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大阪高等裁判所 平成21年(ネ)2965号 判決 2011年1月18日

主文

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  (第1次訴訟)

(1)  被控訴人は,別紙控訴人目録1<省略>記載の各控訴人(ただし,控訴人X1,同X2,同X3,同X4,同X5,同X6,同X7及び同X8を除く。)に対し,各1100万円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  被控訴人は,控訴人X1に対し,366万6667円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  被控訴人は,控訴人X2に対し,366万6667円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)  被控訴人は,控訴人X3に対し,366万6667円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(5)  被控訴人は,控訴人X4に対し,550万円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(6)  被控訴人は,控訴人X5に対し,550万円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(7)  被控訴人は,控訴人X6に対し,550万円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(8)  被控訴人は,控訴人X7に対し,275万円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(控訴の趣旨訂正の申立書〔平成22年12月27日付け〕には,「225万円」と記載されているが,明らかな誤記であるものと認められる。)。

(9)  被控訴人は,控訴人X8に対し,275万円及びこれに対する平成20年1月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(控訴の趣旨訂正の申立書〔平成22年12月27日付け〕には,「225万円」と記載されているが,明らかな誤記であるものと認められる。)。

3  (第2次訴訟)

(1)  被控訴人は,別紙控訴人目録2<省略>記載の各控訴人(ただし,控訴人X9,同X10,同X11,同X12を除く。)に対し,各1100万円及びこれに対する平成20年3月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(控訴状4頁1行目には,遅延損害金の起算日について「平成20年1月29日」と記載されているが,明らかな誤記であるものと認められる。)。

(2)  被控訴人は,控訴人X9に対し,550万円及びこれに対する平成20年3月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  被控訴人は,控訴人X10に対し,183万3334円及びこれに対する平成20年3月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)  被控訴人は,控訴人X11に対し,183万3333円及びこれに対する平成20年3月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(5)  被控訴人は,控訴人X12に対し,183万3333円及びこれに対する平成20年3月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(控訴状4頁10行目には,遅延損害金の起算日について「平成20年12月16日」と記載されているが,明らかな誤記であるものと認められる。)。

4  (第3次訴訟)

被控訴人は,別紙控訴人目録3<省略>記載の各控訴人に対し,各1100万円及びこれに対する平成20年7月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

5  (第4次訴訟)

(1)  被控訴人は,別紙控訴人目録4<省略>記載の各控訴人(ただし,控訴人X13,同X14,同X15,同X16,同X17,同X18,同X19,同X20及び同X21を除く。)に対し,各1100万円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  被控訴人は,控訴人X13に対し,550万円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  被控訴人は,控訴人X14に対し,137万5000円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)  被控訴人は,控訴人X15に対し,137万5000円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(5)  被控訴人は,控訴人X16に対し,137万5000円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(6)  被控訴人は,控訴人X17に対し,137万5000円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(7)  被控訴人は,控訴人X18に対し,550万円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(8)  被控訴人は,控訴人X19に対し,183万3334円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(9)  被控訴人は,控訴人X20に対し,183万3333円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(10)  被控訴人は,控訴人X21に対し,183万3333円及びこれに対する平成20年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

6  (第5次訴訟)

被控訴人は,別紙控訴人目録5<省略>記載の各控訴人に対し,各1100万円及びこれに対する平成21年5月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

7  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

8  仮執行宣言

第2事案の概要

1  事案の骨子及び訴訟の経緯

本件は,先の大戦中旧日本軍に従軍し,敗戦後旧ソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)に抑留されて強制労働に従事した旧軍人59人の本人(以下「本件抑留者」という。)又はその相続人である控訴人らが,被控訴人に対し,国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条又は安全配慮義務違反に基づき,損害賠償を請求した事案である。具体的には,控訴人らは,(1)抑留及び強制労働という事態が生じたのは,国の遺棄行為によるから,被控訴人は国賠法1条に基づく損害賠償責任を負う,(2)上記事態が生じたのは,国が軍人に対する包括的絶対的な指揮命令権に対応するところの信義則上の付随義務としての安全配慮義務を怠ったことによるから,安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負う,(3)国は,本件抑留者を早期に帰国させるための積極的な施策をとることなく放置したから,国賠法1条に基づく損害賠償責任を負う,(4)国は,本件抑留者に対する賠償・補償などの立法を行う作為義務を怠り放置したから,国賠法1条に基づく損害賠償責任を負うなどと主張し,損害の一部として,本件抑留者一人あたり1100万円(慰謝料3000万円の一部である1000万円と弁護士費用100万円の合計1100万円)及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

原審は,[1]国が本件抑留者を労役賠償としてソ連に提供するとの政策をとったこと,そのために本件抑留者が抑留されて強制労働に従事することとなったことを認めるに足りる証拠はない,[2]国が本件抑留者に対する安全配慮義務を怠ったとまではいえない,[3]国が,本件抑留者を早期に帰国させるための積極的な施策をとるべき法的義務を負うべき根拠が認められないし,国が本件抑留者を早期に帰国させるための十分な措置をとらなかったとも,放置していたとも認めることはできない,[4]本件抑留者が抑留されて強制労働に従事したのは,戦争によって生じた損害であるから,国が,本件抑留者に対する賠償・補償などの立法を行う作為義務を負うものということはできないなどと判示し,控訴人らの請求を全部棄却したところ,控訴人らが本件控訴を申し立てた。

なお,本件抑留者59人のうち,X22は,平成21年4月21日,X23は,平成20年12月18日,それぞれ訴えを取り下げている。

また,本件抑留者59人のうち,原審係属中に死亡したX24(平成21年3月3日死亡)については控訴人X1,同X2及び同X3が,同じくX25(平成21年10月27日死亡)については控訴人X9,同X10,同X11及び同X12が,同じくX26(平成21年1月17日死亡)については控訴人X13,同X14,同X15,同X16及び同X17が,そして,X27(平成21年7月2日死亡)については控訴人X18,同X19,同X20及び同X21が,また,当審係属中に死亡したX28(平成22年8月24日死亡)については控訴人X4及び同X5が,そして,X29(平成22年10月31日死亡)については控訴人X6,同X7及び同X8がいずれも法定相続分に従って故人の被控訴人に対する損害賠償請求権を相続し,訴訟手続を承継した。

そして,第1審原告のうち,X30及びX31は,原判決に対し控訴を申し立てていない。

以上の結果,控訴人は70人である。

なお,以下に引用の原判決中,「原告ら」又は「原告ら被抑留者」とある部分のうち本件抑留者と同じ立場でシベリア抑留の被害に遭った者ら一般を指す場合は「シベリア抑留者」又は「抑留被害者」と読み替える。

2  前提事実

(シベリア抑留の概況)

原判決5頁23行目から同6頁14行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,以下のとおり補正する。

(1) 原判決6頁4行目の「60万人前後といわれている。」を「,正確には確定し難いものの,一般には約57万5000人と言われている。」と,同8,9行目の「死亡者は6万人以上といわれている。」を「死亡者数は,正確には確定し難いものの,一般には約5万5000人であり,ほかに,病弱のため入ソ後旧満州又は北朝鮮に送られた者等が約4万7000人いると言われている。」と各改める。

(2) 原判決6頁11,12行目の「引揚げが終了したのは」を「引揚げが一応の区切りを迎えたのは」と,同12行目の「原告らの抑留期間」から14行目末尾までを「本件抑留者の抑留期間は,短い者でも約1年4か月(昭和21年12月8日に帰国した控訴人X32),長い者では約4年7か月(昭和25年4月に帰国した控訴人X33,同月22日ころに帰国した控訴人X34。)という長期間にわたるものであった(なお,控訴人X35は,昭和25年12月25日に帰国したと主張しているけれども〔第1次訴訟の訴状〕,同時に,抑留期間が3年4か月であったとも主張していることに加え,証拠<省略>によれば,昭和25年4月22日ころから昭和28年12月1日ころまでの間集団引揚げが中断していたことが認められることからすると,にわかに採用することができない)。」と各改める。

(ソ連の参戦から国交回復に至る経過の中での抑留問題の推移)

原判決6頁16行目から同7頁11行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,以下のとおり補正する。

(1) 原判決6頁17,18,24行目及び同7頁9行目の「被告」を「我が国」と,同6頁17行目の「進攻」を「侵攻」と,同18行目の「同月15日」を「同月14日」と,同21行目の「同月23日」を「同月24日」と,同23行目の「(証拠<省略>)」を,「(証拠<省略>)」と,同25行目の「アメリカ」を「アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)」と各改める。

(2) 原判決7頁1行目の「本件のすべての原告ら」を「本件抑留者」と,同6行目の「11月17日」を「11月19日」と,同8行目の「(証拠<省略>)」を「証拠<省略>)」と,同10,11行目の「シベリア抑留者の引揚げもようやく完了した。」を「シベリア抑留者の帰国も同月26日までに一応の区切りを迎えた。」と各改める。

(本件抑留者の被害)

原判決38頁5行目から同41頁8行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,以下のとおり補正する。

(1) 原判決38頁5行目の「(4)」を削除し,同6行目の「原告ら」を「本件抑留者」と,同10行目の「昭和19年9月26日ころ」を「昭和20年8月26日ころ」と,同15行目の「やけど状態」を「やけどのような状態」と,同39頁8行目の「建設作業」を「敷設作業」と各改める。

(2) 原判決40頁22行目の「(5) 他の原告ら」を「キ 他の本件抑留者」と,同23行目の「原告ら」を「本件抑留者」と,同41頁7,8行目の「考えるのも,うなずけるところである。」を「考えている(なお,本件抑留者のうち,X36は幌筵島(北千島)で,X37は黄海南道(朝鮮半島北部)で,X38は清津(朝鮮半島北部)で,X39は占守島(北千島)で,X40は頓化(朝鮮半島北部)でそれぞれ武装解除を受けた。また,X28は満蒙開拓青年義勇軍の寧安義勇隊員であった。)。」と各改める。

(ソ連の参戦から日ソ共同宣言に至る経緯)

原判決41頁15行目から同43頁21行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,以下のとおり補正する。

(1) 原判決41頁15行目の「(1)」を削除し,同15,16行目の「原告ら」を「本件抑留者」と,同16行目の「第一義的」を「第一次的」と,同17行目の「証拠<省略>)」を「証拠(<省略>のほか後掲のもの)及び弁論の全趣旨」と各改める。

(2) 原判決41頁19行目から同43頁21行目までを,以下のとおり改める。

「ア ソ連は,昭和20年4月5日,我が国に対し,昭和16年4月に締結し同月から効力が発生した日ソ中立条約について,5年の期間満了をもって廃棄し,自動延長しない旨を通告した。

イ アメリカ,中国及びイギリスは,昭和20年7月26日,ポツダム宣言を発表し,その中で,『日本国軍隊ハ完全に武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ(9項)』『吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ(10項)』と述べた(証拠<省略>)。

ウ ソ連は,昭和20年8月8日,我が国に対し,宣戦布告し,同月9日,旧満州に侵攻し,さらに朝鮮半島北部,樺太南部,千島列島のほか,国後島,択捉島,歯舞群島及び色丹島に侵攻した。ソ連は,宣戦布告後,ポツダム宣言に加わった。

エ 我が国は,昭和20年8月14日,ポツダム宣言を受諾した。

オ 我が国は,昭和20年8月14日,『ポツダム宣言受諾ニ関スル在外現地機関ニ対スル訓令(別電)』において,『大使初メ出先公館職員ハ大御心ヲ体シ政府ノ方針ニ従ヒ率先垂範シ最後迄職責ノ完遂ニ任ジ且居留民ノ保護指導ニ付万全ノ措置ヲ講ズ』とした上,『大東亜省出先公館ニ於ケル措置』について『機密文書,電信符号,暗号機械ハ状況ニ依リ遅滞ナク毀却ス』などと,『居留民ニ対スル措置』について『1 一般方針』『(イ)帝国ガ今次措置ヲ採ルノ已ムナキニ至リタル事情ニ付周到懇切ニ説示スルト共ニ大御心ニ従ヒ冷静沈着皇国民トシテ恥ズルナキ態度ヲ以テ時艱ニ善処スル如ク指導ス』『(ロ)居留民ハ出来得ル限リ定着ノ方針ヲ執る』『(ハ)居留民ノ生命財産ノ保護ニ付テハ万全ノ措置ヲ講ズ』などと命じた(証拠<省略>)。

カ 我が国は,昭和20年8月18日,『帝国陸軍復員要領』(軍令陸甲第116号)を発令して『復員スベキ部隊ハ帝国全陸軍部隊トス』と定めた上,同要領に基づき実施に関する事項を『帝国陸軍復員要領細則』(陸機密第369号)で定め,その中で『復員管理官ハ』『復員実施ニ方リテハ成ルヘク社会的不安ヲ惹起セシメサル如ク考慮スルト共ニ輸送能力ヲモ勘案ノ上整斉タル実施ニ努ムルモノトス』(第4条)などとした。そして,同年9月10日,上記『要領ニ基キ外地ニ在ル陸軍部隊ノ復員ノ実施ニ関シ準拠トナルヘキ事項』を『帝国陸軍(外地部隊)復員実施要領細則』(陸密第5908号)で定めたが(『帝国陸軍(外地部隊)復員実施要領細則規定ノ件』〔証拠<省略>〕),その中で『帝国陸軍(外地部隊)復員実施要領細則別冊ノ通定ム』『但外地部隊最高指揮官ハ現地ノ実情ニ即応スル如ク適宜処理スルコトヲ得』とし,『本細則ハ帝国陸軍復員要領ニ基キ外地(小笠原,朝鮮,台湾,沖縄本島以西ノ南西諸島,満州,支那,其ノ他帝国外ノ地ヲ謂フ)ニ在ル陸軍部隊の復員ノ実施ニ関シ準拠トナルヘキ事項ヲ規定ス(1条)』『外地ニ在ル部隊ノ復員ハ別ニ示スモノノ外本土ニ帰還後完結スルモノトス但シ最高指揮官ハ状況ニ依リ一部部隊ヲ現地ニ於テ復員スルコトヲ得(4条)』『復員部隊ノ人数ノ処理ニ関シ特ニ定ムルモノ左ノ如シ』『一左ノ者ハ現地ニ於テ除隊(帰休除隊ヲ含ム以下同ジ)召集解除(予備役編入)(解雇)スルコトヲ得』『1当該管轄地域内ニ於テ召集セル者』『2外地在住ヲ希望スル者』『3其ノ他必要ト認ムル者(9条1項)』などと定めた(証拠<省略>)。

キ ソ連国防国家委員会委員長であったスターリンは,昭和20年8月24日,極東ソ連軍総司令官I元帥に対し,『ア)極東およびシベリアでの労働に肉体的に耐えられる日本人−日本軍軍事捕虜を約50万人選抜すること,イ)軍事捕虜をソ連邦に移送する前に,1000人づつからなる建設大隊を組織し,大隊と中隊の長として,特に日本軍の工兵部隊の若い将校,下士官の軍事捕虜を指揮官に命ずること』等を命じた(極秘司令〔証拠<省略>〕)。

ク 我が国は,昭和20年9月2日,連合国(アメリカ,中国,イギリス及びソ連)を含む9か国の代表及び連合国最高司令官との間で,降伏文書に調印し,一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告すること,ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること等を受諾し,ポツダム宣言が定める降伏条項実施のため,連合国総司令部によるわが国の占領及び管理が開始されることとなった(証拠<省略>)。

ケ 連合国総司令部は,昭和20年9月2日,指令第1号(陸海軍一般命令第1号)を発令した。連合国総司令部は,我が国に対し,上記指令第1号において,『第1項』『帝国大本営はここに勅命によりかつ勅命に基く一切の日本国軍隊の連合国最高司令官に対する降伏の結果として,日本国内および国外にある一切の指揮官に対し,其の指揮下にある日本国軍隊および日本国の支配下にある一切の軍隊をして敵対行為をただちに終止し,その武器を措き現位置にとどまり,かつ左に指示せられ又は連合国最高司令官により,追って指示せらるることあるべき合衆国,中華民国,連合王国及びソヴイエツト社会主義共和国連邦の名において行動する各指揮官に対し,無条件降伏を為さしむべきことを命ず。指示せられたる指揮官またはその指示したる代表者に対しては即刻連絡すべきものとす。ただし細目に関しては連合国最高司令官により変更の行わるることあるべく,右指揮官または,代表者の命令は完全にかつ即時実行せらるべきものとす。』『(A)支那(満州を除く),台湾および北緯16度以北の仏領印度支那にある日本国の先任指揮官ならびに一切の陸上,海上,航空および補助部隊は蒋介石総帥に降伏すべし。(B)満州国,北緯38度以北の朝鮮,樺太および千島諸島にある日本国の先任指揮官ならびに一切の陸上,海上,航空および補助部隊はソヴイエツト極東軍最高司令官に降伏すべし。(以下省略)』と命じた(証拠<省略>)。

コ 我が国は,昭和20年9月7日,『外征部隊及居留民帰還輸送等に関する実施要領』について閣議了解し,上記要領において,『昭和20年9月6日閣議決定に基く外征部隊及居留民の帰還輸送等に就ては,現地の非状に鑑み,内地民生上の必要を犠牲にするも,優先的に処置すると共に他の一切の方途を講じ,可及的速かに之が完遂を期するものとす。』と定めた(証拠<省略>)。

サ 我が国は,昭和20年9月24日,『海外部隊並に海外邦人帰還に関する件』(次官会議決定)において,『第1,方針』『海外部隊並に海外邦人に関しては,極力之を海外に残留せしむる為,其の生命財産の安全を保障すると共に居住地に於ける生活の安定を期することとし,帰還すべき者に対しては,速に配船其の他帰還に必要なる措置を講じ,且帰還者に付ては内地に於ける就業其の他の指導に関し遺憾なきを期する為,左の要領に基き海外部隊並に海外邦人帰還対策委員会を設置す。』などと定めた(証拠<省略>)。

シ ソ連は,ポツダム宣言に違反して,シベリア抑留を行った。

ス 連合国総司令部は,昭和20年10月25日,『外交並ニ領事機関ノ財産及ヒ文書引渡ノ件』を発令し,我が国に対し,我が国の在外大公使館の資産引渡し,外交機能の全面停止を命じた(我が国は,少なくとも中立国との接触は除外されるべきことを求めたが,受け入れられなかった。)。そして,連合国総司令部は,同年11月4日,『日本政府及中立国代表間ノ公式関係ニ関スル件』を発令し,我が国に対し,中立国並びにその在日代表との連絡を禁止して我が国の外交権の完全停止を命じた(証拠<省略>)。

セ 連合国総司令部は,昭和21年3月16日,『引揚に関する基本指令』を発令したが,『極東『ソビエツト』軍総司令官の支配下にある軍政地区よりの日本国民』については,『但し適当なる協定締結の暁に於て』とされた(証拠<省略>)。

ソ ソ連対日理事会代表N・デレヴイヤンコ陸軍中将と連合国最高司令官代表ポール・J・ミューラー陸軍中将は,昭和21年12月19日,『ソ連地区引揚に関する米ソ協定』(米ソ協定)を締結した。ソ連は,上記協定において,『第1節引揚該当者』『1 左記の者がソ連邦及びソ連邦支配下の領土よりの引揚の対象となる。(ア)日本人俘虜(イ)一般日本人(一般日本人のソ連邦よりの引揚は各人の希望による)』『第2節引揚港及び引揚者数』『2 前記ソ連邦の引揚港よりの日本人の引揚数は月5万名とする。』などと合意した(証拠<省略>)。

タ 我が国の引揚同胞対策審議会は,昭和23年11月5日,『未帰還者対策要綱』において,『第1ソ連地区よりの引揚促進』『ソ連地区よりの引揚促進は,全国留守家族の痛切なる願望にも拘わらず,毎月16万送還の問題も解決せず,月5万の協定数すら実現しない現状であって,在ソ同胞は四回の越冬を余儀なくされんとして居る。連合国総司令部が常に引揚促進就中,冬期継続送還の実現に関し,絶大なる努力を致されていることに対しては,全国民は衷心より厚く感謝しているのであるが,政府は今後とも連合国総司令部に懇請し,本件実現につき格段の努力をするとともに,今後一層国内受入態勢の万全を期し,各般の措置を講ずること』などと決議している(証拠<省略>)。

チ ソ連タス通信は,昭和25年4月22日,『昭和24年5月20日,ソ連内閣は,送還に関する声明で,昭和24年5月までに日本人捕虜の大多数がソ連から送還され,戦犯関係で調査中の者を除き,昭和24年に残りの9万5000人の捕虜が送還される予定であると発表したが,タス通信は,右発表に述べられた残余の日本人捕虜送還が今や完了した旨,発表する権限を与えられた。未帰還の者は,刑を言渡された者又は戦争犯罪のため調査中の日本人捕虜1487名,病気治療後送還される者9名,中国人民に対する重大犯罪を犯し中華人民共和国中央人民政府に引渡される予定の者971名である。日本降伏以来,ソ連から日本に送還された日本人捕虜は,全部で,51万0409名である。但し昭和20年に直接戦闘地域で釈放された日本人捕虜7万0880名は,この中に入らない。』と報じた(証拠<省略>)。

ツ 我が国は,衆議院において昭和25年4月30日,『在外抑留同胞引揚促進に関する決議』をし,両院において同年5月2日,『引揚問題に対する国会の決議』をした。衆議院は,上記決議において,連合国に対し,『終戦以来5箇年にわたって,連合国の好意により在外同胞の大多数の引揚が実施されたことは,全国民の深く感謝するところである。』と述べるとともに,『(在ソ同胞の)最後の一人に至るまで,その引揚が速やかに実行せられることを連合国に懇請する』と述べ,両院は,上記決議において,連合国最高司令官に対し,『国際連合を通じて世界の正義と世論に訴え』『終戦以来5箇年に垂んとする今日なお約37万名の日本人がソ連ならびにソ連の勢力下にある地域(シベリア,樺太,北鮮,大連ならびに中共地域を含む)に残留せしめられ生死不明の状況にある』ことについて『すみやかなる解決のためあらゆる援助を与えされんことを要請するとともに,特に』『ソ連ならびにソ連の勢力下にある地域(シベリア,樺太,北鮮,大連ならびに中共地域を含む)の残留者全員を1日もすみやかに帰還』せしめること等の『実現についてご配慮を懇請する』と述べている(証拠<省略>)。

テ アメリカ,イギリス及びオーストラリアは,昭和25年8月25日,国際連合に対し,『国際諸規定に反しいまなおソ連に抑留されている捕虜に関して国連総会が措置を講ぜられんことを希望する。本年4月と5月にソ連のタス通信は,ソ連が戦犯及び病気のものを除いて日本人捕虜の送還を完了したと発表したが,これが事実でないことは証拠によって明らかである』旨の書簡を送った。これを受け,国際連合は,同年12月14日,第5回総会において,『捕虜問題の平和的解決のための措置』に関する決議をし,事務総長は,同決議に基づき,捕虜特別委員会を設置した(証拠<省略>)。

ト 我が国は,昭和26年5月14日及び同年6月19日の2回にわたり,吉田茂外務大臣から国際連合総会議長に対し書簡を送付した。吉田茂外務大臣は,前者の書簡において,『ソ連代表が昭和25年12月7日に国際連合第5総会第3委員会で行った演説(昭和25年4月22日のソ連タス通信を引用して,ソ連地区にはもはや約2500名の日本人が残留しているに過ぎない旨述べたもの)中には事実と相違する点が多々ある』旨述べ,我が国の見解([1]捕虜とした日本人将兵を59万4148名〔以上〕とするが,我が国の調査結果〔約86万名〕との間に26万6000名の差がある。[2]ソ連軍により抑留された日本人の死亡者数について言及していないが,我が国の調査によれば昭和25年12月末現在約18万3000名に上る。[3]ソ連軍の支配下に入った一般邦人について触れていない。[4]捕虜とした日本人将兵59万4148名〔以上〕のうち,7万0880名を昭和20年直接戦闘地域において解放したとするが,これを裏付ける何らの証拠も見つかっていないなど。)を示した。ついで吉田茂外務大臣は,後者の書簡において,『私は関係国政府又は関係当局が左記の措置を至急とるよう貴国際連合に於て御斡旋方お願いする次第である。』『1ソヴイエト社会主義共和国連邦政府及び中華人民共和国中央人民政府及び北鮮当局は,シベリア及びその他のソ連領,外蒙,南樺太,千島,満州,関東州中国その他の地方,北鮮等の地域からいまだ帰還しない約37万の日本人に関し,死亡者及び生存者の氏名,その他の参考事項を公表されたい。』『2生存者は直ちに送還されたい。受刑中の者又は取調べのため抑留されている者又は直ちに日本に送還できない者については,抑留の理由,場所を通報されたい。死亡者については各人の死亡日及び埋葬場所を含めた詳細な報告を提供されたい。また遺骨,遺言書,識別票は日本政府に送付されたい。』『3捕虜,一般邦人の別なく抑留日本人の待遇は,国際慣習および国際条約に準拠して行われたい。(中略)現在なお抑留中の日本人に対する取扱いを,速やかに改善されるように取計らわれたい。』と述べている(証拠<省略>)。

ナ 我が国は,昭和26年9月8日,平和条約に調印し,平和条約は,昭和27年4月28日発効した。平和条約には,『日本国軍隊の各自の家庭への復帰に関するポツダム宣言9項の規定は,まだその実施が完了されていない限り,実行されるものとする。』との条項(6条(b)項)が盛り込まれている。ソ連は,平和条約に調印しなかった。

ニ 日赤社長とソ連赤十字社長は,昭和28年11月19日,赤十字協定に調印し,これによって相当数のシベリア抑留者が帰国した。

ヌ 我が国とソ連は,昭和31年10月19日,日ソ共同宣言に調印し,同年12月12日批准と同時に発効した。日ソ共同宣言には,『ソ連において有罪の判決を受けたすべての日本人は,この共同宣言の効力発生とともに釈放され,日本国に送還されるものとする。』との条項(5条前段)が盛り込まれ,これによってシベリア抑留者の帰国も同月26日までに一応の区切りを迎えた。」

(シベリア抑留者の帰還に向けた動き)

原判決59頁22行目から同67頁16行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。

ただし,以下のとおり補正する。

(1) 原判決59頁22行目の「(2) その上,」から「(証拠<省略>)」までを「証拠<省略>及び弁論の全趣旨」と,同24行目の「8月15日」を「8月14日」と,同60頁6行目の「被告」を「我が国」と各改め,同10行目から19行目までを削除し,同61頁2行目の「用意にするため」を「容易にするための」と改め,同6行目の「吉田茂」の前に「後任の」を加え,同9行目から16行目までを削除し,同17行目の「被告は」を「我が国は,日本における」と,同20行目の「被告は,同月5日」を「我が国は,同年9月6日岡本公使を通じ」と,同21行目の「同月10日,重光外相は」を「同月13日加瀬公使を通じ」と各改め,同23行目の「スウェーデン政府」の前に「同月12日岡本公使を通じ,」を加え,同25行目から同62頁14行目までを削除する。

(2) 原判決62頁16,17行目の「GHQから出張についての許可が得られず,」,同18行目から同63頁3行目まで,同63頁8行目から11行目までを各削除し,同63頁16,17行目の「GHQの協力を得ながら,」を「GHQは,ソ連に対し」と改め,同64頁23行目から同65頁8行目までを削除し,同65頁17,18行目の「同年30日には」を「同月30日には衆議院が」と,同19行目の「要求した」を「懇請した」と各改め,同20行目から22行目までを削除し,同66頁8行目の「大山郁夫が,」を「大山郁夫参議院議員は,」と,同行目の「モスクワ滞在中の」を「モスクワ滞在中に,」と,同10行目の「用意がある」を「用意があるように見える」と各改め,同行目の「同年9月20日」の前に「大山郁夫参議院議員は,」を加え,同11,12行目の「との情報を得て,」を「旨の電報を日本赤十字社に送信した。日本赤十字社は」と,同18,19行目の「(証拠<省略>)」を「(証拠<省略>)」と,同20行目から同67頁16行目までを「サ 我が国とソ連は,昭和31年10月19日,日ソ共同宣言に調印し,同年12月12日批准と同時に発効した。日ソ共同宣言には,『ソ連において有罪の判決を受けたすべての日本人は,この共同宣言の効力発生とともに釈放され,日本国に送還されるものとする。』との条項(5条前段)が盛り込まれ,これによってシベリア抑留者の帰国も同月26日までに一応の区切りを迎えた。」と各改める。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

争点及び争点に関する当事者の主張は,以下のとおり,付加,補正,削除し,控訴人らが次の4のとおり主張するほかは,原判決「事実及び理由」中の第3の3のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決7頁17,18行目の「抗弁として,」を削除し,同26行目の「争点となる(争点(6))。」を「争点となり(争点(6)),除斥期間の適用の有無(争点(6の2))が争点となる。」と改める。

(2)  原判決8頁10行目の「遺棄行為を行った」の次に「(仮に,被控訴人が,『労役賠償としてソ連に積極的に提供した行為』を行ったことを明確に認めることができないとしても,『政策的方針によって,本件抑留者を終戦後ソ連軍の手に委ねて使役させ,帰国させなかったこと』,すなわち,『国家が,戦争終結に伴って,海外の戦地から兵士を帰国させずに相手国軍の手に委ねることを方針として決定し,実際にもそのような結果を現出させること』それ自体が遺棄行為を構成する。)」を,同18行目の「には」の次に,「,『国体の護持は絶対にして一歩も譲らざること』とする一方で」を各加える。

(3)  原判決9頁22行目の「関東軍参謀総長」を「関東軍総参謀長」と,同22,23行目の「基礎資料」を「大本営参謀ノ報告ニ関スル所見並ニ基礎資料(以下『基礎資料』という。)」と,同11頁17行目の「侵入」を「侵攻」と各改める。

(4)  原判決14頁21行目の「米国などの地域」を「アメリカなどの支配地域」と改める。

(5)  原判決18頁5行目の「第1〜第3次訴訟」を「第1,第2次訴訟」と改め,同6行目の「第4次訴訟」の前に「第3次訴訟の控訴人らに対し同年10月6日の原審口頭弁論期日において,」を加える。

(6)  原判決21頁6行目の「自体」を「事態」と改める。

(7)  原判決33頁9行目の末尾の次に,改行の上,以下のとおり加える。

「(7の2) 除斥期間の経過(争点(6の2))

(被控訴人の主張)

ア 仮に『早期に帰国させるべき義務』違反が認められるとしても,民法724条後段の除斥期間の起算点は,加害行為が行われたとき(損害の全部部又は一部が発生したとき)である。『早期に帰国させるべき義務』違反は,その義務の性質上,本件抑留者が帰国した後には問題となり得ないところ,すべての本件抑留者が帰国した時点(昭和25年12月25日)から起算しても,57年以上が経過している。したがって,仮に,控訴人らの被控訴人に対する損害賠償請求権が発生したとしても,既に消滅している(被控訴人の平成20年8月28日付け第2準備書面−121,140,141頁)。

イ 第3の3の(4)の(被告の主張)のイ(原判決13頁20行目から同14頁5行目まで)のとおり

(控訴人らの主張)

第3の3の(4)の(原告らの主張)(原判決14頁6行目から同15頁8行目まで)のとおり」

(8)  原判決35頁20行目の末尾の次に,改行の上,以下のとおり加える。

「X28の死亡により,相続人である控訴人X4及び同X5は各550万円の支払を求める。

X29の死亡により,相続人である控訴人X6は550万円,控訴人X7及び控訴人X8は275万円の支払を求める。

X25の死亡により,相続人である控訴人X9は550万円,控訴人X10は183万3334円,控訴人X11及び控訴人X12は183万3333円の支払を求める。」

4  控訴人らの当審における主張

控訴人らは,当審において,別紙1,2<省略>のとおり主張する。その概要は,以下のとおりである。

(1)  (争点(1)について)

[1] 主要な証拠として,要綱,E報告及びI宛報告があること,

[2] 六十数万人の大軍であった関東軍兵士を円滑に武装解除させ,組織的にシベリアをはじめとするソ連全土にわたる約2000か所の抑留先に送り込むという,高度の管理能力を要する難事が,極めて整然と,組織的かつ迅速に実現された状況が明らかとなっていることをふまえ,主要な証拠([1])と状況([2])を歴史的文脈の上に位置づけた上で総合的に検討すれば,シベリア抑留が,被控訴人が取った棄兵政策に基づき,本件抑留者をシベリアの地に遺棄し,使役のためにソ連に委ねた結果であることを認めることができる。

詳細は,別紙1<省略>−3頁ないし14頁の「第1 被告国による遺棄行為の結果としてのシベリア抑留」記載のとおりである。

(2)  (争点(4)について)

被控訴人の本件抑留者に対する遺棄行為がそれ自体安全配慮義務違反である。被控訴人は,本件抑留者が長期間にわたり劣悪な環境で強制労働に従事させられることを知り又は知り得たにもかかわらず,本件抑留者をソ連に対して労働力として提供したのであって,かかる行為が安全配慮義務に違反することは明らかである。

被控訴人は,本件抑留者が長期間にわたり劣悪な環境で強制労働に従事させられることを知り又は知り得たにもかかわらず,武装解除の中止どころか,食料や防寒についての善処を願い出ているにとどまり,本件抑留者の生命や安全を守るための具体的な手段をほとんど講じなかったのであるから,こうした被控訴人の対応が安全配慮義務を尽くしたと言えるようなものでないことは明らかである。

詳細は,別紙1<省略>−14頁ないし17頁の「第2 安全配慮義務違反」記載のとおりである。

(3)  (争点(6)について)

先行行為に基づく条理上の作為義務とは,「危険な状況を作出した者は,その危険を取り払わなければならない」というものであり,条理上の作為義務が発生することとなるのは,「当該先行行為によって本件抑留者が危険な状況,立場に置かれている,あるいは,本件抑留者に危険が及んでいる」ためである。終戦時,敵地である旧満州地域に本件抑留者を放置したという行為そのものにより,本件抑留者は極めて危険な状態に追いやられたから,シベリア抑留の行われる以前,終戦の時点において,被控訴人には,本件抑留者を早期に帰国させるべき条理上の作為義務が発生している。このような被控訴人の本件抑留者に対する早期帰国実現義務は,シベリア抑留により,より高度で重大な義務となった。仮に,被控訴人が労役賠償として日本兵を提供する方針を取っていたとまで認められないとしても,少なくとも,将兵が帰還できるまでの間,現地で労働することを容認する立場を取り,ソ連に対して使役として提供することを申し出,武装解除などを日本の指揮系統を使って行い,結果としてソ連によるシベリア抑留を容易ならしめたのであるから,かかる被控訴人の方針及び行為が,本件抑留者を危険な状況,立場に追いやったことは明白である。

本件抑留者は,もともと徴兵等を経て被控訴人の指揮下に入り,その中で旧満州地域へと送られることとなったのであるから,本件抑留者が旧日本軍に入隊した時点において,本件抑留者と被控訴人との間には,相互に安全配慮義務が発生したものと言わなければならない。そして,終戦時,旧満州地域は,ソ連軍が進駐してきており,また,現地住民は日本に対して悪感情を有し,その中には土賊となって現地の日本人に危害を加えるものもあるなど,危険な状態にあったのであるから,被控訴人は,本件抑留者に対し,安全配慮義務の一内容として,かかる危険な状態あった旧満州地域から一刻も早く日本本国へ帰国させる早期帰国実現義務を負っていたのである。

被控訴人は,GHQや中立国,赤十字国際委員会などを通じた働きかけにとどまり,結果としてソ連との交渉が進展しないまま,本件抑留者の帰国が遅れることとなったのであるから,被控訴人の早期帰国実現義務違反は明白である。

詳細は,別紙1<省略>−17頁ないし22頁の「第3 早期帰国実現義務違反」記載のとおりである。

(4)  (争点(7)について)

シベリア抑留は,戦争による直接の被害ではなく,戦争終結後長きにわたり戦勝国に抑留されて強制労働を強いられたという特殊な被害であり,その強制労働の中身において深刻な死亡者数をもたらしたという稀に見る特殊な損害であるから,戦争損害の概念では覆いきれない。加えて,戦後において,実際に生じた戦争被害そのものについて実質的平等負担すら行われていない。以上によれば,戦争遂行者免責の論理である戦争被害受忍論によって,被控訴人が戦争被害者の被害回復を拒絶することは許されない。

立法不作為に基づく国家賠償責任が認められるためには,概ね次の基準が必要とされる。すなわち,[1]憲法の明文上一定の立法を行うべき義務が存在すること(憲法上の根拠),[2]立法行為(立法不作為を含む。)が公権力行使に当たること,[3]立法不作為を行うに当たり国会議員の故意・過失に基づき立法不作為が違法と認定されること,[4]立法制定のため合理的是正期間を経過していることである。本件事案は,上記いずれの要件も満たす。[1]については,憲法前文が,政府の行為による「戦争の惨禍」がもたらした過去のあらゆる損害に対する補償を誠実に行うことで「名誉ある地位」を占める意思を表明していること(植民地支配・侵略戦争の被害者の被害回復,すなわち賠償〔補償〕と謝罪を行うべきこと〔「戦後補償の遂行義務」を要請していること〕),憲法13条が,憲法前文に規定する国の責務を個人の側から権利として保障する内容を含んでいることからみて,被控訴人は,控訴人らの被害回復のための補償立法を行うべき義務を負っている。[2]については,国会議員の立法行為(立法不作為を含む。)が「公権力の行使」に当たることは,学説,判例の一致した見解である。[3]については,立法裁量といえども無制約のものではなく,憲法により限界づけられており,その逸脱は当然違憲・違法との評価を受ける。本件抑留者を含む抑留被害者が国際法上も違法にソ連に強制的に抑留され,長期間にわたり,違法な強制労働に従事させられ,約6万人にも及ぶ将兵が死亡し,幸運にも生還できた本件抑留者を含む抑留被害者も甚大な精神的肉体的損害を被ったにもかかわらず,被控訴人は,正当な理由なく,戦後64年余りの今日に至るまで実質的な補償を行うための立法措置を取ることなく,銀杯と10万円の旅行券を配布するという極めて不十分な対応に終始してきたため(恩給法における施策では,本件抑留者を含む抑留被害者の平均抑留期間が3年程度であり,抑留加算を行っても6年程度にしかならず,殆どの本件抑留者を含む抑留被害者が恩給の受給資格を得ていない。),本件抑留者を含む抑留被害者は,憲法上保障された権利行使の機会を与えられることなく,権利侵害の状況が継続し,本件抑留者を含む抑留被害者は既に高齢に達しており一刻も早く被害回復が必要とされていること(平成22年6月成立した戦後強制抑留者特別措置法では,抑留期間に応じて25万円から150万円までが支給されることとなったが,本件抑留者59人は,全員が昭和25年12月31日までに帰還しており,25万円又は35万円を支給されるだけであり,このような僅かな金額ではおよそ補償の名に値しないし,この法律自身,支給される給付金が補償金でないことを明記している。),また戦後補償の全体的被害回復のためには立法によってしか被害者全般の被害回復は困難であることから,司法による被害回復の必要性が高度に認められ,これを救済するための立法措置が緊急に求められている。このように長期間本件抑留者を含む抑留被害者に対する実質的な補償を行うことなく放置してきたこと自体が立法裁量を逸脱し,違憲・違法となることはいうまでもなく,被控訴人の立法不作為の違憲・違法性が,戦後強制抑留者特別措置法の制定によって治癒されるものではない。[4]については,被控訴人は,憲法制定時に具体的に戦後補償立法の制定を義務づけられており,昭和22年5月3日の憲法施行日より戦後補償立法を実行すべきであったのであり,どんなに遅くとも昭和40年前後には,「国家補償の精神」に基づき戦後補償立法を制定することは可能であったから,立法不作為による違法性を,少なくとも西暦1960年代中葉にまで遡って認定すべきである。

人権救済最後の砦である裁判所は,権利侵害の内容・被害回復の必要性・被害回復のための訴訟方法を吟味して,立法不作為に基づく権利侵害の救済手段としての国家賠償訴訟の制度的意味を捉えるべきである。戦後補償問題における「根源的な人権侵害行為」,そして通常の市民社会では想定されない人権侵害行為について,被害回復の必要性や,被害回復方法としての国家賠償訴訟の意味を再確認するとともに,アジア地域,ひいては全世界の平和の構築につながる戦後補償問題の本質を理解し,司法消極主義から脱却して被害回復のための方途を切り開くことが人権救済最後の砦である裁判所に課された使命である。

詳細は,別紙1<省略>−22頁ないし44頁の「第4 戦争損害当然受忍論批判」,「第5 立法不作為の違法性」及び別紙2各記載のとおりである。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所は,控訴人らの本訴請求はすべて理由がないと判断する。その理由は,以下のとおりである。

2  争点(1)(被控訴人の遺棄行為)について

争点(1)に対する当裁判所の判断は,以下のとおり付加,補正,削除するほかは,原判決「事実及び理由」中の第4の3のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決44頁12行目から16行目までを,以下のとおり改める。

「(1) 控訴人らは,被控訴人が,ソ連に対する労役賠償として本件抑留者を含む日本軍将兵を労役させるという『遺棄政策』をとり,本件抑留者を終戦後ソ連軍の手に委ねて使役させ,我が国に帰国させないという遺棄行為を行った(仮に,被控訴人が,『労役賠償としてソ連に積極的に提供した行為』を行ったことを明確に認めることができないとしても,『政策的方針によって,本件抑留者を終戦後ソ連軍の手に委ねて使役させ,帰国させなかったこと』,すなわち,『国家が,戦争終結に伴って,海外の戦地から兵士を帰国させずに相手国軍の手に委ねることを方針として決定し,実際にもそのような結果を現出させること』それ自体が遺棄行為を構成する。)と主張する。

しかしながら,前記認定の事実関係によれば,[1]我が国が昭和20年8月14日ポツダム宣言を受諾し,同年9月2日,連合国(アメリカ,中国,イギリス及びソ連)を含む9か国の代表及び連合国最高司令官との間で降伏文書に調印して無条件降伏をし,[2]連合国総司令部が同日,指令第1号(陸海軍一般命令第1号)を発令し,我が国に対し,『帝国大本営』を介して,『日本国内および国外にある一切の指揮官に対し,其の指揮下にある日本国軍隊および日本国の支配下にある一切の軍隊をして敵対行為をただちに終止し,その武器を措き現位置にとどまり,かつ』『満州国,北緯38度以北の朝鮮,樺太および千島諸島にある日本国の先任指揮官ならびに一切の陸上,海上,航空および補助部隊はソヴイエツト極東軍最高司令官に(無条件)降伏すべし。』と命じ,我が国はこれに遵ったところ,[3]ソ連は,ソ連国防国家委員会委員長であったスターリンが昭和20年8月24日付け極秘司令を発令し,『日本国軍隊ハ完全に武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ』と定めたポツダム宣言に違反して,シベリア抑留を行ったことがそれぞれ認められるのであるから,本件抑留者を含む日本人将兵がシベリア抑留により被害を受けたのは,ソ連がポツダム宣言に違反してシベリア抑留を行ったことに加え,抑留中,捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当な取扱いをしたことによるものである。

確かに,我が国がポツダム宣言を受諾し,降伏文書に調印して無条件降伏をしたこと,並びに,連合国総司令部の指令第1号(陸海軍一般命令第1号)に遵ったことと,シベリア抑留との間には事実的因果関係を認めることができるけれども,控訴人らも,我が国がポツダム宣言を受諾し,降伏文書に調印して無条件降伏をしたこと,並びに,連合国総司令部の指令第1号(陸海軍一般命令第1号)に遵ったことをもって,被控訴人が控訴人らを『遺棄』したものと主張しているものではない。

控訴人らは,シベリア抑留が,被控訴人が取った棄兵政策に基づき,本件抑留者をシベリアの地に遺棄し,使役のためにソ連に委ねた結果であると主張するけれども,本件全証拠によっても,被控訴人が棄兵政策を取ったこと,被控訴人が本件抑留者をシベリアの地に遺棄し,使役のためにソ連に委ねたことを認めることはできない。」

(2)  原判決44頁17行目から19行目までを,以下のとおり改める。

「(2) 控訴人らは,要綱に『国体の護持は絶対にして一歩も譲らざること』と記載されていることを指摘し,『国体の護持』が『兵士の帰還』に優先するという価値序列(基本思想・政策)に基づき,『国体の護持』という優先事項を実現するための手段として,日本軍将兵の使役・提供の申し出(すなわち遺棄行為)をしたなどと主張するけれども,いうところの価値序列(基本思想・政策)が,『大日本帝国憲法体制の維持』を意味するのであれば,要綱が作成された時点において違法性を帯びるものとは考え難い。

また,控訴人らは,[1]主要な証拠として,要綱,E報告及びI宛報告があること,[2]六十数万人の大軍であった関東軍兵士を円滑に武装解除させ,組織的にシベリアをはじめとするソ連全土にわたる約2000か所の抑留先に送り込むという,高度の管理能力を要する難事が,極めて整然と,組織的かつ迅速に実現された状況が明らかとなっていることをふまえ,主要な証拠([1])と状況([2])を歴史的文脈の上に位置づけた上で総合的に検討すれば,シベリア抑留が,被控訴人が取った棄兵政策に基づき,控訴人らをシベリアの地に遺棄し,使役のためにソ連に委ねた結果であることを認めることができると主張し,これに沿う証拠<省略>があるけれども,弁論の全趣旨によれば,我が国がポツダム宣言を受諾し,降伏文書に調印してポツダム宣言の条項を受諾した前後に,我が国の意思決定の内容,過程等を記載した重要な公文書が多数処分されたことが認められることからすると,司法手続における歴史的事実の認定は慎重でなければならないことは当然のことであって,控訴人らが指摘するわずかな証拠から直ちに,控訴人ら主張の事実を認めることはできないものというべきである。加えて,控訴人らが主要な証拠として指摘する要綱,E報告及びI宛報告についても,控訴人らの提示する解釈が唯一のものではなく,様々な解釈が考えられるところであり,控訴人らが主張する事実に沿う証拠であると直ちに位置づけることも困難である。具体的には,控訴人らの主張とは異なる,次のような解釈が考えられる。」

(3)  原判決44頁25行目の「陸海軍軍備」を「陸海空軍々備」と,同26行目の「於いて」を「於て」と,同行目の「努める」を「努むる」と,同45頁3行目の「こと,」を「こと」と,同行目の「注釈」を「解説」と,同3,4行目の「最後に」を「また,『賠償及び其の他』の項に」と,同5行目の「(証拠<省略>。」から同6行目末尾までを「(証拠<省略>)。」と,同19行目の「(証拠<省略>)」を「(要綱は,『国土に就ては成るへく他日の再起に便なることに努むるも止むを得されば固有本土を以て満足す』とし,『固有本土ノ解釈ニ就テハ最下限沖縄,小笠原島,樺太ヲ捨テ,千島ハ南半分ヲ保有スル程度トスルコト』との解釈を加えている〔証拠<省略>〕。)」と,同行目の「海外領土の放棄」を「領土の一部放棄」と,同23行目の「賠償」を「戦争賠償」と,同23,24行目の「本件各証拠」から同24行目の「要綱」までを「要綱」と,同47頁1行目の「同月25日」を「昭和20年7月25日」と,同48頁2,3行目の「(証拠未提出)」を「(証拠<省略>)」と,同4行目の「以上」から同7行目の「ありたし。」までを「以上申入ノ次第ニ依リ御承知ノ通リ日本政府ハ戦争終結ニ関シソ連政府ノ好意的斡旋ヲ求ムルト同時ニ日本政府ノ具体的意図ニ関シテハ近衛公爵ヲシテ直接説明セシメントスルモノニ付左様御了解置キアリタシ」と,同8行目の「唯今」から同11行目の「便宜あるべし。」までを「只今貴大使ヲ申出ノ『テキスト』ヲ預カリシカ右申出ノ内容ハ正ニ重要ナリ貴大使ヨリ書キ物ニテ預カレハヨリ正確ニ了解し得ヘク聞取リ書丈ケニテハ正確ヲ期シ難ク又書キ物ヲ手ニシ得ハ政府ニ対シ報告上ニモ便宜アルヘシ」と,同11行目の「本問題」から同13行目の「なさるよう」までを「本問題ノ極メテ機微ナルニ鑑ミソ連政府ヨリ回答ヲ与ヘラルル迄ハ右書キ物ハ眞ニ極秘ノ取扱ヲナサルル様」と,同行目の「報告がされているとして,」を「報告が記載されていることをふまえ,」と,同21行目の「被告は,」を「控訴人らは,」と,同22行目の「我が方」から同24行目>の「思う」までを「我方カ『ソ』に申入レタル条件ヲモ無視シテ参戦ニ至レル事情ヲ参酌シ,余リ条件ヲ附セサルヲ可ト思フ」と,同24行目の「記事を載せているところ,」を「記事が記載されていることをふまえ,」と,同24,25行目のの(ママ)「我が方がソに申し入れたる条件」を「我方カ『ソ』ニ申入レタル条件」と各改める。

(4)  原判決49頁16行目の「第三 関東軍ノ現況」を「第二 関東軍ノ現況」と,同行目の「士気」を「志氣」と,同17行目の「各兵団」から同20行目の末尾までを「『各兵団ハ戦闘ヨリ急遽ナル停戦及兵団ノ移動,輸送機関ノ缺乏,武装解除ニ伴ヒ兵員ノ食糧ハ急速度ニ逼迫シツツアル外二ヶ月後ノ寒気ヲ目前ニシ越冬施設,防寒被服ニ関シテモ憂慮極メテ大ナルヲ以テ『ソ』側ノ好意ニ依リ善処セラルル如ク鋭意連絡中ナリ』と記載されている(証拠<省略>)。」と,同50頁3行目の「合計」を「計」と,同7行目の「関東軍参謀総長」を「関東軍総参謀長」と,同9行目の「武装解除後の」から同11行目末尾までを「『武装解除後ノ軍隊並ニ居留民ノ実情ハ衣食住共極メテ深刻ニシテ殊ニ冬季ヲ控ヘ眞ニ楽観ヲ許サス従テ之カ処理ニ就テハ大本営トシテハ至急連合国最高司令部トモ話合ヒノ上措置スヘキモノト思考ス』と記載されている(証拠<省略>)。」と,同53頁15行目,18行目,19行目及び23行目の「旧満州」を「満州」と,同18行目の「おいて」を「於て」と,同22行目の「ます・・・」を「ます殊に目下在隊中の将兵の中には數萬の満州在籍者が居りまして之等が夫々元の職場に復歸致しますれば食糧,交通,一般産業の運營に相當役立つものと考へます」と,同54頁1行目の「GHQ」を「関東軍総司令部」と,同3行目の「申し出も」を「申し出を」と,同5行目の「貴軍の好情に折り入って日本の希望を報告した」を「貴軍の好情に甘え折り入って私共の希望をお耳に入れた」と,同6行目の「日本人が寒さに関して非常に弱く,」を「日本人は寒さに対しては非常に弱く此の点」と,同21行目の「表現」から同26行目の「不自然とはいえない。」までを「表現のみを取り上げれば,日本軍将兵をソ連軍麾下に炭坑等での労働に従事させることを申し出る内容となっている。しかし,上記(イ)に認定の報告内容全体を素直に読めば,これは,関東軍の降伏を受託し,その将兵を管理下においたソ連(軍)に対し,召集前に満州を生活の本拠とした者,同地に止まって生活することを希望する者らについては,満州の地でソ連軍,元の職場等での職業生活に復帰させ,満州における産業復旧や軍民双方の越冬に必要な石炭の採取に役立たせること,また,帰国希望者については逐次内地に帰還させ,それまでの間は同地においてソ連軍管轄下で同様の生活の機会を与えるよう懇請したものにすぎず,満州での生活再建や帰国を離れ,ソ連軍の捕虜としての運命を委ねたものとはとうてい解されない。」と,同55頁6行目の「(3)」を「エ」と各改める。

(5)  原判決55頁18行目の「(4) 次に,」を「(3) 控訴人らは,主要な証拠(要綱,E報告及びI宛報告)と状況(60数万人の大軍であった関東軍兵士を円滑に武装解除させ,組織的にシベリアをはじめとするソ連全土にわたる約2000か所の抑留先に送り込むという,高度の管理能力を要する難事が,極めて整然と,組織的かつ迅速に実現された状況)を歴史的文脈の上に位置づけた上で総合的に検討すれば,シベリア抑留が,被控訴人が取った棄兵政策に基づき,本件抑留者をシベリアの地に遺棄し,使役のためにソ連に委ねた結果であることを認めることができると主張する。そこで,」と,同20行目の「武装解除」を「武装解除の場」と各改める。

(6)  原判決56頁11,12行目の「認められる。」から同14行目末尾までを,「認められる(なお,Rは,大本営参謀本部が作成した帝国陸軍復員要『項』には『前記要領,細則ニ基ヅク関東軍ノ復員(復帰)ノ実施ニ関シテハ,『ソ』側トノ折衝ノ上別ニ定メラル』と記し,関東軍の復員だけは,ソ連との協議によることを指令している,このことは,帝国陸軍復員要「項」が作成された終戦時,関東軍将兵の対ソ労役提供はすでに日本政府の方針となっていて,強制労働が暗黙裏に織り込み済みであったことの最も有力な証拠であるなどと供述している〔証拠<省略>〕。しかしながら,同人が指摘する文書は斉藤六郎が著書で引用する『帝国陸軍復員要領』〔証拠<省略>〕であるものと考えられるけれども,同文書の作成者は関東軍総参謀長であり,同文書は帝国陸軍復員要領〔証拠<省略>〕ではない。そして,前記認定のとおり,『帝国陸軍復員要領』及び『帝国陸軍復員要領細則』に基づく『帝国陸軍(外地部隊)復員実施要領細則』において,『帝国陸軍(外地部隊)復員実施要領細則別冊ノ通定ム』『但外地部隊最高指揮官ハ現地ノ実情ニ即応スル如ク適宜処理スルコトヲ得』としていることからすると,関東軍総参謀長が復員の具体的な実施方法についてソ連(の名において行動する指揮官)との間で折衝を行うことを求めることは自然なことであり,関東軍総参謀長作成の上記文書から,我が国において『関東軍将兵の対ソ労役提供はすでに日本政府の方針となっていて,強制労働が暗黙裏に織り込み済みであったこと』を認めることはできない。)。これは,前判示のとおり,我が国がポツダム宣言を受諾した上,降伏文書に調印してポツダム宣言の条項を受諾し,連合国総司令部の命令(指令第1号〔陸海軍一般命令第1号〕)に遵ったことを意味するものである。そして,弁論の全趣旨によれば,日本軍将兵の武装解除等が日本軍の指揮系統による命令により整然と行われた結果,連合国軍隊との間で無用の衝突を防ぐことができ,日本軍将兵の安全が確保されたものと認めることができる。」と,同26行目の「主張する。しかし,」を「主張するけれども,これを認めるに足りる証拠はない。かえって,」と,同57頁5,6行目の「ものと認められるから,」を「ものとの記載が見受けられることから,」と,同8行目の「というべきであり,」を「という解釈も考えられるところであり,仮に,」と,同8,9行目の「からといって,」を「としても,」と各改める。

(7)  原判決57頁10行目から20行目までを,以下のとおり改める。

「(4) 以上のとおり,本件抑留者を含む日本軍将兵がシベリア抑留により被害を受けたのは,ソ連がポツダム宣言に違反してシベリア抑留を行ったことに加え,抑留中,捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当な取扱いをしたことによるものである。本件全証拠によっても,【判示事項1】被控訴人がソ連に対する労役賠償として本件抑留者を含む日本軍将兵を労役させるという『遺棄政策』をとったこと,控訴人らを終戦後ソ連軍の手に委ねて使役させ,我が国に帰国させないという遺棄行為を行ったこと(被控訴人が,『労役賠償としてソ連に積極的に提供した行為』を行ったこと)を認めることはできないし,ポツダム宣言を受諾し,降伏文書に調印して無条件降伏したこと,そして,連合国総司令部の指令第1号(陸海軍一般命令第1号)に遵ったことを離れて,『政策的方針によって,控訴人らを終戦後ソ連軍の手に委ねて使役させ,帰国させなかったこと』,あるいは,『国家が,戦争終結に伴って,海外の戦地から兵士を帰国させずに相手国軍の手に委ねることを方針として決定し,実際にもそのような結果を現出させること』を認めることもできない。

(5) よって,控訴人らの請求のうち,被控訴人の遺棄行為を理由とする損害賠償請求については,争点(2)(国家無答責)及び争点(3)(除斥期間)について判断するまでもなく,理由がない。」

3  争点(4)(安全配慮義務違反)について

(1)  控訴人らは,「被控訴人の本件抑留者に対する遺棄行為がそれ自体安全配慮義務違反である。被控訴人は,本件抑留者が長期間にわたり劣悪な環境で強制労働に従事させられることを知り又は知り得たにもかかわらず,本件抑留者をソ連に対して労働力として提供したのであって,かかる行為が安全配慮義務に違反することは明らかである。」と主張するけれども,前判示のとおり,本件全証拠によっても,被控訴人の本件抑留者に対する遺棄行為を認めることはできないから,被控訴人が本件抑留者に対し「任務終了後速やかにかつ安全に我が国に帰還させるべき義務」(安全配慮義務)を負うか否かを判断するまでもなく,控訴人らの主張は理由がない。

(2)  よって,控訴人らの請求のうち,安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求については,争点(5)(消滅時効)について判断するまでもなく,理由がない。

4  争点(6)(早期帰国実現義務違反)について

(1)  控訴人らは,原審において,被控訴人が違法な先行行為(遺棄行為及び安全配慮義務違反)によって発生させたシベリア抑留という事態を解決すべき作為義務を負っていたと主張するけれども,前判示のとおり,【判示事項2】本件全証拠によっても,被控訴人の違法な先行行為(遺棄行為及び安全配慮義務違反)を認めることはできないから,控訴人らの主張は,その前提を欠くものというべきである。

(2)  控訴人らは,当審において,被控訴人は,「終戦時,敵地である旧満州地域に本件抑留者を放置したという行為そのものにより」本件抑留者に対する早期帰国実現義務を負う旨主張するけれども,控訴人らが,我が国がポツダム宣言を受諾し,降伏文書に調印して無条件降伏をし,連合国総司令部の命令(指令第1号〔陸海軍一般命令第1号〕)に遵ったことをもって「放置した」と主張するのであれば,これをもって違法な先行行為ということができないことは明らかである。また,控訴人らが,日本軍将兵の武装解除等が日本軍の指揮系統による命令により整然と行われたことにより,結果としてソ連によるシベリア抑留が容易となったことをもって「本件抑留者を危険な状況等に追いやった」と主張するのであれば,我が国が,連合国軍隊との間で無用の衝突を防ぎ,日本軍将兵の安全を確保するための措置をとったことを,ソ連によって逆用されただけであるから,我が国の上記措置をもって違法な先行行為ということができないことは明らかである。

(3)  控訴人らは,被控訴人が本件抑留者に対して早期帰国実現義務を負う根拠として,ポツダム宣言9条,日本国憲法13条,22条,国際人権宣言13条2項をあげるけれども,いずれも,被控訴人に対し本件抑留者に対する具体的な作為義務を基礎付けるものではないから,採用することができない。

(4)  加えて,仮に,被控訴人が本件抑留者に対し何らかの根拠により早期帰国実現義務を負うとしても(控訴人らは,当審において,[1]先行行為に基づく条理上の作為義務が発生するためには,先行行為によって本件抑留者が危険な状況・状態に置かれたことで足りるのであって,先行行為自体の違法性や有責性は問われない,[2]本件抑留者は,徴兵等を経て旧日本軍に入隊して旧満州地域に送られたのであり,旧満州地域は危険な状態にあったから,被控訴人は,終戦時,安全配慮義務の一内容として,本件抑留者を早期に帰国させる義務を負っていたなどと主張している〔別紙1<省略>−21頁〕。),前判示のとおり,本件抑留者の全員がわが国への帰国を果たした昭和25年4月までの間,被控訴人は,ポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印し,連合国総司令部から外交機能の全面停止を命じられている中で,GHQに対する陳情や要請,さらにはソ連代表部に対する懇請等を行うなどして,本件抑留者を含むシベリア抑留の被害者の救出に努めていた事実を認めることができるから,控訴人らが主張するいわゆる「早期帰国実現義務」を果たしたものと言うことができる。

これに対し,控訴人らは,被控訴人の対応が不十分であったと主張し,ソ連は国際法上日本軍将兵を我が国に送還すべき義務があったから,我が国がソ連に対し直接,あるいは中立国等を通じて交渉すれば本件抑留者の早期帰国の実現が可能であったなどと主張するけれども,控訴人らの上記主張は,我が国の当時の国際的な地位を正しく理解していない主張である上,ポツダム宣言に違反してシベリア抑留を行い,抑留中,捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当な取扱いをしたのが当のソ連であることを看過した主張であるというほかはない。したがって,控訴人らの主張を採用することはできない。

(5)  よって,控訴人らの請求のうち,早期帰国実現義務違反を理由とする損害賠償請求については,争点(6の2)(除斥期間の適用の有無)について判断するまでもなく,理由がない。

5  争点(7)(立法の不作為)について

(1)  控訴人らは,被控訴人が,憲法前文及び憲法13条に基づき,本件抑留者の被害回復のための補償立法を行うべき義務を負っているにもかかわらず,長期間本件抑留者に対する実質的な補償を行うことなく放置してきたから,被控訴人は,立法不作為に基づく国家賠償責任を負う旨主張する。

(2)  そこで検討するに,国会議員の立法行為又は立法不作為が国賠法1条1項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であって,当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,それゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではないが,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利行使を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期間にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国賠法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁判所大法廷平成17年9月14日判決・民集59巻7号2087頁参照)。

(3)  これを本件についてみるに,控訴人らは,「シベリア抑留は,戦争による直接の被害ではなく,戦争終結後長きにわたり戦勝国に抑留されて強制労働を強いられたという特殊な被害であり,その強制労働の中身において多大の死亡者数をもたらしたという稀に見る特殊な損害であるから,戦争損害の概念では覆いきれない」「戦後において,実際に生じた戦争被害そのものについて実質的平等負担すら行われていない」などと主張する。確かに,【判示事項3】本件抑留者がシベリア抑留により筆舌に尽くし難い辛苦を味わい,肉体的・精神的・経済的に多大の損害を被ったことは前判示のとおりであるけれども,これらは,前判示のとおり,ソ連がポツダム宣言に違反してシベリア抑留を行ったことに加え,抑留中,捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当な取扱いをしたことによるものであるから,本件抑留者がシベリア抑留により被った被害は,我が国が先の大戦に敗れたことに伴うものであり,正に,戦争により生じたものというべきである。そして,我が国の敗戦で終結した先の大戦により,我が国のほとんど全ての国民が様々な被害を受け,その被害の程度は深刻なものが少なくなく,その被害の内容が多種多様であることは公知の事実であること,先の大戦の戦中から戦後にかけて,我が国の全ての国民が,戦争による生命,身体,財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされたこと,その補償の要否及び在り方は,事柄の性質上,国政全般にわたる総合的な政策判断を待って初めて決し得るものであることからすると,先の大戦により我が国の国民が被った損害の補償については,国会の広い裁量に委ねられているものと解するのが相当である(最高裁判所第1小法廷平成9年3月13日判決・民集51巻3号1233頁参照)。

控訴人らは,被控訴人が本件抑留者に対する補償のために行った従前の立法措置(例えば「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」〔法律第45号〕〔平成22年6月16日公布〕)が極めて不十分であり,立法裁量を逸脱していると主張するけれども,前判示の事実関係によれば,「国民に憲法上保障されている権利行使を違法に侵害するものであることが明白な場合」や,「国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期間にわたってこれを怠る場合」にあたるということはできない。

(4)  よって,控訴人らの請求のうち,立法不作為に基づく損害賠償請求については,理由がない。

第4結論

以上によれば,控訴人らの請求はいずれも理由がないから,これらを棄却した原判決は相当であり,本件控訴はいずれも理由がないから,これらを棄却すべきである。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邉安一 裁判官 安達嗣雄 裁判官 池田光宏)

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