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大阪高等裁判所 平成23年(行コ)159号 判決 2012年7月05日

控訴人(原告)

法定代理人成年後見人

訴訟代理人弁護士

渡辺和恵

下川和男

波多野進

被控訴人(被告)

代表者法務大臣

処分行政庁

橋本労働基準監督署長

訴訟代理人弁護士

指定代理人

D他6名

主文

1  原判決を取り消す。

2  処分行政庁が控訴人に対し平成19年3月29日付けでした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

3  訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

主文同旨

第2事案の概要

1  控訴人(昭和27年○月○日生)は,平成12年7月3日に有限会社a(以下「本件会社」という。)に雇用され,浄化槽の保守点検業務に従事していた者であり,かねてから同僚であるFの勤務態度の不良や非違行為(顧客からの代金の横領)に対する本件会社の代表取締役であるEやその妻の対応に不満をもっていたところ,自宅謹慎を命じられていた他の同僚を本件会社の自動車に同乗させたことをE社長に咎められたことから同人と口論となり,同人から懲戒解雇の意思表示を受けたため,適応障害(混合性不安抑うつ反応)(ICD-10のF43)を発症し,平成15年6月1日,自殺を企図するに及び,蘇生後低酸素性脳障害により失明等の重篤な障害を残して労働能力を喪失したとして,処分行政庁に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)12条の8第1項1号及び2号に基づき,療養補償給付及び休業補償給付の支給を求めたが,処分行政庁がいずれの給付についてもこれを支給しない旨の処分(以下「本件各処分」という。)を行い,和歌山労働者災害補償保険審査官は審査請求を棄却する決定を,労働保険審査会も再審査請求を棄却する裁決を,それぞれ行ったことから,控訴人が本件各処分の取消しを求めて訴えを提起した。

2  原判決は,控訴人が,本件解雇の以前に,Fや本件会社の所為に関して強い心理的負荷を受けていたとまで認められず,また,本件解雇により受けた心理的負荷もその程度が強いものであるとまで認められないから,控訴人が精神障害を発症するに値するほど業務に起因して強い心理的負荷を受けた事実を認めることはできず,仮に,控訴人において「適応障害」を発症していたとしても,これは主として控訴人の個体側の脆弱性に起因して生じたものであることが窺われると説示して,控訴人の請求を棄却したことから,控訴人において控訴を提起した。

3  前提事実,並びに争点及び争点に対する当事者の主張は,原判決「事実及び理由」欄「第2 事案の概要等」の2及び3(2頁16行目から13頁9行目に記載のとおりである(ただし,原判決別紙「判断指針の大要」の1の2行目の「証拠<省略>」を「証拠<省略>」と改める。)。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所は,控訴人の自殺企図及びこれにより生じた障害は,本件会社の業務に起因するものであり,本件各処分の取消しを求める控訴人の請求は理由があるものと判断する。

2  労働者が業務上負傷し,又は疾病にかかった場合においては,当該労働者は労災保険法における療養補償給付及び休業補償給付の請求をすることができるところ(労働基準法75条1項,76条,労災保険法12条の8第1項1号及び2号,同条2項),業務上の疾病及び療養の範囲は労働基準法施行規則別表第1の2(以下「別表第1の2」という。)において定められている(労働基準法75条2項)。

そして,労働者が故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは,労災保険法による給付は行われないが(労災保険法12条の2の2第1項),労働者が自殺を企図したような場合であっても,労働者が精神障害を発症した結果,正常な認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺企図が行われた場合には,上記精神障害が業務に起因することが明らかな疾病(別表第1の2・9号)であれば,自殺企図による障害につき業務起因性を認めることができる。判断指針(証拠<省略>)においては,ICD-10のF0から4に分類される多くの精神障害では,精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから,精神障害により正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定されるとしている。

さらに,労働者の負傷や疾病等を「業務上」のものというためには,業務と疾病等との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,当該労働者の疾病等が業務に内在し随伴する各種の危険が現実化したものと認められる関係(相当因果関係)が存することを要すると解される。

精神障害の成因については,環境からくるストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス・脆弱性」理論が広く受け入れられており(証拠<省略>),業務と精神障害発症との間の相当因果関係が認められるためには,ストレスを業務に関連するものとそうでないものとに区別した上,個体側の反応性,脆弱性を総合考慮して,業務による心理的負荷が,客観的に,精神障害を発症させる程度に過重であると認められるのであれば,業務に内在し随伴する危険が現実化したものとして,当該精神障害の業務起因性を肯定できると解するのが相当である。

そこで,本件について,控訴人の自殺企図による後遺障害について,業務起因性の有無について検討する。

3  控訴人の履歴等,本件の事実経過,並びに医師の診断及び意見等については,原判決「事実及び理由」欄「第3 当裁判所の判断」の1(13頁11行目から26頁22行目に説示するとおりである。ただし,以下のとおり補正する。

(1)  13頁13行目の「証拠<省略>」を「証拠<省略>」と改める。

(2)  文中の「M医師」(14頁3,9,12及び21行目)を「S医師」と,「r-GTP」(14頁14~15行目及び15頁10行目)を「γ-GTP」と,それぞれ改める。

(3)  14頁8行目の「血液検査の結果,」の次に「禁酒が奏功して」を,25行目の「数分後,」の次に「手指にチアノーゼが出現し」を,それぞれ加える。

(4)  16頁10~11行目の「プロチゾラム」を「ブロチゾラム」と改める。

(5)  19頁5行目の「社内」を「車内」と改め,25行目の末尾に「また,控訴人は,同日午後4時ころ,同僚に対し,本件解雇を行ったE社長の態度について「いつもと違うわ」と評し,「今度はくびになるわ」と述べた。」を加え,20頁3行目の「証拠<省略>」を「証拠<省略>」と改める。

(6)  20頁4行目の「Nを呼出し」を「県立体育館の駐車場にNを呼び出し,」と,13行目の「偶然会ったE社長夫妻」から14行目までを「偶然に同体育館の駐車場に社用車が駐車しているのを目にして近づいてきたE社長夫妻との間に,「社用車を乗り回すな。」などと応酬があった。」を加え,15行目の「同日」を「同年5月31日」と改める。

(7)  23頁14行目の「基盤とし他動用の」を「基盤とした同様の」と改める。

(8)  25頁5行目の「R意見書」の次に「,V医師(精神科)の医学意見書」を,10行目の「息子」の次に「と」を,それぞれ加え,26頁6行目の「6月1日での」を「6月1日までの」と改める。

4  以上認定の医師の診断経過及び産業医等の意見,本人・家族・本件会社の関係者の陳述内容並びに業務の実態等によると,控訴人は,本件解雇という強い心理的負荷をかけられ(判断指針の別表1によると,一般的に,「退職を強要された」という具体的出来事についての心理的負荷の強度は,最高値の「Ⅲ」〔人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷〕とされている。),当初は,その撤回や再就職の手段を模索するための行動をとったものの,意図した結果が得られる見込みが少ないと思い悩んで焦燥が募り,精神状態に顕著な変化が生じて,言動や体調に明らかな異常を来したもので,ICD-10の第V章「精神および行動の障害」分類上,F4(神経症性障害,ストレス関連障害及び身体表現性障害)にあたると合理的に考えられる精神障害を発症したと認められる。そして,判断指針別表1の「(2)心理的負荷の強度を修正する視点」欄にある「解雇又は退職強要の経過等,強要の程度,代償措置の内容等」について検討してみても,本件解雇は控訴人にとって予期しない突然の出来事であり,E社長と口論となるなど尋常でない経過があったことを考慮すると,上記Ⅲの評価を修正すべきであるとはいえず,業務による心理的負荷の強度の総合評価としては,「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷」といえる「強」にあたると認めるのが相当である。

そして,以下の検討も総合すれば,上記の経緯からみて,控訴人は,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害される状態で自殺を企図したものと認められる。

(1)  被控訴人は,控訴人がこれまで転職を繰り返しており,また,E社長による本件解雇に対して,「辞めたらいいんやろ」などと応じたことをもって,本件解雇が「退職を強要された」という出来事に当たらず,その心理的負荷が強かったとはいえないと主張する。

しかしながら,前記認定の事実によると,控訴人は,かねてよりFの勤務態度の不良や控訴人を巻き込んだ非違行為に対し,同人に何らの処分も下されないことに不満を高じさせていたところ,たまたま本件会社を訪ねてきた謹慎中の同僚を社用車に乗せて会話をしたということだけで,E社長から突然本件退社通告を受けたことから,それまでの鬱憤が一挙に爆発し,上記のような応答となったもので,納得ずくで本件解雇を受け容れたものではないことが明らかである。

本件退社通告後自殺未遂に至るまでの控訴人の行動の経過を見ると,控訴人は,本件解雇により強い衝撃を受け,本件解雇及びそれに対する対処のことで頭の中が一杯になり,そのことに支配されて行動していたと考えられる。食事をとらなかったこと,水を多量に飲んだこと及び「暑い」といったり,「寒い」といったりしていたこと等の身体に対する影響が現れていたことも総合すれば,控訴人が労働基準監督署を訪問するなどの合理的行動をとっているように見えるとしても,それが本件解雇による心理的負荷が強くなかったことを示すものであるとはいえない。

(2)  被控訴人は,控訴人においては,アルコール依存症候群又はアルコール依存傾向にあったことから,それに基づく精神障害を発症させていたため,本件解雇をきっかけに自殺企図に至ったことを主張し,控訴人が平成12年からアルコール依存症を発症しており,平成14年11月からはそれが悪化して,アルコール関連症状(ICD-10 F10.07を含む)の発現閾値が低下し,これを基盤とした精神変調が時期を追うに従い顕現化しやすくなり,フラッシュバックのごとく少量のアルコールでも錯乱状態が現れる状態となっていて,一連の抑うつ状態,自傷の要因となっているものと推定されるとする上記専門部会意見書(甲6)を援用して,本件解雇と控訴人の自殺企図との間の相当因果関係を否定する。

しかしながら,前記認定の事実及びR医師の意見書(証拠<省略>)によると,純アルコール150ミリリットル(同本酒にして5合半程度)を毎日飲酒する者を多量飲酒者というが,控訴人はこれに該当せず,アルコールに対する耐性が増強してきたことを窺わせる事情もないこと,控訴人は,平成13年10月ころ,アルコール性肝障害と診断されたが(ただし,アルコール性肝障害の患者すべてがアルコール依存症であるとはいえない。),禁酒により約1か月で改善したことからすると,そのころ控訴人においては,アルコール依存症の特徴である「隠れ飲み」や借金をしての際限のない飲酒などのアルコールに対する「渇望」の諸症状を認めることはできないこと(なお,控訴人が入院した父親の病室にウイスキーを持ち込んだことや,本件会社の帰り際に缶ビールを所持していたのを現認されたことがあるというだけでは,飲酒への「渇望」ととらえることはできない。),また,控訴人には,アルコール依存症の診断基準ともなる「離脱症状」(振戦,発汗など)もなかったこと,控訴人には勤務中の飲酒の事実はなく,仕事に支障を来すような問題飲酒も認められず,社会適応状況に特別の問題はなかったこと,控訴人においては,家庭での飲酒量が増加し,平成14年10月に家族に当たり散らし,平成15年の正月には長男と暴力を伴うけんかをするなど,飲酒にともなう「問題行動」があり,そのころ又はそれ以前から,不眠,独語,疲労倦怠,抑うつ気分,焦燥,興味の喪失,気力の低下,無関心等がみられたが,家庭での「問題行動」は,その頻度が低いことから異常酩酊(病的酩酊や複雑酩酊)を窺わせるものではなく,不眠等の状況も,同僚らが控訴人の体調不良を指摘していないことからすると,その程度が重度であったとはいえないこと,控訴人が自殺を企図した際に飲酒をしていた事実を的確に認める証拠はないことが,それぞれ認められるから,控訴人については,ICD-10におけるアルコール依存症の指標には該当しないというべきであり,控訴人がアルコール依存症又はその傾向にあり,そのために抑うつ症状などの精神障害を発症して,自殺を企図したということはできない。

なお,平成14年1月ころ以降に2度発生したFによる横領事件及びそれに対する本件会社の対応が,控訴人にとって相当の心理的負荷となった蓋然性があるというべきところ,同年ころから現われた控訴人の精神的変調を窺わせる行動が,その影響を受けていなかったと断定することもできない。

(3)  控訴人において,家庭不和があったというNの供述やl病院のカルテ(証拠<省略>)の記載を裏付ける証拠はなく,少なくとも注目に値する家庭不和があったとは認められない。また,控訴人が几帳面でまじめであるが,他方で「短気激情型」でE社長に反抗的なところがあるなど,性格に偏りがあるとしても,これを個体側要因(ストレスに対する脆弱性)として,業務と障害との相当因果関係を否定する事由とすべきことにはならない。

(4)  V医師の上記医学意見書(証拠<省略>)によると,控訴人には,精神疾患による入通院の経歴はないものの,控訴人は,平成14年末に「うつ病エピソード」があり,精神障害は改善なく進行して解雇に反応した精神混乱状態で自殺企図したとされている。しかしながら,同意見書によっても,控訴人には私生活に精神障害の原因となるストレス因は見いだせず,唯一職場での処遇(Fの怠業や非違行為などに対するE社長夫妻の対処等)が「うつ病エピソード」の原因であり,「うつ病エピソード」が自殺企図の原因であると断じていることからして,同意見書により本件解雇と控訴人の疾病及び障害との相当因果関係を否定することはできない。

5  よって,原判決を取り消し,控訴人の請求を認容することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 菊池徹 裁判官 遠藤俊郎)

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