大阪高等裁判所 平成21年(ネ)2684号 判決 2010年2月26日
住所<省略>
控訴人
第一商品株式会社
同代表者代表取締役
A
同訴訟代理人弁護士
村上正巳
住所<省略>
被控訴人
X
同訴訟代理人弁護士
山﨑敏彦
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
第2事案の概要
【以下,原判決「事実及び理由」中「第2 事案の概要」の部分を引用した上で,当審において,内容的に付加訂正を加えた主要な箇所をゴシック体太字で記載する。ただし,それ以外の字句の訂正,部分的加除については,特に指摘しない。】
本件は,被控訴人が,控訴人を介して,金,銀及びガソリン等の先物取引を行った結果,約2か月間の取引で1166万4382円もの損失を被ったことから,控訴人に対して,取引の担当者に適合性原則違反,説明義務違反,断定的判断の提供,過当な売買取引等による不法行為があったとして,使用者責任に基づき,取引損害1166万4382円と弁護士費用相当額の116万円の合計1282万4382円の損害賠償及びこれに対する不法行為の日(取引終了の日)である平成16年10月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。
原判決は,被控訴人の請求を一部認容したので,これを不服とする控訴人が控訴した。
1 争いのない事実
(1)被控訴人は,昭和22年○月○日生まれで無職である。被控訴人は,野村證券株式会社(以下「野村證券」という。)の投資信託であるMMFを保有しているほか,控訴人との取引の直前まで,北辰商品株式会社(以下「北辰商品」という。)で先物取引を行った経験がある。
控訴人は,商品先物取引の許可を得た商品先物取引受託業者たる株式会社である。
(2)被控訴人は,平成16年4月15日から同年8月26日までの間,北辰商品との間で金の先物取引を行い,532万6370円の損失を被った。
(3)被控訴人は,平成16年8月30日,控訴人に証拠金150万円を預託して,同月31日から同年10月29日まで,原判決添付別紙建玉分析表(以下「別紙建玉分析表」という。)のとおり,先物取引を行った(以下「本件取引」といい,上記の期間を「本件取引期間」という。)。被控訴人は,本件取引により,合計1166万4382円の損失を被った。控訴人は,同年12月28日,被控訴人に対して,残金28万4618円を返還した。
(4)被控訴人は,平成19年5月30日ころ,株式会社つばさトレード(以下「つばさトレード」という。)によるロコ・ロンドン金取引を行い,325万円の損失を被った。
(5)被控訴人は,平成19年10月29日,控訴人に対して,本件取引の損失について損害賠償を請求したが,控訴人は,これに応じなかった。
2 争点
(1)適合性原則違反の有無
(2)説明義務違反の有無
(3)断定的判断の提供の有無
(4)過当な売買取引,手数料稼ぎの有無
(5)被控訴人の損害及び過失相殺の可否
3 争点についての当事者の主張
(1)争点(1)(適合性原則違反の有無)について
【被控訴人の主張】
被控訴人には,非定型精神病,外傷性てんかんの症状があり,障害等級2級の障害者手帳の交付を受けており,判断能力は劣っており,日常生活に著しい制限を受けており,時に応じて援助を必要とする。また,被控訴人は,特に資産もなく,無職者で,2人暮らしの高齢の母親の年金収入等を併せても年359万円程度しか収入はない。被控訴人は,証券会社で株式を購入した経験もなく,北辰商品との先物取引もよくわからないままに進められ,500万円以上もの損失を被った。このような被控訴人が先物取引に不適格であることは明らかであり,控訴人の勧誘は,不適格者に対する勧誘の違法性を帯びるものである。
【控訴人の主張】
商品取引所法215条などがいう適合性原則の趣旨は,当該委託者の知識,経験,財産の状況にふさわしい委託の勧誘をせよというものであり,不適格者そのものについて定めたものではない。不適格者は,未成年や生活保護受給者等であり,被控訴人は,控訴人の受託業務管理規則の不適格者に該当しない。被控訴人は,流動資産を1500万円保有していると申告しており,野村證券で証券取引を行ったり,北辰商品で先物取引を行ったりするなど,投資取引,投機取引に積極的な人物である。控訴人は,被控訴人のてんかんの症状については知らなかった。被控訴人は,本人確認書類として,運転免許証を提出しているが,てんかん症状がある場合,免許証の交付は受けられないはずであるから,被控訴人は,てんかん症状を隠していたといえ,控訴人が気付かなかったとしてもやむを得ない。
(2)争点(2)(説明義務違反の有無)について
【被控訴人の主張】
控訴人担当者は,被控訴人の投資経験の乏しいことを奇貨として,北辰商品と同様に先物取引の有利な点のみを強調し,先物取引の仕組みや危険性を全くといっていいほど説明することなく,確実に利益になるようなことを言って先物取引を勧誘し,被控訴人に資金を交付させ,先物取引を行わせた。
【控訴人の主張】
控訴人担当者のB(以下「B」という。)は,被控訴人に対し,商品先物取引委託のガイド,受託契約準則を交付し,先物取引の仕組みとリスクの説明を十分に行い,説明義務を尽くした。被控訴人は,北辰商品において先物取引の経験があり,先物取引のリスクを十分に実体験し,理解していた。
(3)争点(3)(断定的判断の提供の有無)について
【被控訴人の主張】
控訴人担当者は,あたかも先物取引で確実に利益が出るかのように,「うちは北辰とは違ってまともな会社です。うちで北辰の損を取り戻しましょう。うちなら儲かります。北辰とは違います。」などと,断定的判断の提供を行った。
【控訴人の主張】
控訴人は,被控訴人に値段の動きなどの情報を提供し,アドバイスはしていたが,断定的判断の提供はしていない。
(4)争点(4)(過当な売買取引,手数料稼ぎの有無)について
【被控訴人の主張】
控訴人担当者は,さしたる根拠もないのに何度も売ったり買ったりするといった無意味な反復売買,頻繁売買を行うことによって,被控訴人に大量に危険な取引をさせて,手数料稼ぎを行った。控訴人は,わずか2か月ほどの取引で被控訴人の損金1166万4382円の約28%に相当する332万円を手数料として稼いだ。
本件取引の取引回数は合計104回であるが,その92%に当たる96回が日計り取引(建玉を建てた当日に決済すること。手数料は通常の半額である。)であった。日計りは,1日で大きな値動きが生じる可能性は小さく,利益が出る可能性は低いのに,通常の半分であるにしろ,確実に手数料が積み重なるから,顧客に大きな損失が生じる可能性が極めて大きく,控訴人が確実に利益を上げることのできる客殺しの手法である。控訴人は,被控訴人が日計りや短期決済の方針を決めていたと主張するが,相場がその日の内に上下するかは予想のしようがないものであり,そのような取引に何百万円も賭ける者がいるはずがないことから,本件取引が控訴人の勧めるままに行われたことは明らかである。
【控訴人の主張】
手数料額は認めるが,過当取引の主張は争う。平成17年2月22日農林水産・通商産業省令第3号による廃止前の商品取引所法施行規則46条2項の過当取引の規制は,取引員の自己玉に対する規定であり,委託者に関するものではない。
本件取引において,被控訴人がガソリンの取引で日計りを用いたのは,ガソリンの相場が大きく動いており,予想と反した場合の損を抑えることができるので合理性があったからである。日計りは,手数料が半額となる優遇措置があり,通常の取引よりも,利益が出たのに手数料がかかって損をすることが少ないという利点もある。また,指値で仕切注文をしておくことにより,仕切りのタイミングを外さずに済む。先物取引の評価をするに当たり,取引時期の値段の動きの特徴を無視することは許されない。被控訴人は,ガソリンの値段の大幅な上下に着目し,両建はせず,売建・買建を分けて,うまくいってもいかなくても日計りを行うという選択をしたのである。被控訴人の損失の原因は,平成16年9月22日と同月30日のガソリンの売建の値上がりによるものだけで,価格の予測に失敗した偶然である。
(5)争点(5)(被控訴人の損害及び過失相殺の可否)について
【被控訴人の主張】
被控訴人が本件取引により被った損害は,1166万4382万円である。相当因果関係がある弁護士費用相当額は,上記損害の1割弱である116万円である。よって,被控訴人の損害の合計は,1282万4382万円である。
本件取引は,精神障害により正常な判断ができず,北辰商品での損失を取り戻そうとした被控訴人に対して,Bが被控訴人の症状を知りながら勧めた不当なものである。また,Bが,被控訴人が無職,無収入であることを知りながら,本件取引に勧誘したことも不当である。さらに,Bは,本件取引の危険性について,虚偽又は不当な説明をして,被控訴人に本件取引が安全なものと誤信させ,被控訴人の利益を無視したあからさまな手数料稼ぎという背信的行為を行った。これらの事情によれば,本件では,過失相殺を行うことは許されない。
【控訴人の主張】
被控訴人が本件取引により被った損失額は認めるが,損害については争う。
被控訴人は,先物取引を行うに十分な精神能力を有しており,北辰商品と控訴人を比較し,相場の情報を得ようとしていたことからも,先物取引に積極的な人物であった。少なくとも70パーセントの過失相殺がされるべきである。
第3争点に対する判断
【以下,原判決「事実及び理由」中の「第3 争点に対する判断」を引用した上で,当審において,内容的に付加訂正を加えた主要な箇所をゴシック体太字で記載する。ただし,それ以外の字句の訂正,部分的加除については,特に指摘しない。】
1 認定事実
上記争いのない事実,証拠(甲1ないし6,乙1の1・2,2ないし6,7の1・2,8の1ないし7,9の1ないし36,10ないし12,15及び16の各1・2,証人B,被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)被控訴人は,平成11年12月16日,非定型精神病,外傷性てんかんと診断され(甲2),平成12年3月22日,障害等級2級と認定され,障害者手帳の交付を受けた。この手帳は,平成16年3月31日,平成18年3月31日にそれぞれ更新されている(甲1)。被控訴人は,平成18年3月3日,てんかんを主たる精神障害,抑うつ状態を従たる精神障害と診断され,日常生活に著しい制限を受け,時に応じて援助(助言,指導,介助)を必要とすると判断された(甲3)。被控訴人は,調子のいいときは,援助があれば食事や簡単な買物といった日常生活ができるが,年に6回程度の割合でけいれん発作が起き,意識消失となったり,しばしば字を忘れたり,人の名前が言えなくなることがある。被控訴人は,建築の専門学校を卒業後,平成6年ころまで,建設会社に就業していたが,工事現場で作業中に足場を踏み外して転落し,尿管切断の傷害を負って以来,無職である(甲2)。被控訴人は,本件取引当時,母親と同居しており,年79万円の障害者年金,母親の年金180万円及び母親が所有していた不動産の年間約100万円の賃料収入で生活していた。被控訴人は,母親の手配により,野村證券でMMF(元本割れを極力なくす方針で運用されている出し入れ自由の公社債投信)を購入したことがある。
被控訴人は,平成20年12月20日,転倒により急性硬膜下血腫及び脳挫傷の傷害を負った(甲6)。
(2)被控訴人は,平成16年4月15日ころから,北辰商品から勧誘を受け,金の先物取引を行った。被控訴人は,同年8月26日に北辰商品での先物取引を決済し,合計532万6370円の損失を被った。
(3)被控訴人は,平成16年5月20日,北辰商品での取引で利益が出ていなかったところ,産経新聞に掲載された控訴人の広告を見て,控訴人を優良な会社だと考え,控訴人に相場情報や先物取引の具体的な仕組みについての知識を提供してもらおうと思い,控訴人に対して資料請求を行った。控訴人の外務員であるBは,同月21日,被控訴人宅を訪ね,商品先物取引委託のガイド(乙1の1・2)を被控訴人に渡し,先物取引の仕組みやリスクについて説明をした。被控訴人は,同年7月17日,控訴人の大阪支店を訪れ,控訴人の開催した経済セミナーに参加した。
(4)被控訴人は,平成16年8月26日,Bに電話をし,控訴人で先物取引を行うことを希望した。Bは,被控訴人宅を訪問し,商品先物取引委託のガイド(乙1の1・2)と受託契約準則(乙2)を被控訴人に交付して,先物取引の仕組み,リスクを改めて説明した。被控訴人は,北辰商品との取引をやめてから,控訴人との間で正式に口座を開設することとし,同日,電話で北辰商品に対して取引をやめることを伝えた。被控訴人は,同月30日,取引口座開設申込書(乙3),申出書(乙4)及び約諾書(乙5)を作成し,本人確認のために運転免許証の写し(乙12)をBに渡した。被控訴人は,控訴人の調査部のC(以下「C」という。)に対して,電話で職業,資産,収入,投資経験及び投資予定額等の申告をした。その際,被控訴人は,取引口座開設申込書の流動資産の欄の内容を2500万円(内訳①現金・預貯金700万円,②有価証券等1800万円)から1500万円(内訳①現金・預貯金700万円,②有価証券等800万円)に訂正した(乙3)。Bは,被控訴人の預金額などについて,通帳などで確認はしなかった。被控訴人は,審査に合格し,控訴人との間で先物取引の受託契約が成立した。被控訴人は,証拠金150万円を預託し,同月31日に金8月限25枚の売建を注文して本件取引を開始し,以後,別紙建玉分析表のとおりに取引を行った。被控訴人は,同年9月9日,銀8月限23枚の買建を注文し,銀の先物取引も始めた。被控訴人は,金及び銀の取引については,損失が生じなかった。
(5)被控訴人は,平成16年9月16日,金及び銀の値動きが余り大きくなかったことから,Bに勧められて,ガソリン3月限12枚の買建を注文し,ガソリンの先物取引を始めた。平成16年9月当時,ガソリンは,中国やインドの経済発展により需要が増していたこと,石油精製所のあるメキシコ湾岸にハリケーンが発生したりしていたことにより,値段が高騰しており,その上下動も大きい銘柄であった。Bは,ガソリンについて,値動きが早かったことから,値段の予想が当たっても外れても短期間で決済する日計りを基本的な取引の方針とし,指値で決済をすることを被控訴人に勧め,被控訴人はこれに応じた。被控訴人は,同月18日,控訴人の主催するセミナーに参加し,過少申告を理由として,現金・預貯金を700万円から4200万円に修正して,投資可能額及び資力内容修正申請書を提出した(乙7の1)。被控訴人は,同月22日,控訴人の大阪支店を訪れ,控訴人の調査部のCから,同日時点での証拠金の状況,建玉の状況等の説明を受け,確認書(乙6)に署名押印をした。被控訴人は,同日,控訴人の大阪支店の店頭の電光掲示板でガソリンの値動きを見ながら,ガソリンの売建の注文を3回行い,2回は日計りにより決済したが,3回目の決済の際は,50枚の売建玉のうち,4枚しか成立せず,残りの46枚は成立しなかった。被控訴人は,同月24日も控訴人の大阪支店を訪れ,同月22日に決済できなかったガソリン46枚の売建玉を決済し,496万7080円の損失となった。すなわち,9月22日の取引において,被控訴人は,1回目はガソリンが値下がりするという予想で3万7930円の指値で売建し,それが成立した場合50円下の値段を指値にして仕切る注文をし,いずれも成立した。2回目は3万7750円の指値で売建し,それが成立した場合50円下の値段で仕切る注文をした。その売建注文が成立した後,その2回目の仕切る注文を取り消して,大引けで成行の仕切り注文に変更したものの,4枚しか成立せず,かつガソリン価格が値上がりしたため損害が生じ,24日に残り46枚を仕切ったもののガソリン価格がさらに値上がりしていたため,500万円近い損失が生じたものである(乙8,9)。なお,22日の取引において,被控訴人とBの間で具体的にどのような会話がされたかは証拠上不明であるものの,同月17日の取引では,ガソリンの価格が前日の終値より上昇して,前日にしていた指値による仕切り注文が成立して利益が出たこと,その後値下がり傾向にあったことから売建と指値の仕切り注文を2回行いこれらが成立し利益が出たこと,同月21日のガソリンの値段は900円のストップ高になったという経緯があり,Bはこのような状況を当然認識していたものと認められる。
被控訴人は,同月24日,損金に充当するため400万円を入金し,ガソリンの値動きを見て,50枚の買建注文をし,日計りにより仕切ったところ,利益が出た。また,被控訴人は,同日,投資可能額を300万円から1300万円,現金・預貯金を4200万円から6000万円に修正して,投資可能額及び資力内容修正申請書を提出した(乙7の2)。
被控訴人は,同月30日,Bからの電話での勧誘を受けて,ガソリンの日計りを3回行った。同日の取引の内,最初の2回の売建玉の日計りは,ガソリンの値段が下がっていたので利益となったが,3回目の売建玉の日計りの時点で,ガソリンの値段が急騰したため,約700万円の損失となった。すなわち,被控訴人は,ガソリンが値下がりするというBの予想に基づき,1回目は4万0230円の指値で売建し,それが成立した場合100円下の値段を指値にして仕切る注文をし,2回目は成行で売建し,それが成立した場合100円下の値段で仕切る注文をした。これら2回の取引では利益が出た。そして,3回目に,3万9960円の指値で売建し,それが成立した場合100円下の値段を指値にして仕切る注文をしたものの,ガソリン価格が急騰したため,約700万円の損失が生じたものである(乙9)。なお,この日,Bは,取引の開始に先立ち,被控訴人に対して,アメリカの原油の在庫統計が事前予想では減っているとされていたのに逆に大幅増加となっており,また,外国で停戦合意が成立したことが,海外の市場でガソリンの値段を下げる方向に働いたようであること,それまでガソリンが買われ過ぎて値段が急騰していて,一般的に下げ出したら下げる傾向が続くことを述べ,ガソリンの値段が下がるとの予測を前提にして日計りの取引を被控訴人に勧めている。しかし,Bは,この被控訴人との会話の時点で,この日のガソリンの値段が,開始値より一旦上昇していることも述べており,その後も上下していることも告げている。また,価格に大きなうねりのある中では,大きな値幅を取ろうとしない方が,大怪我をしない旨助言している。さらに,午後2時12分からの会話において,ガソリン価格が4万0690円まで上がったものの,指標となる海外は下がっており,これは明日に繋がる下げの可能性もあるから,その日のうちに損切りをする必要性はないと思う旨述べ,さらに後の電話で,ガソリンの値段が続騰し,このまま上がると現在被控訴人から預かっている資金では足りなくなるから,その日の内に決済した方がよい旨勧めている(乙16の2)。
この日の被控訴人とBとの電話での会話内容は,Bが電話機に備え付けられた録音機により録音していたが,この録音内容によっても,被控訴人は,Bに対して,積極的に自らの意見を述べることはほとんどなく,Bの提供する相場の情報に「はい」,「うん」,「ああ」などと相づちを打つか,Bの言葉をオウム返しにいうなどして,その勧めるとおりの注文を行ったことが認められる。
なお,上記録音によれば,被控訴人は,時折,Bの話を理解しているとは思われない的外れの発言をしていることが認められる(例えば,原油は同月30日午前同9時5分からの会話におけるB「えー,昨日4万1030円で終わったんですけれども」「えー,今日はね始まりね,4万0400円。」,被控訴人「ああ,上がってるんやね。」,B「はい,下がってますね。さ,下がってますよ,600円下がってます。…」との応答,同日午前11時15分からの会話における,B「ですからまあいわゆる瞬間的に安いとこでね」「利益取られたような形になってましてね。」,被控訴人「高値が動いた訳やね。」,B「はい?」「高値?高値ってなんですか?」の応答)(乙15,16)。
(6)被控訴人は,平成16年10月12日,原油3月限18枚の買建をしたが,原油の価格が上がらなかったため,同月29日,すべての建玉を仕切り,本件取引を終了した。
(7)被控訴人は,平成19年5月30日ころ,母親とともに,つばさトレードでロコ・ロンドン金取引を行い,被控訴人が325万円,母親が886万円の損害を被った。被控訴人は,被控訴人訴訟代理人に依頼をし,つばさトレードとの間では和解を成立させた。被控訴人は,北辰商品に対しても損害賠償請求訴訟を提起し,和解により解決した。
2 争点(1)(適合性原則違反の有無)について
上記認定事実によれば,被控訴人は,本件取引当時,56歳で,外傷性てんかんや抑うつ症の症状を患っており,障害等級2級と認定されていたこと,本件取引当時は無職であり,母親の年金,障害者年金及び不動産の賃料の合計359万円程度しか年収がなかったこと,預金の額は多くとも700万円程度であったことが認められ(なお,そのほかに相当額の有価証券類の資産があったと推認される。),被控訴人は,病気のため判断能力が劣り,無職で定収は多くなかったのであるから(母親と一体の世帯としても,年収は約360万円であった。),相当額の資産があったにせよ,値動きによっては一回の取引で数百万円もの損失が発生することもある先物取引を行うには,適合性に極めて疑問のある人物であったといえる。
被控訴人の健康状態について,被控訴人が虚偽の事実を申告して診断書を作成させたり,被控訴人の診断書に虚偽の事実が記載されたと認めるに足る証拠はない。また,控訴人は,診断書の記載内容が杜撰で客観性に乏しいと指摘するけれども,それらの診断書は,被控訴人が16歳の時に入院し,その後も同人の診断・治療をしたことがある病院が,現存する過去の診療録を参照し,同人の少年期からの生活歴(事故歴,病歴を含む。)にも基づいてした判断が記載されており,十分な客観性,正確性を備えていると認定できる。運転免許の点について,被控訴人が運転免許を取得したのは,外傷性てんかんと診断される前であったと認められること,外傷性てんかんが運転免許の不適格事由であったと被控訴人が認識していたとは認められないことからは,被控訴人の判断能力が劣っていても,同人が運転免許の更新は続けられたことが不自然とはいえない。他方で,上記認定事実によれば,被控訴人は,先に北辰商品で先物取引を行ったこともあり,先物取引の仕組みやリスクについて,ある程度の理解があったことも認められるが,前記認定のとおり,被控訴人は,Bとの会話においても,言葉少なくBの説明に相づちを打つか,Bの言葉を復唱して注文することがほとんどで,自ら積極的に本件取引について意見を述べていなかったこと,Bの説明を理解しているとは思われない的外れの発言もしていることからは,やはり被控訴人の判断力や理解力は十分でなかったと認められる。なお,控訴人が指摘する,アメリカにハリケーンが上陸した場合原油価格が影響を受けるという話は,上記録音内容(乙15の2・10頁,21頁,乙16の2・4頁)によれば,Bの方から言い出した内容を被控訴人がその通りに述べたにすぎないものである。また,近隣のDなる人物が,ガソリンの先物取引に失敗して財産を失ったという話も,母親から注意された内容をごく抽象的に述べているに止まり,しかも,被控訴人は,その直後にBから「今日買いますでしょ?」といわれて即座に同意してしまっている(乙15の2・13頁)。平成16年9月30日のBとの会話において,9月22日にガソリン売建玉46枚の決済ができず,24日に持ち越したため496万7080円の損が出た件を被控訴人自ら持ち出した件については,損が多額であったこと,値上がり額が1000円と切りのよい数字であったことから記憶に残ったと理解でき,しかも,被控訴人の発言は「あのこの,1000円,1000,お宅のあれとあれあの手数料と。」,「含めて。」,「1080円のが大きいね。」,「あの1080円の掛けるあの,あの,」,「要するに1000円あの,あの,う,売りで持ってて。」というあいまいかつ不明瞭な表現にとどまっている。さらに,被控訴人は,同月22日に引け成りの列の最後尾ぐらいに並んでしまったことについて,そのことがよく分からなかった旨述べている。結局いずれも,被控訴人の判断能力が低かったという認定を妨げるものではない。
したがって,被控訴人の精神状態を考慮すれば,先物取引の仕組みは理解できても,自らの責任において本件取引について適正な判断ができる精神状態であったとは認められない。被控訴人は,控訴人の要請により,現金や預貯金について,資力内容の修正として,当初の口座開設申込書に記載した700万円から,虚偽の金額である4200万円及び6000万円を取引をするためだけに記載したことが認められ,この事実からも,被控訴人が自分の資産内容を記載している意味を正しく理解しておらず,正常な判断を行うことが困難な精神状態であったといえる。よって,被控訴人が先物取引を行うにふさわしい能力及び資産を有していたとは認められないから,被控訴人は,先物取引を行うについて,適合的な人物であったとはいえず,控訴人に適合性原則違反があったと認められる。
控訴人は,本件取引当時,被控訴人がてんかんを患っていたことを知らず,かつ,知らなかったことに過失がなかったと主張する。しかし,被控訴人がBに対して抑うつ状態を伴うてんかんの症状があることを伝えなかったとしても,資力や収入及び言動の面からみれば,被控訴人が先物取引の適合性に欠ける人物であったことは否定できない。Bが被控訴人のてんかんの症状自体に気付かなかったとしても,同人が自己の責任において適正な判断ができる精神状態ではなかったことは認識していたと認められるから,控訴人の適合性原則違反の違法性を阻却するものとはいえない。控訴人は,被控訴人が先物取引などに積極的であったとも主張するが,被控訴人の抑うつ状態を伴うてんかんという症状や,前記認定に係る取引に関するBとの会話の態様・内容からすれば,被控訴人は,自ら積極的に取引に応じたというより,自ら適切な判断がなし得ず,Bに勧められるがままに取引に応じたと認められることから,控訴人の主張には理由がない。
よって,控訴人には,適合性原則違反の違法が認められる。
3 争点(2)(説明義務違反の有無)について
上記認定事実によれば,Bは,被控訴人に対して,先物取引の仕組みや危険性について,一応の説明をしたことが認められる。Bは,日計りの方法についても説明をし,指値で決済するという本件取引の方針についても説明して,被控訴人もそのことについて一応の理解をしていたことが認められる。また,Bが虚偽の説明を行っていたと認めるに足りる証拠もない。したがって,Bは,被控訴人が本件取引を行う上で,最低限必要な説明を行ったと認められるから,説明義務を果たしたといえる。被控訴人は,Bの先物取引に関する説明は理解できなかったと主張するが,被控訴人本人尋問の結果によれば,被控訴人は,先物取引の仕組みについて,追証が必要となること,取引に手数料がかかるため利益が出るための値幅があること,日計りは手数料が半額で済むことなど,先物取引の仕組みについて一応自分の言葉で説明できることが認められることから,Bの説明を全く理解していなかったとは認められず,被控訴人の主張に理由はない。
よって,控訴人に説明義務違反があったとは認められず,被控訴人の主張には理由がない。
4 争点(3)(断定的判断の提供の有無)について
上記認定事実によれば,被控訴人の方から控訴人に電話をして,資料を請求したこと,被控訴人が控訴人の主催するセミナーに参加するなどして,被控訴人の判断で北辰商品から控訴人に取引相手を変更したことが認められる。Bが「うちは北辰とは違ってまともな会社です。うちで北辰の損を取り戻しましょう。うちなら儲かります。」と言って,被控訴人を本件取引に勧誘したと認めるに足りる証拠はない。本件取引期間中でも,乙第15号証及び16号証によれば,Bは,被控訴人に対して,取引の結果損失が生じたときに「利益を取り戻す」などと発言したことが認められるが,この発言は,被控訴人に対して,利益を確約したものとまではいえず,この発言をもって,断定的判断の提供があったとは認められない。Bが,金,銀,ガソリンなどの銘柄について,確実に値上がりするあるいは値下がりすると言って,確定的な値段を提供したことも認められない。他に,Bが,被控訴人に対して,断定的判断といえる言動を行ったと認めるに足りる証拠はない。
よって,控訴人から断定的判断の提供があったとは認められず,被控訴人の主張には理由がない。
5 争点(4)(過当な売買取引,手数料稼ぎの有無)について
上記認定事実によれば,Bは,ガソリンの取引については,日計りによる取引を勧め,原則として建玉をその日のうちに指値で決済するという方針を立てて,被控訴人もこれに応じたことが認められる。別紙建玉分析表によれば,日計りは,本件取引の約92%(96/104)を占めていたことが認められ,多いときには,1日に3回も日計りを行ったことが認められる。日計りは,手数料が半額であること及び建玉を持ち越さずに,即座に損益を確定できることから,特定売買の手法として一概に不合理なものとはいえない。また,本件で大きな損失を出した9月22日と同月30日にも用いられた日計りと指値による仕切り注文は,仕切りのタイミングが訪れれば外さないというメリットもある。しかし,日計りであっても,回数が増えれば,それに比例して手数料は多くなるし,商品の値動きによっては大きな損失が生じることもあるから(指値による仕切り注文を組み合わせる手法は,損切りにも用いられるものの,少なくとも上記22日と30日の取引においてそれが用いられたと認めるに足りる証拠はない。),日計りを行うことの合理性が著しく欠ける場合は,違法な特定売買に当たるというべきである。
別紙建玉分析表によれば,被控訴人は,本件取引全体で,96回の日計りを行っており,その内83回がガソリン,13回が原油である。上記認定事実によれば,本件取引が行われた平成16年当時,ガソリンの価格は,アメリカでハリケーンが発生して石油精製所への被害が予想されたり,中国やインドの経済発展により石油の需要が増したりしていたことで,大幅な値上がりや値下がりが起き,1日単位でも値動きの予測がつきにくい状況であったと認められる。確かに,建玉を持ち越せば予想以上の損失が生じるおそれもあったと考えられるから,少額とはいえ利益を確保するか,損害をより少額にとどめる可能性のあるものとして,日計りの取引を行う合理性は一概に否定できない。しかし,Bは,平成16年9月22日及び同月30日の取引において,1日に3回も日計りを行わせ,その両日において,いずれも3回目の取引により被控訴人は巨額の損失を受けたことが認められる。1日の値段の動きが値上がりか値下がりかで安定しているような状況であればともかく,1日の値段の上下の予測がつかないような状況において,1日に3回も日計りを行えば,3回とも思惑どおりに値段が動くとは限らない。また,日計りによって得られる利益は,指値による決済を行うことで,数万円程度に低く抑えられるのに対して,損失については,500万円や700万円と大きくなる可能性もあり,損失が発生すれば,挽回できるものとはいえない。要するに,本件で控訴人が被控訴人に勧めたと認められる日計りと指値の仕切り注文を組み合わせる手法は,一方で利益が得られても少額に止まり,他方で一日のうちに予想と逆に相場が大きく動いた場合に損失額を少額に止める担保のないものであり,一日のうちで値段の上下の予測がつきにくい状況(前記認定からは,少なくとも大きな損害を出した22日と30日はそのような状況にあったと認められる。)では,採用する合理性があるとするには大きな疑問がある。しかも,日計りの手数料が通常の建玉の半額であるとはいえ,1日に3回も日計り取引を行えば,結果的に控訴人は,1日に1回取引を行った場合の1.5倍の手数料を稼げるのであるから,手数料稼ぎの目的があることも否定できない。したがって,本件取引における日計りは,利益が少ない割には損失の危険が大きく,1日に3回も行うことで手数料もかさむ仕組みになっていたことから,合理性があったとはいえない。
控訴人は,被控訴人が本件取引で損失を被った原因として,平成16年9月22日及び同月30日のガソリンの値段の予測に失敗したこととし,偶然であると主張するが,被控訴人に取引を勧めたのはBであり,被控訴人はBの言うとおりに取引に応じただけということが認められるから,被控訴人の各同日の大幅な損失は,被控訴人の予測が外れたからという偶然的なものではなく,控訴人が手数料稼ぎを目的として日計り取引を勧めたことの結果として,必然的に生じさせたものというべきである。よって,本件取引による日計りを利用した取引には合理性がなく,手数料稼ぎを目的とした,不当な反復売買,頻繁売買であると認められ,違法性を帯びた取引といえる。
6 争点(5)(被控訴人の損害及び過失相殺の可否)について
以上により,Bは,本件取引について,適合性原則違反,不当な反復売買が認められ,これらを総合すれば,本件取引全体が違法性を帯びたものといえることから,不法行為責任が認められ,Bの使用者たる控訴人には使用者責任が成立する。被控訴人の損害は,本件取引によって生じた損失と認められる。
被控訴人が本件取引によって被った損失が1166万4382円であることは,当事者間に争いがない。被控訴人は,本件取引において,過失相殺を行うことは許されないと主張する。
確かに,上記判示のとおり,本件取引は,適合性原則の違反があり,日計りによる不当な反復売買が行われたものである。しかし,上記認定事実によれば,被控訴人は,自ら控訴人に電話をして資料を請求したり,控訴人の主催するセミナーに参加したりしたこと,先物取引の仕組みや日計りの仕組みなども一応理解していたこと,本件取引の建玉の注文もBの勧誘があったとはいえ一応自らの意思で判断して行っていたことも認められ,被控訴人なりに本件取引に主体的に関与していたことは否定できない。被控訴人に精神障害があったとはいえ,被控訴人に判断能力がないとまではいえないことから,被控訴人の過失をすべて否定する理由とはならない。また,控訴人が取得した手数料の額は,別紙建玉分析表によれば損金に対する割合で見れば28.51%であり,顧客の利益を無視した背信的なものといえるほど過大であるとは認められない。したがって,本件取引によって生じた損失には,被控訴人の過失に起因する部分もあることは否定できないことから,過失相殺を行うことは不相当ではない。そして,上記の事情を総合的に考慮すれば,被控訴人の過失割合は,2割と認めるのが相当である。したがって,被控訴人の控訴人に請求できる取引によって生じた損害額は,本件取引の損失の8割に当たる933万1505円となる。
また,被控訴人は,本件の解決のために被控訴人訴訟代理人に依頼する必要があったと認められるところ,本件の事案の内容や立証の困難性に鑑みると,相当因果関係のある弁護士費用相当額の損害は,損害の約1割に当たる93万円が相当である。
よって,被控訴人の損害の合計額は,1026万1505円(933万1505円+93万円)である。
7 結論
よって,本訴請求は1026万1505円及びこれに対する不法行為の日(本件取引終了の日)である平成16年10月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し,その余の請求は理由がないので棄却すべきであって,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西村則夫 裁判官 亀田廣美 裁判官 高瀬順久)