大阪高等裁判所 平成23年(行コ)7号 判決 2011年10月28日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 大阪入国管理局主任審査官が平成 19年5月 10日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
第2事案の概要
1 事案の骨子
なお,略称は,特に断らない限り,原判決の例による。
(1) 本件は,中国の国籍を有し,妻及び子2人とともに,妻が日本人の子であるなどと詐称して,中国から本邦に入国した外国人である控訴人が,大阪入管入国審査官から,入管法24 条4号ロ(不法残留)の退去強制事由に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定(以下「本件認定処分」という。)を受け,控訴人が口頭審理を放棄したため,大阪入管主任審査官から本件退令発付処分を受けたところ,上記口頭審理を放棄した手続が違法であり,かつ,控訴人は法輪功学習者で送還されると中国政府から迫害を受けるおそれがあるため,本件退令発付処分は入管法53条3項に違反し違法であるなどと主張して,本件退令発付処分の取消しを求めた事案である。
(2) 原審は,控訴人の請求を棄却したので,控訴人がこれを不服として控訴した。
2 前提となる事実
次のとおり原判決を補正するほかは,原判決の第2の2(原判決4頁1行目から同8頁 16 行目)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決4頁 14行目の「Aが,」の次に,「真実は,日本人の子ではないにもかかわらず,戸籍を偽り,」を加え,同5頁1行目の「証拠<省略>」の前に,「証拠<省略>」を加える。
(2) 原判決6頁 12行目の「認定し」の次に「(本件認定処分)」を加える。
(3) 原判決7頁4行目の「平成 19年5月7日に」の次に,「控訴人とともに」を加える。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) 原判決の引用,補正
次の(2)のとおり控訴人の当審補充主張を付加するほかは,原判決第2の3,第3(原判決8頁 17 行目から同 17 頁 12 行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決 14 頁 17 行目の「動機の錯誤により」を削る。
(2) 控訴人の当審補充主張
ア 通訳を付さなかった違法(争点(1)[1])
控訴人の OPI 検査の結果によれば,控訴人の日本語能力は「中級-中」であるところ,「中級」とは,自分なりに言語が使え,よく知っている話題について簡単な質問や答えができる,単純な状況ややりとりに対処できる,といったレベルであり,具体的には,買い物,道案内,ホテルの予約,デートの約束,スケジュールを立てる,といったことができる程度にすぎず,極めて非日常的な場面である退去強制手続に対処している能力を有しているとはいえない(証拠<省略>)。
[1] 現に,本件の手続に先立つ警察での取調べの際には控訴人に対して通訳が付されているし,[2]法務省入国管理局が定める違反審判要領によれば,容疑者に対し,通訳の希望を聞くこととされているのに,担当入国審査官であるEは控訴人に通訳の希望を聞いていないのであるから,控訴人から申し出がなかったことを通訳を付さないことを正当化する理由にすることは許されないし,[3]中国語で記載されたフローチャートに記載されているのは,一般人にとって聞き慣れない非日常的な用語ばかりであるから,これを控訴人に対して示したとしてもその内容を理解できないものであり,あまり意味がないのである。
したがって,入国警備官及び入国審査官が控訴人に通訳を付さなかったのは違法である。
イ 口頭審理請求権が告知されなかった違法(争点(1)[2])
口頭審理請求権が告知されたというためには,入国審査官が,容疑者に対して,特別審理官による口頭審理とはいかなる手続で(特別審理官とはどのような立場の者で,口頭審理とは違反調査や違反審査とはどのように違うのかなど),どのような場合にその請求が可能なのか(口頭審理放棄をすることのできる「認定に不服があるとき」とはどのような場合か),これを放棄した場合にはどのような結果を生ずるのか(直ちに退去強制令書が発付されて国外に退去しなければならないことなど),説明しなければならない。
このような一般人にとって複雑で分かりにくい事項について,辛うじて日常会話ができる程度の日本語能力しかない控訴人が,中国語で書かれているとはいえ,難解な法律用語で記載されているフローチャート(証拠<省略>)と日本語による説明のみで,口頭審理請求権の内容について理解することなど不可能である。
したがって,本件において,控訴人に対して口頭審理請求権が告知されているとはいえない。
ウ 在留特別許可についての説明義務違反(争点(1)[3])
控訴人の「帰国の希望」は,「長男の在留が認められるのなら帰国する」という条件付きのものにすぎないから,控訴人は,入国審査官(E)から,在留特別許可についての詳細な説明を受ける必要があった。
したがって,本件において,入国審査官は,在留特別許可について説明する義務を怠っており,これによってされた本件口頭審理放棄は無効である。
エ 本件口頭審理放棄は真意に基づくものでなく無効(争点(2))
行政過程における私人の意思表示に瑕疵がある場合にその効果をどのように評価するかについて,一般的には民法の法律行為に関する規定の適用があると解されており,入管法は容疑者の口頭審理放棄の意思表示の瑕疵について何らの規定も置いていないのであるから,私法上の意思表示の瑕疵についての規律が一律に及ばないと解するのは相当ではない。
控訴人は,自らが口頭審理を放棄すれば,長男の在留資格が認められると信じ,「長男の在留が認められるのならば」という条件を付して,帰国の意思を表明したところ,控訴人の内心では,あくまで条件を付した上で帰国を希望しているにすぎないのに,表示上は,無条件に帰国を受け入れる体裁がとられており,真意と表示との間に齟齬があるから,動機の錯誤の場面ではない。
また,本件口頭審理放棄当時,長男の在留許可についての裁決結果が出るのはいつになるのか分からなかったのに対して,控訴人が口頭審理を放棄した以上,直ちに退去強制令書が発付されて,執行に着手され,いつ,強制送還がされてもおかしくない状態に置かれた。しかし,控訴人は,口頭審理を放棄しても,直ちに退去強制令書が発付されるとは考えておらず,長男の在留許可がされるまでは,退去強制令書は発付されないと思っていたのであるから,控訴人には,退去強制令書の発付時期及び執行着手時期についても錯誤が認められる。
さらに,仮に,控訴人の錯誤が動機の錯誤であるとしても,口頭審理放棄は,退去強制事由に該当すると認定された外国人にとって,在留特別許可を得ることによって本邦に在留する途を閉ざすことになるのみならず,直ちに退去強制令書が発付されることにより,強制送還を強いられるという極めて重大な効果を生じさせるものであるから,口頭審理請求権の効果についての理解が不十分であった結果,真意に基づかずに口頭審理を放棄したような場合には,その動機が表示されているか否かにかかわらず,口頭審理放棄は無効と解すべきである。
オ 本件退令発付処分が入管法53 条3項に違反する(争点(3))
控訴人は,法輪功の積極的な学習者であって,中国に送還されると中国政府当局から迫害を受けるおそれがある。
控訴人が本件違反調査や本件違反審査の際に自己が法輪功学習者であり,中国政府から警告を受けている旨の供述を一切していないのは事実であるが,控訴人は,当時,長男の在留資格を認めてもらうことを条件に,自らは,危険を冒しても中国に帰国することが長男を救う唯一の途だと信じており,そのような中で,自己に対する迫害のおそれについて入管当局に述べることは,無意味であり,わざわざそのような供述をしないことの方がむしろ自然であるから,上記の点から,控訴人の供述の信用性を否定するのは相当ではない。
第3当裁判所の判断
1 認定事実
(1) 原判決第4の1(原判決 17頁 15行目から同 23頁8行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する
(2) ただし,次のとおり補正する。
ア 原判決 19 頁9行目の「入国したが」を「入国したものの」に改める。
イ 原判決 20 頁 17 行目から同頁 18 行目にかけての「そのようなやりとりがあったことを認めるに足りる証拠はない。」を「同供述は,これを否定する証拠<省略>に照らして俄かに信用できず,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。」に改める。
ウ 原判決 22 頁5行目の次に行を改め,次のとおり加える。
「(キ) このようにして,Eは,平成 19年5月9日,控訴人に対し本件違反審査を行った結果,控訴人が入管法24 条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨認定し,これを控訴人に通知したところ(証拠<省略>),控訴人は,その認定に服するとして,日本語及び中国語で記載された口頭審理放棄書(証拠<省略>)の末尾に署名指印し,本件口頭審理放棄をした(証拠<省略>)。」
2 争点に対する判断
(1) 判断の大要,原判決の引用等
ア 判断の大要
当裁判所も,原判決と同様,本件退去強制手続において,手続上の瑕疵は認められず,また本件退令発付処分が入管法53条3項に違反するともいえないから,本件退令発付処分は適法であると判断する。
イ 原判決の引用等
その理由は,次の(2)のとおり原判決を補正し,(3)のとおり控訴人の当審補充主張に対する判断を付加するほかは,原判決の第4の2~6(原判決 23頁9行目から同 31頁 23行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(2) 原判決の補正
ア 通訳を付さなかった違法(争点(1)[1])関係の補正
原判決 24 頁5・6行目の「入国警備官のから」を「入国警備官から」に改め,同頁7行目の「生じ,」から同頁 12行目の「ところである。」までを「生じる。」に改め,同頁 15行目の「上記のような」から同頁 17行目の「いうべきで,」までを削る。
イ 在留特別許可についての説明義務(争点(1)[3])関係の補正原判決 26 頁末行の「説明」を「詳細な説明」に改め,同27 頁1行目から同頁7行目までを削り,同頁8行目から同頁 17 行目までを次のとおり改める。
「そして,前記認定事実によれば,控訴人は,本件各違反調査及び本件違反審査において,一貫して帰国する旨供述しており,日本に在留する希望を示していたとは認められない上,Eは,控訴人に対し,中国語で記載されたフローチャートを示し,日本語で退去強制手続について説明を行っていたことに加え,『法務大臣の特別なビザ』という用語を用いて,控訴人に対し在留特別許可についての説明を一応行っていたのであるから,この点について必要な説明は行っていたということができる。」
ウ 本件口頭審理放棄の有効性(争点(2))関係の補正
(ア) 原判決 28頁 19 行目の「直ちに」から同頁 21 行目末尾までを「,出来れば,Bの結果が出るまでは日本にいたいと希望していた事実を認めることができる。」に改める。
(イ) 原判決 29頁1行目の「さらに,」から同頁 13行目末尾までを,次のとおり改める。
「さらに,本件口頭審理放棄に至るまでの間に,Eから控訴人に対し,口頭審理を放棄した場合,退去強制令書がどの程度の期間で発付され執行に着手されるのかについての説明がされたり,逆に,控訴人からEに対して,その旨の質問がされた形跡がないことに加え,前記のとおり,控訴人が有効な在留資格を求める意思がないことを明確に表明していたことを考え併せると,控訴人において,口頭審理を放棄した場合,速やかに送還手続が採られたとしてもやむを得ないものの,出来れば,Bの結果が出るまで日本にいたいという希望を述べていたにすぎず,口頭審理を放棄しても,Bの結果が出るまで,あるいは相当期間が経過するまで,送還されることはないと誤信していたとは到底認められない。」
(ウ) 原判決 29 頁 16 行目冒頭から同 30 頁7行目末尾までを削る。
(3) 控訴人の当審補充主張に対する判断
ア 通訳を付さなかった違法の主張(争点(1)[1])について
(ア) 前記(1)イで原判決 23 頁 10 行目から同 25頁 21行目までを前記(2)アのとおり補正の上引用して認定したとおり,控訴人は,本件退去強制手続当時,他者と意思疎通を図るのに十分な日本語能力を有していたことは明らかである。
(イ) 控訴人は,退去強制手続は極めて非日常的な場面であるから,控訴人程度の日本語能力では不十分である旨主張するところ,確かに,退去強制手続には,法律用語が使用されることから,日常用語に比べて理解が困難な面があることは否定できない。
しかしながら,それは日本語に通じた日本人であっても同様であり,法律家でもない限り,退去強制手続における法律用語を何らの説明もないのに的確に理解し得る者は極めて少数であると思われる。結局のところ,そのような問題は,会話の中での質問とこれに対する回答によって補わざるを得ないのである。そして,質問に対する回答が難解で理解できないというのであれば,容疑者自らがその時点で通訳を付することを要求すれば解決する問題であって,他者と意思疎通を図るのに十分な日本語能力を有している者であれば,通訳を付することを要求することが容易であることは自明のことである。
(ウ) したがって,退去強制手続において,通訳を付さないことが違法と評価されるのは,容疑者が他者と意思疎通を図るのにも不十分な日本語能力しか有していなかったとか,容疑者が担当官の説明が理解できないとして通訳を付することを要求したのに,通訳が付されなかったような場合に限られるものというべきである。
本件においては,上記(ア)のとおり原判決を補正の上引用して認定した事実によれば,上記いずれの場合にも該当しないことは明らかである。それゆえ,控訴人の上記(イ)前段の主張は採用することができない。
イ 口頭審理請求権が告知されなかった違法の主張(争点(1)[2])について
(ア) 口頭審理請求権の告知が適切に行われたことは,前記(1)イで原判決 26 頁1行目から同頁 17行目までを引用して認定したとおりである。
(イ) 控訴人は,通訳を付すべきか否かの点と同様に,一般人にとって複雑で分かりにくい事項について,辛うじて日常会話ができる程度の日本語能力しかない控訴人が,中国語で書かれているとはいえ,難解な法律用語で記載されているフローチャート(証拠<省略>)と日本語による説明のみで,理解することなど不可能である旨主張している。
しかしながら,この点は上記ア(イ)で判示したとおりであって,本件において,通訳を付さなかったことが違法とは評価されない以上,上記の点も違法と評価される余地はない。
しかも,控訴人は,平成 19年5月9日,西日本センターにおいて,入国審査官(E)に対し,「私は法務大臣に日本に残れる特別なビザをお願いするつもりはありません。」「今日の入国審査官の決定に従ったら,法務大臣に日本に残れる手続をお願いすることが出来ないと理解しました。」と供述している(証拠<省略>)のであるから,控訴人が口頭審理請求権を放棄した場合の法的効果を理解していたことも明らかである。
(ウ) したがって,控訴人の上記(イ)前段の主張も採用することができない。
ウ 在留特別許可についての説明義務違反の主張(争点(1)[3])について
(ア) 控訴人は,控訴人の「帰国の希望」は,「長男の在留が認められるのなら帰国する」という条件付きのものにすぎないから,控訴人は,入国審査官から,在留特別許可についての詳細な説明を受ける必要があったのに,詳細な説明を受けなかったから,説明義務違反がある旨主張している。
確かに,法務大臣の在留特別許可を受ける利益は,容疑者の手続上の地位の一つに含まれていると考えられるから,入国審査官としては,違反審査に当たって,在留特別許可についての一般的な説明を行う義務があるものと解することができる。
(イ) しかしながら,入管法は,退去強制手続において,容疑者に対し在留特別許可制度について通知ないし教示を行うべきことを定めていない上,在留特別許可制度は,制度上,その運用が法務大臣の広範な裁量権に委ねられており,恩恵的な制度の色彩が強いことからすると,入国審査官としては,容疑者から質問もないのに,同制度を詳細に説明する義務まで負担していないと解するのが相当であって,それは本件のような場合にも変わるところがない。
そして,E(入国審査官)は,控訴人に対し,中国語で記載されたフローチャート(証拠<省略>,「在留特別許可」について中国語で記載されている。)を示し,日本語で退去強制手続について説明を行った上,「法務大臣の特別なビザ」という用語を用いて,控訴人に対し在留特別許可についての説明を一応行っており,それ以上に,Eが控訴人から在留特別許可について詳細な説明を求められた形跡はない(証拠<省略>)からEに上記の点に説明義務違反があったものとは認められない。
(ウ) したがって,控訴人の上記(ア)前段の主張も採用することができない。
エ 本件口頭審理放棄は真意に基づくものでなく無効の主張(争点(2))について
(ア) 一般論
a 一般に,公法上の意思表示についても,その性質に反しない限り,私法上の意思表示に関する法理が類推適用されるべきものと解されるが,前者においては,取引の安全の確保の要請が後退する反面,公法秩序の早期安定の要請が強く働くので,意思表示の欠缺,瑕疵に関する法理をそのまま持ち込むことは相当ではない。
例えば,表意者に錯誤が存したからといって直ちに無効をもたらすものではなく,その錯誤の内容の重大性と効力を否定した場合の公法秩序の動揺を比較衡量し,効力を維持することが正義に反すると考えられる場合に限って無効と解するのが相当である。
b そして,口頭審理請求権の放棄については,出入国管理を達成するための最も強力な手段である退去強制処分に至る手続の一環であり,それ自体として,私人間の私的自治の原則が妥当する法律関係を規定する民法の規定になじみ難いものである上,入管法自体が,47条,48条で,その放棄の要件や手続について具体的かつ厳格な定めをおいていることに照らしても,口頭審理請求権の放棄の手続は,公法関係における公法秩序の早期安定の要請が強く働く手続である。
したがって,口頭審理請求権の放棄については,民法の錯誤の規定がそのまま適用されるのではなく,あくまでも,入管法が規定する個別の要件解釈として,口頭審理の請求を放棄する旨の意思表示の有効性を判断することになる。
そして,入管法47 条5項は,具体的な要件として,入国審査官から退去強制対象者に該当するとの通知を受けた容疑者が,入国審査官の「認定に服したとき」に,口頭審理の請求をしない旨を記載した文書に署名するものとして規定された手続であるから,当該容疑者が入国審査官の認定に服したか否かが判断されるべきであり,当該容疑者が真意に基づいて認定に服したものと認められれば,当該容疑者にそれ以外の点について錯誤,誤解があったからとしても,口頭審理請求権の放棄が無効になるものではない。
(イ) 本件への適用
a 【判示事項】これを本件についてみるに,前記(1)イで原判決 27頁 21行目から同 29頁 15 行目までを前記(2)ウ(ア)(イ)のとおり補正の上引用して認定した事実によれば,控訴人は,平成 19年5月9日,入国審査官(E)から退去強制対象者に該当するとの通知を受け,真意に基づいてその認定に服したものと認められるので,仮に,控訴人に,それ以外の点について錯誤,誤解があったとしても,本件口頭審理放棄が無効になるものではない。
b しかも,仮に,控訴人が口頭審理放棄を行えば長男の在留が認められると誤信していたとしても,それは口頭審理放棄の意味,効果を誤信したものではなく,動機の錯誤に関するものにすぎない。
その上,Eや他の担当官が控訴人に対し,控訴人が帰国することで長男の在留が認められるようになるなどと誤解を与えるような言動をしたものとは認められないし,控訴人がE等に対して,本件口頭審理放棄と長男の在留許可とを直接的に関連付けるような発言をした形跡もない以上(控訴人がそのように関連付けた質問をしたのは,前記1で原判決 19頁6行目から同 22頁 13行目までを補正の上認定したとおり,本件令書の署名を拒否した際が初めてである。),上記動機が表示されていたともいえない。
このように,行政庁である主任審査官(本件退令発付処分を行った者)に表示もされていない動機の錯誤によって,退去強制手続が左右されると解することは,退去強制手続の安定性を著しく害することになって相当ではないし,容疑者である控訴人としても,口頭審理放棄の意味,効果を誤信しているわけではないのであるから,その効果を維持することが正義に反するとまでいえないことは明らかである。
(ウ) したがって,本件口頭審理放棄は有効である。
オ 本件退令発付処分が入管法53 条3項に違反する旨の主張(争点(3))について
(ア) 控訴人は,当時,長男の在留資格を認めてもらうことを条件に,自らは,危険を冒しても中国に帰国することが長男を救う唯一の途だと信じていたのであり,本件違反調査や違反審査の際に自己が法輪功学習者であり,中国政府から警告を受けている旨の供述を一切していないことは,特に不自然ではない旨主張している。
(イ) しかしながら,前記(1)イで原判決 31 頁 11 行目から同頁 20 行目を引用して認定したとおり,法輪功学習者であることにより自己に対する迫害のおそれがあることを入管当局に申述することと,長男に対して在留資格が認められるかどうかは全く別問題である。
そもそも,前記1で原判決 19 頁6行目から同 23頁8行目までを補正の上認定したとおり,本件の場合は,控訴人自身が退去強制事由の存在については当初から争っていなかったのであるから,退去強制手続の当初から中国に送還される可能性が高いことは控訴人も認識していたと思われるにもかかわらず,控訴人は,本件退去強制手続及び本件退令発付処分の時点,さらにその後に実施された本件事情聴取(通訳付き)においても,法輪功や迫害のおそれについて何らの供述もせず,かえって,「長男の日本での在留が認められれば,妻と次女とともに中国に帰国しようと考えている。」旨供述していたのであるから,控訴人としては,中国に送還された場合の迫害のおそれなど念頭になかったことは明らかである。
控訴人がいかに長男の在留資格を認めてもらうことを第一義に考えていたとしても,真に,中国に送還されると,中国政府当局から迫害されるおそれがあったのであれば,本件退去強制手続中,法輪功や迫害について何らの供述もしないなどということは,およそ考え難いというべきである。
(ウ) したがって,控訴人の上記(ア)の主張も採用することができない。
第4結論
以上によれば,本件退去強制手続においては,本件認定処分及びその後の本件口頭審理放棄に係る手続等は適法であり,また本件退令発付処分が入管法53 条3項に違反するともいえないから,本件退令発付処分は適法であって,これが違法であるとして,本件退令発付処分の取消しを求める本訴請求は理由がなく,棄却を免れない。
よって,これと同旨の原判決は相当であって,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判官 紙浦健二 裁判官 田中敦 裁判官 神山隆一)