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大阪高等裁判所 平成22年(ネ)490号 判決 2012年3月16日

別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  本件各控訴をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して一億一七六九万九九〇六円及びこれに対する平成一五年九月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

(4)  仮執行宣言

二  被控訴人ら

主文同旨

第二事案の概要

一  本件は、C1ことC(以下「C」という。)が、奈良県警察の警察官の発砲行為(以下「本件発砲」という。)により死亡したことに関し、Cの母親である控訴人が、本件発砲は違法であると主張して、被控訴人奈良県に対しては国家賠償法一条一項に基づき、本件発砲に関与したその余の被控訴人ら(以下「被控訴人警察官ら」ということがある。)に対しては民法七〇九条、七一九条二項に基づき、一億一七六九万九九〇六円の損害賠償及びこれに対する不法行為の日である平成一五年九月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。

原審は、控訴人の請求をいずれも棄却したため、控訴人がこれを不服として控訴を申し立てた。

二  前提事実(当事者間に争いのない事実並びに証拠<省略>により容易に認められる事実)

(1)  当事者等

ア 控訴人は、大韓民国の国籍を有する者であるが、本件発砲により死亡したCの母親であり、Cの相続人である。

イ 被控訴人奈良県は、奈良県警察を設置する普通地方公共団体である。

被控訴人Y1(以下「被控訴人Y1」という。)は、本件発砲当時(以下同じ。)、巡査部長として、奈良県橿原警察署a課強行犯係に勤務していた警察官である。

被控訴人Y2(以下「被控訴人Y2」という。)は、巡査部長として、奈良県警察本部刑事部b隊に勤務していた警察官である。

被控訴人Y3(以下「被控訴人Y3」という。)は巡査長として、被控訴人Y4(以下「被控訴人Y4」という。)は、巡査として、それぞれ、奈良県警察本部生活安全部c隊に勤務していた警察官である。

(2)  本件発砲

被控訴人Y4、同Y2及び同Y3は、平成一五年九月一〇日午後六時四五分ころ、奈良県大和郡<以下省略>先国道二四号線北行き(京都方面行き)車線「下三橋町北」交差点南方(以下「本件現場」という。)において、奈良県橿原警察署管内で発生した窃盗事件の容疑車両として警察車両に追尾されていたD(当時二六歳。以下「D」という。)運転の普通乗用自動車(右ハンドル、ナンバー<省略>、日産セドリック、白色。以下「D車両」という。)に向けてけん銃を合計八発発砲したところ(以下、発砲順に「第一発砲」ないし「第八発砲」という。)、そのうち被控訴人Y2及び同Y3が発砲した二発の弾丸がD車両の助手席に乗車していたCの左後頭乳突部ないし左後頸部にそれぞれ命中した。

(3)  Cの死亡

Cは、本件発砲当日、大和郡山市内の山本病院に救急搬送されて弾丸の摘出手術を受け、同日、奈良県立医科大学附属病院に転院したが、平成一五年一〇月五日午前八時三〇分、頸部射創による頸髄挫滅に基づく低酸素脳症により二八歳で死亡した。

三  争点

(1)  本件発砲が国家賠償法上違法・有責といえるか。

ア 警察官職務執行法七条所定の要件該当性(争点一)

イ Cの死亡についての故意の有無(争点二)

ウ Cの死亡についての過失の有無(争点三)

(2)  被控訴人警察官ら個人の不法行為責任の有無(争点四)

(3)  損害額(争点五)

三  争点についての当事者の主張

(1)  争点一(警察官職務執行法七条所定の要件該当性)について

(被控訴人らの主張)

ア 本件発砲は、警察官職務執行法(昭和二三年法律第一三六号。以下「法」ということがある。)七条本文に規定する「けん銃の使用要件」を充足し、同条ただし書に規定する「危害許容要件」をも充足するものであるから、法の規定する手続に則った適法な職務執行である。

上記「けん銃の使用要件」とは、

ⅰ 犯人の逮捕若しくは逃走の防止のため

ⅱ 自己若しくは他人に対する防護のため

ⅲ 公務執行に対する抵抗の抑止のため

のいずれかの場合において、けん銃使用が必要であると認める相当な理由があり、事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、けん銃の使用が可能であるというものである。

本件のように、

① 橿原市内において、前後を警察車両に挟まれた状態で、警察車両に自車(D車両)を激突させて隙間を広げて逃走する公務執行妨害事件の犯人として被疑者(D車両の運転者)を逮捕する必要がある

② 本件現場において、停止を命じる警察官に向けて自車(D車両)を突進させ、あるいは道路端に避譲した一般車両に自車を激突させる運転者から、警察官自身及び一般市民の生命、身体を防護する必要がある

③ 警察官の停止命令に従わず、警察車両及び一般車両に自車を激突させて逃走を図るなど、警察官の公務執行に対する強度の抵抗を抑止する必要がある

という状況の中で、警棒等を使用してD車両の窓ガラスを破壊することができなかった(運転席側窓ガラスは、少なくともD車両が動いている状況の中では密着したスモークフィルムと一体となって相当の強度を保っていたのであり、剥がれていた事実はない。)以上、同車両を停止させてその運転者を逮捕し、一般市民や警察官の生命、身体を防護するためには、けん銃を使用する以外に方法はないと判断したことには相当の理由がある。さらに、相手に対する危害を最小限に抑えるため、身体の枢要部を外して運転者の前腕部又は上腕部をねらって発砲しており、事態に応じ合理的に必要と判断される限度でのけん銃使用であった。また、仮に警察官らがD車両の窓ガラスを割ることができたとしても、凶暴に動き回って強固に逃走を図っていたD車両の運転席ドアに近付いて併走しつつエンジンを切って停止させることは不可能であったし、被控訴人Y2及び同Y3は、発砲時点において、D車両の前後には警察車両、D車両の右横(運転席側)には一般車両の車列がそれぞれ存在しており、D車両の運転席側へ回り込むことはできなかった。

イ 本件発砲は、いずれも法七条ただし書に規定する「危害許容要件」をも充足する。

(ア) まず、本件発砲は、いずれも刑法三六条所定の正当防衛の要件を満たすものであった。すなわち、D車両は、被控訴人Y4らが乗車する警察車両に自車を激突させてその前方へ割り込み、更に一般車両や警察車両に激突させたかと思うと、続いて急に後退し、再度警察車両に激突させた後、被控訴人Y4らの方向に急発進することなどを繰り返しており、D車両逃走のために、それら車両に乗車する一般市民・警察官の生命、身体に対する侵害が迫っていた。この状況は、第一発砲から第八発砲までの間、継続していたから、被控訴人Y4、同Y2及び同Y3による各発砲の時点において、「急迫不正の侵害」が現存していた。

また、D車両は、再三の警察官の警告にも従わなかったこと、けん銃の銃床等により窓ガラスを破壊して停止させようとしたが効果がなかったこと、上記のとおり、D車両は一般車両と警察車両との間を突破しようとして前進、後退を行って逃走を図っていたこと、けん銃をD車両の車内に向けて止まるよう警告したが効果がなかったこと、D車両のタイヤをねらえば跳弾等の危険が高かったことなどの事情から、その事態の急迫性にかんがみ、もはや運転者に向けて発砲するしかないと判断すべき状況であったといえるし、その防衛行為は、危害を最小限に抑えるため身体の枢要部ではなく、運転者の前腕部ないし上腕部をねらって撃ったもので、一般市民や警察官の生命、身体に対する侵害と比較しても法益の均衡を失するものではなく、防衛手段としても相当であるから、本件発砲は「やむを得ない防衛行為」であった。

(イ) さらに、本件発砲は、いずれも「兇悪犯人の逮捕等」の要件を満たすものでもあった。すなわち、D車両は、

① 橿原市内において、警察車両に自車を激突させて逃走するという公務執行妨害事件を起こしていること

② 橿原市内から約二〇kmの距離を、時速一〇〇kmを超える猛スピードでの暴走、信号無視、対向車線にはみ出して対向車と正面衝突を辞さない走行などの交通違反、一般車両に対する衝突、一般歩行者に対する危険行為等を繰り返して逃走していたこと

③ 本件現場付近において、警察官の警告にも従わず、自車を急激に前進・後退させて、一般車両及び警察車両に激突させるなど、逃走するために、車両を凶器として警察官の職務執行に対し強度の抵抗をしていたこと

④ 停止を命じる警察官の方向へD車両を突進させたこと

から、Dにおいては、公務執行妨害罪(三年以下の懲役若しくは禁錮又は五〇万円以下の罰金)、殺人未遂罪(死刑又は無期若しくは五年以上の懲役)等を敢行するものであり、その行為態様を見ても、正に「兇悪な罪を犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者」(法七条ただし書一号)に該当する。

そして、上記のとおり、D車両は、正に警察官の職務の執行に対して抵抗し、かつ逃亡しようとしていたこと、被控訴人警察官らは、けん銃の銃床や特殊警棒等を使用してD車両の窓ガラスを破壊して停止させようとしたが効果がなく、他に有効な装備資機材がなかったこと、けん銃を運転者に向けて止まるよう警告したが効果がなかったことなどに照らすと、D車両を停止させて同車両の運転者を逮捕するためには、けん銃を使って運転者の運転能力を奪うしか他に手段がないと認められる状況であった。

第一発砲は事態が急迫であって威嚇射撃をするいとまがなく、その後の七発の発砲は威嚇射撃をしてもD車両が停止することはあり得ないと認めるべき状況であったから、威嚇射撃を必要としない状況にあった。

ウ 控訴人は、本件発砲前後の事実についてのDの供述は信用性がないと主張するが、同人の供述調書は、記憶のある範囲で記憶どおりに文章化されたものであり、同人が相当強度の逃走意思を持って無謀な逃走行為を継続していたことは明らかである。

また、前記のとおり本件発砲は身体の枢要部ではなく、運転者の前腕部ないし上腕部をねらったもので、D車両が至近距離で横方向に一定しない速度で進行していたことに対する反応遅れなどによってねらいが外れたにすぎない。

(控訴人の主張)

ア 法七条本文は、警察官は、「犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合」(武器使用の必要性)に、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において」(比例原則)武器を使用することができると定めている。また、同条ただし書は、刑法上の正当防衛、緊急避難に該当する場合、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たる凶悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃走しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗しようとするとき、「これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」(同条ただし書一号)を除いては、人に危害を与えてはならないと規定している。

したがって、本件発砲が法令に基づく正当な行為とされるためには、第一発砲ないし第八発砲の各発砲ごとの状況を判断して、いずれも上記の各要件を充足することが必要であるが、以下のとおり、本件発砲は、武器使用の必要性、比例原則の要件を欠き、法七条ただし書の要件も充足しない違法なものである。

イ 被控訴人警察官らは、「下三橋町北」交差点付近において、奈良県警察本部の無線指令により、同交差点の北行き車線の交差点内に北行き二車線をふさぐ形で大型警察車両を東向きに停車させ、同時に同交差点手前で渋滞していた北行き一般車両(二車線とも)に対し、警察車両に進路を譲るように左右に寄せて中央を開けさせて停車させ、道路中央には警察車両が停車し、そこにD車両を追い込む状況が作られていた。D車両は、警察車両の追尾を受けながら「下三橋町北」交差点に向かって南から進行した結果、上記多数の車両が既に停車している間に追い込まれ、前後を警察車両に、左右を一般車両に囲まれて、逃走は不可能又は極めて困難な状況となっていた。このように必要にして十分な逃走防止措置が組織的かつ意図的にされた状況においては、ガラスクラッシャー等窓ガラスを割るための器具を警察車両から取り出すなどした上、警告し、車両の停止を命ずるのが相当であるのに、被控訴人Y4は、警察車両を降車する時点で直ちにけん銃を取り出し、銃床でD車両の運転席側窓ガラスを叩き割ろうとするなどし、このような異常な行動がかえってD車両を運転するDを著しく刺激し、恐怖心をあおり、急加速や衝突、前進・後退等の行動に駆り立てた疑いが強い。その後の被控訴人Y4の発砲行為は、更にDを刺激し、冷静さをより失わせる不適切な行動であった。そして、被控訴人警察官らは、強化ガラスであったD車両の運転席側窓ガラスが被控訴人Y4による第一発砲によって細かく粉砕され、容易に外すことができることを認識していたし(このことは第六発砲後の助手席側窓ガラスについても同様である。)、上記運転席側窓ガラスは少なくともD車両が動いている状況の中で剥がれていた。また、被控訴人警察官らは、仮にけん銃を使用するとしても、D車両が時速二〇kmを超えない低速走行しかできず、跳弾等の危険がなかったのであるから、タイヤを撃ってパンクさせるなどすべきであった。

Cに対する直接の加害行為である被控訴人Y2及び同Y3の各発砲が行われた時点では、D車両は、急発進や前進・後退を繰り返すような状況にはなく、むしろ前後を警察車両によって物理的に挟まれた状態であり、前後の警察車両には警察官が乗車して車両を運転・操縦していたことに照らし、ほとんど動けない状況にあったのであり(D車両の速度は被控訴人らの主張によっても時速五ないし七km程度であった。)、夕方で渋滞気味であったという交通事情もあり、制止と逮捕は時間の問題であった。また、Cは、D車両の運転を行っていなかったから、その身体枢要部に対する発砲は運転阻止という目的に適うものではなかった。そうすると、被控訴人Y2及び同Y3による各発砲については、一層けん銃を発砲する必要性は認められず、比例原則にも違反するものであるし、刑法上の正当防衛として人に危害を加えることが許される場合に該当するような「急迫不正の侵害」は存在しなかったといわざるを得ない。

ウ 仮に、D車両が「下三橋町北」交差点付近から逃走することが物理的に不可能といえるような状況でなかったとしても、警察官の武器使用により人に危害を加えることが許されるためには、自己又は第三者の権利を防衛するため「やむを得ずにした行為」であること、若しくは逃走を防ぎ又は逮捕するために「他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」であることが必要である。

しかし、本件においては、発砲行為以前に、警察車両でD車両を取り囲むか、適切な器具を使用してD車両の窓ガラスを破壊することができたはずであり、そうすればエンジンの停止、威嚇や制止はより容易であった。また、D車両の助手席側だけではなく、運転席側に警察官が回り込み、窓ガラスを破壊し、威嚇や警告、エンジンを停止させることもできたはずであった。被控訴人Y2及び同Y3は、D車両の運転席側に行けたのに行かず、助手席側から車内にいる人物の上半身(頭部)という身体枢要部に向けて合計三発もの弾丸を発砲しているのであり、かかる発砲行為は、「やむを得ずにした行為」にも「他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由のある場合」にも該当せず、相当性の要件を欠くことが明らかである。

エ なお、Dは、本件発砲による記憶障害等の後遺障害を負ったのであり、本件発砲前後の事実については断片的記憶しか残っていないから、同事実についてのDの供述は信用性がない。また、一般車両の被害のほとんどが擦過痕にすぎないことからすると、「激突」等の一般車両の乗員の供述は誇張されたものである。

さらに、発砲時の立ち位置や姿勢、照準点についての被控訴人警察官らの供述は、着弾点がD車両の上部であったこと等の客観的事実や、弾道予測からいって信用できない。また、「反応遅れ」は、他動的な起動意思に伴うものであるところ、自発的な時点が基点となるけん銃の発砲意思とは相容れない概念であり、反応遅れや動態(動体)予測の誤差によって照準点と実際の弾道とが大きくずれたことを説明することはできない。

(2)  争点二(Cの死亡についての故意の有無)について

(控訴人の主張)

被控訴人Y4、同Y2及び同Y3は、いずれも、D車両の至近距離から車内に向けて、殺傷能力が極めて高いけん銃を合計八発も発砲した。特に、被控訴人Y2及び同Y3は、いずれも、D車両助手席ドアの横(Cに対して真横)からほぼ水平に車内に向けて合計三発発砲し、うち二発がCに命中した。被控訴人Y2が撃った弾丸は、助手席側窓ガラスを貫通し、助手席に同乗していたCの左後頭乳突部に命中した。被控訴人Y3は助手席窓ガラス面からわずか一〇cm程度という至近距離から発砲したところ、撃った二発の弾丸のうち一発は、助手席側窓ガラスを貫通してCの左後頸部に命中し、もう一発の弾丸も、助手席側窓ガラスを貫通し、運転席にいたDの左後頭部に命中した。

被控訴人Y4が発砲した弾丸はCには命中しなかったが、五発の弾丸のうち一発目はDの頭部の至近距離を通過し、二発目は運転席側センターピラーに着弾し、三発目は助手席ヘッドレストを貫通し、四発目は運転席ヘッドレストに命中し、五発目は助手席ヘッドレストに命中した。つまり、被控訴人Y4が発砲した五発の弾丸は、弾道・着弾位置がわずか数cmずれただけで、Dや助手席にいたCの頭部に命中する危険があった。

このように、被控訴人Y4、同Y2及び同Y3は、けん銃を合計八発も至近距離から発砲し、D又はCの身体枢要部又はこれに相当する地点に弾丸をことごとく命中させたのであり、被控訴人Y4、同Y2及び同Y3にはCに対する確定的殺意、あるいは少なくとも未必の殺意があったことは明らかである。

(被控訴人らの主張)

被控訴人Y4、同Y2及び同Y3には、Cに対する殺意など存在しなかった。同人らは、D車両を停止させることだけを考えていたのであり、助手席にいる者に危害を加えてもD車両を停止させることはできないから、助手席にいるCに向けて発砲する理由は全くなかった。

そもそも、結果において、被控訴人Y4が発砲した弾丸は、すべてD及びCの身体に当たっていない。被控訴人Y4は、運転者(D)に対する危害を最小限にするために身体の枢要部は避け、いずれも、運転者の前腕部(手から肘)ないし上腕部(肘から肩)をねらうとともに、跳弾や流弾で周囲の者に危害が及ばないように銃口をやや下に向けて発砲したのである。被控訴人Y4のねらいが外れた理由は、D車両の不規則な動き(速度面及び進行方向面での不規則性)とこれに対する反応遅れや、被控訴人Y4自身が危難を避けつつ発砲せざるを得なかったため必ずしも万全の姿勢で発砲できたわけではないことなどにあるのであって、実際の着弾地点をねらって発砲した事実はない。

また、被控訴人Y2及び同Y3は、いずれも、D車両の助手席側ドアミラーの横の位置から、運転者への危害を最小限にするために運転者の前腕部をねらうとともに(ただし、D車両の車内の視認性は悪かった。)、跳弾や流弾で周囲の者に危害が及ばないように銃口をやや下に向けて発砲したのであって、助手席にいたCをねらって発砲した事実はない。

(3)  争点三(Cの死亡についての過失の有無)について

(控訴人の主張)

警察官等けん銃使用及び取扱い規範(国家公安委員会規則第七号。以下「規範」という。)八条二項は、警察官が、法七条ただし書所定の場合に、相手に向けてけん銃を撃つときは、「相手以外の者に危害を及ぼし、又は損害を与えないよう、事態の急迫の程度、周囲の状況その他の事情に応じ、必要な注意を払わなければならない」と定めている。これにより、被控訴人Y2及び同Y3は、D車両の助手席に同乗していたCに危害を及ぼし、又は損害を与えないよう、事態の急迫の程度、周囲の状況その他の事情に応じ、必要な注意を払うべき注意義務を負っていた。

すなわち、被控訴人Y2及び同Y3は、一定しない速度で前進を続けるD車両の車内に向けて助手席側からけん銃を発砲すれば、弾丸が、ねらったはずのDの腕に命中せず、Dの手前にいるCの頭部ないし頸部に命中するかもしれないことを予見し得たにもかかわらず、窓ガラスにスモークフィルムが貼られて車内の様子が外から見通すことができないのに、単なる経験と推測だけでC及びDの姿勢等を断定し、Cには弾丸が決して当たらないような何らかの措置をとることなく、至近距離からD車両の車内に向けて発砲したのであり、かかる発砲は、客観的にはCに弾丸が当たることをいとわない「乱射」であったというほかない。

したがって、被控訴人Y2及び同Y3は、本件発砲を中止すべきであり、もし発砲するのであればCに弾丸が決して当たらないような措置をとるべきであったのにこれを怠ったのであるから、重大な過失がある。

(被控訴人らの主張)

被控訴人Y2及び同Y3は、D車両が激しく不安定な走行状況であったことに加え、助手席側ドアミラー付近からけん銃を構えて大声で「止まれ。撃つぞ。」などと何度も大声で警告し続けていたことから、助手席に乗車している人物はシートの背もたれに背中を付ける格好で着席していると考え、助手席側から運転者の前腕部をねらって発砲するに際して、助手席の人間に危険が及ぶ可能性を最も低くするために、ドアミラー横という最も安全性の高い位置から、銃口をやや下に向けて発砲したのである。

また、本件発砲においては、被控訴人Y2及び同Y3の照準位置と着弾地点にズレが生じたが、これは、至近距離を左に動く標的に対する反応遅れが大きく起因していると考えられる。しかしながら、同人らは、至近距離を横方向に動く標的に対する射撃訓練は受けておらず、また反応遅れという観念を有していなかったのであるから、日ごろの射撃訓練における修正角度の数倍もの修正を施す必要性を認識・予測することは極めて困難であったといわざるを得ず、Dの前腕部をねらった弾丸がCの頭部ないし頸部に命中することを予見することはできなかった。

さらに、本件の状況において被控訴人Y2及び同Y3に結果回避義務を負担させることは、本件発砲の中止を強いることにほかならず、それは法秩序維持の任を担う警察官である被控訴人らの本件発砲が、D車両を停車させて一般車両に乗車する一般市民の生命、身体を防護するための正当防衛行為及び凶悪犯人の逮捕等のために他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由があるとして出た行為として必要であったことと矛盾する。

したがって、被控訴人Y2及び同Y3には、本件発砲について過失はなかった。

(4)  争点四(被控訴人警察官ら個人の不法行為責任の有無)について

(控訴人の主張)

ア 被控訴人警察官らについては、故意の殺人の共犯関係にあり、特に市民の生命を守るべき職務に従事している者として、個人としても不法行為責任を負うのが相当である。

イ まず、Cに弾丸を命中させた被控訴人Y2及び同Y3については、それぞれ、民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。

また、被控訴人Y1は、「撃て。」と言って、被控訴人Y4、同Y2及び同Y3による本件発砲をあおって助長した。したがって、被控訴人Y1は、民法七一九条二項により、被控訴人Y2及び同Y3と共同不法行為責任を負う。

さらに、被控訴人Y4は、けん銃を一気に五発も発砲してけん銃に装てんされていた弾丸をすべて撃ち尽くしたが、このことにより、本件現場では、けん銃を安易に発砲してもよいという雰囲気が形成された。被控訴人Y4がこのような雰囲気を自ら率先して作り出したことにより、被控訴人Y2及び同Y3の発砲を助長した。したがって、被控訴人Y4は、民法七一九条二項により、被控訴人Y2及び同Y3と共同不法行為責任を負う。

(被控訴人らの主張)

ア 上記のとおり、被控訴人警察官らによる本件発砲は、いずれも法令に基づく正当な行為であって違法性を具有しないばかりか、被控訴人奈良県の公権力の行使に当たる公務員として行ったものであるから、仮にそれらの行為が違法と評価される場合には、被控訴人奈良県が賠償の責任を負うことがあるのは格別、被控訴人警察官らが、個人として、直接控訴人に対する損害賠償責任を負うものではない。

イ なお、被控訴人Y1は、同Y4の最初の発砲のころに「撃て。」と言ったが、被控訴人Y2及び同Y3の発砲には全く影響を与えていない。そもそも、被控訴人Y2は、同Y1の「撃て。」という声を聞いていない。

また、被控訴人Y4による五発の発砲によって、けん銃を安易に発砲してもよいという雰囲気が作り出されたという事実は存しない。D車両は、被控訴人Y4の発砲の後、被控訴人Y2の発砲までに無人の警察車両を押し上げながら約一六mにわたって逃走を継続していたのであり、被控訴人Y2及び同Y3による発砲は、そのように逃走を継続していたD車両を停止させる必要性に基づいて行われたものである。

(5)  争点五(損害額)について

(控訴人の主張)

ア 治療費 一二万五七二六円

山本病院の四万七五〇〇円及び奈良県立医科大学の七万八二二六円の合計額

イ 入院雑費 五万二〇〇〇円

一日二〇〇〇円の二六日分

ウ 入院慰謝料 五二万円

二六日間

エ 葬儀費用 一九八万二一八〇円

オ 逸失利益 三五〇二万円

Cは死亡時二八歳であり、年齢別平均給与月額に基づく収入にライプニッツ係数を乗じ、生活費控除率を五〇%とする。

三四万三〇〇〇円×一二か月×一七・〇一七×〇・五≒三五〇二万円

カ 慰謝料 七〇〇〇万円

本件発砲は殺人罪に該当する残忍なもので、極限の恐怖を受け、二六日間にわたって生死をさまよい二八歳の若さで死亡したCの肉体的、精神的苦痛は甚大である。また、奈良県警察は治療中にCのカルテを押収し、謝罪しないだけでなく組織を挙げて被控訴人警察官らをかばうなどしており、これらによって控訴人ら遺族の精神的苦痛を増大させている。Cの慰謝料は五〇〇〇万円、控訴人の近親者としての慰謝料は二〇〇〇万円が相当である。

キ 弁護士費用 一〇〇〇万円

控訴人は、控訴人代理人らとの間で、損害賠償請求金額の一割に相当する一〇〇〇万円の報酬の支払を約した。

ク 合計 一億一七六九万九九〇六円

(被控訴人らの主張)

損害額についての控訴人の主張は、否認ないし争う。

第三当裁判所の判断

一  認定事実

第二の二の前提事実に加え、証拠<省略>を総合すると、以下の各事実が認められる。

(1)  D及びCによる窃盗(車上荒らし)事件等の発生

ア 平成一五年九月一〇日(以下、同日の出来事は時刻のみで表示する。)、Cは仮出獄中であったが、窃盗及び覚せい剤取締法違反の罪により執行猶予中であったDと共に窃盗(車上荒らし)をしようと企て、D車両に乗車して大阪府東大阪市から奈良方面に向かい、Dと共謀の上、①午後一時ころ、天理市内のパチンコ店駐車場において、同所に駐車中の普通乗用自動車内から、現金三万円及びクレジットカード等六点を窃取し、②午後四時三〇分ころ、橿原市内のパチンコ店駐車場において、同所に駐車中の普通乗用自動車内から、預金通帳一通ほか七点在中の封筒一通(時価合計約一万〇二〇〇円相当)を窃取し、③午後五時ころ、上記②と同じ駐車場において、同所に駐車中の普通乗用自動車内から、現金一〇万円及び現金二三二〇円各在中の封筒二通を窃取した。

イ また、Dは、午後三時ころ、上記ア②の駐車場において、覚せい剤結晶〇・〇五gを加熱し気化させて吸引する方法により、覚せい剤を使用した。

(2)  D及びCの逃走状況等

ア 奈良県警察本部は、午後五時一九分ころ、上記(1)ア③の被害者から一一〇番通報を受け、車上荒らしの被害が発生し、容疑者が自動車で逃走中であることを認知した。

イ 奈良県警察本部通信指令課からの無線指令により、奈良県橿原警察署及び奈良県警察本部刑事部b隊の警察官らが上記被害現場付近を検索したところ、午後六時一五分ころ、橿原市内でD車両を発見し、①橿原警察署のE巡査長が運転し、被控訴人Y1が同乗する警察車両(無線呼称橿原d号。以下「橿原d号」という。)、②上記b隊のF巡査長が運転し、被控訴人Y2が同乗する警察車両(無線呼称奈良e号。以下「奈良e号」という。)、③橿原警察署のG巡査部長が運転し、H警部補が同乗する警察車両(無線呼称橿原f号。以下「橿原f号」という。)の計三台がD車両の追跡を開始した。

ウ 午後六時二四分ころ、橿原市<以下省略>所在のg会館東側国道二四号線(北行き車線)上において、信号待ちのため停止したD車両に対し、被控訴人Y1が職務質問を行うために橿原d号から降車し、D車両の前に停車した一般車両の運転手に停車したままでいるよう協力を求めるなどしたところ、これに気付いたDらは、D車両を道路右側に進出させて急発進し、時速七〇ないし一〇〇kmで走行して逃走を開始したため、奈良e号及び橿原f号は、赤色灯を点灯しサイレンを吹鳴させるいわゆる緊急走行で追跡した。

エ D車両は、葛本中交差点で上記国道を左折西進し、道路幅員が四ないし五m程度の住宅地内の道路を時速五〇ないし六〇kmの速度で走行して逃走を図ったが、同市葛本町五二〇番地の五付近の三差路において、橿原f号と奈良e号に前後を挟まれて停止したことから、H警部補及びG巡査部長が、橿原f号を降車して職務質問を開始しようとしたところ、Dらは、二回にわたり、D車両を後退させ、奈良e号の左前部等にD車両後部等を衝突させ、奈良e号の左前バンパー等を凹損させた。

オ Dらは、上記のとおり、D車両を奈良e号に衝突させて後方の進路をこじ開けると、その左側をすり抜けて再び逃走を開始し、葛本中交差点で再び国道二四号線(北行き車線)に入った。そして、同国道上を前照灯を上向きにし、時折クラクションを鳴らしながら、時速一〇〇kmを超える速度で走行し、途中、信号無視や車線を逸脱しての強引な割り込みなどを繰り返し、一般車両二台と衝突事故を起こしながらも逃走を続けた。なお、D車両の逃走距離は、上記葛本中交差点から本件現場付近までで約一八kmに及ぶ。

他方、橿原d号、奈良e号及び橿原f号はいったんD車両を見失った。

カ 国道二四号線を北進していたD車両は、奈良県大和郡山市<以下省略>先「下三橋町」交差点で左折し、同交差点の一つ北側にある「下三橋町北」交差点で再び国道二四号線に出ると、今度は右折して南進を開始した。その後、D車両は、「下三橋町」交差点の一つ南側にある同市<以下省略>先「美濃庄町西」交差点で転回し、再度北行き車線に入って北進を開始した。

キ D車両が国道二四号線を再度北進し始めた際、D車両の前方では、橿原d号とc隊のI巡査部長(以下「I巡査部長」という。)が運転し、被控訴人Y3及び同Y4が同乗する警察車両(無線呼称奈良h号。以下「奈良h号」という。)が同国道を北進しながらD車両を検索中であり、また、D車両の後方からは、「下三橋町」交差点で同車両を発見した奈良e号がこれを追尾していた。

D車両の検索に当たった複数台の警察車両は、奈良県警察本部通信指令課に対して無線発報するなどして、互いに、D車両の助手席に同乗者がいることや逃走経路等についての情報を共有していた。そして、奈良h号を運転するI巡査部長は、同じくc隊のJ巡査部長及びK巡査が乗車する警察車両(無線呼称奈良i号)との二台の車両により、「下三橋町北」交差点より北方に位置する国道二四号線の「杏町」交差点で北進車両を停止させて自然渋滞を起こせば、D車両の逃走を防止できると考え、その旨を上記通信指令課に無線発報したところ、逆に、「下三橋町北」交差点と「杏町」交差点の間に位置する「西九条町南」交差点の北行き車線において、奈良警察署員が北進車両を停止させて自然渋滞を起こさせているので、「西九条町南」交差点で奈良警察署員と協力してD車両の逃走防止を図るよう指示を受けた(ただし、上記カのとおり、D車両は「下三橋町」交差点を左折して同国道からそれたため、上記指示によってはD車両の逃走を阻止することはできなかった。)。

ク Dらは、途中でD車両を乗り捨てて逃走しようと考え、午後六時三〇分ころ、Cが、携帯電話を使って、友人である甲原十夫に対し、第二阪奈道路宝来ランプ大阪方面側の入り口まで車で迎えに来るよう依頼した。

(3)  本件現場付近の状況

ア 本件現場付近の国道二四号線は片側二車線の幹線道路であるが、中央分離帯が設けられ、樹木が植えられている。歩道と車道との間にも樹木が植えられている部分がある。北行き車線(片側二車線)の幅員は合計で約七・一二三mであり、その道路右側(中央分離帯との間)には約一・三八三mの路側帯が、道路左側(歩道との間)には約〇・七四六mの路側帯がそれぞれ設けられている。そして、本件現場付近の国道二四号線は、直線で、かつアスファルト舗装された凹凸のない平坦な道路であり、見通しは良好である。また、奈良県公安委員会による速度規制はなく、最高速度は時速六〇kmである。

「下三橋町北」交差点は、信号機のあるT字路になった交差点であり、交差点から西方に市道が通じている。そして、国道二四号線の北行き車線には、停止線、横断歩道の道路標示がある。

「下三橋町北」交差点付近は、国道二四号線の両側に田が広がる地域であるが、同国道を北方へ進行すると、工場・商店・住宅等が密集する奈良市内の「西九条町南」交差点へ至り、更に北方では工場・学校・商店・住宅等の混在する奈良市の三条大路、二条大路と交差し、両通りを西進すると第二阪奈道路(自動車専用道路)の宝来ランプに至る。

イ 午後六時四五分ころ、「下三橋町北」交差点付近の北行き車線は、もともとタ刻の交通量が多い時間帯で混雑していた上、同時刻ころには、事故処理のための大型の警察車両(無線呼称郡山k号。以下「郡山k号」という。)が北行き車線で信号待ちをしていた一般車両の進行を阻むようにして同交差点内に横向きに停止し、そこに、後方から他の警察車両も緊急走行してきたことから、一般車両はそれぞれ左右両側に退避して数珠つなぎに停止し、道路中央部分に車両一台が進行できる程度の間隔が開いた状態になっていた。

(4)  本件発砲までの経緯

ア 橿原d号に引き続いて前記道路中央部分(左右に停止していた一般車両の車列の間)を走行していた奈良h号は、後方から前照灯をつけたD車両が急接近してくるのを発見し、これを停止させようと徐々に速度を落としたところ、D車両はあおるように奈良h号の真後ろに付いて蛇行運転を繰り返し、奈良h号が停止すると、奈良h号とその右前付近に停止していたトラックとのわずかな隙間に加速して進入し、奈良h号の右前部にD車両の左側面部を衝突させながら、奈良h号の前方に進出した(原判決添付の別図〔以下、単に「別図」という。〕細赤①、緑①参照。なお、別図は、平成一五年一〇月二八日作成の検証調書(甲二八)における現場見取図12の一部であるが、本件現場におけるD車両、警察車両及び一般車両の位置関係の概略を示すものであり、当裁判所が認定した事実のすべてを反映したものではない。)。

イ D車両は、奈良h号の前に出た後、いったん速度を落としたことから、奈良h号を運転していたI巡査部長は、Dらを公務執行妨害容疑で現行犯逮捕すべく、約一五m前方まで進出させて同車を停止させるとともに、被控訴人Y4及び同Y3に対し、「行け、行け。ガラス割れ。」などと指示し、両名を降車させた(別図緑②参照)。

被控訴人Y4は、それまでの逃走状況から、D車両を停止させるためには、発砲には至らなくても、相手に向けてけん銃を構えて警告する方法でのけん銃使用は必要となるかもしれないと判断するとともに、窓ガラスを割るには鉄製の銃床部分が適していると考え、降車後直ちに、腰に着けていたけん銃を取り出しながら、D車両の運転席側に駆け寄り、Dらの身柄を確保するため、運転席のドアに手を掛けたり、「止まれ。」などと叫んで停車を促すものの停車する気配がなかったことから、けん銃の銃床で運転席付近の窓ガラスを一〇回くらい叩いたが、ドアは内部から施錠されていて開けることができず、また、窓ガラスを割ることもできなかった。

本件当時、D車両のフロントガラスを除く窓ガラスには、外部から車内を見えにくくする目的で黒色フィルムが貼られており、また、日が暮れていたこともあり、運転席側及び助手席側の窓ガラス越しに車内の人物の位置等の様子を視認することは困難であった。

ウ 上記のとおり被控訴人Y4が窓ガラスを割ること等に失敗したところ、Dらは、逃走を継続すべく、白煙が上がるほど勢いよくD車両のエンジンを吹かし、同車両を道路左側に停止していたL運転の一般車両(以下「L車両」という。)の右後部とその右前方に停止していた橿原d号の左後部に衝突させ、橿原d号は衝突の衝撃で約四m以上前方に押し出された(別図細赤③、太赤②、紫①・②参照)。

D車両はなおもエンジン音を上げて橿原d号を押しのけようとしたことから、被控訴人Y4は、D車両の右前角付近に立ち、けん銃の銃口を上に向けて、「動くな。車を止めろ。撃つぞ。」などと大声で警告し、さらに、銃口をDに向けて同様に警告した。後れて駆けつけた被控訴人Y3は、運転席側窓ガラスを木製の警杖で数回叩いたが、窓ガラスを割ることができず、奈良h号から後れて降車したI巡査部長も運転席のドアを開けようとしたが、開けることができなかった。橿原d号から降車した被控訴人Y1も、特殊警棒でD車両のボンネットを二、三回叩きながら「止まれ。ドアを開けろ。」などと叫んだが、Dらはこの指示に従わず、D車両を急に後退させたことから、D車両の右フェンダー付近にいた被控訴人Y4と同Y3は、D車両との接触から逃れるために後方に飛びのいた。D車両は、加速したまま、後方約一四mの地点に停止していた無人の奈良h号の前部に再び衝突した(別図細赤④、緑②参照)。

(5)  被控訴人Y4が発砲した際の状況

ア 被控訴人Y4、同Y1及びI巡査部長の三名は、すぐにD車両の近くに駆け寄り、被控訴人Y4が右フェンダーから前方約〇・八mの地点、被控訴人Y1がボンネット中央から前方約一mの地点、被控訴人Y3が右角から約一・四m右側の地点にそれぞれ立ち、また、I巡査部長も運転席横約〇・三mの地点に立って、上記警察官四名でD車両を取り囲んだ。

被控訴人Y4は、もはやけん銃を使用するしかないと考え、けん銃の安全ゴムを外し、銃口を運転席のDに向けて両手で構え、「止まれ。止まらないと撃つぞ。」などと大声で連呼したが、Dは、進路前方に立っていた被控訴人Y1及び同Y4の方に向けて、タイヤが空転するほどにアクセルを踏み込んでD車両を急発進させたため、被控訴人Y4は、身をかわしながら、D車両の運転席が自己の右横約一・二五mのところを通過した際、銃口を下に向けて、Dの右前腕部を目掛けてけん銃を発砲した(第一発砲)。第一発砲とほぼ同時ころ、被控訴人Y1も同様に危険を感じ、左側に飛びのくとともに、「発砲。撃て。」と叫んでいた。

第一発砲による弾丸は、運転席側窓ガラスの下部から上に約一七cm、上部ピラーから下に約一五cm、センターピラーから前に約四四・五cmの位置に着弾して上記窓ガラスを貫通し、メーターパネルに当たって跳弾となり、運転席ドアポケットに入った。射入角(窓ガラスに垂直の線に対する前後左右の角度)は後方に約三五度、勾配角(射入口に対する上下の角度)は下向きに約二二度の角度であった。

イ D車両は、更に加速前進して前方道路左側のD車両及びそのすぐ前方に停止していたM運転の一般車両(以下「M車両」という。)の二台に順次衝突し、これらの車両を前方に押し出そうとした後(別図細赤⑤、太赤②・③参照)、再び後方に向けて急発進したことから、被控訴人Y4は、右側に飛びのきながら、D車両の運転席が自己の左横を通過する際、同車体から約一・七五mの位置から、銃口をやや下向きにして、Dの右前腕部を目掛けて発砲した(第二発砲)。

第二発砲による弾丸は、D車両右側のセンターピラーに着弾し、センターピラーのゴム枠にめり込んで止まった。射入角は後方に約二〇度、勾配角は下向きに約二五ないし二七度であった。

ウ D車両は、そのまま勢いよく後退し、再び奈良h号の前部に衝突して停止した。被控訴人Y4は、D車両の右フェンダーの前方約一・七mの進路上に立って、両手に持ったけん銃を前方に突き出してDを威嚇したが、D車両はすぐに急発進して前進を開始したことから、被控訴人Y4は、とっさに左に身をかわすと同時にのけ反りながら、D車両の右前部角から右斜め約一・三八mの地点で、跳弾を防ぐため銃口をやや下に向けて、フロントガラス越しにDの左上腕部を目掛けて発砲した(第三発砲)。

第三発砲による弾丸は、フロントガラスの中央やや運転席側(ボンネットからの高さ約四七cm、運転席側のサイドピラーから約五四cmの部位)に着弾して上記窓ガラスを貫通するとともに、更に助手席ヘッドレスト右端を貫通し、車内空間を経て後部トランク内に貫入した。射入角は左に約二一度、勾配角は下向きに約八度であった。

エ Dらは、第三発砲の後も、そのままD車両を前進させたことから、被控訴人Y4は、D車両が自己の横を通り過ぎる際、その運転席横約一・七五mの位置から、銃口をやや下向きにして、Dの右上腕部に向けて四発目を発砲した(第四発砲)。

第四発砲による弾丸は、D車両の右後部座席の窓ガラス(窓枠下部から約一八・五cm、窓ガラス前側端から約三三cmの部位)に着弾して上記窓ガラスを貫通し、運転席ヘッドレストに命中してその中で止まった。射入角は後方に約三五度、勾配角は下向きに約二〇度であった。

オ D車両は、なおも前進を続け、道路左側前方のM車両の右後部にD車両左前部を衝突させてこれを前方に押し出し、更に、車体を左右に振りながら加速と減速を繰り返してM車両とその右付近にいた橿原d号との間をすり抜けようとしたことから(別図細赤⑥、太赤③、紫②参照)、被控訴人Y4は、D車両の後方に駆け寄り、同車両右後部角から約二・五m、同車両右側面延長線上から内側へ約〇・二五mの位置から、銃口をやや下向きにして、D車両のリアガラス越しにDの右上腕部に向けて五発目を発砲した(第五発砲)。

第五発砲による弾丸は、リアガラスの下部から約三六cm、右後部ピラーから約三一・五cmの位置に着弾してリアガラスを貫通し、助手席ヘッドレストに命中した。射入角は右に約三〇度、勾配角は下向きに約一〇度であった。

カ D車両は、第五発砲の後もなお、橿原d号とM車両を押しのけるようにして前進を続け、さらに、M車両の前方に停車していたN運転の一般車両(以下「N車両」という。)にも自車左前部を衝突させた上、進路を右にとって橿原d号の前に進出した(別図細赤⑦、太赤④参照)。

(6)  被控訴人Y2及び同Y3がけん銃を発砲した際の状況

ア 橿原d号の前に進出したD車両は、その前部を前方に停止していた無人の警察車両(無線呼称奈良j号。以下「奈良j号」という。)の後部にやや右向きの角度で衝突させ、更にエンジン音を上げて奈良j号を左前方に押しながら、時速約五ないし七kmの一定しない速度で前進を続けた(別図細赤⑧、水色①参照)。

イ 被控訴人Y4が上記のとおりけん銃を発砲する中、D車両を後方から追いかけてきた被控訴人Y2及び同Y3は、D車両の真後ろに進出してきた橿原d号が妨げとなってD車両の運転席側に回れなかったため、それぞれ同車両の助手席側に回って助手席の真横付近に立ち、けん銃を取り出して両手で構え、前進するD車両に追随しながら、「止まれ。撃つぞ。」などと大声で警告した。

しかし、D車両は上記警告に従わず、停止する気配を見せなかったことから、被控訴人Y2は、D車両の助手席側ドアミラー付近で車体から一m以内の地点に立ち、地上から約一・二五mの位置に銃口を置き、銃口をやや下に向け、車内におけるD及びCの姿勢等を推測し、助手席側窓ガラス越しにハンドルを持つDの前腕部辺りをねらってけん銃を発砲した(第六発砲)。

第六発砲の着弾点は窓枠先端から約〇・九三五m、窓枠下から約〇・一八mの位置であり、弾丸は助手席に乗車していたCの左後頭乳突部に命中し、頭蓋骨の外板に長さ約一・五cmの線状骨折を生じさせて停弾した。

ウ D車両は、第六発砲後も停止せずに前進を続けたため、被控訴人Y3が「止まれ。止まらんと撃つぞ。」などと大声で警告したが、Dらはこれに従わなかったことから、被控訴人Y3は、D車両の助手席側ドアミラー付近で車体から一m以内の地点に立ち、地上から約一・三mの位置に銃口を置き、銃口をやや下に向け、車内におけるD及びCの姿勢等を推測し、助手席側窓ガラス越しにハンドルを持つDの前腕部をねらってけん銃を発砲した(第七発砲)。

第七発砲の着弾点は窓枠先端から約〇・八五五m、窓枠下から約〇・一三mの位置又は窓枠先端から約〇・八九m、窓枠下から約〇・二一五mの位置(両位置はそれぞれ第七発砲及び後記第八発砲の着弾点であるが、いずれの着弾点であるかは特定できない。)のいずれかであり、弾丸はCの左耳介付着部下端から七cm後方(左後頸部)に命中し、同人の右頸部で止まった。

エ D車両は、第七発砲後もなお奈良j号を左前方に押しのけ、さらに、道路右側に停止していたO運転の一般車両(以下「O車両」という。)の左前部に衝突しながら前進を続けた(別図細赤⑨、水色②、太赤⑤参照)ことから、被控訴人Y3は、D車両の助手席よりやや後ろ寄りで車体から約一m離れた地点に立ち、地上から約一・三mの位置に銃口を置き、銃口をやや下に向け、助手席側窓ガラス越しにハンドルを持つDの前腕部をねらって二発目を発砲した(第八発砲)。

第八発砲の着弾点は、上記のとおり、窓枠先端から約〇・八五五m、窓枠下から約〇・一三mの位置又は窓枠先端から約〇・八九m、窓枠下から約〇・二一五mの位置のいずれかであり、弾丸はDの左耳中央から約五cm後方の頭部(左後頭部)に命中し、頭蓋骨を陥没骨折させながら頭蓋骨と頭皮の間を通り、右項部僧帽筋に止まった。

オ 第八発砲によってDの運転能力が失われ、D車両は、エンジンの回転音を下げながら、O車両の前方に停止していたP運転の一般車両の右後部に衝突した(Pは、この衝突によって加療約一週間を要する頸部捻挫及び腰部捻挫の傷害を負った。)。それと同時に、D車両は奈良j号を左前方に押し出し、同車両を、道路左端に停止していたQ運転の一般車両(以下「Q車両」という。)の左後部に衝突させてようやく停止した(別図細赤⑩、水色②、太赤⑥・⑦参照)。D車両が停止した際、D車両に接触する位置まで橿原d号が前進してきており(別図紫⑤参照)、D車両の停止後、警察官がD車両の運転席側窓ガラスを引きはがし、I巡査部長がD車両のシフトレバーをパーキングに入れ、エンジンを切った。

カ D車両が最終的に停止した時点において、同車両の前方にあった警察車両は奈良j号と郡山k号のみであった。奈良j号はサイドブレーキを引かず、シフトレバーをパーキングに入れた状態で停止していたが、D車両に最初に衝突されてからQ車両に衝突して最終的に停止するまで二〇m余り前方に押し出されていた。

そして、D車両が、本件現場において最初に奈良h号に接触してから最終的に停止するまでに移動した距離は一〇〇m以上であり、被控訴人Y4による第一発砲の地点から被控訴人Y3による第八発砲の地点までの距離は約五一mであった。

(7)  D及びCの受傷状況等

ア D及びCはいずれも頭部等に受傷していたことから、D車両の停止後、直ちに救急車で病院に搬送された。

Cは、左頸部及び左後頭部に二発被弾したことにより、頸部射創、頸椎骨折、頸髄損傷等の傷害を負い、大和郡山市内の山本病院で弾丸の摘出手術を受けた後、奈良県立医科大学附属病院救命救急センターへ転院したが、同所において、頸髄挫滅に基づく低酸素脳症により、平成一五年一〇月五日午前八時三〇分に死亡した。

イ Dは、第八発砲により左後頭部に被弾したことにより、後頭部銃創、頭蓋骨陥没骨折、小脳挫傷の傷害を負い、奈良県立奈良病院救命救急センターにおいて緊急手術を受け、上記病名にて全治一か月の安静加療を要する見込みであると診断された。また、Dは、上記病院に入院していた平成一五年九月一九日から暴力的になり、同月二〇日、中毒性精神病(覚せい剤)の傷病名で當麻病院に緊急措置入院し、同年一〇月五日に退院した。

(8)  車両の損傷状況その他の事情

ア D車両が上記一連の経過で衝突した警察車両は合計四台で、それぞれ左前角部又は後角部凹損、前部又は後部バンパー凹損などの被害が発生しており、被害総額は二四五万三六八〇円(消費税抜き)であった。

イ D車両が上記一連の経過で衝突した一般車両は合計九台であるが、そのうち本件現場付近で衝突した七台については、いずれも前後左右いずれかの角が凹損し、あるいは擦過痕が残るなどの被害が発生し、それらの被害額は、判明している限りで合計一九二万〇八七〇円であった。

ウ D車両は、前部バンパー、左右前部フェンダー、前部ボンネット、左側面車体、後部バンパー、後部トランク、右後部フェンダー等に凹凸の損傷が認められる大破の状態であった。なお、本件当日、Dは、公安委員会の運転免許を受けずにD車両を運転していた。

(9)  事実認定の補足説明

ア 控訴人は、本件発砲がなされた際にD車両が時速二〇kmを超えない低速走行しかできなかったと主張し、これを裏付けるものとして交通事故工学解析書(甲七七。以下「R解析書」という。)を提出する。

R解析書は、事故解析総合ソフトを利用してD車両の変形面積から衝突速度を求めたり、衝突された一般車両及び警察車両の損傷状況を擦過損傷主体で凹損傷も小損であることを前提としたり、実況見分調書(甲二九)の現場見取図からD車両の発進から衝突までの距離を最大でも四・二mとして衝突速度を求めるものである。

しかしながら、R解析書がその前提とするD車両の変形面積がどのように導き出されたものであるのかが必ずしも明らかではない上、証拠<省略>により認められる警察車両の損傷が軽微なものということはできず、R解析書の前提とする損傷の程度には疑問がある。また、R解析書が採用するD車両の発進から衝突までの距離も、上記現場見取図において発進地点とされていない点を選択するものが含まれるなど、必ずしも合理的なものとはいえない。

したがって、R解析書をもって本件発砲がなされた際におけるD車両の速度が時速二〇kmを超えないものであったと認定する的確な証拠であるとはいえない。

なお、控訴人は、Dは、本件発砲による記憶障害等の後遺障害を負ったのであり、本件発砲前後の事実については断片的記憶しか残っていないから、同事実についてのDの供述は信用性がないし、一般車両の被害のほとんどが擦過痕にすぎないことからすると、「激突」等の一般車両の乗員の供述は誇張されたものであるとも主張するが、上記説示のとおり、そもそも警察車両の損傷は軽微なものとはいえないし、一般車両も含めて多数の車両が損傷しているという客観的な事実に照らせば、本件発砲がなされた際のD車両の走行が相当程度激しいものであり、少なくとも車外でD車両の制止のための職務に従事していた警察官がD車両と他の車両との間に挟まれたり、転倒することでD車両に轢かれたりすれば、その生命、身体に重大な危険が生じる状態であったことは明らかというべきである。

イ 控訴人は、被控訴人警察官らは、強化ガラスであったD車両の運転席側窓ガラスが被控訴人Y4による第一発砲によって細かく粉砕され、容易に外すことができることを認識していたし(このことは第六発砲後の助手席側窓ガラスについても同様である。)、上記運転席側窓ガラスは少なくともD車両が動いている状況の中で剥がれていた旨主張する。

確かに、証拠<省略>によれば、D車両の運転席及び助手席の窓に用いられていたのは強化ガラスであり、発砲による最初の被弾によって全面にわたって相当程度細かく粉砕されていたことが推認される。このことは、D車両の停止後、警察官がD車両の運転席側窓ガラスを引きはがしたとの前記認定事実からも裏付けられる。

しかしながら、前記認定事実によれば、上記窓ガラスは黒色フィルムが貼られていたことから、D車両が停止するまでの間は運転席側窓ガラスとしての形状を保持していたと考えられるのであり、被控訴人警察官らが、発砲によって容易に外すことができることを認識していたとは認められない。

また、控訴人は、上記運転席側窓ガラスは少なくともD車両が動いている状況の中で剥がれていた旨主張するが、事後の写真撮影の際に上記運転席側窓ガラスがD車両の最終停止位置よりも一〇m以上南側の西側歩道と車道西端との境の植え込み付近の地点に存在したことは認められるものの、上記地点が車道の西側であることからすると、D車両が進行中に上記地点で運転席側窓ガラスが脱落したとは考えられず、事後的に人為的に上記地点まで移動されたこと(ただし、その具体的な経緯を認めるに足りる証拠はない。)は明らかである。したがって、運転席側窓ガラスが存在した上記地点がD車両の最終停止位置と離れていることをもって、D車両の停止後、警察官がD車両の運転席側窓ガラスを引きはがした旨の証人Iの証言の信用性を否定するのは相当でない。

ウ 控訴人は、第六ないし第八発砲は、D及びCの身体枢要部をねらってほぼ水平になされたものである旨主張し、同主張を裏付ける証拠として現場鑑識鑑定書等(甲七八ないし八〇。以下、併せて「S鑑定」という。)を提出する。

しかしながら、S鑑定は、Cが最初に被弾した際に、助手席に深く座った状態を前提にするなど、客観的な証拠に基づかない推測によってC側の着弾点を定めている点で、第六ないし第八発砲の弾道を認定するに足りる的確な証拠であるとはいえない。なお、S鑑定は、D車両の前方の警察車両の赤色灯によって第六ないし第八発砲の時点で被控訴人Y2及び同Y3がD車両の車内を視認できたとするが、赤色灯の明るさ、D車両との位置関係等の条件が本件現場と同一であるかどうかも不明であり、採用できない。

控訴人は、発砲時の立ち位置や姿勢、照準点についての被控訴人警察官らの供述は、着弾点がD車両の上部であったこと等の客観的事実や、弾道予測からいって信用できないし、「反応遅れ」は、他動的な起動意思に伴うものであるところ、自発的な時点が基点となるけん銃の発砲意思とは相容れない概念であり、反応遅れや動態(動体)予測の誤差によって照準点と実際の弾道とが大きくずれたことを説明することはできない旨主張する。

しかしながら、Dの前腕部もしくは上腕部を狙撃すればD車両の運転能力を奪うという目的を達することができたことからすると、本件発砲を行った被控訴人Y4、同Y2及び同Y3があえてD及びCを死亡させる危険性のある身体枢要部をねらったとは考えにくい上(また、D車両の車内の視認性が悪かったことは上記認定事実のとおりである。)、D車両の着弾点というのも結局のところ弾丸が発射された位置と着弾の瞬間のD車両の位置によって相対的に定まるものにすぎないこと、被弾時のCの姿勢に上記判示の限定を付してこれを着弾点とするなど、弾道に関するS鑑定の検討が必ずしも合理的なものであるとはいえないことを考慮すると、Dの前腕部もしくは上腕部をねらった(身体枢要部をねらっていない)旨の被控訴人警察官らの供述を不合理なものとして排斥することはできない。

また、証拠<省略>によれば、反応遅れとは、一般的に承認された用語ではないものの、要するに、けん銃を発射しようと考えた瞬間と現実に弾丸が発射されるまでには〇・三ないし〇・四秒の時間差があり、そのような反応遅れがある以上、静止していない対象物を狙撃する場合には照準点と着弾点にずれが生じうるというごく当然の事象を述べるものであることが認められるのであり、何ら不合理な説明とはいえない。

二  争点一(警察官職務執行法七条所定の要件該当性)について

(1)  警察官の武器使用の要件を定めた法七条本文は、警察官は、「犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため」、「必要であると認める相当な理由のある場合」には、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度」において、武器を使用することができるとする。そして、その上で、同条ただし書は、武器の使用により人に危害を与え得るのは、刑法三六条所定の正当防衛若しくは同法三七条所定の緊急避難に該当する場合、又は、凶悪犯の現行犯人や逮捕状により逮捕される者が警察官の職務執行に抵抗するなどし、これを防ぎ又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合に限られると規定する。以下、本件発砲につき、これらの要件を満たすか否かについて検討する。

ア 前記一(2)ないし(6)の認定事実によれば、本件現場付近に至るまでの段階において、Dらは、窃盗等の犯行発覚及び検挙を免れるため、橿原市葛本町の住宅地内において、器物損壊罪及び公務執行妨害罪を犯し、住宅街の中で警察車両にD車両を衝突させて逃走を図り、その後も主に国道を約一八km、三〇分近くにわたって時速一〇〇kmを超える速度で信号無視や割り込みを繰り返し、一般車両への衝突も辞さずに逃走を図った上、本件現場付近においても、走行車線が渋滞していたのに、一般車両や警察車両にD車両を衝突させる行為を複数回行い、さらに、D車両を取り囲んだ何人かの警察官に向けてD車両を急発進させる行為も行っている。Dらのこれらの行為は、形式的に数罪にわたる公務執行妨害罪及び器物損壊罪に該当し、人の生命、身体に対して著しい危害を加える恐れの高い態様で、警察官の追跡を排除し、逃亡しようとするものである。

したがって、本件発砲は、窃盗、公務執行妨害及び器物損壊の犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため(法七条本文)になされたと認められるし、Dらの上記一連の行動は、法七条ただし書所定の「長期三年以上の懲役にあたる兇悪な罪を現に犯し」た者が、「警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき」に該当する。

イ そして、前記一(4)ないし(6)認定の事実によれば、Dらは、警察官らから、何度もD車両の窓ガラスを叩かれたり、止まるよう警告を受け、更には警察官らにD車両の進路前方に立ちふさがられ、けん銃を構えて停止を求められるなどされ、かつこれらを逐一認識し又は認識し得たはずであったにもかかわらず、これらを全く無視し、D車両を複数の一般車両に衝突させたり、急激に後退させるなどし、停止車両にD車両を激突させ、これらを押しのけ、あるいは押し出し、隙間を作り出して逃走しようとし、ないしは立ちふさがる警察官らに対してもこれをものともせず、D車両の前進・後退を複数回繰り返したため、これらの警察官らは飛びのいたり、身をかわしたりせざるを得なかったのである。

そうすると、上記アのとおりの一連の犯罪の態様のほか、警察官に対する抵抗の方法ないしその強さ、後記ウ説示のとおり危険の急迫性の大きさを総合考慮すると、被控訴人Y4、同Y2及び同Y3が、D車両を運転するDの前腕部もしくは上腕部をねらってけん銃を発砲したことは、客観的に見て、法七条本文所定の「必要であると認める相当な理由のある場合」に「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度」における武器の使用に該当するといえる。

また、D車両の逃走態様は、上記のとおり、車両の重量及び運動能力を利用し、これを手段として警察車両や一般車両のほか、警察官にも衝突させて逃亡しようとするものであって、さらなる被害を発生させないためにはその運転行為自体を阻止するほか方法がなかったというべきであるから、本件発砲は、同条ただし書所定の「逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」にも該当する。

ウ 前記一(3)ないし(6)の認定事実によると、被控訴人Y4が第一ないし第五発砲を了するまでの時点においては、D車両はその直前に橿原d号及び奈良h号に前後を挟まれ、その左右には一般車両が数珠つなぎに停車していたにもかかわらず、Dらは、その中で合計五回にわたり、勢いよくエンジンを吹かすなどしてD車両を前進又は後退させた上、警察車両及び一般車両の合計五台に次々とD車両を衝突させるとともに、D車両の前方を取り囲んだ警察官らに向けても同車両が警察官に衝突するのを辞さない勢いで何度も急発進させたものである。また、被控訴人Y4がけん銃を構えたことに対しても、タイヤが空転するほどにアクセルを踏み込んで急発進し、再び警察官らに車体を衝突させるのも辞さない態度であったし、第一ないし第五発砲においても、被控訴人Y4らが威嚇する都度、Dらは、これに対してD車両を急発進させて、いずれに対しても警察官らへの衝突をも辞さない行動に出て、かつ、これらの発砲行為の間にも執拗に一般車両や警察車両に衝突したり、車体を左右に振って減速と加速を繰り返すなどしてこれらの車両を前方に押し出す行為に出たものである。加えて、被控訴人Y2及び同Y3の第六ないし第八発砲の時点においては、Dらは、既に被控訴人Y4による五発の発砲をD車両に被弾したにもかかわらず、その逃走意思ないし抵抗意思を失うことなく、橿原d号とM車両を押しのけるようにしてD車両を前進させ、更にその左前方に停車していたN車両にも自車前部を衝突させて橿原d号の前に進出した後、左右に一般車両が停止している中で、前に停車している奈良j号の後部に激突させ、やや進路を右にとりながら奈良j号を左前方に押し出そうとしていたのである。そうすると、この時点でD車両の前進を阻止しなければ、D車両は周囲の警察官らに自車を衝突させたり、D車両に押し出された奈良j号及び同車との接触が解消されることにより勢いの付いたD車両が道路の左右両側に停止している一般車両に衝突するとともに、その乗員らにも危害が加えられかねない切迫した状況にあったと認められる。したがって、本件発砲のあったいずれの時点においても、刑法三六条所定の「急迫不正の侵害」が現に存在していたと認めることができる。

エ 上記説示のとおり、D車両の運転態様は、車両を手段として警察官、警察車両、一般車両、これらに乗車する一般市民らの生命、身体の安全を全く顧みることなく、これらに攻撃を加えて排除してまでも逃亡しようとするものであったから、D車両の運転行為を阻止するほか方法がなかったというべきである。そして、Dらが、警察官らによる警告やけん銃を構えての威嚇や、既になされた五発の発砲をもものともしない抵抗態様を示し、他の車両を押し出してしまうほどの強い衝突行為に及んだり、威嚇する警察官らをして飛びのいたり、身をかわさなければならないような急発進や減速・加速行為が複数回に及んでいたことに照らせば、警察官のみならず一般市民の生命、身体に危害を及ぼす危険性が顕著であったから、運転行為に直結する前腕部もしくは上腕部に向けての発砲によるのでなければ、D車両による抵抗、逃走を阻止することはできなかったというべきである。したがって、本件発砲は、刑法三六条所定の「自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」であるということができる。

オ なお、被控訴人Y4による第一発砲は、直接人の身体に向けられたものであり、いわゆる威嚇射撃には当たらないものではあるが、前記一(5)及び(6)認定の事実によれば、第一発砲は、ボンネットや窓ガラスを叩いて警告してもなお急激な後退等を繰り返すD車両に対し、被控訴人Y4が同車両に向けてけん銃を構えて大声で連呼して警告したにもかかわらず、Dらは、なおD車両による抵抗、逃走を中止せず、被控訴人Y4及び同Y1の方にタイヤが空転するほどの勢いで急発進したというのであり、同人ら自身の生命、身体に対する危険が差し迫っていた状況の下で行われたと認められるから、威嚇射撃を試みるいとまがなかったといえる。また、被控訴人Y4による第二ないし第五発砲、被控訴人Y2及び同Y3による各発砲は、先行する各発砲により、結果として、威嚇射撃が行われたのと同様に評価することができるから、これらについて、威嚇射撃を試みなかったことをもって相当性を欠くとはいえない。

さらに、D車両のタイヤに対する発砲を試みなかった点についても、証拠<省略>によれば、走行中の車両のタイヤに対するけん銃射撃については、車両を直ちに停止させる効果はほとんど期待できず、かえって跳弾により相手以外の周囲の者に危害、又は損害を与える危険性があると認めることができるから、相当性を欠くものではない。

カ 以上のとおりであるから、本件発砲については、いずれも法七条本文及び同条ただし書所定の要件を満たす適法なものであったと解するのが相当である。

(2)  これに対し、控訴人は、本件現場の状況に照らすと、被控訴人警察官らによって組織的かつ意図的に作出された交通渋滞、進路の封鎖によって、D車両は、その周囲を警察車両等によって取り囲まれていたため逃走できる可能性はなく、制止と逮捕は時間の問題であり、警察官に対する差し迫った侵害行為があったかどうか極めて疑わしいから、本件発砲は、法七条の要件を満たさないものであると主張する。

そこで検討するに、前記一(3)及び(4)認定の事実によれば、D車両は、前後左右を複数の警察車両や一般車両に取り囲まれていたことが認められる上、被控訴人警察官らによるD車両の追尾状況(前記一(2)キ)、郡山k号の停車位置(前記一(3)イ)に照らすと、被控訴人警察官らは、組織的かつ意図的に「下三橋町北」交差点付近において車両の進路を妨害し、D車両の逃走を阻止しようとしていたものであり、本件発砲がなくても最終的にD車両が逃走できた可能性が低いことは否定できない。しかしながら、前記説示によれば、Dは、第八発砲によって運転能力が奪われるまでの間、一貫して強固な逃走意思を継続させていたのであり、その逃走態様も、D車両を勢いよく前後させて警察車両や一般車両に衝突させ、車体を左右に振りつつ加速と減速を繰り返すなどして、一般車両や、実際に封鎖状況を作っていた前方の奈良h号及び橿原d号の前に進出した上、更に前方にいた奈良j号の後部に自車前部を衝突させ、同車を押し出そうとしたため(同車は結局二〇m余り前方に押し出された。)、同車が徐々に向きを変えるほどの状況を作り出すという著しく強硬なものであったということができる。上記のようなD車両の逃走態様にかんがみれば、このような状況が継続することによって、更に一般車両の損傷やその乗員の人身損害を発生させる危険性が高くなるばかりでなく、特に車外においてD車両の制止のための職務に従事していた警察官をD車両と他の車両との間に挟んだり、轢くことによってその生命、身体に重大な侵害を加える危険性が高いものであったと解されるから、それらの結果を回避するためには一刻も早く運転者の前腕部もしくは上腕部を負傷させるなどして運転能力を奪うことによりD車両を停止させる必要があったことも明らかである。

そうすると、制止と逮捕は時間の問題であり、警察官に対する差し迫った侵害行為があったかどうか極めて疑わしいから本件発砲が法七条の要件を満たさない旨の控訴人の主張は採用することができない。

(3)  さらに、控訴人は、警察官としては、警察車両で取り囲む方法、又はD車両の運転席側に回り込み、また助手席側からも、ガラスクラッシャー等の適切な器具を使用して窓ガラスを割るなどの方法により、エンジンを停止させることが可能であったはずであり、けん銃を発砲する以外にとり得る手段があったにもかかわらず、人に向けてなされた本件発砲は、法七条の要件を満たさないものであると主張する。

しかしながら、前記一(5)及び(6)の認定事実(なお、警察車両にガラスクラッシャーが備えられていたことを認めるに足りる証拠はない。)によれば、既に本件発砲までの間において、被控訴人Y4及び同Y3は、I巡査部長の「行け、行け。ガラス割れ。」との指示に基づいてD車両に駆け寄ったが、被控訴人Y4において、ドアを開けることはできず、けん銃の銃床で窓ガラスを叩いたが割ることもできず、I巡査部長においても、運転席のドアを開けることができず、被控訴人Y3においても、木製の警杖で窓ガラスを叩いたが窓ガラスを割ることができず、Dらはこれらを無視し、D車両を一般車両に衝突させたり、急激に後退させるなどし、警察官らに車体を衝突させるのも辞さない行動を見せ、上記(1)ウのとおりの抵抗状況、運転態様であった上、警察官らの威嚇の都度、執拗に一般車両や警察車両への侵害行為を繰り返していたのである。これらの状況からすれば、本件現場付近にいた警察官が、更に運転席側窓ガラスの破壊行為を継続した上、D車両のエンジンを停止させる方法は、一般車両やその乗員、警察車両や車外で制止活動に当たっていた警察官の生命、身体をなお一層危険にさらすものといわざるを得ないのであって、結局のところ、けん銃の発砲によって運転者の前腕部もしくは上腕部を負傷させてD車両の運転能力を奪う方法が相当性を欠くものであるとはいえない。

なお、控訴人は、CがD車両の運転を行っていなかったから、その身体枢要部に対する発砲は運転阻止という目的に適うものではなかった旨主張するところ、前記一(6)認定の事実によれば、被控訴人Y2及び同Y3は、D車両の真後ろに進出してきた橿原d号に阻まれて、D車両の運転席側へ回り込むことはできなかったものである上、第六ないし第八発砲はあくまで運転席にいる運転者の前腕部もしくは上腕部を狙撃したものであるから、控訴人の上記主張も採用することができない。

(4)  上記のとおり、第一ないし第八発砲は、いずれも法七条本文及びただし書所定の要件を満たす適法なものであったから、国家賠償法上の違法性を欠くというべきであり、被控訴人警察官らにCの死亡の結果について故意又は過失があるか否かの点を検討するまでもなく、控訴人の被控訴人奈良県に対する国家賠償請求は理由がない。

そして、本件発砲が違法性を欠くものである以上、被控訴人警察官らがCの死亡という結果について個人として不法行為責任を負わないことも明らかであり、控訴人の被控訴人警察官らに対する損害賠償請求はいずれも理由がない。

三  結論

以上の次第で、控訴人の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却すべきところ、当裁判所の上記判断と同旨の原判決は相当である。

よって本件各控訴はいずれも理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安原清藏 裁判官 矢田廣髙 和田健)

別紙 当事者目録

控訴人 Aこと X

同訴訟代理人弁護士 宇賀神直 石松竹雄 安原浩 吉田恒俊 伊賀興一 谷田豊一 北岡秀晃 杉島幸生 田中史子 髙橋和宏 梁龍成 亀井宏壽

被控訴人 奈良県

同代表者知事 B<他4名>

被控訴人ら訴訟代理人弁護士 川﨑祥記

同 國久眞一

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