大阪高等裁判所 平成23年(行コ)165号 判決 2012年11月29日
控訴人(被告)
国
同代表者法務大臣
A
処分行政庁
大阪労働局長 B
同指定代理人
C他11名
被控訴人(原告)
X
同訴訟代理人弁護士
松丸正
同
下川和男
同
田中宏幸
同
波多野進
同
四方久寛
同
生越照幸
同
立野嘉英
同
長瀬信明
同
舟木一弘
同
足立賢介
同
團野彩子
同
岩城穣
同
上出恭子
同
瓦井剛司
同
和田香
主文
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 上記部分につき、被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
主文と同旨
第2事案の概要(略称は、特記するもののほか原判決の用法による。)
1 本件の要旨
(1) 本件は、被控訴人が処分行政庁に対し、行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成21年法律第66号による改正前のもの。「情報公開法」)に基づき、大阪労働局管内の各労働基準監督署長が平成14年4月1日から平成21年3月5日までの間に、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に係る労災補償給付の支給請求に対して支給決定を下した事案について、その処理状況を把握するために作成している処理経過簿(本件文書)のうち、①被災労働者が所属していた事業場名欄のうち法人名が記載されている部分、②労災補償給付の支給決定年月日の開示を請求した(本件開示請求)ところ、処分行政庁が、本件文書の一部は情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当するとして、開示請求に係る行政文書の一部を開示しない旨の決定(本件一部不開示決定)をしたため、被控訴人が、本件一部不開示決定のうち、被災労働者が所属していた事業名欄のうち法人名記載部分を不開示とした部分は違法であるとして、その取消しを求めた事案である。なお、本訴係属後の裁決に基づき一部開示された部分については、訴えが取り下げられた。
(2) 控訴人は、事業場名は情報公開法5条1号、2号イ、6号柱書所定の不開示情報に該当するから、本件処分は適法であるとして、被控訴人の請求を争った。
(3) 原審裁判所は、事業場名は情報公開法5条1号、2号イ、6号柱書所定の不開示情報に該当せず、本件一部不開示決定は違法であるとして、本件文書中、事業場名欄が存在しない平成16年度の処理経過簿に係る部分を除き、被控訴人の請求を認容した。
(4) 控訴人はその敗訴部分を不服として控訴を提起し、被控訴人の請求を全て棄却するように求めた。
2 「情報公開法の定め」、「前提事実」、「争点」、「争点に関する当事者の主張」は、後記3の「当審における控訴人の補充主張」及び後記4の「当審における被控訴人の補充主張」を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第2の1~4の記載のとおりであるから、これを引用する。
3 当審における控訴人の補充主張
(1) 事業場名が情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当することについて
ア 情報公開法5条1号は、個人に関する情報について、いわゆるモザイク・アプローチの手法を採用し、当該情報単独では特定の個人を識別することができなくても、他の情報と照合することにより特定の個人を識別することができるものも不開示情報として、個人識別情報の保護に万全を期している。他方、情報公開請求権は何人にも認められ、開示請求の目的も問われない。そうすると、個人情報の保護に万全を期するという情報公開法5条1号の趣旨に照らせば、照合の対象となる「他の情報」は、一般人が通常入手しうる情報に限定されるものではなく、当該個人の近親者や同僚、知人、周辺住民等の特定範疇の者が保有し、あるいは入手しうる情報も含まれると解するべきである(個人情報がこれら特定範疇の者との関係で保護されなくてよいという理由はない。)。
イ 情報公開法5条1号及び行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第58号。以下「行政機関個人情報保護法」という。)2条2項は、不開示情報である個人識別情報に、他の情報と容易に照合することができることを要件としていない。
これに対し、個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号。以下「個人情報保護法」という。)2条1項は、同法の個人情報の意義について、「他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。」と規定している。
この相違は、個人情報保護法が営業の自由を有する民間企業をも規制の対象としていることから、取得等が規制される個人情報の範囲を広げすぎると、営業活動に支障が生じかねないのに対し、情報公開法及び行政機関個人情報保護法が対象とする行政文書の保有主体である行政機関については、営業の自由に配慮する必要がなく、むしろ、行政機関の保有する個人情報の保護を厚くする必要があることに基づくものである。
原判決のように、照合の対象となる「他の情報」の範囲を一般人が通常入手しうる情報に限定するとすれば、情報公開法5条1号が個人情報の保護を十全にする趣旨で照合の容易性をあえて要件としていない趣旨が没却される。
ウ 本件では、処理経過簿中の監督署名、職種、業種、疾患名、支給年月日等の情報が既に公にされていることから、これら情報と、当該被災労働者の近親者のほか、同僚や取引先関係者などが保有し、入手しうる情報とを併せ照合すれば、比較的広範囲の者が当該被災労働者個人を識別することができる。加えて、過去に処理経過簿に記録された法人等は、従業員30人以下の小規模企業が全体の4割以上を占めており、これらの小規模企業においては、被災労働者個人の識別がいっそう容易であることなどを考慮すると、事業場名が情報公開法5条1号に該当することが明らかである。
エ 原判決は、当該被災者の近親者等が開示請求によって得た情報を自己の保有する情報と照合することにより当該個人が識別され、その結果当該個人の権利利益が侵害されるおそれがある場合には、情報公開法5条1号後段にいう、公にすることにより個人の権利利益を害するおそれがある場合としての不開示事由に当たりうるから、当該個人の保護に欠けることはないと判示する。
しかし、原判決のように個人識別性の要件をことさら厳格に解して、個人が識別されうるものも個人識別性がないものとした上で、同号後段で保護すれば足りると解すること自体、法の趣旨と相容れないというべきである。また、同号後段は、個人識別性以外の観点から、なお個人の権利利益を保護する必要がある場合の規定であり、原判決の説示は当を得ない。
(2) 事業場名が情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当することについて
ア 情報公開法5条2号イの「その他の正当な利益」には、法人等に関する情報の開示によって、当該法人等の信用が不当に損なわれ、社会的評価が低下するという不利益を被らないことも含まれる。
イ 原判決も指摘するように、労災補償保険制度それ自体は、業務上の事由等による労働者の負傷、疾病、障害、死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするために必要な保険給付を行い、当該労働者の社会復帰の促進、当該労働者及びその遺族の援護等を図り、労働者の福祉の増進に寄与することなどを目的とするものであり、その支給決定に当たって、使用者に労働基準法等の法令違反があったか否かが問題とされるものではない。
しかし、法人等の信用が損なわれ、その正当な利益が害されるおそれがあるかどうかという情報公開法5条2号イの不開示事由該当性の判断に当たり、問題とされるべきことは、上記のような労災補償保険制度の目的や、その支給決定が使用者の法令違反を意味するものかどうかという制度の客観的性質それ自体ではなく、特定の法人等の事業場において就労していた労働者が業務上の事由により疾病等に罹患し死亡するなどしたという内容の情報が、社会一般にどのように受け取られ、このことが当該法人等の社会的評価を低下させるかどうかということにある。
ウ 特定の法人等の事業所における業務に起因して労災補償給付に係る事案が発生したという情報に対する社会一般の認識は、これが直ちに当該法人等の労働基準法違反を意味するものではないとか、当該法人等における過重勤務のみが原因とは限らず被災労働者本人の基礎疾患や生活習慣も考慮に入れる必要があるといった労災補償保険制度の本質を踏まえた客観的かつ冷静な受け止め方とはほど遠く、個別的事案を離れて「過労死」等の言葉でひとくくりにされ、当該法人等が長時間労働を強い、あるいはこれを黙認し、労務管理がずさんであることや、当該法人等に労働基準法等の法令違反があったことを強く印象づける報道がされる傾向がある。
エ このことは、原判決に対する新聞報道のされ方や、それに対する国民一般の受け止め方等からも明らかである。
(ア) 原判決後の新聞報道では、「過労死」等を発生させた法人等が、低賃金で従業員を酷使する「ブラック企業」と称される悪質企業であるかのような報道をするもの(書証<省略>)、労働災害発生の経緯や原因に諸々のものがあることを捨象し、「過労死企業名公開を」との否定的言辞を伴う表題のもとに「過労死企業名は学生が就職先を選ぶ際の非常に分かりやすい指標になる」とのNPO法人関係者の談話を掲載するもの(書証<省略>)がある。
(イ) aニュースに掲載された原判決の配信記事に対する投稿は、原判決が労災補償給付の決定があった事業場の法人名の開示を命じたことについて、当該法人において労災補償給付決定の事案があったことをもって、当該法人をブラック企業と一方的に決めつけ、その淘汰や採用禁止、製品の買い控えを強い論調で主張するものが多数を占める。
(ウ) 被控訴人自身、原判決後の記者会見において、「企業名を見て、就職先として見直す人もいるだろう。社会全体で企業の姿勢を監視したい。」と述べ、被控訴人代理人は、原判決が「企業名を開示し、社会的批判を受けるようにすることで過労死をなくす、という強い決意が示されている。」との談話を発表している(書証<省略>)。
被控訴人代理人らの平成23年11月11日付け厚生労働省宛て「過労死企業名情報公開訴訟原告団弁護団声明」(書証<省略>)には、「企業は社会による監視の下に置かれ、企業自ら過労死を防止する対策を積極的に採らざるを得なくなることから、過労死の防止に大きな効果をもたらすことになります。」「就職活動中の方にとっては、ブラック企業を端的に見分ける格好の資料となります。」との記載が存在する。
被控訴人や被控訴人代理人自身も、事業場名の開示によって、求職者が当該法人等を敬遠することや、当該企業が社会的批判にさらされるなどの具体的効果が生じうることを認識していることが明らかである。
オ 原判決後に、大阪労働局が関西経済連合会、大阪商工会議所、大阪府中小企業団体中央会及び大阪府商工会連合会に依頼し、会員企業に対し、処理経過簿中の法人名の開示による不利益の有無等に関するアンケート調査を実施した結果(以下「本件アンケート」という。)の結果は以下のとおりである。
(ア) 脳・心疾患について労災認定を受けた労働者が所属していた企業名を公表することとした場合、何らかの不利益が生じると思われるかとの質問に対しては、回答総数347件中274社(79.0%)が「はい」と回答し、具体的理由としては、マスコミ報道によるマイナスイメージの増幅、新卒・中途採用者の応募者数の減少、取引活動への悪影響などが選択されている。さらに、1回の過労死事故でその企業が恒常的に過労死を招く企業であると誤解されることや、株価の下落等を懸念する指摘もある。
(イ) 労災認定に係る企業名の公表についての「その他のご意見」欄では、法人名等を開示することによって、法人等の責任のみが取りざたされ、社会的信用の低下、取引活動への影響等の予想される具体的な不利益に対する強い懸念が示されている。
(ウ) 上記(ア)の質問に対し「いいえ」と答えた法人等(72社)のうち51社は、その具体的理由として、「社会的な監視が高まり、企業の労働条件等の自主的改善を促進できる。」を選択しており、企業の社会的評価が低下すること自体は前提とした上で、労働条件等の不備の自主的改善措置を重視するものである。
カ 以上によれば、事業場名の開示により、法人等の社会的評価が低下し、業務上の信用が損なわれることは、高度の蓋然性をもって客観的に認められ、原判決が判示するような抽象的な可能性にとどまるとはいえない。
(3) 事業場名が情報公開法5条1号ただし書ロ、同条2号ただし書が規定する情報に該当しないこと
ア 情報公開法5条1号では、個人の人格的な権利利益を、同条2号では、法人等の正当な利益を保護するため、各号規定の情報を不開示とし、ただ、これらの利益に優越する公益が存在する場合にこれを不開示とする合理的な理由はないことから、情報公開法5条1号ただし書ロ、同条2号ただし書において、人の生命、身体、健康、生活又は財産を保護するために必要であると認められる情報について開示するものとしている。
情報公開法5条1号ただし書ロ、同条2号ただし書のいずれにおいても、その構造上、本文に該当する情報は原則として不開示と扱い、例外的にただし書に該当する情報を開示すべきこととしている。
このような情報公開法5条1号ただし書ロ、同条2号ただし書の制度趣旨、文理に鑑みれば、「人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報」の範囲は限局的に解するべきであり、情報公開法5条1号及び2号が保護する上記各利益を犠牲にしてまで当該文書を開示しなければならない差し迫った危険、人の生命等を保護するために公にする具体的現実的な必要性が認められた場合にのみ例外的に開示すべきである。
具体的には、当該情報が不開示とされることによって現実に人の生命等に対する侵害が発生しているか、将来これが侵害される蓋然性が高く、当該情報を開示することによってこれらの侵害が除去される蓋然性がある場合であって、かつ、当該情報を不開示とすることにより害されるおそれのある生命、健康、生活又は財産の保護の必要性と、これを公開することにより害されるおそれのある利益の保護の必要性とを比較衡量して、前者が後者に優越することが必要である。
イ 被控訴人の主張について
(ア) 被控訴人は、脳・心疾患について労災補償給付の支給決定がされた事案については、労働災害の発生原因となった過重な業務が、同じ職場環境、労働条件下にある当該法人等における同一職場の他の労働者にも課されている蓋然性が高いと主張する。
しかし、ある事業場において脳・心疾患について労災補償給付の支給決定がされたとしても、当該被災労働者の過重労働についての判断は、企業の労務管理等のみならず、個々の被災労働者の職場における地位、責任、担当業務の状況、異常な出来事の発生、被災労働者本人の基礎疾患その他様々な要因が複雑に影響するなど、当該労働者に個別具体的なものであり、当該被災労働者が過重労働の状態にあったからといって、必ずしも他の労働者についても同様の過重労働の状態にあったことにはならない。事業場名の不開示によって同事業場の他の労働者の生命健康に現実的な侵害が発生しているとはいえないし、将来これが侵害される蓋然性が高いともいえない。
(イ) 被控訴人は、事業場名を開示することによって、企業が社会的監視の下、過重労働等の改善を促進する契機となるし、当該事業場で現に業務に従事している労働者や、過去に業務に従事していた労働者にとっても、自己の労働環境を見直す契機となることなどから、労働者の生命・健康に対する侵害が除去される蓋然性が認められると主張する。
しかし、事業場名が開示されることを前提にしても、企業における「過労死」の個別具体的な再発防止策が定まるわけではないし、事業場が開示されないことによって労災補償給付支給決定の原因事実が増加しているわけでもなく、「過労死」の蓋然性が高まる関係にもない。
当該事業場で現に勤務している労働者は、勤務時間、勤務状況等を十分把握しうるのであり、当該事業場名が開示されるか否かと、当該労働者の職場環境が改善されるか否かという点の間に特段の関連性は認められない。
当該事業場において過去に勤務していた労働者についてみると、同労働者が勤務していた当時の職場環境等と、現在の職場環境等は同一ではないのであるから、当該労働者が、過去に勤務していたことがある事業場において脳・心疾患に関する労災補償給付の支給決定があったという情報に接することによって、当該労働者の職場環境等改善に結びつくとはいえない。
当該事業場そのものについてみても、脳・心疾患について労災補償給付の支給決定がされた事実があったとしても、当該被災労働者の過重労働についての判断が、個々の被災労働者の地位、責任、担当業務等の状況により個別にされるものであることに照らすと、他の労働者について労働環境等を改善すべき必要性自体が認められない場合も十分あり得るし、仮に当該事業場の労務管理等について何らかの改善すべき点があったとしても、その改善は労災補償給付決定がされた事実自体をもって、原因究明等の調査がされることによるところが大きく、事業名の開示により「社会的監視」がされることが、直ちに改善につながるとはいえない。
(ウ) 被控訴人は、労働者の生命・健康の優越的地位からすれば、事業場名を開示することで保護される利益は、不開示とすることにより保護される利益よりも優越すると主張する。
しかし、(ア)、(イ)のとおり、事業場名の不開示により、現実に人の生命等に対する侵害が発生しているとも、将来これらが侵害される蓋然性が高いともいえず、また、事業場名の開示によって、労働者の生命等に対する侵害又は侵害のおそれが除去されるといえないことに照らすと、事業場名の開示による利益の程度は小さい。
他方、事業場名が開示されることとなれば、当該法人等が、あたかも長時間労働、過重労働を強いて被災労働者を疾病に罹患させ死亡に至らせた悪質な体質の企業であるかのような否定的、消極的な印象をもって受け取られるおそれが高く、法令違反の有無にかかわらず、法令を遵守しない事業場として、社会的評価の低下を招くなど、当該法人等に対する実害が発生するおそれが高い。
そうすると、事業場名を開示することで保護される利益が、不開示とすることで保護される利益より優越するとはいえない。
ウ 本件情報については、個人の人格的利益又は法人等の正当な利益を犠牲にしてまで当該文書を開示しなければならない差し迫った危険、人の生命等を保護するために公にする具体的現実的な必要性は認められないというべきである。
したがって、事業場名は、情報公開法5条1号ただし書ロ及び2号ただし書が規定する情報には当たらない。
(4) 事業場名が情報公開法5条6号柱書に該当すること
ア 脳・心疾患に係る労災認定がされた事業場名を開示した場合、特にそれが死亡事案であれば、一般国民から当該法人等が「過労死」を発生させた者として厳しい非難にさらされ、当該法人等が、労働者に長時間労働、過重労働を強い、労働基準法等の法令を遵守しない悪質企業であるかのように受け取られる蓋然性が高い。そのため、当該法人等が、社会的信用等の低下等に対する懸念、不安から、労働基準監督署の調査に非協力的、消極的態度をとることは十分想定され、そのことは本件アンケートの結果からも明らかである。
すなわち、労働基準監督署が脳・心疾患に係る調査を行うに当たっては、特に、当該労働者の勤務状況や業務内容等に関して、上司や同僚などの関係者から、人間関係や業務支援の有無といった機微にわたる情報を詳細に聴取することが必要となり、このような調査を行うためには、当該法人等の任意かつ積極的な協力が必要であるところ、当該法人等が、法人名が開示されることにより業務上の不利益が生ずることについて、危惧感、不安感を抱いた場合には、そのような協力が得られなくなることは明らかである。
そうすると、当該法人等の任意かつ積極的な協力が得られる場合に比べて、当該労働者の業務内容等の実態把握は困難となり、適切かつ迅速な労災保険事業の遂行に支障が生じる蓋然性が存在することは明らかであるから、本件情報は、情報公開法5条6号柱書に該当する。
イ 被控訴人は、aニュースに掲載された原判決の配信記事に対する投稿について、このような投稿は匿名のいわば「言いたい放題」の感想であって、情報に信用性がないことは明らかであるから、法人等が一般国民からの批判にさらされる根拠にはならないと主張する。
しかし、控訴人は、投稿の内容に信用性があることを指摘したのではなく、法人等が一般国民からの批判にさらされる現状を指摘したものである。
4 当審における被控訴人の補充主張
(1) 本件情報は情報公開法5条1号所定の不開示情報には該当しない
ア 情報公開法5条1号は、個人に関する情報について、他の情報と照合することにより特定の個人を識別することができるものも不開示情報としているが、この「他の情報」が一般人が通常入手しうる情報に限定されるか否かが問題となっている。
ここで重視されるべきは、情報公開法の目的が、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することにあるということである。
したがって、情報公開法の条文が一義的に明らかでない場合、上記の情報公開法の目的に沿って条文を解釈するべきである。「他の情報」に、当該個人の近親者や同僚、知人、周辺住民等の特定範疇の者が保有し、あるいは入手しうる情報も含まれるとする控訴人の主張は、例外をあまりに広範に認めるもので、公開原則にそぐわない。情報公開法は、上記目的のために開示請求権者に敢えて制限を設けなかったのであり、開示請求権者に制限がないことを理由に、「他の情報」の範囲を広くとらえる(開示される情報を狭く解する)控訴人の主張は失当である。
イ 控訴人は、個人情報保護法2条1項が、同法の個人情報の意義について、「他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。」と規定していることと対比し、情報公開法5条1号と行政機関個人情報保護法2条2項は、個人情報の保護を十全にする趣旨で照合の容易性をあえて要件としていないから、照合の対象となる「他の情報」の範囲を一般人が通常入手しうる情報に限定すべきではないと主張する。
しかし、個人情報保護法2条1項の「容易に」という文言はあくまでも照合の容易性を意味し(書証<省略>。特別の調査を行ったり、特別のソフトを組み込むといった特別の費用や手間をかけたりする必要があるかどうか)、照合する他の情報にいかなる情報を含むのかとは別次元の問題である。
(2) 本件情報は情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当しない
ア 上記不開示情報に該当するためには、単に当該情報が通常他人に知られたくないというだけでは足りず、当該情報が開示されることによって当該法人等又は当該個人の正当な利益が害されることが客観的に明らかでなければならない。
イ 本件情報は、その性質等に照らしても、法人等の権利利益を害するおそれが客観的に認められるものではない。
(ア) 脳・心疾患の発症について労災認定がされた労働者が在籍していた法人等というだけでは、当該法人等所属の労働者について労災認定がされたという事実以外の情報はなく、そのような情報のみで、社会一般が否定的・消極的印象を当該法人等に抱くことはあり得ず、仮にその可能性があるとしても抽象的なものである。
本件情報の一般的な情報の性質に照らしても、労災補償保険制度が使用者の無過失責任を理念とするものであり、脳・心疾患の発症に結びついた背景事情や個別の事情も全く明らかではない以上、脳・心疾患の発症について労災認定がされた労働者がいた法人等という情報のみでは、当該法人等に労働者に対する安全配慮義務違反があったか否かすら明らかにならないのであるから、社会一般が否定的・消極的印象を当該法人等に抱くことはあり得ない。過労死という表現のみで当該法人等に否定的・消極的印象を持たれるおそれがあるのであれば、たとえ、労働者や遺族などに分かりやすく説明する目的があったとしても、厚生労働省が「過労死」というタイトルのパンフレット(書証<省略>)を広く配布するはずもない。
(イ) 控訴人は、企業へのアンケート、各種報道や、aニュースの読者の投稿等により、本件情報を公にすることで法人等が否定的・消極的印象をもたれると主張する。
しかし、これらの情報からは、脳・心疾患の発症について労災認定を受けた法人等であるという情報のみから、それ以外の背景事情や個別事情等が明らかでないのに、具体的に法人等に対してブラック企業と断じたり、非難するような論調があった事例は一切なく、まして、人材確保が困難になったり取引上の支障を来した事例などは皆無である。脳・心疾患の発症について労災認定を受けた労働者がいた法人等という情報のみで社会一般が法人等に対してブラック企業と断じて非難したり、法人等の社会的評価が低下したりすることがないことは、経験則上明らかである。
なお、本件アンケートにおける設問「…企業名を公表することとした場合、企業に何らかの不利益が生じると思われますか」は、企業の主観を尋ねるものにすぎず、法人等に生じる利益の客観的蓋然性を裏付けるものとは到底いえない。
また、aニュースの読者の投稿(書証<省略>)についてみると、インターネットの投稿や掲示板等については、その投稿者の匿名性などと相俟って、往々にして過激かつ根拠のない不合理な意見が投稿されることは周知の事実であり、これにより法人等の社会的評価が低下する客観的蓋然性が裏付けられることはない。そもそも匿名で誰が投稿したのかも分からないのだから、証拠価値もない。
(3) 本件情報は情報公開法5条1号ただし書ロ、同条2号ただし書が規定する情報に該当する
ア 情報公開法5条1号ただし書ロ、同条2号ただし書による義務的開示が認められるか否かは、当該情報の不開示によって保護される利益と、開示によって保護される利益を比較衡量し、後者が前者に優越するかどうかによって判断すべきである。
イ 開示によって労働者の生命・身体という至高の利益が保護されること
(ア) 開示により保護される利益は、当該法人等の労働者の生命・身体であり、法人等の経済的利益等に比較しても優越的地位にある至高の利益である。
(イ) 脳血管疾患及び虚血性心疾患等について労災補償給付の支給決定がされる事案は、平成13年12月12日基発第1063号厚生労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)」の認定基準を上回るか又はこれと同程度と評価された過重な業務が労働災害の発生原因となっているところ、そのような過重な業務は、同じ職場環境・労働条件下にある当該法人等における同一職場の他の同僚労働者にも課せられている蓋然性が高い。
控訴人は、当該被災労働者の過重労働についての判断は、当該労働者に個別具体的なものであり、当該被災労働者が過重労働の状態にあったからといって、必ずしも他の労働者についても同様の過重労働の状態にあったことにはならないと主張する。しかし、少なくとも、過重な業務が血管病変等を著しく増悪させ脳・心臓疾患を発症させる要因となったことが労災認定により明らかとなった以上、当該過重な業務の背景には、当該被災労働者についての個別的事情を超えて、「労働環境」としての労働条件、労務管理、業務量、業務の質的負荷という当該法人等における普遍的な事情が存在する蓋然性があることが明らかである。
(ウ) 事業場名を開示することによって、法人等が社会的監視の下、過重労働等の改善を促進する契機となるし、当該事業場で現に業務に従事している労働者や、過去に業務に従事していた労働者にとっても、自己の労働環境を見直す契機となることなどから、労働者の生命・健康に対する侵害が除去される蓋然性が認められる。
控訴人は、当該事業場で現に勤務している労働者は、勤務時間、勤務状況等を十分把握しうるから、当該事業場名が開示されるか否かと、当該労働者の職場環境が改善されるか否かという点の間に特段の関連性はないと主張するが、上記事実を把握しているからといって、健康影響リスクを認識していることにはならない。自己の労働環境の健康影響についての認識を新たにすることで、健全な労使交渉を通じ、労働条件及び職場環境の改善に取り組むことにつながる。
控訴人は、仮に当該事業場の労務管理等について何らかの改善すべき点があったとしても、その改善は労災補償給付決定がされた事実自体をもって、原因究明等の調査がされることによるところが大きく、事業名の開示により「社会的監視」がされることが、直ちに改善につながるとはいえないと主張するが、これは、市民の力を見誤った不当な主張である。企業名が公表されることで何らかの不利益が生じるのではないかという当該法人等の漠然とした不安感から、企業が労働環境の自主的改善に乗り出すことがありうることは、企業に対する本件アンケートの結果からも読み取れるのである。また、控訴人は、事業場名が開示されることを前提にしても、企業における「過労死」の個別具体的な再発防止策が定まるわけではないと主張するが、労災認定を契機として労働基準監督署の調査や是正指導等を通じて個別具体的な原因究明を行うことは十分可能であり、事業場名の開示は、そのような原因究明や自主的改善に乗り出すための動機付けにつながるのである。
ウ 不開示により保護される利益について
(ア) 事業場名が開示されることにより、被災労働者等の個人が識別される可能性が仮にあったとしても、少なくとも一般人には識別されないから、極めて抽象的な可能性にすぎず、不開示により保護される利益は、そのような抽象的な可能性に対する不安感でしかない。
(イ) 控訴人は、事業場名が開示されることとなれば、当該法人等が、あたかも長時間労働、過重労働を強いて被災労働者を疾病に罹患させ死亡に至らせた悪質な体質の企業であるかのような否定的、消極的な印象をもって受け取られるおそれが高く、社会的評価の低下を招くなど、当該法人等に対する実害が発生するおそれが高いと主張する。
しかし、(2)イで主張したとおり、そのようなおそれは存在せず、存在するのは法人等の漠然とした抽象的な不安感のみである。
エ 結論
労働者の生命・健康の優越的地位からすれば、法人等の否定的・消極的印象を持たれることに対する漠然とした不安感と比較して、現に侵害されているか、侵害される蓋然性の高い労働者の生命・健康が優越することは明らかというべきである。
なお、労働基準監督署は、送検事案について、送検事実のみならず企業名も併せて公表しているが、これは労働者の生命・健康等の保護の必要性が開示による不利益を上回ると判断されているからである。
また、厚生労働省が石綿ばく露作業による労災認定等事業場一覧表の公表をしているのも労働者・近隣住民の生命・健康を保護するためであるが、脳・心疾患の原因となる過重労働も、石綿と同じく労働者の生命・健康に対する危険因子というべきであり、労働環境に起因するものであることからすれば、開示するべき必要性に何ら異なるところはない。
(4) 本件情報は情報公開法5条6号柱書に該当しない
ア (2)イで主張したとおり、脳・心疾患に係る労災認定がされた事業場名を開示したとしても、当該法人等が、労働者に長時間労働、過重労働を強い、労働基準法等の法令を遵守しない悪質企業であるかのように受け取られる蓋然性は存在せず、開示により当該事業場の社会的評価や信用等が低下する可能性は抽象的なものにすぎない。
イ したがって、当該法人等が労働基準監督署の調査に非協力的、消極的態度をとること自体が一般的に想定されるとはいえない。
本件アンケートの結果をみても、多くの法人等が、法人名の開示により何らかの不利益があるとしても、企業の社会的責任の観点、企業の自主的改善の促進、労働者自身が働き方を見直す契機となること、優秀な人材の確保等を挙げて、公開に積極的な意義があると回答している。
ウ aニュースに掲載された原判決の配信記事に対する投稿は、匿名のいわば「言いたい放題」の感想であって、情報に信用性がないことは明らかであるから、法人等が一般国民からの批判にさらされる根拠にはならない。
これについて、控訴人は、投稿の内容に信用性があることを指摘したのではなく、法人等が一般国民からの批判にさらされる現状を指摘したものであると主張する。しかし、投稿をした読者は、ニュースに関する感想を広く一般に公開することを選択した極めて少数の限られた読者にすぎない。
エ 現状においても、労働基準監督署の調査の結果、書類送検されるなど一定の場合に、法人名の開示がされる運用がされている。この点、調査段階では、調査の結果、法人名が開示されるかどうかは不明であるから、調査対象である法人等は、法人名の開示がされうることを前提に調査に応じている。むしろ、特に悪質であると行政庁に判断されたときに限り開示される場合は、開示により社会的信用や評価が低下しやすいことから、調査に非協力的になる蓋然性が高いといえる。
これに対し、一律開示されるとなると、労働災害の発生が当該企業が法令に違反したか否かとは無関係である以上、開示されることについての意識も変化する。全てが公表されれば、社会も冷静に受け止めるようになり、隠すことがなくなるという指摘は、本件アンケートの中にもある(書証<省略>)。したがって、一律開示は、むしろ労働基準監督署の調査の円滑な遂行に資することとなる。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(事業場名が情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当するか)について
(1) 情報公開法5条1号は、個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)を、原則不開示情報としている。処理経過簿に記載されている事業場名自体で被災労働者個人を識別することはできないので、事業場名が、「他の情報」と照合することによって本件文書に記載されている労災補償給付の支給決定を受けた被災労働者個人を識別することができることとなる情報に該当するか否かが問題となる。
(2)ア 当該情報自体を開示しても不開示規定が防止しようとする不利益が生じるわけではないが、他の情報との照合により不開示規定が保護しようとする利益が害される場合に不開示としうることは、個人情報には必ずしも限定されないと解されるところ、情報公開法5条1号が個人情報についてのみ明文でその旨規定したことは、個人情報については特にその保護が図られるべきであるとの趣旨であると解される。
また、個人情報保護法2条1項が、同法の個人情報の意義について、「他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。」と規定しているのに対し、情報公開法5条1号は照合の容易性を要件としておらず、これは、個人情報保護法が民間企業にも適用されるため、営業の自由への配慮から個人情報をある程度限定する必要があるのに対し、公的部門が保有する情報に関する情報公開法は、より厳格な個人情報保護を求めたものと解される。
なお、情報公開法の立案過程で発表された「情報公開法要綱案の考え方」(書証<省略>)においても、具体的事例における個人識別可能性の有無の判断に当たっては、当該情報の性質及び内容を考慮する必要があると指摘され、「例えば、一定の集団に属する者に関する情報を開示すると、当該集団に属する個々の者に不利益を及ぼす場合があり得る。このような場合は、情報の性質及び内容に照らし、プライバシー保護の十全を図る必要性の範囲内において、個人識別可能性を認めるべき必要があると考える。」とされている。
このように、情報公開法が個人情報の保護に万全を期していることに鑑みれば、特定範疇の者にとって容易に入手しうる情報も、情報公開法5条1号にいう「他の情報」に当たると解すべきである。情報公開法は何人にも開示請求権を認めており、当該特定範疇の者が開示請求をする可能性もあり、このような特定範疇の者との関係で個人情報が保護されなくてもよいとはいえないからである。
イ 乙26(書証<省略>)によれば、過去に処理経過簿に記録された法人等合計621のうち、従業員30人以下のものが全体の42.8%であることが認められ、このような規模の企業においては、関係者にとって被災労働者個人の識別が容易になると考えられる。また、乙9(書証<省略>)によれば、平成14年度以降平成20年までにおいて、大阪労働局管内における脳血管疾患による年間労災認定件数は16件から32件、虚血性心疾患については4件から15件と少数であることが認められる。
個人識別性の判断に際しては、対象となる集団の規模が重要な考慮要素となり、構成員が少数の場合には、他の情報と照合することによって個人が識別される可能性が高くなると考えられるところ、このような状況のもとで、事業場名が開示されれば、当該被災労働者の近親者ばかりでなく、同僚や取引先関係者も、事業場名と、その保有し、入手しうる情報とを併せ照合することにより、当該被災労働者個人を識別することができるものと認められる。
処理経過簿中の労働基準監督署名、標準業種、標準職種、疾患名(認定基準に示されていない疾患を除く。)、支給年月日等の情報が既に開示されている(原判決前提事実(1)ア、(3))ことを考慮すれば、なおさらである。
したがって、事業場名は、情報公開法5条1号所定の不開示情報(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるもの)に該当するものというべきである。
(3) 被控訴人は、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することにあるという情報公開法の目的に鑑みれば、情報公開法の条文が一義的に明らかでない場合、この目的に沿って条文を解釈するべきであり、「他の情報」に、特定範疇の者が保有し、あるいは入手しうる情報も含まれるとする控訴人の主張は、例外をあまりに広範に認めるもので、公開原則にそぐわないと主張する。
しかし、情報公開法が、他方で、個人情報の保護に万全を期していることは上記のとおりであり、被控訴人の主張は採用できない。
(4)ア 被控訴人は、当該行政文書に記載されている複数の情報を照合すれば個人識別情報に該当し、かつ、各情報のみでは個人識別情報には該当しない状況において、開示請求者が開示を求める情報を限定している場合には、その情報以外の情報を不開示として、開示を求める情報については開示すべきであるところ、本件開示請求は、事業場名欄中の法人名及び支給決定年月日の開示を求めているのであるから、これら以外の情報を不開示とした上で、事業場名欄中の法人名を開示すべきであったと主張する(原判決「事実及び理由」第2の4(1)(原告の主張)ウ)。
イ しかし、情報公開請求は、行政文書単位で行われるものであるから(情報公開法4条)、開示請求者が開示を求める情報を限定している場合に、その情報以外の情報を不開示とすべきであるとする前提自体が採用できない。
ウ 事業場名欄中の法人名を開示すべきであったとする点について
(ア) 処理経過簿の事業場名欄には、労働局監察官が労災補償給付請求書の事業主証明欄の事業場名称、又は一括適用の取扱いをしている支店、工場などであれば所属事業場名称・所在地欄に記載された名称、建設事業の場合は元請け事業場の名称を移記するものである(原判決「事実及び理由」第2の2(1)ウ)。これに関する法律の定め及び運用をみると、以下のとおりである。
a 労災保険法において、労働者を使用する事業を適用事業といい(同法3条1項)、適用事業の事業主については、その事業が開始された日に、その事業につき労災保険に係る労働保険の保険関係(以下「保険関係」という。)が成立する(労働保険の保険料の徴収等に関する法律〔以下「労災保険徴収法」という。〕3条)。
ここでいう適用単位としての「事業」とは、一定の場所において一定の組織のもとに有機的に相関連して行われる一体の作業と認められる一つの経営体をいう。
事業主が同一である2以上の事業(有期事業以外の事業に限る。)であって、厚生労働省令で定める要件に該当するものについては、当該事業主の申請及び厚生労働大臣の認可があれば、厚生労働大臣が指定するいずれか1つの事業(以下「指定事業」という。)に保険関係を一括することができる(労災保険徴収法9条)。
b 労災補償給付請求書の事業主証明欄に記載される事業主の名称は、当該労働者と保険関係が成立している事業の名称、事業主の氏名が記載される。
労働災害が被一括事業(仮に、○○株式会社□□工場とする。)で発生した場合、事業主証明欄における事業の名称は、一括している指定事業(通常は本社である○○株式会社)であり、事業主は代表取締役名となる。「所属事業所名称・所在地」には、被一括事業である「○○株式会社□□工場」が記載される。
被災労働者が指定事業(本社)に所属する場合、「所属事業所名称・所在地」欄は空欄となるか、「事業主に同じ」と記載されることになる。
事業が有期事業であり、被災労働者が下請け事業場の所属労働者である場合は、事業場証明欄には元請事業場を記載し、「所属事業所名称・所在地」欄には、被災労働者に係る所属事業場の名称・所在地を記載することになる。
(書証<省略>、弁論の全趣旨)
(イ) 上記(ア)に認定したところに鑑みれば、事業場名欄に独立した情報として法人名が記載されているとは認めがたい。
のみならず、仮に、事業場名に含まれた法人名のみを開示したとしても、既に処理経過簿中の労働基準監督署名、標準業種、標準職種等が開示されていることから、事業場名を特定することが可能となる。
したがって、被控訴人の主張は採用できない。
(5) 被控訴人は、事業場名が個人識別情報に該当するとしても、情報公開法6条1項又は2項により法人名のみを部分開示すべきであると主張する(原判決「事実及び理由」第2の4(1)(原告の主張)エ)。
しかし、同主張は、法人名が個人識別情報に該当しないことを前提とするものであるところ、その前提が採用できないことは上記(4)の説示のとおりである。
(6) 以上によれば、事業場名は、情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当するというべきである。
なお、争点(2)(事業場名が情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報に該当するか)については、後記3において、争点(4)(事業場名が情報公開法5条2号ただし書所定の情報に該当するか)と一括して判断する。
2 争点(3)(事業場名が情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当するか)について
(1) 情報公開法5条2号イは、法人等に関する情報であって、公にすることにより、当該法人等の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるものを不開示情報と規定する。
これは、法人等が有する権利利益は、原則として開示することにより害されるべきではないという考えによるもので(書証<省略>)、法人等の権利・利益は正当なものであればすべて含まれ、当該法人等の信用や、社会的評価もこれに該当するものと解される。
また、正当な利益を害するおそれの有無の判断に関しては、それぞれの法人等及び情報の性格に応じて的確に判断されるべきであり(書証<省略>)、単なる確率的な可能性ではなく、法的保護に値する蓋然性が求められる。
この観点から、事業場名が開示され、特定の法人等の事業場について脳・心疾患に係る労災認定がされた事実が一般に認識された場合に、当該法人等の信用や、社会的評価が害される蓋然性が認められるかを検討する。
(2) 労災補償保険は、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害、死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、あわせて、業務上の事由又は通勤により負傷し、又は疾病にかかった労働者の社会復帰の促進、当該労働者及びその遺族の援護、労働者の安全及び衛生の確保等を図り、もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする(労災保険法1条)ものであり、使用者の過失や法令違反の有無を問題とするものではない。
また、乙24(書証<省略>)及び弁論の全趣旨によれば、労災補償給付がされることになった事案でも、被災労働者本人の基礎疾患、生活習慣その他の様々な要因が複雑に影響している場合が多く、その影響の程度も様々であるなど、個別的な事情が多様なものであることが認められる。
これらの点について一般に正確に理解されているのであれば、事業場名が開示され、当該事業場について脳・心疾患に係る労災認定がされた事実が一般に認識されたとしても、それだけで直ちに当該法人等において過失や法令違反等の違法・不当な行為がされていたとの評価がされることにはならず、当該法人等の信用や、社会的評価等の正当な利益が害される蓋然性はないことになる。
しかしながら、上記各点が一般に正確に理解されていないと認められることは以下のとおりである。
ア 新聞の報道
(ア) 平成23年11月11日付けb新聞(書証<省略>)は、脳・心疾患に係る死亡事案で労災認定がされたものを「過労死」と表現した上、「企業名の公表が実現すれば過労死の抑止力になるほか、低賃金で従業員を使い捨てにするいわゆる『ブラック企業』を見分ける目安にもなる。」と報じている。
(イ) 平成23年12月5日付けc新聞(書証<省略>)は、同様に「過労死」という表現を用いた上、開示について「過労死企業名は学生が就職先を選ぶ際に非常に分かりやすい指標になる。」とするNPO法人役員の言葉を引用している。また、それに引き続き、同役員が過酷な労働を強いる「ブラック企業」の見分け方を伝える構成となっており、「過労死」が発生した企業を「ブラック企業」と評価していることも明らかである。
(ウ) 平成23年11月11日付けd新聞、e新聞、f新聞、g新聞も、同様に「過労死」という表現を用いており、「労災認定」という表現を用いたのはh新聞一社にすぎない(書証<省略>)。
イ 原判決を報じるaニュースに対する投稿
原判決を報じるaニュースに対する投稿(書証<省略>)には、「自己の責務を全うしない経営者・企業は消えて行け!…ブラックに負けるな!」、「(「事業場名の公開が企業の社会的評価の低下に直ちに結びつくものでない」との原判決の説示に対し)これ、結び付いた方がいいだろ」、「会社が潰れた方が死ぬよりは遙かにマシだよ。」、「労災認定に追い込むような企業の社会的地位を守る必要があるのか?公開することで新たな犠牲者を防ぐ必要がある。」、「ブラック企業がつぶれると、働いてる人が困るっていう人がいるけど、結果的には働いてる人にもプラスになるんだよ。だって、人間を(文字通り)使い捨てにしてシェアを独占とまではいかなくっても大きく占めてた企業がなくなれば、まともな会社が残って、また求人して結果(原文のまま)まともな会社で働ける人が増えることになる。助かる人の方が多くなるんだよ。」、「ブラック企業がのさばるから生保が増えんだよ!…ブラック企業は潰れろ!」、「何人もの人死にを出してる企業が、採用や募集をすることを禁止しろ!」、「解雇の前に、殺されるよ。殺されるんだったら、会社が潰れた方がよっぽどマシ。」、「その企業は、『死ぬまで』酷使し、巨大な利益を上げている。」、「当然だ、過労死するほど働かせる悪質な企業なんだから開示してほしい。開示することによりこれが一種のブレーキ作用になり過労死が減ることを望みます。」、「むしろ評価は下がるべき」、「そもそも世間の評判を恐れるなら、過労死なんかさせるな!ということだ。」、「ブラック企業は淘汰させるべき!」、「ブラック企業はむしろ積極的に倒産させていくような法律を作っていくべき。」、「公表してほしい。私はそのような違法行為を強要するような会社の製品を買おうとは思わないから。」、「あくどい企業を見てみたい」、「ブラック企業はどんどんさらした方がいい。」、「裁判所お墨付きのブラック企業リストが出来るな」、「悪質な企業は制裁を加えてやってほしい。」、「ブラック企業はどんどん開示した方が良い!」等のコメントが寄せられている。
ウ 小括
以上によれば、脳・心疾患に係る死亡事案で労災認定がされたという事実は、それだけで使用者に過失や法令違反があることを意味しないにもかかわらず、また、被災労働者の基礎疾患等個別の事情の影響がありうるにもかかわらず、社会的には、「過労死」という否定的言辞で受け止められ、過酷な労働条件の「ブラック企業」という評価までされうるものであることが明らかである。死亡事案でなかったとしても、「過労死」という言葉が用いられないだけで、これに準ずる評価となることは容易に認めることができる。
(3) 正当な利益を害する蓋然性について
ア (2)のとおり、社会的には、脳・心疾患に係る死亡事案で労災認定がされたという事実だけで、特段の留保を付さず「過労死」あるいは「ブラック企業」という評価がされ、上記事実が就職の際にブラック企業を見分ける指標となるとの報道もあり、当該企業の製品の不買を言明する者もあることが認められる。
イ 乙32(書証<省略>)(上記d新聞の記事)によれば、被控訴人が、原判決後の記者会見において、「企業名を見て、就職先として見直す人もいるだろう。社会全体で企業の姿勢を監視したい。」と述べ、被控訴人代理人は、原判決が「企業名を開示し、社会的批判を受けるようにすることで過労死をなくす、という強い決意が示されている。」と述べていることが認められる。
被控訴人代理人らの平成23年11月11日付け厚生労働省宛て「過労死企業名情報公開訴訟原告団弁護団声明」(書証<省略>)には、「本判決は、過労死を出した企業名の公開という前例のない分野において、その社会的意義を理解し、原告の請求を全面的に認めた画期的な判決です。」、「企業は社会による監視の下に置かれ、企業自ら過労死を防止する対策を積極的に採らざるを得なくなることから、過労死の防止に大きな効果をもたらすことになります。」、「就職活動中の方にとっては、ブラック企業を端的に見分ける格好の資料となります。」との記載が存在する。
ここでも、脳・心疾患に係る死亡事案で労災認定がされた事実をもって、特段の留保を付さず、社会的批判の対象となり、就職を避けるべき企業であると受け止められる発言がされている。
ウ(ア) 乙27、36、40(書証<省略>)によれば、本件アンケートについて以下の事実が認められる。
a 本件アンケートは、原判決後に、大阪労働局が処理経過簿中の法人名の開示による不利益の有無等について、様々な規模の企業の意見を反映するため、比較的大規模の企業を会員とする関西経済連合会及び大阪商工会議所並びに中小、小規模事業場を会員とする大阪府中小企業団体中央会及び大阪府商工会連合会に依頼して実施したものである。
b 脳・心疾患について労災認定を受けた労働者が所属していた企業名を公表することとした場合、何らかの不利益が生じると思われるかとの質問に対しては、回答総数347件中274社(79.0%)が「はい」と回答し、具体的理由(複数回答可)としては、マスコミ報道によるマイナスイメージの増幅(215社)、新卒・中途採用者の応募者数の減少(206社)、取引活動への悪影響(164社)などが上位を占め、「インターネット等による誹謗・中傷への対応」を挙げるものも144社に上る。公表すべきでない理由として、1回の過労死事故でその企業が恒常的に過労死を招く企業であると誤解されること(頁数<省略>)や、株価への影響(頁数<省略>)、さらに、現在のマスコミ報道のあり方、ネット社会での事実の歪曲や隔たった意見の集中により、行政がねらっている「抑止」以上の極めて重大な影響を及ぼすこと(頁数<省略>)を懸念するものもある。
c 労災認定に係る企業名の公表についての「その他のご意見」欄では、詳細ないきさつが置き去りになり、興味本位で取り上げられる可能性があること(頁数<省略>)、小さな会社では仕事がなくなったり廃業に追い込まれたりするおそれがあること(頁数<省略>)等が指摘されている。
(イ) ア、イのとおり、社会的には、脳・心疾患に係る死亡事案で労災認定がされたという事実だけで、特段の留保を付さず「過労死」あるいは「ブラック企業」という否定的評価をもって、そのような企業への就職を避けるべきであるとの言説も紹介されていること、当該企業の製品の不買を言明する者が存在する等の事情からすると、脳・心疾患について労災認定を受けた労働者が所属していた企業名を公表することについて多くの企業が危惧する社会的評価の低下や、業務上の信用毀損については、単なる抽象的な可能性の域にとどまるものではなく、蓋然性の域に達しているものというべきである。
(4) 被控訴人の主張について
ア 被控訴人は、過労死という表現のみで当該法人等に否定的・消極的印象を持たれるおそれがあるのであれば、たとえ、労働者や遺族などに分かりやすく説明する目的があったとしても、厚生労働省が「過労死」というタイトルのパンフレット(書証<省略>)を広く配布するはずもないと主張する。
しかし、甲15(書証<省略>)は、「脳・心臓疾患の労災認定」というタイトルの下に、それより小さい文字で「『過労死』と労災保険」と記載されており、過労死という言葉が既に広まっているため、これなしに脳・心疾患に係る死亡事案についての労災認定を説明できないことからやむなくこの用語を用いたことが明らかであるとともに、わざわざかぎ括弧をして、これが俗称であることを示すとともに、ことさら否定的な印象を与えないような工夫をしているものであって、被控訴人の主張は採用できない。
イ 被控訴人は、aニュースの読者の投稿(書証<省略>)について、インターネットの投稿や掲示板等については、その投稿者の匿名性などと相俟って、過激かつ根拠のない不合理な意見が投稿されることは周知の事実であるとか、匿名で誰が投稿したのかも分からないのだから、証拠価値もないなどと主張する。
しかし、インターネットに投稿された匿名の意見に、客観的根拠に乏しいものが往々にしてみられる(これらの意見の真実性は直ちに保証されないない)からといって、これらの意見が一般社会の現実の認識を反映していないとか、世論形成に事実上の影響力を持たないといえるわけではないことは明らかである。被控訴人の主張は採用できない。
3 争点(2)(事業場名が情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報に該当するか)、争点(4)(事業場名が情報公開法5条2号ただし書所定の情報に該当するか)について
(1) 情報公開法5条1号では、個人情報を保護するため個人識別情報を不開示とし、同条2号では、法人等の正当な利益を保護するため、開示によりこれら正当の利益を害するおそれのある情報を原則として不開示とし、情報公開法5条1号ただし書ロ、2号ただし書は、人の生命、身体、健康、生活又は財産を保護するために必要であると認められる情報について例外的に開示するものとしている。
ここでは、不開示により保護される利益と、開示により保護される利益を比較衡量し、後者が前者に優越すると認められたときに開示が義務づけられるものと解されるが、情報公開法5条1号ただし書ロ、2号ただし書に規定する情報は、その公開により個人が特定され、又は法人等の正当な利益を害するおそれがあることを前提として、それに優越する法益を保護するために必要である場合に限り、開示に伴う不利益を個人や法人等に受忍させた上で例外的に開示されるものであり、このような不利益を受忍させるためには、その開示により人の生命、健康、生活又は財産等の保護に資することが相当程度具体的に認められることを要すると解するのが、ただし書という条文の構造からみても相当である。
(2) 検討
ア 不開示により保護される利益
(ア) 情報公開法5条1号ただし書ロについて
情報公開法自体が個人情報の保護を強く求めていることは上記1の説示のとおりである。
また、被災労働者が脳血管疾患及び虚血性心疾患等を含む病気に罹患したことや、休業補償給付、療養補償給付を受領し、またその遺族が遺族補償年金を受領したこと等は、通常被災労働者やその家族にとって、第三者に知られることを欲しない情報であると解され、開示された場合の不利益の具体的内容としては、被災労働者の求職の際に不利に働くこと、相当額の金銭を受領することからこれをめぐり金銭に係る無用な相談を持ちかけられること、同僚等からいわれのない誹謗中傷を受けること等が考えられる。
(イ) 情報公開法5条2号ただし書について
上記2のとおり、社会的には、脳・心疾患に係る死亡事案で労災認定がされたという事実だけで、過失や法令違反等の有無に関し特段の留保を付さず「過労死」あるいは「ブラック企業」という否定的評価がされていることからすると、事業所名を開示することで、社会的評価や、業務上の信用等が低下し、法人等の正当な利益が害される蓋然性が認められる。
イ 開示により保護される利益
被控訴人は、事業場名の開示により、当該法人等の労働者の生命・身体という優越的利益が保護されると主張する。しかし、以下のとおり、労災補償保険制度の趣旨及び実情に照らし、開示により被控訴人主張の利益の保護に資することが相当程度具体的に認められるとはいえない。
(ア) 脳・心疾患について労災認定がされたとしても、その認定は、当該事業場の労働時間等の労務管理だけから導き出されるものではなく、個々の被災労働者の職場における部署、役職、原因となるべき業務がされた時期における職場全体及び担当業務の繁閑、取引先との折衝状況、異常な出来事の発生、被災労働者本人の基礎疾患その他様々な要因が複雑に影響するものであり、問題となる時期及び当該労働者に個別具体的な要素が強いものであるから、当時、当該被災労働者にとって過重労働の状態にあったからといって、当時、あるいは現在において他の労働者にとって過重労働が認められるともいえない。このことに加え、各労働者は自分の労働時間については認識していると考えられることを考慮すれば、事業場名の開示により、当該法人等の他の労働者の生命・身体が保護されるという具体的関連性は認められない。
被控訴人は、被災労働者と同様な過重な業務が当該事業所の他の労働者にも課されている蓋然性が高いとか、過重な業務が血管病変等を著しく増悪させ脳・心臓疾患を発症させる要因となったことが労災認定により明らかとなった以上、当該過重な業務の背景には、当該被災労働者についての個別的事情を超えて、「労働環境」としての労働条件、労務管理、業務量、業務の質的負荷という当該法人等における普遍的な事情が存在する蓋然性があると主張するが、労災認定に至る上記プロセスに照らし、採用できない。
(イ) 被控訴人は、事業場名を開示することによって、法人等が社会的監視の下、過重労働等の改善を促進する契機となるし、当該事業場で現に業務に従事している労働者や、過去に業務に従事していた労働者にとっても、自己の労働環境を見直す契機となることなどから、労働者の生命・健康に対する侵害が除去される蓋然性が認められると主張する。
しかし、同主張は、当時、又は現在において被災労働者と同様な過重な業務が当該事業場の他の労働者にも課されている蓋然性が高いことを前提とするものであり、「過重」性が労働者ごとに個別的なものであることに鑑みればそれが直ちに採用できないことは(ア)説示のとおりである。
ウ 比較衡量
(ア) アのとおり、不開示により保護される利益は情報公開法の体系上も重要な地位を与えられたものであり、また、開示による不利益が大きいものと認められる。
イのとおり、事業場名の開示により、当該法人等の労働者の生命・身体の保護に資するという具体的な関係は認められない。
そうすると、事業場名は、情報公開法5条1号ただし書ロ及び2号ただし書が規定する情報には当たらないというべきである。
(イ) なお、本件アンケートの対象企業には、脳・心疾患について労災認定を受けた労働者が所属していた企業名を公表することとした場合、何らかの不利益が生じると思われるかとの質問に対して「はい」(X)と回答しながら、いいえ(A)を選択した場合の理由である「積極的に企業名を公表すべきである」をも選択し(両者は矛盾しないと明示的に記載するものもある。頁数<省略>)、あるいは個別意見として、特に悪質事案に限定することなく、企業責任とは別に企業名を公表すべきであるとするもの(頁数<省略>)、不利益は生じると思うが企業名の公表は当然だと思うとするもの(頁数<省略>)、企業の自発的抑止効果を期待して公表してもよいというもの(頁数<省略>)等もあるが、274社中20社前後にとどまっており、他方、法令違反や悪質性の有無等事案の個別性を問わない公表に対しては全体として強い懸念が示されているのであって(頁数<省略>)、上記認定を妨げるものではない。
(ウ) 被控訴人は、労働基準監督署が、送検事案について、送検事実のみならず企業名も併せて公表していることをもって、労働者の生命・健康等の保護の必要性が開示による不利益を上回ると判断されているからであると主張するが、過失や法令違反等があるとは限らない労災認定の局面と、労働基準監督署が具体的法令違反を認定した事案とを同列に論じることはできない。なお、乙42(書証<省略>)(基発0208第3号平成24年2月8日付け厚生労働省労働基準局長「労働基準監督機関の監督指導等の権限の行使により把握した法令違反の事案の公表について」)によれば、個別事業場の法令違反の事案について無原則に公表することは、個人や企業の権利、利益を害するのみならず、競争上不利益となる事実が公表されることをおそれる企業が非協力的になったり、資料を隠蔽したりするなどのおそれがあり、労働者の権利を回復し、救済を図ることが困難になるおそれがあるとし、司法処分を行った事案について、同種犯罪の防止を図るという公益性を確保する目的から原則として事案を公表し、司法処分を行わなかったものについては原則として公表しないものとし、ただ、事業場の周辺住民の生命・健康に関わる事情が認められるものについては、周辺住民の不安を解消するために公表するものとし、的確な運用を図っている。
(エ) 被控訴人は、厚生労働省が石綿ばく露作業による労災認定等事業場一覧表の公表をしていることと対比して、脳・心疾患の原因となる過重労働も、石綿と同じく労働者の生命・健康に対する危険因子というべきであり、労働環境に起因するものであることからすれば、開示するべき必要性に何ら異なるところはないと主張する。
しかし、石綿ばく露作業による労災認定がされた場合、当該事業場で石綿ばく露作業がされていたこと自体は客観的な事実として認定することができるものである上、乙12(書証<省略>)及び弁論の全趣旨によれば、石綿ばく露作業についての労災認定等事業場の一覧表については、石綿関連疾患の潜伏期間が30年~40年と非常に長く、他方、石綿ばく露作業に従事したこと自体本人が認識していない場合もあることから注意喚起をする必要が高く、また、事業場の近隣住民の不安等の社会的関心も高いことから周辺住民に該当するかの確認に資するために開示するものであることが認められ、さらに、個別の根拠規定(石綿による健康被害の救済に関する法律79条の2第1項「国は、国民に対し石綿による健康被害の救済に必要な情報を十分かつ速やかに提供するため、石綿を使用していた事業所の調査及びその結果の公表並びに石綿による健康被害の救済に関する制度の周知(次項において「事業所の調査等」という。)を徹底するものとする。」)も存在するのであるから、問題となる時期及び当該労働者に個別具体的な要素が強い上、事業場名の開示に関する個別の根拠規定もない脳・心疾患についての労災認定をこれと同列に論じることはできない。
4 争点(5)(事業場名が情報公開法5条6号柱書所定の不開示情報に該当するか)について
(1) 情報公開法5条6号柱書によれば、国の機関又は地方公共団体が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるものは不開示とされる。
これは、公共の利益のために行われるこれらの事務の適正な遂行を保護するために不開示とされるものであり、「支障」の程度は名目的なものでは足りず実質的なものが要求され、「おそれ」の程度も単なる確率的な可能性ではなく、法的保護に値する蓋然性が必要とされる。
(2) 乙24(書証<省略>)によれば、労災補償保険給付事務の実際について、以下の事実が認められる。
ア 請求人から請求書と「申立書」が提出されると、事業主に対し、傷病労働者、事業概要、労働条件、傷病労働者の経歴、健康診断の実施状況、勤務状況、業務内容について報告を求め、裏付け資料として就業規則、賃金台帳、出勤簿、タイムカード・時間外勤務記録、作業日報、健康診断実施結果(個人票)などの書類の提出を求める。事業主は、請求書の事業主の証明欄に記載することを渋ったり、調査事項の多さに抵抗することもあるが、丁寧に説得して理解を求めなければならない。
イ 脳・心疾患等の事案における調査項目は多岐にわたり、事業場に関するものについていうと、客観的資料収集(就業規則、賃金台帳、出勤簿、時間外労働に関する労使協定書、作業日報、業務量を示す資料、健康診断結果個人票、既往症にかかる診断書等、産業医による健康管理の状況の記録、作業環境測定記録)、関係者(事業主、上司、同僚、部下、取引先)聴取(発症時の身体の状況、前駆症状の有無と内容、異常な出来事の有無と内容、通常の業務内容、労働時間及び従事していた業務内容の詳細、労働時間以外の負荷要因の有無と状況、発症当時の作業環境の状況、発症前の当該労働者の言動、当該労働者が従事した業務に対する評価及びその理由)がある。客観的資料についても、そこに記載された意味内容については、事業場関係者に説明を受けなければ分からないことも多い。
特に、事業場関係者から聴取するについては、客観的な業務内容のほか、会社における人間関係、サポート状況、周囲からの支援の有無といった機微にわたる微妙な事項にも踏み込まなければならず、任意の説明を受ける必要性が高い。
任意の事情聴取に応じてもらえず労災保険法46条の出頭命令による場合、労働基準監督署の担当官の数が限られている(大阪府下の13の労働基準監督署のうち、最も大きい大阪中央労働基準監督署でも脳・心疾患等の複雑困難事案の調査を行うのは3、4人であり、その他の監督署では1、2人にすぎず、かつ、他の業務も担当しながら行っている。)ことから日程調整のために期間を要するし、これに応じない場合の同法48条による立入検査をするとすればまた日数を要するなど、調査権限の行使による場合は時間を要する上、任意の調査による場合に比べ、的確に情報を引き出すことは困難である。
(3) 上記2、3認定のとおり、脳・心疾患について労災認定を受けた労働者が所属していた事業場名を公表することにより、法人等の社会的評価の低下や、業務上の信用毀損が生じ、その正当な利益を害する蓋然性があり、本件アンケートでも、公表により不利益を生じないとするものや、不利益は生じるが公表すべきであるとするものは少数にとどまっている。
したがって、事業場名が開示されるとなれば、不利益をおそれて事業主が任意の調査に応じなくなる蓋然性が認められ、その場合、(2)説示のとおり事業主の任意の協力を得る必要が高い労災保険給付事務の性質上、事務又は事業の適正な遂行に実質的な支障を及ぼす蓋然性が認められる。
よって、事業場名は情報公開法5条6号柱書所定の情報に該当するというべきである。
(4) 被控訴人は、現行の取扱いのように、書類送検など特に悪質であると行政庁に判断されたときに限り開示される場合は、開示により社会的信用や評価が低下しやすいことから、調査に非協力的になる蓋然性が高いが、一律開示されるとなると、労働災害の発生が当該企業が法令に違反したか否かとは無関係である以上、開示されることについての意識も変化し、むしろ労働基準監督署の調査の円滑な遂行に資することとなると主張する。
しかし、本件アンケートの結果によっても、悪質な場合に限り公表する方が納得を得やすいことは明らかであり、被控訴人の主張は採用できない。
5 まとめ
事業場名は、情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当し、同号ただし書ロによる公益上の義務的開示が求められる情報には該当しない。
事業場名は、情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当し、同号ただし書による公益上の義務的開示が求められる情報には該当しない。
また、事業場名は、情報公開法5条6号柱書所定の不開示情報に該当する。
そうすると、本件文書のうち事業場名欄を不開示とした本件一部不開示決定(本件裁決により変更された後のもの)は適法である。
第4結論
以上によれば、被控訴人の請求はすべて理由がなく棄却すべきところ、これを一部認容した原判決は不当であるから、同部分を取り消してこれについて被控訴人の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山田知司 裁判官 水谷美穂子 裁判官 本吉弘行)