大阪高等裁判所 平成23年(ネ)3446号 判決 2012年7月11日
控訴人(第一審被告)
日本興亜損害保険株式会社
同代表者代表取締役
F
同訴訟代理人弁護士
竹内貴康
同
佐藤光則
同
大西敦
同
中野元裕
同
井川寿幸
同
結城亮太
同
白川久雄
同
永松正悟
同
津波朝日
同
五十嵐佳弥子
被控訴人(第一審原告)
X
同訴訟代理人弁護士
川瀬新也
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
主文同旨
第二被控訴人の請求
控訴人は、被控訴人に対し、五五九万一七五〇円及びこれに対する平成二二年五月二〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第三事案の概要
一 本件は、損害保険会社である控訴人との間で自動車保険契約を締結した被控訴人が、この保険契約の被保険自動車が自損事故により全損したと主張し、主位的に、自らが同契約の被保険者であるとして、予備的に、この保険契約の被保険者から保険金請求権を譲り受けたとして、控訴人に対し、この保険契約に基づき、車両保険金五二五万円、全損時諸費用保険金二〇万円及び運搬費用一四万一七五〇円の合計五五九万一七五〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二二年五月二〇日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 原審は、被控訴人の請求を全て認容したため、控訴人がこれを不服として控訴した。
三 前提事実
(1) 当事者等
ア 控訴人は、損害保険業等を目的とする株式会社である。
イ(ア) 被控訴人(昭和四五年○月○日生)は、平成一八年九月一五日にBと婚姻したが、平成二一年九月二五日に同人と離婚した。被控訴人と平成一五年六月二七日に離婚した前々妻との間には、長男C(平成四年○月○日生)外二人の子がいる。これらの子は、両親が離婚した後、母親と同居して生活している。
(イ) 被控訴人は、五回の窃盗容疑で逮捕、起訴されていたが、平成一九年二月五日までに、窃盗と建造物侵入の容疑で再逮捕されていた。その後、被控訴人は有罪判決を受け、平成二一年三月まで服役した。
ウ A(以下「A」という。)は、aエンタープライズという屋号で中古車販売業等を営み、控訴人の代理店として、販売する中古車の損害保険業務も取り扱っている。また、Aは、a総合開発の屋号で土地造成工事や建物解体の仕事も行っている。
(2) 保険契約の締結
ア 被控訴人は、平成二一年九月一一日、控訴人との間で、被控訴人を保険契約者、控訴人を保険者として、次の内容の一般自動車総合保険契約を締結した(この保険契約を以下「本件保険契約」という。)。
(ア) 被保険自動車 別紙自動車目録記載の自動車(以下「本件自動車」という。)
(イ) 保険期間 平成二一年九月一一日午前八時から平成二二年九月一一日午後四時まで
(ウ) 総払込保険料 三五万七六〇〇円
イ 本件保険契約には、車両価額協定保険特約が付されており、控訴人と被控訴人は、この特約に基づき、五二五万円を本件自動車の価額として協定し、五二五万円を協定保険価額及び保険金額と定めた。
(3) 普通保険約款及び特約条項
ア 一般自動車総合保険契約に適用される普通保険約款の第五章車両条項(以下、単に「車両条項」という。)には、次の内容の条項がある。
(ア) 控訴人は、衝突、接触、墜落、転覆、物の飛来、火災、爆発、盗難、台風、こう水、高潮その他の偶然な事故によって被保険自動車に生じた損害に対して、被保険者に保険金を支払う(第一条一項)。
(イ) この車両条項における被保険者は、被保険自動車の所有者とする(第二条)。
(ウ) 控訴人は、保険契約者、被保険者、保険金を受け取るべき者、所有権留保条項付売買契約に基づく買主等の故意によって生じた損害に対しては保険金を支払わない(第三条一号)。
(エ) 損害額(控訴人が保険金を支払うべき損害の額)は、保険価額によって定める(第六条一項)
(オ) 保険事故によって被保険自動車が自力で走行できない状態となった場合に、被保険自動車の修理等を行う場所又は納車場所として社会通念上妥当と認められる場所へ被保険自動車を運搬するために生じる費用は、損害の一部とみなす(第八条三号)。
イ 一般自動車総合保険契約に適用される特約条項中の車両価額協定保険特約の条項には、次の内容の条項がある。
(ア) 控訴人と保険契約者又は被保険者は、保険契約締結の時における被保険自動車と同一の用途・車種・車名・型式・仕様・初度登録年月の自動車の市場販売価格相当額を被保険自動車の価額として協定し、その価額を協定保険価額及び保険金額として定める(車両価額協定保険特約第二条)。
(イ) 普通保険約款車両条項六条の規定にかかわらず、被保険自動車の損傷を修理することができない場合には、協定保険価額を損害額とする(車両価額協定保険特約第四条一号)。
(ウ) 控訴人は、保険金を支払うべき損害が全損の場合(被保険自動車の損傷を修理することができない場合又は修理費が協定保険価額以上となる場合)、保険金額の一〇パーセントに相当する額(ただし、二〇万円を限度とする。)を全損時諸費用保険金として支払う(車両価額協定保険特約第七条一号)。
(4) 本件自動車の所有者等
ア Aは、平成二〇年五月一五日に開催された株式会社ユー・エス・エスが運営する自動車のオークションにおいて、本件自動車を代金三八九万円で落札し、その所有権を取得して、同月二七日、本件自動車につきAを所有者とする移転登録手続をした。Aは、本件自動車を取得するために、上記代金の外に、消費税、落札料等合計三〇万二七二五円及び陸送代二万五六二〇円を負担した(落札代金を含めると合計四二一万八三四五円)。なお、本件自動車は左ハンドルである。
イ Aは、平成二一年九月四日、被控訴人に対し、次の約定で、本件自動車を代金五三〇万円で売る旨の売買契約を締結した(この売買契約を以下「本件売買契約」という。)。なお、本件自動車の車検有効期限は平成二二年五月二八日であった。
(ア) 代金のうち二〇〇万円は、被控訴人のAに対する将来発生することが見込まれる埋立造成工事請負代金から控除する。
(イ) 代金のうち六〇万円は頭金として遅滞なく支払い、二七〇万円は平成二一年一〇月から平成二三年三月まで、毎月一五万円を二五日限り支払う。
(ウ) 被控訴人が代金を完済するまで、本件自動車の所有権はAに留保される。
ウ 平成二一年九月一〇日、本件自動車につき、使用者を被控訴人とする変更登録手続がされた。
(5) 保険事故の発生等
ア 国道三〇三号は、岐阜市から滋賀県長浜市を経由して福井県に至る一般国道である。国道三〇三号線沿いには旧道が存在する(この旧道を以下「本件道路」という。)。本件道路は、アスファルト舗装がされているが、長期間整備されておらず、周辺には草が繁茂している。後記イの本件事故は、この本件道路に接する空き地(以下「本件空き地」という。)からその側を流れる川(以下「本件川」という。)に本件自動車が転落した事故である。本件空き地の周辺のおおよその状況は別紙図面一記載のとおりであり、これを説明すると次のとおりである。
(ア) 「道路」と記載されている部分が本件道路であり、その南側に接するほぼ三角形状の部分が本件空き地である。本件空き地の南側に本件川が東西に流れており、その上に橋(以下「本件橋」という。)が架かっている。本件空き地と本件川の間の傾斜地(以下「本件傾斜地」という。)の形状は別紙図面二記載のとおりである。
(イ) 本件空き地周辺の本件道路の幅員は約二・九メートルから約三メートルであり、本件川の水が流れている部分の幅員は約四・一メートルである。その他の距離関係は別紙図面一及び別紙図面二に記載のとおりである。
イ 本件自動車は、平成二一年一一月一五日午後四時四五分頃、滋賀県伊香郡木之本町(現長浜市)金居原地先の本件道路の南側に接する本件空き地から本件川まで、後ろ向きに滑落した(この事故を以下「本件事故」という。)。
(6) 本件事故の警察への届出等
ア 被控訴人は、本件事故が発生した後、携帯電話で、Aに対し、本件事故が発生したことを連絡した。Aは、ユニック車(クレーン車を登載したトラック)を持っている知り合いのE(以下「E」という。)に連絡し、本件自動車を引き上げることを依頼した。Eは、ユニック車で本件事故の現場に出向いたが、そのユニック車では、本件自動車を本件橋のたもとまで引き寄せることはできたが、本件橋の上まで引き上げることができなかったため、その旨をAに連絡した。そこで、Aは、大型のユニック車を持っている知り合いのGに本件自動車の引き上げを依頼し、Gは、本件自動車を本件橋の上まで引き上げた。
イ その後、被控訴人は、警察に出向いて、本件事故が発生したことを届け出た。なお、被控訴人は、その際、Eのユニック車に本件自動車を乗せて、これを警察に運んだ。
ウ 被控訴人は、本件事故後、医療機関で治療を受けたことはない。
(7) 被控訴人の本件事故発生に至る経緯についての説明
被控訴人は、その陳述書及び本人尋問で、本件事故発生に至る経緯を「被控訴人は、本件自動車を運転して国道三〇三号を進行し、途中で本件道路に入った。本件空き地に隣接する道路を少し進んだあたりで、Uターンして国道三〇三号に戻ろうと考え、停車した。本件空き地付近まで本件自動車を後退させ、本件空き地でUターンしようとした際、後方の確認がおろそかになって、ブレーキを踏む間もなく、本件自動車の後部から本件川に滑落した。本件自動車は、本件川で左側に傾いて停車した。被控訴人は、本件事故当時、シートベルトをしていなかった。」と説明している(この説明を以下「被控訴人説明」という。)。
(8) 債権譲渡
ア Aは、平成二三年二月二日、被控訴人との間で、Aが被控訴人に対し、本件保険契約に基づきAが控訴人に対して有する一切の保険金請求権を譲渡する旨合意した(この合意を以下「本件債権譲渡契約」という。)。
イ Aは、平成二三年二月三日到達の書面で、控訴人に対し、上記の債権譲渡をしたことを通知した。
ウ Aと被控訴人が上記アの合意をしたのは、被控訴人が、控訴人に対して本件保険契約に基づく保険金請求をしたところ、控訴人から、本件保険契約の被保険者は被控訴人ではなくてAであると主張されたためである。
四 争点及びこれについての当事者の主張
(1) 本件事故につき、本件保険契約に基づく保険金請求権が発生している場合に、被控訴人は控訴人に対して保険金請求をすることができるか。
ア 被控訴人の主張
(ア) 被控訴人は、所有権留保付きの割賦販売で本件自動車をその所有者であるAから購入した者であるから、本件保険契約の被保険者であるといえる。
(イ) 仮に、本件保険契約の被保険者が被控訴人ではなく、Aであるとしても、被控訴人は、本件債権譲渡契約により、Aから、本件保険契約に基づきAが控訴人に対して有する一切の保険金請求権を譲り受けた。
(ウ) したがって、いずれにせよ、本件事故につき、本件保険契約に基づく保険金請求権が発生している場合には、被控訴人は控訴人に対して保険金請求をすることができる。
(エ) なお、本件売買契約締結の意思表示が通謀虚偽表示であることは否認する。
イ 控訴人の主張
(ア) 被控訴人は、所有権留保付きの割賦販売で本件自動車を購入したとしても、いまだ所有権を取得していないのであるから、本件保険契約の被保険者であるとはいえない。被保険者は本件自動車の所有者のAである。
(イ) 仮に、所有権留保付きの割賦販売で自動車を購入した者も被保険者になり得るとしても、本件売買契約締結の意思表示は、次の各点に鑑みると、被控訴人とAが通謀してした虚偽の意思表示であるから無効であり、被控訴人は、所有権留保付きの割賦販売で本件自動車を購入した者ではない。
a 被控訴人には、本件自動車を購入する資力がない。また、本件売買契約で定められた代金支払方法も不合理である。
b 被控訴人は、平成二一年九月当時、セルシオと軽トラックを所有しており、本件自動車を購入する必要はなかった。
(2) 保険事故は発生したか。
ア 被控訴人の主張
本件事故は、車両条項第一条一項所定の「偶然な事故」に該当する。したがって、保険事故が発生したことは明らかである。
イ 控訴人の主張
被控訴人は、本件事故は被控訴人説明のような経緯で発生したものである旨主張するが、本件事故は被控訴人説明のような経緯で発生したものではなく、被控訴人が故意に発生させたものである。このような場合には、被控訴人主張のような態様の事故は存在しないのであるから、保険事故そのものが発生していないというべきである。
(3) 本件事故は控訴人が故意に発生させたものであるか。
ア 控訴人の主張
本件事故は、次の各点に鑑みると、控訴人が故意に発生させたものである。
(ア) 被控訴人は、本件道路をそのまま進行すれば、国道三〇三号に出ることができるのに、あえて本件空き地でUターンしようとしたのは不自然である。
(イ) 本件空き地は、本件自動車を容易にUターンさせることができるだけの広さがある上、被控訴人は、通常Uターンを行うのに必要な後退距離の二倍以上も後退している。
(ウ) 本件空き地は、本件道路側から本件傾斜地側に向けて約五度の下り勾配となっており、アクセルをほとんど踏み込まなくても本件自動車を後退させることができたはずであるのに、被控訴人は、控訴人から事故後に調査を受けた際、アクセルを踏み込み勢いよくバックさせたとの不自然な説明をした。被控訴人がこのような不自然な説明をするのは、自らが本件自動車を運転して本件自動車を後退させたことがないからである。
(エ) 本件自動車は、本件事故による損傷状況からすると、本件事故後、左側面を下にした状態で停止したとみられ、左ドアから脱出することはできないにもかかわらず、被控訴人は、控訴人から本件事故後に調査を受けた際、「左ドアを蹴って開けて脚から外に出たら川の中だった。」との不自然な説明をした。また、被控訴人が本件自動車を運転したまま本件傾斜地を本件川まで滑落すると、負傷して当然であると考えられるのに、被控訴人は怪我をしていない。これらのことからすると、本件事故当時、被控訴人は本件自動車の中にいなかったと考えられる。
(オ) 前記のとおり、被控訴人とAとの売買契約は通謀虚偽表示である。
(カ) Aは、本件自動車を取得後一年四か月経っても売却先を見つけることができなかったこと、平成二一年九月現在の本件自動車と同種車両の小売価格は約四一五万円であったことからすると、被控訴人とAには、本件売買契約を仮装し、かつ、本件事故を故意に発生させて、車両保険金五二五万円及び全損時諸費用保険金二〇万円合計五四五万円を得ようとする動機はあったと考えられる。
イ 被控訴人の主張
控訴人が本件事故を故意に発生させたことは否認する。控訴人の上記主張に対する反論は次のとおりである。
(ア) 本件道路は整備が行き届いておらず、その両側から雑草が入り込み、幅員が狭まった状態であった。また、被控訴人は、本件道路に不案内であった。そこで、被控訴人は、安全を考えて、国道三〇三号に引き返すことにしたものであって、被控訴人が本件空き地でUターンしようとしたことは何ら不自然ではない。
(イ) 被控訴人は、本件空き地を実際よりも広いと認識し、後方スペースは十分あると勘違いしたまま、左手の山の斜面に車体をこすらないように注意しながら本件自動車を後退させたところ、本件事故を起こしてしまった。
(ウ) 被控訴人は、本件空き地が本件道路側から本件傾斜地側に向けて約五度の下り勾配となっていることを認識していなかった。
(エ) 本件自動車は、本件事故後、左側面を完全に下にした状態にあったのではなく、下に傾いた状態で停車していたので、被控訴人は、左のドアを開けて外に出ることはできた。また、被控訴人は、本件事故後、首や腰に痛みを感じたが、人身事故の扱いにすると運転免許に影響が出ると考え、病院に行かなかっただけである。
(オ) 被控訴人は、平成二一年七月から有限会社乙野で働いて給与収入を得ており、また、屑鉄回収業を営んで収入を得ていたから、本件自動車を購入するのに必要な継続的収入が十分あった。また、被控訴人は、仕事で使っていた軽トラックのほかに、プライベートで使用する車として本件自動車を購入した。セルシオは、被控訴人が、長男Cが免許を取得したら長男Cに譲ろうと考えて、予め購入したものであり、被控訴人が、本件自動車を購入したことは何ら不自然ではない。
(カ) 被控訴人やAには、本件事故を故意に起こしても、それによって得られる利益はないから、本件事故を故意に起こす動機がない。
(4) 本件事故によって被保険自動車が自力で走行できない状態となったか。なったといえる場合。本件自動車の修理等を行う場所又は納車場所として社会通念上妥当と認められる場所へ本件自動車を運搬するために生じた費用はいくらか。
ア 被控訴人の主張
本件事故により本件自動車は自力で走行できなくなった。本件自動車を上記社会通念上妥当と認められる場所まで運搬する費用は、一四万一七五〇円である。
イ 控訴人の主張
否認する。
第四当裁判所の判断
一 争点(1)について
本件事故につき、本件保険契約に基づく保険金請求権が発生している場合に、被控訴人が本件保険契約の被保険者であれば、被控訴人は当然に控訴人に対する保険金請求権を取得したことになるし、また、仮に、控訴人の主張するとおり、本件保険契約の被保険者が被控訴人ではなく、Aであり、Aが控訴人に対する保険金請求権を取得したとしても、控訴人は、本件債権譲渡契約に基づき、Aの控訴人に対する保険金請求権を取得したことになる。したがって、いずれにしても、被控訴人は、本件事故につき、本件保険契約に基づく保険金請求権が発生している場合には、控訴人に対して保険金請求をすることができるといえる。
二 争点(2)について
車両条項第一条一項は、保険金請求権を発生させる保険事故を「衝突、接触、墜落、転覆、物の飛来、火災、爆発、盗難、台風、こう水、高潮その他の偶然な事故」と定めているが、ここにいう「偶然な事故」は、保険契約締結時発生するかどうか不確定な事故であると解されるところ(最高裁判所平成一八年六月一日判決・民集六〇巻五号四八八七頁参照)、本件事故が「偶然な事故」に該当することは明らかであるから、本件保険契約上の保険事故は発生したといえる。仮に、本件事故が被控訴人説明のような経緯で発生したものではなく、被控訴人が故意に発生させたものであったとしても、保険事故が発生していないことにはならない。
三 争点(3)について
(1) 前記第三の三(5)の事実に証拠<省略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
ア 本件自動車が本件空き地から本件川に滑落した本件傾斜地の長さは約一〇メートルであり、本件空き地側から雑草に覆われた傾斜角約四〇度の斜面が約五・八メートル、次に傾斜角約六七度の護岸用石垣が約二メートル、更に、傾斜角約二〇度の草地が約二・二メートルあって、本件川に至っている。幅員約四・一メートルの本件川を挟んだ対岸は護岸用の石垣が施されている。本件空き地と本件川との高低差は約七メートルである。
イ 本件自動車(車体の長さは四・五三メートルである。)は、本件空き地から後輪を逸脱させた後、車底部を本件傾斜地上部に接触させた上、滑落を続け、川岸の傾斜角約二〇度の草地に車体後部を衝突させ、そのまま本件川に入って後退し、車体後部を対岸の護岸用の石垣に接触させ、左側面を下に、右側面を上にした状態で停止した。
ウ 被控訴人は、本件事故後に控訴人から調査を受けた際、本件事故後に本件自動車から脱出した状況につき、「左ドアを蹴って開けて脚から外に出たら川の中だった。」、「左の運転席側ドアは開きにくく蹴ってようやく開きました。」と説明した。
エ 本件自動車が、上記ア記載の形状の本件傾斜地を上記イ記載の態様で滑落した場合、シートベルトをしていない本件自動車の運転者は、体のバランスを崩し、頭部、頚椎部、肩部、上肢部、下腿部の全身打撲の傷害を受ける。
被控訴人は、「本件自動車は、本件事故後、左側面を完全に下にした状態にあったのではなく、下に傾いた状態で停車していた。」旨の前記認定に反する主張をし、甲五四号証(Eの陳述書)の記載中には、「ベンツは、車体の右側が少し持ち上るような(すなわち左側が少し沈み込むような)形で斜め向いて止まっていました。左側を真下にして停止していたのではありません。」との被控訴人の主張に沿う部分がある。しかしながら、証拠<省略>によると、Eは、平成二一年一二月一〇日、控訴人から、本件事故に関する事情を聞かれた際に、「左を下にして落ちているベンツの右側のタイヤの前後にベルトをかけ、橋の方に寄せていった。このとき一八〇度回転させて下面が橋に向くようにしている。」と説明していることが認められるのであって、この事実に照らすと、甲五四号証の前記記載部分は信用できず、他に、前記認定を覆すに足りる証拠はない。
(2) (1)で認定した事実に基づき検討する。被控訴人が、本件事故発生時に被控訴人説明のとおりシートベルトをしないで本件自動車の車内(運転席)にいたのであれば、頭部、頚椎部、肩部、上肢部、下腿部の全身打撲の傷害を受けないはずがなく、このような傷害を受ければ当然医療機関での治療を要したはずであるのに、被控訴人は、本件事故後、医療機関で治療を受けていない(前記第三の三(6)ウ)。このことからすると、被控訴人は、本件事故当時、本件自動車の車内にいなかったことを推認することができる。また、本件自動車は、本件事故後、左側面を下にして停止したものであって、左側ドアから出ることは不可能であったにもかかわらず、被控訴人が左側ドアから脱出したと主張していることからも、被控訴人が、本件事故当時、本件自動車の車内にいなかったことを推認することができる。そして、被控訴人が、本件事故当時、本件自動車の車内にいなかったにもかかわらず、車内にいたと主張していること自体が、被控訴人が本件事故を故意に起こしたことを物語るものであるといえる。
ところで、被控訴人は、被控訴人やAには、本件事故を故意に起こす動機がない旨主張するが、証拠<省略>を総合すると、Aは、本件自動車を取得後一年四か月経っても売却先を見つけることができなかったこと、平成二一年九月現在の本件自動車と同種車両の小売価格は約四一五万円であったことが認められ、このことからすると、被控訴人とAとが示し合わせて本件事故を故意に発生させれば、顧客に小売価格相当額で販売するよりも多額な保険金等を取得できることになるのであるから、被控訴人やAに本件事故を故意に起こす動機がないとはいえない。
なお、控訴人は、被控訴人が本件事故を故意に発生させたと考えられる根拠を他にも主張するが、上記検討した点だけで、十分これを肯認することができる。
(3) そうすると、本件事故は、保険契約者である被控訴人の故意によって発生したものであるから、控訴人は、車両条項第三条一号により、保険金の支払請求を拒むことができる。
四 以上によれば、被控訴人の請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却すべきであり、これと異なる原判決は相当でない。よって、原判決を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷口幸博 裁判官 一谷好文 秋本昌彦)
別紙 自動車目録<省略>
別紙 図面一、二<省略>