大阪高等裁判所 平成21年(行コ)70号 判決 2010年1月29日
主文
1 本件各控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 被控訴人国は,控訴人らに対し,それぞれ1万円を支払え。
(3) 被控訴人らは,連帯して,控訴人A,控訴人B,控訴人C,控訴人Dに対し,それぞれ1万円を支払え。
(4) 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
2 被控訴人ら
主文同旨。
第2事案の概要(本判決においては,平成19年法律第136号による改正前の放送法を「旧放送法」といい,同改正後の放送法を「放送法」という。また,旧放送法33条1項に基づく国際放送実施命令又は同命令及び委託協会国際放送業務実施命令を単に「放送命令」といい,放送法33条1項に基づく国際放送実施要請及び委託協会国際放送業務実施要請を「放送要請」ということがある。)
1 本件は,各事件の控訴人らを含む33名の者(各事件との関係は原判決の別紙当事者目録記載のとおり。)が,旧放送法33条1項に基づき総務大臣が被控訴人日本放送協会(以下「被控訴人NHK」という。)に対してした平成18年4月1日付け及び同年11月10日付け国際放送実施命令(以下,併せて「平成18年度放送命令」という。)(甲事件),平成19年4月1日付け国際放送実施命令及び委託協会国際放送業務実施命令(以下,併せて「平成19年度放送命令」という。)(乙事件及び丙事件),放送法33条1項に基づき総務大臣が被控訴人NHKに対してした平成20年4月1日付け国際放送実施要請及び委託協会国際放送業務実施要請(以下,併せて「平成20年度放送要請」という。)(丁事件)は,いずれも,憲法21条に違反し,知る権利を侵害したなどと主張して,(1)丁事件につき,被控訴人国に対し,行政事件訴訟法4条の当事者訴訟又は同法3条4項の抗告訴訟(無効確認訴訟)として,平成20年度放送要請が違法,無効であることの確認を求め,(2)各事件につき,被控訴人国に対し,国家賠償法1条1項に基づき,精神的損害の賠償として各1万円の支払を求め,併せて,(3)丁事件につき,被控訴人NHKに対し,不法行為又は受信契約上の債務不履行に基づき,精神的損害の賠償として各1万円を被控訴人国と連帯して支払うよう求めた事案である。
原審は,上記(1)のうち,抗告訴訟については原告適格を認めず,当事者訴訟についても訴えの利益がないとして,訴えを却下し,上記(2)及び(3)の各損害賠償請求についてはいずれも理由がないとして棄却したため,各事件の控訴人ら(以下,単に「控訴人ら」という。)が,被控訴人らに対し,控訴を申し立てた。
なお,上記(1)については,丁事件の控訴人らは,不服の対象としておらず,当審での審理の対象ではない。
2 法令の定め,前提となる事実等,主たる争点の概要,主たる争点に関する当事者の主張は,次のとおり付加訂正するほかは,原判決「事実及び理由」中の第2の2及び3,第3及び第4(原判決3頁4行目から25頁4行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決3頁25行目「同条2の2の2号」を「同条2の2号」に改める。
(2) 原判決3頁26行目から4頁1行目にかけての「同条の2の2の3号」を「同条2の2の2号」に改める。
(3) 原判決5頁3行目「甲,乙,丙及び丁事件原告ら」を「控訴人ら」に改める。
(4) 原判決5頁16行目「別紙1」を「原判決別紙1」に改める。
(5) 原判決8頁22行目冒頭から同末尾までを削る。
(6) 原判決8頁23行目「2」を「1」に,同25行目「3」を「2」に,同26行目「4」を「3」に,それぞれ改める。
(7) 原判決9頁4行目冒頭から16頁4行目末尾までを削る。
(8) 原判決16頁5行目「2」を「1」に改める。
(9) 原判決18頁11行目「後記4」を「後記3」に改める。
(10) 原判決21頁6行目「3」を「2」に改める。
(11) 原判決22頁15行目「4」を「3」に改める。
3 当審における控訴人らの補足主張
(1) 総務大臣の被控訴人NHKに対する放送命令制度及び要請放送が,日本の国家としての対外情報の発信のみちを確保するための制度であるとの原判決の解釈は,憲法が報道機関に対して憲法21条でもって報道の自由を保障していることを曲解している。国家が有する対外情報発信権能から直ちにすべての放送を利用できることができるという考えは誤りで,被控訴人NHKの放送に国策的使命を課してはならないし,憲法はそれを禁止している。
被控訴人NHKは,国際放送において,被控訴人国が命令,要請放送に要する費用の3倍から4倍の固有放送をしており,固有放送と政府の命令,要請放送が混然一体となった外国放送の放送を命令,要請している以上,被控訴人NHKが有する編集の自由を侵害していることは明らかである。
(2) 戦前の反省に基づいて,民主主義の健全な発展に資するべく,公共放送の担い手として設立された被控訴人NHKは,その設立経緯,放送法1条,受信料制度からみて,国民に対し,国等の介入を受けない公正な放送を提供する義務を負っており,受信者は,被控訴人NHKに対し,国等の介入を受けない公正な放送を受領する権利を有している。
(3) 総務大臣からの命令又は要請を受けて応諾することは,何を取材し,どうのような内容で放送するか,どの放送時間帯に放送するかなどといった被控訴人NHKの報道の自由,編集の自由とも基本的に矛盾,対立する。そして,視聴者からみると,特定のテーマについて特に留意して放送することになると他のテーマと命令あるいは要請を受けた放送との間に優先関係が誤導されたり,政府の方針について批判的な立場の情報を受領する権利が侵害されたり,上記特定のテーマがさも重大であるかのごとき解釈を与えるといった意味で,情報を受領する権利が侵害されることとなる。実際に,被控訴人NHKは,命令,要請放送を受けた結果,政府の拉致問題の方針を批判しなくなっており,政府の無策行為を批判的,多面的に報道,評論する自由を被控訴人NHKが喪失することにより,その放送を聴かされる視聴者の知る権利が侵害されている。
(4) 放送命令・放送要請によって,被控訴人NHKの放送の自由を守るべき被控訴人国が自ら放送事業者に介入することにより,そもそも放送事業者の自律にゆだねる仕組み自体を破壊・崩壊させてしまう。民主政治の大前提である思想の自由市場に介入し,これを破綻させることは,放送の受信者に対する影響力に鑑みても,それ自体が個々の受信者に対する具体的な権利侵害であるといえる。被控訴人NHKに対し,被控訴人国による放送命令が出され,被控訴人国による放送要請を被控訴人NHKが受諾した時点で,受信者である控訴人らの公権力から介入を受けない放送を受領する権利が具体的に侵害されたことは明らかである。
(5) 被控訴人国の放送命令及び放送要請により,憲法19条により保障された控訴人らのプロパガンダを受けない権利も具体的に侵害された。
4 当審における被控訴人国の補足主張
(1) 原判決は,控訴人らの国家賠償請求については,控訴人らが主張する権利ないし利益は法律上の保護に値するものということはできず,本件においては損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとは認められないとして控訴人らの請求を棄却しており,そもそも命令放送制度及び要請放送制度の憲法適合性については判断していないのであるから,原判決が命令放送制度及び要請放送制度を憲法に適合している旨判断したとして,その不当をいう控訴人らの主張は,その前提を誤っている。
(2) 放送法は,被控訴人NHKに受信者(国民)個々人に対する具体的義務を負わせる趣旨のものではないから,放送法は,受信者に対して被控訴人NHKの義務に対応する権利を個々人に帰属する個別的利益として保護すべき趣旨を含むものではないと解される。
5 当審における被控訴人NHKの補足主張
(1) 被控訴人NHKは,放送法上,民主主義の健全な発展に資するような公正な放送を国民に届ける義務を負っているが,これは等しく受信者(国民)に対して負う公法上の義務であって,そのことと被控訴人NHKが,放送法または受信契約上の義務として,個々の受信契約者に対して特定の債務を負うこととは別問題である。
(2) 被控訴人NHKは,個々の放送の内容はもちろんのこと,個々の事件や事象を放送するか否かについても自由に判断する権利を有しており,かかる権利は,本件要請によっても何ら制限されるものではない。被控訴人NHKが行った放送はすべてかかる事件や事象を放送で取り上げるか否かも含めて被控訴人NHKが自立的に判断して行った結果である。
(3) 控訴人らは,被控訴人NHKが,政府見解等を報じる際に,これを批判するコメントを付していないことを論拠として,知る権利が侵害されていると主張するもののようであるが,報道機関が報道を行う際に自らの批評を付するか否かは報道の自由の範疇に含まれることは当然であり,これを行わなかったからといって視聴者の法的保護に値する知る権利を侵害することは考えられない。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所も,控訴人らの被控訴人らに対する請求はいずれも理由がなく,これを棄却すべきものと判断する。その理由は,次のとおり付加訂正するほかは,原判決「事実及び理由」中の第5の1ないし4(原判決25頁6行目から44頁20行目まで)の説示と同一であるから,これを引用する。
(1) 原判決29頁22行目冒頭から同23行目末尾までを「2 放送法の趣旨」に,同24行目「ア」を「(1)」に,それぞれ改める。
(2) 原判決30頁22行目冒頭から32頁5行目末尾までを削る。
(3) 原判決32頁6行目「(イ)」を「(2)」に改める。
(4) 原判決33頁25行目「(ウ)」を「(3)」に改める。
(5) 原判決36頁10行目「(エ)」を「(4)」に改める。
(6) 原判決36頁22行目「法」を「同法」に改める。
(7) 原判決38頁14行目冒頭から40頁14行目末尾までを削る。
(8) 原判決40頁17行目「(1)」を削る。
(9) 原判決43頁5行目から6行目にかけての「別紙3」を「原判決別紙3」に改める。
(10) 原判決43頁19行目末尾に改行の上,以下を加える。
「 当審において控訴人らは,被控訴人NHKに対し,被控訴人国による放送命令が出され,被控訴人国による放送要請を被控訴人NHKが受諾した時点で,受信者である控訴人らの公権力から介入を受けない放送を受領する権利が具体的に侵害されたと主張するが,平成18年度放送命令,平成19年度放送命令及び平成20年度放送要請の内容(前記<原判決>前提となる事実等(2))や,放送法33条3項によれば,被控訴人NHKは総務大臣の放送要請に対し応諾義務そのものを負うものではなく応諾努力義務を負うに過ぎないこと,被控訴人NHKは,国際放送のうちの日本語放送については,被控訴人NHKが国内放送として実施しているラジオ第一放送のニュース番組を1日約18時間そのまま同時に送信しているところ,被控訴人NHKが平成19年5月1日から同年7月31日までの間及び同年11月1日から平成20年1月31日までの間にラジオ第一放送において放送した北朝鮮による日本人拉致問題に触れたニュース番組に係る主なニュース原稿30件の放送日及びタイトルが原判決別紙3記載のとおりであり,被控訴人NHKは,これらのニュース原稿を1日につき1回ないし数回国際放送で放送したこと(上記<原判決>3)などの事情に鑑みれば,本件において,控訴人らに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとまでいうことはできず,控訴人らの上記主張は採用できない。そうすると,被控訴人NHKの放送に国策的使命を課すことは憲法に違反しているあるいは命令放送制度及び要請放送制度は被控訴人NHKが有する編集の自由を侵害しているとの当審における控訴人らの主張については判断するまでもなく,控訴人らの被控訴人国に対する損害賠償請求は理由がないというべきである。また,プロパガンダを受けない権利が侵害されたとの当審における控訴人らの主張も,その具体的権利内容は必ずしも明らかではなく,損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえず,採用できない。」
(11) 原判決44頁20行目末尾に改行の上,以下を加える。
「(3) 控訴人らは,当審において,被控訴人NHKは,その設立経緯,放送法1条,受信料制度からみて,国民に対し,国等の介入を受けない公正な放送を提供する義務を負っており,受信者は,被控訴人NHKに対し,国等の介入を受けない公正な放送を受領する権利を有していると主張する。しかしながら,被控訴人NHKは,公共の福祉のために,豊かで,かつ,良い放送番組による国内放送を行うとともに,国際放送及び委託協会国際放送業務を行うことを目的としている(放送法7条)ところ,被控訴人NHKがそのような放送を行うべき義務は,広く公共に対する義務であって,控訴人らをはじめとする個々の放送受信契約の相手方に対する義務とはいえず,そうすると,国等の介入を受けない公正な放送を受領する権利を控訴人ら個々人が有していることを前提とする控訴人らの被控訴人NHKに対する不法行為もしくは債務不履行に基づく損害賠償請求はその前提を欠くといわざるをえない。同様に,他のテーマと命令あるいは要請を受けた放送との間に優先関係が誤導されたり,政府の方針について批判的な立場の情報を受領する権利が侵害されたり,上記特定のテーマがさも重大であるかのごとき解釈を与えるといった意味で,情報を受領する権利が侵害されるとの当審における控訴人らの主張も,控訴人ら個々人が被控訴人NHKに対し,具体的権利を有していることを前提とするものであり,採用できない。」
2 以上によれば,各事件の控訴人らの被控訴人国に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求並びに丁事件の控訴人らの被控訴人NHKに対する不法行為及び債務不履行に基づく損害賠償請求は,いずれも理由がないから,これを棄却すべきである。したがって,これと同旨の原判決は相当であり,控訴人らの本件各控訴はいずれも理由がないものとして棄却を免れない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安原清藏 裁判官 坂倉充信 裁判官 本多久美子)