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大阪高等裁判所 平成23年(う)1355号 判決 2012年3月13日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金50万円に処する。

その罰金を完納することができないときは,金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用のうち証人W1に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は,主任弁護人新倉明及び弁護人髙田明夫連名作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから,これを引用する。

第1  控訴趣意に対する判断

論旨は,被告人には「不法な有形力の行使」に該当する行為がないのに,被告人が「詰め寄る暴行」に及んだと認定した上,刑法204条を適用して被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認及び法令適用の誤りがある,というのである。

そこで,記録を調査して検討すると,原判決が,その挙示する証拠によって,被告人が甲野一男(以下「被害者」という。)に詰め寄る暴行を加えた事実を肯認した上,刑法204条を適用して,原判示の傷害罪の成立を認めたのは正当であり,また,その「争点に対する判断」の項において,所論とほぼ同旨の原審弁護人の主張に対し,「被告人が,険しい顔つきで,右手を被害者の胸元の方に伸ばしながら,被害者に約30ないし50センチメートルの距離まで接近し,後ずさる被害者に同程度の距離を保ちながら追っていき,被害者の体がタクシーにぶつかった後も,右手を伸ばすことはやめたものの,引き続き,手が届く程度の距離を保ちながら,後ずさっていく被害者を追っていった。その際の被告人の前進速度は,走るより遅いが普通に歩くよりは速い速度であり,被害者の後退距離は,直線距離で3.96メートルであった。」と認定した上,同行為は被害者に詰め寄っていったと評価できるものであり,被害者の身体に対する不法な有形力の行使として暴行に該当するなどとして,上記主張を排斥するところもおおむね相当であって,当審における事実取調べの結果によっても,この認定,判断は動かない。以下,所論に鑑み,付言する。

1  事実経過

W1の原審証言を始めとする関係証拠によれば,以下の事実が認められる。なお,原判決も下記(3)とほぼ同旨の認定をしている。これに反するW2の原審証言を直ちに信用できないことについても,原判決が説示するとおりである。

(1)平成21年9月9日午後4時34分,大阪府吹田市<以下略>セブンイレブン吹田A町店駐車場において,乙山花子(以下「花子」という。)運転の軽自動車が後退する一方,被害者運転の普通自動車(タクシー)が出口に向かって方向転換するため花子車両後方を斜めに前進している際,被害者がクラクションを鳴らし,両車両が停止した(実際に衝突したかどうか不明である。)。被害者が,自車が静止していたのに花子車両がぶつかってきたと主張して抗議したのに対し,花子は,衝突の痕跡がなかったことから衝突の事実に疑問を抱き,警察を呼ぶと言った。被害者が,警察は呼ばなくてよい,警察を呼ぶと多額の費用が掛かる旨言ったため,花子は,夫である乙山太郎(以下「太郎」という。)に連絡を取った。太郎が現場に来てからも同様のやり取りが繰り返され,最終的には,被害者が,500円か1000円でもくれたら自分で直すと言ったが,乙山夫妻は,後々のことを考えて,警察に連絡しようという主張のままであった。

(2)被告人は,花子車両の横に駐車した軽自動車の中から,上記衝突があったとされる場面を目撃するとともに,その後の上記やり取りも見ていたが,被害者車両が花子車両にぶつかっていったように見えたことから,乙山夫妻に,警察に言った方がよいなどとアドバイスした。被害者が,被告人車両の中にいた被告人に対し,「おまえ何言うとるんじゃ。」と怒鳴るなどけんか腰の態度を示したことから,被告人が自車から降りた上,被害者に詰め寄ろうとしたが,太郎が,「大将,すんません。」(当時,被告人は,いわゆる板前服を着用していた。)と言いながら被害者と被告人の間に割って入り,被告人に抱き付くようにして,被告人が被害者に向かうのを止めようとした。

(3)同日午後4時48分,被告人は,太郎を振り切り,興奮して怒っているような態度で,向かい合っている被害者に対し,腕を少し曲げた状態でもほぼ届くような距離(約30ないし50センチメートル)にまで近付こうとした。被害者は,被告人と向かい合ったまま,被告人の勢いに押されるようにして後ずさりし,上記タクシー側面にぶつかったが,更に後ずさりした。一方,被告人は,被害者とほぼ同程度の距離を保ちながら(ただし,被害者がタクシーにぶつかった後は距離が少し開いた。),被害者に向かって歩いて前進した。

被害者は,このように後ずさりするうち,駐車場脇のブロック塀から約220センチメートルの地点において,何らかの理由により後ろ向けに倒れ込み,同ブロック塀で頭部を強打して本件傷害を負い,倒れたまま動かなくなった。

なお,被告人が太郎を振り切って前進を始めてから被害者が転倒するまでの時間は約3秒であり,被害者の後退距離は直線距離で約3.96メートルであった(したがって,平均速度は秒速1.3メートル余りである。)。

以下,この項で述べた被告人の行為を,「本件行為」という。

(4)上記転倒地点付近は,被告人の進行方向に向かって僅かに下り坂となっており,その傾斜角は約4度であった。また,上記転倒地点の手前約1メートル付近のところに点字ブロックがあった。

当時,被害者は61歳,被告人は30歳であった。両者は身長差や体格差はさほどなかった。被害者は,当時,かかとの付いたサンダルを履いていた。

2  以上の事実関係を前提にして,本件行為が傷害罪の実行行為である暴行に当たるか否かについて検討する。

上記のとおり,被告人は,向かい合っている被害者 (年齢等に照らすと,被告人よりも体力的に劣ると考えられる。)に向かって,興奮して怒っているような態度で,被害者が転倒するまでの約3秒間,およそ4メートルにわたり,約30ないし50センチメートル(ただし,被害者がタクシーにぶつかった後は距離が少し開いた。)の距離を保ちながら,秒速1.3メートル余りの速度(原判決が,W1証言による表現に従って,「走るより遅いが普通に歩くよりは速い速度」と表現したのは相当である。)で歩いて前進し,被害者が後ずさりしてもなおほぼ同程度の距離を保ちながら前進したものである(このような被告人の行為を原判決が「詰め寄る」と表現しているのは,相当である。)。このような被告人の本件行為によって,被害者は,後方を確認する時間的・精神的余裕のないまま,上記の速度で後ずさりすることを余儀なくされたものであって,上記のような速度で,後方確認ができないまま後ずさりをするという行為の不安定さや時間的・精神的余裕のなさ等に鑑みると,被告人の本件行為は,路面が傾斜していたかどうかとか,点字ブロックが存在していたかどうかとかにかかわらず,被害者に対して,路面につまずくとかバランスを崩すなどといった原因により,被害者をして転倒させてけがをさせる危険を有するというべきであるから,直接の身体接触はないものの,傷害罪の実行行為である暴行に当たると認めるのが相当である。

(1)これに対し,所論は,被告人は,タクシーがいったん止まった場所を指し示そうとしてその場所に向かっていこうとしたにすぎないのであって,このような動機,意図に加え,本件行為の方法,程度等に照らせば,社会生活関係において正当な行為として認容される範囲内にとどまり,不法な有形力の行使に該当しない,と主張する。

しかしながら,上記のように被害者との距離をおおよそ保ちながら前進したこと(ただし,被害者がタクシー側面に衝突した後,被害者との距離は広がっている。),その経路及び速度,それまでの経緯や当時の被告人の表情等に照らすと,本件行為の意図は,被害者に対する立腹の感情があるものの,被害者に対して直接手や足で殴ったり蹴ったりしないように気を付けながら,本件行為によって被害者を威圧することにより,乙山夫妻に対する言い掛かりをやめさせようとすることにあったと認めるべきであって,タクシーが止まった場所を指し示そうとしてその場所に向かっていこうとしたものとは到底認められない。所論はその前提を欠き,採用できない。

(2)また,所論は,被告人による本件行為がなされた約3秒間より前の段階では,約25秒間にわたり,被害者が終始攻撃的な態度で被告人に向かっていたのであるから,これらを分断して取り上げるのは恣意的な事実認定であると主張する。

しかしながら,本件行為直前の被害者の言動等を考慮しても,既に述べたような本件行為の態様や意図等に照らすと,本件行為はやはり暴行に当たるというべきであって,これが不当に事実を分断した上での判断とはいえない。

その他,所論が主張する点を踏まえて証拠を精査検討しても,原判決に所論のいうような事実の誤認及び法令適用の誤りは存しない。

論旨は理由がない。

第2  量刑不当についての職権判断

事案に鑑み,原判決の量刑が不当でないかどうかについて,職権で判断する。記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討すると,本件は,コンビニエンスストア駐車場において,向かい合っていた被害者に詰め寄る暴行を加え,同人を後方に転倒させてけがを負わせた傷害の事案である。

本件犯行の経緯,動機は前記のとおりであるが,要するに,停止していた被害者運転の自動車に花子運転の自動車が衝突したとして,被害者が花子に苦情を言って金銭要求をしていたトラブルについて,衝突があったとされる場面等を近くで見ていた被告人が,警察に言った方がよいなどと乙山夫妻にアドバイスしたのに対し,被害者が,被告人に対してけんか腰の態度を示したため,被告人が,立腹の感情と,言い掛かりをやめさせる目的から,被告人車両から降りて被害者に詰め寄ったというものである。ビデオテープ(原審甲10号証。同駐車場に設置されたビデオカメラにより撮影されたもの)によれば,両車両が実際に衝突したかどうかは明らかではないが,仮に衝突したとしても,その瞬間,被害者運転の自動車も前進していたことが明らかに認められるのであって,被害者の言い分は虚偽の言い掛かりといえるから,被告人が乙山夫妻に上記のようなアドバイスをしたことは何ら不当でなく,けんか腰の被害者に対して立腹するのも無理からぬ面があるし,乙山に対する言い掛かりをやめさせる目的があった点でも酌むべきものがある。

また,犯行態様は,被害者に対して直接手や足で殴ったり蹴ったりしないように気を付けながら,約3秒間にわたり,被害者を威圧する様子を示しながら,被害者との距離をおおよそ保って,被害者に向かって歩いて前進したというにすぎないのであり,前記のとおり,これにより被害者が後ずさりすることによって転倒してけがを負う可能性はあるとはいえ,その可能性はかなり低いというべきであり,暴行の程度としては軽い部類に属するといえる。

他方で,被害者の負ったけがは,全治不能の右急性硬膜下出血,外傷性くも膜下出血,脳挫傷,頭蓋底骨折等という非常に重篤なものであって,全介助状態が持続すると診断されるなど,本人のみならず家族に与えた影響も大きく,この点を軽視することはできない。しかし,反面,このような重傷を負うに至ったのは,被害者が転倒した箇所にたまたまブロック塀があり,そこに頭部を強打したという偶然の要素が大きく働いているのであって,被告人がこのような現地の状況を利用したといえないのはもとより,これを認識していたとも認められない。

加えて,犯行後,直ちに119番通報するとともに,救命のための措置を執ったこと,前科がなく,特段問題のない社会生活を送ってきたことなどの被告人にとって酌むべき事情もある。

以上の諸事情を併せ考えると,被告人に対しては罰金刑をもって臨むのが相当であって,被告人を懲役3年,5年間刑執行猶予に処した原判決の量刑は,懲役刑を選択した点で重きに過ぎるというべきであり,是正を要する。

よって,刑訴法397条1項,381条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に判決することとし,原判決が挙示した証拠により認定した原判決挙示の罪となるべき事実に刑法204条を適用し,所定刑中罰金刑を選択し,その所定金額の範囲内で被告人を罰金50万円に処し,その罰金を完納することができないときは,同法18条により金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし,原審における訴訟費用のうち証人W1に支給した分は,刑訴法181条1項本文によりこれを被告人に負担させることとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 的場純男 裁判官 東尾龍一 裁判官 野口卓志)

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