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大阪高等裁判所 平成21年(う)1283号 判決 2010年2月02日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は,主任弁護人門馬博,弁護人日比幹夫及び同志賀貞之連名作成の控訴趣意書及び「控訴趣意書(2)」と題する書面に記載されているとおり(なお,主任弁護人は,法令適用の誤りの主張について,本件では,偽計業務妨害罪又は軽犯罪法違反の罪が成立するのみで,傷害罪は成立しない旨述べた。)であるから,これらを引用する。

1  控訴趣意中,法令適用の誤りの主張について

論旨は,睡眠薬により昏睡させる行為は刑法の体系上傷害罪に該当しないのに,原判示の各行為に刑法204条を適用した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある,というのである。

そこで,記録を調査して検討するに,原判決が,原判示第1の行為(被害者に対し,フルニトラゼパムを含有する睡眠薬の粉末を混入させた洋菓子を提供して,その情を知らない被害者に同菓子を食べさせた行為)及び同第2の行為(被害者が同人の机上に置いていた飲みかけのアルミ缶入り飲料水にフルニトラゼパムを含有する睡眠薬の粉末等を混入して,その情を知らない同人に同飲料水を飲ませた行為)について,いずれも罰条として刑法204条を適用し,被告人に対し有罪判決をしたのは,正当なものとして是認できる。以下,所論にかんがみ,付言する。

所論は,①強盗致傷罪の傷害と傷害罪の傷害とは,判例・学説上,同一の意味であると解釈されているところ,もし睡眠薬等の薬剤により昏睡させる行為が傷害罪に当たるのであれば,昏睡強盗罪(刑法239条)はすべて強盗致傷罪に当たることになってしまい,法文と矛盾し,罪刑法定主義の趣旨にも反することになるから,薬剤により昏睡させる行為は傷害罪に該当しない,②強盗目的で昏睡させる行為が傷害罪に当たらない以上,単なる嫌がらせやいたずら目的で薬剤により睡眠させる行為は,動機において違法性の程度が更に低いから,傷害罪に該当しない,③強姦致傷罪の傷害と傷害罪の傷害とは,判例・学説上,同一の意味であると解釈されているところ,もし薬剤により昏睡させる行為が傷害罪に当たるのであれば,準強姦罪(刑法178条)はすべて強姦致傷罪に当たることになってしまい,法文と矛盾するから,薬剤により昏睡させる行為は傷害罪に該当しない,④本件で被告人が混入した睡眠薬は成人が通常使用する範囲内のもので,他の薬剤は本来注射用のものを服用させており,睡眠した時間も原判示第1の事実では6時間程度(昏睡は1時間程度),同第2の事実では1時間50分程度にすぎないから,昏睡強盗罪や準強姦罪に係る判例の事案との比較からいっても,原判示の各行為は傷害罪に該当しない,⑤監禁致傷罪の傷害と傷害罪の傷害とは,判例・学説上,同一の意味であると解釈されているところ,薬剤により昏睡させて監禁しても監禁致傷罪に該当しないから,その行為は傷害罪にも該当しない,⑥したがって,被告人の原判示各行為については,傷害罪は成立せず,偽計業務妨害罪又は軽犯罪法(1条31号)違反の罪で処断されるべきである,と主張する。

しかしながら,原判示第1及び第2の各行為は,いずれも被害者に対し物理的な有形力を行使するものではないから,暴行には当たらないものの,それが人の生理的機能を障害する,すなわち健康状態を不良に変更する現実的危険性のある行為であれば,傷害罪には当たり得ると解される。そして,被害者は,原判示第1の行為により,約6時間にもわたり急性薬物中毒の症状が現れて昏睡するなどし,当直医としての職務を他の医師が代わりに行わざるを得なくなり,また,原判示第2の行為により,約2時間にわたり急性薬物中毒の症状が現れて昏睡するなどし,自動車を運転中であったため,同乗者とその運転を交代せざるを得なくなったのであるから,原判示各行為が,それぞれ被害者の健康状態を相当程度,不良に変更させる現実的危険性のある行為であったことは明らかである。しかも,原判示各行為の動機が,かねてからの被害者の態度等に反感を抱いていたことから,被害者に失態を演じさせようとしたというもので,②の主張のように嫌がらせやいたずらの類に属するものと評価できる場合であっても,かつ,原判示各行為において被害者に摂取させた睡眠薬の量が,④の主張のように成人が通常使用する範囲内であるとしても,原判示各行為の違法性の程度が低いなどとは到底いえない。

ところで,①及び③に関していえば,なるほど,昏睡強盗罪や準強姦罪(昏睡させて心神喪失又は抗拒不能にさせた場合。以下同じ。)において生じた昏睡状態がすべて傷害に当たるとすると,昏睡強盗罪や準強姦罪が成立する場合には常に強盗致傷罪や強姦致傷罪が成立することになってしまい,不合理な結果が生じるのはそのとおりである。したがって,昏睡強盗罪や準強姦罪においては,各罪において当然に予定されている程度の一時的な昏睡で終わった場合は,その昏睡は昏睡強盗罪や準強姦罪の構成要件により当然に評価されていることから,更に強盗致傷罪や強姦致傷罪が成立するということはないと解すべきである。しかし,これを超える程度の昏睡が生じた場合には,もはや強盗致傷罪や強姦致傷罪が成立しないと解すべきいわれはなく,強盗致傷罪や強姦致傷罪が成立するものと解される(なお,所論の指摘する昏睡強盗罪や準強姦罪に係る判例は,昏睡強盗罪又は準強姦罪の訴因に対し各罪名どおりの事実が認定されるなどしたというものにすぎず,薬剤により人を昏睡させて財物奪取や姦淫に及んだ場合には昏睡の程度を問わず強盗致傷罪又は強姦致傷罪が成立しないなどと判示したものではない。)。そして,前述のような原判示各行為によって被害者に生じた健康状態の不良な変更の程度にかんがみれば,それらはいずれも,昏睡強盗罪や準強姦罪の予定する昏睡の程度を超えているというべきであるから,傷害罪における傷害として評価するに十分な程度の結果が生じているものと認められる。

なお,確かに,最高裁判所は,強盗致傷罪における傷害の意義について,軽微な傷でも人の健康状態に不良の変更を加えたものである以上,刑法にいわゆる傷害と認めるべきである旨判示し(平成6年3月4日決定・裁判集263号101頁ほか),強姦致傷罪における傷害の意義についても,軽微な傷でも人の健康状態に不良の変更を加えたものである以上,傷害に該当するのであって,刑法204条所定の傷害と別異に解釈すべき特段の事由は存しない旨判示している(昭和38年6月25日決定・裁判集147号507頁)から,強盗致傷罪又は強姦致傷罪における傷害は,特段の事情のない限り,傷害罪における傷害と同一概念と解すべきであるといえる。しかし,基本犯が昏睡強盗又は準強姦であり,かつ,それらが当然に予定する程度の一時的な昏睡が生じたにとどまる場合については,強盗致傷罪又は強姦致傷罪における傷害が傷害罪における傷害と同一概念であるとは解し得ない特段の事情があるといえる。したがって,仮に,原判示各行為によって昏睡強盗罪や準強姦罪が予定する一時的な昏睡の程度を超えない程度の健康状態の不良な変更が生じたにとどまる場合であっても,原判示各行為について昏睡強盗罪や準強姦罪又はそれらの未遂罪の成立ないし罰条の適用が問題とならない以上,一定程度の健康状態の不良な変更が生じていれば傷害罪が成立すると解される。

さらに,⑤に関していえば,薬剤により人を昏睡させる行為が監禁に該当する場合があるとしても,監禁罪が薬剤により昏睡させる行為を当然に予定しているとはいえないから,薬剤により人を昏睡させて監禁した場合において,その昏睡は監禁致傷罪における傷害に当たらず,特段の事情のない限り同一概念であると解される傷害罪における傷害にも当たらないと解釈することの根拠自体が希薄である(なお,所論の指摘する監禁罪に係る判例は,監禁罪又は監禁致傷罪の訴因に対し各罪名どおりの事実が認定された事案に関するものにすぎない。)。また,監禁罪であれば既遂に達する程度の一時的な昏睡を超える程度の昏睡が生じた場合に限り,監禁致傷罪が成立するという見解に立つとしても,前述のような原判示各行為によって被害者に生じた健康状態の不良な変更の程度にかんがみれば,いずれにおいても監禁致傷罪が成立するに足りる程度の昏睡の結果が生じているものと認められるし,仮に,その程度に達していないとしても,監禁致傷罪における傷害と傷害罪における傷害とを同一概念と解し得ない特段の事情があるといえるから,やはり,一定程度の健康状態の不良な変更が生じている以上,傷害罪が成立すると解される。

以上によれば,原判示各行為はいずれも刑法204条の傷害罪の実行行為に該当し,原判示各事実について傷害罪が成立すると解され,⑥の主張もその前提を欠く。所論は採用できない。

したがって,原判示各行為についていずれも刑法204条を適用した原判決に法令適用の誤りは存しない。

論旨は理由がない。

2  控訴趣意中,量刑不当の主張について

論旨は,原判決の量刑が重すぎると主張し,被告人に対しては,懲役刑の執行を猶予するか,罰金刑に処するのが相当である,というのである。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

本件は,当時,大学病院勤務の医師であった被告人が,同僚の女性医師に対し,同病院内において,2回にわたり,睡眠薬の粉末又は同粉末及び麻酔薬を混入させた飲食物をその情を知らない同女をして飲食させ,意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の傷害を負わせたという傷害事件2件から成る事案である。

被告人の供述によれば,被告人は,かねてから被害者が医師としての勤勉さを欠く上に生意気な態度を取ることなどに反感を抱き,被害者に睡眠薬等を密かに摂取させて意識を喪失させるなどして失態を演じさせようとしたというのであるが,このような各犯行の動機に酌量の余地は乏しいこと,原判示第1の犯行では,不正な方法で睡眠薬を入手し,これを粉末に加工して,被害者に摂取させる機会をうかがっていたが,犯行当日に被害者が当直医として勤務することを知り,差し入れを装って睡眠薬入りのシュークリームを食べさせることを思いつき,これを購入してそのクリーム部分に睡眠薬の粉末を混ぜ込んだ上,2個の睡眠薬入りシュークリームから1個を被害者に選ばせて食べさせ,原判示第2の犯行では,犯行当日,被害者が飲みかけの缶入り飲料をその机の上に置いて席を外したことを知るや,これにまず自己が動物実験に用いている麻酔薬を混入し,さらに,上記と同様の睡眠薬の粉末をも同飲料に混入し,被害者に同飲料の一部を飲ませたもので,いずれも同病院の医師としての立場や知識を悪用した犯行であり,特に原判示第1の犯行は計画的で巧妙なものであったこと,さらに,被害者もまた患者の健康を預かる医師であり,薬剤摂取時は勤務や医学研究中であったことや,同病院には自動車を運転して通勤していたことにかんがみると,二次的な被害が生じるおそれもあったもので,被告人もそれを知り得る立場にあったこと,実際に,被害者には,各薬剤摂取後約1時間前後が経過したころから,原判示第1の犯行にあっては約6時間の,原判示第2の犯行にあっては約2時間の急性薬物中毒の症状が現れており,その結果,被害者は,原判示第1の犯行にあっては,午後9時までの長時間勤務が予定されていた当日の休日当直医としての職務が不能となり,急きょ他の医師にその職務を交代されることを余儀なくされ,原判示第2の犯行にあっては,その日午後10時過ぎに研究を終えて自動車を運転して病院を出たが,途中で運転が不能となり,偶々待ち合わせて同乗していた友人に運転を交代してもらうことを余儀なくされたこと,被害者は,捜査段階及び原審段階において,強い被害感情を示しており,当審段階においても,被告人を宥恕していないことなどに照らすと,その刑事責任を軽視することは許されない。

そうすると,他方で,原判示第2の犯行に係る飲料を被害者が製造元に送ったところ,薬剤が混入されていたことが判明したため,被害者が上役の教授や警察に相談していることを知った後であったとはいえ,被告人が原判示各事実について自首していること,その後も同各事実を認め,原審及び当審公判において,反省の情を示していること,被害者に対しては,謝罪文を送付しているほか,金銭賠償として原審段階で300万円,当審段階で1500万円の支払を提示し,当審段階では上記提示額の受領を被害者から拒絶されるや,同金額を供託するなどして,慰謝の措置に努めていること,前科・前歴がなく,医師として社会に貢献してきたこと,本件を原因として病院から訓告処分を受け,同病院を自ら辞職したほか,妻とも離婚を余儀なくされる結果となったこと,医師免許に関する行政処分を受ける可能性があること,先輩医師が,原審公判で,被告人の能力等を評価するとともに,寛刑を嘆願する証言をしていることなど,被告人のために酌むべき事情を十分に考慮しても,被告人を懲役8月の実刑に処した原判決の量刑は,刑期の点を含め,誠にやむを得ないものであって,これが重すぎて不当であるとはいえない。

論旨は理由がない。

よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。

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