大阪高等裁判所 平成19年(行コ)100号 判決 2008年2月14日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴人の当審における訴えの変更による訴えを却下する。
3 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 平成18年5月27日午後4時0分ころ大阪府枚方市α×番付近路上において控訴人が座席ベルト装着義務に違反して普通乗用自動車(○○×××○××××)を運転したことを理由として,大阪府公安委員会が,同日,道路交通法71条の3第1項,同法施行令別表第2の1に基づき控訴人に付した基礎点数1点が無効であることを確認する(当審で交換的変更)。
3 被控訴人は,控訴人に対し,150万円及びこれに対する平成18年5月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 本件は,大阪府公安委員会が控訴人に対し平成18年5月27日座席ベルト装着義務に違反したとして,道路交通法71条の3第1項,同法施行令別表第2の1に基づき基礎点数1点を付したことについて,控訴人が,上記装着義務違反の事実はなく,違法な取締りであり,上記点数は無効であると主張して,行政事件訴訟法上の当事者訴訟により,被控訴人に対し,現在点数が合計4点であることの確認を求めるとともに,国家賠償法により慰謝料150万円及びこれに対する上記違法取締りの日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 原判決は,上記当事者訴訟につき確認の利益がないとして訴えを却下し,慰謝料請求については国家賠償法の違法性を基礎づけるに足りる事実関係の立証を欠くとして棄却したため,これを不服とする控訴人が控訴したものである。
控訴人は,当審において,直近の違反の日である平成18年8月20日から1年以上無事故,無違反であったたため,本件における座席ベルト装着義務違反により付された基礎点数1点が累積点数から除外されたことから,上記当事者訴訟の請求の趣旨を控訴の趣旨第2項のとおり交換的に変更した。
3 法令の規定,前提となる事実等及び争点(当事者の主張)は,原判決「事実及び理由」欄第2「事案の概要」の1ないし3(原判決2頁22行目から16頁2行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,原判決5頁2行目の「大阪府警察枚方警察署」を「大阪府枚方警察署」と訂正する。)。
4 当審における控訴人の主張
(1) 無効確認請求
過去の法律行為,事実行為については,現在の通説的見解は,紛争解決に有効適切であれば,確認の利益を認める。
本件の場合,本件座席ベルト装着義務違反に基づく基礎点数の付加が累積点数の計算上除外されることになったとしても,誤った点数付加行為による名誉や信用に対する侵害は極めて重大であり,これを回復するためには,本件基礎点数付加行為を無効とすることが最も有効適切な手段である。
なお,本件には直接関係はないものの,過去の違反事実の存否は,運転免許の更新を受ける地位(優良運転者,一般運転者又は違反運転者等の区分)や道路運送法4条1項に基づく一般乗用旅客自動車運送事業の許可申請をする場合には,特別な利害関係を有する。国民の権利救済という観点からは,これらの問題が直接関係しない場合でも間口を広げて救済がなされてしかるべきである。
(2) 損害賠償請求
ア 立証責任
(ア) 原判決は,国家賠償請求で問題となる過失ないし違法性に関する立証責任のとらえ方を根本的に誤っている。
本件のように「過失」とか「違法性」などという規範的要件事実の適用が問題となる場合,規範的要件事実を直接問題とすべきではなく,これを推認する具体的事実,すなわち,評価根拠事実,評価障害事実ごとに立証責任を配分すべきであるというのが近時の通説的見解である。
原判決は,控訴人が座席ベルトを装着していたか否かという生の事実を取り出して,立証責任を問題としているように思える。しかしながら,本件で立証責任を問題とすべきは,取締り警察官の誤認行為(過失ないし違法性)を推認させる具体的事実である。
本件の場合,違反したと警察官から車両の停止を求められたときには車両運転者である控訴人が座席ベルトを装着していた事実は明らかであるところ,この事実が認められれば経験則上特段の事情のない限り警察官の誤認行為が推認されるはずである(過失ないし違法性の評価根拠事実)。したがって,この推認を排斥するためには,取締りに当たった行政主体である被控訴人において上記事実と両立し,この推認を覆す事実,すなわち現認から停止までの間に座席ベルトを装着したという「後付け行為」の事実(過失ないし違法性の評価障害事実)を立証すべきことになるはずである。
本件で後付け行為の証明がないことは争いがないから,立証責任からして被控訴人の過失ないし違法性が当然認められるべきことになる。
(イ) 国家賠償法上,過失の立証責任を被害者に負わせることについては,学説においてその不合理性がつとに指摘されてきたところである。
実質的な観点からしても,本件のように道路交通法違反の取締り行為は,取り締まる側で周到に準備して実施しているはずである。違反行為に関する証拠は取締り主体である被控訴人側にほとんど存在し,証拠との距離も近いことから違反行為の立証は極めて容易である。これに対して取締りを受ける側は,取締りについてなんの準備もなく,情報収集をする上で圧倒的に不利である。当事者間の公平,証拠との距離,立証の難易等から実質的に考えても,違反行為を裏付ける事実を指摘できない場合,そのリスクは取締り主体に負わせることの方がはるかに合理的である。
加えて,道路交通法上の取締りは,ほとんどの場合刑事罰の適用を予定しており,訴追する側に立証責任があることから考えても,刑事罰の適用が問題とならない本件の場合にも取締り側に立証責任を負担させることが取扱いのバランス上要請されているというべきである。
イ 事実誤認
(ア) 本件は,座席ベルトの不装着を現認したというA警部補の供述とこれを装着していたと述べる控訴人の供述が真っ向から対立する事案であるところ,事柄の性質上どちらかが真実を,どちらかが虚偽を述べていることは明らかである。
控訴人は,原審準備書面3において,控訴人が座席ベルトを装着していた事実が認められることを詳細に論じたところであり,安易に真否不明とする原判決は,事実認定の努力を怠っているものと評価せざるを得ない。
(イ) 原判決が控訴人の座席ベルト不装着を認定する根拠としてあげるのはわずかに,①A警部補が座席ベルト不装着を現認したと述べ,B巡査に車両番号,車種,塗色を無線で通報していること,②A警部補が認めたとする運転者の服装の色と当時控訴人が着ていた服装の色がおおむね符合していること,だけである。
しかしながら,当時控訴人が着ていたとする白色のカッターシャツは男性の服装としては非常にありふれたものであり,このような服装の色が符合しているとういうだけでは有力な根拠となり得ない。そうしてみると,被控訴人の主張を裏付けるのは,実質的にみてA警部補の供述しかない。本件のような状況で誤りを指摘された警察官が,自らの過失を認めることはほとんど考えられないのであるから,上記根拠は極めて薄弱といわなければならない。
これに対し,控訴人が座席ベルトを装着していたという事実は,①B巡査から停止を求められたときに控訴人は座席ベルトを装着していたこと,②後付け行為は確認されていないこと,③控訴人も同乗者のCも事件直後から一貫して控訴人が座席ベルトを装着していたという事実を主張していること,④控訴人の運転していた車両の座席ベルトは装着しない場合収納され,A警部補が証言するように垂れ下がるものではないから,A警部補の証言は車両の取り違えを強く示唆することが認められることから明らかである。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所は,当審で交換的に変更された控訴人の無効確認の訴えは不適法であり,また,損害賠償請求は理由がないと判断するものであるが,その理由は,原判決「事実及び理由」欄第3「当裁判所の判断」の1及び2(1)(原判決16頁4行目から31頁末行まで)に認定・説示するところを引用するほか,以下に判断するとおりである。
2 当審における訴えの変更後の無効確認請求に関する訴えについて
控訴人は,当審で訴えを変更し,控訴の趣旨第2項の裁判を求め,過去の法律行為,事実行為についても,紛争解決に有効適切であれば,確認の利益があり,本件の場合,名誉や信用に対する侵害を回復するためには,本件基礎点数付加行為を無効とすることが最も有効適切な手段である旨主張する。しかし,原判決説示のとおり,そもそも点数付加行為に処分性は認められず,控訴人主張の名誉や信用に対する侵害は点数付加行為がもたらす事実上の効果にすぎないから,控訴人は,本件違反に基づく点数付加行為の無効確認によって回復すべき法律上の利益を有しないというべきであるところ,当審提出の甲第9号証の1・2によれば,控訴人は平成19年10月9日,本件違反により付された基礎点数1点が控訴人主張のとおり累積点数から除外されたことが認められ,これによると,なおさら無効確認を求める利益はないといわなければならない(最高裁判所昭和55年11月25日第三小法廷判決・民集34巻6号781頁参照)。
したがって,控訴人の当審における訴えの変更後の無効確認請求に係る訴えは,確認の利益を欠き,不適法である。
3 損害賠償請求について
(1) 前記引用に係る原判決中の前提となる事実等及び原判決の前記認定事実によれば,①A警部補は,座席ベルト装着義務違反の取締りについて豊富な経験を有していた者であり,同人を含め5名の警察官で同違反の取締りに従事していたところ,平成18年5月27日午後4時ころ,その佇立位置から約50メートル離れた交差点を右折して本件道路に進入し,時速20キロメートル前後で自身の側方約2メートルの位置を通り過ぎた車両の運転者について,座席ベルトを着用していないことを現認し,当該車両が通り過ぎた直後に,車両停止係のB巡査に対し,控訴人車と同一の車両番号下4桁(××××),車種(○○)及び塗色(紺色)を無線で通報したこと,②B巡査は,A警部補から上記のとおり違反車両の車両番号下4桁等の無線連絡を受け,直後に控訴人運転の控訴人車を停止させたこと,③A警部補が座席ベルト装着義務違反を認めたとする運転者の服装の色と当時控訴人が着ていた服装の色はおおむね符合していることがそれぞれ認められ,以上の事実からすれば,A警部補は,控訴人運転の控訴人車において,控訴人が座席ベルト装着義務に違反して,同ベルトを装着していないことを現認したものと認めることができる。
したがって,B巡査が控訴人車を停止させたときに控訴人が座席ベルトを装着していたのは,控訴人がいわゆる後付け行為をしたためであると認められる。
なお,A警部補が,座席ベルト装着義務違反を現認したとする車両の運転者の座席ベルトの状態につき,垂直に運転者の右肩後部に垂れ下がっているのを確認した旨供述する点に関し,その事実の有無をめぐって,控訴人・被控訴人双方は,同人の供述全体の信用性にかかわるかのような主張をするが,同事実の有無は上記認定に影響を及ぼさない。
(2) これに対し,控訴人は,①控訴人が,A警部補の警笛を聞き,短時間のうちにすばやく座席ベルトを装着するとともに,Cとの間で座席ベルトを装着していたことについて口裏合わせまで行うことは必ずしも容易であるとは認め難いこと,②控訴人は,B巡査によって停止させられてから,同巡査やA警部補の度重なる説得にもかかわらず,控訴人車内でも楠葉交番でも一貫して本件違反を否認し,本件違反によっても基礎点数1点を付加されるほかには具体的な不利益を受けないと考えられるにもかかわらず,数日後に再度枚方警察署を訪れて本件違反の検挙を是正するよう申し入れ,さらには,控訴人訴訟代理人に委任して,上記検挙の約2か月半後である同年8月11日には本訴を提起していること,③同乗者のCも,上記検挙の直後から一貫して控訴人は座席ベルトを着用していた旨証言し,楠葉交番での取調べにも同行しており,その供述内容,態度等に特に不自然,不合理な点は見当たらないことなどからすると,A警部補の目撃供述以外に控訴人の座席ベルト装着義務違反について的確な客観的裏付けを欠く本件においては,A警部補の供述は車両の取り違えを強く示唆することが認められる旨主張する。
しかしながら,①及び③については,原審における控訴人の主張(平成19年6月18日付け準備書面3)によっても,A警部補が警笛を吹鳴してからB巡査が控訴人車両に左に寄るように合図をするまで6.15秒の時間があったのであるから,控訴人がその間に座席ベルトを装着することは十分可能であるし,控訴人とCとは,Cが控訴人を「先生」と呼ぶ税理士と顧客という二十数年来の関係であり,控訴人がB巡査から座席ベルト装着義務違反を伝えられた際,激しい口調で,同巡査に対し「シートベルト,しているやろう」旨申し向けていたことからすると(甲4,原審証人C,同Bの各証言),控訴人とCとの間で,座席ベルトを装着していたことについて事前に口裏合わせまで行っていなくても,Cにおいて,控訴人が座席ベルトを装着していた旨口添えすることはあり得ることであって,Cの上記証言が直ちに信用できるということもできない。
また,②については,控訴人の主張とは逆に,本件違反を否認したことから引っ込みがつかなくなった可能性も否定できず,控訴人が一貫して本件違反事実を否認した上,本件訴訟を提起したことをもって,控訴人に有利な資料とすることはできない。
そして,前記認定のとおりの事実経過からすれば,座席ベルト装着義務違反の取締りについて豊富な経験を有していたA警部補が,控訴人の座席ベルト装着の有無や車両を見間違える可能性はなかったと認められる上,同人が殊更虚偽の証言をする動機も認められず,また,同人及びB巡査は,控訴人が後付けするところは見ていない旨不利な事情も証言するなど,その証言内容に不自然な点もない。
したがって,控訴人の上記主張は,いずれも採用することができず,前記認定を何ら左右しない。
なお,控訴人は,国家賠償法上の立証責任に関する原判決の説示を批判するところ,原判決が控訴人の供述とA警部補の証言のいずれをも排斥することなく,同法上の違法性に関する控訴人の立証を欠くとして,控訴人の損害賠償請求を棄却した点は相当とはいえないが,控訴人に本件違反行為があったと認められることは前記のとおりであるから,この点に関する控訴人の上記批判は当たらない。
第4結論
以上によれば,当審で交換的に変更された控訴人の無効確認の訴えは不適法であり,また,損害賠償請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないから,これと同旨の原判決は,結論において相当であって,本件控訴は理由がない。
よって,控訴人の本件控訴を棄却し,当審における訴えの変更による訴えを却下することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大和陽一郎 裁判官 市村弘 裁判官 一谷好文)