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大阪高等裁判所 平成19年(行コ)15号 判決 2007年10月19日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1本件控訴の趣旨等

1  原審での請求の趣旨

(1)  控訴人は,Aに対し,神戸市に1806万2244円及びこれに対する平成18年5月1日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める請求をせよ。

(2)  控訴人は、Bに対し、神戸市に680万1259円及びこれに対する平成14年5月1日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める請求をせよ。

2  原判決主文

(1)  本件訴えのうち,神戸市長がした平成12年度ないし平成16年度の敬老祝い金に係る支出,平成12年度ないし平成15年度の講演会と市長懇談会に係る支出,平成12年度の物故者追悼式に係る支出及び平成15年度の市会議員待遇者章に係る支出並びに平成12年度ないし平成16年度の優待乗車証の交付に関する部分をいずれも却下する。

(2)  控訴人は,Aに対し,363万1740円及びこれに対する平成18年5月1日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める請求をせよ。

(3)  被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  本件控訴の趣旨

(1)  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  被控訴人らの請求を棄却する。

第2事案の概要

本件は,神戸市が,退職した市議会議員等に対し,傘寿・卒寿祝いとして高級肌着を贈呈する等の公金支出及び市バス・地下鉄優待乗車証(以下「優待乗車証」という。)を贈与した行為が違法な財務会計行為に該当するとして,神戸市内に住居を有する被控訴人らが,地方自治法242条の2第1項4号に基づき,控訴人に対し,支出当時の市長個人に対して損害賠償の請求をするよう求めた事案である。

原審は,優待乗車証に係る分を除く公金支出のうち平成16年10月12日までの支出に関する部分,平成12年度ないし平成16年度の優待乗車証交付に関する部分は,監査請求期間内に適法な監査請求がなく,また,正当な理由も認められないとして,その点に関する訴えを却下した。そして,被控訴人ら主張の公金支出のうち,平成16年度の講演会等に係る支出及び物故者追悼式に係る支出,平成17年度の敬老祝いに係る支出及び講演会等に係る支出並びに平成17年度の優待乗車証の交付に関する訴えは適法であるとして,実体判断をし,平成17年度の優待乗車証に関する請求は理由があるとして認容し,その余の請求はいずれも理由がないとして棄却する判決をした(第1の2参照)。

原判決に対し,控訴人(1審被告)のみから控訴があり,その控訴の趣旨は,第1の3のとおりである。被控訴人(1審原告)らからは,控訴,附帯控訴はない。

そうすると,当審での弁論及び判断すべき範囲(民事訴訟法296条1項,304条)は,被控訴人らの請求のうち,平成17年度の優待乗車証に関する請求(以下「本件請求部分」ないし「本件訴え部分」という。)に関する事項のみである。

以下,当裁判所の弁論及び判断事項に関する事項につき,事案の概要を整理し,当裁判所の判断を述べることとする。

1  前提事実(証拠の摘示のない事実は,当事者間に争いがないか,弁論の全趣旨により認定することができる。)

(1)  当事者

ア 被控訴人らは,肩書地記載のとおり,いずれも神戸市に住居を有する者である(弁論の全趣旨)。

イ Bは,平成12年4月1日から平成13年11月19日まで神戸市長の地位にあった者であり,A(以下「A」という。)は,平成13年11月20日以降現在まで神戸市長の地位にある者である。

(2)  市会議員等待遇者制度

ア 神戸市は,「神戸市市会議員待遇規則」(以下「待遇規則」という。)に基づき神戸市市会議員として満8年以上その職にあった者(以下「待遇者」という。)に対し,一定の待遇をしており,また,「元町村長及び町村会議員待遇規則」に基づき元町村長で神戸市への編入に際し功労のあった者及び元町村会議員で満8年以上その職にあった者,もしくは元町村においてそれぞれ神戸市への編入の前日現在にその職にあった者に対し,待遇者に準ずる待遇をしている(甲5。以下,待遇者及び前記規則によりこれに準ずる待遇を受ける者を総称して「待遇者等」という。)。

平成18年1月1日現在における待遇者等の数は,待遇規則に基づく者が61名,「元町村長及び町村会議員待遇規則」に基づく者が1名の合計62名である(弁論の全趣旨)。

イ 待遇規則には,次の規定がある(甲5)。

(市会議員待遇者の待遇)

第2条 市会議員待遇者に対しては,終身次の待遇を行う。

(1) 市の行う儀式への参列

(2) 市営バス優待乗車券の贈与

(3)  その他特に必要と認められる待遇

2 略

3 前2項の待遇者には,別に定める記章を贈与する。

(3)  優待乗車証の支給(甲7,乙1ないし4,12,弁論の全趣旨)

ア 神戸市は,待遇規則2条1項2号に基づき,待遇者等に対し,毎年,次のような市バス・市営地下鉄優待乗車証(優待乗車証)を支給している。なお,神戸市は,優待乗車証の支給につき,同市の一般会計から同市交通局の特別会計に対して,1人分当たり一定の金員(例えば,平成16年度にあっては9万5760円(市営バスの3か月間有効の普通区全線定期代2万3940円の4期分相当))を支出(繰出)している。

(ア) 優待乗車証の記載事項

表面に待遇者等の氏名,年齢,性別が記載され,裏面には本人に限り乗車できる旨の記載がある。

(イ) 有効期間

毎年4月1日ないし翌年3月31日

(ウ) 対象交通機関

市営バス,市営地下鉄のみ全線に乗車できる(但し,新神戸駅から谷上駅間を除く)。

イ 神戸市は,平成17年度も,Cから優待乗車証の発行交付を受け,上記待遇者等に対し,同年4月,優待乗車証の支給をした(以下「本件優待乗車証支給」という。)。そのため,平成18年3月31日,363万1740円を,同市の一般会計から同市交通局の特別会計に支出(繰出)した(以下「本件繰出」という。)(甲10)。

(4)  住民監査請求

被控訴人らは,平成17年10月13日,同年11月1日,同月9日,同月11日及び同月17日に,神戸市監査委員に対し,市会議員待遇者等に対する長寿祝いや優待乗車券の支給,市長との昼食付き懇談会等により公金を支出しているが,かかる支出は違法であるから,平成12年度分以降過去5年間の支出については,各市会議員待遇者等に返還させるべきであり,返還されない分は市長が補填するべきであるし,平成17年度の未執行部分については,支給を差し止めるべきであるとして,かかる措置を求める住民監査請求を行った(以下,被控訴人らが行った一連の住民監査請求を併せて「本件監査請求」という。)。

神戸市監査委員は,同年12月8日付けで,本件監査請求のうち,過去1年間の支出にあたる平成16年10月13日から平成17年10月12日までに支出された費用及び平成17年度予算で請求日以後に支出,又は支出が予定されている費用に関する部分については,いずれも審査請求の理由がなく,措置の必要を認めないとして監査請求を棄却し,その余の部分については監査期間を徒過しており,「正当の理由」もないとして,監査請求を却下し,被控訴人Dは,同年12月8日ころ,かかる監査結果を受領した。

(5)  本訴提起

被控訴人らは,平成18年1月6日,前記監査結果に不服があるとして,本訴を提起した。

2  争点

(1)  本件訴え部分の適法性

本件優待乗車証支給の「当該行為」該当性(争点1)

(2)  本件請求の理由の有無

ア 本件優待乗車証支給の違法性(争点2)

イ A神戸市長の故意・過失の有無(争点3)

ウ 損害の発生及び額(争点4)

3  争点に対する当事者の主張

(1)  争点1(本件優待乗車証支給の「当該行為」該当性)について

(被控訴人らの主張)

本件優待乗車証は,神戸市の市長部局が交通局から買い上げて,待遇者等に支給したものである。本件優待乗車証は,名義人に運賃を免除する契約であるから,無償で運送するという契約証書であり,名義人が無償で運送役務を受ける権利を取得し,神戸市が無償で運送する義務を負担するものである。同乗車証は,記名式であって,換金性・譲渡性はないが,それでも,本来支払うべき運賃を支払わずに済む限りで財産的価値があるのである。本件優待乗車証の交付は,こうした無料で乗車できる権利を付与し,運賃収入権を放棄したものであるから,財産の処分であり,地方自治法242条の2,同条1項の当該行為に該当する。

(控訴人の主張)

優待乗車証は,神戸市の財産ではなく,これを交付する行為(本件優待乗車証支給)は,財産の処分ではなく,地方自治法242条の2に定められた当該行為には該当しないのであって,本件訴え部分は不適法である。

即ち,優待乗車証は,それを提示するときは,運賃を支払わなくてもよいということだけのことであり,それによって名義人がCにおける運送役務の給付を受ける権利を取得したり,神戸市側がそれに対応する義務を負担したりするわけではないから,それが債権証券として一定の財産的価値を有しているわけではない。

Cは,地方公営企業として神戸市が経営するものであるところ,神戸市はCの給付について料金を徴収することができ,その料金は,条例の定めるところにより交通事業管理者が徴収することとされている。なお,交通事業管理者は,市長から独立した権限を有し,その身分は保障されている。

しかし,優待乗車証は,「事業上の必要その他特別の理由のある者」に記名の無料乗車券を発行することができると定める神戸市乗合自動車の乗車料金等に関する条例12条に基づいて,交通事業管理者が発行し,市長は,その発行を依頼し,交通局から受領した優待乗車証をその名義人である各待遇者等に交付したものである。すなわち,市長から依頼を受けた交通事業管理者は,自らの責任において待遇者等が「事業上の必要その他特別の理由のある者」に該当するか否かを検討したうえで,それに該当すると判断して優待乗車証を発行したものであって,市長からの依頼によって,優待乗車証を発行すること,即ち待遇者等がCを利用した際の運賃を徴収しないことを強制されたわけではない。なお,待遇者等が現実に運賃を支払わないでCを利用したことの立証はされていない。

したがって,市長には,優待乗車証を発行する権限がないのであるから,その意味においても,それを各名義人に交付したこと(本件交付)が「財産の処分」に該当することはあり得ない。

(2)  争点2(本件優待乗車証支給の違法性)について

(被控訴人らの主張)

ア 待遇規則に基づく元市議会議員(待遇者)に対する待遇は,そもそも違法である。

(ア) 待遇者等は,どのような事情で引退したにせよ,今は単なる市民であるから優遇する理由はなく,一般市民を超えた優遇は許されないのであって,かかる者の意見を格別に尊重することは民主主義に反して許容されない。

(イ) 議員に対して,条例の定めるところにより支給することができるのは,報酬,費用弁償及び期末手当であり,それ以外は支給することができない。まして,元議員に対しては,これらの支給もできず,それ以外にも支給できるものは何もない。本件優待乗車証はこの意味で元議員に支給する根拠はない。

(ウ) 神戸市は,市会議員の職にあった者に対する礼遇として待遇者等に対する待遇を行っているわけではないから,礼遇を理由に前記待遇を正当化することはできない。仮に本件の待遇を「市会議員の職にあったものに対する礼遇」として行うものとするならば,その観点から制度を組み替えるべきであり,それが行われるまで,本件の厚遇に関する制度は全体として公益性がないというべきである。さらに,この制度を「市会議員の職にあったものに対する礼遇」として行っている範囲では公益性があるとの議論があり得るとしても,元議員は,市とは何の関係もない一市民であるから,特別に「儀礼」をすべき理由はなく,「礼遇」として正当化できる理由はない。しかも,元議員の中には,自発的に引退したものばかりではなく,選挙で落選した者まで入っているから,このような者に市民の税金で「礼遇」をする義理も理由もないというべきである。

イ 本件優待乗車証支給自体についても,次の違法事由がある。

(ア) 待遇者等に,市内を回ってもらう必要性はないし,待遇者等に市内を回ってもらった場合は費用弁償をすべきであると仮定しても,それに要した乗車券代を償還する方が遙かに安くつくのであって,本件優待乗車証を支給することは過大な給付である。

(イ) 本件優待乗車証支給に要する毎年1人当たり9万5760円の費用は,到底僅少とはいえず,社会的な儀礼の範囲内ではない。

(ウ) 神戸市が一般高齢者に対して行う優待乗車証の交付と待遇者等に対する優待乗車証の交付とは根拠を異にするから,前者が適法であったとしても,後者も同様に適法であるということはできない。

ウ 本件繰出行為の違法

神戸市交通局は独立採算性を採っており,一般会計から独立採算部門への金員の繰出しは,法令上の根拠が必要であるところ,本件優待乗車証支給のために行われた一般会計から交通局の特別会計への本件繰出行為については,これを認める法令上の根拠はなく,独立採算性を規定している地方公営企業法17条の2に違反する違法なものである。

(控訴人の主張)

ア 被控訴人らの主張アは争う。

待遇規則は,神戸市議会議員が退職又は死亡した際に,市議会議員としての功績や退職後の活動に対し,社会的に相当の待遇を与えることを目的としている。すなわち,待遇者等に対する待遇は,これまでの功労に対する待遇であるとともに,第一線を退いてもなお現職時に培った知識,経験,人望をもって地域住民のために活動していることに対する待遇である。

待遇者に対し,どのような待遇をあたえるかは,極めて政策的な事柄であり,神戸市の市政運営方針,財政状況等様々な事情を総合考慮したうえで判断されるべきものであるから,神戸市長には広範な裁量権が与えられているのであり,その判断が裁量権の範囲内にある限り,当不当の問題にはなり得ても,適法か違法かは問題にならない。

市長は,可能な限りにおいて多種多様な意見を聴取すべきであり,具体的にどのような市民からいかなる方法で意見を聴取するかについては,幅広い市長の裁量の範囲内にある。待遇者等は,少なくとも8年以上神戸市会議員の地位等にあったのであり,相当程度市民の支持を受け,その在任期間中に知識,経験等を身に付けていると考えられるから,現職の市議会議員とは異なった立場や観点から,待遇者等を通じて地域住民の声を聞くことが有益であると判断して,市長は待遇者等を活用することとして一定の待遇を行っている。そして,前記のとおり,待遇者等は,相当程度市民の支持を受け,神戸市の発展及び市民生活の向上のために活動してきたものであり,落選をした者であっても,かかる活動を通して得た知識,経験が消えてしまうわけではないから,かかる待遇者等へ一定の待遇をすることは,公益性があることは明らかである。

イ 被控訴人らの主張イは争う。

(ア)a 本件優待乗車証支給は,待遇者等に,市会議員等の時代に培った知識や経験,地域住民とのつながりを活かし,現在の神戸市における現状や課題について助言を請い,また神戸市の施策や制度の住民への広報活動,神戸市と住民との橋渡し的な役割を担ってもらうため,上記活動への利用を目的として交付しているものであり,その目的は有益かつ正当なものであるといえる。

b 大阪市,京都市など他の近隣都市でも公営交通の優待乗車証を支給していた。本件優待乗車証の価格は,年間1人あたり,9万5760円と決して高額とはいえず,また元来換金性を有していない。さらに,優待乗車証支給に要する費用は,神戸市の一般会計から同市交通局に対する公金の繰出しにすぎず,神戸市全体としては,保有する公金の額は減少しておらず,同市に何ら損害は発生していない。

c このように,優待乗車証の目的,金額,実質的出捐の有無,他都市の状況等に鑑みても,優待乗車証の支給は,待遇者等に対する礼遇として社会通念上是認しうる範囲内にある。

(イ) 神戸市が,高齢者の日常生活における移動支援と社会参加の促進を目的として,満70歳以上の市民に市バス・地下鉄等に乗車可能な優待乗車証を交付する敬老優待乗車制度が適法であることは明らかであるところ,待遇者等に対する優待乗車証の交付を特別視することはできない。神戸市は,平成16年度は,一般高齢者に対し,15万2654枚の優待乗車証を交付し,これにつき一般会計から34億7300万円を繰出しているが,これと比較して,待遇者等に対する優待乗車証の交付に係る経費は微々たるものにすぎない。

(ウ) 以上のとおりであり,待遇者等に対する本件優待乗車証支給は,未だ社会通念上礼遇の範囲内にあるものであり,神戸市長の有する裁量の範囲内の適法な行為である。

ウ 被控訴人らの主張ウは争う。

本件優待乗車証の交付にかかる支出は,現実には,神戸市の一般会計から神戸市交通局の企業会計に対して繰出し支出しているものである。

神戸市交通局の企業会計は地方公営企業法17条の特別会計であるところ,特別会計は会計単位としては一般会計から独立しているものの,その会計主体は同じ神戸市という地方公共団体である。

したがって,神戸市の一般会計から特別会計に公金を支出することは,実質的には神戸市全体における公金のやりとりにすぎず,神戸市の外に公金が流失しているものではない。

よって,本件優待乗車証の交付により,神戸市が保有する公金の額は何ら減少するものではないから,神戸市に何らの財産的損害を与えるものではない。

以上のとおり,本件繰出行為は違法ではなく,適法である。

(3)  争点3(A神戸市長の故意・過失の有無)について

(被控訴人らの主張)

ア 待遇者等というただの市民を厚遇することは明白に違法であり,たとえ待遇規則があるとはいえ,元議員への処遇をする際に疑問を抱くのは常識の範囲内であって,それに疑問を感ずることなく公金を投入し,追悼式などで弔辞を読み上げること自体,重大な過失があるというべきである。

Aは,市民からの信託に応える立場にあるのに,市民の論理で考えないこと自体重過失,少なくとも過失がある。

イ 本訴提起後,受益者である神戸市議員待遇者らから神戸市に対して優待乗車証の支給を辞退するとの申し入れがあったが,受益者自身から全面的な辞退を受けるような制度を,そうと知りながら正当化すること自体Aには重大な過失がある。

ウ 専決権限の付与は,権限を法的に委任していない内部委任であるから,監督義務者も監督を怠れば責任を負う。

また,本件の違法は,個別の支出において発生するものではなく,いわゆる待遇者等への優遇事業のルールにあるのであり,専決権者はそのルールを単に執行しただけにすぎないのであるから,責めを問われるべきは,ルール決定に関与し,それを指揮監督し,決定する市長である。

エ 市長としてのポストとして客観的に要求される注意義務を基準に判断すると,Aは,市長として,個別の支出行為を行っていないとしても違法な支出を阻止すべき指揮監督上の義務違反があることは明らかである。

(控訴人の主張)

ア 本件優待乗車証支給が行われた平成17年4月当時の状況は,元市会議員等に関する他都市の実施状況をみても,名古屋市,大阪市,姫路市,明石市等において,本件の優待乗車証と同種の乗車券を交付している。

さらに,元県議会議員で組織する元県議会議員会の事業に対する補助として,静岡県が平成11年度に支出した補助金をめぐる事件(優待乗車証については含まれていない。)において,静岡地方裁判所平成15年3月7日判決で,その補助金の交付が適法と判断され,控訴審でも適法と判断された。上記判決に対し上告があったが,本件優待乗車証支給当時,最高裁判所の判断は出されていなかった。

以上の,他都市の実施状況,裁判例における判断からすると,神戸市長であるAは,平成17年4月の本件優待乗車証支給の時点において,同交付行為が市長の裁量権の範囲内の適法な行為ととらえることができる。したがって,Aが,本件優待乗車証支給時点で,上記交付行為が違法であることを予見し,これを回避することはできず,Aには過失はない(勿論,故意もない。)。

イ Aは,本件優待乗車証支給につき,助役以下専決規程により,秘書室秘書課長らに決裁を委ねており,A自身は決裁をしていない。

そして,専決処理を行った補助職員も,上記と同様に過失があったとすることができない。

また,仮に,専決権者の行為に過失があるとしても,他都市での実施状況や裁判例等を検討したうえで適法と判断をした専決権者による本件優待乗車証支給行為につき,Aにおいて,専決権者による判断を覆して違法であると判断し指揮監督権を行使するほど,本件優待乗車証支給を違法とする判断材料は,平成17年4月の本件優待乗車証支給当時には,存しなかった。

したがって,Aには,専決権者に対する指揮監督上の義務違反もない。

(4)  争点4(損害の発生及び額)

(被控訴人らの主張)

前記のとおり,待遇者等に優待乗車証を引き渡した段階で,その価値分の損害が神戸市に発生する。

その損害額は,前提事実(3)イの本件優待乗車証支給のため,平成18年3月31日,同市一般会計から同市交通局の特別会計に支出(繰出)した363万1740円である。

(控訴人の主張)

前記のとおり,優待乗車証に係る支出は,神戸市の一般会計から神戸市交通局の特別会計に対する公金の繰出しにすぎず,神戸市という同一の法人格の内部で,会計上,公金のやりとりをしているに過ぎないのであり,神戸市の外に公金が流出している訳でないから,神戸市には損害は発生していない。

また,優待乗車証は,譲渡性がなく,換金することもできないのである。優待乗車証が財産的価値を発揮するのは,その名義人がそれを利用したときである。即ち,待遇者等は自らの名義の優待乗車証を使用して,Cにおける運送役務に対する対価である運賃の支払いを免れたときに,初めて,経済的利益を得るのであり,神戸市はこのときになって初めて,優待乗車証を交付していなければ徴収できたはずの乗車料金を徴収できないという意味での損失を被ることになるのである。

したがって,神戸市の一般会計から同市交通局への特別会計への繰出額が損害額とは到底いうことができない。

第3争点に対する判断

1  争点1(本件優待乗車証支給の「当該行為」該当性)について

控訴人は,優待乗車証は,それを提示するときは,運賃を支払わなくてもよいということだけのことであり,それによって名義人がCにおける運送役務の給付を受ける権利を取得したり,神戸市側がそれに対応する義務を負担したりするわけではないから,それが債権証券として一定の財産的価値を有しているわけではない旨主張する。

しかしながら,優待乗車証は,記名式でありその譲渡・換金性がないものの,交通機関における運送役務の給付債権を表章する債権証券と解され,これが呈示された場合,Cにおいて,その呈示者に対し,無償で乗車させるべき義務があるのであり,一定の財産的価値を有することは明らかである。したがって,神戸市が,待遇者等に対し,本件優待乗車証を無償で支給することは,神戸市に財産上の損害を生じさせる「財産の処分」(地方自治法242条1項)に当たるといわなければならない。

さらに,実質的に見ても,Cは,地方公営企業として神戸市が経営するものであるところ,その経理は,特別会計を設けて行われて,その経費は,原則として,当該企業の経営に伴う収入をもって充てなければならない独立採算性が採られている(地方財政法6条,地方公営企業法17条,17条の2)。地方公共団体の一般会計と地方公営企業の特別会計との大きい相違点は,一般会計では,現金主義に基づくいわゆる官庁会計が採られ,その支出される現金の源は市民の税金であるのに対し,地方公営企業の特別会計はいわゆる経営成績や財産の状態を正確に把握するため複式簿記が採用され,その経費は,地方公営企業の事業による料金収入等で充てられる独立採算性がとられていることである。そして,一般会計から地方公営企業の特別会計に対する現金の移動ができる場合として,同法17条の2,同条の3,18条,18条の2の規定が設けられている。

ところで,本件優待乗車証支給に関し前提事実(3)イ記載の神戸市の一般会計からCの特別会計に支払われた本件繰出金363万1740円は,C(特別会計)が神戸市(一般会計)に対して発行交付した本件優待乗車証に対する実質的な対価であり,本件優待乗車証は,実質的にはその対価を支払って取得した一般会計部門の財産であるということができる。そして,その対価である金員の源は,神戸市民の納めた税金である。即ち,本件優待乗車証支給に関し,神戸市民の納めた税金363万1740円が対価として一般会計から独立採算部門である特別会計に流れているのであり,その価値のある本件優待乗車証を待遇者等に交付することは,財産の処分であるといわざるをえない。

なお,証拠(甲2)によれば,被控訴人らは,本件監査請求においても,待遇者等に対する本件優待乗車証支給行為を請求対象の一つとしたことが明らかである。

2  争点2(本件優待乗車証支給の違法性)について

(1)  地方公共団体の長は,予算を調整し,これを執行する権限を専属的に有しており(地方自治法149条2号,211条1項。さらに同法112条1項参照),いかなる事項にどの程度の予算を配分するかについては,高度の専門的,政策的判断を要するものであり,地方公共団体の長に裁量権が認められるというべきである。

したがって,待遇者等が,少なくとも2期8年以上にわたって市議会議員として神戸市に貢献し,あるいはこれと同視しうる者であることに鑑み,待遇者等に対する待遇が社会通念上礼遇の範囲内に留まる限り,当該待遇のための支出は,なお神戸市長の有する裁量の範囲内の支出として違法にはならないと解するのが相当である。本件優待乗車証支給という財産処分行為の違法性を判断する場合も,同様である。

(2)  そこで,本件優待乗車証支給行為が,待遇者等に対する待遇として社会通念上礼遇の範囲内に留まり,その支給がなお神戸市長の有する裁量の範囲内の行為であるか否かにつき検討する。

ア 控訴人は,待遇者等に市会議員等の時代に培った知識や経験,地域住民とのつながりを活かし,現在の神戸市における現状や課題について助言を請い,また神戸市の施策や制度の住民への広報活動,神戸市と住民との橋渡し的な役割を担ってもらうため,前記活動への利用を目的として本件優待乗車証を交付していると主張する。

しかし,神戸市が,本件優待乗車証の交付に当たって使途を前記活動への利用に限定していること,利用状況,利用目的につき報告を徴していること,目的外利用に対して何らかの対応策を講じていることなどを窺わせる証拠はない。結局,控訴人のいう交付目的が達成されるか否かは,各待遇者等の良識にかかっているというほかないが,そもそも,待遇者等が控訴人のいう交付目的をどの程度認識しているかも疑わしい。仮に,認識しているとしても,交付目的達成のための有効な方策は何ら講じられていないに等しく,全くの私用のための利用も,事実上放任されているといわれてもやむを得ない。

また,仮に,市政に貢献する活動をする待遇者等に交通費の負担をかけない措置を講ずることは相当と考えるとしても,市内の市営バス,市営地下鉄を常に無料で乗車できる乗車証を支給する必要性があるとは到底認められない。

したがって,本件優待乗車証支給を控訴人のいう交付目的から正当化することはできない。

イ 従前,待遇者等は,本件優待乗車証の交付を辞退しない限り,終身,無償で市営バス及び市営地下鉄に無制限に無償乗車できることになっていた。これにより神戸市が失う乗車料金収入は決して過少評価できない。反面,各人の引退時期や寿命に左右されるものの,待遇者等の享受する経済的利益(市営交通機関のみならず民営バス無償乗車の利益も含む。)も概して少額とはいえない。

ウ 控訴人は,本件優待乗車証の交付は,待遇者等に対する礼遇として社会通念上是認しうる範囲内にあるとも主張する。しかし,待遇者等には市議会議員等在職中の功績があり,また,議席を離れた後にも市政に貢献する者がいるとしても,無報酬で議員の職務を果たしたわけではなく,議員引退後の活動はあくまで各人の判断で自発的に行うものでその程度及び内容も相当個人差があると推測されることからすると,前記イの損失を伴う本件優待乗車証の一律交付は,礼遇として説明し得る限度を明らかに逸脱しているというべきである。

エ 控訴人は,70歳以上の一般高齢者に対する敬老優待乗車制度の存在を理由に,本件優待乗車証の交付を特別視することはできない旨主張する。その趣旨は,必ずしも定かでないが,高齢者に対する福祉政策の観点からいうなら,一般高齢者に対する敬老優待乗車制度のほかに,本件優待乗車証の交付制度を設ける必要性はない。しかも,一般高齢者に対する敬老優待乗車制度においては一定額以上の収入を有する者には有償交付している(乙5)のに対し,本件優待乗車証の交付にはかかる所得制限は存在せず,年齢制限もない(弁論の全趣旨)。したがって,本件優待乗車証の交付制度を一般高齢者に対する敬老優待乗車制度の代替又はこれを補完するものと位置付けることはできない。

オ 以上によれば,本件優待乗車証が記名証券であり換金性はないと解されること等を考慮しても,同優待乗車証の交付は,もはや社会通念上礼遇の範囲内に留まっているとはいえず,神戸市長が有する裁量の範囲を逸脱する違法な財産処分というべきである。

3  争点3(A神戸市長の故意・過失の有無)について

(1)  前記のとおり,本件優待乗車証支給には必要性も合理性も見いだせない違法があるうえ,平成17年4月以前から公務員及びその退職者に対する種々の処遇の是非につき全国的に社会問題化していたことは公知の事実である。

次に,待遇規則による待遇者等の処遇として,優待乗車証の交付の外,「講演会及び市長との懇談会」,「物故者追悼式」,「敬老祝い」,「市議会議員待遇者章の贈呈」等が行われており,Aは,平成13年11月20日に神戸市長に就任以来,少なくとも,ほぼ毎年行われる「講演会及び市長との懇談会」に自ら出席しており(甲3ないし5,8,乙7ないし9,弁論の全趣旨),遅くとも平成16年12月ころまでに,神戸市において,待遇規則による待遇者等の処遇制度があり,毎年その処遇制度による処遇が行われていることを十分認識していたと認めることができる。

(2)  したがって,本件優待乗車証支給につき神戸市長の補助職員等が専決処理していたものであるが(弁論の全趣旨),上記のとおり,Aは,遅くとも平成16年12月時点では,神戸市において,待遇規則による待遇者等の処遇制度があり,毎年その処遇制度に従って処遇が行われていることを十分認識していたのであるから,Aは,平成17年度である本件優待乗車証支給の時点までには,その違法性に気付くべきであり,かつ,気付くことができたということができるのに,部下職員にその廃止を指示せずに,部下職員が従前の扱いを漫然と踏襲して本件優待乗車証を支給することを止めさせなかった点に過失があるということができる。

この点につき,控訴人は,「他都市の実施状況,裁判例における判断からすると,Aが,平成17年4月の本件優待乗車証支給時点において,上記交付行為が違法であることを予見しこれを回避することはできず,Aには過失はない。」旨主張するが,上記2(2)や3(1)に述べた諸事情に照らせば,上記主張は採用できず,他に,上記の認定・判断を覆すに足りる証拠はない。

(3)  したがって,Aは,平成17年度の本件優待乗車証支給により神戸市が被った損害を賠償する義務を負う。

4  争点4(損害の発生及び額)について

本件優待乗車証支給により,前記のとおり神戸市には優待乗車証の価値相当額の損害が発生すると解すべきところ,その相当額は,上記1で述べた諸事実に照らせば,その価値は,本件優待乗車証支給のため神戸市の一般会計から同市交通局の特別会計に支出(繰出)された金額である363万1740円であると認めることができる。

そうすると,Aが神戸市に賠償すべき平成17年度の本件優待乗車証支給に係る神戸市の損害額は,上記363万1740円となる。

第4結論

以上のとおりであり,本件請求部分は理由があり,これを認容した原判決は相当であるから,本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横田勝年 裁判官 東畑良雄 裁判官 小林秀和)

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