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大阪高等裁判所 平成21年(ネ)3227号 判決 2011年2月25日

控訴人兼被控訴人

X1<他1名>

上記両名訴訟代理人弁護士

村松昭夫

越尾邦仁

伊藤明子

四方久寛

生越照幸

控訴人兼被控訴人

三井倉庫株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

中川克己

原英彰

(以下、控訴人兼被控訴人X1及び同X2を「一審原告ら」といい、

控訴人兼被控訴人三井倉庫株式会社を「一審被告」という。)

主文

一  一審原告らの控訴に基づき、原判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

(1)  一審被告は一審原告らに対し、それぞれ一七八三万四三〇七円及びうち一六三三万四三〇七円に対する平成一一年六月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  一審被告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、一、二審を通じこれを五分し、その一を一審原告らの負担とし、その余を一審被告の負担とする。

四  この判決の一項の(1)は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  一審原告らの控訴の趣旨

原判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

一  主位的

一審被告は、一審原告らに対し、それぞれ、二二六二万〇六九〇円及びうち二一一二万〇六九〇円に対する平成一一年六月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  予備的

一審被告は、一審原告らに対し、それぞれ、二二六二万〇六九〇円及びうち二一一二万〇六九〇円に対する平成一九年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  一審被告の控訴の趣旨

一  原判決中、一審被告敗訴部分を取り消す。

二  一審原告らの請求をいずれも棄却する。

第三  事案の概要

一  本件は、原審において、①倉庫会社である一審被告の被用者として、神戸港でのトラクター運転業務に従事していたB(以下「故B」という。)が、長期にわたり石綿粉じんにばく露し、退職後中皮腫に罹患して死亡したのは、一審被告の石綿粉じんに対する安全対策が不十分であったためであるとして、故Bの相続人である一審原告らが、一審被告に対し、安全配慮義務違反及び不法行為に基づく損害賠償金としてそれぞれ二三七五万一五三五円及びうち弁護士費用を除いた二一五九万二三〇四円に対する訴状送達の日の翌日である平成一九年二月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、②一審原告X1(以下「一審原告X1」という。)が、一審被告の就業規則に基づく特別弔慰金として、三〇〇〇万円のうち上記損害賠償金と同額の二三七五万一五三五円の支払を求めた事案である。

なお、一審原告X1の安全配慮義務違反及び不法行為に基づく損害賠償金請求(①)と就業規則に基づく特別弔慰金の一部請求(②)とは、選択的併合の関係として請求されていた。

二  原審は、故Bの業務には石綿粉じんへのばく露の機会があり、これにより故Bが中皮腫に罹患し死亡したものであって、一審被告には故Bの使用者としての安全配慮義務違反があり、また、同義務を怠ったことは不法行為上の注意義務違反にも該当するとして、一審被告に対し、一審原告らの主張する損害の一部として、それぞれ一六八三万四三〇七円及びうち弁護士費用を除く一五三三万四三〇七円に対する訴状送達の日の翌日である平成一九年二月一〇日から支払済みまで年五分割合による遅延損害金を支払うよう命じ、一審原告X1の特別弔慰金の請求を棄却した。

三  これに対し、一審原告らは、認容された損害金の額を不服として控訴するとともに、遅延損害金の始期を、①主位的には不法行為責任に基づくものとして、故Bの死亡した日である平成一一年六月八日から、②予備的には債務不履行責任に基づくものとして、訴状送達の日の翌日である平成一九年二月一〇日からとする旨、訴えを一部変更した(なお、一審原告らは、当審において、上記控訴の趣旨に記載のとおり、請求を減縮した。)。

四  一審被告は、上記原審の損害賠償を命じた判断を全て不服として、本件控訴に及んだ。

第四  前提事実、争点及びこれに対する当事者の主張は、下記のとおり当審での当事者の主張を付加するほか、原判決「第二事案の概要」の「一 前提事実」、「二 争点及びこれに対する当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。

第五  当審での当事者の補足的主張

(一審被告)

一  安全配慮義務違反を問う前提としての石綿粉じんの危険予見可能性を判断するにあたっての「国」と「一民間企業」の違い

石綿の危険性の認識可能時期については、国民の健康被害を防止する責任を負い、かつ健康被害に関する調査権限と調査研究のための組織機構を有してより多くの情報や医学的知見を有する「国」と、そうした組織も情報も持たない「一民間企業」との間では、当然異なる。

一審被告のような「一民間企業」は、国(労働基準監督署)の監督指導を受けて労働災害防止に当たっており、労働災害の発生の予見については、国の法令・労働省通達・労働基準監督署の指導や一般に公刊される図書・マスコミ報道等に頼らざるをえないのであって、これらの手段によっても石綿の危険性を予見することが期待できない時期においては、一民間企業の予見可能性は否定される。

二  石綿関連作業にかかわる法令・労働省通達による規制などの変遷やじん肺審議会での検討について

(1) 昭和三一年五月一八日労働省基発三〇八号通達「特殊健康診断指導指針について」、昭和三五年四月一日施行の「じん肺法」(なお、じん肺法第五条に定められた「事業者」の粉じん作業によるじん肺発症の予防義務というのも「努力義務」であることは明らかであり、少なくとも法改正が行われた昭和五三年以前は、あくまで「努力規定」に過ぎなかった。)、昭和四三年九月二六日労働省基発第六〇九号通達「じん肺法に規定する粉じん作業に係る労働安全衛生規則第一七三条の適用について」、昭和四六年一月五日労働省基発第一号通達「石綿取扱い事業場の環境改善等について」、昭和四六年五月一日施行の「特定化学物質等障害予防規則(特化則)」、昭和四七年一〇月一日施行の「新特定化学物質等障害予防規則(新特化則)」、昭和五〇年一〇月一日の特定化学物質等障害予防規則の一部改正、昭和五一年五月二二日労働省基発第四〇八号通達「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」、昭和五三年四月一日労働基準法施行規則の一部改正と昭和五三年一〇月二三日労働省基発第五八四号通達「石綿ばく露作業労働者に発生した疾病の業務上外の認定について」、以上いずれをとっても「港湾において袋詰めされた石綿をトラクターで運搬する作業」は規制の対象となってはいなかった。

(2) 石綿関連作業にかかわるじん肺審議会での検討等

昭和五六年の第四六回じん肺審議会での審議を受け、ようやく昭和五七年四月になって、港湾労災防止協会兵庫県総支部は「石綿荷役の作業基準設定について」と題する書面を協会員に配布するに至った。

(3) 以上の経緯によれば、一審被告のような民間の港湾貨物運送事業者が、「港湾において袋詰めされた石綿をトラクターで運搬する作業」が労働者の健康に重大な損害をもたらす危険性のあることを予見することができたとしても、それは、早くても昭和五六年以降であり、それまでは国においてすら、その危険性を認識していなかったのであって、民間の港湾貨物運送事業者が石綿の危険性を予測することは不可能であった。

三  安全配慮義務について倉庫業の公益性と責任対応の限界について

日本の港湾及び港頭地区の倉庫においては、外国から輸入される貨物について、不正輸入の防止と関税の確実徴収のため、必ず通過・蔵置・保管をしなければならないとされ、倉庫業・港湾運送業は、公益性の高い事業として位置づけられている。一審被告のような倉庫業・港湾運送業を行う企業は、その公益性の故に貨物の引き受けを法律上・事実上義務づけられ、かつその事業の運営にあたっては、免許制の規制下にあるために(ただし、規制緩和により、平成一四年から倉庫業は登録制となった)、取扱貨物をその品目によってえり好みすることができないという弱い立場にあったのである。

また、一審被告の倉庫は、倉庫業法施行規則三条の四にある「一類倉庫」であるが、一類倉庫は、第七類物品(消防法に定める高圧ガス等の「危険物」)を除く第一類物品から第六類物品までの貨物全てを保管するものである。本件で問題とされる「石綿及び石綿製品」は、第二類物品に分類されており、第七類の「危険物」としては分類されておらず、通常の貨物として取り扱われており(同施行規則別表参照)、国土交通省の定める規則ですら石綿を危険な貨物としていない。

そして、倉庫業・港湾運送業においては、荷主・荷送人の貨物の保管の依頼の際、特に荷主・荷送人からの申し出がなければ、その貨物を「一般貨物」として取り扱うことになり、前記倉庫業法施行規則に従って、一審被告は、石綿も通常の「一般貨物」として取り扱うほかないのである。

結局、一審被告としては、荷主・荷送人からの特別な申し出がなければ、その貨物がたとえ危険な物であったとしてもその危険性を認識することができず、具体的な対応を取ることもできない。したがって、一審被告のような倉庫業・港湾運送業を行う企業の場合、取扱貨物の危険性に関しては、規制権限を有する「国」に次いで第二次的責任を負うのは、「荷主・荷送人」であるということができる。

四  損害について

入通院慰謝料について

一つの不法行為から生じた慰謝料請求権は、財産上の損害と合わせて、一つの訴訟物を構成するものであり、慰謝料請求権もそれ自体は分割不能な一つの請求権として、一つの訴訟物を構成するのであるから、入通院慰謝料と死亡慰謝料を分割して独自のものとして請求することはできない。

(一審原告ら)

一  一審被告の違法性(安全配慮義務違反の内容)

一審被告の安全配慮義務の内容のうち、石綿粉じんの発生抑制・飛散防止を図ることは重要であり、一審被告には、破袋を発生させるおそれのある手鉤やノンコ等の使用を禁止し、まくり返しによる乱雑な貨物取扱方法を禁止するなど、手作業により石綿貨物を慎重に取り扱わせる措置をとる義務があったのにそうしなかった一審被告の安全配慮義務違反は極めて重大である。

二  故Bがトラクター運転手として、石綿を運搬していたのは昭和四〇年以降ではなく、それ以前からと考えるのが自然であるから、一審被告の安全配慮義務違反は、石綿粉じんの健康被害について遅くとも予見可能性が認定された昭和三五年から認められるべきである。

三  故Bの死亡慰謝料等の損害について

故Bの想像を絶する精神的・肉体的苦痛は、死亡慰謝料、入通院慰謝料の金額によってしか評価しえず、①死亡慰謝料については、少なくとも三〇〇〇万円が、②入通院慰謝料について、少なくとも五〇〇万円が、それぞれ認められるべきであり、さらに、③葬儀費用関係として、四八七万二七六六円が支出されたのであるから、同額が損害として認められるべきである。

第六  当裁判所の判断

一  当裁判所も、以下のとおり、故Bの一審被告での業務には石綿粉じんへのばく露の機会があり、これにより故Bが中皮腫に罹患し死亡したものであって、一審被告には故Bの使用者としての安全配慮義務違反があり、また、同義務を怠ったことは不法行為上の注意義務違反にも該当し、損害(損益相殺を含む。)について、後記(4)のとおりと判断する。

(1)  故Bの石綿粉じんへのばく露の有無について

ア 原判決「第三 当裁判所の判断」の「一」記載のとおりであるから、これを引用する。

イ 一審被告は、当審においても、故Bには石綿積み込み時や倉庫内においても石綿粉じんにばく露する機会はないとして、一審被告全社での貨物取扱数量・トン数に占める石綿の比率が僅かであること、一審被告における主要な取扱い貨物は綿花であること、トラクター運転手の石綿(粉じん)のばく露の機会がないこと等、縷々主張する。

しかしながら、上記アに記載のとおり、一審被告において、一定量の石綿を取り扱っていたことは明らかであり、一審被告の貨物の総取扱量の中から石綿の取扱量の比率を算出し、それが全取扱貨物量に比し、相対的に少ないことを強調しても、故Bの石綿へのばく露を否定することはできないし、昭和五二年の石綿環境調査の結果も実際の故Bの石綿粉じんのばく露の有無・多寡を画することにはならず、トラクター運転手の石綿ばく露の機会について、積み込み時及び運搬時、また、倉庫内での石綿ばく露の機会があったことは上記アによって引用した原判決「第三 当裁判所の判断」の「一」記載のとおりである。

故Bが一審被告神戸支店に勤務後トラクターで石綿を運搬していたと認められる昭和四〇年以降から昭和五一年末に内勤の事務員となるまでの間に、石綿粉じんにばく露されていたことを否定することはできない。

(2)  故Bの業務と中皮腫による死亡との因果関係について

ア 中皮腫について及び石綿による疾病の労災認定基準並びに故Bの中皮腫発症及び死亡までの経過、故Bの一審被告における勤務前後の職歴・居住歴等は、原判決「第三 当裁判所の判断」の「二」の(1)(三五頁下から三行目ないし三八頁一四行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。

イ なお、一審被告は、トラクター運転手の貨物運搬作業は、上記認定基準が予定する石綿粉じんにばく露する作業ではないと主張する。

確かに、上記認定基準の文理解釈としては、上記基準が典型的に石綿粉じんのばく露を受けると予測され、列挙した中に、既に袋詰めされ密閉されている石綿を運搬したり倉庫内に保管したりすることまでは含まれてはいないと解される。

しかしながら、上記認定基準は、石綿粉じんにばく露することと中皮腫との因果関係があることを前提とし、特に典型的に当該危険性のある作業を労災の認定基準としているのであって、故Bがトラクター運転手として従事した実際の作業には石綿粉じんのばく露の機会がないとか、因果関係がないとかを導き出す基準ではない。上記認定基準に「袋詰めされた石綿をトラクターで運搬する作業」の記載がないことが、故Bの業務と中皮腫との因果関係を否定する根拠とはならない。

ウ 故Bの業務と中皮腫による死亡との因果関係が認められることについての判断は、原判決三八頁一六行目から三九頁下から三行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

ただし、三八頁下から五行目の「認められ、」から同下から二行目の「ものである。」までを「認められる。」と改める。

(3)  一審被告の安全配慮義務違反又は不法行為の成否について

ア 予見可能性に関する石綿粉じんが人の生命健康に及ぼす影響に関する知見や法規制等について

原判決四〇頁一行目から四二頁最終行までに記載のとおりであるから、これを引用し、同頁最終行の後に行を変え、以下のとおり加える。

「(コ) なお、昭和三三年、同三四年当時の新聞報道によっても、職業病としての石綿肺の危険が伝えられ、昭和四五年、同四六年においても大気の汚染物質として発ガン性、危険性や石綿製造工場で従業員らに肺がんが多発していることなどが報道され、昭和四七年においても、同様の報道がなされていた。」

イ 安全配慮義務の履行に関して必要な認識及び故Bがトラクター運転手の業務に従事した期間中のすべてについて一審被告に安全配慮義務の前提としての予見可能性があったこと並びにその内容について

(ア) 原判決四三頁二行目から四四頁九行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

(イ) 一審被告は、昭和三五年四月一日施行にかかるじん肺法及び昭和三五年三月三一日労働省令第六号によるじん肺法施行規則によって定められた粉じん作業としての同規則の別表第一の二三号「石綿」に係る作業には、「袋詰めされて船で運搬されてきた石綿を、港湾においてトラクターに積み込み、倉庫に積み降ろすような作業」は含まれていないとし、したがって、一審被告としては、じん肺法施行当時の石綿粉じんによる健康被害を予測することは不可能であったと主張する。

なるほど、同規則の別表第一の二三号の文理解釈とすれば、石綿の「積み込み、若しくは積みおろし」作業は、石綿粉じんが確実に散乱すると想定される石綿製品の加工や包装工程に伴う「積み込み、若しくは積みおろし」を前提としているものであり、また、同第五号にいう石綿を含む鉱物等の「積み込み、積みおろし、運搬」も、同第六号にいう「鉱物等を運搬する作業」も「坑内」に限定されており(しかも「積載した車を牽引する機関車を運転する作業」は除かれている。)、「坑外」での作業も「積載した車をくつがえす場所における作業」としていることからすれば、屋外で行われる「梱包された石綿」の「積み込み、積みおろし、運搬」は、同規則が定める粉じん作業ではないといえる。

しかしながら、法令や労働省通達による規制があれば、使用者として労働者が石綿粉じんにばく露することによる健康被害の危険を予測する可能性があるとするのは当然のことであり、他方、たとえ法令や労働省通達による規制がなかったとしても、そのことをもってして、石綿粉じんばく露への危険性を予測する可能性がなかった、とする理由にはならない。

そうして、じん肺法は、先に引用した原判決四〇頁の四行目から同頁下から五行目までの記載のとおり、戦前からの石綿作業従事者に多くの石綿肺が見られ、昭和二二年の労働基準法の制定により粉じんによる危害防止措置が義務づけられ、また、昭和二七年から昭和三一年にかけて行われた労働省労働衛生試験研究において、石綿肺と勤務の関係が解明されたことなどを背景に、既に昭和三一年五月一八日労働省基発第三〇八号によって、「特殊健康診断指導指針について」と題する通達が発出され、同通達において、けい肺を除くじん肺を起こし、又はそのおそれある粉じんを発散する場所における業務として「石綿又は石綿を含む岩石を掘さくし、破さいし若しくはふるいわける場所における作業又はこれらの物を積み込み、若しくは運搬する作業」などに従事する労働者に対して、たとえ「努力義務」、「努力規定」であったとはいえ、胸部X線検査を行うことを使用者の自発的措置として推奨するという、粉じん作業については、石綿粉じんを含み、人の生命・健康に与える悪影響が明確に認識されたという背景、経過をたどって制定されるに至ったものである。

このような経緯で制定されたじん肺法の適用対象は、「粉じん作業」について、「石綿をときほぐし、合剤し、ふきつけし、りゅう綿し、紡糸し、紡織し、積み込み、若しくは積みおろし、又は石綿製品を積層し、縫い合わせ、切断し、研まし、仕上げし、若しくは包装する場所における作業」が含まれ、「場所における作業」とは、粉じん発生源から発散する粉じんにばく露する範囲内で行われる作業のうち、粉じん発散の程度、作業位置、作業方法、作業姿勢等からみて当該作業に従事する労働者がじん肺にかかるおそれがあると客観的に認められるすべての作業をいい、「場所」とは、単に平面的な範囲のみをいうものでなく、立体的な拡がりを有する範囲も含まれると解されている。すると、このように定められた同規則の趣旨に則れば、同規則の別表において粉じん作業と規定された作業に匹敵する石綿ばく露を受ける作業には、労働者の健康に重大な被害を与えるものであるとの重大な警告があったものというべきであり、じん肺法及び同施行規則によって、石綿粉じんへのばく露が人の生命・健康に重大な被害を与えるものとして、その危険性は、客観的な予見可能性として充分に指摘され、警告されていたといわねばならない。

そうした状況の中、先に引用した原判決のとおり(二七頁下から一二行目ないし二八頁下から七行目)、港湾での石綿の実際の荷役作業は、ドンゴロスという粗雑な麻袋が手荒く扱われることによって、石綿粉じんが自在に空中飛散していたのであり(《証拠省略》によれば、昭和五〇年前後の港湾での石綿の取扱い作業をみると、石綿の入ったドンゴロスを手鉤で引っかけて放り投げるなど極めて乱雑であったことが窺える。)、一審被告での石綿の取扱いによる石綿粉じんの飛散は、梱包・密閉された石綿を運搬するに過ぎないなどとはいえず、じん肺法及び同規則での規制対象とされた粉じん作業と格段異ならない扱いであったというほかはない。

そうして、かかる危険性に関し、石綿を流通過程で取り扱うに過ぎない倉庫業事業者であったとしても、労働者の安全と健康を確保する義務を負う使用者である以上、労働者が石綿粉じんにばく露されることから発生する重大な健康被害の危険性を予見すべき義務を否定することはできない(なお、じん肺法は、規制する粉じん作業について、事業者に対し、粉じんばく露への健康管理及び予防や教育を義務づけ、一定の違反行為については刑事罰が科せられているところ(同法第四五条、四六条)、このような取締法規としての「義務付け」や「刑事罰の発動」という観点からは、じん肺法と同施行規則が定める「粉じん作業」の範囲について慎重に判断すべきことは当然であるが、そのことと、民事責任を検討するに際しての予見可能性を議論する前提としての石綿粉じんが人体に深刻な被害を与えるという警告があったと理解することとは別論である。)。

しかるところ、故Bのトラクター運転手としての作業のうち、石綿に関する作業及び作業環境等は、先に引用した原判決「第三 当裁判所の判断」の「一」記載のとおりであり、故Bの石綿粉じんへのばく露は、実際には、原判決三三頁一三行目ないし三五頁下から五行目までに記載のとおりであって、故Bの作業が、完全に梱包・密閉された容器に入っている「梱包された石綿」を単にトラクターで運搬するに過ぎないものとして、石綿粉じんに有意なばく露があり得なかったとはいえない。

(ウ) 一審被告の安全配慮義務違反と不法行為の成否についての結論は、以下のとおり補正するほか、原判決四五頁最終行から四七頁七行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

a 四六頁三行目の「昭和四〇年以降、」の後に、次のとおり加える。

「石綿粉じんが発生しないようにするか飛散防止の対策をとるか、あるいは、」

b 同頁一一行目の「本件当時、」の後に、次のとおり加える。

「上記のように、一審被告は、石綿粉じんが発生したり飛散防止の措置を全く取らなかったばかりでなく、」

(4)  損害(損益相殺の可否を含む。)について

以下のとおり改めるほか、原判決「第三 当裁判所の判断」の「四」記載のとおりであるから、これを引用する。

ア 四九頁二行目の「三〇六六万八六一五円」を「三二六六万八六一五円」と改める。

イ 五一頁最終行の「二三〇〇万〇〇〇〇円」を「二五〇〇万〇〇〇〇円」と、五二頁三行目の「二三〇〇万円」を、「二五〇〇万円」と、それぞれ改める。

ウ 五三頁下から六行目の「一五三三万四三〇七円」を「一六三三万四三〇七円」と改める。

エ 同頁最終行の「一六八三万四三〇七円」を「一七八三万四三〇七円」と改める。

オ 五四頁の「(5) 遅延損害金について」の項を次のとおり改める。

「一審原告らの請求にしたがい、一審原告らの損害額のうち弁護士費用を除く一人あたり一六三三万四三〇七円について、不法行為の日である平成一一年六月八日(故Bの死亡した日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を認めるのが相当である。」

二  当審での当事者の補足的主張について

(1)  一審被告の主張について

ア 予見可能性を判断するにあたっての「国」と「一民間企業」の違い

一審被告は、石綿の危険性の認識可能時期については、上記の第五の一、二のとおり「国」と「一民間企業」との間では当然異なるとして、一審被告のような「一民間企業」は、国の法令・労働省通達・労働基準監督署の指導や一般に公刊される図書・マスコミ報道等によっても石綿の危険を予見することが期待できない時期においては、予見可能性はないと主張し、石綿関連作業にかかわる法令・労働省通達による規制などの変遷やじん肺審議会での検討を指摘している。

しかしながら、前記一の(3)記載のとおり、報道や法規制において、じん肺法制定当時において、労働者が、同法施行規則の別表で定める粉じん作業に規定された作業に匹敵する石綿ばく露を受ける作業には、健康に重大な被害を与えるものであるとの重大な警告があったものというべきであることは前記のとおりであって、このことは、事業の内容・差異にかかわらず、民間企業においても、石綿粉じんばく露による健康被害の危険性は、客観的な予見可能性として充分にあったといわねばならない。

なお、以上の予見可能性に基づく危険予見義務は、事業者の事業規模の大小によって異なることにはならないが、一審被告は、明治四二年一〇月一一日創業にかかる我が国を代表する有数の総合物流業者として、倉庫保管、港湾運送、陸上運送等の事業を営む大企業であり、雇用する労働者の安全を配慮することに関しての社会的責務は、より大きいものがあるというべきである。

また、国が石綿粉じんばく露への対策や規制が遅れ、国の規制権限の不行使等に不作為の違法があって、国家賠償責任が生ずることがあるとしても、当該責任を検討するに当たって考慮される危険予見義務に関する事情は、「事業者」の労働者に対する安全配慮義務違反の前提としての予見可能性の検討に際して考慮されるべき事情とは異なるものであって、労働者へ直接負担する安全配慮義務の前提となる予見可能性を検討する際、労働者を雇用し、労働者の労働を直接支配し、これによって利益を上げる「事業者」すなわち「民間企業」の予見可能性を「国」よりも軽減させるべき合理的理由はない。

イ 一審被告は、上記第五の二記載のとおり、昭和三一年五月一八日労働省基発第三〇八号通達「特殊健康診断の指導指針について」や昭和三五年四月一日施行の「じん肺法」と同法施行規則による規制対象には、「港湾において袋詰めされた石綿をトラクターで運搬する作業」は含まれていないし、その後の通達や規則のいずれをとっても、「港湾において袋詰めされた石綿をトラクターで運搬する作業」が規制の対象となってはいなかったと主張するが、そのことによって、じん肺法が制定された昭和三五年当時、石綿粉じんへのばく露の労働者の健康に与える重大な被害についての予見義務が発生しない、あるいは軽減するとの根拠になるものではなく、昭和五六年のじん肺審議会での石綿関連作業にかかわる検討結果をふまえても、同様である。

ウ 一審被告は、倉庫業の公益性から、安全配慮義務と責任対応の限界があるとし、上記の第五の三記載のとおり主張する。

確かに、一審被告が主張するように、日本の港湾及び港頭地区での倉庫業は、我が国の貿易には不可欠な事業であり、その公益性は充分に肯定される。

しかしながら、公共の利益に関係し、公衆の日常生活に不可欠な事業として、鉄道、電信、電話、水道、ガス、医療など数多くの事業が存在するが、それぞれの事業において、各事業者に各業務の提供が義務づけられる場合があることは変わりなく、事業の公益性のゆえに、各事業で働く労働者の安全についての使用者の注意義務(危険についての予見義務)が軽減されるとする理由はない。また、石綿及び石綿製品が、倉庫業法施行規則上、どの類の物品に分類されているかも、同様、使用者の労働者の安全に対する注意義務の検討に影響を与えるものではない。

さらに、一審被告がいうように倉庫業・港湾運送業を行う企業の場合、取扱貨物の危険性の違いによって、労働者の安全配慮義務について、その責任を負うのが第一次的には「国」、第二次的には「荷主・荷送人」であり、一審被告が劣後するという根拠もない。

エ 故Bの損害の認定に関し、一審被告は、一つの不法行為から生じた慰謝料請求権は、財産上の損害と合わせて、一つの訴訟物を構成するから、慰謝料請求権もそれ自体は分割不能な一つの請求権として、入通院慰謝料と死亡慰謝料を分割して独自のものとして請求することはできないものと主張するが、独自の見解であって、採用の限りではない。

(2)  一審原告らの控訴理由について

ア 一審原告らは、一審被告の安全配慮義務違反として、一審被告が、石綿粉じんを発生抑制・飛散防止を図ることを怠ったことを認めなかった点を事実誤認であると主張するが、石綿粉じんによる健康被害を防止するために必要な措置として、そもそも粉じんを発生させないような措置(扱い)をすることは最善の方法と考えられるが、一審被告の安全配慮義務違反の内容は、故Bが石綿粉じんにばく露されることがないような何らの防止措置を取らなかったことが核心なのであって、この点に関する当裁判所の判断は、上記のとおりであり、この防止方法の如何によって、一審被告の安全配慮義務違反による責任が異なってくるものではない。

イ 一審原告らは、故Bに対する一審被告の安全配慮義務違反は、石綿粉じんの健康被害について遅くとも予見可能性が認定された昭和三五年から認められるべきであると主張する。確かに故Bがトラクター運転手として石綿を運搬していた時期が昭和四〇年以前からではないかとの可能性は否定できないが、一審被告の安全配慮義務違反を問うのは、証拠上確かな、昭和四〇年以降といわざるをえない。この点に関する一審原告らの主張は採用できない。

ウ 故Bの死亡慰謝料等の損害について

故Bの肉体的・精神的苦痛、一審被告の安全配慮義務違反の内容等をふまえた、死亡慰謝料、入通院慰謝料、葬儀費用関係等の損害についての当裁判所の認定は、上記第六の一の(4)のとおりである。

三  結論

以上によれば、一審原告らの請求は、一審被告に対し、それぞれ一七八三万四三〇七円(合計三五六六万八六一四円)及びうち、それぞれ一六三三万四三〇七円(合計三二六六万八六一四円)に対する不法行為の日である平成一一年六月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。一審原告らの本件控訴は一部理由があり、他方、一審被告の本件控訴は理由がない。

よって、一審原告らの控訴に基づき、原判決主文一、二項を変更し、一審被告の控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永井ユタカ 裁判官 吉田肇 上田日出子)

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