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大阪高等裁判所 平成24年(ネ)257号 判決 2012年10月25日

控訴人・被控訴人(原告)

X(以下「一審原告」という。)

同訴訟代理人弁護士

秋田真志

川﨑拓也

被控訴人・控訴人(被告)

国(以下「一審被告」という。)

同代表者法務大臣

同指定代理人

梅本大介<他6名>

"

主文

一  一審被告の控訴に基づき、原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。

二  上記取消部分に係る一審原告の請求を棄却する。

三  一審原告の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも一審原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  一審原告の控訴の趣旨

(1)  原判決を次のとおり変更する。

(2)  一審被告は、一審原告に対し、五五〇万円及びこれに対する平成二二年四月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  一審被告の控訴の趣旨

主文第一、二項同旨

第二事案の概要

一  本件は、一審原告が、収容されていたa刑務所内において、同刑務所の刑務官らに、コンクリートの床に引き倒され、頭部を踏み付けられるなどされた上、腹部を革手錠で締め上げられ、これらによって骨盤骨骨折、腰椎変形、急性腹膜炎及び急性腎不全等の傷害を負い、多大な精神的損害を被ったとして、一審被告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償として、慰謝料五〇〇万円及び弁護士費用五〇万円の合計五五〇万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二二年四月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。

二  原審は、一審被告の安全配慮義務違反を認め、これによる損害賠償請求権の消滅時効の起算点は一審原告がa刑務所を出所した日である平成一二年七月三〇日であって、本件訴え提起の日である平成二二年三月二三日までに消滅時効は完成していないとして、一審原告の請求を二三〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容しその余を棄却したので、これを不服とする一審原告及び一審被告が控訴した。

三  前提事実、関連法令等、争点及び当事者の主張は、次のとおり補正し、後記四において当審における当事者の補充主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 前提事実」、「三 関連法令等」及び「四 当事者の主張」(原判決二頁一二行目から一三頁一一行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)  原判決三頁二行目の「同日」から三行目末尾までを次の文章に改める。

「同日、一審原告に対する革手錠の使用が解除された(使用が解除された時刻については争いがある。)。」

(2)  原判決三頁一二行目の末尾に改行して次の文章を加える。

「 一審原告は、平成一二年七月三〇日にa刑務所を出所した。」

(3)  原判決三頁二五行目の「奥行き」を「幅」に、二六行目の「幅」を「奥行き」にそれぞれ改める。

(4)  原判決四頁四行目の末尾に改行して次の文章を加える。

「(3) 一審原告の訴提起と一審被告の時効の援用

ア 一審原告は、平成二二年三月二三日に本件訴訟を提起した。

イ 一審被告は、同年六月一〇日の原審第一回口頭弁論期日において時効を援用するとの意思表示をした。」

四  当審における当事者の補充主張

(1)  一審原告の補充主張

ア 暴行の態様と結果

(ア) 一審原告が作成した平成一二年八月二二日名古屋弁護士会受付の上申書(甲一。以下「平成一二年上申書」という。)には、保護房内において首を絞められたことの記載がないが、それは、一審原告に重度の不眠症があり、同上申書を作成した当時も極度の不眠に悩まされていて、記憶の喚起や書面の記載にも困難を来していたからにすぎない。

保護房内での首絞めを含む暴行を積極的に加えてきた工場統括は、一審原告が平成六年頃岡崎刑務所に収容されていてトラブルがあった当時に同刑務所の工場統括をしていた職員であって、一審原告に執拗かつ強度の暴行を加える動機があった。

(イ) 革手錠はより小さいものに二回替えられて、徐々にきつく締められている。最初に革手錠を使用したのは工場統括であり、これを小さい革手錠に替えたのは舎房統括であって、その後すぐにさらに小さな革手錠を締めることにしたものである。当初革手錠を使用した者と別人が前者の締め方が生ぬるいと考えて、より小さい革手錠で締め上げることは不自然なことではないから、一審原告が供述するとおり、革手錠は当初のものより小さいものに替えられたのである。

(ウ) 処遇票(乙七)では、革手錠は平成一〇年四月一七日の午後七時三分に解錠されたと記載されているが、これは事実に反する。革手錠は同日深夜まで使用されており、緊縛継続時間は約一四時間に及ぶ。革手錠を解錠するのは、その必要性がないと判断したからということになるが、処遇票においては、同日午後七時三分の前後でさほど一審原告の行動に変化はなく、睨んだり怒鳴ったりという行動を継続していて、革手錠の必要性が変化していることを示す記載はない。また、当時のa刑務所においては、革手錠を外されればすぐに舎房に戻されるという扱いが一般的であったにもかかわらず、一審原告はこの日舎房に戻されていない。

(エ) 処遇票(乙七)の記載には不合理な点が多々あり、その信用性はない。革手錠により急性腎不全になるほどの緊縛度で締め上げられていれば、一審原告は苦痛で身体を動かすことが困難であるはずであるにもかかわらず、処遇票では横臥しながら足をバタつかせていたと記載しており、一方で歩行可能であることも記載されているが、歩行可能な者が横臥して足をバタつかせるという幼児しかとらないような行動をとるはずもない。また、一審原告が処遇票に記載されているように大声を出し続けていたのであれば、a刑務所においてはそのような被収容者には「口わっぱ」と呼ばれる器具が使用されており、そのような器具も使用せずにそのまま放置されているということ自体不自然である。さらに、処遇票の記載によれば、派手に動き回り、反抗的態度を示し、大声で怒鳴っていたはずの一審原告について、医師の診察時のみ「不貞腐れ」「顔をそむける」という行動しか記載されていない。しかし、医師の診察時こそ一審原告にとって不満を述べ反抗するチャンスであることからすれば、このような記載は不自然である。したがって、処遇票は、革手錠使用の必要性を作出するために不合理な内容となる虚偽記載ないし改ざんがなされたと考えるべきである。

別件の名古屋地方裁判所平成二二年五月二五日判決(甲三)では、本件とは時期は異なるものの、a刑務所においては資料の異常な改ざん行為が行われていたことが認定されている。

また、革手錠使用に関する視察表(乙八)では、一審原告の「負傷の有無」欄には「なし」と記載されているが、その次の頁には、一審原告の嘔吐物で房内が汚染されたことが記載されており、革手錠の使用により嘔吐したことが明らかであり、身体のどこかに不調ないし生理的機能の破壊があることが明らかであるにもかかわらず、「負傷の有無」欄に「なし」と記載するところにも、a刑務所の隠蔽体質が見て取れる。

(オ) 革手錠の使用により骨盤骨骨折の障害が生じている。一審原告は一連の診察の際に医師から骨盤骨骨折があることを指摘されており、平成一〇年四月二四日のレントゲン写真を確認すれば、骨盤骨骨折の存在は明らかになるものである。

イ 安全配慮義務の有無

(ア) 安全配慮義務違反による損害賠償請求が認められる場面とは、不法行為責任を基礎づける結果回避義務ないしは注意義務が存在する広く一般的な無限定な場面ではなく、何らかの密接な法律関係が生じる場面に限定されるが、それが、当事者の意思の合致ないしはそれに準じる法律関係のみを根拠とする契約責任の場面に限定されるということはない。当事者間の合意からは導くことが出来ず、かといって不法行為規範で規律することが適切でない領域についても、一定の賠償責任を導くものとして安全配慮義務は捉えられるべきものである。

最高裁判所昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決(民集二九巻二号一四三頁。以下「最高裁昭和五〇年判決」という。)においても、安全配慮義務の発生根拠はあくまでも「信義則」であり、それは当事者の合意に基づくものでないことを意味しているし、同判決は、そのような信義則上の義務を負う場面を「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入った」場面としており、契約ないし契約に準ずる関係が必須の要件であるとは判示していないのである。

(イ) これまで裁判例において安全配慮義務の存在が肯定されてきたのは、雇用ないし労働関係、自衛隊その他の公務員関係、私立・公立学校の在学関係、宿泊契約・各種施設の利用契約、旅客運送契約などであるが、これらをみれば、一方が他方に危険回避の措置を委ねる関係があることをもって特別な社会的接触の関係と捉えており、契約から発生する関係のみを意味しない。契約関係においては、解除事由等がない場合には正に相互が相手方に拘束されるのであるが、本件の在監関係も、全く逃れようのない特別な社会的接触関係なのである。

公立小学校における安全配慮義務を認める裁判例を就学契約類似の関係であると整理する考えもあり得るが、契約関係があくまでも当事者の「任意」の「自由意思」に依るものであるとすると、公立学校への通学については、義務教育としての通学を余儀なくされていることからすれば、一般社会通念としては、契約類似というよりは、契約関係に根拠のない「特別な社会的接触関係」が見い出されていると捉えるべきである。

直接に安全配慮義務の存否に関する判示ではないが、東京高裁昭和四六年三月二二日判決は、少年院の注意義務について、「少年院への収容は矯正教育のための保護処分ではあるけれども、強制力を用いて身柄を院内に抑留して行うものである以上、被収容者の身体生命の安全を保護するについては教官、少年院、国において万全を期すべき義務ないし責任があり、それは単なる宿泊、教育施設の職員、管理者、設置者のそれとはおのずから異なる極めて重いものでなければならない」として、単に不法行為を基礎づける注意義務ないしは結果回避義務を超える、より高度な義務を負っているとされており、それが「特別な社会的接触関係」の存在を表すものといえる。

(ウ) 受刑者と刑務所との関係は契約類似の関係でもある。

受刑者と刑務所との関係も、刑務所が受刑者に矯正教育を施し、受刑者が矯正教育を受ける義務を負うという側面では就学契約類似のものといえるし、労務を提供し名称は「報奨金」ではあるものの一定の金員を受領する関係では、労働契約類似のものといえ、さらに、国家による刑罰権の行使は私人間における私的制裁とは異なり、国民は法的な適正さ、節度の存在を期待し、信頼しており、一審原告もそうした期待と信頼をする国民の一人であるから、そうした信頼に着目しても何らかの契約類似の関係があるということができ、いずれにしても不法行為とは峻別される安全配慮義務を生じさせるべき契約類似の関係を見いだすことが十分に可能である。

ウ 消滅時効の起算点

(ア) 一審原告がa刑務所に収容されている間は、訴えの提起は法律上の障害によりできなかったと解するべきであるが、仮に法律上の障害でないとしても、権利の性質上その権利行使が現実に期待できない場合に該当するというべきである。

(イ) 受刑者である一審原告は、一審被告の手を介してしか提訴等の権利実現行為をとりえない。監獄法四六条一項及び監獄法施行規則一二九条一項によれば、受刑者は一か月に一通しか信書を発信できない。同条二項において所長の裁量によりその制限に依らないことはできるが、しかし、それは所長の裁量によるにすぎず、権利として訴訟提起ができることを確定させるものではない。また、監獄法の下で接見への立会い及び信書の検閲が認められるので、訴状はa刑務所職員の目にふれることになるし、代理人を依頼する場合は接見への立会いにより内容を見聞きされることになる。一審原告はこのように法律が定める制度のために訴訟提起をすることができない状態におかれていたのであるから、法律上の障害により権利行使をなし得なかったというべきである。

(ウ) 一審原告がa刑務所に収容されていたことは、仮に法律上の障害に当たらないとしても、権利の性質上その権利行使が現実に期待できないことに該当する。一審原告は、a刑務所の職員から革手錠をかけられ過度に緊縛された上、翌日の取調べに行く際に、刑務官から、懲罰対象事実を否認したらまた革手錠をかけると言われ、また、平成一〇年四月二二日に医師の診断を受ける前にも、職員による暴行を話せば革手錠を再びかけると言われていた。そのため、一審原告は上記両場面において刑務官の暴行について申告しておらず、一審原告が革手錠の使用とa刑務所職員に対して強い恐怖心を抱いていたことは明らかである。前記のとおり、受刑者である一審原告としては、訴状を裁判所に提出する前の段階で必ず相手方当事者の目に訴状ひいては権利行使の事実が分かることになるのであるから、そのことによる恐怖心と監獄法の制度からすれば、一審原告の訴訟提起がその権利の性質(革手錠の違法使用による損害賠償請求であること)から権利行使が現実に期待できないと評価すべきである。

(エ) 一審被告が、同種事案における裁判例として引用する東京地方裁判所平成一六年八月三〇日判決(乙三三)の事案は、当該事件の原告がアメリカ大使館の領事ともしばしば面会し、革手錠の使用を含む府中刑務所の扱い等について不満を述べている事例であって、面会等で刑務所職員が立ち会っていても革手錠の使用について口にし得る状況にあったものである。また同裁判所平成一五年六月二六日判決(乙三四)及び同事件の控訴審である東京高等裁判所平成一七年八月三一日判決(乙三五)の事案も、受刑者が報復をおそれて不服申立てができなかったという事実自体が認められていない事例であり、本件とは事情が異なる。

一審被告が一審原告の権利行使が可能であったことの根拠として提出する刑事施設における不服申立状況(乙三六)については、不服申立ての内容について、本件と同様に刑務官の違法行為に対する不服申立てであるのか、刑務官とは全く関係のない食事や医薬品の類に関する不服申立てであるのか全く明らかになっていないから証拠価値はない。一審原告においても、革手錠に関すること以外の事由なら不服申立てをすることはできた可能性はあるのである。

エ 時効援用の権利濫用

a刑務所職員は、前記のとおり、取調べや医師の診察に当たって、一審原告の権利行使を妨害し、事実上困難とする行為を行った。また、受刑者である一審原告は、一審被告の手を介してしか提訴等の権利実現行為をとり得ず、裁判所に提出前の段階で必ず相手方当事者の目に訴状ひいては権利行使の事実が分かることになる状況にあった。このような状況であったにもかかわらず一審被告が時効を援用することは権利濫用に該当するか信義則に反するものである。

(2)  一審被告の補充主張

ア 暴行の態様と結果

(ア) 一審原告は、保護房において首を絞められたと主張するが、平成一二年上申書においてもこの点に関する記載は一切存在しない。一審原告は同上申書を作成してから一一年五か月ないし九か月後になって首を絞められたと突如陳述ないし供述したのであって、その信用性が認められないことは当然である。仮に一審原告が極度の不眠に悩まされていたとしても、同上申書にはその余の事実は詳細に記載されていることなどに照らすと、保護房で首を絞められたことについてのみ記憶の喚起と書面記載ができなかったとは考え難い。

(イ) 革手錠の交換に関しては、一審原告の供述には、当初から革手錠によって力一杯締め上げられたとしながら、職員が更に強く締め上げることを企図して小さな革手錠に交換したとする点で不自然なところがあり、また、交換された回数を原審においては一回としていたところ、当審において二回であると主張するに至ったものであって、このような経過に照らせば、一審原告の主張が客観的な事実に基づくものであるとは考え難い。

(ウ) 処遇票(乙七)の記載は、具体的かつ詳細なものである上、一審原告が革手錠により拘束されていたことを踏まえても特段不自然なものではなく、その信用性に疑問を生じさせる点はない。一審原告の急性腎不全は軽症であるから、その発症をもって、身体を動かすことも困難であったとは認められない。なお、防声具の使用は、保護房拘禁者に対しては禁じられていた(乙一九)。

(エ) 革手錠の使用の解除は、午後六時四五分頃に一審原告の嘔吐が発見されたことを契機に、一審原告の精神状態が時折大声を発するもののやや平静に復し、暴行の恐れも薄らいだものと思料されたことを踏まえて午後七時三分頃に行われたものである。革手錠の使用を解除した後、保護房への拘禁を継続したのは、一審原告の動静の変化を踏まえて行われたものである。保護房拘禁者に対しては保護房における拘禁のみでは、逃走、暴行又は自殺を抑止できないと認められる場合に限り戒具を使用することができるとされており、一審原告の主張は、革手錠の使用が解除されれば直ちに保護房における拘禁が終了することを前提としている点で誤っている。

(オ) 骨盤骨骨折の有無に関して、これを認めるべき証拠はなく、一審原告が開示を求める平成一〇年四月二四日撮影のレントゲン写真は保存期間の経過により現存していない。

イ 安全配慮義務の有無

(ア) 安全配慮義務について、最高裁昭和五〇年判決は、不法行為規範のもとにおける私人に対するその生命、健康等を保護すべき義務とは別に、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められる」ものと判示し、その法的性質を債務不履行責任として捉えている。同判決は自衛隊員が勤務中に事故により死亡した事例に関するものであるが、今日では、公務員関係を私法上の労働契約関係とは全く異質の特別権力関係とみる考え方は採用されておらず、公法上の規制を受け、また労働法上の権利に制約を受ける公法上の雇用=労働関係であるとされており、同判決は、国と公務員との間における主要な義務として、公務員が職務に専念すべき義務並びに法令及び上司の命令に従うべき義務を負い、国がこれに対応して公務員に対し給与支払義務を負うことを指摘しているところ、指摘された関係は雇用契約と類似しており、そのことが国の公務員に対する安全配慮義務が肯定された実質的根拠になっているものと考えられる。

(イ) 安全配慮義務については、最高裁昭和五〇年判決以降、労災・公務災害に限らない広範な守備範囲を有するものとして捉える傾向があったが、実際には安全配慮義務に関する最高裁の判例がその後相次いで出る中で、最高裁が安全配慮義務の概念をもっぱら労災・公務災害の事例に限定して用いる態度であることが明らかとなっており、下級審レベルまでを見据えても、今日では、安全配慮義務適用領域は労災・公務災害に学校事故を加えたものに限定されていると評されている。

また、最高裁昭和五〇年判決のうち、公務災害の事案に関して国に安全配慮義務を認めた部分と損害賠償請求権の消滅時効期間について判示した部分は「判例」として拘束力を持つ部分であるが、安全配慮義務は「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められる」とする部分は、「判例」には該当しない理由付け命題にすぎないものであるところ、最高裁昭和五〇年判決以外には、上記命題を用いて安全配慮義務を説示した最高裁判例は見当たらず、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係」という文言のみに依拠して漠然と安全配慮義務の成立範囲を広く解釈するのは誤りであり、安全配慮義務を導く「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」とは、不法行為規範が妥当する無限定な社会的接触関係を意味するものではなく、契約関係ないしこれに準ずる法律関係にあることを前提としているものと解される。

東京高裁平成一四年三月二八日判決は、強制連行に関する訴訟において、安全配慮義務違反の法的性質は広い意味での不完全履行の一種と解され、安全配慮義務が発生するための当事者間の法的結合関係は契約関係もしくはこれに準ずる法律関係であることを要するものというべきであると判示した上で、国民徴用令は一方的に公法上の勤務義務を発生させる行政処分であって、これによって生じる社会的接触は契約的接触であるということはできないなどとして、強制連行という公法関係に基づく社会的接触により安全配慮義務を負担するとの原告側の主張を排斥しており、同旨の判決は高裁段階のものだけでも多数存在している。

学説においても、安全配慮義務を契約責任の拡張の場面と理解し、契約関係又は契約関係に準じた関係が存在する必要があると解している。

(ウ) 本件では、一審被告と懲役受刑者である一審原告との関係は飽くまで懲役刑の執行として強制的に刑事施設に拘置し、受刑者の改善・教育の観点から所定の作業を行わせるというものであり、一審被告が国家権力を背景に受刑者の自由な意思に反して、一方的かつ強制的に設定した関係であって、契約関係ないしこれに準ずる法律関係とはいえない。

刑務所における受刑者の生命・身体の安全等について配慮すべき義務は飽くまで身体拘束に伴う国の強制力行使に本来的に内在する一般的な義務として存在するのであって、契約関係又はこれに準ずる法律関係を基礎とする安全配慮義務とは全く別個のものであり、不法行為としての国家賠償法一条一項の違法、すなわち職務上の法的義務違反を観念することができるとしても、債務不履行責任としての安全配慮義務違反を観念することはできないというべきである。一審原告が引用する少年院の義務に関する東京高裁判決は、安全配慮義務を認めた裁判例ではなく、国家賠償法上の義務及び同法一条に基づく賠償責任を認めた裁判例である。

(エ) 一審原告は、受刑者と刑務所との関係は契約類似の関係でもあると主張するが、懲役受刑者が行う所定の作業は、刑の執行自体として行うものであり、被用者の労務の給付を受けることを主たる目的とする雇用関係とは性質を異にするものであるし、所定の作業に対する作業賞与金も雇用契約における報酬としての性質を有しない。

ウ 消滅時効の起算点

(ア) 仮に安全配慮義務違反による損害賠償請求権が発生するとしても、同請求権は、権利として成立すればこれを行使するについての法律上の障害はないから、その成立時が時効の起算点となり、本件では、革手錠を使用した平成一〇年四月一七日あるいは遅くとも損害発生として一審原告が急性腎不全と診断された同月二四日が時効の起算点である。

(イ) 最高裁が、事実上の障害であるにもかかわらず、権利行使が現実に期待できるものであることをも必要とするとして、時効の進行を妨げる場合があると認めた判例には、次のようなものがあるが、いずれも権利の客観的性質上その行使を現実に期待することができないような権利に関するものである。すなわち、弁済供託における供託者の供託物取戻請求権、被供託者の供託物払渡請求権について、供託時から消滅時効が進行するとしたのでは弁済供託制度を設けた趣旨が没却されることから、供託者が免責の効果を受ける必要が消滅した時から消滅時効が進行するとし、自動車損害賠償保障法七二条一項に規定する政府に対する損害てん補請求権については、それが加害自動車の保有者に対する損害賠償請求権の補充的な権利であることから、ある者が加害自動車の保有者であるか否かをめぐってその者と損害賠償請求権の存否が争われている場合においては、その者に対する請求権が存在しないことが確定した時から進行するとしたものである。

しかるに、本件において、一審原告が再び革手錠を使用されることの恐怖心等からa刑務所収容中には権利行使できなかったという事情は、被収容者個人の主観に左右されるところが大きいものであって、およそ権利の性質上その権利行使が現実に期待できないといえるものではない。

(ウ) 刑事収容施設の受刑者は外部との通信等が制限されており、一か月に一通とされているが、所長の裁量により訴状等の訴訟書類の発受信はその制限の例外とされていて制約を受けることはなく、したがって権利の性質上その行使が現実に期待できない状況にあるとはいえない。

a刑務所においても、多くの被収容者が在所中に刑務所の処置について不服申立等の訴願行為を行っており、そのような例は、平成一〇年次が九件、平成一一年次が九件、平成一二年次が二一件となっていた(乙三六)。

(エ) 本件と同様の事例で、東京地裁平成一六年八月三〇日判決、同裁判所平成一五年六月二六日判決、東京高裁平成一七年八月三一日判決はいずれも消滅時効の起算点を不法行為時と解している。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、一審原告の本件請求は理由がないからこれを棄却すべきであると判断する。その理由は次のとおりである。

二  認定事実

(1)  原判決「事実及び理由」中の「第三裁判所の判断」の「一 認定事実」及び「二 事実認定の補足説明」(原判決一三頁一三行目から一九頁九行目まで)に認定・説示するとおりであるから、これを引用する。

(2)  認定事実に関する当審における一審原告の補充主張について

ア 一審原告は、平成一二年上申書に首を絞められたことの記載がないのは一審原告に重度の不眠症があったためであると主張するが、同上申書は極めて詳細に暴行経過や暴行内容を記載したものであるにもかかわらず、一審原告が主張する職員の暴行の中でもとりわけ強い暴行といってよい首を絞めるという暴行について何らの記載がないということの不自然さは否定することができない。

また、一審原告は、首を絞められた際、工場統括が「俺の眼の黒いうちは再審請求などさせない」などと言ったと陳述書(甲五)に記載し、原審における本人尋問においてもその旨供述しているところ、同本人尋問において、平成一〇年四月一七日までに一審原告がa刑務所職員に話したことは、人権擁護委員会に手紙を書きたいとか大事な話があるということであって、「再審請求」とは言っていないことを自認しており、上記のように工場統括が再審請求させないなどと言うことは不自然であるから、この点からも、一審原告の首を絞められたとの陳述や供述の信用性を認めることはできない。

イ 革手錠が、二度にわたりより小さいものに替えられたとの一審原告の主張は当審において初めてなされたものであり、その主張の経緯からみても採用することはできない。

ウ 一審原告は、革手錠は平成一〇年四月一七日の深夜まで使用されたと主張し、処遇票(乙七)には同日午後七時三分に解錠されたと記載されているが、その前後で革手錠の使用の必要性判断の前提となる一審原告の状況に同処遇票の記載にさほどの変化はないと主張する。しかしながら、同処遇票には同日午後六時四五分には嘔吐があったこと、同日午後七時五分には房内汚染のため一審原告が保護房二室から保護房一室に転房されたことも記載されているのであって、嘔吐があったことを契機に革手錠の使用が中止されたものであるとみて不自然ではない。

なお、同処遇票に記載されている一審原告の状況のうち、房内を徘徊している旨の記載があるのは、保護房収容直後のことであって、同日午前一〇時四八分から後は、横臥しながら足をバタつかせていたとの記載が増えているものであって、革手錠がきつく締められていたとしても、当初は徘徊できたもののその後それが困難になったものとみることができ、記載されている経過に不自然さはない。

また、保護房拘禁者に対して防声具を使用できないことは昭和四二年一二月二一日付け法務省矯正局長通達(乙一九)によって定められており、同処遇票に一審原告が大声をあげていたとの記載があるにもかかわらず、防声具を使用していないことにも不自然さはない。

さらに、革手錠使用の解除に関する視察表(乙八)については、平成一〇年四月一七日に作成されており、一審原告に急性腎不全の診断がなされたのは同月二四日のことであるから、同視察表の「負傷の有無」欄に「なし」と記載したこともやむを得ざるものというべきであり、嘔吐した事実については、関連があり得るものとして客観的な事実として記載していると解されるから、同視察表の記載をもって、刑務所職員に隠蔽意図があったと解することはできない。

エ 一審原告は、革手錠の使用により骨盤骨骨折の障害が生じたと主張するが、これを認めるべき証拠が存在しないことは前記(原判決引用)のとおりである。

三  安全配慮義務の有無について

(1)  原判決「事実及び理由」中の「第三 裁判所の判断」の「三 安全配慮義務の有無について」(原判決一九頁一〇行目から二四行目まで)に認定・説示するとおりであるから、これを引用する。

(2)  安全配慮義務の有無に関する当審における一審被告の補充主張について

ア 安全配慮義務が認められるべき領域として、これまで集積された裁判例が、契約関係もしくはこれに準ずる法律関係にある場合が多いことは一審被告が主張するとおりである。

しかしながら、もともと安全配慮義務を認める必要があるとされた状況は、不法行為における、何人も他人の生命・身体・財産等を侵害しないように配慮すべき一般市民的な義務では足りず、より高度の義務を信義則上認めるべき場面が存在するとして取り上げられてきたものである。そしてそのような義務を認めるべき必要性は、当事者間の接触関係に内在する危険に対して、一方当事者が、当事者間の関係から発生している義務により自己の行為によって危険を回避することが困難な状況にあり、一方、義務を課した側では相手方が義務を果たすべき場を自由に設定し、相手方に対して指揮監督等を行う権限を持ち、相手方の危険を予測し回避することが可能である場合に、危険を回避することのできない相手方を保護すべき義務を認めることが相当であるとされることから生じるものである。保護の必要性が肯定されたのは、上記のような状況においては保護義務を課すのが相当であるとする法的・社会的評価から来るものであって、当事者の意思にかかるものではない。

契約ないしは契約に準ずる関係において安全配慮義務が肯定されるのも、上記の特徴を持つ当事者間の接触関係の一態様として、契約ないしは契約に準ずる関係を想定しているにすぎず、そのような安全配慮義務を認める当事者の意思が存在することを根拠としているものではなく、社会が信義則上相当であると認めることによるのであって、それ故に、契約関係があれば常に安全配慮義務が肯定されているものではなく、現実にこの義務が肯定されているのは、契約関係の中でも、継続的な接触関係が予定され、かつ一方当事者の他方当事者に対する一定の指揮監督関係等があって、指揮監督を受ける側の当事者が、自らの意思によって危険を回避することが困難な契約類型に限られるのであって、そのような関係にない場合には、仮に契約関係にあっても、安全配慮義務が問題とされるものではない。

このように、安全配慮義務を認める必要性があるとされる根拠は、自由意思による契約の有無に求められるのではなく、一方の当事者に相手方当事者に対する現実の支配関係あるいは指揮監督関係等が存在し、相手方当事者の損害発生の回避が可能である状況があり、一方で損害を被る可能性のある反対当事者が結果発生を回避する行動をとることが当事者間の関係から困難であることにあるというべきである。

そして、上記のような安全配慮義務を認めるべき根拠となる当事者間の関係としては、受刑者と刑務所との関係は安全配慮義務発生の根拠となる要素の強い関係であるということができ、この関係には当然に安全配慮義務を肯定することができるというべきである。

イ この点につき、一審被告は、刑務所における受刑者の生命・身体等の安全等に対して配慮すべき義務について、身体拘束に伴う国の強制力行使に本来的に内在する一般的義務として存在し、その違反については国家賠償法による損害賠償責任のみを負うことになると主張する。

しかしながら、刑務所と受刑者との関係は、監獄法及びその関係法令により規律されていることは当然であるが、上記法令のみによって規律され尽くされるものではなく、上記のとおり、当事者間の接触関係に内在する危険について、一方当事者である刑務所のみが、受刑者に対して直接的な強制力を行使することが許される反面、強制力行使に伴う危険を予測し回避することが可能な状況にあり、受刑者の生命及び身体の安全を確保し、危険から保護すべき義務を負っているというべきであるから、同義務違反が生じた場合には、債務不履行に基づく損害賠償義務を負うというべきである。そして、同賠償義務は、一審被告について、監獄法等の関係法令に定められた義務違反に基づく国家賠償責任を負うことによって否定されるものではないから(各義務に対応する請求権は請求権競合の関係にあるものと解される。)、一審被告の上記主張は採用できない。

ウ 以上によれば、受刑者が拘禁者に対して有する安全配慮義務違反を理由とする請求権は、「契約の債務不履行を理由とする債権」ではないが、その債権の性質は不法行為による損害賠償請求権ということはできず、一般債権として一〇年の時効期間に服するものというべきである。

四  安全配慮義務違反及び因果関係について

次のとおり補正するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第三 裁判所の判断」の「四 安全配慮義務違反について」及び「五 因果関係について」(原判決一九頁二五行目から二二頁一九行目まで)に認定・説示するとおりであるから、これを引用する。

原判決二二頁三行目末尾に改行の上次の文章を加える。

「 そして、一審被告に認められる受刑者の身体・生命等に対する安全配慮義務は、刑務所内業務の遂行が安全になされるように業務管理者として予測できる危険等を排除し得るに足りる人的物的諸条件を整えることに尽きるというべきであるから、この安全配慮義務の履行補助者たり得るのは、人的物的諸条件を整備すべきことを任務として受刑者の業務を管理支配する立場にある者に限られるということができるところ、前記のとおり刑務官らの行為に前記の態様で安全配慮義務に違反する違法が認められ、これらの刑務官の行為が上司に報告しその明示・黙示の了承を得ながら刑務所の組織体として行われていると推認される以上、人的物的諸条件を整備すべきことを任務として受刑者の業務を管理支配する立場にある者にも当然に安全配慮義務の任務違背があるものと認められるというべきである。」

五  消滅時効について

損害額の認定前に消滅時効の成否につき判断する。

(1)  消滅時効の起算点について

一審原告は、一審原告が再度の革手錠の使用を恐れてa刑務所収容中は損害賠償請求権を行使できなかったと主張するので以下検討する。

ア 前記認定事実によると、一審原告は、保護房収容後もしばらくは刑務官に対し反抗的な態度をとっていたにもかかわらず、保護房拘禁が解除された後の平成一〇年四月二三日に行われた懲罰委員会においては、担当職員の制服右脇腹付近をわしづかみにして手前に引っ張るなどの暴行をしたとの容疑事実を認めて何ら弁解をしなかったことが認められるが、上記容疑事実は冤罪ではなく真実に合致しているのであるから、容疑事実を認めて特に弁解をしなかったからといって、一審原告が訴え提起等をすることが極めて困難になるほど革手錠を使用されることに恐怖心を抱いていたとまでは直ちにいえないと考えられる。

また、一審原告は、本件事件後a刑務所収容中、平成一〇年五月一五日から平成一一年二月二五日までの間、名古屋弁護士会人権擁護委員会と再審請求に関して前後七回にわたって文書の発受をしており(乙二四)、名古屋弁護士会という一審原告が救済を求めその権利行使を依頼するのに最も適切な機関と容易に連絡がとれる状況にあったことが認められるのであって、このことからすれば、a刑務所収容中、一審原告が訴え提起等の権利行使をすることが現実的に期待できなかったとは到底いえないものというべきである。確かに、前記認定事実のとおり、a刑務所を出所した直後には、同刑務所において職員から革手錠による暴行を受けたことなどについて記載した上申書を名古屋弁護士会宛てに送付しているが、一審原告はその後平成二二年三月二三日に至るまで一〇年近くも本訴提起を放置していたことなどを考えると、出所直後に送付した事実のみをもって、一審原告がa刑務所収監中は訴え提起等をすることが極めて困難であったとまではいい難い。なお、一審原告は、本件事件で工場統括が首を絞めた際に再審請求などさせないと言ったと供述している(甲五、一審原告本人)にもかかわらず、実際には上記のとおり再審請求手続を進めているし、また、一審原告は本件事件の後に刑務所の職員に暴行をしたとして複数回保護房に収容されていること(乙三一、三二、一審原告本人)などを考慮すると、一審原告の恐怖心を抱いたとの点に関する供述の信用性は低いといわざるを得ない。

さらに、刑事収容施設の受刑者は外部との通信等が制限されており、一か月に一通とされているが、実際には所長の裁量により訴状等の訴訟書類の発受信はその制限の例外とされていて制約を受けることがないのが実情であることが窺われるのであるから、a刑務所収監中は訴え提起等をすることが極めて困難であったとは到底いえない。現に、名古屋矯正管区内の各刑務所等においても、多数の被収容者が在所中に刑務所の処置について不服申立て等の訴願行為を行っており、民事・行政訴訟に限っても、平成一〇年次が九件、平成一一年次が九件、平成一二年次が二一件となっていたことも考慮すべきである(乙三六)。

イ そして、一般的に権利の消滅時効の起算点は、その権利の客観的な性質によって定まるものであって、原則として、債権者と債務者との個人的事情によって左右されるべきものではないというべきである。安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、特段の事情のない限り、権利として成立すればこれを行使するについての法律上の障害はない。

また、事実上の障害であるにもかかわらず、権利行使が現実に期待できるものでないとして、時効の進行を妨げる場合があると認められる権利が存在するが、そうした権利は、供託金取戻請求権や供託物払渡請求権、あるいは自動車損害賠償保障法が規定する政府に対する損害てん補請求権のように、法律上は一見すると権利行使をすることが可能であるが、実際には、その権利が定められた法制度の趣旨からみて、即時の権利行使を相当でないとする客観的事情が存する場合をいうのであって、法制度の趣旨を離れて当事者の個別の事実上の障害をもって、時効の進行を妨げる事由とすることはできないというべきである。すなわち、受刑者によって、刑務所職員からの報復を恐れるか否かに差異がある状況で、権利行使の始期について個別に差を設けるということは、特段の事情のない限り、法は予定していないというべきであり、本件においては、前認定のとおり、その特段の事情は認められないのである。

したがって、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は、革手錠が使用された平成一〇年四月一七日あるいは遅くともそれによる損害発生が明らかとなった一審原告が急性腎不全と診断された同月二四日が時効の起算点であるというべきである。

(2)  消滅時効の援用が権利濫用に当たるか。

本件においては、一審原告がa刑務所に収容されている間には、一審原告としては事実上権利行使が出所後に比して若干困難であると考えていたと認める余地がないではないが、一審原告がa刑務所に収容されていた期間は時効期間一〇年間のうちわずかに二年三か月余りにすぎず、一審原告がa刑務所を出所した後において長年にわたり権利行使をしなかったことについては、一審被告は何ら関与していない。消滅時効の援用が権利濫用に当たるというためには、債権者が訴え提起や時効中断することを債務者において妨害するなどし又は債権者に時効中断の行為を期待することが酷である場合など、債務者が消滅時効を援用するのが社会的に許容された限界を逸脱するものとみられる場合でなければならないところ、本件においては、時効にかかる損害賠償請求権の発生要件該当事実が過剰な監護権の行使であったことを考慮しても、一審被告が消滅時効を援用することをもって権利の濫用あるいは信義則違反であると解することはできない。

(3)  上記によれば、本件では、革手錠が使用された平成一〇年四月一七日あるいは遅くとも一審原告が急性腎不全と診断された同月二四日が時効の起算点であり、一審原告は平成二二年三月二三日に本件訴訟を提起しているから、一審原告の損害賠償請求権は時効によって消滅しているといわなければならない。

六  結論

以上によれば、一審原告の本件請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、原判決は失当であるから、一審被告の控訴に基づき、原判決中一審被告敗訴部分を取り消して同取消部分に係る一審原告の請求を棄却し、また、一審原告の控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂本倫城 裁判官 西垣昭利 森木田邦裕)

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