施行規則(引用者注:戸籍法施行規則のこと。)60条は,法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法,無効と解すべきである。」「上記の場合には,戸籍事務管掌者は,当該文字が施行規則60条に定める文字以外の文字であることを理由として当該文字を用いて子の名を記載した出生届を受理しないことは許されないというべきである。」「家庭裁判所及びその抗告裁判所は,審判,決定手続に提出された資料,公知の事実等に照らし,当該文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるときには,当該市町村長に対し,当該出生届の受理を命ずることができるというべきである。」と判示し,人名用漢字以外の漢字であっても,社会通念上明らかに常用平易な文字であれば,これを用いることを認める判断を示した。

この最高裁平成15年決定の当時は,後記4(3)で主張するとおり,平成2年に人名用漢字が大幅に増加されてからは,個別の追加しかなかったため,「社会通念上明らかに常用平易な文字が認められる」文字を使用した出生届書が提出された場合にその受理を認めるべき必要牲はあったのに対し,現段階では,平成16年に大幅な見直しがされて間がない以上,常用平易な漢字の範囲は基本的に施行規則60条に列挙されているものに限られると解すべきである。そして,今後,時代の推移や国民意識の変化等があり,施行規則60条に列拳された範囲外の漢字が「社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるとき」があるとしても,戸籍事務の円滑な処理や全国統一的な処理を確保する観点からは,そこにいう「明らかに」という要件は,何人にとっても判断に迷うことなく「常用平易な文字」に該当することが明らかなような場合に限定されるべきである。

4 「常用平易な文字の範囲」の改訂の経緯

現在,常用平易な文字として定められている文字の範囲は上記のとおりであるが,施行規則60条が定める「常用平易な文字」の範囲は,時代の推移や国民一般の要望を踏まえた上で,国語審議会,民事行政審議会又は法制審議会への諮問を通じて,学識経験者,実務家等の専門家の幅広い意見に基づいて定められてきたものであり,現在に至るまで,次のとおり数度にわたって改定されてきた。

(1) 昭和23年の現行戸籍法施行当初においては,当用漢字表(昭和21年内閣告示第32号)に掲げる漢字(1850字)並びに片仮名及び平仮名(変体仮名を除く。)をもって常用平易な文字とされた。これは,昭和21年に漢字制限が公に取り上げられ,当用漢字表が制定されたことから,その趣旨にのっとって定められたものである(<証拠略>)。

(2) その後,使用できる漢字の範囲の拡大を求める要望を受けて,国語審議会の建議により,昭和26年に「人名用漢字別表」(昭和26年内閣告示第1号)に掲げる漢字(92字)が,また,昭和51年に「人名用漢字追加表」(昭和51年内閣告示第1号)に掲げる漢字(28字)が人名用漢字に追加された(<証拠略>)。

(3) さらに,昭和56年には,国語審議会の建議により,当用漢字表が廃止されるとともに,これに代えて漢字使用の目安とする常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)が制定され,子の名に用いる漢字については,戸籍等の民事行政との結びつきが強いことから,法務省にその取扱いがゆだねられることになった。そこで,法務省では,この問題を学識経験者,実務家等で組織する民事行政審議会に諮問し,その答申を得た上で,常用漢字表に掲げる漢字(1945字)のほか,人名用のため特に認める漢字を施行規則の別表第二として定め,そこに掲げる漢字(166字)と,片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)をもって,常用平易な文字とした。なお,人名用漢字の字体については,同一の字種につき原則として一字体とする,いわゆる一字種一字体の原則が採られたが,従来から用いることができた字体であって,通用字体等と著しい差異があると整理された字体205字体(常用漢字表に関するもの195字体,別表第二に関するもの10字体)についても,人名用漢字許容字体として,当分の間用いることができるとされた(昭知56年法務省令第51号附則第2項,<証拠略>)。

これにより,現行法の規定の形式が整うこととなったが,その後,人名用漢字の増加を希望する国民一般の要望を受けて開催された民事行政審議会の答申に基づき,平成2年に,別表第二に118字が追加され,そこに掲げられている漢字は,全部で284文字となった。さらに,平成9年に「琉」の1字が,平成16年に「曽」,「獅」,「駕」,「毘」及び「瀧」の5字が追加された。その結果,施行規則別表第二に掲げられている漢字は全部で290字となった(<証拠略>)。

(4) このような,近年における人名用漢字に対する国民の価値観の多様化,制限外の文字に係る要望の増加,マスコミ報道等による人名用漢字の拡大についての国民の関心の高まり,最高裁平成15年決定が出たことなどの情勢の変化等にかんがみ,平成16年2月10日,法務大臣は,法制審議会に対し,「子の名に用いることができる漢字(人名用漢字)の範囲の見直し(拡大)についてご意見を承りたい。」旨の諮問を行った。

そこで,法制審議会は,その調査審議のために人名用漢字部会を設置し,人名用漢字の制限方式,字種の選定,字体の選定について審議した上,平成16年9月8日,法務大臣に対し,①子の名には常用平易な文字を用いなければならないとする人名用漢字に関する制限方式(戸籍法50条1項)は維持する,②「常用平易」な漢字の字種については,JIS漢字から,基本的に「漢字出現頻度数調査(2)」(平成12年文化庁作成)に現れた出版物上の出現頻度に基づき,要望の有無・程度なども総合的に考慮して選定する。なお,名の社会性にかんがみ,名に用いることが社会通念上明らかに不適当と認められる漢字は除外する,③字体については,基本的に表外漢字字体表(平成12年12月8日国語審議会答申)に掲げられた字体を選定する。一字種一字体の原則は維持するが,例外的に一字種について二字体を認めることを排斥するものではない,④結論として,別紙記載の488字を人名用漢字に追加するのが相当である旨の答申を行った(<証拠略>)。

(5) 字種の選定について

ア 上記(4)の答申に先立ち,人名用漢字部会においては,上記最高裁判所決定が「社会通念上明らかに常用平易と認められるか否か」の観点から判示していることを踏まえて,戸籍法の規定にできるだけ忠実に「常用平易」な漢字を選定する方向で審議することとされ,字種の選定に関しては,検討の対象漢字の大枠として,まずは,JIS漢字の第1水準及び第2水準の漢字のうち,常用漢字表に掲げる漢字,人名用漢字別表に掲げる漢字及び許容字体を除いたもの(JIS第1水準の漢字2965字のうち770字,JIS第2水準の漢字3390字のうち3236字)が挙げられた。

このように,検討の対象漢字を,基本的には,JIS第1水準及びJIS第2水準の漢字にしたのは,JIS漢字はコンピュータ等における情報交換に用いる文字の符号化を規定したもので,昭和53年に通商産業大臣(当時)が制定した規格であり,近年,第3水準及び第4水準と拡張がされているが,制定当時からあるJIS第1水準及びJIS第2水準の漢字は,社会一般において尊重され,幅広く用いられているものであること,我が国において,e-Japan重点計画の下,世界最高水準の高度情報通信ネットワーク社会が形成されることにかんがみると,今後,JIS漢字は,情報通信手段において,より一層その重要性・汎用性を増すものと考えられることによるものである。

また,JIS第1水準の漢字は,一般日本語表記用漢字として「①一般の漢字表にあるもの,②地名人名の漢字表にあるもの,③内閣告示等に根拠をもつもの(常用漢字,人名用漢字別表等),④専門家の手による若干の調整」により選定されたものであるのに対し,JIS第2水準の漢字は,個別分野用漢字として「主要4漢字表(情報処理学会標準漢字コード表,行政管理庁基本漢字,日本生命人名漢字表,国土行政区画総覧)のいずれかに現れ,第1水準漢字集合に含まれなかった漢字のすべて」により選定されたものであることから,人名用漢字部会においては,JIS第1水準の漢字については原則として常用平易性が認められるであろうという観点から検討を行い,JIS第2水準の漢字については,常用平易性を個別に検討し,常用平易性が認められるものについてのみ人名用漢字に追加するのが相当であるとされた。本件の「穹」はJIS第2水準の漢字である。

他方,JIS第3水準及び第4水準の漢字は,平成12年の規格改正において出現範囲の広さなどを基に選定されたものであるが,当時は,大半のコンピュータに搭載されているとはいい難いものであるため,人名用漢字部会では,原則として検討対象とはされなかった(<証拠略>)。

イ 「常用平易」な漢字の具体的な選定に当たっては,文部大臣(当時)の諮問機関である国語審議会から平成12年12月に「一般の社会生活において,常用漢字以外の漢字を使用する場合の『字体選択のよりどころ』となること」を目的として答申された「表外漢字字体表」の作成に際し主として使用された「漢字出現頻度数調査(2)」(文化庁作成)の結果を活用することとされた。

この調査は,当時,385の書籍に用いられた約3330万字の漢字を対象として行われ,我が国における同種の調査の中でも最大規模のものであることから,人名用漢字部会の審議においては,「常用平易」な漢字の選定に当たっては,この調査結果を活用することが最も合理的であると判断されたものである。

人名用漢字部会においては,まず,現在,人名用漢字に含まれていないJIS第1水準の漢字計770字から「漢字出現頻度数調査(2)」に現れた出版物上の出現頻度に基づき,出現順位3012位以上の漢字503字について「常用平易」と認めるのを相当と考え選定された。この出現順位3012位というのは,調査の対象書籍385誌における出現回数が200回以上のものであり,これは平均すると過半数の書籍に出現する漢字ということができる。また,約3330万字の活字のうち,出現順位3012位までの漢字の出現回数の累積度数は,同調査中の99.56パーセントを占めていた。

それ以外のJIS第1水準の漢字及びJIS第2水準以下の漢字については,上記出現頻度のほか,追加要望法務局(平成2年から平成15年1月までに全国の各市町村窓口に届出・相談された要望漢字について,管轄法務局を1単位とした合計法務局数(最大50))が6以上で常用平易性を認めるなど,実際の戸籍取扱窓口における追加要望の有無・程度などを総合的に考慮して,計75字を選定した(<証拠略>)。

本件で問題となっている「穹」は,JIS第2水準ではあるが,出現順位4191位,出現回数38回であり(<証拠略>),出現順位3012位以上を満たさず,追加要望法務局数も3であって(<証拠略>),いずれの基準も満たさなかったため,結局,上記578字には入らなかった。

(6) パブリック・コメント手続の実施

上記(4)の答申に先立ち,人名用漢字部会においては,専ら当該漢字が「常用平易」と認められるか否かの観点から選定を行い,漢字の意味が人名にふさわしいものであるかどうかについては考慮しないこととされたが,一部の委員から「人名にふさわしいかどうかも考慮して漢字を選定すべきである。」との意見も出されたため,パプリック・コメント手続による国民の意見も参考にした上で,改めて検討すべきであるということで最終的には意見が一致した。

そのため,上記(5)イの方針に基づいて選定した漢字合計578字について平成16年6月11日から同年7月9日までの間,法務省のホームページ上においてパブリック・コメント手続を実施した。

パブリック・コメントに寄せられた意見数は,全部で1308件であり,その内訳は,全体の約81パーセントの1058件が人名用漢字の範囲の見直し(拡大)に賛成であったが,全体の約56パーセントの729件が「人名にふさわしくない漢字は削除すべき」との意見であり,削除要望が10件以上あった字は117字に及び,削除要望が100件を超える字も9字あった。

人名用漢字部会は,パブリック・コメントの結果も勘案しつつ検討を行い,「名に用いることが社会通念上明らかに不適当である」と判断した88字を削除した(<証拠略>)。

(7) このような審議を経てなされた上記(4)の法制審議会の答申を受け,法務大臣は,平成16年9月27日施行規則別表第二を全面改正し(平成16年法務省令第66号。以下「平成16年改正」という。),従来の人名用漢字290字に法制審議会答申の488字及び許容字体205字を加えた合計983字を「漢字の表」(従来の「人名用漢字表」)に掲げる改正を行い,現在では,常用漢字1945字に上記の「漢字の表」の983字を加えた計2928文字の漢字の中から子の名に用いる文字を選択することができるようになっている。

このように,平成16年改正による「常用平易な文字」の具体的な範囲は,まさに常用平易か否かという観点にたって,時代の推移や国民一般の要望を踏まえた上で,固有名詞部会,国語審議会,民事行政審議会又は法制審議会における学識経験者,実務家等の専門家の幅広い意見と慎重な調査審議に基づいて定められたものである。

5 本件文字に常用平易性は認められないこと

(1) 上記4のとおり,平成16年改正においては,最高裁平成15年決定を踏まえ,常用平易性の有無という観点から,時代の推移や国民一般の要望を考慮し,かつ,学識経験者,実務家等の専門家の幅広い意見と慎重な調査審議に基づいて,常用平易な文字が網羅されてその具体的範囲が定められたのであり,逆にいえば,これに入らない文字については,常用平易な文字に当たらないとの判断が明確に示されたものである。そして,本件出生届出書が提出されたのは,平成16年改正から2年も経過していない平成18年8月1日であり,平成16年改正から本件出生届提出時あるいは現在までに,漢字の使用頻度や漢字を人名に用いることに関する国民一般の要望等が著しく変化したものとは到底考え難い。

したがって,平成2年に別表第二に119字が追加された以降,大幅な見直しのないまま10年以上経過していた最高裁平成15年決定当時と異なり,常用平易な文字の具体的範囲が示されてから間がない現段階では,常用漢字及び「漢字の表」に掲げられた漢字こそが常用平易な文字であり,平成16年以降において常用平易性に関する新たな特段の事情がない限り,規則60条に列挙されたもの以外の漢字については常用平易とは認められないと解すべきである。

(2) 本件文字についても,JIS第2水準の漢字であるため,平成16年改正において検討の対象とされたものの,上記4(5)イのとおり慎重な検討を行った結果,「漢字出現頻度数調査(2)」によれば,出現順位4191位,出現回数38回である(<証拠略>)から,常用平易性は低いというほかなく,また,追加要望法務局も3であった(<証拠略>)ため,常用平易性が認められなかったものである。

しかも,平成16年以降,本件文字について,常用平易性に変化があったことを示すような事情も見当たらない。

なお,最高裁平成15年決定は,「曽」の字が常用平易であると判断するに当たり,①平仮名の「そ」や片仮名の「ソ」がいずれも「曽」の字から生まれたこと,②「曽」の字を構成要素とする常用漢字が5字もあり,いずれも常用平易な文字として施行規則60条に定められていること,③「曽」の字を使う氏や地名が多く,国民に広く知られていることを指摘しているが,本件文字については,①平仮名,片仮名の字源とはなっているとの事情もなく,②本件文字を構成要素とする常用漢字及び人名用漢字もなく,③「日本の苗字七千傑」と題するホームページ上で,「穹」を含む苗字を検索しても該当がないなど,本件文字を使う氏が多いという事実は到底認められない上,国土地理院がホームページ上で提供している地図閲覧サービスで「穹」を含む地名を検索しても該当がない(<証拠略>)など,本件文字を使う地名が多いという事実も認められないから,最高裁平成15年決定が指摘したような事情を考慮しても,本件文字については,何ら常用平易性は認められない。

(3) したがって,本件文字について,常用平易性が認められないのは明らかである。

6 安易に常用平易性が認められた場合の悪影影

上記のとおり,範囲が一義的ではなく専門的な観点からの検討が必要な「常用平易性」について,平成16年段階で専門家の検討結果を踏まえて,その範囲が明示された以上,時代の推移,国民意識の変化等の事情がなければ,規則60条が尊重されるべきである。

逆にいえば,平成16年改正が行われたばかりであるにもかかわらず,安易に常用漢字表にも別表第二にもない漢字が「常用平易」と認められるような事態になれば,常用平易な漢字の範囲を画すべき常用漢字表や別表第二が有名無実になるに等しく,戸籍事務を管掌する者にとって,よりどころがなくなり,常用漢字表にも別表第二にもない漢字が子の名に使用された出生届書が提出されるたび,常用平易性の検討をしなければ受理不受理を決定することができないといった事態を招くおそれがある。

そのような事態が,全国統一的で,かつ,迅速適正な戸籍に関する事務の処理に多大な悪影響を及ぼし,全国の戸籍事務が混乱することは必至である。

7 原審判が指摘したような事実は常用平易性の根拠とはなり得ないこと

以下のとおり,原審判の指摘するような事実は,常用平易性の判断とは無関係か,常用平易性の根拠としては極めて薄弱である。

(1) 戸籍統一文字に登録されていることは常用平易性と無関係であること

原審判は,本件文字の常用平易性を認める理由として「戸籍統一文字に登録されていることは,戸籍に記載可能なことを前提としているものであり,戸籍の他に住民票等の公的な書類の作成にも不都合はないものといえる。」と判示する。

もともと,戸籍に記載されている氏又は名の漢字には,多くの誤字又は俗字が存在し,これらを解消するために,昭和25年12月25日付け法務府民事甲第3205号民事局長通達以降,誤字及び俗字の解消が図られたが,当初は本人の申出を待って訂正あるいは更正を行う取扱いであったことから,誤字・俗字の解消がはかどらず,誤字・俗字の取扱いに関する民事行政審議会からの答申や専門家等との協議を踏まえて発出された平成2年10月20日付け法務省民事局長通達(法務省民二第5200号民事局長通達)により,新戸籍の編製,他の戸籍への入籍又は再製等により従前の戸籍に記載されている氏又は名を移記したり,又は新たに戸籍へ記載する場合には,基本的に正字で記載するものとされた。

その後,平成6年法律第67号による戸籍法の改正により,戸籍事務をコンピュータを用いて取り扱うことができることとなり,同改正にともなって発出された同年11月16日付け法務省民事局長通達(法務省民二第7000号)により,一定の俗字等で記載することも許容されるようになった。

コンピュータシステムにおいて戸籍事務を処理するに当たり,当初は,シフトJIS(JIS第1水準及び第2水準)に規定されている約6400文字以外の漢字は,各戸籍情報システムごとに外字登緑を行っていたところ,今後,戸籍届出等の手続がオンラインで行われることになると,届出等の情報をオンラインにより市区町村間で送受信等する場合に,これまでの状況では外字についていわゆる文字化け現象が起きることから,戸籍に使用することができる文字のすべてをコンピュータ画面に表示し,かつ,オンライン通信における送信相手に正しく送信できる仕組みを整備したのが戸籍統一文字であり,漢字に関しては,約5万字の正字のほか,俗字等も含み,合計では約5万6000字が戸籍統一文字として登録されている。

このように,戸籍統一文字は,常用平易かどうかとは無関係に,正字はもちろん俗字まで登録されているものである。

したがって,戸籍統一文字として登録されていることは,何ら常用平易性を根拠づけるものではないし,公的な書類の作成に不都合はないという事実も,常用平易性とは無関係である。

仮に,戸籍に記載可能で公的な書類の作成に不都合がないという理由で常用平易性を認めるとすれば,およそ正字及び俗字であればどのような漢字も子の名に使用できるということになるのであって,そのような解釈が,子の名に使用できる文字を常用平易なものに限定する法50条1項の趣旨を全く無視する不当なものであることは明らかである。

(2) 「穹」の意味内容も常用平易性を認める根拠とならないこと

原審判は,「「穹」の意味は,「きわまる。大きい。高い。深い。そら」などであって,人名に使用することが明らかに不適当と認められる漢字には当たらない。」とする。

しかし,本来,漢字の意味内容が人名に使用することの適否と,常用平易性とは無関係である。

この点,確かに,上記4(6)のとおり,一部の委員から「人名にふさわしいかどうかも考慮して漢字を選定すべきである。」との意見も出されたため,パブリック・コメント手続を実施することになり,「人名にふさわしくない漢字は削除すべき」との意見や,具体的な削除要望を考慮して,「名に用いることが社会通念上明らかに不適当である」と判断された88字が削除された。

しかし,これは,出現頻度や要望の有無・程度によって,一応常用平易性が認められると考えられた漢字から,人名にふさわしくない漢字を除外したものであって,常用平易牲を認めるに当たって立てた基準を満たさない漢字について,意味内容を考慮して常用平易性を認めたものではない。

したがって,「人名に使用することが明らかに不適当と認められる漢字には当たらない」ことは,常用平易性を認める根拠にはならない。

(3) 画数等の事情はそれだけでは常用平易性を認める根拠とならないこと

ア 上記(1)及び(2)のとおり,本件文字が戸籍統一文字として登録されていることも,本件文字の意味内容も,常用平易性を認める根拠にはなり得ないものであるから,結局,原審判の理由中,常用平易性が認められるかという点で検討に値するのは,「「穹」という字は,画数も8画と比較的少ないうえ,字自体も改正規則別表に列挙されている他の文字(同表には相当複雑な文字も記載されている。)と比較しても平易である。」との判示だけである。

イ しかし,画数が「比較的」少ないというのは,何と比較しているのか不明確であるが,それはひとまずおくとしても,漢字字典等を見れば,本件文字と同じ8画の漢字には到底平易とはいえない漢字が多数含まれており(<証拠略>参照),画数のみで平易かどうかを判別することはできないのは当然である。

ウ また,原審判が「字自体も改正規則別表に列挙されている他の文字(同表には相当複雑な文字も記載されている。)と比較しても平易という場合の「字自体」の「平易」や「複雑」というのは,何をもって判断しているのか不朋である。

すなわち,上記判示の文脈からすれば,「字自体」の「平易」「複雑」というのは,画数とは別の判断と思料されるが,画数を離れた平易さをどのように判断するのか,原審判の判示からは何ら朋らかではない。

字形の平易さを判断するに当たっては,例えば,構成要素が簡易な文字であるかどうかで判断するという考え方が主張される場合もあるが,本件文字と同じ8画の漢字でその構成要素が簡易(この簡易かどうかという点も人によって判断が分かれ得るものであるが)と思われる文字をみても,例えば,「file_3.jpg43」「弩」などというように明らかに常用平易とは到底いえないものもある。

エ さらに,原審判は,平易性については根拠を挙げているものの,常用性については何ら言及しておらず,平易というだけで常用平易性を判断しているに等しいが,そのような解釈適用が50条の文言から乖離したものであることはいうまでもない。

オ 上記1(3)及び2(3)のとおり,最高裁平成15年決定がいう「当核文字が社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるとき」があるとしても,そこにいう「明らかに」という要件は,何人にとっても判断に迷うことなく「常用平易な文字」に該当することが明らかなような場合に限定されるべきである。

しかし,原審判のいう常用平易性の理由付けは,あまりに不明確かつ浅薄であって,本件文字が何人にとっても迷うことなく「平易」と判断されるものであるとは到底いえない。

カ そもそも,原審判も認めているとおり,戸籍法50条2項が常用平易な文字の範囲を法務省令で定める旨規定した趣旨は,社会通念に基づいて判断されるべき常用平易な文字の範囲は必ずしも一義的に明らかではなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情によっても変わり得るものであり,専門的な観点からの検討を必要とするからであるところ,そうだとすれば,常用平易性の判断は,時代の推移や国民意識の変化等まで踏まえたものでなければならないはずである。

しかるに,原審判は,時代の推移も,国民意識の変化も考慮に入れず,画数や字自体から平易というだけで,国民の声を踏まえた専門家による平成16年改正の結果を否定したものであって,何ら説得力がないのは朋らかである。

キ なお,原審判は,常用平易性の判断等について,「裁判所が,以上の点について審査して決定する権限を有することはいうまでもないところである。」と判示する。

なるほど,ある文字が常用平易かどうかや,施行規則の規定が違法かどうかについて,裁判所において審査することはできるが,そのことは,裁判所の独断でどのような判断でもできるということを意味するものではない。

判断のための知識や経験を有する専門家が合理的根拠に基づいて行った判断については,その判断の前提が誤っているとか,判断過程が不合理であるというような場合でない限り尊重されるべきは当然である。法50条2項が常用平易な文字の範囲を法務省令で定める旨規定した趣旨が,社会通念に基づいて判断されるべき常用平易な文字の範囲は必ずしも一義的に明らかではなく,時代の推移,国民意識の変化等の事情によっても変わり得るものであり,専門的な観点からの検討を必要とするからであるとの理解を前提とし,そのような観点から本件文字が常用平易でないとした専門家の意見を覆すのであれば,時代の推移,国民意識の変化等の事情を踏まえ,専門的な観点から検討した上で,説得的な理由付けがなされなければならない。

しかるに,原審判は,国民の漢字使用に関する客観的なデータに基づき,国民の意見を取り入れつつ時間をかけて専門家が出した結論を,何ら専門的な観点からの検討をしないまま,「「穹」という字は,画数も8画と比較的少ないうえ,字自体も改正規則別表に列拳されている他の文字(同表には相当複雑な文字も記載されている。)と比較しても平易である。」などという,極めてあいまいかつ浅薄な理由付けだけで否定したものであって,明らかに不当である。

ク 以上のとおり,原審判が常用平易性を認めるに当たって判示した内容は,到底常用平易性を認める根拠にはならないものである。

8 結論

以上のとおり,原審判が,本件文字について「社会通念上明らかに常用平易性な文字」であるとする理由として指摘する事情は,いずれも,常用平易性と無関係な事情か,既に平成16年改正時にも存在し,考慮済みの事情であって,平成16年改正における「常用平易な文字に当たらない。」との判断を覆して,本件文字が「明らかに」常用平易性であると認めるに足りる根拠とは到底なり得ないものである。

したがって,原審判は,法50条,施行規則60条の解釈適用を誤ったものであることは明らかである。

第4 以上のとおり,施行規則60条が「穹」を常用平易な文字として列挙していないことは戸籍法50条1項及び2項の趣旨に反し違法であり,抗告人は出生届を受理せよとした原審判の判断は,誤りである。

よって,抗告人は,原審判を取り消し,相手方の不服申立を却下することを求める。

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