大阪高等裁判所 平成20年(行コ)37号 判決 2008年10月30日
控訴人
国
上記代表者法務大臣
森英介
上記指定代理人
Aほか10名
被控訴人
X1
被控訴人
X2
上記被控訴人ら訴訟代理人弁護士
松丸正
同
岩城穣
同
原野早知子
同
有村とく子
同
波多野進
主文
1 原判決主文2項を次のとおり変更する。
2 控訴人は,被控訴人らに対し,それぞれ629万3750円及びこれに対する平成14年6月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審とも,控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
第2事案の概要
1 本件は,国立循環器病センター(以下「循環器病センター」という。)の看護師であったB(以下「亡B」という。)の相続人(両親)である被控訴人らが,控訴人に対し,亡Bがくも膜下出血を発症し(以下「本件発症」という。),死亡したことが公務災害に当たると主張して,国家公務員災害補償法による遺族補償一時金及び葬祭補償を受ける権利を有する地位にあることの確認を求め,併せて,同法に基づいて,遺族補償一時金及び葬祭補償の支払を求めた事案である。
原審は,上記確認請求は確認の利益を欠くとしてこれに係る訴えを却下し,給付請求についてはその一部を認容したので,控訴人が控訴を提起した。したがって,当審における審理の対象は,上記給付請求の当否である。
2 前提事実
次のとおり補正するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「2 前提となる事実」欄のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決4頁7行目の次に,改行して次のとおり加える。
「 亡Bは,翌14日午前0時21分に自宅に到着した救急車により,循環器病センターに搬送された。亡Bの意識は救急車の到着時は清明であったが,搬送途中の同日午前0時24分には意識レベルが低下し,同日午前0時25分には呼吸が停止したがすぐに回復した。
亡Bは,同日午前0時55分,循環器病センターに到着し,頭部CTスキャン及び脳血管撮影を受けた。CTスキャンにおいては脳室内穿破を伴うくも膜下出血が認められ,脳血管撮影においては前交通動脈に動脈瘤が発見された。その後,同日午前9時から同センターにおいて脳動脈瘤クリッピング等のための開頭手術を受けた。
亡Bのくも膜下出血は,前交通動脈に存在していた脳動脈瘤が破裂して起こったものであり,他に,出血の原因となる血管病変は存在しなかった。また,その脳動脈瘤の最大径は8ミリメートルであり,脳動脈瘤の頚部の壁はコラーゲン組織の沈着により肥厚化していた。(<証拠省略>)」
(2) 同4頁23行目の「いた。」の次に「各勤務の所定就業時間は,括弧内に記載のとおりである。」を加える。
(3) 同8頁24行目の次に,改行して次のとおり加える。
「 被控訴人らは,亡Bが公務上死亡したとされる場合,国家公務員災害補償法15条,17条の4,17条の5,18条により,控訴人に対し,遺族補償一時金及び葬祭補償の請求権を取得する者らである。」
(4) 同11頁6行目の次に,改行して以下のとおり加える。
「(8) 支給されるべき補償金額
亡Bが公務上死亡したとされる場合,国家公務員災害補償法に基づいて被控訴人らが給付を受ける遺族補償一時金の額は1187万5000円,葬祭補償の額は71万2500円である。(弁論の全趣旨)」
3 争点
(1) 亡Bが公務上死亡したといえるか,即ち,亡Bが平成13年2月13日に発症した脳動脈瘤破裂に伴うくも膜下出血(本件発症)に公務起因性が認められるか否か
(2) これが肯定される場合,国家公務員災害補償法による遺族補償一時金及び葬祭補償の請求権が遅滞に陥る時期は何時か
4 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)について
ア 次のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に関する当事者の主張」の「2」ないし「5」欄(同11頁25行目から同27頁19行目まで(27頁右段19行-「(省略)」中)のとおりであるから,これを引用する。
イ 当審における当事者の主張
(被控訴人ら)
(ア) 亡Bがくも膜下出血を発症したのは,基礎疾患である脳動脈瘤の破裂に伴うものであるが,この発症に公務起因性が認められるためには,①亡Bの従事した業務が,同人の基礎疾患たる脳動脈瘤を自然経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷(過剰負荷)のある業務であったと認められること,②亡Bの上記基礎疾患が,確たる発症の危険因子がなくとも,その自然経過により,脳・心臓疾患を発症させる寸前まで進行していたとは認められないこと,③亡Bには,公務の他に確たる発症因子はないことの要件が備われば十分というべきである。亡Bの発症(本件発症)には上記の要件が全て存するので,本件発症に公務起因性が認められるというべきである。
(イ) 亡Bの業務は,その量的過重性(労働時間)の面からも,質的過重性(勤務の内容)の面からも過重であり,同人が有していた脳動脈瘤の基礎疾患を,自然的経過を超えて増悪させる要因となるものであった。
亡Bが従事していた看護業務の過重性を判断するに当たっては,労働時間の長さという量的過重性とともに,業務そのものの有する負荷要因である質的過重性を併せて総合的に判断しなくてはならない。質的過重性という点で重要なのは,亡Bが日勤,早出,遅出,準夜勤,深夜勤と勤務日ごとに勤務時間帯が日々変更交代する夜勤交代勤務に就いてきたことである。これに労働時間の長さという量的過重性が加わることによる相互・相乗作用によって,亡Bの過労,ストレスは,自然経過を超えて発症の危険を高めるものにまで至ったのである。
(ウ) 亡Bのくも膜下出血の発症(本件発症)は,同人の基礎疾患である脳動脈瘤が,通常の日常生活の下での自然的経過において限界に至ったことにより破裂して生じたものとは認められない。
控訴人は,前交通動脈の脳動脈瘤は,年齢とは無関係に内径が平均して約8ミリメートルを超える状態まで成長すると破裂することが多いとし,亡Bについて,その脳動脈瘤が破裂した際の大きさが約8ミリメートルであったことから,同脳動脈瘤は,長時間をかけて成長し,通常の破裂限界まで成長した後,破裂したと考えられると主張するが,破裂脳動脈瘤の平均内径が約8ミリメートルであることが,直ちに脳動脈瘤の内径が約8ミリメートルを超える状態になると破裂することが多いことを意味するわけではなく,生涯破裂することなく終わる可能性が高確率で存在するものであるから,控訴人の主張は失当である。
(エ) 亡Bの脳動脈瘤は,確たる発症の危険因子がなくても,その自然的経過により本件発症に至る直前まで増悪しておらず,また,本件発症前に従事していた過重な看護業務以外に,自然的経過を超えて発症させるまで増悪させる因子はない。
(控訴人)
(ア) 亡Bの業務は,亡Bが有していた脳動脈瘤の基礎疾患を,自然的経過を超えて増悪させる要因となるものではなく,本件発症は,先天的要因を主要因として同人が循環器病センターに就職するはるか以前から発生・成長してきた動脈瘤が,通常の日常生活の下での自然的経過において限界に至ったことにより破裂して生じたものであるから,本件発症に公務起因性は認められない。
(イ) 亡Bの業務は,その量的過重性(労働時間)の面からも,質的過重性(勤務の内容)の面からも過重と評価されるべきものではなく,したがって,同人の業務は,亡Bが有していた脳動脈瘤の基礎疾患を,自然的経過を超えて増悪させる要因となるものではない。
亡Bはローテーションによる交代制勤務に従事していたが,そのパターンは9階東病棟の看護師の交代制勤務の標準的なものの範囲内にある。亡Bが従事した交代制勤務において,勤務と勤務との間隔が5時間程度のシフトがあったことは事実であるが,休日を配置するなどにより,シフトによる負荷が過重なものにならないようにする配慮もなされているから,夜勤交代制勤務であったことを特に重視すべきではない。
業務によるストレスのため疲労の蓄積があったとすれば,身体的変化としては,視床下部の亢奮を通して交感神経系の刺激と下垂体・副腎系の反応が起こり,心拍出量の増大,末梢血管の収縮,脂質代謝異常等が生ずることとなり,末梢血管の収縮は拡張期圧の上昇を招くこととなるが,亡Bの血圧は,循環器病センターに就職した後の健康診断の成績によれば,高血圧を示したことはなく,特に拡張期圧は低値を示していた。このことは,むしろ,亡Bの業務が,その動脈瘤を,自然的経過を超えて著しく増悪させたことがなかったことを示している。
(ウ) 亡Bのくも膜下出血の発症は,先天的要因を主要因として同人が循環器病センターに就職するはるか以前から発生・成長してきた動脈瘤が,通常の日常生活の下での自然的経過において限界に至ったことにより破裂して生じたと推認することが合理的である。
亡Bについては,脳動脈瘤が発生した動脈に明らかな血管の形成異常が認められる。前大脳動脈の起始部から前交通動脈を分岐するまでの区間は「A1」という呼称で区分されるが,亡Bの右内頚動脈造影を見ると,本来なら右内頚動脈から分岐して造影されるべき右前大脳動脈のA1部分の陰影が完全に欠損している。このような形成不全がある場合,他の動脈やバイパスとなる血行路は,血管にかかる負荷が大きくなり,血管が拡張し,血流量が増えることが考えられる。したがって,亡Bの脳動脈瘤の発生には,先天的な血管形成異常に伴う血流動態が大きく関与していたということができる。
前交通動脈の脳動脈瘤は,年齢と無関係に,内径が平均して約8ミリメートルを超える状態まで成長すると破裂することが多いとされる。亡Bの脳動脈瘤が破裂した際の内径は8ミリメートルであったから,同脳動脈瘤は,破裂が生ずる頻度のピークの大きさに達していた。
すなわち,亡Bの脳動脈瘤は,その大きさから見て長期間をかけて成長し,通常の破裂限界まで成長した後,破裂したと考えられる。
(2) 争点(2)について
(被控訴人ら)
ア 国家公務員災害補償法による災害補償は,労働者災害補償保険法,地方公務員災害補償法における災害補償と異なり,災害発生の事実が生じた時点で補償請求権が発生する。補償金額は被災者の過去3か月の給与額に基づいて算出されるから,補償請求権が発生した時点で直ちに算定可能なものであるし,公務起因性の判定が遅延することによる不利益は補償を実施する者において負担するのが相当であるから,補償請求権の遅滞は,請求権が発生した日の翌日に生ずると解すべきである。
イ 仮に,補償請求権が期限の定めのない債務であるとしても,被控訴人らは,平成14年6月5日に公務上認定の申出をしたものであり,同申出は補償請求権の請求の意思表示といえるから,遅くともその翌日の同月6日には,控訴人に遅滞が発生したということができる。
(控訴人)
ア 国家公務員災害補償法による災害補償の支払債務は,法令上特にその期限は定められていないから,期限の定めのない債務と理解されるべきであり,したがって,履行請求があった時期以降でなければ遅延損害金が発生することはあり得ない。
イ また,公務災害補償制度の仕組みからすれば,履行請求(認定の申請)があっても,支払われる補償金の額が明らかになるまでは,その支払をすることができない。ある疾病等が国家公務員災害補償法による公務災害と認定されるためには,当該疾病等に公務起因性が認められるかどうかの調査を経なければならないのであり,また,これが肯定されても,補償を受けようとする者は,実施機関に対し,補償の種類に応じた請求書等を提出しなければならないとされている。そして,人事院規則16-4第2条1項は,実施機関が補償を受けようとする者から請求書を受理したときは,「これを審査し,補償金額の決定を行い,補償を受けるべき者に書面でその支給に関する通知をしなければならない」と定めており,同条2項は,遺族補償一時金や葬祭費等の支給は,「前項の通知後速やかに行う」と定めているのであるから,認定の申請がされたとしても,公務起因性が認められ,補償金額が明らかになる以前の段階で,遅延損害金が発生することもない。
第3当裁判所の判断
1 公務起因性の判断基準について
国家公務員災害補償法による補償給付である遺族補償一時金及び葬祭補償が支給されるためには,職員の死亡が「公務上」(同法15条,18条)のものであること,すなわち,公務起因性が認められる必要がある。そして,これを認めるためには,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡したこと,すなわち,上記負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係が存することが必要である。
ところで,くも膜下出血を含む脳・心臓疾患は,基礎疾患(動脈瘤ないし血管病変)が,生体が受ける日常的な通常の負荷によっても,徐々に進行及び増悪するという自然的経過を辿って発症するものであり,労働者に限らず,一般の人々にも普遍的に数多く発症する疾患であるから,業務についても,それが日常的な通常の負荷に止まるときは,基礎疾患の増悪があったとしても自然的経過の範囲内のものと考えるのが自然であるが,一方,業務による過剰な負荷が加わることにより,基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させ,脳・心臓疾患を発症させる場合があることは医学的に広く認知されているところである(<証拠省略>。なお,この点について,乙22(B氏のくも膜下出血についての意見書)には,特殊な業務の種類や交代制勤務などの生活リズムを乱すような不規則な業務,過重な業務,過労などが脳動脈瘤の増大や破裂の危険因子となるという科学的根拠や医学的事実はないとの記載があるが,前掲証拠に照らしてこれをそのまま採用することはできない。)。そうだとすると,労働者が過重な業務により,基礎的疾患を自然的経過を超えて増悪させ,くも膜下出血を発症したと認められるときには,その疾病の業務起因性を肯定するのが相当である。なお,控訴人は,公務起因性の判断は本件指針に沿って行われるべきであると主張するが,本件指針は多数の公務災害の認定請求を迅速に処理するために作成されたもので,これ自体は行政の内部通達にすぎないものであるから,裁判所において,公務起因性の判断に当たって,その内容を斟酌することは格別,これに沿って行わなければならないとするのは相当でない。
そして,本件において,亡Bの基礎疾患たる脳動脈瘤が,確たる発症の危険因子がなくとも,その自然経過により,くも膜下出血を発症させた場合には,この発症と公務との相当因果関係を否定すべきであるが,そうではなく,上記基礎疾患が,確たる発症の危険因子がなくとも,その自然的経過により,脳・心臓疾患を発症させる寸前まで進行していたとは認められない場合に,亡Bの従事した公務が,同人の基礎疾患たる脳動脈瘤を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷(過剰負荷)のある業務であったと認められ,かつ,亡Bに,公務の他に確たる発症の危険因子がないことが明らかになれば,くも膜下出血の発症(本件発症)と公務との相当因果関係が肯定されるというべきである。
2 脳動脈瘤について
(1) 脳動脈瘤の発生機序
証拠(<証拠省略>)によれば,亡Bの動脈瘤は,嚢状脳動脈瘤と呼ばれる種類のものであり,その発生機序は次のとおりであると認められる。
ア 嚢状脳動脈瘤は,脳動脈の一部に何らかの理由で構造的な脆弱部が存在し,血管内圧や血流によりその部分が膨隆することにより発生すると考えられている。嚢状脳動脈瘤の発生要因となる動脈壁の局所的な脆弱性は,感染症や腫瘍の転移などによって病変を生じ,そのために構造的な脆弱性が生ずる場合と,このような基礎疾患は明確ではないが,動脈壁に局所的な脆弱部があり,そのために脳動脈瘤を生ずる場合とがある。
イ 明らかな基礎疾患がない動脈壁の脆弱性に起因する脳動脈瘤(すなわち特発性脳動脈瘤)の成因についてはまだ十分解明されていない。しかし,組織解剖学的な検討では,脳動脈瘤壁の血管中膜が欠損していること,発生部位が比較的限局していること,血管分岐部に多いこと,若年者にもみられること等の理由から,先天的若しくは素因的に血管構造に局所的な脆弱部があり。そのことが脳動脈瘤の発生・成長要因となるとするのが一般的である。
特発性の嚢状脳動脈瘤の発生は,脳下面(頭蓋底部)の脳主幹動脈及びその分岐に多く,特に血管分岐部における発生頻度が高い。脳下面を走行する脳主幹動脈は,特異的な吻合網を形成しているが,その形成過程で種々の変異や形成異常が起こりやすく,そのことが脳動脈瘤発生に大きく関係している。
脳の前交通動脈,左右の前大脳動脈,内頚動脈,後交通動脈及び後大脳動脈は,亀の甲の形で環状につながっており,この部分はウィリス動脈輪(大脳動脈輪)と呼ばれている。
報告によって多少頻度に差はあるが,破裂脳動脈瘤は前交通動脈における発生頻度がもっとも高く,ついで内頚動脈(特に後交通動脈との吻合部),中大脳動脈(特に第1分岐部)の順に多いとされている。脳底動脈と椎骨動脈における脳動脈瘤の発生頻度は比較的低く,脳動脈瘤の発生はウィリス動脈輪の前半部の動脈に多発するということができる。特発性の嚢状脳動脈瘤がこのような領域に集中して発生する理由の一つは,血管吻合や血管分岐が多く,変異や血管壁の形成異常を伴いやすいことがその一因である。脳主幹動脈は,頭蓋腔内に入って分岐を脳実質内へ送るまではくも膜下腔を走行しているが,頭蓋外の本幹部分及び脳実質内の分岐に比較すると,くも膜下腔を走行する部分には変異が多いことが知られている。特に,脳底部の動脈における独特な吻合網は種々の変異を伴いやすく,また,同時に血管壁の形成不全を生じやすい。
ウ 嚢状脳動脈瘤の発生・成長に関与する要因としては,血管壁の局所的脆弱性のほかに,血行力学的な要因がある。嚢状脳動脈瘤は,血管壁の一部が伸展されて外側に向かって膨隆したものであり,血管壁を伸展させる張力の大小が動脈瘤の発生及び成長に大きく関係すると考えられている。
血管分岐部では,他の部分と異なる血管壁への力が加わる。血管内の血流速度は,中心部で最も大きく,血管壁に接する周辺部ではきわめて小さい。しかし,血管分岐部では,中心部の流速の大きい(すなわち運動量の多い)血液が直接血管壁に当たることになる。しかも動脈流は拍動性であることから,分岐部の血管壁を周期的にたたくように血液が衝突する。また,その周辺では渦巻き流などを生じ,複雑な血行動態の変化を生ずる。加えて,血液は単純な液体ではなく,赤血球などの固体成分が浮遊・混在した流動体であり,赤血球などの血液固形成分は主に血流の中心部を流れるから,血管分岐部では,これらの固形成分が血管壁に衝突する率が高い。したがって,血管分岐部の血管壁は,直線部分の血管壁より血行力学的な負荷が大きく,その部分の血管壁に構造的な脆弱部があると伸展されて膨隆し,動脈瘤を作ることになる。
エ 脳底部の動脈は,特殊な吻合網を構成していることから,分岐が多く,しかも血流動態が複雑である。このため,血管形成異常が起こりやすいことに加えて,このような血行力学的な負荷が大きく,そのことが脳底部の動脈に嚢状脳動脈瘤が発生しやすい理由のひとつになっている。非分岐部の動脈でも,高度の湾曲や屈曲がある場合には,同様の血行力学的な負荷が加わり,血管壁に局所的な脆弱部があれば動脈瘤を形成することがありうる。また,動脈の分岐部や湾曲の強い部分にみられるこのような血行力学的な負荷は,血管内膜を損傷しやすく,動脈硬化を起こす要因でもある。
(2) 脳動脈瘤の破裂の機序
証拠(<証拠省略>)及び弁論の全趣旨によれば,脳動脈瘤の破裂の機序は次のとおりであると認められる。
ア 特発性の嚢状脳動脈瘤の場合は,脳動脈瘤壁の張力に対する耐容限界と内圧などによる壁を伸展させる張力とのバランスが崩れたときに破綻すると考えられている。
すなわち,動脈瘤壁の破裂を促進する因子としては,①動脈瘤壁に対して内側より作用する血行力学的圧力があり,これに対して破裂に拮抗する因子としては,②動脈瘤壁の構造的強度,③脳動脈瘤を外側から取り巻く脳脊髄液や脳実質(くも膜,軟膜を含む。)の圧力があり,①に由来する動脈瘤壁に対する破壊力が,②③を加えた防御力を凌駕したときに脳動脈瘤は破裂に至ると考えられている。もっとも,上記③については,大量の髄液を採取した場合などを除いては,自発的に髄液圧が低下することはまずないとされており,臨床的に見られる脳動脈瘤の破裂は内圧上昇の場合が大半と考えられている。
イ 脳動脈瘤破裂の誘因となるのは,上記①の血行力学的圧力を増大させ,上記②の動脈瘤壁の構造的脆弱化を促進させ,上記③の圧力を減弱させる方向に働く因子である。力みを伴う排便・排尿や身体を前屈させたり,息を止めて力を入れる動作は,上記①の要素を増大させるのみならず,胸腔内圧の上昇に伴う一過性の脳脊髄液圧上昇に引き続く過度の脳脊髄液圧の低下,すなわち上記③の減弱を引き起こし,脳動脈瘤破裂の一因になるとされている。しかし,このような動作があっても,動脈瘤壁の構造的脆弱化が十分に進行していない状況では,脳動脈瘤破裂が惹起されることがないのに対し,動脈瘤壁の構造的脆弱化が十分に進行しておれば,①に作用する軽微な因子によっても脳動脈瘤は破裂することになる。
動脈瘤壁の構造的脆弱化という過程は,ある程度の時間的な蓄積効果の結果としてもたらされるものであり,しかも破裂するかどうかは血行力学的な負荷の強度との関係によって決定されるため,破裂時点での脆弱化の程度もまた多様であり,これに関与する因子の究明は困難である。
(3) くも膜下出血の発症についての知見
ア 脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血と年齢との関係については,40ないし60才における発生頻度が高く,30才未満の発生頻度は低い。1985年のCらの報告によれば,脳動脈瘤の破裂に係る4599例のうち40才代は1407例(30.59パーセント),50才代は1456例(31.65パーセント)であったのに対し,30才未満は42例(0.91パーセント)にすぎなかった。
上記の事実は,脳動脈瘤が発生してから破裂に至るまで成長するにはある程度の時間的経過を要することを強く示唆する。脳動脈瘤の成長には,基礎にある血管異常と血行力学的な要因の両者が関与するが,中年期以降に発症のピークがあるということは,平均的に見れば,脳動脈瘤が発生してから破裂に至るまでには血行力学的な要因が関与する時期がある程度以上必要であることを示している。(<証拠省略>)
イ 1979年の溝井らの655例の単発性脳動脈瘤の検討報告によれば,最大径の平均値は破裂脳動脈瘤では8.01±3.5ミリメートル,非破裂脳動脈瘤では10.04±6.84ミリメートルである。破裂脳動脈瘤で最も小さいものは2.5ミリメートル,最も大きいものは28ミリメートルであるが,4ミリメートル未満のものは18個(2.8パーセント)で,これを超えると頻度が急増し,7ミリメートルにピークがあるとしている。破裂脳動脈瘤の性別及び年齢別に見た大きさに有意差はないが,親血管別に見ると内頚動脈に発生した破裂脳動脈瘤の平均最大径は8.57±3.78ミリメートルで最も大きく,次に中大脳動脈の8.33±3.62ミリメートルとなっており,前交通動脈の破裂脳動脈瘤は7.60±2.87ミリメートルでやや小さく,内頚動脈及び中大脳動脈のものに比べて推計学的な有意差が認められたとされている。(<証拠省略>)
ウ 米国のくも膜下出血に対する共同研究によれば,脳動脈瘤と脳動静脈奇形に分けてくも膜下出血患者の年齢分布を見ると,脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の好発年齢は40ないし60才であるが,脳動静脈奇形によるくも膜下出血の発症年齢は20ないし40才にピークがあり,脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血よりかなり若年側に偏っている。(<証拠省略>)
エ 一般的に未破裂脳動脈瘤が破裂する確率は低く,年間1パーセント足らずとされており,くも膜下出血の既往歴のないグループの直径10ミリメートル以下の脳動脈瘤の年間破裂率は0.05パーセントであったとの報告もある。
未破裂脳動脈瘤が生涯にわたって破裂する確率を脳動脈瘤が発見された年代ごとに算定した1982年のDellの報告によれば,20才代で発見された脳動脈瘤が生涯にわたって破裂する確率は16.6パーセント,40才代では14.4パーセントとされている。
くも膜下出血以外の診断の目的で行われた脳血管撮影で偶然に発見される脳動脈瘤の確率は5パーセントとされる一方,脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発生率は人口10万人当たり年間15人程度とされており,これは0.015パーセントに当たる。(<証拠省略>)
(4) 以上を前提に,亡Bの脳動脈瘤の本件発症直前の状況について検討する。
ア 証拠(<証拠省略>)及び弁論の全趣旨によれば,亡Bの脳動脈瘤は前交通動脈に存在していたこと,亡Bの右頚動脈造影では,本来なら右内頚動脈から分岐して造影されるべき右前大脳動脈のA1部分に細い血行が造影されているにすぎず,右前大脳動脈には先天的な欠損若しくは形成不全が存在することが認められる。そして,脳動脈瘤の発生機序として先に認定した事実に照らすと,亡Bの上記A1部分の先天的形成不全は,他の動脈やバイパスとなる血行路にその分の血流を代償して流す必要を生じさせ,血管にかかる負荷を増大させて脳動脈瘤発生の要因となった可能性が高いと認められる。
本件において,上記脳動脈瘤の発生時期を明らかにすべき証拠はないが,動脈瘤壁の構造的脆弱化という過程は,ある程度の時間的な蓄積効果の結果としてもたらされるものであること(乙22には,治療のために頚動脈を結紮閉塞後に,反対側頚動脈から前大脳動脈に血行力学的負荷が加わり始め,どのくらいの期間で前交通動脈や反対側の内頚動脈に脳動脈瘤が新生し増大破裂するかを観察した研究では,その期間は6年から20年(平均10年,少なくとも5年以上)とも言われているとの記載がある。),破裂時における内径が8ミリメートルに達していたこと,脳動脈瘤の頚部の壁に肥厚化が生じていたことに照らすと,上記脳動脈瘤は相当以前の時期に発生し,長期にわたって成長してきたものと推認される。
イ しかし,上記(1)ないし(3)の事実に,亡Bの本件発症時の年齢が25才であること,亡Bは前記のような業務に従事していたが,平成12年8月14日以降,頭痛等の病気による休暇を取得したことはなかったこと,定期健康診断及び特別健康診断において特段の異常はなく,本件発症までの間,支障なく勤務しており,その勤務状況は良好であったこと(<証拠省略>,弁論の全趣旨)などに照らすと,亡Bの脳動脈瘤は,本件発症直前において,確たる発症の危険因子がなくとも,その自然的経過により,くも膜下出血を発症させる寸前まで進行していたとは認め難い。
3 公務による過重負荷について
(1) 量的過重性(労働時間)について
ア 次のとおり補正するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第4 当裁判所の判断」の「3 亡Bの従事した公務の量的過重性(時間外労働時間)」欄の(1)ないし(5)(同30頁1行目から同39頁14行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
(ア) 原判決31頁11行目の「記載内容からすると,」の次に「その全ての」を,同16行目の「電子メールの」の次に「一般的な」を各加え,同17行目の「できない。」を「できないが,電子メールの文面その他から,それが出勤の直前または帰宅の直後に送信されたことが推認され,かつ,帰宅途中に買い物等をした可能性が少ないと認められる場合には,その送信時刻から出退勤の時刻を推認するのが相当である。そして,電子メールの送信時刻から退勤時刻を推認する場合は,まず,当該メールの内容等から帰宅時間を認定し,通勤時間を考慮して帰宅時間の15分前(被控訴人らは通勤時間を15分と主張し,控訴人はこれを明らかに争わない。)を当該日の勤務終了時刻と認めるのが相当である。」と改める。
(イ) 同34頁15行目の次に改行して,次のとおり加える。
「ア 平成12年8月17日
当日の勤務は日勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,午後7時41分に自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められる。これからすると,亡Bは午後7時30分には帰宅していたと認められるから,同日の勤務終了時刻は午後7時15分と認めるのが相当である。そうすると,時間外労働時間は2時間45分と認められる。
イ 平成12年8月19日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同月20日午前2時10分に自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められる。これからすると,亡Bは20日午前2時には帰宅していたと認められるから,同日の勤務終了時刻は20日午前1時45分と認めるのが相当である。そうすると,時間外労働時間は1時間30分と認められる。
ウ 平成12年9月2日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同月3日午前7時16分に自宅のパソコンから電子メールを送信したが,同電子メールの中には,帰宅時間が3日午前3時であったとする記載があることが認められる。控訴人は,亡Bの電子メールには業務の繁忙さを誇張した表現になっている可能性があると指摘するが,具体的な帰宅時間を記載した上記メールに誇張があるとは認め難い。また,亡Bが,一般的には帰宅塗中で買い物等をする可能性があり得るとしても,9月3日には日勤を控えていたのであるから,9月2日の勤務終了後にそのような行動に及ぶとは考え難い。以上によれば,通勤時間を考慮した当日の勤務終了時刻は3日午前2時45分であり,時間外労働時間は2時間30分と認めるのが相当である。
エ 平成12年9月29日
当日の勤務は準夜勤であるが,被控訴人らは,亡Bが同月30日午前5時に自宅のパソコンから発信した電子メール(<証拠省略>)に,帰りがこんな時間になってしまってとの記載があることを指摘して,亡Bの勤務終了時刻は30日午前4時30分ころであると主張する。しかし,上記メールには帰宅時間が具体的に記載されておらず,また,亡Bが帰宅直後に上記メールを発信したことを認めるに足りる証拠もないから,被控訴人らの上記主張は採用できない。」
(ウ) 同34頁16行目の「ア」を「オ」と,同19行目の「イ」を「カ」とそれぞれ改め,同22行目の次に改行して,次のとおり加える。
「キ 平成12年10月21日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同月22日午前2時20分に自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められるほか,同日午前8時3分に送信した電子メール(<証拠省略>)には,昨日は帰ってきたのが1時(10月22日午前1時)との記載がある。これからすると,帰宅時間は10月22日午前1時ころ,当日の勤務終了時刻は準夜勤の定時である翌22日の午前1時であり,時間外労働時間は45分と認めるのが相当である。
ク 平成12年10月22日
当日の勤務は日勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,午前8時3分に自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められる。通勤時間を考慮すると,同日の亡Bの出勤時刻は同日午前8時20分であり,時間外労働時間は2時間40分と認めるのが相当である。
ケ 平成12年11月4日
当日の勤務は遅出であるが,控訴人は,(証拠省略)に亡Bが午後8時くらいには退勤できると考えていたことを示す記載があることを指摘して,同日の亡Bの退勤が午後8時30分であることを争っている。しかし,亡Bが上記のとおり考えていたとしても,実際にその時刻に退勤できたことを認めるに足りる証拠はないから,同日の退勤時刻は遅出の通常の退勤時刻である午後8時30分と認めるのが相当である。
コ 平成12年11月8日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同月9日午前2時10分に自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められる。これからすると,亡Bは9日午前2時には帰宅していたと推認されるから,当日の勤務終了時刻は9日午前1時45分,時間外労働時間は1時間30分と認めるのが相当である。
サ 平成12年11月21日
当日の勤務は準夜勤であるが,控訴人は,亡Bが,翌22日午前2時33分に自宅のパソコンから電子メールを送信したこと,同電子メールに「思ったよりも早く帰ってくることができました。」と記載されていることを指摘して,亡Bの同日の退勤時刻が22日午前2時15分であることは考えられないと主張する。確かに,(証拠省略)によれば,控訴人の上記指摘に係る電子メールの送信の事実が認められるが,このことを前提にしても,亡Bの同日の退勤時刻が準夜勤の通常の退勤時刻である午前2時15分と考えられないとはいえず,同日の退勤時刻は準夜勤の通常の退勤時刻である午前2時15分と認めるのが相当である。
シ 平成12年11月27日
当日の勤務は深夜勤であるが,(証拠省略)の電子メールには,控訴人の帰宅が午後4時であったとの記載がある。同電子メールには,新人が提出するレポートに副婦長と一緒につき合っていた旨,帰宅が遅れた理由も具体的に記載されており,上記帰宅時間の信用性は高いというべきである。そして,上記電子メールの内容からすると,亡Bが,同日,帰宅途中で買い物等をしていたとは認められない。通勤時間を考慮すると,当日の勤務終了時刻は午後3時45分であり,時間外労働時間は6時間45分と認めるのが相当である。
ス 平成12年11月28日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)の電子メールには,控訴人が午前2時くらいに帰宅したとの記載がある。控訴人は,上記記載からすると,亡Bは遅くとも午前1時45分までには退勤していたと主張するが,上記帰宅時刻の記載が一定の幅を持った表現であることからすると,亡Bの同日の退勤時刻が準夜勤の通常の退動時刻である午前2時15分と考えられないとはいえず,同日の退勤時刻は準夜勤の通常の退勤時刻である午前2時15分と認めるのが相当である。」
(エ) 同34頁23行目の「ウ」を「セ」と改め,同35頁1行目の次に改行して,次のとおり加える。
「ソ 平成12年12月10日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)(電子メール)によれば,亡Bは,同月11日未明に帰宅し,シャワーを浴びた後,同日午前2時24分に上記メールを送信したことが認められる。これからすると,亡Bの帰宅時刻は11日午前2時,勤務終了時刻は11日午前1時45分であり,時間外労働時間は1時間30分と認めるのが相当である。
タ 平成12年12月14日
当日の勤務は深夜勤であるが,同日午後0時4分に発信された(証拠省略)の電子メールには,「やっと,帰ってこれました」という記載がある。同メールに記載されている亡Bの当日の勤務状況からすると,当日の亡Bの帰宅時間は,通常の帰宅時間と比べて遅いものであったと推認され,亡Bが帰宅途中に他所に立ち寄ったとは認め難い。これらによれば,当日の帰宅時間は午前11時50分,勤務終了時刻は午前11時35分と認めるのが相当である。そうすると,時間外労働時間は2時間35分となる。
チ 平成12年12月28日
当日の勤務は日勤であるが,同日午後6時44分に送信された電子メール(<証拠省略>)には,「今,夕食を食べています。」との記載があるから,少なくとも同時刻には,亡Bの勤務が終了していたことが明らかである。亡Bが夕食をとった場所は不明であるが,上記記載からすると,勤務終了時刻は午後6時30分であり,時間外労働時間は2時間と認めるのが相当である。
ツ 平成12年12月29日
当日の勤務は深夜勤であるが,被控訴人らは,同日午前11時56分に携帯電話から発信された亡Bのメール(<証拠省略>)は,亡Bが携帯電話を病院の休憩室に置いていたことが窺えることからすると,病院にいる間に送信された可能性が高いといえるので,同日の退勤時刻は午前12時ころと認めるべきであると主張する。しかし,亡Bが携帯電話を病院の休憩室に置いていたことから,直ちに上記メールが病院にいる間に送信されたと認めることはできないので,被控訴人らの上記主張は採用できない。当日の勤務終了時刻は,深夜勤の通常の勤務終了時刻である午前10時30分であり,時間外労働時間は1時間30分と認めるのが相当である。
テ 平成13年1月1日
当日の勤務は準夜勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同月2日午前2時24分に自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められる。これからすると,亡Bは同日午前2時15分には帰宅していたと認められ,勤務終了時刻は同日午前2時であると認められる。以上によれば,時間外労働時間は1時間45分と認められる。
ト 平成13年1月2日
当日の勤務は日勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,帰宅後の同日午後6時58分に,自宅のパソコンから,「今から夕食を作ります。」とのメールを送信したことが認められる。これからすると,亡Bは同日午後6時50分には帰宅していたと認められ,勤務終了時刻は同日午後6時35分であると認められる。以上によれば,時間外労働時間は2時間05分となる。
ナ 平成13年1月5日
当日の勤務は深夜勤であるが,(証拠省略)によれば,同日午後1時14分に「やーっと帰ってこれました。さすがに疲れました。ちょっと休みます。」などとするメールが携帯電話から発信されていることが認められる。同文面によれば,当日の勤務は通常の勤務に比べても多忙であったこと,同メールの送信は亡Bの帰宅後間もなくであることが窺われ,亡Bが帰宅途中に他所に立ち寄ったとは認め難い。これからすると,亡Bの帰宅時間は午後1時ころであり,通勤時間等を考慮した勤務終業時刻は同日午後0時45分と認めるのが相当である。これによれば,当日の亡Bの時間外労働時間は3時間45分となる。」
(オ) 同35頁2行目の「エ」を「ニ」と改め,同6行目の「認める。」の次に「被控訴人らは,上記メールの件名が「終わらない!」となっていることからすると,実際に亡Bの当日の勤務が終わったのは午後11時よりも遅かった可能性があると主張するが,これを具体的に認めるに足りる証拠が存在しない以上,勤務終了時刻を上記のとおり認定することもやむを得ない。」を加え,さらに改行して,次のとおり加える。
「ヌ 平成13年1月12日
当日の勤務は深夜勤であるが,被控訴人らは,亡Bが前日の11日午後11時35分に「今から夜勤です。」とする電子メール(<証拠省略>)を送信していることから,12日の始業時刻は午前0時であると主張するが,亡Bが上記メールを送信したのが出勤の直前であったと認めるに足りる証拠はないから,被控訴人らの上記主張は理由がない。
(証拠省略)によれば,亡Bは,当日の勤務を終えて帰宅後の同日午前11時54分,「また,こんな時間になってしまいました。眠いようー」等とする電子メールを送信したことが認められる。同文面によれば,当日の勤務は通常の勤務に比べても多忙であったこと,同メールの送信は亡Bの帰宅後間もなくであることが窺われ,亡Bが帰宅途中に他所に立ち寄ったとは認め難い。これからすると,亡Bの帰宅時間は同日午前11時45分ころであり,勤務終業時刻は午前11時30分と認めるのが相当である。これによれば,当日の亡Bの時間外労働時間は2時間30分となる。
ネ 平成13年1月14日
当日の勤務は遅出であるが,(証拠省略)によれば,同日午後10時16分に「やっと帰ってこれましたー」などとする,件名「疲れたよう。」との電子メールが携帯電話から発信されていることが認められる。同文面によれば,当日の勤務は通常の勤務に比べて多忙であったこと,同メールの送信は亡Bの帰宅後間もなくであることが窺われ,亡Bが帰宅途中に他所に立ち寄ったとは認め難い。これからすると,亡Bの帰宅時間は午後10時10分ころであり,勤務終業時刻は午後9時55分と認めるのが相当である。これによれば,当日の亡Bの時間外労働時間は2時間25分となる。
ノ 平成13年1月25日
当日の勤務は遅出であるが,控訴人らは,亡Bが,同月26日午前0時42分,「やっと帰宅しました。しんどかったー」などとする電子メール(<証拠省略>)を携帯電話から送信していることから,当日の帰宅時刻がこのころであると主張する。しかし,(証拠省略)によれば,亡Bは,同月25日午後11時17分,自宅のパソコンから電子メールを送信したことが認められるから,上記携帯電話からの電子メールが送信されたころに,亡Bが帰宅したと認めることはできない。同メールによれば,当日の勤務が多忙であったことは窺われるものの,他に帰宅時間を認めるに足りる的確な証拠はないから,当日の勤務終了時刻は,遅出の通常の勤務終了時刻である午後8時30分と認めるほかない。そうすると,当日の亡Bの時間外労働時間は1時間となる。
ハ 平成13年1月30日
当日の勤務は日勤であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同日午後9時18分に「やっぱ,疲れたよー」との,同午後9時20分に「9時前くらいに帰ってきたよー」との電子メールを携帯電話から送信したことが認められる。これによれば,当日の勤務は通常の勤務に比べて多忙であったこと,当日の帰宅時間が午後9時前であったことが窺われ,亡Bが帰宅途中に他所に立ち寄ったとは認め難い。これからすると,亡Bの帰宅時間は午後8時50分であり,勤務終業時刻は午後8時35分と認めるのが相当である。これによれば,当日の亡Bの時間外労働時間は4時間05分となる。」
(カ) 同35頁7行目の「オ」を「ヒ」と改め,同11行目の次に改行して,次のとおり加える。
「フ 平成13年2月13日
当日の勤務は遅出であるが,(証拠省略)によれば,亡Bは,同日午後9時45分に「とりあえず帰ってきました。眠すぎる!副婦長さんたちは残っていたけど,今夜は大丈夫なんじゃないかなー」などとする電子メールを携帯電話から送信したことが認められる。同文面によれば,当日の勤務は通常の勤務に比べても多忙であったこと,同メールの送信は亡Bの帰宅後間もなくであることが窺われ,亡Bが帰宅途中に他所に立ち寄ったとは認め難い。これからすると,亡Bの帰宅時間は午後9時30分ころであり,勤務終業時刻は午後9時15分と認めるのが相当である。これによれば,当日の亡Bの時間外労働時間は1時間45分となる。」
イ 以上の検討によれば,本件発症から遡って6か月前までの各1か月の時間外労働時間数は,別紙労働時間計算表の「実際の時間外労働時間」欄記載のとおりとなり,亡Bの職場では,時間外労働が恒常化していたということができる。
また,これによると,亡Bの発症前の時間外労働は,発症前1週間(平成13年2月7日から同月13日まで)については11時間15分,発症前1か月間(平成13年1月14日から同年2月13日まで)については54時間45分,発症前2か月目(平成12年12月14日から平成13年1月13日まで)については59時間10分,発症前3か月目(平成12年11月14日から平成12年12月13日まで)については64時間45分,発症前4か月目(平成12年10月14日から平成12年11月13日まで)については50時間25分,発症前5か月目(平成12年9月14日から平成12年10月13日まで)については38時間15分,発症前6か月目(平成12年8月14日から平成12年9月13日まで)については54時間15分であり,相当長時間に及んでいたということができる。
(2) 亡Bの従事した公務の質的過重性
ア 亡Bの勤務の実態
(ア) 亡Bの従事していた看護業務には,身体の不自由な患者を介助するため身体への負荷の高い重労働があり,患者の生命に係わる複雑かつ緊急を要する判断を要求されるなど他の職業にない緊張や能力を求められる面があるといえる。また,特に,循環器疾病に対する高度の専門的医療・調査・研究の役割を担う循環器病センターにおいては,そこに勤務する医師,看護師は,日夜,先端的な医療,新しい医療技術の開発,循環器病を専門とする医療従事者の育成等に専心しており,看護師の場合においても,若く有能な看護師が全国から集まり,循環器病に対する専門的な診療とその向上のために尽くしていることが認められるところ(前提事実,<証拠省略>),このような職場に勤務する看護師に求められる業務の水準も自ずから高度であり,身体的負担及び精神的緊張の程度も相応に大きなものであることが推認される。
(イ) 亡Bが循環器病センター9階東病棟において実際に従事していた具体的な勤務の実態に関しては,次の事実を指摘することができる。
① 平成9年4月1日現在において,循環器病センターに勤務する看護師は494名,平均在職年数は3.86年,平均年齢は26.5才である。このうち,看護師長,副看護師長,主任を除いた看護師数は409名,平均在職年数は2.9年,平均年齢は24.5才である(<証拠省略>)。亡Bは本件発症当時在職3年10か月目の25才であったところ,この時点においても看護師の数,平均在職年数及び平均年齢は上記とほぼ同様と考えられるから,亡Bは,既に,循環器病センターに勤務する看護師長,副看護師長,主任を除いた看護師の平均在職年数,平均年齢を上回っていたということができる。
② 9階東病棟は,脳神経外科の専門病棟であり,主として脳血管外科の手術待機患者及び手術回復期の患者が入院している。同病棟は,外来病棟や一般患者が入院する病棟に比べると,入院患者の体位変換,食事・排泄・入浴介助等の生活介助の割合が高く,勤務内容としては身体的負担の高いものであった。例年,脳血管障害の発生シーズンである冬場になると,寝たきり患者や麻痺患者が増加し,こうした患者の増加により看護行為の一つ一つが手間取ることから,繁忙度が増すことになった。また,先に労働時間に関連して検討したとおり,同病棟では恒常的に時間外勤務をせざるを得ない状況が存したこと(定時の出退勤が通常可能であったのは,早出の場合のみである。)に加え,看護記録,看護計画書,転院サマリー等の書面を作成する合間もない繁忙状況の中で,時間外労働を余儀なくされていたという事情があった。(<証拠・人証拠>,弁論の全趣旨)
③ 9階東病棟においては,中堅看護婦がリーダーシップを発揮し,病棟内の活性化を図ること等が,「今後重点的に管理を行う計画」として,平成12年及び平成13年における部署の運営方針となっていたが(<証拠省略>),同職場における看護師の定着率は悪く,平成12年6月当時は,経験年数が5,6年の中堅看護師がほとんどいなくなり,亡Bを含めた3,4年目の看護師の負担は一層重くなる状況にあった。(<証拠省略>,弁論の全趣旨)
このことからすると,亡Bは,勤務する9階東病棟において,中堅看護師としてリーダーシップを発揮し,後進の指導等についても重要な役割を担う立場にあったということができる。
④ 亡Bの担当していた新人看護師は,特に指導が困難な者であり,亡Bは,これによる精神的な負担も抱えていた。(<証拠・人証拠>)
イ 変則的な夜勤・交代勤務について
(ア) 証拠(<証拠省略>)によれば,交代制勤務や深夜勤務は直接的に脳・心臓疾患の発症の大きな要因になるものではないものの,交代制勤務,深夜勤務のシフトが変更されると,生体リズムと生活リズムの位相のずれが生じ,その修正の困難さから疲労がとれにくいといったことが生ずることから,交代制勤務は心血管疾患に対し,おおむね1.2から1.5倍のリスクを有するとされていることが認められる。これからすると,交代制勤務や深夜勤務の過重性については,勤務シフトの変更度合い,勤務と次の勤務までの時間,交代制勤務における深夜勤務,準深夜勤務の頻度がどの程度であったか等の観点から検討,評価すべきである。
(イ) そこで,亡Bの交代勤務の実態を検討すると,次のとおりである。
① 日勤から深夜勤へのシフト(以下「シフト①」という。)の場合,前記認定の亡Bの通常の出退勤時刻を前提にすれば,午後7時30分に勤務を終え,翌日午前0時30分に出勤することとなり,その間隔は5時間である。
準夜勤から日勤へのシフト(以下「シフト②」という。)の場合,前記認定の亡Bの通常の出退勤時刻を前提にすれば,午前2時15分に勤務を終え,同日午前8時に出勤することとなり,その間隔は5時間45分である。
② 亡Bの本件発症前6か月の勤務実態を見ると,別紙労働時間計算表記載のとおり,シフト①に該当するものが,発症前1か月において3回,2か月目において4回,3か月目において4回(平成12年12月13日から同月14日のシフトを含む。),4か月目において5回,5か月目において1回,6か月目において5回あった(合計22回)。このうち,平成12年8月17日から同月18日にかけてのシフト間隔は5時間15分,同年10月4日から同月5日にかけてのシフト間隔は3時間30分,同年12月28日から同月29日にかけてのシフト間隔は6時間,平成13年1月4日から同月5日及び同月22日から同月23日にかけてのシフト間隔はいずれも4時間30分であった。
また,シフト②に該当するものについては,発症前1か月において1回,2か月目において1回,3か月目において2回,4か月目において1回,5か月目において2回,6か月目において1回あった(合計8回)。このうち,平成12年9月2日から同月3日にかけてのシフト間隔は5時間15分,同年10月9日から同月16日にかけてのシフト間隔は7時間,同月21日から同月22日にかけてのシフト間隔は7時間20分,同年12月10日から同月11日にかけてのシフト間隔は6時間15分,平成13年1月1日から同月2日にかけてのシフト間隔は6時間であった。
(ウ) 証拠(<証拠省略>)によれば,一般に睡眠の量は7時間が最適と考えられていることが認められるが,シフト①における通常の勤務間隔は5時間,シフト②における通常の勤務間隔は5時間45分であるから,係る状況の下では,仮に,勤務間隔の全部を睡眠に当てたとしても,最適な睡眠時間を確保することは不可能であるということができる。これらの勤務間隔の下では,通勤に要する時間や,食事,入浴のほか,生活上不可欠な家事に要する時間を考慮すると,確保できる睡眠時間は3ないし4時間程度にすぎないと考えられ,疲労の回復のために十分な量の睡眠をとることはできなかったというべきである(なお,亡Bが従事した現実のシフト①,シフト②の勤務においては,前記のとおり,その勤務間隔が通常の勤務間隔より長い場合もあったが,その場合でも,確保できる睡眠時間は最大でも5時間程度であったと認められ,疲労の回復のために十分な量の睡眠をとることはできなかったというべきことに変わりはない。)。亡Bが従事したシフト体系は,上記認定のとおり,本件発症前6か月間において,22回のシフト①と8回のシフト②を含むものであり,また,上記シフト①,②ほどではないにしても,これに準じるシフトとして,早出から深夜勤(間隔は9時間),準夜勤から遅出(間隔は8時間45分)などのシフトも散見されるのであって,係る短間隔時間での勤務,恒常的な残業,夜勤等の条件が重なって,疲労が回復することなく蓄積していたと見ることができる。
(エ) 上記に関し,控訴人は,亡Bのシフト体系の下では,シフト①の翌日の勤務を29時間15分の間隔を確保できる準夜勤とするか,休日とするなどし,シフト②の翌日を休日とするなどの配慮を行っていたほか,各シフトの前日を休日としたり,シフトの翌日に勤務があったとしても,その翌日を休日(場合によっては連休)とするなどの配慮も行って,係るシフトによる負荷が過重なものにならないようにしていたから,その負荷は日常生活で受ける負荷の範囲内のものであったというべきであり,業務の質的過重性を検討するに当たり,夜勤交代制勤務であることを特に重視すべきではないと主張する。
確かに,亡Bのシフト体系の下で,本件発症前6か月間における22回のシフト①のうち,翌日が準夜勤のパターンが14回,休日のパターンが3回あり,8回のシフト②のうち7回は翌日が休日となっている。また,合計30回の上記各シフトのうち,シフト前日が休日であるパターンは15回,シフトの翌々日が休日であるパターンは17回である。しかし,証拠(<証拠省略>)によれば,夜間睡眠は,睡眠時間さえ確保できれば,8時間といった長時間の睡眠を持続することができるのに対し,昼間睡眠は2,3時間しか持続できない上,心拍数,血圧の上昇をもたらす質の悪い睡眠であるとされていること,勤務間隔の短いシフトが頻回に組まれる場合は,昼間睡眠によって,睡眠不足分(「睡眠負債」と呼ぶことがある。)がむしろ拡大することが認められ,これによると,控訴人のいう「配慮」によって,上記認定に係る短間隔時間での勤務による疲労が回復し,これによる負荷が日常生活で受ける負荷の範囲内のものに止まったということはできない。したがって,業務の質的過重性を検討するに当たり,夜勤交代制勤務であることを特に重視すべきではないとする控訴人の主張は採用できない。
ウ 本件発症前1か月間における勤務状況
亡Bの業務の過重性を判断するに当たり,平成13年1月14日から本件発症の日である同年2月13日までの1か月間の勤務状況に,とりわけ過酷な面があることに注目すべきである。すなわち,別紙労働時間計算表のとおり,この期間の初日である平成13年1月14日は,同月11日からの4連続勤務の最終の日に当たっていたほか,同月16日から4連続,同月22日から4連続,同月30日から5連続,同年2月10日から本件発症の同月13日まで4連続の勤務態勢がとられており,しかもこの連続勤務のうちには3回のシフト①及び1回のシフト②が含まれており,上記5連続勤務の中ではシフト①とシフト②が併存している。なお,同年1月16日からの4連続勤務は,3日間は日勤であるが,1日は深夜勤でありシフト①を含んでいる。
上記のとおり,負担の大きいシフトがとられたのは,9階東病棟の業務負担が冬季に増加する傾向があったことが原因と窺われるが(甲A6。なお,乙B37には,正月休暇中は,他の病院が外来業務を閉鎖するため,受け入れ態勢の整っている循環器病センターに救急患者として搬送される患者は増える傾向があるとの記載がある。),亡Bの最終の勤務となった同年2月10日からの4連続勤務は,休日明けの早出に始まって,深夜勤,準夜勤,遅出と続く不規則なもので,とりわけ身体的な負荷がかかるものであったと推認される。亡Bが,本件発症当日の同月13日午後9時45分に「とりあえず帰ってきました。眠すぎる!」などとする電子メールを携帯電話から送信したことは前記認定のとおりであるが,同メールにおける眠気の表出は,亡Bが他のメールで訴えた眠気の表出(<証拠省略>の同年1月12日付メール)よりも格段に程度が高いものであって,上記不規則な勤務による身体的負荷が限界近くまで達していたことを推認させるものというべきである。(<証拠省略>)
エ 以上に見たとおり,亡Bが実際に従事していた9階東病棟における看護師としての業務は,入院患者の生活介助の割合が高く,勤務内容としては身体的負担の高いものであった上,不規則な夜間交代制勤務によって,亡Bに対し,身体的・精神的に高い負荷を与えていたと認められる。係る職場環境において,亡Bは,本件発症時25才で,在職3年10か月にすぎないにもかかわらず,同僚看護師の中では比較的経験年数の長い中堅看護師として業務の中核を担い,看護研究,新人看護師の教育(プリセプター業務)を含む,本来の看護業務以外の,しかし先端的な医療,新しい医療技術の開発,循環器病を専門とする医療従事者の育成等に専心するという,循環器病センターに勤務する看護師としての重要な業務に従事し,本件発症前1か月以降においては,とりわけ身体的負荷が大きい状況の下で勤務を続けていたことが認められる。これらの事実に,証拠(<証拠省略>)を総合すると,亡Bが従事していた業務は,その質的な面から見て,慢性の疲労,その蓄積,過度のストレスの持続に連なる過重なものであったと認めるのが相当である。
(3) 小括
ア 前提事実において認定したとおり,本件指針は「通常の業務に比較して特に質的に若しくは量的に過重な業務」として,①業務上の必要により,発症前1か月間に正規の勤務時間を超えて100時間程度の超過勤務を行った場合であって,その勤務密度が通常の日常業務と比較して同等以上であるとき,②業務上の必要により,発症前2か月以上にわたって正規の勤務時間を超えて1か月当たり80時間程度の超過勤務を継続的に行った場合であって,その勤務密度が通常の日常業務と比較して同等以上であるときを例示しているが,前記認定に係る亡Bの時間外労働時間は,いずれの時期においても本件指針が例示する時間外労働時間に達していない。しかし,証拠(<証拠省略>)によれば,本件指針が通常の業務に比較して特に質的に若しくは量的に過重な業務の判断に当たり,80時間ないし100時間という超過勤務時間を例示したのは,業務の過重性の評価を長時間労働という観点から見た場合に,睡眠による疲労の回復の観点に基づいて,1日4時間ないし6時間の睡眠が確保できない状態が続いたかどうかから業務の過重性を評価し,1日6時間程度の睡眠が確保できない状態としては1か月80時間を超える時間外労働時間が想定されること及び1日5時間程度の睡眠が確保できない状態としては1か月100時間を超える時間外労働時間が想定されることを根拠にするものと認められる。そうすると,80時間ないし100時間という超過勤務時間の例示においては,長時間労働以外の夜間勤務や不規則労働,あるいは精神的緊張を要する労働か否か,当該労働者が実際に確保できた睡眠の質などの問題は十分に考慮されていないというべきである。したがって,亡Bの公務の過重性を,当該公務が亡Bの基礎疾患たる脳動脈瘤を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷のある業務であったか否かを判断するに当たり,これを時間外労働時間の量のみに基づいて行うことは相当でなく,その判断は,時間外労働時間の量に併せ,亡Bが実際に従事していた業務の質的な面を加味し,総合して行うことが必要であるということができる。
イ そして,亡Bが従事していた業務の質的過重性については前記のとおりであり,そこで認められる亡Bの業務の質的過重性と前記超過勤務の実態を総合すると,亡Bが従事していた公務は,同人の基礎疾患たる脳動脈瘤を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷のある業務であったと認めるのが相当である。
この点について,証拠(<証拠省略>)には,亡Bの業務の量,業務の内容をふまえて,業務の過重性を否定する旨の記載が存在する。しかし,上記証拠において前提とされている亡Bの時間外労働時間は,超過勤務命令簿に記載されている時間外労働時間であって,先に認定した亡Bの実際の時間外労働時間とはその実態を全く異にしている。また,上記証拠は,亡Bの業務の過重性を判断するに当たり,それが循環器病センターの通常の業務であり,他の同僚看護師に比べて特に過重なものでないとしてこれを否定しているが,業務の過重性の判断は,当該労働者の具体的な勤務実態を検討した上で,総合的な観点から行うべきもので,通常の業務の過重性や他の看護師の業務の過重性(他の看護師の業務自体も過重である場合が考えられる。)を具体的に検討することなく,その過重性を否定することは相当でないというべきところ,この点についての具体的検討がされているとは認められない。
以上によれば,亡Bが従事していた公務の過重性を否定する上記証拠をそのまま採用することはできない。
ウ 控訴人は,業務によるストレスのために疲労の蓄積があったとすれば,身体的変化として心拍出量の増大,末梢血管の収縮,脂質代謝異常が生じ,末梢神経の収縮は拡張期圧の上昇を招くこととなるが,亡Bの血圧は,循環器病センターに就職した後の健康診断の成績によれば,高血圧を示したことはなく,特に拡張期圧は低値を示していたのであるから,このことは,亡Bの業務が,その動脈瘤を自然的経過を超えて著しく増悪させたことがなかったことを示していると主張する。
確かに,(証拠省略)(健康診断受診状況表)によれば,定期健康診断及び特別健康診断における亡Bの血圧値は次のとおりであり,ほぼ正常範囲にあることが認められる。
(検査時期) (拡張期圧) (収縮期圧)
平成9年6月 76 106
平成9年11月 52 100
平成11年6月 74 98
平成12年2月 58 100
平成12年6月 53 103
平成13年1月 66 96
また,証拠(<証拠省略>)には,亡Bの血圧が長期に亘り持続的に上昇していたとはいえず,この間,血圧値は正常範囲の亡B固有のものが維持されていたと考えられるから,業務内容の如何を問わず,業務上の理由で血圧が持続的に上昇し,そのために亡Bの固有の血圧値による血管内圧の範囲を超えて脳動脈壁を伸展させる張力を長期にわたって持続的に負荷し,そのことによって脳動脈瘤の成長を促進したとする事実はなかったとするのが妥当であるとの記載がある。しかしながら,証拠(<証拠省略>)によれば,正常な構造を有する動脈壁と,中膜筋層と内弾性板を欠き,主として未熟な膠原線維に構造的強度を依存している動脈瘤壁とでは血行力学的負荷に対する耐容度が全く異なり,正常な動脈壁に対しては過重な負荷とならない程度の負荷でも,動脈瘤壁に対しては十分に傷害性に作用する可能性があること,長時間の労働が血圧に与える影響について調査した結果には,長時間の労働は通常の労働に比べて24時間の平均血圧測定値では有意に血圧を上昇させるが,一時的な血圧測定値上ではこの有意差が検出できなかったことを示すものがあることが認められ,これらを考慮すると,定期健康診断及び特別健康診断における亡Bの血圧値がほぼ正常範囲にあったことのみから,業務によるストレスのための疲労の蓄積を否定したり,業務がその動脈瘤を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷であったことを否定することは相当でなく,上記証拠をそのまま採用することはできない。
エ 亡Bは,平成12年9月19日から同月26日まで,夏期休暇等を利用し,海外旅行に出かけたこと(<証拠省略>),同年10月16日,午前7時30分難波発の電車で遊園地に出かけ,同日,長島温泉に宿泊したこと(<証拠省略>),同年11月5日,知人とアイススケートに出かけたこと(<証拠省略>),同年11月25日,知人と京都へ紅葉巡りに出かけたこと(<証拠省略>),平成13年1月7日から同月8日にかけて,岐阜方面に泊まりがけで出かけ,スキーをしたこと(<証拠省略>)が認められ,これらのほかにも,証拠(<証拠省略>)によると,休日には,外出することが多かったと認められる。
上記事実によると,亡Bは,私生活においても活発に活動しており,休日が,疲労回復としての役割を十分に果たせなかった可能性はある。
しかし,亡Bが疲労を感じながら休日に上記活動をした可能性があるとしても,そのことは,亡Bの公務が,同人の基礎疾患たる脳動脈瘤を,自然経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷のある業務であったとする上記判断を左右するものではない。
4 その他の発症因子について
本件全証拠によっても,亡Bの従事した公務の他に,同人の基礎疾患たる脳動脈瘤を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る確たる因子が存在するとは認められない。
5 本件発症の公務起因性について
以上のとおりであって,亡Bの基礎疾患たる脳動脈瘤は,確たる発症の危険因子がなくとも,その自然経過により,脳・心臓疾患を発症させる寸前まで進行していたとは認められないところ,前記のとおり亡Bの従事した公務は,同人の基礎疾患たる脳動脈瘤を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る負荷(過剰負荷)のある業務であり,かつ,亡Bに,公務の他に確たる発症因子はないと認められるから,亡Bのくも膜下出血の発症(本件発症)には公務起因性が認められるというべきである。
6 国家公務員災害補償法による災害補償請求権の遅滞の時期について
(1) 国家公務員災害補償法により国が負う遺族補償一時金及び葬祭補償の支払債務は,法令上,特にその期限は定められていないから民法412条3項の期限の定めのない債務というべきである。そうすると,控訴人は,履行の請求を受けたときから遅滞の責任を負うことになる。
(2) 弁論の全趣旨によれば,被控訴人らは,平成14年6月5日,亡Bの死亡が公務に起因するものであると主張して,同死亡が公務災害であることの認定を求める申立てをしたと認められるところ,被控訴人らの上記申立ては国家公務員災害補償法により国が負う遺族補償一時金及び葬祭補償の履行の請求と解するのが相当である。そうすると,控訴人は,被控訴人らに対し,本訴請求にかかる遺族補償一時金及び葬祭補償の支払債務について,上記申立ての日の翌日である同月6日から遅滞の責任を負うというべきである。
上記に関し,控訴人は,公務災害補償制度の仕組みからすれば,認定の申請がされたとしても,公務起因性が認められ,補償金額が明らかになる以前の段階で,遅延損害金が発生することはないと主張する。確かに,公務災害補償を行うに当たっては,公務起因性の有無等について一定の調査等を行うことが必要であるということができるが,国の債務が期限の定めのない債務である以上,特段の事由なく,権利者からの請求にかかわらず国が遅滞の責任を負わないと解すべき理由はないし,まして,公務起因性が認められるまで遅延損害金が発生することがないなどということはできない。よって,控訴人の上記主張は採用できない。
7 結論
以上によれば,被控訴人らの本訴請求は,控訴人に対し,それぞれ629万3750円及びこれに対する平成14年6月6日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないからいずれも棄却すべきである。
よって,これと一部異なる原判決主文2項を上記のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大谷正治 裁判官 川谷道郎 裁判官高田泰治は,てん補のため署名押印できない。裁判長裁判官 大谷正治)
労働時間計算表(一部)
平成13年1月~2月
日付
勤務
種別
所定出退勤
時刻
超勤命令簿上の
時間外労働時間
実際の
出退勤時刻
勤務
間隔
実際の
時間外労働時間
14日
遅出
11:00~19:30
19:30~20:30
11:00~21:55
2:25
15月
休日
~
~
~
16火
日勤
8:30~17:00
17:00~19:00
8:00~19:30
3:00
17水
日勤
8:30~17:00
17:00~19:00
8:00~19:30
5:00
3:00
18木
深夜
0:30~9:00
~
0:30~10:30
1:30
19金
日勤
8:30~17:00
17:00~19:00
8:00~19:30
3:00
20土
休日
~
~
~
21日
休日
~
~
~
22月
日勤
8:30~17:00
17:00~20:00
8:00~20:00
4:30
3:30
23火
深夜
0:30~9:00
9:00~10:00
0:30~10:30
1:30
24水
準夜
16:30~1:00
~
15:45~2:15
2:00
25木
遅出
11:00~19:30
19:30~20:30
11:00~20:30
1:00
26金
休日
~
~
~
27土
準夜
16:30~1:00
1:00~2:00
15:45~2:15
2:00
28日
休旧
~
~
~
29月
休日
~
~
~
30火
日勤
8:30~17:00
17:00~19:00
8:00~20:35
4:05
31水
日勤
8:30~17:00
~
8:00~19:30
5:00
3:00
1木
深夜
0:30~9:00
9:00~11:00
0:30~11:00
2:00
2金
準夜
16:30~1:00
1:00~2:00
15:45~2:15
5:45
2:00
3土
日勤
8:30~17:00
17:00~19:00
8:00~19:00
2:30
4日
休日
~
~
~
5月
休日
~
~
~
6火
年休
~
~
~
7水
日勤
8:30~17:00
17:00~19:30
8:00~19:30
3:00
8木
日勤
8:30~17:00
17:00~19:00
8:00~19:30
3:00
9金
休日
~
~
~
10土
早出
7:00~15:30
~
7:00~15:30
11日
深夜
0:30~9:00
~
0:30~10:30
1:30
12月
準夜
16:30~1:00
~
15:45~2:15
2:00
13火
遅出
11:00~19:30
19:30~20:30
11:00~21:15
1:45
5:00
2:00
(看護研究)
(プリセプター)
合計
54:45
(祭日,振替休日)
※全6表中,発症前6か月目(平成12年8月14日から同年9月13日まで)ないし発症前2か月目(平成12年12月14日から13年1月13日まで)にかかる他の5表については省略した