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大阪高等裁判所 平成23年(ネ)3329号 判決 2012年7月27日

控訴人・被控訴人

株式会社a

(一審甲事件原告,乙事件被告)

(以下「原告」という。)

同代表者代表取締役

被控訴人(一審丙事件被告)

(以下「被告A」といい,原告と併せて「原告ら」という。)

上記両名訴訟代理人弁護士

岡田一毅

木村充里

被控訴人・控訴人

(一審甲事件被告,乙・丙事件原告)

(以下「被告B」という。)

同訴訟代理人弁護士

塩見卓也

主文

1  原告及び被告Bの控訴に基づき,原判決を次のとおり変更する。

(1)  原告は,被告Bに対し,562万7087円及びこれに対する平成21年4月1日から支払済みまで年14.6%の割合による金員を支払え。

(2)  原告は,被告Bに対し,300万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。

(3)  原告らは,被告Bに対し,連帯して,70万5278円及びこれに対する平成21年6月29日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。

(4)  原告の請求及び被告Bの原告らに対するその余の請求(当審における被告Aに対する拡張請求を含む。)をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを6分し,その5を原告らの負担とし,その1を被告Bの負担とする。

3  この判決は,1(1)及び(3)項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原告

(1)  原判決中原告敗訴部分を取り消す。

(2)  被告Bの原告に対する請求を棄却する。

(3)  被告Bは,原告に対し,2034万7405円及びこれに対する平成21年7月10日から支払済みまで年6%の割合による金員を支払え。

2  被告B

(1)  原判決中被告B敗訴部分を取り消す。

(2)  原告は,被告Bに対し,被告Aと連帯して,更に470万7312円並びに内320万7312円に対する平成19年7月1日から支払済みまで年5%の割合による金員及び内150万円に対する平成21年6月29日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。

(3)  被告Aは,被告Bに対し,原告と連帯して,470万7312円並びに内320万7312円に対する平成19年7月1日から支払済みまで年5%の割合による金員及び内150万円に対する平成21年6月29日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え(被告Bは,当審において,原審における不法行為又は会社法429条1項に基づく未払時間外手当相当額320万7312円に対する遅延損害金の請求につき,起算日を平成19年7月1日に拡張した。)。

第2事案の概要

1  甲事件は,原告に勤務していた被告Bが労働契約上の義務違反により原告に損害を与えたとして,原告が,被告Bに対し,労働契約の債務不履行による損害賠償請求として,賠償金2034万7405円及びこれに対する平成21年7月10日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

乙事件(反訴)は,被告Bが,原告に対し,労働契約に基づき,未払時間外手当567万9616円及びこれに対する退職後の平成21年4月1日から支払済みまで賃金の支払の確保等に関する法律6条,同施行令1条所定の年14.6%の割合による遅延損害金の支払と,労働基準法114条に基づく付加金として,上記567万9616円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払と,不法行為(時間外手当の未払,安全配慮義務違反,退職の自由の侵害,甲事件の提訴)又は労働契約上の債務不履行(安全配慮義務違反,退職の自由の侵害)に基づく損害賠償請求として,賠償金(未払時間外手当で労働債権の時効消滅した部分320万7312円,安全配慮義務違反による休業損害10万5278円及び慰謝料150万円,退職の自由の侵害及び濫訴に対する慰謝料100万円,弁護士費用100万円)の一部470万7312円,並びに,内320万7312円(前記未払時間外手当の時効消滅分)に対する不法行為後の日である平成19年7月1日から,内150万円に対する平成21年6月29日(甲事件提訴の日)から,支払済みまで同割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

丙事件は,被告Bが,原告の代表取締役である被告Aに対し,不法行為(時間外手当の未払,安全配慮義務違反,退職の自由の侵害,甲事件の訴訟提起)又は会社法429条1項(同前)に基づく損害賠償請求として,賠償金851万5996円(未払時間外手当が701万5996円,慰謝料100万円,弁護士費用50万円)及び内701万5996円(前記未払時間外手当)に対する不法行為後の日である平成21年4月1日から,内150万円に対する不法行為日ないし不法行為後の日である同年6月29日(甲事件提訴の日)から,支払済みまで同割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

2  原審は,被告Bの原告に対する請求のうち,労働契約に基づく未払時間外手当及び労働基準法114条に基づく付加金として各567万9616円並びにこれらに対する前記各遅延損害金の支払を求める請求を認容し,原告の請求並びに被告Bのその余の原告に対する請求及び被告Aに対する請求をいずれも棄却した。

これに対し,原告が控訴し,被告Bが原告らに対し控訴する(ただし,被告Aについては,470万7312円並びに内320万7312円に対する平成21年4月1日から支払済みまで年5%の割合による金員及び内150万円に対する同年6月29日から支払済みまで同割合による金員の支払を求める限度)とともに,被告Bにおいて,被告Aに対する請求につき,前記第1の2(3)のとおり遅延損害金の請求を拡張した。

3  争いのない事実等,争点及び争点に対する当事者の主張

(1)  争いのない事実等,争点及び争点に対する当事者の主張は,次の(2)のとおり補正,付加するほか,原判決「事実及び理由」第2の1及び2に記載されたとおりであるから,同部分を引用する(なお,当審における双方の補充主張については,当裁判所の判断の中で適宜触れる。)。

(2)  原判決11頁7行目に「平成19年7月から平成20年9月までの15か月分」とあるのを「平成19年7月1日から平成21年2月21日まで」に改め,同13行目に「原告の不法行為責任について」とあるのを「原告の不法行為責任又は債務不履行責任について」に改め,同12頁1行目の「原告に」の後に「労働契約上の債務不履行責任又は不法行為責任の根拠となる」を挿入し,同12行目の「明らかである。」とあるのを「明らかであり,原告は不法行為責任又は労働契約上の債務不履行責任を負う。」に改め,同20行目の「上記不法行為」の後に「(安全配慮義務違反及び退職の自由の侵害については,選択的に上記債務不履行)」を挿入し,同13頁9行目の「不法行為」の後に「又は債務不履行」を挿入する。

第3当裁判所の判断

1  判断の前提として当裁判所が認定する事実は,原判決17頁8行目の「必ず」の前に「緊急対応等の交渉は」を挿入し,同14行目の「しなければならい」を「しなければならない」に,同20行目の「数の」を「数が」にそれぞれ改め,原判決20頁8行目から9行目にかけての「b社に」を「b社との関係で」に,同9行目の「損害賠償」を「損害賠償請求」にそれぞれ改めるほか,原判決「事実及び理由」第3の1に記載されたとおりであるから,同部分を引用する。

2  被告Bの原告に対する損害賠償責任(争点1)について

当裁判所も,原告が,被告Bに対し,労働契約上の債務不雇行による損害賠償請求をすることは信義則上許されないと判断する。その理由は,原判決21頁10行目の「賠償」の後に「の請求」を挿入するほか,原判決「事実及び理由」第3の2に記載されたとおりであるから,同部分を引用する。

この点,原告らは,被告Bは,原告において管理監督者たる地位にあり,かつ,原告の株主でもあるから,一般的な労働者と同様に解すべきではなく,通常の債務不履行の要件に合致するかどうかで判断すべきである旨主張する。しかしながら,被告Bが管理監督者であるとは認められないことは後記4のとおりであり,被告Bが原告の株主(増資後の所有割合は2.5%)であることも,被告Bの労働者性を否定できる事実とはいえず,上記結論を左右しない。

また,原告らは,被告Bは,b社との間の本件ルールに,故意又は重過失により違反した旨主張する。しかし,本件ルールのうち工数見積りを作業着手前に行うことに違反したという点については,b社の担当者であるC課長も,原告が着手後に見積もったかどうかは分からないし,着手後か着手前かの基準などあるわけがないと述べていること(証拠<省略>)などに照らすと,違反の事実自体認め難いし,仮に違反があったとしても,その違反を行い原告に損害を与えることにつき,被告Bに故意又は重過失があったと認めることはできない。また,確かに,本件ルールにおいて,24時間以内に不具合対応が完了しない場合,納期回答をすることになっていたのに,被告Bがこれを行わないこともあった(原判決18頁(9))が,本件全証拠によっても,これを行わず原告に損害を与えることにつき,被告Bに故意又は重過失があったと認めることはできない。そして,その他原告らが指摘する点を考慮しても,本件において,被告Bが,故意又は重過失により原告に損害を与えたと認めることはできない。

3  専門業務型裁量労働制の適用(争点2)について

当裁判所も,被告Bが行っていた業務が,労働基準法38条の3,同法施行規則24条の2の2第2項2号にいう「情報処理システムの分析又は設計の業務」であったということはできず,専門業務型裁量労働制の適用要件を満たしていると認めることはできないと判断する。その理由は,原判決「事実及び理由」第3の3に記載されたとおりであるから,同部分を引用する。

これに対し,原告らは,○○ソフトウエアのカスタマイズ及び修正作業を行う被告Bら原告従業員は,そのシステム全体を把握し,常にその分析をしながら,設計作業を進めていくものであるから,「情報処理システムの分析又は設計の業務」に当たる旨主張する。しかしながら,b社のC課長が,システムを作る仕事の一部分を原告に指示書を出して発注していたと述べているとおり(証拠<省略>),被告Bら原告従業員が行っていた作業が,○○ソフトウエアのシステムの一部につき,b社の指示に基づき,1,2週間程度(緊急の場合は,翌日とか2,3日とかいった場合もある。証拠<省略>)の納期までに完成させるものであり,業務遂行の裁量性に乏しいものであることは否定できず,被告Bが実際に行っていた作業の内容を示す書面(証拠<省略>)も,この点を左右するものではない。

また,原告らは,被告Bの業務には営業活動が含まれておらず,被告Bがb社の従業員に発注を求めたことは,「情報処理システムの分析又は設計業務」の一環としてのヒアリングにすぎない旨主張する。しかし,前記認定(原判決19頁1行目ないし6行目)のとおり,被告Bは,D部長の指示で,売上げの減少を改善するために,b社の従業員に対し,新規の案件を下さいと言いに行く(証拠<省略>)などしていたものと認められ,この業務をシステムの分析又は設計業務の一環とみることは困難である。

これらによれば,原告らの主張は採用できない。

4  管理監督者の適用(争点3)について

当裁判所も,被告Bが,管理監督者に当たると認めることはできないと判断する。その理由は,原判決24頁2行目から3行目にかけての「認め難い」の後に「(少なくとも,被告Bが正社員の採用権限を有していたことを認めるに足りる証拠はない。)」を挿入するほか,原判決「事実及び理由」第3の4に記載されたとおりであるから,同部分を引用する。

5  時間外手当の額(争点4)について

(1)  上記3及び4からすると,被告Bについて,裁量労働制の適用はなく,管理監督者とも認められないので,原告は,被告Bに対し,時間外手当を支給すべき義務を負うことになる。

(2)  その額について検討するに,原告は,平成20年5月以降は,タイムカードを廃止し,それ以前のものは廃棄しているので,被告Bの労働時間を証する客観的な証拠は存在しないところ,被告Bは,同年10月以降の作業日報と作業日報等に基づく労働時間表など(乙4ないし6)を提出する(乙4は,同年10月1日の作業日報であり,乙5は,同日から平成21年2月23日までの作業日報による勤務時間をまとめたものであり,乙6は,乙4及び乙5などに基づいて上記期間の労働時間をまとめたものである。)。

そして,上記作業日報は具体的なものであり,訴訟を意識して作成されたものではなく,作成後間もなく原告に報告されていたものであって(甲34),被告Bがあえて実際より長い勤務時間を記載し報告する必要があったとは考え難いから,その内容は信用できる。また,休日の勤務に関しては作業日報に記載されていないが,上記期間のうち平成21年1月15日までの期間において被告Bが休日の大半も出勤していたことは,これに沿う被告Bの供述(被告B本人)が,被告Bの同僚(証拠・人証<省略>)や妻(証拠<省略>)の供述等のほか,D部長が同年の正月に出社中の被告Bに電話していること(証拠<省略>)によっても裏付けられており,信用できる。したがって,被告Bは,上記労働時間表(乙6)に記載された労働時間につき労働したものと認めることができる。

ところで,被告Bは,同年1月21日から同年2月21日までの間の深夜割増対象時間は33.5時間である旨主張するが,3.5時間であると認められる(証拠<省略>の5枚目で,被告Bが働いていない日に深夜割増対象時間が合計30時間誤って計上されている。)。

したがって,平成20年10月1日から平成21年2月21日までの間の時間外手当の未払額は,原判決別紙時間外手当計算<省略>の第2のうち,総深夜労働時間を124.5時間に改めた金額となるから,時間外手当が142万1288円,深夜手当が514.96円×124.5時間≒6万4112円,休日手当が16万9627円となり,以上の合計は165万5027円となる。

また,被告Bは,平成20年10月1日以前については,上記期間の平均労働時間の80%に相当する時間外労働をしていたと推定しているところ,被告Bの業務内容や労働災害認定においても毎月80時間を超える時間外労働があったと認定されていること(証拠<省略>)などからすると,この推定は一定の合理性を有しているということができる。

したがって,平成19年7月から平成20年9月までの間の時間外手当の未払額は,原判決別紙時間外手当計算の第3のうち,平成20年10月1日から平成21年2月21日までの問の未払時間外手当の1か月当たりの平均を165万5027円÷5≒33万1005円に改めた金額となるから,33万1005円×0.8×15か月=397万2060円となる。

そうすると,時効消滅していない平成19年7月から平成21年2月までの間の時間外手当の未払額は,165万5027円+397万2060円=562万7087円となる。

(3)  付加金については,原告が,専門業務型裁量労働制の適用される労働者であっても支給されるべき休日手当や深夜手当を全く支払っていなかったこと,他方で,原告は,被告Bに専門業務型裁量労働制の適用がない職種を担当させていたことにはなるが,適用がないことが明白とまではいえないことなどの諸事情(なお,後記6(2)のとおり,原告が被告Bの労働時間立証を妨害したとまでは認められない。)を考慮すると,前項の未払(ただし,原告の賃金の支払が毎月20日締め当月末日払であることは当事者間に争いがなく,被告Bが反訴状を提出して原告に付加金の支払を請求したのが平成21年9月1日であることは当裁判所に顕著であるから,平成19年8月20日までの間の未払分に対する付加金については除斥期間を経過しているので,この分を除く。)に対する付加金としては,300万円の限度で認めるのが相当である。

6  原告の被告Bに対する不法行為責任又は債務不履行責任(争点5)について

(1)  被告Bは,①原告は被告Bの労働時間立証を妨害していることなどから,時間外手当未払自体が不法行為に該当する,②原告の安全配慮義務違反によりうつ病を発症した,③原告は被告Bの退職の自由を侵害した,④原告の甲事件の訴え提起は違法であると主張し,原告は不法行為責任(①ないし④)又は債務不履行責任(②及び③)を負う旨主張するので検討する。

(2)  ①について

原告では平成20年5月ころから被告Bを含む管理職につきタイムカードを廃止し,それ以前のものを廃棄したと認められる(原判決20頁(14))が,この廃止や廃棄が被告Bの労働時間立証を妨害するなどの不当な目的でなされたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

また,就業規則については,確かに,原告が,本来の就業規則(証拠<省略>)には存在する割増賃金に関する規定(原告就業規則18条)を削除したもの(乙10)を,原告の就業規則として,原告従業員に配布した事実は認められる(人証<省略>。なお,原告が作成した乙14の12の1・2の各通知書に記載された就業規則の条文が乙10のそれであることからすれば,原告も,乙10の就業規則を原告の正式な就業規則として取り扱っていたものと考えられ,乙10は修正途中の版のデータを誤って印刷し配布したものであるとの原告らの主張は採用できない。)。しかし,被告Bが,原審の反訴状において,原告から就業規則を見せられたことはない旨主張していることなどに照らせば,被告Bが,本来のものとは異なる就業規則を原告から渡され,就業規則の内容を誤解し,時間外手当の請求を妨げられたというような事実関係を認めることはできない。

これらによれば,原告の被告Bに対する時間外手当の未払が,不法行為に該当するとは認められない。

(3)  ②について

ア 前記認定事実に加え,証拠(乙10,ほか証拠・人証<省略>,被告B本人)及び弁論の全趣旨によれば,被告Bにつき,平成20年9月1日に上司が被告Bの信頼していたE部長からD部長に変更になったこと,その後,b社からの受注量が低下し,売上げ目標の未達成についてD部長から叱責されることが続き,平成21年1月6日にはD部長からノートで頭を叩かれたこと,この間の平成20年10月1日以降の労働時間は前記5(2)のとおりであり,同月21日から同年11月20日までの間の所定外労働時間(休日労働を除く。)は138時間,深夜労働時間は41時間,休日労働時間は13時間,同月21日から同年12月20日までの所定外労働時間(同前)は141時間,深夜労働時間は41時間,休日労働時間は13時間に及んでいたこと(証拠<省略>),同月中旬ころからやる気がなくなり,意欲低下,疲労感,感情が浮かばない,頭痛等の抑うつ症状がみられるようになり,同僚からも元気がないと感じられていたこと,平成21年1月15日に退職を申し出た後は,上司とは口をきかなくなり,同年2月には朝起きるとめまいが生じ,同月24日から出勤できなくなり,同月27日に神経科を受診し,うつ状態と診断されたこと,退職後,うつ症状は急速に軽快し,同年4月3日の時点で就労可能な状況にあったこと,業務以外にうつ病発症の要因になるような出来事は存しないことが,それぞれ認められる。

そして,これらによれば,被告Bは,原告での業務における過度の心理的な負荷(売上げ目標の不達成,上司とのトラブル,2か月間の間に1か月当たり150時間を超えるような長期の時間外労働等)を原因として,平成20年12月中旬ころにうつ病を発症し,以後,平成21年2月までの間に,これが悪化したものと認められる。

イ ところで,労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして,疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると,労働者の心身の健康を損なう危険のあることは,周知のところであることなどからすれば,使用者(その代理監督者を含む。)は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり(最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照),専門型裁量労働制を取り入れていたとしても,使用者が上記義務を負うことは否定されないというべきである。

そして,前項のとおり,被告Bは,原告での業務における過度の心理的な負荷を原因としてうつ病を発症したと認められるところ,原告は,被告Bから,平日の勤務時間については報告を受けていた(証拠<省略>)から,被告Bの労働時間が長時間になっており,かつ,深夜に及んでいることも,把握していたか,容易に把握することができたといえる。しかるに,これにつき原告が何らかの対策を採ったとは認められず,かえって,上司であるD部長は,報告を受けた労働時間の確認をせず,気にもしていなかったと述べている(証拠<省略>)。そして,被告Bがうつ病を発症し,同僚からも元気がないと感じられるようになった後も,D部長において被告Bの頭を叩いて叱責し,被告Bが欠勤するようになった後も,原告において,被告Bにつき「日々無気力ぶりを装い」などと記載した書面を被告Bに送る(乙14の12の1)など,原告に労働者の心身の健康に配慮しようとする姿勢はほとんどみられない。

これらからすれば,原告が,平成21年1月になってb社との担当窓口を被告Bから別の者に変更したことなどを考慮しても,原告ないし被告Bの上司は,被告Bが長時間労働などにより心理的負荷が過度に蓄積する状況にあり,これにより心身の健康を損なう危険があることを認識していたか,容易に認識し得たのに,その負担を軽減させるための適切な措置を採ることを怠り,その結果,被告Bのうつ病を発症,悪化させたものと認められるから,原告ないしその代理監督者には,上記注意義務に違反した過失があり,原告は,被告Bのうつ病の発症及び悪化につき,不法行為(民法709条又は715条)に基づく損害賠償責任を負うというべきである。

この点,原告らは,原告は,作業状況をみて退社を促したり,定時に帰るように促したりするなどして,従業員の健康に配慮していた旨主張するが,定時に帰っていなかった被告Bに対し,具体的な対応を採ったわけでもないから,上記結論を左右するものではない。

ウ 損害について

(ア) 休業損害 10万5278円

前記認定事実に加え,証拠<省略>及び弁論の全趣旨によれば,被告Bは,うつ病により,平成21年2月27日から同年3月22日までの間のうちの21日間につき休業を余儀なくされたこと,その当時の被告Bの収入は1日当たり1万2294円を下回らないこと,被告Bが労災保険の休業補償給付として15万2896円の支給を受けたことがそれぞれ認められるので,上記うつ病により生じた被告Bの休業損害の額は,(1万2294円×21日)-15万2896円=10万5278円であると認められる。

(イ) 慰謝料 50万0000円

前記イの不法行為の内容,被告Bの病状,発症期間,通院日数・期間(被告Bは,平成21年2月27日,同年3月9日,同年4月3日及び同月17日の4回通院している。証拠<省略>)などの諸般の事情を考慮すると,被告Bの精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては,50万円が相当と認める。

(ウ) 弁護士費用 10万0000円

前記(ア)及び(イ)の損害額や事案の内容等に照らすと,前記イの不法行為と相当因果関係がある弁護士費用は,10万円が相当と認める。

(エ) 計 70万5278円

なお,原告の安全配慮義務違反行為が労働契約上の債務不履行を構成するとしても,その損害額は,上記認定額を超えるものではない。

(4)  ③について

被告Bにおいて退職の自由を有することはいうまでもないが,被告Bのミスなどを原因として,b社からの受注が減り,関係も悪化したという経過の中で,前記認定(原判決19頁(12))のとおり,被告Aらにおいて,退職を申し出た被告Bに対し,損害を与えたことを説明しつつ慰留することが,不法行為又は労働契約上の債務不履行を構成するとまではいえない。なお,平成21年1月15日のやり取りとして認められるのは上記認定の限度であり,被告Aが,被告Bに対し,脅迫といえるような言動を取ったことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(5)  ④について

訴えの提起が違法行為といえるためには,提訴者の主張した権利等が事実的・法律的根拠を欠く上,提訴者がそのことを知りながら又は容易に知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨・目的に照らして著しく妥当性を欠くと認められる場合に限られる(最高裁昭和63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁参照)ところ,本件においては,原告の甲事件の訴え提起が裁判制度の趣旨・目的に照らして著しく妥当性を欠くとは認められず,甲事件の訴え提起が違法行為になるとは認められない。

これに対し,被告Bは,一方で被告Bの勤務継続を望み,他方で被告Bに対し多額の損害賠償請求を行う原告の態度は矛盾しており,甲事件の請求原因事実と相反することを原告自らが行ったといえるから,甲事件の訴え提起は違法である旨主張するが,勤務継続を望んでいたことと損害賠償請求を行うこととが相反するとは必ずしもいえず,上記主張は採用できない。

また,被告Bは,原告の請求に根拠がないことは社会常識的にも明らかである旨主張する。しかしながら,使用者が労働者に対してどのような場合に損害賠償請求ができるかについては,判例(最高裁昭和51年7月8日第一小法廷判決・民集30巻7号689頁)によっても,諸般の事情が考慮されることになるのであり,本件では,被告Bのミスなどを原因として,b社からの受注が減り,関係も悪化したという事実関係が認められるのであるから,原告が甲事件において主張する損害賠償請求権が事実的・法律的根拠を欠くものであることを原告が知っていた又は容易に知り得たとはいえず,上記主張も採用できない。

7  被告Aの責任(争点6)について

被告Bは,原告の代表者である被告Aにおいて不法行為又は会社法429条1項に基づく損害賠償責任を負うと主張する。

ところで,前記6(1)①,③及び④に関し,被告Bの原告に対する損害賠償請求が認められないことは前記6のとおりであるから,これらの点については,被告Bの被告Aに対する損害賠償請求も同様に理由がない。

他方,前記6(1)②の安全配慮義務違反の点については,被告Aについても,従業員40名ほどという規模の会社である原告の代表取締役として,被告Bが長時間労働などにより心理的負荷が過度に蓄積する状況にあり,これにより心身の健康を損なう危険があることを認識していたか,容易に認識し得た(なお,証拠<省略>によれば,被告Aも,被告Bが勤務時間を記載した作業日報のメールを受信していたと認められる。)のに,その負担を軽減させるための適切な措置を採ることを怠り,その結果,被告Bのうつ病を発症,悪化させたものと認められるから,前記6(3)ウ(エ)の70万5278円の損害につき,原告と連帯して,不法行為責任(民法709条)を負うと解するのが相当である。なお,被告Aが会社法429条の責任を負うとしても,その損害額は,上記認定額を超えるものではない。

8  結論

以上によれば,原告の甲事件の請求は理由がないから棄却すべきであり,被告Bの乙事件及び丙事件の請求は,原告に対し,労働契約に基づき,未払時間外手当562万7087円及びこれに対する退職後の平成21年4月1日から支払済みまで賃金の支払の確保等に関する法律6条,同施行令1条所定の年14.6%の割合による遅延損害金の支払と,労働基準法114条に基づく付加金として,300万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払と,原告及び被告Aに対し,不法行為に基づく損害賠償請求として,連帯して,賠償金70万5278円及びこれに対する不法行為後の日である平成21年6月29日から支払済みまで同割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余の請求(当審における被告Bの被告Aに対する拡張請求を含む。)は理由がないから棄却すべきである。

したがって,原告及び被告Bの各控訴に基づき,これと一部異なる原判決を上記のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小松一雄 裁判官 遠藤曜子 裁判官 横路朋生)

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