大阪高等裁判所 平成2年(く)87号 決定 1990年6月19日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、弁護人森下弘作成の抗告申立書及び抗告理由補充書記載のとおりであるから、これを引用するが、その要旨は、原裁判所は、弁護人の平成二年五月三一日付保釈請求に対し、刑事訴訟法八九条二号及び五号に該当するものとして右請求を却下したものであるところ、本件は同条五号に該当するものとは考えられず、また、同条二号には該当するものの、右規定は逃亡を疑わせる具体的な事情が認められなければ適用すべきものではなく、これに反した原決定は、誤っているから、これを取り消したうえ、保釈の許可を求める、というのである。
よって検討するに、まず、所論は、勾留制度は裁判の円滑を期するために必要最少限度において認められるものであり、罪証隠滅、逃亡のおそれがない以上、保釈は当然に許されなければならないものであるから、刑事訴訟法八九条二号も逃亡のおそれについて例示として掲げられたものであり、同号に該当する事実があれば当然に保釈が認められないというものではなく、逃亡を疑わせる具体的な事情が認められなければ、保釈を却下できないと解すべきである、と主張する。
しかしながら、刑事訴訟法八九条二号は、被告人が前に死刑又は無期若しくは長期一〇年を超える懲役若しくは禁錮にあたる罪につき有罪の宣告を受けたことがある場合には、逃亡のおそれが強く、保証金によってもその出頭の確保ができないものとして、保釈を許可すべき場合に当たらないことを定型的に定めたものであると解するのが相当であり、したがって、同法条に該当する事実がある以上、さらに、当該被告人につき逃亡を疑わせる具体的な事情の有無を判断することは要しないものと解すべきであるところ、一件記録によると、被告人は昭和四〇年九月二五日大阪地方裁判所で窃盗、強盗致傷罪により懲役五年以上一〇年以下の刑に処せられたものであることが認められるのであり、しかして、右強盗致傷が無期又は七年以上の懲役にあたる罪であることは、刑法二四〇条により明らかであるから、右事実によれば本件が刑事訴訟法八九条二号に該当することは明らかといわねばならず、これと同趣旨にでた原決定に同法条についての解釈、適用に誤りは存しない。
次に、所論は、刑事訴訟法八九条五号の規定は、同条に定める行為が罪証隠滅を招くことから、勾留の必要性を認めたものであり、罪証隠滅のおそれが存在しない場合においては、同条を適用すべきではないところ、本件においては、既に、関係各証人は取調べ済みであり、これ以上罪証隠滅のおそれはないし、また、被告人は本件各被害者にわずかではあるが、弁償金も支払っているのであるから、被害者らを畏怖させる行為をするはずがないのに、刑事訴訟法八九条五号を適用した原決定は、同条の解釈、適用を誤った違法、不当なものである、と主張する。
たしかに、刑事訴訟法八九条五号は、罪証隠滅の典型的な事例である事件関係者に対する働きかけのうち、加害的行為を定型化したものではあるが、同号が同条四号とは別に規定されている趣旨から考察すれば、同条五号は、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるときには該当しなくても、なお、罪証隠滅の蓋然性の大きい場合の態様の一つを定型化したものと解すべきであると同時に、再犯防止の機能をも有するものと解するを相当とするところ、関係証拠によれば、本件は、被告人が、酔余、いきつけのラウンジで、ホステスの態度が気に入らないと立腹し、ホステス三名に対して、殴ったり、蹴ったりする暴行を加え、また、知人から借金を断られたのに憤慨し、同人方住宅の軒下にあった灯油タンクのうえにボロ布を置き、これに灯油を振りかけて放火し、同人らの家財などに危害を加える旨告知して、同人らを脅迫したという事犯であること、被告人は右事実で起訴され、平成二年二月五日から同年五月三〇日までの間に五回公判期日が開かれ、審理されて来ているが、被告人は、右各暴行については、いずれも、これを否認し、被害者らの供述調書の取調べに同意せず、被害者らの証人尋問がなされたこと、脅迫事件についても、犯意を否認し、関係者の供述調書などの取調べに同意せず、証人尋問がなされたこと、また、被告人が本件事件関係者らの家にしつこく押し掛けて来たり、借金を断ると小刀で切り付けたりなどしている、被告人の日頃の言動から、証人らは、いずれも、被告人を強く畏怖していることなどが認められるのであり、右各事実に加うるに、本件犯行の罪質、動機、態様、被告人にはこれまで前記の前科のほかにも窃盗、傷害、覚せい剤取締法違反など粗暴犯を含む七犯もの前科があることなどに徴すると、関係各証人はとりあえずは取調べ済みであり、被告人が本件事件関係者に対して、今後とも、働きかけをしない旨誓約し、本件保釈請求後、被害者らに対し、弁償金の内金を支払っていることなど、所論指摘の諸点を考慮しても、本件については、なお、被告人において、罪証を隠滅する蓋然性を否定し得ず、また、被害者ら事件関係者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があると認めざるを得ないものというべく、これを認めた原決定に同法条についての解釈、適用の誤りはない。
そして、前記のような本件事犯の性質などのほか、被告人の前科など記録によって認められる諸般の事情を勘案すると、裁量により被告人の保釈を許すのも相当であるとは考えられず、これと同一の結論にでた原決定に違法、不当のかどは存しない。論旨は理由がない。
よって、本件抗告は理由がないので、刑事訴訟法四二六条一項により、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岡次郎 裁判官 七沢章 清田賢)