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大阪高等裁判所 平成21年(ネ)595号 判決 2009年8月25日

控訴人

Y株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

藤本卓司

山口宣恭

被控訴人

同法定代理人保佐人兼訴訟代理人弁護士

平松光二

同訴訟代理人弁護士

黒田登喜彦

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

第二事案の概要

【以下、原判決「事実及び理由」中「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」及び「二 争点」の部分を引用した上で、当審において、内容的に付加訂正を加えた主要な箇所をゴシック体太字で記載する。ただし、それ以外の字句の訂正、部分的加除については、特に指摘しない。】

本件は、別紙一物件目録記載の各土地(以下、まとめて「本件土地」という。)をいずれも所有していた被控訴人が、本件土地について被控訴人からの売買を原因とする所有権移転登記を受けた控訴人に対し、売買契約は意思無能力ないしは公序良俗違反により無効である旨主張して(なお、意思無能力と公序良俗違反の主張は、択一的に主張されている。)、所有権に基づく妨害排除として、同登記の抹消登記手続を請求し、これに対し控訴人が、意思無能力及び公序良俗違反をいずれも否認して同請求を争っている事案である。

原判決は、被控訴人の請求を認容したので、これを不服とする控訴人が控訴した。

一  争いのない事実等

(1)  被控訴人は、平成一八年一一月一日当時、本件土地を所有していた。

(2)  被控訴人は、控訴人に対し、平成一八年一一月一日、本件土地を、代金三九三三万円で売った(以下「本件売買契約」という。)。

(3)  控訴人は、本件土地につき、本件売買契約に基づき、別紙登記目録記載の所有権移転登記を経由した(以下「本件登記」という。)。

二  争点

本件売買契約当時の被控訴人の意思能力の有無及び本件売買契約の公序良俗違反の有無が争点である。

(1)  意思無能力

(被控訴人の主張)

① 本件売買契約は、被控訴人の意思無能力により無効である。

鑑定人B(以下「B鑑定人」という。)が適切に指摘するとおり、被控訴人は、認知症と不安状態のために日常生活が破綻し、心身が著しく疲弊していて、本件売買契約当時、現実に即した合理的判断は困難であって事理弁識能力が著しく低下していた。その中で奈良市の不動産仲介業者ないしその従業員であるC(以下「C」という。)とD(以下「D」という。)は、猫の餌やりをするなど被控訴人に対し受容的に振る舞って取り入り、預金通帳を管理して金員を引き出したりするなど被控訴人を言うがままに操ったものである。

(2)  本件売買価格は、鑑定人E(以下「E鑑定人」という。)による鑑定結果によっても適正価格の約六割、控訴人の転売価格からすると二割四分ないし三割程度という、著しく低廉で被控訴人に不利なものであった。そして、本件土地は賃貸され相当高額な賃料収入があり(なお、被控訴人には、引き出せる精神状態ではなかったものの、その他に年金収入があった。)、本件土地を売却する必要がそもそもなかった。

これらの点からも、被控訴人の事理弁識能力、判断力の低下が基礎付けられる。

(控訴人の主張)

① 被控訴人の知能程度は、どのテストを見ても平均程度か軽度の障害しか窺われないものである。通常人に比して著しい判断能力の低下が認められるとしても、意思能力の欠缺をも意味するものではない。現に、被控訴人に対しては、後見開始の申立てがなされたものの、保佐が開始されるにとどまっている。

被控訴人の認知症、記憶障害は老齢に基づくものであり、本件売買契約当時も、意思無能力ではなかった。

② そもそも、Cが、猫の餌やりなどをして、被控訴人が言いなりになる状態を作出したことはない。仮にそのような状態があったとしても、被控訴人に対する絶対的強制や、意思の自由を奪うようなものではないから、同人を意思無能力に至らしめる間接事実ではない。

③ 本件売買契約の内容は適正であり、契約内容から事理弁識能力の低下を窺うこともできない。

すなわち、本件売買価格は適正である。E鑑定人の鑑定は、適正経費率やリスク原価率の根拠を具体的に示すことができないものであって信用できない。

また、一方で、本件土地の賃借人であるa自動車運輸機工株式会社(以下「a自動車」という。)は地代を長期間滞納しており、(遅くとも平成一五年七月以降)、本件土地の収益性は期待できない状態にあり、他方で、本件土地の固定資産税の負担は重かった。被控訴人には、本件土地をそれほど高い価格によらなくても売却する合理的な理由があった。

(2)  公序良俗違反

(被控訴人の主張)

① 前記のとおり、本件売買は、その価格が著しく低廉であり、かつ、控訴人が短期間に巨額の転売利益を得るという、暴利行為である。

また、控訴人は、仲介業者(の従業員)と通謀して、被控訴人が事理弁識能力が著しく低いことにつけ込み、かつ、家族、保佐人など被控訴人の権利と利益を保護する者がいないことに乗じて、本件売買契約を締結している。

② 以上を総合すれば、本件売買は、公序良俗に反して、無効というべきである。

(控訴人の主張)

① 本件売買が暴利行為に該当しないこと、被控訴人が意思無能力でないことは、前記のとおりである。

なお、本件土地の転売価格からする粗利益率は、全国の平均をむしろ下回るものであって、控訴人が暴利を得たということはない。

② 本件では、被控訴人の判断能力の低下に乗じる行為はない。

本件売買には、それに先行する二つの土地の売買と一連のものである。いずれも、収益が上がらず、かつ売却困難というものであった。そして、被控訴人は、先行する二つの売買の効力は争っていない。このことからも、被控訴人の判断能力の低下に乗じる行為がなかったことが裏付けられる。

また、被控訴人は、極めて自尊心の強い人物である。判断能力の低下につけ込まれて、他人の言いなりになるようなことはない。

第三当裁判所の判断

【以下、原判決「事実及び理由」中の「第三 当裁判所の判断」を引用した上で、当審において、内容的に付加訂正を加えた主要な箇所をゴシック体太字で記載する。ただし、それ以外の字句の訂正、部分的加除については、特に指摘しない。】

一  前提事実

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

(1)  被控訴人は、大阪市<以下省略>所在の浄土真宗本願寺派b寺(以下「b寺」という。)の住職の長女として大正○年○月○日に出生し、両親及び妹と同居しながら大阪府女専(後の大阪府立女子大学)に進学し、卒業後は大阪市役所職員や公立学校の国語教員として勤務していたことがあった。

(2)  被控訴人は、昭和四八年に母親を、昭和五六年に父親を亡くし、その後は、昭和五七年に僧籍を得て(住職資格は得ていない)檀家まわりをしたりしながら病弱な妹と二人でb寺横の住居に居住していたが、周囲とあまり関わりを持たず閉鎖的・排他的な生活をしていた。被控訴人も妹も、母親が家事をしつけなかったこともあって、家事については能力も経験もなく、居宅にはゴミがたまる状況であった。

(3)  被控訴人と妹は、父親の相続税を滞納し、西淀川税務署によって、本件土地などに大蔵省を抵当権者とする抵当権が設定されていたが、平成三年九月九日に完納し、抵当権は抹消された。

(4)  被控訴人は、平成五年に妹を亡くしその後もb寺横の住居で単身生活をしていたが、生活能力の欠如から寺は荒れ放題となっていた。寺の婦人部の信徒が被控訴人の単身生活を案じ、見るに見かねて境内の掃除や草むしりをしようとしたが、被控訴人は、「何しに来た」などと言って人の出入りを拒絶し、感謝の言葉を述べることはなかった。そのため、信徒等の関係者はb寺に寄りつかなくなり被控訴人と縁が切れたような状態となった。

被控訴人は、平成五年に死亡した妹の相続税について、平成七年ないし平成八年ころに財産の一部を処分して完納したとみられる。すなわち、本件売買まで、滞納を一〇年以上も放置することは税務当局の態度として考えにくいのであって、滞納したままであれば、その後本件売買契約までに税務署が実施するはずの、強制執行などの強硬な措置が被控訴人に対してなされた形跡はないからである。

(5)  被控訴人は、単身生活となった後も、家事を全くせず、生活の荒廃は著しいものとなった。服を何枚も重ね着し、入浴や洗濯をしないことから身体から著しい臭気を発し、たまに檀家まいりに出かけた際にも檀家は被控訴人の臭気に辟易し訪問を嫌がる有様であった。また、被控訴人には収集癖があり、整理整頓能力のなさも相まって、家の中はゴミで埋まる有様であった。

被控訴人は、平成一一年八月のお盆ころ、栄養失調で倒れ、被控訴人の身を案じてb寺の様子をのぞきにいった寺の婦人部の信徒に発見されて入院したことがあった。後にb寺の住職代行となるF(以下「F」という。)や被控訴人の再従姉弟であるG(以下「G」という。)が被控訴人住居内をみたところ、住居内はゴミで埋まり、居室内に五〇〇万円が無造作に入った紙袋や株券などが放置されていたため、Gが一時保管した。この様子をみたFは、同年一〇月ころから、b寺の寺務の一切を代行し始めた。

被控訴人は、入院先の病院を退院した後、マンションに入居したこともあったものの、ここでもゴミをため込んだりして近所から苦情を受けるようになったため、平成一四年二月に改装したb寺の庫裏で生活するようになった。この後も被控訴人は、ゴミをため込み、着替えも入浴もせず服を何枚も重ね着し、その上から汚れてテカテカに光った袈裟をまとい、預金通帳などを入れたリュックサックを背負い手に数個の紙袋を持つという異様な風体で近くのコンビニに買い物にでかけたりしていた。

(6)  本件土地は、昭和四二年七月ころからa自動車に建物所有目的で賃貸されており、月額賃料は平成五年ころの時点で三八万円、同年一一月から五〇万円、平成一五年八月から四〇万円となっている。(《証拠省略》。なお、通い帳(甲五二)を全体としてみてa自動車側の会計書類と対比すれば、その後ろから四枚目の枠外右側の「H一四」は「H一五」の誤記であることは明白である。)。

賃料の支払が最大で一六か月遅れ、平成八年九月に八〇〇万円がまとめて支払われるようなこともあり(甲五二の後ろから一〇枚目)、また、平成一八年一一月一四日、一一か月分四四〇万円がまとめて支払われたことがあった(甲五二の最終葉)ものの(したがって、本件売買契約の直後に、賃料の滞納は解消されている。)、それ以外には、基本的に賃料の滞納はなかった。なお、平成一八年一二月分以降、a自動車は賃料を供託している。(この点、控訴人は、甲五二等の信用性に問題があるとして、a自動車には賃料の滞納がある、と指摘している。しかし、前記のとおり、賃料が月額五〇万円から四〇万円に減額になった時期については、a自動車の総勘定元帳の記載との整合性はあるといえる。また、甲五二の平成一七年六月分ないし八月分については「受取」の記載がないが、九月以降分は被控訴人がきちんと受け取っているとみられること等からみて、被控訴人が単に書き落としただけともみられるから、直ちに滞納しているとみることはできない。)

その他、通い帳の記入状況は、平成一〇年度以降、上記のとおり欄外の年度の数字を一年間違えているものの、平成一四年ころまでは比較的安定していた。また、平成一六年六月分以降は、支払日の記入がほとんどなされなくなり、月数として「八」と記載すべきところを「一二」と記載し、その上に「八」と訂正記入するなどの混乱がみられるようになり、受領記入にも、たとえば平成一七年八月分については受取月日欄に「六月九日」と記入しながら「受取」の記載はせず、同年四月分までは受取印を押捺していたのに以後は押捺しないなどの混乱がみられるようになっている。しかし、基本的に毎月記載されているものであって、賃料の支払が毎月なされていたとの認定に影響するものではない(平成一八年に受取金額や受取の記載を「〃」で済ませ、受領印も手書きで「X」と記入してそれを丸囲みするという簡略な記載をしているのは、前記のとおり、一一か月分をまとめ払いしたためである。)。

(7)  被控訴人は、平成一七年夏ころになると、Gにもわかるほど物忘れが多くなり、共済年金が振り込まれる通帳や印鑑の所在が不明になるなど財産管理が十分にできないようになった。

(8)  CとDは、平成一八年六月ころからb寺に出入りするようになった。Dは、被控訴人から頼まれたとして、同年八月ころから被控訴人名義の預金通帳を所持し、同月二二日にそれを使って被控訴人名義の預金口座から五〇〇万円を引き出し、そのうち二〇〇万円をもらい受けるようなこともあった。CとDは、平成一九年二月ころまで、二~三日に一回程度被控訴人に会っていた。また、同人宅にいる猫にエサをやりに行ってもいた。

(9)  本件売買に先立ち、被控訴人は、平成一八年六月に、C及びDを介して奈良市学園大和町の土地を九四三〇万円で、同年七月にDを介して同市富雄北の土地を二七九六万八五〇〇円で、それぞれ売却した。その代金は、諸費用等が控除された額が被控訴人名義の預金口座に振り込まれ、本件売買直前には、その預金口座には一億円余りの預金があった。

(10)  控訴人は、昭和六〇年に設立され、以来数え切れないほどの数の物件を手がけた不動産業を営む会社であり、本件売買に至るまで約一五年来、Cと取引があった。本件売買も、Cが売買価格を坪当たり一〇万円として控訴人に持ち込んだものであり、控訴人は、すぐに転売するつもりで購入し、売買価格を、問題があっても解決でき絶対に損をしない価格として、坪当たり一〇万円として決定した。a自動車の借地権の内容について、控訴人はCの調査以外には独自の調査を全くしていない。

本件売買の決済は、b寺でなされ、被控訴人、控訴人代表者のほか、C、H司法書士(以下「H」という。)が立ち会っている。Dも、直接本件売買に関与していないものの、その決済には立ち会っている。

控訴人は、本件土地の更地価格を坪当たり七〇万円ないし八〇万円とみており、有限会社cに売却価格坪当たり二〇万円ないし二五万円で売却を持ちかけ、同年一二月ころ、売買契約をしたが、被控訴人が同月ころ、大阪地方裁判所に対し、控訴人を債務者として本件土地の処分禁止の仮処分を申し立て、同裁判所が同月二五日に仮処分決定をして所有権移転登記ができなくなったことから、解約した。

(11)  b寺近くの住民は、本件売買契約と本件登記の直後の平成一八年一一月下旬ころ、西淀川地域生活センターに対し、被控訴人について、「浮浪者よりも汚い格好でお風呂にも何年も入っていない。介護保険制度も利用していないらしい。制度の説明と申請の方法を教えてやってほしい。」と通報した。同センター所属の保健師I(以下「I保健師」という。)は、同通報案件に係る被控訴人の担当となり、同月二九日から被控訴人宅を訪問するなどして被控訴人のケアに当たった。

I保健師は、業務日誌に被控訴人の生活状況などを書き残していたが、同日誌の同年一二月一日の項には、「本人は庫裏の玄関まで出てきた。想像を絶する汚い風態。閉っている玄関ドアの外まで臭気。玄関はゴミに埋まりたたきと上り口が同じ高さになっていた。本人は玄関の中へ招じ入れようとしなかったし又入れなかった。奥の居間を覗くと新聞紙、広告の紙、包装紙、空になった食料品のパック、スーパーの袋、ダンボール等々床の上に二〇センチメートルほど一面に積み重なり床が畳か板の間か見えなくなっていた。居間の隅に畳んだ布団が置かれていたがその上にもゴミが山積みになって居り布団が使われた形跡はなかった。」と記載していた。

I保健師は、被控訴人に対し、介護保険制度や成年後見の説明をしたところ、被控訴人は、説明内容は一応理解したが、制度がどういうものであるかは理解できないように見受けられた。

(12)  被控訴人は、控訴人に対し、平成一八年一二月一三日付けの書面(被控訴人訴訟代理人らが作成している。)で、本件売買は無効であるから、その登記名義を被控訴人に戻すことを求める通知をした。

他方、被控訴人は、被控訴人訴訟代理人に委任をしない、委任状があれば返還を求める旨の同月一五日付け書面を作成し、同人に送付している。また、大阪地方裁判所宛の陳述書で、被控訴人訴訟代理人から本件土地の売買契約書を見せられたものの覚えがない、取り戻すために弁護士に依頼している、と述べ、同年(ヨ)第二〇六一号仮処分申立て事件の取下げ書を作成し、その中で、控訴人代理人に同申立てをすることの委任はしていないと述べ、さらに、平成一九年一月、別の弁護士が、被控訴人から委任を受けたとして、被控訴人訴訟代理人に対し預金通帳等の返還を求めている。

(13)  被控訴人は、被控訴人訴訟代理人を申立代理人として、平成一九年一月ころ、大阪家庭裁判所に成年後見の申立てをし、同月三〇日に同庁で面接を受けた。I保健師は、面接の前日である同月二九日に着替え用の服を持って被控訴人宅を訪問し、被控訴人に着替えさせた。I保健師は、そのときの様子について、業務日誌に、「汚れて垢でてかてかに光り臭気すさまじい袈裟の下に一〇枚以上の服を重ね着していた。脱がせても脱がせても服、最後の肌着は、繊維がボロボロに崩れ肌にこびりついており原形を留めていなかった。数年以上着たままで入浴もしていないと思われた。下半身はタイツの上に長ズボン、その上に半ズボンをはきパンツははいていなかった。脱いだ衣服をセンターに持って帰り洗濯機で洗った。三度、四度と洗い直しても汚い水で臭気取れず。最後に固くひからびた糞塊が三―四個、洗濯機の底に残っていた。服は着替えても頭、爪は真黒で臭気は残ったまま。ごく表面的ながら話は通じ、抑うつ感情も窺えなかった。」と記している。

同年五月二九日、被控訴人について保佐を開始する旨の審判が出され、控訴人代理人が保佐人に選任された。

(14)  B鑑定人は、被控訴人と面接し知能検査や人格検査を行い、さらにFやG、I保健師と面接して生活歴の情報を得、本件訴訟記録(原審)を検討してDやCの審尋調書や、本件登記手続をしたHの陳述書を見た上で鑑定意見を作成した。

B鑑定人は、知能検査や面接等の結果に基づき、被控訴人の知能の内部構造には、被控訴人の長期的な記憶や知識などの言語的能力や図形の認知などについては高い能力が保たれているが、短期的な記憶は相当に不十分となっており現実的・実際的な理解力や観察力、社会的な判断力、時系列に沿った予測力、推理力などは明らかに衰退して低くなっているという、相当の不均衡が生じており、自己防衛努力としての集中力や若いときに身につけた教養などによって検査場面ではそれなりの好成績を残しているが、現実生活場面では自己防衛努力にもかかわらず日常生活能力の支障は高度であると診断した。また、被控訴人の人格面については、細部に固執するあまり全体像を見失う傾向がみられ、ロールシャッハテストの結果からは口唇愛的傾向が認められ、面接時の態度も総合すると被控訴人には顕著な愛情依存欲求があるが、現実には充足されず、相当強いフラストレーションがあったとみられると診断し、やさしく接し被控訴人の依存欲求を全面的に受け入れる態度(営業マンが勧誘相手に見せる態度としてまま見受けられるものである。)をとる相手との関係では過剰に状況依存的に適応しようとする傾向があると診断した。

そして、B鑑定人は、被控訴人は本件売買契約当時、軽度ないし中等度の認知症に罹患していたと診断した上で、さらに、被控訴人の現在の丁寧な対人姿勢と妹が死亡してから成年後見を申し立てるころまでの周囲に対する態度との著しい隔絶ぶりや、認知症や収集癖では説明が付かない同時期における生活の荒廃ぶり、税金問題に関する記憶状況などに見られる記憶の時系列的混乱ぶりに基づいて、被控訴人は未熟な依存性を持ちながら排他的・閉鎖的な生活環境の中で家事能力を欠き、妹死亡後単身生活となったことで著しい不安状態にあり税務署から催促されていると思い込んで追い詰められた心理状態にあり、被控訴人の事理弁識能力は著しく不十分になっていたと判断した。

この判断結果は、本件訴訟記録(原審)中の控訴人側の人物の供述も含め、十分に資料を収集し、保健師の業務日誌という客観性・信頼性の高い資料に基づいて控訴人側の人物の供述内容に疑問を呈する(鑑定書五六頁ないし五七頁参照)など適切な資料批判を加えながら吟味し、生活歴を復元し、さらに被控訴人本人に面接し適切な検査を加えた上で症状につき慎重に検討して結論を導いているものであって、その論理過程にも不自然な点はなく、十分に信頼することができる。

この点、Hは、本件売買契約の決済に際し、被控訴人に会っており、外見的にはやや不潔な印象があったものの、意思能力を疑わせるような状況は全くなかった、しっかりしたお婆さんという感じであった旨供述している。しかし、前記認定のとおり、平成一九年一月末にI保健師が被控訴人に会ったときの状態からは、冬季であることも考慮すると、その二か月前の本件売買契約の時点においても、被控訴人は一見して異常を感じるほど、極めて不潔な状態であったと優に認定でき、Hの供述は採用できない。

(15)  E鑑定人は、本件土地の価格につき、割合方式に基づいて試算したところ、一億一一四〇万円との結果を得、収益方式に基づいて試算したところ、三七八〇万円との結果を得、相当に大きな開きが出たことから再検討し、地代に占める公租公課割合が三七パーセントと適正割合より高率であることや年額支払い地代の対更地利回りが約一・七パーセントと低廉であることから地代値上げ余地が十分にあると判断し、収益方式による算定につき、継続地代における経験則上の適正経費率(一〇パーセントないし二五パーセント)の上限値二五パーセントに基づいて(継続賃料は関係継続を願う当事者同士で決められるものであって急激な変化が嫌われる特性があることに照らせば、この数値を選択したことは不適切ではない。)適正地代を推定計算し地代を試算したところ六六六〇万円との結果を得、また、割合方式について、同方式は更地価格を単純に借地権と底地権との割合に基づいて割り振っただけであり、更地化目的の購入者としては、借地権を買い取るだけで黒字化が難しくなり旨味がないどころか更地化できないリスクの存在も考えると手が出せない価格というべきであって、実際にはリスク減価が免れないと考え、四割を減価することにして(純粋な底地権価格の半値以下というのは考えにくいから四割減価も不適切とはいえない。)試算したところ、六六八〇万円との結果が得られたことから、中庸をとって六六七〇万円であるとの最終評価をした。この鑑定は、十分に収集された資料を基礎として、合理的な鑑定方法に基づいてされており、論理過程にも特に問題はなく、この最終評価は、十分に信頼できる。

二  判断

前記一に判示した前提事実を総合すれば、被控訴人は、本件売買契約当時、平成一五年ないし一七年ころに発症したとみられる認知症と妹の死をきっかけとする長期間の不安状態のために事理弁識能力が著しく低下しており、かつ、被控訴人に受容的な態度を取る他人から言われるがままに、自己に有利不利を問わず、迎合的に行動する傾向があり、周囲から孤立しがちな生活状況の中で、Cらから親切にされ、同人らに迎合的な対応をする状態にあったこと、Cらは、これらのことを知悉して十分に利用しながら、被控訴人を本件売買締結に誘い込んだこと、控訴人代表者は、被控訴人がそのような事理弁識能力に限界がある状態であったことを、本件売買契約が行われた際の被控訴人の風体、様子から目の前で確認して認識していたと推認することができる。その上、控訴人は、昭和六〇年に設立され、以来数え切れないほどの物件を手がけた不動産業を営む会社であり、Cは、控訴人の従業員でこそないものの、控訴人と仕事上の関係が一五年以上あって本件土地の売買話しを持ち込んできたので、控訴人代表者は、本件土地をすぐに転売する目的で購入することとし、坪当たりで、その更地価格を七〇万円ないし八〇万円と見立てた上で、本件売買直後の転売価格を二〇万円ないし二五万円と目論み、その二分の一以下に相当する本件売買における坪単価一〇万円もCの言い値をそのまま採用し、本件土地に係る借地権の内容もCから説明を受け、自分では同社に直接確認しなかったことも明らかにされている。これらの事実に鑑みれば、Cは、控訴人と極めて密接な関係にあり、少なくともこと本件土地の売買に関する限りCを実質的に控訴人の被用者として活用していたということができ、控訴人代表者は、被控訴人に関する事実について、Cから逐一報告を受け、Cと全く同一の認識を有していたと推認することもできる。

また、本件土地の収益性、被控訴人の客観的な経済状態(賃料収入、年金収入及び本件売買に先立つ土地の売却金)からは、被控訴人にとって本件売買をする必要性・合理性は全くなかっただけでなく、それは、客観的に適正に鑑定された本件土地の価格の六割にも満たない売買価格の点で、被控訴人に一方的に不利なものであったこと、長年にわたり不動産業を営む控訴人代表者は、それらのことを十分に認識し尽くし、上記のとおりただちに転売して確実に大きな差益を獲得することができると踏んだ上で本件売買を締結したと推認することもできる(なお、控訴人は、a自動車に賃料の滞納があったことを理由に、収益性が期待できなかったから、被控訴人がそれほど高い価格によらなくても本件土地を売却することは不合理でなかったと主張する。仮に、売買しようとする土地の借地権者が賃料の滞納を続けている事実があるとすれば、地主が債務不履行により賃貸借を解除する機会があることにつながり、土地を買おうとする側から見れば、巨額の借地権価格相当分を労せずして得る可能性があることを示すため、売買時の交渉において、抽象的には、売買代金を引き上げるべき理由にこそなれ、代金を低い水準に抑制すべき理由とはなり得ないのであるから、そもそも、この主張は失当というべきである。)。

このような事情を総合考慮すれば、本件売買は、被控訴人の判断能力の低い状態に乗じてなされた、被控訴人にとって客観的な必要性の全くない(むしろ被控訴人に不利かつ有害な)取引といえるから、公序良俗に反し無効であるというべきである。

なお、控訴人は、本件売買には、先行する二つの土地売買があり、被控訴人がそれらの効力を争っていないことからも、控訴人が被控訴人の判断能力の低下に乗じたとはいえないと主張する。

しかしながら、先行売買が無効であるかどうかと本件売買が無効であるかどうかは、元来独立した別個の問題であることは自明であるし、何よりも、先行売買の結果、本件売買直前には被控訴人の預金口座に一億円を超える預金があったため、客観的に被控訴人に本件売買の必要性がなかったことは明らかであり、前記のとおり、Cから被控訴人に関する事実を逐一報告を受けていたと推認される控訴人は、被控訴人の判断能力の低さに乗じて本件売買を締結したと言われてもやむを得ないから、控訴人の主張は理由がない。

三  結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の請求を認容した原判決は、結論において相当である。

したがって、本件控訴は、理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判長裁判官 成田喜達 裁判官 亀田廣美 高瀬順久)

別紙 物件目録《省略》

別紙 登記目録《省略》

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