大阪高等裁判所 平成21年(行コ)141号 判決 2010年9月09日
主文
1 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
2 本件訴えのうち,近畿運輸局長に対し,原判決添付別紙第1記載のとおり一般乗用旅客自動車運送事業に係る旅客の運賃及び料金を変更することを認可することの義務付けを求める部分を却下する。
3 被控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
主文同旨
第2事案の概要
1 被控訴人の請求と訴訟の経過
(1) 甲事件(大阪地方裁判所平成17年(行ウ)第68号)
ア 甲事件の提訴
大阪市及びその周辺で個人タクシー事業を営む被控訴人は,平成14年11月26日,近畿運輸局長に対し,初乗運賃を480円に値下げすることなどを内容とするタクシー事業に係る旅客の運賃及び料金の変更認可申請(以下「本件申請」という。)をした。
しかし,近畿運輸局長は,平成16年2月13日付で,被控訴人に対し,他の事業者との間の不当な競争を引き起こすおそれについて規定した道路運送法9条の3第2項3号の要件を充足しないとの理由で,本件申請を却下する処分(以下「本件却下処分」という。)をした。
甲事件は,被控訴人が,本件却下処分は違法であると主張して,控訴人に対し,①本件却下処分の取消し,②本件申請に応じた運賃等の変更認可処分の近畿運輸局長への義務付けを求めた事案である。
イ 甲事件の経過
大阪地方裁判所は,本件却下処分の取消請求についてのみ終局判決をすることがより迅速な争訟の解決に資すると判断して,平成19年3月14日,行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)37条の3第6項前段に基づき,甲事件のうち本件却下処分の取消請求について,これを認容する判決(以下「前判決」という。)をした。
前判決は,控訴期間の経過により,平成19年3月29日に確定した。
原審は,同年4月10日,甲事件のうち義務付け請求について,口頭弁論を再開した。
(2) 乙事件(大阪地方裁判所平成20年(行ウ)第66号)
ア 乙事件の提訴
近畿運輸局長は,平成20年2月27日,被控訴人に対し,再度,他の事業者との間の不当な競争を引き起こすおそれについて規定した道路運送法9条の3第2項3号の要件を充足しないとの理由で,本件申請を却下する旨の処分(以下「本件再却下処分」という。)をした。
乙事件は,被控訴人が,近畿運輸局長がした本件再却下処分は違法であり,これについての同局長の判断及び前判決から本件再却下処分までの長期にわたって処分を遅らせた怠慢は,いずれも被控訴人に対する国家賠償法上の違法行為に当たると主張して,控訴人に対し,①本件再却下処分の取消し,②国家賠償法1条に基づき,慰謝料500万円及びこれに対する乙事件の訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
イ 乙事件の経過
原審は,乙事件の提起を受けて,これを甲事件のうち義務付けの訴えにかかる部分(上記(1)イ3文)に併合して審理した。
(3) 原審の判断と控訴提起
ア 原審は,①本件再却下処分を取り消し,②本件申請認可の義務付けを命じ,③損害賠償金20万円及びこれに対する平成20年4月17日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を命じ,被控訴人の20万円を超える損害賠償請求を棄却する判決を言い渡した。
イ 控訴人は,原審の上記判断を不服として,控訴を提起した。
2 道路運送法の定め
原判決3頁11行目から同4頁25行目までに記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,同4頁21行目から同25行目までを次のとおり改める。
「(3) 特定地域における一般乗用旅客自動車運送事業の適性化及び活性化に関する特別措置法(平成21年法律第64号。以下「特措法」という。)は,平成21年10月1日に施行された。この附則において,道路運送法9条の3第2項1号の規定の適用については,当分の間,『加えたものを超えないもの』とあるのは,『加えたもの』とすることとされた。」
3 前提事実
(1) 原判決の引用等
次の(2)のとおり補正するほかは,原判決の「事実及び理由」の第2の2(原判決4頁末行から11頁7行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
なお,上記引用文中の「審査基準公示」は,特措法の施行に伴い改正がされているが(乙85,後記(2)イ(6))参照),当裁判所の判決において,審査基準公示とは,特に断りを入れる場合のほかは上記改正前のものをいう。
(2) 原判決の補正
ア 原判決6頁7行目末尾に改行して,次のとおり加える。
「 その後,平成21年10月1日に特措法が施行され,これにより道路運送法9条の3第2項1号の規定の適用については,当分の間,『能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること』とされるに至ったことは前記のとおりであり,同号による運賃等の上限規制は,再び運賃等の下限規制に変容した。」
イ 同8頁20行目から同11頁7行目までを,次のとおり改める。
「(5) 前判決の判断
ア 本件却下処分の実体的な違法
前判決は,以下のとおり述べて,本件却下処分は,その裁量権の範囲を超え又はその濫用があり違法であるとした。
(ア) 道路運送法9条の3第2項3号にいう『不当な競争を引き起こすこととなるおそれ』とは,他の一般旅客運送事業者との間において,過労運転の常態化等により輸送の安全の確保を損なうことになるような運賃等の不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれをいうものであり,能率的な経営の下における適正な原価を償わない運賃及び料金(いわゆる採算割れの運賃等)をいうものとは解することができない。
上記のおそれのある運賃等に該当するか否かは,当該運賃等が能率的な経営の下における適正な原価を下回るものであるか否かという観点のほか,当該事業者の市場の中での位置付け,当該運賃を設定した意図等を総合的に勘案して判断すべきである(前判決56頁から58頁まで)。
(イ)a 近畿運輸局長は,一定の基準で自動認可運賃を設定し,これを『一般乗用旅客自動車運送事業の自動認可運賃について』として公示している(審査基準公示)。同公示においては,自動認可運賃が設定されており,近畿運輸局長は,個々の運賃等の認可申請に対し,次の(a)~(c)のとおり処理するものとされている。
(a) 自動認可運賃に該当する運賃の認可申請については,速やかに認可を行う。
(b) 自動認可運賃に該当せず,かつ運賃の値上げである運賃改定を伴わない運賃及び料金にかかる申請がされた場合には,実績年度の申請者の原価及び収入を基に平年度における申請者の原価及び収入を査定し,それを基に平年度における収支率が100%となる変更後の運賃額(運賃査定額)を算定して,当該申請にかかる運賃等の額が運賃査定額以上である場合は,それ以上個別の審査をすることなく,その額で運賃等の設定又は変更の認可をする。
(c) 上記(b)の場合において,申請に係る運賃及び料金の額が運賃査定額に満たない場合は,運賃査定額を申請者に通知し,当該申請者から2週間以内に当該申請額を運賃査定額に変更する旨の申請がない場合には,当該申請による運賃を設定することによる労働条件への影響等についても審査の上,その適否を判断する。
b 近畿運輸局長が定める審査基準公示は,当該申請にかかる運賃及び料金の額が運賃査定額に満たない場合であって,当該申請者が所定の期間内に当該申請額を運賃査定額に変更しないときに,この設定及び変更を一律に認可しないものではなく,近畿運輸局長において,当該申請による運賃等を設定することによる労働条件への影響等も含めて,当該申請が道路運送法9条の3第2項各号の要件を充足するものであるか否かを個別具体的に審査,判断すべきことを定める趣旨のものと解され,審査基準公示それ自体は判断の基準として合理的なものである(前判決62頁から67頁まで)。
(ウ) 道路運送法9条の3第2項3号がいう他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであることとは,他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等により輸送の安全の確保を損なうことになるような旅客の運賃及び料金の不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれをいうが,そのようなおそれのある運賃等に該当するか否かについては,当該運賃等が能率的な経営の下における適正な原価,すなわち,個々の一般旅客自動車運送事業者がその事業を運営するのに十分な能率を発揮して合理的な経営をしている場合において必要とされる原価を下回るものであるか否かという観点のほか,当該事業者の市場の中での位置付け,当該運賃等を設定した意図等を総合的に勘案して判断すべきである(前判決68頁)。
そして,運賃査定額を下回る運賃等であれば,当該運賃適用地域の特性,当該事業者の企業規模や当該地域市場の中での位置付け等のいかんにかかわらず,直ちに当該地域内において,他の一般旅客運送事業者との間に過労運転の常態化等により輸送の安全の確保を損なうことになるような運賃等の不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれがあると経験則上推認することはできないから,その『おそれがないものであること』の基準に適合するか否かの判断は,当該申請にかかる運賃等の額の運賃査定額からのかい離の程度,能率的な経営の下における適正な原価を下回るものであるか否か,下回るものであるとすればその程度,当該申請にかかる当該申請者の運転者一人当たり平均給与月額と標準人件費のかい離の程度に加えて,当該運賃適用地域の立地条件,規模,当該運賃適用地域における市場の構造,特性等,当該申請者の種別,企業規模,営業形態,運転者の賃金構造等,当該運賃適用地域における需給事情,運転者の賃金水準,さらには一般的な経済情勢等を総合勘案した上,社会通念にしたがって行うべきである(前判決69頁以下)。
(エ) 近畿運輸局長は,本件申請に係る申請書の添付書類に基づき,被控訴人の平年度における収支率を82.49%と見積もった上,初乗り540円以下の運賃については実績等を踏まえた査定上は事業として成立し得ると予想されるものの,実績上はまだ事業として成立し得ることが確認されていないため1年間の期限を付して推移を監視することにしたところであるから,現在検証中である運賃水準(最低は初乗り500円)を更に下回るものを現時点で認可するのは適切でないこと,平成12年改正法による道路運送法の改正に際し運賃認可制が維持された理由及び個人タクシー事業制度の意義を踏まえると,運賃制度の根幹となる初乗り額等について,法人タクシー運賃で存在しない範囲の運賃を設定することは慎重に考えるべきものと思料されることを理由に,本件申請に係る運賃等は,他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること,と規定する道路運送法9条の3第2項3号の要件を充足しないと判断して,本件却下処分をした(前判決72頁)。
(オ) 近畿運輸局長がした上記(エ)の却下処分(本件却下処分)は,上記(ウ)のような総合的な判断を怠り,上記(エ)に記載した事情から直ちに,本件申請に係る運賃等は他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであることという道路運送法9条の3第2項3号の基準に適合しないと判断して行ったものといえるが,これは同号の要件充足性に係る判断の専門性,技術性及び公益性にかんがみてもなお,その裁量権の範囲を超え又はその濫用があったというほかない(前判決80頁以下)。
イ 本件却下処分の理由付記不備の違法
前判決は,本件却下処分に付記された理由は,本件申請は道路運送法9条の3第2項3号に適合しないというものであったところ,これは行政手続法8条1項本文の要求する理由の提示として十分でなく,本件却下処分はこの点からしても違法なものであるとした(前判決81頁から84頁まで)。
(6) 特措法の施行と審査基準公示の改正
平成21年10月1日に特措法が施行され,これにより道路運送法9条の3第2項1号の規定の適用については,当分の間,『能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること』とされるに至ったことを受けて,近畿運輸局長は,同日,審査基準公示を改正した(平成21年10月1日近運自二公示第36号)。
上記改正後の審査基準公示においては,全ての事業者の原価査定において,申請者の運転者一人あたり平均給与月額(福利厚生費を含む。)が当該地区の原価計算対象事業者の運転者一人あたり平均給与月額の平均の額(標準人件費)を下回っているときは,標準人件費で人件費を査定するものとし,個人タクシー事業者が自動認可運賃を下回る運賃を設定しようとする場合にあっては,申請に係る運賃適用地域における既存のタクシー事業者において認可されている最低の運賃を下回る運賃を運賃は認めないこととされた(乙85)。」
4 争点
(1) 本件再却下処分は適法か
(2) 近畿運輸局長に本件申請の認可を義務付けることの当否
(3) 国家賠償請求の当否
5 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(本件再却下処分は適法か)について
次のとおり当審における当事者の主張を加えるほかは,原判決の「事実及び理由」の第3の1(同11頁13行目から同19頁19行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
(当審における控訴人の主張)
ア 前判決の拘束力
(ア) 行訴法33条1項は,処分又は裁決を取り消す判決は,その事件について,当事者たる行政庁を拘束する旨を,同条2項は,申請を却下した処分が判決により取り消されたときは,その処分をした行政庁は,判決の趣旨に従い,改めて申請に対する処分をしなければならない旨を規定し,取消判決で否定されたのと同一事情,同一理由の下で同一処分をしてはならないことを拘束力の具体的適用として示している。
取消判決の拘束力は,判決の理由において示された具体的違法事由についての判断に与えられた通用力であって,既判力のように当該処分の違法性一般にかかわるものではないから,同一処分の繰り返し禁止効ないし同一過誤の反復禁止効も,当該処分の取消原因とされたところの個々の具体的事由についてのみ生ずるものであり,それとは別の理由又は事実に基づいて同一人に対し同一の効果を持つ処分をすることまでを妨げるものではない。
(イ) 本件却下処分の適法性に関する前判決の要旨は,要するに,近畿運輸局長は,認可に当たって考慮すべき諸事情を十分に斟酌しないで本件却下処分をしたことを理由とするものであって,認可処分をすべき事情があるにもかかわらず本件却下処分をしたことを理由とするものではない。
そうである以上,前判決の拘束力も,考慮すべき諸事情を十分に斟酌しないで本件却下処分をしたことが違法であるとする点ににとどまるというべきである。
(ウ) 本件再却下処分は,近畿運輸局長が前判決の判示したところに沿って行ったものであり,控訴人が本件訴訟で主張している本件再却下処分の適法理由中に前判決の拘束力により主張することができないものは含まれていない。
イ 本件再却下処分(行政裁量)に対する司法審査
本件再却下処分をした近畿運輸局長については,業者に対する監督官庁であって当該具体的な道路運送市場における道路運送事業者の動向等に関する諸事情に精通していることから,現在タクシー事業に関して生じている問題を踏まえた上で,その延長線上に将来起こりうる弊害を的確に予想し,その予想される弊害を予防する見地からの専門技術的な知識経験に基づく裁量が認められているから,裁判所は,その裁量権の行使としてされた本件再却下処分の適否を審査するに当たっては,行政庁の第一次的な判断が既に存在することを前提として,その判断が社会通念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められるかどうかを判断すべきものである。
ウ 本件再却下処分に裁量権の逸脱・濫用はない
本件申請に係る運賃等は,能率的な経営の下における適正な原価を償わないものであること,本件申請に係る地域の市場は,さらなる低額運賃が認可されれば,その影響を強く受けてしまう地域であること,既にタクシーの需給事情は供給過剰にある上,最低額運賃ないし自動認可運賃より低額の運賃を設定する事業者の存在により問題の生じている地域であること,被控訴人の意図するところは,法人の追随を許さない運賃の設定をして,法人タクシー事業者に対して強力な価格競争を仕掛け,収束に向かう動きが感じられたら早い段階で中止したいというところにあることなどを総合的に勘案すると,本件申請を認可した場合には,過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれがないとはいえず,本件申請が道路運送法9条の3第2項3号の要件を充足しないとした近畿運輸局長の判断に,裁量権の逸脱ないし濫用はない。
よって,本件再却下処分は適法である。
(当審における被控訴人の主張)
ア 前判決の拘束力
控訴人が主張する,①タクシー運賃認可における裁量性,②原審の判断が結論において近畿運輸局長の裁量を認めないこと,③本件申請にかかる運賃が能率的な経営の下における適正な原価を償わないこと,④本件申請を認可した場合には,過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれがないとはいえないこと,⑤当該運賃の設定に関し,被控訴人及び近畿運輸局長の意図等として主張するところは,いずれも前判決の拘束力に反する。
イ 近畿運輸局長の時間稼ぎ
前判決が本件却下処分を違法であるとして取り消したのに対し,国土交通省,近畿運輸局長は控訴を断念したものの,特措法の成立,これによる規制強化に向けて「時間稼ぎ」をしたのであり,このような時間稼ぎにより整備された特措法による規制と自動認可運賃の下限を下回る運賃の淘汰こそ,前判決及び原判決が違法としたものにほかならない。
(2) 争点(2)(本件申請の認可を義務付けることの当否)について
次のとおり当審における当事者の主張を加えるほかは,原判決の「事実及び理由」の第3の2(同19頁21行目から同20頁17行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
(当審における被控訴人の主張)
ア 平成21年10月1日に特措法が施行されたが,本件訴訟は,被控訴人が平成14年11月26日及び平成15年10月1日に近畿運輸局長に対して行った運賃変更認可申請の平成20年2月27日付却下処分(本件再却下処分)の取消しとこれに関する義務付けを求めるものであるから,義務付けの判断についても,申請時若しくは行政処分(本件再却下処分)がされた当時の道路運送法とそれに基づく審査基準公示によってされるべきであり,裁判の口頭弁論終結時の法と基準に基づいてされるべきではない。
イ 近畿運輸局は,平成16年10月1日付改正による審査基準公示(個人タクシー事業者の申請にかかる原価の算定にあたって,原価計算対象事業者の標準人件費の9割に相当する額を所用の人件費として計上するとするもの)の合理性が前判決で否定されると,本省と本件申請を認可する方向で協議中であるなどとして時間稼ぎを図り,審査基準公示を改正して下限割れ運賃を駆逐しようとしたものであり,本件申請の認可を近畿運輸局長に義務付けることを認めないことは,上記の時間稼ぎを正当化することになり信義に反する。
ウ 道路運送法による一般乗用旅客自動車運送事業者に対する規制は,同法9条の3第2項の規制を含め,事業者が憲法22条1項により保障される営業の自由(運賃設定の自由)を輸送安全の確保を含めた公益のために規制したものにほかならないから,既存事業者の保護のためであってはならず,最小限かつ合理的なものでなければならない。
特措法の施行を受けて,審査基準公示は後記「当審における控訴人の主張」イのとおり変更されたが,変更後の審査基準公示は,①特定地域の指定に合理性がないこと,②人件費を標準人件費によって査定すること,③個人タクシーについて,法人タクシーで認められた下限割れ運賃以外の下限割れ運賃を認めないことからして,最小限かつ合理的な規制ということはできず,全く自由な競争自体すら成り立たなくするものであるから,それ自体において憲法22条1項に違反する。
エ 平成21年10月1日に施行された特措法の附則において,道路運送法9条の3第2項1号の規定の適用については,当分の間,「加えたものを超えないもの」とあるのは,「加えたもの」とすることとされたが,「当分の間」というのがいつまでなのか,どこまで適用するのか極めて曖昧であり,曖昧な要件は法律的に無効である。
特措法改正とともにされた大阪市域について特定地域の指定に合理性はなく,変更された審査基準公示は,人件費の査定につき,申請者の運転者1人あたり平均給与月額が標準人件費を下回っているときは,標準人件費で人件費を査定するとされる点,個人タクシーにおいて,法人タクシーで認められた下限割れ運賃以外の下限割れ運賃を認めない点等において違法であり,本件申請にこのような基準を適用することは違法である。
(当審における控訴人の主張)
ア 義務付けを求める訴えは不適法である(主位的主張)
本件再却下処分は適法であるから,本件申請認可の義務付けを求める訴えは訴訟要件を欠くものとして不適法である。
イ 義務付けを求める請求は理由がない(予備的主張)
仮に,本件再却下処分が違法であり,取消しを免れないとしても,次のとおり,本件申請認可の義務付けを求める請求は理由がない。
(ア) 前記第2の2(3)のとおり,平成21年10月1日に施行された特措法により,道路運送法9条の3第2項1号の「能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものを超えないものであること」は,当分の間,「能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること」と読み替えられることとなった。
これは,特措法案の国会審議において,安全確保上問題となりかねない過剰な運賃競争対策として,道路運送法の下における運賃審査基準の厳格化だけでは不十分であり,同法の運賃認可基準自体を変更する必要があるとの考えに基づいて,上記規定が追加されたものである。
義務付けの訴えは事実審の口頭弁論終結時の事情に基づいて判断されるべきであり,特措法施行後の法制下では本件申請を認可することはできない。
(イ) すなわち,特措法の施行を受けて,審査基準公示は,法人タクシー事業者,個人タクシー事業者を問わず,安全にかかる費用については,原則として申請者の申請値ではなく標準的な事業者の平均値を用いることとした上で,採算割れとなる運賃は認可しないこと,また個人タクシーの特殊性を踏まえ,個人タクシー事業者が自動認可運賃を下回る運賃を設定しようとする場合にあっては,申請にかかる運賃適用地域における既存の法人タクシー事業者において認可されている最低の運賃を下回る運賃は認めないことを内容とするものに変更された。
本件申請の内容を上記変更された審査基準公示に基づき申請数値をもって査定すると,被控訴人の平年度における収支率は85.69%で採算割れとなり,変更された審査基準公示に適合しない。また,本件申請に係る運賃適用地域における既存の法人タクシー事業者の最低運賃額は初乗運賃500円であるところ,本件申請は同運賃を下回るため変更された審査基準公示に適合しない。
よって,いずれにしても,近畿運輸局長は,特措法施行下において本件申請に係る旅客の運賃及び料金の変更認可処分は できない。
(ウ) タクシー事業においては人件費がコストの大半を占めており,人件費の下限を設けない場合は,過度な運賃競争の下で事業者が人件費の水準を際限なく切り下げることとなりかねず,運転者の労働条件や安全性の低下を一層助長するおそれがある。したがって,適正な人件費の査定は不可欠であり,特措法施行後の審査基準公示は,申請者の運転者1人あたり平均給与月額が標準人件費を下回っているときは,標準人件費で人件費を査定することとしたものである。変更後の審査基準公示が上記のような標準人件費を適正な人件費の水準に関する指標としたことは妥当であり,近畿運輸局長の裁量権も併せ考慮すると,これが裁量の範囲内に属する合理的なものであることは明らかである。
また,個人タクシー事業者が,自動認可運賃を下回る運賃を設定しようとする場合にあって,申請に係る運賃適用地域における既存の法人タクシー事業者において認可されている最低の運賃を下回る運賃は認めないこととしたのは,個人タクシー事業者と法人タクシー事業者との公平な競争条件を確保し,個人タクシー事業者のみならず法人タクシーの運転者の過労運転を防止して,その労働条件及び輸送の安全を確保するとともに,個人タクシー制度の存続を図るためのものであり,これが裁量の範囲内に属する合理的なものであることは明らかである。
以上のほか,変更後の審査基準公示の各規定は一定の基準を 満たさない運賃でタクシー事業を営むことを制限するにすぎ ないから,これが憲法22条1項に反するとは考えられない。
(3) 争点(3)(国家賠償請求の当否)について
原判決の「事実及び理由」の第3の3(同20頁19行目から同23頁12行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(本件再却下処分は適法か)について
(1) 本件再却下処分及び前判決の拘束力等
ア 本件再却下処分
本件再却下処分は,近畿運輸局長が,本件申請は「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等により輸送の安全の確保を損なうことになるような旅客の運賃及び料金の不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれ」があるものであり,道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」の要件を充足しないと判断して,これを却下したものであり,その具体的な内容は,原判決添付別紙第2(原判決55,56頁)記載のとおりである(前記第2の3(1)で引用した原判決第2の2(3)カ)。
イ 前判決の判示
前記第2の3(1),同(2)イ(5)アで原判決を補正の上引用して認定したとおり,前判決は,次のとおり判示した。
(ア) 道路運送法9条の3第2項3号にいう「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれ」とは,「他の一般旅客自動車運送事業者との間において,過労運転の常態化等により輸送の安全の確保を損なうことになるような旅客の運賃及び料金の不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれ」をいう。
そして,そのようなおそれのある運賃等に該当するか否かは,当該運賃等が能率的な経営の下における適正な原価,すなわち,個々の一般旅客自動車運送事業者がその事業を運営するのに十分な能率を発揮して合理的な経営をしている場合において必要とされる原価を下回るものであるか否かという観点のほか,当該事業者の市場の中での位置付け,当該運賃等を設定した意図等を総合的に勘案して判断すべきである。
(イ) 道路運送法9条の3第2項3号が定める「おそれがないものであること」の要件を充足するか否かの判断は,当該申請にかかる運賃等の額の運賃査定額からのかい離の程度,能率的な経営の下における適正な原価を下回るものであるか否か,下回るものであるとすればその程度,当該申請にかかる当該申請者の運転者一人当たり平均給与月額と標準人件費のかい離の程度に加えて,当該運賃適用地域の立地条件,規模,当該運賃適用地域における市場の構造,特性等,当該申請者の種別,企業規模,営業形態,運転者の賃金構造等,当該運賃適用地域における需給事情,運転者の賃金水準,さらには一般的な経済情勢等を総合勘案した上,社会通念にしたがって行うべきである。
(ウ) ところが,近畿運輸局長が行った本件却下処分は,上記(ア)(イ)のような総合的判断をすることなく,ただ単に,次のa,bだけを理由に,本件申請に係る運賃等は道路運送法9条の3第2項3号の基準に適合しないとして行われたものである。
a 本件申請に係る申請書の添付書類に基づき,被控訴人の平年度における収支率を82.49%と見積もった上,初乗り540円以下の運賃については実績等を踏まえた査定上は事業として成立し得ると予想されるものの,実績上はまだ事業として成立し得ることが確認されていないため,1年間の期限を付して推移を監視することにしたところであるから,現在検証中である運賃水準(最低は初乗り500円)を更に下回るものを現時点で認可するのは適切でないこと。
b 平成12年改正法による道路運送法の改正に際し運賃認可制が維持された理由及び個人タクシー制度の意義を踏まえると,運賃制度の根幹となる初乗り額等について,法人タクシー運賃で存在しない範囲の運賃を設定することは慎重に考えるべきものと思料されること。
(エ) したがって,道路運送法9条の3第2項3号の要件充足性に係る判断の専門性,技術性及び公益性を考慮しても,なお,近畿運輸局長には,その裁量権の範囲を超え又はその濫用があったというほかなく,本件却下処分は違法であるから取り消しを免れない。
ウ 前判決の拘束力
前判決が示した上記判断は,近畿運輸局長が本件再却下処分を行うについて,同局長を拘束する(行訴法33条1項)。
エ 違法性判断の基準時
本件再却下処分の適否を判断するための基準時は,本件再却下処分がなされた平成20年2月27日であり,同日時点における法状態と事実状態によって本件再却下処分の適法,違法を判断することになる。ただし,同日時点における事実関係(甲事実)を立証するために,当該処分後の事実(乙事実)を事情(間接事実)として認定し,乙事実の存在によって甲事実の存在を推認することはできる。
以下,かかる観点から,本件再却下処分の適否を判断する。
(2) 本件再却下処分における裁量権の範囲の逸脱又はその濫用の有無
ア 運賃認可手続における国土交通大臣,地方運輸局長の裁量
タクシー事業においては人件費がコストの大半を占めており,また運転者の賃金(個人タクシーの場合は収入)が基本的に歩合制であることから,過度の値下げ競争が起こった場合には,過労運転が常態化し,輸送の安全の確保が困難になるおそれがある。また,運賃の設定を事業者の自由にゆだねると,事業者の経営努力の範囲を超えて原価を著しく下回るような採算割れの運賃を継続し,競争他社を排除するような事態も生じ得る。
そこで,これらの事態を防止し,安全性やサービス品質を確保するための利益を事業者に確保させるため,道路運送法9条の3第2項3号は,不当な競争を引き起こすおそれがないものであるとはいえない運賃は認可しないこととしたものと解される(乙1,2の1・2,3の2・3)。
そうすると,道路運送法9条の3第2項3号の該当性の判断については,タクシー事業に関する監督官庁であって,当該具体的な道路運送市場における道路運送事業者の動向等に関する諸事情に精通している国土交通大臣及びその権限の委任を受けた地方運輸局長によって,現在タクシー事業に関して生じている問題を踏まえた上で,その延長線上に将来起こり得る弊害を的確に予想し,その予想される弊害を予防する見地からの専門技術的な知識経験に基づく政策的総合的な判断が必要とされているものと解される。
このように見ると,国土交通大臣及びその権限の委任を受けた地方運輸局長が行う道路運送法9条の3第2項3号の該当性の判断には,ある程度の裁量権が認められるというべきであり,裁判所がその裁量権の行使としてされた判断の適否を審査するに当たっては,上記行政庁の一次的な裁量判断が存在することを前提として,それが考慮すべき事項を考慮せず,考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか,またその判断が合理性を持つ判断として許容される限度を超えた不当なものであるかどうかの観点から,裁量権の範囲の逸脱又は濫用の有無を判断して行うべきである。
イ 本件における裁量権の範囲の逸脱又は濫用の判断基準
前記(1)イのとおり,前判決は,近畿運輸局長が本件申請の道路運送法9条の3第2項3号該当性の判断をするに当たっては,考慮事項として,(A)個々の一般旅客自動車運送事業者がその事業を運営するのに充分な能率を発揮して合理的な経営をしている場合において必要とされる原価を下回るものであるか否かという観点のほか,(B)当該事業者の市場の中での位置付け,(C)当該運賃等を設定した意図等を検討すべきものとし,さらに,これらの検討の前提として,(a)当該申請にかかる運賃等の額の運賃査定額からのかい離の程度,能率的な経営の下における適正な原価を下回るものであるか否か,下回るものであるとすればその程度,当該申請にかかる当該申請者の運転者一人当たり平均給与月額と標準人件費とのかい離の程度,(b)当該運賃適用地域の立地条件,規模,(c)当該運賃適用地域における市場の構造,特性等,(d)当該申請者の種別,企業規模,営業形態,運転者の賃金構造等,(e)当該運賃適用地域における需給事情,(f)運転者の賃金水準,(g)さらには,一般的な経済情勢等を総合勘案(考慮)して行うべきであると判示した。
証拠(甲22)及び弁論の全趣旨によれば,近畿運輸局長は,前判決の趣旨に従い,前判決が示した上記考慮事項(以下,これらの考慮事項の各々について,上記冒頭の符号に従い,「考慮事項(A)」「考慮事項(a)」などのようにいう。)を考慮した上で,本件申請を認可した場合には,「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」があると認め,道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」の要件を充足しないと判断して,本件再却下処分をしたと認められる。
以下においては,前判決が考慮事項としてあげた個々の事項について,まず前提となる考慮事項(a)ないし(g)を検討し,その上で考慮事項(A)ないし(C)を検討し,これらを踏まえて,近畿運輸局長が,本件申請は道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」に適合しないと判断したことが,考慮すべき事項を考慮せず,考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか,またその判断が合理性を持つ判断として許容される限度を超えた不当なものであるかどうかの観点から,裁量権の範囲の逸脱又は濫用の有無を判断する。
ウ 前提となる考慮事項(考慮事項(a)ないし(g))について
(ア) 本件申請の内容
a 運賃額
本件申請に係る運賃は,初乗りが480円,料金5000円を超えると5割引であり,これまで大阪市域で認可されていた最低運賃(初乗りが500円,料金5000円を超えると5割引)を更に下回る運賃である(甲3,乙8の6,乙9)。
なお,大阪市域の平均的タクシー事業者が採用している初乗運賃は660円である(弁論の全趣旨〔控訴人の平成20年5月30日付け準備書面17頁(c)参照〕)。
b 収支見積
本件申請にかかる申請書(平成14年11月26日受付一般乗用旅客自動車運送事業の運賃及び料金変更認可申請書。甲3)には,被控訴人の実績年度(平成13年度),翌年度(平成14年度)及び平年度(平成15年度)の収支見積書が添付されていた。その内容は次の(a)ないし(c)のとおりである。
(a) 実績年度(平成13年度)
運送収入 311万2000円
運送原価 303万0000円
(内訳)
人件費 144万0000円
燃料油脂費 22万8000円
車両修繕費 13万8000円
車両償却費 29万4000円
その他運送費 93万0000円
収支率 102.7%
(b) 翌年度(平成14年度)
運送収入 384万5000円
運送原価 375万2000円
(内訳)
人件費 168万0000円
燃料油脂費 28万2000円
車両修繕費 16万1000円
車両償却費 29万4000円
その他運送費 133万5000円
収支率 102.5%
(c) 平年度(平成15年度)
運送収入 410万7000円
運送原価 399万1000円
(内訳)
人件費 192万0000円
燃料油脂費 38万2000円
車両修繕費 17万0000円
車両償却費 29万4000円
その他運送費 122万5000円
収支率 102.9%
(イ) 近畿運輸局長の査定
a はじめに
本件申請にかかる運賃等は,審査基準公示の自動認可運賃に該当せず,かつ運賃の値上げである運賃改定を伴わない運賃及び料金にかかる申請であったので,近畿運輸局長は,実績年度(平成13年度)の被控訴人の個人タクシー事業の運送原価及び運送収入を基に,平年度(平成15年度)における被控訴人の運送原価及び運送収入を査定した。その査定の結果は,本件却下処分時及び本件再却下処分時について,それぞれ次のb,cのとおりであった。
なお,本件再却下処分時の査定結果は,本件却下処分時の査定の計算過程に一部誤りがあったことから,これを補正したものである(弁論の全趣旨)。
b 本件却下処分の査定
近畿運輸局長は,本件却下処分(平成16年2月13日)では,本件申請について,次のとおり査定した(乙8の6)。
(a) 運送収入 416万9000円
(b) 運送原価 505万4000円
(内訳)
人件費 325万1000円
燃料油脂費 36万2000円
車両修繕費 22万7000円
車両償却費 29万4000円
その他運送費 92万0000円
(c) 収支率 82.49%
c 本件再却下処分の査定
近畿運輸局長は,本件再却下処分(平成20年2月27日) では,本件申請について,次のとおり査定した(甲22,弁 論の全趣旨)。
(a) 運送収入 417万8000円
(b) 運送原価 507万2000円
(内訳)
人件費 325万1000円
燃料油脂費 36万2000円
車両修繕費 22万7000円
車両償却費 29万4000円
その他運送費 93万8000円
(c) 収支率 82.37%
(d) 当裁判所の補足説明
Ⅰ 収支率82.37%というのは,運送原価100円に対して,運送収入は82.37円ということであり,17.63円の赤字ということである。
Ⅱ 近畿運輸局長は,被控訴人の平年度(平成15年度)の個人タクシー事業は,運送収入417万8000円に対して,運送原価は507万2000円であり,89万4000円の赤字であると査定した。
Ⅲ 近畿運輸局長が上記のように査定した最大の原因は,本件申請では,人件費を192万円としていたが(前記(ア)b(c)),これを325万1000円に補正したことによる。
(ウ) 本件申請についての収支率のかい離等(考慮事項(a))
a 収支率のかい離
近畿運輸局長の査定では,上記(イ)c(a)~(c)のとおり,実績年度(平成13年度)の被控訴人の運送原価及び運送収入を基に,平年度(平成15年度)における被控訴人の運送原価及び運送収入を査定すると,平年度の収支率は82.37%(4,178,000÷5,072,000)であり(なお,査定結果について,本件却下処分時のものは,計算過程に一部誤りがあること上記(イ)aのとおりであるから,検討においては,本件再却下処分時のものを採用する。以下も同じ。),そのかい離の程度は18%弱となることが認められる。
また,近畿運輸局長の査定では,本件申請における被控訴人の月額人件費16万円(年額192万円,甲3)を採用せず,原価計算対象事業者29社の運転者1人当たり平均給与月額の平均の額(標準人件費)30万0999円を10%下回る額である27万0899円とした(乙8の6-4枚目)。そのかい離の程度は約40%である。
b 収支率のかい離が生じた原因
審査基準公示は,申請者の運転者1人当たり平均給与額が原価計算対象事業者の運転者1人当たり平均給与月額の平均の額(標準人件費)の10%を超えて下回っているときは,一定の場合を除いて,標準人件費を10%下回る額で人件費を査定すると定めている(乙4-20頁1項)。
近畿運輸局長の人件費の査定(上記a2文)は,審査基準公示の上記定めに従い,本件申請では人件費が年額192万円(月額16万円)とされていたのに対し,標準人件費を10%下回る年額325万1000円として行われた。
本件申請にかかる運賃等の額の運賃査定額からのかい離の程度が上記a1文のとおり18%弱に及んだ最大の理由は,被控訴人の人件費を上記のとおり標準人件費を10%下回る値で査定したことにある。
(エ) 大阪市域のタクシー運転者の賃金(考慮事項(f))
証拠(乙33の1・2,34の1・2,35)によれば,大阪府内のタクシー運転者の月額平均賃金(賞与を含む)は,平成16年度は25万6650円,平成18年度は27万3175円で,全産業の男性労働者平均の3分の2程度であったことが認められ,また,平成6年から平成16年までの10年間で,大阪府下における全産業労働者の平均賃金が4%程度減少したのに対し,タクシー労働者の平均賃金の減少割合は28.4%に及ぶことが認められる。
(オ) 被控訴人の営業形態等(考慮事項(d))
被控訴人は,事業区域を大阪市,豊中市,吹田市,守口市,門真市,東大阪市,八尾市,堺市及びP1空港(池田市のうち空港地域に限る。),使用する事業用自動車を1両などとして,一般乗用旅客自動車運送事業の許可を受け,個人タクシー事業を営む者である(前記第2の3(1)で原判決5頁(1)アを引用して認定した事実)。
個人タクシー事業には,事業主である運転者がその事業内容を自在に設定できるという特性や,年金生活等生活の中で事業運営を行っていくことができるという特性がある(弁論の全趣旨〔控訴人の平成20年5月30日付け準備書面20頁⑤参照〕)。
被控訴人(昭和▲年▲月生)は,本件申請(平成14年11月)当時,親元の近くに住み41歳の独身であり,自宅を事務所に保険代理店を営んでおり,若干(小遣い程度)の代理店収入があった(被控訴人本人調書17頁)。
(カ) 大阪市域のタクシー市場(考慮事項(b)(c)(e))
運賃適用地域である大阪市域は,流し営業が成り立つ都市部の人口密集地域である(弁論の全趣旨〔控訴人の平成20年5月30日付け準備書面19頁④(イ)参照〕)。平成19年3月末時点の大阪府下のタクシー車両数(セダン・特定大型)は,全体で2万3089台であり,うち1人1車制の個人タクシー事業者の車両数は19%に相当する4406両であった。法人タクシー台数はその余の1万8683両ということになるが,法人タクシーに属する運転者数は2万8628名であった(乙27)。
大阪府内の法人タクシーの実働1日1車あたりの運送収入は,平成6年度で4万1766円であったが,平成16年度では2万8927円となり,この10年で約3割減少した(乙30)。これは,平成16年度における東京都(特別区・武三交通圏)のタクシーの実働1日1車あたりの運送収入が4万8115円であった(乙31)のに比べて,大きく下回る実情であった。また,大阪府内の法人タクシーの実車率は平成16年度で39.5%であり,平成6年度から約10ポイントも減少していた(乙30)。
平成12年度において,大阪市域交通圏では3546両の供給過剰となっているが,この台数の基準車両数に対する割合は44%で,これは近畿においては神戸市域交通圏に次いで高い数値であった(乙32)。
大阪市域では,平成14年の規制緩和以降,多種多様なタクシー運賃が出現し,タクシー事業者間の競争意識を激化させ,初乗運賃500円を設定した車両が増加の一途をたどり,繁華街等のタクシー乗場で順番を待って乗客を乗車させるのではなく,無秩序に客待ちや一般道路で徐行するなどの混乱が生じやすい状況となっている。(乙60,116,119,120,弁論の全趣旨)。
大阪市域では,運賃競争が激しく,車両数の増加が著しく需給ギャップが拡大していること,交通事故件数が全国平均よりも高いこと,タクシー運転者の労働条件の悪化等を通じたタクシー輸送の安全及び旅客の利便の低下を招く懸念が生じていたことから,近畿運輸局長は,平成19年12月14日,大阪市域を準特定特別監視地域として個別指定し,タクシー事業への新規参入や既存業者のタクシー増車を抑制する方針を打ち出した(乙50~52,弁論の全趣旨)。
近畿管区行政評価局は,大阪地域は,「大阪タクシー戦争」と称されるほど乗客獲得競争が激化し,タクシー運転者の無理な長期間労働や収入減少など労働環境が悪化していることから,タクシー運転者の加重労働等によりタクシー利用者の輸送の安全が脅かされるおそれがあるとして,平成19年10月から11月にかけて,タクシー事業者における運転者の過労防止等の運行管理及び労働条件の実態,行政機関における指導監督の実施状況等の調査を行っている(乙53,54)。
(キ) 大阪市域で最低額運賃を設定した事業者の動向(考慮事項(b)(c))
大阪市域において最低額運賃(初乗運賃を500円とし,遠距離割引5000円超5割引を併用する運賃)を設定した車両数は,平成16年2月13日に434両(全体の1.9%)であったが,平成17年9月末には876両(同3.9%),平成19年3月末には1472両(同6.4%),平成20年1月末には1756両(同7.7%)となっている(乙45ないし47,弁論の全趣旨)。大阪市域は低額運賃への追随傾向が認められ,運賃競争が極めて激しい地域であるということができる。
上記最低額運賃による運賃は,一層の経費節減と輸送回数の増加や実車率の伸び等により収支を償おうとするものであるところ,近畿運輸局長は,事業者の経営努力により,そのような経営の効率化,事業の伸びを見込むことができると判断し,事業者の経営判断を尊重してその認可を行った。ただし,その認可に際しては,不当な競争を引き起こすような状況が生じていないかなど,事業の状況について検証する必要があるとの配慮から,6か月ないし1年の期限を付し,さらに事業者において1か月毎の輸送実績等を報告することを認可の条件としていた(乙17ないし20〔枝番のあるものは枝番を含む。〕,116)。
最低額運賃を設定した法人タクシー事業者は,ほぼ新規参入業者に限られている(乙57)。最低額運賃を設定している法人タクシー事業者の中には,燃料費,修繕費等の事業運営経費を運転者が負担しているとの指摘が寄せられる者や,運行管理体制が不十分であること等を理由に営業所の停止処分を受けた者が存在する(乙48)。また,初乗運賃を500円,540円,550円としていたタクシー事業者のうちには,収支が償わなくなったこと等を理由として,自動認可運賃に変更した例がある(乙58)。社会保険,労働保険,任意保険,消費税を未納するタクシー事業会社中,最低額運賃を設定している法人タクシー事業者がかなりの割合を占めている(乙49,弁論の全趣旨)。
最低額運賃事業者の運送収入は,大阪市域の法人タクシーの平均とほぼ同水準であるが,そのために,最低額運賃事業者の方が,大阪市域の法人タクシー運転者よりも,実働1日1車当たりの総走行距離が長く,月間の労働時間が増加している(乙37~43)。
大阪市域の繁華街では,低額運賃を設定した車両が乗客の目のつきやすい場所で客待ちをし,それ以外の運転者においても,低額運賃の車両に乗客をとられるという焦燥感から無理な運行へと走らせる傾向がある(乙60,116,119,120)。
(ク) 大阪市域でのタクシーの交通事故の発生(考慮事項(c))
大阪市域において,タクシーが第一当事者である交通事故件数の全交通事故件数に占める割合は,平成13年は3.617%であったが,平成19年にかけてほぼ一貫して上昇し,同年は4.119%であった。また,大阪市域のタクシーに関する走行100万Km当たりの事故件数は,平成16年において1万0296件であり,全国平均より約3割多かった。これら事故発生件数の多さは,大阪市域がタクシーの供給過剰地域であり,また運賃競争が極めて激しい地域であるため,過労運転を誘発しやすい状況にあることが一因であると考えられている(乙116,122)。
(ケ) 本件申請運賃は走行距離及び労働時間の著しい増加を来す(考慮事項(a))
証拠(乙5,70,82,113,116),弁論の全趣旨(控訴人の平成20年5月30日付け準備書面14頁~19頁)を総合すれば,次の事実が認められる。
a 大阪市域内で平均的タクシー事業者が採用している運賃体系(初乗運賃660円等)から本件申請に係る運賃体系(初乗運賃480円等)に値下げした場合に,値下げ前の売上高を維持するためには,実働1日1車当たりの総走行距離を約40%も増やす必要があり,タクシー運転者の1か月当たりの労働時間を約40%も増やす必要がある。
b ところが,タクシー運転者は歩合給賃金が主流であることから,その収入を維持するためには,走行距離及び労働時間を約40%も増やす必要があり,タクシー運転者の過労運転が常態化し,タクシー運転者への負担は計り知れないものとなる。しかも,大阪市域におけるタクシーの供給過剰状況を考えると,上記約40%もの総走行距離の増加は,実際上極めて困難であるといえる。
c また,タクシー運転者が走行距離及び労働時間を増やさない場合は,現行の収入を大きく減らすことになり,既にタクシー運転者の収入が年々減少している現状においては,一層重大な問題となる。
(コ) タクシー事業についての最近の状況等(考慮事項(g))
a 国土交通省自動車交通局「タクシー問題についての現時点での考え方」
平成20年7月の国土交通省自動車交通局「タクシー問題についての現時点での考え方」と題する資料(乙70)には,以下の記述がある。
(a) 健全な運賃競争は消費者の利益にかなう。それにより全体の需要の増加がもたらされれば,タクシー事業や運転者にも有益である。
他方,現実に行われているタクシー運賃の値下げ競争においては,必ずしも全体としての需要拡大は達成されておらず,低運賃による他社との旅客の奪い合いや運転者の賃金の低下がもたらされ,さらにそれに対抗するための運賃設定が行われることにより事態が深刻化している事例が多い。こうした競争の結果,その地域全体として,適切な賃金の確保等健全な経営を維持するための収入の確保が困難になっている場合や,そのために必要な運賃改定を見送らざるを得ない場合も多い。
その結果,1台あたりの収入の低下を通じ,①タクシー事業の収益基礎のさらなる悪化,②タクシー運転者の労働条件の悪化の深刻化,③違法・不適切な事業運営の助長などの問題を招いている。
(b) タクシー事業においては,その運送原価の70%以上が人件費であり,運送原価削減は人件費削減という形を取りやすい。その結果,供給の拡大や運賃引き下げに伴うリスクを相当程度タクシー運転者が負わされ,供給過剰や過度の運賃競争を促し,さらにそれがタクシー運転者の労働条件の低下等につながるという現象が生じている。
b 交通政策審議会「タクシー事業を巡る諸問題への対策について」
平成20年12月18日の交通政策審議会「タクシー事業を巡る諸問題への対策について」と題する答申(乙82)には,要旨以下の記述がある。
(a) 現在のタクシー事業については,地域によって状況や程度は異なるものの,①タクシー事業の収益基盤の悪化,②タクシー運転者の労働条件の悪化,③違法・不適切なタクシー事業運営の横行,④道路混雑等の交通問題,環境問題,都市問題,⑤利用者へのサービスが不十分等の問題がある。
(b) タクシー事業を巡る諸問題は,いくつかの原因が複合して発生していると考えられるが,その原因を大きく分けると,①タクシーの輸送人員の減少,②過剰な輸送力の増加,③過度な運賃競争,④タクシー事業の構造的要因(利用者の選択可能性の低さ,歩合制主体の賃金体系等)が挙げられるが,とりわけ①②の要因が相まって生じる供給過剰は,これらの問題を一層深刻化させる大きな原因となっている。
(c) 下限運賃(それぞれの地域において運賃の上限を下回っても不当な競争を引き起こすおそれがないと判断される運賃)を下回る運賃については,タクシー運転者の労働条件の更なる悪化,タクシー事業の収支基盤の著しい悪化や不当な競争を引き起こすおそれがあることが指摘されている。
このため,下限割れ運賃については,一律に禁止すべきとの意見もあるが,一方で,それが適正な原価で収支相償うものとして実施されるものであり,かつ,適正な経営が行われているものとすれば,一律に利用者に不利益をもたらすものとしてこれを禁じることは難しいとも考えられる。
そのため,下限割れ運賃を採用している事業者の経営実態を詳細に把握し,それぞれの地域において個々の運賃の適否を判断する必要がある。
エ 考慮事項(A)ないし(C)について
(ア) はじめに
以上を前提に考慮事項(A)ないし(C)について検討するが,以下においては,その便宜上,考慮事項(C)(B)(A)の順にこれを検討する。
(イ) 申請に係る運賃等を設定した当事者の意図(考慮事項(C))
a 被控訴人の意図
(a) 陳述書(乙6の2)の記載
被控訴人は,平成15年2月3日,近畿運輸局に対し,本件申請の趣旨等について記載した陳述書(乙6の2)を提出したが,同書には次の記載がある。
Ⅰ 現状を鑑みますと,とりわけ5000円超5割引車による影響が大に至り,昨年の12月26日などは夜間から深夜にかけてαやβを中心に営業したにもかかわらず,回数18回,売上げ3万1380円,最高額3130円,1回当たり1743円という典型的な例を始め,申請人(注.被控訴人)の営業においても極端な客単価の低下が認められます。
こうなると,もはや筋や理想を通す環境になく,現実の環境に即し経営維持を考えなければならず,そのためには,野放し状態の違法営業に参加するか,理屈抜きの運賃競争に参加するしか道は無いというのもまた事実であります。もちろん,前者は否定しますが,そうなると運賃競争に参加し,勝ち残るしか道はありません。
Ⅱ しかし,申請人とすれば,あくまで5000円超5割引を批判し反対しますので,運賃競争が収束し正常化するまでの過渡的手段として,両方を採用することと致しました。
これが吉と出るか凶と出るかは未知数の部分がありますが,幸い,私たち個人タクシーは,社屋や非乗務員など余分なお荷物を抱えておりませんので,ここで底力を見せ,P2が1.8km500円にこだわったように,法人が付いて来れないところまですることによって,必ずや勝利とともに,その向こうに正常化があると確信します。
安売り競争に参加するなら,法人の追随を許さない設定が必要であると考えました。「個人を本気で怒らせたら,法人は着いて来れないよ」と言うところ迄やって,願わくば不毛の争いに終止符を打ちたいものです。
Ⅲ 申請人は,不毛の安売り競争に終止符を打つことを望み,それは,貴局(注.近畿運輸局)を始め業界,事業者,そして利用者や社会の要請に背くものであるとは考えておらず,むしろ有益なことであると確信しております。
こういう極端なことをする者(注.初乗り運賃を480円とし,運賃5000円を超えると5割引とする者)の出現により,業界が自発的に自粛し,また,一時的に混乱が生じても,それをもって行政の適切な線引きとコントロールの端緒にと願うものであります。決して,貴局と対抗し,対立する意図のあるものではないことを合わせて申し添えさせていただきます。
(初乗り運賃を480円とし,運賃5000円を超えると5割引とすることについて),認可をいただけることになっても,こう言った運賃を長く続けることは利口な選択とは思えず,(運賃値下げ競争が)収束に向かう動きが感じられたら,早い段階で中止したいと考えております。
(b) 審査請求書(乙9)の記載
また,被控訴人は,平成16年4月12日,本件却下処分の取消しを求めて審査請求をしたが,その審査請求書(乙9)には,次の記載がある。
Ⅰ 原則的にタクシーは選べないものであるから,無線や予約等固定客に特化した事業者でない限り,安易に価格競争のみを激化させることは決して得策とは考えていないところである。昨今の過当競争の中,ルールを無視し,秩序を乱し,なりふり構わぬ営業が常態化する中,不毛の競争と感じつつも,そこに参戦せざるを得ない状況に追い込まれたと強く感じるところである。
Ⅱ 低額運賃が,違法抜け駆け営業の手段とされるばかりではなく,過重労働により安全性の担保を損ない,そこに従事する者の権利を侵害し,その生活をも破壊しているにもかかわらず,それに対する行政の対策がほとんど無い事へ強い憤りを覚えるものである。
Ⅲ 業界への指導監督,業務の適正化が長年にわたって実効性のある策が講じられないまま放置されていることは行政の不作為であり,その改善が今後とも期待できないので,本件申請(注.初乗り運賃を480円とし,運賃5000円を超えると5割引とする運賃認可申請)に及んだものであり,本件申請を行うこと自体不本意であると感じているところでもある。
(c) 検討
Ⅰ 上記(a)(b)によれば,被控訴人が本件申請(初乗り運賃を480円とし,運賃5000円を超えると5割引とする運賃認可申請)をした意図は,採算的に非常に苦しい運賃を敢えて設定することにより,他の事業者,特に低額運賃の設定が容易でない法人タクシー事業者との競争を有利に運ぼうとするところにあるといわざるを得ない。本件申請は,原価や利潤を度外視した運賃設定を行って,理屈抜きの運賃競争に参加し,他の事業者,ことにそのような運賃設定をすることができない法人事業者の事業活動を阻止しようとするものというべきである。
Ⅱ 被控訴人は上記意図を否定するが,上記(a)(b)で認定したところからすると,被控訴人は,自身においても,現状の安売り競争,過当競争により,ルールを無視し,秩序を乱し,なりふり構わぬ営業が常態化しているとの認識を有し,また,タクシー業界におけるこの現状が,安全性の担保を損ない,そこに従事する者の権利を侵害し,その生活をも破壊していることを自覚した上で,吉と出るか凶と出るかは未知数の部分があることを認識しつつ,法人が追随することができない極端な低額運賃(初乗り運賃480円,運賃5000円を超えると5割引とする運賃。大阪市域でこれまで認可されている最低運賃を更に下回る運賃)を設定して,安売り競争に参加しようというのであるから,その主張は採用できない。
被控訴人は,他方では,こういった極端な低額運賃を長く続けることは利口な選択とは思えず,早い段階で中止したいとも述べているが,このことによって,上記認定にかかる被控訴人の意図が否定されるものではない。
Ⅲ 被控訴人(昭和▲年▲月生)は,本件申請(平成14年11月)当時,親元の近くに住み41歳の独身であり,自宅を事務所に保険代理店を営んでおり,若干(小遣い程度)の代理店収入があった(前記ウ(オ)3文)。被控訴人は,本件申請に係るタクシー運賃での個人タクシー営業を長期間続けるつもりはなく,早い時点で中止したいと考えていた(前記(a)Ⅲ3文)。
被控訴人は,家族がなく妻子の生活費を心配しなければならない立場にはなく,保険代理店からの若干の収入もあり,親元近くに住んでいたことから,少しの金額であれば親からの援助も期待できることから,短期間であれば原価や利潤を度外視した運賃設定を行っても生活していけると考え,本件申請をしたものと思われる。
b 近畿運輸局長の意図
(a) 近畿運輸局長は,前判決の趣旨に従い,前判決が指摘した前記イ1文の各考慮事項を考慮して,本件申請を認可した場合には,「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」があると認め,道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」の要件を充足しないと判断して,本件再却下処分をしたと認められる。この経過に,近畿運輸局長が考慮すべきでない事項を考慮したなどの不当な意図が存在するとは認められない。
(b) なお,原判決は,「近畿運輸局長は,その運賃認可の運用として500円を初乗運賃の最低額ラインとして強く意識していることが窺われるが,道路運送法9条の3第2項3号の要件に適合するか否かを判断する上において,不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれの有無を個別に判断することなく,初乗運賃500円という最低額ラインを設定することは,道路運送法の解釈を離れたものといわざるを得ず,これもまた重視すべきでない事情をことさら重視する誤った運用である。」と判示する。
確かに,本件申請は,初乗運賃480円という,これまでの初乗運賃の最低額である500円のラインを下回る運賃を設定するものであり(前記ウ(ア)a),このことの故に,近畿運輸局長がその認可の可否を慎重に判断したことは認められる(弁論の全趣旨)。
しかし,本件再却下処分の経過は上記(a)のとおりであり,近畿運輸局長が,不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれの有無を個別に判断することなく,初乗運賃500円という最低額ラインを設定して,本件申請がそれを下回る運賃額であるとの理由のみから本件再却下処分をしたとは認められない。
現に,本件再却下処分の却下状(甲22)では,本件再却下処分の理由として,本件申請に係る運賃が初乗運賃480円であることについては一切触れられていないのであり,上記判示は相当でない。
(ウ) 当該事業者の市場の中での位置付け(考慮事項(B))
a 被控訴人の営業形態が個人タクシー事業であること(前記ウ(オ)),平成19年3月末時点の大阪府下の個人タクシーの車両数は,全体の19%程度であること(前記ウ(カ))からすると,本件申請にかかる運賃設定による市場への影響は,一見少ないと判断する余地があるようにも窺える。
しかし,被控訴人の営業区域である大阪市域はタクシーの供給過剰という状態にあり,大阪市域はタクシー事業者の競争が極めて激しい地域であるといえること,最低額運賃を設定する車両は,新規参入事業者を中心として平成16年以後順次増加していることなど,前記ウ(カ)(キ)で認定した事実を考慮すると,大阪市域では,新規参入事業者及び最低額運賃事業者における運賃の値下げ圧力は相当程度存在することが推認されるから,本件申請にかかる運賃(これまで大阪市域で認可されていた最低運賃を更に下回る運賃)が認可される場合は,その影響を強く受け,これに追随する動きが生ずることが予想されるというべきである。
b 大阪市域はタクシー事業者の運賃競争が極めて激しい地域であるうえ,平成6年度から平成16年度にかけて,大阪府内の法人タクシーの実働1日1車あたりの運送収入は約3割減少し,その実車率も10ポイント程度減少していること,大阪府内のタクシー運転者の月額平均賃金は全産業の男性労働者平均の3分の2程度であり,平成6年から平成16年までの10年間の賃金の減少の割合は,大阪府下における全産業労働者の平均賃金の減少割合の7倍程度にも及ぶことなどの事実が認められる一方で,現実に行われている運賃競争の結果は,1台あたりの収入の低下を生じさせ,さらにこのことが,タクシー事業の収益基礎のさらなる悪化,労働条件の悪化の深刻化,違法・不適切な事業運営の助長などの問題を招いていると指摘され,また大阪市域における交通事故件数が多いことの一因と考えられていることは,いずれも前記ウ(エ)(カ)(キ)(ク)(ケ)で検討したとおりである。
c 大阪市域では,平成14年の規制緩和以降,多種多様なタクシー運賃が出現し,タクシー事業者間の競争意識を激化させ,初乗運賃500円を設定した車両が増加の一途をたどり,繁華街等のタクシー乗場で順番を待って乗客を乗車させるのではなく,無秩序に客待ちや一般道路で徐行するなどの混乱が生じやすい状況となっている(前記ウ(カ)4文)。
また,大阪市域では,運賃競争が激しく,車両数の増加が著しく需給ギャップが拡大していること,交通事故件数が全国平均よりも高いこと,タクシー運転者の労働条件の悪化等を通じたタクシー輸送の安全及び旅客の利便の低下を招く懸念が生じていたことから,近畿運輸局長は,平成19年12月14日,大阪市域を準特定特別監視地域として個別指定し,タクシー事業への新規参入や既存業者のタクシー増車を抑制する方針を打ち出した(前記ウ(カ)5文)。
さらに,近畿管区行政評価局は,大阪地域は,「大阪タクシー戦争」と称されるほど乗客獲得競争が激化し,タクシー運転者の無理な長時間労働や収入の減少など労働環境が悪化していることから,タクシー運転者の加重労働等によりタクシー利用者の輸送の安全が脅かされるおそれがあるとして,平成19年10月から11月にかけて,タクシー事業者における運転者の過労防止等の運行管理及び労働条件の実態,行政機関における指導監督の実施状況等の調査を行っている(前記ウ(カ)6文)。
(エ) 必要とされる原価を下回るか(考慮事項(A))
a はじめに
本件申請に係る運賃は,初乗りが480円,料金5000円を超えると5割引であり,これまで大阪市域で認可されていた最低運賃を更に下回る運賃であるところ(前記ウ(ア)a),この運賃は,被控訴人が個人タクシー事業を運営するのに充分な能率を発揮して,合理的な経営をしている場合において必要とされる原価を下回るものであるか否か,すなわち,上記場合において必要とされる原価を償わない,採算を度外視した運賃であると認められるか否かについて,以下検討する。
b 被控訴人の個人タクシー事業の運送収支
(a) 近畿運輸局長がした本件申請の査定の妥当性
Ⅰ 近畿運輸局長は,本件申請について,前記ウ(イ)cのとおり査定した。本件申請との収支率のかい離,収支率のかい離が生じた原因は,前記ウ(ウ)a,bのとおりである。
この点について,被控訴人は,「法人事業者については労使間合意による標準人件費の排除を認めておきながら,個人事業者についてその基準を一律に適用することは不公平な取り扱いであり,合理性がない。」と主張するので,以下検討する。
Ⅱ 一般にタクシー事業においては人件費がコストの大半を占めるものであり,運賃の設定及び変更の認可基準の設定に当たっては,特に人件費について適正な水準を反映させることが必要と考えられるところ(乙25の1枚目),個人タクシー事業者においては,事業主たる運転手がその事業内容を自在に決定でき,人件費を規定する制度的な枠組みがないことから,場合によって,これを極端な低額に抑えることによって,法人タクシー事業者が実施することができない低額の運賃を設定することも可能になる。
そこで,審査基準公示(乙4)が,個人タクシー事業者と法人タクシー事業者との競争条件の均衡を保つため,人件費について,申請者の運転者1人当たり平均給与額が原価計算対象事業者の運転者1人当たり平均給与月額の平均の額(標準人件費)の10%を超えて下回っているときは,一定の場合を除いて,標準人件費を10%下回る額で査定すると定めている(乙4-20頁1項)のである。上記審査基準公示の定めは合理的な考えであって,不合理な定めであるなどとは到底いえない。
しかも,審査基準公示による運賃変更申請の認可における道路運送法9条の3第2項3号の要件充足性の判断は,当該申請にかかる運賃等の額が運賃査定額に満たないときに,その変更を一律に認可しないという形式的,画一的な取り扱いを定める趣旨のものではなく,最終的な認可の可否は,近畿運輸局長において,当該申請による運賃等を設定することによる労働条件への影響等を含めて,当該申請が道路運送法9条の3第2項3号にいう「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすおそれがないものであること」を始め,同項各号の要件を充足するものであるか否かを個別具体的に審査,判断すべきことを定める趣旨のものと解すべきことも勘案すると,審査基準公示の上記人件費の扱いが不公平であり合理性がないとする,被控訴人の主張を採用することができないことは一層明らかである。
Ⅲ したがって,近畿運輸局長が,本件再却下処分の査定において本件申請とのかい離率を18%弱と認め,被控訴人の平年度(平成15年度)の個人タクシー事業は,運送収入417万8000円に対して,運送原価は507万2000円であり,89万4000円の赤字であるとした査定に誤りはない。
(b) まとめ
以上の次第で,被控訴人が本件申請に係る運賃で個人タクシー事業を遂行すれば,前記ウ(イ)cのとおり,被控訴人の平年度(平成15年度)の個人タクシー事業の運送収支は,運送収入417万8000円に対して,運送原価は507万2000円であることから,89万4000円の赤字となると認めるのが相当である。
c 本件申請をした被控訴人の意図
本件申請をした被控訴人の意図は,前記エ(イ)a(c)のとおりである。
被控訴人は,本件申請(初乗り運賃を480円とし,運賃5000円を超えると5割引とする運賃認可申請)をして,原価や利潤を度外視した運賃額を提示して理屈抜きの運賃競争に参加し,採算的に非常に苦しい運賃を敢えて設定することにより,他の事業者,特に低額運賃の設定が容易でない法人タクシー事業者との競争を有利に運ぼうと考えた。被控訴人自身も,本件申請に係る運賃を長く続けることは利口な選択とは思っておらず,運賃値下げ競争が収束に向かう動きが感じられたら早い段階で中止したいと考えていた。
被控訴人は,本件申請当時,タクシー運賃の安売り競争,過当競争により,ルールを無視し,秩序を乱し,なりふり構わぬタクシー営業が常態化しているとの認識を有し,また,タクシー業界におけるこの現状が,安全性の担保を損ない,そこに従事する者の権利を侵害し,その生活をも破壊していることを自覚していた。それにもかかわらず,被控訴人は,法人タクシーが追随することができない極端な低額運賃(初乗り運賃480円,運賃5000円を超えると5割引とする運賃。大阪市域でこれまで認可されている最低運賃を更に下回る運賃)を設定して,安売り競争に参加しようと決意して,本件申請に及んだものである。
d まとめ
(a) 以上の認定判断を総合すると,本件申請に係る運賃(初乗りが480万円,料金5000円を超えると5割引であり,これまで大阪市域で認可されていた最低運賃を更に下回る運賃)は,被控訴人が個人タクシー事業を運営するのに充分な能率を発揮して,合理的な経営をしている場合において必要とされる原価を下回るものであり,上記場合において必要とされる原価を償わない,採算を度外視した運賃であると認めるのが相当である。
(b) 確かに,大阪市域において最低額運賃(初乗運賃を500円とし,遠距離割引5000円超5割引を併用する運賃)を設定した車両数は,平成19年3月末で1472両(全体の6.4%)に及ぶと認められる(前記ウ(キ)1文)ところ,本件申請に係る運賃は,最低額運賃中の初乗運賃をわずか20円下回るだけである。
(c) しかし,次のⅠ,Ⅱの事実に照らすと,上記(b)の最低額運賃を設定した車両の存在によって,本件申請に係る運賃が能率的な経営の下における適正な原価を償わない,とする上記(a)の認定が覆るものとはいえない。
Ⅰ 本件申請に係る運賃では,被控訴人の年間収入がわずか203万6000円(410万7000円-399万1000円+192万円〔前記ウ(ア)b(c)参照〕)にしかならず,この収入だけでは,独身者はともかくとして,家族がいる者であれば生活していけない金額であること。
Ⅱ 被控訴人自身が,本件申請をした時点で,本件申請に係る運賃は原価や利潤を度外視した金額であり,この運賃額を提示して理屈抜きの運賃競争に参加し,採算的に非常に苦しい運賃を敢えて設定することにより,他のタクシー事業者との競争を有利に運ぼうと考えていたこと(前記c)。
オ 裁量権の範囲の逸脱又は濫用の有無
(ア) 前判決の判断枠組みを考慮した本件再却下処分
前判決は,①道路運送法9条の3第2項3号がいう「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれ」とは,「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等により輸送の安全の確保を損なうことになるような旅客の運賃及び料金の不当な値下げ競争を引き起こす具体的なおそれ」をいうものであること,②近畿運輸局長は,上記該当性の判断に当たっては,前記考慮事項(A)ないし(C),同(a)ないし(g)を総合勘案して行うべきである旨判示した。
これを受けて,近畿運輸局長は,上記各考慮事項を考慮して,本件申請を認可すると「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」があると認め,道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」の要件を充足しないと判断して,本件再却下処分をした(前記イ参照)。
(イ) 裁量権の範囲の逸脱又は濫用の検討
前記ウ及びエにおいて前判決の挙げた考慮事項を検討した結果によれば,本件申請に係る運賃等が能率的な経営の下における適正な原価を下回るものであり,被控訴人自身が原価や利潤を度外視して本件申請を行っているところ,本件再却下処分がなされた平成20年2月27日当時,被控訴人の営業区域である大阪市域は,タクシーが供給過剰にあり,低額運賃への追随傾向が認められ,運賃競争が極めて激しい地域であって,既に過労運転等の問題が生じている市場状況にあったことにかんがみると,適正な原価を償わないにもかかわらず,本件申請にかかる運賃等の設定が認可された場合には,これを受けて,他のタクシー事業者も追随して,原価を償わないままタクシー運賃の値下げ競争に参入することになり,その結果,他のタクシー事業者に先んじて旅客を獲得し,また,運賃を下げた部分を補うため,総走行距離を増やす等に走るタクシー事業者が続出して,タクシー運転者の過労運転の常態化をもたらし,さらには,それによって交通事故の発生等,輸送の安全確保を損なう事態を生じさせかねないことが認められる。
しかも,被控訴人自身も,本件申請当時,タクシー運賃の安売り競争,過当競争により,ルールを無視し,秩序を乱し,なりふり構わぬタクシー営業が常態化しているとの認識を有し,また,タクシー業界におけるこの現状が,タクシーによる乗客輸送の安全性の担保を損ない,タクシー運転者の権利を侵害して,その生活をも破壊していることを自覚していたのに,敢えて本件申請をして,原価や利潤を度外視した運賃額を提示して理屈抜きの運賃競争に参加し,採算的に非常に苦しい運賃を設定することにより,他の事業者,特に低額運賃の設定が容易でない法人タクシー事業者との競争を有利に運ぼうと考え,安売り競争に参加しようと決意して,本件申請に及んだものである。
このことからすると,本件申請を認可した場合には,他の一般旅客自動車運送事業者との間において,過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれが生ずると認め,道路運送法9条の3第2項3号所定の「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること。」の要件を充足しないとした近畿運輸局長の判断は,十分首肯するに足りるというべきであり,これに裁量権の範囲の逸脱又は濫用があるとは認められない。
(ウ) 被控訴人主張の検討
被控訴人は,前判決は,控訴人に対し「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」が存在することの主張立証を求めているところ,控訴人はその抽象的なおそれを主張しているにすぎず,具体的なおそれの立証は尽くされていないから,本件再却下処分は取消しを免れないと主張する。
しかし,近畿運輸局長が道路運送法9条の3第2項3号の要件充足を判断するに当たって,ある程度の裁量権を有することは前記アのとおりである。前判決は,近畿運輸局長が道路運送法9条の3第2項3号の要件充足性の判断をするに際し,上記具体的なおそれの有無を判断すべきことを求めたものであって,近畿運輸局長がする上記判断(上記具体的おそれの有無,道路運送法9条の3第2項3号の要件充足性の判断)における裁量権の存在を否定したものでないことはもちろん,本件訴訟において,控訴人に対し,上記具体的なおそれの存在を立証することを求めたものでもない(もっとも,本件に現れた全証拠によれば,その具体的なおそれの存在は,本件訴訟においても立証されたと解される。)。
したがって,被控訴人の上記主張は採用することができない。
(3) 被控訴人のその余の主張の検討
ア 前判決の拘束力
被控訴人は,前記第2の5(1)「当審における被控訴人の主張」ア記載のとおり,控訴人の主張の多くが前判決の拘束力に反すると主張する。
しかし,行政訴訟における取消判決の拘束力は,判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断について生じるものであるところ(最高裁判所平成4年4月28日第三小法廷判決・民集46巻4号245頁参照),前判決の内容は前記第2の3(2)イで補正した原判決の前提事実(5)のとおりであり,このうち拘束力を有する部分は前記(1)イで示した部分である。これによれば,前判決が本件却下処分を違法と判断した理由は,近畿運輸局長が考慮すべき諸事情を十分に斟酌しないで本件却下処分をしたことにあったのであるから,同局長が前判決が考慮事項として挙げた事項を考慮した上で行った本件再却下処分は,前判決の拘束力に反するものではなく,本件訴訟における控訴人の主張及びこれに対する前記当裁判所の判断も前判決と抵触するものではない。
よって,被控訴人の上記主張は理由がない。
イ 近畿運輸局長の時間稼ぎ
被控訴人は,また,前記第2の5(1)「当審における被控訴人の主張」イ記載のとおり,近畿運輸局長は,前判決に対する控訴を断念したものの,特措法の成立,これによる規制強化に向けて「時間稼ぎ」をしたと主張する。
被控訴人が本件却下処分ないし本件再却下処分を待たされ続けたということ自体については,争点(3)に関して改めて検討するが,被控訴人の上記主張の趣旨は,争点(1)との関連でいえば,近畿運輸局長は,そのいわゆる時間稼ぎによって,特措法の施行に基づく規制強化をいわば先取りして本件再却下処分をしたというにあり,したがって,本件再却下処分は,考慮すべきでない事項を考慮してされたという点にあると解される。
しかし,近畿運輸局長が本件再却下処分をした経過は,前記(2)イ2文で認定したとおりであり,同局長は,前判決が考慮すべき事項として指摘した事項を考慮した結果,本件申請を認可した場合には,「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」があると認め,道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」の要件を充足しないと判断して,本件再却下処分をしたと認められ,被控訴人がいう「時間稼ぎ」により,特措法の施行に基づく規制強化をいわば先取りして本件再却下処分をしたことを認めるに足りる証拠はない。
よって,被控訴人の上記主張は採用することができない。
(4) 総括
以上のとおり,近畿運輸局長が本件申請を認可した場合には,「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」があり,本件申請は道路運送法9条の3第2項3号に規定する「他の一般旅客自動車運送事業者との間に不当な競争を引き起こすこととなるおそれがないものであること」の要件を充足しないとした近畿運輸局長の判断に裁量権の逸脱又は濫用があるとは認められず,したがって,本件再却下処分は適法であり,これが取り消されるべき違法があるものであるとはいえない。
2 争点(2)(本件申請を認可することの当否)について
(1) 義務付けの訴えの要件
本件申請を認可することを求める訴えは,近畿運輸局長が,本件申請の再却下処分をしたことを受けて,被控訴人が,同局長は被控訴人がした本件申請を認可すべきであるにもかかわらず,認可しないと主張して提起したものであるから,行訴法3条6項2号が定める義務付けの訴えに該当する。
ところで,行訴法3条6項2号が定める義務付けの訴えの要件は同法37条の3第1項が定めているが,これを本件に即していえば,本件申請を却下する処分が取り消されるべきものであるとき(2号)に,被控訴人は,行訴法3条6項2号が定める義務付けの訴えを提起することができるものである。
(2) 本件へのあてはめ
本件においては,本件申請に対してはこれを却下する処分がされており(本件再却下処分),かつ,この処分が取り消されるべきものであるといえないことは,争点(1)の判断で示したとおりである。
したがって,被控訴人が提起した義務付けの訴えは,訴訟要件を欠き不適法である。
3 争点(3)(国家賠償請求の当否)について
(1) 認定事実(原判決の引用)
判断の基礎となるべき事実関係は,原判決の「事実及び理由」の第4の4(1)(同48頁4行目から同49頁22行目まで)のとおりであるから,これを引用する。ただし,同48頁7行目及び同16行目の「当裁判所」をいずれも「大阪地方裁判所」と改める。
(2) 本件再却下処分時の判断についての国家賠償法上の違法性
本件再却下処分に近畿運輸局長の裁量権の逸脱又は濫用があると認められないことは,争点(1)の判断で示したとおりであるから,これがあることを前提として,同局長の国家賠償法上の違法行為があったとする被控訴人の主張は理由がない。
(3) 本件再却下処分の遅延と国家賠償法上の違法性
ア 前判決から本件再却下処分まで約1年が経過している。そして,この間の近畿運輸局長に対する申請件数や処理態勢等については詳細が明らかでないが,上記(1)で原判決を引用して認定したとおり,近畿運輸局長は審査基準公示の見直しや基本通達の改正を視野に入れて検討していたというのであるから,これらの検討が本件再却下処分のために手続上必要であったかについては,問題とする余地が全くないとまではいえない。
イ しかし,前判決は,近畿運輸局長に対し,本件申請の可否を決するに当たり,大阪市域における市場の構造,特性等,大阪市域における需給事情,その他一般的な経済情勢等を含め,かなり広範な事項を考慮事項とすることを求めていたことに加え,本件申請がこれまでに大阪市域で認可されていた最低の初乗運賃額を更に下回る初乗運賃を設定しようとする前例のないものであったことにもかんがみると,近畿運輸局長が,本件申請を認可した場合の市場への影響等を個別具体的に検討して,前判決がいう「他の一般旅客自動車運送事業者との間において過労運転の常態化等による運送の安全の確保を損なうことになるような不当な値下げ競争を引き起こす具体的おそれ」の有無につき判断するのに約1年の期間を要したことにも,やむを得ない面があったと認めることができる。
そして,近畿運輸局長が本件申請を認可するとすれば,他の同種申請に対する対応の在り方についても見直しが必要となり,ひいては,審査基準公示の見直しが必要となるから,その基礎となっている基本通達の見直しの動向を見守っていたという近畿運輸局長の上記検討の方針も,社会通念上全く首肯し得ないとまではいえない。
ウ 以上によれば,本件申請に対する処分について,前判決の言渡しから本件再却下処分まで約1年を要したことは,下記事実を前提としても,本件再却下処分をするまでの期間が著しく長く不合理であるとまではいうことができない。
記
被控訴人の当初の申請が平成14年11月26日に行われており,これから本件却下処分まで約1年3月(ただし,平成15年10月1日の本件申請の内容変更からは約5月)を経過し,前判決の言渡しまで約4年4月(ただし,上記本件申請の内容変更からは約3年半)を経過していた。
エ そして,近畿運輸局長が漫然と長期間にわたり本件申請に対する処分を放置し,時間稼ぎをしたとまでは認められないから,これと異なる前提に立って,同局長の国家賠償法上の違法行為があったとする被控訴人の主張は理由がない。
(4) 小括
以上によれば,本件再却下処分に国家賠償法1条1項所定の違法があったものとは認められず,被控訴人の控訴人に対する損害賠償請求は理由がない。
4 結論
以上のとおり,本件訴えは,近畿運輸局長に対し本件申請の認可の義務付けを求める部分は不適法であるから却下すべきであり,その余の請求はいずれも理由がないから棄却すべきである。
そうすると,原判決は,被控訴人の国家賠償請求のうち,20万円を超える請求を棄却した部分は相当であるが,その余の部分(控訴人敗訴部分。主文1項〔本件再却下処分の取消し〕,主文2項〔本件申請認可の義務付け〕,主文3項〔損害賠償金20万円の限度で請求認容〕)は相当でない。
よって,原判決中,控訴人敗訴部分を取り消し,近畿運輸局長に対する本件申請認可の義務付けを求める部分に係る訴えを却下し,その余の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 紙浦健二 裁判官 川谷道郎 裁判官 宮武康)