大阪高等裁判所 平成24年(ネ)3296号 判決 2013年4月16日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,インターネット上に公開する自らのホームページ(http://<省略>)に掲載した原判決別紙記事目録<省略>記載の記事を削除せよ。
3 被控訴人は,控訴人に対し,500 万円及びこれに対する平成 23 年5月 25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
5 仮執行宣言
第2事案の概要
1 事案の骨子
本件は,国土交通省がそのホームページ上に,一級建築士である控訴人が構造計算プログラムにより作成した構造計算書に表示された2か所のワーニングメッセージを削除するという偽装が発見されたとの原判決別紙記事目録<省略>記載の記事(以下「本件記事」という。)を掲載するとともに,同旨の報道発表をした(以下,本件記事のホームページへの掲載及び報道発表を併せて「本件公表行為」という。)ことについて,控訴人が,控訴人の行為は偽装には当たらない上,その公表等は比例原則,平等原則及び行政手続法に反し違法であるなどと主張して,被控訴人に対し,①人格権に基づき本件記事の削除を求め,また,②国家賠償法1条1項に基づき慰謝料 500 万円及びこれに対する不法行為後の日である平成 23年5月 25日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
被控訴人は,本案前の答弁として,控訴人は本件記事の削除を命じる仮処分決定を得ている上,本件記事は既に削除されており,訴えの利益を欠くと主張して,本件記事の削除を求める訴え(前記控訴の趣旨第2項)について却下判決を求めている。
原審が,本件公表行為は違法性を欠くとして本件記事の削除を求める請求も損害賠償の請求も棄却したことから,控訴人が控訴した。
2 前提事実並びに争点及び当事者の主張は,原判決9頁 21行目から 22行目にかけての「(以下,本件記事のホームページへの掲載及び報道発表を,併せて「本件公表行為」という。)」を「(本件公表行為)」と改め,3において当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」2及び3(原判決2頁 20行目から 18頁8行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。
3 当審における当事者の主張
(控訴人の主張)
(1) 本件公表行為は,国土交通省が定める公表のあり方の基準に反する。
本件公表行為は,国土交通省の定める基準に則っておらず,したがって,本件公表行為は,公務員が通常尽くすべき注意義務を尽くしていないから,国家賠償法1条1項にいう違法な行為にあたる。
ア 国土交通省の定める基準
国土交通省による公表については,「違法行為若しくはその疑義に関する情報を把握した場合の初動対応と公表のあり方について(技術的助言)」(国住指第 541号平成 18 年5月 11日)(以下「国住指第 541 号」という。)を定め,これに基準としている。これによれば,初動対応としては,違法行為の情報提供を受けた特定行政庁等は,所有者等に対する報告聴取,建築物への立入検査等を行って違反事実の把握に努め,違反の可能性が高いと判断される場合は,建築士及び建築士事務所を指導監督する都道府県知事,建築士を指導監督する国土交通大臣に情報を提供し,特定行政庁から情報提供を受けた上記都道府県知事は,建築士事務所の開設者,管理建築士に対して報告を求め又は事務所に立入検査を行い,違反事実が確認された場合は,建築士等が他に同様の違反を行った可能性のある他の建築物のリストを作成し,建築物が所在する特定行政庁ごとに情報を提供するものとされている。また,国土交通省の行う公表については,著しく危険もしくは悪質であり,かつ,きわめて社会的影響が大きい違反行為であると認めた場合は,特定行政庁と調整した上で行うこととされている。
なお,国土交通省等による公表の対象となる構造計算書の改ざんは,当該構造計算書に基づいて建築物が建築されている場合であって,本件は,そもそも公表の対象とはなり得ない。
イ 調査等が行われていないこと
本件においては,本件物件の建築確認申請に関する特定行政庁である京都府は,国土交通省近畿地方整備局及び控訴人の建築士事務所を指導監督する大阪府知事に対し情報提供したが,控訴人から事情聴取を行ったのみで,法違反事実について把握しようとはしていない。また,国土交通省は,大阪府知事から控訴人が関与した物件のリストの提出を受けたが,控訴人が法違反を行ったことが確認された事実はなく,大阪府知事が控訴人の建築士事務所の帳簿等の調査を通じて控訴人が他に同様の違反を行った可能性がある物件等を特定した事実もない。すなわち,特定行政庁等は,国住指第 541 号で要求されている調査等を行っていない。
ウ 控訴人の行為に建築基準法違反はないこと
本件物件は,法 20条2号の適用を受ける建物であるが,同条同号イにおいては,政令で定める基準に従った構造計算であって「国土交通大臣が定めた方法によるもの」又は「国土交通大臣の認定を受けたプログラムによるもの」によって確かめられる安全性を有することが必要と定められている。
法 20条2号の規定を受けた平成 19年6月 20 日国土交通省告示第 835 号の第2第3項2号によれば,構造計算書で大臣認定プログラムによるものの審査に関しては,ワーニングメッセージ等に対する検証が適切に行われているかについて審査するよう求めている。これに対し,大臣認定プログラム以外の方法によって構造計算書を作成する場合は,ワーニングメッセージの審査を行う旨の規定はないし,およそワーニングメッセージが表示されることがあり得ない手計算による場合も含まれるから,ワーニングメッセージを何らかの基準とすることは想定されていない。
したがって,本件のように大臣非認定プログラムによる構造計算の場合は,ワーニングメッセージは構造計算書の審査とは関連性がなく,ワーニングメッセージを削除したとしても,審査を阻害する可能性はない。
エ 控訴人の行為が「著しく危険もしくは悪質」とも「きわめて社会的影響が大きい」ともいえないこと
本件の控訴人の行為は,構造計算書に表示されるワーニングメッセージを2か所削除したというものであって,構造計算書の内容をなす数値等については全く改変を行っていない。そのため,当該構造計算書に基づいて建築物を建築したとしても,その建築物の安全性には何ら問題を生じることはない。
また,国土交通省により公表された4つの事例,平成 17 年の構造計算書偽装事件,ワーニングメッセージが添付されなかった事例などと比較しても,本件は「著しく危険もしくは悪質であり,かっ,きわめて社会的影響が大きい」とはいえない。
国土交通省の公表によって,建築士の行ったとされる行為が知れ渡る効果を有しており,公表の対象となる建築士にとっては,極めて重大な事実上の不利益を受けることになる。しかるに,本件の控訴人の行為は,上記のとおり,構造計算書の審査を阻害することはあり得ないのであるから,本件公表行為は,達成されるべき目的と,そのために取られる手段としての権利・利益の制約との間に均衡を要求する原則である比例原則に著しく違反する。このような観点からも,控訴人の行為は「著しく危険もしくは悪質であり,かつ,きわめて社会的影響が大きい」とはいえない。
控訴人の行為が日本建築総合試験所において発覚したのが平成 21 年9月3日であるが,特定行政庁である京都府は,同月 10日に国土交通省及び控訴人の建築士事務所を指導監督する大阪府知事に対し本件概要の報告をし,同月15 日に控訴人を聴取し,国土交通省は,同年 12月 24日に控訴人の行為内容を確認した。しかるに,本件公表行為がされたのは,平成 22年4月2日であるから,国土交通省が本件について確認してからでも4か月以上が経過した後である。また,特定行政庁から国土交通省等へ本件について報告がされた後,本件公表行為までの間,控訴人の建築士事務所に対して立入調査をするなどの調査も全くされていない。これらのことからすると,本件控訴人の行為は,緊急に公表することを要する行為ではなかったといえる。国住指第 541号に定める「著しく危険もしくは悪質であり,かつ,きわめて社会的影響が大きい」行為であるならば,緊急に公表して広く周知させる必要性が高いはずであって,本件の控訴人の行為がそのような行為に当たらないことは明白である。
オ 控訴人の行為は「偽装」に該当しないこと
「偽装」とは,国住指第 541号に定める公表の要件を充足する建築基準法令違反行為を指しているというべきである。しかるに,本件の控訴人の行為は,建築基準法令に違反しておらず,かつ「著しく危険もしくは悪質であり,かつ,きわめて社会的影響が大きい」違反行為の要件も充たさない。したがって,本件の控訴人の行為を「偽装」と表現することは誤りである。
(2) 二重の制裁にあたる
国土交通省は,控訴人に対し,本件報道発表の他に,建築士としての処分も予定している。上記のとおり,本件公表行為は,建築士としての処分に匹敵するほどの効果がある。その上,更に控訴人に対して建築士としての処分を予定しているということになれば,控訴人に対して二度にわたって制裁を科すことになる。この観点からも,本件公表行為は,比例原則に反する。
(被控訴人の主張)
国住指第 541号は,改ざんされた構造計算書に基づき建築物が建築されている場合の対応について,国土交通省住宅局建築指導課長が通知したものであるが,そうであるからといって,建築物が建築されていない段階で構造計算書の偽造が発覚した場合に,その事実を公表してはならないとする根拠となるものではない。
また,国住指第 541 号は,法令と同様の拘束力を有するものではないし,国住指第 541 号の発出以降,建築士の違法行為等に関して公表を求める社会的要請は高まっていたから,公表のあり方が,国住指第 541 号の内容と異なることがあったとしても,それだけで公表が違法となることはない。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所も,本件記事の削除を求める訴えの利益は認められるが,本件公表行為は国家賠償法1条1項の違法性を欠き,同請求も慰謝料を求める請求も理由がないものと判断する。その理由は,原判決 23頁 14 行目の「前記認定事実(3)イ(ウ)」を「前記認定事実(2)イ(ウ)」と改め,2において当審における控訴人の主張に対する判断をするほかは,原判決「事実及び理由」中「第3 当裁判所の判断」1及び2(原判決 18頁 10行目から 27頁 23 行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。
2 当審における控訴人の主張に対する判断
(1) 本件公表行為は,国土交通省が定める公表のあり方の基準に反するとの主張について
ア 国住指第 541 号について
証拠<省略>によれば,国住指第 541 号は,建築物において違法行為を繰り返す悪質な問題が発生し,関係機関が違法行為等に関する情報を共有することで被害の拡大を防止できた可能性があることから,国土交通省住宅局建築指導課長名で,特定行政庁,都道府県又は国土交通省が既に建築されている建築物に関する違法行為等に関する情報を把握した場合の初動対応の手順等(控訴人の主張する内容を含む。)についてとりまとめられ,都道府県建築行政担当部長宛に発出されたもので,その標題には,末尾にかっこ書きで「技術的助言」とされている。このような作成名義,宛先,標題名,内容等からすれば,国住指第 541号は,国土交通省が,都道府県に対し,建築物に関する違法行為等を把握した場合の対応の仕方について助言をするものであって,これが何らかの拘束力を持つものはいえないし,これに沿わない対応をした場合に直ちに違法になるともいえない。したがって,建築物が建築されていない場合における構造計算書の改ざんが,公表の対象にならないとはいえないし,その要件の有無によって公表行為の違法性を判断すべきものともいえないというべきである。そうではあるが,控訴人の主張に鑑み,これについて検討しておく。
イ 調査等について
控訴人は,京都府,大阪府,国土交通省は調査等を行っていない旨主張するが,上記のとおり,国住指第 541 号の定めに従わなければならないというわけではない。しかし,上記前提事実のとおり,京都府は,本件物件の建築確認申請に関する特定行政庁として,平成 21年9月 15日,複数の吏員が出席して,控訴人から本件削除行為について事情聴取を実施しており,また,大阪府及び大阪市も,控訴人の設計事務所が構造計算に関与した本件物件以外の物件に関する調査をした上で,他に同様の行為は認められなかったとしている。
なお,控訴人は,原審本人尋問において,京都府からの事情聴取を受けた際,ワーニングメッセージを削除したことについては質問されなかった旨供述するが,同月3日に本件削除行為が発覚し,特定行政庁である京都府が同月 10日に国土交通省及び大阪府知事に対し本件概要の報告をしたのであるから,その後の控訴人の事情聴取において,本件削除行為について質問しないことは考えられないのであって,上記控訴人の供述は信用できない。
ウ 控訴人の行為について
控訴人は,大臣認定プログラム以外の方法によって構造計算書を作成する場合は,ワーニングメッセージの審査を行う旨の規定はないし,ワーニングメッセージは構造計算書の審査とは関連性がなく,これを削除したとしても,審査を阻害する可能性はない旨主張する。
しかし,上記(原判決「事実及び理由」中「第3 当裁判所の判断」の1(2))のとおり,大臣認定プログラムか否かを問わず,ワーニングメッセージは適合性判定の重要な判断基準であり,これが削除されれば,数値間の不整合の発見が困難となるのであって,ワーニングメッセージは構造計算書の審査と重要な関連性を有し,これを削除した場合にはその審査を阻害することになるというべきである。
エ 「著しく危険もしくは悪質」,「きわめて社会的影響が大きい」との要件について
控訴人は,本件削除行為は,構造計算書の内容をなす数値等については全く改変を行っておらず,建築物の安全性に問題を生じない,他の事例と比較しても「著しく危険もしくは悪質であり,かつ,きわめて社会的影響が大きい」とはいえない,本件公表行為は比例原則に著しく違反する,本件控訴人の行為は緊急に公表することを要する行為ではなかったなどと主張する。
しかしながら,上記(原判決「事実及び理由」中「第3 当裁判所の判断」1(2)ないし(4))のとおり,ワーニングメッセージに係る一連の削除行為は,建築物の安全性を確認するために必要な設計者の見解を付記することを避けるために,適合性判定の重要な判断基準であるワーニングメッセージをあえて削除し,本来されるべき付着の応力度の検討に関する設計者の見解の妥当性の確認等の審査を経ないまま適合性判定を完了させようとしたものであって,所有者,入居者の生命・安全に係わる本件公表行為が,比例原則に反するとはいえないし,建物の安全性に大きな問題が生じている事態を想定して広く注意喚起するべく公表することは,緊急性を欠き違法であるとはいえない。
オ 控訴人の行為が「偽装」に該当するかについて
控訴人は,本件の控訴人の行為は,建築基準法令に違反しておらず,かつ国住指第 541号の違反行為の要件も充たさないから,本件の控訴人の行為を「偽装」と表現することは誤りである旨主張する。
しかし,上記(原判決「事実及び理由」中「第3 当裁判所の判断」1(2))のとおり,本件の控訴人の行為は,そのままでは建築物の安全性を確認できないにもかかわらず,構造計算書の内容を人為的に操作し,建築物の安全性が確認できるかのように装ったものといえるから,「偽装」と表現したことをもって,誤りであるとはいえない。
(2)二重の制裁にあたるとの主張について
控訴人は,建築士としての処分を予定しているということになれば,控訴人に対して二度にわたって制裁を科すことになるから,本件公表行為は比例原則に反する旨主張する。
しかし,本件公表行為は,控訴人が関与した建築物について,その安全性に大きな問題が生じている事態を想定して,その所有者,入居者等に対し,広く注意喚起する目的を有しているものであって,建築士としての処分とは趣旨,目的が異なる。その上,先に本件公表行為がされており,後に建築士としての処分がされるかどうかは,先にされた本件公表行為の適否の判断を左右しないというべきである。
3 以上によれば,控訴人の本件請求はいずれも理由がなく棄却すべきであるから,これと同旨の原判決は相当である。
よって,本件控訴を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 水上敏 裁判官 池田光宏 裁判官 善元貞彦)