大阪高等裁判所 平成22年(ネ)1907号 判決 2011年5月25日
控訴人(甲事件被告)
株式会社Y1(以下「控訴人会社」という。)
同代表者代表取締役
Y2
控訴人(乙事件被告)
Y2(以下「控訴人Y2」という。)
控訴人(乙事件被告)
Y3(以下「控訴人Y3」という。)
控訴人(乙事件被告)
Y4(以下「控訴人Y4」という。)
控訴人(乙事件被告)
Y5(以下「控訴人Y5」という。)
上記5名訴訟代理人弁護士
上野勝
同
水田通治
同
土谷昌弘
同
高井伸夫
同
岡芹健夫
同
小池啓介
同
秋田瑞枝ほか
被控訴人(甲・乙事件原告)
X1(以下「被控訴人X1」という。)
被控訴人(甲・乙事件原告)
X2(以下「被控訴人X2」という。)
上記両名訴訟代理人弁護士
松丸正
同
佐藤真奈美
主文
1 本件各控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決中,控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 上記取消しに係る部分につき被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
第2事案の概要
1 本件は,被控訴人らの子であるA(以下「A」という。)が平成19年4月1日に控訴人会社に入社し,控訴人会社が運営する店舗で勤務していたところ,同年8月11日,急性左心機能不全により死亡したことにつき,Aの相続人である被控訴人らが,死亡の原因は控訴人会社での長時間労働にあると主張して,控訴人会社に対しては不法行為又は債務不履行(安全配慮義務違反)に基づき,控訴人会社の取締役である控訴人Y2,控訴人Y3,控訴人Y4及び控訴人Y5(以下,4名を併せて「控訴人取締役ら」ということもある。)に対しては不法行為又は会社法429条1項に基づき,損害賠償として,被控訴人X1は5086万1000円とこれに対するA死亡日からの遅延損害金の支払を,被控訴人X2は4936万1000円とこれに対する上記と同様の遅延損害金の支払をそれぞれ請求している事案である。なお,以下においては,別途明記しない限り,平成19年の事実については同年の記載を省略する。
2 原審は,Aの死亡の原因は控訴人会社での長時間労働にあると判断し,控訴人会社の不法行為責任及び控訴人取締役らの会社法429条1項による責任をそれぞれ肯定し,被控訴人X1については3929万4874円,被控訴人X2については3933万2654円の損害をそれぞれ認めて,これらの損害とこれに対する,控訴人会社についてはA死亡日,控訴人取締役らについては訴状送達の日の翌日(平成21年1月21日)からの遅延損害金の請求を認容し,その余の請求を棄却したので,これを不服とする控訴人らが控訴した。
3 前提事実,争点及び争点に対する当事者の主張は,原判決4頁16行目の「○月」の次に「23日」を加え,同9頁12行目と13行目及び18頁18行目の各「料理長」を「調理長」と改め,後記4において当審における控訴人らの補充主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要など」の「2 前提事実」及び「3 争点及び争点に対する当事者の主張」(原判決3頁22行目から20頁24行目まで)に記載するとおりであるから,これを引用する。
4 当審における控訴人らの補充主張
(1) Aの労働時間
ア 朝の業務開始時刻
(ア) 控訴人会社がAに対して命じていた業務開始時刻は午前10時であった。Aに適用される控訴人会社の就業規則において,昼時間営業店の早番シフトの業務開始時刻は午前10時30分と例示されているように,午前11時30分の開店時刻の前に準備のために通常必要とされる時間は1時間であり,a店ではさらに余裕をもって準備できるようB店長の判断により正社員の業務開始時刻を午前10時として同時刻の出勤を命じていたのである。しかもa店ではさらにパート社員2名を採用し,これらの者に午前9時30分から準備作業を行わせていたのである。したがって,正社員が午前10時をさらに前倒しして出勤して開店準備作業を行う業務上の必要は全くなかったのである。
(イ) C調理長がAにカードキーが渡っていたことを認識しながら特に注意しなかったのは,朝の作業は皆が午前10時から始めれば十分間に合う作業であるから,午前10時に間に合うように来ればよいと判断し,その旨社員に指示していたので,Aのカードキーの所持が早出をして作業をするためであるとは全く考えてもいなかったからである。
(ウ) Aが午前10時より前にa店に到着してから行っていた作業は,パート社員の担当業務であり,Aが行う必要のない業務であった。
パート社員が出勤しない日には,正社員のみで開店準備作業を行うため,Aも開店準備作業の流れを一通り知っておく必要があることから,控訴人会社がDをしてAに開店準備作業の流れを教えさせることとし,そのためDがAに午前9時ころの出勤を求めたことがあるが,それは1回だけのことであり,そのことをもって,Aが午前10時前から業務を開始することを控訴人会社が許容していたことにはならない。また,上記指示は準備作業の観察を指示したにすぎず,C調理長をはじめ誰もAに朝の作業を自ら行うよう指示したという事実はない。
(エ) Aは,学生時代から早起きの習慣があり,父親が入浴する午前7時より前の午前6時30分から入浴する必要があって,午前6時過ぎには起床していた。早い時刻からの出勤も,早起きの習慣を変えず,早朝に職場に入り午前10時までの時間を埋めるために,自己の判断でDが行うべき作業をしていたにすぎないと考えられる。
(オ) B店長もC調理長も,Aに対して勤務開始時刻の午前10時に間に合うように来ればよい,朝早く出勤するなと複数回注意している。B店長及びC調理長が禁止した以上,Aとしてはこれに従わなければならないことは就業規則第68条柱書や同条5号に規定されていることである。労働基準法上の労働時間の意義については,労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいうとされている。午前10時より前の時間帯については,B店長及びC調理長の明示の注意・禁止に反してAが出勤していたものであるから,使用者の指揮命令下に置かれたものでないことは明らかである。したがって,上記時間帯になされた作業は,たとえ正社員本来の業務であっても労働時間と認められないし,本件ではさらに,パート社員2名の業務であって正社員の業務ではないから,労働時間と認められるべきものではない。
(カ) Aの勤怠実績表において午前10時よりも前の時刻に始業した旨が表示されている日は,Aの勤務期間中に17日存在するが,これは店長がその時々の事情に応じて例外的にAが当該時刻に始業したものと承認したものにすぎず,午前10時前の開店準備作業が一般的にAの担当業務であったことを示すものではない。また,店舗勤務日ではなく式典等の行事や研修への出席が義務づけられていた日については,その開始時刻(ただし,サクセス研修については,開始時刻の30分前である午前9時30分の集合が指示されていたので,その時刻)が業務開始時刻となる。
(キ) 以上の業務開始時刻は,別紙1に記載のとおりである。
イ 休憩時間
(ア) 休憩時間は午後2時30分から4時30分まで2時間あった。勤怠実績表には休憩時間は1時間と記載されていたが,これは,就業規則上,8時間以上で1時間の休憩を取得させることになっていたために,システム上,休憩が自動的に1時間と設定されていたからにすぎない,真実と異なる勤怠実績表の記載は,賃金支給の対象から外れる時間数を法定休憩時間数にとどめる配慮に基づく,従業員にとって有利となる措置でしかない。
(イ) 労働基準監督署への業務内容についての報告書の一部(<証拠省略>)において休憩時間を1時間と記載したのも,就業規則上の所定休憩時間を記載したにすぎず,同報告書の他の部分(<証拠省略>)では,「正規の休憩時間である1時間のあと,夜営業の準備を始めるまでの30分ないし1時間は特に定められた作業はなく,昼寝や雑談・読書など各自随意に心身を休めている」と記載している。
(ウ) Aが勤務していた期間で昼休みを含んだ店舗就業日は全75日であったところ,実際の客からの注文の有無・時刻・オーダーの内容を記録したデータ(<証拠省略>,以下「POSデータ」という。)によれば,このうち午後2時以降にAが対応しなければならない客からの注文がなされた日は6日にすぎず,しかもそれらも午後2時を過ぎている時間はわずかであった。昼間営業が終了する午後2時以降の片づけものは,ホールの従業員の業務であって,サラダ場を担当するAの業務ではなく,仮に調理場の後片づけが必要な場合であっても,それはパート社員の業務であった。
また,午後4時30分以前にAが対応しなければならない客からの注文があったのは,前記75日中9日にすぎず,しかもそれらの注文もその時刻が午後4時30分に先立っている時間はわずかであった。
(エ) 休憩時間中のミーティングは,B店長とC調理長が2人で月2回程度実施している正規のミーティングとは異なり,従業員全体でまかないの昼食を取っているときに,当日の夜にどのくらいの宴会予約が入っているか,といった簡単な業務上の確認がなされる雑談程度のものであったから,業務時間に含めるべきではない。
(オ) Aが包丁の練習をしていたのも,4月下旬までのことにすぎず,包丁の練習は食材の費消となることから禁止されており,C調理長は再三の注意に従わないAに対して調理場の電気を消したほどであって,上司の指示に反する行為に用いた時間を業務時間に含めるべきではない。
(カ) 控訴人会社では,A死亡後,従業員の労働時間を正確に把握するため,休憩開始時及び終了時の打刻を実行させたところ,a店では平成20年3月から同年8月までの従業員の平均休憩時間は2時間程度であった。同店の上記期間中の昼営業の来客人数・売上金額はAが勤務していた期間と比較して相当増加していることからすると,Aの勤務していた当時においても,2時間程度の休憩時間を取得できていたことは明らかである。
ウ 月当たりの労働時間の計算方法
本件訴訟では会社の安全配慮義務が問題となっているのであるから,月当たりの労働時間の計算は,労働災害保険法における業務上災害の認定に用いられる方法ではなく,労働安全衛生規則における面接指導の対象者となる労働者の要件等について規定している平成18年基発0224003号の算定方法を用いて,かつ,Aが入社した4月1日から起算して,1か月ごとに計算するのが相当である。
以上に基づきAの労働時間を集計すると別紙1記載のとおりとなり,Aの時間外労働時間は,4月は50時間46分,5月は93時間15分,6月は99時間01分,7月は55時間41分,8月は17時間45分となる。
仮にA死亡日から遡って計算する方法をとっても,別紙2記載のとおりとなり,Aの時間外労働時間は,死亡前1か月間で73時間14分,2か月目で87時間01分,3か月目で119時間00分,4か月目で57時間20分となる。
(2) 業務と死亡との因果関係
ア 相当因果関係立証の必要性
労災認定においては,現行認定基準の示した時間外労働時間数は,他の要因が備わっていれば,申請者は過重勤務と災害との相当因果関係の立証を事実上免除されるが,これは不利益の公平分担を図るという労働災害制度の目的実現のためであり,そのような扱いは,使用者の安全配慮義務や取締役の善管注意義務の不履行に基づく責任判断においてまで,相当因果関係を推認したり不要とする根拠とはならない。
イ 業務の負担の程度
Aの業務は,調理場での立ち仕事であるが,立ち作業による業務は社会一般に多くあってそれ自体重労働ではないし,重いものを持ったり長い距離を移動したりすることもなく,気温の変化のない室内での作業であって,手待ち時間を利用して短時間の休憩や一時的な休息をとることもできるので,立ち作業としても負担が軽いものである。また,POSデータによれば,昼の休憩時間の前と後の時間帯については客からのオーダーは極めて少なく,Aの労働密度が低いことは明らかで,完全に業務から解放された時間であるとはいえないまでも,Aの心身にかかる負担という点では格段に軽いことは明らかである。
a店では業務に不慣れなAが先任社員やパート・アルバイトと同様の作業内容・量を行うことを必要とする状況にはなく,本件期間中Aが行っていた作業の目的はもっぱら同人への指導が主であって,同人の作業をもってa店の他の従業員の行うべき作業を現実的に分担・肩代わりさせることはいまだ主たる目的ではなかった。C調理長はAに対して無理な仕事量を与えず,ノルマも課していないし,Aの行っていた作業は比較的単純作業であったから,精神的負荷も小さかった。
Aの性格や新入社員として周りに気を配らなければならない立場にあったことからくる精神的負担は,集団の中で働く以上誰でも当然周囲に払うべき配慮であって,ストレスでも何でもない。
ウ 飲酒・パソコン等による睡眠不足
Aは1人で飲酒することは少なかったようであるが,友人や父親とは頻繁に晩酌をし,恒常的に飲酒していた。また深夜1時前後や早朝5時過ぎにブログを更新しており,パソコンを使用するために夜更かしをしたり,早朝に起床したりしていた。父親より早くシャワーを浴びたり,パソコンをしたいとの嗜好から,学生時代の早起きの習慣を変えず,午前10時とする出勤時刻の指定を軽視していたために慢性的な睡眠不足に陥っていたのである。慢性的睡眠不足はAの自己管理が不十分であることによるものであるから,仮に重篤な心疾患発症に業務起因性があるとしても,その寄与割合は相当程度減ぜられるべきである。
(3) 控訴人会社の責任
ア 給与体系について
控訴人会社は80時間分の時間外等割増手当を役割給として支給する給与体系を採用していたことは事実であるが,このような給与体系をもって,控訴人会社が80時間の時間外労働を前提として組み込んでいたと評価して問題視することは誤っている。
人件費が営業費用の大きな部分を占める外食産業界においては,時間外労働の有無にかかわらず基本給しか支給しない,あるいは一定時間を超える時間外労働時間には手当を支給しないなど,労働基準法に反する給与体系を有する会社が依然として存在するのが実情であるが,控訴人会社の給与体系は,従業員が行った時間外労働等の時間数に応じて割増手当を支給するもので,労働基準法にのっとったものであり,平成17年4月に控訴人会社が現在のように給与体系を改訂した当時から現在までの外食産業界,特に大衆割烹・居酒屋業界の給与体系の大勢にならったものにすぎない。
本件給与体系においては,時間外労働等が80時間に満たない場合は,所定の役割給より80時間に満たない時間数に相当する時間外等割増手当分を控除し,時間外労働等が80時間を超える場合は,超過時間数に相当する時間外等割増手当分を追加支給するものであるから,80時間は給与計算上の目安にすぎず,むしろ,役割給の対象設定時間を80時間とすることにより,時間外労働時間の一応の目途を示し,これをもって残業時間が長時間化しないことを期したものである。
イ 三六協定
(ア) 控訴人会社が従業員代表と締結した三六協定において「特別の場合には,従業員代表と協議の上,1か月100時間・(回数6回)1年については750時間を限度として延長することができる。」との条項(以下「本件特別延長条項」ともいう。)を設けたのは,使用者が従業員に対して三六協定を上回る時間外労働をさせた場合,労働基準法違反という刑事責任を問われることになるため,予想外の事情により時間外労働の必要が発生したとしても三六協定に違反しないよう,三六協定の限度時間はある程度余裕のある長時間のものを定めておく実際上の必要があるからである。本件特別延長条項が1か月100時間としているからといって,同時間数の時間外労働をすることを予定ないし想定したとすることはできない。
(イ) 本件特別延長条項を設けてはならない,あるいはより短時間の上限しか設けてはならないと解するとすれば,従業員側の意思を無視するばかりでなく,使用者に対して,法定の例外(同法33条)以外の若干の不測の事態によって三六協定所定の限度時間を超過する時間外労働を行わせることになる危険,すなわち労働基準法違反を助長することになり,極めて不合理な結果を招くことになる。
労働基準法36条2項は,三六協定で定める労働時間の延長の限度については厚生労働大臣が基準を定めるものとしているが,労働者の福祉のほか時間外労働の動向その他の事情を考慮して定める旨規定しており,極めて政策的な基準であることを前提としている。この基準(平成10年12月28日労働省告示第154号)においては,一定期間についての延長時間は限度時間以内とすることが原則であるが,弾力措置として,原則を定めた上で,限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情が生じたときに限り,一定期間として協定されている期間ごとに,労使当事者において定められている手続を経て限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨協定すれば,当該一定期間についての延長時間は限度時間を超える時間とすることができるとしたものであるが,特別延長時間については限度となる時間は示されていない。三六協定で定める時間外労働時間の規制については,事業形態・業務・業種等の態様によって,その必要性や健康・福祉への影響が自ずから異なることから,一律機械的な適用を前提としておらず,労使当事者の自主的協議にゆだねられており,労働基準監督署が,基準に関し労使に対して助言及び指導を行うことができるとして具体的現実的妥当性を実現しようとするものである。控訴人は,本件三六協定を600店以上存在する直営店舗において共通の内容とし,締結した三六協定をその都度所管の各労働基準監督署に提出しているが,違法・不当等の指摘を受けたり,変更などの助言指導を受けたことはこれまで一度もなかった。
(ウ) 外食産業界においては,歓送迎会や忘年会などの特定の繁忙期があるかのように認識されているが,実情は,気候・天候・景況・消費動向・近隣の競合店の状況その他多様なしかも予測困難な要因によって,特定の時期・日時が必ずしも繁忙になるとは限らず,特定の時期以外の時期が繁忙になることがしばしばある。このような予想外の事情が生じることに備え,外食産業界においては特別延長条項の上限を1か月100時間とすることはむしろ一般的であり,外食産業界以外の産業界においても,上限100時間の特別延長条項を設けることはなんら珍しいことではなく,新日鐵,新日本石油,パナソニックといった日本の代表的企業においても同様の協定が締結されている。
ウ 厚生労働省の労災認定基準について
(ア) 厚生労働省の通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成13年12月12日基発第1063号。以下「現行認定基準」ともいう。)は,時間外労働時間数を業務過重性判断の最も重要な要因とする,とするものであるが,同時に時間外労働時間数のみで直ちに過重労働であるとするものではなく,当該業務の量,内容,作業環境,作業の難易,心身の負担状況等を考慮して判断されるべきことを明記している。
従来,労働省は,労務災害認定に当たっての判断規準を,機械的に一律の時間数によって示すことなく,過重勤務の認定は総合判断によるとしていた(平成7年2月1日基発第38号)。ところがその後増加する労災認定申請に対する労働行政上の統一的扱いを重視する観点から,また時短を求める国の内外からの強い要請と相まって,総合判断によるとの従来からの原則は維持しつつ,一定の時間数を業務起因性の判断基準の一つとする現行認定基準を発するに至ったが,この時間数を超えた時間数の勤務に就いていたことがそのまま過重勤務と断ぜられるとするものではない。労働時間数を判断の一要素としてではなく他の要素を捨象した要素として過重勤務を意味するかのごとく扱うことは,現行認定基準を逸脱する判断である。
現行認定基準の前提となった「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告」(<証拠省略>,以下「本件専門検討会報告」ともいう。)は,疲労の蓄積による発症と評価すべき長時間労働に関する判断基準を明確に示すことは現在の医学的成果からは困難を伴うものであるので,大まかな目安について整理し,おおむね1か月100時間を超える時間外労働時間を想定すると諸家の報告と矛盾しないとしてこれを労災認定基準とした旨記載している。このように医学的根拠の提示が困難であるにもかかわらずあえて長時間労働の時間数の目安を提示したのは,労災申請の増加に対処するために的確かつ客観的な認定基準が必要であるという労務災害認定行政の政策的配慮によるものであるから,労災認定以外の場面においてはこの基準は一つの参考事実にすぎない。
疲労の蓄積と心臓疾患との閧連性は広く認知されているが,それは,発症の蓋然性があるという意味ではなく,発症の可能性を否定できないという意味にすぎない。心臓疾患の発症をもたらす血管病変等の形成,進行及び増悪には,主に加齢,食生活,生活環境等の日常生活による諸要因や遺伝などの個人に内在する要因も密接に関連する以上,疲労の蓄積はその一つの可能性として挙げられているにすぎない。また疲労の蓄積の要因も,業務の過重性以外に生体的特性や日常生活の全ての場面に存在する。このように,長時間労働と心臓疾患との関連性は,蓋然性や多数の結果発生に至ることを意味するのではなく,本件専門検討会報告でも,関連が欠けている例を多々掲げているのである。
したがって,労災認定上の基準時間をもって,直ちに労働者の健康安全面への影響の多寡を論じたり,これに労使関係における規範的意味を与えたりすることは避けなければならない。
(イ) 現行認定基準は,その名宛人は労災認定業務担当機関であって,株式会社等の法人あるいは国民を直接の対象とする法令でもなく,労働時間や時間外労働時間数自体を規制する法令でもない。このような現行認定基準によって,その認定基準に示された労働時間を許容することができないと解することは,労働基準法秩序を実質的に変更することとなり,現行認定基準の法的性格あるいは規範性に関する理解を誤るものである。
したがって,現行認定基準で示された時間外労働時間数に対する手当を組み込んだ賃金体系をとること,あるいは,それを超える時間数を上限として三六協定を締結することが一律に禁じられたり,これを違法とするべき法令上の根拠はない。
エ 労働時間の把握状況
控訴人会社のように,ほぼ全国にわたって600店舗以上の店舗を展開し,2000人以上の従業員を雇用する会社においては,各店舗の店長や地域ごとの管理責任者による労働時間の把握によって安全配慮義務を果たすことが合理的である。控訴人会社においては,人事管理部が毎月,店舗ごとに社員番号・氏名・給与支給額及びその内訳・勤務日数・勤務時間及びその内訳を集計した一覧表を出力し,これを地域ごとの管理責任者に手交,ファックス送信などの方法により交付して,勤務時間の長い従業員については,地域ごとの管理責任者から店長を通じて注意する体制が取られていた。Aについても,B店長に注意があり,B店長及びC調理長はAに対して午前10時前に出勤する必要はない旨を複数回注意したり,店舗の締めの作業が終わっていなくても,早めに帰らせたりするなど,労働時間の把握とそれに基づく長時間労働を防止するための配慮を実施していた。
オ Aの休憩・休日について
控訴人会社は,Aの勤務時間や休日の指定についても,長時間ないし連続の勤務とならないようきめ細かな配慮を行っていた。
Aについて週のうち最も繁忙となる金曜日を休日とし,5月は23時過ぎまでの勤務時間としていたものの,休日を週2日とし,うち2回は連続の休日としているし,6月の休日は4日にとどまったが,他に4日は夜営業のみの出勤としたり,超短時間の出勤日を設けたり,さらには,午後9時台・10時台に繰り上げ退勤させるなど,勤務の連続による疲労の蓄積に至らぬようきめ細かな措置をとっていた。7月22日にAが急性アルコール中毒に倒れた際も,Aがすぐに回復したにもかかわらず翌日から連続3日間を休日としたうえ,休み明けの26日は夜営業をさせないなどの適宜具体的な措置をとっている。
また,Aがさらに多くの休日を取得したいと思えば,a店では調理の人数は十分に足りていたので,他の社員に迷惑を掛けずに休日を取得することができる状況であったし,他の社員が既に休日を取得していた場合であっても,他の店舗の従業員をa店に派遣することにより,Aの休日を認めることが可能な体制をとっていた。
カ 新入社員の配属と面談
新入社員,特にアルバイト経験のない新入社員は,業務に不慣れであるから,本人の希望も尊重しながら,業務量やパート・アルバイトを含む従業員配属状況からみて,店長・調理長らが新入社員への指導を行う余裕のある店舗を選んで配属を行った。
控訴人会社においては直接新入社員の勤務状況・労働環境の点検・検討・是正をする等の管理体制をとっており,人事部では担当者を定めて全新入社員を対象に各配属先を訪問するなどして個別に面談し,Aについても6月中に2度実施してAからの相談・質問に対応した。その際,E人事部長は,Aから早く調理技能の段階を進みたいとの希望を聞き,他の人の作業レベルに焦る必要のないこと,調理長の指導に合わせて落ち着いて作業を着実に身につけることの重要性を説いた。
キ Aに対する健康診断
(ア) Aに対しては,死亡する8月11日までの間に健康診断を実施していなかったが,これは,平成19年度の新入社員については,その全員について一斉に健康診断を行う会場を確保することができなかったためであり,全社員を対象として年1回又は2回実施する定期健康診断の際に受診させることとし,Aの属する関西近畿地区においては同年秋期定期健康診断での受診が予定されていた。すなわち控訴人会社においては,新入社員・既存社員の双方について定期的に健康診断を実施する体制が整えられていたのであり,時々の事情によって,入社時の健康診断の実施に数か月の遅れが生じることがあったとしても,控訴人会社が就業規則を遵守しなかったとか安全配慮義務に違反したということはできない。
(イ) Aの心臓突然死の発症原因は不詳であり,仮に控訴人会社がAに対して入社時健康診断を実施していれば,又は,Aに法定検査の結果が記載された健康診断書を提出させていれば,Aの死を回避することができたとまでは到底いえず,入社時健康診断を8月までに実施しなかったという事実は,Aの死と因果関係のある安全配慮義務違反を構成する事実ではない。
ク 予見可能性
控訴人会社に安全配慮義務違反があったと認めるためには,控訴人会社が,単にAについて長時間労働があったことを認識していただけでは足りず,Aについて心疾患による重篤な症状が生じる可能性を認識していたか,認識し得たことが必要である。a店では,Aには体調が悪そうな様子が見られなかったことから,控訴人会社は,Aについて心疾患により重篤な症状が生ずる可能性があることを全く認識しておらず,認識することもできなかった。
Aの死亡原因については,専門医による解剖所見においても,疾患の原因は不詳で,現代の医学では未だ原因の確定していない病態のひとつであるとされているのであるから,Aの生前に控訴人会社がAに心疾患による重篤な症状が生ずることを予見することは不可能である。
(4) 控訴人取締役らの責任について
ア 取締役の責任は,会社に対して債務不履行責任ないし不法行為責任が問われる場合であっても,それを決定した取締役の責任が直ちに肯定されるのではなく,取締役としての判断及び行為に合理性があるかどうかという点とともに経営判断上の裁量権の行使が適正であったか否かとの観点から論じられるべきであり,その判断の合理性と裁量の範囲は,その会社が属する業界の経営において通常求められる内容と程度が基準となるべきである。
また,控訴人取締役らは,管理本部又は店舗本部あるいは支社の各責任者として各組織の運営を統括するものであるが,控訴人会社が定める労使関係諸規定あるいは労使間諸協定の締結についてはこれら取締役らが個々に判断権限を有するものではなく,担当事項の判断あるいは他取締役への監視に当たっては,取締役会の構成員として会社経営という総合的観点から判断するものである。
イ 労働時間に関する経営判断においては,労働基準法等法令を遵守すべきは当然であるが,経営形態や従業員状況,店舗営業時間等に基づき,業務の繁閑,勤務や作業の濃淡,休日,休憩の実情のみならず,手待ち時間の状況等多岐にわたる事情を総合的に検討した上,当該業界における労働状況や社会一般の状況等も考慮して決定するべきものである。厚生労働省の現行認定基準に示された労働時間数も総合判断における一要素ではあるが,労働時間体制は経営の主要な判断事項の中でも極めて重要な事項であって,経営効率や諸事情如何にかかわらず現行認定基準に示された労働時間や時間外労働時間をそのまま賃金体系や三六協定の内容としなければならないとすることは,取締役にとっては経営判断の放棄であり,むしろ会社に対する善管注意義務の懈怠とさえなり得ることである。
ウ 本件給与体系は,時間外労働時間の目途を設定することによって店長による労働時間の適切な管理を促進し,残業時間の長期化を避けるために有効な方策であった。店長等店舗管理者には,労働時間の長時間化を避けることの必要性や方策等についてマニュアル(<証拠省略>)に具体的に記載し,店長会等を通して具体的に説明・指導するなどしてきた。
エ 本件特別延長条項及び賃金体系等とAの突然死との間に相当因果関係はない。
会社法429条1項による取締役の責任を問うには取締役の任務懈怠と第三者の損害との間の相当因果関係の存在が必要である。本件三六協定や給与体系が存在するからといって,個々の従業員の現実の労働時間は,これらの協定等よって自動的に決まるわけではなく,各店舗において店長らが作成するワークスケジュールや店長・調理長による個別指示によって決まるのであるから,本件三六協定や本件賃金体系の下で勤務することによって突然死に至るのが通常であるとはいえない。
オ 悪意重過失の不存在
本件三六協定や本件賃金体系は,法令に合致した適正なものであり,一見して不合理であることが明らかな体制ではなく,控訴人取締役らは,これらの協定等の下で働いている従業員らが恒常的に長時間勤務による過重負担を被ったり,ましてそのために死亡する事態が生じる等とは全く考えてもおらず,また,万が一にもそのような事態に陥ることのないよう十分な注意を払い必要な体制を構築していた。
控訴人会社は,本件賃金体系の採用により,専任職等の従業員に役割給として80時間分の時間外手当を保障することによって,残業時間が長時間化することが避けられ,おおむね80時間程度以下に抑えられるものと予測していた。いわんや,一般職についてはいまだ店舗業務上の役割負担も軽く,むしろその指導のために専任職等の従業員の負担が大きくなる要因でもあるので,残業をさせる業務上の必要性は少ないのであるから,控訴人取締役らが,一般職について,専任職等並のあるいはそれ以上の残業に就く事態を予測しないことは当然であった。
以上のとおり,控訴人取締役らが,Aが過重労働によって突然死に至ることを認識していたり,これを容易に認識できる状況にあったということはできず,控訴人取締役らに悪意重過失はない。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所も,被控訴人らの請求は,少なくとも原判決が認容した限度においては理由があるから正当としてこれを認容すべきものと判断する。その理由は,次のとおり補正し,後記2のとおり当審における控訴人らの補充主張に対する判断を示すほかは,原判決「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の1ないし5(原判決20頁26行目から40頁17行目まで)に認定・説示するとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決21頁3行目の「<人証省略>」の前に「<証拠省略>」を加える。
(2) 原判決21頁17行目の「もっとも」から18行目末尾までを次の文章に改める。
「もっとも,午後2時までに客が入店すれば,それ以降に注文を受け付けることもあり,また,午後5時以前に注文を受けたこともあった。(<証拠省略>)」
(3) 原判決22頁4行目の「業務内容としては」を「業務の大まかな内容としては(以下の各時刻は大枠を示すものにすぎない。)」と改める。
(4) 原判決22頁22行目から23頁4行目までを次の文章に改める。
「 a店においては,Aの勤務していた当時,B店長やC調理長及びアルバイト店員を含む従業員の各労働時間数が月300時間を超えることがしばしばあり,中には350時間を超えることもあって,長時間労働が恒常化していた。例えばアルバイト社員であるFの労働時間は,控訴人会社の勤怠実績表においても,4月315時間,5月327時間,6月327時間,7月327時間となっていた。
なお,a店は他店と比べて繁忙とはいえず,むしろ余裕のある方であり,従業員の負担も平均的なものであった。12月は忘年会があることなどから繁忙期であるが,4月や5月は特段忙しいことはなかった。
そして,Aが死亡した後においても,a店においては,長時間労働が依然として恒常化しており(中には1か月100時間を超える件もあった。),平成20年4月から8月において,同店で働く労働者に対し三六協定の時間外労働を行わせた件について,大津労働基準監督署によって労働基準法違反の刑事事件として立件され大津地方検察庁に書類送検されている。
(<証拠・人証省略>,弁論の全趣旨)」
(5) 原判決23頁21行目から24行目までを削除する。
(6) 原判決24頁2行目から4行目までを次の文章に改める。
「 しかし,控訴人会社のホームページの新卒採用募集概要においては,初任給19万4000円と記載されていて,それが時間外手当や深夜勤務手当を含んだ額であることを示す記載はない。日経ナビでは,営業職19万6400円(残業代別途支給)と記載されていた。またAとの間の社員雇用契約書兼通知書(<証拠省略>)では,給与額19万4500円,内訳,基本給12万3200円,役割給7万1300円とされており,役割給とは予め給与に組み込まれた固定時間外手当と固定深夜勤務手当であり,設定された時間に達しなかった場合はその時間分を控除し,その時間を超えて勤務した場合は超えた実質分を残業代として支払う旨記載されていたが,設定された時間が何時間であるかの記載はなかった。」
(7) 原判決24頁6行目から8行目までを次の文章に改める。
「イ Aの給与は,基本給12万3200円,役割給7万1300円を基礎として,これに,1か月80時間を超えた時間分の時間外給与及び深夜割増給与,交通費等が支給されていた(<証拠省略>)。」
(8) 原判決27頁3行目末尾の次に改行して次の文章を加える。
「 この現行認定基準は,本件専門検討会報告に基づいて,従前の通達を廃止して平成13年12月12日に新たに定めたものである(<証拠省略>)。」
(9) 原判決28頁1行目の「もっとも」から11行目までを次の文章に改める。
「もっとも,平成19年当時,人事管理部では,勤怠実績表の入力後の閲覧は可能であったが,残業時間はコンピューター画面上でしか見ることができなかったので個別的な確認作業までは実施していなかった。なお管理本部長は控訴人Y5であった。
そして,実際には,各店舗の従業員の労働時間,勤務時間,休暇日数等の管理はまず各店舗の店長が行っており,さらに,ブロック長,支社長及び店舗本部長などが把握し管理することとされていた。a店についていえば,それぞれに該当するのが,a店店長,京滋奈ブロック長,第一支社長(控訴人Y4)及び店舗本部長(控訴人Y3)となる。
(<証拠・人証省略>)」
(10) 原判決28頁21行目の「Aの」から29頁2行目末尾までを次の文章に改める。
「Aの勤怠実績表では概ね出勤時刻が午前10時となっているが,これは,実際の出勤時刻とは関係なく,ワークスケジュールで指定した勤務開始時刻に基づいて記載されているにすぎないし,a店では,出勤時と退勤時に指紋認証による打刻を行う勤怠システムを採用していたところ,同システムで打刻されたAの出勤時刻は概ね午前9時30分から午前10時の間の時刻となっているが,これは,ワークスケジュールで勤務開始時刻を午前10時と設定した場合,その30分前である午前9時30分以前に出勤しても指紋認証による打刻ができないシステムになっていたため,出勤直後ではなく午前9時30分を過ぎてから打刻していたからであって,これもまた,現実の出勤時刻を示すものではない(<証拠・人証省略>,弁論の全趣旨)。」
(11) 原判決29頁6行目及び7行目を次の文章に改める。
「 したがって,勤怠実績表の出勤時刻及び勤怠システムの出勤打刻時刻をそのまま業務開始時刻と認めることはできない。」
(12) 原判決30頁2行目の「そして,」の次に次の文章を加える。
「B店長がワークスケジュールの入力を忘れていた場合は,午前9時30分以前に指紋認証システムに打刻することも可能であったところ,B店長が入力を忘れていた5月29日のAの打刻時刻は午前9時17分となっていること,同様に,指紋認証システムの打刻時刻に制約がなかったと考えられる6月27日及び28日はいずれも午前9時12分に,7月1日は午前9時08分に,同月2日は午前9時15分に,同月4日には午前9時17分に,同月7日から同月15日までは午前9時12分から24分までの間にAの打刻がなされていて,平均すれば午前9時15分ころの出勤があったことを推認させること(<証拠・人証省略>,弁論の全趣旨),」
(13) 原判決31頁3行目及び4行目を次の文章に改める。
「 また,控訴人会社は,労働基準監督署への業務内容についての報告書(<証拠省略>)において,症状出現日以前10日間の業務状況を記載する欄においては休憩1時間と記載しており,同報告書の別紙1(<証拠省略>)では,正規の休憩時間である1時間のあと,夜営業の準備を始めるまでの30分ないし1時間は特に定められた作業はなく,昼寝や雑談・読書など各自随意に心身を休めていると記載しているところ,これらの記載は,休憩が確実に2時間とれる状態ではなかったことを前提とした記載であると解せられる。」
(14) 原判決31頁10行目の「られない。」の次で改行して,「そして」から15行目までを次の文章に改める。
「 Aの就業日のうち昼休憩を含んだ就業日は75日存在するところ,このうち,午後2時以降にAが対応しなければならない客からの注文がなされた日が6日,午後4時30分以前にAが対応しなければならない客の注文があった日が9日あり,さらに別紙3記載のとおり,午後2時30分から4時30分までの間に客が会計をした日が45日存在していること(<証拠省略>),仮にこれらの客への対応が直接的には他の従業員で可能であったとしても,Aは新入社員でもあり,他の従業員に先駆けて休憩をとっていたとは考えられないこと,昼食時のミーティングは,食事をしながら,夜の宴会予定を伝えるなど簡単な内容のものであった(<証拠・人証省略>)とはいえ,予定の確認という業務そのものに関する時間であるから,その時間は労働時間に含めるべきであるところ,それに要する時間も日によって異なる状況であったと推認され,結局その日の状況に応じて具体的な休憩時間の長さは異なっていたものと考えられる。控訴人会社が昼の休憩時間について,ワークスケジュールや労働基準監督署への報告の一部において1時間と記載しているのは,上記のように状況に応じて日によって違いのある昼食休憩時間について,常時2時間の休憩が存在したとするには無理があり,確実に休憩時間であるといい切れる少なめの時間を記載していたものと考えられる。しかし,一方において,上記認定によれば,客の注文やミーティングによる休憩時間への影響が平均して1時間に及ぶとまでは考えられない。したがって,昼の休憩時間については平均して1時間半であったと判断する。
控訴人会社がA死亡後に行った休憩開始時刻と休憩終了時刻の指紋認証による打刻による休憩時間の集計結果(<証拠省略>)によれば,平成20年4月から同年8月までのa店の調理部門の従業員の休憩時間は,C調理長及びGがいずれも平均1.9時間,F社員が1.8時間,H社員2.0時間となっており,調理部門の社員が2時間の休憩を確実にとれているとはいえない上,この時間には食事中のミーティングの時間が控除されているとは考えられないこと,A死亡後の打刻であるので,休憩時間を長くする方向で打刻しがちである可能性が高いといえるから,休憩時間を1時間30分とする上記判断を左右することはない。
なお,勤怠実績表において1時間未満の休憩時間が記載された日については,ワークスケジュールにより画一的に処理されて記載された時間ではなく,その都度具体的な状況に応じて相当と判断されて記載されたものであると考えられるので,これらの日については勤怠実績表の休憩時間の記載にしたがって休憩時間を計算することとする。」
(15) 原判決32頁17行目から21行目までを削除する。
(16) 原判決32頁23行目から33頁3行目までを次の文章に改める。
「 以上によれば,Aの労働時間,休憩時間,総労働時間数及び時間外労働時間数は,原判決別紙7の記載のうち,休憩時間が1時間と記載されている日についてはそれぞれに30分を加算し,そのうえで同別紙と同様の計算を行えば算定できることになる。これによれば,Aの労働時間は,死亡前の1か月間では総労働時間数237時間34分,時間外労働時間数95時間58分,2か月目では総労働時間数273時間41分,時間外労働時間数105時間41分,3か月目では総労働時間数302時間11分,時間外労働時間数129時間06分,4か月目では総労働時間数251時間06分,時間外労働時間数78時間12分となっており,恒常的な長時間労働となっていた。」
(17) 原判決36頁1行目末尾の次に改行して次の文章を加える。
「 証人E(原審)は,労働時間が長期にならないようにするための仕組みは,店長,店舗本部に任されており,流れとしては先ず店長,店舗部長,又はブロック長,支社長が見ることになると証言しているが,これは,実際の指導状況を示す具体的な事実を挙げて証言しているものではないし,現実のa店の店長を含む従業員全体の長時間労働の状況に鑑みれば,単に,長時間労働を抑制すべく働きかける組織があるとすれば,このようなことになると証言しているものと評価せざるを得ず,長時間労働抑制のための対策がとられていなかったとする上記認定を妨げるものではない。」
(18) 原判決36頁9行目の「取締役は」から12行目末尾までを次の文章に改める。
「取締役は,会社に対する善管注意義務として,会社が使用者としての安全配慮義務に反して,労働者の生命,健康を損なう事態を招くことのないよう注意する義務を負い,これを懈怠して労働者に損害を与えた場合には会社法429条1項の責任を負うと解するのが相当である。」
(19) 原判決36頁17行目から37頁24行目までを次の文章に改める。
「 人事管理部の上部組織である管理本部長であった控訴人Y5や店舗本部長であった控訴人Y3,店舗本部の下部組織である第一支社長であった控訴人Y4は,a店における労働者の労働状況を把握しうる組織上の役職者であって,現実の労働者の労働状況を認識することが十分に容易な立場にあったものであるし,その認識をもとに,担当業務を執行し,また,取締役会を構成する一員として取締役会での議論を通して,労働者の生命・健康を損なうことがないような体制を構築すべき義務を負っていたということができる。また,控訴人Y2も控訴人会社の業務を執行する代表取締役として,同様の義務を負っていたものということができる。しかるに,控訴人取締役らが,控訴会社をして,労働者の生命・健康を損なうことがないような体制を構築させ,長時間勤務による過重労働を抑制させる措置をとらせていたとは認められない。
控訴人会社は,給与体系として,基本給の中に時間外労働80時間分を組み込んでいたため,そのような給与体系の下で恒常的に1か月80時間を超える時間外労働に従事する者が多数出現しがちであった。また,控訴人会社の三六協定においては,時間外労働の延長を行う特別の事情としてイベント商戦に伴う業務の繁忙の対応と予算決算業務が記載されていたが,現実にはそのような特別事情とは無関係に恒常的に三六協定に定める時間外労働を超える時間外労働がなされていた。現に,a店においては,控訴人会社の他の店舗と比べて繁忙な店舗ではなく社員の負担も平均的な店舗であったにもかかわらず,繁忙期でもなかったAの勤務期間中に店長を含む多数の従業員の長時間労働が恒常化していたのであって,このことからすれば同様の事態は控訴人会社の他店舗においても惹起していたものと推認される(<証拠省略>からもこのことが窺われる)。そしてこのような全社的な従業員の長時間労働については,控訴人取締役らは認識していたか,極めて容易に認識できたと考えられる(なお,全国展開している控訴人会社においては,前記1(8)アに認定したとおり,全国的に組織化され人事管理部や店舗本部などによる監督体制が執られていたのであるから,各店舗における労働者の勤務態勢などについては全国的にある程度平準化されていたものと考えられる。)。
しかるに,Aの入社後研修においてもI部長が給与の説明に当たり1か月300時間の労働時間を例にあげていた状況であったし,社員に配布されていた社員心得である「Y1魂・Y1商法覚書」(<証拠省略>)では,出勤は30分前,退社は30分後にすることが強調されているが,働き過ぎを避ける健康管理の必要性には何ら触れられていない。また日々のワークスケジュールを作ることで,実質的に従業員の具体的勤務時間を決定しうる店長に配布されている店舗管理マニュアル(<証拠省略>)には,効率の良い人員配置が必要であることが記載されているが,社員の長時間労働の抑制に関する記載は全く存在していない。人事管理部においても勤務時間のチェックは任務に入っておらず,人事担当者による新入社員の個別面談においても,長時間労働の抑制に関して点検を行ったことを認めるべき証拠はない。
以上のとおり,控訴人取締役らは,悪意又は重大な過失により,会社が行うべき労働者の生命・健康を損なうことがないような体制の構築と長時間労働の是正方策の実行に関して任務懈怠があったことは明らかであり,その結果Aの死亡という結果を招いたのであるから,会社法429条1項に基づく責任を負うというべきである。
そして,同様の理由から,控訴人取締役らの不法行為責任も優に認めることができる。」
(20) 原判決39頁23行目から24行目にかけての「であるため」を「が成立し」と改め,40頁1行目末尾に「それと併せて不法行為責任が成立し,控訴人取締役らは平成19年8月11日から遅延損害金の支払義務を負う。」を加える。
2 当審における控訴人らの補充主張に対する判断
(1) Aの労働時間
ア 朝の業務開始時刻
(ア) 控訴人らは,Aに対して命じていた業務開始時刻は午前10時であり,a店の開店準備作業はそれで十分に間に合うものであったこと,10時より早く出勤しているパート従業員の作業については,Aに一度観察しておくよう命じただけであって,A自身に行うよう命じたことはなく,むしろ,B店長やC調理長はAの早朝出勤を何度も禁止していたこと,Aが早朝出勤していたのは個人的事情によるものであることを主張する。
(イ) しかしながら,まず,Aは新入社員であり,控訴人らも主張するとおり,本件勤務期間中Aが行っていた作業の目的には,未だ慣れない業務全般に対する理解を高めることも含まれていたと解されるから,同人が早朝に行っていた作業が厳密な意味でa店の開業準備行為として必須なものとして他の従業員の行うべき作業の分担・肩代わりとなるほどのものではなかったとしても,業務理解に必要な作業に費やされた時間を労働時間から外して考えることはできないというべきである。C調理長が,Aにカードキーが渡っておりこれによってAが早朝に出勤可能であることを認識しながら,特に注意しなかったことも,一方では,Aの行っている早朝の作業が,Aが習得すべき業務全般の理解という面からは問題のないものであると感じていたためであると考えられる。
また,B店長やC調理長の出勤時間に関する指示は,早く来ても勤怠実績表に付かないから10時に間に合えばよい,あるいは定時出勤でよいという程度のものであって(<人証省略>),専らAの給与面の利害に関する指摘に止まっており,これをもって,会社としては早朝の勤務が好ましくないと考えていてそれを禁じている趣旨であるとAが認識することは困難であったと考えられる。控訴人はこのような注意方法はAの勤労意欲を減退させないようにとの配慮によるものである旨主張するが,勤労意欲の強い社員に対して,その社員の個人的利害を説く方法が相当であるとは考えられない。会社として早朝勤務を禁じるのであれば,その旨直截に伝える方法を採るべきであったのに,これを採らなかったのは,後記のとおり,控訴人会社において各現場店舗の責任者である店長や調理長に過重労働の問題性を認識させる措置がとられておらず,B店長やC調理長にも,その認識が乏しかったためであると考えられる。
なお,Aが学生時代から早朝に起きる習慣を持っていたとしても,上記のとおり,Aとしては,控訴人会社の業務をできる限り早く身につけようとして早朝の出勤をしていたものであるから,本件勤務期間中の早朝出勤が単にAの個人的な事情にすぎないと認めることはできない。
イ 休憩時間
(ア) 控訴人らは,休憩時間は午後2時30分から4時30分まで2時間あったと主張し,休憩時間の直近に客からの注文があった日は少なく,かつそれにより必要とされる作業は他の従業員の業務であってAの休憩に影響を与えないこと,ミーティングは昼食とともにする簡単な業務上の確認程度のものであるので業務時間に含めるべきではないこと,Aの包丁の練習は勤務開始当初のみであり,C調理長が調理場の電気を消してまで禁じたことであること,A死亡後,休憩開始時及び終了時の打刻を実行させたところ,a店での従業員の平均休憩時間は2時間程度あったことなどを主張する。
(イ) この点に関する判断は原審判決の補正により説示したとおりであるが,Aの包丁の練習に関しては,材料の無駄使いという観点もあってC調理長が調理場の電気を消す措置をとってまで禁じていたことが認められる(<人証省略>)から,控訴人ら主張のとおり,休憩時間の算定に当たり,これを考慮に入れない。
ウ 月当たりの労働時間の計算方法
(ア) 控訴人らは,月当たりの労働時間の計算について,労働安全衛生規則に関する通達による算定方法を用いて,かつ,Aが入社した4月1日から起算して,1か月ごとに計算するのが相当であると主張する。
(イ) しかしながら,本件において過重労働であったか否かの判断をする際には,現実に起きたAの死亡との関係を考慮する必要があるから,労災認定における計算方法(死亡時から逆算して月々の労働時間を計算する方法でもある。)を採用することが相当であるし,本件では,別紙1と2の計算結果には有意の差が認められないことからすると,現実の時間外労働時間数からみて,控訴人らが主張する計算方法を採用した場合でも,業務の過重性の判断に違いを生じることはないというべきである。
(2) 業務と死亡との因果関係
ア 控訴人らは,労災認定における判断とは異なり,時間外労働時間数の多寡のみによって死亡との相当因果関係が肯定されるべきではないと主張し,Aの業務が負担の軽いものであったこと,Aの睡眠不足は,飲酒・パソコン等A自身の自己管理が不十分であることによるものであるから,仮に重篤な心疾患発症に業務起因性があるとしても,その寄与割合は相当程度減ぜられるべきであると主張する。
イ しかしながら,現行認定基準は,本件専門検討会報告を基礎として定められているものであるところ,(証拠省略)によれば,同報告は多数の医学専門家による検討を経てまとめられたものであり,長時間労働が健康に及ぼす影響について調べた医学的報告は同一条件の対照群を選ぶことに困難が伴うことから多くはないとしながらも,信頼に足りると評価しうる3つの調査をもとに,主に長時間労働が睡眠不足に及ぼす影響に着目して医学的な検討結果を示したものであり,同報告では,発症前1か月間におおむね100時間を超える時間外労働が認められる場合,発症前2か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と心臓疾患の発症との関連性が強いと判断されている。したがって,この内容を,本件において,経験則として重視することに何らの問題もないというべきである。
また,同報告において,上記基準時間以上の長時間労働が認められる場合でも労働時間のみをもって業務の過重性を評価することが適切でないとされているのは,「監視・断続労働のような原則として一定の部署にあって監視するのを本来の業務とし,常態として身体または精神的緊張の少ない場合や作業自体が本来間歇的に行われるもので,休憩時間が少ないが手待時間が多い場合等労働密度が特に低いと認められる場合」とされているところ,Aの労働密度がこのように特に低いものであったと認めることはできない。
なお,Aの自己管理の不十分さを認めるに足りる証拠が存在しないことは前記説示(原判決引用部分)のとおりである。
(3) 控訴人会社の責任
ア 本件給与体系
(ア) 控訴人らは,80時間分の時間外等割増手当を役割給として支給する給与体系は,80時間の時間外労働を前提として組み込んでいたと評価されるべきものではなく,むしろ,時間外労働時間の一応の目途を示すことにより,残業時間の長時間化を阻止することを期したものであると主張する。
(イ) しかしながら,控訴人らの主張は以下のとおり採用することができない。
本件給与体系においては,80時間の固定時間外労働手当及び固定深夜勤務手当を「役割給」という用語で表示しているものであるところ,控訴人らも主張するとおり,管理職あるいは専門職に関しては「役割給」との名称に合理性が認められる可能性もにわかに否定できないが,一般職に関してはこのような名称で固定時間外労働手当を表示する必要性は全くなく,むしろこのことによる弊害の可能性が高いというべきである。前記認定の控訴人会社の新卒採用募集概要を前提にすると,控訴人会社に応募する新入社員からみると,初任給として19万4500円が支給されるものと認識し,その金額を得るために80時間もの時間外労働を要するものとは認識できない。採用が決まった段階で交わされる雇用契約書において初めて,役割給が一定時間の時間外労働を前提とする手当であることを知るであろうが,その内容をより具体的に知るのはそのことについて詳しい説明がなされる入社後の研修においてということになる。このような状況で,社員の心理としては,当初予定した給与を得ようとするのが通常であるから,給与の減額を避けるためにも80時間以上の時間外労働を行う方向に誘導されるのは当然である。また店長等も部下に80時間より少ない時間外労働しか命令しないことは,部下の給与を入社時に示した金額より減額することになるので,躊躇を感じるはずである。
したがって,少なくとも一般職に関する限り,このような給与体系は,単に社員の募集に当たり給与条件を実際以上によく見せるためだけに作用するにすぎず,長時間労働の抑制に働くとはいえないものであって,80時間の時間外労働を組み込んだ給与体系であると評価されてもやむを得ないものである。
イ 三六協定の本件特別延長条項
(ア) 控訴人らは,本件特別延長条項も,予想外の事情により時間外労働の必要が発生した場合に備えたもので,1か月100時間としているからといって,同時間数の時間外労働をすることを予定したとすることはできないこと,労働基準法は,時間外労働の特別延長については,労使の自主的協議を尊重して具体的妥当性を実現しようとするものであるところ,これまで労働基準監督署から本件特別延長条項の是正の指導等を受けたことがないこと,外食産業界においては100時間の特別延長条項を有することはむしろ一般的であり,他の産業界においても同様の特別条項を設けることは珍しいことではないことなどを主張する。
(イ) 三六協定の時間外労働の特別延長に関する制度は,控訴人ら主張のとおり,特別の事情が生じた場合を想定したものであるが,平成15年10月22日付け厚生労働省告示第355号により,特別な事情は臨時的なものに限ると改正(平成16年4月1日から適用)されている(<証拠省略>)。控訴人会社の三六協定においても,「特別の事情・・・1イベント商戦に伴う業務の繁忙の対応,2予算決算業務」と記載している(<証拠省略>)のは,特別の事情に臨時性が必要であることを意識しているものと思われる。しかし,実際には,控訴人会社においては,前記認定のとおり,特段の繁忙期でもない4月ないし7月の時期においても,本件特別延長条項を適用せざるを得ない時間外労働の状況が毎月続いており,さらに本件特別延長条項をもってすら許されない100時間を超える時間外労働に従事させていることさえあるのである。控訴人らが主張するところでは,外食産業界においては,歓送迎会や忘年会などの特定の繁忙期とは無関係に,気候・天候・景況・消費動向・近隣の競合店の状況その他多様なしかも予測困難な要因によって,特定の時期以外の時期が繁忙になることがしばしばあるというのであり,このようなことを前提とすると,本件特別延長条項に記載されていた臨時の特別の事情とは無関係に,恒常的に三六協定に定めた1か月45時間の時間外労働を超える時間外労働を行う必要性があることになり,現にa店ではそのような状況であったのである。しかも前記認定のとおり,a店は控訴人会社の他の店舗と比べて特に忙しい店舗ではなく,平均的な忙しさの店舗で社員の負担も平均的な店舗であったのであるから,他店舗においても同様な労働環境であったものと推認される。したがって,本件特別延長条項が存在するゆえに控訴人会社の時間外労働が増えたというより,過大な時間外労働を行わせることが常態として存在しており,それを少しでも法的に許される形にするために本件特別延長条項が存在するが,それでも補いきれない労働状況にあったというほうが実情に近いと考えられる。
したがって,本件三六協定の存在のみが問題となるのではなく,むしろ,控訴人会社が,社員の恒常的な過大時間外労働の実情について認識しつつ,あるいは極めて容易に認識できたにもかかわらず,これを放置し,何ら実効性のある改善方策をとってこなかったことこそが安全配慮義務違反の主たる内容であると考えられる。
なお,控訴人らは,同業他社あるいは他の業界においても同様の内容の特別延長時間を定める三六協定が結ばれていると主張して(証拠省略)(<証拠省略>)を提出しているが,控訴人らの指摘する会社において,同様の内容の三六協定が結ばれているとしても,それらの会社の実情は全く不明であるから,その主張を控訴人らに有利に援用することはできない。
ウ 労災認定の現行認定基準
(ア) 控訴人は,労災認定に関する現行認定基準は,労災認定行政の政策的配慮により定められたものであり,労災認定以外の場面では一つの参考にすぎない上,国民を直接の対象とする法令でもなく,労働時間自体を規制する法令でもないから,現行認定基準により労働基準法秩序を実質的に変更することは許されないと主張する。
(イ) 控訴人らが主張するとおり,労災認定の指針である現行認定基準は労働基準法が規制する労働時間の規制とは異なる局面で作用するものであるから,現行認定基準に規定する時間以上の特別延長時間を定める三六協定の存在がそのことのみで違法と評価されるものではない。
しかしながら,使用者の労働者に対する雇用契約上の安全配慮義務という法的局面においては,単に使用者が行政法令を守っていさえすれば,安全配慮義務違反にならないというものではない。現行認定基準が発出される以前から過重労働と心臓疾患との関係については一般社会が認識するものとなっており,とりわけ著名な訴訟事件について過重労働と心臓疾患あるいは脳疾患との関係を認める判例も積み重ねられてきていたこと(<証拠省略>,本件専門検討会報告参照),これら事件は一般にも報道されてきたことは当裁判所に顕著な事実であるところ,これらを踏まえた上で本件専門検討会報告に基づいて厚生労働省によって定められた現行認定基準が発出されたものであり,これが発出されてから本件事故の発生までには5年以上が経過しており,その内容は控訴人会社にとっても十分認識可能な状況であったと考えられる。したがって,控訴人会社としては,現行認定基準をも考慮にいれて,社員の長時間労働を抑制する措置をとることが要請されており,その際,現実に社員が長時間労働を行っていることを認識し,あるいは容易に認識可能であったにもかかわらず,長時間労働による災害から労働者を守るための適切な措置をとらないことによって災害が発生すれば,安全配慮義務に違反したと評価されることは当然のことである。
エ 労働時間の把握状況
(ア) 控訴人らは,控訴人会社が全国にわたって600店舗以上の店舗を展開している実情から,店長や地域ごとの管理責任者によって労働時間を把握して,勤務時間の長い従業員については,地域ごとの管理責任者から店長を通じて注意する体制が取られており,勤務時間や休日の指定についても,長時間ないし連続の勤務とならないようきめ細かな配慮を行っていた,新入社員の配属も指導を行う余裕のある店舗を選んでおり,人事部担当者が各配属先を訪問して個別に面談し・労働環境の点検・検討・是正をする等の管理体制をとっていたと主張する。
(イ) しかしながら,前記認定のとおり,Aの入社後研修においてもI部長が給与の説明に当たり1か月300時間の労働時間を例にあげていた状況であったし,人事管理部においても勤務時間のチェックは任務に入っておらず,店長に配布されている店舗管理マニュアルには,社員の長時間労働の抑制に関する記載は全く存在していないし,人事担当者による新入社員の個別面談においても,長時間労働の抑制に関して点検を行ったことを認めるべき証拠はない。
Aの休日についても,7月22日にAが急性アルコール中毒に倒れた際に3日間の休日を与えたものの,これを除けば,雇用契約書に記載されていた月9日の休日には遠く及ばないものであった。
したがって,控訴人会社が社員の長時間労働の抑制のために,社員の労働時間を把握し,長時間労働の是正のための適切な措置をとっていたとは認められない。
オ Aに対する健康診断
(ア) 控訴人らは,控訴人会社がAの入社直後の健康診断を実施しなかったのは,一斉に健康診断を行う会場を確保することができなかったためにすぎず,入社時の健康診断の実施に数か月の遅れが生じることがあったとしても,安全配慮義務に違反したということはできない,また,Aの心臓突然死の発症原因は不詳であるから,健康診断を実施していなかったことをもって,Aの死と因果関係のある安全配慮義務違反を構成する事実とみることはできないと主張する。
(イ) 当裁判所は,控訴人会社が入社直後の健康診断を実施していなかったことが安全配慮義務違反であると判断するものではない。しかしながら,健康診断により,外見のみからではわからない社員の健康に関する何らかの問題徴候が発見されることもあり,それが疾病の発生にまで至ることを避けるために業務上の配慮を行う必要がある場合もあるのである。新入社員の健康診断は,必ずしも一斉に行わねばならないものではなく,適宜の方法で行うことが可能なのであるから,控訴人会社が入社時の健康診断を自ら就業規則に定めながらこれを行わなかったことを,控訴人会社の社員の健康に関する安全配慮義務への視点の弱さを表す事実の一つとして指摘することは不当ではない。
カ 予見可能性
(ア) 控訴人らは,控訴人会社の安全配慮義務違反が認定されるには,控訴人会社がAについて心疾患による重篤な症状が生じる可能性を認識していたか,認識し得たことが必要であるところ,Aには生前体調が悪い様子はなく,Aの死亡に至った疾患の原因は不詳なのであるから,Aの生前に控訴人会社がAに心疾患による重篤な症状が生ずることを予見することは不可能である旨主張する。
(イ) しかしながら,本件専門検討会報告は,本件と同様の心疾患発生の医学的機序が不明とされる事案においても長時間労働と災害との因果関係の蓋然性を認めるものであるところ,多数の社員に長時間労働をさせておれば,そのような疾患が誰かには発生しうる蓋然性は予見できるのであるから,現実に疾患がどの個人に発生するかまで予見しなくとも,災害発生の予見可能性はあったと考えるべきである。
(4) 控訴人取締役らの責任について
ア 控訴人らは,会社の安全配慮義務違反が問われる場合であっても,取締役の責任は直ちに肯定されるのではなく,経営判断上の裁量権の行使が適正であったか否かが論じられるべきであるとし,労働時間に関する経営判断においては,多岐の事情を総合的に考慮する必要があるので,現行認定基準の内容をそのまま賃金体系や三六協定の内容とすることは不合理であり,店長等店舗管理者による労働時間の適切な管理を促進して時間外労働の長期化を避けるべく必要な体制を構築しており,また,控訴人会社の三六協定及び賃金体系等とAの突然死との間に相当因果関係はなく,控訴人取締役らは,これらの協定等の下で働いている従業員らが恒常的に長時間勤務による過重負担を被ったり,死亡する事態が生じる等とは全く考えてもおらず,悪意重過失はなかったと主張する。
イ 当裁判所は,控訴人会社の安全配慮義務違反の内容として給与体系や三六協定の状況のみを取り上げているものではなく,控訴人会社の労働者の至高の法益である生命・健康の重大さに鑑みて,これにより高い価値を置くべきであると考慮するものであって,控訴人会社において現実に全社的かつ恒常的に存在していた社員の長時間労働について,これを抑制する措置がとられていなかったことをもって安全配慮義務違反と判断しており,控訴人取締役らの責任についても,現実に従業員の多数が長時間労働に従事していることを認識していたかあるいは極めて容易に認識し得たにもかかわらず,控訴人会社にこれを放置させ是正させるための措置を取らせていなかったことをもって善管注意義務違反があると判断するものであるから,控訴人取締役らの責任を否定する上記の控訴人らの主張は失当である。なお,不法行為責任についても同断である。
ウ 控訴人Y5は管理本部長,控訴人Y3は店舗本部長,控訴人Y4は支社長であって,業務執行全般を行う代表取締役ではないものの,Aの勤務実態を容易に認識しうる立場にあるのであるから,控訴人会社の労働者の極めて重大な法益である生命・健康を損なうことがないような体制を構築し,長時間勤務による過重労働を抑制する措置を採る義務があることは明らかであり,この点の義務懈怠において悪意又は重過失が認められる。そして,控訴人Y2は代表取締役であり,自ら業務執行全般を担当する権限がある上,仮に過重労働の抑制等の事項については他の控訴人らに任せていたとしても,それによって自らの注意義務を免れることができないことは明らかである(最高裁昭和39年(オ)第1175号同44年11月26日大法廷判決・民集23巻11号2150頁参照)。また,人件費が営業費用の大きな部分を占める外食産業においては,会社で稼働する労働者をいかに有効に活用し,その持てる力を最大限に引き出していくかという点が経営における最大の関心事の一つになっていると考えられるところ,自社の労働者の勤務実態について控訴人取締役らが極めて深い関心を寄せるであろうことは当然のことであって,責任感のある誠実な経営者であれば自社の労働者の至高の法益である生命・健康を損なうことがないような体制を構築し,長時間勤務による過重労働を抑制する措置を採る義務があることは自明であり,この点の義務懈怠によって不幸にも労働者が死に至った場合においては悪意又は重過失が認められるのはやむを得ないところである。なお,不法行為責任についても同断である。
3 以上によれば,被控訴人らの請求は,少なくとも原判決が認容した限度においては理由があり,原判決は相当であって,本件各控訴はいずれも理由がない(より正確には,控訴人取締役らに対する遅延損害金は平成19年8月11日から支払義務が生じるが,控訴人らのみ控訴した本件においては原判決を控訴人らの不利益に変更することは許されないので,結局本件控訴は理由がないことに帰する。)。
よって,本件各控訴をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂本倫城 裁判官 西垣昭利 裁判官 森實将人)